喜寿の青春賦 頑爺の 生きがい 日記!       

喜寿の青春日記 人生の黄昏を自分らしく あるがままに生きる幸期幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

森の癒し ジョンが愛した森

2022年08月16日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
8月16日(火)28/36℃ 
森の癒し
ジョンが愛した森

ジョン・レノンが愛した森は軽井沢だった事はよく知られている




 
これは軽井沢の森? 
それともリヴァプールの森?

 妻・小野洋子さんの小野家の別荘があった軽井沢・桜の地区は古くから石畳に大木のニレノキ、ミズナラ、カラマツ、コブシなどが立ち並ぶ別荘地で<幸福の谷>とも呼ばれた鬱蒼と茂る森の中の地域で 近くに万平ホテルもあるところ


 
今日のニュースでその万平ホテルが建て替えられるとあり思い出した



軽井沢は何度か訪れたことはあるものの、表通りぐらいしか知らないが、日本の代表的な避暑地で140年ほどの歴史を持つ自然保養地




ジョン・レノンはビートルズを解散後、この軽井沢で妻と息子・ショーン君と過ごし、多くのエピソードを残している




伝記書物によれば「軽井沢で過ごした期間は、ジョンの生涯の中でも最も健康的な日々であった」と記されている 



森の中を静かに散歩したり、近くの森の中の喫茶店の東屋で過ごしたり、足繫く通ったパンやさん、自転車で遠くまでサイクリングをしたり、万平ホテルのテラスで過ごしたり、別荘ではハウスハズバンド(主夫生活)を送っていたり、夫、父親、一人の人間として素直にあるがままに自分らしい生活を楽しんだようだ


 

近くの別荘で過ごす人たちから見ると、ジョンは物静かで質素、エコロジストで環境にも配慮した生活をしていたという
 



世界的なロックスター・ビートルズのリーダーだった頃の熱狂的な様子をTVで知るだけに、彼にとってこの軽井沢の森の中での静かな生活と自然との交わりがいかに大切な心の癒しであったかを知る




ジョン自身もインタヴューの中で何度も「私には樹木や草原が必要なのです」と故郷イギリス・リヴァプールの森を想い、自然に癒されてきた事を語っている




世界的なスターであったジョン・レノンだが、軽井沢には地域の大人のルールとマナーがあり、プライバシーを保てる場所であったことも幸いした


同じメンバーだったポール・マッカートニーもまたビートルズ解散後に一時神経衰弱状態に陥ったものの、スコットランドの片田舎で木を植えたり、森の中で過ごしたり自然の中で心を癒し、再生して活動を再開していった 近年来日し何度か公演したことも記憶に新しい




これは軽井沢の森? 
リヴァプールの森? いいえ 
全て私が散策を楽しむ大阪・都市近郊のベットタウン、千里ニュータウンの千里南公園ですよ
 



70余年前の人工の小さな公園にも、自然の営みを日々感じる事ができる自然がいっぱいあります 

 

ベランダの花壇の中にも、部屋の中の観葉植物の中にも小さな自然の営みから癒される森が沢山あります

ロックフェスの会場?  



ワイキキのコンドミニアム?







いいえ 
これも全て千里南公園です 
その気になれば身近なところにも森の癒しはあるし、四季の自然の営みを楽しむことができます


疲れたら森のパークカフェで一休み テラスではワンちゃん同伴でも楽しめ、家族でバーベキューもできるとか(早朝・開店前のバードツリー)


残暑お見舞い申し上げます 
暑さ寒さもお彼岸までと言いますが、残り少ない夏を楽しみましょう


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自然の力

2022年08月09日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
8月9日 (火) 28/36℃ 
自然の力

 題名をみると何かスピリチュアルな感覚のおとぎ話に聞こえるが、体験や専門家のデータからも自信をもって言えることなのだがね

写真は千里南公園の散歩道から

彼がサラリーマンから独立し、自ら創業して20数年、新しいマーケットながら業界随一の規模に成長した会社を、M&Aを行使して上場企業へ全事業を売却し引退したのは、50代半ばだった



だが長く生き甲斐のあった仕事から離れると急にすることが無くなり、彼はまもなくうつ状態に陥り、気力を失い、悶々とする日々が続いた 

全てが後ろ向きに回転し始め、もう自分では止めようもなく、予期せぬ思いもよらない出来事が次々と起こり蟻地獄に陥った



こんな経験をされた事のある人を後で何人かから聞いたので、彼だけの特殊事情ではなかった



彼はある日、家でまさに濡れ落ち葉の粗大ごみだったが「山でも歩いてきたら」との事で渋々近くの山へ出かけた 

冬の寒い日だったが、彼は下を向いたまま当てもなく薄暗い森の中へ入って行った しばらくして気が付くと珍しく雪だ きれいだなー しかし雪はやがて吹雪となり、あっという間に森の中は真っ白になった



雪がやみ太陽が顔を出し、森の中が急に明るくなってきた 小雪がまるでダイヤモンドダストのようにキラキラと輝き、妖精が舞っているようだ ガザガザと後ろで音がしたと思ったら野兎がピョンピョンと跳んで行った 見れば森の中で赤い花が咲いている 藪椿かな

野鳥が二羽嬉しそうに飛び交う 
リスがいた 葉に積もった雪が落ちると小枝がびよーんと撥ねる 
よく見るともう枝の先には新しい芽が生まれている  
みんな生きているんだ すごいな きれいだな すばらしいな‼️



いつしか彼の目から大粒の涙が零れ落ちる オレも生きている 生かされているんだな 自然の営みに感動し我に返った



どのぐらい森の中にいたのだろうか 誰もいない一人だけの世界だが、森の自然の中で自分と対峙し、癒され、慰められ、そして気づき、生きる希望を貰った 



彼のパラダイムの大転換は、森の中にいた僅かの時間だけだった
そしてそれからは、毎日のように彼が森に入り、浸り、自然と親しみ、自然と交信する姿があった



あのうつ病はいつしか消え、仕事をしていた時以上に毎日生き甲斐をもち、生き生きと老後をアクテイブに生きている その体験を基に彼は
「箕面の森のさなできごと」
「みのおの森のさな物語」とし、昨年出版した



また喜寿になって鹿児島から函館まで歴史街道を4091㎞、561万歩、159日間かけて1人で歩いたんだから、本当にあの時の濡れ落ち葉の彼かね!?



いろいろあった彼の人生だが、今が一番生き甲斐のある感謝と幸せな日々を過ごしているようだ 
今日も目の前の公園を散歩しながら自然との交信が続く 日々是好日



そしていつも多くの癒しと励ましと喜びを自然から貰い、何と素晴らしい人生なんだと叫ぶ



所属する 日本森林保健学会の上原 巌理事長(東京農大教授)を、かつて日本森林療法協会を創設された頃だからもう10数年前から知るが、偶然先生の著作を読み、森の奇跡、癒し効果が幼児から老年者まで世界の学者データからも明確に数値化され、ドイツでは既に森林療法が国の公的健康保険に適用されていることを知り驚いた



有名な精神科医の神谷美恵子氏はその著書で「少なくとも深い悩みの中にある人は、どんな書物によるよりも、どんな人の言葉によるよりも、自然の中に素直に身を投げ出すことによって、自然の持つ癒しの力ーそれは彼の内にも外にも働いているーによって癒され、新しい力を恢復(かいふく)する」 とね



日本の国土の67%は森林だ
森林浴や森林セラピーとは違う自分の森の癒しを!



自然の森は家の中の小さな鉢植えの中にもあるんだ ある日の散歩道で落ちていたメタセコイヤの小さな小枝を拾い、空いた鉢に挿し置いたのは3年前の事🌿 

部屋の中で他の植物とともに毎朝声をかけて見つめていたが、枯れるどころか根を生やして元気に育ち、先日まさかの新芽が誕生🌱 びっくり🌿 小さな鉢の植物の中にも🪴 人智では計り知れない自然の力と世界があるんだね



ジョンレノンが、ポールマッカートニーが、夏目漱石が、坂本龍馬がベートーベンが、ショパンが森に癒され、森に力を得て生き返ったと記されている



暑い日が続くが、暦の上では既に立秋 後もう少しだよ💦🌿



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ラジオ体操

2022年08月03日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
8月2日  (火)  27/37℃  
ラジオ体操

いつものように朝5時、けたたましく
「朝だぞ 起きろ!」とばかりにiPhoneのベルが鳴る😵‍💫

それまで女性の優しい声で 朝ですよ! ねえ 朝よ‼️💘 とMiss shiriに揺り起こされていたが、そのまま又気分よく再び眠りに入るので3日でやめた😂

試行錯誤してこの機械音にしたら煩く  さすが飛び起きてスイッチを切る😆



昨夜は遅くまで依頼された原稿を書いていて午前さまになったが、眠い目を擦りながらエイヤ―とベットから起きる ここでまた寝るといつも後で後悔することになるので気合が必要だ👍



窓を開けるともう前の公園から朝陽が昇り、木々の間から輝く太陽が顔をだしている🌿 
野鳥が飛び交い、セミたちもあちこちで合唱を始めた🌲😆



見ればもう公園の中ではウオーキングする人、犬の散歩をする人、体操する人などが見える







 洗面を済ませ、着替えし外へ飛び出す 今日はゴミの日だから、ついでにゴミをまとめてゴミステーションへ出す

おはようございます!  
知らない人だが、朝は出会うと挨拶をするようにしている。 すると おはようございます と返事が返ってくるのでお互いに気持ちがいい👌




先日、公園の雑草がきれいに刈り取られ、丸坊主になったような草地を歩く🌱



 目の前にある千里南公園では随所で自由なラジオ体操が行われているが、今日は芝生広場の一角で行われている所へ向かう。 と言っても其々がNHKのラジオ体操に合わせ、自由にあちこち好きな位置で運動している。 











一人小さな自分の携帯ラジオを横に置いて森の中で運動している人も、一休みする人もさまざま





終わると公園を周回、散策しつつ、部屋に戻りシャワーで汗を流す。 気持ちのいい朝のローテーションを終える





 朝食の準備、珈琲をポコポコと淹れ、100%野菜ジュースにヤクルトを入れ、アマニオイルを混ぜた特性ジュースに、食パン6枚切りの一枚を半分に切り、一枚にはオリーブオイルをかけスライスチーズをのせポークソーセージのせる。 もう一枚にはケチャップをかけタバスコを振りチーズをのせピザ風に。 この半切り2枚をトースターで5分焼けば出来上がり。 それに今朝は冷凍のパプリカをバターで炒め玉子を入れ炒ると美味しい。 アボガドとリンゴを添える。☕️🥪🥗🍅🥑



TVをつけその日のニュースを見ながらゆっくりと朝食タイム☕️
YouTubeで好きなクラッシック音楽を聴きながら片付けをして机に座る

昨日ある出版社から送られてきた本を一冊開き読んでみる。
次いで今日のするべき自分の歩き旅の編集作業を始める。 
今日も幸せな一日の始まりだ。



ここまで書くと理想的な朝のローテーションと1日の始まりに見えるが、実は現実はこう毎日思うようには進まない。

 歩き旅から帰り一か月が経ったが、それまでの旅のローテーションから180度毎日が変わり、お前はトドか? と自笑するほどに本来のグータラ、ナマケモノ生活に戻り、自分ながらどうなっているのかと嫌悪感に陥る😭

そこで徐々にこれでは一日がもったいないと心を入れ替え? 始めたのが上記の生活なのだが、いつまで続くのかな⁉️🤣

 
毎日とはいかずとも、自分のあるがままに自由にしていたら、そのいい加減なルーズさを知るだけに自分が好きになれないので自分との小さな闘いだ😂

さて明日も朝から30℃ と暑い🥵  というが、どうするべえかな!!🤣🤣





 
今の時期 百日紅の花が美しい🌸


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キノコ撮り

2022年07月26日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
7月26日 (火)  26/36℃ 
キノコ撮り

今日の散歩道からふと公園のキノコを探してみようと思い立った。
都市近郊のベットタウン その中にある千里南公園は、いつもの散歩道


このニュータウンの造成が始まってもう70年以上とのこと 公園もその頃に造られたものだろうが、すると樹齢70年の樹木もあるかもね?
数年前の大型台風で巨木が相当倒れたそうだが、同じ位の年齢を思うとこれも生物の寿命かと想う😂



ところが数日前から公園一帯の草刈りが始まり、野草花やキノコも一斉に刈り取られたのではと危惧😭
 
いつもきれいに草刈りをし、毎日掃除をしてくれているのでとても有難く感謝なのだがね😂




そんなことを思いながら探す
あった‼️










数年前まで箕面の森の散策を日課としていた頃は、沢山の種類のキノコを見かけたが、採って食する事はなく、もっぱら撮るだけだった🍄
 
子供の頃、安曇野では神社の裏に松茸やシメジ、マイタケなどが沢山あり、それらを採り帰ると祖母が調理し食卓に乗ったが、今は下手な知識がついて怖くて口にはできない😵‍💫

スーパーにはいろんな種類のキノコが販売されているが、山や森の自然のキノコと違い香りや形も違う感がするも、安心して食べられるから毎週何らかのキノコを食べる👌

公園のアスレチック器具で運動する人


丘の上で竹笛の練習をしている人がいたが、きれいな音色が森に響く


晴れたり雨が降ったり、最近は目まぐるしく天気が変わる

丘の上から千里中央駅方面と箕面の山々をのぞむ


再びキノコ撮りを始める 種類は少ないが意外とあるものだね
















散歩を終えたらシャワーを浴び、また机に向かい歩き旅の原稿と対峙する  物忘れが進み、記憶もつい先日の歩き旅の思い出まで消えてしまいそうなので、撮った写真を辿りつつ、その情景を想い文章に起すが、楽しい自分だけの至福の時間だ


珈琲の香りと爽やかな風が部屋の中を吹きぬける





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Q&A集 歩き旅 (2)

2022年07月22日 | 頑爺のMy Q&A
7月21日 (木) 24/32℃  
Q&A集 歩き旅   (2)

喜寿の青春賦 
日本列島縦断歩き旅から
Q&A (2)

過去に頂いたご質問は概ね以下の通りです。 
自分の体験から少しでもお役に立てることがありましたら幸いです。
(* 空欄はこれから順次お応えできたらと思います)







05Q 失礼ですがそのお歳で日本列島縦断の歩き旅をしようと思った動機はなんですか
A  Q&A (1) に記載しました。

06Q 事前の歩く為の準備はどのようにされましたか
A  

07Q 怖かったことはありますか
A  

08Q 家族の了解は得られたのですか
A  1人居住まいですが、子供たちは「お父さんの人生だから、最後にやりたいことを思うように頑張ってみたらいい」旨、それぞれ息子家族は応援してくれました。

09Q 泊まる所はどうされたのですか またその選び方と基準は
A

10Q 途中のトイレなどはどうされましたか
A

11Q 途中で歩けなくなったことはありますか
A

12Q 街道の地図や歩く道順などはどう決めるのですか
A

13Q 必要な持ち物を教えて下さい
A

14Q 歩いている時は何を考えているのですか
A







15Q 雨の日はどうするのですか
A   私は大雨や雪、炎天下でも歩いてきましたが、やはり無理しないほうがいいですね。

16Q 食事はどうするのですか
A   

17Q 荷物(リュック)の中身を教えてください
A

18Q 着替えや洗濯はどうするのですか
A

19Q 野宿することもありますか
A   ありません。 若い時の青春でなく、野宿用の道具を担ぐには重く、コロナ禍でもあり、安全な宿泊施設を探し泊りました

20Q 電車には乗らないのですね
A   歩き旅ですから途中パスして乗る事はありません。 
但し、2度ほど暴風雨と大雪の為、途中からバスで急遽避難し、後日その乗った区間を歩き直しました。

 また1日  目的地まで歩き終えたら、近くの交通機関(バス、電車など)を探して、安全な宿泊施設まで行き、体を休め、食事も取り、また翌朝歩き終えた所まで戻りスタートします。
(地方では歩き着いた所はほとんど無人駅で周囲に何もないからです)


21Q 途中でギブアップ(中断)したことはありますか
A

22Q 途中でケガや病気はありませんでしたか
A  病気はありませんでしたが、怪我などはありました。
(一例をQ&(1) に記載しました)









23Q 歩き旅で特に注意することは何ですか
A

24Q 歩き旅で重要な準備事項はありますか
A

25Q 靴はどう選べばいいですか
A  Q&A(1) に記載しました。

26Q 歩く最適な時期がありますか
A  歩き旅はやはり天候に大きく左右されます。
私は夏場に弱いので、冬場が最適でした。 冬場は防寒着でカバーできますが、夏場の炎天下は厳しいです。 しかし冬場と言っても、北の降雪期は避け南を歩き、春秋に北を歩くなど工夫が必要です。

27Q リュックの重さはどのぐらいですか
A

28Q 歩く地図は何を参考にされましたか
A

29Q 歩いていて声を掛けられることはありますか
A

30Q 国道など大型トラックが通る一般道を歩く事もありますか
A   あります。
江戸時代の参勤交代の道が現在国道となっている所が随所にあります。 歩道がある所と無い所がありますから、特に雨の日は大型車の水しぶきで全身ずぶ濡れになりますから、脇道や並走する田舎道を探すこともあります。

31Q トンネルの中を歩く事もありますか
A  あります。
本来、江戸時代の街道にトンネルはありませんが、30Qお応えしたように国道を歩けばあります。 短い所から長い所 (私は山崩れの為国道トンネルを歩いた時、最長2.5kmほど、抜けるまで40分かかりました)









32Q 街道を歩いていて野生動物などと遭遇しませんか
A   あります。
熊の出没状況が1番気になり、注意の立て看板があると地域住民の方に状況を聞きました。 ここは熊の巣窟だと笑いながら脅かされたこともありますが幸い大丈夫でした。
山の中ではキツネやタヌキ、ハクビシンに爬虫類、時には猿、鹿や猪などは山歩きと同じで常にいます。


33Q どんな危険な目にあいましたか
A   一部をQ&A (1)  に記載しました。

34Q 相当写真を撮ってられますがどうしてですか
A   歳とともに記憶力が薄れ、後で思い出せないことが沢山あります。 歩いた順番に写真を残しておけば、後で見てもその時の状況がすぐに思い出せて後日文章に残すこともできます。

35Q 毎日ブログでその日の行動を発信されてますが 大変では?
A   これも写真と同じで、その日の状況を簡単にポイントだけでもその日に記載しておかねば、翌日にはもう忘れて思い出せないからです。 
年齢とともに困ったものですが、断片的な記載だけでもあれば思い出すことができます。

36Q 水分はどのぐらい摂るのですか 
A  平均3〜4リットルかな?
1日中歩いても自販機1つ、もちろん店などない過疎地もあり、朝出発時ホテルで2リットルのボトルは必ずリュックに入れます。 

37Q 全て外食かと思いますが、栄養バランスは大丈夫ですか
A

38Q 歩く情報はどうやって調べましたか
A

38Q 雨具はどの程度用意すればいいですか
A

40Q 一日の歩く時間、距離や歩数はどのぐらいですか?
A  冬場が多いため朝は7.8時〜夕方は4時前後で1日8時間ほど。
平均して1日約27km. 3.7万歩でした

41Q 音楽を聴きながら歩けますか
A  

42Q ケガや事故などありませんでしたか
A ありました。 一部を  Q&A (1)に記載しました。










43Q 都会と田舎(過疎地等)の歩く違いはありますか また注意点は?
A

44Q 夜に歩くことはありますか
A  ありません。
但し、道に迷い遅くなった時や、間違えて真っ暗な無人駅で2時間ほど待ったこともあります。

45Q 車道脇を歩く時の注意点は?
A

46Q 歩く時右側か左側を歩いた方がいいとかありますか
A

47Q 服装で注意点はありますか
A

48Q 歩く道にコンビニはありますか
A  地方の街道には全くない所もありますが、県道や国道に出ればあります。 しかしそれをアテにして行動計画を立てると歩き旅が成り立ちません。

49Q 昼食はどんな所で食べますか 朝夕の食事内容も
A

50Q 歩いた記録はどうしてますか
A

51Q 歩き旅の完歩をご家族はどう評価されてますか
A   アメリカに住む息子は私のブログをチェックし、無事な完歩を大変喜んでくれました。 孫たちからのメッセージも嬉しかったです。

近くに住む下の息子は常に私の歩く状況をGPSで、また毎朝のLINEで確認し把握してくれていて、どれだけ心強かったかわかりません。

「夢を追い続けていれば叶うものなんだなー」と、帰阪後 焼鳥屋で完歩祝いをしてくれたときに呟きました。 
子供や孫、ひ孫たちに何か伝わるものがあれば幸せです。
この時の生ビールの乾杯は最高に嬉しく美味しかったです🍻


52Q 歩いていて足のトラブルはどの程度ありましたか
A   Q&A(1)に少し書きました

53Q 靴や装備品など具体的に教えてください また注意点なども
A

54Q 歩き旅のメリットはなんですか またデメリットはありますか
A

55Q 人から声を掛けられることはありませんでしたか
A

56Q 何か誤魔化して歩いたような事はなかったですか バスにのるとか
A   ありません。
歩き旅は自分との闘いです。 もし誰も見ていないからと、誤魔化したり、裏切るようなことをすれば何のための目的か分からなくなります。 自分に正直でありたいです。

57Q 途中で区切って歩くのは何故ですか
A

58Q 若い時の青春と喜寿の青春との違いは何ですか
A

59Q 歩き旅の様子をブログ写真で見ている人が多いと思いますが、本にする予定はないのですか
A

60Q 私はまだ60代ですが、歳をとっても歩けるものなんですか
A   年齢を問わず、あの若き青春の夢や希望を抱いた時のように、その一歩を踏み出した時が正に青春だと実感しています。 
恋をしたときの勇気とその一歩を思い出して下さい🤣
歩いた561万歩も、短い足ですがたった70cmの一歩から始まりました。


61Q すでに曾孫さんが3人もおられるとの事ですが、子供や孫たちへ伝えたいこと、伝えたい教訓などありますか
A









62Q お金がかかるのか、かからないのか判断できませんが、予算は?
A

63Q 持ち物で便利だったものはありますか
A

64Q 事前に準備が必要なことはどんなことでしょうか
A   一部 Q&A(1) に記載

65Q ブログで自然学校や文学学校、川柳会などで今も毎週学び続けていると聞きますが、歩き旅と並行してできるものですか また別物ですか?
A

66Q 以前「箕面の森の小さなできごと」「みのおの森の小さな物語」など二冊の本を出版されましたが、歩き旅に活かされた事はあますか?
A

67Q 歩き旅を始めるにあたって読んだ本や資料など教えてください
A

68Q ブログの写真がいつもとてもきれいですが何か学んだのですか
A  ありがとうございます。
学んだ事はありません。 カメラも全てスマホだけです。 ただiPhoneの無料の写真補正機能を使用しています。

69Q 海外は歩かれないのですか
A

70Q 膝痛やこむら返り腰痛などで市販の薬やサプリを飲んでますが、頑爺さんは利用されてますか
A   こむら返りの漢方薬は即効性があり、かかりつけ医師から処方されていますが助かります。
膝痛や腰痛、肩凝りなどのサプリメントは何一つ利用していません。

71Q   歩くときの脚や腰、肩に何かサポーター等するのですか
A    靴下は5指用を使いました。
 膝や腿はサポーターで締めますが、当初高い市販の物を買いました 
(TVなどでよく宣伝しています) が、私には使い勝手が悪く、それまで山歩きで使っていた100均(100円)の簡単装備がよく、結局最後までそれで十分でした。
腰、肩にサポーターは不要でした。

72Q  1日の睡眠時間はどれぐらいですか
A   平均4〜5時間ですが、毎日のローテーションで歩き通すことができました。 やはり洗濯の時間と、ブログUPの為の写真整理、翌日の準備に時間がかかりました。









他の Q&A はまた続けます。


コメント (4)
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Q&A集 歩き旅(1)

2022年07月18日 | 頑爺のMy Q&A
7月18日 (月) 25/32℃  
 Q&A集 歩き旅(1)

江戸時代に参勤交代で南は鹿児島・薩摩藩から北は蝦夷地(北海道)・松前藩まで、各藩主は江戸と郷土を往復しました。

奥州街道から




今回、その江戸歴史街道を区切り延べ159日間、4091km、561万歩で歩き終え、このブログで 159回 紹介してきましたので、各カテゴリーからご参照下さい。

歩き旅に関わる いろんなご質問 を頂いたものの、完歩するまではお応えすることを控えてきました。
今回やっと完歩でき、自分の体験から少しはお答えする事ができるかと思います。

尚、重複質問はまとめさせて頂きました。
また歩き旅は個人の感情が多く入り、人それぞれに受け取り方も違いますので、あくまでも私の個人体験からと、参考程度でお願いいたします。

Q01  私も古希を越え、このまま人生を終えるのかと思っていましたが、偶然 77歳の喜寿 と聞くガンジー(頑爺)さんのブログを拝見し、私も毎日しているウォーキングを日本縦断の歩き旅に切り替えてみようかと真剣に考えています。 歩き旅で最も大切なポイントなどを教えてください。(東京・HM) さま他から

A01  ありがとうございます。
① 大切なポイントはいくつかありますが、私の場合は事前の準備と目的意識をしっかりと持つことでした。

1つは 私は何のために歩くのかな?
 私は早くに結婚したため、学生時代、青春時代にできなかった「やり残し症候群」からでした。 
学生時代にいろいろな夢を追いかけましたが何一つできず、人生の終盤になって多くのやり残しの中から一つでも何か挑戦し成し遂げたいと思いました。
 それだけに実現し、歩ける喜びと、見るもの聞くもの実感するもの その全てが毎日新鮮で元気に夢を歩け、感謝と幸せの日々でした。

2つ目は 歩くテーマを決めること 
 私はただ歩くだけではなく、江戸時代の参勤交代の街道を調べ、最南の薩摩藩から最北の松前藩までの各国藩主・大名が郷土と江戸を往復する街道を歩き、併せて周辺の史跡や城址を巡りたいとテーマに決めました。 


また最初に歩く旧東海道では人生のハイライトを過ごした大阪箕面から、千葉の孫家族と曾孫たちを訪ねる「ひ孫訪ねて100万歩」との楽しみを付加し歩く原動力としました。

居住する大阪からまず旧東海道、次いで山陽・西国街道、長崎街道、日光街道、薩摩街道、奥州道中、奥州街道仙台道、盛岡道、松前道と南から北まで区切り乍ら途切れることなく1本につなげ歩きました。

 勿論、事前に自分で定めたテーマに沿って図書館やネットで情報を集め本も読み整理し予定を立てました。 このプロセスは実に夢があり楽しい時間でした。 

 若い時と違うので自分の体力に合わせたスケジュールが必要ですね。 若き日に夢見たテントを担いでの野外・野宿生活は厳しいので避けました (私の場合真っ先に徘徊放浪老人と間違えられ、すぐ自宅へ強制送還されそうですからね😩 🤣)

コロナ禍でもあり平時と違う世情から判断し、目的地まで歩いたらそこで一日を終え、後は安全な宿泊地を探し交通機関などを利用して宿泊し、体を休め、しっかりと食事もとり、翌朝また歩き終えた場所へ戻りスタートすることで、自分なりの1日の予定を立てました。

ゴーゴーでなく、タッチ&ゴーで歩く時間は短くなりますが安全に楽しめました。 歳とともに自分に合わせ事前の準備と安全対策は大変重要だと実感しています。


一日を歩き終えたら、安全な宿泊先まで交通機関を利用し、翌朝またここまで戻り歩きます

②  次に歩き旅で大切なポイントは
「歩けること」 つまりですね。
どんなに計画を万全にし、準備を整えたとしても歩けなければ始まりません。 

私はこの159日間の中で土砂降りの大雨の中、突然のドカ雪、大雪で膝上まである雪の中、また照りつける炎天下の路上、山岳歩きも全てこの同じ靴でした。 
靴はゴアの準防水型(写真は2足目の靴で一足目と同じもの)
 


この間、靴底に穴が開くなどして3足の靴を履きつぶしましたが、新品の時 足に馴染むまで数日はかかりますが、その後 靴で大きなトラブルはありませんでした。
 
これはゴアで3足目の一番軽い靴ですが、真っ先に底に穴が開いた



ちなみに靴はウォーキングシューズ専門店で両足を綿密に計測し、それに基づき中敷きを制作します。 この中敷きがいかに大切かを知りました。 おかげで靴が足にぴったりとフィットし、長時間歩いても靴の中で足がずれることなく快適でした。

 おかげで一日 43㎞、5.6万歩と歩いた時も足は疲れるものの、靴のトラブルはありませんでした。

足が擦れて痛くなった時、ひもの締め方が弱いからだと教えてもらい、途中でしっかりと固く紐を締め、足を固定し直すとまた不思議と痛みはなく歩けるのです。
今までにない快適さでした。

Q 03 事前訓練はどのようにしましたか? 
 A   私は人一倍のナマケモノのグータラで面倒くさがり屋なので、歩き旅の歩く訓練は事前に何一つしませんでした。 
つまりぶっつけ本番で歩きながら訓練したので、歩き始めて数日は足、膝、腰、肩にハゲ頭までブーイングの連続で、ストライキを起こしてました。

それを一日歩き終えたら熱い風呂でしっかり癒しながら、毎回ひとつひとつの部位に 急にごめんな しかしよく頑張ったな ありがとう ありがとう! 朝になると、さあ今日も一日頼むぞ がんばろうな とか、何かと声を掛けながら癒し、鼓舞しながら歩いてきました。
その内、それぞれが我乍ら驚くほどに機能し完歩できたので不思議です。

未知の道を歩く一人旅なので、何があるか分からず何かと心配し危惧する事ばかりですが、一つ一つ準備し、最悪の事態を想定してその対策をすることで安心感が違います。
 
事実 冬の寒い街道からかもしれませんが、一日中誰一人として人と会わない日もあります。 
また一日中歩いても自販機一台なく、勿論1軒の店もないような過疎地もあり、毎朝2リットルの水をホテルで用意してリュックに積めました。 (昔と違い川の水は農薬や雑菌が多く生では飲めません)
私は一日食べなくても歩けますが、水がないと歩けないからです。

歳をとると忘れっぽくなり、体力も臨機応変に疎くなり、凡ゆる事に若い頃できたことができなくなりガッカリすることが多くあります。 
でもそれがみんな当り前のことなので、そんな自分を認識した上で余裕のある計画と、いざという時の対処法を予め準備しておくことで少しは防ぐことができます。 

例えば私は財布、携帯、貴重品袋、薬箱と保険証など入れた袋など大事な物には必ず紐をつけて体やリュックと結び、万一落としてもすぐ気づくようにして何度助かったか分かりません。 
これも失敗から学び考えたものの、元来不器用でそそっかしいのを自覚してませんでした。




それでもダメな時は ケセラセラ ケセラセラ! あまり深刻にならず、なるようになるさ! で開き直ったら心が落ち着きます。
 
Q 04  何か事故はありましたか。
A ありました。
 1)小さな事故では道路の縁石に足を引っかけて前に倒れ、重いリュックもあり手を付く間もなく顔から路上に突っ込みケガをしました。 路上に血が滴り落ち、息子が事前セットしてくれていたスマホの緊急通報装置が自動稼働しサイレンが鳴って大騒ぎでしたが、幸い大事に至らず助かりました。

2)大きくは一度は箱根峠越えで、次は山陽・西国街道の岡山・広島県境の山中で突然のドカ雪に山道が消え、夢中に藪漕ぎしながら下ると大規模な山崩れで、相当な倒木の谷間に迷い込みました。 戻るにも急斜面の獣道も雪で消え戻れない。

その前に突然の大雨と雪で衣服も靴もずぶ濡れで冷たく震え、遭難を覚悟し、最後にこの状況下では数年は発見されないだろうなと、電池切れかけのスマホで子供や孫、曾孫たちの為に笑顔の自撮り写真を撮りました。

それから最悪を覚悟した上で最善を尽くそうと一歩一歩前進し奇跡的に生還できましたが、最悪を受け入れ  ケセラセラ!  と歌を歌いながら心に余裕を持つことでパニックを抑えました。

その他にもポイントはありますが、長くなりますので次の機会とし、今日はここまでとします。



青森県野辺地から陸奥湾を挟み対岸の恐山を望みながら一休み



奥州街道の歩き旅から

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クリスチャンフレンド

2022年07月16日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
7月16日 (土) 25/31℃ 
クリスチャンフレンド

 先月、日本縦断の江戸歴史街道歩き旅を終えての帰路、東京に立ち寄り、小学校時代の友人との交わりを深めた。

*以下の写真は千里南公園の散歩道から

 なかでも60数年ぶりに再会した一人の級友とは、今も涙が出るほど懐かしくいろいろな思いが蘇る。

幼い頃から共にクリスチャンホームで育ち、今回 彼の教会礼拝へ誘ってくれた別の級友と共に参列した。



 子供の頃は教会の日曜学校へよく通ったが、先日、大阪で何年振りかで開かれた小学校の同じクラスの同級会で、その日曜学校へみんなで行ったと言う人が多くいて驚いた。 
昭和30年頃はまだ何もなかった頃だから珍しいイベントだったのかもしれない。

 
 既に引退されたものの今回 60数年ぶりに逢った級友の彼はミッション系大学の教授、総合大学総長を長く務め、日本のプロテスタント・キリスト教会ではとても有名な人だ。
ランチを共にしながら小学校時代の想い出に話しが弾んだ。



私は学生時代にクリスチャンの両親に反発し家を出てから長く教会を離れた。
だが両親も亡くなり、古希を過ぎて自由の身となったのを機会に、弟が牧師として活動する教会礼拝に時に参列し心を癒す。

小学校時代のクリスチャンフレンドがいて、60年を過ぎてもその交わりができるとともに自分の原点に立ち戻れるのは両親のおかげだ。



また小学校時代、共に過ごした下町の小さな教会で、同じクラスの級友と過ごした日々が、喜寿を越えてもこうして交わりが持てるのは感謝で幸せなことです😂 



 
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トマトが消えた

2022年07月14日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
7月14日 (木) 24/28℃ 
トマトが消えた

冬に何かの景品の中にミニトマトの種が 5.6粒入っていたので歩き旅に出かける前にベランダの鉢に蒔いておいたら芽🌱がでてきた。

歩き旅から帰りベランダを見ると、水をやっていないのに立派に苗が育ち花まで咲いていた。 
そのスピードにびっくり‼️

やがて小さな赤い実りとなって、いつか収穫しスパゲッティーに、また野菜サラダの上に乗せるのを楽しみにしていた🤣


ところが翌日見ると3つの鉢が倒れ、赤くなったトマトがない?? 強風にもがれたのかな? それから何度か実り、翌朝は収穫をと思っていたら同じように鉢が倒れトマトがない?

周辺を見ると室外機の上にトマトの赤い皮と種子が散らかっている? 
そうかカラスだったのか🤬 

カラスの知恵はかつて箕面の家にいる時、周辺でカラスの大群が毎日押し寄せて、テレビの全国ネットでも中継された位だった。 

大きな屋敷の老婆・姉妹が毎日カラスに餌をまいていたからだとわかったが、それ以降も大変で箕面市は条例を作り駆除に乗り出したが、カラスとの知恵比べに数年かかったことがある。

窓から見ていると前の路上にカラスが何かを咥えてきて置いた。 自動車が通ると路上へ見に行く。 何度か通るうちにやっとそれを食べている。 
どうやら固い銀杏の実を車に轢かせ割っているようだ。 凄い知恵にビックリ😵‍💫

さてこのミニトマト🍅のカラスとの戦いをどうするかな? 
結局ベランダを汚されるばかりなので室内に入れ、日当たりの良い窓辺に置く👌
明朝はカラスのその悔しい顔を見てやるかな🤣

千里南公園にもカラスが多くいる

消えたトマトの代わりでもないが、モンステラに新しい新芽を発見🌱
あれよあれよと言う間に室内のモンステラに9枚目の家族が増えたのでびっくり‼️



引越して来た時はたった2枚の葉だったのに、この2年半の間に7枚も増えて9枚となった😂

部屋のエバーグリーンも今次々と新芽が誕生している🌱 
23個の室内鉢の植物はみんな居心地が良さそうだ🤣
新しい小さな命に乾杯‼️🌿




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嬉しいこと

2022年07月13日 | 頑爺のMy 食事 レシピのないジジ飯
7月13日 (水)  25/33℃   
嬉しいこと

今宵のディナーは冷蔵庫にある野菜やキノコ類、ハムやソーセージなど10種類ほど入れた定番の野菜炒め。 
たっぷりのオリーブオイルで炒め味付けするだけだが、栄養もボリュームも満点
それに毎食の冷奴、納豆、モズクや海苔など👌

今宵の嬉しい事は、先日 能勢・妙見山の緑豊かな山のバーベキュー場で自然大学校の同期の皆さんに
日本縦断歩き旅 4000km 560万歩
完歩のお祝いをしてもらったこと。

その時にプレゼントされたのがこの純米大吟醸・聚楽第   なんでも俳優の佐々木蔵之介の実家だと言う。

豊臣秀吉の居館、聚楽第の跡地にて、洛中伝承の技法にて醸した酒と言う。  もったいなくもありがたく頂戴する。


横の焼き物のカップは、セミプロの同期の仲間が記念にと焼いてくれたもの。 画家でもあり才能抜群😵‍💫
朝モーニングコーヒーを入れて飲んでみたが、冷めにくく温かみがあって何とも美味しかった。

また食卓上の大根の漬物は、農業を兼業とする仲間の手作りの物でいつも季節にいろんな産物を頂き、美味しくいただいている。 感謝です。

バーベキューでは実に美味しい赤ワインや白ワインに旨い焼酎など、いろんなアテも重いのに持ってきて下さり、生ビールとともに皆さんと一緒に語り、笑い、楽しい幸せなひとときを過ごした。

昨年出版した私の箕面の本を重いのにわざわざリュックに入れて持ってこられ 
サインを入れて‼️ と。 
サインなど まさか⁉️
半分酔っ払って書いた乱筆をごめんなさい😵‍💫

何とありがたいことばかりで感謝でいっぱいです。
皆さん本当に有り難うございました
じわじわと嬉し涙が溢れます😂

今宵はその幸せを噛み締めながらゆっくりと皆さんからの友情をいただきます❤️

また同じ仲間の「笑い絵」の師匠から手本を頂き感謝です。
さすがに真似できません😭  
勉強します  トホホ😂 


共に学び、自然界のフィールドで活動してきた同期のみんなとは4年目🌿 
よく学び、よく笑い、よく飲み合う人生の良き友となりました😆

花や植物や樹木、昆虫や鳥類、その他自然の凡ゆる営みに精通した人たちが多い中で、いつも最年長の爺を仲間に入れてくれてありがとう😂




 
一人一人の顔を想い浮かべながら、感謝と幸せな人生に乾杯🍻🥂



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明日は奇跡

2022年07月11日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
7月10日 (日)  22/32℃ 
明日は奇跡



安倍晋三氏の暗殺映像を何度も見ながら思う。
netで書きものをしている時、画面に速報が入りそのまま何時間もライブ映像を見続けた。 祈り願いも届かずご逝去されました。 ご冥福をお祈りいたします。

今の今までお元気で居られた方が、その僅か後にもうこの世にいなく永遠に会えることがない現実に戸惑い、無の世界に陥る体験を長い人生の間で何回も味わってきた。

学生時代、あの米国第35代大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディが暗殺されたときの一報をラジオで知ったときの衝撃は今でも思い出される。 始まったばかりの日米同時中継白黒テレビで更にその映像は衝撃を増し何日も泣いた。
側近のソレンセン著作やケネディの関連著作を読み耽った。

明日のこない夜はないと、悲しみ苦しみ辛さのどん底にある夜も、やがて夜が明けて朝日が顔を出すと信じている。

この世に生まれた人間はいつしか死んでいく。 早いか遅いか、病気か突然の事故か事件かは別として、今の今が明日も続くとは限らない現実を目の当たりにする。

朝、妻に抱かれて  いってらっしゃい と元気に笑顔でバイバイしてくれた1歳2ヶ月の次男 夜にはもう二度と還らない身となり天国へ昇っていった。 今日のように真夏の暑い日だった。 

仲の良かった弟も、ある日突然の事故で昇天していった。 彼の家族を思えば余計にその悔しさは計り知れない。

亡父母の時もそうだったが、明日も同じ日が続くとは限らず、むしろ奇跡なのだと思うようになった。 
明日のこない夜もあるのだ。
今日の今のこの時がどれだけ大切な時間かとしみじみと思う。

自分とてそうだが、数年前  頭が痛いからと早めに風呂から上がり、寝室に上がろうとしたが、家人の機転で市民病院の救急外来に連れて行ってもらった途端意識不明となり、翌朝国立病院の集中治療室で目が覚めた。 あと30分遅れていたら死んでいた 脳硬膜下血腫と聞かされた。
生かされた命なのだ。

改めて今を生きる感謝に手を合わせ、明日も必ず来ると信じている。

でもそれは当たり前ではなく、奇跡の出来事なのだと。 
だから今を大切に生きていきたい。





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今日は七夕

2022年07月07日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
7月7日(木) 24/35℃
今日は七夕

今朝は気持ちの良い快晴のお天気☀️
おはよう! と窓を開ければ、もうセミの大合唱団が大声で合唱中🤣 
夏らしくていいね👌

今日は七夕🎋
昨日かかりつけの箕面船場の歯科医院へ出かけた帰り、千里中央に大きな七夕の短冊ツリーがあった
皆さん思い思いの願い事を書いてつるしていた




この願いはストレートでいいね 
きっとモテる願いは叶いそうだ


ところで歯科はインプラントの建設工事が始まってから4ヶ月、来月には完成しそうだ👌
これで旨いものはさらに美味しく、おいしくないものはそれなりにしっかりと食べられそうで楽しみだ🤣

以下 千里南公園の散歩道から
夏の雲だ






食欲といえば、歩き旅では毎朝あれだけの量を毎日食べていたのに、歩き終えて日常の生活に戻ると、その5分の1も食べられないので体は正直だな😂 





最も歩き旅では毎日30km近く歩いていたのに、その30分の1位しか歩かず、部屋の中で書きものをしているのだから当然だ😭





今日はこれから文学学校のゼミ、
週末は自然大学校の仲間たちと山の中でバーベキュー🍻🥂
夏は夏らしく過ごすのが一番だ😆





少し歩いて体力を使わねば、またPontaの出腹と競う事になりそうだ トホホ🥵



*ご連絡です。
 このブログ内での写真は江戸歴史街道を含め全てご自由にお使いください。 
拙い写真ですが研究、営業、趣味など、わざわざ許諾のご連絡を頂き恐縮です。 
いずれも連絡は不要ですので、ご活用頂ければ幸いです。 頑爺
 


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夏の絵画

2022年07月02日 | 頑爺のMy 絵画
7月1日(金)25/37℃ 
夏のMy絵画

日本列島縦断の江戸歴史街道を函館で歩き終えた途端に土砂降りの大雨

東京で数日過ごし大阪に帰るとすでに梅雨が明けて今度は真夏日、しかもその暑さや尋常ではない 
あのまま歩き旅が続いていたら丸干しになりそうだった😫

何しろ 30℃を越えるとハゲ頭はもう45℃ 以上とのことでゆでだこ😡 になり、とても炎天下を歩いてなんかおれないのでギリギリ助かった🥵🤣

よく食べよく歩きよく昔の街道を歩き続けられたと、我乍ら他人事のように感心する

大雨の日も、突然のドカ雪で山の中で迷子になり遭難を覚悟したことや、ここはクマの巣窟だからと地元の人に脅かされたりしながらも歩き続け、タヌキと一緒に歩いたりもした🤣
 
だが何といっても日本の自然に感動し、四季折々の季節感を味わいながらも、やはり温暖化など地球環境の変化を感じさせられたりもした😵

江戸時代の参勤交代制度で各藩の藩主、殿様が江戸を往復した歴史街道を中心に南は鹿児島・薩摩藩の薩摩街道から、長崎街道、山陽・西国街道、東海道、日光街道、奥州道中、そして奥州街道・仙台道、盛岡道、松前道と歩き蝦夷地・最北の北海道  松前藩に着いた👌

その距離は区切り延べ  
159日間  4091km   561万歩  
ほどだった

幸期幸齢者となった2020年1月からスタートし、2年5か月もかかってしまったが、自然大学校や文学学校、川柳会などの合間をぬって歩き続けられ感謝です🙏

帰路に千葉で3人の天使(ひ孫)らと遊び、東京で小学校同級生と65年ぶりに再会したり、また高校大学の学友と交流を深めたりしながら 喜寿の青春 を楽しんだ

ここ数日はただ体をケアしながら心身ともに休み、旅の回顧に明け暮れるが、1日平均  4時間の睡眠で  毎日25㎞以上 歩き続けてきた歩き旅のローテーションが狂い、何だか寝てばかり 本来のナマケモノのグータラ状態で我乍らトドになったみたいだ😅 

ふっと久しぶりに絵でも描いてみようかな?? と😊 
既に描いた夏のキャンバスを引き出してみた  その一部がこれだ
描いていた当時の心境を想い懐かしさに涙する😂 

油絵、アクリル画材にて描く

社員旅行で社員と共にグァム島へ行ったとき、突然のスコールにビックリ! ずぶ濡れになったが楽しかったな


カナダ・ガスペキュービック 
海岩の家


カナダの穀物倉庫と貨物列車


留学中の娘とニュージーランド・クイーンズタウンとワカティブ湖を見つつケーブルカーで上る 懐かしいな

カナダ・オンタリオで現代も昔のままの信仰に生きるメノナイト宗派の人々

ドイツ・メールスブルグの街

チェコ・チェスキークロムロフの町並み


地元大阪・箕面新稲の麦畑

箕面の森 山荘脇の箕面川


箕面滝道の茶店

大阪・箕面の森 勝尾寺林道の木洩れ日に浸る

箕面の滝道 少し上の林道から眺める

森の中の箕面ビジターセンター 
前の野草園に花々が咲く

箕面大滝の前で愛を誓う二人


テネシー・リールフット湖の夕陽


広島竹原・製塩町の町並み


ラベンダーガーデンから見る富士の山


イタリア・リビエラ  ポルトフィーノの港町


曇天の秋田・鳥海山麓の稲田 
今年は梅雨があっという間だった

サンフランシスコのクラシックケーブルカー 
長男がアメリカに留学しそのまま現地で家族を持ってもう30年以上が経つな 


夕暮れの新潟・弥彦神社玉ノ橋と御手洗川


清流に足を浸しながら本を読む 
最高の避暑地だ


スペイン・カサレスの白い村 
見事に統一された景観


イギリス・シャッフルベリーの坂の街 
一歩玄関を出たら転びそうだ 


スロバキア・この街道を東欧旅の時バスで走った
 

大阪吹田の万博公園にて

描いた絵を押し入れに入れたまま、たまに引っ張り出して眺めると、描いていた当時の環境や心境が思い起こされ不思議な世界に入る いいものだね😂 

歩き旅を終えたのでまたゆっくりと静かに描いてみたいもの😄 


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日本列島縦断・江戸歴史街道歩き旅 完歩&雑感

2022年06月25日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月24日(金)17/20℃ 
日本列島縦断・江戸歴史街道
歩き旅 完歩&雑感

6/24 北海道・函館にて記載

今回歩き終えた津軽半島と龍飛岬





今回の奥州街道・松前道は盛岡宿から
延16日間、449.36㎞ 612.597歩 
1日平均28km  3.8万歩程 
(半日や雨の日など含む) だった。







これで念願の  
日本列島縦断  江戸歴史街道  歩き旅
を完歩 終着です。
* (江戸時代の参勤交代制度で、最南の鹿児島薩摩藩から最北の蝦夷地(北海道)・松前藩までの江戸街道を縦断し歩いてきた)
達成感でいっぱいだが、もう終わりかという淋しさと、充実感、感謝を噛み締め乍ら心は静かなのがなぜか不思議⁉️

75歳の幸期幸齢者になったのを機会に、初めて江戸・東海道57次を  (大坂城から江戸城まで) 又40年ほど過ごした (大阪・箕面から千葉・浦安まで曾孫訪ねて三百里) とのテーマを掲げ、区切り38日間で歩き通して少し自信をつけた。

それ以来、山陽・西国街道、長崎街道、日光街道、薩摩街道、奥州道中、奥州街道・仙台道、盛岡道、そして今回の松前道と順に歩き、鹿児島・薩摩藩から北海道・松前藩まで一本で繋ぎ江戸街道を完歩できた。







<喜寿の青春賦> と街道を一人歩き続けてきたが、まさか鹿児島から函館までの江戸歴史街道を歩けるとは思わなかった。
(学生時代の目標はただ日本列島を縦断し歩くだけの目的で、最南端は鹿児島の佐多岬から最北の北海道・宗谷岬までだった 当時まだ沖縄は米軍の管理下にあった頃だ)

延べ区切り
159日間 4091㎞ 561万歩ほどで完歩できたことは大きな自分の人生の自信となった。

真冬は積雪のない時を選び、真夏の炎天下を歩くのは危険だと避け、また今 自然大学校や文学学校、川柳会などの活動もあり、失礼ながらその合間をぬって区切りながら歩いてきたので、75歳の1月から77歳の6月まで2年5ヶ月もかかってしまったが、青春の夢を今 喜寿の青春 で達成できて幸せだ。

自分の足の一歩はたった70㎝ほどだが、560万歩歩けば歩き旅目標を達成できることも学んだ。 

いろいろあった159日間だったが、ダックスに似た短い足で、足、膝、腰、肩に出腹 半呆け気味のハゲ頭まで一体となってよく頑張ってくれた🤣 我身乍ら感謝でいっぱい🙏🤣







一歩を踏み出すのは勇気もいるし、人はいろんなしがらみの中でその決断は並大抵でないと思う。

幸か不幸か自分は古希を過ぎて独り身となり、「お父さんの人生だから思い切って最後に悔いのない人生を過ごしたらいい」と息子たち家族の応援をもらい、心置きなく自分らしくあるがままに、しかも自由に生き生きと過ごすことができた。









何と言う素晴らしい人生なのだろうかと、感謝と幸せに嬉し涙が溢れる日々だった。

歩きながら人生を振り返り、いろいろと心配や迷惑を掛けてきた人々を想った。 

未熟な自分を恥じ入る事ばかりだが、家庭にも家族にもまた自分の器を越えて会社を経営してきたことも、人間関係や社会生活においても関係する人々にただただ 
 <ごめんなさい> と悔いる事ばかりだ











生まれて今日までいろんなことがあった人生だが、子供の頃から今日に至る迄、全てに関わった人々を想い、またその一人一人のお陰で今の自分があることを知り、その感謝に肩を震わせむせび泣いた事が何度かあった。 

有り難い人生だったと、歩きながら人生回顧の日々を過ごす事ができた。





北海道・松前宿から前方に青森・三厩宿が見える幅19.5kmの津軽海峡だが公海だという



北海道 (蝦夷地) 松前藩から函館・五稜郭  箱館奉行所跡前を以って鹿児島・薩摩藩からの日本列島縦断江戸街道歩き旅を完歩とする

今日の函館は朝から土砂降り☔️
せっかくの休日なのでゆっくり寝ようと目覚ましを8時にセットしたのに、いつもと同じ5時に目が覚めてしまった😵

今朝 函館のホテルモーニングは今までになく種類が多く驚く😵‍💫 
海の幸が満載だが、これ以上にまだ種類があるが食べられない😂 

美味しくおなか1杯に食べられることに感謝🙏 ありがたいことだ❤️
このボリュームを朝から完食できるのは我ながら驚きだが、それだけ歩き旅でエネルギーをつかってきたのだなぁと感心する

予定した函館山は雨のためやめて函館朝市などを楽しみ周辺を散策












 
ホテルから見る函館朝市も土砂降りの雨に人もまばらだ


今日は東京に戻り、明日から学友や先日誕生したばかりの3人目の天使 (曾孫)らと会い、また小学校の同級生らと会い来週  帰阪予定







感謝と幸せな日々に喜寿を生きて本当によかったと涙する😂 
ありがたい人生です❤️


多くの皆さまにご声援を頂き心より感謝と御礼を申し上げます。
歩き旅の途中、ブログコメントやmail、Line などで励ましを頂き歩く力になりました。

皆様お一人お一人にお返事ができず申し訳ございません。
本当にありがとうございました。

<喜寿の青春賦>  ももうすぐして 
<傘寿の青春賦> となりそうですが、次の目標を定め、自分らしくあるがままの自然体で、生き生きと最後の日が来るまで、生き甲斐を持ち続け日々を過ごしたく願っております。

改めて心からの感謝と共に御礼を申し上げます。
ありがとうございました。 
       頑爺  ganjii


記事が全て飛び修復できなかった
6月19日(13日目)⑧ を再生しました。


コメント (6)
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江戸・奥州街道 松前道(16)⑪

2022年06月24日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月22日(水)
 13/20℃(北海道上磯郡木古内)
(16日目)⑪ 奥州街道・松前道
木古内ー松前宿(終着地)ー函館
(五稜郭・箱館奉行所跡)
新青森ー(北海道新幹線・海峡線で青函トンネルを抜ける)ー木古内駅ー松前(三厩―松前間は江戸時代に松前藩が本土と行き来する航路があったが、今は民間航路もない)ー江戸時代の船着き場、松前福山波止場跡(青森・三厩港からの着港地)ー松前藩北前船繋留所跡ー道の駅・北前船松前ーうみかぜ(北前食堂)ー松前宿(118)ー城馬坂ー龍雲院の蝦夷霞桜ー松前城跡ー本丸御門ー御番所跡ー松前藩屋敷ー松前神社ー徳山大神宮ー大館跡(戦国時代の松前氏の本拠地か)ー光善寺(松前氏ゆかり寺)ー血脈桜ー松前藩屋敷跡ー松前桜資料館ー中川五郎治の碑ー専念寺ー旧松前線松前駅跡ー松前灯台ー弁天島ー木古内ー函館ー五稜郭・箱館奉行所跡ー(終着)



目的地の江戸最北の蝦夷地・北海道  松前藩・松前城に着いた

朝4時に起床、準備をして新青森から新幹線海峡線に乗り青函トンネルを抜ける





木古内(きこない)の海は朝靄で遠くが見えないが、時間とともに晴れてきた 
北海道新幹線最初の駅  木古内駅にて下車、この間  47分 あっという間に北海道    何だか味気ないね
木古内から松前へは函館バスが走る

江戸時代にはあの青森・三厩から小舟で渡った松前の港 松前福山波止場跡を最初に歩く 

既に桟橋などはなく土台をみる 
津軽海峡を挟み対岸の三厩の港や龍飛岬は霞んでいてよく見えない


松前藩の藩主・殿さまも参勤交代で江戸へ参上するときはここから舟に乗り本土へと渡り江戸へ向かったのだが感慨深い


当時ここから本土へ、また江戸からここ蝦夷地へ帰着した時の想いなどを偲ぶ

江戸時代最北の蝦夷地、松前藩の跡を探して歩く 最後の松前宿に入る








松前藩は稲作がなく石高なしの藩で異色だったが、北前船での北方交易の拠点として栄え、蝦夷地と更に北方への警備の前線拠点として機能していた  

遠隔地のため松前藩の参勤交代は3年、後に5年ごとに江戸に出ればよいという特例があった。

松前城(福山城ともいう)は慶長11年(1606年)に完成し、城下は海を見下ろし、そのすぐ近くに商人町や飲食街・遊女町があり、武家屋敷の多くが台地上にあるという異色の造りだったようだ


















元々アイヌの人々の大地だったアイヌ・モシリだが、和人から蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、和人に横暴な侵略を繰り返されてついに  <北海道>  と名付けられ日本国に併合されたのは明治2年の事だったという。

現在ロシアによるウクライナ侵略戦争に見られるように、人類史はいずこも同じか、武力による侵略の歴史と言っていいほどで考えさせられる

松前藩の屋敷が再現されていたが、京都の映画村のようにリアルで江戸時代にタイムスリップしたみたいだ









































白神岬から

当初は目標を歩き終えた後、松前から函館まで約6日間(歩き148㎞)で歩く予定でいたが、北海道警察や行政からの情報で一部熊の出没情報があり、熊の糞情報も多く、しかもこの間には宿泊施設もなにもなく、バスも一日数本しかないとのこと

もしもの時の避難場所がないとの事で自粛するようにとの事だったので既に目的は達成したので断念した

松前からまたバスで木古内へ
木古内から北海道新幹線で新函館北斗駅で函館へ出た
道南地図左下の◎が松前城跡、そこから歩く予定だった函館までの道には赤丸を含め何度もヒグマが出没しているようだ 
(昨年の情報だが、年々増えていると言う)

その後、函館の五稜郭・箱館奉行所跡へ向かい終着とする

箱館(現 函館)五稜郭は箱館の5.6里四方を直轄地とした江戸幕府が、蝦夷地経営と対外関係処理や海防のため、新たに建設し直した箱館奉行所が置かれた城郭


マンホールのデザインも面白い




五稜郭に入る





最終地の江戸・箱館奉行所跡に着いた




箱館奉行所のある五稜郭は、外国船からの砲撃を避けるため海岸から2.5㎞ほど内陸に移され、元治元年(1864年)に完成
フランスの築城法を真似た星型の特異形から五稜郭と呼ばれた 
戊辰戦争終結の地となったことでも有名だ








旅の終りは何となく淋しいものだ
だがこの達成感と充実感は感謝だ

この間、応援して頂いた多くの皆様に心から感謝とお礼を申し上げます 
本当にありがとうございました



(16日目)⑪
     20.31㎞ 27.830歩
 累計 449.36㎞ 612.597歩
 
 松前道  @一日平均値(延べ16日間
  半日、雨など含む)
       28.1 km   38.287歩

函館の街の広告板から きっと! 


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江戸・奥州街道 松前道(15)⑩

2022年06月22日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月21日(火)
15/23℃(青森県東津軽郡外ヶ浜三厩)
(15日目) ⑩ 奥州街道・松前道  
三厩宿(奥州街道三厩道起点地)ー龍飛岬
三厩川ー義経寺ー厩石(まやいし)ー厩石公園ー義経海浜公園ー龍馬山義経寺ー三厩本陣跡(三厩村役場前)ー三厩(みんまや)宿(116)-三厩神明宮ー脇本陣跡ー本陣跡(廻船問屋・山田家跡)ー松前街道終点の碑ー源義経と静御前の渡道之地の碑ー小泊ー階段国道ー太宰治記念碑ー吉田松陰詩碑ー川上三太郎川柳碑ー龍飛岬(灯台)



津軽海峡を望む津軽半島最北の龍飛岬 (たっぴみさき)に歩き着いた

昨夜の旅館が三厩宿の中だったので朝再び周辺を散策する 
旅館の朝食を済ませ7時半に出発
大正時代の古い旅館で、設備もレトロだが女将さんや旅館の人の温かさが旅人を和ませてくれる 

まして学生時代に夢見た歩き旅では、この前を通り龍飛岬へ行く予定があり、59年前だから逆算すると女将さんがまだ中学生の頃だと笑った

さあもうすぐだ 元気に出発‼️








江戸時代、今別湊も三厩湊も北前船の寄港地であり、木材積み出し港で蝦夷地(北海道)と行き来する拠点の一つだったという また町奉行所や御山奉行所も置かれたという

旅館の部屋に感謝のありがとうを置く






三厩港は松前藩主や幕府巡見使が津軽海峡を渡る時の港だったとか
奥州街道松前道・三厩道はこの三厩宿が終着



 
とうとう夢にまで見た三厩(みんまや)の港に着いたが、感慨に耽る間もなく津軽半島突端の龍飛岬(たっぴみさき)へ歩く 

以下 歩いた順に記憶写真を羅列






おはようございます カモメが舞う









おはようございます それはなんですか?
「&/a#だ」わからなかったが見たらウニだ
そういえば旅館の女将さんがもう1日泊まってくれと言っていたが、なぜと聞いたら、今日からウニが解禁で漁場へ船が出る日だからぜひ食べていってくれと言われたが残念 住民の人たちはその採ったウニの殻を割っていたようだ









村村には神社があるものの、いずれも高台のためお年寄りは大変だ

フレンドリーなワンチャンだった







三厩中学校が山の上にあった













今日は快晴で暑い1日、だが浜風が涼しいので歩きやすい





津軽半島はまだ八重桜が咲き、サツキが咲き、これからは紫陽花が咲くよーだ











海水のきれいなこと





前からよろけるようにして1人のおばあさんが杖をついてやってくる 
おはようございます  大丈夫ですか?
「暑いねー ああ疲れたよ ここで一休みするかな」
それから長い間おしゃべりを楽しんだ

なんでも隣村の人でこの村に用事があって出かけてきた と 
ところでおいくつですか? 
「来年90だわ  長く生き過ぎたな」 
おしゃべりの後で 写真を撮らせてください と聞くと恥ずかしそうに、「もう何十年も撮ったことがないわ」と 
どうぞお元気で‼️







この岩場に咲くゆりの花が気になる




これだけ見ているとまるで西部劇のアパッチが出てきそうな岩場だ










太宰治の文学碑を見る








棟方志功や太宰治などが投宿した旅館 
今は観光案内所として利用されている







 
日本で唯一の車の通れない階段國道を経て数々の碑文をみたあ後とうとう龍飛岬灯台に着く


キツイ階段だった 道を尋ねたのをきっかけに若い人と話をする 鉄道が好きで今回は有給休暇をもらっての旅だと言う なんと大阪の人だった 楽しい話をありがとう






こんな高い所に龍飛中学校(廃校)があった

これも車が走れない国道339号線


龍飛灯台に着く 津軽海峡を望む
ここは国際航路で以前中国やロシアの艦隊(軍艦)が通り防衛省が緊張したところだという

まさに青い空と青い海 最高のロケーションだ うっすらと対岸の北海道・松前が見える   松前藩の殿様は参勤交代で江戸へ向かうのにこの海峡を往復した


ここに吉田松陰の詩碑や川柳碑、戦争時の砲台跡などがあった
















津軽海峡冬景色(石川さゆり)碑 突然のメロディーに驚くが、やはり現地で聞くと情感があるね



対岸の江戸期最北の蝦夷地(北海道)松前藩の港を遠望する


江戸と蝦夷地を歩く旅人や幕府の役人、武士、軍団などはこの海路を往復していたが、青函トンネルができ、また新幹線が通ることなど夢にも想像しなかったことだろう




江戸時代の三厩ー松前間の航路は今はなく船で渡れないが、明日は北海道新幹線で青森からー青函トンネルを通り、北海道の最初の駅  木古内(きこない)へ渡り、最北蝦夷地最後の松前藩・松前城跡を訪れる
 
鹿児島の薩摩藩・鶴丸城跡から途切れることなく歩いた江戸時代の日本列島縦断・江戸歴史街道の歩き旅は松前藩・松前城址で終える
  
その後 函館の五稜郭(箱館奉行所跡)を経て完歩となる

目的地の龍飛岬まで歩き終えたので、ここからは地域のコミュニティーバスと津軽線に乗り青森へ戻り明日の準備をする
龍飛岬公園の売店のおばさんと話をしていたらバスに乗り遅れるところだった😵













今まで歩いてきた道を随所に見ながら青森に着くと、今年のねぶた祭りは開催するとのことで活気がある
駅前のレストランでランチとする
ひとまずお疲れさん‼️ と体に乾杯




いよいよ明日で最後かと思うと寂しい気持ちと、達成感でいっぱいの気持ちと交差し複雑だな🤣
(龍飛岬を11時半で終えミニバスに乗ったので今日は半日扱いだ)




(14日目)⑩半日
    15.9㎞  21.939歩

 累計 429.36㎞ 584.767歩
コメント (2)
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