夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『花見月』、『花咲月』、『櫻月』の3月に、高齢者の私は愛惜を重ねて、別れを告げて・・。

2021-03-31 13:42:01 | ささやかな古稀からの思い
今朝、ぼんやりと3月の『弥生(やよい)』のカレンダーを見ると
早くも今日でお別れかょ・・、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。


3月は、古来より『花月(かげつ)』、『夢見月(ゆめみつき)』、『嘉月(よみしづき)』などと、
美麗な言葉を重ねて、春色の季節を迎えてきた。

私は齢ばかり重ねた76歳の体力の衰えた身であるが、
感性だけはマイナス10歳のような心情で過ごしている。




このように少し背伸びした私であるので、

『花見月』、『花咲月』、或いは『櫻月』の愛称を好感しているひとりである。

そしてこの時候としては、早春、浅春、春色、春暖、春情、孟春、

麗日などと古人から伝承されているが、
私は麗日という言葉に圧倒的に魅了されている。




挨拶の用語としては、《 春はまだ浅いこの頃 》、《 ようやく春めき和(なご)やかなる季節は 》、
《 空の気配も春も感じて 》、《 春光天地に満ちて 》、《 一雨ごとの暖かさに 》、
《 春眠あかつきを覚えず 》、《 小川の水もぬるみ 》、《 柳の緑は日毎に色めき 》、
《 遠山は紫にかすみ 》
こうした綴りを古人の人々から愛用されてきたが、
その日の天候、地域、心の思いによって差異があるので、私なりに使い分けている。

この時節
、樹木、草花が盛んに生い育つ時節を『弥生』と称しているが、
私は雑木の芽吹き、そして幼い葉を広げる光景が何より好きである。




こうした情景を眺めながら、浅春の花を見つめたりし、
3月の下旬に櫻の花に出逢えれば、私はこれ以上望むことはない。

このように、私は毎年、3月の日々を、
陽射しは優(やさ)しい光を帯び、微風は甘く感じられたりし、
早春からはじまり春色に染められる情景と共に過ごしている。





私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、

こうした中で、新型コロナウイルスに伴う東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県に
発令している緊急事態宣言に関して、

2回の延長を経て約2か月半の3月21日の期限で解除された。





そして東京都は3月22日(月)から、
「リバウンドを防ぐための段階的緩和期間」として、実施されている。


昨年の2月以来、幾たびの緊急事態の中、何かと制約が多く、無力な私でも、
苦手なマスクをしながら、「三密(密集、密接、密閉)」を避け、

過ごしてきた・・。

しかしながら本音としては、閉塞感を感じながら、自粛疲れとなったりしていた・・。




こうした中、年金生活を始めた17年前の当初より、
殆ど毎日のように我が家より3キロ以内に有る遊歩道、公園などを散策し、
私の住む市内にある都立の神代植物公園にも、
毎月2回前後は訪れて、季節のうつろいを享受してきた。




そして新型コロナウイルスの烈風の中、

感染が怖くて、人出の少ない処を選定して散策している・・。


しかしながら、市内にある神代植物公園は、

緊急事態期間中は、入園はダメョ、と閉園となってきたが、

私は春の園内の情景に思いを寄せてきたが、
3月22日より当面の間、臨時休園、と知り、私として落胆したりした・・。



そして神代植物公園の周辺を散策したり、

自宅の周辺にある遊歩道、小公園、住宅街を歩いたりしてきた・・。。




しかしながら、やはり感染再拡大が怖くて、
もとより私は「マスクの着用」しながら、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった基本は、
当面として、国民のひとりとして、責務と思ったりしている。




こうした思いある中、神代植物公園の周辺、我が家の周辺など、
春のまぶしい陽射しの中、午前中のひとときを歩いたりして、
体力の衰えた私は、心地よい疲れを感じながら・・、微笑んだりしてきた・・。


このように、私は毎年、3月の日々を、
陽射しは優(やさ)しい光を帯び、微風は甘く感じられたりし、
早春からはじまり春色に染められる情景と共に過ごしている。

このような思い馳せたりし、過ぎ去る『弥生』の3月に
愛惜を秘めながら別れを告げたりした・・。

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朝6時以前起床で、循環器疾患リスク高めで危険、76歳の私は学び、戸惑いながら・・。

2021-03-30 13:42:55 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見ている中、
『 早起きは危険?
    朝6時以前起床で循環器疾患リスク高めるとの研究も 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。




こうした中、睡眠に関しては、
現役サラリーマン時代は多くの御方と同様に、
睡眠時間を削って奮闘してきた・・。

やがて年金生活の今は、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡し、
殆ど7時間ぐらい寝てている。

ときおり深夜まで読書をした場合、昼食後に一時間前後、昼寝を甘授し、
いつでも寝ることが出来るのは年金生活の特権のひとつかしら、
と微笑み時がある。




今回、《 朝6時以前起床で、循環器疾患リスク高める 》って、
どのようなことですか、と思いながら、真摯に記事を読んだりした・・。

この記事は、『週刊ポスト』の2021年4月9日号に掲載された記事で、
関連の【 NEWSポストセブン 】に於いて、3月29日に配信され、
無断ながら転載させて頂く。


《・・ゆっくり朝食をとり、新聞やニュース番組をチェック。

そうして余裕をもって一日の始まりを迎える。
もっと早く起きて運動している、という健康志向の人もいるだろう。


10歳以上の男女6万5582人を集計した総務省の「平成28年 社会生活基本調査」によれば、
日本人の平日の平均起床時間は、6時32分となっている。

年齢別に見ると、大学生が多く含まれる20~24歳が7時47分で最も遅く、
年齢を重ねるに連れ、「早起き」の傾向は強まっていく。

50~54歳が6時15分、55~59歳が6時10分、
60~64歳は6時8分となっている。



睡眠・認知症予防プログラム中部大学推進センター特任教授の宮崎総一郎医師が言う。

「平均起床時間が6時台になっているのは、
朝9時頃までに仕事を始める必要があるからでしょう。
サラリーマンなど日本人の多くは、
6時に早起きすることを半ば強いられている面がある。

加齢とともに早起きの傾向が強まるのは、
体内リズムの変化と必要とされる睡眠量の減少が大きな理由です。

また、深い眠りが減り、浅い眠りが増えるため、
ちょっとした刺激や尿意で、目が覚めやすくなる」

この調査からもわかるように、
朝6時起床は日本人にとって「当たり前」の習慣だ。

しかし、それが健康を損ねるリスクを孕んでいることは、
意外と知られていない。



2016年、英オックスフォード大学の睡眠・概日リズム神経科学研究所の
名誉研究員(当時)だったポール・ケリー博士が、
科学誌『Nature Communications』で起床時間に関する研究を発表した。

ケリー博士は、老若男女の睡眠パターンを詳しく分析。
研究に参加した65歳以上の高齢者のデータを解析したところ、
「朝6時以前に起きる人は、朝7時以降に起きる人に比べて、
心筋梗塞や脳卒中など循環器疾患の発症リスクが最大40%高まる」という結果が出た。

さらに糖尿病に関しても20~30%ほどリスクが上がったという。



★まさに「血液ドロドロ」の時間帯

その理由についてケリー博士は、
「早起きによって体内時計の周期と実際の生活リズムにギャップが生じ、
臓器に負担がかかってしまうから」と分析した。

同研究では、個人差があるとしながらも、
15~30歳で9時、31~64歳で8時、
65歳以上で7時を「理想的な起床時間」としている。

睡眠時間の長短が、健康に影響を及ぼすという研究結果は多い。
しかし、ケリー博士の研究のポイントは、
就寝時間を考慮せず「起床時間のみ」に着目した点にある。



『「正しい時間の使い方」が、あなたの健康をすべて左右する』(東洋経済新報社刊)の著者で、
石黒クリニック院長の石黒源之医師が解説する。

「私は生体リズムなどに基づいて、
生命にとって危険な時間帯を“ブラックタイム”と命名しています。

まさに早朝6時頃は、さまざまな病気が起こりやすい“ブラックタイム”なのです」

特に心筋梗塞や脳梗塞など命に関わる血管の病気に影響が大きい、
と指摘する。

「就寝中は、発汗量が多い上に水分を摂取できないため、
脱水症状を引き起こしやすい。

腎臓では、血液から1時間に60㏄ほど尿を生産しているので、
もし6時間寝ていれば、その間に360ccの水分が減ることになります。
そのため起床時は、血液がドロドロの状態になっているのです」(前出・石黒医師)

血小板の働きも関わってくる。
「人間の生体リズムの研究では、血を固める役割のある血小板の凝固作用が最も強くなるのが
朝6時頃とされています。




人間は、起床時に血管が収縮して血圧が上昇し、脈拍も早くなる。
つまり収縮した血管に粘度の高い血液が流れるため、血栓ができやすくなる。
心筋梗塞や脳梗塞、狭心症を引き起こしやすい危険な時間帯なのです」(同前)

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




今回、《・・就寝中は、発汗量が多い上に水分を摂取できないため、
脱水症状を引き起こしやすい。

腎臓では、血液から1時間に60㏄ほど尿を生産しているので、
もし6時間寝ていれば、その間に360ccの水分が減ることになります。
そのため起床時は、血液がドロドロの状態になって・・

特に心筋梗塞や脳梗塞など命に関わる血管の病気に・・
と教示されたりした。


更に《・・血を固める役割のある血小板の凝固作用が最も強くなるのが
朝6時頃とされ、起床時に血管が収縮して血圧が上昇し、脈拍も早くなる。

つまり収縮した血管に粘度の高い血液が流れるため、血栓ができやすくなる。

心筋梗塞や脳梗塞、狭心症を引き起こしやすい危険な時間帯なのです」(同前)・・》

このように多々教示されたりした。



最近のここ3週間の私は、布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の6時半ぐらいが多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

そして目覚めた時、ぼんやりとまどろんだりした・・。
            
過ぎし日の出来事とか、これからのささやかな願いの数々が、
夢と現(うつつ)の世界を彷徨(さまよ)うようなひとときとなっている。

そしてぼんやりとして正気には程遠く、
やがて15分過ぎた頃に起床して、オシッコをした後、

洗面所で顔を洗ったりしている。

このような平素の睡眠をして、目覚めは6時半前後、
そして起床は6時45分ぐらいとなっている・・。

今回、《・・65歳以上で7時を「理想的な起床時間」・・》と知り、
私は微苦笑をしたりした。



しかしながら旅行の非日常は、私たち夫婦は早寝早起きとなっている・・。

家内は宿泊先で、朝4時半過ぎに起床して、大浴場か露天風呂に行ったりしている。

私も5時過ぎに起床して、大浴場か露天風呂に行ったりし、
のんびりと早朝の時間を過ごしている。

やがて宿泊先の朝食時間は7時頃が多く、
ゆったりと頂いたりしている・・。

こうした旅先の起床、朝食は、平素より早いので、
循環器疾患リスク高めで危険・・該当するのかしら、と苦笑したりしている。


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雨あがりの朝、まばゆい春の陽射しの中、都心の郊外を散策すれば・・。

2021-03-29 14:09:25 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅み住む76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。


そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。





こうした中、今朝は雨脚が屋根をはじくような強い雨で目覚めて、
ぼんやりと昨日は・・と思い浮かべたり、
今日は・・と予定事項を思い浮かべたりした。

まもなく10分ぐらい過ぎた時、オシッコだ、と感じて、

布団から起きだしたりした。
       
しかしながら、5時過ぎであったので、布団に戻ってきてしまい、
枕元で昨夜読んでいた本を開き、読み出したりした。

まもなく30分ぐらい本を読んでいた為か、疲れを感じて目を閉じているうちに、
眠ってしまった・・。

やがて30分ぐらい二度寝した後、目覚めてぼんやりとまどろんだりした・・。
            
過ぎし日の出来事とか、これからのささやかな願いの数々が、
夢と現(うつつ)の世界を彷徨(さまよ)うようなひとときとなっている。




そしてぼんやりとして正気には程遠く、
やがて起床して、オシッコをした後、洗面所で顔を洗ったりした。


そして洗面所の横にある窓辺から、玄関庭を眺めれば、
まばゆい春の陽射しが差し込んでいた・・。




やがて朝食前に、自宅の周辺にある遊歩道、公園、住宅街の小道を
散策を思い立ち、
まもなく我が家をあとにした・・。



櫻花の中には、強い雨で路上に散乱しているが、
雨あがりのまばゆい春の陽射しの中、歩いたりすると、
富も名声に無縁な私でも、この世の最上なプレゼントを頂き、
高揚感につつまれたりした・・。










このような情景を眺めると、神様か仏様か判からないが、
私は生かされている、と漠然としながら、
やがて帰路に向かったりした・・。

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「キャベツの腸活効果」と「さらに効果的に食べる4つの秘訣」、私は学び、やがて微笑み返しをして・。

2021-03-28 13:57:46 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
先程、公式サイトの【 東洋経済オンライン 】を見ていた中で、
『 今が旬! 「腸にいいキャベツ」最高の食べ方4秘訣
         「食物繊維」も豊富で「腸活効果」がアップ!』、
と題された見出しを見たりした。

私は祖父、父が亡くなるまで、幼年期は農家の児として育てられ、
キャベツは大好きで、少なくとも70年は愛食している。

このような心情を秘めている私は、
今回の《・・最高の食べ方4秘訣・・》って、どのようなことなの・・、
と誘惑に負けて、記事を読んでしまった・・。

この記事は 翻訳家の森 敦子さんの寄稿文であり、
【 東洋経済オンライン 】に3月26日に配信されて、
無断ながら記事の要点をまとめて、転載させて頂く。

《・・世界的に著名な自然療法士でオステオパシストのフランク・ラポルト=アダムスキー氏。
1992年に発表された「アダムスキー式腸活法」は30年近く欧州で愛され続け、
その「腸活メソッド」を紹介する著作は、本国イタリアのみならず、
ドイツ、フランス、スペイン、ポルトガル、ベルギー、トルコなど世界中で話題になっている。(略)



今回は、「キャベツの腸活効果」とあわせて、
アダムスキー博士おすすめの「キャベツの食べ方」4つを紹介します。

アダムスキー博士は「野菜の中でもキャベツには、
とりわけ優れた抗がん作用がある」といっています。

それは「紫キャベツ」や「芽キャベツ」、キャベツの仲間の「ブロッコリー」、
「カリフラワー」にも共通する効果なのだそうです。

なかでもキャベツには、とくに多くの「食物繊維」が含まれています。

腸活では、腸内環境を整えて腸内細菌のバランスを保つことが大切ですが、
食物繊維は「善玉菌」のえさとなり腸内の善玉菌を増やし、
腸の調子を整えてくれるのです。



「キャベツ」と「トマト」の組み合わせはNG
【1】トマトを使わない「ロールキャベツ」(略)


ふわふわのお肉をキャベツで巻いて、
コンソメスープでコトコト煮込んだ料理は、
まとまった量のキャベツを食べられるのがうれしいところですよね。

ただし、腸のことを考えると、1つだけ気をつけなくてはならないことがあります。
それは「トマトスープ」です。

ロールキャベツには、トマトスープで煮込むレシピも多いのですが、
実は「トマト」は「ファストの食品」。

キャベツと組み合わせると、
「キャベツ(スロー)」×「トマト(ファスト)」の組み合わせとなりNGです。

腸の詰まりを防ぐためには、「トマトスープ」ではなく、
シンプルな「コンソメスープ」で煮込んだ「ロールキャベツ」にしましょう。(略)



2つ目は、「発酵食品」としても注目されている「キャベツのお漬物」です。
「キャベツ」+「発酵」で抜群の腸活効果
【2】「善玉菌」もとれる「キャベツのお漬物」

食物繊維と乳酸菌を合わせてとることができ、相乗効果で、腸内環境を改善する効果あり (略)




次は、キャベツの「加熱法」に注目した食べ方です。
「低温で蒸す」は腸活に最も効果的な加熱法
【3】加熱後も有効成分が保てる「蒸しキャベツ」

蒸し料理は、カロリーを控えたい人にとくにおすすめの調理法 (略)



最後は、付け合わせで気軽に追加できる腸活効果抜群の「生キャベツ」です。

【4】生でたくさん食べられる「せん切りキャベツ」

腸の汚れを落とす効果が高いのは生野菜です (略)

材を加熱するときには、「蒸す」のが一番ですが、
「腸の汚れを落とす」効果がさらに高いのは「生野菜」。

「アダムスキー式腸活法」では、野菜は「かさが大きいほどよい」とされており、
「加熱によりかさが減っていない生野菜が一番」といわれています。

食物繊維の豊富な野菜は、生でたくさん食べると
消化管の汚れを落とす「煙突掃除人」の働きをしてくれると
「アダムスキー式腸活法」では考えられているのです。

かんたんなのに腸をきれいにしてくれるなんて、うれしいことづくめですよね。 (略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




今回、翻訳家の森 敦子さんの寄稿文に導かれて、
「キャベツの腸活効果」と「さらに効果的に食べる4つの秘訣」、
多々教示させられたりした。



私の夕食は、殆ど毎日のように牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など、
その日に応じて180グラム程度食べたりして、
モヤシの炒めものを食べたりしている。


この夕食の前菜として、千切りしたキャベツは盛大に、
そしてニンジン、ピーマンも千切りにして、
そしてサニーレタスを3葉をたして、大皿に盛ったのを、
ソースを少しかけて、盛大に頂いている。


このような前菜は、年金生活を始めた当初、
先輩から肉類を食べたければ、野菜を多く食べなさいょ・・、
とアドバイスを受けたりした・・。

そして私は千切りした美味しいキャベツを食べながら、
口の中、喉、食道、胃そして大腸までキレイに浄化してくれるよなぁ・・、
と思いながら愛食している。

このようにキャベツを愛食してきた私は、

今回、《・・食物繊維の豊富な野菜は、生でたくさん食べると
消化管の汚れを落とす「煙突掃除人」の働きをしてくれる・・》、

読みながら微笑み返しをしてしまった・・。



余談ながら私は、夕食の時、お酒は缶ビール500mlを5日毎に、
たった一本となっている・・。

かっての呑兵衛だった私は、不思議なことに充分に満足となり、
歌を忘れたカナリヤのようになっている。

こうして中で、家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような食事内容は、ほゞ変化がないが、

 果物が少ないわ、と私は家内から言われ、
まるで小学生の学童が母親から言われるように、週に一度ぐらい注意されている。

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春眠暁を覚えずは・・体力の衰えた76歳の私は、昼寝かしら、と微苦笑して・・。

2021-03-27 17:40:10 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。


こうした中、私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域では、
平年は3月下旬から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くが、平年の習わしとなってきた。




しかしながら2月下旬に、早咲きの河津桜(カワヅザクラ)の桜花にめぐり逢えて、

少し困ったなぁ、と思ったりした。

1月には水仙、2月には白梅、紅梅、3月には桃の花、やがて桜花・・
このように私は75年ばかり過ごしてきたので、少しばかり戸惑ったりした。

そして戸惑いながら、早咲きの河津桜(カワヅザクラ)の桜花に瞬時に魅了されて、
今年も少年のように、2月中旬の頃から、まだかしら、と幾たびも、公園に寄ったりして、
やがて今年も再会できて、歓びを重ねたりしてきた・・。
             

或いは私が幼年期の頃から、好きな多彩な椿の花に、心を寄せたりして過ごしてきた・・。    

このような思い馳せたりし、過ぎ去った『如月(きさらぎ)』の2月に

愛惜を秘めながら別れを告げたりした・・。
       


そしてぼんやりと、新たな『弥生(やよい)』の3月を迎えて、
お待ちしていましたょ、と心の片隅みで呟(つぶや)いたりした。

古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
『桜月(さくらづき)』、『桃色(ももづき)』と称せられ、寒さが長らく続いた冬の季節が過ぎた後で、
暖かな春の訪(おとず)れに、数多くの人々は共有しながら悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。

こうした中、私の住む地域では、昨年の12月頃から平年より暖かく、
寒い季節には暖かさが何よりょ・・と家内の口癖を私は聞きながら、過ごしたしてきた。



こうした思いで過ごしてきた私は、3月の時節は我が家の近くの遊歩道を歩き、
ときには小公園に寄ったりすれば、
毎年のように桃、やがて桜の花にめぐり逢え、私は小躍(こおど)りしながら歩いたりし、
3月の散策は少年のように悦び勇(いさ)んで歩き廻ってきた・・。
             

こうした中で、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は芽吹き、
幼年期に農家の児として育った私は、見惚(みと)れながらも、何よりも愛惜を深めながら、
今年もしなやかに過ごしなさい、と天上の両親、祖父などに励まされる季節となっている。
             


もとより3月は、初旬には日本中の女の子をそれぞれのご家庭で慶(よろこ)び祝う『桃の節句』、
下旬の初めには新たなる旅立つの園児は『卒園式』、学童、学生は『卒業式』などが祝賀され、
こうした中で働いて下さる新たなる社会人の諸兄諸姉が、不安と希望を秘めてスタートされる時節でもある。

そして社会の中核である働いて下さる諸兄諸姉も、再就職や人事異動などで、
新たなる職場に配属され、戸惑いながらも意欲充分な志(こころざし)で、勤務される時期でもある。

私はこうした時節は、定年後に年金生活を過ごし17年生の無力な身ながら、
それぞれの人々の人生の門出に、微笑ましく感じて過ごしている。


                     

このような3月は、天上の気候の神々のきまぐれな采配により、
『春に三日の晴れなし・・』と古人からの伝えがあり、春3月は快晴の日が長く続くことはなく、
少年や少女の多感の心情のように、天候は定まらないことに、

齢ばかり重ねた私でも戸惑う時節でもある。



このように過ごしてきた私は、ここ一週間は昼食後しばらくすると、
眠くなり、
ベットに横たわりながら、本を読んでいると寝てしまうことが多くなり、
戸惑ったりしている・・。

先程、ぼんやりと目覚めると、確か4年前の頃に、
睡眠を専門的に研究家の友野なおさんの寄稿文より、
遅ればせながら学んだことを思い馳せて、微苦笑したりした・・。



《・・昔からから「春眠暁を覚えず」と言います。

春の夜は心地よく、朝になったのも気づかずつい寝過ごしてしまう・・という意味の、

中国由来のことわざです。

しかし、春にうとうとしてしまうのは、実は暖かさのせいだけではありませんでした。
             

☆春は1年でもっとも寝にくいシーズン?

近ごろ眠いのは、当たり前。
気候もポカポカ暖かく、ついうとうとしてしまうもの・・そんなふうに思っていませんか? 
実は、春、眠気に誘われるのは、ポカポカ陽気のせいだけではありません。

意外に思われるかもしれませんが、春は1年の中でも、眠りにくいシーズンなのです。


春特有の理由から眠りの質が低下するので、
睡眠不足、朝スッキリ起きられない、昼間もうとうとしてしまう、というわけなのです。

理由は大きく3つあります。




1つは、花粉症によるアレルギー鼻炎です。

鼻がつまって口呼吸になったり息苦しかったりすると、眠りの質が低下します。
アレルギー鼻炎対策は後述します。


2つめの理由は、身の回りの環境、人間関係の変化が大きい季節であることです。

たとえば、みなさんの職場でも異動があったり、新しい人が入ってきたりしませんか?
個人的に引っ越しをしたり、新しい職場に移ったりする方もいるでしょう。

子育て中のお母さんも、新学期を前にあわただしい日々ではないでしょうか。

新しい環境、新しい人間関係に慣れるまでは、ふだんよりも緊張するものです。
つまり春は、ストレスがたまりやすい季節といえます。
ストレスが快眠をさまたげる一番の原因であることは、みなさん、もうよくご存知ですね。
             

そして3つめの理由は、寒暖差の大きさです。

真冬の寒さから、グーッと気温が上がって暖かくなったと思ったら、次の日はまた寒さに逆戻り。
冬から春にかけては寒暖の差が激しく、気候が安定しません。

体もそれに合わせて、調節をこまめにしなくてはならず、実は体に大きな負担がかかっているのです。
寒暖差という物理的な変化もストレス要因になります。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


             

このように学び、微苦笑したりしている。

私は現役サラリーマン時代の大半は、睡眠時間を削りながら、
多くの諸兄と同様に奮戦してきたが、退職後の年金生活をしている私としては、
もとより昼寝ができることは、夢のような甘受のひとときとなっている。

こうした中で、ここ一週間は深夜に読書をしていない私でも、
午後のひととき、眠くなって戸惑ってしまう・・。




やはり齢か、或いは3月のうららかな時を感じて、昼寝に誘惑されてしまう・・。

そして富も名声も無縁な私としては、よく眠れる老ボーイかしら、と微笑んだりする時もある。

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「人生の楽しみは70代から、下り坂にこそ楽しみがある」、76歳の私は学び、やがて同意を深めて・・。

2021-03-26 15:10:12 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【介護ポストセブン】の『暮らし』を見ている中、
『 70歳からが楽しい! 老いる極意「ひとり旅、趣味は20個 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。




私が住んでいる近くに生家があり、
1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

やがて、東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉秋、
満二十歳となり大学2年の時に映画の脚本家になりたくて中退し、
アルバイトをしながら養成所で映画青年の真似事、

まもなく契約社員をしながら文学青年の真似事をしたが、
やがて敗退した。
                  
この後、何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、

困苦することも多かったが、卒業した。


 
まもなく1970年〈昭和45年〉の春、
この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

こうした中、まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、

外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられたりした。

そして制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、
経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年から各社はリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。




こうした中、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。


しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートの御方には、遥かに遠い存在である。

  

       

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

このようなつたない私であるが、
《・・70歳からが楽しい! 老いる極意「ひとり旅、趣味は20個」・・》つて、
どのようなことですか、と思いながら好奇心に負けて読んでしまった。



この記事の原文は、『女性セブン』の2018年2月1日号に掲載された記事で、
関連の公式サイトの【介護ポストセブン】に2018年2月1日に配信されていた。

少し古い記事であるが、人生の信条に関しては、
時代を超越するので、あえて記事を無断ながら転載させて頂く。


《・・日本人の平均寿命は、女性87.14歳、男性80.98歳で、
いずれも過去最高を更新している(2016年 厚生労働省)。

リタイア後の10年、20年をどう生きるか・・・
この“下り坂”がつまらなければ、せっかく生きているのに楽しくない。

自身の老いを観察し、「人生の楽しみは70歳から」という、
ドイツ文学者・池内 紀さんに、楽しく老いる極意を聞きました。


☆「人生の楽しみは70代から」と池内さん

年寄りは自立してひとり旅に出よう

年寄りに大切なのは、“自立する”こと。
人間は基本的にひとりですよ。

ご夫婦でどんなに仲がよくても、最後はひとりになりますからね。
よく何人か連れ立って旅行している女性を見かけますが、
年を取ったら“ひとり旅”がおすすめです。

今のホテルは清潔で、ひとりで泊まっても安心です。
その場合、できるだけ新しいホテルを選ぶこと。

新しいホテルは空調もよく効きますし、バリアフリーがしっかりしていて、
お風呂に入る時の敷居も非常にラクです。

その日にキャンセルが出たりするので、予約をする時は、
当日の朝か前日の夜が狙い目です。

女性はひとりで食事はできないという人がいますけど、
外に出るのが嫌なら駅弁とデザートとコーヒーを買ってきて
部屋で自分のレストランを作ればいい。

外で食べたければ、フロントの人に
「ひとりで行って気楽なお店はありますか?」と聞けばいいんです。

うちは夫婦で旅する場合、
「夕方何時までに着く」と約束をして別々に出発します。
そうすれば1回で、ひとり旅とふたり旅の両方を楽しめます。

長年連れ添った夫婦は、もうあまり話題がないんです。
だから黙々と食事をしていたりする。

ホテルのレストランで楽しそうなのは、ワケありカップルくらいですよ(笑い)。

でも別々に行けば、それぞれの道中の話題ができます。
そんなふうに、話題を提供できる仕掛けをたくさん作ればいいんじゃないかな。



☆趣味は20個くらいないとダメ

昔好きだったことを、もう一回やってみるのもいいものですね。

人間の体は4年くらいで、新しい細胞に変わると医者が言っているのを聞いて、
ぼくは4年に1度、新しいことを始めるようにしています。

絵を描いたり、ギターを弾いたり、将棋を指したり。
昔やって体が覚えていることは、割と飽きないから不思議です。

銀行マンで出世した友人に、
「定年して何をやっていいかわからない。
趣味を持ちたいけど何かないかな」と言われたので、
「趣味を1つ持とうなんていうのはでたらめで、20個くらい持たないとダメだよ」
と、脅してやりました。

それも、若い頃に映画ばかり見ていたとか、山登りしていたとか、
遊んでいた人の方が、年を取ってから強いですね。

神様がうまい具合に計はからっているようで、
若い時に無駄をしたと思うことが、年を取ると生きてくる。
無駄をしてないと、年を取ってすがるものがないんです。


☆自分の終い方を決めておく

年を取れば、当然よろけます。
歩くのが遅くなるし、へまもするし、忘れっぽくなるし、
みっともなくもなる。

でも、それが年を取るということ。
それを認めることから始まるわけです。

「死」についても、最近は自分で選べる時代になりました。
今は延命装置が発達しています。

もし、それを望まないなら、
生きているうちに意思表示をしなければいけない。

ぼくは夫婦で『日本尊厳死協会』というところの会員になっていて、
 「延命治療は望みません。痛み止めだけは処置をお願いします」
という意思を伝える証明カードを持っています。

人生の役割はもう終わったのだから、
安らかに“おさらば”するのが自分も家族もいちばんいいと思います。

これまでずっと、どんなふうに生きるかという選択をしてきた。
最後はどんな死に方をするのか、決めておくのがいいと思います。
とても安心できますよ。‥》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




今回、過ぎし 2019年8年に亡くなわれた日本の独文学者、
エッセイストの池内 紀(いけうち ・おさむ)さんの人生の信条であり、
今回は、《・・「人生の楽しみは70代から、下り坂にこそ楽しみがある」・・》主旨であり、
シニア世代に向けた氏の遺言かしら、と私は深く学んだりした。

この中で、私は強く共感させられたのは、
《・・それも、若い頃に映画ばかり見ていたとか、山登りしていたとか、
遊んでいた人の方が、年を取ってから強いですね。

神様がうまい具合に計はからっているようで、
若い時に無駄をしたと思うことが、年を取ると生きてくる。
無駄をしてないと、年を取ってすがるものがないんです。‥》

こうしたことは私の友人、知人からも感じることであり、
確かにそうですよねぇ・・と深く同意したりした。




しかしながら、《・・長年連れ添った夫婦は、もうあまり話題がないんです。
だから黙々と食事をしていたりする。

ホテルのレストランで楽しそうなのは、ワケありカップルくらいですよ(笑い)。‥》


私は亡き母の血筋を純粋に受け継いだ為か、
恥ずかしながら男の癖におしゃべりであり、
家内はもとより、ご近所の奥様、御主人と談笑したりしている。

そして家内と食事処でも歓談しているので、
生い立ち、性格に寄るものである、と体験上思ったりしている。




延命治療に関しては、一昨年の夏の頃、私たち話し合ったりした・・。

結果としては、それぞれ延命治療は断念して、
「延命治療は望みません。痛み止めだけは処置をお願いします」
と明示するために、
私たち夫婦は、それぞれ『日本尊厳死協会』に入会したりしている。



このように池内 紀(いけうち ・おさむ)さんの人生の信条を学び、
  《・・「人生の楽しみは70代から、下り坂にこそ楽しみがある」・・》主旨は、
確かにそうですよねぇ・・と深く同意を深めたりしている。
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まばゆい春の陽射しの中、高齢者の私は散策して、幸せを改めて実感させられて・・。

2021-03-25 12:18:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅み住む76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。


そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。


こうした中、いつものように午前中のひととき、
まばゆい春の陽射しの中、軽装な冬のスポーツシャツで、
私は独りで自宅の周辺にある遊歩道、公園、住宅街の小道を歩いたりした・・。

私の住む地域は、住宅が密集している地域であるが、
生家も近くにあり、私は結婚前後5年間を除き、早や70年を過ぎているので、
人出の少ない処、時間帯を選定して、閑静な所を歩いたりした・・。



昨年の2月以来、新型コロナウイルスの烈風に伴い、
幾たびの緊急事態の中、何かと制約が多く、私は生まれて初めて、
苦手なマスクをしながら、「三密(密集、密接、密閉)」を避け、

過ごしてきた・・。

しかしながら本音としては、閉塞感を感じながら、自粛疲れとなったりしていた・・。


そしてぼんやりと歩きながら、私は9月になれば、満77歳となるが、
私は50代の後半から、私の大切な6人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、
やがて逝去され、幾たびか冥福をしたりしてきた・・。


こうした中、良き人は早くもあの世に旅立ち、

何かとつたない人生航路を歩んだ私は、こうして生きている・・。

このようなことが走馬灯のように、それぞれの御方のしぐさ、言葉を思い馳せたりした・・。


私は65歳に糖尿病、その後は74歳に心臓を悪化させて入院したりしてきたが、
私と同世代の人と談笑したりすると、何とか同じように日常生活は過ごせる・・、
と微苦笑を重ねたりしてきた・・。



こうした中で、まさかの予期せぬ出来事は家内が一昨年の5月に大病して、
未だに体調は万全でないことである。


家内が入院して、手術を受けた後、
私はもしかしたら家内はこの世を去ってしまう・・と心の片隅に思いながら、
心痛な思いで過ごしてきた・・。

やがて退院後、私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。 


こうした中で、私たち夫婦は、終活のあらゆる想定できることを、
話し合ったりした・・。

たとえば延命治療はしない、希望する葬儀、墓地、
その後の『おひとりさま』の日常生活費、希望される生活状況など、
考えられる範囲を整理したりした。

そして私は恥ずかしながら掃除、洗濯、料理などの家事に関しても初級であり、
家内より特訓を受けたりしている。



この世は無念ながら、たとえ仲良し恋しのご夫妻でも、
やがて、いつの日にか、どちらかがあの世に旅立ち、
残された御方は『おひとりさま』になる生活が予測される。

私も家内に先立たれて、独りぼっちの『おひとりさま』になることもあるので、
ときおり漠然としながら、思案をしたりしてきたのは60代の半ばの頃であったりした。



私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。

私が2004年(平成16年)の秋に定年後する直前に、 家内の父が病死され、
家内の母は我が家より遠い地で、独り住まいとなっている。

ここ数年は家内の母が『要介護3』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、 家内の母宅に宿泊して、
家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした中、家内は6泊7日前後で、家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で加速された独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている。


この間、17年近く前から、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている中、
いつの日にか、家内が私を残して、あの世に旅立ち、
まさかの遭遇で、 私が『おひとりさま』になること考えられると思い馳せたりしてきた。




こうした思いもあり、 愛妻を亡くされた倉嶋 厚さんの著作『やまない雨はない』、
徳岡孝夫さんの著作『妻の肖像』、 垣添忠生さんの著作『妻を看取る日』、
川本三郎さんの著作『いまも、君を想う』、 新藤兼人さんの著作『愛妻記』、
それぞれの各氏の愛妻の終末の病状、そして告別の死、

その後の『おひとりさま』の生活状況を多々教示されてきた。

そして私は、川本三郎さんは恥ずかしながら同年であるが、これ以外はすベて年長の御方たちである。


私は年長の御方たちから、少なくとも人生の機敏を深く学び、今日に至っている。




我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

もとよりボケては恥ずかしいから、このように言動をしたりしている。

この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
 『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。

その直後、 『ご苦労であった!』と家内は私に言うのである。

私の現役サラリーマン時代に於いては、
ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。

その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。



ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、
 仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら実際は日常生活の中で、ときおり私が失敗事をしたりすると、
平素は『あなた・・』と呼ばれるのに、
『ボケチンねぇ・・』と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。



こうした私たち夫婦は40数年寝食を共にして過ごしてきたが、
私としては、この世で最も気楽に、裏表もなく談笑できる人生の相棒となっているので、
人生の幸せな時を享受している。

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東京都は、『段階的緩和期間』実施中、高齢者の私は、いつものように周辺を散策して・・。

2021-03-24 15:21:37 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅み住む76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。


そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。


こうした中で、新型コロナウイルスに伴う東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県に
発令している緊急事態宣言に関して、

2回の延長を経て約2か月半の21日の期限で解除された。





そして東京都は3月22日(月)から、
「リバウンドを防ぐための段階的緩和期間」として、実施されている。


昨年の2月以来、幾たびの緊急事態の中、何かと制約が多く、無力な私でも、
苦手なマスクをしながら、「三密(密集、密接、密閉)」を避け、

過ごしてきた・・。

しかしながら本音としては、閉塞感を感じながら、自粛疲れとなったりしていた・・。




こうした中、年金生活を始めた17年前の当初より、
殆ど毎日のように我が家より3キロ以内に有る遊歩道、公園などを散策し、
私の住む市内にある都立の神代植物公園にも、
毎月2回前後は訪れて、季節のうつろいを享受してきた。




そして新型コロナウイルスの烈風の中、

感染が怖くて、人出の少ない処を選定して散策しているが、
たまたま昨日の午前中は、市内にある神代植物公園を訪れようと思ったりした。


そして緊急事態期間中は、入園はダメョ、と閉園となってきたが、
私は春の園内の情景に思いを寄せてきたが、

3月22日より当面の間、臨時休園、と知り、私として落胆したりした・・。



そして本日は、神代植物公園の周辺を散策したが、
園内の多彩な桃の花、桜花などが見えると、
都民の多くの御方は自粛しているのに、一部の悪しき無法者のふるまいで、
困惑したり、溜息を重ねたりした。





しかしながら、やはり感染再拡大が怖くて、
もとより私は「マスクの着用」しながら、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった基本は、
当面として、国民のひとりとして、責務と思ったりしている。



こうした思いある中、神代植物公園の周辺、我が家の周辺など、
春のまぶしい陽射しの中、3時間半ばかり歩き、
体力の衰えた私は、疲れたよ・・、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。


『 感染症対策の「段階的緩和期間」に入ると公表
         東京で337人感染、18人死亡 7日間平均伸び続く 』、
と題された記事と掲載された写真を見てしまった・・。



© KYODONEWS
東京・渋谷のスクランブル交差点を行き交う人たち=18日

東京都は23日、新型コロナウイルスの感染者が
新たに337人報告されたと発表した。

直近7日間の平均は、前週比106.6%の308人に増えた。
60~90代の感染者18人の死亡も確認され、死者の累計は1661人となった。

入院患者は前日より7人増の1379人、うち重症者は5人減の42人となった。(略)



このような記事を読み、都民の多くの御方は自粛しているのに、
都心の路上での酒宴、そして花見の名所などの酒宴、
或いは向こう見ずの悪しき無法者のふるまいに、


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東京都は、3月22日から『段階的緩和期間』実施中、高齢者の私は、微苦笑を重ねて・・。

2021-03-23 15:31:10 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。


こうした中で、新型コロナウイルスに伴う東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県に
発令している緊急事態宣言に関して、

2回の延長を経て約2か月半の21日の期限で解除された。



この期間も何かと制約が多く、無力な私でも、
「相手と身体的距離を確保すること」、「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった基本は、

当面として、国民のひとりとして、責務と思ったりして実行してきた・・。


しかしながら本音としては、閉塞感を感じながら、自粛疲れとなったりしていた・・。


そして緊急事態の解除された後、やはり感染再拡大が怖くて、
もとより私は「マスクの着用」しながら、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった基本は、
当面として、国民のひとりとして、責務と思ったりしている。



この後、テレビのニュースを視聴したりすると、
都内の花見の名所、或いは繁華街など人出が増えています、
と報じられて、私は悲嘆したりした。

やがて私は、過ぎし18日に小池都知事が、
国の緊急事態が解除された後、都は、3月22日(月)から、
感染症対策の「段階的緩和期間」に入ると公表されたことに思い馳せたりした・・。



「3月21日に緊急事態宣言の解除ということで決定されました。
宣言は解除されますが、感染はまだ収まっていない。

これからの『段階的緩和期間』に入るわけですが、リバウンドをいかに防ぐか、
その期間であるということを認識していただきたいと思います」

東京都は、3月22日(月)からの期間を、
「リバウンドを防ぐための段階的緩和期間」としています。

まず、PCR検査の拡充については、区市町村と連携し、
戦略的に検査を実施して、感染拡大の予兆を確実に捉える、
そして、変異株の早期探知のために検査規模を拡充するとしています。

医療提供体制は、第3波を上回る事態に備え、体制を強化するとしています。

都民に対しては、不要不急の外出自粛の継続、会食ルールの徹底をお願いしています。

事業者に対しては、出勤者の7割を削減するテレワークの徹底をお願いし、
営業時間については、3月31日(水)までは午前5時~午後9時までに
短縮を要請しています。

3月8日からの営業時間短縮要請に全面的に協力した事業者には
協力金が支給されますが、申請にあたっては、
新たに設けられた「コロナ対策リーダー」への選任・登録が必要です。

確か都のニュースとして、このような概要であったりした。



私は齢を重ねるたびに、体力の衰えを実感してので、
殆ど毎日のように我が家より3キロ以内に有る遊歩道、公園などを
年金生活を始めた当初より散策してきて、早や17年生となっている。

こうした中で、私の住む市内にある都立の神代植物公園にも、
毎月2回前後は訪れて、季節のうつろいを享受してきた。



そして緊急事態期間中は、入園はダメョ、と閉園となってきたが、
私は春の園内の情景に思いを寄せてきたので、
23日の朝、ホームベージで自粛解除後の入園状況を確認した・・。

結果として、3月22日より当面の間、臨時休園、
と表示されて、私として落胆の度合いが激しかった・・。



そして本日は、神代植物公園の周辺を散策したが、
園内の多彩な桃の花、桜花などが見えると、
都民の多くの御方は自粛しているのに、一部の悪しき無法者のふるまいで、
困るよなぁ・・と溜息を重ねたりした。
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夫婦が元気なうちにやるべき大切ないくつかこと、76歳の私は改めて教示させられて・・。

2021-03-22 14:34:10 | ささやかな古稀からの思い
先程、愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン】を見ていたら、
『配偶者との死別に悲しむ男性にかけてはいけない「3つのNGワード」 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。


こうした中、いつの日にか、どちらかがあの世に旅立ち、

残された方は『おひとりさま』の生活が余儀なくされるので、
ときおり私は、まさかの出来事で家内が死去され、 独りぽっちなることもあるので、
思案することもある。

こうした深情を秘めている私は、記事を読んだりした・・。



この記事の原文は、『女性セブン』の2021年4月1日号に掲載された記事であり、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン】に於いて3月22日に配信され、
無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。

《・・配偶者を失えば、悲しいのは当たり前だが、
夫婦でどちらかが先に死ぬのなら、
「自分が先に死にたい」という女性が50%なのに対し、
男性は78%に上るという。

それならば、もしものときのために、
妻が夫にできることは何なのだろうか。

夫婦が元気なうちにやるべきことをいくつか紹介する。



●終活について話をする

エンディングノートを記すのがいちばんだが、
日頃の何気ない会話の中で、
墓所や葬儀についての自分の意思を伝えておこう。


●ひとり暮らしができるように、サポートする

日常生活で妻への依存度が高い夫ほど、喪失感は大きくなる。

料理の作り方や、何がどこにあるかなど、ひとりになってから困らないように、
一緒に整理しつつ教えておくといい。


●自分の素直な気持ちを伝える

妻が亡くなってから「感謝の気持ちを伝えておけばよかった」と、

後悔する人が多い。

妻の方から気持ちを伝えると、
それに呼応して素直な言葉が出やすくなり、
夫の心を軽くすることにつながる。


2007年に「遺族外来」を設置し、
死別のつらさに悩む遺族の治療とケアに取り組んでいる、
埼玉県医科大学国際医療センター精神腫瘍学科教授の大西秀樹さんは、
「死別から数週間~数年は、悲しみが深くなるが、
喪失感を抱くのは決して悪いことではない」と言う。

「記念日などの記憶とともに、悲しみがぶり返すのも自然なこと。
時間の経過とともに楽しかったことを思い出せるように、
笑顔の写真などを記録に残しておくといいですね」(大西さん・以下同)



★妻に先立たれた男性は早死にする確率が高い

うつ病は、人口の3~7%に見られるが、
遺族に限れば、死別後7か月目で23%、13か月目で15%に認められ、
1年以内の自殺率が66倍になるという報告がある。

また、55歳以上の男性を対象に、配偶者を亡くした人と
生存している人を比べた研究では、
死別後の半年間で、配偶者を亡くした人の死亡率が40%近く上昇したという報告もある。

「寂しさを紛らわすために、酒やたばこの消費量が増え、
食生活の変化で、健康を害する人もいます。
持病の悪化も指摘されており、
医療機関を受診せずに、深刻化するケースも多いですね」

しかし、遺族外来を訪れるのは、8割以上が女性で、
男性は2割にも満たない。

それは、男性の悲しみやストレスが、女性より少ないのではない。
受診するのをためらう人が多いのだ。



だからこそ妻が生きている間に、夫がやるべきことがある。

「日頃から、ちょっとした悩みやストレスを打ち明けられる人や
場所を整えておくことが大切です。

闘病中から『患者の家族会』に参加する、
いざというときのために『遺族会』について調べておくなど、
同じ境遇の人たちと接し、吐き出せるように準備しておく。

特に、不眠や食欲不振、体力の低下などが著しい場合は、
精神科などの専門家に相談するようアドバイスをしておくのもいいでしょう」

悲しみが深刻化し、うつ病を発症させないために、
事前準備をしておいても無駄にはならない。



★周囲は、声をかけるより寄り添うだけでいい

また、身近に妻を亡くした遺族がいる場合、
つらそうな姿を見ると励まし、助言したくなることがあるが、
よかれと思ってかけた言葉がかえって遺族を傷つけ、
症状を深刻化させることもある。

たとえば、以下の3つ。

●「がんばってください」
   日常的によく使われるが、

   「この言葉には、『あなたはもっとやるべき。
   私は手伝わないけど』という意味が隠れています。

   言われた人は、突き放された気になって、つらくなるのです」

●「大丈夫ですか?」
   遺族に探りを入れているだけで、何の慰めにもならない。

   「気持ちの整理がついていなくても、
   大丈夫と答えてしまう人もいるでしょう。

   聞かれることで自分が落ち着いていないことを再認識し、
   つらくなってしまったという遺族もいらっしゃいましたね」

●「大往生でしたね」
   慰める意味で「大往生」と言うことがあるが、

   「つらい闘病生活を知る遺族に対しては使わない方がいい。
   ただし、本人が使った場合は使ってもいいでしょう」。

   かけていい言葉は、「大変でしたね」という共感の言葉だけ。
   ただ寄り添い、そばにいて、自ら話し始めるまで待つことも大切だ。‥》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 



今回、夫婦が元気なうちにやるべきことをいくつかのこと、
そして配偶者との死別に悲しむ男性にかけてはいけない3か条、
多々教示されたりした・。

私たち夫婦は、3年前までの年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきた・・。



しかしながら一昨年の2019年、予告もなく私は、
新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、 
しばらく経過観察したく・・ と担当医師から宣言され、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。

             


この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をしたりした・・。

この後の経過状況、やがて回復状況も医師より順調と診断され、
19泊20日間を得て昨日に退院となり、我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、膵臓(すいぞう)がんは死別するケースが多いと学んできたので、
最悪の場合は死去することもあるので、私は揺れ動いたりした・・。

このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。




この後、家内は指定された抗がん剤などの薬を服用しながら、
指定の検査日に通院したりし、
家内は家内の母の介護は、やむなく家内の妹にすべて依頼し、
家内は身辺整理を始めたりした。

そして茶道具、和服などを家内の妹に贈呈したり、
我が家の終活を具体的に私たち夫婦は始めたりした・・。

やがて退院後の半年の検査で、転移がない、と医師から伝えられるまで、
私はもしかしたら家内はこの世を去ってしまう・・と心の片隅に思いながら、
心痛な思いで過ごしてきた・・。

もとより膵臓(すいぞう)がんは、死につながるケースが多いが、
第一段階の半年後の検査は、幸運にも転移がないと知り、安堵をしたりし、
いつの日にか転移して、手術か薬も効果なく、この世にお別れすることも、十二分に想定できる・・。

これ以降は私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。             

ただ家内としては、私の兄妹には、当面として、病状に関して防ぎたく、
連絡もしていないので、こうした投稿文は、
私としては、ためらいながらなるべく記載しないできた・・。




この間、私たち夫婦は、終活のあらゆる想定できることを、
話し合ったりした・・。

たとえば延命治療、希望する葬儀、墓地、その後の『おひとりさま』の日常・・、
私は恥ずかしながら掃除、洗濯、料理などの家事に関しても初級であり、
家内より特訓を受けたりしている。

尚、家内があの世に旅立ち、私が独りぼっちの生活になってしまった時、
このブログで幾たびか投稿しているので、今回は省略する。
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緊急事態期限の最終日、都内の花見の名所で2倍前後、76歳の私は学び、悲嘆を重ねて・・。

2021-03-21 14:34:24 | ささやかな古稀からの思い
先程、テレビで昼のニュースをぼんやりと視聴していたら、
『 花見の名所で倍増 緊急事態期限前日、人々は外へ・・』
と明記されたニュースを報じていた・・。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む
年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。




こうした中、新型コロナウイルスに伴う東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県に
発令している緊急事態宣言に関して、3月18日に於いて、
政府は公報されたりしていた。

今年の1月7日に発令された緊急事態宣言は、
2回の延長を経て約2か月半の21日の期限で解除する、

首相の会見で報じられていた。



この期間も何かと制約が多く、無力な私でも、
「相手と身体的距離を確保すること」、「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった基本は、

当面として、国民のひとりとして、責務と思ったりして実行してきた・・。


しかしながら本音としては、閉塞感を感じながら、自粛疲れとなっていたので、
長らく待ちわびた朗報かしら、と微苦笑したりしている。


このような心情の私は、『テレビ朝日』が報じていたニュースを視聴し、
やがて悲嘆を重ねたりした・・。

記事の詳細は、下記のように報じられていた。



《・・ 21日をもって緊急事態宣言が解除される首都圏で、
20日の人出が1週間前と比べて、
都内の花見の名所で2倍前後になるなど大幅に増えていたことが分かりました。

ソフトバンクの子会社「Agoop」によりますと、
午後3時の人出は、1週間前の同じ時間と比べて例年、
多くの花見客が訪れる上野公園で1.9倍、
井の頭公園で2.1倍と倍増していました。  

繁華街などでも、渋谷センター街や原宿、お台場が1.5倍前後、
横浜の中華街周辺は、1.8倍と大幅に増えていました。  

首都圏の1都3県では、21日をもって緊急事態宣言が解除となるのを前に、
すでに多くの人が外出を始めています。・・》

注)記事の原文にあえて、改行を多くした。

              

本日は、緊急事態期限の最終日であり、都心、私の住む都心の郊外は、
小雨が降る日中となっている・・。

せめて本日ぐらいは、首都圏に住む私たちは、
長らく規制されてきた最終日であり、それぞれ御住いの家で、
ゆっくりと御家族で安息日にされている、と秘かに念願してきたので、
どうして都内の花見、或いは繁華街に、せっかちにお出かけなさるのょ・・、
と無力な私でも悲嘆を重ねたりした・・。



私は今後の緊急事態の解除された後、やはり感染再拡大が怖くて、
もとより私は「マスクの着用」しながら、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった基本は、
当面として、国民のひとりとして、責務と思ったりしている。

そして世の中は、自粛から自衛の風潮に変貌し、
無力な私でも大切な社会経済の復興を願っているが、
新型コロナウイルスが沈静化するまで、自分の身は自分で守りながら、
程々に自粛生活の延長戦する、と受け止めたりしている。




そして都内の花見の名所の櫻花より、お住いの地域の櫻花の方が、
長年過ごしてきた愛惜も加味され、愛でることに最上な処、
と思いながら微笑んだりしている。
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ときには『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、76歳の私は、思い馳せながら・・。

2021-03-20 15:22:49 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
我が家は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、平素の我が家の買物は、年金生活を始めた2004年(平成16年)の秋の当初より、
私が自主宣言をして、家内からの依頼された品を求めて、
スーパー、専門店に殆ど毎日行っている買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、路線バスは最寄り駅まで、頻繁に走行しているが、
私は原則として乗車しないで、独り徒歩20分前後の歩道を往還している。

この後、帰宅した私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底には、もとより健康でなければ、私自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮する為、
歩いたりしている。




こうした中、新型コロナウイルスに伴う1都3県に発令している緊急事態宣言は、
今年の1月7日に発令され、2回の延長を経て、
約2か月半の3月21日で解除される、と報じられていた。



しかしながら昨年の新春の頃より、
世界の誰しもが予期できなかった新型コロナウイルスに伴い、
世界の多くの人が、生死の関わる難題に遭遇して、今日に至っている。

過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

そして私なりに長らく自粛してきた為か、
新型コロナ疲れとなっているので、あとはワクチン接収までは、
少なくとも自粛の延長戦だ、と自身を叱咤激励をしたりした。

このような明るい希望が心の片隅みがある中、
本日も我が家の周辺を歩いたりした・・。



私は古稀と称せられる70歳を卒業して、9月になれば、
77歳となるが、
私は50代の後半から、私の大切な6人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、
やがて逝去され、幾たびか冥福をしたりしてきた・・。


こうした中、つたない人生航路を歩んだ私は、こうして生きている・・。



このようなことを思い馳せていた時、
『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、
漢詩のひとつが脳裏から舞い降りた・・。         

もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が、
『白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節ある。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の作品から学んだひとつの詩である。

《・・年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・・》

歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節は同じように、花が巡って、さりげなく咲いているが、
この花を観賞できる人は変っている・・。



もとより自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて、人生の無常を詠歎した句であるが、
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩を学びだし、早くも55余年の歳月が流れてしまった。



過ぎし一昨年の2019年、予告もなく私は、
新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と担当医師から宣言され、
結果的に8泊9日の入院となったりした。


こうした中、退院する数日前、担当医師より『労作性狭心症』の状態でした、
と私は教えられたりした。



何かしら心筋(心臓を構成する筋肉)に、
酸素と栄養を送る“冠動脈”の一部が狭窄(きょうさく)する(狭くなる)ことで、
運動中など心筋の酸素必要量が多くなるときに、
一時的に心筋が酸欠状態に陥る病気のことです。

普段は自覚症状がないものの、
階段の上り下りや軽い運動後など心臓のはたらきが活発になる際に、
胸の痛みや締め付け感、吐き気などの症状が引き起こされます。

通常は安静にして心拍数が落ち着けば、数分で症状は落ち着いていきますが、
冠動脈の狭窄が強くなると、このような“胸痛発作”が頻繁に起こるようになります。

そして、最終的には冠動脈が完全に詰まって、
心筋が壊死(えし)する“心筋梗塞”に進行することもあるため、
注意しなければならない病気のひとつです。



冠動脈が狭窄する主な原因は、
高血圧、脂質異常症、糖尿病などの生活習慣病や喫煙習慣などによる動脈硬化であり、
発症した場合は治療とともに生活習慣の改善も必要となります。

このように担当医師から教示され、生活習慣病に私は思いこともあり、
微苦笑をしたりした。



この時に、大学一年の夏季合宿にタバコを喫い始めて、
長年こよなく愛煙者だったが、これを機会にタバコにお別れとなったりした。


何かを断念しなければ生きられないと思い、
65歳の時は糖尿病に遭遇して、お酒は5日毎に1度だけ、
好きな食べ物も程々に、実行して自制してきたりした・・。

そして74歳で、遅ればせながら禁煙かょ・・と苦笑してきた。

このような私の場合は、やっかいな心臓に関して弱点があるので、
ある日、突然にこの世とお別れする事態もあるので、
注意一秒ケガ一生・・と同じようになる。

何かとプラス思考の私は、こうした根底を秘めて、生きている。



世の中は数え年で77歳、満年齢で76歳は『喜寿』と称されているが、
私は9月下旬なれば満77歳となり、『喜寿』の齢は卒業と知り、
コロナの影響で、『喜寿』祝いの旅行も、パスになってしまったょ、と苦笑したりしている。

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緊急事態宣言の解除後、都心の郊外に住む76歳の私、ささやかな願いは・・。

2021-03-19 14:18:34 | ささやかな古稀からの思い


昨夜、政府は18日、新型コロナウイルス感染症対策本部を開き、
東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県に発令している緊急事態宣言に関して、
会見されていた。

1月7日に発令された緊急事態宣言は、
2回の延長を経て約2か月半の21日の期限で
前面解除することを正式に決めた、と報じられていた。

首相は新規感染者数や病床使用率などの指標を挙げて、
「目安とした基準を安定して満たしている」と解除の理由を説明した。


新規感染者数も東京都と埼玉県で微増したものの、低水準で抑えられている。


内閣官房のまとめによると、
17日時点の病床使用率は1都3県全てで40%を下回り、
解除の目安となる「ステージ3」を達成した。


そして菅首相は、決定後の記者会見に於いて、
「リバウンド(感染の再拡大)が懸念されている」と指摘し、
変異したウイルスへの警戒強化や、
再流行の予兆をつかむためのPCR検査の拡充など
五つの対策に全力を挙げる方針を示した。

政府は18日の対策本部で今後の対策として、
〈1〉飲食店対策
〈2〉変異ウイルス対策
〈3〉PCR検査の強化
〈4〉ワクチン接種の推進
〈5〉医療提供体制の充実――の5本柱を決定した。

飲食店対策では、宣言中は1都3県への時短要請を「午後8時まで」としてきたが、
「午後9時まで」に緩和する。

時短には1店舗あたり1日4万円の支援を行う。
事業継続に向けた金融支援策も早急にまとめる方針だ。

年度末は行事に伴う会食が想定されるが、
4人以内にとどめるようSNSなどで呼びかける。

変異ウイルス対策では、陽性者の10%程度が対象だった抽出検査の割合を
40%程度に引き上げる。

全世界からの新規入国の停止措置など
現行の水際対策を当面継続する方針も決めた。
日本人の帰国や外国人の再入国などは、1日2000人程度に絞る。

PCR検査の強化に関しては、
自治体と連携して主要都市で無症状者への検査を集中し、
4月には1日5000件規模に増やす。

首相は「再び宣言を出すことがないように、
五つの対策をしっかりやることが私の責務だ」と強調した。

このようなことを読売新聞オンラインにも報じられて、
私は二度ばかり読み、長らく過ごしていると、
体力の衰えた私は、閉塞感を感じながら、自粛疲れとなっていたので、
長らく待ちわびた朗報かしら、と微苦笑したりしている。



今後の緊急事態の解除された後、やはり感染再拡大が怖くて、

「相手と身体的距離を確保すること」、「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった基本は、

当面として、国民のひとりとして、責務と思ったりしている。

そして世の中は、自粛から自衛の風潮に変貌し、
無力な私でも大切な社会経済の復興を願っているが、
新型コロナウイルスが沈静化するまで、自分の身は自分で守りながら、
程々に自粛生活の延長戦する、と受け止めたりしている。


こうした私なりの思いであるが、私自身のささやかな願いを秘めてきた・・。

私は年金生活を始めて、早や17年生となる身であるが、
こうした中で、私の住む市内にある都立の神代植物公園は、月に2度ぐらい鑑賞して、
季節のうつろいを感じ、深めたりしてきた。

しかし無念ながら、緊急事態宣言の自粛の中、閉園となり、
やむなく神代植物公園の周辺を歩き、今年は3度ばかり歩いたりしてきた・・。







そして早春を彩(いろど)る白梅、紅梅などに、
確かな早春の訪(おとず)れを感じ、微笑んできたが、
やはり平年のように園内で、冬から早春、やがて春までの多彩な花、
 或いは落葉樹の芽吹きなども、心も身も共に感じ受け止めたかった・・。

今回、緊急事態宣言の解除後の22日以降、
私は神代植物公園を訪れて、毎年のように季節のうつろいを享受してきたので、
これからは幾たびに入園できるよなぁ・・と微笑んだりしている。

これからはPCR検査、ワクチン接種を受けて、
やがて新型コロナウイルスが沈静化すれば、マスクから解放される。

こうした時、私たち夫婦は国内旅行に行こう、と話し合ったりしている。
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緊急事態の解除でも、自分の身は自分で守りながら、と自身を叱咤激励して・・。

2021-03-18 14:56:09 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、テレビのニュースを視聴していると、

1都3県の緊急事態宣言、期限の21日で解除方針 菅首相が表明、
と明示されていた。

何かしら、菅義偉首相は17日、
首都圏1都3県に発令中の緊急事態宣言について、
再延長後の期限通り21日で解除する方針を記者団に明らかにした。

この緊急事態宣言は、1月7日の発令から2度の延長を経て、
約2カ月半で全面解除される。

そして東京都などで感染者数が再び増加に転じつつあることには
「リバウンド(感染再拡大)をしっかり防ぐ対策はやっていきたい」、
と強調した。


このような臨時ニュースを視聴して、自粛疲れとなっている私は、
微苦笑したりした・・。




私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。




過ぎし3月5日午後9時半頃、小池都知事も臨時会見を行い、
都民の皆さまへ3つのお願い、公言されていた。

「1つ目、外出自粛。『トコトンステイホーム』を。
週3日、社員6割以上のテレワーク。時差出勤もあります。
いま一度、『トコトンテレワーク』で強化をお願い申し上げます」

 また、花見や歓送迎会などを含め、会食の自粛を呼びかけ、
さらに宣言解除後の措置として、飲食店や劇場、映画館などへの時短要請を段階的に緩和、
22日以降は夜9時までにする・・。

残念ながらこのようなことを公言されも、長引く制約されてきた都民は、
コロナ疲れの中、勘弁してょ・・本音と思われる。

特に人口が密集している都心は、余りにも長き期間、
制約された日常生活に於いては、
殆どの多くの御方は、自粛疲れで、警戒感が薄れても、
やむえないなぁ・・と感じている。



昨年の新春より、世界の誰しもが予期できなかった新型コロナウイルスに伴い、
世界の多くの人が、生死の関わる難題に遭遇して、今日に至っている。


こうした中、昨年の2020年4月7日より5月6日まで、
緊急事態宣言が出されたが、やがて5月25日まで延長されて、
実施されたりしてきた。

この前後も新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、そして
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民のひとりとして、私たち夫婦は確かな責務、と実施したりしてきた。

そして我が家は家内の提案で、マスクは使い捨てと決めたり、
玄関の片隅には消毒液を置き、外出から帰宅後は手を消毒したり、

洗面所など手洗いをしてきた。

しかしながら万一、感染した場合、
感染者の急増で、ただちに入院することを要望しても、
入院先が確保できず、自宅療養を余儀なくされる場合がある、

とテレビのニュースで報じられて、私たち夫婦は動顛したりしてきた。





我が家の家内は、一昨年の5月に大病後、体調は万全でなく、
外出することは通院、美容院に行く程度である。

これ以外の平素の買い物などは私がしてきたので、
私が外出する時ときおり、
『 感染されたら・・私たちはふたりだけなので・・くれぐれも注意して下さい 』、
と私は家内から幾たびも忠告されている。

確かに我が家は子供も、まして孫もいないので、
ふたりだけの家庭であり、ひとりが感染したら、
残された方が看病者となり、困苦するのが予測できる・・。



こうしたことが根底にあり、昨年の2月の新コロナウィルスの烈風以来、
私自身さえ都心に行くことは自粛して、自宅の3キロ範囲を殆ど歩いて、
買い物、散髪屋(理髪店)、散策などをしてきたりした。

やむなく家内が定期検査の通院する時だけは、
私が家内のボディ・ガート兼お供、荷物持ちで、
電車、路線バスを利用している程度となっている。


こうした私は、新型コロナウィルスの感染が怖くて、
気弱な私は、成るべく人出の少ない処を選定して歩いたり、
安全第一の行動をしてきた・・。



そして今年になっても、政府は、感染が急拡大したことを受け
1月8日から東京を中心とした首都圏1都3県を対象に
緊急事態宣言が出されてきた。

その後、2月7日までを期限に大阪、愛知、福岡など7府県が追加されたりしてきた。

しかしながら、この7日で解除となったのは栃木県だけ。
政府は残りの10都府県の宣言は、3月7日まで1か月間延長した。


この後、新規感染者数の減少幅の鈍化や、医療提供体制のひっ迫が指摘された1都3県は
3月7日に解除されず、3月21日まで再延長なってきた。



こうして日中も含めた不要不急の外出自粛を宣言されて、
医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、
屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要な場合を除き、
原則として外出しないこと等を要請されている。

こうした中で、私は我が家の買い物は3日に一度、
病院の通院は4週間に一度、散髪屋(理容店)は3カ月に2回に減少し、
体力の衰えた私は散歩だけは欠かせないので、
人影の少ない処を独りぼっちで歩いたりしている。


こうした生活を長らく過ごしていると、閉塞感を感じ、
私は自粛疲れとなり、今回《・・緊急事態宣言の解除1都3県・・》、
長らく待ちわびた朗報かしら、と微苦笑したりしている。




今後の緊急事態の解除された後、やはり感染再拡大が怖くて、

「相手と身体的距離を確保すること」、「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった基本は、

当面として、国民のひとりとして、責務と思ったりしている。

そして世の中は、自粛から自衛の風潮に変貌し、
無力な私でも大切な社会経済の復興を願っているが、
新型コロナウイルスが沈静化するまで、自分の身は自分で守りながら、
程々に自粛生活の延長戦する、と受け止めたりしている。




やがて早ければ5月下旬にも、政府は全国民への無料のワクチン接種が実施され、
無力な国民の私でも、確かな朗報だよ、と微笑んだりした。


何かしら新型コロナウイルスのワクチンの接種に関して、
国民のすべてに接種が完了するまでは、多事多難が報じられているが、
何とか無事に終えて、やがて終息化になって欲しい、
と無力な国民のひとりの私は懇願したりしている。
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令和時代の防災新常識『よいこ 』、76歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2021-03-17 14:32:20 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン】を見ていたら、
『 防災新常識 標語はよく見る・急いで逃げる・声をかけるの「よいこ 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。

こうした中、 我が家は防災全般に関しては、恥ずかしながら確固たる対策をしていない。



ただ、漠然と思いながら、都心の郊外に住む私は、
東京湾からは、40キロ以上離れた地域であるので、津波からは対象外と思えるし、
豪雨による付近の野川の洪水による災害の場合、高台の住宅街であるので、

対象外と思ったりしている。

しかし地震については、どのような対策をとったら、と思案したりしてきた・・。  

こうした地震については、私たち夫婦が考え始めたのは、
過ぎし年の2011年3月11日の観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、大津波が発生して壊滅的な大惨事となった時からであった。

この後、改めて調布市から住民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。

この当時、たとえ避難所に行けたとしても、緊急救援食料は3日間を過ぎた後と知り、
私たち夫婦は少なくとも3日間は、自助努力で対処しなければならない、 と学んだりしてきた。




このような心情を秘めている私は、
今回の《・・防災新常識 標語は 
よく見る・急いで逃げる・声をかけるの「よいこ」・・》って、
具体的にどのようなことなの、と思いながら、 記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『 女性セブン』の2021年3月25日号に掲載された記事で、
今回の公式サイトの【 NEWSポストセブン】に3月17日に配信され、
無断であるが記事を殆ど転載させて頂く、

《・・災害時は、「よく見る」、「いそいで逃げる」、「声をかける」の
「よいこ」を防災標語として覚えよう。



東日本大震災から10年の時を経た。

日本列島はこれからも、首都直下地震や南海トラフ地震など、
いつ巨大地震が起きてもおかしくないと言われている。

国際災害レスキューナースの辻直美さんはこう語る。
「被災経験を踏まえ、年々防災の常識が変わっています。
常に新しい知識を入れて、いざというときのための対策を練りましょう」
そこで、令和時代の防災新常識をお伝えしよう。

 


◆避難所には、まず入れないと思え!

 「避難所の数は、全国的に足りていません。
さらに新型コロナウイルス対策により、想定収容人数が、これまでの3分の1以下に。

今後は、避難所に入れないことを想定して備えることが大切。
在宅避難だけでなく、親戚や知人宅、ホテルなどの宿泊施設、車中泊避難、
テント泊避難など、避難先の候補を複数用意しておくと安心です」(辻さん・以下同) 



◆キッチンからとにかく離れろ! 

家の中で最も危険な場所は、キッチンだ。

なぜなら、包丁やはさみなど、地震時に凶器となるものが多いからだ。

 「菜箸が飛んできて、体に刺さった話も聞きます。
平時から、重い鍋や刃物は、引き出しにしまっておきましょう。

調理器具を出しっぱなしにする? 見せる収納?は、おしゃれですが、
 防災面ではおすすめできません」


 
◆これからの防災標語は「よ・い・こ」  

かつて学校の避難訓練などで、防災標語として
「おさない」、「かけない」、「しゃべらない」の「おかし」を
習った人も多いと思うが、これはもう古い。 

「私がおすすめするのは、『よく見る』、『いそいで逃げる』、
『声をかける』の『よいこ』。

状況をよく見て、すみやかに、周囲に声をかけながら、
逃げることが大切です」



◆外出時には防災ポーチ持参&こまめにトイレへ  

突然の地震で困ることの1つに、
電車内やエレベーター内などに、長時間閉じ込められることがある。

 「外出時は、こまめにトイレに行く習慣をつけましょう。
特に電車に乗る前は注意。

そしてバッグの中には、水と防災ポーチを常備し、
バッグは常に自分の近くに置くこと。
これらを習慣にすれば安心です」 



◆防災情報は「ツイッター」を活用すべし 

「災害時、情報がいちばん早いのは、ツイッターです。
ただし、デマも飛び交いやすいのは事実。

そこで、内閣府防災、気象庁防災、自治体など、
公的機関のアカウントが発信する情報をフォローしましょう。

また自分が信頼する防災の専門家をフォローし、
平時から防災情報を仕入れて、情報の真偽を見る目を鍛えておくこともおすすめです」 



◆命の期限「72時間」の正しい意味を知ろう 

「人は、飲まず食わずだと72時間(3日)程度しか生きられません。
しかも、震災後3日で電気や水、ガスなどが復旧する可能性も低い。

どれくらいストックすべきか迷ったら、最低3日分は準備を。
生活を立て直すのは、あくまで自分の意思と行動です。

行政などの人任せにしていると、立ち上がりが遅れてしまうので要注意です」
             取材・文/鳥居優美 ・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




今回、鳥居優美さんの取材と寄稿文に導かれて、
令和時代の防災新常識『よいこ 』・・、多々教示させられたりした。

過ぎし2年前の頃、高齢者の防災セットに関して、
介護のプロの佐々木政子(ささき・まさこ)さんの書物に於いて、
いつの日にか介護・要になった時、
特に高齢者のおむつ、ウェットティシュ、杖(つえ)予備などが、必要だ、教えられたりした。




我が家には、ペットボトルの煎茶2リットルを12本を保管しているが、
避難バックとしては、この2リットルの煎茶を程々に持ち出す予定である。

そして用意してある避難バックの中身は、
電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯はふたつ、
電池は予備として4つ、
タオルを4枚、
スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒用として)4枚、
板チョコレートを4枚、
食事代わりのラスク6袋、
現金は百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円。

このように私たち夫婦は、非常食として、乾パン6袋、ラスクの缶詰12個を追加して、
この後は、 お薬手帳を追加してきた。

そして削減したことは、過ぎし5年前に白内障の手術を受けた結果、
近眼だったのでメガネは掛けていたか、不要となり、メガネの予備を避難袋から取り除いたりした。


しかしながら半年前の頃から、文庫本を読む時は、
老眼用のメガネを掛けているので、避難袋に・・。


或いはタバコの長年の愛煙者だった私は、避難袋にタバコ3箱、百円ライターふたつ、携帯灰皿ケース、
避難袋に保存していたが、一昨年の1月に禁煙をして、まもなく避難袋から取り除いたりした。

このような避難袋の中身は少し変貌してきたが、今回も備える品物の手落ちが多いと学び、
避難場で困苦するのは私たち夫婦だ、と思い、近い日にホームセンターなどで、備品を買い求めよう、
と微苦笑したりしている。 




今回、『 避難所には、まず入れないと思え!』、私は学び、
家内と話し合い、対策が必要だ、と思ったりした。

或いは『防災情報は「ツイッター」を活用すべし 』、私は学びながら、
我が家は家内専用の携帯電話しかなく、スマホを所有していない。

やむなく情報格差と思いながら、携帯ラジオで代用させようかしら、と微苦笑をしたりしている。

いずれにしても動顛しても、我が家より非難する時、
その後に避難所に行くにしても、あわてず行うことが肝要だよなぁ・・、
と思い馳せたりしている。

コメント
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