夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『昭和の美女ベスト50・・』は・・♪  《初出2007.1.11.》

2008-05-07 21:11:41 | 映画・テレビ
以前、月刊雑誌に関しては綴ったことがあるが、
『世界』、『中央公論』は私にとっては、少し背伸びするので、
『文藝春秋』程度が手ごろな知識となっている。

昨日も本屋に寄ったが、原則として毎月10日発売というのは忘れたしまい、
店頭になかったので近いうちかしら、と思ったりした。

今朝、読売新聞を見ていたら、本日発売の広告があった。
特集記事の見出しを見ていたが、文藝春秋85周年記念号なのかしら、
『昭和の美女ベスト50~伝説の女優から才嬢まで~』
というのがあった。

夏目雅子、山口百恵、若尾文子、向田邦子、岸 恵子、高峰三枝子、
高峰秀子、八千草 薫、田中絹代、山本富士子さん等の名が掲載されたいた。

私は昭和19年生まれで、つたない映画鑑賞の体験から、
色っぽい妖艶な人は若尾文子さんだし、
清純な香りを何時までもあるのは八千草 薫さんと直感したりしている。
しかし、妻とした場合は八千草 薫さんのような方が一番恐いように思え、
意外と優しいのは若尾文子さんかも知れない。

そして香川京子さんの名が10名にリストアップされていないので、
選定者のお方達は程度加減はいかがなものかしら、と感じたりした。

この中の10人の女優さんとしては、
私の世代の映画愛好家として、田中絹代さんの若い頃は知らないので、
やはり高峰秀子さんの幼年期からの映画を観ている身として一番好感していると思ったりした。

こうした余計なことを考えて、散歩の折、買い求めてきた。


昨夜、月刊誌の『文藝春秋』が創刊85周年特別企画として、
『昭和の美女』のグラビア記事が掲載されていた。
原 節子、吉永小百合、高峰三枝子、山本富士子、岸 恵子、
高峰秀子、森 光子、田中絹代、山田五十鈴、
山口淑子、京 マチ子、若尾文子、八千草 薫、美空ひばり、
司 葉子、有馬稲子、浅丘ルリ子、山本陽子、
岩下志麻、香川京子、藤 純子などがそれぞれの時代の掲載されていた。

私は昭和19年に生を受けた身であるが、
映画が好きな部類に属するので、懐かしげに見たりしていた。

原 節子、森 光子、山口淑子が大正9年生まれには、少し驚いたりした。
私の母が同年生まれなので、それぞれの人生があるのは理解しているつもりであるが、
感情的には余りにもかけ離れた人生経路と考えさせられた。

上記の著名な女優さんで、年代を配慮しても、
藤村志保、松坂慶子、倍賞千恵子、久我美子が
掲載されておらず、おかしいょ、と呟(つぶや)いたりした・・。

尚、私が18歳の時、ある女優さんラブレータを出したことがある。
その人の名は、新珠三千代さんである。

返信されたプロマイドを大事に机の引き出しにしまい、
私の女性としてあこがれであったが、数年過ぎると不明となった。




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スロー・ライフを過ごせば・・♪    《初出2007.1.10.》

2008-05-07 21:07:46 | 定年後の思い
東京の郊外は澄み切った冬晴れを迎えている。

先程、庭先に下り立ち、煙草を喫いながら、
霜柱、霜が陽射しを受けて、ゆったりと解けているのを見詰めたりしていた。

昨日、日中の殆どは外出していたので、疲れを覚えた、と綴ったが、
定年退職後の三ヶ月も過ぎると、念願の自由自在の日常生活となった。

現役時代はどなたでも同じように多忙な時代を送り、
当然として時間に追われてたり、追い越したりしたした時間との対決のようなサラリーマンしていた。

このような長年の生活の結果として、
せめて退職後は自分なりのペースで日々を過ごしかったのが根底にあった。

読書、映画、音楽、そした文章を綴り、
ときたま国内旅行をするのが日常基本方針となった。
そして、買い物に行ったり、散策に行ったりしている。

昨日、久々に日中外出したが、社会の動きに疲れたのだろう・・。
私から見れば、今の社会の動きが慌しく見えたりしている。

駅前でサラリーマンの二人連れが歩きながら話し合っていたが、
私の10年前の姿はあのようにしていただろう、と思ったりしている。

私は現世の社会の動きから、数歩はなれて、
自分なりのゆっくりとした生活を今後も過ごすだろう、
と改めて思っている。

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街の流れは、何時(いつ)もの状況となり・・♪ 《初出2007.1.9.》

2008-05-07 21:04:32 | 時事【社会】
東京の郊外は、年末年始、仕事始め、そして3連休後の方達が多く、
街の動きは何時ものように再び動いた。

私は日中あちらこちらに出かけてきたが、少し疲れを感じる。

現役時代から比べると5分の1前後の動きであるが、
退職後のんびりとした日常を過ごしているので、
ときたま小用で動くと疲れを覚える。

こうしたことは、1年の数回なので、
明日からは私なりの日常が、何時ものようになる。

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彼等に幸多きことを祈願・・♪    《初出2007.1.8.》

2008-05-07 18:25:50 | 時事【社会】
東京の郊外は、澄み切った快晴で、風もなく穏やかな朝を迎えている。

昨日、『成人式』が各地で行われ、風雪の中で開催された所もある、
とテレビのニュースで報じたりしている。

先程、インターネットでニュースを見ていたら、

【若者が手作りの『成人祭』開く・・財政破綻した夕張市】

という見出し記事を注視し、記事を読み込んで、
私は胸が熱くなった。

読売新聞の配信の記事、無断であるが転記させて頂きます。



財政破綻した北海道・夕張市で7日、『成人祭』が開かれた。

今年は、市が毎年支出していた補助金60万円を全額カットした為、
地元の若者等が奔走し、手作りの式典となった。

出席した新成人は、炭鉱閉山、観光業による再生、そして財政破綻と、激動の時代に育った91人。
大学生の青山憂衣さん(20歳)が代表として、
『夕張は何物にも代え難い、かけがいのない街。
厳しい状況の中で式典を設けていただき、心から感謝します』
と挨拶した。



以上が記事の全文である。


私はこの記事を読みながら、涙がこぼれそうになった。

昨今の観光業の再生の失敗、財政破綻で多くの市民が困窮している。
市民の希望を託して一票を投じ、市長・市の議員らは選出されてきたが、
財政破綻と私はニュース視聴した時、
私は市民を裏切った歴代の市長・市の議員の責務なさに私は怒ってきた・・。

こうした中で、今回の『成人祭』が式典が行われ、
地元の若者等が奔走し、手作りの式典には私は胸が熱くなった。
そして、今回成人のなられた91人には選挙権のなかったので、
責任は全くない上、けなげな挨拶には、目頭が熱くなった・・。

ここ10数年、成人式の祭典の折、
各地で新成人が暴言、暴動など1部に於いて狼藉をする、
と私は新聞記事、テレビのニュースで見たりすると憂いていたひとりである。

私はこの代表の方の挨拶を再び読み出すと、
思わず襟を正した・・。

私は地元の若者等、そして新成人となられた方達に、
今後、きっと幸多い人生に、と祈願したりした。

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早春の若菜摘(つ)みの想いで・・♪    《初出2007.1.7.》

2008-05-07 18:10:55 | 食べ物、お酒
旧暦の一月七日は『春の七草』と古人より伝えられている。

先日の4日の時にスーパーに買い物に私が行った時、
生鮮野菜売り場のひとつのコーナーを設けて、
『春の七草』の可愛らしいパックがうず高く積み上げられていた。

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケグサ、スズナ、スズシロが詰め込まれている。
スズナは野菜のカブであり、スズシロはダイコンであることは多くのお方に知られている。

私はこの七草を見て、遠い日の幼年期の頃が想いだされた・・。


東京の郊外の農家の子として生を受け、昭和26年の小学1年生の頃は、
祖父、父が健在で、程々の広さの田畑を耕していた。

旧暦の1月7日は、今の暦では2月中旬頃であるので、
田んぼのあぜ道、畑の小道の外れに色々な野草が数多くあった。

叔母の2人は、未婚であり、
ノビルやヨモギを取り、私達にも食べさせてくれた。

ノビルは今でいうとラツキョの小型の形をしており、
真っ白な小玉が先端にあり、
さっとお湯をとおした後、味噌に砂糖を加えた甘味噌を付けて口に含んだりした。

早春の頃は、カブ、ダイコン、ホウレンソウ、ネギ等の野菜の中、
子供心にもノビルは春の香りを感じたりしていた。

ノモギも叔母達が摘んで、撞(つ)きたての餅などに入れ、
私達も香りと歯ごたえを共にした。

ナズナはペンペングサと呼んでいたが兎を兄達が飼っていたので、
餌としていたと思われる。

この他の七草は多分生えていたと思われるが、
幼年期であったので、記憶が定かでない。


私の住む地域では、昭和30年を過ぎた頃から田畑は消えうせ、
急激に住宅地に変貌した。


私はあの時代に口にした早春の食べ物として、
主庭の一角にフキを植えている。
2月の初旬頃にフキノトウとして、頂いている。

現役時代、激務の業務を終え、休みの昼下り庭に下り立つと、
フキノトウを見かけると、10幾つかは摘めるので、
家内に手渡しする。

水洗いをした後、フキノトウに味噌を少しつけ、
アルムホイルに包んで火であぶる。

私も台所の一角の簡易テーブルで、弐合徳利とぐい呑みで待機する。

フキノトウの苦味、香り、歯ごたえを味わい、
ぬるめの辛口の純米酒を呑むと、
春が来た、と思っている。
庭先を観れば、白梅は莟(つぼみ)か数輪の花が見られる時期である。


退職後の今は、原則として日中のお酒は自粛しているので、
夕食前に味わうが、特にフキノトウに関しては昼前、
昼下りのひとときは、味は倍増すると確信している。

待ち焦がれた早春、フキノトウを摘みながら、
今年も・・と感動しながら味合うので、
実感もさることなから余情を増すのかしら、と呑兵衛のひとりとして思っている。




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茜雲(あかねぐも)の朝を迎えて・・♪  《初出2007.1.7.》

2008-05-07 18:02:46 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、昨日は雨が降り寒々しい一日であった。
夜になると雨はあがり、静寂さを増していた。

朝の5時過ぎに庭に下り立つと、暗い夜空の中、月が煌々(こうこう)と光をはなっていた。

煎茶を淹れ、新聞をゆったりと読んだりした後、
日の出の時刻と思われた頃に、戸を開けた・・。

澄み切った水色の中、幾重の雲が赤く染まり、しばらく見惚(みと)れていた。
風もなく、まぎれもなく快晴の予感をさせる朝の空となって折、
何時ものように小鳥が飛来してきた。

居間に戻ると、
低気圧が発達して台風並みに強まり、全国的に強風、大雨、大雪に警戒して下さい、
と天気予報は報じていた。

東京の郊外は、快晴となり13度前後の穏(おだ)やかな一日を迎える。

『春の七草』の朝であるので、せめてこの日ぐらいは全国は穏やかな一日を迎えたいが、
天上の神様のひとつの気象の神に対し、どうして・・と呟(つぶや)いたりしている。


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石油の価格は、気象の神々が決める・・♪   《初出2007.1.8.》

2008-05-07 17:27:08 | 時事【政治・経済】等
インターネットでニュースを見ていたら、

【暖冬で原油急落 欧米の気象、価格を左右】

という見出し記事である。

私は記事を読み込んで、世界各国の人々の思惑より、
石油の価格は、天上の神のひとつの気象の神様がお決めるになると、
改めて思ったりした。


産経新聞の配信記事を無断であるが、転記させて頂きます。



【ワシントン=渡辺浩生】

欧米では記録的な暖冬が続いていることで、
ニューヨーク、ロンドン市場で原油が急落している。
暖房用燃料の需要が大幅に減少、石油の備蓄量も増えているからだ。

4日に英国・気象庁が今年は観測史上最も暖かい一年になる、との予測を発表したことも、
投機筋の売りに拍車をかけた。

米国で最も厳しい冬が続く北東部は、
『国内の暖房用油の需要が4分の3を占める』一大消費地だ。
だが、ニューヨーク市は昨年の11、12月と全く降雪なし。
AP通信によると1877年以来129年ぶりの現象という。
隣接するニュージャージー州は12月は、観測史上最も暖かく、
ワシントンも史上3番目の暖冬。

米国の1月に入っての暖房用油の需要は、例年より3割も落ち込んだという。

4日のニューヨーク市場の原油価格は、
前日終値比2.73ドル安の1バレル=55.59ドルで取引を終了。
昨年末から9%も下落した。

米国の石油備蓄も200万バレルと予想以上に増加を続けている。
OPEC(石油輸出国機構)は、2月より1日当たり50万バレルの減産を決めたが、
その効果は暖冬で完全に打ち消された格好。
追加減産を検討する可能性も取り出されている。

原油価格は一昨年の夏、大型ハリケーン『カトリーナー』の襲来で急騰し、
初めて70ドルを突破。
昨年の7月は中東情勢の緊迫に加え、
米国の熱波で78ドルの史上最高値を更新した。

異常気象は、今や地政学的リスクと並ぶ、
エネルギー価格の重要なファクターとなっている。



以上、転記させて頂きました。


私はこの記事を読み終えた時、
それぞれの産油国、投機筋、石油の大手会社等の思惑より、
天上の神々のお方達が左右しているので、苦笑している。

今回の場合は、欧米の生活に余裕のない人々にとっては、
この冬の何よりのプレゼントと思ったりしている。



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私の『初詣』のあれこれ・・♪    《初出2007.1.5.》

2008-05-07 17:21:23 | 定年後の思い
先程、インターネットでニュース欄を見ていたら、
毎日新聞の配信により
【初詣が過去最多 昨年より422万人増】
と見出し記事があった。

無断であるが、この記事を引用させて頂きます。



・・全国の主な神社・仏閣への人出は、9795万人と昨年より422万人増加と増加し、
統計の残る1974年以降で最も多かった。



このような記事を読んだ私であるが、
私はまだ初詣としては参拝していない。

私の三が日の外出は郵便局へ年賀葉書の不足分、スーパーでの買い物、
そして遊歩道の散策、本屋に寄り数冊買い求めた程度である。


私の幼年期は父が生前の時は、
実家の最寄の神社に初詣に父に手を引かれ行ったりした。

その後は、20代の頃は、
明治神宮、鶴岡八幡宮を付き合っていた女の子と参拝したりした。

結婚した後は、家内と明治神宮に一度行って、人並みの多さに嫌になって、
京王沿線の近場とし、高尾山、高幡不動、深大寺などであった。

私の母が亡くなった後は、
年末年始に旅行して、旅先の神社で参拝していた。

ここ3年は、家内の母を自宅に招いて、年末年始を共に生活するので、
つい億劫となり初詣は私達夫婦は取りやめている。

1昨年、遊歩道を私独りで散策の折、
神代植物園に行き、隣接した深大寺を参拝した。

私は62歳の身であるが、三が日に初詣をしたのは、
20回あったかしら、と微苦笑しながら、思いうかべている。

私は人並みが苦手であるので、現役時代には一月の中旬の土曜日の午前中が多く、
退職後の今は平日の昼下りに参拝したりしている。



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されど、『寒の入り』・・♪    《初出2007.1.5.》

2008-05-07 17:16:46 | 時事【社会】
東京の郊外は、早朝は2度前後で、庭の黒土の上にうっすらと霜となって折、
ところどころ霜柱も見られる。
6時半を過ぎると、日の出となり、まぶゆい陽が昇って来る。

快晴となり、日中は11度前後のおだやかな日を迎える。

暦の上では、『小寒(しょうかん)』となっているが、
日本海沿いの雪の多い地方に於いては、昨年は豪雪となり、
今年は余りにも雪が少なくスキー場の1部のお方達が嘆いてると、
とニュースなどで視聴したりしている。

昨年の12月中旬の折、長野県の白馬村に温泉滞在をした時、
一晩で20センチ前後の雪が降り、旅人のひとりとして喜んでいた。
観光ホテルのフロント女性は、
『去年の今頃は、この辺は2メートル前後の豪雪で・・・
除雪で大変でした・・』
と微笑んで言ったりしていた。


先程、『小寒』について調べていたら、【日本文化いろは事典】で明示されていた。



『小寒』
1月5日頃
小寒は『寒の入り』つまり寒さの始まりという意味です。
本格的な寒さでないという意味があるようですが、
実際この頃になると寒さは厳しくなります。
寒中見舞いは、小寒から出し始めます。



このように綴られていたが、私は好奇心があるので、
その後についても、読んだりした。



『大寒(だいかん)』
1月20日頃
大寒とは、一年で最も寒い時期という意味です。
小寒から数えて15日後とされて折、
小寒から大寒までの15日間と大寒から立春までの15日間の合計30日間を『寒の内』といいます。
耐寒の為に様々な行事が行われます。

寒気を利用した食物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込む時期にあたります。



以上、【日本文化いろは事典】から引用させて頂きました。


このように読んでいたら、今年の冬の寒さは・・
と陽射しの受けている白梅の樹木などを私はしばらく見詰めている。

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『昭和の魅力を越える』・・♪    《初出2007.1.4.》

2008-05-07 17:11:39 | 時事【社会】
読売新聞の夕刊が配達されたので読んでいたが、
しばらく私はうなった・・。

恒例の【夕景時評】で編集委員・河野博子さんが綴って折、
『昭和の魅力を越える』と題し、巧すぎるほどの内容を認めていた。

思わず読み込み、考えさせられる記事とは、こうした記事かしらと思いながら、
数多くのお方に知ってほしく、
無断であるが転記をさせて頂きます。



一枚のCDが昨年の暮れ、米国の友人から届いた。

1967年、ブルーコメッツの「ブルーシャトウ」から74年、森進一の「襟裳岬」まで22曲が入る。
送り主は、アジア問題専門家で韓国系米国人のアラン・ソンさん(48)。
8歳だった1966年から8年間、日本で暮らした。

添えられた手紙に、こうある。
「なぜまた、いきなり『昭和ポップス』なんだ、とお考えでしょう。」
「今流行の舌足らずの音楽に比べれば、メロディーも歌唱力も圧倒的に優れている。
これは日本そのものについても言えるのではないでしょうか。
今ほど裕福な社会ではなかったけれど、
今よりず~っと魅力ある国だった」

電話をして説明を求めると、
ソンさんは、いきなり漫画「巨人の星」を持ち出した。
漫画雑誌に掲載中のリメイク版で、
主人公が星飛雄馬ではなく金持ちの御曹司、花形満に代わっていることに驚いた、という。

「貧しいなか、父の猛特訓に耐えて成長する、という物語は今の読者層の共感を得られないということらしい。
そういう今の日本は裕福になり、うわべだけ完璧で、プロセスを大事にしなくなった。
自分を鍛える、先人に学ぶことを軽視しすぎる」

今回の紅白歌合戦で披露された歌のうち、昨年リリースされた22曲(演歌を除く)。
歌詞をみると、自己の内面を鼓舞する歌が目立つ。
洗練されているが、「昭和ポップス」のパワーはない。

高度成長の時代をなつかしんでも始まらない。
平成のポップカルチャーが、昭和の輝きを越える。
それは、担い手が自分を鍛え、世界の人の心をつかめるかどこかにかかっている。



以上、無断であるが記事の全文を転記させて頂きました。


私が思わずうなったというのは、
アラン・ソンさんに私の日頃のくすぶっている思考を
明確に提示されたからである。

日本の動向は、異国人の方が的確に明瞭に捉えている場合もある。
私は日本人でありながら、自分のつたなさを恥ている。



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神社、そして寺院・・♪    《初出2007.1.4.》

2008-05-07 17:07:01 | 時事【社会】
私の住んでいる近くの丘陵には、江戸時代の中期より、
神社と寺院が丘陵を半分程づつ仲良く分け合っている。

私が生を受けた実家も神棚があり、別の室に仏壇がある。


私は年の瀬を迎えた過日の昼下り、散歩の帰路に寺院と神社を参拝したりした。

日本人の多くのお方達も、
特に新年の折、神社、寺院を違和感なく参拝していると思う。

過日、知識人の松本章男・著の『道元の和歌』(中公新書)を読んでいた時、



・・山には山の神霊が、川には川の神霊がまします。
人里の暮らしは山の神・川の神に守られています・・。
日本人は本来、そういう観念を持っていた。

聖徳太子の施政以来、外来の仏教を公(おおやけ)に受容して、
精神生活が営まれてきたが、
国土土着の神々と仏教がもたらした諸仏諸菩薩との間に競合は生じなかった。

上古代の人々は特に、山林深くに修行する山岳仏教を育てた。
そこから日本独自の両義性を持つ宗教価値観、
神仏習合の敬虔(けいけん)な思想も芽生えて、
すでに生活意識の中に定着していた。
・・・



このようなことを改めて想いだしたりしている。


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ふたたび、街は・・♪    《初出2007.1.4.》

2008-05-07 17:01:55 | 時事【社会】
東京の郊外は、澄み切った晴れ間となり、
日中は11度前後のおだやかな日を迎える。

年末年始に於いても、平年より暖さを感じて、小雨は夜の間に降った程度であり、
過ごしやすい日々が続いている。

今朝、家内の母をバス停で見送ったが、世間では仕事始めであるが、
自動車の通過、人の流れは平日より幾分少ない感じられる。

家内の母と私達は、年の瀬の29日より共に新年を迎え、
6泊7日に滞在して貰ったが、夜のささやかな宴会は昨夜で終わった。

私達夫婦も平日の生活ペースに戻すように、
私は『プラスチック』の再生ゴミを先程、
市の指定された道路に面した門扉の近くに置きに行ったりしている。


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そして、私の初夢は・・♪    《初出2007.1.3.》

2008-05-07 16:58:49 | 定年後の思い
昨夜、私はこのサイトで『今宵、私なりの初夢の願望は・・♪』に於いて、
紬(つむぎ)が似合い、臈長(ろうた)けた人と・・綴ったが、
実際はどのようであったか、綴る責務があると思っている。

私の現役時代の最後は本社から外れ、物流会社に出向となった。
この中のひとつの物流センターに勤務となり、
正社員の他、若手の男性の契約社員の10名、そして女性のパート社員が100名前後の職場であった。

私は職務上、懇親会に於いて、女性の多くと会話をした。
20代から50代の人達であったが、
昨夜の初夢はこの中の3人が出てきた・・。
このお方達は心の澄んだ人で、笑顔のたやさない優しい人妻達であった。

このお方達と立ち話をしている時、
前の職場の本社の20代の女性がいるので、
なぜかしらと思っている時に、
夢が途切れた・・。

夢は現実では考えられない時代を超えるので、苦笑したりした。

それにしても幾つになっても、
女性のしぐさ、微笑みに興味がつきないので、
こうした夢をみるのかしらと思ったりしている。

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チベット、光の中には・・!?   《初出2007.1.3.》

2008-05-07 16:24:09 | 時事【政治・経済】等
   第一章
     
昨夜、NHKで夜の9時より『青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく』と題された、
1時間半の番組を視聴した。

日中、読売新聞のテレビ番組の解説に寄れば、



海抜5072メートルという鉄道の世界最高地点を走る中国・青海チベット鉄道の魅力を伝える。

同鉄道は、2006年7月に開通。
青海省の西寧からチベット自治区のラサまで、約2000キロが鉄路で結ばれた。
その沿線には、これまで目にすることが出来なかったチベット高原の、
息をのむほど壮大な光景が展開する。
地平線で紺碧の空と溶け合う白く凍った湖や点在する遊牧民のテントなど、
下界と違った幻想的な世界が観光客の目を奪う。

しかし、ここには世界でも類を見ないほど厳しい自然環境が広がっている。
約1000キロにも及ぶ標高4000メートル以上の区間は、
ほとんどが凍土地帯で、無人の区間も約400キロある。

このために列車は、完全な気密状態を保って、
常に新鮮な酸素が供給できるよう設計されるなど、
最新の技術が施されている。

番組では、雲上の大パノラマと供に、快適な最新車両の乗り心地と、
その運行を支える裏方の苦労を紹介。
ラサに向かう様々な人々との車内での触れ合いや、
列車の開通によって変りつつある沿線住民の暮らしにも目を向ける。



以上、読売新聞の記事を無断で転記させて頂きました。


私はこの記事を読んで、色々と好奇心があったので視聴した。

ひとつには、今は亡き紀行作家・宮脇俊三・氏が乗車されていたら、
どのように表現されるか、と私なりに思い馳せた・・。



   第二章

もうひとつの好奇心は、
やはり中国政府によるチベット自治区に対する政策である。

私のつたない歴史学からは、
観音菩薩の化身としたダライ・ラマが、政治と宗教を合体し、
このチベット地域を最高指導者として統治のは1チベット、光の7世紀である。

19世紀を迎えた頃、
チベットは従来通り強固な鎖国政策をして国を治めていたが、
インドから東アジアへの進出を目的としたイギリスの殖民政策の一端があった。

中国の時の政権の清朝は、イギリスの影響を恐れ、
1910年に首都のラサに侵入した結果、ダライ・ラマ13世はインドに亡命した。

翌年、清朝は辛亥革命の勃発により崩壊し、
チベット住民により、清朝の官史や兵士はこの地域から追放され、
帰国したダライ・ラマ13世は、この地を独立宣言した。


中国は中華人民共和国が樹立後、1950年に、
『帝国主義の圧制から、チベット人民を解放する』
大義名分の下で、チベットへ侵入し、軍事の管理下に置いた。

1959年3月になると、チベット住民による抵抗運動の頂点を極めた。
住民の多くがダライ・ラマ(現世の14世)が中国側に拉致を恐れ、
ノルブンリカ宮殿を取り囲み、ダライ・ラマの身を守ると共に、
チベットの独立や中国の撤退を求めた。
首都ラサの住民の半数に相当する3万人前後の抗議の中、
中国の人民解放軍はこの宮殿に砲撃し、ラサの住民の多くが死傷した。

この中で、ダライ・マサは砲撃前に脱出して、インドで亡命政府を樹立した。
このような状況になると、チベット住民の10万人以上が、
ダライ・ラマを慕い、そして中国の弾圧から逃れる為、
隣国のインドやネパールに脱出した・・。


チベット政府の発表に寄れば、
中国軍の侵入以降、チベット人口の2割前後の120万人が犠牲となり、
数多くの僧院や寺院が破壊された。
近年は中国政府の入植政策により、
チベット人民の民族的独自性が危機に瀕していると訴えられている。

そして森林の乱伐、核廃棄物による環境破壊が懸念されている。

現在も独立運動に関しては徹底した弾圧をし、
非暴力のデモ、ダライ・ラマの写真の所持さえ取り締まりの対象となっている。

かって1989年にダライ・ラマがノーベル平和賞を受賞しても、
中国政府は徹底した無視を取り続けている。

そして、ネット検閲の禁止ワードのひとつとして、『ダライ・ラマ』があり、
最近の出来事としては、チベット人達は中国によるネット検閲に
利得優先に加担したアメリカ企業のグーグルを批判している。

このような事は、歴史書、現代史、そして新聞、雑誌などで多く綴られている。


そして私は、映画の『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を思い浮かべ、
オーストラリアの登山家・ハインリッヒ・ハラーによるチベットに過ごした7年間に於いて、
若きダライ・ラマとの交流のシーンが甦(よみがえ)ってきたりしている。



   第三章

こうした思いの中、私はテレビの番組を視聴した。


灯油を燃料としてジィーゼル機関車の3両連結は、
皮肉にもアメリカ製であり幾重の客車を牽引していた。

崑崙の山峰が観える周囲は、山峰は万年雪をたたえて、白く光を帯びて、
山裾からは過酷な大地の情景と成って折、
写真家、画家の好む光景と私は思ったりした。

その後も情景が写し出されると、私は宗教の事を突然思考した・・。
人間に取っては、日常生活を営み上で余りにも過酷な過酷な大地であったのだから、
宗教に心の拠り所としなければ生きてはいけない地域である、
と世界各地の過酷な地域を思い浮かべたりした。

番組の終始、私は何故中国政府がこの過酷な大地に鉄道を施設したのか、思いをめぐらしていた。
直感したのは、やはりチベットの統治がしやすくなる、と思ったりした。

旧・ソ連がシベリア鉄道を徹底利用し、広大なユーラシア大陸の国内地域を活用し、
戦争の時になれば、通常の道路より遥かに軍事物資の輸送力があった過去からの証明である。

番組の終わりには、首都のラサの宮殿が聳(そび)え立っていた。


今朝、中国政府としては、この鉄道の意義、目的はどのような政策で施設したのか調べたりした。

たまたま中華人民共和国・駐日・日本国大使館の公報があった。
『青海チベット鉄道が全線開通 ラサで祝賀大会』と題し、
2005.10.16.に発表されていた。


この中で、共産党中央総書記・国家主席・中央軍事委主席の胡錦涛・氏の祝賀書簡が寄稿されていた。



『チベット鉄道の全線開通はわが国の社会主義近代化における多大なる大きな成果であり、
西部大開発戦略を実施し、青海、チベットの経済・社会発展を加速し、
また沿線の各民族の生活改善、諸民族の団結強化、
小康社会全面建設の壮大な目標を共同実現するのに非常な重要な意義がある。
チベット青海鉄道の建設は西部大開発の推進、各民族の共同の繁栄・発展という大局的見地に立った
党中央、国務院の重大な政策決定であった。

各建設参加機関と広範な幹部・労働者は科学観を導きに、
極限まで挑み、1流の鉄道を築く精神を発揚し、
粘り強く頑張り、開拓・進取を旨とし、
難関を勇敢に克服し、全線軌道敷設の任務を勝利のうちに完了し、
わが国の鉄道建設史の新たな1ページを記した』



と述べられている。


私は国家の国益に基づく怜悧な政策を歴史から学んできて折、
現実の大国の動きを新聞、雑誌から教示されている。
そして、無力な私は、ため息をしたりしている。





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今宵、私なりの初夢の願望は・・♪   《初出2007.1.2.》

2008-05-07 16:21:06 | 定年後の思い
昨夜、夢みたのが初夢か、或いは今宵みる夢が初夢なのか、学者が論議するまでもないが、
どちらにしてもそれぞれのお方達が良い夢を見た方に私は支持をする。


私は齢を重ねた今でも、煩悩を捨てきれないので、
私の今宵の夢は・・と玄関庭に下り立ち、
煙草を喫いながら、少し思った。

やはり紬(つむぎ)が似合い、臈長(ろうた)けた人と語り合い、散策し、
木陰でそっと手を握り合う・・
このようなことを私なりに夢をみている。

私はこのようなことを思えば、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶えられる持ち主である。

さしずめ私が浮かんだ人は・・浜 美枝さんだったか、
関根恵子さんだったかは定かでない。

いずれにしても私が映画青年の真似事をしていた時代に、
お逢いした人々の中のお2人である。


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