夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

スマホ、カーナビは、なぜ自分の位置がわかるの?、何かと理数系に苦手な私は、恥ずかしながら初めて学び・・。

2017-04-30 16:42:11 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【NIKKEI STYLE 】を見ていたら、
【 ポケGOやカーナビはなぜ位置がわかるの? 】と見出しを見た・・。

私は年金生活の72歳の身であるが、小学生の時に『算数』、『理科』などは特に苦手で、
通信簿『2』の劣等生であり、これ以来何かと苦手意識があり、
特に女子大生の理数系を専攻されている人には、驚嘆してまぶしく感じて、早や50数年が過ぎている。

そして理数系に苦手な私は、恥ずかしながら客船はどうして海に浮かび、めざした寄港先まで航海できる、
或いは航空機が滑走して空を飛び、めざした空港まで航路できる、
こうしたことは、今だに私は解らないのが本音となっている。

ましてスマホ、カーナビなどは、どうして自分の位置がわかるのか、
正直な処、判らなく、今日に至っている。

このような拙(つたな)い私は、遅ればせながら学ぼうと思い、こっそりと記事を精読してしまった。
             

この記事の原文は、『日本経済新聞』の夕刊で、2017年4月22日に掲載された記事のひとつで、
関連ネットの【NIKKEI STYLE 】に4月30日に配信された記事であり、無断ながら転載させて頂く。

《・・ポケGOやカーナビはなぜ位置がわかるの?

スーちゃん

友達の家に行った帰りに、迷子になりそうになっちゃった。
どこにいるのかが、すぐわかるといいのにね。
車のカーナビゲーションシステム(カーナビ)やスマートフォン(スマホ)は、位置を教えてくれるけど、どうなっているのかな。
             

森羅万象博士より

☆4つの衛星からの電波を目印にるすよ

自分の今いる場所を知ることは、大昔からとても大事だったんだよ。
砂漠(さばく)を歩いたり海を船で渡ったりする場面を思い浮かべてごらん。

昔は星や太陽がみえる方角から、今の居場所を知り、進む方向を決めていたんだ。

もう少し時代が進むと、磁石の働きで北の方角がわかる方位磁針ができ、より手軽に分かるようになったよ。

今は、車ならカーナビがあるよ。
地図を映したモニター画面で、「ここですよ」と教えてくれる。

スマホでは、画面の地図に、現在地を示すよ。

スマホ向けゲーム「ポケモンGO」では、観光スポットでキャラクターが出てくるよね。
スマホの位置がわかっているからだよ。

「GPS」という技術ができたおかげだよ。

GPSは日本語では、「全地球測位(そくい)システム」というよ。
遠くの星や太陽をながめる代わりに、宇宙にある人工衛星から、地球に届く電波を目印に、地球上の居場所がわかるんだ。

地球からずいぶん離れた衛星で、カーナビやスマホが、世界のどこにあるのかがわかるなんてすごいね。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170430-00000002-nikkeisty-life.view-002

☆衛星を目印に自分の位置がわかる☆

4基の衛星が、協力しているんだよ。
スマホならば、まず内部の受信機が、衛星から電波を受け取る。
電波は衛星が送った時刻からわずかに、遅れてスマホに届くよ。

電波は1秒間に約30万キロメートルの速さで進む。
電波に書き込んである送信時間との差から、衛星とスマホの距離(きょり)がわかる。
 
その距離だけ衛星から離れた位置にスマホがあるよ。
衛星を中心にその距離を半径とする円を書いてみよう。

円のどこかにスマホがあるけど、どこなのかわからないね。
電波はあちこちに飛ぶから、実際は衛星を中心とした球の表面のどこかにあるんだけどね。

そこで2基目の衛星を使うんだ。
この衛星の電波からも、スマホまでの距離がわかる。

さらに3基目の電波も使い、場所を絞り込むよ。

3基それぞれから、電波で測った距離だけ離れた地点を調べると、地球の上にあるスマホの場所にたどり着くよ。

3基の衛星はとても遠い。
それぞれが持っている正確な時計とスマホの時計には、時刻にずれができてしまう。

4基目の衛星をたよりに、ずれを直すよ。
             

地球のどこにいても使えるようにしたのが、米国のGPSだ。

戦争でミサイルを狙った場所に、飛ばすのに役立つんだって。
どこからでも衛星が利用できるように、地球の周りに30基ほど打ち上げているよ。

米国以外の国々も、同じような衛星を打ち上げている。
「GPS」といっても、米国の持ち物とは限らないよ。

位置を測る衛星システムを、みんなが「GPS」と呼ぶようになったんだ。
ロシアは「グロナス(GLONASS)」、中国は「北斗」、欧州は「ガリレオ(Galileo)」だよ。

日本にも「みちびき」という衛星があるよ。
日本からオーストラリアまでの上空を飛んでいるようにみえるよ。
でも今はまだ1基しかないから、日本で正確な位置を知るには、米国のGPSの電波も参考にしないといけないね。

でも、みちびきは日本の真上を飛んでくれるから便利なんだ。
山奥やビルの陰になる場所では、GPSの電波が飛んできてもさえぎられてしまうときがあるよ。
そんなとき、みちびきは、頭の上から電波を送ってくれるので、山の間やビルの谷間にいても受け取りやすいんだ。

日本も衛星の数を増やしていけば、米国のGPSを使わずに、日本生まれの衛星だけで居場所が分かるようになるよ。

GPSが正確になるほど、生活は便利になっていきそうだね。
人を乗せて自動で走る「自動運転車」だったら、位置が詳しく分かると車線の変更やカーブがうまくできるよね。

田んぼを耕す農機も、無人で動かす研究が始まっているよ。
イネを踏まないように進み、収穫したり肥料をあげたりできそうだね。
ほかに、小型無人機(ドローン)を案内し、離れた島々に住む人に荷物を運ぶ研究もあるよ。
             

☆進む日本版GPS、誤差数センチに博士からひとこと 

政府は、日本版GPSとも呼ぶ準天頂(じゅんてんちょう)衛星「みちびき」の拡充を進めている。
みちびきは、日本からオーストラリアまでの上空を8の字を描きながら、飛んでいるようにみえる。

1基しかない今は、日本国内でみちびきの電波が受け取れるのは1日約8時間だけ。
ほぼ米国のGPSの電波で、位置を測っている状態だ。 

政府は2017年度中に新たに2~4号機の3基を打ち上げ、
みちびきを4基体制にする計画。

まず2号機を6月1日に種子島宇宙センター(鹿児島県)から打ち上げる。

みちびきは4基体制になると、少なくとも1基は、いつも日本の上空にいるようになる。
日本各地で電波を受信しやすくなり、位置を精度良く測れるようになる。
位置の誤差が、数センチメートルにおさまるのが特長の1つだ。

一人ひとりの居場所が正確にわかる精度だ。
2023年度ごろには、7基体制に増やす計画もある。
米国のGPSが使えなくなっても、みちびきだけで位置がわかるようになる。
(取材協力=内閣府、宇宙航空研究開発機構(JAXA))・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は携帯電話、スマホも使えない時代遅れの高齢者であるが、
年に数回は、都心で懇親会などは欠かさず参加し、二次会も積極的に行ったりしている。

こうした時、友人がスマホを片手に、こちらですょ、と誘導してくれるので、
私は友人のスマホの画面を見たりした時、すごいなぁ・・、と友人に呟(つぶや)くように言ったりして、
友人から苦笑されたりしてきた。

私は定年後に、感覚の衰えを実感して、運転免許証を更新をやめたひとりである。

こうした中、旅行、懇親会の帰路、ときおり私はタクシーに乗車するが、
タクシーの運転手さんに、私の自宅近くの名所を伝えると、
何かしら車内のカーナビ機器に何か入力した後、了解致しました、と私に応(こ)えたりし、
私が運転した当時は、分厚い道路地図を見たりしてきたが、随分便利な世の中になったなぁ、と感心したりしてきた。

今回、生まれて初めて「GPS」に関して教示されて、ただ驚いたりしてきた。

高度な空に衛星が巡回して、やがてスマホで自身の位置を確認すれば、
瞬時に明示されること・・何かと理数系に苦手な私は、判ったようで判らない、不思議な世界だ、
と微苦笑をしたりした。

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セブンイレブン「日用品値下げ戦略」の持つ意味、シニア向け商品が拡充と学び、老ボーイの私でも悦び・・。

2017-04-29 16:07:10 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、私は愛読しているネットの『プレジデント・オンライン』を見ている中、
【 セブンイレブン「日用品値下げ戦略」の持つ意味 】と見出しを見たりした。

我が家の近くに『セブン・イレブン』と『ファミリーマート』があるが、
少し歩いた先のスーパー、或いは10分ばかり歩いた食品スーパーに行くことが圧倒的に多い。

或いは駅前にあるスーパー、専門店に、15分ばかり歩いて買物に行ったりしている。

もとより働いて下さる方は多忙で、身近なコンビニ活用は理解できるが、
私は年金生活の身であるので、時間は自由となり、少し遠いスーパーでも苦にならず、歩いたりしている。

こうした中、平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求め、
買物メール老ボーイとなっている私でも、ときおりコンビニに行ったりする。
             

私は18歳の大学一年生の夏季合宿以来、タバコを喫う愛煙家のひとりとなっている。
定年後の年金生活を始めると、自主的に室内禁煙と家内に宣言して、蛍族となり、
私は少しボケた脳の活性化と思い、一階のテラスとか玄関の軒下で、
携帯灰皿を持ちながらタバコを喫ったりしている。

日々の外出先では、所定の喫煙所とか人影のないベンチで喫ったりしているが、
街中とか住宅街でタバコをポイ捨てする恥知らずの御方は、
タバコを喫う資格はない、と憂いたりしている。

こうした中、タバコ臭さ、そして老人特有の口臭を老ボーイの私は気になり。
コンビニで見かけた『スピードブレスケア』を秘かに愛用している。

プチッとはじける液体ミントで、可愛らしいケースに小粒が30粒ほど入って、
特に心清らかなご婦人とお話しする時、私は事前に3粒ほど口に含み、やがて談笑したりしている。
             

こうした関係で、私はコンビニでは定期的にタバコと共に口臭剤の『スピードブレスケア』、
そして総合月刊雑誌『文藝春秋』を買い求めたり、散策の時に煎茶のペットボトルを買い求めている。

或いは私はスーパーで買物を終えて、帰宅する途中で、コンビニに寄り、
家内から依頼されたスィーツなどを買い求めたりしている。

これくらいしかコンビニを利用していない私でも、コンビニ「日用品値下げ戦略」の標題を見て、
どのようなことなの、と買物メール老ボーイの私は気になり、こっそりと読んでしまった。

この記事は、ドイツ証券 シニアアナリスト 風早隆弘が寄稿された記事であり、
『プレジデント・オンライン』に2017年4月25日に配信された記事で、無断ながら転載させて頂く。

《・・コンビニ各社が、シニア向け商品を拡充している。
             

かつては「ビール、タバコ、週刊誌を頻繁に購入する独身男性」を主なターゲットにしていたが、
若年層が減って、シニア層が増える中で、戦略を大きく変えているためだ。

取り組みの1つが、シニア層を意識した少量の弁当や総菜の販売だ。
以前は数個セットで販売していた唐揚げや春巻きも、バラ売りするようになった。

食品以外では、シニア層が購入する機会が多い日用品の値段を下げ、
ドラッグストアなどに対抗する動きがある。

セブン-イレブン・ジャパンは4月19日から、日用品60品目を平均約5%値下げした。

特徴的なのは、これらの商品・施策が対象をシニアに絞ったものではないことだ。
たとえば少量の総菜やバラ売りの揚げ物は、若年層からも酒のつまみとして需要がある。
少量や野菜中心の弁当は、若い女性からのニーズも高い。

商品に“シニア向け”とはっきり銘打つと、シニアからも敬遠されてしまうことがある。
そうならないよう、コンビニ各社はシニア向けを、あくまで新商品や施策の切り口の一つと位置付け、
他の層・世代にも訴求する商品を開発しているのだ。
             

シニア層を意識した取り組みは2010年頃から増え始め、非常に大きな成果を上げている。
2010年2月期までの数年間、食品の家計消費に占めるコンビニのシェアは、14%程度で横ばいだったが、
その後シニア層の来店頻度の増加に伴って増え続け、2016年2月期には17.4%に達した。

近年の傾向として、コンビニは健康を謳った商品も、数多く展開している。
今後コンビニの食品ビジネスのさらなる成長を考えるうえでは、
「コンビニで買った食品は、健康にいい」といったこれまでにない新たなイメージを
消費者から獲得できるかが大きなポイントになるだろう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

記事を読み終わった後、『セブン・イレブン』に於いては、
《・・4月19日から、日用品60品目を平均約5%値下げ・・》と学び、微笑んでしまった。

そしてコンビニは多彩な《・・シニア層を意識した少量の弁当や総菜の販売・・》、
《・・健康を謳った商品も、数多く展開・・》と知り、
何かとスーパー愛好者の私は、コンビニでも更に、食物を買い求める幅が拡大するので、
利用することが多くなるよねぇ、と心の中で呟(つぷや)きながら、悦んだりした・・。

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またも高齢者いじめ 自民の「年金は70歳から」提言、高齢者の私は学び、あきれ果てて、やがて苦笑し・・。

2017-04-28 14:00:53 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しいるネットの【日刊ゲンダイ デジタル】を見たりした中で、
【 またも高齢者いじめ 自民「年金は70歳から」提言の暴挙 】と題された見出しを見た。

この記事は、『日刊ゲンダイ 』で2017年4月28日に掲載された記事のひとつであり、
関連のネット【日刊ゲンダイ デジタル】に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・また自民党の老人イジメが始まった。
年金の受給開始年齢を、現行の65歳から70歳に引き上げようとしているのだ。

65歳以上の働き方などを議論する自民党のプロジェクトチーム(PT)が26日、
公的年金の受給開始年齢を現在の上限「70歳」より遅らせれば、年金額が増える仕組みの導入を政府に提言した。
一見、選択幅が広がって「お得」な感じがするが、とんでもない話だ。

現行制度では原則、受給が始まるのは65歳から。
受給開始時期を60歳~70歳の範囲で、遅らせたり早めたりすることができる。

早めた場合は65歳から受給するのに比べ、最大30%減額。
遅らせると最大42%増額される仕組みだ。

自民党PTの提言は、70歳以降に受給を開始すれば、受給額がさらに増額されるというものだ。
             

☆早死にしたら大損

しかし、70歳からの受給を選んだら、ほとんどの人は損する可能性が高い。

「70歳から受給を開始したら、相当長生きしないと、割に合わなくなります。

現行制度では、60歳からもらっている人の受給額を、65歳からもらった人が。上回る“損益分岐点”は82歳程度です。
つまり、82歳より長生きできる自信がある人は、65歳から受給した方がお得。

70歳開始という自民党PTの提言が実現すれば、“分岐点”はさらに後ろ倒しになるでしょう」(厚労行政事情通)

厚労省の2015年分の統計によると、日本人の平均寿命は男性が80・75歳、女性は86・99歳というから、
70歳開始だと、大半の男性は損することになる。

さらに、この提言には“黒い”思惑が隠されているという。

「PTは65歳までを『完全現役』、70歳までを『ほぼ現役』として、
『60歳定年』引き上げを求める骨子案をまとめています。

今回の動きと合わせ、PTの狙いは、年金の受給開始年齢を将来的に『65歳』から『70歳』に引き上げること。
今回の提言は、そのための“地ならし”です」(前出の厚労行政事情通)

2015年のOECDのリポートによると、日本の65歳以上の貧困率は19・4%。
こんな提言を通していいのか。
             

経済ジャーナリストの荻原博子氏はこう言う。
「選択幅が広がったことは、メリットですし、年金財源の確保には、ある程度の『措置』が必要なのも理解できます。
しかし、物価が上昇して賃金が下がっても、受給額を削れる“年金カット法”が、昨年成立したばかりです。

保険料も徐々に上がっています。
『次は受給年齢を引き上げよう』というPTの思惑が透けて見えます。
安易な発想で、受給年齢を引き上げることは、許されません」

もともと、年金支給は60歳からの約束だった。
それがいつの間にか、65歳に引き上げられたばかりだ。
国民はよーく監視した方がいい。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、 65歳以上の働き方などを議論する自民党のプロジェクトチーム(PT)、
座長・片山さつき政調会長代理をはじめとする諸兄諸姉は、現実と未来を理解していない御方たち、
とあきれ果てて、やがて苦笑した・・。

私は2004年(平成16年)の秋に中小業の民間会社を定年退職した身であり、
最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となり、遠い勤務地に勤め、身も心も疲れ果てて、
定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。


定年退職する数年前に、私の場合は厚生年金に加入していたので、
厚生年金は『報酬比例部分』と『定額部分』で成り立っている、と遅ればせながら知ったりした。

たとえば厚生年金の総計を年間で230万円と仮定した場合は、『報酬比例部分』は150万円(65%)、
そして『定額部分』は80万円(35%)となっていた。

この『定額部分』の支給開始時期は、生まれた世代によって差異がある、と学んだりした。

◎1941(昭和16)年4月1日以前の方は・・・60歳から支給。
◎1941(昭和16)年4月2日~1943(昭和18)年4月1日の方は・・・61歳から支給。
◎1943(昭和18)年4月2日~1945(昭和20)年4月1日の方は・・・62歳から支給。
◎1945(昭和20)年4月2日~1947(昭和22)年4月1日の方は・・・63歳から支給。
◎1947(昭和22)年4月2日~1949(昭和24)年4月1日の方は・・・64歳から支給。
◎1949(昭和24)年4月2日~1953(昭和28)年4月1日の方は・・・
                 『定額部分』は、『基礎年金』に一本化されて65歳から支給。

このように明記されていたので、私は1944年(昭和19年)9月の生まれであるので、
『定額部分』の支給開始時期は、満62歳からと知った。
             

私は厚生年金に関し、友人たちと『報酬比例部分』は『定額部分』などの合算で、満額と称しているが、
悩ましいのは私の前後だけでも、差異があることであった。

私たちの世代は、社会人になった頃の1970年〈昭和45年〉の当時は定年退職時は55歳が多く、
まもなく60歳に改定されてきたので、それぞれ人生設計の基幹としてきた。

そして私は、遅ればせながら、1994年(平成6年)の年金改正に於いて、
60歳代前半の老齢厚生年金の『定額部分』の支給開始年齢を、
2013年(平成25年)までに段階的に、60歳から65歳に引き上げがされた、と学んだりした。

その後、2000年(平成12年)の年金改正では、
老齢厚生年金の『報酬比例部分』を2025年(平成37年)までに、段階的に60歳から65歳に引き上げ、と知ったりした。
        
このような関係で私の場合は、定年退職後の60歳からの厚生年金は、
『報酬比例部分』だけの支給開始となり、『定額部分』の支給開始時期は満62歳からであった。

この間の2年間は、まるで飛行機の片翼だけで水平飛行する年金生活となる、と遅ればせながら知った。
                       

そして1941年(昭和16年)4月1日以前の先輩たちは、
もとより『報酬比例部分』、そして『定額部分』の支給開始時は、定年退職の60歳と同時に頂けるので、
いいよなぁ、と私は溜息をつきながら感じたりした。

しかし私の後輩の団塊世代の人たちは、私より『定額部分』の支給開始が遅れて、
この間の生活も大変だよなぁ、と思いを新たにさせられた。

この当時、民間会社の大手、中小業にしても、定年退職時は満60歳が多く、
その後に、単純に現役の処遇で継続できる人は、殆ど皆無である。

こうした現実の中で、定年後の年金満額までの期間をどのように生活するのか、
何よりの最優先の命題、と私は実感させられた。

こうしたことを学びながら、年金生活を始めて、もとより年金だけでは、老後生活は乗りきれない格言に基づいて、
程ほど貯金を崩して、早や12年半が過ぎている。
             

今回、年金の受給開始年齢を、将来的に『65歳』から『70歳』に引き上げる提言、私はあきれ果てて、苦笑させられた。
たとえば、ある男性が長らく会社に勤めて、60歳で定年退職となり、
やむなく第二の就職を求めて、何とか入社できても、職場の状況、そして収入も激少する中で、
悪戦苦闘して、何とか『65歳』までと奮闘した・・。

こうした中で、年金受給開始の『65歳』を励みにしていたが、ゴールはまだ先の『70歳』です、
と通告された心情を思い馳せる、と私は眼がしらが熱くなってしまう・・。

このような状況を働いて下さる諸兄諸姉の60代の職場の実態、そして予測される状況を、
65歳以上の働き方などを議論する自民党のプロジェクトチーム(PT)座長・片山さつき政調会長代理をはじめとする諸兄諸姉は、
理解されているか、と私はあきれ果てて、苦笑させられた。

そして少なくとも、働いて下さる諸兄諸姉には、『65歳』、或いは『70歳』から受給開始年齢を、
自由に選択でくる制度でなければ、と私は思い深めたりした。
             

尚、このプロジェクトチーム(PT)の提言に対して、塩崎厚労相がこの提言を通してはダメだ、
と発言をたまたまニュースで知り、私は微苦笑をしたりした。

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物忘れがひどい!言葉が出てこない!という人のための 脳と記憶力を鍛えるトレーニング、こっそりと高齢者の私は学び・・。

2017-04-27 15:22:59 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『PHP Online 衆知』を見ている中、
【 物忘れがひどい!言葉が出てこない!という人のための 脳と記憶力を鍛えるトレーニング 】
と見出しを見たりした。

私は70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。

或いは家内が視聴していたテレビ・ドラマで、私は何気なしに視て、
『この俳優さん・・齢を召されてきたが、相変わらず名演技をしているよねぇ・・』
と私は家内に言ったりする時もある。

しかしながら俳優さんの氏名が言えなくて、内心は苦笑したりする。
やがて津川雅彦(つがわ・まさひこ)さんだったことに気付いたりしている。

このように状況もあるので、今回の【 物忘れがひどい!言葉が出てこない!という人のための 脳と記憶力を鍛えるトレーニング 】、
こっそりと読んでしまった。
             

この記事は、医師・医学博士、「脳の学校」代表の加藤悛徳さんが、
『100歳まで脳は成長する 記憶力を鍛える方法』(PHP文庫)を上梓され、
編集部が抜粋された記事であり、2017年4月25日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・物忘れがひどい!言葉が出てこない!という人のための 脳と記憶力を鍛えるトレーニング

☆物忘れがひどい人のための指先トレーニング

よくボケと勘違いする人がいますが、ほとんどの場合、これだけではボケではありません。

原因のひとつとして、超多忙による記憶力の低下があげられます。
忙しくて同じ仕事に集中していると、他のことを記憶する脳番地の働きが、おろそかになってきます。

脳の中では、一番手っ取り早く処理できる脳番地だけを使いやすく、
当面の問題ではないことは、自然と排除してしまうからです。

さらに生活のリズムが狂っているときに、物忘れが激しくなります。
集中力が途切れがちになり、記憶をつかさどる海馬が眠ってしまい、
新しいことを記憶する際にサボることが多くなるのです。

海馬が稼働しないことで、他の脳番地が連動しにくくなるのも、物忘れの要因のひとつに数えられます。
             

このように、脳の機能や連動性が狂っているときに効果があるのが、【指先トレーニング】です。
指先を動かすことにより運動系脳番地を活性化できるだけでなく、
左右別々の動きを行うことで記憶系脳番地である海馬も鍛えることができます。

【指先トレーニング】

①両手を握る

②右手・・親指を立てる
 左手・・小指を立てる

③両手を握る

④右手・・小指を立てる
 左手・・親指を立てる

①~④の動作を30回繰り返す

※左右の指を片方ずつ見ながらできるようになったら、
今度は両手を同時に見られるようにチャレンジしましょう
運動系とともに視覚系記憶が刺激されます。
             

☆言葉がすぐ出てこないなら、聞くトレーニング

加藤悛徳言葉が出てこなくなると、「話すトレーニング」をしなければならないというイメージがありますが、
実は「聞くトレーニング」のほうが効果があります。

なぜかというと、スムーズにしゃべっている人の話を聞くことで、
それが脳に映り、自分もすらすらと話せるようになるからです。

聞くということは、理解力を高めることにつながります。
すぐに言葉が詰まってしまう、という人は、まず理解力を高めることが大切です。

私も、講演などをする手前、会話の先生に習いに行ったことがあります。
話し方を習いに行くのだから、私の話し方の欠点を徹底的に矯正するのかと思ったのですが、
9割は先生が話していて、私は話を聞くだけでした。

ところが、このあと講演をしたら、
「先生は会話を習いに行ってから、言葉をつかえたり、言い直したりすることがなくなりましたね」
と関係者に言われました。
             

さらに文章を書くときも、誤字脱字が少なくなりました。
会話の先生はガンガンしゃべるので、的確に聞くようになります。

それが頭に残っているので、その歯切れのいいしゃべりを真似することができます。
しっかり聞けば、正しく話すことができることに、私はこのとき気づきました。

ですから、近所にいるおしゃべり上手の人の話を聞くだけでも、解決のヒントになるのではないかと思います。

また、感謝や反省も理解力アップにつながります。
理解系脳番地は、前からも後ろからも一番奥にあり、構造的に血流が薄くなりやすい頭頂葉に位置します。

ここは空間認知や、大事な記憶や理解力の中枢になる場所。
人に感謝したり、反省したりするときにこの部分を使うので、理解力が高まるというわけです。

このほか、掃除することでも、この脳番地を使うことができます。
どこに何があるから、と空間を認知しながら作業を進めるので、
掃除をトレーニングのひとつとして、取り入れるのも効果的です。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、立ち上がって【指先トレーニング】をゆっくりと、始めた・・。

そして最初は両手を握った後、右手を親指を立てて、左手を身ながら小指を立てたりした。

やがて少しスピードを上げてすると、右手と左手の親指と小指が巧くいかないので、
俺ってブキなんだ、と思い知らされて、独り苦笑したりした。

そして時間をかければ、やがて何とかできる、と思ったりした。

言葉がすぐ出てこないなら、聞くトレーニングに関しては、
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしているので、
継続するこそ、力なり、と思いながら微苦笑したりした。
             

或いは《・・掃除することでも、この脳番地を使うことができます・・》と学び、
私は微笑んだりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であるが、
ここ数年、ときおり家内は独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をする時もある。

こうした時は、もとより掃除、料理、洗濯の真似事をし、幾年たっても若葉マークであるが、
今後は更に念入りに掃除機を活用して、各部屋を小奇麗にしょう、と何かと単細胞の私は微笑んだりしている。

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「下流と中流の差」そして「贅沢とはなにか」、年金生活の私でも学び、やがて微苦笑をして・・。

2017-04-26 15:27:10 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 緊急アンケート調査「下流と中流の差」「贅沢とはなにか」】と題された見出しを見た・・。

私は齢ばかり重ねている癖に、「贅沢とはなにか」の標題に、好奇心に負けてしまい、
こっそりと読んでしまった・・。

この記事の原文は、『女性セブン』の2017年5月4日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『NEWS ポストセブン』で2017年4月25日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。

《・・緊急アンケート調査「下流と中流の差」「贅沢とはなにか」
             

☆下流と中流の差とは?

1970年代、“1億総中流社会”がはじまった。
日本国民の実に9割が「自分を中流」と思っていた。

それから数10年経って、「下流社会」という言葉が使われはじめた。
はたして私の家庭は、中流なのか、それとも・・。

4月1~3日正午まで、本誌・女性セブンの読者であるセブンズクラブ会員の全国の20~80代の女性303人に
ネットでアンケートを行い、それを元に記事を構成した。

あなたの家庭は「上流」、「中流」、「下流」のどれに当てはまる? との質問に、
「上流」と答えた人は、2.0%、「中流」は66.0%、「下流」32.0%という結果に。

「周りを見渡すと、みなさん定期的に美容院にも行けてるし、子供も学校へ通わせられてる。
私自身も、そうです。
だからこれが日本の中流なんだと思います」(50代)

「友人には会社社長とかお医者さんの娘さんとか、本当に上流って思う人がたくさんいます。
私はそれほどじゃない。
でも自分は専業主婦で、子供を私立の学校に入れても暮らしていけてるから、下流じゃない。
だから中流です」(40代)
             

アンケート結果を、社会学者の山田昌弘さんはこう分析する。
「記述式で答える“贅沢とはなんですか?”の回答を見ていると、ポイントは2つあります。

バブル時代のように、人に見せびらかすブランド品などを贅沢というのではなくて、
自分のこだわりが強くなっています。

例えば、ステーキだったり、温泉旅行だったり。
こだわりは、人それぞれ違うけど、何より自分が、それに喜びを感じるかどうかが大切になっています。

2つ目は、日常生活にしないことを、たまにすることです。
例えば、いつもは発泡酒を飲んでいるけど、たまにはビールとか。

またバブル期と比較しますが、あの頃は、日々の日常生活のグレードをアップさせようという動きがありました。
だけど、今は時々でいいから、少しいつもと違うものの消費が、贅沢と捉えられています。

32%が自分を下流と答えています。
下流と中流の差は、その贅沢ができるかどうかです。
自分がこだわっている、ちょっとした贅沢を実行できていない人たちが、3割いるんでしょう。

現代の下流は、テレビがなかったり、冷蔵庫がなかったり、する人たちじゃないんですよね。
そもそも上流、中流、下流の定義はないわけですが、境目の意識も変わったのだと思います」
             

芸能レポーターの東海林のり子さんは、自身の体験から、贅沢について語った。
「私は昭和9年に生まれました。20代で結婚しました。
新婚旅行は伊豆で、それが最高の贅沢でした。

海外に行くという発想がない時代でした。
当時は1ドルが360円でしたから、一般的に、海外旅行にお金をかける余裕もありませんでしたね。

その後、一億総中流といわれるような時代が来ました。1970年代ですね。
家族で、箱根旅行が贅沢でした。

バブル時代は、ブランド物の洋服を買ったりバッグを買ったり。
あの頃は、ヴィトンが人気でしたね。
ハワイに行って、ヴィトンを買うという時代でしたからね。

今の贅沢は、孫ができたので、家族全員で旅行に行くことです。
こうして考えると、いつの時代もだいたい、旅行ですね。

アンケートを見ても旅行というかたが多い。
時代を超えて、旅行は贅沢なのだと思います」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、社会学者の山田昌弘さんの現代の贅沢は、
《・・こだわりは、人それぞれ違うけど、何より自分が、それに喜びを感じるかどうかが大切・・》
まぎれなく的言だなぁ、と深く同意したりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
通常の生活費するのが原則として、共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。
            
そして我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。

こうして私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしている。
             

私は中小業の民間会社に35年近く勤めて、この間、幾たびのリストラ関門も潜(くぐ)り抜けて、
奮戦したりしたが、やがてリストラ烈風に遭遇して、最後の5年半は出向となり、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に、何とか定年退職を迎えられたした。
            
このように私のつたないサラリーマン航路であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。

そして多々の理由で年金生活を始めて、早や12年半が過ぎている。

私は年金生活の中で、私なりにささやかながら贅沢と思っていることは、
雑木の多い小庭の中で、春夏秋冬のそれぞれの時節に、落葉樹、常緑樹が、
季節に応じて、移ろう彩(いろど)りの情景を眺めたりしている。

或いは自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園を歩いたりして、
もとより現役サラリーマン時代は、多くの御方と同様に、睡眠時間を削り奮闘してきたことが多く、
平日にのんびり散策できることは夢の物語であったので、
年金生活で叶えられたことに、歓びを深く甘受している。

やがて午後から夜には、随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅の居間で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている。
             

《・・あなたの家庭は「上流」、「中流」、「下流」のどれに当てはまる? 》に関しては、
我が家は「中流」と感じているが、「中流」の中でも大きな格差のが実態である。

お寿司屋、お蕎麦屋さんなどで、松竹梅(しょうちくばい)と称されるランクがあり、
もとより松が一番お値段が高く、そして竹、最後に梅となっているが、
我が家は「中流」の梅かしら、と私は微苦笑したりしている。

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老人ホームに入居したら、寝たきりへの最短コース、と高齢者の私は学び、やがて動顛して・・。

2017-04-25 16:26:59 | ささやかな古稀からの思い
先程、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 老人ホームに入ったせいで自力で歩けなくなる人が続出中!  
              「生活不活発病」をご存じですか? 】 
と見出しを見たりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

こうした中、幸運にも私たち夫婦は大病に遭遇しないで生活をしているが、
いつの日にか、介護にお世話になる日がくるので、その時はやむなく介護施設に入居しなければ・・
と漠然としながら私たち夫婦は話し合ったりしている。

しかしながら今回の標題《・・老人ホームに入ったせいで、自力で歩けなくなる人が続出中!・・》
と知り、どうしてなのょ、と私は不思議に思いながら、精読してしまった。
             
この記事の原文は、『週刊現代』の2017年4月22日号に掲載された記事のひとつであり、
【現代ビジネス 】に4月21日の配信された記事のひとつであり、無断ながらを転載させて頂く。

《・・老人ホームに入ったせいで自力で歩けなくなる人が続出中!「生活不活発病」をご存じですか?
             

☆「歩かせない」施設がある

手厚い介護で、あらゆるリスクから遠ざけてくれる・・。
優良な老人ホームとは、そんなところだと想像している人も多いだろう。
だが、それは明らかに誤解だ。

石橋春子さん(87歳、仮名)は、昨年から老人ホームに入っている。
「3年前に夫を亡くし、一人暮らしをしていたのですが、どうにかこうにか身の回りのことは、できていました。
ところが息子夫婦が、一人で転ばれたりしたら心配だからということで、ホームに入れてくれた。

すると生活がガラッと変わりました。
施設は広いですし、転ぶと危ないからと言われて、車いすを使うようになった。

杖を使えば、十分歩いて移動できるのに、それでは食事の時間にまにあわなくなってしまって、
施設の人たちに迷惑がかかります。
歩行訓練室などもあるのですが、何も理由がないのに、ただ歩くというのも続きません。

結局いつのまにか、自分の力で立ち上がるのが億劫になり、車いすが、当たり前の生活になってしまいました」
             

東京都豊島区、要町ホームケアクリニックの吉澤明孝院長も、施設に入ると、歩けなくなる人が多いと語る。
「歩けないといっても、本当に歩くことができないのか、周りが歩かせないのかという問題があります。
『歩かせない』ことで、本当に歩けなくなってしまうことが、予想以上に多いのです。

高齢者でなくても、1週間も寝たきりになっていれば、筋肉が萎縮して歩けなくなります。
それでも若ければ1~2週間で回復しますが、高齢者の場合は1週間寝ていると、
歩き始めるまでに3~4週間はかかります。
動けるようになるには、寝ていた日数の3倍はかかるのです」

老人ホームで風邪を引いたりすると、安静にしてくださいと寝かされることが多いが、
可能ならできるだけ早めに起き上がることが、足の力を失わないためには重要だ。
             

☆寝たきりへの最短コース

「生活不活発病」が怖い

宮田医院の宮田重樹氏も、安全を重視する介護生活が、寝たきりへの最短コースだと語る。
「施設の人間は、親切でお世話をしてくれるのですが、食事も風呂も散歩もレクリエーションもと、
生活のすべてを任せっきりにすると、単に運動しなくなるだけでなく、
自分のことは、自分でする、という人としての気概まで失ってしまいます。

歩けなくなってしまう人に共通する原因の一つに、足腰の『廃用症候群』があります。

廃用症候群とは、簡単にいうと私たちの身体のなかで、動かしていなかった部分が、
結果として動かなくなってしまう症状のことです。
動かなくなるのは筋肉や関節であることもあれば、心肺機能や神経、そして脳による思考能力だったりもします」(宮田氏)


高齢者の転倒する頻度を見てみると、在宅高齢者の年間転倒発生率は、10%弱~20%弱。

ところが施設に入居している高齢者の転倒発生率は、施設によっても異なるが10~50%にも及ぶ。
施設のほうが周囲に気を使ってくれる人がいて、安全には十分注意しているはずなのに、
皮肉なことに転んでしまう機会は、増えてしまうのだ。
             

産業技術総合研究所の招聘研究員で、著書に『「動かない」と人は病む』がある大川弥生氏が語る。
「これまで歩けなくなる原因は、病気による麻痺や、高齢による衰弱にあるとされてきました。
しかし最近、もう一つの要因が注目されるようになってきました。

それが『生活不活発病』です。
老人ホームに入ると、一日の絶対的な活動量が減り、この病気になりがちです。
これは読んで字のごとく、生活が不活発なことによって起きる全身の機能低下です。

たとえば、歩くスピードが遅くなった、洋服を着るときにふらつくようになった、
家事をしても、すぐに疲れてしまうというような症状が出てくる。

従来の意味での『病気』ではないので、患者さんのみならず、
医療関係者の間でも、病気と気付かない人が多いのですが、実は高齢者の健康を考えるうえで、非常に重要な概念になります」

老人ホームに入った人が、なんとなく元気がなくなったと感じたら、
生活不活発病を疑ってみたほうがいい。

いまは特別な疾患が無くても、この病気にかかると新しい疾患が次々と現れ、いずれは歩けなくなってしまう。
死ぬ直前まで独立独歩、自分の足で歩き続けるには、
どんな状況にあっても、自分のことは、自分でやろうとする気概を持つことが大切なのだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

今回の記事に於いて、老人ホームで、《・・転ぶと危ないからと言われて、車いすを使うようになった・・》
と私は学び、驚きながら溜息を重ねたりした。

そして介護をして下さる御方は、入居している方達に親切をする中、
《・・自分のことは、自分でする、という人としての気概まで失ってしまいます。・・》
これは恐怖であり、やがて寝たきりへの最短コースとなり、動顛してしまった・・。


私は過ぎし年、敬愛している作家・曾野綾子さんの随筆を読んでいる中、
ご自身がやむなく老人ホームに入居した時は、少なくとも食事が終わったら、お皿などご自身で運ぶわ・・
或いは施設の周囲の草むしりぐらい、するわ・・

このような意味合いことを私は思い馳せたりした。
             

或いは私の母が、過ぎし1988年(平成10年)に婦人系ガンで亡くなったが、
それまで都心の広尾にある赤十字病院に入退院を4年ばかりしていた。

こうした中で、私が見舞いに行ったりしていた時、看護婦さんから、
お母様、ご自分でトイレに行っているわ、と私は教えられて、微苦笑したりした。

母は昭和20年前後、大家族の農家の嫁として、多忙の中、
祖父の弟、父の弟など、介護もしたりしてきた、と私は後年に母から教えられてきた。

そして母は晩年になった時、私の兄のお嫁さんに介護で下半身を視られることを険悪していた為か、
ご自分のトイレぐらいは何とか独りで行きたい、と願望があった為、
婦人系ガンで入院している時に、それなりに努力して独りでトイレに行ったりしていた。

そして医師の承諾範囲で、歩かないと筋肉が衰えてし・・退院したら生活が出来なくなってしまうわ、
と医院の中を歩いたりしていた、と私が見舞いに行った時、母は笑いながら私に教えてくれたりした・・。

このようなことも私は思い重ねたりした・・。

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病気のほとんどは、歩けば治る!?、歩けない恐怖を体験してきた私は、真摯に学び、多々教示されて・・。

2017-04-24 14:53:32 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 病気のほとんどは歩けば治る!?  
       日本人が知らない「健康の真実」 「歩けなくなる人」その兆候と対策 】 
と見出しを見たりした・・。

私は若き40代の時に、突然にギックリ腰で、三度も救急車に乗車し、入院してきたことがあり、
この当時は、幾たびも歩けない恐怖を心身体験をしたりしてきた。
           
この当時の私は、ある会社の情報畑で、コンピュータを活用して、システムの開発、運営に従事して、
平日は15時間ぐらいの勤務は、当然のように感じながら、ときには徹夜勤務して奮戦していた時代であった・・。

こうした中、最初の時は土曜日も休日出勤した翌日の日曜日、自宅の和室でゴロコロと横たわって休んでいた時、
家内から、掃除機を取って下さい、と言われた私は、
近くの押し入れの下段に収納している掃除機を、かがんで取ろうとした時、まもなく腰に激痛を感じて、横たわったりした。

翌日の月曜日の早朝、相変わらず腰回りに痛み感じていた。
そしてタクシーで病院に行き、治療を受けて出勤しょうか、と思いながら、
二階の寝室の布団から這(は)うようにして、一階の居間の階段をまで這(は)いながら降り、
そしてトイレを終え、何とか洗面所で歯を磨こうとした時、激痛がはしり、くずれ、床に寝転んでしまった・・。

私は家内に声をかけ、
『みっともないけれど、救急車を呼んでくれないか・・』と私は言った。
                               

やがて我が家に救急車が到着して、私はタンカーに乗せられ、生れた初めて救急車に乗車して、
病院に入ったりした。

まもなく入院直後、医師の人から、
『3日ぐらい容態を診ましょう・・』
などと私は云われ、私は多忙時期であったので、焦(あせ)った。

そして私は医師に、『早く・・職場に戻らないと・・痛くても緊急の処置をして下さい・・』
と私は懇願したりした。

結果的には、1泊2日の入院生活を生れて初めて体験した。
            

この一年過ぎた頃、やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、やむえず救急車に、お世話になった。

この時は、私は治療を受けながら担当医師より、
『1週間前後、容態を診ましょう・・それから具体的に・・』このような意味合いを、私は言われたりした。

やがて私は、看護婦長の姿を見つけて、
『早く・・職場に復帰しないと、会社に影響します・・
担当の先生に、短期決戦のような治療をお願いして欲しい・・』と私はひたすら懇願したりした。

そして入院生活は3泊4日で卒業した。
                          

この後、二年過ぎた頃、 やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、やむなく救急車に、お世話になった。

さすがに3度目に病院に運ばれた時は、私は 観念し、
担当医師の指示に基づいて、28泊29日間の入院生活となった。

そして翌日から、病室のベットから何とか車椅子に乗り、公衆電話のある室に行き、
テレホンカードで会社に業務の連絡事項を、毎日のようにしたりした。

その後、数回、精密検査を受けた結果、
手術で腰を切開することなく、治療薬と腰を懸垂することで、
やがて退院する寸前、特注なコルセットして、病院からお別れできたりした。
                 
こうして私は酷い腰痛で救急車に三回も、お世話になったり、入院生活も三度も体験した。
             

やがて復帰して、半年過ぎた頃、腰痛を感じたりしたが、この当時は会社間の合併してまもない多忙時期で、
入院した病院に行けば、入院させられることを危惧して、
3週間ぐらい東洋医療のハリ治療に通院して、何とか痛みから解放されたりした。

この時、担当医師に腰痛の原因を訊(き)いても明解な回答も得ず、
ただ医師より、休みの日には、よく歩いて下さい、と助言を受けて、
この後、私は忠実に守り、自宅付近にある遊歩道、小公園を歩いたりしている。
       
このように私は、幾たびも歩けない恐怖を体験してきたこともあり、
今回の記事《・・病気のほとんどは歩けば治る!? ・・「歩けなくなる人」その兆候と対策・・》、
真摯に学ぼうと思い、精読した・・。
             

この記事の原文は、『週刊現代』の2017年4月22日号に掲載された記事のひとつであり、
【現代ビジネス 】に4月21日の配信された記事のひとつであり、無断ながら大半を転載させて頂く。

《・・病気のほとんどは歩けば治る!? 日本人が知らない「健康の真実」 「歩けなくなる人」その兆候と対策
             

二本の足で歩くこと。
そんな当たり前のことが、ある日突然できなくなると、老いは想像を超えたスピードで進む。
早い段階でその兆しを見つけて、車椅子生活を避けるためには、どうすればいいのか。

☆自覚症状がないケースも

「父は80歳を超えた頃から、ずいぶん歩くのが遅くなりました。
一緒に出かけても、歩くペースを合わせていると、こちらがイライラしてくるくらいでした。

そして昨年、夜中にトイレに起きたとき、階段を踏み外して転倒し、骨折してしまった。
大腿部と鼠蹊部の骨折でした。
1ヵ月以上も入院し、リハビリを始めたのですが、なかなか自力で立ち上がるようにはなれませんでした。

もちろん、食事は上げ膳据え膳。
ベッドで新聞を読む、なんとなくテレビを見る、眠くもないのに、うとうとするといった生活を続けるうちに、
なんだか頭の回転も鈍ってきたようで、見舞いに行っても同じ話をくり返すようになりました。

食欲も進まない、便秘がちになる、夜眠れない、などいろいろな問題が出てきて、
退院してからも、ほとんど寝たきりで、みるみるうちに衰弱してしまった。
結局、自宅に戻って2ヵ月のうちに認知症が進み、いまは特別養護老人ホームで暮らしています。
もちろん完全な車椅子生活です」

こう語るのは、都内在住の浦部博樹さん(59歳、仮名)。
浦部さんの父に限らず、事故や病気で歩くことができなくなったことが原因で、高齢者が大きく健康を損ねるのは、しばしばある話だ。
             

著書に『病気の9割は歩くだけで治る! 』があり、
在宅訪問などで多くの高齢者を診てきた医師の長尾和宏氏が語る。

「歩くことは、認知機能と直結しています。
動くと目からいろいろな情報が入ってきますし、それを処理することで脳を使うのですが、
ベッドに寝たままだと、そのような刺激がなくなる。

高齢者が安静にしなければいけないといっても、数週間も寝ていれば、かなりの確率で認知症になります。
認知症になれば、ますます外に出なくなり悪循環が生まれる。


その他にも歩かないことで、健康上の不都合が出てきます。
たとえば運動しないので、お腹が空かず、胃腸の働きも悪くなる。

それがきっかけで便秘にもなります。
自力で排便することができないから摘便といって、他人の力を借りて便を出すしかないケースもある。
便が出ないと腸閉塞になる。
つまり、内臓機能が全部、落ちていくのです」
             

睡眠にも障害が出る。
人間は朝、太陽光を浴びることで体内時計がリセットされ、一日のリズムが作られる。

しかしずっと部屋にこもって、日の光を十分に浴びなければ、次第に昼夜逆転現象が起きて、不眠症に悩まされることになる。
睡眠不足は、糖尿病などの生活習慣病だけでなく、認知症やがんのリスクを上げることもわかっている。

「逆に、歩くことで、内臓の機能や認知機能は活発化する。
最新の研究では、歩くことで脳の海馬の神経細胞が再生することが、わかってきました。

これまで神経細胞は減ると、元に戻らないと考えられてきましたが、
歩くだけで、神経細胞が増え、認知症がよくなるのです。

歩くことで心臓の音もよくなるし、いい便も出る。
血の巡りが良くなって、肩こりまで改善します」(長尾氏)

「歩く」という当たり前の営みは、これほどまでに重要なのだ。
逆にいえば、「歩けなくなること」が、元気で長生きするためのいちばんの敵だといえる。
             

人が歩けなくなるまでの過程はそれぞれだが、きっかけとなる病気や怪我にはいくつかのパターンがある。

脳卒中を患って、下肢が麻痺してしまう。
認知症を患って外出を制限されるうちに、足腰が弱ってしまう。

ふとしたことで転んでしまい、骨折を治療しているあいだに、筋肉が落ちてしまった・・。

そのような理由で歩けなくなってしまう兆候は、かなり若いうち、50代頃から現れる。
早い段階で、そのようなリスクを排除することが、「歩けない人」になるリスクを遠ざけることになるのだ。
             
たとえば、糖尿病のような生活習慣病は、できるだけ早めに対処する必要がある。

南越谷健身会クリニックの周東寛院長が語る。
「糖尿病を患うと血管が太くなり、神経が鈍くなります。
活性酸素が体内のコラーゲンに染み込み、コラーゲンが硬化する。

そうなると血管や神経が悪くなるのです。
そして最終的には骨まで、もろくなるのです」
             

高血圧や高脂質も、脳卒中のリスクを上げるので要注意だ。

このような生活習慣病のほかにも、歩けなくなる兆候はいろいろある。

「兆候、というと自覚症状だと考えられがちですが、自分では気づいていないが周囲が気づく他覚症状、
さらには検査によって、初めてわかる兆候もあります。

たとえば、本人はまっすぐ歩いているつもりでも、他人から見ると歩き方がおかしい、
話しているときに、首が安定しない、手が震える、といった症状がある。
そういう人は本人が自覚していなくても、筋肉や骨、神経が弱っているのです」(周東氏)

50代でまだまだ健康だと思っていても、他人から見るとおかしな動作をしている場合があるので、
思い当たる節があれば、身近な人に聞いてみてもいいだろう。

歩き方でいえば、膝が曲がっている、
重心移動がスムーズでないため、ドンドンと足音が大きいというような人は、
無駄な負担が骨や筋肉にかかっている可能性があるから要注意だ。
             

☆すり足で歩く人は危ない

「人間ドックなどでMRIを撮ると、骨の様子や筋肉のつき方がよくわかります。
骨粗鬆症は、適切な投薬や運動で大きく改善できますから、
自分の骨の状態を知っておくことは大切なことです。

また腰の周りに脂肪が多くついていて、筋肉がしっかりしていない人は将来、
椎間板に痛みが出て、歩けなくなってしまう可能性が高い。
これは運動や食生活を見直すしかないでしょう」(周東氏)

普段から、すり足気味で、歩く人も注意したほうがいい。
足が上がりにくいのは、筋肉が衰えている証左、すり足だとちょっとした段差でも転倒につながりやすい。

都内の整形外科に勤務する看護師が語る。
「患者さんを見ていると、転んで骨折して歩けなくなりそうな人は、一目でわかりますね。
たとえば骨が弱い人は、関節が変形していて、足がO脚になって、歩き方もギクシャクしている。
また、筋力が弱くなっているため、背は前に曲がっているのに、重心はかかとにあるような人は、転びやすいですね」

転倒を招きやすい病気にも要注意だ。
大阪府富田林市で宮田医院を開業する宮田重樹氏が語る。
「たとえば関節症(とくに膝関節症)、視覚障害(白内障、糖尿病性網膜症)、前庭機能不全(めまい、ふらつき感)、
自律神経障害(めまい、ふらつき)、頸髄症(ぎこちない歩き方、手足のしびれ)などです」

これらの病気がある人は、転倒の危険性が高いことを自覚しておいたほうがいい。
             

☆薬でふらついて骨折

だが本当に怖いのは、これといった持病もなく、自分は健常だと思っている人のケースだ。
たとえば薬を飲むことで健康な人でも、めまいや立ちくらみが起こることがある。

「薬の副作用によって転倒発生率が上がる場合があります。
たとえば安定剤、睡眠剤、薬剤性パーキンソン症候群などの薬を服用している場合は、
普段以上に転倒に気をつけなければなりません。
特に最近問題になっているのが、睡眠剤です」(宮田氏)

高齢者には慢性的な睡眠不足に悩んでいて、睡眠剤を常用している人が多い。
これまでよく処方されてきたのが、ベンゾジアゼピン系と呼ばれるタイプ(ハルシオン、レンドルミン、リスミーなど)の薬である。

前出の周東氏が語る。
「睡眠は健康のために必要不可欠ですので、睡眠薬の使用自体は否定できません。
高齢者が質の良い睡眠を取れなくなると、翌日の活動量が落ちてしまい、また夜眠れないという悪循環に陥ってしまいます。

ただし、弱い薬を少なめに、服用することをお勧めします。
特にベンゾジアゼピン系の薬は、頭がボーっとすることがあり、転倒する危険性が高まります。

最近ではオレキシン系という比較的安全性が高いとされる睡眠薬(ベルソムラなど)も出てきているのですが、
ベンゾジアゼピン系の薬には常習性があるので、『この薬でないと眠れない』という患者さんも多いのが問題です。

この種の薬を飲んでいる人は、かかりつけ医と相談しながら他の薬に切り替えるか、
量を次第に減らして断薬する努力をしたほうがいいでしょう」
             

転倒の危険性が高まるのは、睡眠薬だけではない。
多くの高齢者が飲んでいる降圧剤や糖尿病の薬も、体調などにより薬の効果が強く出過ぎると、
過度の低血圧、低血糖になって、めまいやふらつきが出ることがある。

昨年、自宅で76歳の母が転倒したという女性が語る。
「あるとき、母が『最近お台所に立っているとフラフラするのよ』と言い出した。
そうしたら、本当に洗い物をしながら、フラッと倒れ込んでしまいました。
幸いなことに大事には至らなかったのですが、すぐにかかりつけ医のところへ連れて行きました。

そこでわかったのが、数日前から新しい種類の降圧剤を服用していたということ。
健康診断の数値で少し血圧が高めに出ていたので、これまでより効き目の鋭い降圧剤に切り替えていたというのです。
すぐに医者と相談して、元の薬に戻してもらい、ふらつきも収まりました」


高齢者になると肝臓の機能も衰えてくるので、先に飲んだ薬の成分が分解されないままに、
次の薬を飲むことにもなりかねない。
危険な転倒を防ぐためにも、薬の量や飲み方には十分注意を払う必要がある。

転倒して、骨折してしまうのは、当然骨が弱くなっていることも一因だ。
前出の宮田氏が語る。
「骨粗鬆症は骨折し、寝たきりになるリスクが高まるという意味で危険な病気です。
しかし、高血圧や糖尿病などの生活習慣病に比べて、骨粗鬆症の治療は軽んじられているように思います。

患者さんも脳卒中や糖尿病になるリスクは認識しているのですが、
骨が弱くなり、骨折をくり返してしまうことの恐ろしさに、気付いていない人が多い。

骨粗鬆症は薬を飲むことで、骨折する確率が半分以下になるというデータもあります。
特に骨が弱くなりやすい女性は、75歳を超えたら、きちんと治療することを意識してほしい」
             

☆歩けるうちに、とにかく歩く

骨粗鬆症と近い病気ではサルコペニア症がある。
前者が女性に多い病気であるのに対し、サルコペニアは男性に多い。

「これは加齢や疾患により、筋肉が年相応以上に減ってしまう病気です。
足の筋肉が減り、足腰が弱くなって転びやすくなってしまいます。

足が極端に細い、歩くスピードが遅いという人は、サルコペニアの可能性があるので早めに対策をしたほうがいい。
具体的には積極的にたんぱく質やビタミンDを摂って、筋トレをすることです」(宮田氏)

ビタミンDは魚類、卵の黄身などに多く含まれる栄養素だが、
紫外線を浴びることによって皮膚でも合成される。


食事に関しては、他にも面白いデータがある。
納豆の消費量と骨折の発生率には相関関係があり、納豆の消費量が少ない西日本のほうが骨折する人の割合が多いのだ。
納豆にはビタミンKというカルシウムの骨への沈着を助ける栄養素が、多く含まれているのだ。
(略)
             

自分が歩けなくなる状態にどこまで近づいているか、チェックする方法もある。

日本整形外科学会が2007年に提唱した概念に「ロコモティブ・シンドローム」がある。
これは骨や関節、筋肉など運動器の衰えが原因で、歩行や立ったり座ったりするなどの日常的な動作に障害がある状態を指す。

記事末のチェックリストを利用して自分の体力の衰えを把握しよう。

「ロコモティブは、歩けなくなる人の予備軍です。
歩けることは歩けるけれど、フラフラしてしまう。
こういう人たちが歩けなくなる前にトレーニングをして、しっかり歩けるようにして、
要支援の人が、要介護にならないようにしようという動きがこの4月から始まりました。

国が各自治体に号令をかけて、各地で老人体操教室が開かれるようになっているのです。
このような教室に通うことは、歩行不能予備軍から抜け出すのに有効だと思います」(前出の長尾氏)
             

結局、歩けなくならないための対策としては、歩けるうちに、正しい歩き方で歩き続けることがいちばんだ。
「まずはこまめに、歩くことです。
タクシーの短距離が400円ちょっとからと安くなったために、短い距離でもタクシーを利用する高齢者が増えていますが、
歩く体力がある限りは100mでもいいので自分の足で歩く。

歩くことで、血流がよくなって脳が活性化する。
手を振りながら歩けば、胸や背中の筋肉も使うことになり、全身運動ができる。
駅の階段も無料のフィットネスだと思えばいい」(長尾氏)

普段意識することはないだろうが、自分が自分の足で歩ける幸せをかみしめて積極的に運動すれば、
寝たきり生活はおのずから遠ざかっていくに違いない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

こうした中で、過ぎし2004年(平成16年)晩秋より、私は多々の理由で年金生活を始めた当初より、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
原則として路線バスに頼らず、ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
             
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした時の私は、紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
             

このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。
             
こうした根底には、何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか腰痛の再発、或いは認知症、脳梗塞などの難病に遭遇したら、
もとより困窮するので、歩くことが多くなっている・・。

このように私は、歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
             

そして過ぎし数週間前の頃、《・・実は健康な人は、家事や買い物など日常生活だけで、5000歩ほどは歩いているんです。・・》、
・・70歳を過ぎれば『5000歩で、その内、早歩きを7分』でも問題ありません」・・》、
と教示されて、私は少し安堵を重ねて、微笑んだりしている。

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「ボツイチ」になった時、立ち直るためのアドバイス、ときおり『おひとりさま』になる私は、真摯に学び・・。

2017-04-23 16:20:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ている中、
【 「ボツイチ」楽しむシニア 秘訣は“好きな人を作る”? 】と見出しを見てしまった。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

今回、『ボツイチ』と見出しを見て、どのようなことなの、と思いながら記事を読み始めたら、
《・・死に別れのおひとりさまを「ボツイチ」と呼ぶ・・》と齢ばかり重ねた私は、初めて学んだりした。

そして我が家は、ここ数年、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、
家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしたりしている。

こうした時、年に数回ぐらい、この世は予測できないことも多々あり、
まさかの出来事で、家内に先立たれることも考えられるので、
私が『おひとりさま』になってしまうことを思案する時もある。

こうした心情を秘めている私は、記事を最後まで精読してしまった・・。
             

この記事の原文は『週刊朝日』の2015年12月25日号に掲載された記事のひとつであり、
朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】に2015年12月21日に配信されて、
無断ながら転載させて頂く。

《・・一人暮らしのシニアが増えている。
近頃は死に別れのおひとりさまを「ボツイチ」と呼ぶことも。

大切な人を失えば、喪失感に襲われる。
立ち直るきっかけは、何か。

料理をしたり、旅をしたり、恋をしたり・・・。
自分なりのサバイバル術で、前向きに強く生きる人たちを紹介する。
             

立ち直りに時間がかかりながらも、夫との「思い出の地」を巡り、
心を整理したのは、愛知県在住の荒木和子さん(78歳)。

夫は6年前の正月の朝、食事中に目の前で倒れ、帰らぬ人となった。
さよならも言えなかった。

「そのときは、次男が同居していたので、世話をすることで悲しみはまぎれましたが、
3年間は死を受け入れられませんでした」

亡くなって4年目の暮れ、夫が残した多くの書籍のリストを作ることを思い立った。
会社を定年後に、明治維新やシーボルト、地方史の研究などに取り組んでいた。

故郷・群馬の文書館に書籍リストを送り、利用できる書籍を17冊選んでもらった。
「去年その本を車に積んで、主人が通った文書館に一人で行きました。
主人とよく泊まった浅間温泉にも、今年は3度出かけました」

思い出の場所に一人きりで出かけ、楽しめることが、大きな変化だった。

「今私が元気でいるのも、夫と過ごした年月のおかげだなと気づきました。
6年過ぎて、やっとたどり着けた境地です。

40代で独身だった次男も昨年所帯を持ち、ホッとしました。
体の動く限り、どこでも行きたいですね」

荒木さんは、おひとりさまの境地を深めたようだ。

違う異性に恋をして、「どきどき」を生きがいにした例もある。
             

本誌でおなじみの帯津良一医師(79歳)は、まさにその達人。
今年1月、愛妻(享年69歳)の七回忌を迎えた。

だがその別れは、衝撃的なものだった。

「6年前、妻と娘で、浦和のホテルに泊まりに行っていたんですが、
娘から朝電話があって、『大変だーお母ちゃんが死んでる!』と。
持病もなかったので、まさかという思いです」

警察がホテルに入った。
鑑識の見立ては、心筋梗塞。

「私は患者さんが亡くなっても泣かないので、身内が死んで泣いたら恥ずかしいと思った。
でも何より驚きすぎて、涙が出なかった」

今は一人で、埼玉のアパートに暮らす。
「娘や息子と暮らせば?、という声もあるんですが、
老後の世話のために、家族を呼ぶのはどうかと思うし、一人も慣れれば楽。

貝原益軒を師と仰いだ神沢杜口も44歳で妻を亡くした後、
娘と住んだらと親戚に言われたが、一人暮らしをした。共感します」

帯津医師の場合は、講演や執筆のためにホテルに泊まることも多い。
その時間が気分転換にもなるという。
「とくに書くことは、新たな世界を得た感じでいい。締め切りに追われることすらどきどき」
             

もう一つの楽しみが、大好きなお酒と、恋だ。
「町の蕎麦屋や居酒屋に行くのが楽しくて。しかもそこに意中の人がいれば最高」

数年前に、東京・神田のウナギ屋の60代の女将に「好きだ」と告白したという。
「旦那さんもいる人だが、粋でね(笑)。
最近は私の友人が、紹介しろと言って、ウナギ屋についてくる。
好きな人は3人くらい作るといいですよ、片思いでもね」

恋は医師にとっても、薬以上の効き目があるようだ。

☆立ち直るためのアドバイス

※泣きたいときは思い切り泣く
※引きこもらない、酒におぼれない
※自分や伴侶のことを知らない人と会ったり、まったく新しいことに挑戦する
※自立心を持つ(家族と住んでいるときから家事をする)
※伴侶以外に腹を割って話せる友人を持つ
※元伴侶に遠慮せずにどんどん恋を(再婚も)
※あまりに立ち直れなかったら専門医を訪ねる

(帯津医師、精神科医の和田秀樹医師への取材から)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。

《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。
                                                

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》
                                   

このような深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動に注視して、信愛を重ねている。
                          

今回の記事を読み、私は多々教示されたが、私が思考している「ボツイチ」の『おひとりさま』の生活観、
だいぶ違うかしら、と私は微苦笑をしたりした。


私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、愛惜感もあり、苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。

やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。
                                                                                  
この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                                             
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。
                            

こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、少なくとも年に4回ぐらいは2泊3日前後で、各地を訪れるだろう。

劇作家のチェーホフの遺(のこ)された、
《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる・・》
と人生の哲学のような名言は、どうしたらよいの、と私は考えたりするだろう。

やむなく、私は宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。

そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの・・、と天上の人となった家内に呟(つぶや)きながら、眠るだろう。
                                       

このようなことを私は、ときおり思案してきたが、こればかりは、
その時になって動顛しながら、初めて実感されことだよねぇ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

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サプリメントを盲信する人に教えたい基本 価格のからくりと飲み合わせの裏側、高齢者の私は学び、微苦笑して・・。

2017-04-22 15:14:30 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
ここ10数年、新聞、月刊総合雑誌、或いはテレビのCMなどで、サプリメントに関して、
広告を見たりしていると、私は微苦笑したりしている。

確か9年前の63歳の頃、サプリメントって何んなょ、と思い、ネットで検索したら、
《・・サプリメントとは、アメリカ合衆国での食品の区分の一つであるダイエタリー・サプリメントの訳語で、
狭義には、不足しがちなビタミンやミネラル、アミノ酸などの栄養補給を補助することや、
ハーブなどの成分による薬効の発揮が目的である食品である。・・》と学び、私は苦笑してしまった。

こうした中、私より14歳齢上の家内の母は、独り住まいで年金生活をしている中で、
身体に良いとされている健康食品、薬を盛んに買い求めているので、
私は家内に、高齢者は程ほどの食物、よく熟睡して眠り、あとは歩けば、不要だょねぇ、
と私は呟くように言ったりした。

この後、私はこうした健康食品、薬は、年金生活の私は不要だ、と心の中で呟きながら、微苦笑したりしてきた・・。
             

このような心情を秘めている私は、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ている中、
【 サプリメントを盲信する人に教えたい基本 価格のからくりと飲み合わせの裏側 】と見出しを見てしまった。

そして改めてサプリメントに関して学ぼう、と思いながら精読してしまった・・。

この記事の原文は朝日新聞出版が発刊している週刊誌の『AERA』の2017年4月24日号に掲載された記事のひとつであり、
ジャーナリスト・塚崎朝子さんの寄稿文であり、関連基幹サイト【dot.(ドット)】に2017年4月17日に配信されて、
無断ながら転載させて頂く。

《・・サプリメントを盲信する人に教えたい基本 価格のからくりと飲み合わせの裏側

私たちの生活に深く入り込むサプリメント。
でも、ちょっと待って。
高いお金を払って飲み続けているそのサプリ、大丈夫ですか?

【アレルギー歴によって注意すべき主なサプリメントはこちら】
https://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2017041700045_2
https://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2017041700045_3

郵便局の窓口で、切手を少々まとめ買い。
笑顔と共に、いつものティッシュに替えてオマケに差し出されたのは、サプリメント(サプリ)のサンプル。
注文用はがきも同封されていた。

気がつけば、世の中には、サプリがあふれていた。
新聞を開けばサプリ、コンビニにもサプリ、郵便局にもサプリである。
             

日本ではサプリに、はっきりした定義がない。
厚生労働省の認識は「『特定成分が濃縮された錠剤やカプセル形態の製品』が該当すると考えられる」。
薬を連想させるような見かけだが、薬ではない。
位置づけとしては「食品」だから、医薬品に似た錠剤やカプセル、通常の食材から菓子、飲料までを幅広く「サプリ」と呼ぶこともある。

そこから1991年に特定保健用食品、2001年に栄養機能食品、2015年には機能性表示食品として
機能性表示が可能になったものが抜けた感があるが、

言ってみれば、これらもサプリだ。
機能性表示が認められた3分類に属するものを除けば、よく言えば百花繚乱、悪く言えば玉石混交。
100円均一ショップで売られているものから、1瓶が数万円もするものまで、価格帯も幅広い。

「日本のサプリは、自己責任で購入するしかない。消費者はサプリを見る目を養ってほしい」
こう助言するのは、水戸中央病院の法人医療技術部部長で薬剤師の酒井美佐子さんだ。
             

☆高価ならば良いか?

価格のバラツキには、理由がある。
まず成分自体に差があること。

主たる成分には天然物質と合成物質があり、前者のほうが価格は高い。
例えば、ビタミンCのサプリの表示で「アセロラ」とあれば、天然物質か抽出物がそのまま入っている。

物質名で「ビタミンC」と入っているのは、合成物質だ。
合成物質で最も質が高いのは「医療用医薬品」として用いられるものだ。

原材料は含有量の多い順に表示されているが、
成分以外に、成型や増量、希釈が目的の「賦形剤」を含む添加物が上位に来ることがある。

例えば、乳糖、結晶セルロース、蔗(しょ)糖エステルなどがそれ。
微量栄養素であれば、添加物が多いのは仕方ないが、肝心の成分はごくわずかという商品も少なくない。

製造原価以外では、医師の監修、著名人の広告、テレビや新聞を使った宣伝、
チラシやダイレクトメールの大量配布といったものが、価格を押し上げる。

化粧品や衣類などの消費財と一緒で、高価であることが、必ずしも質や満足度に直結するというわけではなさそうだ。
             
最も問題なのは、サプリの場合、副作用があっても、それが前面に出てこないことだ。
効果を高めるには、それなりの使い方もあるが、サプリは「食品」なので1日の摂取量だけが表示され、
効果的な使い方を明示することもできない。

適正な使用のためには、薬を服用中の場合の相互作用やアレルギーのチェックは欠かせない。
             

☆服薬中の人は要注意

酒井さんが挙げた特に注意すべき相互作用は二つ。
まず、血栓の予防薬として多く使われるワルファリンの作用を無効にしたり高めすぎたりするサプリ。

もう一つは、多くの医薬品の効能を弱めるセントジョーンズワートというハーブだ。
うつ症状に効果があるとされるセントジョーンズワートが商品名になっているサプリならわかりやすいが、
ハーブティーなどを調合してもらう場合、気分の落ち込みや不眠などを訴えると
知らないうちにブレンドされてしまうことがあるので要注意だ。

そもそも、サプリはどんな人に必要なのか。

サプリは大きく三つに分かれる。
厚労省の「国民健康・栄養調査」によれば、現代の日本人に不足している栄養素は、
食物繊維、カルシウムやビタミンC。

女性の場合、鉄や亜鉛も不足していることが多い。
だから、食生活と照らし合わせてベースサプリを補充するというのは妥当な使い方だ。
             

☆食生活の見直しが基本

東京医科歯科大学医学部附属病院臨床栄養部副部長で管理栄養士の斎藤恵子さんは、
「植物を育てるにも、まず土が大切で、その上に肥料を与えるように、まず土台となる食事を振り返ってほしい。
食事が乱れているのをサプリで、カバーしようとする頼りすぎは禁物」
と注意を促す。

「やせる」を目的にしたサプリには、特に注意が必要だと斎藤さん。
「ある特定の食品を取ってやせるのなら、それは栄養になる物ではない。
そもそも食品ではなくて、“毒”であると考えたほうがいい」

過去には、中国製のダイエット系健康食品に、
医薬品の成分が含まれていて深刻な健康被害をもたらしたこともある。

前出の水戸中央病院・酒井さんは、
「ダイエット系のサプリに限らず、海外製品には危険な製品が交じっていることがあり、
肝機能障害や急性の胃腸障害で下痢を起こす危険もあり得る」と警鐘を鳴らす。
             

薬に近い位置付けのサプリの場合、
医師、薬剤師、管理栄養士など医療の専門家の手を借りたほうがいい。
身近なのは薬局やドラッグストアだ。

国は2016年から、個人の主体的な健康の保持増進への取り組みを積極的に支援する機能を有する薬局を
「健康サポート薬局」と位置付け、普及を推進している。

ドラッグストア大手のマツモトキヨシホールディングスが展開する「マツキヨラボ」などがそれだ。

酒井さんは言う。
「サプリの販売促進という目的もあるが、医療者が関与して対面で販売する以上、信頼は担保できるのではないか。
こうした健康サポート薬局や“かかりつけ薬局”を活用してほしい」

医師や歯科医師が、サプリについて助言するクリニックも増えている。
循環器専門医として食事指導に力を入れてきた登坂正子さんは2016年末、
未病対策を軸にした自由診療のホリスティキュア メディカル クリニック(東京都中野区)を開院した。

「病気の引き金になるミネラルバランスの崩れは、
個々人の体質、消化吸収能力などにより差が出てくる」と語る。

そこで、隣接する「栄養ケアスタンド」では、体内の有害金属やミネラル、健康や美容に悪影響を及ぼす糖化の進行度、
さらには食生活から起こしやすい、不調を推測する独自のボディーチェックに基づいて、
その人に最適な栄養やサプリを助言する。
             

☆有効性は必ずしも・・。

ブルーベリーが目に良いからと、毎朝大量のジャムをパンにつけ、糖分過剰で糖尿病が悪化した、
イチョウ葉が認知症に良いからと、拾ったイチョウの葉をお茶にして飲んで、有害成分のギンコール酸による副作用を起こした、
というのは実際にあった事例だ。

健康のための商品で、健康被害が生じては本末転倒。
成分だけを抽出して精製してあるサプリは使い勝手がいいとはいえ、
適切なものを選び、適切な使い方をしなければ意味がない。

国立健康・栄養研究所が運営するサイト「『健康食品』の安全性・有効性情報」には素材情報データベースがあり、
サプリやその成分の安全性、有効性を調べられる。

よく売れているサプリの成分についても「調べた文献の中で見当たらない」
「さらなる検証が必要である」といった情報が掲載されている。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、やはり薬は効果と副作用があり、選定には専門家の医師、薬剤師に確認して、
服用すべきだなあ、と微苦笑させられたりした。

しかしながら私も『24時間、戦えますか。』と盛んに栄養ドリンクの広告が流れた1988年(昭和63年)の頃は、
数多く御方と同様に睡眠時間を削り、私は中小業の会社で奮戦していた。

そして帰宅は、夜11時前後が多く、やがて風呂に入った後は、遅い夕食を頂く前に、
栄養ドリンクの代わりにビールなどを飲んだりしてきた。

やがて55歳を迎える前に、リストラ烈風となる中、私は出向となり、少し遠方地に勤務し、
朝は4時45分に起床して、帰宅は早くても夜9時過ぎで、身も心も疲れ果てる中、奮闘していた。

こうした時、家内は心配して、眼精疲労、五十肩、腰の痛みなどの良いビタミン剤を買い求めて、
私は服用して、ビタミン剤の効果は定かでないが、定年までの5年まで奮戦してきた。

ここ10数年、働いて下さる諸兄諸姉は、成果が短期に問われる時代の中、
たとえ大企業でも常時リストラとなり、特に中高年は役職の責務として、
時間無制限のように責務を果す過酷な状況が実態と私は思ったりしている。

こうした御方であったならば、適用されるサプリメントに頼ることは、私は理解できる。

何よりも私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
             

しかしながら高齢者で年金生活をされている御方は、たとえ体力が衰えても、休養する時間は十二分にある。
こうした意味合いで、程ほどによく食べて、よく熟睡して、なるべく歩けば、
サプリメントなんて不要、と私は思い深めたりしている。

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老齢厚生年金、2015年度の実態、やがて10年後の予測、高齢者の私は学び、やがて溜息を重ねて・・。

2017-04-21 14:14:01 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ている中、
【 独身は老後生活できない? 厚労省の年金モデルが非現実的 】と見出しを見てしまった。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

今回、『独身は老後生活できない? 厚労省の年金モデルが非現実的』と見出しを見て、
やはり気になる年金ニュースなので、どのようなことなの、と思いながら精読してしまった・・。

この記事の原文は『週刊朝日』の2015年6月12日号に掲載された記事のひとつであり、
朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】に2015年6月5日に配信されて、
無断ながら転載させて頂く。

《・・さまざまな不安が募る年金問題。
             

厚労省のでは、夫の平均的収入(賞与を含む月額換算)が42.8万円で40年間働き、妻が専業主婦のケースをモデル世帯に、
2015年度に受け取る老齢厚生年金(老齢基礎年金を含む)を22万1507円だとしている。

しかし、「そもそも、厚労省のモデルケース自体に無理がある」との意見がある。
 
社会保険労務士でAZプランニング代表の古井佐代子氏は、
「女性の社会進出が進み、かつ生涯未婚率が男性で20%、女性で10%の時代に、
会社員の夫とずっと専業主婦の妻、子どもが2人というモデル世帯は、
現実にそぐわなくなっているのでは」と疑問を投げかける。

そこで、社会保険労務士でブレインコンサルティングオフィス代表の北村庄吾氏に、
おひとりさま(独身)や自営業者の場合の年金額の推移を試算してもらった。

2015年度に受け取る額と10年後の額をそれぞれ見ると、
おひとりさま(会社員)は15万6499円→14万1160円、
夫婦2人(自営業者)は13万16円→11万7272円、
おひとりさま(自営業者)は6万5008円→5万8636円と、それぞれ約1割減少する。
             

さらに、より現実に近い収入で、以下の3パターンを試算してもらった。

厚労省のモデル世帯の夫の収入42.8万円が高すぎるとの意見もある。
厚労省の「平成26年賃金構造基本統計調査」の平均賃金でさえ、それより安いのだ。
また、40年間も会社に勤める人は、最近ではまれだ。

試算してもらったのは、

(1)38年間会社員の夫と38年間専業主婦の同じ年の妻
(2)38年間会社員のおひとりさま男性
(3)同じくおひとりさま女性

それぞれ見ていこう。

(1)の場合は、現役時代の賃金(平均賃金)が32万9千円であるのに対し、
     夫婦2人分の年金額(老齢基礎年金2人分と老齢厚生年金1人分)は、19万6649円(2015年度の場合)。

(2)は、賃金は32万9千円で(1)と同じであるにもかかわらず、
     妻の老齢基礎年金がないぶん、年金額は13万1649円と夫婦世帯に比べて6万5千円少ない額に。

(3)の場合は、現役時代の賃金(平均賃金)が23万8千円と男性よりも約9万円低いこともあり、
     年金額は11万4987円とかなり少なめだ。

この数字をもとに、試算を行ったところ、10年後の年金額は
(1)の場合で17万7374円
(3)に至っては10万3717円と、東京都の最低賃金(時給888円)で月160時間働いた賃金を3万8千円超下回るのだ。

定年間際のおひとりさま女性、吉田美枝子さん(57歳)は、
「親世代の老後生活を見て、定年後も今の賃金と同程度の年金がもらえるなら、
のんびり過ごしながら、時々は趣味のゴルフも楽しめると思っていました。

でも、最近はじめて『ねんきん定期便』を見て、そんな生活は無理だとわかった。
それ以前に、この年金額では、どうやって暮らせばいいのかすら、見当がつきません」と顔を曇らせる。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は民間会社の中小業の会社で35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職時となり、
多々の理由で、年金生活を始めたりした・・。

そしてOBの懇親会などで、厚生年金の前提は、夫婦ふたりで持ち家(マンション、戸建て)に住み、
年金を頂いた上で、生活費に不足する場合は、程ほどの貯金を崩して、年金生活を過ごすこと、
と私は先輩から教えられてきた。

後年、何かの本で、厚労省の年金の根底思考にも、やはり同じような趣旨で記載されたりしていた。

そして厚生年金は、平均的収入(賞与を含む月額換算)、勤務期間など格差があり、
支給額に反映されている。

こうした中で一流の大企業に勤められて、邁進されて栄進された御方もいれば、
私のように25歳で中小業の会社で35年近く奮戦する中、最後の5年半はリストラ烈風で出向し、
出向先で定年を迎えた人もいる。

或いは知人には、中小業の会社で25年勤続して、リストラで解雇されて、
やむなく小売店のパン屋さんを開業される御方もいる。

人それぞれの働く軌跡がある。

そして少子高齢化の中、ここ10数年は年金は、削減されることがあっても、上昇は夢物語となっている。
             

今回、記事を読み終わった後、《・・厚労省のモデルケース自体に無理がある・・》論説は、
《・・厚労省のモデル世帯の夫の収入42.8万円が高すぎるとの意見もある。
厚労省の「平成26年賃金構造基本統計調査」の平均賃金でさえ、それより安いのだ。

また、40年間も会社に勤める人は、最近ではまれだ・・》と社会の実情を思い馳せれば、
正しいょ、と微苦笑させられたりした。

その上、今回の記事に於いて、私よりほぼ10年齢下の御方は、2015年度の実態、やがて10年後の予測を教示され、
このような実態で、やがて10年後にはこんなに削減されてしまうのか、と溜息を重ねてしまった・・。

或いは『おひとりさま』は、男性にしても女性にしても、
2015年度の実態、やがて10年後の予測を学び、私が思案してきた支給額より低く、
こうした場合は、もとより預貯金を取り崩して、生活しないと、過ごせないなぁ、と憂いたりした。

いつの日にか私たち夫婦も、どちらかあの世に旅立ち、残された方が『おひとりさま』となる。
こうしたことを思い馳せれば、やがて溜息を重ねたりした。

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幸福度世界1位のデンマークより、日本のほうが恵まれている、高齢者の私でも学び、微笑みを重ねて・・。

2017-04-20 17:34:28 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていたら、
【 幸福度世界1位のデンマークより、日本のほうが恵まれている 】と見出しを見た・・。

私は年金生活13年生であるが、敗戦後の荒廃した日本は、
敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。

私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代も奮闘してきた。

こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。

その上、経済は都心の一部は活性化しているが、地方は未(いま)だに低迷している現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
             
このように私は漠然としながらも思っているが、改めてどのようなことですか、と思いながら、
こっそりと真摯に精読してしまった。
             

この記事は、漱石アンドロイド、マツコロイドを生み出したアンドロイド研究開発の世界的第一人者で、
大阪大学大学院基礎工学研究科教授・石黒 浩さんが、常識に囚われないモノの見方・考え方のヒントと思いを発露された
寄稿文である。

そして今回、第1回として、日本という国が我々が思っている以上に世界の中でも恵まれた社会だ、という“脱常識的”考察について、
【ダイヤモンド・オンライン】に於いて2017年4月18日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・幸福度世界1位のデンマークより、日本のほうが恵まれている
             

☆公共サービスの充実は、貧しさゆえの必然

僕は学会や講演で、世界中の国々を回りますが、日本のように暮らしやすい国はほかにないと実感しています。
これはもう奇跡的なレベルです。

とくに何がいいかと言えば、バランス。
公共サービスが、中途半端なところで止まっているところが、素晴らしいのです。

たとえば、「幸福度ランキング」で1位のデンマーク。
公共サービスがすごく充実していますが、その背景にあるのは、貧しさです。

冬の気温が低いので、決して浮浪者は出せません。凍死する可能性が高いからです。
近代社会において、道端に死体が転がっている状況を容認することはできないでしょう。

公共サービスの充実は、背に腹は代えられない事情から進んだものだと私は想像しています。

北欧の中でもデンマークは最も貧しく、資源がなくて、貿易等でしか生きていけない国です。
それでも公共サービスを充実させなければならないので、当然ながら税金を上げることになります。

消費税率は25%で世界3位の高さ。所得税は40~60%です。
すると何が起こるか。ネガティブなループがぐるぐる回り出します。

税金を上げると、男女共働きじゃないと、平均的な生活ができません。
20代~60代の女性の社会進出率が70%以上という数字は先進的に見えますが、
そうしないと生きていけないのです。

最近の日本でも、少しそのような現象が表われ出しています。

女性が自由に働けるようにするには、幼稚園から大学まで、すべて無料にしなければならない。
個人では貯金はできないが、未来に貯金をしているという構図にしない限り、国民は納得しないからです。
             

☆女性が家事や子育てに集中する選択ができる社会の豊かさ

また、男女共働きになると、弁護士や医者といった机に向かって、
一所懸命勉強したほうが有利な職業は、女性が大半を占めるようになります。
だから、実はデンマークは女性のほうが、平均年収が高いのです。

すべての人が、人工的に子どもをつくるような社会ならばいざ知らず、
妊娠、出産を経験することの多い女性が、果たして男性と同じように働かなければならないのか。

もちろん機会は、平等であるべきだと思いますが、
僕自身、労働における男性と女性の立場は、必ずしも同じでなくていいと考えています。

少なくとも、女性が家事や子育てに集中するという選択ができる社会のほうが、
豊かなのではないでしょうか。

それに加えて、こうした政策を採ると、どうしても公務員が増える。
公務員を国民の1割にまで増やして破綻した国がギリシャですが、
割合はデンマークも同程度で、地方自治体の中には1割を超えているところもあります。

その人たちが何をやっているかといえば、労働集約型の公共サービスしかない。
それは、老人介護なのです。

税負担が大きく、かつ貯金がない人が大半なので、
介護を徹底的に充実させておかなければ、国民の不満が爆発することは目に見えています。
             

☆あなたの想像以上に日本は恵まれている>

ここまでだと「そういう社会もありかな」と思われるかもしれませんが、
一方で先端医療には、十分な支援ができません。

たとえば、癌(がん)だとわかったとしても、かなり長期間待たない、と医師に診てもらえないと聞きます。
そのうちに手遅れになる可能性もあります。

そんなネガティブフィードバックが、ぐるぐる回っているというのがもし現実だとしたら、
それでもまだ、あなたは「デンマークは、すごくいい」「住んでみたい」と言えるでしょうか
(これはあくまで、僕が想像するデンマークの一面だけを取り上げての見方の一つです。
この国の社会のすべての説明にはなっていないことは、ご容赦願いたいと思います)。


逆に、公共サービスが極端に整備されていないのは、アフリカの一部の地域です。
水道も電気もない。
これはこれで大きな問題です。

アメリカはスラム街があるので、どちらかと言えば、アフリカ型に近い。
個人的な見解ですが、スラム街を持っているような国が、豊かで住みやすいとはとても思えません。

そうした国と日本と、どちらがよい国かは一目瞭然です。

いずれにせよ、やはりライフラインなどの生活のベースとなる公共サービスは、
国民が公平に享受できるレベルに達していなければなりません。

イギリスの『エコノミスト』誌が23項目にわたって163ヵ国を対象に分析し、
各国や地域が、どれくらい平和かを相対的に数値化する「世界平和度指数」があります。
これで日本は常にトップ10に入っています。

上位に入っている他国は、そもそも人口が少なかったり、人口密度が低かったり、
あるいは近隣に北朝鮮のような困った国がない、という点に鑑みると、
実質的には、日本がトップではないか、と僕はひそかに思っています。

実際、2016年の1位であるアイスランドの人口は約34万人、2位のデンマークは約570万人、
3位のオーストリアは約870万人。
人口も人口密度も、日本とはケタ違いです。

また、日本が9位であるのに対して(2011年は3位)、フランス46位、イギリス47位、
アメリカは103位という結果を見ても、日本の順位の高さは輝いています。
             

☆日本は皆が助け合って平等になれる国

デンマークのように、公共サービスが重たくなり過ぎて、
ネガティブフィードバックが起こる状態になっているわけでもないし、
逆に公共サービスが手薄過ぎて、死者が出るような状態でもなく、
適度なところでバランスを取っている、日本は世界でも、稀有な国なのです。
世界中からあこがれられている国です。

さらに国民性として、真面目で誠実、差別が少なく、貧富の差が小さくて、社会がフラットなので、
相互扶助の精神が行きわたっている。

そんな国だからこそ、僕は世界に先駆けて、
「日本こそ国民全員が家族になることができる国」だと考えています。

もちろん、人類のゴールは、
「地球上の全員が家族」となることです。

その前段階として、国が一つの家族として、機能する状態が求められます。
僕は、これを「島国仮説」と呼んでいます。
つまり、みんなが助け合って、平等になるということです。
             

☆日本のものづくり世界一は、労働を苦役としない社会ゆえ

そのためには「家族の輪」を広げなければなりません。
血縁だけが家族、一族という幻想を捨て去って、その枠組みを拡大していく必要があります。

そうなると、「僕の父はお金持ちだから、将来は安泰」
「自分の子どもに、お金をどれだけ残そうか」といったような矮小な思考がなくなり、

「この社会にいかにして役に立つか、貢献するか」という思考をする人が増えます。

現在は、その方向へと進んでいる過渡期なのです。

そして、日本は幸運にも世界をリードできる場所にいます。

もちろん、日本にも多くの矛盾はある。
それでも、日本人は矛盾の中を揺れ動きながら、差別の少ない平等な社会の中で、
極端に走る人が少ない、安定した社会を形成してきました。
             

☆日本は再び世界のイニシアチブを取れる

その意味で、親という存在に縛られず、
家族の概念を、国全体にまで拡大できる可能性の高い国だと言えます。
そして僕たちは、そんな日本という国の一員なのです。

さらに言えば、そういう日本だからこそ、ロボットの研究では、圧倒的な強みがあると考えています。

日本はこれまで時計でも、家電でも、自動車でも、ものづくりに関しては、すべて世界一を取ってきました。
「トップになれなかった分野がない」と豪語してもいいくらい、日本人はものづくりが得意です。

それは日本という一つの大きな家庭のようなところで、協力し合えたからだと思います。
             

ヨーロッパは、人種が入り乱れ、貧富の差も大きい。
階級をつくって、上の人が下の人を虐げるような構造になっているので、
労働を苦役とする傾向が強く、働くことの目的が、日本人とは明らかに違います。

日本人は貧富の差がない、非常にフラットな民族なので、
むしろ「社会の中で、自分の役割を見つけよう」というモチベーションで働いている。
だから、よく働くんですね。

労働時間は、いささか長いかもしれません。
しかし、お金のためよりも、ものをつくることへのプライドを心の軸にして働いているので、
いいものができて当たり前で、その結果、すべてのものづくりにおいて世界一になった。

ロボットにおいても、日本は産業ロボットで圧倒的に世界をリードしてきました。
これに続く日常活動型ロボット、日常生活の中で様々なサービスを提供するロボット、
あるいは人間型ロボットの社会は、もうそこまで来ています。

そこで日本は再び世界のイニシアチブを取れると、僕は確信しています。

世界的にも稀有なバランスの取れた国だからこそ、国全体が一つの家族になれる国だからこそ、
世界に先駆けて豊かなロボット社会がつくれるはずだと信じて、研究に取り組んでいます。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は希望に満ち溢れた石黒浩教授のご高説を読み、昨今は国家の直面する難題、或いは2025年問題など、
ともすれば悲観的な論説が多い中、プラス思考の石黒浩教授のご高説に賛意しながら、微笑んだりした。

そしてこうした日本になれれば・・・良い、と石黒浩教授のご高説を再読したりし、
《・・日本こそ国民全員が家族になることができる国・・》少しユートピアンがあると思いながらも、
全般として、明るい日本に希望を託して、微笑んだりした。

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定年前後のサラリーマンの第二職場、悩ましく涙と悦びを秘めた深情を思い重ねて・・。

2017-04-19 16:03:28 | ささやかな古稀からの思い
先程、ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げ、
私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているので、
トピックス・ニュースが表示される中のひとつには、
【 キャリアを捨てる働き方──定年シニアが生き残るには 】と見出しがあった。

私は過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職を迎えるまで、
七転八起のようなサラリーマン航路を歩んできたが、昨今の社会状況も疎くなり、
真摯に学ぼうとして、記事を精読してしまった・・。

この記事は、ジャーナリスト・岩崎大輔さんがYahoo!ニュース 特集編集部の支援を受けた寄稿文であり、
【YAHOO! JAPAN】に於いて、4月19日の朝7時過ぎに配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・キャリアを捨てる働き方──定年シニアが生き残るには

シニア層の仕事で、ミスマッチが起きている。
改正高齢者雇用安定法の施行(2013年4月)で65歳まで継続雇用が義務づけられたが、
小売業などの現場では、雇用年齢の上限を75歳まで引き上げるなど、さらに上をいく動きが出ている。

ただし、ニーズがあるのは体力仕事が多く、求職しているシニア層側から見れば、
就きたい仕事が少ないのが現状だという。

シニア層はどのように職を探し、どのように働くべきか。
これからのシニアの働き方を見つめた。
            

※簿記の資格よりITスキルを

東京・品川駅にほど近い32階建てのオフィスビル。
働き盛りのビジネスパーソンが足早に行き来するエリアだが、
この日は昼過ぎからシニア層の一団がこのビルを目指し足を運んでいた。

55歳以上を対象にした合同面接会の会場だ。
テニスコート2面ほどのスペースに、15社がブースを設けている。

そこに、40人ほどの参加者が、入れ代わり立ち代わり現れていた。
配布された求人情報一覧に目を通し、ため息とともに退出する人もいれば、
真剣な表情で企業の人事担当者が座るブースに向かう人もいる。


「税理士、会計士の資格があれば、別だろうけど、簿記2級程度ではむずかしいね・・」
66歳の大石俊樹さん(仮名)は、そう呟きながら面接会のアンケートに記入をしていく。

日本を代表する家電メーカーのグループ企業の経理として会社人生を全うした。
現在、年金は月に17万円ほど。
2人の娘もすでに結婚し、1歳下の妻との暮らしに不自由はない。

ただ、「漠然とした将来への不安」と「体が動くうちは」との思いで、合同面接会に参加したという。
しかし、大石さんがピンときた仕事は、経理・財務経験者を中小企業に派遣する人材派遣業だけだった。

「肉体労働は一度も経験していないし、身体がついていかないと思う。自分のスキルを活かせる仕事を探したい」

だが、現実は厳しい。
ハローワークで経理の仕事に応募しても、たびたびはねられてきた。

IT化の進展で、エクセルや経理ソフトなどのスキルが求められる一方、簿記の資格はほとんど評価されなかった。

「経理なんて、地道に人が担ってきた仕事だけど、これからはもっとコンピューターに奪われていくんじゃないかな」
            

「時間が余っちゃってさぁ」
求職に来た目的を尋ねると、59歳の山田伸夫さん(仮名)は、そう照れるように語る。

山田さんは、ハードディスクドライブメーカーにエンジニアとして勤め、一時期は20名の部下を持つ設計部長だった。
TOEIC715点という英語力を活かし、中国、タイ、シンガポールの工場立ち上げに、携わった経験もある。

年収は最高時で1400万円ほどだ。
定年を待たず昨年9月に退職。

登山や読書を楽しんだものの、1カ月も過ぎれば、時間を持て余すようになった。
それならば働いたほうがいい──そう考えて、合同面接会に足を運んだのだという。

昨年末、民間の人材派遣会社にも登録したが、自分の希望とは折り合わなかった。

「海外工場の現地マネージャーの仕事は、紹介してもらえそうだった。年収も良かった。
けど、日本にいたくてね。責任と期待を背負う仕事は、もうきついんです」
そう言うと、山田さんは高級マンションの管理コンシェルジュを紹介する企業のブースへと足を向けた。
            
15ある企業ブースの中で、デスクワークに近いものはその1社だけで、求職者がひっきりなしに訪れていた。

残りはいわゆる現場系の仕事。和食店の洗い場、ホールスタッフ、調理補助・・。
それらのブースに立ち寄る人は、ほとんどいなかった。
            

※雇用年齢の上限が70歳から75歳へ

2016年平均の有効求人倍率は1.36倍に上昇。
7年連続の上昇で、1991年以来25年ぶりの高水準となった。
深刻な人手不足の中、シニア層の雇用も拡大している。

小売業やサービス業などでは、すでに人手不足に見舞われ、
健康であれば70歳を過ぎても、採用してくれる職場が数多くある。

スーパーマーケットチェーンのマルエツでは、2015年2月期から従業員の年齢上限を5歳引き上げ70歳に。
現在、65歳以上の従業員は1300人に増加し、店舗で働くパートなどの従業員全体の6%強を占めている。

同業のスーパー、サミットでは昨年12月に、雇用年齢の上限を70歳から、後期高齢者に入る年齢である75歳に引き上げた。

労働市場では55歳以上を「シニア」(ハローワークなど)と呼んでおり、
2013年の改正高齢者雇用安定法でも、希望者全員の65歳までの継続雇用を企業に義務づけた。
だが、その上限はさらに広がりつつある。

日本企業にはこれまで、高齢者を積極採用する風土はなかった。
だが、折からの人手不足と、高齢者の活用を掲げる政府の成長戦略をきっかけに、風向きが変わった。

「企業側からすれば、高齢者が“コストセーブになる”ことは、否定できないでしょう」
みなと✳しごと55(以下、みなと55)の池田真弓マネージャーはそう語る。

みなと55とは、港区や東京都の支援を受けて運営されるシニア層の就業支援をする機関。
事務所内には、「週3日」や「日3~5時間」など、フルタイムではない求人が散見される。
            

※コスト抑制のターゲットにも

この数年、企業の労務コストは、上がり続けている。
安倍政権による賃上げ要請はもちろん、昨年10月からは非正規雇用者への社会保険の加入要件緩和も行われた。

従業員が500人を超える企業は、「所定労働週20時間以上」「雇用期間の見込みが1年以上」
「賃金月額8万8000円以上」の、学生を除く短時間労働者に対し、社会保険を適用することが義務づけられる。

今後、「働き方改革」で正社員と非正規社員との「同一労働同一賃金」が実施されていけば、
非正規社員の賃金増加も見込まれ、企業側の労務コストは、さらに増える可能性も指摘されている。


そうした環境の中、企業が高齢者に熱い視線を注ぐのは、単に人手不足を補うためだけではない。
フルタイムではなく、少しずつ働くパートタイムでの雇用が、高齢者に向いているためだ。


ひとりの人間を雇用して、一定時間以上働いてもらえば、企業側は社会保険などの労務コストを負担しなければならない。
だが、2~3人の高齢者でワークシェアをしてもらい、フルタイムではなく、少しずつ働いてもらう。
そうすれば、『週20時間以上』や『月額8.8万円』といった枠組みをすり抜け、社会保険も回避できるわけだ。

この企業側の事情は、シニアにとっても、けっして悪い話ではない。

シニア向け再就職支援セミナーで講演を数多く手がける神谷敏康・ディアロゴス代表も、
年金などで生活のベースがあるのなら、フルタイムよりも、パートタイムの仕事のほうが、ふさわしいと語る。

「年金で生活費のベースがある高齢者は、無理してまで働く必要はありません。
生き甲斐を求めるシニアには、パートタイムの仕事でもいいでしょう、と話しています。
いくつになっても新しいことにチャレンジすることで、脳も体も活性化できますから」

一方で、シニアの求職で重要なのは、過去の自分にこだわらないことだ、と神谷氏は言う。
            

※ジェネラリストのキャリアは役に立たず

冒頭の合同面接会のように、55歳を過ぎた段階での求職で多くを望むのは難しい。
とくに自分が築いてきたキャリアを活かすことに固執すると、
マッチした仕事を見つけることが難しく、いつまでも職を得られない可能性もある。

厚労省東京労働局が発表した『関東労働市場圏有効求人・有効求職 年齢別バランスシート』(2016年12月)によれば、
60歳以上の「サービスの職業」では、有効求人倍率が2.86、「保安の職業」では4.80と高い一方で、
「事務的職業」は0.42、「管理的職業」は0.46と、ホワイトカラーの求人はわずかしかない。

「学歴・職歴が高度なシニアの男性は、自分が積み上げた経験、知識を活かした仕事を望む傾向が強いものです。
しかし、実際には管理職や事務職の求人そのものが非常に少ない。
すると、求職と求人のミスマッチが起きてしまい、シニアの人は仕事に就けないで、時間だけが経過してしまうことも」(神谷氏)

一部の求人には、年収が高いものもある。
だが、そうした求人の募集要項をよく見ると、「中国や東南アジアで、工場をオペレートした経験あり」
「欧米系企業と販売業務などで、協業や契約交渉の経験あり」など、
きわめて限定的な経験とそれに伴う能力をもつスペシャリストを求めているケースが少なくない。

そんな求人は、人事異動で多くの部署を回ったジェネラリストのキャリアとは一致しない。

だからこそ、シニアの転職では、自分とどう折り合いをつけるかが肝要だ、と神谷氏は言う。

「有名企業に勤めていた方でも、いろんな部署を回っていたようなキャリアでは、
自分が思うほど求人市場では売りにならない。

また、気力や体力で30代、40代と同じように働けるかといえば、それも難しい。
一方、彼らを求めている企業で言えば、小売りやサービス業が中心で、
場合によっては、最低賃金に近い仕事になってしまうのも致し方ないのでしょう。

要するに、過去のプライドは大切にとっておいて、
一からやり直すことに『新しい出会いややりがいがある』と思えるかどうかなんです。
もとの能力は高いはずなので、意識や行動を変えられれば、再就職もうまくいくと思います」
            

※ニッチな仕事ですこし働く

高齢者が積極的に望まれる職場があるとすれば、どのようなものなのか。

みなと55の池田氏は「隙間を埋めるニッチな仕事」とし、
一例として、時給1000円の高級料亭の洗い場を挙げた。

居酒屋では短時間で大量の食器を洗うのが仕事になるが、
高級料亭では高価な茶碗や食器を時間に追われるのではなく、
むしろ時間をかけてでも1枚1枚丁寧に洗い上げる人材が求められる。


大田区いきいきしごとステーションの佐々木文雄所長は、介護の分野でも法定資格なしでも活躍できる場があると指摘する。
「例えば、シーツの取り換えや、床にこぼした食材の清掃。
仕事はニッチなものですが、介護福祉士の国家資格がなくともできる。
こうした部分を元気なシニアが埋めれば、介護士もゆとりが生まれると思います」

では、実際に「ニッチな仕事」で「すこしだけ働く」というのは、どのようなものだろうか。
            

※感謝される仕事を

東京都港区の寺院。
そこで森裕平さん(68)は、水曜と日曜の週2日、朝8時から夕方まで時給1200円で働いている。
仕事は、墓地や周辺の清掃、あるいは高齢の檀家がお参りに来た際、水を満たした手桶を持ってお墓まで同伴するといった仕事だ。

森さんは、音楽プロダクションの社長を務めた時期もあり、国民的な人気を博した女性歌手を手がけた過去もある。
その時期は1600万円で購入した外車に乗り、横浜市に2億円の邸宅も建てた。
だが、事業や株に投資しすぎた結果、バブル崩壊とともに、全ての資産を失った。

森さんはそんな半生を語りつつ、「真面目に生きたことがない」「大人になりきれない」と自らを振り返る。
お金にも執着はない。

現在の年金は月約14万円で、お寺の仕事で得られるのは月額8万円ほど。
毎月の収入は20数万円にとどまる。

マンションの家賃は、孫の世話をすることで次女に負担してもらい、
それでも生活に足りない分は、13歳下の妻の収入で補う。
不足を自覚しながらも、あくせく稼ごうとしないのが、いまの暮らし方だ。

豪奢な生活とお金のない生活の両極を経験してきた森さんにとって、「働く」とはどういう意味をもっているのか。

「感謝されるのが、仕事ということだね。
お寺の仕事は、夕方には泥だらけで、クタクタ。
だけど、自分を正したい、律したい、とも思っている。
奉仕ではないが、近いものはあるかも」

その上で、シニアの働き方とは、そうした余裕があるべきだとも述べた。
「生活のために働くのは、当然のことだと思う。
一方で、老いていく中で、お金だけ、仕事だけに関心を奪われるのも考えもの。
働く喜びを感じられる距離感で、仕事ができるといいなと思いますね」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は記事を読み終わった後、溜息を重ねたりし、やがて過ぎし2013年(平成25年)の秋に、
【 65歳定年制 5年多く働いても生涯賃金900万円しか増えぬ例も 】と見出しされたニュースを
思い重ねたりした。

この当時、多くの企業は65歳定年制を採用され始めた頃で、
『週刊ポスト』の2013年2月15・22日号に掲載された記事であった。

《・・4月から施行される65歳定年制(雇用延長義務づけ)導入で企業の賃金体系見直しが進んでいる。
三菱電機などが採用しているのが「定年年齢選択型給料」だ。

社員は55歳の春、会社からサラリーマン人生の大きな決断を求められる。
〈給料は現状維持のまま60歳で退職するか、それとも給料ダウンで65歳まで働くか〉──というものだ。

前者の60歳定年を選択すれば、本社勤務のままで給料はカットされないが、雇用延長(再雇用)はない。

後者を選べば、56歳で早期退職して子会社に再雇用され、給料(本給)が2割カット、
60歳以降はさらに5割に減らされる。

年収600万円の55歳サラリーマンの場合、前者を選ぶと、56歳から60歳までの5年間の総額で3000万円になる。

一方、後者を選択すると、65歳までの10年間の総額は3900万円だ。

5年間多く働いても生涯賃金の差はわずか900万円にすぎない。

「60歳で退職する人も、65歳まで雇用延長する人も生涯賃金は基本的に変わらないという考えです」
と三菱電機広報部は説明している。・・》
            

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に、
大学を中退し、アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、やがて敗退して、
やむなくサラリーマンに転進する為に、コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
この当時は映像・音響の大手メーカーの民間会社に、何とか中途入社出来たのは、1970年(昭和45年)年の春であった。

そして配属された音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、
まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業畑などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。

こうした中で幾たびもリストラが行われたりし、
やがて1998〈平成10〉年に音楽業界の売上の主軸となるCDがピークとなり、
この前後は、各レコード会社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、
人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度により退職が行われ、リストラ烈風となった。

こうした中で、私の勤めいていた会社も、人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度が実施された。
                    
私は1970年(昭和45年)の中途入社した身であったが、
この頃の時代の風潮としては、多くの御方と同様に、この会社で定年の60歳まで
勤め上げ意志を殆どの方たちは共有し、私なりの人生設計を持っていた。

そして激動の1998年(平成10年)の前後は、先輩、同僚、後輩の一部の人が、
やむなく第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出されていたが、
私は定年まで勤め上げる思いが強くあったので、彼等の決断を見送っていた。

やがて私は1999年(平成11年)の新春、出向となった。
            

もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は都心にある本社に30年近く勤めたが島流しのように放り出され、
屈辱と無念さが入り混じ、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、朝は4時45分に起床して、帰宅は早くても夜9時過ぎが多く、奮戦したりした。
                    
出向先は少し遠方地にある各レコード会社が音楽商品のCD、DVDなどを委託している物流会社で、
この中のひとつの物流センターに異動させられて、
販売店からの日々変動の激しい日毎の受注に応じた出荷作業、
或いは返品を含めた商品の出入り、保管などの業務管理を行っていた。

こうした中でセンター長をはじめとする正社員の5名の指示に基づいて、若手の男性の契約社員、アルバイトの10名、
30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。

そしてまもなく、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、幾たびかリストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に、何とか定年退職を迎えられたした。
            

そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施され、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
せいぜい月10万円ぐらいで、雑役業務の職場しか考えられず、
何よりも私なりに、出向先で体力も気力も使い果たしてしまった。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、教育資金も不用であったりし、
程ほどの老後資金がプールできたりし、私は働くことを卒業して、年金生活を始めることとした。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であるが、
私は最期には出向であっても、途中で挫折せずに程ほどの年収を得て勤務でぎたことは、
結果的には幸運の星と思ったりしている。
            

過ぎし1998年(平成10年)から、2012年(平成24年)の頃まで、デフレ経済の烈風の中、
大企業の社員さえも、年収は横ばいと知り、私は驚き、溜息をしてきたひとりである。

私が長らく勤めた中小業の時は、昭和の終わる1989年(昭和64年)の頃までは、
年齢給、成果給、そして家族・住宅などの諸手当があり、その後は成果給が大半以上に拡大してきた。
そしてボーナスと称される成果に応じた賞与があった。

こうした中で、たまたま私は40代には年収は900万、やがて1000万となり、
2004〈平成16〉年の秋にサラリーマンを卒業した。

この当時の民間会社の定年退職時は、殆どの企業は60歳が多く、わずか一部の人は栄進されたりしたが、
大半の人たちは、第二の人生で、年金が満額(報酬比例部分と定額部分)になる時期まで自ら求職し働いたしていた。

或いは一部の人だけが、勤めいた関連先の会社に年収が低下しながらも、勤められたりしていた。
そして私のように退職時と共に年金生活に入った方もいる。
                      

しかしながら、政府の指導の下で、2013年(平成25年)の4月から施行される65歳定年制(雇用延長義務づけ)導入で、
民間会社は大きく余儀なくされ、私は遅ればせながら大企業の三菱電機の実態を学んだ・・。

勤められている方には、ご家族のそれぞれの事情により決断せざるを得ないが、
《・・65歳まで雇用延長する人・・60歳で退職する人よりも5年間多く働いても
生涯賃金の差はわずか900万円にすぎない・・》と記載されているが、私は異論がある。

大企業も厚生年金、健康保険などは、会社と個人が折半であるので、
60歳で退職する人は、この後の健康保険は自己負担となり、
やがて厚生年金の受給時からは勤続年数より大きく差異があるので、《生涯賃金の差は900万円》は誤りで、これ以上にある。

問題があるとすれば、《・・56歳で早期退職して子会社に再雇用され、給料(本給)が2割カット、
60歳以降はさらに5割に減らされる・・》こうした大企業の三菱電機の社員の一部の人が思案した時、
職責、職場の変貌の対処、そしてプライドに耐えられるか、だけである。

私はたまたま時代こそ違え、年収も下がらず出向時代を5年ばかり体験してきたので、
悩ましく涙と悦びを秘めた深情は少し理解できたりしている。

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恩田陸(おんだ・りく)さんの『蜜蜂と遠雷』、久しぶりに小説を買い求めた私の理由は・・。

2017-04-18 15:49:41 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
過ぎし2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始め、早や12年半が過ぎている。

こうした中で、午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして本に関し、単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野眞一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は47年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読したりしている。

こうした中で、定年退職後に年金生活していると、小説に魅力が薄れて、一年に一冊ぐらいに激少していることに、
我ながら驚いたりしている。

このような私でも、小説家の恩田陸(おんだ・りく)さんの『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)を読みたいと思い、
昨日、本屋に行き買い求めたりした。
             

こうした動機は、三日前にネットの『プレジデント・オンライン』に於いて、
【恩田陸さん「本屋大賞&直木賞」努力の25年間】と題されたインタビュー記事を読み、
この中の一部に、私は心震(ふる)わせ、圧倒的に感銘を受けたりして、
まさに私に取っては、初めて読む恩田陸(おんだ・りく)さんの作品を、購読したい心境となってしまった。

この記事の原文は、『プレジデント・ウーマン』で、面澤淳市さんが小説家・恩田陸(おんだ・りく)さんに、
直木賞の授賞式直後にインタビューを行い、17年5月号に掲載された記事であり、
大半を転載させて頂く。

《・・
☆新卒では「大手生保」で残業の毎日

このたび、ようやく直木賞をいただきました。
何回も「候補になっては落ち」を繰り返していたので、周囲のみんなには「取ってくれてほっとした」と言われています。
私自身もほっとしています(笑)。
             

子どもの頃から本を読むのが大好きで、今も年間300冊は読んでいます。
ただ、本を書く人になりたかったのかと問われると、そこまで強い思いはなかった。

大学を出たときは、普通の会社員として大手の生命保険会社に就職しました。

入社は1987年、男女雇用機会均等法の1期生です。
会社からは、総合職で受けないかと誘われたのですが、「社会の基礎は事務だと思いますから! 」と主張して、
一般職で入りました。

ちょうど生保業界にシステム化の波がやってきたところで、ものすごく忙しかった。
ひたすら残業、残業ですよ。

アナログの作業とデジタル化の作業を並行してやっていたので、とにかくものすごい作業量でした。

当時、生保は銀行に比べて、システム化が10年は遅れているといわれていましたから、
短期間で追いつこうとして、かなり無茶なスケジュールでした。

休日出勤しても、まるで仕事が終わらない。
チームの誰かが毎月、代わる代わる倒れてましたね。

私も2年目に体を壊して入院し、いったん復帰したのですが、4年勤めたところで会社を辞めました。

――転機が訪れたのは、この時だった。
             

時間ができたのを機に、初めての小説「六番目の小夜子」を書き上げ、
90年、新潮社の文学賞「日本ファンタジーノベル大賞」に応募。
この作品が最終選考に残ったことで、作家デビューへの道が開けた。

応募したときは、まさかすぐにデビューできるとは、思っていませんでした。
でも、運よく『六番目の小夜子』を出版してもらうことができ、
担当編集者がついて、ちょっとずつ小説を書いていきました。

といっても、最初の頃は、会社に勤めながら書く兼業作家です。
生保を辞めたあと、すぐに人材派遣会社に登録して、不動産会社で働き始めました。

大手不動産会社の賃貸住宅管理会社で、いわゆる等価交換方式でマンションを建設し、
貸主となって管理を引き受け、各エリアの不動産会社にお客さんを付けてもらうというのが当時のビジネスでした。

私は営業事務をやっていたんですが、派遣契約を何度か更新したあと、数年後に正社員になりました。

ここは大手の系列ですが、事業を開始してから比較的新しい会社で、当時はまだこぢんまりしていました。
それが見る見るうちに仕事が増えて大きくなっていきました。

私のいた部署はすごく仲がよくて、優秀な営業マンがそろっていたので成績もよく、
息もぴったりで勢いがありました。

忙しいのは忙しいんだけれど、楽しかったですね。
             

☆33歳まで「会社員兼作家」だった理由

――この当時は、あくまでも会社員が主で、作家は従。

「恩田陸」はペンネームであり、顔写真も公開していなかったので、
社内の誰にも「副業」のことは、知られていなかったという。

だが、小説の注文が増え、作家の仕事にも手ごたえを感じ始めていた頃、
複数の編集者から、ほぼ同時にあることを勧められた。

30歳を過ぎた頃でした。
いろんな編集者から「そろそろ会社を辞めたらどうですか」と言われたんです。

新人のときは「作家専業で食べていける人なんて、まずいないんですから、辞めないでくださいね」
と念押しされるのが、ふつうです。

これはみんなが、プロとしてやっていけると判断してくれたのだなと。
それで33歳のときに、専業作家になりました。

でも、独り立ちするのは、とても不安でした。
この先注文が来るのか、書き続けられるのか。

そういう不安に加えて、会社を辞めれば、社会との接点をなくしてしまったような気持ちになる。
実を言うと、今でも、精神衛生的には、兼業作家だった頃がいちばんよかったなあと思います。
             

独立を機に、「営業」のためのパーティーを開きました。
西新宿のレストランを借りて、各社の編集者に集まってもらい、
当時温めていた小説の企画を10本くらいレジュメにして配りました。

10本はそれぞれミステリーだったり、SFやホラーだったりと、系統の異なる小説です。

「みなさまの媒体で書かせていただけませんか」と、
おそるおそるお願いしたら、そのうち7本ほどに買い手がつきました。

おもしろいことに、競合したものはなくて、それぞれ別の出版社が引き受けてくれたんです。
これはありがたかった。

私は会社員の家庭で育ったので、フリーの仕事というのが、全く想像できませんでした。
独立するにあたって、なんとか仕事を確保しなくちゃいけないというのが、あったんでしょうね。
自分も営業系の会社員生活が長かったせいかもしれません。
             

☆完璧にできない辛さに耐えてこそプロ

最初に入社したのが、業界でも大手の生命保険会社でしたから、大きな会社の仕組みも一応わかる。
そして次の会社は、ほとんどスタートアップのような状態から関わってきましたから、
小さい会社の仕事の進め方もよくわかる。

これは作家の仕事に生きています。
よくいわれますが、作家になるなら、より「遠回り」をすることだと思います。


――直木賞受賞作の『蜜蜂と遠雷』は新人の登竜門とされるピアノコンクールを描いている。
構想12年、執筆7年の大作だ。

著者は天才ピアニストたちの姿を通じて「才能とは何か」を問いかけている。

この小説のために、さんざんコンクールに通って、演奏を聴きながら考えたんですけど、
才能というのは「続けられる」ことだと思うんです。
             

すべての仕事に共通していますよね。
ある意味の鈍感さ、しぶとさを持った人が才能のある人です。

演出家の鴻上尚史さんがこう言いました。
完璧を目指して演技をし、ちょっとでも失敗すると「もう駄目だ」と投げ出してしまう役者がいるが、間違っている。
プロというのは、完璧な条件のないときでも、必ず平均点以上の演技をする役者のことだ。
完璧にできないことは辛いけど、その辛さに耐えて、投げやりになったりしないのが、プロなんだと。

この言葉に、いたく共感しました。
常に完璧を目指すけれども、なかなかそうはいかない。

それでも平均点は維持し、完璧でない惨めさに耐えていく。
作家も同じです。

満足できる一作ができなければ、出さないという人もいる。
でも、寡作で傑作なのは、当たり前。
私は量を伴ってこその才能だと信じています。
             
もちろん自分でも実践しているつもりです。
常に必死で書いていて、平均点ギリギリのところを、低空飛行しています。

ですから私、スランプってないんですよ。
スランプがあるということは、すごくいい時期があるということです。
いい時期なんて、私にはないですから(笑)。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。

映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
やがて高校2年生より映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
まもなく500冊ぐらいなったりした。

そして、巻末に付いているシナリオを読んだりして、脚本家として橋本 忍さんを神様のように信愛した。
映画監督の場合だと特にデビット・リーンに夢中になったりし、
アルバイトをしながら、映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。

この間、専門養成所に入り、やがて講師の知人の新劇の長老から、
映画は衰退するばかりで、同じ創作分野だったら小説を書けば、と強く勧められたりした。
                                   

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
                     
       
そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしりした。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。

この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

こうした習作のひとつとして、チャイコフスキーの『交響曲第6番ロ短調 作品74 悲愴』を実家で聴いていた時、
妄想として、ロシア風土から見たパリ、ウィーンなどの進化したヨーロッパ文明に対して、
あこがれとやるせない悲しみを表現しょうと私は思案したりした・・。
そして音楽の旋律を文章化しょうと試みたりし、筆力もない私は中途半端になったりした。

やがて私は、私は30代に妻子を養う家庭のことを漠然と考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。
                                                   

その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、あるレコード会社の情報畑、管理畑、営業畑などに勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の
各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かったりして、定年退職を迎えたりした。

このような心情を秘めた私は、創作者に敬意しながら、久々に小説の『蜜蜂と遠雷』を読み始めている・・。

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朝食を抜くと「脳が委縮」する? 一日三食のススメ、遅ればせながら私は学び、微笑みを重ねて・・。

2017-04-17 14:09:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ている中、
【 朝食を抜くと「脳が委縮」する? 一日三食のススメ 】と見出しを見てしまった。

私は現役サラリーマン時代は、睡眠時間を削って奮闘することが多く、
こうした時は朝は朦朧(もうろう)として状態で、コーヒーか煎茶を飲んだだけで、出勤したりすることもあったが、
2004年(平成16年)の秋に定年退職をして、多々の理由で、年金生活を始めて、
これ以来は時間のゆとりもあるので、食事は一日三食を真実一路のように頂いてきた。

今回の《・・朝食を抜くと「脳が委縮」する?・・》の標題は、私としては気になるので、
遅ればせながら学びたく、記事を精読してしまった。              
          
この記事の原文は、『週刊朝日』2012年11月2日号に掲載された記事のひとつであり、
そして【dot.(ドット)】に2012年10月27日に配信されていた。

少し古い記事であるが、私は自立した健康寿命を保ち、真摯に学びたく、無断ながら転載させて頂く。
              
《・・頭の体操をしたり、生き方を変えることのほか、毎日の食事内容や食べ方も、ボケ予防には重要。
何を、どんなふうに食べれば、さえわたった脳を維持できるのか。

アンチエイジングの権威、順天堂大学大学院教授の白澤卓二(しらさわ・たくじ)先生に、
エビデンスの高い(効果があることを示す証拠が多い)食事術を聞いた。
             

認知症患者の半分以上を占めるアルツハイマー病は、食材や食べ方で、かなり予防できます。
朝食を抜いている人は、ボケやすいし寝たきりにもなりやすい。

秋田県に10年間通って調査した結果、朝に栄養素を摂ることこそが、健康長寿に重要だとわかったのです。

朝食の内容は、和洋問いません。
朝食を食べると、インスリン(膵臓で作られるホルモン)の出方がよく、
朝食を抜くと、インスリンの分泌がうまくいかず、昼にいきなり炭水化物が体内に入ってきたときに、過剰反応してしまいます。

インスリンの効きが悪い状態だと、中年肥満や糖尿病を引き起こしやすくなり、その状態が続くと高齢期まで持ちません。

糖尿病を発症すると、男性で平均10歳、女性では平均13歳は、寿命が短くなることがわかっています。

聖路加国際病院の日野原重明先生のように、100歳以上でカクシャクとしている人に、
インスリンの効きの悪い人はまずいません。

規則的に三食摂れば、血糖値は安定します。
そもそも寝ている間も、基礎代謝により体力を消耗するので、脳は朝、栄養不足になっています。

朝食はそれを補い、脳の萎縮も防ぐ効果があるわけです。
食欲がないときには、おかずを先に食べてご飯を残してもいいので、朝食は必ず口にしましょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、シラス干し、福神漬けを必須として、これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを
加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

家内は私の食事内容を見て、時折よく飽(あ)きないわねぇ、と呟(つぶや)くように私に言ったりしている。
『農家の児として厳しく育てられたので、飽きたら、日本人はやめるょ』と私は家内に応えたりしている。
             

昼食は私はホット・コーヒーを飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

しかしながら昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
                                                               
やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

こうした中で、5日毎にウィスキーの濃い水割りを飲んだりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような食事内容が、真実一路のように、ここ三年は変わらず続いている。

          
こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。
                          

過ぎし12年半まえ、定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、歩くことが多くなっているが実態となっている。
                          

今回の記事を読み終わった後、誰しも健康でなければ、人それぞれの日頃のささやかな願いも叶わないので、
やはり一日三食は大切なこと、と改めて思い重ねたりし、微笑みを重ねたりした。

そして私は、せめて歩くこと、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体と信愛し、過ごしたりしている。

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50~60代は「実りの20年」、そして70代は「黄金の10年」、やがて80代は?、遅ればせながら私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-04-16 15:41:17 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、小学館が発刊しているシニア向けの教養雑誌『サライ』の公式サイト【serai.jp】を見たりしていた中、
【 50~60代は「実りの20年」70代は「黄金の10年」では80代は? 】と題された記事を見た。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

このような年金生活を過ごしてきたが、50~60代は「実りの20年」、そして70代は「黄金の10年」、やがて80代は?、
と教示されても、どのようなことなの、と思いながら好奇心に負けて精読してしまった。

この記事は、庄司真紀さんが寄稿された文で、
【serai.jp】に於いて2017年3月15日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・50~60代は「実りの20年」70代は「黄金の10年」では80代は?
             

シニア夫婦のポートレート

リタイア後に人生を見つめた時に、驚くほど長い時間が残っていることに気づくでしょう。
ひとくくりにシニアと言われても実際、65歳と80歳は大きく違います。

若い時と同じもの、変わっていくもの。
マイナス面だけでなく、知性や幸福度は高まり、人生の実りの時を迎えます。

米国カリフォルニア州立大学・心理学部教授のケネス・S・シュルツ氏監修の
『リアイアの心理学 定年の後をしあわせに生きる』(日経ナショナル ジオグラフィック社)を参考に、
知っておきたい各年代の特徴をまとめてご紹介しましょう。
             

☆1:50~60代は「実りの20年」

社会学者のデイビッド・ガープは、50代を「折り返しの10年」と呼びましたが、
30〜40代の時より50〜60代のほうが、幸福を強く感じるという調査結果があります。

なぜなら、中年期の前半に抱えていた、さまざまなストレスから解放されるのが、この時期だから。
キャリアの目標を実現した達成感と、子供を独り立ちさせた安堵感があるからです。

カリフォルニア大学バークリー校でロバート・レベンソンらが行った研究では、
50~60代は、知的能力と認知能力にいっそう磨きがかかり、仕事や人間関係で良い結果が得られるといいます。

現役を退くこの時期は、集中力と決断力を発揮して、長年あたためていた後送を、実行に移すときでもあります。
             

☆2:70代は「黄金の10年」

子育てや親の介護といった困難を乗り越えた安心感もあり、幸福感は70代に入ってからも上昇し続けます。
生活の自由度が増し、夫婦関係も心地よく、良い意味でお互いを頼りにする年代です。

老いを実感する瞬間は、たまにあるかもしれませんが、日常のほとんどのことは支障なくこなしていけます。
その上で「円熟期」に入った手応えがあれば、老化に対する漠然とした不安に悩むことはないでしょう。

祖父母としての務めを果たしたり、ボランティア活動をするなど、目的意識を持つことが、
この世代の幸福感につながります。
             

☆3:80代は「新たな10年」

豊かな人生経験に裏打ちされたあなたの意見や考えに、多くの人が耳を傾けるでしょう。
あらゆる場面で意見を求められるかもしれません。

その反面、若い時に加齢への偏見が根付いている人は、
自らの偏見が自分へ向かい、老人性うつ病のリスクが高まることもあります。

その他、一般的な幸福度は健康の問題に直結し、健康管理ができる環境や信頼できる医師がいるかどうかで、
生活の満足感が左右されます。

健やかに長生きする秘訣は、自分のライフスタイルに目を配り、見通しを持つことです。
刺激を求めたり、人づきあいや親密な触れあいを持つことで、余生はいっそう楽しいものになります。
             

以上、『リアイアの心理学 定年の後をしあわせに生きる』から、
リアイア以降の各年代ごとの特徴をご紹介しました。

加齢の研究では、身体能力など能力低下を調べるものが多くなりますが、
数値化しにくい分野、直感力や経験値、幸福度では、また別の見方ができそうです。
前の年代にとらわれず、今の年代にあった生き方を見つめてみませんか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、こうした年代別に過ごせるは、欧米社会に見られる高潔な理想社会であり、
日本は殆どの御方は、生臭い軌跡を歩むことが多い、と私は微苦笑させられた。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
         
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
                           

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
                                        

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。

年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。

そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。

やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、  
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
        
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
                                        

このような心情の片隅みに秘めながら、私は60代の年金生活は、つたない我が人生の中で、
最も安楽な日々を過ごして、享受してきた。

過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

そして私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。
                                        
        
定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。

帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
                                      

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
                                        

この間、私が定年退職後、年金生活を始める直前に、家内の父が病死され、家内の母は独り住まいとなったりした。

この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。

ここ数年は、家内の母の老化と病状で、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となっている。

いつの日にか私たち夫婦は、どちらかが片割れとなり『おひとりさま』となる。
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
私は特別演習だ、と思いながら過ごしている。
                           

このように年金生活を過ごしているが、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体と信愛して、年金生活を過ごしている。

このように私は過ごし、つたない定年までの半生を過ごした私でも、年金生活は予測した以上に享受している。
             

こうした中で、昨今、日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する期間でもある。

そして私たち夫婦は、いつの日にか、どちらかが介護を受ける身まで、
ささやかながら年金生活の楽しき日々を甘受している。

こうした生活をしている私は、今回の欧米社会に見られる高潔な理想社会のような記事には、
私にとっては体操の段違い平行棒のように格差があるよなぁ、
と微苦笑を重ねたりしている。

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