夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

手がべとつかない『こぼれないシャボン玉』、高齢者の私は学び、やがて微笑み・・。

2020-08-03 14:05:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ぼんやりとネットでニュースを見ようと思い、パソコンを立ち上げたりした・・。


まもなくマイクロソフトの公式サイトの【 msnオンライン 】を見たりしている中、
『 手がべとつかない『こぼれないシャボン玉 』と題された見出しがあり、
添付された写真に見惚(みと)れたりした・・。

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%89%8b%e3%81%8c%e3%81%b9%e3%81%a8%e3%81%a4%e3%81%8b%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%88-%e3%80%8c%e3%81%93%e3%81%bc%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%9c%e3%83%b3%e7%8e%89%e3%80%8d%e8%aa%95%e7%94%9f/ar-BB17ugLm?ocid=FUJITSUDHP17
【 msnオンライン 】==>『 手がべとつかない『こぼれないシャボン玉 』



幼年期、農家の児として育てられた私は、
父の妹が未婚だった当時、セッケンから麦藁(みぎわら)をストローのようにして、
シャボン玉を宅地の庭先で見せてくれたりした・・。

青空の中、陽射しを受けたりすると、多彩な色合いを見せてくれ、
私は七色に変化する不思議なシャボンに見惚れたりしていた。

このように思い馳せ、今回の手がべとつかない『こぼれないシャボン玉』は、
幼児の夢のある玉手箱かしら、
と高齢者75歳の私は微笑んだりしている。
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『 転倒=死 』で年間7596人が帰らぬ人に、75歳の私は学び、やがて動顛させられて・・。

2020-08-02 12:52:19 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】の『ヘルスケア』を見たりした・・。


こうした中で、『 転倒=死 』で年間7596人が帰らぬ人に、
このような内容の記事を見たりした。

私が8週間前の頃から、私は手の親指周辺の痛み、
或いは右脚の膝(ひざ)の痛み、そして椅子などに長く座り続けると腰の重さを感じるようになり、
やむなく最寄り駅の近くにある『整形外科』の病院に週に一度のサイクルで通院している。




そして右脚の膝(ひざ)の痛みに関しては、買物、散策などは数キロぐらいは歩けるが、
ただ階段を下りたり、足を高めに上げたりすると痛みが感じて、
齢を重ねるとこうした老化が始まるのかょ・・戸惑いながら微苦笑をしたりしている。


こうした中、通院の為に久々に路線バスに乗り、
下車する時に地上に向かって右脚から降りてしまい、
30秒ぐらい痛みで立ちすくんでしまった・・。

このような苦い体験を秘めている私は、
《・・転倒=死 』で年間7596人が帰らぬ人・・》って、どのような状況で、
と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、【 日刊ゲンダイ 】の『ヘルスケア』に8月2日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。



《・「脚を骨折して寝込んだと思ったら、あれよあれよという間に亡くなった」
こんな高齢者の話をよく聞く。


また、それまで元気だったのに、転倒による脚の骨折が原因で、
自由に動けなくなったりすることで、病気になったりするケースも多い。

さらに問題なのは、転倒がそのまま死に至るケースだ。

厚労省の人口動態統計によれば、
2018年の「転倒、転落、墜落」の死亡者数は、じつに9645人。
交通事故の死亡者数が4595人だから、その数には驚かされる。

さらに9645人の死亡者のうち、

7596人は「スリップ、つまずき及びよろめきによる同一平面上での転倒」による死亡である。
いわば「なんでもないところ」で転倒しての死といってもいい。



実際、中高年世代の多くも

「なぜ、ここで?」といった場所でつまずいたり、
よろけたりした経験があるはずだ。

日本転倒予防学会によれば、
高齢者の3人に1人は、年に1回以上の転倒を経験するとされる。

また東京消防庁によれば2018年、
転倒で緊急搬送された高齢者の数は、約5・8万人。
うち6割が自宅での転倒である。



高齢者の転倒の要因として、筋力低下、運動速度の低下、バランス障害、視力障害などのほか
薬剤の影響なども挙げられるのだが、
一般的に転倒予防にもっとも有効なのは、
運動による筋力、運動機能の維持、強化である。

日常的にウオーキング、階段の上り下り、スクワット、ラジオ体操などを心がけることだ。



また筋肉増強には、ビタミンDも深くかかわっている。


すでに当コラムでも紹介したが、食べ物による摂取はもちろんだが、
ビタミンDは、人間の体内でも生成される。

そのためには太陽の光を浴びることが不可欠。
転倒死予防には運動と日光浴をお忘れなく。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてきた。


私は体力の衰えた身であるが、「不要不急の外出自粛」の要請の中でも、
散策ぐらいしないと益々衰えるので、

殆ど毎日のように自宅の周辺の3キロにある遊歩道、公園を歩いたりしてきた。

そして、密閉、密集、密接から名づけられた『三蜜』は、天敵ですから・・と家内から私は言われたりして、
今までは路線バスに乗車してきた道も、ひたすら歩いたりしてきた。

たとえば都立の神代植物園は、我が家より4キロにあり、
園内を3時間ぐらい歩くと、往還を含めると10キロ前後の徒歩となったりする。

こうしたことを幾たびも歩くと、恥ずかしながら右脚の膝に痛みが発症してしまった。



今回、《・・高齢者の3人に1人は、年に1回以上の転倒を経験するとされる。
また東京消防庁によれば2018年、
転倒で緊急搬送された高齢者の数は、約5・8万人。
うち6割が自宅での転倒である。・・》と学び、動顛させられたりした。


まして《・・9645人の死亡者のうち、
7596人は「スリップ、つまずき及びよろめきによる同一平面上での転倒」による死亡である。
いわば「なんでもないところ」で転倒しての死といってもいい。・・》


こうした事態に震撼しながら、たとえノロマと思われても、注意一秒で動いて、
自身のひとつだけの命を大切にしたい・・と思い深めたりしている。
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関東甲信地方の梅雨明け、遅ればせながら公報され、都心の郊外に住む私は、戸惑い、微苦笑して・・。

2020-08-01 13:37:04 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の75歳の身であるが、
先程、テレビのニュースを視聴していたら、

『 本日8月1日の11時、関東甲信地方と東海地方の梅雨明けが発表されました 』
と報じていた。



ことしの梅雨は余りにも長く、各地では記録的な豪雨で氾濫となり大災害をもたらし、
無力な私は溜息ばかり重ねて、お気の毒に・・お悔み申し上げます、
と心の中で呟(つぶや)いたりしてきた。

その上、過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごし、

いつになったらが終息するのょ、と思ったりしてきた・・。

こうした中、密閉、密集、密接から名づけられた『三蜜』は、
国民のひとりとして順守してきた。



このような関係で、今年の梅雨に関して、都内の郊外では梅雨の晴れ間もなく、
雨が降らない日があったかなぁ・・と感じながら過ごしてきた。

この後、ときおり愛読している公式サイトの【 ウェザーニュース 】を見たりした・・。
https://weathernews.jp/s/topics/202007/310175/
【 ウェザーニュース 】
  ~ 関東甲信、東海地方が梅雨明け
        8月に明けるのは関東甲信では13年ぶり ~☆
                                 
このウェザーニュースで、今年の梅雨の状況を学んだりした・・。

そして私の住む都心の郊外に関連させれば、
《・・平年の梅雨明け日は7月21日頃ですので、今年は平年より11日ほど遅い夏の到来となりました。

東京では、7月の1か月中で全く雨が降らなかった日は、
わずか1日だけです。

8月に梅雨明けとなるのは2007年以来13年ぶり・・過去4番目と同じ遅さ・・》



このように今年の梅雨の状況を学んだりしたが、
やはり新型コロナウイルスの烈風に伴い、感染者の増大、社会経済の悲惨な減少・・
その上に、各地では記録的な豪雨で氾濫となり大災害のニュースに私は気をとらえられてきたりした。

こうした中、遅ればせながら私の住む地域では、『梅雨明け』を迎えたが、
カレンダーを見ると、8月7日には『立秋』と明示されて、戸惑い、やがて微苦笑をしてしまった・・。



これから暑い日々が続き、熱さ本番となる時節となり、
やがて朝夕のひとときは、涼しい風が吹くこともあり、初秋の気配を感じるまで、
体力の衰えた私は、熱中症は天敵だよねぇ・・と思いながら、
出来うる限り大きな樹のある遊歩道、公園を散策しょう、と思ったりしている。   
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『 「死ぬまで元気」を目指す 』の特集を見て、恐れ入りました、と75歳の私は微苦笑をして・・。

2020-07-31 14:08:15 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】の『ヘルスケア』を見たりした・・。


こうした中で、特集のひとつとして『 「死ぬまで元気」を目指す 』と題された明題があり、
何かしら『健康維持に関する特集』と判ったりした・・。

https://hc.nikkan-gendai.com/series/3963
【 日刊ゲンダイ 】の『ヘルスケア』
    特集『 「死ぬまで元気」を目指す 』★



私は、60歳までの現役サラリーマン時代は、辛口の純米酒が大好きな呑兵衛のひとりであったが、
ここ10年はウィスキーの濃いめの水割りか、ビールを冠婚葬祭、懇親会、旅行以外は、
5日ごとに我が家で呑んでいるのが実態となっている。

そして心臓の悪化で、昨年の新年早々入院して退院後は、

長らく愛煙家のひとりであったが、断腸の思いで、
タバコにお別れして、禁煙となったりした。

このように何かと拙(つたな)い私でも、齢を重ねるたびに、
何かを断念しないと、人生の晩秋期を迎えられない、と心も身も鍛えられ、微苦笑を重ねたりしている。




そして健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸16年を過ごしてきた。


もとより寝たきりなどは、日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症とか心筋梗塞などは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。





過ぎし高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

ここ5年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、私は震撼させられたりしてきた・・。



          

こうした中、日本人の平均寿命は、ここ30数年、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する御方が多いと学び、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、頼れる人もいないので、

介護・要となった時は、 やむなく介護施設に思ったりしているが、
身体は衰えても、ボケないで晩年期を過ごしたいと念願したりしている。

          

私たち夫婦は、昨年は私は入院を2回ばかり体験し、家内も初めて入院したりして、

今日を迎えているが、健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ときおり私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。


このような体験をしてきたので゜、今回の『 「死ぬまで元気」を目指す 』に関して、

微苦笑しながら多々学んだりした・・。




しかしながら亡くなってしまった知人、友人には、申し訳けないが、
私は多くの御方に助けられて、ささやかな願い事もかなえられてきたので、
多くの御方に感謝を重ねてきた・・。

もとより健康寿命を保てば、ささやかな願いごとも叶うので・・
何とか80歳の誕生日を健康寿命で迎えられたら・・と念願している。

しかしこればかりは、自助努力も大切であるが、
神様か仏様の采配する世界だよなぁ・・と微苦笑をしている。
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パソコン『入力できず』、高齢者75歳の私は、独り戸惑い、困苦して、やがて微苦笑して・・。

2020-07-30 15:01:02 | ささやかな古稀からの思い
私は75歳の年金生活の身であるが、
恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話は、
半年前の頃より、受信、発信の電話機能だけ使えるようになったが、
スマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

こうした中、せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用し、
時代遅れの国民のひとりとなっている・・。




私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住んでいる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。


こうした中で、私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活16年半を過ごしてきた。

          


私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
定年後、多々の理由で年金生活を始めた・・。

私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

          

午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

          

そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。

こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。




このように年金生活を過ごしてきたが、昨日の夕方、ブログの投稿文を送信した後、
少し調べることがあり、いつものようにヤプーのトップ画面に於いて、
検索したい項目を入力した・・。

しかし肝心な入力項目ができず、どうしてなのょ・・と戸惑ったりした。

そして各サイトの見たりすることはできるが、
入力に関する私のブログの入力画面、或いは私はエクセルの管理表の入力も出来ないことが判ったりした・・。

やむなくセキュリティを全てのファイルにした後、

ヤプーのトップ画面に於いて、検索したい項目を入力しょうとしたが、
出来ず拒まれたりした・・。

私のパソコンの主力機は、マウスは多くの人と同様に有線不用のワイヤレスであり、

パソコンの本体にある受発信端子と結合しているので、
この受発信端子が不備になってしまったか、
或いはキー・ボード自体が故障となってしまったか、思案を重ねたりした。



そして本日、やむなくパソコンの量販店に行き、キーボード、有線と無線(ワイヤレス)のマウス、
3品目を買い求めたりした。

やがて帰宅した昼過ぎ、ためしに昨日の午前中まで正常であった従来のキーボード、
そしてワイヤレスのマウスで、ヤプーのトップ画面に於いて、検索したい項目を入力したら、正常にできたりした。

この後、アイスコーヒーを飲んだりして休憩した後、
気分一新として従来のキーボード、そしてワイヤレスで入力しょうとしたら、
またもや入力不可能で、何らかの接触が不備と判断した。



そして新たに買い求めてきたキーボードに、
ワイヤレス、或いは有線用のマウスで試み、何とか正常に入力したい項目が出来たりした。

久しぶりに悪戦苦闘をしたが、ときには戸惑い、ボケ防止なのかょ、
と独り微苦笑を重ねたりした。          

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『腰痛・座骨神経痛はココをほぐせ!! 腰・脚の痛みがスッキリ・・』、確かな朗報を私は学び・・。

2020-07-29 13:58:14 | ささやかな古稀からの思い
先程、小学館が発刊しているの教養雑誌『サライ』の公式サイト【サライ.jp】を見ている中で、
『 腰痛・座骨神経痛はココをほぐせ!!
           腰・脚の痛みがスッキリ・・ 』
 と題された見出しを見たりした。




私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の75歳の身であるが、

過ぎし70歳の頃から、知人宅に行くと、いつものように和室に通されたりした。

まもなく畳の上で、最初は正座、 まもなく胡坐(あぐら)をかいて、
30分ぐらい談笑した後、 立ち上がろうとすると、膝(ひざ)に痺(しび)れのような痛みを感じて、
やがて10秒後に苦笑しながら、 立ち上がったりしている・・。

更に一昨年の秋、私は小庭の草むしりをしていた時、樹の下の草を取ろうとして這いずっている中、
右脚の膝(ひざ)を小石があったのに気づかず、結果的には正座する時、
或いはデジカメで草花を撮ろうとして、しゃがんだりする時、右脚の膝(ひざ)が痛み、困苦したりしている。

このようなことは60代の時は感じたことはなかったが、 無念ながら老化現象で齢なのかしら、
と独り苦笑したりしてきた。
このように深情を秘めている私は、ここ数年は和室が苦手っている。

    
          

こうした中、
ここ8週間前の頃から、私は手の親指周辺の痛み、
或いは右脚の膝(ひざ)の痛み、そして椅子などに長く座り続けると腰の重さを感じるようになり、
やむなく最寄り駅の近くにある『整形外科』の病院に週に一度のサイクルで通院している。

そして右脚の膝(ひざ)の痛みに関しては、買物、散策などは数キロぐらいは歩けるが、
ただ階段を下りたり、足を高めに上げたりすると痛みが感じて、
齢を重ねるとこうした老化が始まるのかょ・・戸惑いながら微苦笑をしたりしている。





そして私は、毎週の火曜日に、『整形外科』の病院に5週連続でヒアルロン酸注射をしますので・・、
と40代の若き女性の副医院長と私は言われたりしている。

そして右脚の膝(ひざ)にヒアルロン酸注射を受けた後、
リハビリ機器の腰痛牽引、マイクロ波など療法を受けて、
自宅では
湿布の経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤の『ロキソプロフェンNaテープ』を貼ることをしてきた。

ヒアルロン酸注射に関しては、関節の潤滑の働きをしている関節液や関節軟骨に痛みが発生しているので、
定期的に注射したヒアルロン酸で、痛みの物質を抑えたり、痛みを感じる部分を覆うことで
膝の痛みを改善させる治療方法と学んできた。


やがてヒアルロン酸注射の効果により、右脚の膝(ひざ)の痛みが殆ど感じることなく、今日に至っている。



しかしながら10日前より腰痛がひどくなり、
本日、通院している『整形外科』の40代の若き女性の副医院長に、
何とか治療の程を・・と懇願したりした。

そしてレントゲン撮影後、ブロック注射を腰に2本を注射していただき、
生まれて初めての体験をしたりした。

まもなく、しばらく安静して下さい、と副医院長より私は言われたりした。



私は腰痛が突然にひどくなった原因は、
過ぎし17日は雨が降る一日だったので、買物、散策も中止して、本に熱中していた。

知人より教えられた高嶋哲夫さんの『首都感染』(講談社文庫)を数日前に買い求めていたのを、
殆ど一日で読んだりした。

こうした影響で身体を動かすことなくしていたので、腰痛の主因になってしまった、と微苦笑したりした。

齢を重ねるたびに老化して、病院の通院が多くなり、
やむえないか・・溜息をしながら微苦笑したりしている。





こうした失墜感を重ねてきた私は、
先程、ときおり愛読しているサライ.jp】を見ている中で、
『 腰痛・座骨神経痛はココをほぐせ!!
           腰・脚の痛みがスッキリ・・ 』
と題された見出しを見たりした。

https://serai.jp/health/359947
★川口陽海の腰痛改善教室 第15回★
腰痛・座骨神経痛はココをほぐせ!!
           腰・脚の痛みがスッキリ・・~


こうしたサイトを私は見ながら、何かと不器用な私でも、
少しづつ身体を動かしている・・。

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第2波来たのに緊急事態宣言に及び腰な3つの理由、遅ればせながら高齢者の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2020-07-28 15:38:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 東洋経済オンライン
 】を見たりしていた。

こうした中で、『第2波来たのに緊急事態宣言に及び腰な3つの訳』と題された見出しを見て、
どのような理由なのですか、と思いながら記事を精読し、
やがて多々教示されて、無力な私は溜息を重ねたりした・・。

この記事は、経済評論家、百年コンサルティング代表の鈴木 貴博さんの寄稿文であり、 
7月15日に配信され、無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・第2波来たのに緊急事態宣言に及び腰な3つの訳
    ~ 今のうちに経済を回さないと冬に耐えられない ~


東京を中心として、全国に再び新型コロナウイルスの感染者数が、
増加傾向にあります。

第1波を抑え込んだ日本ですが、この先をどう見たらいいでしょうか。

(略)6月下旬から新型コロナの新規感染者数が増加を始め、
7月に入って急増しているのがわかります。

(略)ちょうど政府が4月初めに、わが国初の緊急事態宣言を発動するかどうか迷っていた時期と、
直近の感染者数の状況が同じであることがわかります。


☆政府や自治体は情報操作をしている?

日本では4月7日に緊急事態宣言が発令されると
翌日から公表される感染者数は500人を超える新しい水準へと移りました。

これはまったくの邪推ではあるのですが、
コロナの患者数が東京五輪の延期が決まった3月24日の直後に増え、
緊急事態宣言の直後にも増え、
そして今回、7月5日の都知事選挙の直後に東京都の感染者数が増え始めたことで、
われわれ一般国民から見ると政府や自治体は
何らかの情報操作をしているのではないかと勘繰りたくなります。

それにしても政府は、この状況においても
「直ちに緊急事態宣言を出すような状況ではない」
という認識を表明しています。

これはいったいなぜでしょう。
その背景にある3つの理由について、解説してみたいと思います。



☆理由1 前提が違う

政府が「4月のときと違う」と言う背景には、
同じような数の新規感染者が出てきていても、
4月とは前提条件が違うという論理が存在しています。

4月の緊急事態宣言発動時に最も危惧されていたのは、医療崩壊でした。
当時と比べると感染者には30代以下の人が多いことで、
重症化する人の割合が少なく、医療現場は逼迫していないと言います。

別の前提として当時とは違い、PCR検査数が激増しているという事実もあります。
覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、
3月頃まではとにかく各地の保健所は理由をつけて、
PCR検査を受けさせることに消極的でした。

東京都では4月頭頃までは、1日の検査数が500件に満たない状況がずっと続いていました。

これが4月中頃には1日1000件程度、5月には1500件程度と増加し、
その後カウントの仕方が途中で変わっているという事実はありますが、
7月現在で1日3500件程度の検査が行われるようになりました。

4月の頃は報道番組などで「検査を拡大すべきだ」という声が高まっていると同時に、
専門家の推論として「全数検査ができたら、おそらく感染者は公表数字よりも2~3倍多いのではないか」
といった意見も表明されていました。

その前提で考えると見た目の高さが同じなだけで、
実際の山は4月と比べて、現在はまだ低いととらえることもできるわけです。


しかし新型コロナの感染者数は、緊急事態宣言が解除された5月25日以降、
確実に増えてきているのは事実です。

政府や都は「感染者がいちばん多いのは、夜の街関連である」
と繰り返し主張していますが、事実はそうでもありません。

直近の東京都の感染者でいちばん多いのは、経路不明の46%です。
これは追跡できない感染経路が、都内で急増していることを示しています。

アジアで日本と同じような再流行を見せている国を探してみると、
中国、韓国、台湾は比較的コロナの抑え込みがうまくいっていて
再流行の兆しは見られません。

いちばん日本とよく似ているのが、香港です。
そして香港ではディズニーランドを再び休園させるなどコロナ封じ込めに動き始めました。


一方の日本では、緊急事態宣言が解除されたことで、
通勤ラッシュがふたたび始まり、段階的な解除で飲食店や繁華街に人が戻り、
スポーツイベントにも観客が入れるようになりました。

季節は夏なので、屋外でマスクを外す人も増えてきました。



☆集団免疫などほとんどできていない

6月に相次いで大規模な抗体検査が行われましたが、
新型コロナの抗体を持っている人の割合は、厚生労働省が発表した東京都の検査で0.10%、
ソフトバンクグループ4万人の医療従事者データで0.43%と、
集団免疫などほとんどできてはいないことが判明しました。

そもそも抗体を持っている人が、少ない新しい伝染病なので、
感染しやすいという前提条件は変わっていません。

その前提下で7月22日に前倒しで、
国民の旅行需要を増やす目的の「Go Toトラベルキャンペーン」が開始されるので、
この夏の新型コロナ感染者数が減りにくい状況が作られています。

国民から見れば4月の緊急事態宣言と、
7月のGo Toキャンペーンは国の政策としては明らかに矛盾しているように見えるのですが、
なぜそんな判断につながるのでしょうか。

そこで2つめの理由を見てみたいと思います。



理由2 死者が少ない
 
先ほど7月の感染者の内訳について重症者が少ないとお伝えしましたが、
さらに少ないのが死者数です。

日本の新型コロナの感染者数は4月、5月に集中していて、
緊急事態宣言が解除された5月25日以降は激減しています。

実はこの傾向は、世界最大の新型コロナ感染国となったアメリカでも似た形で見られます。

アメリカでは6月に入り、新型コロナが全州で拡散して感染者が、
増加の一途をたどっているのですが、
その一方で、死者数のピークは4月から5月の頭にかけての時期であって、
6月以降は日本と違って一定数の死者は出ているもののその数は、
落ち着いています。

そもそも日本では4月に緊急事態宣言が出された頃までは
新型コロナの抑え込みに失敗すると、国内に最悪で42万人規模の死者が出るという予測が、念頭にあって、
大規模な自粛が行われました。

その後コロナについての理解が深まり、
医学的なリスクについての認識も修正されてきています。

一方で日本経済は、中小事業者を中心に、経済的に壊滅的な被害が出始めています。



☆政府は経済優先で動かざるをえない?

当時は「人命と経済を天秤にかけることはできない」といった正論がまかりとおりましたが、
その人命リスクの規模感が下方修正されたことで、
政府としては経済優先で動かざるをえない状況が起きているようです。

前回の大不況であるリーマンショックの時には、
所得弾力性が大きい自動車業界や旅行業界が大きな打撃を受けました。

このうち大企業が中心の自動車業界は、
銀行がクレジットラインを維持すれば乗り越えられる。

その一方で、中小や零細企業が多い旅行産業では、
需要喚起がなければ倒産が相次ぐことは間違いありません。

政治家や官僚がこういった理由を安易に口にすることはないでしょうけれども、
実際のところは政府がGo Toトラベルキャンペーンに踏み切る背景には、
このような経済学の裏付けが存在するのです。

とはいえそれにしても国民感情を考えるとバラマキであり、
丸投げ中抜きが問題になっているGo Toトラベルキャンペーンを
なぜ感染者が急増している時期に前倒しで急ぐのか不思議に思えるかもしれません。
そこに第3の理由が存在します。




理由3 冬になれば緊急事態宣言を出さざるをえない
 
ここで先ほどご覧いただいたWHO発表の新型コロナの死者数について、
別の切り口で比較してみたいと思います。

死者数を日本、アメリカ、ブラジル、南アフリカで比較すれば、
ブラジルは、今やアメリカに次ぐ世界2位の感染国で、
南アフリカはWHOが新型コロナの拡大を懸念するアフリカ大陸の代表として挙げました。


南半球の2カ国では、主に6月に入ってから死者数が増え始め、
7月もその勢いは衰えていないことです。

そして知識としてわかることは南半球の6月、7月は、
北半球の12月、1月にあたることです。

あくまで新型コロナは、未知の病気である部分が多く
医学的には断言しにくいことが多いのですが、
少なくとも統計学的に推論すれば、日本もアメリカも12月や1月に感染した場合には
今よりも重症化リスクが高くなることが十分に推論できます。

科学的には、これからちゃんと解明されてくるでしょう。


つまり現時点でまとめると、日本では7月の段階で経路不明の感染者数が増加しているため、
すでにクラスター対策で封じ込めが難しい状況になっている。

抗体を持っている国民は、0.5%以下と非常に少なく、
接触すれば感染リスクが高い状況は変わっていない。

この前提のままで、日本が冬を迎えざるをえない状況が
政府にはわかっているということです。

スペイン風邪のときも、第2波のパンデミックの被害が大きかった。
おそらく新型コロナもそうなるリスクを政府は強く感じているのでしょう。

そしてそれまでは、できるだけ経済を回復させる必要がある。
だからこの夏の間、政府は経済を極力止めたくない。

これは生活者としての国民にとっては、不安なことですが、
労働者としての立場の国民感情としては、
なんとしてもそうしてほしいという話です。

3月、4月、5月と働く機会が減っただけでこれだけ大変だったのですから、
少なくとも7月、8月、9月は、しっかりと働かせてほしいと多くの国民が考えているのは当然です。



☆奇妙なニューノーマルが始まっている

ただ、状況は悩ましい。
政府は「安心して外出して、お金を使ってほしい」とアピールする一方で、
50代以上の国民は「そうはいってもコロナは怖い」
と自主的に消費にブレーキをかけるからです。

 政府は、夜の街をあたかもコロナの悪者であるかのようにアピールしますが、
風俗、キャバクラ、ホストクラブに行かなければ
新型コロナにかからないわけでは決してない。

直近では、夜の街関連の感染者の割合が減って、
それ以外の感染経路が、都内では4分の3を超えてきたのですから。

こうして政府は極力、第2波を認めず、緊急事態宣言を検討せず、経済優先を掲げる一方で、
国民は自衛目的での自主自粛に入るという奇妙なニューノーマルが
今こうして始まっているのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


          
私は年金生活の無力な国民のひとりであるが、新型コロナの感染拡大に対応した国家としての総合施策は、
手ぬるくもっと抜本的に期待してきた・・。

もとより安倍総理、そして西村経済再生担当大臣兼新型コロナ対策担当大臣はじめ、
重責の職責のある御方であるが、徹底した撲滅を実施して欲しい、
と願ってきた。

しかしながら多面的に配慮すれば、出来ずらい理由を今回学び、
教示されたりした。



しかしながら、国民の旅行需要を増やす目的の「Go Toトラベルキャンペーン」については、
多くの関係者、そして利用する国民が、戸惑いながら、
あやふやな園児のような経済施策と感じ、憂いたりした・・。

たとえば『東京都』は例外としたが、少なくとも『埼玉県』、『千葉県』、『神奈川県』なと゜は、
通勤、通学、買物、遊学などの生活のゆききを含め、社会経済圏として一体化が実情となっている。

こうした根本的に社会実情を無視すれば、利用者は戸惑い、混乱するばかりである。

何はともあれ、政府、国民共々、右手に新型コロナの終息化、
左手には経済復興・・いずれにしても難題である。

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『ピンピンコロリ』から発展して『ピンピンヒラリ』が良い、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2020-07-27 15:33:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
先程、愛読している公式サイトの【 NEWS
ポストセブン 】を見ている中で、
敬愛している諏訪中央病院名誉院長の鎌田 實(かまた・みのる)医師の寄稿文が掲載されていた。

何かしら『ピンピンコロリ』から発展して『ピンピンヒラリ』が良い、
このようなことが記載されていて、私は多々教示をされたりした。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2020年7月31日・8月7日号に
掲載されていた記事のひとつであり、
関連の【 NEWSポストセブン 】7月24日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。



《・・病気に苦しむことなく、元気に長生きして、
最後は寝付かずに死ぬことを「ピンピンコロリ(PPK)」と呼び、
健康寿命の長さをいう。

今から約40年前に、長野県の医師が提唱し始めたこともあり、
全国でも有数の長寿で知られる長野県佐久市には、
「ぴんころ地蔵」が建立されている。

諏訪中央病院名誉院長で長野県茅野市在住の鎌田實医師が、
最近、「ピンピンコロリ」から発展して、
「ピンピンヒラリ」がいいと思っている理由について語る。



昨年暮れ、京都大学で宗教・生命倫理学者のカール・ベッカー特任教授と、
「生と死の間にあるもの」について語り合った。

ベッカー教授は、ターミナルケアや遺族の悲嘆について研究している。

自分は無宗教だからという日本人も、
終末期になると、“あっち”のことを考えるというベッカー教授。

「“あっち”に意識を向けると、父ちゃんや母ちゃん、
あるいは戦死してしまった友人や先輩に会えるかもしれない、
という希望が湧いてくるんです」

たしかに、そうだ。
ぼくは緩和ケア病棟を回診しながら、「あの世」を信じている人ほど、
上手に「死」を受け入れているように感じてきた。

「あの世」は「生」と「死」の間にあるクッションのような役割を果たし、
「死」の恐怖を和らげているように思う。


健康長寿の標語で「PPK(ピンピンコロリ)」というのがあるが、
ぼくは最近、PPHがいいと思っている。

ピンピン生きて、ヒラリと逝く、そんな生き方だ。

「ヒラリ」には、“あっち”もそんなに捨てたもんじゃないという前向きなニュアンスがある。
「死」への恐怖を緩和して、「生」を見つめ直す力をくれるような感じもする。

そんな話をすると、ベッカー教授は
「ピンピンヒラリのほうが、日本人の死生観に合っていると思います。
鎌田先生が許可をくれるなら、私も使わせていただきます」と笑った。



日本人の死生観は、世界的に研究されてきたそうだ。
アメリカの宗教心理学者デニス・クラスの「続く絆」理論は、
日本人の墓や仏壇に対する態度から着想を得たという。

親しい人を亡くしたとき、人は悲嘆に暮れる。
多くの人が一刻も早く悲嘆を癒そう、忘れさせようとしがちだが、
悲嘆は癒すべきものでも、乗り越えるべきものでもない、
故人との絆は続かせていい、忘れなくていいという考えである。

かつての日本人は、当たり前に墓や仏壇を通して、先祖と対話してきた。
葬儀や初七日、四十九日などの法事も、
集まって故人のことを語り、遺された者の心を支えている。

こうした死者と語らうプロセスのなかで、
生きる力をためていったのではないか。

だから、「死」と向き合うことは、生きることと向き合うことなのだろう。

こうした「死」の力についての考察を『コロナ時代を生きるヒント』(潮出版)にまとめた。
終末期医療、幽霊、沖縄のユタ・・・いろいろな「死」が登場する。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



何かしら終末期になると、
「“あっち”に意識を向けると、父ちゃんや母ちゃん、
あるいは戦死してしまった友人や先輩に会えるかもしれない、
という希望が湧いてくるんです」


ぼくは緩和ケア病棟を回診しながら、
「あの世」を信じている人ほど、
上手に「死」を受け入れているように感じてきた。

「あの世」は「生」と「死」の間にあるクッションのような役割を果たし、
「死」の恐怖を和らげているように思う。


このようなことを真摯に学び、改めて『あの世』のことを
漠然としながらも思い馳せたりした・・。



或いは《・・親しい人を亡くしたとき、人は悲嘆に暮れる。
多くの人が一刻も早く悲嘆を癒そう、忘れさせようとしがちだが、
悲嘆は癒すべきものでも、乗り越えるべきものでもない、
故人との絆は続かせていい、忘れなくていいという考えである。

かつての日本人は、当たり前に墓や仏壇を通して、先祖と対話してきた。
葬儀や初七日、四十九日などの法事も、
集まって故人のことを語り、遺された者の心を支えている。

こうした死者と語らうプロセスのなかで、
生きる力をためていったのではないか。・・》


確かに亡くなわれた故人を偲(しの)びながら、
生前のしぐさ、ことば、出来事などを葬儀や初七日、四十九日などの法事などで、
遺(のこ)された人が、自然のように故人のことを私も語りあったりしてきた。

やがて悲嘆は時が過ぎれば、浄化されいくが、
こうした根底には故人に遺(のこ)された人がそれぞれ語り合いながら、
結果的には故人から励まされて、遺(のこ)された人は、生きる力を与えられる・・
このようなことを思い馳せたりしている。



余談であるが、確か10年前の頃、
私は「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。

がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、
心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、 救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、苦笑したこともあったりした
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作曲家の古関裕而さんの足跡に導かれて昭和の社会状況、遅ればせながら真摯に学び・・。

2020-07-26 12:00:41 | ささやかな古稀からの思い
過ぎし4日の前、本屋に寄り、新書本コーナーを見たりしていたら、
 
古関裕而―流行作曲家と激動の昭和 』(中公新書) を見かけて、

手に取ったりした・・。

そして本の裏表紙の帯を読んだりした・・。
《・・古関裕而(一九〇九~八九)は忘れられた名作曲家である。

日中戦争中、軍歌「露営の歌」で一世を風靡、
アジア・太平洋戦争下のニュース歌謡や戦時歌謡を多く手がけ、
慰問先でも作曲に勤しんだ。

戦後は鎮魂歌「長崎の鐘」、東京五輪行進曲「オリンピック・マーチ」、
映画「モスラ」劇伴音楽と、
流行歌からスポーツ音楽まで数々の名曲を残す。

戦争、そしてテレビの普及まで、昭和史を彩った彼の生涯をたどる。・・・》



私は小学生の頃、この当時、生家のラジオから歌が流れて、聴いたりした・・。

後年になって作曲家の古関裕而さんの創られた曲と知ったのは、
1947年とんがり帽子』(作詞:菊田一夫、歌:川田正子)
1949年『長崎の鐘』」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
1949年『イヨマンテの夜』(作詞:菊田一夫、歌:伊藤久男)
1952年『黒百合の歌』(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1953年『君の名は』(作詞:菊田一夫、歌:織井茂子)
1954年『高原列車は行く』(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)

これくらいの歌は盛んに聴いたりしていたが、
《・・日中戦争中、軍歌「露営の歌」で一世を風靡、
アジア・太平洋戦争下のニュース歌謡や戦時歌謡を多く手がけ、
慰問先でも作曲に勤しんだ。・・》は、無知であった・・。




私は楽譜も読むことができず、短調、長調も知らず、つたない感性で、
こよなく音楽を聴いている実情であるが、
作詞家の著名な御方の評伝は、好奇心に負けて、8名の著名人の御方はに購読してきた・・。

しかしながらメロデイー・ラインの理論、音符も知らないので、
作曲家の御方の評伝は避けたりしてきた。

今回、作曲家の古関裕而さんの足跡に導かれて昭和の社会状況を学ぼうと思い、
購読して、多々教示されたりした。

もとより歌は、世につれて・・名言されている通り、時代を映す鏡であり、
作曲家の古関裕而さんは、軍歌を作曲された事情も学んだりした・・。



今回の 古関裕而―流行作曲家と激動の昭和 』(中公新書)を著作された御方は、
日本大学で日本近代史を専攻されている刑部芳則さんである。

そして刑部芳則さんは、昭和歌謡のレコードや歌詞を収集し、
5000枚にのぼるレコードを保管されながら、関連資料を懇切丁寧に吟味して、
本書を上梓されている。

そして刑部芳則さんに導かれて、古関裕而さんの足跡を学び、
昭和の特に戦前の社会状況を学んだりした。



私は本書を読み終わった後、強く心の中に残った一章がある。
《・・日中戦争が起きなければ、古関裕而は古賀政男や服部良一と肩を並べて、
昭和の三大作曲家になることはできなかったろう。

勇壮さに欠ける古賀メロディーと、
敵性音楽のジャズを基本とした服部メロディーは戦時中に息を潜めた。

クラシック音楽を主軸とした古関メロディーの独壇場となったのである。

日中戦争とアジア・太平洋戦争へ突入したことは、
古関裕而の天才的な持ち味を発揮するときがきたといえる。

しかし、古関裕而のにとってのその「時の運」はあまりにも悲しいものであった。

中国大陸で見た悲惨な光景は『露営の歌』となり、
インパール作戦では胸が痛くなるような体験を味わった。

戦局が悪化していくと、彼が作る楽曲は勇壮さよりも悲壮感が増していった。
本書の240ページから241ページの一部・・》



こうしたこと私は学び、しばらく溜息を重ねたりした。

余談であるが、刑部芳則さんは、NHK連続テレビ小説「エール」に於いて、
風俗考証を担当されている。
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健康寿命を延ばすためには、どの病気に注意すべき?、高齢者の私は学び、やがて溜息を重ねて・・。

2020-07-25 12:44:39 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日経Gooday(グッティ) 】を見ている中、
『 健康寿命を延ばすためには、どの病気に注意すべき? 』と題された見出しを見たりした。

私は遅ればせながら学ぼうと思い、こっそりと読んで、
やがて多々教示されたりした・・。



この記事は、近藤しんたろうクリニック院長の近藤慎太郎・ 医学博士の連載寄稿文のひとつで、
【 日経Gooday(グッティ) 】に7月22日配信され、無断であるが記事の大半を転載させて頂く


《・・今回は、「健康寿命」の日本の現状と、健康寿命を延ばすためには、

どんな病気に注意すべきなのかを見ていきましょう。

 

☆気になる「自分の余命」はあと何年?

平均寿命とは「その年に生まれた子ども」が、
平均であとこれぐらいの年数生きますよ、という数字です。 

例えば2016年の男性の平均寿命は、平成28年簡易生命表によると「80.98歳」になります。
これはあくまで「2016年生まれの男性が、それぐらい生きるだろう」という話です。 

よく勘違いされるのですが、例えば今50歳の人が
あと約30年(80.98歳引く50歳で30.98年)生きますよ、
という話ではありません。 
「50歳の人が平均であとどれぐらい生きるか」というのは「平均余命」で調べます。 

平均寿命と平均余命が違うのは、今50歳の人が過ごした50年間と、
今0歳の人が過ごすであろう50年間では、
プラスに作用するかマイナスに作用するかはさておき、
環境、食生活、医療、科学などの諸要素が全く違うからです。 



☆単に平均寿命が延びても幸せとはいえない?

長く生きる場合、その中身が大切になってきます。

単に長く生きただけでなく、
「健康でやりたいことを実現できる期間がどれぐらいあったのか」
ということが重要になってくるわけです。
それを表す概念が「健康寿命」です。 

健康寿命は「日常生活に制限のない期間」のことを指します。
ここでの「制限のない期間」を厳密に定義することはなかなか難しいのですが、
大ざっぱに言えば、「要介護状態ではない」ということです。 

この「健康寿命」と「平均寿命」は、必ずしもパラレルの関係にはありません。
例えば長野県の平均寿命は、男女ともに非常に高いことが知られていますが、健康寿命はどうでしょうか。

平成22年の都道府県別生命表によると、
「平均寿命」は長野県が男女ともに1位になっています。
しかし、「健康寿命」になると全く違った風景が見えてきます。

健康寿命については、男性は平均寿命19位の愛知県が、
女性は31位の静岡県がトップです。
長野県は男女ともにトップ5に入っていません(男性6位、女性17位)。 

次に、平均寿命と健康寿命の差を見てみましょう。
この差は、「日常生活に制限のない期間」を終えた後、
何年生きることになるのかを示します。

前述した通り、大ざっぱに言えば「要介護状態で過ごす時間」となります。 

厚生労働省の資料によると、平均寿命と健康寿命の差は、
平成28年で男性は8.84年(平均寿命80.98歳、健康寿命72.14歳)、
女性は12.35年(平均寿命87.14歳、健康寿命74.79歳)となっています。 

ここで意外と感じる人も多いと思いますが、
女性は平均寿命が長いのに、実は健康寿命は相対的に短いのです。
このパラドックスも今後の重要な検討課題ですが、次回で改めて解説したいと思います。 



いずれにせよ、大半の人が人生の締めくくりの段階で、
10年前後、不本意な生活を強いられるわけです。 

ここで、私たちを取り巻く課題と目指すべき方向性が明らかになってきます。
やはり、最も重要なのは、単に寿命を延ばすことではなく、
「平均寿命と健康寿命の差をできるだけ少なくする」こと。

その差を縮めながら、平均寿命、健康寿命ともに延ばすことができたらベストでしょう。 

「人生100年」が災いになってしまってはいけません。
ではそれを避けるには、つまり健康寿命を延ばすためには、何が必要でしょうか。 




☆健康寿命を延ばすには、「認知症&脳卒中」に気をつける

健康寿命を延ばすためには、
もちろん、日本人の死因ナンバーワンである「がん」を遠ざけるのは重要なポイントです。

しかし、あくまで一般論ですが、がんの場合は
相当進行した状態にならない限り、普段通りの生活が送れる人も多くいます。 
もちろん通院の必要も出てきますし、
治療に伴う副作用で体調が思わしくない場合もあるでしょう。

けれども、大抵の場合は、身の回りのことは自分でできるし、
短期間の旅行に行くことも可能です。 

「がんの治療を受けながら、いかに就労を維持するか」ということも、
現代の大切なテーマになっています。
こういった場合は、病気になったとしても「病気と共存している」と言えるでしょう。 

こう考えると、がんが必ずしも、身の回りのことが自分でできない、
つまり「要介護」になりやすいとは言えないことが分かります。

では、「要介護」になる原因には、何が多いのでしょうか。
平成28年国民生活基礎調査の概況によると、
1位が「認知症」(24.8%)、2位が「脳卒中」(18.4%)となっています。

つまり、この2つを避けることが健康寿命を延ばすために、最も大事なカギとなるのです。 

認知症については第3回で取り上げますので、
まずは脳卒中を避ける方法から解説します。



☆めちゃくちゃ怖い脳卒中、「動脈硬化」が危険!

脳卒中には、脳の血管が詰まってしまう「脳梗塞」と、
血管が破れてしまう「脳出血」、「クモ膜下出血」などがあり、
いずれも場合によっては命を失うリスクのある怖い病気です。 

命が助かっても、脳梗塞や脳出血によって脳の一部が壊死してしまえば、
その部分が担っていた機能を失うことになります。

例えば認知機能が落ちたり、話しづらくなったり、手足を動かしにくくなったりします。
重症のケースでは、寝たきりになってしまったりすることもあります。 

厚労省の「死因簡単分類別にみた性別死亡数・死亡率」によれば、
平成28年の日本人の死因は次のようになっています。 
1位 悪性新生物(がん) 37万2986人
2位 心疾患(心筋梗塞など) 19万8006人
3位 肺炎 11万9300人
4位 脳卒中 10万9320人

脳卒中の死亡数は、がんの3分の1にも満たないのですが、
患者数は非常に多く、117万9000人もいます。
死亡数の10倍以上いるのです(「平成26年患者調査の概況」より)。 

死亡数はそこまでではないが、患者数はとても多い。
そして生存している患者には、
日常生活に何らかの制限をきたす後遺症が残っている可能性がある。

いかに健康寿命を伸ばすかという観点からすれば、
そこが一番の問題となります。 



☆では脳卒中はなぜ起きるのでしょうか。 

これには様々な原因があり得ます。
例えば、脳の「動脈瘤」が破裂したり、
「心房細動」という不整脈によってできた血の塊が脳に飛んだりすることが挙げられます。
しかし、何といっても最大の原因は「動脈硬化」でしょう。 

動脈硬化とは、全身をくまなく巡っている血管「動脈」が、
劣化してボロボロになること。

ボロボロになると、血管が破れて出血しやすくなり、詰まりやすくもなる。
前述したように、「心疾患」の原因にもなり得ます。 

そんな動脈硬化は、「高血圧」、「糖尿病」、「脂質異常症」、「肥満」、「喫煙」などが
強く関係すると考えられています。 



若いからといって無茶していいわけではない!

動脈硬化とは何か。
まず、高血圧や糖尿病があると、動脈の壁の内側に傷ができます。
そこにコレステロールなど脂肪が沈着し、グジュグジュになって盛り上がってきます。
この状態が動脈硬化です。

それが破綻して脳出血を起こしたり、詰まって脳梗塞を起こしたりしてしまうのです。 

動脈硬化は「生活習慣の乱れが蓄積した中高年以降に起きる」というイメージがあると思います。
けれども実は10代でも起きることが分かっており、加齢とともに増悪していきます(*1)。
 
若いときは、体のどこかに問題が生じても、
そのほかの健康な部分が代償的にサポートしてくれるので問題が顕在化しにくいのです。
しかし、それは問題が解消されたことを意味するわけではありません。 

例えば、「若いときに部活で痛めた関節がいったん治ったと思ったけれど、
歳を重ねてからまた痛くなってきた」という人もいるでしょう。

一度生じた問題は、単に眠っているだけか、ゆっくり進行している、
というケースが多々あるのです。 

結局、「若いから無茶してもいい」というわけではないのです。・・》 


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

          

この記事を読み終わった後、
動脈硬化の主因は、「高血圧」、「糖尿病」、「脂質異常症」、「肥満」、「喫煙」に寄る、

と改めて学び、溜息を重ねたりした・・。        

過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。

私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。
このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、 軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。

この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

          

こうした中、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。

          

或いは昨年の1月3日の深夜、救急車で搬送されて、循環器専門の『榊原記念病院』に、

やがて1月4日より8泊9日の入院したりした。


新年の3日の夕食を家内と共に頂いた後、
やがて私は9時過ぎに布団にもぐり、本を読だりしている中、寝付いたりした。

そして10時過ぎ頃、左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
新年早々の元旦に治療を受けた『玉川病院』の医師のアドバイスに基づき、

『ニトロペン錠』を舌先で舐(な)めたりした。

やがて20分過ぎても鎮静化しなくて、やむなく2錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりし、
今回果たして『ニトロペン錠』鎮静化がするのだろうか、と思いながら、
痛みに耐えたりしたが、効果なく3錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりした時、
私は家内を起こして、救急車で病院に行く、と決意したのは11時半過ぎであった。
やがて救急車が我が家に到着して、救急スタッフの御方が昨今の私の状況を把握し、
循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』を進言して下さった。

そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、

そしてCTスキャンなどの精密検査、或いはレントゲン終えたのは、
早朝3時半過ぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。

こうした中、痛みは当日の4日の夕方には解消したが、
集中治療室の専門部屋より、3名部屋、やがて4名一般部屋に移動したが、
予測した以上に、遥かに快適な部屋であった。

            


こうした中、私は自身の健康に関して、タバコの喫煙に自身に甘えてきたが、

遅ればせながら禁煙を決意した。

私は大学一年、ワンダーフォーゲル部に所属して、夏の合宿の休息日の時、
先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、まもなく真似事をして以来、
タバコを愛煙してきたので、56年以上となっているが、今回の担当医師よりも禁煙を勧められた。

やはりタバコは心臓にも良くないし、まして身体にも良くないし、
入院前の1月3日の夕食後にタバコを一本喫って、これ以来禁煙しているので、
何日になるのかなあ・・・と指をおりながら微苦笑したりしている。

          

私は、60歳までの現役サラリーマン時代は、辛口の純米酒が大好きな呑兵衛のひとりであったが、
ここ10年はウィスキーの濃いめの水割りか、ビールを冠婚葬祭、懇親会、旅行以外は、
5日ごとに我が家で呑んでいるのが実態となっている。

そして心臓の悪化で退院後は、タバコにお別れして、禁煙となったりした。

このように何かと拙(つたな)い私でも、齢を重ねるたびに、
何かを断念しないと、人生の晩秋期を迎えられない、と心も身も鍛えられ、微苦笑を重ねたりしている。




そして健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸16年を過ごしてきた。


もとより寝たきりなどは、日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症とか心筋梗塞などは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
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夏マスクによる『かゆみ』、三つの原因と対策、高齢者の私は学び、多々教示されて、微笑み・・。

2020-07-24 13:30:51 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot.】に於いて、
何かしら夏マスクによる『かゆみ』に関して、記事が掲載されていた
・・。

私は我が家の平素の買物専任者であり、その後は散策をしている身であるが、
新型コロナウイルスの烈風の為、2月頃より外出の時はマスクを付けてきた・・。

しかしながら4月の中旬の頃から、陽射しの中を歩けば、
マスクで呼吸が万全でなく息苦しく、口の周辺も汗ばんだようになり、困苦したりしてきた。


     

このような体験をしている私は、
今回の《・・夏マスクによる『かゆみ』、三つの原因と対策・・》って、どのようなことですか、
と思いながら記事を精読し、多々教示させられたりした。


この記事は、京都大学医学部特定准教授で、皮膚科専門医の大塚篤司(おおつか・あつし) さんの監修で、  
 【 AERA dot.】 に7月24日に配信された記事であり、
無断ながら記事の殆ど 転載させて頂く。

《・・新型コロナウイルス感染症の流行で、マスクの着用が一般的になりましたが、
暑い夏場はマスクによる皮膚症状が心配されます。

最新の海外の研究では、マスク着用によるかゆみについて報告する論文も出ているようです。


  

医者になってからしばらく、私はマスクをせずに、診察することが多かったように思います。

今から考えると感染症対策として問題がありますが、
当時意識していたのは「医者として患者さんに冷たく映らないように」です。

お話をするときに、こちらの口元が見えるのと見えないのとでは、
だいぶ印象が違います。

マスクで口を隠すと、どうしても表情が伝わりづらく、
患者さんにとっては「怖い」という印象を与えかねません。



(略)
・・マスクは人から人への呼吸器系のウイルス感染を防ぐと考えられています。

新型コロナウイルス感染症が拡大し、医療従事者だけでなく、

一般の人も日常からマスクをすることが増えました。



私たち医者でもマスク着用の時間が長くなると、
皮膚がかゆくなったり、ニキビが悪化したりします。

私の場合はマスクをした部分に、吹き出物ができやすいので、けっこうつらいです。

マスクの着用が増えたことによって、一般の人がどれだけ困っているか、

きちんとした研究はこれまでありませんでした。
最近になってやっと海外の報告が出ています。

2315人を対象とした海外の調査では、

マスク着用の約20%の人が、かゆみを感じているとの報告でした。

とくにアトピー性皮膚炎の患者さんやニキビがある人は、

マスクによって症状が悪化しています。

マスクの着用時間が、長ければ長いほどかゆみを感じることが多く、
かゆみを感じる人のうち約3割がマスクを外して顔をかいています。

こうしたことから、新型コロナウイルス感染症を予防するという観点からは、
「マスクによるかゆみ」は防ぎたい症状です。



では、マスクによる皮膚のトラブルは、どうしたらいいでしょうか?

先の研究で興味深いのは、マスクによってかゆみを感じていながらも、

対策をとっている人が3割程度しかいないということです。

かゆくても我慢すればいいと思っているのか、
我慢できる範囲のかゆみなのか、論文からは不明ですが、
多くの人は対策なしで過ごしています。

マスクによるかゆみの原因ですが、主に以下の三つがあげられます。



マスクによる圧(摩擦)、化粧や日焼け止めに含まれる成分、そして汗です。

まず、マスクのひもがあたる耳は、

耳切れを起こす人が多くいらっしゃいます。

これには、なるべく圧がかかりづらいタイプのマスクに変えるか、
マスク着用の時間を減らすのがよいと思います。

時々、自宅から参加のWEB会議でもマスク着用の人を見かけますが、

いつどのような状況で、マスクが必要かしっかりと理解して着用するのがよいでしょう。

個人的には、壁際のパソコンに向かって、黙って仕事をしている状況で、
マスクが必要だとは思いません。



次に、マスクで長時間口元が覆われるために、

普段使っている化粧品や日焼け止めもかぶれやすくなる可能性に注意したほうがよいでしょう。

私はネズミを使ったかぶれの研究もしていますが、
かぶれをより起こしやすくするために、薬を皮膚に塗った後にテープでふたをします。

人間の場合でも、塗った薬がとれないように、
またしっかりと皮膚に薬が染み込むようにガーゼで覆う治療方法があります。

化粧品や日焼け止めに含まれる成分でかぶれやすいものは、

マスクで覆うことによって皮膚炎を起こすリスクがあります。

マスクの下の化粧を軽めにしたり(場合によってはやめたり)、
保湿剤だけを塗るのがよいでしょう。



さらに、日焼け止めクリームがついてしまったマスクを、
そのまま何日も続けて着用するのは問題です。

新しいものに変えるか洗濯をするなどして、
マスクからかぶれのもととなる成分を取り除くことが重要です。

マスクの下に汗をかくことで、かゆみがでる人もいます。

なるべく汗を洗い流し拭きとってください。

かゆみを和らげるために、水ですすぐ行為は、

汗を落とすだけでなく、皮膚の温度を下げる意味でも効果的です。

また水ですすぐことで、皮膚を清潔に保ちニキビ予防にも役立つと考えられます。

新型コロナウイルス感染症との戦いは、長期化することが考えられます。


マスク着用に伴う皮膚のトラブルは、
夏の今の時期が一番起きやすくつらいものです。

しっかりと対策を立ててこの夏を乗り切ることが大事です。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




私は記事を読みながら多々教示させられたりした。

今年の2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてるが、
いつになったら終息なるの、と思いながらマスクをして、人出の少ない処を選定して、
独りぼっちで散策している。

このような不用不出の外出自粛の風潮で、私は日常生活のペースは戸惑い、
昨今は自粛の解消の中で、開放感に満ちたりしているが、
ある面は新型コロナウイルスは終息せず、心が幾分晴れないのが本音となっている。





私は年金生活の中で、熱い夏でも原則として散策し、        
私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。


          


しかしながら今年の夏は、マスクをするので、
空を見上げながら、溜息をしたりしてきた・・。


私は散策後、帰宅すると洗面所で顔を洗った後、
衣服を着替えた後、エアコンの冷風に身を寄せたりしている・・。

そして恥ずかしながら汗かきの私は、襟あし付近が汗もになり、
『かゆみ』が発生して、
やむえなく『かぶれ』の塗ぐすりで対処している。

たまたま私の皮膚と相性が良いのは、しっしん、かぶれ、虫さされ、かゆみ用の
皮膚の修復成分配合の『オイラックスA』で、
第一三共ヘルスケアより発売されている。

そして6種類の有効成分を配合し、家族の様々な皮膚病状に効く、
と明記されていて、何かと単細胞の私は愛用して5年が過ぎている。



今回、夏マスクによる『かゆみ』の対策として、
《・・マスクの下に汗をかくことで、かゆみがでる人もいます。
なるべく汗を洗い流し拭きとってください。

かゆみを和らげるために、水ですすぐ行為は、

汗を落とすだけでなく、皮膚の温度を下げる意味でも効果的・・・》


このように学び、更に『かゆみ』がでたら、
こっそりと『オイラックスA』を塗ろうかしら、と微笑んだりしている。        
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長寿祝い『還暦、 古希、 喜寿・・傘寿』の年齢や読み方、そして色やおすすめギフト、何かと無知な私は学び、やがて微苦笑をして・・。

2020-07-23 14:27:12 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 介護ポストセブン 】の『暮らし』を見たりしていた。

こうした中で、長寿祝いの年齢や読み方 還暦 古希 喜寿…傘寿は何と読む?
色やおすすめギフトは?
と題された見出しを見たりした。

私は何かと無知なことが多く、遅ればせながら学ぼうと思い、
こっそりと読んで、やがて知らなかったょ・・と赤面しながら、多々教示されたりした。




この記事はマナーアドバイザーの松本繁美さんの監修に基づいて
女性セブン』の2020年7月23日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の【 介護ポストセブン 】に7月22日に配信されていた。

無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・              
☆喜寿、傘寿…長寿祝いの読み方や年齢は?

長寿祝いは、60歳以降の節目の年齢に、
“健康で過ごせた喜び”と“今後も長生きしてほしいという願い”を込めて祝うもの。
 
・還暦(かんれき)…満60歳
・古希(こき)…数え70歳
・喜寿(きじゅ)…数え77歳
・傘寿(さんじゅ)…数え80歳
・米寿(べいじゅ)…数え88歳
・卒寿(そつじゅ)…数え90歳
・白寿(はくじゅ)…数え99歳
・茶寿(ちゃじゅ)…108歳
・皇寿(こうじゅ)…111歳
・大還暦(だいかんれき)…120歳



☆長寿祝いの色や由来は?

「満60歳の還暦に、赤い頭巾やちゃんちゃんこを身につけて祝う風習は誰もが知るところ。
どのお祝いにも、意味を持つ色があります」

還暦には、生まれ年の干支に還る、赤ちゃんに還るという意味も。
古稀は、中国の詩から、
喜寿や傘寿は、「寿」が「七十七」と読める、
「傘」が「八十」など、漢字に由来する。

長寿祝いの色は、90歳の白寿より年齢が上がると、白が続く。
108歳の茶寿、111歳の皇寿、111才の大還暦についてはとくに決まりの色はないようだ。

 

☆長寿祝は何をする? 祝うタイミングは?

長寿祝いには、「家族や親戚、親しい友人で集まり、ギフトを用意してお祝いしましょう。
家で食事会をしたり、いつもより豪華な外食を楽しむのもよいですね」

なお、本来は数え年に祝うが、
現在では満年齢で祝うことが多くなってきている。

万が一お祝いのタイミングを逃してしまっても、
“お祝い事は先に延ばしてもよい”とされるため、翌年に祝ってもよい。



☆長寿祝いの贈り方とおすすめギフト

長寿祝いのギフトには、
「なるべく消耗品ではなく、記念になる品や思い出に残る旅行券などを贈るのがおすすめ。
『寿』などと表書きしたのし紙(のしつき、金銀または紅白の蝶結びの水引)に包んで贈りましょう」



☆還暦(60歳)は、「赤」の贈り物

60歳の還暦祝いには、赤いニットやマフラー、財布、赤ワインなどがおすすめ。
女性の場合は真っ赤な花束やアクセサリーも喜ばれる。

☆古希(70歳)・喜寿(77歳)は、「紫」の贈り物

70歳の古稀や77歳の喜寿祝いには、
多くの人が定年退職しているため、時間に余裕がある場合は旅行券がおすすめ。
 健康グッズや紫色の陶器でもよい。

☆傘寿(80歳)・米寿(88歳)は、「黄」の贈り物

80歳の傘寿や88歳の米寿祝いには、
人生を振り返る写真アルバムや写真立てがおすすめ。
足腰が弱る年代のため、黄(金茶)のクッションなども重宝される。

☆卒寿(90歳)・白寿(99歳)は、「白」の贈り物

90歳の卒寿や99歳の白寿には、
高齢で体の自由が利かないことも多いため、
白い食器類やニット、毛布やタオルケットなど、家で使えるものがおすすめ。

☆百寿(100歳)は、「桃色」の贈り物

100歳の百寿には、「100」の数字や名前を入れた食器類や写真立て、
置き時計などがぴったり。
桃色のニットやマフラーなどもよい。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



過ぎし年、私は民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、
痛いほど理解させられたりしてきた。

やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。

まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。



          

やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、私は震撼させられたりしてきた・・。



          

過ぎし年に、日本人の平均寿命は、ここ30数年、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する御方が多いと学び、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、頼れる人もいないので、

介護・要となった時は、 やむなく介護施設に思ったりしているが、
身体は衰えても、ボケないで晩年期を過ごしたいと念願したりしている。

          

私たち夫婦は、昨年は私は入院を2回ばかり体験し、家内も初めて入院したりして、

今日を迎えているが、健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ときおり私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。


このような体験をしてきたので゜、今回の長寿祝いに関して、微苦笑しながら多々学んだりした・・。



つたない人生航路を歩んできた私は、定年退職の時は『還暦祝い』、
そして65歳の時は、『後期高齢者の入門祝い』、
やがて70歳の時は、『古希祝い』、

いずれも家内と共に記念に国内旅行をしたりしてきた。

そして亡くなってしまった知人、友人には、申し訳けないが、
私は多くの御方に助けられて、ささやかな願い事もかなえられてきたので、
多くの御方に感謝を重ねてきた・・。

もとより私の祝い事で、プレゼントを頂くことは嬉しいが、
健康寿命を保てば、ささやかな願いごとも叶うので・・
何とか80歳の誕生日を健康寿命で迎えられたら・・と念願している。

しかしこればかりは、自助努力も大切であるが、
神様か仏様の采配する世界だよなぁ・・と微苦笑をしている。
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明日より4連休、年金生活の都民の私でも、戸惑いながら微苦笑して・・。

2020-07-22 16:09:06 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。


今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、23日の木曜日は『海の日』、
そして24日の金曜日は『スポーツの日』と朱字で明記されていた。

私は長らく民間会社に勤めていた50代の頃は、土曜日が休日であったので、
今回、日曜日を加算すれば、多くの御方は4連休になるのかしら、と思ったりした。

そして私は年金生活16年生である為か、
恥ずかしながら曜日感覚も忘れる日もあり、独り微苦笑する時もある。

それにしても祭日の『スポーツの日』・・いつの年に制定されたのかしら、
と世の中の出来事も無知なことがあり、
認知症と誤解されると困るので、注意しなければ、と苦笑したりした。
   

本日の昼のテレビ・ニュースをぼんやりと視聴していると、
小池百合子都知事が、23日からの4連休に不要不急の外出を控えるよう都民に伝言されていた。

私は結婚前後5年間を除き、70年ばかり都民のひとりであったので、
了解いたしました・・、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

しかしながら官房長官の菅 義偉さんが記者会見で
「政府としては、体調の悪い方には外出を控えていただきたい。
外出する際にも『3密(密閉、密集、密接)』を避けるなど、
感染防止策を徹底していただきたい」と公言されていた。

私は都民のひとり、そして国民のひとりであるので、
何かしら洗濯ばさみのような板挟みのような心情となり、
戸惑いながら微苦笑してしまった。

     


私は過ぎし2月の初旬より何かしら新型コロナウィルスの感染を避ける為、
公共の交通機関の電車、路線バスも乗らず、ひたすら人影の少ない処を選定して歩いてきた。


やがて小池都知事が、都民に新型コロナウィルスの感染拡大を避けて、
当面として、5月6日までは「 不要不急の集まり」を避けるようして下さい、
と報じていた。


そして5月6日をピークに新型コロナウィルスは終息化に向かっていく、
と思い深め、コロナ疲れにあともう少しだ、と自身を叱咤激励をしたりしてきた。


            


しかしながら私は、2012年にノーベル賞を受賞された京都大学iPS細胞研究所所長されいる山中伸弥さんが、
京都新聞のインタビューに於いて、
『・・1カ月だけの辛抱だと、多くの人が思っている気がする。
僕は専門家ではないが、かなりの確率で1カ月では、元通りにならないと確信を持って言える。
継続して我慢していかないと駄目だ。中国や米国の状況を見ていてもそう思う・・

感染者の拡大が収まるには、ほとんどの人が感染して、集団免疫という状態になるか、
ワクチンや治療薬ができることだが、1年ではできないのではないか。
最低1年は覚悟しないといけない。・・』

このようなことを学び、少なくともあと一年「 不要不急の集まり」は我慢かょ・・
友人、知人と仲良しグループの懇親会も、延期だね・・と私は落ち込んだりした。



            

       
やがて
5月4日、新型コロナ対策として、専門家会議が提案した、
「身体的距離の確保」、「マスクの着用」、「手洗い」、
そして「3密(密集、密接、密閉)」を避ける等の対策を取り入れましょう、
と公報されてきた・・。

高齢者の私は、苦手なマスクをしながら、我が家の買物でスーパーに行ったり、
そして体力の衰えた私は、やむなく散策をしたりして自粛生活をしてきた。
          


この後、5月25日、緊急事態宣言が全国で解除されて、
私は過ぎし2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてきたので、
解放感に心身共に深く感じたりした。

          


しかしながら新型コロナウイルスは終息していなく、何かしら多くの御方が油断すると、
第二波が襲来し、ふたたび『緊急事態宣言』もありえるので、
私も困苦するので、これから当面は自粛生活の延長戦だよねぇ・・と思いながら過ごしている。

そして昨今、
自粛から自衛の風潮に変貌し、無力な私でも大切な社会経済の復興を願うが、
もともと
年金生活の私でも、自分の身は自分で守る、大切な生活指針としているので

私は
新型コロナウイルスが沈静化するまで、程々に自粛生活の延長戦する、
と微苦笑したりしている。

こうした根底には、新型コロナウイルスの難題に対しては、新たなワクチンしか、解消できないと学び、
世界の主要国で、それぞれ専門分野の御方が英知と鋭意で開発して下さり、
やがて私たち国民が誰しも安心して接種できるまで、
それぞれの多くの人は、大なり小なり自粛生活の延長戦が余儀なくされる、と私は思い深めたりしている。






日本に於いては、山積する難題が多い中、直面している社会経済の復興、そして新型コロナウイルスの
終息まで、
政府が国民に明示すれば、殆どの国民は従う習性がある健全な人々であるので、
政府として、具体的な指針を国民に緊急に提示するのが責務でもある。


しかしながら政府の観光支援事業「Go To トラベル」は、
多くの国民が戸惑うあやふやな園児のような経済施策であるので、
誰しも判りやすい清廉された社会経済の復興施策を期待している。

このようなことを無力な私は、心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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齢を重ねるたびに病院の通院が多くなり、溜息をしながら微苦笑して・・。

2020-07-21 13:14:27 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
過ぎし70歳の頃から、知人宅に行くと、いつものように和室に通されたりした。

まもなく畳の上で、最初は正座、 まもなく胡坐(あぐら)をかいて、
30分ぐらい談笑した後、 立ち上がろうとすると、膝(ひざ)に痺(しび)れのような痛みを感じて、
やがて10秒後に苦笑しながら、 立ち上がったりしている・・。

更に一昨年の秋、私は小庭の草むしりをしていた時、樹の下の草を取ろうとして這いずっている中、
右脚の膝(ひざ)を小石があったのに気づかず、結果的には正座する時、
或いはデジカメで草花を撮ろうとして、しゃがんだりする時、右脚の膝(ひざ)が痛み、困苦したりしている。

このようなことは60代の時は感じたことはなかったが、 無念ながら老化現象で齢なのかしら、
と独り苦笑したりしてきた。
このように深情を秘めている私は、ここ数年は和室が苦手っている。


    
          

こうした中、
ここ7週間前の頃から、私は手の親指周辺の痛み、
或いは右脚の膝(ひざ)の痛み、そして椅子などに長く座り続けると腰の重さを感じるようになり、
やむなく最寄り駅の近くにある『整形外科』の病院に週に一度のサイクルで通院している。

そして右脚の膝(ひざ)の痛みに関しては、買物、散策などは数キロぐらいは歩けるが、
ただ階段を下りたり、足を高めに上げたりすると痛みが感じて、
齢を重ねるとこうした老化が始まるのかょ・・戸惑いながら微苦笑をしたりしている。





そして私は、毎週の火曜日に、『整形外科』の病院に5週連続でヒアルロン酸注射をしますので・・、
と40代の若き女性の副医院長と私は言われたりしている。

『私もいつまでも自身の足で、散策したいので・・治療に必ず来ます・・』
と眩(まぶ)し気な副医院長の顔立ちを見惚(みと)れながら、明るく応じたりした・・。  


そして右脚の膝(ひざ)にヒアルロン酸注射を受けた後、
リハビリ機器の腰痛牽引、マイクロ波など療法を受けて、
自宅では
湿布の経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤の『ロキソプロフェンNaテープ』を貼ることをしてきた。

ヒアルロン酸注射に関しては、関節の潤滑の働きをしている関節液や関節軟骨に痛みが発生しているので、
定期的に注射したヒアルロン酸で、痛みの物質を抑えたり、痛みを感じる部分を覆うことで
膝の痛みを改善させる治療方法と学んできた。


やがてヒアルロン酸注射の効果により、右脚の膝(ひざ)の痛みが殆ど感じることなく、今日に至っている。



しかしながら4日前より腰痛がひどくなり、
本日、通院している『整形外科』の40代の若き女性の副医院長に、
何とか治療の程を・・と懇願したりした。

そしてレントゲン撮影後、ブロック注射を腰に2本を注射していただき、
生まれて初めての体験をしたりした。

まもなく、しばらく安静して下さい、と副医院長より私は言われたりした。



私は腰痛が突然にひどくなった原因は、
過ぎし17日は雨が降る一日だったので、買物、散策も中止して、本に熱中していた。

知人より教えられた高嶋哲夫さんの『首都感染』(講談社文庫)を数日前に買い求めていたのを、
殆ど一日で読んだりした。

こうした影響で身体を動かすことなくしていたので、腰痛の主因になってしまった、と微苦笑したりした。

齢を重ねるたびに老化して、病院の通院が多くなり、
やむえないか・・溜息をしながら微苦笑したりしている。
コメント

写真の「構図は名作に学べ!」、何年たっても進歩のない私は、やがて微苦笑して・・。 

2020-07-20 12:57:32 | ささやかな古稀からの思い
2週間前の頃、写真愛好家の専門雑誌の『アサヒカメラ』が、
2020年7月号を最終巻として、廃刊となったことを週刊誌の見出しで知ったりした。

何かしら、カメラが進化し、誰でも写真を撮れるようになったいま、
「いい写真」を撮るために構図が重要な要素のひとつである、
と記載されていた・・。
               
そして写真家の方々のアドバイスとして、
語学学習で「多聴多読」が推奨されるのと同じように、
写真も、たくさんいい作品を見て、たくさん撮ることこそが、
遠回りに見えても上達の近道だ、明記されていた・・。


               

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。


こうした時は、殆どコンバクト・デジカメをネクタイのように首回りから下げて、
颯爽と歩き、 歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
  


        
  

過ぎし2004(平成16年)年の秋に定年退職する一か月前、
家内から定年退職の記念品として、何か買い求めたら、と私は言われたりした。

私は若き1960年〈昭和35年〉の春に、都心の私立の高校に入学して、
クラブとしては写真部に所属し、人を写すポートレートは照れ臭いので、 風景画に専念し、
現像などを含めて、ニコン、キャノン、アサヒベンタックスなどのフィルム一眼レフのカメラから、
写しだされる奥行、深さも少しは学んだりした。 

その後のサラリーマン時代の多忙の時代は、フィルムのコンバクト・カメラで、
ともすれば忘れるので、記憶のメモ代わりに撮ったりしてきた。

                                

そして定年後は、やむなく年金生活を予定していた私としては、
一眼レフのカメラだと、 レンズの買い増しなどの購入などでエスカレートすると費用も際限なくなるので、
やむなく断念し、 この当時としては高質とされていた800画素でズームレンズのあるカメラ一体型で、
程ほどの良質なキャノン、ニコン、ソニー、コニカミノルタから選定することとした。

結果として、手ブレ補正の搭載されている随一の商品で、
総合教養雑誌の『サライ』でも賞賛されていたコニカミノルタの『DIMAGE A2』とした。

そしてデジカメ本体に、カメラ・ケース、充電器、リチウムイオン電池の予備、 
記憶媒体はCF(コンパクト・フラッシュ)であるので、512MBを購入し、確かこの当時30万円を超えた。

このデジカメは、ズームが35mmフィルム換算で28~200mmであり、
周遊観光などに参加した場合は、ゆったりと撮影する時間が少ないので、
画質さえ800画素以上要求しなければ、一眼レフのレンズ交換を考慮すると、 
確かに私のデジカメは構図が素早く決められ、機動力がある、と秘かに思ったりしていた。




この後もデジタルカメラの進化は、周知のとおり日進月歩となり、
技巧も乏しい私でも、新たなカメラに魅了されて、ニコンの『クールピクス P510』を買い求めた後、
現在は三代目のパナソニックの『LUMIX(ルミックス)DMC-FZ1000』となっている。

こうした中で、年金生活の午前中のひとときは、殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲を散策していると、
季節の移ろいに魅了され、一期一会かしらと思いながら、情景を撮ったりしてきた。 




或いは家内と共通趣味の国内旅行を幾たびも重ねる中、
その地の情景に圧倒的に魅せられて、撮ったりしてきた。









こうした中で、恥ずかしながら私は、齢を重ねるたびに忘れることもあり、
やむなく記憶のかたみ、として撮り続けてきた・・。

そして過ぎ去った日々の写真を見たりすると、あんな情景があったのか、と愛惜を重ねたりしている。


何よりも驚いたのは、10年前の65歳だった私の表情が若く、 こればかりは・・と独り微苦笑をしたりしてきた。 

                            

            
私は民間会社のある会社で35年近く奮戦し、
2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、 多々の理由で年金生活を始めたが、
平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、 
或いは最寄駅まで歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、 
季節のうつろう情景を眺めたり、 歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、
原則として路線バスに頼らず、 ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

そして70代の5年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 ときおり願いながら歩いたりしている。



                           

こうした中、我が家の近くに野川が流れていて、両岸は遊歩道があり、
私は年金生活の身であり、 散策として殆ど毎日のように歩いたりして、      
季節のうつろいを享受して、ときおり情景を撮ったりしてきた。 




このようなデジカメの技巧も知らず、拙(つたな)い感性を頼りに撮ったりしているが、
私のその時の心の軌跡の記録でもあり、ともすれば見た情景を忘れることもあり、
記憶のかたみであり、もとより自己満足の世界の写真となったりしている。




或いはブログの投稿文に於いて、 乏しい筆力を補(おぎ)いながら、
カット代わりに写真を掲載したりしている。

こうした私の写真なので、何年たっても進歩のない写真だ、と微苦笑したりしている。


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