7月18日 (月) 25/32℃ 
Q&A集 歩き旅(1)
江戸時代に参勤交代で南は鹿児島・薩摩藩から北は蝦夷地(北海道)・松前藩まで、各藩主は江戸と郷土を往復しました。
奥州街道から
今回、その江戸歴史街道を区切り延べ159日間、4091km、561万歩で歩き終え、このブログで 159回 紹介してきましたので、各カテゴリーからご参照下さい。
歩き旅に関わる いろんなご質問 を頂いたものの、完歩するまではお応えすることを控えてきました。
今回やっと完歩でき、自分の体験から少しはお答えする事ができるかと思います。
尚、重複質問はまとめさせて頂きました。
また歩き旅は個人の感情が多く入り、人それぞれに受け取り方も違いますので、あくまでも私の個人体験からと、参考程度でお願いいたします。
Q01 私も古希を越え、このまま人生を終えるのかと思っていましたが、偶然 77歳の喜寿 と聞くガンジー(頑爺)さんのブログを拝見し、私も毎日しているウォーキングを日本縦断の歩き旅に切り替えてみようかと真剣に考えています。 歩き旅で最も大切なポイントなどを教えてください。(東京・HM) さま他から
A01 ありがとうございます。
① 大切なポイントはいくつかありますが、私の場合は事前の準備と目的意識をしっかりと持つことでした。
1つは 私は何のために歩くのかな?
私は早くに結婚したため、学生時代、青春時代にできなかった「やり残し症候群」からでした。
学生時代にいろいろな夢を追いかけましたが何一つできず、人生の終盤になって多くのやり残しの中から一つでも何か挑戦し成し遂げたいと思いました。
それだけに実現し、歩ける喜びと、見るもの聞くもの実感するもの その全てが毎日新鮮で元気に夢を歩け、感謝と幸せの日々でした。
2つ目は 歩くテーマを決めること
私はただ歩くだけではなく、江戸時代の参勤交代の街道を調べ、最南の薩摩藩から最北の松前藩までの各国藩主・大名が郷土と江戸を往復する街道を歩き、併せて周辺の史跡や城址を巡りたいとテーマに決めました。
また最初に歩く旧東海道では人生のハイライトを過ごした大阪箕面から、千葉の孫家族と曾孫たちを訪ねる「ひ孫訪ねて100万歩」との楽しみを付加し歩く原動力としました。
居住する大阪からまず旧東海道、次いで山陽・西国街道、長崎街道、日光街道、薩摩街道、奥州道中、奥州街道仙台道、盛岡道、松前道と南から北まで区切り乍ら途切れることなく1本につなげ歩きました。
勿論、事前に自分で定めたテーマに沿って図書館やネットで情報を集め本も読み整理し予定を立てました。 このプロセスは実に夢があり楽しい時間でした。
若い時と違うので自分の体力に合わせたスケジュールが必要ですね。 若き日に夢見たテントを担いでの野外・野宿生活は厳しいので避けました (私の場合真っ先に徘徊放浪老人と間違えられ、すぐ自宅へ強制送還されそうですからね😩 🤣)
コロナ禍でもあり平時と違う世情から判断し、目的地まで歩いたらそこで一日を終え、後は安全な宿泊地を探し交通機関などを利用して宿泊し、体を休め、しっかりと食事もとり、翌朝また歩き終えた場所へ戻りスタートすることで、自分なりの1日の予定を立てました。
ゴーゴーでなく、タッチ&ゴーで歩く時間は短くなりますが安全に楽しめました。 歳とともに自分に合わせ事前の準備と安全対策は大変重要だと実感しています。
一日を歩き終えたら、安全な宿泊先まで交通機関を利用し、翌朝またここまで戻り歩きます
② 次に歩き旅で大切なポイントは
「歩けること」 つまり靴ですね。
どんなに計画を万全にし、準備を整えたとしても歩けなければ始まりません。
私はこの159日間の中で土砂降りの大雨の中、突然のドカ雪、大雪で膝上まである雪の中、また照りつける炎天下の路上、山岳歩きも全てこの同じ靴でした。
靴はゴアの準防水型(写真は2足目の靴で一足目と同じもの)
この間、靴底に穴が開くなどして3足の靴を履きつぶしましたが、新品の時 足に馴染むまで数日はかかりますが、その後 靴で大きなトラブルはありませんでした。
これはゴアで3足目の一番軽い靴ですが、真っ先に底に穴が開いた
ちなみに靴はウォーキングシューズ専門店で両足を綿密に計測し、それに基づき中敷きを制作します。 この中敷きがいかに大切かを知りました。 おかげで靴が足にぴったりとフィットし、長時間歩いても靴の中で足がずれることなく快適でした。
おかげで一日 43㎞、5.6万歩と歩いた時も足は疲れるものの、靴のトラブルはありませんでした。
足が擦れて痛くなった時、ひもの締め方が弱いからだと教えてもらい、途中でしっかりと固く紐を締め、足を固定し直すとまた不思議と痛みはなく歩けるのです。
今までにない快適さでした。
Q 03 事前訓練はどのようにしましたか?
A 私は人一倍のナマケモノのグータラで面倒くさがり屋なので、歩き旅の歩く訓練は事前に何一つしませんでした。
つまりぶっつけ本番で歩きながら訓練したので、歩き始めて数日は足、膝、腰、肩にハゲ頭までブーイングの連続で、ストライキを起こしてました。
それを一日歩き終えたら熱い風呂でしっかり癒しながら、毎回ひとつひとつの部位に 急にごめんな しかしよく頑張ったな ありがとう ありがとう! 朝になると、さあ今日も一日頼むぞ がんばろうな とか、何かと声を掛けながら癒し、鼓舞しながら歩いてきました。
その内、それぞれが我乍ら驚くほどに機能し完歩できたので不思議です。
未知の道を歩く一人旅なので、何があるか分からず何かと心配し危惧する事ばかりですが、一つ一つ準備し、最悪の事態を想定してその対策をすることで安心感が違います。
事実 冬の寒い街道からかもしれませんが、一日中誰一人として人と会わない日もあります。
また一日中歩いても自販機一台なく、勿論1軒の店もないような過疎地もあり、毎朝2リットルの水をホテルで用意してリュックに積めました。 (昔と違い川の水は農薬や雑菌が多く生では飲めません)
私は一日食べなくても歩けますが、水がないと歩けないからです。
歳をとると忘れっぽくなり、体力も臨機応変に疎くなり、凡ゆる事に若い頃できたことができなくなりガッカリすることが多くあります。
でもそれがみんな当り前のことなので、そんな自分を認識した上で余裕のある計画と、いざという時の対処法を予め準備しておくことで少しは防ぐことができます。
例えば私は財布、携帯、貴重品袋、薬箱と保険証など入れた袋など大事な物には必ず紐をつけて体やリュックと結び、万一落としてもすぐ気づくようにして何度助かったか分かりません。
これも失敗から学び考えたものの、元来不器用でそそっかしいのを自覚してませんでした。
それでもダメな時は ケセラセラ ケセラセラ! あまり深刻にならず、なるようになるさ! で開き直ったら心が落ち着きます。
Q 04 何か事故はありましたか。
A ありました。
1)小さな事故では道路の縁石に足を引っかけて前に倒れ、重いリュックもあり手を付く間もなく顔から路上に突っ込みケガをしました。 路上に血が滴り落ち、息子が事前セットしてくれていたスマホの緊急通報装置が自動稼働しサイレンが鳴って大騒ぎでしたが、幸い大事に至らず助かりました。
2)大きくは一度は箱根峠越えで、次は山陽・西国街道の岡山・広島県境の山中で突然のドカ雪に山道が消え、夢中に藪漕ぎしながら下ると大規模な山崩れで、相当な倒木の谷間に迷い込みました。 戻るにも急斜面の獣道も雪で消え戻れない。
その前に突然の大雨と雪で衣服も靴もずぶ濡れで冷たく震え、遭難を覚悟し、最後にこの状況下では数年は発見されないだろうなと、電池切れかけのスマホで子供や孫、曾孫たちの為に笑顔の自撮り写真を撮りました。
それから最悪を覚悟した上で最善を尽くそうと一歩一歩前進し奇跡的に生還できましたが、最悪を受け入れ ケセラセラ! と歌を歌いながら心に余裕を持つことでパニックを抑えました。
その他にもポイントはありますが、長くなりますので次の機会とし、今日はここまでとします。
青森県野辺地から陸奥湾を挟み対岸の恐山を望みながら一休み
奥州街道の歩き旅から