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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

携帯各社、スマホ有料サポート強化、高齢者ニーズねらい、私は学び、微笑み・・。

2024-09-30 11:38:40 | 喜寿の頃からの思い
今朝、配達された読売新聞の朝刊を読んだりしている中、
4ページの『政治・経済』面のひとつの記事、
『 スマホ 有料サポート強化 』と横書きで大きく明記されていた。
この下には、『 高齢者ニーズねらい 』と明示されていた。
 
そして縦書きには、『 携帯各社 新収益源と期待 』と明記されていたので、
どのようなことなのかしら、と思いながら記事を読んでしまった。



私は、長年の【 読売新聞オンライン 】の愛読者のひとりで、
たまたま新聞に掲載されている記事と殆ど同一であり、
読売新聞を愛読して50余年になる私は、よしみに甘えて、記事を転載させて頂く。

《・・【 読売新聞オンライン 】2024/09/30 05:00
有料相談サービスを強化しているNTTドコモの販売店(東京都江戸川区で)
有料相談サービスを強化しているNTTドコモの販売店(東京都江戸川区で)



携帯電話大手が、スマートフォンの操作やアプリの設定に関する販売店の店頭での
有料相談サービスを強化している。

相談の範囲の拡大や定額サービスの導入、専門スタッフの配置などを通じ、
スマホを使いこなしたい高齢者のニーズを取り込む狙いがある。

インターネットによるオンライン手続きの普及で、
手数料収入が減っている販売店も新たな収益源と期待する。

 

☆定額プラン

 

NTTドコモは9月から、全国の約2000店舗の「ドコモショップ」で、
有料相談サービス「あんしん店頭サポート」を始めた。

スタッフが最大30分間、店頭で、スマホの操作やアプリの初期設定などに
関する顧客の相談に乗るサービスだ。

料金は、自社回線の利用者を対象とした定額サービスの場合、
1日1回の相談を、月に何度も利用できるプランが税込み月990円、
月2回まで利用できるプランが、月550円となる。

定額サービス以外の場合は、相談1回につき3300円だ。


ドコモショップでは以前も、無料通信アプリ「LINE」や
JR東日本の「モバイルSuica」など社外の一部アプリについて
有料で相談対応を行っていた。

相談の範囲を広げたことに関し、ドコモの担当者は
「サポートを充実させ、ドコモのサービスの利用拡大につなげたい」と話す。




ほかの携帯大手も、販売店での有料相談サービスを充実させている。

KDDIは8月、「au店頭サポート定額」を月1078円で始めた。
相談回数に制限はなく、1回当たり最大60分間対応するもので、
スマホの画面への保護フィルムの貼り付けの代行なども行う。




☆厳しい経営環境

販売店の多くは、ネットでの契約が可能な割安プランの普及や
スマホを買い替えるまでの年数の長期化などで、厳しい経営環境に直面している。

有料相談サービスの充実は、新たな来店客の拡大につながる可能性があり、
新たな収益源としての期待も大きい。

また、人手不足により、販売店では、
相談のために頻繁に来店する高齢者などへの対応が、難しくなっている。

有料相談サービスの拡充で、専門スタッフの配置が可能になれば、
販売店にとっても多くの顧客に、手厚いサービスを行うことが可能になるという利点がある。

総務省が2024年6月に公表した調査によると、
60歳代のスマホ保有率は86・0%、
70歳代は64・4%、
80歳以上は28・5%だった。

「ガラケー」と呼ばれる旧来型の携帯端末での利用が多い通信規格「3G」回線のサービスが
26年3月に終了すれば、高齢者のスマホ利用は、今後増えていく見通しだ。

政府が公共サービスのデジタル化を進めるなか、
スマホの重要性は、以前にも増して高まっている。

携帯業界に詳しいMM総研の横田英明・取締役副所長は、
「スマホを使いこなすために、専門的な知識が求められるようになるなか、
相談体制の整備が求められている」と指摘する。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、読売新聞の《・・携帯各社、スマホ有料サポート強化、高齢者ニーズねらい・・》、
80歳の私は多々学びながら、やがて微笑んでしまった・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の80歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、家内はガラケーと称される携帯電話を愛用して、
5年半が過ぎた後、一昨年の4月よりスマホを購入して、
ときおり音声入力で、多岐に検索したりしている。

私は3年半前の頃より、家内専用の携帯電話を借りて、
何とか受信、発信の電話機能だけ使えるようになったりした・・。

そして半年前の頃より、スマホも家内の指導に基づき、
何とか受信、発信の電話機能だけ、使えるようになっている程度である。


こうした中、せめてと思いながらパソコンは、据え置き型とノート型を利用しているが、
時代遅れの国民のひとりとなっている・・。

 

こうした中で、ときおり家内はスマホを使用している中で、
使用の仕方が悪いのか、何らかのトラブルで正常に稼働しなくなる時がある。

多くの御家庭であったら、高齢者は息子さんか娘さんに問い合わせるか、
或いはお孫さん・・いずれ問い合わせる多いと思われるが、
我が家は、たったふたりだけの家庭である上、スマホも初心者となっている。

こうした事情もあり、ガラケーと称される携帯電話よりスマホに改定した時、
購入先より有料サポートを進言されて、月に回数制限なしの550円プランに、
家内は加入したりした。

そして家内は、スマホで困った時、電話連絡(スマホか固定電話)で、
問い合わせて、アドバイスを頂いて、即時解決している。

何かしら知人によれば、街にある携帯各社のサービスセンターは、
多くの御方が殺到している上、時間を要してきた・・、
と私は知り、今回の有料サポート制度は、高齢者の御方が、
気軽に相談できる・・と微笑んだりした。

余談であるが、私はパソコンに関して、ある民間会社の有料サポートセンターに加入して、
大半のトラブルについて、電話連絡(スマホか固定電話)で問い合わせて、
アドバイスを受けて、即時に解決している。
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サバ缶は健康にいい? 、80歳の私は改めて学び、多々教示されて・・。

2024-09-29 16:24:49 | 喜寿の頃からの思い
先程、愛読している【日刊ゲンダイDIGITAL】の『健康』欄の記事を見ている中で、
『 サバ缶は健康にいい?
    脳の活性化や血管の若返りなどと言われるが・・・ 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の80歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、食事に関しては、私は牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などの肉類が大好きで、
その日の夕食に応じて、愛食している。

魚類に関しては、50代の頃までは、ときおりイワシ、アジなどの青魚を食べたりしてきたが、
定年退職後の年金生活を始めた頃、私は幼年期に農家の児として育った為か、魚特有の生臭さを敬遠し、
せめて外食の時には、焼き魚を食べたりしてきた。

或いは近所のお寿司屋さんより、一カ月に一度ぐらい配達してもらい、
私は家内と共に食べたりしてきた。

こうした中、私は友人と居酒屋で談笑する中、
青魚を食べないと、何かしら身体によくない、と私は教えられたりした。


過ぎし13年前の頃、家内が日頃愛用しているある味噌メーカーに味噌を通販で注文し、
やがて予定通り配達された中に、ひとつのサバ缶が添付されていた。
ご賞味頂ければ・・と添え書きが明記されていた。

そして私は、このサバ缶を食べた瞬間、サバ特有の匂いが、味噌煮に消されて、
何かと味噌味が大好きな私は、この味噌メーカーのサバ缶に魅了されて、
これ以来、私の朝食の友のひとつとなっていた・・。

この後、少し中断した後、7年前の頃より、
最寄りのスーパーで
サバ缶の味噌煮を買い求めて、週に4日前後、愛食している。



このような心情のある私は、今回の《・・サバ缶は健康にいい?
脳の活性化や血管の若返りなどと言われるが・・》、
記事を学びたく、読んでしまった・・。 

この記事は、
順天堂大学医学部名誉教授の新井平伊さんが、第一人者が教える 認知症のすべて、
と題された連載寄稿文のひとつである。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・公開日:2024/06/11 06:00 更新日:2024/06/11 06:00

今から6~7年前、「かつてないほどのサバ缶ブーム」が起こりました。

全国のスーパーマーケット、コンビニエンスストア、ドラッグストアを対象に行った調査では、
サバ缶は2017年で前年比35%増、
2018年には、さらに伸びが加速し、前年比53%増。

この年は、これまで魚介の缶詰売り上げで、
不動の1位だったツナ缶を抜き、サバ缶の市場規模が最大になりました。


料理レシピの検索・投稿サイト「クックパッド」による2018年の「食トレンド大賞」はサバ缶。
食に関する調査・研究を行う「ぐるなび総研」も、
2018年の「今年の一皿」としてサバを選定しています。


これほど大ブームになった理由の一つが、
サバ缶の健康効果が、テレビ番組をはじめとする多くのメディアで、
取り上げられるようになったこと。



「サバ缶第1次ブーム」と呼ばれる2013年、
テレビ番組で「サバ缶がダイエットによい」と紹介され、
「サバ缶第2次ブーム」の2016~18年には「脳の活性化」、「血管の若返り」、
「生活習慣病予防」、「ストレス軽減」、「美肌」などなど。

サバには、必須脂肪酸のEPA(エイコサペンタエン酸)と、
DHA(ドコサヘキサエン酸)が豊富に含まれていますが、
これらが健康にいいと周知されるようになったのです。


しかも缶詰ですから、骨や血合いも丸ごと食べられ、
生で食べるより、サバの栄養素を多く摂取できる。
使い勝手が良く、値段はお手頃で、長期保存可能。

この連載の担当者の周辺でも、サバ缶ブーム時、
「体にいいからサバ缶を常時ストック」とする人が続出。

担当者自身は、大阪に住む両親へ
「認知症対策に毎日食べてね」とサバ缶48缶を送ったそうです。


 

☆ブームに乗っかるならそのまま継続を

EPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)は、
健康にいいとされるオメガ3系不飽和脂肪酸という栄養素で、
サバに限らず、イワシ、サケ、マグロといった脂肪が多い魚に含まれています。


EPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)は、
血中の中性脂肪を下げる効果があることから、脂質異常症の治療薬として使用されており、
またオメガ3系不飽和脂肪酸が心筋梗塞や
狭心症などの予防に有益との研究結果も発表されています。


2008年発表の日本の大規模臨床試験「JELIS試験」では、
脂質異常症治療薬のスタチンを服用している患者さんへ、
高純度のEPA製剤を追加投与したグループは、
そうでないグループに対して、虚血性心疾患の発症リスクが53%減少するとの結果が示されています。


ただ、健康のためにEPA、DHAを積極的に取ったらいいかとなると、別問題。



その理由は、ブームとは関係なしにEPAやDHAが多い魚を日常的に食べている人は、
もともと健康意識が強く意欲的で、積極的に体にいいことを取り入れている人でしょう。

サバ缶を食べるだけでは、ダメなんです。
EPAやDHAに中性脂肪を下げる効果があっても、
運動もせず、高脂肪食品を好きなように食べていれば、
中性脂肪が下がるどころか、上がります。

そもそも薬で摂取できるほどの量を、食品で取るのは不可能です。



サバ缶48缶を娘(連載担当者)から受け取った大阪のご両親。
「子供たちには頼れないから」と、サバ缶はブームで終わらせず、
あれから6年経った今も、毎日無塩で水煮のサバ缶を食べているそうです。
缶詰は塩分強めですから、無塩というのもポイントです。


そんなご両親が、ほかに毎日食べているものは、
雑穀入りご飯、手作りの減塩味噌、納豆、豆腐、すりおろしたタマネギ、
ちりめんじゃこ、手作りのシソジュース、豆乳、煮干し、カツオ節、畑で育てた旬の野菜。


料理の味付けは、ごくごく薄く、野菜多めで、
野菜は、通常は捨てる部分(根っこなど)も細かく刻んだりして活用。ご飯は少なめ。
朝昼晩とほぼ決まった時間に食事を取る。
お酒は、常温の発泡酒1缶を時々夫婦で分けて飲む程度。


甘いものが好きで、牛乳たっぷりのコーヒーと和菓子をおやつに食べるのが習慣。
ただ、2人そろって朝6時起床、朝食前にラジオ体操を一緒にし、
午後にプールか山歩きに出かけ、夕方には2人でウオーキングという活動的な生活だからか、
肥満とは無縁とのこと。


79歳と76歳のご両親、そろって持病なし、服用している薬なし、だそうです。
そして、健康食品やサプリメントの類いは一度も使った経験なし。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、
順天堂大学医学部名誉教授の新井平伊さんより、
サバ缶に関して、「脳の活性化」、「血管の若返り」などの効力はある、
と学んだりした。

しかしながら《・・サバ缶を食べるだけでは、ダメなんです。
EPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)に中性脂肪を下げる効果があっても、
運動もせず、高脂肪食品を好きなように食べていれば、
中性脂肪が下がるどころか、上がります。・・》
もとより常識的なことを私は学び、微苦笑したりした。

記事の後半には、理想的な79歳と76歳のご夫妻の食生活、
日常のささやかな運動など記載されていた・・。

健康に関して、お手本のような生活を過ごされている、
と気ままに年金生活を過ごしている私は、苦笑したりしている。
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「高い枕は、病気のリスク10倍にも」脳神経内科医が警鐘、私は学び、多々教示され・・。

2024-09-28 14:33:25 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフー・ジャパンより配信された記事を見ている中で、
『 「高い枕は病気のリスク10倍にも」
   脳神経内科医が警鐘、合わない枕が招く“殿様枕症候群”
 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の80歳の身であり、
私より5歳若い家内と共に、ささやかに過ごしている。

こうした中、私は寝室の『枕』に関しては、新婚時代より何かと無頓着であったが、
家内は気になり、私は色々と忠告されて、枕を買い改めたりしてきた。



過ぎし2023年の秋、私は家内と共に近くのイトーヨーカドーに寄り、
この店内に、寝具専門店の『西川』の出店があり、
我が家は何かと買い求めて、愛用している。

この時は、私の枕が一年前に買い求めたが、少し形と硬さを変えた枕が欲しくなり、
結果的には、家内の進めた品を買い求めたりした。

このように私たち夫婦は、ときおり『枕』を買い改めてきたので、
今回の記事が私は気になり、どのようなことなのですか、と思いながら、
記事を読んでしまった・・。

恥ずかしながら、物覚えの悪い私は、学んだことを忘れないために、
無断ながら記事を転載させて頂く。

《・・9/28(土) 6:02配信

週刊女性PRIME

ありとあらゆる種類の枕が、売り場に並ぶ現代。
それでも「身体に一番合ったものを選べている人は、ごくわずか」
と語る整形外科医の山田先生。

寝る間際まで、スマホを見る習慣などで、高枕で寝る人が増えてきているというが、
この姿勢は、睡眠の質を下げるだけでなく、首の血管を傷つけ、
脳にまで悪影響を与えることが、近年判明した。

今年初め“高い枕で寝ると、脳卒中になるリスクが高まる”という衝撃的な研究結果が報じられ、
大きな話題となった。

脳卒中と聞くと、高齢者の病気というイメージかもしれないが、
20代から40代の若い世代でも、発症することがあるという。

その原因のひとつが「特発性椎骨動脈解離」(以下、椎骨動脈解離)だ。
耳慣れない病名だが、一昨年、お笑い芸人の千鳥のノブとダイアンのユースケが
相次いで発症したため、記憶にある人もいるかもしれない。




☆千鳥のノブ、ダイアンのユースケも発症した病気

「椎骨動脈は、首の後ろを走って脳に血液を送る血管で、骨の中を通っています。
外側からの刺激に弱く、首に無理がかかる体勢や、首の急な動きで、
血管が骨に当たると、血管が裂けてしまい、それにより引き起こされる病気です」  

そう教えてくれたのは、枕と脳卒中の関連について明らかにした
国立循環器病研究センターの研究グループのメンバー、江頭柊平先生。

「椎骨動脈解離の3~4割が寝ているときに発症し、
朝、起きたら首が痛くて、気づいたら、くも膜下出血や脳出血を起こしていたというパターン。

寝ている間に、何が起こっているのか、長らく原因が不明でしたが、
一定数の人が、就寝中に高い枕を使うことが、原因で発症していることがわかったんです」
(江頭先生、以下同)  

それは早朝の回診で、枕を高くして寝ている患者さんが多いことに気づき、
枕と脳卒中の関係を疑ったことが、きっかけになったと江頭先生。

「病院では、枕を1つ支給しますが、
高くしないと寝られないからと、2つ重ねていたり、
掛け布団を枕の上に敷いて、使っている方もいたんです」  

先生の研究チームで、椎骨動脈解離になった人と
なっていない人の枕の高さを調べたところ、頭が乗っていない状態で、
12~15センチの高さでは約2・9倍、
15センチ以上では約10・6倍と、枕が高いほど、発症のリスクが高いことがわかった。

「高い枕で寝ると、首が前に屈曲します。
さらにそこから寝返りを打って、首が回旋することで、
血管がつぶれて、傷んでしまうと考えられます」  

そのため、健康な血管の若い世代でも、血管が裂けることがあるのだそう。
ましてや更年期を過ぎた女性や、高齢者など、血管がもろくなっている年代では、
より深刻なダメージを受けてしまう。



☆スマホを見るために枕を高くしていると…

「日本人は、高い枕の方が増えている印象です。
特に、デスクワークで首が前屈みになる姿勢が癖になって、枕が高くないと寝られない方や、
スマホを見るために寝る直前まで、枕を高くしてそのまま寝落ちするような方も多いようです」

そう聞いて、思わずドキッとした人も少なくないのでは。

今まで、脳卒中などの対策として、
血圧や血液をサラサラにする食生活などに、気を使っていた人は多いと思うが、
これからは睡眠習慣も見直してもらえたら、と江頭先生。

「ただ、今回の報道後に、“何10年も高い枕を使ってきたから、もうダメだ”
と悲観する声が届きました。

長年の習慣で、ダメージは蓄積しているとは思いますが、
その習慣を見直していけば、寝ている間に脳卒中を起こす、
といった最悪の事態を避けられます」  

さらに、病気や体質などで、枕を高くしないと寝られない人は、
枕の硬さを意識して。

「枕の硬さも肝心なので、高い枕であっても、やわらかい枕を使えば、
リスクは、だいぶ軽減されます。

また、枕の肩側に、タオルを畳んで敷けば、首の角度が緩和されて、
比較的安全になります。

極端に高い枕だけはやめて、あとは実情に合った対策を工夫してみては」  

研究チームでは、この疾患を「殿様枕症候群」と命名している。
江戸時代に使われた高くて硬い殿様枕が由来だが、
興味深いことに当時の複数の随筆に『寿命三寸楽四寸
(12
センチ程度の高い枕は、髪型が崩れず楽だが、9センチ程度が早死にしなくて済む)』との記載があり、
昔の人が感覚的に高くて、硬い枕は寿命を縮めると知っていたことに驚く。

 


ちなみに椎骨動脈解離は、起きているときにも、注意が必要だという。

「料理や農作業で長時間、首を前屈みにしていて
、
呼ばれて振り返ったら発症したとか、
飛行機や新幹線の移動中に窓にもたれて数時間寝てしまい、
旅行先で痛くなって、ろれつが回らなくなったなど、
首の屈曲からの回旋には、要注意。

寝違えたと思っていて、血管が裂けていた人も。
2週間ほどしても痛みがよくならない、普通の肩こりと違う、
めまいがするなどの症状があれば、病院を受診してほしいです」


ここからは身体に負担をかけない枕の選び方を紹介する。




☆「合わない枕は不調を招く」

「正しい枕は、治療道具としても有益です」
そう話すのは整形外科医として、枕外来も開設している山田朱織先生。

「身体に合わない枕は、肩こりや頭痛、手のしびれなどの不調を招きます。
それらの症状があったときに、薬や注射など副作用や痛みを伴う治療をしなくても、
身体に合った枕を使うことで睡眠姿勢が改善し、症状がよくなる方がいます。
痛みがなくなると、眠りも深くなり、身体全体が健康になっていきます」
(山田先生、以下同)  

約40年にわたり、整形外科医であった父とともに、枕と睡眠を研究してきた山田先生。
高い枕が、脳卒中のリスクも高めると知って、さらに枕の大切さを実感。

「整形外科の観点から、枕は骨や関節、神経へ影響するものと考えてきましたが、
殿様枕症候群は、“血管”に与えるダメージも大きいことがわかり、
枕の身体への影響力に驚いています」と話す。  



先生が考える身体に理想的な枕には、3つの条件があるという。

「1つは、体格に合った高さ。
高すぎる枕もよくありませんが、低すぎる枕も、よくありません。

あおむけで寝たときに、横から見て首が15度の角度で、
横向きで寝たときに、身体の軸が布団に対して平行になっている状態がベストです」  

頭を乗せたときに男性75ミリ、女性60ミリの高さが一般的な平均値だというが、
あくまで目安として、5ミリ単位で、自分に合った高さを調整するのが望ましい。

「2つ目は、適度な硬さ。
頭を乗せて、沈み込まない硬さがあることが大事。
2リットルのペットボトルを乗せて、5ミリ以上大きく沈まなければ、大丈夫です」  

3つ目は、平らな形。
「体液の循環や体温調節、姿勢のリセットなどのため、
人はひと晩で、何10回も寝返りを打ちますが、それにはフラットな構造であることが重要です」  

高すぎや低すぎのほかに、今使っている枕が、自分に合っているか確認する目安も教えてもらった。  



下の項目に、チェックが多い人ほど、枕が合っていない可能性が高い。
睡眠は、人生の3分の1を占めるからこそ、その寝姿勢が重要。
理想の枕で健康的な人生を歩みたい。 その枕合っていないかも! 

チェックシート
・目覚めた時に、枕が頭から離れている(ズレている、落ちている

・枕や頭の下に手を入れて寝ている、腕を上げて寝ている

・目が覚めるとうつぶせで寝ている

・朝起きると手や腕にしびれがある、首や肩が痛い

・熟睡感がない

・寝返りを打つと目が覚めてしまう




山田先生考案 玄関マット枕の作り方  

高さ、形、硬さと3条件を満たす市販の枕を探すことは、難しいと山田先生。
「世の中には、ありとあらゆる硬さ、形の枕が販売されていますが、
なかなか合うものを探すのは難しく、なんだか寝起きがしっくりこないという
枕難民も少なくないはず。

そこで手作り枕をオススメしています。
玄関マットか、キッチンマットを折って、高さ3~4センチの土台を作り、
その上に折ったタオルやタオルケットを重ねれば、OKです」

1 裏地がついた硬めの玄関マット(50X90センチ程度)を3つに折る

2 その上にタオルケットを折って重ねる。
  タオルケットの畳み具合を調整して、自分の体格に合った高さにする

正しい枕を使って、危険を回避して!
【写真】玄関マット枕の作り方  

江頭柊平先生●脳神経内科医。
   国立循環器病研究センターの研究チームの一員として、殿様枕症候群による脳卒中のリスクを提唱。
   現在、京都大学 大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 博士後期課程。

山田朱織先生●16号整形外科院長。山田朱織枕研究所 代表取締役。
   長年、臨床研究に基づいた枕と睡眠分野の研究を行う。
   著書に『首姿勢を変えると痛みが消える』(フォレスト出版)など多数。

取材・文/荒木睦美 ・・》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、《・・理想的な枕には、3つの条件・・

「1つは、体格に合った高さ。
高すぎる枕もよくありませんが、低すぎる枕も、よくありません。

あおむけで寝たときに、横から見て首が15度の角度で、
横向きで寝たときに、身体の軸が布団に対して平行になっている状態がベスト」  

頭を乗せたときに男性75ミリ、女性60ミリの高さが一般的な平均値だというが、
あくまで目安として、5ミリ単位で、自分に合った高さを調整するのが望ましい。

「2つ目は、適度な硬さ。
頭を乗せて、沈み込まない硬さがあることが大事。
2リットルのペットボトルを乗せて、5ミリ以上大きく沈まなければ、大丈夫です」  

3つ目は、平らな形。・・》と学んだりした。

その上、チェックシートとして、明記された6ヶ条、多々教示されたりした
。
更に必要とあれば、手作り枕の作り方まで、解説して下さり、微笑んだりした。




私は布団の中で寝付くまで、本を読む癖があり、やがて朝に目覚める時、
少し首回りが固く感じる時がある。

そしてベットから起き出して、齢だからなぁ・・と思いながら、
軽くラジオ体操の真似事をして、洗面所に行き、顔を洗ったりしている・・。

このような朝のひとときを過ごして、私の一日が始める・・。
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幸運にも私は、満80歳の誕生日を迎え、多くの御方に感謝して・・。

2024-09-27 15:11:17 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅で、
雑木の多い小庭の中で、古惚けた戸建に住み、
近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人の手をお借りながらも田畑を耕していた。

こうした中、私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは、長兄であると暗黙の定(さだ)めがあるが、この当時も幼児に病死することもあり、
万一の場合は次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。

私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心で感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。



そして私が地元の小学校に入学したのは、1951年〈昭和26年〉の春である。
私は小学校の学業は、兄ふたりは優等生の通信簿は殆ど『5』と『4』であったが、
なぜかしら私は『3』と『2』ばかりの劣等生であった。

この間、1953年(昭和28年)の3月になると、
前の年から肝臓を悪化させ、寝たり起きたりした父は、
42歳の若さで亡くなった。

そして祖父も跡継ぎの父が亡くなり、落胆の度合いも進み、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に亡くなった。



どの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹の二十歳前後の未婚のふたりの叔母、
そして長兄は中学1年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、
家は急速に没落なり、生活は困窮となった。

こうした中、私たち子供は母と叔母に支(ささ)えられ、
そして親類に見守り中で、貧乏な生活が始まった・・。

この後の状況は、このサイトで幾たびも発露してきたので、
今回は省略させて頂く。
 
                 


やがて高校生になると、長兄、次兄の影響のない都心のある高校に通学して、
何かしら自縛から解放されたかのように心情となったりした。

こうした中で、生まれて初めて授業も楽しくなり、結果として程ほどの上位の成績となり、
読書にも目覚めて、熱愛し、やがて小説の習作を始めたりした。

私は小学生の後半から映画に圧倒的に魅せられて、
この後の中学時代を含めて、相変わらず独りで映画館に通ったした映画少年となり、
高校生になると、下校後にたびたび都心の映画館に寄ったりし帰宅していた。

こうした中、映画専門雑誌の『キネマ旬報』を愛読し、脚本が掲載されていたので、

多くの映画の脚本を学んだりしていた。

そして東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
映画の脚本家になりたくて大学を中退し、アルバイトをしながら映画青年の真似事をした。

その後、養成所の講師の知人から、同じ創作をするのだったら小説を書きなさい、
とアドバイスを受けた後、契約社員などをしながら文学青年の真似事をし、
新人の純文学の小説コンクールの最終候補作の6作品の寸前で、3度ばかり落選したりしていた。

こうした落胆していた時、30代に普通の家庭が築けるの、妻子を養っていけるの、
と素朴な叱咤を叔父さんから、やんわりと言われ、
根拠のない自信にばかりの私はうろたえ、はかなくも挫折した。



そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校のソフトコースに、
一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。

やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、
外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられたりした。

こうした中、制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、
この後、経理畑、そして営業畑などで奮戦した。

この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年から、各レコード会社はリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

この当時は、大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めたりした・・。




私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

午前中の殆どは、平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求め、
買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
私は今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き75年ばかり住み、
戦後から今日まで急速に変貌してことに、心を寄せたりして愛惜感もある。

そしてイギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をして、歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。

こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。



帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

こうした関係で、読書、映画、音楽、そしてパソコンは、
私にとっては大切なお友達となっている。

こうした生活は、小庭の手入れ、家内と共に都心に買物、冠婚葬祭、国内旅行などに出かけない限り、
大半はこのような日程で過ごして、年金生活を丸20年近くが過ぎている。




私が現役サラリーマンで奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。

まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。


やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には、介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では、何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。

もとより70代、80代の私より年上の御方でも、心身溌剌と過ごされている方達も、
近所にいる御方、知人に多くいることも、私は知って、少しでも学ぼうとしている。

ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。




私が定年退職してまもない時、地元の中学校時代の友人が、私の定年退職の挨拶状を読み、
とりあえず近くに住んでいる同級生を招集して、クラス有志会を開催してくれた・・。

やがて指定されたお洒落な居酒屋に行ったのであるが、
男性5名、女性5名のメンバーとなった。

まもなく私は、 『俺・・小学校、中学校も「2」と「3」の多い・・いじけた劣等生だった・・』
と私は皆の前で言ったりした。

『XXくん・・学校の成績なんか・・この人生・・平等に出来ているんだから・・関係ないわよ・・』
と同級生の女性は、微笑みながら私に言ったりした。

『それだったら・・俺の人生・・これから上向きだよね・・』
と私は軽口を言い、皆を笑わせたりした。

やがて二次会は、カラオケができる洋風の軽食事処で、
先程の女性の同級生から、XXくん・・百恵ちゃんの『いい日旅たち』・・一緒に唄おうょ、
と私は誘い出されて、やがて互いに手を軽くにぎり、私は少し照れながら共に唄ったりした。



過ぎし2007年(平成19年)の頃から、団塊の世代の知人、後輩から定年退職を迎えた挨拶状、
或いは電話連絡を受けたりした。

この間、不幸にしてリストラで早期優遇退職制度に応じて、やむなく転職した連絡も幾たびも、
私は受けたりした。

こうした中、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代はゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。



私も、定年するまで何かと苦節が多かった半生を振り返れば、
想定したより遥かな安楽な年金生活を享受して、先苦後楽の人生かしら、
と私は独り微笑んだりした。

この人生は、もとより自身の努力は必要であるが、
何よりもその時代ごとに、私は人との出逢いに恵まれて、叱咤激励されながら私は導かれてきた、
こうした思いがあるので、それぞれの時代にめぐり逢えた人に、感謝の念を深めている。

これからの80代の老後の生活を迎えている私は、
幸運にも健康寿命の範囲で、過ごしている・・。

いずれは私か家内が『おひとりさま』となるが、
こればかりは天上の神々の采配に基づく範疇なので、
日々を大切に過ごせばよい、と深く思ったりしている。  

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健康寿命は経済力で決まる、まもなく80歳になる私は学び、微苦笑して・・。

2024-09-26 16:44:54 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフージャパンより配信された記事の中で、
『 健康寿命は経済力で決まる
    (2)ロボット手術を受けられるエリアは限られる 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく80歳の身であり、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 

こうした中で、いつの日にか、どちらかが介護・要となり、
やむなく介護施設にお世話になったり、不幸にしてあの世に旅立つことを思案して、
私たち夫婦は漠然としながらも、『終活』を少しづつ話し合ってきた・・。



こうした中のひとつとして、延命治療に関しても、話し合ったりしてきた・・。

過ぎし18年前の頃、親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは御自身の意思はなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、 自分で食物を口に運び、食べられなかったら、
もとより延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、
と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・ と私に言ったりしている。

このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。



結果としては、それぞれ延命治療は断念して、

「延命治療は望みません。痛み止めだけは処置をお願いします」と明示するために、
私たち夫婦は、それぞれ『日本尊厳死協会』に入会したりして、
リビングウィル(生前の意思)などの書面に残している。

そして私は外出する時は、日本尊厳死協会が発行する私の『会員証』を、
お財布と共に持ち歩いたりしている。

こうした理由は、万一、外出時に救急車で病院に運ばれても、
過剰な延命処置を避ける為てあり、そしてメモ用紙も入れて、親族関連の連絡先が明記している。

このようにしているが、果たして・・この世とお別れになる事態、
こればかりは仏様か神様だけが采配する世界かしら、と思い馳せたりしている。



このような死生観のある私は、今回の《・・健康寿命は経済力で決まる・・》、
私は年金生活の身であるから、程々の一般治療さえできれば満足と思っている私は、
どういうことなのかしら、と思いながら記事を読んでしまった・・。

無断であるが、記事を転載させていたく。

《・・9/26(木) 9:06配信

日刊ゲンダイDIGITAL

<picture><source srcset="https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240926-00000018-nkgendai-000-1-view.jpg?exp=10800&fmt=webp" type="image/webp" /><source srcset="https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240926-00000018-nkgendai-000-1-view.jpg?exp=10800" type="image/jpeg" /></picture>

ロボット手術に注目が集まっている(C)iStock

医療には、地域格差が付きものです。

大学病院の多くは、県庁所在地にありますし、有名病院の大半が、大都市に集中しています。
クリニックも、大都市なら、専門性で選ぶことができますが、地方ではそんな贅沢は許されません。

より深刻なのは、最先端の医療でしょう。
たとえば、肺がん手術です。

いまでは胸腔鏡手術(胸に穴を開けて内視鏡を差し込み、
その先端から、電気メスや鉗子を出して行う手術)が主流ですが、
それには経験豊富な外科医が欠かせません。
しかし田舎に赴任してくれる医師を探すのは、かなり困難です。  

最近は、さらに胸腔鏡ロボット手術に、注目が集まっています。
ロボットといっても外科医が操作するもので、自動手術という意味ではありません。

手術用ロボットには、手ぶれを吸収するなど、
外科医をサポートする便利な機能が備わっているため、
普通の胸腔鏡よりも、安全かつ精度よく、がんを切ることができます。  

しかしロボット手術が、できる病院は限られています。

2022年度に行われた肺がんのロボット手術は、全国で5636件でした。
その多くが東京都(693件)、愛知県(510件)、兵庫県(460件)、
大阪府(460件)、福岡県(363件)など、特定の都道府県の大病院に集中しています。

秋田県、新潟県、福井県、宮崎県、沖縄県の件数は、
1桁ないし、0でした(NDBオープンデータ:厚生労働省)。  

3位の兵庫県にしても、神戸市、西宮市、明石市などの特定の病院に限られており、
内陸部や日本海側で実施できる病院は、1カ所もありません。

ロボット手術を希望する患者は、
自力で、神戸に出るか、鳥取市の病院にするかです。

鳥取県は、地方にしては珍しくロボット手術に力を入れており(全国12位)、
鳥取市内の病院でも、かなりの件数を行っています。  

ロボット手術に限らず、先端的な医療を行っている病院は限られています。
地方から行くためには、交通費がかかりますし、
外来での検査や薬物療法・放射線療法などを受けるとなれば、
宿泊費がかかることもあります。

地方の患者は、それなりの経済的な余裕がないと、いい医療にアクセスできないのです。

 (長浜バイオ大学バイオデータサイエンス学科・永田宏教授)・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



私は、過ぎし日にテレビのドキュメンタリーの番組で、
先端医療の手術としてロボット手術のことを初めて知り、驚いたりした。

そして今回の記事の中で、
《・・2022年度に行われた肺がんのロボット手術は、全国で5636件でした。・・》、
これほど現状の医療で普及していることに、驚ろいたりした・・。

しかしながら万一、私が体調が悪化して、手術を受けるようになった時
入院した病院、医療設備、医療医師とかスタッフによる差異がある上、
受診する私の状況もあるので、どのようになるか・・・。

その時・・次第だょなぁ・・微苦笑したりしている。
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【50~80代女性】毎日どのくらい“飲んで”るの? 、私は学び、微笑みを重ねて・・。

2024-09-25 16:21:16 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフー・ジャパンより配信された記事を見ている中で、
『 【50~80代女性】毎日どのくらい“飲んで”るの?
      一番人気のお酒は、やっぱり? 500人超アンケート
 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく80歳の身であり、
私より5歳若い家内と共に、ささやかに過ごしている。

私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。


先程、ぼんやりと現役時代の連休前の金曜日の頃を思い馳せたりした・・。




私の現役時代は数多くのサラリーマンと同様に、

月曜日の早朝から業務に精進し、睡眠時間を削り、
金曜日の夜になると、やっと安息が得られる、といった心情であった。

私は大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしたりした後、
1970年(昭和45年)の春、ある民間企業に中途入社し、遅ればせながら社会人となった。
この頃の勤務形態は、隔週の土曜日が午前中勤務となっていた。

その後、何時ごろか完全5日制となって、金曜日の勤務が終わると、何かしらほっとした・・。

どなたが名付けたのかは知らないけれど、
連休前の金曜日を花の金曜日と称して、『花金』と省略し、
社内で花金だから・・と歓送迎会や懇親会を開催されたり、
仲良しグループで呑みに通ったりしていた。


業務が立て込んで夜の9時過ぎに会社にいると、
『忙しいのだったら・・明日の土曜日に会社に来て、じっくりと仕事をすればよいじゃない・・
ともかく・・いつものメンバーで待っているょ・・』
と気のおけない友人が電話を掛けたりしてきたので、
私は仕事を切り上げて、その場所に駆けつけたりした・・。

どなたも同じと思われるが人事異動のたびに、
歓送迎会が部課間で盛んに行われ、私も異動の折にも開催してくれた。



50歳を迎えた頃から、人付き合いと体力も疲れ果てて、ある程度のつきあいとし、
私は自宅の最寄り駅の付近の居酒屋で、
毎週の金曜日の10時過ぎに、定期便のように独りでボケッと呑んだりした。

私は弐合徳利のその時に思いついた地酒を2本呑みながら、
板長の進めの単品を3品を食べたりした。
そして絣(かすり)を召した女将や仲居さん達にからかわれながら、
1時間半ばかり心の憩(いこ)いとしていた。

その後、55歳になると出向となってしまい、
勤務先が遠方の上、始業も早くなり、心身疲れきったので、 居酒屋に寄れる余裕もなくなった。
帰宅後、風呂に入った後、11時過ぎに家内と話し合いながら、
弐合徳利の純米酒を呑んだりした。


どの時代でもサラリーマンの方達は、
どなたも多忙な業務な勤務実態で成果を問われているが、
私は花金の夜のひとときは、秘かな息抜きで過ごしてきた・・。

退職後の今としては、遠い昔の出来事だった、と改めて感じている。




昨今は民間会社で成果主義の影響で、部署間はもとより、仲間うちでも競争が激しくなり、

ノミニケーションが薄らいでいる、と新聞、雑誌などで読んだりしたことがある。

その上、2007年のサブプライムローン問題で、世界的な経済悪化により、
より各民間会社のサラリーマンは厳しさが増しているので、

私達が過ごしてきた時代と余りにも違い、過酷な時代であると、憂いたりしている。

退職後の無力な私は、せめて花の金曜日ぐらいは、
料理を頂きながら、お酒を呑み、最近の出来事を公私含めて他愛なく、話し合ったりし、
職場上の交流として、憩(いこ)いのひととき、と長年思ったりしてきたので、
現役の諸兄諸姉は少し寂しくない、と思ったりしている。 



このような心情のある私は、今回の《・・【50~80代女性】毎日どのくらい“飲んで”るの?・・》、
好奇心に負けて、こっそりと読んでしまった・・。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・9/25(水) 14:45配信

LASISA

全国50~80代女性576人にアンケート調査

50代以上女性についてリサーチする、

女性誌「ハルメク」の「ハルメク 生きかた上手研究所」が、
50~80代女性の「お酒に関する意識・実態調査」を行い、その結果を発表しました。

調査は2024年7~8月、ハルメクのモニターである50~86歳の女性576人を対象にウェブ上で実施。
2022年に行った同調査との比較も紹介しています。  

まずお酒を飲む・飲める人は、
2022年52.9%に対して、2024年は60.1%と7.2ポイント増加。

「ほぼ毎日」飲む人は、14.4%で3.5ポイント増加しています。
1か月当たりの平均飲酒日数は、2022年調査と比べて0.8日増えました。  

普段飲んでいるお酒の平均アイテム数(ノンアルコール含む)は4.00種類。
実際の酒類は、多い順にビール、赤ワイン、白ワイン、チューハイ・サワー、日本酒、
梅酒、スパークリングワイン、ノンアル、焼酎となっています。



一方、札の酒を飲まない人が食事のときに飲んでいるものは、
温かいお茶、汁物(みそ汁・スープなど)、冷たいお茶、水、温かいコーヒー、
冷たいコーヒー、炭酸水、野菜ジュース、ノンアルビール、
炭酸水以外の炭酸飲料(コーラ・サイダーなど)、果汁ジュースでした。  

普段お酒を飲む理由で多かったのは、
「料理がおいしく感じられるから」、
「楽しい気分になれるから」、
「リラックスできるから」、
「リフレッシュ・気分転換できるから」など。

併せて、飲酒に関して気を付けていることは、
「飲み過ぎないように心掛ける」、
「カロリー・糖質の取り過ぎにならないよう気を付ける」、
「1日当たりの飲酒量の上限を決めている」が上位に並んでいます。  

また自由回答では
「高くても本当においしいお酒を飲みたいと思えるようになった」(59歳)
「年齢とともに酒量はだいぶ減った。でもおいしい料理を前にしたり、外出先や旅先だったり、
という場合は量より質でおいしい酒を飲むことに幸せを感じる」(66歳)などが寄せられており、
同研究所は「シニア女性のお酒の特徴は『量より質』。

おいしいお料理とともに親しい人と語らい、
健康にも配慮しながら、上質なお酒を飲みたい(と考えている)」と分析しています。

LASISA編集部・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、《・・【50~80代女性】毎日どのくらい“飲んで”るの?・・》、
私は微笑んで読ませて頂いたりした・・。

私は年金生活の中で、家内と共通の趣味の国内旅行などで、
食事処、居酒屋などで、女性グループが楽しげに食事をしながら、
お酒を呑むコミニケーション会合を見たりして、好感してきたひとりである・・。

お酒大好きだった私は、恥ずかしながら糖尿病の予備軍となり、
原則として、旅行、冠婚葬祭、懇親会など以外は、5日毎にビールのロング缶をたった一本、
呑む身となっている。

まもなく80歳になる私は、過ぎし日々、幾たびかのノミニケーションを思い浮かべて、
映画の作品を見るように、友人、知人、上司、同僚などの交わした言葉、しぐさを
思い浮かべて、独り微笑む時がある・・。
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若宮正子さん(89歳)が実践、「シニアこそAIを使いなさい」、時代遅れ私は学び・・。

2024-09-24 14:51:04 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 介護ポストセブン 】の『暮らし』欄を見ている中で、
『 世界最高齢のプログラマー・若宮正子さん(89歳)が実践
    「シニアこそAIを使いなさい」
』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、家内はガラケーと称される携帯電話を愛用して、
5年半が過ぎた後、一昨年の4月よりスマホを購入して、
ときおり音声入力で、多岐に及び検索したりして、利便性を享受している。

私は今年の2月より、家内の指導に基づき、スマホで何とか受信、発信の電話機能だけ、
使えるようになっている程度である。


こうした中、せめてと思いながら据え置き型のパソコンを、
日常は愛用している程度となっている。

このようなスマホの能力も知らない時代遅れの私は、
今回の《・・
世界最高齢のプログラマー・若宮正子さん(89歳)の・・
シニアこそAIを使いなさい・・》って、どのようなことなの・・、
と思いながら記事を読んでしまった。

物覚えの悪い79歳の私は、学んだことを忘れないために、
無断ながら記事の大半を転載させて頂く。


《・・【 介護ポストセブン 】の『暮らし』2024.09.24 07:00

スマホの音声アシスタントやお掃除ロボットなど、
さまざまな分野に使われているAI(人工知能)。

“ITオンチ”には、縁遠い技術だと思いきや、実はITオンチにこそ使いやすいもので、
長い老後を元気に生き抜く“相棒”にもなり得るという。
果たしてそれは本当か?探ってみました。

パソコンに向かう若宮正子さん
老いてはAIに従え。70代、80代はまだまだ伸び盛りです

☆教えてくれた人

若宮正子さん/ITエバンジェリスト(伝道師)・デジタルクリエイター

1935年、東京都生まれ。勤めていた銀行を定年退職後、独学でパソコンを習得。
1999年、シニア世代のサイト『メロウ倶楽部』の創設に参画。

2017年に、ひな人形を正しく配置するゲームアプリ「hinadan」を開発し、
Apple社のCEOティム・クック氏らから「世界最高齢のプログラマー」と紹介され、話題の人に。
また、「Excel」を使ったアート作品でも注目を集める。

現在はデジタル庁「デジタル社会構想会議」委員、
内閣府「高齢社会対策大綱の策定のための検討会」の構成員も務める。


☆シニアこそスマートスピーカーを使いこなして

「“老いてこそAI”。まったくその通りだと思います。
だって、(スマホやスピーカーなどに)話しかければ、なんでも答えてくれるんですよ」
と力強く語るのは、若宮正子さん。

89歳の現在も、講演などで国内外を飛び回っているが、
自宅では、日常的にスマートスピーカーにあれこれ話しかけ、教えてもらっているという。

スマートスピーカーとは、AIを搭載した多機能スピーカーのこと。
話しかけるだけで、時間や天気情報を教えてくれたり、音楽や動画の再生などをしてくれるツールだ。

「目覚まし時計代わりにもなるし、
ハンバーグのタネをこねている最中に、レシピを確認したくなっても、
作業を止めて手を洗って・・・の必要なく、
『ナツメグの量は、どのくらい?』と聞くだけで、教えてくれます。

年を重ね、1つのことをするのにも、時間がかかりますから、
スピーカーは、何かと頼りになっていますね。

スマホで検索してもいいのだけれど、文字を打ち込むのって、面倒でしょう?
実は私、タイピングが苦手。
だから、しゃべるだけでOKなんて、すごいことだと思う」(若宮さん・以下同)

若宮さんが、文字入力が苦手というのは意外だが、
シニアにとってのメリットは、ほかにもあるという。

「年を取ると、“うっかり忘れ”が多くなります。
たとえば、お湯を沸かしっぱなしにしてしまうとか。

そんなとき、『10分後に教えて』と声をかけるわけです。
30分煮込む料理のときも、移動時間を差し引いて『29分後に教えて』と頼むの」

 

☆遊びやゆとりを持ってデジタルを楽しもう

 スマホでは、若宮さんはAIをどのように使っているのだろうか。

「調べものや、急に名前が思い出せないときに、聞いています。
『きゅうりみたいな形、イタリアっぽい名前、野菜』と聞くと、
『ズッキーニですか?』と返ってきます。

たとえば『AIって何? 80歳でも、わかるように教えて』というふうに、
さらにひと言加えると、かみくだいて教えてくれますよ」

あるときは相談にも乗ってくれる。

「『何事にも自信の持てない私に、アドバイスをお願いします』と尋ねてみましょうか。
すると、瞬時に『小さな成功体験を積み重ねる、新しいことに挑戦する、感謝の気持ちを持つ』など、
いろいろなアドバイスが出てきます。
『あなたには、必ずできることがあります』などと励ましてもくれるんです」

AIの回答文の結びに「私はAIであり、医療や心理学の専門家ではありません」
という一文を見つけた若宮さんは、
「そんなこと知っているわよ!と突っ込みたくなるのも面白いわよね」と楽しそう。
機械だからと構えず、遊びの道具だと思えばいいのかも・・・。

「そう、遊びとゆとりが大事。
私は、日本ではプログラミングで評価されましたが、
台湾の元IT大臣、オードリー・タンさんから
『あなたがすごいのは、エクセルアート(※1)を創造したことだ』と言われました。

エクセルアートは、ビジネスに使われる表計算ソフト『Excel(エクセル)』で、
図柄を考案して作る作品です。

ソフトの使い方が違ったって、楽しければいいじゃない?
スマホが使いこなせなくても、自分がやりたいこと、
必要なことさえできればいいと思うんです。

私もパソコンは独学で、知らないことが多いの。
でも、私が買ったものなのだから、どう使おうと私の自由でしょう?」

若宮さんのエクセルアート
若宮さんが20年以上前から取り組む「エクセルアート」。考案した図柄は数え切れないという


若宮さんいわく、世界各国のシニア(65歳以上)のIT活用率を見ると、
日本の活用率は、諸外国のシニアに比べて低いのだという(※2)。

「“もう年だから”と、勝手に卒業しちゃう人が多いんです。
私はその普及活動を託されているんですが、普及のポイントは、
まさにAIのように話しかければ、教えてくれる簡単なツールをどんどん使い、
新しい知識を得ていくことだと思っています」

自作のエクセルアートの帽子をかぶる若宮さん
皇室主催の「秋の園遊会」にも自らデザインしたドレスとバッグで出席し、いまやトレードマークに

できることが増えれば、老後の暮らしも楽しくなる。
AIは、「できること」を増やしてくれるツールであることは間違いない。

「人生100年時代、70代、80代は、まだまだ伸び盛りです。
私は80代で人生が一変しましたから。

不確定な時代をたくましく生き抜く英知と柔軟性があれば、
素晴らしい未来が待っている、と私みたいなおめでたい人間は信じています(笑い)」

 

撮影/竹崎恵子 

※女性セブン2024年9月26日・10月3日号 ・・》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、世界最高齢のプログラマー・若宮正子さん(89歳)より、
シニア世代が、日常生活の中で、AIを活用すれば、安楽に過ごせます、
と謙虚に提言去され、まもなく80歳になる私は、多々教示されたりした・・。

家内も入力が苦手な身であるが、スマホで音声入力して、
多岐に及び検索したりして、利便性を享受している。

さて私も準拠して活用すれば、より一層楽しい生活が・・
と思い馳せて微苦笑したしている。
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府中市の郷土の森、『曼珠沙華まつり』は、秋の多彩な情景に心も染められ・・。

2024-09-23 15:24:03 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく80歳の身であるが、
隣接の府中市にある『郷土の森』は、『曼珠沙華まつり』が開催されていることを、
NHKのニュース知り、本日の23日の午前10時過ぎに訪れた。



こうした優雅な旗に誘われ、私は園内を気ままに遊学した・・。









やがて田んぼの区域に着くと、創意工夫のあるかかしを見て、独り微笑んでしまった・・。





このように多彩な『ヒガンバナ・・曼珠沙華』、
そして創意工夫のある『かかし』を見たりした後、改めて周辺を散策した・・。













このような秋の多彩な情景を眺めて、散策したりした・

この後、『郷土の森』を訪ねた時は、私は幼年期は農家の児として育てられたので、
失われた情景を求めるように、寄ってしまう処がある。







このような景観を見たりして、百花繚乱のように秋の多彩な情景に、
心も染められたりした・・。

やがて正門に向かって歩き、まもなく郷土の森を辞したりした。

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「老衰死」は悲惨、医師たちが「死ぬなら、がん」と口を揃えて言う「意外なワケ」、私は厳粛に学び・・。

2024-09-22 16:25:43 | 喜寿の頃からの思い

3日前、ヤフー・ジャパンより配信された記事を見ている中で、
『  じつは「老衰死」は悲惨・・・
    医師たちが「死ぬなら、がん」と口を揃えて言う「意外なワケ」
 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
私より5歳若い家内と共に、ささやかに過ごしている。

私は過ぎし35年近くのサラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
ここ20年過ごしてきた年金生活は、予測した以上に安楽な生活を享受している。

こうした中で、誰しも高齢者になれば、いつの日か、
自身が亡くなる時を思い馳せる時があると思われ、
何かと単細胞の私でも、漠然としながらも思案する時がある・・・。

たとえば、いつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中で幼年期以来、オシッコを一度だけ漏らしたりして、
死去後のことなどを家内に伝言する・・。

やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そして、この間に家内からは 『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。



このような私は、自身の終末期を私は思いめぐらしてきたが、
大病に遭遇、或いは介護・要、そして死去の時期にしても・・こればかりは、
神様か仏様の采配される世界だと、親兄弟、知人を見たりしてきたので、思い深めている・・。

このような死生観のある私は、今回の《・・じつは「老衰死」は悲惨・・
医師たちが「死ぬなら、がん」と口を揃えて言う「意外なワケ」・・》、
と題された記事を3日前に読み、衝撃を受けながら、震撼されられてきた・・。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・9/19(木) 7:00配信

現代ビジネス

だれしも死ぬときは、あまり苦しまず、人生に満足を感じながら、

安らかな心持ちで最期を迎えたい、と思っているのではないでしょうか。

私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、
人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、
あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。

望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。

*本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。



☆人気の死因、1位はがん

死ぬのは仕方ないとして、ではどんな死に方がいいのか。

富士氏のように、知らないうちに死ぬのがベストかもしれませんが、
自殺以外に自分の死に方は、なかなか選べません。

以前、いくつかの週刊誌が、ブームのように、
死に方の人気ランキングを載せたことがありました。

答えを求められたのは、いずれも死のプロとも言うべき医者です。
回答は、どのランキングでも、1位はがん。

なぜ、と思う人も多いかもしれませんが、これは消去法による選択のようでした。

一般に、望ましい死に方として、イメージされるものにポックリ死があります。

長い闘病期間を経ずに、あっという間に死ねば、
死の苦しみも少ないと思えるからでしょう。

具体的にポックリ死の可能性があるのは、
心筋塞か脳塞、あるいはクモ膜下出血などです。

いずれも発作が起きたあと、すぐ死ぬと思われているかもしれませんが、
実際は、発作と同時に意識を失うわけではありません。

心筋塞なら胸、脳塞や、クモ膜下出血なら頭に、激しい痛みを感じます。
命を落とすくらいの痛みですから、激烈なと言ってもいいでしょう
(クモ膜下出血では、金属バットで思い切り頭を殴られたような痛みとも言われます)。

その痛みを感じながら、これでもう死ぬのかと、リアルに意識しなければならないのです。
それがどれくらい続くかは人によりますが、取り返しのつかない思いに
背筋を凍らせ、深い悔い、気がかり、恐怖と悲しみが一気に湧き上がり、
それでもどうにもできず、死神の手に拉致されるままになるのが、ポックリ死です。

当然、ゆっくりと人生を振り返る余裕はなく、
覚悟を決める間もなく、狼狽しつつ亡くなるのです。

さらに、ポックリ死は、突然の死ですから、死後の準備ができていません。
恥ずかしいことや、隠しておきたいこともそのまま、しておかなければならないこともできず、
愛人からの手紙やSNSのやり取り、アダルトサイトの閲覧履歴など、
死後に家族に見られたくないものも残したままです。




もう一つ、望ましい死に方として思い浮かぶのは、老衰死でしょう。
十分に長生きをして、最後は眠るように亡くなる。
なんとなく安らかなイメージがあるのでしょう。

しかし、実際の老衰死は、そんなに生やさしいものではありません。
私は在宅医療で、老衰のため息を引き取った患者さんを何人も看取りましたが、
老衰死は、死ぬまでがたいへんなのです。

それまで元気でいて、急に衰えるわけではなく、
死のかなり前から全身が衰え、不如意と不自由と惨めさに、
長い間、耐えたあとで、ようやく楽になれるのです。

視力も聴力も衰えますから、見たり聴いたりの楽しみはなく、
味覚も落ちますから、美味しいものを食べてもわからず、
それどころか食べたら誤嚥して激しくむせ、そのたびに誤嚥性肺炎の危険にさらされ、
腰、膝、肘とあらゆる関節痛に耐え、寝たきりになって、
下の世話はもちろん、清拭や陰部洗浄、口腔ケアなどを受け、
心不全と筋力低下で身体は動かせず、呼吸も苦しく、
言葉を発するのも無理というような状況にならないと、死ねないのが老衰死です。

メディアでは、こういうイヤな事実は、めったに伝えません。
もちろん、みんながみんなそうなるわけではなく、
なかには安らかに息を引き取る人もいるでしょう。

しかし、その理想的な状況だけをイメージしていると、
心の準備ができず、実際の老衰がこんなに苦しいとはと、余計な嘆きに苛まれる危険性は大です。

☆がんで死ぬことの効用

そこへ行くと、がんは、治療さえしなければ、
ある程度の死期がわかるので、それに向けて準備ができます。

もう一度行きたいところ、会いたい人、食べたいもの、見たいもの、
聴きたいもの、したいことを楽しみ、世話になった人に礼を言い、
迷惑をかけた人に謝り(死が前提なのだから、たいていのことは許してもらえるでしょう)、
ケンカ別れした友とも仲直りする余裕があります。

己の来し方を振り返り、いろいろなことを思い出して、
自己肯定したり、苦笑いしたり、感謝したり、自分をほめたりして、
人生を慈しむ時間的な余裕もあります。

あとは死ぬだけなのですから、何の努力も我慢も必要なく、自由気ままにすごせます。
その上、超高齢の不如意、不自由、情けなさに直面する危険も確実に避けられます。
こんな安心なことはありません。

以上のことを知る医者たちが、
「死ぬならがん」と言うのは、当然と言えるでしょう。



先にも書いた通り、私の父が、がんの宣告を受けて、
ぱっと表情を輝かせたのも、ご理解いただけると思います。

がんで死ぬときに大事なことは、無理に治ろうとしないことです。
かつては、がんは治るか死ぬかのいずれかでしたが、
今は、治らないけれど、死なないという状態が作られています。
いわゆる「がんとの共存」です。

がんを根絶しようと思うと、過度な治療を受けて、副作用で苦しんだり、
場合によっては、逆に命を縮めてしまったりします。

過激な治療ではなく、ほどほどの治療でようすを見て、
治療の効果より、副作用のほうが大きくなったら、潔く治療をやめる。
これが、がん治療の要諦です。

治療をやめたら、死ぬじゃないかと思うかもしれませんが、
治療を続けても、さらには、がんを根絶しても、人は死にます。

死にたくないと思うのではなく、上手に死ぬというふうに発想を変えれば、
治療の中止も、大いに好ましい選択であることがわかるでしょう。

それをいつまでも治療に執着していると、せっかくの残された時間を、
つらい副作用で、無駄にする危険性が高いです。

外科医として、がんの患者さんの治療をしていたとき、
副作用の危険や患者さんの苦しみようを考えると、
治療を中止したほうが患者さんのためになるのにと思いながら、受け入れてもらえず、
最後の最後になって、こんなことなら治療をしなければよかったという嘆きを何度も聞きました。

長生きには、よい面もありますが、過度な長生きは決して好ましいものではありません。
その事実をしっかりと頭に入れていれば、
がんを放置して、人生の残り時間を自分なりに充実させる選択肢も、
あながち悪いものではないとわかるでしょう。

しかし、メディアは、がんで死ぬことのメリットなど、一行たりとも伝えません。
がんは人類の敵、がんの患者さんは全員、治りたいと思っていると決めつけています。

今、がんを患っている人に、
「がんで死ぬことにもいい面がありますよ」などと言うのは、残酷なことでしょう。

ですが、まだがんになっていない人に、
がんのメリットをあらかじめ伝えておくことは、心の準備として有意義だと私は思います。

久坂部 羊(医師・作家)・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、医師・作家の久坂部 羊さんより、
「老衰死」は悲惨、医師たちが「死ぬなら、がん」と口を揃えて言う「意外なワケ」、
79歳の私は厳粛に学び、動顛しながら震撼しまった・・。


私たち夫婦は、いつの日にか、どちらかが介護・要となり、
やむなく介護施設にお世話になったり、不幸にしてあの世に旅立つことを思案して、
漠然としながらも、『終活』を少しづつ話し合ってきた・・。

こうした中のひとつとして、延命治療に関しても、話し合ったりしてきた・・。

過ぎし18年前の頃、親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは御自身の意思はなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、 自分で食物を口に運び、食べられなかったら、
もとより延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、
と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・ と私に言ったりしている。

このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。



結果としては、それぞれ延命治療は断念して、
「延命治療は望みません。痛み止めだけは処置をお願いします」と明示するために、
私たち夫婦は、それぞれ『日本尊厳死協会』に入会したりして、
リビングウィル(生前の意思)などの書面に残している。

そして私は外出する時は、日本尊厳死協会が発行する私の『会員証』を、
お財布と共に持ち歩いたりしている。

こうした理由は、万一、外出時に救急車で病院に運ばれても、
過剰な延命処置を避ける為てあり、そしてメモ用紙も入れて、親族関連の連絡先が明記している。

このようにしているが、果たして・・この世とお別れになる事態、
こればかりは仏様か神様だけが采配する世界かしら、と思い馳せたりしてきた・・。



こうした中で、過ぎし2019年の4月、家内は初期の膵臓がんに遭遇して、
私たち夫婦は、安楽な年金生活は激変したりした・・。

そして
家内はこの後、2泊3日で検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきたのは、5年前の出来事であった・・。


この事態に、私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

もとより転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、私の『おひとりさま』の生活などを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。

やがて手術後、定期的に採血検査の基づいて、
手術して下さった担当医師より家内は受診して、
結果として幸運にも転移がなく、そのたびに私たち夫婦は安堵をしたりして、
今日に至っている。



今回、《・・過激な治療ではなく、ほどほどの治療でようすを見て、
治療の効果より、副作用のほうが大きくなったら、潔く治療をやめる。
これが、がん治療の要諦です。

治療をやめたら、死ぬじゃないかと思うかもしれませんが、
治療を続けても、さらには、がんを根絶しても、人は死にます。

死にたくないと思うのではなく、上手に死ぬというふうに発想を変えれば、
治療の中止も、大いに好ましい選択であることがわかるでしょう。

それをいつまでも治療に執着していると、せっかくの残された時間を、
つらい副作用で、無駄にする危険性が高いです。・・》

こうした余りにも重い人の尊厳を私は学び、ここ3日思案させられたりしてきた・・。

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ふたたび農家の児として育てられた『里彦』の私が、やがて海の情景に魅せられ・・。

2024-09-21 14:25:14 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
先程、ぼんやりとテレビを視聴する中、行楽地の海の情景が映し出されて、
見惚(みと)れていた・・。

やがて幼年期、農家の児として育てられた私が、
初めて海の潮の匂いを感じた時、
或いは幾たびか国内旅行で海を観たりして、果てしなく拡がる海に驚いたりしたこと、
思いを馳せたりした・・。 

               

私は1944年(昭和19年)の秋に、農家の三男坊として生を受けた。

やがて地元の小学校に1951年
(昭和26年)の春に入学した当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、 程ほど広い田畑を耕していた。
そして所有している田んぼの中に小さな川が流れ、湧き水もあり、 竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

やがて私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、
生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。


こうした中、確か小学3年生の頃、
先生から『山彦 海彦』の話を私たち生徒に優しく教えて頂いた時、

私は少し戸惑ったりした・・。

少年の私としては、山の幸で生活されている両親に育った『山彦』でもないし、
或いは海辺で生計をたてている両親の児の『海彦』にも属さないので、
困ったなぁ・・と心の中で呟(つぶや)いたりした。

この頃の生家は、周辺は平坦な田畑、雑木林、竹林などが広がり、
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖と先生たちは称していた。

この当時の私は、山辺も知らなかったし、海も観たことのない少年であり、
やむなく里の児の『里彦』だ、と秘かに心に決めたりした。
このような深情が私の心の奥底に今だあり、『里彦』とか『里っ児』と思ったりする時もある。

          
       

私が海の匂いを初めて感じたのは、映画の『二十四の瞳』からであった・・。
確か1954年(昭和29年)の秋、小学4年生だった私たち生徒は、
先生に引率され学年別に指定された日に電車に乗り、
京王線の布田駅の近くの映画館で『二十四の瞳』を観賞した・・。

後年になると、木下惠介・監督の『二十四の瞳』の名作と知るのであるが、
この当時の私は、映画のシーンの小豆島の海の情景、修学旅行に行く瀬戸内海の景観に、
呆然と観て、あれが海かょ・・と少年心なりに衝撃をを受けたりした。

そして、ストーリーも完全に理解できない私は、
数多くのシーンで涙を浮かべたりしていた。


この映画で何よりも心を震わせ、感極まって涙を流したのは、
敗戦後の恩師の大石先生(高峰秀子さん)の教員復職の祝賀会を成人した生徒たちが開き、
戦争で失明した磯吉(田村高廣さん)が、一年生の時に先生と生徒12名の記念写真を指差しながら、
生徒全員の位置を示すシーンであった。

そして、この時に廊下に立っていた成人した生徒の女性(月丘夢路さん)が、
『浜辺の歌』を唄うシーンであった。


この『浜辺の歌』は、圧倒的に海の匂いを感じ、

その後、私は国内旅行で幾たびも海辺を観たり、海岸を散策したりすると、
心の底で、『浜辺の歌』を唄ったりすることが多かったりした。
          
             

そして私が初めて海を観たのは、1956年(昭和31年)の小学6年生の夏、
独りで小田急線に乗り、湘南海岸の江ノ島に行き、海岸、展望台から相模灘の海を観て、
田舎者の里彦の私は言葉もなく、果てしなく彼方までの海原を呆然としながら、
長らく見つめたりした・・。



やがて1960年〈昭和35年〉の夏、高校1年の私は夏休みを利用して、
初めて独りで宿泊する旅行をして、伊豆七島のひとつの大島に訪れた。

夜、東京湾の確か晴海埠頭(はるみ・ふとう)だった記憶しているが、
ここから乗船し、早朝に伊豆大島を訪れた後、
午後に出航する観光船で、伊豆半島の下田港に向かい、下田にある観光旅館に宿泊する。

そして翌日は、伊豆半島の西岸を観光周遊バスで、名所に立ち寄りながら北上し、
修善寺にある観光旅館に宿泊した後は、 三島まで私鉄を利用し、
国鉄(現在・JR)で東京駅に帰京するプランであった。

この旅路の中、伊豆大島の元町港から下田港行きの定期航路の観光船は、高波の為に欠航し、
私は今宵の宿は下田にある観光旅館に宿泊行きのする予約をしていたので、
あわてふためいたりしたが、やがて熱海港行きの定期航路だけが、
午後2時過ぎに出航、と報じられたりした。

このような状況で、やむなく熱海港行きの定期観光船に乗船したが、
私たち観光客で満席となり、私は客室に入らず、サン・デッキ付近の小さな椅子に腰掛けた。

空一面は、わずかな雲で快晴の青空が拡がり、私は燦燦と照り昼下りの陽射しを全身に浴び、
果てしなく海原が広がる情景を眺め、そして潮風を受けながら、私は身も心も爽快な心となった・・。

この当時は、私にとっては苦手な俳優の加山雄三さんが演じた若大将シリーズ映画が、
盛んに映画館で上映されていた時代であった。
そして海に魅了される人たちの思いが、私なりに少し解かったような心情となった。

わずか1時間半ばかり航路であったが、 熱海港を下船後、
私は伊豆急行が開通前の時期で、 東海バスの下田行きの路線バスの乗車場所を何とか探し、
乗り込んだりした旅路の想いである。

この後は50数年の中、幾たびか旅を重ねている中で、冬のオーホック海の厳冬の荘厳な流氷、
日本海、太平洋の近海をフェリーなどに乗船して観たりしてきた。

             

過ぎし2010年〈平成22年〉の2月下旬に、
小笠原諸島の『父島』でザトウクジラを観ることを最優先課題として、
私たち夫婦は2月24日から3月7日まで船中泊往復路2泊、『父島』のホテル滞在9泊の旅路をした。
   
この後、陸地の新緑、紅葉、雪が舞い降る旅を幾たびを重ねて、
そして2013年〈平成25年〉の2月に、南海の情景も観たくなり、
八重山諸島の中核の石垣島に9泊滞在しながら、 この周辺の地、海を観たりしてきた・・。
   
    

こうした八重山諸島の情景を見たりした中、何かしらヨットで《サンセット・クルーズ》があると知り、
私たち夫婦は申し込みながら、観光の乗船客は6名前後かしら、と私は家内と談笑していた。

まもなく欧米人のような方で細身の長身の容姿の40代の男性が、 私たちの近くに来て、
『XXさんですか? 私が本日の《サンセット・クルーズ》担当するXXXXです』
と私に日本語で挨拶した。

私は観光ツアーの方は、日本人の男性で船長のアシスタントの若き男性を想定していたので、 少し驚いたが、
家内は全く予測していなかったので驚いた、と後で私に言ったりした。

そしてこの欧米人風の男性に導かれて、
送迎車に乗り、やがてヨットが係留されている桟橋に行った。


やがてアシスタントもいなく、この欧米人風の男性がたった独りで操縦、案内人と知り、
私たちは最後部の椅子席に腰かけた。                

私たちが何よりも驚いたのは、乗客の観光客は私たち二人だけで、
貸切船で贅沢この上もなく、と私は感じたりした。

そして私は日本語と英語の単語を混ぜ合わせて、この欧米人風の男性と談笑したりした。
 
まもなく桟橋を離れて、この当時は尖閣諸島で緊迫していた時で、海上保安庁の巡視船(?)が視られると、
『何かとお忙しくて・・大変ですねぇ』
と操縦士兼案内人の欧米人風の男性は、私たちに言ったりした。

このたった一言で、私はこの方の感性と思いに瞬時に魅了され、
お互いのこれまでの人生航路を話し合ったりして、 交遊を深めたりした。

   
    

    

この後、私たち夫婦は夕陽が海の彼方の沈む情景を観たりした。

やがて私たち夫婦はホテルに帰館した後、
確かに海上に於いての安全、救助などは、海上保安庁の諸兄諸姉で、
そして領海の保全は米軍に協力を仰ぎながらも、海上自衛隊の諸兄諸姉も、 果てしない努力と英知、そして責務で、
私たち国民は守られている、と私は感謝を深めたりした。

             

余談であるが、旅路で『浜辺の歌』を唄ったのは、たまたま2018年の4月、
沖縄本島の北西部地域の本部(もとぶ)にあるリゾートホテルに6泊7日で滞在する中、
「クロワッサン・アイランド」と称せられる水納島(みんなじま)を訪れた時であった。

(略)・・上陸後、まもなく私たち夫婦は、浜辺を散策した・・。

              

そして家内は、日傘を差して沖の方に歩いて行った。

私は付近の浜辺に腰を下ろして、長らく打ち寄せる清怜な波、澄み切った波間を眺める中、
何かと単細胞の私は、脳裏からひとつの歌が浮かび、心の中で唄いだしたりした・・。

                

♪あした浜辺を さまよえば  昔のことぞ 忍(しの)ばるる
 風の音よ 雲のさまよ  寄する波も 貝の色も

【 『浜辺の歌』 作詞・林古渓、作曲・成田為三 】 
留意)1916年(大正5年)に作詞・作曲に伴い、著作権保護期間から過ぎているが、
敬意しながら転記させて頂いた。


このような歌は、幾つかの時代の悲しみも、或いは喜びも、
すべて幾千万年の中で打ち寄せる波が浄化する、
と漠然と思いながら、長らく眺めたりした・・。  
 
         

このように農家の児として育てられた『里彦』の私が、
やがて海の情景に魅せられ、早や65年が過ぎている・・。

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大地震に遭遇したときの対処法<バス・地下鉄・自動車編>、私は学び、多々教示させられて・・。

2024-09-20 14:09:22 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 介護ポストセブン 】の『暮らし』欄を見ている中で、
『 地下は地上よりも安全って本当?
    大地震に遭遇したときの対処法<バス・地下鉄・自動車編>
』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、大地震に遭遇したときの対処法は、
私たち夫婦は、我が家にいる時、
或いは歩いて10分足らずの指定された避難所・・、
こうしたことは、幾たびも話し合ったりしてきた・・。

しかしながら、外出先で、路線バス、電車、地下鉄、タクシーなど乗車している最中、
こうしたケースは、私たち夫婦は想定したこともなかったので、
遅ればせながら、学びたく、記事を読んでしまった。

無断であるが、記事を転載させて頂く。



《・・【 介護ポストセブン 】==>『暮らし』2024.09.11 07:00

2024年8月に初めて発表された南海トラフ地震臨時情報。

そのインパクトは大きく、旅行や外出の予定をキャンセルした人も多かったという。
大地震は、いつ起こるかわからないからこそ、
いざというときに命を守るために取るべき行動を覚えておきたいもの。

今回は、バス・地下鉄・自動車で移動中に地震にあった場合の対処法を専門家に聞いた。

いつ起こるかわからない地震。移動時でも困らないよう対策方法を覚えておこう
いつ起こるかわからない地震。移動時でも困らないよう対策方法を覚えておこう


☆<バス>座っている人より立っている人のほうが地震の被害を受けやすい

「普段、バスを利用しているのですが、どこに座るのが安全でしょうか」(42歳・会社員)
女性セブンの読者から、こんなお便りをいただいた。

これに対し、災害危機管理アドバイザーの和田隆昌さんは、
「バスは、電車に比べ、運転手の技量に安全性が左右されるケースが多いんです」
と話す。

「都営バスの場合、緊急地震速報(震度4以上)を受信すると、
危険箇所を避け、道路の左側に停車する決まりになっています。

バスの中は、倒れてくるものや落下物がないので、
車内で被害が発生したり、揺れでバスが横転する可能性は低い。

怖いのは、地震による揺れで、ハンドルをとられたほかの車がバスに突っ込んできたり、
近くの電柱が倒れてくること、土砂や津波に巻き込まれるなど、
外部的要因の影響を受けた場合です。

特に立っている人は、座っている人よりも、
そういった外部的要因による被害を受けやすく、
衝突の勢いで、車外に放り出される恐れもあります。

揺れを感じたり、緊急地震速報が鳴ったら、
すぐに手すりなどに、つかまり体を固定しましょう」(以下、和田さん)

地震による事故などに気をつけて
地震による事故などに気をつけて

座っている場合も、投げ出されないように、
座席の間に体を隠すように、身をかがめることが大切だ。

では、バスの車内で安全な場所はどこなのか?


☆中央あたりの通路側の席は安全。地震後の追突事故など2次災害の備えも大切

地震による路線バスの事故は、前例がなく、さまざまなパターンが推測できるものの、
強いて言うなら、中央あたりの通路側の席が安全だと、
日本交通事故鑑識研究所の大慈彌拓也さんは言う。

「バスの前方と後方は、衝突や追突による影響を受けやすい、
という意味で、危険なエリアです。

路線バスの場合、高速バスほどスピードは出ていないことがほとんどですが、
シートベルトがあるわけではないので、
前方の窓側の席は、追突事故が起きた場合、窓の外に放り出される危険性が高い。

また窓側と通路側では、通路側の方が外部的要因を受けにくいです」(大慈彌さん)


東日本大震災を教訓に、津波到達地域を走行するバス会社では、
揺れがおさまったら、安全確保ができる最寄りの地域(高台など)へ直行するなど、
避難方法が見直されている。

地震が発生して、バスが急停車しても慌てず、乗務員の指示に従って行動しよう。
                         初出/女性セブン

 

☆<地下鉄>地上を走る電車より安全だが、崩落や浸水には注意

「地下の深度が浅かったり、駅の構造によっては、崩落の危険性はあります。
しかし一般的に、地下は地上に比べて、地震に強く、
特に地下鉄は、安全性が考慮された設計になっています。
ですから、慌てて外に出なくても大丈夫です」
と、和田さんは言う。

というのも、地面が揺れた場合、
地上にある建物は、地面とは逆方向に力が働くために大きく揺れるが、
地下の構造物は、地面と同じ方向に力が作用するので、揺れが大幅に減衰するのだという。

阪神・淡路大震災でも、大開駅以外の地下の被害は少なく、
東日本大震災でも、東京や仙台の地下鉄で、崩落や脱線といった事故は発生しなかった。


東京メトロなどの主要な地下鉄各社では、
一定以上の揺れを検知したり、緊急地震速報を受信した場合、
全路線の列車が緊急停止するようになっている。

また、停電への対応も考慮されている。

「駅舎や車両には、非常用電源が設置されており、
停電時には、切り替わるシステムが採用されています」(和田さん・以下同)

地下鉄内で怖いのは、崩落や停電よりも、
線路内に、水が浸入する“浸水”だという。
東日本大震災のとき、東京メトロ飯田橋駅につながる地下道に水が流れ出した。

「地下の線路脇には、排水口があるうえ、防水ゲートなども設置されているため、
一瞬にして、地下が水没するようなことはありません。

地下鉄構内や線路内に浸水が検知された場合、
車両は最寄り駅に移動し、アナウンスなどで避難が指示されるので、
車内で待機している方が、安全度が高いといえます」

地上より地下の方が安全な場合も
地上より地下の方が安全な場合も

人が車外に出ると、車両が動かせなくなり、ほかの乗客に迷惑をかけることになる。
さらに、線路脇には高圧電線があり、
触れると、感電死する危険性もあるので、勝手に車外に出てはいけない。
                            初出/女性セブン

 

☆<自転車&自動車>橋の上にいるときに地震に遭遇したらまずは落ち着いて行動すべし

また、徒歩や自転車で、橋の上を通行中に被災した場合は、
「橋から落下しない」、「車からの衝突を避ける」の2つに注意すること。

揺れが強い際は身を伏せたり、手すりなどにしっかり掴まって耐え、
揺れが収まったら、周囲に気をつけながら、焦らず歩いて橋を渡りきろう。


車を運転中の場合は、どうしたらよいのだろうか。

「揺れている最中の移動は、ハンドルが取られやすく、
事故やほかの車から、衝突される危険があります。

橋のどの位置にいようが、橋の上を走行中に強い揺れを感じたら、
まずはハザードランプを点灯させてゆっくりと減速し、道路の左側に寄せて停車すること。
そして、車内で揺れが収まるまで、待機しましょう」
と、備え・防災アドバイザーの高荷智也さんは言う。 

揺れている最中の移動は危険。車内で揺れが収まるまで待機して
揺れている最中の移動は危険。車内で揺れが収まるまで待機して

 揺れが収まったら、各状況に応じて次の行動に移そう。

【ケース1】橋が倒壊、傾き始めている場合

    その場にとどまると、高い可能性で命を落とす。
   車を動かせるようであれば、
そのまま渡りきる。

   車が渋滞していて動かせない、あるいは通過に時間がかかりそうな場合は、
   キーを付けたままの状態で車を降り、近い方の岸を目指して全力で逃げる。

   むやみに川に飛び込んだりしてはいけない。

【ケース2】一見すると橋に被害は出ておらず、傾きなども感じない場合

    素人目には大丈夫でも、余震で倒壊や被害が出る可能性がある。
   車を移動させられるなら、橋を渡りきり、渋滞していて身動きがとれないなら
   キーを付けたままの状態で車を降り、近い方の岸へ避難する。

【ケース3】橋の安全が確認された場合

    慌てて移動する必要はない。
   その場で情報収集をして、今後の行動方針を定めよう。
                                                                       初出/女性セブン

☆知っていれば安心! 公共交通機関で地震が発生したときの注意点と対処法15選

<バスの場合>

【1】バスは緊急地震速報(震度4以上)を受信すると、
   道路の左側に停車する決まりになっている。

【2】横転の可能性は低い。

【3】すぐに手すりなどにつかまり体を固定する。

【4】座っている場合は、座席の間に身をかがめる。

【5】他の車の追突、電柱が倒れる、土砂・津波に要注意。

【6】窓の外に放り出されない位置にいる。

<地下鉄の場合>

【7】地下鉄は安全性が考慮された設計になっている。

【8】地下の構造物は、地面と同じ方向に力が作用するので、揺れが大幅に減衰する。

【9】線路内の浸水に注意。

【10】むやみ外には出ずに、乗務員の指示に従う。

【11】地下鉄車内では乗務員の指示に従って、落ち着いて行動しよう。

<自転車の場合>

【12】揺れが強い際は身を伏せ揺れが収まったら前に進む

<車の場合>

【13】地震発生時、橋の上を走っていた場合、
    減速し、道路の左側に寄せて停車し、揺れが収まるまで待機

【14】揺れて橋が傾いたら渡りきる。
    難しい場合は降りて走る

【15】橋が揺れて傾いてもむやみに川に飛び込まない


☆教えてくれた人

和田隆昌さん/災害危機管理アドバイザー、
大慈彌拓也さん/日本交通事故鑑識研究所、
高荷智也さん/備え・防災アドバイザー

イラスト/大窪史乃 ・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、各専門家の御方より、バス・地下鉄・自動車を利用した時、
たまたま大地震に遭遇したときの対処法、
79歳の私は学び、多々教示させられたりした・・。

この後、『
知っていれば安心! 公共交通機関で地震が発生したときの注意点と対処法15選』、
復誦(ふくしょう)するように2回読みながら、
こうした時に遭遇したら、体力の衰えた私でも、付近の御方に御迷惑をお掛けしないように、
退避できたら・・と思い馳せたりした・・。
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たかが健康診断、されど健康診断、私の大切な健康の指針と思い深めて・・。

2024-09-19 12:40:00 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく80歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、私は2004年(平成16年)の秋に、
ある民間会社を定年退職して、多々の理由で年金生活を始めたりした・・。

まもなく『国民健康保険』に加入していて、

年に一度だけ、私の住む市より健康診断の通知が来て、基本の検査以外に、
結核健診として、胸部レントゲン撮影があり、
そして希望者には
『胃がん』と『大腸がん』の検査があり、私は毎年を受診してきた。

過ぎし3週間前、市より『令和6年度 後期高齢者健診・結核健診のご案内』の通知が、
郵送されて、私は最寄りの内科専門医院に、申し込みをし、
検査日は明日の20日となったりした。



こうした中で、
『胃がん』の検査で、苦手なバリウムを飲み、
胃のレントゲンを撮影するが、これまで19回の中で、二度ばかり再検査・要で、
後日に胃カメラで精密検査としてきた。
そして幸運にも、異常なし、と判定されてきた。

或いは『大腸がん』の検査で、便潜血検査として便を2日間取り、提出してきたが、
これまで19回の中で、二度ばかり再検査・要で、
後日に苦手な精密検査として、内視鏡の検査を悪戦苦闘をした体験してきた。
そしてポリープが見つかり、駆除して下さったりした。


いずれも恐れていた胃ガン、大腸ガンの兆候もなく、安堵してきた。



しかしながら、
過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、
『糖尿病の兆候が見られますので、内科に受診して下さい』
と明記されてしまった。
 
私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医院長に懇願した。
 
そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、蒼色吐息のような表情で、内科の医院長のアドバイスを聴いたりした・・。

この医院長は、私が定年退職後に、眼が赤目となり、近くの眼科医院で治療を受ける中で、
内科医院で精密検査を受けて下さい、と診断されたりした。

そして以前、私は風邪をひいて我が家より最寄りの内科専門病院に行き、
信頼できそうな医院長にめぐり逢えたりした・・。

こうした関連で、大学の総合病院を紹介して頂き、人間ドックのような精密検査を受診して、
年齢相当の健康体と判断されて、私は安堵をしたりしてきた・・。

このような私にとっては、信頼を増した医院長である。

この当時の私は、家内との共通趣味は国内旅行であり、
糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。


このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しそうな夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。
 
やがて医院長から、料理のカロリー試算表を渡された上、
軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。


 
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら、
野菜を多くした料理を作って貰い、これ以来、朝夕頂いたりした。
 
そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。        
 
こうした中、私は最寄の内科に、
8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

この時、医院長より指針とされたことは、
糖尿病の指標となる血液検査項目の
HbA1cに於いて、
糖尿病の境界値である6・5%を切れば、糖尿病予備軍となります、
このようなことを言われたりした。

そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
 
しかしながら家内は、糖尿病の予備軍ですから、程々に注意して下さい、
と言われる時もある。


このように私は、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、
そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、早や14年目となっている。



こうした健康診断を私は、年金生活の中、毎年受診して、今年は20年目となる。
この間、私の友人、同世代の知人・・少なくとも7人は、あの世に旅立ってしまった・・。

もとより私より性格が良くても、無念ながら体調を悪化して、
あの世に行ってしまい、残された私は、ときおり友人、同世代の知人の
言葉、しぐさを思いだして、溜息をしたりしてきた・・。

そして私は年一度の健康診断は、自身の身体の欠点が教えられるので、
私の大切な健康の指針と思い深めたりしている。
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シニア世代におすすめ災害時の<停電対策>8つの備え【防災&家事アドバイザー解説】、私は学び・・。

2024-09-18 15:34:11 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 介護ポストセブン 】の『暮らし』欄を見ている中で、
『 シニア世代におすすめ災害時の<停電対策>8つの備え
                                                   【防災&家事アドバイザー解説】
』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、今回、《・・災害時の<停電対策>8つの備え・・》、
災害に突然に遭遇してしまった時、困苦するので、真摯に学びたく、
記事を読んでしまった。



物覚えの悪い79歳の私は、学んだことを忘れないために、
無断ながら記事の殆どを転載させて頂く。

《・・【マネーポストWEB】の『暮らし』2024.09.07 07:00

地震や台風など自然災害時には、停電が起こることも。

いざというときに慌てないために、停電時の備えをしておきたい。
とくに在宅介護中のご家庭や、高齢者世帯にとっては、停電時に注意すべきことがあるという。

防災士の資格をもつ家事アドバイザーの矢野きくのさんに、
停電時に用意しておきたい8つのことについて解説いただいた。

停電のイメージ写真
停電時、懐中電灯よりもおすすめのアイテムとは?(写真はイメージ)

☆この記事を執筆した専門家

   家事・節約アドバイザー・矢野きくのさん

☆停電時、ろうそくの火で家事も

頻繁に発生するゲリラ雷雨や長期間動かない台風など、
過去の常識とは異なる天候の中、規模の大小問わず、停電になることも多くなっています。

停電と言えば、ろうそくを家族で囲んで、というイメージのかたもいるかもしれません。
しかし、ろうそくは、倒れれば火事にもなりかねませんし、火傷をすることも考えられます。

実際、昨年の台風6号では、沖縄県で停電のためにろうそくを使っていた89歳の女性が、
火事のために、命を落とされるという痛ましい事故もありました。

昔にくらべて電気に頼ることが増えている今、停電対策は必要です。
そこで、シニア世代には、ぜひ知っておいてほしい今の時代に、必要な停電対策をご紹介します。

【1】照明はランタン型のものを用意

前述のとおり、停電だから、ろうそくを使うというのは、避けましょう。
とくに地震後の停電のときは、余震もあるので危険です。

そうなると、懐中電灯と思われるかもしれませんが、
懐中電灯は、前方を明るくするものなので、停電のときはテーブルに置いて、
使うことができる“ランタン型”のものがおすすめです。

家族が複数人いるようであれば、人数分を用意しておくことが理想です。

ランタン型のライト
ランタン型のライト(写真提供/矢野きくのさん、以下同)


【2】玄関と頻繁に通る場所には人感センサー付きライトを設置

夜間に停電になると、本当に想像を超える暗さになります。
慣れた家の中でも、方向が分からなくなるでしょう。

手元にすぐライトがあればよいのですが、そうでなければライトを取りに行くまでも危険です。
転ばないように、とくにシニアのかたは気をつけたいところなので、対策が必要です。

階段や通路、玄関には、人感センサー付きの乾電池で、点灯するライトを設置しておくことをおすすめします。

乾電池で動く人感センサー付きライト
乾電池で動く人感センサー付きライト


【3】乾電池や充電式のミニ扇風機

寒い中での停電は、重ね着をするなどで対応できますが、暑さとなるとなかなかそうもいきません。
今は乾電池や充電式、モバイルバッテリーで動く小さな扇風機がありますので、
そのようなものを用意しておくとよいでしょう。

【4】お風呂の水は常に入れておく

お風呂の水と言うと、断水のときに役立ってくれるようなイメージですが、
暑い時期の停電の時にも活用できます。
昔ながらの行水をすることで、暑さを和らげることができます。

【5】冷凍室には常に保冷剤を入れておく

まず、冷蔵庫は、停電になっても開けなければ、
半日程度は、温度を低温に保つことができます。
そのため無駄に開けるのはやめましょう。

冷凍室に保冷剤を常に入れておけば、さらに長時間低温に保つことが可能です。

しかし、異常気象の近年は、暑さ対策のことも考えなければなりません。
保冷剤を使って脇の下や首すじ、足の付根を冷やすことで、涼を取ることが可能です。

このときもできるかぎり短時間で保冷剤を取り出せるように、
冷凍室の中は、常に整理してわかりやすい場所に、
保冷剤を入れておくことをおすすめします。

また、保冷剤がない場合は、ペットボトル水を入れて凍らせておくのでも代用できます。
ただしペットボトルに入れる水の量は、7~8割程度までにしておきましょう。

冷凍室には常に保冷剤や水を凍らせたペットボトルを
冷凍室には常に保冷剤や水を凍らせたペットボトルを


【6】オール電化の家ならカセットコンロの準備

近年オール電化の家庭も増えています。
停電になると、調理も全くできなくなってしまうので、カセットコンロは用意しておきましょう。

停電は、短時間で復旧するものばかりではないので、食事のためにもカセットコンロは必須です。


【7】車があるならガソリンは常に満タンに

車があるご家庭なら、ガソリンは常に満タンにしておきましょう。
停電になったとき、車のエアコンを利用することもできますし、
スマートフォンなどの充電も、車ですることが可能になります。

【8】モバイルバッテリーやポータブル電源も常に満充電に

シニア世代も、最近はスマートフォンやタブレットを利用されているかたが増えています。
とくに災害時は、情報を得るために役立ってくれるのが、スマートフォンやタブレット。

長時間外出しないから、あまり必要ないと思っているかたもいるかもしれませんが、
有事に備えてモバイルバッテリーは、1つ常備しておくことをおすすめします。

できれば、少し値は張りますが、ポータブル電源があるとより安心できます。
スマートフォンを充電できる回数(台数)が増えるだけでなく、
扇風機なども利用できるようになります。

ポータブル電源も別売りのソーラーパネルをつければ太陽光でも充電できる
ポータブル電源も別売りのソーラーパネルをつければ太陽光でも充電できる

***

これだけ頻繁に自然災害があると、いつ停電になるか分かりません。
停電になっても慌てずに済むように日頃から準備しておきましょう。

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、防災&家事アドバイザーの矢野きくのさんより、
シニア世代におすすめ災害時の<停電対策>8つの備え、
79歳の私は学び、多々教示させられたりした・・。

そして我が家は、ないないづくしだよなぁ・・と苦笑したりした。

こうした中で、我が家は防災全般に関しては、恥ずかしながら確固たる対策をしていない。

ただ、災害に関して私たち夫婦が考え改めたのは、
過ぎし年の2011年3月11日の観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、
大津波が発生して壊滅的な大惨事となった時からであった。

この後、改めて私の住む調布市から住民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。

この当時、たとえ避難所に行けたとしても、緊急救援食料は3日間を過ぎた後と知り、
私たち夫婦は少なくとも3日間は、自助努力で対処しなければならない、 と学んだりしてきた。



我が家には、ペットボトルの煎茶2リットルを12本を保管しているが、
避難バックとしては、この2リットルの煎茶を程々に持ち出す予定である。

そして用意してある避難バックの中身は、
◎懐中電灯はふたつ、
◎電池は予備として4つ、
◎タオルを4枚、
◎スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒用として)4枚、
◎板チョコレートを4枚、
◎食事代わりのラスク6袋、
◎現金は百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円。
◎食事代わりのラスク6袋、

そして簡易トイレも購入したりしてきたので、
必要であれば、私は持参する予定となっている。


このように私たち夫婦は、非常食として、乾パン6袋、ラスクの缶詰12個を追加して、
この後は、 お薬手帳を追加してきた。

やがて食べ物に関しては、やはり劣化するので、
気まぐれに避難袋から、板チョコレート、食事代わりのラスクを食べたり、
非常食の乾パン、ラスクの缶詰を開けて食べたりしてきたが、
問題は補充しないまま放置している面もある。



このような簡易な対策をしている程度あり、避難勧告を発令された時は、
指定された避難時に身を寄せる予定としている。

しかしながら酷い震災に遭遇された場合は、
体力の衰えた私たち夫婦でも、その時に応じて、ふるまう意向である。
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エミー賞席巻の「SHOGUN 将軍」は、なぜこれほどアメリカで評価されたのか、私は学び・・。

2024-09-17 15:26:13 | 喜寿の頃からの思い
 
私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
過日、アメリカのテレビ界で権威のあるエミー賞を
『SHOGUN 将軍』が数多くのエミー賞を得たことが、
私はテレビのニュースで知り、驚きながら喜んだりした・・。

今回、愛読している読売新聞の【 ヨミウリ・オンライン 】の記事の中で、
『 エミー賞席巻の「SHOGUN 将軍」は、
     なぜこれほどアメリカで評価されたのか・・・
           背景に多様性の受容と字幕慣れ 』、
と題された記事が掲載されていた。

私は真摯に学びたく、記事を読んだりした。



無断であるが、読売新聞を購読して50余年のよしみに甘えて、
転載させて頂く。

《・・【 ヨミウリ・オンライン 】2024/09/16 12:52

真田さんとサワイさんが喜び語る動画はこちら

主人公の虎永を演じた真田広之さん(左)と、英国人航海士の通訳・鞠子役のアンナ・サワイさん(Courtesy of FX Networks)
主人公の虎永を演じた真田広之さん(左)と、
英国人航海士の通訳・鞠子役のアンナ・サワイさん(Courtesy of FX Networks)


15日(現地時間)に発表されたエミー賞を、
日本が舞台の時代劇「SHOGUN 将軍」が席巻した。

なぜこれほど米国で評価されたのか。
ハリウッド在住の映画ジャーナリスト、猿渡由紀さんに受賞の背景を聞いた。

 
「SHOGUN 将軍」で覇権争いを演じる武将、虎永(真田広之)(Courtesy of FX Networks)ディズニープラスの「スター」で独占配信中
「SHOGUN 将軍」で覇権争いを演じる武将、虎永(真田広之)
(Courtesy of FX Networks)ディズニープラスの「スター」で独占配信中


「将軍」の成功は、最近の米国のエンターテインメント界の状況を反映している。

同じくジェームズ・クラベルの小説を原作とするテレビドラマは、
1980年に放送されて人気になり、米国では今でも中高年層によく知られている。
リメイクの話は何度も出ていた。

「SHOGUN 将軍」で覇権争いを演じる武将、虎永(真田広之)(Courtesy of FX Networks)ディズニープラスの「スター」で独占配信中
「SHOGUN 将軍」で覇権争いを演じる武将、虎永(真田広之)
(Courtesy of FX Networks)ディズニープラスの「スター」で独占配信中


幸運だったのは、オールアジア人キャストの映画「クレイジー・リッチ」や、
韓国の配信ドラマ「イカゲーム」、
米アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」が大ヒットしたこと。

米国でなじみのない人たちが出演している作品が、広く受け入れられた。

ハリウッドでは、「白人は、白人の作品しか見たくなく、米国人は字幕が嫌」
という価値観が、大勢を占めていた。

しかし最近の若者は「面白ければ見る」というオープンなスタンス。
特に大都市では、学校に様々な人種の友達がいるので、
白人以外の俳優たちが多数出演していても、抵抗感はない。
字幕作品にも慣れてきた。

米国のエンタメ業界では、今や多様性は常識で、無視すると、
批判される時代になった。

テレビ界は、映画界より自然な形で多様化していたが、
2016年には米映画アカデミーが、本気で多様化への努力を開始。

アカデミー会員に女性や非白人を増やし、
ハリウッド作品に多様な俳優が登場するようになってきた。
そしてそれらの多くは、成功している。

作品の質には、自信はあっただろうが、
制作陣にとって、より良い環境が整ってきていたといえる。
製作したディズニー傘下の「FX」は、創立以来最大の予算をかけたとされている。



とはいえ、「将軍」がエミー賞を席巻したのは、物語が面白かったからに尽きる。
世界的に人気となったドラマシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」を想起させるような 熾烈しれつ な権力争い、
かけひきがあった。

細部の美術や日本の描写は素晴らしかったが、物語自体がつまらなければ、
視聴者はこれほどまでに魅了されなかっただろう。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、
ハリウッド在住の映画ジャーナリスト、猿渡由紀さんより、
エミー賞席巻の「SHOGUN 将軍」は、
なぜこれほどアメリカで評価されたのか、受賞の背景を私は学んだりした。
 
過ぎし17日、アメリカのテレビ界で最高の栄誉とされる
第76回エミー賞の授賞式が、15日(日本時間16日)に於いて、
ロサンゼルスで開かれ、ドラマ「SHOGUN 将軍」が、ドラマシリーズの作品賞に選ばれた。

そして主演とプロデューサーを務めた真田広之さんが、
日本人俳優として初めて主演男優賞を受賞するなど、
エミー賞で史上最多の計18冠に輝いた。

このようなニュースを私はテレビのニュースで知り、
拍手喝采をしたりした。

そして私は、俳優の真田広之さんが、最近はテレビで見かけないなぁ・・、
と思っていたら、アメリカでテレビのドラマの「SHOGUN 将軍」に於いて、
プロデューサーを務めながら、主演でご活躍されていたのか・・
と驚きながら、喜んだひとりである。
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敬老の日、人生の大先輩の御方より、長生きの秘訣、79歳の私は学び・・。

2024-09-16 12:01:55 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフー・ジャパンより配信された記事を見ている中で、
『  102歳が語る、長生きの秘訣「毎日のように1人で歩く」 敬老の日  』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。 

こうした中で、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を20年近く過ごしてきた。

そして
私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。 



こうした中、70歳の頃から体力の衰えを実感し、
75歳の頃より、ときおり無念ながら、物忘れもあり、
ボケてはいけない、と思いながら、自身を叱咤激励をする為に、
人生は気合いだ、と心の中で呟(つぶや)く時もある。

或いは何かと単細胞の私は、好奇心をなくしたら、この世は終りだ、
と思いながら、年金生活を過ごしている・・。



このような私は、今回、人生の未知の大先輩の《・・102歳が語る、長生きの秘訣・・》、
学びたく、
記事を読んでしまった。

無断であるが、記事の前半を転載させて頂く。

《・・9/16(月) 7:30配信

毎日新聞

<picture><source srcset="https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240916-00000003-mai-000-1-view.jpg?pri=l&w=595&h=640&exp=10800&fmt=webp" type="image/webp" /><source srcset="https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240916-00000003-mai-000-1-view.jpg?pri=l&w=595&h=640&exp=10800" type="image/jpeg" /></picture>

村上市長(手前左)と談笑する102歳の虎谷さん=福岡県田川市で2024年9月9日午前11時39分、岡村崇撮影

16日は敬老の日。
福岡県内で今年度、100歳を迎える人は2000人超、
100歳以上の高齢者は4000人を超え、ともに過去最多を更新した。
元気に長生きするための秘訣(ひけつ)とは――。【岡村崇】

【写真で見る】世界最高齢・116歳の糸岡富子さん  


◇「よく食べて、動いて、しゃべる」 、「毎日のように1人で歩くのが日課」。

9日、田川市の村上卓哉市長(53歳)から、
自宅でお祝いの品を受け取った虎谷利男さん(102歳)=同市=は、
100歳を過ぎて、なお健康を保っている理由をそう語った。  

戦時下に朝鮮へ出兵し、終戦を迎えて帰国した。
銀行や市役所で勤務した後、55歳で退職し、
陶芸を習ったり、旅行を楽しんだりしてきたという。  

50歳近く若い村上市長に対し、戦時中の体験を熱心に語り続けていたところ、
そばで聞いていた妻の悦子さん(89歳)が、
「もう戦争の話は終わり。市長の話も聞きたい」と割って入り、
虎谷さんが気まずそうな表情をするなど、夫婦独特の掛け合いを見せる場面も。  

悦子さんは「(夫の長生きの理由は)これだけしゃべるから。
よく食べて、動いて、私がしゃべれないくらいしゃべる」と笑いを誘った。

(略)・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、今回、人生の大先輩の虎谷利男さん(102歳)より、
《 長生きの秘訣・・「よく食べて、動いて、しゃべる」 、
「毎日のように1人で歩くのが日課」・・》と、健康を保っている理由を
打ち明けられた・・。

そして近くにいらしゃった奥様の悦子さん(89歳)より、
《・・「(夫の長生きの理由は)これだけしゃべるから。
よく食べて、動いて、私がしゃべれないくらいしゃべる」・・》
と発言していた・・。

私は仲睦まじい虎谷さんご夫妻に、恐れ入りました・・と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

たまたま私は、9月下旬になれば、私は80歳の誕生日を迎えるが、
何とか健康寿命の範囲で迎えたいなぁ・・と念願したりしている。

私は、亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、
見知らぬ男性、 女性グループの御方たちと、話しかけられたり、
或いは話しかけたりして、歓談したりしている。



このように過ごしている私は、今回の人生の大先輩の御方より、長生きの秘訣、
《・・「よく食べて、動いて、しゃべる」 、
「毎日のように1人で歩くのが日課」・・
》私も、これまで通り実践しょうと、
改めて決意したりした。

そして80代の日々、少しでも健康寿命の範囲で過ごしたいなぁ・・、
これ以上の望みはないよなぁ・・と思い深めたりしている。

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