夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには、秋日和の中、庭の手入れ・・♪  《初出2007.10.21.》

2008-05-31 16:13:44 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、朝夕肌寒くなり、陽射しが恋しくなる時節を迎えている。

幸いに昨日からは、他国の人々が羨望するような秋日和の爽(さわ)やかな日中となり、
ここしばらく秋の陽射しを満喫できる日々が続く。

私は庭の樹木が秋の色合いに染められているのをを眺めていたら、
庭の手入れに相応(ふさわ)しいと思い、
朝露の消えた頃に、おだやかな陽射しを受けながら手入れをする。

日中のひととき、春先から私のなりの思いを託した樹木に、
改めて感謝しながら、剪定したり、草抜きをする。

こうした時、吾唯足知、という格言が心身受け留められる時でもある。


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ある高齢者の沖縄旅行・・♪  《初出2007.10.20.》

2008-05-31 16:03:30 | 旅のあれこれ
私達夫婦は、共通の趣味は国内旅行であり、
日本の各地に四季折々訪れている。

家内の両親とは、私がサラリーマンの現役時代の40代の頃から、
ときおり4人で2泊3日前後の温泉地に連泊した旅行に行ったりしていた。


家内の父が3年前に死去され、家内の母は独り住まいとなったので、
家内の母は旅行好きな友達と2泊3日前後で観光ホテルに連泊して、
周辺の観光地めぐりを月に数度巡っている。

そして私達夫婦は、家内の母を誘い、
年に2回程度で、温泉滞在の5泊6日前後の旅行をしている。

家内の母は、私より14歳上であるので、
ここ5年は観光地の徒歩などは10分以内とし、
休息をしてから、再び歩きだす、という日程としている。

昨年の5月頃に、家内の母は、
『北海道に行って・・観たいわ・・
飛行機も乗ったことがないから・・乗ってみたい・・』
と家内に云った。

家内の母の要望は、旭山動物園と知床観光めぐり、
と聴いたので、私達夫婦は北海道には何度も四季折々訪れていたが、
高齢者の家内の母の身を案じて、苦心惨憺の企画した。

私は自動車の免許証は、定年退職後、返納した身であり、
レンタカーの利用は不可能なので、
私達夫婦が何回か利用したJAL STAGE(ジャル・ステージ)を活用することにした。

結果として、昨年の10月中旬に7泊8日で、
旭川のシティホテル、層雲峡・観光ホテル、知床の観光ホテルに連泊、
阿寒湖・観光ホテルに3連泊とし、
ホテルからホテル間はJALのシャトルバスで観光地めぐりをして周遊した。
詳細については、このサイトに帰宅後、
私なりの思いを綴っているので、省略する。


今年の5月頃に家内の母は、
『沖縄に行って・・観たいわ・・
そして、ひめゆり塔などを見て観たいわ・・』
と家内に云ったので、
私達夫婦は思案をはじめた・・。

               
私達夫婦は、沖縄に10数年前に4泊5日で観光した。

私の勤続25年の時、会社より特別休暇を頂いた折、
JAL STAGEで石垣島に連泊し、離島の西表島のオプションでハイキングしたり、
周辺の小島めぐりをしたりした。
そして、沖縄本島でリゾートホテル、シティホテルと宿泊し、
シャトルバスを利用して、南部、中北部を周遊した。


家内の母を連れて、漠然と沖縄と云われても果たして・・、
と家内と色々と企画を思案し、
離島は避けて、本島でゆっくりと周遊しょう、とした。
JALのシャトルバスの観光周遊も良いが、ある程度の時間の制約があるので、
家内の母だと無理があると思い直し、
家内が大胆な案を私に提示した。

那覇のシティホテルで連泊しながら南部観光をした後、
中北部のリゾートホテルで6泊し、中北部の観光を周遊する、
という案であった。

『これだったら、お義母(かあ)さんもゆっくりと廻れるよ・・
沖縄の風光明媚なところで・・のんびりと・・』
と私は賛意した。

その後、家内とインターネットで調べたりして、ある程度の日程を決めた。

今回はJAL系の旅行会社は上記の理由で取りやめ、
ある旅行会社に予約した。

結果としては、10月の下旬から11月上旬の8泊9日となった。


家内の母と温泉滞在旅行を含めて3人で旅行をする際は、
私は出来る限り、家内達と日中は別行動をしている。

婦女子の周遊する所と私は殆ど別要望であり、
家内達もそれぞれの思いで、母と娘の2人で好きなところを廻れば良い、
と思っているからである。

今回、家内達が『ひめゆりの塔』を観ている時は、
過日、学んだ『ずゐせんの塔』に供花し、余りにも長い歳月無知で申し訳ない、
と詫びながら、ご冥福を祈る予定である。

そして、リゾートホテルの滞在の折は、
ホテルのプライベート遊歩道の3キロ前後を散策したり、
琉球の風土と文化に触れながら、明媚な陽射しを受けられば、
これ以上の望みはないのである。

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秋日和、おだやかな朝・・♪   《初出2007.10.20.》

2008-05-31 16:01:21 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、雲がわずかに浮んでいる程度で、空一面は青空の朝を迎えている。

昨夜、7時過ぎから雨が降りだし、明け方まで降り続き、
今朝はさわやかな秋晴れとなっている。

日中は最高気温が25度前後で、
行楽、散策、スポーツ或いはのんびりと休養するのにも最適な1日となる。

おだやかな秋日和となるので、秋の色合いが深める中、
さわやかな1日となる。


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私の小学生時代の愛唱歌・・♪   《初出2007.10.19.》

2008-05-31 15:59:21 | 幼年・少年時代の想いで
私が小学校に入学したのは、昭和26年の春だった。
東京の郊外の調布市であるが、この頃は田畑、雑木林が圧倒的に多く、
緑豊かな町村であった。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた3男坊で、
祖父と父は女の子を期待していたらしく、私は幼児なりに何となく感じていたのか、
いじけた可愛げのない子の上、無口であった。

兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿を頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、
と担任の女の先生がため息まじりに云われたりしていた。


音楽の授業は、先生がオルガンを弾いて、
生徒の我々全員が『春の小川』、『夕やけこやけ』等を唄っていた。

学期末の頃に、ひとりの生徒が教室の1番前にある黒板の近くで、
先生のオルガンの伴奏に合わせて、唄うことが定例であった。
私は人前で他愛ないおしゃべりをすることが苦手であったので、
私の順番になると、ドキドキし、出来たら逃げ出したかった。

結果として、通信簿『2』であった。

私が下校で独りぼっちで歩いて帰る時、
或いは家の留守番をしている時は、

♪笛にうかれて 逆立ちすれば
 山が見えます ふるさとの
 わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし

【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十  】

私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。

そして、私が気分が良い時は、
私は街の子、田舎の子・・、
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。

小学校の後年になると、映画の【ビルマの竪琴】で『埴生の宿』、
【二等兵物語】』で『ふるさと』を知り、
これこそ私が望んでいた音楽だ、と感銘を受けたりした。

しかし、この名曲の2曲は人前で唄うことはなく、
クラスの仲間からは、私を『三原山』とあだ名を付けていた。
普段無口の癖、ときたま怒り出すので、活火山の由来だった。


私が小学5年になる頃、小学校の音楽室にピアノが導入されて、
何かしら女の子達はピアノに触れることが、
羨望の的となっていた。

我が家でも妹の2人が小学5年、3年で私が中学1年になったばかりの時、
妹達は先生にほめられた、と母は聴いて、有頂天になり、無理してピアノを購入した。

小学校の音楽の成績は、兄2人と妹2人は通信簿『5』であり、
何故かしら私だけが『2』の劣等性であった。


私が25歳を過ぎた時、企業に中途入社し、たまたまレコード部門に配置されて数年後、
妹のひとりが母の前で、
『お兄ちゃんがレコード会社で・・
家にいる時はモーツァルトを聴いているなんて・・想像できる・・
信じられないわ・・』
と云ったらしく、私は苦笑していた。


今の兄妹は、日常は音楽から遠ざかった普通の人々で、
日常生活で最も音楽をこよなく愛聴しているのは私だけである。

尚、母が苦労して購入したピアノは、10数年後、埃を被り、
中古業者に引き取られた。



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雨が降りだす前に・・♪   《初出2007.10.19.》

2008-05-31 15:57:10 | 時事【社会】
東京の郊外は、どんよりとした曇り空の朝を迎えている。
昼過ぎより雨が予報され、本降りの雨が明日の早朝まで続き、
日中の最高気温も19度前後と肌寒い日となる。

私は日常の買物を担当している身なので、
こうした天気の時は、スーパーは10時開店に合わせ、
10時半過ぎに数軒廻ろうとしている。

以前、早めにとスーパーに行った時、
開店前で入り口の前に、私を含めた60、70代の人々が圧倒的に多い。

私はご年配の女性に、
『午後より・・雨が予想されていますので・・
私も普段より・・早めに買物に来ましたよ・・』
と見知らぬ方に話しかけた。

『そうですわよね・・私も貴方と同じ考え・・』
と私に微笑みながら返答した。

私にとっては、さりげない挨拶程度であるが、
お互いに時間待ちをしているので、何気なく声を掛けてしまうのである。

散策も短めを歩いて、買物を済ませ帰宅しょう、
と空を見つめている。

明日からは秋日和の秋晴れマークが続くので、
午後からの雨の情景にそれなりに享受しようとしている。

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ヒルマン野球・・♪   《初出2007.10.18.》

2008-05-31 15:54:56 | 時事【社会】
私はプロ野球のパ・リーグのクライマックスの第二ステージは、
事実上のパ・リーグの制覇を掛ける決勝戦となり、
両エースの投手戦を期待する、とこのサイトで日中に於いて綴った・・。

結果としては、ロッテの成瀬投手の一球が勝敗を左右して、
日本ハムが昨年に続き、パ・リーグを制覇した。

改めて驚くのは、昨年の終了から、小笠原、新庄選手が抜け、
そして岡島投手も大リーガーに行った。

私は野球に関しても、全くの素人なので、
日本ハムは少なくともパ・リーグの優勝戦線から脱落すると、
今年の春先は思っていた。

プロ野球ファンの誰でもご存知のように、
結果として日本ハムはペナント・レースをにぎわせ、
ついに先程に於いて、パ・リーグの頂点を極めた。

このことは野球に疎(うと)い私さえ、監督のヒルマンに注目せざるを得ない。

巨人に関しては、谷、小笠原の両選手の加入の影響で、
セ・リーグのペナント・レースの優勝が出来たと私は思うので、
評価するに値もしない。

日本ハムの場合は、前年より三名の力のある選手が抜け、
どうしたら現存する選手でチームの戦力を変貌させ、
成果を出せたヒルマン監督は、
賞賛に値がするのである。

私としては、プロ野球について、このサイトで綴るのは稀であるが、
ときには感動を受けたことを素直に賞賛するのも良いのではないか、
と微苦笑している。



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パ【CS】は、好投手戦に期待を・・♪   《初出2007.10.18.》

2008-05-31 15:52:56 | 時事【社会】
プロ野球のパ・リーグでは、第二ステージのクライマックス戦が、
互いに二勝二敗の後、本日の夜に第五戦として決勝戦の試合が行われる。

そして、日本ハムはダルビッシュ、ロッテは成瀬、
と両チームのエースの対決が予測されている。

私は野球に関しては、全くの素人の身ながら、
お互い死力を尽くした試合の展開を期待したい。

ここで思い出される私なりのテレビ観戦に於いての投手戦は、
昨年の第一ステージでソフトバンクと西武の第一試合である。

ソフトバンクはエースの斉藤(和)と西武はエースの松坂が投げあい、
試合の内容自体は斉藤(和)が松坂を圧倒したに関わらず、
結果としては1対0でソフトバンクが惜敗した試合だった。

息づまる両エースの投手戦であったが、
野球も人生と同様にわずか一瞬の判断で闇(やみ)であることを、
改めて教えられた稀(まれ)にみる好試合だった。

こうした思いもあり、パ・リーグを代表とする両投手の投球内容をテレビ観戦をし、
ハラハラとドキドキしながらも息づまり、そして感動を覚え、
できれば感銘さえ受けたいと思っているのである。

尚、私はどちらのチームも応援しないが、
強いて云えば、今回のテレビ観戦を三戦しか観なかったが、
日本ハムに好感している。

日本ハムのヒルマン監督とロッテのバレンタイン監督の試合中の表情が、
何故かしら、私の性格からしてヒルマン監督の方が圧倒的に好感しているからである。

野球は監督は采配のみで、実際のゲームは選手であるが、
されど選手に対する真の愛情がヒルマン監督の表情から感じられるのである。




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早寝、早起き、元気な子・・!?   《初出2007.10.18.》

2008-05-31 15:50:59 | 定年後の思い
昨夕、家内が実家で5泊6日の援助を終えて、3時過ぎに帰宅した。

私は『お寿司でも・・獲(と)ろう・・』
と云いながら、
お風呂のガスのスイッチを点(つ)けた。

4時半過ぎに、寿司をつまみながら、
『お義母(かあ)さん・・元気そうであった・・
沖縄のこと・・何か云っていた・・』
と私は家内に訊(たず)ねたりした・・。

私はビールを呑みながら、家内の母と3人で29日より8泊9日で沖縄旅行に行くので、
何かしら追加要望があったかしら、
と訊ねたのであった。

私はビールを呑みすぎたせいか、7時には布団にもぐり、
目覚めたのは早朝と思い、起きだしたら、深夜の1時半であった。
やむえず布団に戻り、物思いに耽り、
再び寝付いたのが早朝であった。

朝、目覚めたのは7時前で、陽射しがまぶしかった。

家内は洗濯をしながら、掃除をしていた。

『遅れをとった・・XXちゃん、何時から・・』
と私は家内に云った。

『5時から・・でも・・余り捗(はかど)らない・・』
と家内は私の寝ぼけ顔に微笑みながら云った。

『せっかく・・早く寝ても・・』
と私は照れ隠しで云った。



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眩(まぶ)しい朝の陽射しを迎えて・・♪  《初出2007.10.17.》

2008-05-31 15:48:49 | 定年後の思い
東京の郊外は、久々に眩しいほどの朝の陽射しとなっている。

ここ数日は朝のひとときは薄日程度で、
日中は曇りで、とりおり薄日の射すのが多く、
特に昨日の午後からは肌寒い日となったりしていた。
暑さに苦手な私は涼しい秋に小躍りしていたが、
あわてて冬物のスポーツ・シャツを着込んだりしていた。

何時ものように、6時過ぎに起きだして、
雨戸を開け放ち、顔を洗い、煎茶を淹れ、新聞を読んだりしているが、
今朝は眩しい陽射しが射しこんでいる。

主庭に面している居間の外れに腰掛けて、
陽射しを受けながら、ぽんやりと煙草を喫いながら、
雲ひとつない青空や樹木、草花などを見たりしている。

こうした時に物思いに耽(ふけ)ったりしてする。

社会の喧騒が遠ざかり、
かの大戦の沖縄のことを思い馳せたり、
年末までの予定を考えたり、
或いはこのサイトで交流した人々がお元気でお過ごしかしら、
と思いをめぐらしている・・。

私は年金生活の自在な日常を過ごして折、
縁側で陽射しを受けてぼんやりと過ごす方が30年前以前のご年配に多く見られたが、
私は何事も好奇心をを失(な)くしたら、この人生は終りだ、と信条を掲げている身なので、
こうして椅子に座り、机の上にあるパソコンに向かって綴りはじめている・・。

そして、CDラジカセに一枚のCDをセットし、
聴いたりしている。

私の50代の頃は、あらゆるジャンルを聴いたりしていた。
ここ数日も、邦楽のハード・ロックのX JAPANなどを繰り返し掛けていた。

先程から聴き込んでいるCDは、伊藤久男の名曲集である。

なぜかしら、『あざみの歌』、『山のけむり』、『たそがれの夢』、そして『イヨマンテの夜』などを聴き、
限りなく美しい日本の詞に心を寄せ、
過ぎ去った日々に愛惜を重ねたりしている。



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『ずゐせん学徒隊』らに、ご冥福を・・。   《初出2007.10.16.》

2008-05-31 15:46:31 | 時事【社会】
昨日の深夜、『文藝春秋』の読み残した記事を読みはじめた・・。

正確な心情としては、主題が【美智子さまと昭和天皇】、
副題が【沖縄の悲劇を胸に】と題され、
ノンフィクション作家の梯 久美子(かけはし くみこ)さんが綴られた記事である。

私は沖縄に関しては、このサイト以外でも数多く綴っている上、
高校生以来、真摯な思いで関心はあるが、
皇室が係わると、何かと気後れと1日の中で、心が澄んだ時も読もうと、
あえて後回しにしていたのであった。

私はかの大戦の過酷な沖縄地上戦に於いて、
看護要員として『ひめゆり学徒隊』は知識の一端として、知っていたが、
恥ずかしながら『ずゐせん学徒隊』は全くの無知であった。

作家・梯 久美子・女史の記事を拝読すれば、
あの沖縄戦を深く理解すれば、このような状況が明確に想像できるのであるが、
つたない私は無知であった。

作家の綴られた記事を引用させて頂ければ、

沖縄戦で犠牲になった沖縄県出身者は約12万人、
うち軍人・軍属は約2万8000人で、
残りの10万人近くが民間人である。
すべての中学校、高等女学校で学徒隊が編成され、
男子は鉄血勤皇隊、女子は看護隊として戦場に動員された。
男子は14歳から19歳、女子は15歳から19歳である。
そのうち、男子1559名、女子446名が戦場で亡くなっている。

【注) 原文に対し、勝手ながら改行を多くしました。】

私が無知で、想像力が掛けていたのは、
すべての中学校、高等女学校・・
と明記された内容であった。

作者の記事のすべての中で、
『ずゐせん学徒隊』に関しては最初のほんの一部に過ぎないが、
長年の歳月の熱い心情で淡々した基調で綴られている・・。


首里高等女学校の学徒隊は『ずゐせん学徒隊』と命名されて、61名で構成され、
33名の方が亡くなわれ、ずゐせんの塔として、まつった慰霊塔である。
この中で生き残られたひとりの方の証言と念願された言動を記載されている。

作者が取材で訪れた時、
ひめゆり塔には大きな献花台からこぼれ落ちるほどの花束が供え、
数百メートルしか離れていないずゐせん塔には一輪の花もなく、
と記載されている。

『ずゐせん学徒隊』の生き残られたひとりの大正15年生まれのお方が、
「ひめゆりばかりが有名になって、
同じように戦場で亡くなったずゐせん学徒のことは、
誰も知らないし追悼もされてない。
それがずっと悲しくて、悔しくて」
と証言されて、
平成5年4月、両陛下が出席する植樹祭の会場の近くにずゐせん塔があるので、
両陛下に塔を見て頂きたく直訴した。

県知事に嘆願書を提出し、知事が不在だったので、
副知事の前で嘆願書を読み上げた・・。

『天皇陛下の御為と国の為に死ぬ事が日本人の美徳と教えられ、
女性でも戦死したら靖国神社に神として祀(まつ)られ、
崇(あが)められると信じて疑わず・・
衛生兵とともに奮闘致しました』

『生き証人は黙っている事が出来ません。
33名の代わりに声を大にして、
「ずゐせん隊はかく戦えり」
と叫びたいのであります』

この後、副知事から宮内庁を通し、陛下に伝えられた。

そして陛下のご希望に寄り、植樹祭の前に、両陛下から、ずゐせん塔に供える花束を託され、
『・・天皇陛下が私に、
戦争の時はこのあたりにも来ましたか、
とおっしゃった。
・・
このあたりは、飛び交う弾の中をさまよい歩いたところです。
たくさんの友達が死にました・・。

陛下は、苦労なされましたね、
と言ってくださった』

そして、両陛下に自作の琉歌を披露され、
沖縄の文化に造詣が深く、みずからも琉歌をつくる天皇はご理解され、
翌日、所望された陛下に清書され届けられた。

そして、両陛下の車は、
ずゐせんの塔の前を、ほとんど停止に近い最徐行でゆっくりと進み、
お2人は窓を開けて、じっと瞑目(めいもく)された。


こうした概要であるが、
かの大戦で日本本土で沖縄諸島だけが地上の戦場となり果て、
民間人、そして学生まで巻き込まれ悲惨と過酷を思い浮かべる時、
敗戦の一年前に生を受けた私さえ、胸は熱くなり、やがて深夜ひとり涙を流した。


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静寂な朝のひととき・・♪ 《初出2007.10.15.》

2008-05-31 15:43:57 | 音 楽
東京の郊外は、薄日が射し込み、静寂な朝を迎えている。

無花果(イチジク)の葉も黄色に色を染めはじめ、
紫木蓮(シモクレン)の葉の一部は、薄茶色となり、
微風を受けると、早くも空中を舞いながら地上に落下している。
金木犀は散りはじめ、樹木の下の黒土に橙黄色の絨毯を敷きしめているようである。

こうして主庭を眺めながら綴っているが、ぼんやりと眺めたりしている。

家内が留守にしているので、
家内の実家に朝と夕方に電話で家内と話し合って折、
互いに快活な声を確認し終えたりした。

私は日中、散策をしながら、樹木の色づきはじめた情景、
川べりの薄(ススキ)の穂をほめながら、鼻歌を唄うのかしら、
と思っている。


♪いい日旅立ち 羊雲をさがしに
 父が教えてくれた歌を 道連れに・・

【 『いい日旅立ち』 作詞・谷村新司 】


このようなたわむれのひとときを過ごすかしら、と微苦笑している。

東京の郊外は、曇り時々薄日で、最高気温も平年並み20度前後が予測されているので、
私は過ごしやすい日中となる。



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ときには、独り住まいとなり・・♪   《初出2007.10.14.》

2008-05-31 15:01:00 | 定年後の思い
私は東京の郊外の調布市に住む身であるが、
家内と2人だけで、古びた一戸建ての家で、
年金生活の三年生の日々を過ごしている。

家内の母は、主人に三年前に死去されてから、
千葉県の八千代台市で一戸建ての独り住まいとなっている。

家内の父は、亡くなわれる前の5年間は、大学病院に入退院を繰り返し、
死去の数ヶ月前になると、家内の母と家内は看護で、夜の間は交代で付き添っていた。

四十九日の納骨が終えてからは、
家内の母は長年の看護の疲れで気力がなくなったのか、
身の廻りはするが、家の掃除、衣服の衣変えなどは、最小限となった・・。

こうした状況なので、家内が毎月4泊5日前後で、
実家に行き、大掃除をした上で、布団を干したり、
季節に応じた室内に模様替えをしたりしている。
そして、庭の手入れなどもしている。

たまたま、今月は12日(金)から17日(水)に掛けて、5泊6日で行っている。

この間は私は独り住まいとなるので、
家内が作ってくれた料理の各種を温めたり、焼いたりして食べたりしている。
台所で皿洗い、部屋の掃除は手抜きでしているが、
あとは朝風呂に入ったり、音楽、映画などを視聴したり、
深夜、明け方などに本を開く時もあるので、
食事時間などの時間帯が大幅に狂ったりしている。

通常の日常と変わらないのは、相変わらずこのサイトに綴ったり、
読書は長時間となっている。

私は独り住まいとなっているが、月のうちわずかであるので苦にはならないが、
家内に先立たれて、本当に独り住まいになった時、
ときたま私はどのような生活になるか、思いをめぐらすこともある。

年を重ねた63歳の私であるので、
この先の人生は・・と思考するのである。

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『本当に・・好きだった・・』・・♪  《初出2007.10.13.》

2008-05-31 14:58:51 | 映画・テレビ
「おととい、『私、いい奥さんじゃなかった』と言ったら、
強く否定して、
『本当に好きだった』
と言ってくれた。
これが2人だけの最後の会話になりました」

今朝、読売新聞を読んでいた時、
私は久々に新聞記事のひとつから感動を頂き、感銘さえ覚えた・・。


この新聞記事は、建築家の黒川紀章さんが亡くなる前に、
奥様に云われた会話が掲載されていた。

私は建築界は全く無知であるので、
従って、設計士としての黒川紀章さんの功罪は知らない身であるが、
男のひとりがご自分の連れ合いに言わしめた奥様も凄(すご)いが、
亡くなわれたひとりの男性に思わず好感した・・。

この地上でたったひとりの女性を選び、
お互いに寝食を共にされ、語り合いながら思いやりの言動、
そしていたわりながら過ごされたことと思われる。
ご夫婦は情愛に充ちた様子は、かくありたい、と改めて感じたのである。

私は2年前頃に別サイトで綴ったが、どちらか亡くなる寸前、
例えば家内に先立たれる直前、
『あなたと・・一緒で・・楽しかった・・』
と家内から云われれば、私はこの人生に乾杯と思えるのである。

尚、黒川紀章さんの奥様は、女優の若尾文子さんで、
私が昭和30年の頃、小学四年生の時、
東映の時代劇を映画館で観た折、
予告編で大映映画が上映されて、若尾文子さんの名を知った。

都会風の綺麗なお姉さんで色っぽい人と、ときめきを感じた。
数多くの女優さんに好感した私であったが、
このお方に対しては初恋の人だったかしら、
と今の私は苦笑している。


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ときには、野球のテレビ観戦も・・♪   《初出2007.10.13.》

2008-05-31 14:56:47 | 映画・テレビ
私はプロ野球、MLBのテレビ実況の観戦は余り興味がないが、
1年に7回ぐらいは視聴している。

家内が今年から突然に、
『松坂の入団した・・大リーガーの試合・・
観たいわ・・』
と云い、松坂投手が登板する試合に関しては、殆ど観戦していた。

ときおり、家内に付き合って、観戦した私であるが、
『今度は・・スライダーだね・・』
と私が云うと、
『あなた・・少し・・静かにしてね・・
解説者がいるから・・
ふたりから・・云われても・・集中ができなくなる・・』
と不満化に言っている。

昨夜、NHKの『ニュースウオッチ9(ナイン)』を何時も視聴している好番組で、
せ・リーグでクライマックスの第1ステージとして、阪神と中日の試合が行われ、
パ・リーグは第2ステージとして、日本ハムとロッテの対戦が、
本日に行われると知った。

私は中日の川上謙伸・投手が今年のペナント・レースで、
殆ど期待を裏切り続けたので、どのような投球をされるのか、
と興味を抱いている。

そして、日本ハムのダルビッシュ・投手のロッテ打線に立ち向かう凄みを期待しているのである。

私はどのチームも応援しないが、好試合でドキドキさせられる内容が好きである。
私は野球のテレビの観戦であっても、ときには感動し、
感銘さえ受けたりする時もある。

本日は、NHKの衛星第1で、
昼の1時過ぎに日本ハムとロッテの対戦、
夜の6時過ぎから中日と阪神の実況中継が放映されるので、
久々に手に汗をにぎる好試合を期待したい。

私は2本立ての野球の観戦を観るのは、
生まれた初めてと思うが、
ときにはテレビ観戦も良いかしら、と微笑んでいる。

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デュラン・れい子・著の『一度も植民地になったことがない日本』《初出2007.10.12.》

2008-05-31 14:54:07 | 読書、小説・随筆
先程、一冊の文庫新書を読み終えた・・。

デュラン・れい子・著作の『一度も植民地になったことがない日本』(講談社+α新書)であるが、
このことについての初心の思いは、
9月9日の投稿で『読んで見たくなる文庫新書の一冊・・♪』で綴っているのであるので、
省略する。

本屋の店頭在庫に無く、やむえず注文予約して、
入手した本の一冊であった。

最初、読み出した所、政治色の薄い内容であったので、
10数ページ読んだ後、中断した。

他に読みたい本もあり、その上に月刊誌の最新号などがあったので、
本日の午後のひとときで読了した。

著作者のデュラン・れい子・女史には、
無知であったが、大手の広告会社で活躍されて、スウェーデン人と結婚されて、
ヨーロッパの各国に長年住みながら、版画家としても実績を上げられている女史と知った。

こうした女史のヨーロッパの人々と交流して、
生活の風習、文化の違いをユーモアーを交えて、
日本との考え方、ヨーロッパのイギリス、フランス、イタリア、オランダ人などの思考、言動を描かれている。

私はヨーロッパは未知の世界であるが、
異国の人々の言動には、ときには微笑し、
我が日本の子供のしつけ、サラリーマンの様子などは苦笑させられたりした。

こうした異国人からの日本に対する視線は、
年を重ねた年金生活の私でも謙虚に学んだりしている。

なぜならば、水と緑の豊かな惑星は、日本だけのひとりよがりの思いでは、
それぞれの国の怜悧な国益の中でも、
たえず共存という国際協調のテーマが求められているからである。




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