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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

認知症にならないために必要な5つのポイント、私は学び、了解致しました、と呟(つぶや)きながらも・・。

2016-11-30 15:29:30 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住む年金生活13年生の72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している『NIKKEI STYLE』を見たりしていた中、
【 認知症を防ぐには 「歩きながら計算」で頭の体操 】
と題された私は見たりした。

私は年金生活を丸12年を過ごしてきた中で、認知症などの大病になれば、
自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、どういうことなの、と思いながら精読してしまった・・。

こうした中で、『認知症にならないために必要な5つのポイント』が掲げられて、
これこそ私の残こされた晩秋期の鑑(かがみ)だ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。


この記事の原文は、日本経済新聞の『プラスワン』で2016年2月18日に掲載された記事のひとつであり、
ライターの荒川直樹が綴られた記事で、無断であるが記事は転載、図表の一部は転記させて頂く。

《・・たび重なる物忘れに、もしかしたら認知症の始まりでは、と悩んでいる中高年は多いのではないだろうか。
認知症にならない、病気を食い止める生活とは? 

認知症「予備軍」といわれる軽度認知障害(MCI)の時期から、進ませないためのケアも始まっている。
海外の調査研究で、「皮肉屋」ほど認知症リスクが高いことも分かってきた。

2013年に厚生労働省が発表した調査結果では、65歳以上の認知症の人は約15%にあたる462万人。
これに、記憶障害などがあるが日常生活には問題ないといった、MCIの診断を受けた400万人を加えると862万人。
4人に1人は、何らかの認知機能低下があるという計算になる。
             

☆発症を遅らせる

MCIのまま放置すると約5~7年で、その半数ほどが認知症に進行するともいわれる。
MCIの人はもちろん、今は健康な中高年の認知機能低下を防ぎ、
将来の認知症発症を遅らせることが、より大切になっている。

厚労省の調査の代表研究者を務めた東京医科歯科大学医学部脳統合機能研究センターの朝田隆特任教授は
「たとえ2年でも症状を遅らせることができれば、患者自身が豊かな生活を送る時間が増えるだけでなく、
介護や医療費の負担を減らすことにもなる」と話す。

ちなみに「患者のピークは85~89歳。
働き盛りから発症する若年性認知症は5%」だという。

認知機能は、どうすれば維持することができるのだろうか。
以前から「編み物など手を使う作業がいい」
「きちょうめんな人は認知症になりやすく、おおらかな人はなりにくい」などという通説はあった。

ただ、残念ながら科学的な裏付けのあるものは少ない。

朝田特任教授は、「認知症予防に効果があるのは、運動の習慣化、認知機能向上のために考案された課題をする教育(脳トレ)。
食事による十分な栄養や社会性、睡眠などだ」と世界の研究成果を分析した結果を話す。
これらのアプローチが「総合的に組み合わさることで効果をあげている」(朝田特任教授)。
             

☆仲間と一緒に

MCIの人のためのデイケアプログラムを実施する施設も登場している。
オリーブクリニックお茶の水(東京・文京)では、
筋力トレーニング、認知トレーニング、芸術などのプログラムを組み合わせている。

「MCIへの効果について、科学的な裏付けがある方法として、
多くの施設で導入が始まっているのが、デュアルタスク(2重の課題)」(山本三幸院長)という。

国立長寿医療研究センターなどが研究を進めてきたもので、
頭と体の課題など2つのことを同時に行うエクササイズだ。

歩きながら計算するというふうに、何か体を動かす作業をしながら、頭を使うことがポイントになる。

こうしたケアをグループで行うこと自体にも意味がある。
認知症の進行には、患者の社会性が関わっている可能性があるからだ。

2014年にフィンランドで報告されたリポートでは、
他人に対して否定的に考える皮肉屋の人ほど、認知症になりやすいという結果が出た。

高齢者1449人に設問に答えてもらうテストを実施。
「出世するために、皆ウソをついている」「人は信頼できない」といった、
他人に対して否定的な項目に同意した人は、そうでない人より認知症であるリスクが3倍も高かったという。

両者の差の原因について「社会性を持つということが、重要であるといえるのではないか」
と朝田特任教授。

皮肉屋の人は、否定的になるあまり、人とうまくいかなくなり、孤独な感情が強い可能性がある。
             

また、MCI患者は家族から「また同じことを言う」「こんなこともできないのか」などと否定され、
現状に不安を感じたり、孤独になったりする。

デイケアで同じレベルの人と話し、行動を共にすることが脳をリラックスさせ、症状の改善にもつながるという。

実はこういったMCIの患者のためのプログラムは、健康な人の認知症予防にも使えるという。

朝田特任教授は「ほとんどの認知症は、加齢性の疾患で、若い頃からの生活習慣の積み重ねで起こると考えられる」
と指摘。

脳卒中や心筋梗塞を予防するために、運動や食事で肥満改善や血圧管理を心掛けるように、
「日ごろの生活に認知症予防のためのデュアルタスクを加えてみては」と話す。

また、「ある集団を調査した結果、学歴が高いほど認知症になりにくいことが分かった。
知的探求心が旺盛なことが関係すると考えられている」(朝田特任教授)。
様々なことに興味を持つのも、予防法になりそうだ。
             

☆「できない」-->「困った」が脳を活性化

オリーブクリニックお茶の水の約2時間のデイケアに参加してみた。

記憶トレーニングや「ながら動作」に挑戦する。
手始めは、膝の上に手を置き、左手は前後に、右手は握って上下に動かすといったもの。

なんとかこなせていたが、次第に左手は上下に、右手で宙に数字を1から5まで描くという難題になる。
途中で手を交代すると、もうついていけない。

悩んでしまったが、トレーナーによると「できる」ことが大切なのではなく、
できずに「困った」「どうすればいい」
と思うときに脳は活性化するのだそうだ。

参加者同士、和気あいあいと楽しくできるのも、会話が増え、脳によさそうだ。・・》
             

こうした記事の中、図表として『認知症にならないために必要な5つのポイント』が表示され、
転記させて頂ければ、下記の通りとなっている。

『認知症にならないために必要な5つのポイント』

①運動
    予防で最も必要とされる。
    少なくとも2日に一回は、30分以上の散策を。

②社会性
    1.気軽に話せる友人を持ち「人の役に立っている」という自信を持つ。

    2.皮肉屋にならない。
      <==研究レポート『東フィンランド大、2014年に、1449人(平均年齢・71歳)を調査。
      「人は利己的な関心でしか動かない」、「誰も信じられない」
      と強く信じている人は、そうでない人の3倍、認知症になりやすい。

③教育(脳のトレーニング)
    「認知力」、「記憶力」の向上に役立つ教材などを活用したり、プログラムに参加したりする。

④食事
    ビタミンA、C、Eを含む緑黄色野菜、ドコサキサエン(DHA)を含む魚介類などを積極的に取る。

⑤睡眠
    質のよい眠りを。
    睡眠不足にならない。


このような5つのポイントを幾たびも、呟(つぶや)くように私は読んだりした・・。
             

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を尊重している。

平素の私の午前中は、年金生活を始めて以来、 平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、独りで殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

そして最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は、徒歩で15分である。

或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は、徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

このような処で、私の生家も近く私は結婚前後の5年を除き、67年この地に住んでいる。
           
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
                                
そして帰宅後も、再び独りで自宅から3キロ以内の住宅街、遊歩道、公園をひたすら歩き廻ったりした。
こうした根底には、やはり健康寿命を維持するには、歩くことが何よりの源(みなもと)と信愛している。
             

こうした中で、私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
            
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
             

今回の特に『認知症にならないために必要な5つのポイント』を読み終わった後、
そうですよねぇ・・了解致しました、と呟(つぶや)きながら言ったりした・・。

しかしながら、②社会性に於いて、
《・・気軽に話せる友人・・》は確か4人しか浮かばないが、
果たして《・・人の役に立っている・・》かは、はなはだ疑問であり、苦笑してしまった。

或いは③教育(脳のトレーニング)については、
《・・「認知力」、「記憶力」の向上に役立つ教材などを活用したり、プログラムに参加したりする。・・》関して、
私は現役サラリーマン時代、中小業で団体チームブレーに35年近く奮戦してきたので、
せめて年金生活の中で、団体行動は勘弁してほしいと思ったりしている身の為、
共同ボランティア、歩こう会などは、私は苦手となり、殆ど無理と思われる。
             

これ以外の『運動』、『食事』、『睡眠』に関しては、
定年後の年金生活を過ごしてきた中、健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩き、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体の三種の神器として思い過ごしてきた。

これに関しただけは、素直に、ハ~イ、了解致しました、と若き自衛官に負けないように大きな声で明言できるが、
社会性、教育の面は、落第生かしら、と微苦笑したりしている。

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「おしっこの回数」と寿命の関係、老ボーイの私は真摯に学び、恥ずかしながら微苦笑して・・。

2016-11-29 15:41:22 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住む年金生活の72歳の身であるが、
昨夜、ときおり毎日新聞の公式ネットの中で『医療プレミア』を見たりしている中、
【「おしっこの回数」と寿命の関係 】見出しを見たりした。

私は体力が衰え高齢者の為か、恥ずかしながら『おしっこ』をする回数は多いと思え、
こっそりと記事を精読してしまった・・。

この記事は順天堂大学教授・泌尿器科医の堀江重郎さんが、連載寄稿されている記事と解り、
前編、後編を11月3日に配信されていて、無断ながら転載させて頂く。

《・・本当は怖い頻尿の話【前編】

さわやかな秋となりました。食欲の秋、運動の秋。勉学の秋でもありますね。
というわけで今回は、肌寒くなってきた秋らしい話題として「おしっこの回数」について考えてみます。
たかが尿の回数、と侮ってはいけません。寿命や健康に大きく関わっているのです。
             

朝晩は冷えるこのごろ、「どうもおしっこが近くて」とか、
「就寝中にトイレに起きるようになった」という方が、外来に多く来られます。

そもそも日本人は就寝中(夜中)に何回トイレに行くのでしょう? 
統計を見ると50歳以上の方の過半数は、夜中に1回はトイレに行きます。

だから、夜中1回というのは、中年以上では「標準的」と言えますね。
私たち泌尿器科医は、夜中に3回以上トイレに起きるのを「夜間頻尿」と呼んでいます。
頻尿とは、トイレの回数が頻回であることの医学用語です。

夜中1、2回起きるだけでも眠りが中断されて、翌日ぼんやりしてしまいます。
3回ともなると、大変つらい。

では、この夜間頻尿の方はどのくらいいるのか−−というと、
70代の男性で30%くらい、女性では15%くらいでしょうか。
多くの人が悩まされているのです。
             

☆高齢者の夜間頻尿は寿命に関係する

「おしっこの回数が多いのは不便だけれど、老眼と同じで体に悪いわけではないでしょう」
と思われた方もいるかもしれませんね。
ところが、夜中のトイレの回数は、高齢者の方では、寿命に関係するのです!

北欧での有名な研究で、高齢者の集団を4年間追跡したところ、
夜間頻尿の方はそうでない方よりも、なんと2倍多く亡くなっていた、という衝撃的な結果があります。
つまり、夜中にトイレに行く回数が少ないほうが、長生きするということになります。

また、高齢の方が夜中に何度も起きて、トイレに行くようになると、
転倒して骨折する危険性が高くなることが知られています。

高齢者の骨折は、肺炎など重篤な状態に陥りやすいです。
だから、夜間頻尿の方は治療をするメリットが十分にあります。
「年のせい」と言わずに、「転ばぬ先のつえ」と考えて、ぜひ泌尿器科医にご相談ください。
             

☆夜間頻尿は病気のサイン

一方、若い方ではというと、「睡眠時無呼吸症候群」との関連が注目されています。
眠っている間に呼吸が止まる病気です。

いびきが大きく、30代なのに必ず夜中にトイレに行く、という方は、睡眠時無呼吸症候群の可能性があります。
さらに、夜間頻尿は他の重大な病気のサインであることも。

夜中のトイレは、日中よりも尿量が少ないのが普通です。
しかし糖尿病、心臓病、腎臓病があると、夜中の尿の回数のみならず、尿量が多くなってきます。


・・・・本当は怖い尿の話・後編

何気なく尿意を感じて何気なく終わる排尿ですが、「正常」な排尿は、

<1>尿が十分にたまる
<2>尿がスムーズに出る
という二つの要素から成り立っています(当たり前ですよね)。


「楽しくない排尿」

では、尿意を急に感じたり、人より回数が多かったり、夜中にトイレに起きてしまったり、排尿に時間がかかる・・
言わば「正常でない」排尿はどうでしょうか。

<1>尿が十分にたまらないうちに尿意がある(尿が近い、間に合わない気がする)
<2>尿の出方が悪い(尿が細い、おなかに力を入れないと出ない、残尿感がある)
ということになります。
専門的には「排尿障害」と呼びます。排尿が楽しくない状況です。
             

☆動脈硬化、ストレス、気温の変化で感じやすくなる尿意

まずは、尿が十分にたまらないうちに尿意がある、ということについて考えてみましょう。
尿のたまり具合は、膀胱(ぼうこう)のやわらかさと、尿意を感じる神経に影響されます。

尿意は基本的には、膀胱の中の圧力を感受しています。
膀胱は筋肉の袋ですので、軟らかいと、尿が十分(おおむね150ccくらいたまるまで、
中の圧力は高くならず、尿意は感じません。

一方、膀胱が硬くなってくると、ちょっと尿がたまっただけで圧力が高くなり、尿意を感じてしまいます。

最近の私たちの研究で、この膀胱の硬さは、膀胱の血液の流れと関係があることが分かりました。
心臓も脳も、血液の流れが悪くなると心筋梗塞(こうそく)、脳梗塞といった重大な病気になります。

膀胱も、動脈硬化によって血液の流れが悪くなると、尿が近くなるのです。
また、糖尿病で血液の流れと、神経の伝導が悪くなると、
神経が過敏になって、尿意を感じやすくなります。

さらに、尿意を感じやすくする要因があります。
それは、ストレスです。
             

学生時代「あと5分で試験が終わるのに、問題がたくさん残っている・・」という時、
泣きたい気持ちと同時に、強烈な尿意を感じた記憶はないでしょうか? 

人間は強いストレスを感じると、交感神経という自律神経が働きます。
この交感神経は、尿意を感じさせると同時に、膀胱の尿の出口と尿管を締めてしまいます。

排尿には大変マイナスに作用する神経です。
最近トイレで起きるようになった、という方は身近なストレスがないかを考える必要があります。

交感神経は、興奮したり、怒ったり、心配したり、という大きな感情の動きだけでなく、
車の運転や人混みを歩くこと、スマートフォンやパソコンを見ること、
そしてなんと寒いところにいることでも活性化します。

気温の変化にも、敏感に応答するのです。
だから、秋が深まってきて、肌寒くなった夜にトイレに行く回数が増えたとしたら、
それは交感神経のせいかもしれません。

夜間頻尿の方は、布団を厚くして、部屋の温度を保っておくことでも治療効果があります。
             

☆交感神経を抑え、一酸化窒素を増やそう

次に、尿の出方が悪い、ということを考えてみましょう。
ここで関係するのも、まずは、先ほどの交感神経です。

先ほど、交感神経は尿の出口を締める作用があると言いました。
駅や会社のトイレで、「隣の人は早く終わったのに、なんだか緊張すればするほど、尿が出ない」ということがありませんか? 

また、前立腺の肥大で交感神経が発達したり、血圧の上昇で交感神経の勢いが強くなったりすることでも、
尿がスムーズに出にくくなります。

このため、男性で「尿が出にくい」「時間がかかる」「尿の間隔が近い(頻尿)」という方には、
交感神経の尿の出口を締める働きをストップする、「α1阻害薬」というお薬が処方されます。

逆に、尿の出口を緩める作用があるのが一酸化窒素(NO)という物質です。
一酸化窒素(NO)は、血管や神経でアルギニンというアミノ酸から作られるガス(気体)で、
全身の平滑筋を緩める重要な作用があります。
体内の一酸化窒素(NO)が減ってしまうと、「緩み」のない体となってしまいます。

実は、生活習慣病と呼ばれる高血圧、糖尿病、動脈硬化症、
さらにはうつ病、そして排尿障害では、すべてこの一酸化窒素(NO)が減ることが分かっています。

一酸化窒素(NO)が減る原因は、大きく二つあります。
活性酸素による酸化と、糖化です。
いわゆる“老化”ですね。

活性酸素は、カロリー過多の食事、喫煙、紫外線、放射線により増えます。
糖化は、高血糖、高果糖、揚げ物など「茶色い」食べ物の過剰で起きてきます。

交感神経を抑えて、一酸化窒素(NO)を増やすのに有効なのが運動です。
最近の報告では、15分の早歩き程度、つまり汗ばみ心拍が上がる程度の運動でも、効果があると言われています。
ストレッチや、ゆっくり入浴することも交感神経を抑えてくれます。
             

☆最近トイレが近い人のためのアンチエイジング3カ条

<1>食欲の秋、ですが腹7分目に。野菜と果物をたくさん取って、揚げ物のような茶色い食べ物、パンやごはんのような白い食べ物は控えめに。

<2>運動の秋、週1回の運動だけでなく、毎日15分の早歩き。ストレッチ。汗をかくこと

<3>芸術の秋、心を豊かにしてストレスを減らす。そしてスマホ、パソコンは就寝前には見ないで、ゆっくり入浴。

勉学の秋、おしっこのメカニズムも深いです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
平素の私は、近くお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗を三つに、煎茶を淹れて、
そしてコーヒー・スップにインスタント・コーヒーを淹れて、愛飲している。

この時節、こうした煎茶、インスタント・コーヒーを呑んだりしていると、
一時間半ごとにトイレに行き、オシッコをしたりしている。

私は年金生活を始めて当初から、平素の買物に関して、
家内から依頼された品を求めて、最寄のスーパーか、
ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている買物メール老ボーイの身であるが、
家を出る直前に、恥ずかしながらトイレに行き、オシッコをしたりしている。

買物の責務を終えた後は、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩いたりしている。

こうした根底には、歩きながら観える景観に良いし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。

何よりも歩けなくなった時は、もとより自由な時が制約され、何よりも困苦するのは自身だ、
と秘めながら殆ど毎日のように歩いている。
            
こうした時は紳士バックを園児のように真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
           
こうした中で、一時間半ぐらい歩く間、水分補給は十二分にしているが、
小公園などのトイレに行き、オシッコをしたりしている。
             

いつもように煎茶、インスタント・コーヒーを呑んだりした後、
月に一度ペースで散髪屋(理容店)に行っているが、ときには待合室で数名ほど待機している御方がいると、
困苦してしまう。

私の順番が来て、散髪などを完了するまで、二時間半になってしまう時もあったりして、
オシッコをしたい体調となるのである。

私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味のひとつである。
駅から路線バスで2時間以上乗車する時、
或いは宿泊先から送迎車が駅前から2時間以上乗車する場合、私は事前に飲物を節制して、対処したりしている。

しかしながら私は、一度だけ失敗したことがある。

札幌の郊外にある観光ホテルに滞在旅行をしていた中で、
駅前より観光周遊バスを利用して周辺を観光めぐりしていた時であった。

日中に温泉旅館に寄り、私は風呂に上がった後、館内の食事処で軽食と共に瓶ビールを2本ビール呑んだりし、
帰路は2時間半コースであった。

行きは途中でトイレ休憩があったが、乗車してまもなく、何かしらノンストップと知り、
私は一時間少し過ぎた頃、千歳空港ターミナルビルが見えて、
恥ずかしながらトイレに行きたい、とガイドさんに懇願したりした。

やがて私はバスに戻り、車内に同乗した御方たちに、大きな声でお詫び言葉を重ねたりした・・。
             

しかしながら、私は布団にもぐり寝ている間は、トイレに行き、オシッコをすることはない。
そして睡眠に関しては、現役時代のサラリーマン時代には、ストレスがあったりしたが、
年金生活をすると悩みも激少し、たとえ震度3ぐらいでも目覚めることなく、少なくとも6時半は連続熟睡している。

家内は、月に数度ぐらい夜中に一度だけトイレに行ったわ、と私は聞いたりしてきた。

作家の『江分利満氏の優雅な生活』、長らく週刊新潮に連載された『男性自身』などの山口瞳(やまぐち・ひとみ)さんは、
私は愛読者のひとりであったが、1995年(平成7年)夏に確か69歳で病死されたが、
数多いエッセイの中で、真夜中にオシッコに通われて、毎夜『正』の字で回数を確認された、
と私は学んだりしてきた。

そして私は、寝ている時に、オシッコで目覚めて大変だなぁ、と思いながら、読んだりしてきた。

このように私は、日中の平素は煎茶、インスタント・コーヒーを幾たびも愛飲して、
一時間半ごとにトイレに行き、オシッコをしたりしているが、美味しい飲物を頂き、
そして水分補給も充たされているだから、やむえないよねぇ、と呟(つぶや)いたりしている。

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風邪をひくのは睡眠中 免疫低下に加湿&安眠で対抗、老ボーイの私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2016-11-28 14:42:17 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住む年金生活13年生の72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している『NIKKEI STYLE』を見たりしていた中、
【 風邪をひくのは睡眠中 免疫低下に加湿&安眠で対抗 】
と題された私は見たりした。

ここ4年前の頃から、風邪をひくのは健康の源(みなもと)の天敵だ、と思いながら、
近くの内科専門医院で、インフルエンザ予防接種をしたりしてきたので、
どうして《風邪をひくのは睡眠中》なのょ、思いながら記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、『日経Gooday』の2015年11月26日に掲載された記事で、
ライターの伊藤和弘さんが、睡眠評価研究機構代表・白川修一郎(しらかわ・しゅういちろう)さんにインタビューされ、
纏(まと)められ、改めて今回『NIKKEI STYLE』が11月28日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・風邪をひくのは睡眠中 免疫低下に加湿&安眠で対抗

11月も後半となり、いよいよ空気が冷たくなってきた。
これからの季節、気をつけたいのが、風邪やインフルエンザだ。

対策の基本は「うがいと手洗い」。
帰宅したとき、手やのどについたウイルスを洗い流すことが、大切なことは誰もが知っているだろう。
しかし、それに加え、予防の上では睡眠中のケアが、非常に大切なことを知っている人は、あまりいないのではないだろうか。
             

☆風邪は眠っているときにひきやすい

「風邪は眠っている間に、ひくことが圧倒的に多いんです」と、
睡眠評価研究機構の白川修一郎代表は指摘する。

言われてみれば、朝の起床直後に「なんか、のどが痛いな」「熱っぽい」「だるい」と、
風邪をひいたことを自覚するケースが多い。

それは決して、気のせいではないという。
睡眠中は体の免疫力が落ちるために、風邪をひきやすいからなのだ。

「睡眠中は免疫機能の中心的役割を担うマクロファージなどの免疫細胞も活発に働けないし、
唾液の分泌も少なくなります。

鼻やのどの粘膜が乾くとウイルスに対する抵抗力が落ちる。
口で呼吸している人は、特にのどの粘膜が乾きやすいのです」と白川代表。

唾液の分泌が多い昼間は、粘膜の防御力も強く、
口に入ったウイルスは、飲み込んで胃酸によって殺してしまうので、増殖できない。

しかし睡眠中は乾いた粘膜にウイルスが貼りつき、増殖しやすいというわけだ。
では、睡眠中に風邪をひかないようにするには、どうしたらいいのだろう。
白川代表に具体的なテクニックを聞いた。
             

☆基本は保湿! ハウスダスト対策も忘れずに

1. 部屋の保湿

もっとも有効な対策は“保湿”だ。
日中に加湿器を使う人が多いが、風邪をひかないためには、寝室にこそ保湿機を設置しよう。

「湿度が低く、空気が乾燥していると、風邪のウイルスも乾いて軽くなる。
空中に浮遊して、鼻や口に入りやすくなるのです。
また、湿度を50%以上に保つと、ウイルスの95%は活動できなくなります」と白川代表は説明する。

2. 顔の周りの保湿

マスクを着けて寝ると、呼気に含まれる水分によって、口腔内の湿度を高く保つことができる。
特に保湿しやすいガーゼのマスクがお勧めだ。

実際、アナウンサーや声優など、のどを大切にしている「声のプロ」は、マスクを着けて寝る人が多いという。
最近は、睡眠中に顔の周りの湿度を50%以上に保つ小型保湿機が販売されている。
マスクを着けて眠るのに抵抗がある人は、利用するといいだろう。

3. 空気清浄機を使う

花粉症対策と同じく、睡眠中に空気清浄機を使うのも有効だ。
完全にとはいかないが、部屋の中にいるウイルスをかなり除去することができる。

4. ハウスダストを減らす

汚れた寝具を使っていると、睡眠中に風邪をひきやすい。
体内の免疫細胞がダニやホコリなどの対応に追われて、風邪のウイルスにまで手が回らなくなるためだ。

寝具からダニやホコリを取り除くには、まめに掃除機をかけることが大切になる。
天気のいい日は布団を干したくなるが、
「日光ではダニは十分に殺せず、風邪の予防には、ほとんど効果がありません。
布団乾燥機を使うほうがいい」と白川代表は助言する。
             

☆睡眠の質と量が悪いと免疫力が落ちる

これらの対策に加えて、「もっとも重要なのは良好な睡眠を取ること」と白川代表。

多くの研究から、睡眠の質や量が低下すると、免疫力も落ちてしまうことが分かっている。

例えば5万6953人の女性を対象に、睡眠時間と風邪をこじらせ、肺炎になるリスクの関係を調べた調査がある。

睡眠時間が8時間の人に比べて、5時間以下の人は1.39倍、9時間以上の人は1.38倍、肺炎になるリスクが高いことが分かった。

短いのはもちろん、長く眠りすぎてもいけないわけだ。
白川代表は「長く眠りすぎると、多くは中途覚醒や浅い睡眠が増えて、睡眠の質が悪くなるため」と説明する。

また、米国で153人の鼻粘膜に風邪のウイルス(ライノウイルス)を付着させ、
2週間で何人が発症するかを調べたユニークな実験も行われている。

ここでは睡眠の量(時間)よりも質を重視した。

中途覚醒が睡眠時間の2%以下と安定して眠れた人たちは、7人に1人しか発症しなかったが、
中途覚醒が8%以上の「よく眠れない人たち」は2人に1人が発症。
2%以下の人たちに比べて、5.2倍も発症する危険率が高かったのだ。

「風邪をひいたら寝て治すのが一番」といわれたりするが、
しっかりと寝ることは、風邪の予防のためにも大切なのである。
風邪のウイルスを撃退するためにも、睡眠の質と量をキープして免疫力を高めよう!・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった直後、風邪を回避する対策は、免疫低下に加湿&安眠で対抗することに、
色々あるなぁ、と微苦笑をしてしまった・・。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私は風邪をひいて、病院で治療、そして薬を頂いたことはない。
私は風邪気味だなぁ、と感じた時に、平素より早めに布団にもぐり、寝てしまうことで、
風邪をひくことは回避してきた。

しかしながら現役サラリーマンで奮闘している中、睡眠不足が続く時、
一年に一度ぐらいは風邪をひいてしまうことがあったりした。

鼻水が酷(ひど)い中、ティシュー・ペーパーは友となり、熱も上がり、
やむなく勤務先の近く病院で治療、そして薬を頂いたりして、やがて一週間後に回復したりしてきた。

年金生活をしていると、いつでも寝たい時は寝ることが出来る最大のボーナスであり、
私は深夜まで読書を居間でしたりしていると、翌日の昼下がり、寝室で昼寝をする時もある。

この時節、敷き布団の上に電気毛布をセットさせて、布団にもぐれば暖かく、
この世で一番幸せな時を甘受したりしてきた。
             

我が家の寝室は、二階の和室六畳でエアコンは設置しているが、熱い季節は冷気で涼しくしているが、
寒い季節は、空気が乾燥するので暖房はしていない。

この季節は、敷き布団を二枚敷き、そしてこの上に電気毛布をセットさせて、シーツを敷き、
毛布と掛布団となっている。

そして私の住む地域は、二月の最も寒い時節、たとえ雪が降った時でも、
ここ10数年は外気はマイナス数度ぐらいだったので、
このような室内の寝室でも、寒さを感じたことはなかったりした。

私たち夫婦は、雪が舞い降る冬の旅が好きで、昨今はどこの宿泊先でも、部屋のエアコンの温度調節はあるが、
過ぎし10年前に北東北に古びた観光ホテルに宿泊した時、
全館暖房している中、布団が敷かれた部屋も、十二分に暖房がされて、
翌日に家内は風邪をひいて、家内は困苦した苦い体験もあったりした。

そして旅先で宿泊する時は、暖房の乾気が私は怖くて、平素より煎茶などを多めに飲んだりしている。


私の平素の睡眠に関しては、現役時代のサラリーマン時代には、ストレスがあったりしたが、
年金生活をすると悩みも激少し、たとえ震度3ぐらいでも目覚めることなく、少なくとも6時半は連続熟睡している。
             

今回、風邪をひくのは睡眠中が多く、免疫低下に加湿&安眠で対抗策、
そしてを睡眠の量(時間)よりも質、多々を学んだりした。

風邪は古来より万病の源(みなもと)と伝えられてきて、特に高齢者は風邪から肺炎になると、
生死にかかわる場合もある、と私は聞いたりしてきたので、油断せずに風邪には注意しょうと、改めて感じたりした。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩き、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、過ごしている。

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現役漫才師の94歳の内海桂子さんの夕食、72歳の私は学び、恐れ入りました、と降参して・・。

2016-11-27 13:35:32 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 傘寿の食卓 内海桂子「1合の晩酌を欠かさず」減塩も気にしない? 】
と見出しを見てしまった。

私は傘寿(さんじゅ)は80歳を越えたご高齢の御方ぐらいは知っているけれど、
こうした御方が「1合の晩酌を欠かさず」減塩も気にしない?、と公言されていたことに、
何かと好奇心の強い私は、精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊朝日』2016年12月2日号に掲載された記事のひとつであり、
そして【dot.(ドット)】に11月26日に配信されていて、無断ながら転載させて頂く。

《・・傘寿の食卓 内海桂子「1合の晩酌を欠かさず」減塩も気にしない?〈週刊朝日〉

超高齢化社会が到来したいま、健康寿命を延ばすことに注目が集まっている。
食生活は健康の基本。
80を超えてもなお、各方面で活躍し続ける有名人の食卓から、秘訣を探った。

「桂子師匠」として幅広い世代から親しまれる、現役漫才師の内海桂子さん。
94歳になった今も、月に8回は舞台に立つ。
             

「私ら芸人は、外へ出るとみなさんが、それはよくしてくださる。
おかげさまで戦時中も、慰問で三味線を弾いていたので、食べ物には困らなかった。
出してもらう食事は何でもありがたい。
家でも外でも、好き嫌いなんて生意気なことは言いませんよ」(内海さん)

家では、夫の成田常也さんが食事の支度をする。
夕食は、夜7時ごろ。
取材した日は、ご飯、ワカメの吸い物、カボチャの煮つけ、金時豆、みそのしそ巻き、野菜の塩もみ、
サラダ、焼き魚(サケ)と、バラエティーに富んだ献立だった。

表舞台に立ち続けるため、さぞかし食事には、神経を使っているかと思えば、意外な答えが返ってきた。

「実は、7割がた買ってきたお総菜ですけどね。
お吸い物も即席ですよ」(成田さん)

毎日少なくとも7、8品は並ぶが、決して豪勢なものではないという。
近所に5軒ほど行きつけのスーパーがある。

「それぞれの店に、お気に入りのお総菜がある。1週間まかなえちゃう」(同)
普通の店に並ぶお総菜なので、年配の人向けにと食材を、ことさら細かく刻むことも、
軟らかく煮ることもしていない。

私、入れ歯は4本だけ。あとは全部、自分の歯ですよ。お煎餅も大好き」
と内海さんが言えば、

成田さんもこう話す。
「江戸っ子なもので、しっかりした味付けじゃないと嫌みたいで。減塩なんて気にしてません」

それでいて血圧も正常、どこも具合の悪いところはないのだという。
             

「サラダも野菜だけじゃだめなんですよ。お肉を炒めたものや、ハムを散らしたりなんかすると喜びます」(成田さん)

そして、欠かせないのが、日本酒だという。
「お酒は常温。毎日いただきます。
でもね、この人に、1合までって決められちゃってて。
それ以上は飲ませてくれないのよ」(内海さん)

ぼやく内海さんの隣で、成田さんはほほ笑んでいる。

「浅草には、私と同世代のお客さんも、まだまだいらっしゃいますからね。
こっちも老け込んでなんぞ、いられませんよ」(同)

日本酒をさしつ、さされつする二人の姿は、おしどり夫婦そのもの。
当初は24歳の年の差婚と騒がれたが、今年で結婚17年を迎えた。
健康の秘訣は夫婦で囲む食卓なのかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であるが、
食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

昼食は私はホット・コーヒーか煎茶を飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

そして昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
                                                               
やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。
             

しかしながら私は、お酒に関しては5日に一回ぐらい飲んだりしている。

私は民間の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で直ちに年金生活に入り、現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

こうした中で、純米酒の辛口が好きの私は、晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだりした。

ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
リストラ烈風の中、最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした・・。

この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。
                            
  
やがて2008年(平成20年)の秋に健康診断を受診した後、肥満体と診断され、
まもなく市の斡旋の『メタボの研修』を受講した後、少し節制したりした。

こうした中、日常生活は散策と買物ぐらいの運動不足、その後の猛暑でエアコンの冷風の中で昼寝も多くなり、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。

私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。

このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

この間、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。
                                   

こうした中、私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。

かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、過ぎている・・。

このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会の時は例外として、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となった。

この後、国内旅行で家内と共に、各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
         
やむえなく糖分の多い日本酒、ビールとお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックとし、
弱くなったので、少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととして、
5日に一度ぐらい自宅で呑んだりしているのが現状となっている。
                           
こうした中、過ぎし40代前後に弐合徳利、ぐい呑むを幾種類も買い求めて、
晩酌の時に、今宵はどの弐合徳利にしようかしら、と選定しながら夜の友のひとりとしてきたが、
今やガラス戸の棚に、ひっそりと鎮座していることも、忘れていることが多くなっている。

このように過ぎゆく人生は、無念ながら何かしら断念することもあり、
ささやかな年金生活を継続を望むなら、私の場合は愛飲していた日本酒となったりしている。
             

今回、現役漫才師の94歳の内海桂子さんの夕食を私は学び、
「1合の晩酌を欠かさず」ご健在と知り、恐れ入りました、と降参したりしている。

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公的年金、運用益2.3兆円=株高で3期ぶり黒字、何かと単細胞の年金生活の私は、微笑みながら・・。

2016-11-26 14:18:48 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読している時事通信社の公式サイトの【時事ドットコムニュース】を見ていたら、
【公的年金、運用益2.3兆円=株高で3期ぶり黒字-7~9月】
と題された見出しを見て、何かと単細胞の年金生活の私は、微笑みながら記事を読んだりした。

《・・公的年金、運用益2.3兆円=株高で3期ぶり黒字-7~9月

公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は25日、
2016年7~9月期に2兆3746億円の運用益(黒字)を計上したと発表した。

株高で保有株の評価益が膨らんだ。
黒字は15年10~12月期以来3四半期ぶり。
公的年金の自主運用が始まった2001年度からの累計で見れば、42兆5644億円の運用益を計上している。

7~9月期の運用損益の主な資産別内訳は、国内株が2兆234億円の黒字、外国株が1兆455億円の黒字。
政府の経済対策への期待や英国の欧州連合(EU)離脱への過度な懸念の後退から、内外の株式が値上がりした。

一方、国債利回りは上昇(価格は下落)したため、国内債券は6671億円の赤字。外国債券も398億円の赤字だった。
(2016/11/25-16:39)・・》

このような記事を読んだりした後、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が公表している
『市場運用開始(平成13年度)からの収益額と収益率の推移』を見て、安堵を重ねたりした。
http://www.gpif.go.jp/operation/archive.html

              

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。


過ぎし10月29日、一昨夜に続き、マネーコンサルタント、経済の専門家と知られる神樹兵輔(かみき・へいすけ)さんが、
【『縮小ニッポン国』のサバイバル突破思考!】と連載記事を寄稿されている記事を読んだりした。

こうした中、【 夫婦2人で月19万円の年金、半分以下に削減か・・受給開始年齢も75歳へ引き上げも 】
と連載記事を読み終わった後、溜息を重ねたりし、やがて震撼させられた・・。

特に思案させられた代表的なことは、現行の厚生年金平均受給額は夫婦で19万円であるが、
約10年後の2025年には、団塊世代(敗戦直後の1947~49年生まれ、約700万人)の全員が、
すべて75歳以上の後期高齢者となり、そして65歳以上高齢者の人口比率が、現在の27%から30%へ増加し
社会保障費の総額は、膨張する。

こうした中で、年金制度は莫大な負担に耐えきれず、やがて現行の年金平均水準は、やむなく5割以下の給付水準に
ならざるを得ない状況になる。

私は年金で年金生活の基盤とし、不足分はやむなく程ほどの貯金を下ろして、
生活しているので、肝要な基盤が崩れて、生活が困窮すると震撼させられたりした・・。
                          

この記事は、『Business Journal』に於いて、2016年8月15日に配信されていたが、
無断ながら記事の一部を転載させて頂く。

《・・
☆社会保障体制の崩壊の構図

あと約10年で、まず年金積立金が、底を突き始めます。

2015年9月時点で135兆円あった年金積立金(過去の余剰分)は、すでに毎年6~7兆円が取り崩され、
株式の運用損もあり、今後またさらに負けが込み、急速に減少していきます。
先進国は、いずれも戦後成長の限界に達し、経済停滞は常態化する兆候をみせているからです。

年金受給年齢も、現行の65歳以降から70歳、75歳以降へと繰り延べされるか、
現行受給額の半分以下の水準へと、急減せざるを得なくなるでしょう。
日本人のほとんどが、満足な貯蓄額もないまま、「老後貧困」地獄に陥る恐れがあります。
            
年金受給者の半数が60歳以上ですが、現行の1人世帯で10万円弱、夫婦2人世帯で20万円弱の支給額も、
今後貧困者の激増が予想されますから、給付額は減らさざるを得ず、
現行水準の半分程度にまで圧縮される、との見通しも多いです。

いずれにしろ約10年後の2025年には、団塊世代(敗戦直後の1947~49年生まれ、約700万人)の全員が、
すべて75歳以上の後期高齢者となり、そして65歳以上高齢者の人口比率が、現在の27%から30%へ増加し、
社会保障費の総額は、現在の110兆円から150兆円規模になると推計されています。

なかでも年金制度は、莫大な負担に耐えきれず、現行の厚生年金平均受給額は夫婦で19万円ですが、
将来的には5割以下の給付水準にならざるを得ないのです。

現役世代と65歳以上の高齢者世代の人口バランスが崩れれば、社会保障制度は、機能不全に陥ります。
子供の数は減る一方なのに、待機児童問題は一向に解決しないまま、
ただひたすら「少子高齢化・人口減少問題」は、放置され続け、もはや「手遅れ状態」となっています。

日本人の平均寿命は男性80歳、女性87歳ですが、健康寿命は男性71歳、女性74歳です。
つまり、男性80歳、女性87歳時点で、半数が死亡し、
男性71歳、女性74歳時点で、半数が介護を必要とする状態になる可能性が高いということです。

民間の有料老人ホーム施設に入るとなると、リーズナブルな施設の平均でも毎月1人分で25万円程度かかります。
年金を1人で25万円分も受給できる人は、今でも少ないですが、今後はもっと少なくなっていき、
こうした民間の有料老人ホームですら、ビジネスモデルが成り立たなくなる可能性もあります。・・》
              

このような記事を読み終わった直後、私は溜息を重ねたりした・・。

私は何かと甘ちゃんの為か、年金でも見直しされるたびに数パーセント減額されると思い、
2025年を過ぎた頃は、年金は現行水準よりは最悪の場合は、20%ぐらい削減されると覚悟もあったりしたが、
まさか50%前後削減は勘弁してほしい、と思ったりしている。

もとより経済が活性化して、躍進すれば社会保障費の多少なりとも吸収できると私は、期待してきたひとりである。

しかしながらファイナンシャルプランナー、エコノミストの中原圭介(なかはら・けいすけ)さんが、
『ダイヤモンド・オンライン 』に寄稿された【先進国で経済政策や金融政策が期待できないわけとは?】を読み、
無力な私でも、悲嘆したりした。

この中の一部に『2%の成長率は「低成長」ではない! 』と強く私は学んだりした。

《・・インフラがある程度整っている先進国が、インフラ投資をしても、経済効率はかつてほど高まりませんし、
ありとあらゆるモノがあり溢れている昨今では、消費そのものが劇的に伸びるのは、不可能だと思われます。

そういった意味では、米国経済は低成長に甘んじているといわれて久しいですが、
それでも近年2%台の成長をしているのは、凄いことであると考えています。

経済メディアは、米国の2%台の成長を「低成長」と評価し、否定的な見方を披瀝していることが多いのですが、
そもそも近年の2%台の成長率と住宅バブル期の4%台の成長率を比較すること自体が、ナンセンスです。

2007年までの住宅バブル時は、米国民が住宅を担保に無理な借金を重ねて、過剰な消費を繰り返していたのです。
借金に過度に依存した成長率を、通常の成長率と取り違えて論評していることが、
根本的な認識の誤りにつながっているわけです。

同じような認識の誤りは、2%台のインフレを目指すという日銀の金融政策にも当てはまります。

グローバル経済下では、先進国で実質的な所得が、伸びにくい状況になっているのに加えて、
日本でバブル真っ盛りだった1980年代後半でも、物価上昇率は1%台後半であり、
この時期には、企業が無謀ともいえる借金をして設備投資や土地・株式への投資をしていたため、
成長率だけでなく物価上昇率までもが、嵩上げされていたことを考えると、
いまの日本で2%台のインフレを目指す必要はありません。

経済メディアのなかで著名な経済学者たちが、間違った認識を垂れ流すことによって、
多くの人々がそれを常識として捉えてしまっています。

こういった現状を変えることができなければ、
米国や欧州、日本などで、まともな経済政策や金融政策が実行されることは期待できないでしょう。・・》
              

このような経済実態を私は多々教示され、世界の先進国と共に日本経済は堅実に躍進することが、
肝要だ、思ったりした。

こうした中で、日本の高齢者は、年金にしても独り独りが微減する程度で、社会保障制度が維持され、
とプラス思考の私は願ったりしてきた。

今回、こうした公的年金の運用に関して、一喜一憂することは論外であるが、
今期は株高の影響に伴い、3期ぶり運用益2.3兆円は、
確かな希望ある灯台のような光明のある一歩かしら、と私は微笑んだりした。

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謝罪、依頼、お断り・・言いにくいことを切り出す時の「とっておきの一言」、遅ればせながら私は学び、微苦笑して・・。

2016-11-25 16:03:53 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している『NIKKEI STYLE』を見たりしていた中、
【「謝罪、依頼、お断り・・言いにくいことを切り出す時の「とっておきの一言」】
と題された私は見たりした。

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
            
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
            
しかしながら、肝要な人前での挨拶などは、緊張して言葉がとっさに言えないこともあり、
幾たびか冷や汗をかいたりしてきた・・。

遅ればせながら私は学びたく、精読してしまった・・。
            

この記事は、「臼井流最高の話し方」を上梓された臼井由妃さんの一部を、
『NIKKEI STYLE』が11月24日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・謝罪、依頼、お断り・・言いにくいことを切り出す時の「とっておきの一言」

☆伝えたいけどどうしよう?

自分の気持ちをうまく伝えられずに、苦い経験をしたことがありませんか? 
それが相手の間違いを指摘したり、頼み事や断ることならば、
「伝えたいが、どうしよう?」と、あなたの心は右往左往しているかもしれません。

積極的で行動力もあるという方でも、
「こんなことを口にしたら、嫌われるかもしれない」
「上司の間違いを指摘したら、あとが怖い」などと考えがちです。

ですが、気持ちを言葉にするのは、自然なこと。
それが相手にとって好ましくない情報であっても、伝えなければ、後に大きなトラブルが生じることもあります。

まずは、伝えたいという心をおさえこむ必要はないと捉えましょう。
そうでないと、喜びや楽しさなどの「プラスの気持ち」もうまく伝えられなくなります。

「喜怒哀楽」の感情がない人の話ほど、退屈なものはありません。
そうなれば、あなたの話に耳を傾けてくれる人はいなくなります。
感情は、素直に出していいのです。

ただし、誤解を生じさせない話し方やトラブルが起きてしまったときに、
的確に対処する方法を知っておくこと。
そんなあなたならば、誰とも円満な人間関係が構築できます。
            

☆人間関係の「消化不良」を起こさないために

頼みごとをする、反論やクレームを伝える、誘いを断るなど。
自分から相手に切り出すのは、苦手な方が多いものです。

そして、言いにくいことを伝えようとすると、
「え~と、あの・・」「実は、その・・」「どうしようかな?」などと、
誰しも前置きが長くなり、なかなか本題に触れませんから、相手はイラついてきます。

その様を目にすれば、ますます口ごもり
「やめておきます」
「後にします」などと、発言を控えてしまう。

こういう状況は人間関係の「消化不良」。
あなただけでなく相手にとっても、気持ちが悪い以外の何物でもありません。

言いにくいことも、切り出しのひと言を知っておけば大丈夫。問
題なく、本題を伝えられます。
ここで私が日ごろ活用している言いにくいことを伝える時の「切り出しのひと言」を紹介します。
            

☆言いにくいことを伝える時の「切り出しの一言」

1.たいへん申しあげにくいのですが

自分から相手の間違いや勘違い、クレームなどを切り出すときに使います。
このひと言には、「今伝えなくては問題が生じかねない」「だから伝えるのです」というニュアンスが、あります。

それに「たいへん申しあげにくいのですが」と切り出せば、
相手は真剣に聞く姿勢になりますから、後に続く本題を誤って解釈することもなくなります。


2.失礼かとは思いますが

さりげなく相手をフォローするひと言です。
また「出過ぎたまねとは思いますが」というフレーズもよいでしょう。

一方、「あなたのためなのだから」とか「心配しているのだから」と切り出せば、
恩着せがましさに嫌気がさしてきます。

こういうたぐいの言葉は、上から目線の印象を拭えない「レッドカード」です。
言いにくいことを伝える時には、相手の立場を尊重することが欠かせません。
            

3.私の勘違いかもしれませんが

明らかに相手が間違った言動をしていたとしても、
ストレートに「それは違う」「おかしい」と言われたら、気分を害するでしょう。

そこは一歩退いて、「私の勘違いかもしれませんが」と切り出してから、
「○○ではなくて△△ではないでしょうか?」
あるいは「○○ではないように、聞いていますが?」とお伺いをたてます。

「私の勘違いかもしれませんが」というフレーズには、さりげないですが反論のニュアンスがあります。
相手は冷静に考えることができ、面目も保てますから人間関係に問題が生じることもありません。
            

☆断る時は、相手を自分だと思ってこの一言を使おう

1.よく考えさせていただいたのですが

断る際の基本は、「引き延ばし作戦」をしないことですが、
その場で断るのは気が引けたり、仕事の案件ならば上司の決裁も必要でしょう。
保留することもあります。

そういう場合は、次にお会いしたり電話で答えを伝える際に世間話などしないで、
「(先日の件ですが)よく考えさせていただいたのですが」と、切り出してから断る理由を示しましょう。

その際、「時間がない」や「忙しいから」は、断る理由にはなりません。
誰もが時間に追われ仕事に追われているのですから。

同じ意味でも、「スケジュールの調整がどうしてもできない」
「きちんとした仕事をしたいので(今回は遠慮したい)」と伝えれば、相手は納得します。


2.ほかのことでしたら、お役に立てると思いますが

自分にとって負担が大きい、相手の期待に応える自信がないというような依頼を断るときに使うとよいでしょう。
断りながらも、相手への気遣いが示せるフレーズです。

ただし、相手から「それならば、何ができますか?」と質問を受けることを想定して、
答えを用意しておきましょう。

たとえば、講演会の司会を頼まれて断ったのならば、受付を手伝う。
プロジェクトの立ち上げの出資を頼まれて断ったのならば、発足後に何かを手伝う。
そんな腹積もりでいればいいでしょう。

決して自分から申し出ないのが鉄則です。


3.お役に立てず残念ですが

本当に残念な表情で口にしましょう。
相手の思いを大切にしながら断るフレーズですから、思いが表情からも伝わらなくては、社交辞令になってしまいます。
            


☆トラブルには、話し合いにつながる「一言」を伝えよう

1.ご指摘いただかなければ気づきませんでした

悪気はないのに、人を不快にさせたり、間違った行動をしてしまうことはあります。
相手から指摘されたら、たとえきつい物言いであっても、
「ご指摘いただかなければ気づきませんでした」と謙虚に伝えましょう。

人間関係を保つためには、怒っている相手のペースにはまらないことです。


2.教えていただきありがとうございます

誰しも人に意見や忠告をするのは、嫌なものです。
それをきちんと教えてくれたのですから、「教えていただきありがとうございます」と伝えましょう。

まずは、受け止めることが大切です。
そうはいっても、言い分がある場合には、「ただ、私としてはこう思うのですが」というように伝えるとよいです。


3.言い過ぎました、ごめんなさい

仲直りしたい、関係を修復したいという気持ちがこもった一言です。
こう伝えられたら、相手の怒りも収まります。
「こちらこそ、ごめんなさい」と、返ってくるはずです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私はあるレコード会社の管理畑の商品、情報、経理、そして営業畑などに30年近く勤めた後、
やがて最後の5年半は、リストラ烈風の中、各レコード会社が音楽商品のCD、DVD等を委託している物流センターに出向となり、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。

このようにつたないサラリーマン航路を歩んだが、殆ど本社勤める中、
社内会議、或いは業界内の会議をしたりし、セールスマンの経験なかった為か、
謝罪、依頼、お断り等は体験が少なかったりした。

恥ずかしながら今回、齢ばかり重ねた私は学びながら、
人としての礼節・・今からでも遅くないよねぇ・・と思い深め微苦笑したりした。

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これで腰痛を解消! 寝返り促進するストレッチ紹介、腰痛に悪戦苦闘してきた私は学び、確かな朗報と悦びながら・・。

2016-11-24 12:29:40 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
今朝、午前6時半頃から雪が舞い降り、平年ならば一月初旬に初雪が降るが、今から雪かょ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

まもなくテレビのニュースでは、この地域11月に初雪が観測されるのは1962年以来54年ぶりで、記録的に早い初雪、
と報じたりしていた。
            
            ☆記念に私は小庭に舞い降る初雪を11時過ぎに撮ったりした☆


昨夜、ときおりネットで愛読している『NEWSポストセブン』を見ていた時、
【 これで腰痛を解消! 寝返り促進するストレッチ紹介 】と見出しを見て、
私は若き40代にギックリ腰で、3度ばかり救急車で運ばれて、入院生活を体験してきたので、精読してしまった・・。

この記事の原文は、『女性セブン』の2016年12月1日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、11月23日に配信された記事であり、
無断であるが転載させて頂く。

《・・これで腰痛を解消! 寝返り促進するストレッチ紹介

人生で50年間、腰痛に苦しめられてきたという年配の女性。
あらゆる治療を試みたが、痛みが消えることはない。
ところが、あるストレッチを試したところ、ピタリと痛みが止まった!

11月2日放送の『ガッテン!』(NHK)で紹介された東大医学部附属病院の「腰痛論文」が話題だ。
腰痛を訴える人は、全国に1300万人以上。

しかも、その約85%は「原因不明」。
手術やコルセットによる矯正、マッサージ、鍼など多くの治療法があるものの、
原因が特定できないため根治しにくく、長年にわたって腰痛に悩まされ続ける人は少なくない。
            

論文の内容は、そんな厄介な腰痛の「7、8割が劇的に改善した」という画期的なものだった。
論文の共著者である原慶宏・武蔵野赤十字病院整形外科副部長が言う。

「腰痛患者の共通点は、『筋肉が硬い』ということ。
そこで、寝る前に、簡単なストレッチを行ってもらいました。
すると、1か月足らずで年齢問わず、ほとんどの人の腰痛が改善したんです」

なぜストレッチが、腰痛を改善させたのか。
その理由は、「寝返り」にある。

腰痛患者は、健康な人に比べて、寝返りを打つ回数が少ない。
つまり、寝返りを増やせば、腰痛は楽になるのだ。

16号整形外科院長の山田朱織医師が解説する。
「人のお腹には、内臓脂肪や臓器が集中しているため、仰向けに寝ると何10kgもの重さが、腰にかかります。
寝返りしないと当然、腰の下から仙骨というお尻の先までが圧迫され、血の循環が悪くなり、疲労物質がたまります。

また、人間は寝返りによって、日中に生じた背骨の歪みを、元の形に戻しているんですが、
寝返りが少ないと、歪んだままで翌朝を迎えることになります。
その結果、腰に痛みが出る可能性があります」

昼間どんなにマッサージを受けても、腰痛の原因が夜寝ている間に作られるなら、一向に治らないのも納得だ。
            

とはいえ、腰痛解消のために「もっと寝返りを打て」といわれても、なかなか難しい。
本人は寝ているから、意識的には行えない。

そこで、寝返りを増やすのに効果があるのが、ストレッチなのだ。

「寝返りは意外にも“全身を使う運動”なんです。
普通に生活できている人なら、寝返りするだけの筋力はありますが、全身のどこかの筋肉が硬いと、
その部分が柔軟に動かず、寝返りが打ちにくい。
寝る前にストレッチで準備運動をしておくことで、寝返りが打ちやすくなると考えられます」(山田医師)

前出の番組では、ある実験が行われた。
一晩に寝返りが5回だった腰痛患者が2週間、ストレッチを続けると、一晩で17回に増え、腰痛が改善したのだ。


論文では、次の4つのストレッチを紹介している。

【A】腰をねじる
【B】肘を立てて膝を曲げる
【C】膝を抱える
【D】タオルで脚を伸ばす

いずれも1つのポーズにつき6回深呼吸を行い、
【A】から【D】をそれぞれ3セットずつ順番に行うのが理想だという。
http://www.news-postseven.com/archives/20161118_466087.html?IMAGE&PAGE=1
☆参表【NEWS ポストセブン】公式サイト・11月18日『腰痛治療に有効 寝返りをうちやすくする4つのストレッチ』図形表示されていました☆

            

さらに山田医師は、寝返りしやすいマットレスを選ぶことも大切だと話す。
「柔らかすぎるマットレスは、重いお尻の部分が沈み、腰椎が少し曲がった状態になります。
これでは寝返りが打てませんし、曲がった腰椎の後ろの神経が圧迫され、痛みの原因になります。

選ぶときは、マットレスの上で仰向けになり、手を胸の前にクロスし、
両膝を立てて左右に転がってみてください。

体に合っているマットレスなら、肩と骨盤が一緒に動きますが、
合わないと骨盤が先に寝返って、肩が追いかけるなどぎこちない寝返りになります。

逆に、寝た時にくびれが浮くようなマットレスは、硬すぎるので注意してください」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は若き40代の時に、突然にギックリ腰で、三度ばかり入院した苦い体験がある。

この当時の私は、あるレコード会社の情報畑で、システムの開発、運営に従事して、
平日は15時間ぐらいの勤務は、当然のように感じながら、ときには徹夜勤務して奮戦していた時代であった・・。

こうした中、最初は土曜日も休日出勤した翌日の日曜日、自宅の和室でゴロコロと横たわって休んでいた時、
家内から、掃除機を取って下さい、と言われた私は、
近くの押し入れの下段に収納している掃除機を、かがんで取ろうとした時、まもなく腰に激痛を感じて、横たわったりした。

翌日の月曜日の早朝、相変わらず腰回りに痛み感じていた。
そしてタクシーで病院に行き、治療を受けて出勤しょうか、と思いながら、
布団から這(は)いずりだして、トイレを終え、何とか洗面所で歯を磨こうとした時、
激痛がはしり、くずれ、床に寝転んでしまった・・。

私は家内に声をかけ、
『みっともないけれど、救急車を呼んでくれないか・・』と言ったりした。

やがて 私はタンカーに乗せられ、まもなく救急車に乗車させられ、病院に入ったのであるが、
ロビーの椅子に入院患者の方たちが、数多くたむろしていた・・。
そして私を眺めていたのである。

『あれは、ぎっくり腰だなぁ・・間違いがねぇ・・』
とその中のひとりが言ったのである。

私の方は、腰は痛いが、頭のほうは正気だったので、恥ずかしい思いであった・・。
こうしたことが私としては、生まれて初めての救急車に乗車した初体験となった。
                    
そしてこの時は、入院直後、医師の人から、
『3日ぐらい容態を診ましょう・・』
などと私は云われ、私は多忙時期であったので、焦(あせ)った。

そして私は医師に、『早く・・職場に戻らないと・・痛くても緊急の処置をして下さい・・』
と私は懇願したりした。

結果的には、1泊2日の入院生活を生れて初めて体験したが、通された部屋は『2人部屋』であった。
                                      

この一年過ぎた頃、やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、やむえず救急車に、お世話になった。

この時は、治療を受けながら担当医師より、
『1週間前後、容態を診ましょう・・それから具体的に・・』
このような意味合いを、私は言われたりした。

やがて私は、看護婦長の姿を見つけて、
『早く・・職場に復帰しないと、会社に影響します・・
担当の先生に、短期決戦のような治療をお願いして欲しい・・』
と私はひたすら懇願したりした。

そして入院生活は3泊4日で卒業したが、最初は『個室』であり、懇願してやがて『六人部屋』となったりした。
                         

この後、二年過ぎた頃、 やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、やむえず救急車に、お世話になった。

さすがに3度目に病院に運ばれた時は、私は 観念し、
担当医師の指示に基づいて、結果としては28泊29日の入院生活となり、『2人部屋』で過ごした。

そして同室となった40代の御方は2日後に退院されて、私は独りぽっち個室のようになったり、
6日後には60代の御方は一週間は共にしたが、やがて退院されて、私は独りぽっち個室のようになったりした。

この間、精密検査を受けた結果、手術で腰を切開することなく、治療薬と腰を懸垂することで、
やがて退院する寸前、特注なコルセットして、病院からお別れできたりした。

何よりも会社の業務から離脱し、社会から取り残されたように心情となり、
私の人生観が変貌したりした。

やがて復帰して、半年過ぎた頃、腰痛を感じたりしたが、この当時は会社間の合併してまもない多忙時期で、
入院した病院に行けば、入院させられることを危惧して、
3週間ぐらい東洋医療のハリ治療に通院して、何とか痛みから解放されたりした。

この後、ひたすら歩くことも良い、と医師から助言されて、今日に至っている。
            

このように腰痛は、私に取っては身体の欠点であり、再発を恐れて、
外出先では良く歩いたり、自宅では椅子に長く座っているは良くない、と教示されて、
部屋の中で立ったりして、新聞を読んだり、煎茶とかコーヒーを飲んだりする時もある。

今回、腰痛に悪戦苦闘してきた私は、学びながら、確かな朗報だ、と悦んだりしている。

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日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ、私は学び、確かに日本は過剰サービスだ、と憂いながら・・。

2016-11-23 15:57:35 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン 』を見たりしていた中で、
【 日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ
      ~理不尽な要求にノーといえる文化を作ろう~ 】と題された記事を見た。

私はどういうことなのかしら、と思いながら、精読してしまった。

この記事は、フリーライターの雨宮 紫苑さんが寄稿された記事で、
『東洋経済オンライン 』に11月22日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ

電通過労自殺問題をきっかけに、「ブラック企業を許すな!」という声が、日本で、ますます大きくなっている。

ブラック企業の話になると、「企業体質」の問題に焦点が当てられることが多い。
長時間労働や、パワハラ上司の存在が当たり前になっているという話だ。

しかし、ブラック企業の問題は、それだけではない。
サービスを受ける「お客」側も、労働環境の悪化に一役買ってしまっているのが、現状だ。
こうした指摘をする、ある会社員の次のようなツイートが、2万6000回以上リツイートされている。

ブラック企業をなくしたいなら、社員にまともな賃金を払っている、
適切な労働時間を働かせていることによって、生じる不便さに寛容でないと。

「土日休みなんで、納品までにもっと時間かかります」
「定時過ぎたんで、会社もう閉めました」と言われて文句言う人は、言ってみれば「ブラック市民」ですよ
              

☆過剰なサービスを要求する「お客様」

あなたも、理不尽な要求をする客に、うんざりしたことはないだろうか?  
私は以前、家具の販売員として働いていたが、過剰なサービスを要求する客は必ずいた。

例を挙げると、次のようなものだ。
「雪が降っている影響で、家具の配送に時間がかかる」と言えば、「値引きしろ!」。
「もう閉店時間だから」と言えば、「少しくらいかまわないだろう!」。

これはまさに、ブラック企業ならぬ、「ブラック客」だ。
日本ではいつだって、カネをもらっている側の人間は、圧倒的に立場が弱い。
なぜ、このような客の振る舞いが、許されてしまうのだろうか。

日本のサービスは、「おもてなし」という言葉で表される。

大辞泉によれば、「もて成す」とは、「心をこめて客の世話をする」ことを意味する。
しかし、心を込めて客の世話をするという意味を、現在は一方的な奉仕をすると理解され、
「お客様は神様」の状況になっている。

客の立場が異常に高く、サービス提供者がへりくだるという、歪んだ関係だ。
              

☆客に反論することは許されない?

そもそも、神とは、人知を超えた絶対的な存在で、信仰の対象をいう。
人々は昔から、人間の力ではどうにもできないものを「神の仕業」「たたり」として恐れ、敬い、あきらめ、受け入れてきた。
凶作になったとしても、神を責めることはない。

「自分たちが悪かったから、罰が当ったのだ」とせっせと生け贄を捧げたり、祈ったりしていた。

この理屈をサービスにも当てはめると、客が傍若無人な振る舞いをしても、決して反論したり、拒否しないということになる。
まるで自分の気持ちや時間を生け贄に捧げているようである。

そして客側もそれに慣れてしまったため、「思うままに振る舞ってよい」と勘違いしてしまったのではないだろうか。
そう考えると、日本の「お客様」は、確かに「神様」のように扱われており、対等な関係とは程遠い。
              

☆客に茶を振る舞う、もてなしの作法の中から

一方、「おもてなし」に対して、少し違った見方もある。

城西国際大学観光学部助教の岩本英和氏が、国際学術文化振興センターに所属する高橋謙輔氏と共同で発表した
「日本のおもてなしと西洋のホスピタリティの見解に関する一考察」という研究レポートでは、
おもてなし精神を理解するため、茶道を引き合いに出している。

そこでは、「亭主は、客のために一身に濃茶を練り、その心を感じ取った客は心から感謝の気持ちを礼に込める」と書かれていた。

つまり「おもてなし」とは、まず客を思いやる気持ちがあり、客もその厚意を感じて感謝する、
「互いに心地よくなるための心遣い」であったということだ。

「おもてなし」が「互いが心地よくなるための心遣い」であったことを考えると、
現在の不平等な客とサービス提供者の関係は、その精神とは真逆に位置している。

なぜこんなにも、客の立場が上になってしまったのだろう。

さまざまな要因があるだろうが、他社に負けないように、
「サービス」という付加価値で、勝負しすぎる傾向が強いことが原因ではないだろうか。

値下げや品ぞろえでの差別化には、限界がある。
そこで、精神論でどうにかなる「サービス」で競争を勝ち抜こうという発想になるわけだ。

空気を読むことに長けている日本人にとって、サービス精神を持つこと自体は、難しいことではない。
だが問題は、この状況を当然だと思ってしまった「お客様」の意識だ。

「過剰サービスを当然だと思う発想」を助長するものとしては、
どこにでもあって、24時間営業が当たり前になっているコンビニがいい例だろう。

30年ほど前は、お盆や年末年始は営業していない百貨店が多かったが、
数10年で「年中無休が、当たり前」になった。

かつては商店街でしか食材が手に入らず、夜は店が閉まっていたが、その不便こそが「普通」だった。
「労働環境の改善により不便になる」という指摘も一理あるが、
この感覚こそ、客が当然だと思って要求する過剰サービスの厄介さだ。

それが過剰なサービスであっても、もう「当然」になっているため、当たり前のように要求する。
店が閉まっていれば「不便だ」と言うくせに、店が開いていることに感謝しない。

いくら企業が労働環境を改善しようとしても、過剰なサービスを求める客がいれば、
労働者は仕事を終わらせることができない。
ブラック企業をなくすためには、そういった悪意のない「ブラック客」の意識改革が必要だ。
              

☆労働者を守るために

「ブラック客」の目を覚まさせるためのいちばん有効な手は、
サービス提供者が、ノーをたたきつけることだろう。
欧米では、過剰なサービスを要求する客を、「客ではない」と店が拒否する。

ヨーロッパ旅行をしたとき、日曜日に店がすべて閉まっていて驚いた、
という経験をお持ちの方も多いのではないだろうか。

筆者が住むドイツでは、閉店法という法律により、店の営業時間が規制されている。
キリスト教では日曜日が安息日と定められているので、「日曜、祝日は閉店」が基本だ。

また、労働者の休息時間を守り、小売店の営業時間延長による競争を阻止するため、
「月曜日から土曜日までの小売店の営業時間は、6時から20時」という決まりが守られていた。

ただ、2006年には、閉店法の権限が国から州に移り、その後は各州で規制緩和が続いた。
現在は16の州のうち、9つの州が月曜から土曜、3つの州が月曜から金曜の24時間営業を認め、
14の州が年4回、またはそれ以上の日曜日の営業を認めた。

しかし、法律改正後、ドイツ人は喜んで、店の営業時間を長くしたかというと、そうではない。
今でも多くの店で、24時間営業や日曜営業は行っていない。
フランクフルト中央駅には、スーパーとパン屋が合計17店舗入っているが、24時間営業しているのは、2軒のパン屋だけだ。
              

☆自分も休めば、他人にサービスを要求することはない

フランクフルトの中心街にある、ドイツの2大デパートのうちのひとつKaufhofは、
月~水が9時半から20時まで、木~土が9時半から21時までで、日曜は休館。

もうひとつのKARSTADTは、月~土の10時から20時までの営業で、同じく日曜休館。

ショッピングセンターのMyZeil、Skyline Plazaは、月~水が10時から20時まで、
木~土が10時から21時まで営業、同じく日曜は休みだ。

フランクフルトにある4つの巨大商業施設でさえ、この営業時間なのだから、あとは推して知るべしだ。
日曜や深夜にどうしても食料品が必要になったら、
大きい駅の構内の店か、閉店法の規制から外されているガソリンスタンドに行くしかない。

一見不便に思うだろうが、ドイツ人は深夜や日曜に買い物をする習慣がないので、大して気にしていない。
「なぜドイツ人は店が閉まっていても気にしないのか」といえば、
「自分も休んでいるから」の一言に尽きる。

ドイツには「深夜や日曜日は休むべき」という価値観が前提としてあり、
自分自身が休んでいるのだから、他人に「働け」とは言わない。
店が閉まっているのなら、前日に食料品を買って、家でのんびりしていればいいのだ。

それでも「店を開けろ」「働け」という客には、はっきりとNOを突き付ける。
ドイツだけでなく、欧米では客にNOと言うことが許される。
だから対等な立場でいられるのだ。

客の要求を拒否することは、サービスの質を下げることではない。
労働者を守るために必要なのだ。

日本の「お客様」は、自分の立場が上で、過剰なサービスも当然だと思ってしまっている。

だがサービス提供者がNOと言えば、「この要求は過剰なものだった」と気づくのではないだろうか。
日本でも、極端な話、コンビニのオーナーたちが口をそろえて「営業時間は10時から18時」と決めてしまえば、
客が泣こうがわめこうが、18時に店を閉めればいい。

客がサービスに感謝し、サービス提供者の目線に立つことができて初めて、
日本ご自慢の本当の意味での「おもてなし」になる。
客が相手を思いやる気持ちを持てれば、労働環境も少しはマシになるだろう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は読み終わった後、確かに日本は多彩なそれぞれの販売店、宅配便などは、
過当競争に基づき、過剰サービスと私は思ったりしている・・。

過ぎし日、デパートの伊勢丹・三越グループが、来年度から元旦は休業致します、と知り、
これだったら社員、契約・パートの従業員、そして納品されるの方たちが、
せめて元旦はお休みできる、と思いながら微笑んだりした。

或いはコンビニは、過当競争をせずに、朝の7時から夜は11時まで営業時間として、
協定を結び、店主、従業員、そして納品されるの方たちの過重な労働環境を改善しないか、
不思議に思ったりしてきた・・。

私が現役サラリーマン時代、朝から勤めて、やがて徹夜になる時は、
夕方に夜食を買い求めて対処してきたりしてきた。

業界が営業時間の協定を結ぶことが問題であるならば、
厚生労働省が積極的に関与して、それぞれ労働環境の改善のすべきである、
と無力な私でも憂いたりしている。

そして宅配便、スーバーの配達など・・。
配達に時間指定制度があるが、せめて午前中(9時から12時)、午後は(2時から6時)と制限し、
該当しない客は、土日など自身の休日で対処すれば・・と思ったりしてきた。
              

いずれも日本は過当競争に基づき、過剰サービスで、提供する側、そしてお客、お互いにクタビレ果てて、
悪しき習慣が続いているので、根幹から打破致したく、今回の記事には賛意している。

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年末ジャンボは史上最高10億円 宝くじ通が、当たる確率の高い購入の方法、老ボーイの私は学び、やがて微苦笑して。

2016-11-22 15:07:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 年末ジャンボは史上最高10億円 宝くじ通が購入の仕方指南 】と題された見出しを見た・・。

私は年金生活13年生であるが、何かと根がケチな私でも、
この間は宝くじの『ジャンボ』だけは、殆ど買い求めたりしてきた。

何かしら宝くじの購入の仕方を指南して下さる内容で、こっそりと精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年12月2日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年11月21日に配信されていたが、 無断ながら転載させて頂く。

《・・年末ジャンボは史上最高10億円 宝くじ通が購入の仕方指南

宝くじファンにとって1年の総決算ともいえる「年末ジャンボ宝くじ」の発売が、
いよいよ11月24日にスタートする。
              

今年最後の大チャンスに懸けている人は多いだろうが、
その幸運を引き寄せるカギは、“神ってる”売り場を見つけ出すことにありそうだ。

1等・前後賞合わせて10億円と、昨年に続いて史上最高額となる今年の「年末ジャンボ宝くじ」。
これと同時に、新登場の1等1億円の「年末ジャンボミニ1億円」、
1等1000万円の「年末ジャンボプチ1000万円」と合わせて3つのタイプが発売されるが、
一攫千金を目指す宝くじファンとしては「年末ジャンボ」で10億円を狙いたい。

しかし、「1等が高額になるかわりに、以前より当てづらくなっている」
と嘆くのは“山ちゃん”の愛称で知られる宝くじ研究家・山口旦訓氏だ。

通常、ジャンボ宝くじでは100000番から199999番までの10万通りを1組とし、
01組から100組を「1ユニット」として販売している。

1ユニットにつき、1等は1本。
つまり当せん確率は、1000万分の1なのだ。

ちなみに1等の当せん番号は、1つしか抽選されないのに、
何十本も1等が出るのは、それと同数のユニットが販売されているためだ。

「昨年から年末ジャンボに関しては、1ユニットをこれまでの倍、200組に増やしました。
つまり1等が当たる確率は、2000万分の1になってしまった。

かつての年末ジャンボは1等が1ユニットに2本あったり、2等が1億円だった時代もありましたが、
現在は“大当たり”か“外れ”のどちらかになっている」(同前)
              

とはいえ、当たれば巨万の富を得られる大チャンス。
重要となるのは「どの売り場で買うか」である。

宮城県仙台市の『卸商団地CC』は2014年の7億円、2015年には10億円と、
2年連続で年末ジャンボの1等・前後賞を出している。
全国でもわずか4か所しかない激ツキ売り場だ。

「昨年末に市営地下鉄『卸町駅』が開業したことで、人の流れが多くなり、
仙台市内でも有数の人気売り場になりました。
売り場では販売員が、お揃いの赤いトレーナーを着て、ゲンを担いでいます」(森田重人店長)

東京都豊島区の池袋駅にある『池袋西口東武ホープセンター1号店』は、
12年連続で億万長者を誕生させているラッキー売り場だ。

目玉は、ジャンボ発売期間中に登場する「夫婦福来郎の大当たり太鼓」である。
しかも例年、年末ジャンボの時には、夫婦福来郎に“赤いマント”を着せているという。

同売り場の黒沢秀一店長はこう意気込む。
「お客様には夫婦福来郎太鼓を叩いてもらい、招福していただいています。
10億円を狙うなら、是非10回叩いてください」
              

またジャンボ発売前には、関係者全員で近くの氷川神社で必勝祈願したという。
「今、売り場の機運が盛り上がっています」
と芝崎成孝店長が自信満々に話すのは、京都の『地下鉄京都CC』である。
昨年の年末ジャンボで1等・前後賞10億円を出したほか、15年間の当せん金累計額は58億円にのぼる。

「今年は9月の『幸運の女神くじ』で、近畿でたった1本の1等3000万円が出たほか、
『サマージャンボ宝くじミニ』で1等2本、スクラッチ100万円なども当せんしており、
年末ジャンボに向けて、運気が上昇している。

売り場には『万願寺の1等辛子』と称して、京野菜の赤い大きな万願寺とうがらしをぶら下げています」(芝崎店長)

いずれも御利益がありそうな売り場揃いである。
最後に“山ちゃん”が、購入の仕方についてこうアドバイスする。

「今年の年末ジャンボは、前後賞も1億5000万円と“億超え”です。
1等・前後賞の10億円にこだわらず、楽しみを広げるために、バラ買いするのもいい。

例えば30枚購入予定なら、連番10枚、バラ20枚を、3回に分けて10枚ずつ別の売り場で買うとか。
自分なりのこだわりを持って、購入してみてはどうでしょう。
宝くじは“当たる”ものではなく、“当てる”ものです」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は2004年(平成16年)秋に定年退職をする1年前の頃から、
「ジャンボ」と称される宝くじが発売される時だけ、確か一等は数億円と知り、
一枚300円の宝くじを10枚だけ、四季折々に発売されるたびに買い求めることが多かった・・。

私は中小業のある民間会社に35年近く奮戦してきたが、
サラリーマンの時代では、生涯の給与、ボーナス、退職金を合算しても税込2億5000万円であった。

そして最後の5年はリストラ烈風の中、あえなく出向となり、何とか年収1千万円台で卒業できたが、
大企業で栄進された方、或いは官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
つたない私は程ほどの年収、退職金であり、金融資産も程ほどとなっている。

こうした中で、多くの方たちから人生の3大支出と称される教育資金、住宅資金、老後資金の中で、
無念ながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、子供の教育資金は不要となり、
結果として程ほどの預貯金は出来たりしていた。

こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、
と学んだりした。

しかしながら定年後に、多々理由で年金生活を始めた時、
古ぼけた一軒屋を、新たに新築すれば少なくとも3000万円は資金を要すると思い、
老後の資金に余裕がなくなり、私たち夫婦の趣味の国内旅行費などに制約されると思い、断念した。

そして定年退職時の2年前に、少しリーフォームをして、500万円前後で整備した程度となった。
                                  

このような思いを秘めてきた私は、根はケチな為か、一枚300円の宝くじをバラで10枚だけ、
四季折々に「ジャンボ」が発売されるたびに、買い求めることが多かった・・。

そしていつの日にか、1億円ぐらい当選すれば、5000万円前後で新築し、
残りの5000万円は、国内旅行の滞在日数を今より増やしたい、と夢想したりしている。

或いは南太平洋を一か月ぐらい豪華客船に乗船して、背延してバルコニーのある部屋に滞在したい、
と夢想をする時もある。

しかしながら夢から覚めた現実としては、定年退職時の半年前に5万円当選し、
2年前に1万円当選したが、これまでは少なくとも年に12000円を買い求め、
12年過ぎた今は、概算14万円を越えて投じてきたので、もとより採算は合わないこととなっている。

何かしら富裕層の方たちは、宝くじは余りにも当選確率は低いので、投資信託などで堅実に利益を上げている、
と私は学んだりしたが、哀しき平民の私は、もしかしたら・・と夢想しながら買い求めている。
                          

もとより夢見る少年、少女は可愛らしいが、
齢ばかり重ねた老ボーイの私は、哀れかしらと思ったりする時もあるが、
『ジャンボ宝くじ』を買い求めなければ、もとより当選はしないので、買い求めてしまう。

そしていつも結果を知り、見果てぬ夢だよなぁ、と微苦笑を重ねたりしている。

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介護する家族が、やむなく親を捨てる時代が到来している、私は学びながら、涙を浮かべて・・。

2016-11-21 16:54:44 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
昼下がりのひととき、ときおり毎日新聞の公式ネット【経済プレミア 】を見たりしている中、
【 若者世代貧困化が生み出す「老人ポスト」の衝撃 】見出しがあり、
どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。

この記事は、NPO法人ほっとプラス代表理事の藤田孝典さんが、
『下流化ニッポンの処方箋』の連載寄稿文のひとつと思われ、2016年11月16日に配信され、
私は読み終わった後、涙を浮かべながら暗澹たるや思いとなっている。

http://mainichi.jp/premier/business/articles/20161115/biz/00m/010/019000c
☆毎日新聞の公式ネット【経済プレミア 】
==>藤田孝典・著作『下流化ニッポンの処方箋』==>【 若者世代貧困化が生み出す「老人ポスト」の衝撃 】

私は衝撃を受けたことは、《・・介護保険は社会で高齢者を介護する仕組みです。
しかし、本人が施設に入るのを嫌がったり、家族に面倒をもてもらいたがったりして、今も介護を背負い込む家族はたくさんいます。

そこで経済的、精神的に追い詰められたら、高齢者を捨てざるを得ません。
逆に捨てないと家族が成り立たない。
事態はそこまで危機的です。

私たちは、「高齢者を捨てるなら合理的に捨ててください。路上に放置しないでください」と言っています。
私たちのNPOに連れて来てくれれば絶対に保護して、必要な支援をします。・・》
              

こうした中で、特に私は読みながら涙を浮かべたひとつには、下記の実態であった。

《・・先日も、50代女性が、相談に来ました。
両親の介護のために離職し、2人の面倒を見ていましたが、
母親は亡くなり、今も認知症の父親(88歳)の世話に追われ、精神的におかしくなりかけていました。

父親は、排せつや入浴などほとんどを1人でできない要介護度4。
娘の介護しか受けないと言い張り、施設に入るのを拒んでいました。

認知症が進んで暴力的にもなり、妻と間違えてお尻を触られたりして、
女性は、精神的にも経済的にも、追い詰められていました。

「父親を公園に捨てたい、もしかしたら、刺しちゃうかもしれない。
もう無理なんです」と涙声で話し、
「本当にこれまでよくやってきましたね」と声をかけると、大泣きしました。

よほどつらかったのだと思います。・・》

私は無念ながら子供に恵まれなかったので、娘も息子もいなく、晩年期は頼れる人もいなく、
私たち夫婦は、どちらかが介護要となった時は、やむなく介護施設にお世話になる、
と私たちは話し合ったりしている。

今回のケースは怜悧に私の心情を発露すれば、
◎両親は娘に介護を受けても、娘には離職するまで面倒をかけることは、
娘さんの人生を奪うことである。

◎父親は《要介護度4。娘の介護しか受けないと言い張り、施設に入るのを拒んでいました。》
これは父親が正常期の時、可愛い娘さんの人生を考えた時、
やはり自身が要介護になった時は、介護施設に入居する、と娘さんに宣言すべき。

こうしたことを予期して、言動してきたならば、このような悲惨な出来事が到来しなかった、
と私は涙ぐみながら深く感じたりした。
              

やがて私は、《・・介護を背負い込む家族は、経済的、精神的に追い詰められたら、高齢者を捨てざるを得ません。
逆に捨てないと家族が成り立たない。・・》
こうした命題を思い重ねると、やがて作家・深沢七郎さんの『楢山節考』(ならやまぶしこう)を思い馳せたりした。

山深い貧しいの因習に従い、年老いた母を背板に乗せて、真冬の楢山へ捨てにゆく物語。
自ら進んで「楢山まいり」の日を早める母と、優しい孝行息子との間の無言の情愛が、
厳しく悲惨な行為と相まって描かれ、独特な強さのある世界を醸し出している作品である。

しかしながら今回の寄稿文を読み返したりすると、現実に発生している介護する家族が、やむなく親を捨てる時代、
やがて団塊世代(1947~49年生まれ)が75歳以降の後期高齢者となる9年後の2025年には、
介護を受ける方たちが多く予測され、今回のような事態が多発した時は、『楢山節考』よりも遥かに悲惨である。

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郵便局は意外と知られていない「お得な裏ワザ」の宝庫、老ボーイの私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2016-11-20 16:59:12 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 郵便局は意外と知られていない「お得な裏ワザ」の宝庫 】と見出しを見たりした。

そして私も郵便局に定期貯金をしているが、どういう「お得な裏ワザ」なの、
と好奇心に負けてしまい、精読してしまった・・。

この原文は、『女性セブン』の2016年11月24日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネット『マネーポストWEB』に 11月20日昼過ぎに配信され、
無断であるが転載させて頂く。
              
《・・郵便局で使える「お得な裏ワザ」を一挙大公開

節約やお得な裏ワザが大好きなマネーライターで、年間200人以上の主婦や専門家を取材している“お~ミカ。”さんが、
郵便局で得するための裏ワザをレポートします。

全国津々浦々にある郵便局は、誰にとっても身近な存在。
何かとお世話になる機会が多いですよね。
              

ゆうちょ銀行なんて、土日・祝日も手数料無料で、現金を引き出せるんですよ。
これってすごいお得!

でも、あまりにも存在が当たり前で、サービスの変化には意外と気づいていないことが多いもの。
例えば、以前は無料だったゆうちょ銀行(総合口座)間の送金は、
今年の10月から送金無料枠が、月3回までに制限されるなど、チェンジしているのです。

そこで今回は、“今”使える郵便局のお得ワザをまとめて整理しちゃいますよ!
              

☆サークル名義の口座で、送金無料回数をアップ!

冒頭でもお伝えしたように、ゆうちょ銀行間の送金無料枠は、1口座につき月3回までに。
でも、自分が代表になるサークルなどを作り、その名義で口座を開けば、送金無料枠を実質6回に増やせるんです。

サークル名(任意団体名)で口座を作るのに必要なものは、
「印鑑」「免許証など本人確認書類」「サークルの規約」をまとめた書類でOK。

でも、それだと送金の時、送金元がサークル名になってしまうと心配するそこのアナタ! 
ご心配なく。
ATMで送金すれば、送金元を自分の名前に、変更できるんです。

ゆうちょ銀行間の送金を使う機会が多いなら、手編みサークルでも、なんでもいいから新口座を作ってみて。

子供や夫名義の口座があれば、「代理人カード」を作るのも手。
ゆうちょ銀行では、同じ口座で別名義のキャッシュカードを持てるので、
子供や親へ仕送りがある人は、仕送り先の口座の代理人カードを作れば、全国どこからでも入金できます。

“送金”する必要なし。
発行手数料は無料だし、もちろん、その口座の送金無料枠も使えるので、とても便利!
              

☆持ち込み&同一宛先で値引き

ゆうパックなら、荷物を窓口に持ち込むと1個につき120円割引に。
さらに、同じ宛先に1年以内に送っている場合は、送付状の控えを持参すれば1個につき60円も割引。
よく送る相手の送り状は、捨てないでね。


☆小さくて重いものは、ゆうパック

ゆうパックの料金基準は、サイズだけで重さは30kgまで不問。
宅配便業者はサイズと重さのどちらかがオーバーすると料金が上がるので、重いものを送るならゆうパックが有利。
              

☆切手払いで節約に

ゆうパックは郵便局に持ち込めば、切手払いが可能。
チケットショップで切手を安く購入しておけば、送料をより節約できますよ♪


☆クリックポストなら送料安っ!

Yahoo!JAPAN IDを持っている人なら、厚さ3cm、サイズA4、重さ1㎏以下の郵便物は、
全国どこでも164円で発送できちゃいます。

使い方は、専用サイトにログインし、送付先の情報を入力、料金を決済すると専用ラベルが作成されるので、
それを印刷して荷物に貼ればOK。

ポストでも郵便局の窓口でも、送付できます。
ただし損害賠償がないのと、手紙や現金は、送れないので注意。


☆信書つきならスマートレター

サイズがA5、重さが1㎏以下なら、全国一律180円で送れるスマートレターもおすすめ。
インターネットを介さずに窓口で送れ、中に手紙や信書も同封できます。

何かと郵便物が増えるこの時期、上手に活用して節約しましょうね。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は『ゆうちょ銀行』が、土日・祝日も手数料無料で、現金を引き出せる、こうしたことは無知であった。
都市銀行、地方銀行を活用している我が家は、日・祝日は現金を引き出せなくなり、
やむなく特別準備金として、程ほど額を我が家で保管しているが、『ゆうちょ銀行』の特典を今回学んだ。

我が家の宅配便に関しては、クロネコヤマトを活用しているが、
『小さくて重いものは、ゆうパック 』、『切手払いで節約に』を学び、送る荷物によって、
使い分けよう、と学んだりした。

そして『信書つきならスマートレター』は、初めて学び、我が家として活用できる、と知ったりした。

このように何かと無知な私は、遅ればせながら学んで良かったょ、と微笑みを重ねたりした。


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中島みゆき女史の数多くの名曲、私は女神と信愛して、遅ればせながら28年を迎えて・・。 

2016-11-20 13:03:18 | ささやかな古稀からの思い
中島みゆきさんの最新アルバムを私は購読している読売新聞で、
過ぎし16日に於いて36ページ目に全面広告として掲載されていたが、
《         中島みゆき
           は
          「時代」
           と
          「糸」
          だけじゃない!  》
と大きく明記されたフレーズに、私は見て微笑んだりした・・。

私はたまたま音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて2004年の秋に定年退職した身であり、
この後も何かと音楽業界の動向、魅了されたアーティストに関して習性のように注視しているひとりである。

このような心情を秘めている私は、音楽業界の総合情報ニュースサイトの【Musicman-NET】を愛読しているが、
過ぎし8月10日に於いて『中島みゆき、20年振りのベストアルバム「前途」が11/16発売決定』
http://www.musicman-net.com/artist/59792.html
と題された記事を読み、私は中島みゆきさんの最新アルバムの概要を知ったりした。

私はアルバム発売日の11月16日、最寄駅のひとつの『成城学園前』の駅ビルにある『山野楽器・成城コルティ店』で、
20年振りのベストCDアルバム「前途」、
最新コンサート『中島みゆき Concert「一会」(いちえ)2015~2016』を収録したBlu-rayを
買い求めたりし、これ以来殆ど毎晩視聴したりしている。
              
          
誰しも本、映画、音楽等で、ふとしたきっかけで、その創作者に夢中になり、のめり込むことがあると思う。

私も音楽に於いて、ひとりのアーティストの出会いもそのような形であった。

私はあるレコード会社に勤め、この当時は情報畑に所属し、
平成元年の初め、昭和天皇が崩御された後、昭和から平成と年号の変換、
そして4月から日本で初めての消費税の対応で、睡眠時間を削りながら奮闘していた・・。

1月のある日曜日、土曜休日も奮戦していた為、昼過ぎまで寝過してしまい、パジャマ姿でぐったりしていた・・。
日曜日の夕方、疲れきった私は、パジャマ姿で家内が買物に行くのを見送ったりした。
そして足早に過ぎていく、夕陽を見ていた・・。

お茶を淹れた後、カセット・テープをラジカセに何気なしかけた。
そして、何曲目から、人の尊厳を問うかのように、流れ聴こえてきた・・。

♪エレーン
  生きていてもいいですかと 誰も問いたい
 エレーン
  その答を誰もが知っているから 誰も問えない・・(略)・・【『エレーン』 作詞、作曲・中島みゆき 】

私は聴きなが感極まって、やがて目頭が熱くなり、涙があふれ出た・・。
                           

このカセットテープは、倉本聰(くらもと・そう)さん・監督・脚本の『時計』オリジナル・サウンドトラックであり、
私の勤務する会社から発売され、試聴用として頂いたのを、初めて聴いたのであった。

この映画に使用された音楽は、金子由香利さんの『時は過ぎてゆく』、五輪真弓さんの『恋人よ』、
中島みゆきさんの『エレーン』、浜田麻里さんの『ハート・ライン』、高橋真梨子さんの『モノローグの九月』、
北原ミレイの『石狩挽歌』、森昌子さんの『越冬つばめ』等であった。

このように各レコード会社の所属する有数な歌手を使用したので、
レコード会社の発売先が難題であったが、テーマ曲が金子由香利さんであり、私の勤務先の会社で決まった、
と上司から聞いたりしていた。

私は初めて中島みゆきさんを心に留めたのは、この曲からである。

中島みゆきさんは他社のレコード会社に所属していたが、勤務先の関係より、
中島みゆきさんの名と曲ぐらいは、制作に直接に関係のない情報畑の私でも、
私の務め先でアイドル歌手用に、何曲か作詞・作曲をして頂だしたりしてきた。

たとえば、♪記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます・・(略)・・【『春なのに』 作詞、作曲・中島みゆき 】
私からみれば、感性のあるシンガーソングライタのひとり程度だった・・。

そして『時代』、『わかれのうた』、『悪女』にしても、
当然知っていたが、何事もなく私の心は通りすぎて行ったのであったが、
心の中に溶け込んできたのは、この『エレーン』をきっかけとなった。
                           

多くの方が魅了されたアーティストに対し、初期作品から聴いてみたいと思うように、私の場合も同様だった。

こうして私は、中島みゆきさんのデビューアルバムの『私の声が聴こえますか』から『回帰熱』までのアルバムは、
私はまたたくまに購入した。
そして、多岐にわたる分野を書き分ける才能の豊かさには、圧倒された。

今、思い出しても、この当時に百回以上聴いた曲は、『アザミのララバイ』、『歌をあなたに』、『時代』、『冬を待つ季節』、『忘れるものならば』、
『ホームにて』、『時はながれて』、 『玲子』、『おまえの家』、『世情』、『根雪』、『小石のように』、『エレーン』、『異国』、『夜曲』、
『肩に降る雨』、『HALF』、『白鳥の歌が聴こえる』、『クリスマスソングを唄うように』、『ローリング』、『黄砂に吹かれて』、『群集』、
『儀式(セレモニー)』であったりした。

こうした中、随筆集も求めて精読したが、文体は軽く、随所とらえる感覚が鋭いところがある程度だったが、
意識的に、読みやすく工夫をしている、と解釈した。
ラジオ放送は、わずかしか聴いていなかったが、随筆と同様と判断した。

そして、中島みゆきさんに関しての評論本も購入して読んだりした。

こうした結果として、中島みゆきさんの生命線は、やはり作詞・作曲、そして歌につきる、と深く思いながら、
コンサートを観る機会を待ち焦(こ)がれたりした。
           
平成元年(1989)11月、業界の注目の中で、渋谷の文化村にあるシアターコクーンで『夜会』が公演されたが、
私は前売りの予約も取れず、キャンセル待ちをわずかな望みを託しが、敗退した。

そして翌年に第2回の『夜会』を平成2年11月29日であり、私は少し高揚しながら鑑賞した。

こうして私は中島みゆきさんの曲を知り初めて3年間ぐらいは、物狂いのように無我夢中で、
殆ど毎晩聴いたりしていた。

そして熱病から平熱になっても、週に一度ぐらいは聴いたりしていた。
              

やがて私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院生活をして、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたりした。

この後、私が勤めていた会社がリストラ烈風の中、55歳から出向時代していた中で、
『ヘッドライト・テールライト』が支えのひとつとなったりした。

私が初めて『ヘッドライト・テールライト』聴いた時、瞬時に魅了され、そして感銘を受けたのは、

♪語り継ぐ人もなく
 吹きすさぶ風の中へ
 紛れ散らばる星の名は
 忘れられても
 ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき  】

という詞であった。

そして何よりも出向となっていた私の心情を支えてくれたり、
この後の定年退職後の年金生活の今でも、最も励ましてくれる詞が、

♪行く先を照らすのは
 まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
 あどけない夢
 ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき  】

この励ましてくれる詞が、私にとっては何よりも大切な言葉となっている。
          
この間、カセット、CD、DVDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、名曲の数々に救われ、今でも私の秘かな女神となっている。
              

余談であるが、タイトルに中島みゆき女史と表示したのは、
社会的地位や名声のある女性を敬意を込めて称する言葉であり、私に取っては秘かな女神の御方であり、
あえて明示させて頂いた。

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都心の郊外も朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍の中、晩秋のバラにめぐり逢い、老ボーイの私は微笑み・・。

2016-11-19 13:58:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接する調布市の片隅の地域に住んでいる年金生活13年生の老ボーイの身であるが、
過ぎし3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。

私は1944年(昭和19年)の秋に、農家の三男坊として生を受け、
私が地元の小学校に入学した当時は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった御方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

やがて小学2年に父が病死、まもなく小学3年に祖父も亡くなった。

どの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹の二十歳前後の未婚のふたりの叔母、そして長兄は中学1年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、
家は急速に没落なり、生活は困窮となり、やがて母は農業を断念し、転業した。

私が今住んでいる近くに生家もあり、私自身としてはこの地域に住んで、
結婚前後5年を除き、早や66年が過ぎている。

ここ数週間、いつもように私は自宅の3キロ範囲にある遊歩道、小公園を散策していると、
あまたの落葉樹の葉は、恥ずかしげに色合いを染め、スキップしたくなるような心情で散策をしてきた・・。
                       
              ☆今回、掲載した写真のすべては昨日の18日に撮った情景である☆
    
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

しかしながら、この間は幾たびのリストラを何とか通過したが、最後の5年半はデフレ烈風の中、
あえなく出向となったりし、私のサラリーマン時代は悪戦苦闘が多かったりした。

そして年金生活を当初は、解放感で高揚し、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

こうした時、若き時期に映画、そして文学青年の真似事を敗退した私は、
情念の残り火りのように西行、鴨長明、芭蕉が遺(の)こされた作品に思いを寄せることが多かった。

もとより西行(さいぎょう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人であり、
  ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ 『山家集』もある。

そして鴨 長明(かもの・ ちょうめい)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。
『方丈記』が代表作となっている。

松尾 芭蕉(まつお ・ばしょう)は、江戸時代前期の俳諧師。
数多い中で私は、旅に病んで夢は枯野をかけ廻る、一句に圧倒的に魅せられてきた。
                       

しかしながらに身過ぎ世過ぎの多い年金生活を数年過ごすと、
日常生活とか幾たびかの旅先に於いては、春夏秋冬の情景、この間の季節のうつろう情景に、
心を寄せて、深めて今日に至っている。

そして人影の少ない遊歩道、小公園などで、今の時節であったならば、
♪秋の夕日に照る山紅葉(やまもみじ)・・と高野辰之さんが作詞された『紅葉(もみじ)』を、
かぼそい声で唄ったり、心の中で唄ったりしてきた。
                        

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私たち夫婦の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
独り住まいの家内の母が今年の5月過ぎに『要介護1』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が独りぼっちの『おひとりさま』の生活になることも多々ある。
             

昨日、たまたま『おひとりさま』の私は、都立『神代植物公園』に行ったりした。
我が家から45分ばかり歩くと深大寺があり、隣接した所に都立『神代植物公園』がある。

私は『神代植物公園』に関しては、年金生活の中、散策代わり毎月のように訪れ、
季節のうつろいを享受されてきた。

この時節、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景がどのようになったかしら、
と思いながら訪れたりした。

この園内では、過ぎし10月8日より恒例の『秋のバラフェスタ 』開催されて、
そして30日まで圧倒的に多いバラの各種で彩られ、殆どバラに無知な私でも、幾たびか鑑賞したりしてきた。

しかしながらバラだって、春に咲き、夏には少し休んで、秋に彩(いろど)ってきたので、
晩秋時期は初冬支度で、やがて春先までは見られないだろう、と思ったりした。


やがて入園して、数多く落葉樹を彷徨(さまよ)うように歩き廻ったりした・・。
             

             

こうした中で、背の高い花にめぐり逢い、一期一会ねぇ、と記憶のかたみとして、撮ったりした。
             

やがて、こっそりと解説文を読み、別名コウテイダリア、と明記されていたので、
これが有名な皇帝ダリアかょ、初めて見たょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
             

まもなく私は、晩秋から初冬期に健気(けなげ)に咲く山茶花(サザンカ)を褒(ほ)めたくて、
園内にある『サザンカ園』に向かった。

私は小学校の登下校に通った村道に山茶花(サザンカ)の花を眺めたりしてきたので、
私に取っては山茶花(サザンカ)は、愛惜花のひとつとなっている。
             

そして今年も逢えたよねぇ、と思いながら撮ったりした。
             

やがて雑木林に向かう時、冬の花として好きな椿の花にめぐり逢い、
早くも咲いてくれた、と私は思いながら、微笑みながら撮ったりした。
             


そして雑木林に向い、まもなく陽射しが燦々と照らすバラ園には、人出が多く見られ、
近づいていくと、名残り花のように晩秋時期に咲いている数多くのバラが咲いていた・・。
             

私は幼年期に農家の児として育てられた為か、父の妹である叔母が畑の一角に、花壇を作り、
仏様とかお墓にささげる花を見たりしてきたので、里花には愛惜を秘めているひとりである。

或いは田圃(たんぼ)とか遊歩道の片隅に咲いている野花も恋しく、長年に見惚(みと)れたりしている。

そして家内は中学生の頃から茶事を習ってきたので、私は婚約の頃から茶花を教えられて、
魅了されたりしてきた・・。

このように里花、野花、茶花に関しては、少しばかり知っているが、洋花に関しては、殆ど無知な男である。
                        

こうした中で、薔薇(バラ)の花に関しては、何かしら気品のある女性が高価なドレスを召したような、
或いは裕福な家庭で育っている高嶺の花のような女性と感じたり、
私は定年退職した60歳の頃まで、近寄りがたく気後(きおく)れしまい敬遠してきた・・。

そして何かと卑屈と劣等感を秘めてきた私でも、遅ればせながらイギリス、フランスなどの文化を知る為には、
やはり薔薇(バラ)は欠かせない、と確信を深めたりした。

やがて年金生活の60代に国内旅行で『バラ園』があった時、鑑賞する時もあったりし、
私の住む地域の都立『神代植物公園』に於いて、恒例の『春のバラフェスタ 』、『秋のバラフェスタ 』などで、
数多くの美麗な薔薇(バラ)を鑑賞して、感性の衰えた私でも、魅了された。
             

そして今回、何かと単細胞の私は、映画のフィナーレのような美麗なバラが、私を待っていてくれた、と微笑んだりした。
             

やがて高貴なバラに敬意をして、ときおり私は下男のような膝まづいたりして、撮ったりした。
             

こうした中で、多く人が高価なデジカメ一眼レフで望遠レンズで撮ったり、中には三脚を立てて撮られている御方もいて、
私は恥ずかしながらコンパクト・デジカメであったが、
バラにささげる思いは、ボクだって・・と思いながら、数多く撮ったりした。
             

やがて私は、少し疲れを感じて、近くにあるベンチに腰を下ろした。
そして入園したのは9時半で、今は12時半過ぎで、3時間ばかり歩いたり立ち止まったりして鑑賞してきたので、
老ボーイの私だって、疲れるょねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
             

まもなく私は、夢のようなひとときを過ごした『神代植物公園』に別れを告げて、
やがて私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活となっているので、
現実に還り、駅前のスーパーで買物をして、自宅に向かったりした・・。

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橋田壽賀子さん、『私は安楽死で逝きたい』、72歳の私は学び、改めて敬意を深めて・・。

2016-11-18 16:02:33 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
昼下がりのひととき、ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げたりした。
           
私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【 安楽死 橋田壽賀子さんの覚悟 】と明記されていた。

私は若き日に映画の脚本家の真似事をした時期もあったが、あえなく敗退した身である。
そしてテレビ・ドラマのシナリオ・ライターとしては、
倉本聰さん、向田邦子さん、山田太一さん、橋田壽賀子さんが書かれたドラマだけは、
ときおり視聴して、人生の機敏など多々教示されているので、敬愛しているひとりである。

このような思いを秘めている私は、クリツクして記事を精読した・・。

この原文は、『女性セブン』の2016年12月1日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネット『NEWS ポストセブン』に 11月18日朝7時に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
              

《・・安楽死提言の橋田壽賀子、その胸中と覚悟を明かす

「誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい」と語る橋田壽賀子

年齢、性別、恰好を伝えた時点で、地域住民は次の言葉に予想がつく。
《行方が、分からなく、なっております》・・・
全国各地の防災無線から、徘徊老人の捜索願いが流れない日はない。

「あぁ、またか」。
他人事のように思いながら、ふとわれに返り足がすくむ。
脚本家の橋田壽賀子(91歳)もその一人だった。

「何歳で背格好はこのくらいで、と。
まぁよく流れてくる。

私が住んでいるのは、都会ではなく山の中。
大勢で山狩りをしても見つからない、なんてことがままあります。

この年になると、明日はわが身です。
認知症が発症しない保証は、どこにもない。
自分がもし何の自覚もないまま、多くの人に迷惑をかけてしまったら・・。

こんな恐ろしいことがありますか。
親しい人の顔もわからず、生きがいもない状態で生きていたくはない。
だからこそ、あえて提言したのです。“私がそうなったら、安らかに殺してください”と」
              

そう語る橋田は、現在、静岡県熱海市にひとりで暮らしている。
夫を27年前に亡くし、子供はいない。
親戚づきあいも皆無。

今夏、1年半ぶりに自身の代表作『渡る世間』シリーズの最新話を書き終えた橋田は、
筆を休める間もなく、一つの提言をして耳目を集めている。

月刊誌『文藝春秋』(2016年12月号)で、
橋田は『私は安楽死で逝きたい』というエッセイを寄稿した。

安楽死への憧憬を語り、スイスの安楽死団体を自ら調べ、日本の法整備の必要性を説く彼女の言葉は、
覚悟を伴って重い。

《スイスならいつでも行けます。
いつ行くかというタイミングが難しい》

《ベッドで寝ているだけで、生きる希望を失った人は大勢います。
(中略)そういう人が希望するならば、本人の意志をきちんと確かめた上で、
さらに親類縁者がいるならば、判をもらうことを条件に、安楽死を認めてあげるべきです》

橋田の真意を聞くために、改めて取材を申し込むと、快諾。
なぜ今「安楽死」を提言したのか。胸中を明かした。
              

「きっかけは2年前。いつお迎えがきてもいいように“終活”を始めたんです。
ずっと頭にはありつつも先延ばしにしていたら、あるとき泉ピン子(69歳)から、
“ママ、もうすぐ90歳だよ”って言われて、ハッとなって。

洋服やバッグを全部処分して、捨てきれない宝石や絵画、時計は死んでから処分してもらうことにしました。
どうしても手放せなかったのは、これまで書いた脚本の生原稿とビデオテープくらい。
2年がかりの大整理でした」(橋田)

断捨離を終えた彼女の元には、愛犬の柴犬、さくらだけが寄り添っていた。
だが、16年連れ添ったさくらも、6月に死んだ。
晩年は認知症が進行し、グルグルと右回りだけで回り続けていた。

「かわいそうで見ていられなかった。
亡骸は自宅のいちばんお気に入りだった庭先に埋めてあげました。
私がいなくなっても寂しくないようにと、お地蔵さんを立ててね。

思い残すことは、何もなくなりました。
身寄りもないので気兼ねなく、いつでも旅立てます。
その時にふと思ったのです。
あとは“死に方”だけだと。
              

お話しした通り、私は認知症になった場合を考えると、恐ろしくてたまらないのです。
何もわからず、ベッドに縛りつけられて生きるなんて考えたくもない。

誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい。
そう思ってパソコンで調べてみたら、スイスに安楽死させてくれる団体があった。
費用は70万円。これだ、と思いました」(橋田)

橋田が見つけたのは、スイスの医療団体『ディグニタス』。
オランダ、ベルギー、ルクセンブルクでも、安楽死は認められているが、
「外国人の受け入れ」を許可しているのは同団体だけだった。

厳密にいえば、スイスで認められているのは医師による「自殺ほう助」であり、
『ディグニタス』では、希望者が提出した医療記録を審査し、
治癒の見込みがないと裁判所が認めた場合に限り、致死量の麻酔薬が処方される。

医師が見守る中、患者が自らの意志で点滴パックの栓を開く。
20秒後、眠るように死ぬという。

これを目的にスイスに渡航する外国人は、後を絶たず、
チューリヒ大学によれば2008年から2012年までの5年間で、31か国611人の“自死旅行”が確認されている。
年々増加傾向で、今では申込みから実行日まで、3か月待ちだという。

「最後まで自分の意志があることが条件なので、認知症が発症してからでは遅い。
今のうちに周囲には、伝えているのです。
“ボケ始めたと思ったらすぐに言ってね”って。
もしそう言われる日が来たら、私はすぐにでもスイスに行きます」(橋田)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は過ぎし10日に、47年ばかり購読している『文藝春秋』(12月号)に於いて、
橋田壽賀子さんの寄稿文『私は安楽死で逝きたい』を読み、
清冽な覚悟のいさぎよさ、感動させられたひとりである。

日本に於いて、来たる2025年には団塊の世代が75歳以上に、
やがて2038年には推計約170万人もの人が亡くなる“多死社会”のピークが来るといわれる時代である。

私は昨年の2015年9月、『平穏死』を初めて学び、深く同意したひとりである。
            
『平穏死』に関しては、『女性セブン』の2014年10月23・30日号に掲載された記事のひとつで、
ネットに2014年10月13日に公開され、私は学んだりした。

《・・(略)・・「病院で死ぬ人が在宅死を上回ったのが1976年。
40年前までは家で死ぬ人のほうが多かった。
終末期を病院のベッドで過ごし、過剰な延命治療をすることが、果たして本当に幸せなのか考えてほしいのです」

医師の長尾和宏さんは、穏やかな最期を迎える「平穏死」という考え方を提唱する。

「人が死に向かうときには、体の機能が徐々に落ちて終末期を経てから、やがて死を迎えます。
終末期に食べ物を受け付けなくなるのは自然なこと。
しかし、点滴で無理に栄養を入れ過ぎてむくみ、もがき苦しみながら亡くなるというケースも。

医療の目的は命を延ばすこと。
終末期以降も過剰な延命治療を続ける医療機関も少なくありません。

最期をどこで、どのように迎えるか、選択権は患者本人にあります。
しかし認知症や意識不明で病院搬送された後など、意思表明が困難なことも多いのです。

延命治療をどこまで希望するか、終末期医療の選び方によって、
穏やかな最期を迎えられるということを知ってほしいと考えています」・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
                                    
          
私は一昨年の7月下旬、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を読んでいる中、
竹井善昭・著【長生きすることは、本当に良いことなのか? 親の介護で未来を奪われる若者たち】
と題された見出しを見て、精読したりした。

要約すれば、昨今の若い世代の人が親の介護で、若い世代の自身の人生が大幅に狂い、
悲惨な実態を克明に描かれた後、
欧米の高齢者の終末期の治療の実態、そして竹井善昭氏ご自身の高度な病状に遭遇した時の真情、
氏の死生観を発露された内容であり、私は読み終わった後、頬に涙が流れていた・・。
          
こうした中で、特に欧米の高齢者の終末期の治療を教示されて、衝撃を受けた。
《・・日本は高齢者に対して、非常に優しい国である。「過剰に優しい」と言ってもよい。
そう言うと、反論したくなる人も多いことはよく分かる。

老人福祉はまだまだ足りていないと主張したい人もいるだろう。
もちろん、僕も日本の老人福祉が完璧だと言いたいわけではない。論じたいのはその「思想」だ。

日本は、ある意味で過剰に人を生きさせようとする。
そのことが、はたして高齢者にとっても若者にとってもよいことなのか、
それで人は幸福になるのか、ということだ。
            
あまり知られていないようだが、欧米には、いわゆる寝たきり老人はいない。
なぜなら、寝たきりになるような老人は延命処置をしない、つまり「殺してしまう」からだ。
         
たとえば、イギリスでは、自力で食事できなくなった老人は治療しないという。
福祉大国のイメージが強いスウェーデンやデンマークも同様だという。

また、これは聞いた話なので数字が不確かなのだが、
ニュージーランドではある年齢(75歳だったかと記憶している)を超えると、
病気になっても治療しないという。
モルヒネを打つなどの緩和処置はやるが、それ以上はやらないということだ。

実際に、スウェーデンの高齢者医療の現場を視察してきた医師のブログには、
下記のように紹介されている。

日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。
肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。
したがって両手を拘束する必要もありません。

つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。
寝たきり老人がいないのは当然でした。
(読売新聞の医療サイトyomi Dr.「今こそ考えよう高齢者の終末期医療」より)
                           

日本の病院で同じことをやれば、確実に「人殺し」扱いされて、
マスメディアでもネットでも大炎上必至である。
しかし、欧米ではこのような考え方がスタンダードなのだ。

この差は一体何かと言うと、人の尊厳に対する考え方の違いだ。
つまり、何が何でも生かしておくことが正義なのか、
人の尊厳を守ることが正義なのか、という考え方の違いである。

人の尊厳をどう考えるかは、安楽死、つまり「死ぬ権利」を巡る議論の根幹となる問題だ。
安楽死は基本的に自らの意志で死を選ぶことだが、認知症など、自分の意志では死を選べない場合もある。
そのような場合は「殺される権利」というものも考える必要があるだろう。

人は自分の尊厳を守るために、死ぬことを選んだり、殺されることを選ぶ権利があるのかもしれない。・・》
          
こうした欧米の高齢者の終末期の治療の実態、欧米と日本の死生観の差異を学んだ後、
果たして・・と深く思案させられたひとりである。

このような思いを根底にあるので、過剰な延命治療を避け、穏やかな最期を迎える「平穏死」には、
私は望みます、と私は心の中で呟(つぶや)いたりしてきた。
              

こうした思いのある私は、今回の橋田壽賀子さんの死生観を学び、
齢ばかり重ねた私でも、橋田壽賀子さんに改めて敬意を深めたりしている。

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「地裁が泣いた介護殺人」、やがて10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末、私は学びながら涙を浮かべて

2016-11-17 16:07:09 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
愛読している『週刊新潮』と『新潮45』の記事を配信する総合ニュースサイトの『デイリー新潮』を見たりしていた中で、
【「地裁が泣いた介護殺人」10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末 】と題された記事を見た。

私はどのようなことですか、と思いながら、精読しながら瞼(まぶた)が熱くなり、
やがて涙を浮かべて、読み終わった後、余りにも悲惨な実態に涙を流したりした・・。

この記事は、夫婦・親子だから当然と始めた家庭での介護が やがて困難を極め、長期化する実態など
在宅介護の壮絶な現実と限界をテーマに、毎日新聞の大阪社会部取材班が
『介護殺人:追いつめられた家族の告白』(新潮社)を公刊され、
新潮社の編集部が紹介された記事で、『デイリー新潮』に11月16日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・「地裁が泣いた介護殺人」10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末

真冬のその日、母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。
やがて死に場所を探して、河川敷へと向かった。

2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、
認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった
「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。
             

一家は両親と息子の3人家族だった。
1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。

症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。
長男はどうにか続けていた仕事も、休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、
「休職」を理由に認められなかった。

母親の症状がさらに進み、止む無く退職。
再度の生活保護の相談も、失業保険を理由に受け入れられなかった。

母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、
カードローンを利用しても、アパートの家賃などが払えなくなった。

長男は母親との心中を考えるようになる。
             

そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使って、コンビニでいつものパンとジュースを購入。
母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと、母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。
やがて死に場所を探して、河川敷へと向かった。

「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、
母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。

そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、
傍ですすり泣く息子に、さらに続けて語った。
「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。

その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。
自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、
巻きつけたロープがほどけてしまったところで、意識を失った。

それから約2時間後の午前8時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。
             

京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。

冒頭陳述の間、被告席の長男は背筋を伸ばし、眼鏡を外して、右手で涙をぬぐう場面もあった。

裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、
目を赤くした裁判官が、言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるように、まばたきするなど、法廷は静まり返った。

判決を言い渡した後、裁判官は
「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。

そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、
長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。

――この事件が一地方ニュースに留まらず、ネットなども通じて「地裁が泣いた悲しい事件」として
日本中に知られることになる。
親子の境遇や長男に同情する声や、温情判決に賛同する声などが広がった。
             

それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、
介護殺人に関するシリーズ記事の一環として、この長男への取材を試みた。

しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、
彼はすでに亡き人になっていた。

事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも、不明のまま。

行き詰った末に、探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、
絶句して、判決後に長男が、落ち着いた先の住所を告げた。

やがて判明した死因は、自殺だった。
琵琶湖大橋から身を投げたという。
所持金は数百円。

「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。
地獄を味わった彼の言葉や、その後の人生が、在宅介護に限界を感じ、絶望している人への何らかの助けになるのではないか。
そう考えて必死に動いた記者を待っていた、悲しすぎる結末だった。

厚労省によると、要介護(要支援)認定者数は620万人。
要介護者を抱える家族が増える一方、後を絶たない介護苦による悲しい殺人事件。

なぜ悲劇は繰り返されるのか。
どうすれば食い止めることができるのだろうか・・。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読みながら、《・・1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症し、症状は徐々に進み、
やがて10年後には、週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。

ご長男はどうにか続けていた仕事も、休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、
「休職」を理由に認められなかった。

母親の症状がさらに進み、止む無く退職。
再度の生活保護の相談も、失業保険を理由に受け入れられなかった・・》

こうした状況に、市役所の福祉関係者が、申請者の状況を把握して、
どうして『生活保護』を認可してあげられなかっただろうか・・。

或いは『生活保護』規約ばかりこだわる市役所の福祉関係者は、真の本当の社会保障制度を理解していない、
と私は思い深めたりした。

やがて私は、作家・深沢七郎さんが1956年(昭和31年)に
雑誌『中央公論』11月号に掲載された『楢山節考』(ならやまぶしこう)を思い馳せたりした。

山深い貧しいの因習に従い、年老いた母を背板に乗せて、真冬の楢山へ捨てにゆく物語。
自ら進んで「楢山まいり」の日を早める母と、優しい孝行息子との間の無言の情愛が、
厳しく悲惨な行為と相まって描かれ、独特な強さのある世界を醸し出している作品である。

しかしながら今回の「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」の母親、ご長男に置かれた実態は、
『楢山節考』よりも遥かに悲惨である。
             

これから到来する2025年になれば、私たち世代はもとより、団塊世代の人々も、後期高齢者となり、
この中には数多くの御方も介護となる中、一部の御方には、やむなく息子か娘にすがる在宅介護の生活が予測される・・。

そして長きに介護生活になれば、今まで過ごしてきた健康な時の日常から予測できなかった、
まさかの出来事が介護する御方、介護される御方も展開され、たとえ親子でも愛憎が増ていく日常・・。

こうした現象を予言した方は、作家・有吉佐和子さんの『恍惚の人』(こうこつのひと)であり、
1972年に新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版され、この当時に私は読み、動顛させられた作品である。

本作品は認知症などで、高齢者介護に奮闘する家族の日常が的確に表現され、介護医療の困難を提示した作品でもある。

このようなことも思い馳せて、私は高齢者72歳の身ながら、暗澹たる思いとなっている。


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