夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の『シャット・ダウン・デー』・・♪

2007-02-28 18:32:00 | 定年後の思い
最近、ネットのニュースと読売新聞などで知ったのだが、
3月24日(土曜日)に於いてコンピューターなど無しで一日が過ごせるか、と言う設問があって、
回答されているニュースを知った。

私はコンピューターに関しては、昭和44年に企業の中途入社のステップとして、
専門学校に1年間学び、
ある企業に入社し、現役時代の50歳ころまでは専門職として務めた。
自宅にパソコンを購入したのは、40歳の前だったが、
会社のコンピューターの開発と運営に忙しく、パソコンは手放した。

1990年までの頃は、会社の汎用コンピューターでオフラインがメインで、
ときおりオンラインを稼動させていた。
従って、専門職と云えども、会社から一歩離れれば、
解放された時代であった。

やはり1995年からパソコンのソフト、そしてネットの環境が飛躍的に向上し、
社会が一新されたと思ったりしている。

定年退職後の三年生の今は、このサイトに投稿したり、
ニュース、地元の天気予報を毎日チェツクしたり、
色々と綴ったりしているので、欠かせないと思ったりしている。

私がパソコンに触れなかった日は、
パソコンが故障し、修理に出している期間、そして旅行などに行っている日に限られる。


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『あざみの歌』の想いで・・♪

2007-02-28 14:35:00 | 定年後の思い
ここ数日、『イヨマンテの夜』、『山のけむり』、
そして『あざみの歌』を唄われた歌手の伊藤久男を聴いたりしている・・。

過日、CD、DVD販売店で買い求めたCDであるが、
《懐かしの歌声名曲集》のシリーズの一環として、
このお方の14曲が収録されている。

日中のひとときに聴いたりすると、遠い昔のことが想いだされる・・。

私が昭和26年の春、小学校に入学した頃は、
盛んにラジオから流れていた。

♪山には山の 愁いあり
 海には海の かなしみや
 ましてこころの 花園に
 咲きしあざみの 花ならば

♪高嶺の百合の それよりも
 秘めたる夢を ひとすじに
 くれない燃ゆる その姿
 あざみに深き わが想い

【 『あざみの歌』  作詞・横井 弘  作曲・八州秀章 】


祖父、父が健在だったので、この頃は程々手広く農業をしていた。
私は兄の2人に続いて生まれたので、
何かしらまた男の子と勝手に感じ取り、
卑屈になり、可愛げのないいじけた幼児であった。
縁側に座ったりする時など、小声で独りで口ずさんでいた・・。

それから数年過ぎ、父に続き祖父も亡くなり、
農家の大黒柱がなくなり、我が家は没落を始めた。
この頃に、母の里のお方2人が来宅した。

母と里といっても、母は里子に出された不遇の人であったが、
このお方達は容姿、言葉づかいに子供心の私さえ、裕福な都会の人と感じ取っていた。
正妻のお方と令嬢の二十歳前後のお方であった。
私はまぶしげに見て、自分の薄汚れた洋服を恥らいながら、少したじろいだりしていた。

この時節、白百合の花が咲いていたので、母に乞いながら、6本の花を切取った。
そして、若き女性に手渡した。

ここ数年、退職後の身となっているので、日中に散歩の折、
陽射しを受けた中、ときおりあざみの花を見かけたりする。
こうした時、私の幼年期の心に戻る時もある。
あの若き気品にみちた令嬢に想いを重ねるときもあったりしている。




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季節が過ぎるとき・・♪

2007-02-28 10:08:00 | 定年後の思い
定年退職後の今の私は、つたない知識しかないので、
現役時代の頃よりも、色々と学んだりしている。
たとえ雑学でも、人生を深く生き、そして多少の自己満足ながらも、やがて死去したいからである。

今朝も『季節』の意味は・・などと調べたりしていた。

知識人・藤野邦夫・氏の著書を読んでいるうちに、『季節の意味』と題し、明示されていた。

無断であるが、転記させて頂きます。


人類は早い時期に太陽の影の長さの変化から、
今でいう一年に相当する期間があることと、
春・夏・秋・冬に当たる大きな区切りがあることを知ることが出来た。
彼等はこの区切りを、農業を中心とする生活の最も重要な基準としたに違いない。

今日、『季節』のことを、英語では『シーズン』といい、
フランス語では『セゾン』とよんでいる。
そして欧米諸国では、ほぼ、これに準ずる言葉が使われてきた。
これらはいずれも、古代ローマの公用語だったラテン語の『サティオ』を語源としており、
サティオとは『種まき』のことなのだ。
つまりシーズンとは、何よりも種をまく時期のことだったのである。
こうしてみると、古代の人達にとって、
種まきがいかに重要な仕事だったかが解かる。

そして、この言葉が、何時しか季節の移り変わりを指すようになった訳だが、
それでは日本語の『季節』とは、どんな意味を持っているのだろうか。

まず、季節の『季』は、『とき』『時期』を意味する文字なのだ。
かっての日本では、一年を四等分して三ヶ月をひとくくりにし、
『一季』『二季』『三季』とよんだことがある。
つまり、一年は『四季』となる訳で、だから『季』には『シーズン』の意味が込められている。

また、季節の『節』の方は、一年の24等分した区切りの名称だったのだ。
つまり『立春』から『大寒』までの24節気がそれに当たり、
そのほか、この文字には『ものごとの区切り』という意味がある。

また『季』と同じ様に、『とき』と『時期』という意味もあり、
更には『気候の変わりめ』という意味も含まれている。

こうして、季節という言葉は、春・夏・秋・冬を指すと同時に、
気候の移り変わりを指す表現になった。

四季の表現を英語でみると、『春』の『スプリング』は、
『水の涌く場所』を意味する古い英語などの『スプリンガウ』が『泉』を指すようになり、
やがて春を意味するようになったのだ。

また『夏』の『サマー』は、『半年』『年』を意味する古い時代の『サマー』などのからでた言葉。

秋の『オータム』は、ラテン語のの秋の『アウトムヌス』がフランス語を通じて入ったものといわれている。

そして『冬』の『ウィンター』は、インド・ヨーロッパ語で『ぬれた』を意味する『ウェド』という語源か、
古アイルランド語の『白い』を指す『フィンド』に由来するとされてきた。

日本語の場合は、
『春』は『桑の若芽のでる日』
『夏』は『太陽が火のように暑い』
『秋』は『実った稲を集めて納める』
『冬』は『水が集まり凍る』『水が凍る寒い季節』
という意味をもつ文字だったのである。

以上、無断であるが、長らく転記させて頂きました。


私は読んでいるうちに、古来の人々は人の営みに欠かせない食べ物の確保として、
種をまき、育て、やがては収穫するサイクルが最も重要と理解できる。

この基本に沿って、人々の生活の営みが行われ、文明が育ち、文化が育(はぐく)まれたと思ったりしている。

今日の日本に於いては、飽食の時代となり、飢餓が死語となり、栄養過多の肥満の心配がときおり耳にする。

食料の季節感はなくなり、私は出来うる限り露地栽培の野菜を愛用していても、
かえって高価となり戸惑ったりしている昨今である。

私は止む得ず、落葉樹の芽吹き、若芽の開き、葉を茂らせ、葉は紅葉、黄色に染められ、
そして落葉し、冬木立といったように季節のうつろいの主軸としている。

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『衣更着』の時節を終えて・・♪

2007-02-28 08:16:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、快晴の朝を迎えているが、ときおり吹く風も肌寒さを感じない陽気となっている。

暦(こよみ)の上では、月末となっているが、
現役時代は2月業績の最終日でそれなりに多忙であったが、
退職後の今は、2月の想いでは、と振り返ったりしている。

古人達は、この2月の時節は寒さが厳しくなり、
更に重ね着をするとので『衣更着』と称していたが、
東京の郊外は平年以上に暖かく、雪や霙(みぞれ)も見られない、
生まれてこの方、初めて過ぎ去った2月であったりした。

私は定年退職後の三年生の身として、
所得税の確定申告したり、温泉滞在旅行5泊6日の旅先の想いでを振り返ったりしている。

奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に滞在したが、周辺を散策したり、
新穂高ロープウェイを利用をし、2100メートルの地点から北アルプスの光景を観たりした。

或いは高山市の往還の時に、雪の舞い降りる中を市内を散策したり、
帰路のバスの車窓から風雪で前方がかすんだり、
こうした情景は心に残ったりしている。

日常の多くは、遊歩道などを散策して、落葉樹の芽吹きが始まりかけた樹に心を寄せたりした。

そして我が家の庭にも、日本水仙が咲き、白梅、しだれ紅梅、藪椿、白玉椿の花を眺め、
早春の香りにつつまれている。

明日から、3月を迎え、桃、桜の花の季節を迎えるが、
私は落葉樹の芽吹き、幼い葉のうつろいを眺めるのが、何よりの心の楽しみである。



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若き頃、勉強をしないと・・♪

2007-02-27 22:58:00 | 定年後の思い
私は定年退職後の三年生の身であるが、
俳句や短歌など詠(よ)むことの素養がなく、人様の詠まれた歌を拝読するに至っている。

音楽も同様で、音符も読めなく、楽器に触れることも出来ないでいる。

ただ、私なりの感性と感覚を頼りに、鑑賞する程度となっている。

ここ数日、嵐山光三郎・著の『悪党芭蕉』を読んでいるが、
俳句の基礎を知らないので、小説、随筆の世界と違い、
感性と感覚だけでは到底理解できない面が露呈している。

先程、庭に下り立ち、月を眺めて、
やはり若き頃、国文学を専攻し、日本の古来の基礎を学んでいないと、
こうした拙(つたな)さがでる、と思ったりしている。

サラリーマンの35年を務めたが、
中世文学に惹かれて、私なりに独学で学んだりしたが、
多少の限界を感じたりしている。

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ときには、自宅で観梅・・♪

2007-02-27 18:58:00 | 定年後の思い
10時過ぎ、家内と共に駅前に出て、家内は歯科医院で治療、
私はコーヒーショップの『ドトール』で嵐山光三郎・著の『悪党芭蕉』を読み耽っていたが、
俳諧にも素養が無いので私なりに手こずりながら読んだりしている。

帰路、家内と買物に寄った後、帰宅した。
3時過ぎに、主庭も午後の陽射しがさんさんと照らしていた。

白梅、しだれ紅梅、白玉椿、藪椿が満開なので、
異例としてビールを呑みながら、スーパーで買い求めた品で軽食とした。

『春のおとずれ』と題されたたらの芽と姫竹の天ぷら、
そして何時もの砂肝のから揚げを頂いた。

東京の郊外では、たらの芽、姫竹などの山菜の新鮮な品は、手に入らないので、
こうした天ぷらにした品でごまかしている現状である。

私は原則として、日中はお酒を呑まないが、
梅の花びらが余りにも美しいので、特に天ぷらであり、ビールとした。

程々の庭を観ながら、家内とたわいない話をした後、
眠くなったので布団にもぐりこんだ・・。

春のような陽気の中、遊歩道を散策後、自宅で早春の花を観ながら、
日中ビールなどを呑みながら過ごせるのは後どのくらいの年かしら、
とも思ったりしている。

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『千の風になって』・・♪

2007-02-27 08:49:00 | 定年後の思い
昨日、偶然にCD、DVD販売店で『あざみの歌』、『山のけむり』、
そして『イヨマンテの夜』で知られている歌手・伊藤久男のアルバムと共に、
新井 満の『千の風になって ~再生~』のアルバムを購入した。

私は遅ればせながら、『千の風になって』は今年の1月にテノール歌手の秋川雅史・氏の唄声で知った。
何かNHKの『紅白歌合戦』に出演されて話題になったらしい・・。

その後、本屋で偶然に、
『千の風にいやされて』(講談社)を手に取り、購入した。
この本は監修・新井 満・氏、著作・佐保美恵子・女史で、
副題として、【あとに残された人々は、悲しみをどうのりこえたか】で、
著作者が11人のお方達をインタビューし、
この後の残された人々の涙を越えた後の心境を真摯に綴られた作品である。

そして新井 満・氏が原詩を知り、どのような思いで日本詩にし、そして音楽にされた心境を綴られていた。
そして、ヒストリー、関連作品紹介などがあったので、全般として理解できた。

その後、私は数多くの歌い手の『千の風になって』を聴いた限り、
やはり新井 満・氏の唄が最も好まれた・・。

昨日、購入したアルバム購入した、解説には次のようなメッセージが綴られていた。

無断であるが、何より心の良心が綴られているので、転記させて頂きます。


    【大切な人を亡くされたあなたへ】

『千の風になって』という歌を発表して以来、たくさんのお手紙をいただきました。
「歌を聴いて涙が止まりません。
でも思い切り泣いたあと気持ちが楽になり、
悲しみが癒されました」
「葬式の時にこの歌を流したら、故人との絆が復活したような気がしました。
ありがとうございました」
そのようなお手紙を寄せてくださった方々のために、このアルバムは作られました。
《あっ、あの人が歌っている・・・》そう思って聴いてみてください。
懐かしいその歌声に、その呟きに耳をかたむけてみてください。

「私は、自分の人生を、私なりに生きてきた。だから後悔は、ない。
人生の最期に贈る言葉はただ一つ、
君に逢えて良かったということ。
どうか私が死んだからといって泣かないでほしい。
千の風になってあの大空を吹きわたりながら、
君のことをいつも見守っているよ・・・」

            ☆

いのちとは、永遠に不滅なのです。死とは、再生することなのです。
私は祈りたいと思います。
旅立ったあの人には、来世への希望を。
あとに残されたあなたには、悲しみをこえて生きる勇気を。

     (2004年春  新井 満)


以上、無断であるが、転記させて頂きました。
尚、勝手ながら、原文より改行を多くさせて頂きました。

私はこの頃は、定年退職の半年前であったが、
音楽関係の会社に勤めながらも、うかつにもこのアルバムが発売されていたことは無知であった。

昨夜、偶然にもNHKの定時番組【クローズアップ現代】に於いて、
『《千の風》5000通に託す思い』と題され放映されていた。

出演者として新井 満・氏が、
死とは再生するということを知ったのは・・
この言葉に私は深く、心の集約として印象に残った。



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どうして、昔の歌は美しいの・・♪

2007-02-26 18:11:00 | 定年後の思い
私は歌謡曲は苦手なほうであるが、小学生の頃にラジオから聴いた歌は、
ときたま聴いたりしている。

日中、CD、DVD販売店で洋画の映画を探していたが残念ながらなかったので、
音楽コーナーに行き、以前から欲しかった伊藤久男のCDアルバムを購入した。

『イヨマンテの夜』、『あざみの歌』、『山のけむり』等を聴きたかったのである・・。

先程、二回ばかり聴いたりした。


♪山には山の 愁いあり
 海には海の かなしみや

【あざみの歌  作詞・横井 浩】


♪山のけむりの ほのぼのと
 たゆとう森よ あの道よ

【山のけむり  作詞・大倉芳郎】


こうした歌を改めて聴くと、歌詞の美しさが際立っている。
こうした日本古来からの詩情の叙情性に、ときには涙ぐむ時もある。

小学生の時からよく聴いた感傷かと想いかえしたが、
私なりに日本人のひとりとして、心を揺すぶられる情緒が歴然として、歌詞やメロディーが秘められている。

『イヨマンテの夜』は、小学校に入学前、ラジオから聴こえ、
なんてすごい歌なの、と幼児なりに感銘した歌であった。

余談であるが、昨年の秋、知床半島の自然観察道を独りで散策したり、
阿寒湖の湖畔を人気のいない処を独りで歩いていた時、
この歌を熊避(よ)けの為に、拙(つたな)い声を挙げて、唄ったりした・・。


♪熊祭り(イヨマンテ)
 燃えろ かがり美

【イヨマンテの夜  作詞・菊田一夫】


私の音痴の唄が周囲に響きわたり、
熊は普段見られない人が突然に自分達の住む地域に来たので、
私の容姿に驚いたのか、
或いは聴くに堪えない歌声なのか、
私達はお互いに逢いたくないので、遭遇しなかった。



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春めき、和(なご)やかなる時・・♪

2007-02-26 15:01:00 | 定年後の思い
9時過ぎに家内が、
『今日も散歩に出かけますか?』
と私に訊(き)いた。

『散歩しないと・・心身によくないから、出かけようと思っている』
と私は言った。

『じゃあ・・お願い・・』
と家内は少し遠いスーパーのチラシを私に渡した。

日用雑貨の特売品に丸印がマジックで記されていた。

『任(まか)しといて・・』
と私は明るく言った。

私は11時過ぎに、川沿いの遊歩道を歩いた。
快晴の中、陽射しも暖かく、ときおり微風が吹く程度であり、
散策に最適な陽気である。

実は私には下心があった。
家内のいうスーパーには、大きな本屋とCD、DVD販売店があるので、
ある映画の作品を探していた。

デビット・リーン監督の『ドクトル・ジバコ』である。
私はこの監督の作品は、『逢びき』、『旅情』、『戦場にかける橋』、『アラピアのロレンス』、
そして『ドクトル・ジバコ』、『ライアンの娘』、『インドへの道』を観ている。

『ドクトル・ジバコ』に関しては、WOWOWで放映された時にビデオで収画していた。
この時に生憎と3時間用のビデオテープを切らしていたので、止む得ず2時間用のテープで3倍速録画した。

再生してみたけれど、本編は70ミリの大作なので、
画面は少しチラつくし、奥行きが感じられなかった。

こうした理由から、『逢びき』に次いで好きな作品であったので、
DVDの販売品がここ数日、欲しくなり探し求めていた。

CD、DVDの販売店で探したけれど、
結果としてはなく、音楽コーナーで少し変わった作品を購入した。

ひとつのアルバムは、伊藤久男の『イヨマンテの夜』(日本コロムビア)であり、
【懐かしの歌声名曲集】と明示されていた。
私は『あざみの歌』、『山のけむり』と同様に『イヨマンテの夜』が好きなので購入した。

もうひとつのアルバムは、新井 満の『千の風になって ~再生~』(ポニー・キャニオン)であった。
私は一月より、遅ればせながら『千の風になって』を知り、
本を読んだり、数多くの歌手を聴いたりしたが、
この方の歌声に最も魅了されている。
この他に収録された曲として『故郷(ふるさと)』、『川の流れのように』等があるので、
どのように歌い上げるか、楽しみのひとつである。

私は古い人なので昨今の音楽配信は苦手であり、
こうしたカタログのアルバムを買い求めたりしている。
こうしたカタログ商品は、歌詞もさることながら、
歌への思いのメッセージが表示されていることが多く、好感している。


独断と偏見、そして屈折の多い私は、本や音楽、映画など選定する時は、
ときおり想像を遥かに超え、本日はこうしたアルバムの2枚を購入したりしている。



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早春の香りにつつまれると・・♪

2007-02-26 08:19:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、ここ数日は早朝は零度近く、
日中は晴れ間となり、夜の9時過ぎには5度前後の寒さを迎えている。

私はやっと平年並みかしら、と思ったりしている。

今朝も快晴の朝を迎え、日中は12度前後の春めいた陽気となり、
陽射しのぬくもりが感じられ、穏(おだ)やか日中となる。

今週の半(なか)ばで、2月も終えて、3月の春色の時節を迎える。

私は退職後の三年生の身であるが、時の流れが早く感じられ、
過ぎ去った旅行先のことを想いだしたり、或いは散策の時の早くも落葉樹の1部で芽吹きはじまり、
こうした情景に心を寄せている。

私がこうして綴っていながら、主庭を眺めると、白梅、しだれ紅梅、藪椿、白玉椿が満開の花びらを見せ、
地上には日本水仙が咲き乱れている。

金木犀の枝葉にも朝の陽射しを受けて、葉がきらめいている・・。

こうした中にいると、社会の喧騒も忘れ、節度のない政官の1部のお方達の薄汚い言動も彼方に消える・・。

早春に香りにつつまれていると、確かに心の浄化作用をもたらしてくれる。



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漁火(いさりび)は、遠くに・・!?

2007-02-25 18:06:00 | 定年後の思い
私は昨夕から、ネットでひとつのニュースを読んで、気にな?E㎠い燭蠅靴討い?E?br>
昨夕、産経新聞の配信ニュースに於いて、

【 兵庫で?E?E團㎤砲粒亜奸|殘痢屬い気?E弌廛團鵐繊 ?br>
と見出しさ?E∋廚?E叉Ⅶ鮴再匹靴拭?br>
無断であ?E♤△海稜杰㌦Ⅶ鯏承④気擦督困④泙后?br>

冬の味覚・松葉ガニで知ら?E討い?E叱妨①λ棉瑤竜┐里Δ繊?br>?E?E悗疋㎤傍鮃圓辰討い覆っ殘諭Φ閥荏塙腓♤?br>深?E文綏兌堝颪貿困泙気?E討い?E?br>かって北前船の寄港地として栄えた竹愉牀では、
伝統的に夏のイカ漁が盛んだが、最年少の?E筏佞錬毅浦个離戰謄薀鵑如?br>ここ10年ほど新しく漁師にな?E佑發い覆ぁ?br>同漁協は『このまま高齢化が進めば、竹愉姓らいさ?E个辰┐?E?br>と旗僉感を募らせてい?E?br>
?E楹い北未垢?E⒀棉瑤砲蓮┐泙弔△?E?br>このうち四漁協では、高値で売?E?E祥侫♠砲垢鵑乃佞里覆?E蠅眈覆覆い♤?br>イカ漁が中心の竹愉緲・漁協では、?E筏佞虜杷垢♡沓杭弌∈杷錬毅浦弌?br>更に組合員約300人の約3分の2が会社員などとの兼業漁師で、
ここ10年間は加入者もいないという。

最年少の永田兼彦さんは、漁師歴約30年のベテラン。
最盛?E稜錬隠娃娃伊?E澎幣紊△辰燭♤?br>昨年は過魚崘悪の約500?E澆僕噌鵑澄?br>3代続く漁師?E箸世辰燭♤?br>『今は魚価が低く、燃料代も高騰しており、
漁に出?E曚廟峪砲覆?E?br>会社員の方が安定した収入があ?E?br>として、2人の息子には跡を継がせないつもりだという。

竹愉牀は江戸時代に北前船の寄港地として栄え、
近畿有数の竹愉緲・海水浴?E貿嵬鵤械伊?E佑☝♢?E?E覆鼻?br>歴史と観光の街として知ら?E討い?E?br>地元でも、漁業と接点のない子供が増えてい?E箸いΑ?br>
竹愉緲・漁協では、後継者育成の為、
地元の中学生への漁業体験など取?E箸鵑任い?E♤?br>石田孝?Eα塙臘垢蓮?br>『漁師の真似事では、就業に?E咾弔㎠此△發呂簑任勅蠅♢覆ぁ?br>このままだと竹愉昔漁業が?E爐垢?E?br>と頭を抱えてい?E?br>
以上、配信記事の全文であ?E?br>

私は漁業は、農業、林業と同様に自然と格闘す?E㎰?E燭こ箙腓鳳い董?br>収入の少ない状況に昨今はおか?E討い?E?br>
かつて、美しい森林に囲ま?E董¬據∧董⊂鯆困①?br>魚としてアジ、イ?E掘▲縫轡鵝△修靴謄ぅ㎠覆匹梁臀圧鮨④戮燭蠅靴拭?br>
単な?EこΨ从僂涼罎如縮姪Ⅳ文┐了?E世㎠薜?EⅣ妨㎠?E弌?br>採算が合?E覆い箸いΩ充造函?br>古来からの美しい?E椶琉飮箸料?EΔ寮榲世㎠い世擦覆董?br>大いにイラついてい?E笋♢い?E?br>
無力な私は、旅行先でその折々に偶然観た数多くの漁火(いさりび)が心に残ってい?E?br>



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駅前に出れば・・♪

2007-02-25 14:40:00 | 定年後の思い
家内は洗濯、掃除、料理をしているので、私は駅前まで歩いて、買物がてら散策をしてきた。

CD、DVDの販売店で音楽と映画の作品を見たりしたが、
これといって興味は薄くなったので、本屋に寄った。
今、私は過日買い求めた嵐山光三郎・著の『悪党芭蕉』(新潮社)を読んでいる最中なので、
読み終わった後の本を探した。

新刊本のコーナーを見たが、興味が惹かれる本はなく、
止む得ず塩野七生・女史の『ローマ人の物語』の文庫本を手に取った・・。

この作品に関しては、単行本として最近完結し、15巻前後の作品であるが、
不幸にして十数年前に最初に発刊されたのを知らず、
一昨年の秋に知ったわけである。

完結編が出来たら全ての一時期に読んでしまおうとした作品であったので、
何となく今日まで延ばしきっていたのである。

遅ればせながら、文庫本であるが、第一巻~第五巻を購入した。

この後は現時点だと文庫本は第28巻まで発刊されて折、
最終的に何巻か解からないが、少しずつ読んでみようと思ったりしている。

帰路、早春の花を眺めながら歩いて帰宅した。

ときには、このようにまとまりつかない日もある。

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早春の快晴の朝を迎えて・・♪

2007-02-25 08:10:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、早朝は零度近くになり、快晴の中でうっすらと霜が主庭に見られる。

私はやっと平年並みの気温となり、庭に下り立ち早春の花を眺めたりした。

昨年の秋より暖かな季節が過ぎて、今年の冬は雪や霙(みぞれ)が見られなく、
暖冬の日々が続き、心身におもわしくないと思ったりした。

こうして2月の下旬に相応しい寒さの中、白梅、しだれ紅梅、藪椿、白玉椿が満開となり、
日本水仙の花につつまれて心充たされている。

その時節に応じた寒さと凛とした花の彩(いろど)りが心に良く、身体にも良いと実感している。

日中は6度前後となり、この時節の散策に相応しいと思っている。

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芭蕉に対する労苦の果ての集大成・・♪

2007-02-24 17:36:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、晴れ間の中、昼過ぎから風が強く吹いている。

昼食後、過日購入した嵐山光三郎・著の『悪党芭蕉』(新潮社)を読み始めた。

この作者には、料理本に関した著作を除き、ある程度の作品を読んでいるが、
ここ5年、この方の力量と労作には圧倒され、まず敬服してしまう。

今回の芭蕉に関しても過去に色々と公表されてきて折、
ときには自転車で『奥のほそ道』を季節、道程を辿(たど)り、東北の各地を廻ったと風聞をすると
まぎれなく今回の作品は集大成かしらと思い読みはじめた・・。

読み始めて、その時代を思い浮かべながら1時間ほどで、
少し眠り込んだ・・。

著作者が芭蕉と門弟の2人を相手に話し込んでいる夢を見たりした・・。

目覚めた後、少しぼんやりとした状態で、煎茶を淹れた後、
白梅の満開の花を眺めたりした。

芭蕉に対しては、国文の専門の数多くの学者より、
嵐山光三郎・氏の芭蕉に、少なくとも数10年の労苦の果てに飛躍した発想が案外真理を見極めている、
と少し揺れる花びらを見詰め、思い返している。

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されど、お地蔵(じぞう)さん・・♪

2007-02-24 11:12:00 | 定年後の思い
先程、古い暦(こよみ)を見ていたら、毎月の24日は、『地蔵の縁日』と明記されていた。

私は定年退職後の三年生の身であるが、神社仏閣には心を寄せないが、
ときおり旅の時、散策の折など地蔵さんにめぐりあったりしている。

こうした折は何気なくに手を合わせて、黙礼をしてしまう。

こうした思いでいるので、由来などを調べたりした。

幸いに、知識人の藤野邦夫・氏が明確に述べられている。

無断であるが、転記をさせて頂きます。


・・お地蔵さんとは、正しくは『地蔵菩薩』のことであり、
『地蔵』とは【大地を母胎とするもの】という意味の古代インドのサンスクリット語『クシティ・ガルバ』に由来する。
また『菩薩』とは、最高の悟(さと)りを開いた仏になろうと修行している女性のことで、
地蔵の場合は、仏につぐ高い地位にある存在とされている。

つまり、お地蔵さんは生命を生みだして育てる大地のような菩薩であり、
日本に地蔵信仰が導入されたのは、はるか奈良時代(8世紀)のことだった。
しかし、広く庶民の間に地蔵信仰が広がって、民間信仰となったのは、
平安時代(9~12世紀)から中世(13~15世紀)にかけてのこと。
それに反映して、日本には100種類以上の地蔵がある。

出産と子育てだけでみても『子育て地蔵』『子安地蔵』『夜泣き地蔵』『乳もらい地蔵』があり、
このほか『いぼとり地蔵』『とげぬき地蔵』『雨降り地蔵』や、
農村部にある『田植え地蔵』などが知られている。

道端や橋のたもとに、今も残る石の地蔵をみると、
かっての日本人にとって、いかに苦しみを救ってくれる存在だったかが解かる。

以上、転記させて頂きました。

日本の各地では、昭和30年の初めの頃までは、日々の生活に貧困と飢えあえいでいた多くの人々がいた。
日照りの時は雨乞い、わが乳児が無事に育つような願いなどを託して、
心の救済として、その地なりにお地蔵さんが祭られただろう、
と想ったりしている。

過日、家内と長野県・白馬村を散策した時、
田んぼの外れの道端にひなびた小さな神社があり、
入り口の横に地蔵の三体が置かれていた・・。
人気もない冬の柔らかい陽射しを受けていたが、
私達は思わず手を合わせた。

飢餓がなくなった現在、お地蔵さんは日本人から少しづつ忘れていくのだろうか、
と帰路のあぜ道を歩きながら私は思ったりした。



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