夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎし4月、沖縄・本部(もとぶ)きままな旅路の遊学記【2018.4.5.~4.11.】 《3》

2018-10-23 08:46:49 | 旅のあれこれ

             第4章 古宇利島(こうりじま)往還、そして備前までの遊歩道

4月8日、私たち夫婦が宿泊している地域は、過ぎし3日間は曇りときおり淡い陽射しが続いてきたが、

早朝より待ち焦がれた青空となる快晴の中、北方のかなたにある古宇利島を訪ねることとした。

古宇利島(こうりじま)は、名護市の屋我地島と2005年に約2キロ近い古宇利大橋で結ばれ、
この大橋の景観がメディアに盛んに取り上げて話題となっている。

そして古宇利島の海辺はエメラルドグリーンで、島の北にはハートロックと称されたハート形の岩があり、
多くの人が訪れている、と私は今回の旅立つ一か月前の頃から学んできた。

しかしながら交通の手段は、路線バスを乗り継いで行く方法があるが便数が少なく、
レンタカーが最適であるが、免許証のない私たち夫婦は、タクシーで往還するには余りにも高価であり、
やむなく断念した。

やがて旅立つ一週間前、『やんばる急行バス』が無料のシャトルバスが、
今帰仁城跡~古宇利島の物産センターを走行していると知り、
乗車できる人は、やんばる急行バスの他の路線を乗車した方が、利用権が頂ける規約であった。

                     

幸いにも私たち夫婦は、那覇空港前より本部(もとぶ)まで利用してきたので、
下車する前にドライバーさんより、やんばる急行バスが無料のシャトルバス利用券を
頂いたりした。

ただし利用権は3日以内であったが、ドライバーさんのご厚意で9日まで、
乗車できるようにして頂いたりした。

このような『やんばる急行バス』の無料のシャトルバスに乗車する為、
私たち夫婦はホテルよりタクシーで基点となる今帰仁城跡まで行き、9時15分発のバスを待機したりした。

                     

まもなく私たち夫婦は、古宇利島の物産センター行きの無料のシャトルバスに乗車し、
バスのドライバーさんのご好意で、景観の良い所で止まって頂いたり、小休憩もして下さったりした。

                 


そして私は、あれが有名となっている古宇利大橋・・と知り、微笑んだりした。


やがて古宇利大橋を走行して、島内の主要道路を一周して、まもなく島内の物産センター前に到着して、
私たち夫婦は帰路の2時間半ばかり、昼食をしたり、浜辺で過ごしたりした・・。


            

 


                



                


                



                



                
                
やがて島内の物産センター前の12時44分発の無料のシャトルバスに乗車して、
帰路に向かったが、海洋博公園の北方にフクギ並木、そして備前までの遊歩道を散策する為、
ハーソー公園近くで下車し、高速バスに乗り換えて、フクギ並木近くで下車した。

 

まもなく私たち夫婦は、備前までの海辺の遊歩道を歩き出した・・。

               


              


              


              

この前望にある島には、干潮の時には浅瀬となり、歩いて渡れると知っていたが、
干潮時間には約4時間もあり、やむなく断念したりした。

やがて遊歩道を戻る中で、額縁の中にある情景を真似事をして、たわむれに一枚を撮ったりした。

             

    
この後、フクギ並木を散策した後、ホテルに帰館して、
夕暮れのサンセット・クルーズに私たち夫婦は備えたりした。

                       《つづく》

 


過ぎし4月、沖縄・本部(もとぶ)きままな旅路の遊学記【2018.4.5.~4.11.】 《2》

2018-10-22 08:39:11 | 旅のあれこれ

               第3章 『海洋博公園』で、ふたたび『美ら海桔梗』にめぐり逢い・・。

4月6
日、曇り空で、ときおり晴れ間となる中、

私たち夫婦は予定通り『海洋博公園』に向かった・・。

私は50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、初めて沖縄諸島を観光で訪れた。


この50代の時は、私の勤めていた会社が勤続25年になると、有給休暇5日間を頂ける制度があり、
私たち夫婦はJALの関係の旅行会社ジャル・ストリーズを利用して、
八重山諸島の石垣島の『ホテル日航 八重山』に連泊した後、その後は沖縄本島の恩納村の『ホテル日航 サンマリーナ』、
そして首里の『ホテル日航 首里』に宿泊して、4泊5日の観光周遊旅行をした。

いずれもジャル・ストリーズが企画したコースで、宿泊したホテルから次の宿泊するホテルの間に、
それぞれの名所など周遊できる専用バスのコースがあり、利便性のあるプランを利用した。

この時に北西部観光コースで、『海洋博公園』を初めて訪れたが、
現在としては、無念ながら記憶が薄らいでいる・・。


              
                
やがて私は定年退職後、三年過ぎた2007年(平成19年)10月29日から8泊9日間で、
私たち夫婦は家内の母の《死ぬまでに一度は沖縄の《ひめゆり塔》を参拝したい》願いを叶える為に、
那覇市内にあるビジネスホテル風の『アパホテル』に連泊して、『ひめゆり塔』、『平和祈念公園』など訪れたりした。

そして中部地域の観光に利便性がある名護市の郊外にあるリゾート・ホテルを家内が選定して、
かりゆしビーチの付近のリゾート・ホテル『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャン スパ』に6連泊滞在して、
周辺の風光明媚な光景を遊学したりした。

こうした中、11月3日に私たち3人は、『海洋博公園』に行き、
家内たちは『美ら海水族館』やイルカを観に行くので、私は予定通り別れた。

私は日頃から中高年女性のしぐさ、言葉に魅了されることがあるが、
植物も愛するひとりとして、樹木、草花を観るので、園内の遊歩道を歩きはじめた・・。

国営沖縄記念公園の別称に相応しく、園内は小奇麗に整備がゆきとどいている。
いかにも沖縄の風土に適した樹木、草花が適度に配置されて折、私の目を楽しませてくれた。     

そして遊歩道の所々、海が目の前に観える展望台に行ったり、
或いは海岸の歩道を歩(あゆ)めば、険しい岩の崖に波が押し寄せている・・。

空は雲がわずかに浮かび、青一色で無限のような拡がり、
そして海は蒼く、果てることのないように彼方まで望み、風は爽やかに私の身体を通り過ぎていく・・。

このような光景を眺めたりしていると、
古来より沖縄の人々から、『美ら海(ちゅらうみ)』として慕われているのが、
私なりに理解ができた。 

              

植物園に戻ると、つる植物園の中で、蔦(ツタ)のように緑色の葉が生い茂っている中、
このような中に数多くの薄紫色の花が、ひっそりと咲いていた。        

私の住む都心の郊外では、見かけることのできない花であり、
あえて表現すれば、アサガオの満開の花びらのようでも思え、
色合いは桔梗(ききょう)に似ているかしら、と感じたりした。

いずれにしても、私のつたない感性であるが、
まぎれなく奥行きのあり品性がただよう、数少ない花のひとつである。

私は、この薄紫色の花を、文化の日に伴い、秘かに『美ら海桔梗(ちゅらうみ・ききょう)』と名付けた。

園内を辞する時、植物に詳しい係員の方から、
『その花は・・ベンガル・ヤハズ・カズラ・・と思いますよ・・』
と私に教えてくれた。

この旅路の中、私はこの薄紫色の花に最も魅了され、
のちの想いとしても、深く私の心に残った花である。

                 

11年ぶりに訪れた『海洋博公園』は、益々整備されて、多くの異国の人々を含めた観光客で賑わっていた・・。

              

              

やがて私たち夫婦は、誘われるように『熱帯ドリームセンター』に入館した。

              


              

この後、まもなく懐かしき『美ら海桔梗』に、私はめぐり逢え、しばらくたたずんだりした。

               


やがて私は名残惜しかったが、歩きだしたが、あとはおまけねぇ・・と思いながらも、
美麗な幾つかの花にも見惚(みと)れたりした。

               


              


              


              


              

この後は、『遠見台』と称された高さ36メートルの塔から、周辺を一望した後、
カフェ『スコール』で、私はマンゴー(トロピカル・ジュース)、家内は琉球薬草のスムージーを飲み、
小休憩とした。

この後は、園内遊覧車一日乗車券を買い求めて、広大な『海洋博公園』の園内を観て廻った後、
私にとっては懐かしいエメラルド・ビーチに向かった・・。


11年前の2007年(平成19年)11月に、私は独り
エメラルド・ビーチを散策していると、
修学旅行らしい高校生の女学生の4人は歓声をあげて、お互いに携帯電話で写真を撮ったりしていた・・。

『よかったら・・小父さん・・みんなの記念写真・・撮ってあげるよ・・』
と私は女学生のひとりに大声で言った・・。

ひとりの女学生が、もじもじと家内と同様の簡易カメラの写ルンを取り出して、
『嬉しい・・小父さん・・お願い・・』
と私に簡易カメラを手渡した。

4人の女学生は、それぞれのポーズを取りながら、右手はVサインであり、
私は微苦笑しながら、シャッターを押した・・。

『小父さん・・有難うございました・・』
と大声で2人の女学生から私は言われ、照れたりした。

その後、4人の女学生は波打ち際に歩き出して行き、微風の吹く中、スカートの裾が揺れていた。

私は南国の白い砂浜と陽射しのまぶしさ、そして海の蒼さの光景は、
乙女たちの夢のひとつ、あこがれが、目の前に拡がっていることを了解できた。


こうした情景に思いを馳せて、私は家内に言ったりしながら、
私たち夫婦は
エメラルド・ビーチに向かった歩きだした。

              


              
こうした情景を眺めていると、一期一会のように、『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、
漢詩のひとつを重ねたりしていた。


                            

            
もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が、
『白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節ある一節である。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の作品から学んだひとつの詩である。

《・・年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・・》

歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節にも同じように、美麗な海辺の彩(いろど)りを見せてくれるが、
この情景を観賞できる人は変っている・・。

もとより自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて、人生の無常を詠歎した句であるが、
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩から学びだし、早くも50数年の歳月が流れてしまった。


やがて私は溜息をひとつした後、家内に『ホテルに戻ろうょ・・』と言ったりして、
出口方面に私たち夫婦は向かったりした。


              

『またん めんそーりょー』と大きく彩られた文を読み、
僕だって・・いつの日にか、元気であったなら、また訪れたいょ・・
とプラス思考に転じて、私たち夫婦はタクシーの乗り場に向かった。
                                《つづく》


過ぎし4月、沖縄・本部(もとぶ)きままな旅路の遊学記【2018.4.5.~4.11.】 《1》

2018-10-21 08:21:00 | 旅のあれこれ

              序章 旅立つ前の思い

今年の2月初旬に春の旅路はどこに行こうかしら、と私たち夫婦は漠然としながら思案してきた。


制約があるとすれば、私たち夫婦は年金生活をしている身で、優雅な高価なリゾートホテル、旅館は無理であり、
そして家内は遠くに住む家内の母の介護で、家内の妹とで交代している関係で、
春の旅路の一週間ぐらいの日程を思案すると、4月上旬には何とかできる状態となっている。

        
          

このような状況であり、私たち夫婦は思案して、
家内は、南の海辺でゆっくり過ごしたいわ、と私に言ったりしてきたので、
やがて沖縄本島の北西部地域の本部(もとぶ)にあるリゾートホテルに6泊ばかり滞在して、
いつものように周辺を歩き廻ろう、と私たち夫婦は立案してきた。

        

このパンフレットは、JTBガイアレックが企画された『きまま沖縄』と題されて、
沖縄本島、石垣島、宮古島、久米島など周辺の島々を含めて、
《 自分で選んで、自分で作る!
            自由きままに旅に出よう!! 》と明記されていたので、
私たち夫婦にピツタリかしら、と私は微笑んだりした。

こうした中で、家内は血液型A型の為か、
周辺の観光地、人気のない島、或いは住民の方たちが利用される市場など、
或いは私たち夫婦はお互いに自動車の運転免許証もないので、
路線バスのバス停の場所はもとより、時刻表まで、徹底してネットなどで調べたりしてきた。

        

そして那覇空港から北西部地域の本部(もとぶ)にあるリゾートホテルまでの路線バスには、
少なくとも約2時間半以上であり、高齢者の私は恥ずかしながら何かとオシッコが心配だったが、
やんばり急行バスを利用すれば、途中のパーキング・エリアで約10分ぐらいの休憩があると知り、
大いに安堵して、微笑んできた・・。

こうした中、訪れる本部(もとぶ)は、《 太陽と海と緑・・観光文化のまち 》と明記され、
私たち夫婦は期待を膨らましていた・・。

この後、まもなく私たち夫婦は、最寄駅の駅ビルにある旅行代理店を訪れた・・。

私たち夫婦は、 4月1日から6泊7日の春の旅路の案を、早めに依頼した理由は、
児童の春休みは3月21日から4月6日と思われ、航空便が満席も予測したり、
そして私たちは日本航空の少しゆったりとするクラスJ席に好感してきたので、
何かと早めの申し込みが必要と思われのが、根底であった。

しかしながら私たちの指定したリゾートホテル『ホテル モトブリゾート』は、
すべて予約済であり、空きがない、と私たち夫婦は言われて、驚嘆した・・。

この後、私たち夫婦は本部(もとぶ)にあるリゾートホテルの選定を修正した結果、
『マリンピアザ オキナワ』としたが、公式ホームページhttp://m-piazza.com/
記載されている以上に多彩であり、私たち夫婦は幾たびも喜び、充実感があったりした。



             第1章 『マリンピアザ オキナワ』までは・・。
                    
4月5日、私たち夫婦は羽田空港を10時50分初の日航機で、
那覇空港に降り立ったのは、10分遅れの13時45分であった。

そして北西部にある本部(もとぶ)に向かう為に、
本島の中央部にある高速道路を大半走行する『やんばる急行』バスに14時半に乗車し、
やがて本部(もとぶ)港の北にある『博物館前』で16時40分に下車した。

曇り空の中、街並み散策をしたりして、やがて夕食代わりに焼肉を食べたいなぁ、
と私は家内に呟(つぶや)くように言ったら、家内は事前に調べていたので、
焼肉『もとぶ牧場』http://motobugyu.ti-da.net/を探し求めて、まもなく入店した。

やがてオリオンビールを呑みながら、ロース、カルビ、ハツ、ミノなどのセット物に、
牛タンを追加して、私たち夫婦は宿泊先の『マリンピアザ オキナワ』に近づいてきた地で、
安堵しながら、食べたりした。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&fr=lmd_poi&p=%E7%84%BC%E8%82%89%20%E3%82%82%E3%81%A8%E3%81%B6%E7%89%A7%E5%A0%B4%20%E6%9C%AC%E9%83%A8%E5%BA%97
☆焼肉『もとぶ牧場』・公式ホームページ・写真をお借りしました。

この後、タクシーでホテルまで行ったが、宿泊先より周辺の名所は、千円前後で行けると知り、
今回の旅路の大半は、時間間隔の多い路線バスをやめて、タクシーを利用して、
移動することとした。

やがて、私たち夫婦は宿泊先の『マリンピアザ オキナワ』でチェックインした時、
クーポン券を手渡されて、まもなく驚きながら喜んだりした・・。


               第2章 『もとぶ元気村』チャレンジ・クーポン券

『マリンピアザ オキナワ』でチェックインした時、チャレンジ・クーポン券が手渡された。

このホテルの全景には、『もとぶ元気村』の施設があることは、
旅立つ前には私たち夫婦は、公式ホームベージで知っていたが、宿泊者に限り、
この施設を殆ど無料に近く利用できることを知り、驚きながら私たちは喜んだりした・・。

何かしら一泊について、おひとり様2枚プレゼント(☆7月21日~8月31日は、一泊に付き、1枚)となり、
たまたま私たち夫婦は6連泊するので、総計24枚のチャレンジ・クーポン券を頂いた。

そしてが『もとぶ元気村』の施設の利用としては、
サンゴ礁とか魚が遊泳が観られる水中展望室がある遊覧船には、通常は大人2200円であるが、
たった2枚のクーポン券で、
乗船料の代わりとなる。

        

或いは私たち夫婦は、石垣島でサンセット・クルージングとして小型のヨット船に乗船して、
福沢諭吉さんのお札を2枚支払って、成功体験をしてきたので、
今回の旅路でも、少なくとも2回は乗船しょうと、話し合ってきた・・。

今回の『もとぶ元気村』に於いては、定員30名が乗船できる大型ヨットで、
サンセット・セーリングが、わずか3枚のクーポン券で、乗船料の代わりとなり、
恐縮したりした。

そして何かと単細胞の私は、宿泊先のホテルの夕食には、
滞在中にホテルが指定されている4種類のディナー食を食べて、
毎夜オリオンビールを盛大に呑まなくては・・と私は家内に言ったりした。

        

もとより、ホテルの広い前庭には、乳児から学童まで安全に遊べる多彩な施設があり、
私は滞在中、指定された部屋のバルコニーから、若いパパ、ママに引率された幼い子供が遊んでいる情景を、
微笑ましく私は、幾たびも眺めてきた。

こうした中、3歳ぐらいの女の子が、砂場などで、ひとり遊びに熱中し、
私もこの当時は、ひとり遊びが好きだったなぁ・・と苦笑しながら、好感を増したりした。

        

その上、ホテルに併設されている『もとぶ元気村』に於いては、
インストラクターの解説を受けながら、モーターボートの操縦体験、
或いはイルカを鑑賞できるなど10数種類の多彩な施設があり、学童が安全に学べる所であり、
子供たちの歓声を私は聞きながら、微笑んだりしてきた。

        

                                     《つづく》 


国内旅行の沖縄県、ささやかな私たち夫婦の幾たびの旅路は・・。

2018-10-20 14:19:13 | 旅のあれこれ

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、
結婚以来、国内の各地をときおり旅路を重ねてきた・・。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始め、
旅行の日程から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなったりした。

そして季節としては、5月の大型連休が終わった後、
或いは舞い降る雪が恋しく冬の時節、日本の各地を旅行をすることが、多かったりしてきた。

             

私たちの旅路、定年後まもなく自動車の免許書の更新を中止した私は、
最寄駅の近くにある旅行代理店に私たち特有のプランを依頼して、JR、航空機、フェリーなど、
そして宿泊先を選定したりしてきた。

或いは通販のクラブツーリズムの滞在型で、魅了されたプランに参加して、
幾たびか活用したりしてきた。

いずれにしてもリゾートホテル、観光ホテル、観光旅館などに滞在して、
街中、周辺を歩き廻ったり、郊外の山里の小道を歩いたりして、遊学をしたりしてきた。

            

今回、私たち夫婦は沖縄本島の中部地域にある名護のあるリゾートホテルに、
家内の要望により、明日の10月21日より4連泊の旅路をする。


私は50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、初めて沖縄諸島を観光で訪れた。

この50代の時は、私の勤めていた会社が勤続25年になると、有給休暇5日間を頂ける制度があり、
私たち夫婦はJALの関係の旅行会社ジャル・ストリーズを利用して、
八重山諸島の石垣島の『ホテル日航 八重山』に連泊した後、その後は沖縄本島の恩納村の『ホテル日航 サンマリーナ』、
そして首里の『ホテル日航 首里』に宿泊して、4泊5日の観光周遊旅行をした。

いずれもジャル・ストリーズの企画した宿泊したホテルから次の宿泊するホテルの間に、
それぞれの名所など周遊できる専用バスのコースがあり、利便性のあるプランを利用した。

この時に石垣島に連泊した時、石垣島の島内を周遊したり、
西表島に船で訪れて、仲間川のマングロープの中を小舟で遡ったり、その後はカンビレーの滝まで散策したりした。

その後は隣接した由布島、そして竹富島などの八重山諸島を周遊したりしたが、
カメラを持参していなかったので、心の片隅に残っているだけである。


やがて私は定年退職後、三年過ぎた2007年〈平成19年〉10月29日から8泊9日間で、
私たち夫婦は家内の母の《 死ぬまでに一度は沖縄の《ひめゆり塔》を参拝したい 》願いを叶える為に、
那覇市内にあるビジネスホテル風の『アパホテル』に連泊して、『ひめゆり塔』、『平和祈念公園』など訪れたりした。

そして中部地域の観光に利便性がある名護市の郊外にあるリゾート・ホテルを家内が選定して、
かりゆしビーチの付近のリゾート・ホテル『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャン スパ』に6連泊滞在して、
周辺の風光明媚な光景を遊学したりした。

                        

この後、2013年1月、旅行通販会社の大手のクラブツーリズムに於いて、
フリープランのひとつとして、石垣島フリープラン5・10・14日間が掲載されて、
《 離島桟橋まで徒歩3分の大浴場付きホテルに連泊 》と見出しがあり、
私たち夫婦は、石垣島の島内をゆっくり周遊するのも良いかしら、と思い申し込んだりした。

そして市内の中心街にあるビシネス風の『ホテルグランビュー 石垣』に2月7日より9連泊して、
本島の名所、周辺の新城島(あらぐすじま)、小浜島、竹富島などを遊学した。

この新城島(あらぐすじま)は、バラスと称されるサンゴの欠片だけで出来た白い島であり、
住民は近くの島に移動されて、この島に残されたお墓に、
かっての住民はお墓参りの時に訪れるぐらいの無人島になった、
と案内して下さった御方から、私たちは聞いたりした。

こうした状況を私たち夫婦は学び、たまたま観光客は私たち夫婦だけて、
島内散策と白い浜にたわむれたりした。

      

                



この後、沖縄本島のサンセットビーチとして名高い北谷(ちゃたん)町にあるリゾートホテルに
昨年の1月12日より9泊10日で滞在旅行をした。

   

何かしら県内最高層の23階建ての『ザ・ビーチタワー沖縄』であり、すぐ目の前がサンセットビーチ、
客室から眺望が良く、隣接地には華やかな『アメリカン・ビレッジ(村)』、そしてスーパーの『イオン』もあり、
何かと利便性に優れた地域であった。

    

こうした中、利便性の良い路線バスを利用して、周辺の観光地を訪れたりした。

そして今年の4月に、中部地域にある本部(もとぶ)のリゾートホテルに
4月5日より6泊7日で滞在旅行をした。

この旅路に関しては、後日記載する。


今回の旅路は、私は波打ち際を散策したり、朝夕の海上のうつろう情景、この間に読書をしたりして、
家内は日頃の家内の母の介護の疲れを癒す為、
私たち夫婦はゆったりと過ごす予定としている。

尚、今年の4月に、中部地域にある本部(もとぶ)のリゾートホテル滞在記、明日より掲載。

☆コメント欄、一時閉鎖と致します。


アルツハイマー型認知症には、進行ステージが7段階、初めて具体的に真摯に学び、やがて多々教示され・・。

2018-10-19 14:55:16 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【 NEWSポストセブン 】を見たりした中で、
『 アルツハイマー型認知症、元来の性格や人間性は変わらない  と題された見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに幸運にも、入院する大病には遭遇せずに今日に至っている。

こうした中、平素の買物の担当者の私は、家内から依頼された品を買い求めた後は
帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある住宅街、遊歩道、小公園などを
歩き廻り、幼年期に農家の児だった為か、山川草木を愛(め)でながら、季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

そして過ぎし医学ネットで『認知症にならないための脳の7つの習慣』に於いて、
散歩をする、新聞を声を出して読む、料理をする、社会と交わる、電車やバスに乗る、
毎日日記をつける、をする、などの七か条を学んだりしてきた。

しかしながら不運にも、どちらかが認知症になってしまったら、私たち夫婦は家内とふたりだけの家庭であり、
いずれにしても介護する方は、あなたは誰なの・・このような表情で応対されると、気力が萎えてしまう、
と思いめぐらす時もある。

              

このような深情を秘めている私は、
標題の《・・アルツハイマー型認知症、元来の性格や人間性は変わらない・・》、
どのような状況なのですか・・と真摯に思いながら、こっそりと読んでしまった・・。

この記事は、『女性セブン』の2018年10月25日号に掲載された記事のひとつであり、
『女性セブン』の編集部の女性が体験してきたことも発露され、
関連のネットの【 NEWSポストセブン 】に2018年10月15日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・アルツハイマー型認知症 元来の性格や人間性は変わらない

              

親が認知症になると、本人だけでなく家族の困惑も大きい。
もの忘れや生活上の失敗など、目に見える変化はどうしても気になるし、
接し方に戸惑ってイライラが募り、思わず声を荒らげてしまうこともある。


悲しく切なく、親とはいえ、遠い存在に思えてしまうのも、正直な気持ちだ。
50代。同年代の間でも“親が認知症に”という人が多い。

そう遠くない将来には、当事者になる可能性もある。
だからこそもっと身近なこととして知りたい。


認知症診療の第一人者、東京慈恵会医科大学教授の繁田雅弘さんに、
日本人にいちばん多いアルツハイマー型認知症について聞いた。

              

◆昔のイメージから大きく変わってきた認知症


「認知症というと、いまだに“何もわからなくなる”というイメージが根強いのでしょうか? 
認知症の理解が、そこを出発点にすることが、そもそも間違っているんですよ」と、繁田さんは言う。


記者の母(83歳)は、78歳時の認知症診断当時も、大混乱していた。

人生最大のストレスともいわれる配偶者(父)の急死が重なったこともあるが、
それまで見たことのない表情、言動、そして認知症の典型的なもの忘れ、妄想が次々に現れ、
私自身も混乱し、とても意思の疎通はできなかった。

母は、もう私の知る母ではない。
まさに“何もわからない異人”に思えた。


「確かに昔は、認知症になると、“もうどうしようもない”、“本人はどうせわからない”といった認識で、
閉じ込めるような医療だった時代もありました。

でもここ30年くらいの間に、認知症に関する研究が急速に進み、いろいろなことがわかってきたのです。
 

 
アルツハイマー型認知症には、進行ステージが


まず、アルツハイマー型認知症は、人格が変化する病気ではありません。

脳の機能低下により、徐々にできないことが出てきて生活上の失敗が増え、
そのことで不安になって、一見人が変わったように反応することもありますが、
その奥にある元来の性格や人間性は変わらない。

大切にしたいことや悲しいこと、嫌いなことも元来のままです。
家族こそ、そのことを忘れてはいけません」

              

そしてアルツハイマー型認知症の場合は、
かなり進行してからも、理解力や判断力は維持されることが多いという。


「たとえば映画や音楽鑑賞、読書など、鑑賞したことの記憶は、失われるかもしれませんが、
その瞬間、瞬間を理解し、楽しむことはできます。

高度の認知症で、言葉を失ったように見える人でも、
こちらからたくさん話しかけ続けていると、
ふと表情が変わったり笑みを浮かべたりすることもある。
決して“わからなくなって”はいないのです」


何より驚かされるのは、認知症研究が進む今、一人ひとりの認知症の進行が、
緩やかになる傾向にあるのだという。


「10年前と比べれば、スピードは半分、
20~30年前の3分の1ほどになったと言ってもいい。

認知症になっても、軽度や中等度でいる時期が2倍、3倍と延びているので、
早い段階から医療が介入すれば、高度まで進行する人は、減ってきています。

少しの支援や介助で、普通の生活やひとり暮らしもできる軽度のままで、
天寿をまっとうする人が多くなっています」・・》


 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

記事を読み終わった後、今回の『アルツハイマー型認知症には、進行ステージが7段階】の状況がある
ことを真摯に学んだりした・・。

こうした中、特に《・・脳の機能低下により、徐々にできないことが出てきて生活上の失敗が増え、
そのことで不安になって、一見人が変わったように反応することもありますが、
その奥にある元来の性格や人間性は変わらない。

大切にしたいことや悲しいこと、嫌いなことも元来のままです。
家族こそ、そのことを忘れてはいけません・・》

こうしたことを学び、いつの日にか私が認知症に遭遇した時に、
困苦しながらも、救いとして多少なりとも安堵感を感じる思いになったりした・・。

              

私は4年前の70歳を過ぎた頃から、記憶が劣化している、と気付き、

独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることを幾たびか体験している。

今回学んだ『 アルツハイマー型認知症の進行ステージ7段階 』を再確認すれば、
【2】の『正常老化』の❝物の置忘れ、物忘れが起きる❞に該当するかしら、と微苦笑してしまった。

              

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

このように私は、何かとプラス思考の単細胞の身なので、もしかしたら認知症に遭遇せずに、
いつの日にか、あの世に旅立つことができるかしら、と微笑む時もある。

健康寿命を延ばす「10の方法」、生活習慣と食事、運動がカギ!、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2018-10-18 14:41:35 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読しているネットの『ダイヤモンド・オンライン』を見ている中で、
『 健康寿命を延ばす「10の方法」
        生活習慣と食事、運動がカギ! 』と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、信愛を重ねて過ごしている。

しかしながら何かと単細胞で、思い込みの激しい私は、
思い違いがあったら大変だ、と思いながら記事を精読してしまった・・。

この記事は、
『週刊ダイヤモンド』編集部の大坪稚子さんが纏(まと)められた記事であり、
関連の『ダイヤモンド・オンライン』の中のひとつ『アンチエイジング・老化防止』に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

              

《・・
同年代でも若々しい人もいれば、老け込んで見える人もいる。
その差はどこからくるのか。健康で長生きする秘訣を探った。

「100歳を超えても、若々しく人生を楽しんでいる人たちに共通するのは、
長寿遺伝子が働いていることにある。
長寿遺伝子を活性化させ、健康寿命を延ばす条件もわかってきた」。
こう話すのは、加齢制御医学を専門とする白澤卓二・順天堂大学大学院教授だ。

実際に人間の長寿遺伝子が特定されたわけではないが、
白澤氏は、100歳を過ぎてなお現役スキーヤーだった三浦敬三氏(故人)をはじめ、多くの“健康長寿者”に会い、
体の状態や食事、生活習慣などから、長生きの秘密を研究してきた。

健康寿命を延ばす10の生活習慣

その結果、提言をまとめたのが上の表だ。
簡単にいえば、健康寿命を延ばすには、
「(1)カロリーコントロール
 (2)運動
 
(3)前向きな考え方が不可欠」ということであり、
白澤氏は特に食事について注目している。

カロリーコントロールの必要性は、動物実験で実証されている。
長寿遺伝子「Sir2」を発見したマサチューセッツ工科大学(MIT)のガレンチ教授によれば、
餌を制限した酵母菌や線虫のほうがSir2が活性化され、寿命も50%延びたという。

「1日のカロリー摂取の目安としては、厚生労働省の日本人の食事摂取基準を参考に、
栄養バランスは崩さず、腹七分から八分に抑えるべき」と白澤氏は言う。
腹八分目の食事が長寿遺伝子を活性化させ、健康寿命を延ばすわけだ。

              
 
また、老化を抑えるのに必要なのが、抗酸化物質の摂取である。
人間の体内では、ミトコンドリアでブドウ糖などの栄養と酸素からエネルギーがつくり出されるが、
ミトコンドリアが漏出する酸素が活性酸素に変化し、細胞やDNAを傷つけ、老化を促進してしまう。

つまり、活性酸素の無毒化・除去ができれば、老化を防げるということになる。
特効薬はないが、日常的にできる対策の一つが抗酸化作用のある成分、食品を取ることである。

特に重要な成分が3つある。
まずビタミンE。脂肪の酸化を食い止める効果がある
(ただし、脂溶性ビタミンのため、必要以上に取ると体内に蓄積されてしまい、注意が必要だ)。

2つ目が、ビタミンC。活性酸素を消し去る力がある。

3つ目に、コエンザイムQ10。
ミトコンドリアの膜に含まれる補酵素で、抗酸化力が強く、ビタミンEの抗酸化作用を助けることが知られている。

「植物や動物は紫外線から身を守るために、抗酸化物質を蓄えている。
抗酸化力の強い食べ物をしっかり取ることをお勧めしたい」と白澤氏は言う。

表のように、βカロテンが豊富なニンジン、ビタミンCが豊富なブロッコリー、リコピンが豊富なトマト、
アスタキサンチンの豊富なサケの切り身など、抗酸化力の強い食品はいろいろある。
「食材を購入するときには、色の濃いものや、過酷な自然環境で育ったものを選ぶとよい」(白澤氏)。

食品で老化を防ぐ

前述の長寿遺伝子発見者のガレンチ氏の食事は、野菜中心で、ブロッコリーを積極的に取っているそうだ。
ブロッコリーには、ビタミンのほかに、発ガン物質の活性化を抑えるイソチオシアネートや
インスリンを助けるクロムなどさまざまな有効成分がある。


1ページ目の表の(3)に挙げた「ベジフル7」は、
厚生労働省が掲げる「1日に野菜5皿、果物2皿」を目安にしている。

重量でいえば、野菜350グラム、果物200グラム。
参考までにニンジン1本100グラム、リンゴ1個250グラムである。

(5)に「お酒を飲むなら赤ワイン」と書いたが、
これは脂っこいものを食べているのに、心臓病が少ないというフレンチパラドックスのことだけではない。

ハーバード大学のシンクレア博士は、赤ワインに含まれる
ポリフェノールの一種、レスベラトロールが長寿遺伝子に直接働きかけ、
酵母菌の寿命を延ばしたという研究を発表している。

もっとも、アルコールの取り過ぎは、問題。
米国のガン研究財団は「ガン予防の15ヵ条」で、男性は1日2杯以下、女性は1杯以下に
(1杯はビールで250ミリリットル、ワインで100ミリリットル)と定めている。

              

☆運動は定期的に
継続的に行なうこと

長寿遺伝子を活性化させるために、食事と並んで重要なのが運動だ。
運動は定期的に、継続的に行なうことが重要だ。

「脂肪に含まれるアディポネクチンというホルモンは、血管修復や脂肪燃焼作用があるが、
太った脂肪細胞からは、分泌されなくなってしまう。
つまり、脂肪細胞を太らせないようにしなければならず、生涯にわたって運動する必要がある」(白澤氏)

興味深いことに、運動は何歳から始めても、遅過ぎることはないという。
たとえば水泳。体力や泳力は年齢とともに低下していくが、
「練習によって開発される能力は、高齢になっても向上することが専門家のあいだで確認されている」(白澤氏)。

長寿遺伝子を働かせ、健康寿命を延ばす――。
これは、食事と運動、そして前向きな生き方にかかっている。
自ら働きかけないと、長寿遺伝子は静かに眠ったままである。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

記事を読み終わった後、食事に関して具体的に学び、多々教示された。

私は、健康上の問題で日常生活が制限されずに、行動できる健康寿命は、
男性72.14歳、女性74.79歳と学んできた。

そして平均寿命と健康寿命との差は、男性8.84 年、女性12.35 年
(厚生労働省平成30年「健康日本21推進専門員会」資料)、と公表されている。

 
そして悩ましい亡くなるまでの日常生活に制限されるこの期間、
それぞれ多くの御方が自助努力をされ、何とか人に頼よる介護・要の期間を無縁に向かって、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。


「年金手帳」なくしても全く問題なし、初めて年金生活の私は、驚きながら学び、やがて・・。

2018-10-17 16:34:31 | ささやかな古稀からの思い
☆年金手帳のことは、気にしなくて良いです
現状、年金事務所の実務から言えば、年金手帳にこれと言った機能も役割もありません。
あえて言えば、基礎年金番号を確認するくらいです。

また、年金事務所としては年金手帳に何らかの記録を書き込むことはありません。
また、勤務先の担当者が記録らしきものを書き込んでいても、そのまま正式な記録として見做すことはありません。

              

☆年金手帳の記載は公式のものとみなされません

「消えた年金記録問題」が起きた当時はもちろん、
今現在でも「年金手帳にある記載を正式な記録として認めろ」
とクレームをつける人が年金事務所に来ることがあります。


が、勤務先担当者の誤解や知識不足のために、間違った記載をしているケースが多いです。


☆年金加入記録は年金機構が把握するものが全て

個人の年金加入記録は年金機構が把握しているものが全てです。
そのため、記録に間違いがないか、毎年、ねんきん定期便で確認を取っているわけです。

繰り返しになりますが、年金手帳の記載は公式のものとは認められません。

              

☆失くしても、大丈夫

年金手帳には写真貼付がありませんから、
本人確認の公的文書としては、普通自動車免許証、パスポート、マイナンバーカードより劣ります。


仮に年金手帳を失くしても、年金事務所に行けば、3分もかからずに再発行してもらえます。

☆年金手帳は不要?

「じゃ、年金手帳なんか要らないじゃないか」という当然の疑問が出てきます。

確かにその通りで、公務員(共済年金加入者)に年金手帳はありませんでした。
共済年金と厚生年金が統合された後も交付されていません。


☆厚生年金にも手帳はなかった

国民年金、厚生年金がそれぞれ別の制度であった当初、国民年金手帳、厚生年金被保険者証が別々に存在していました。

が、後に年金手帳にまとめられました。
当時の色がオレンジです。

              

☆ブルーの年金手帳は基礎年金番号成立以後

厚生年金、共済年金の1階部分が制度共通の基礎年金(国民年金)となった後、
つまり、基礎年金番号の成立以後に交付された年金手帳がブルーです。

☆年金手帳も基礎年金番号も消え去るのみ

年金手帳の変遷は、まさしく年金制度改正の歴史を反映しています。
現状、年金記録は基礎年金番号で一元管理されています。

今後は、年金加入記録がマイナンバーにヒモ付けされますから、
年金手帳も基礎年金番号も用済みとなります。


マイナンバーカードを早目に入手しておく方が、この先、何かと便利となります。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

記事を読み終わった後、大切に保管しているな厚生年金手帳は不要だ、と今回初めて学び、
苦笑したりした。

そして《・・
個人の年金加入記録は年金機構が把握しているものが全てで、
そのため、記録に間違いがないか、毎年、『ねんきん定期便』で確認・・》

《・・今後は、年金加入記録がマイナンバーに、ヒモ付けされますから、
年金手帳も基礎年金番号も用済みとなります。


マイナンバーカードを早目に入手しておく方が、この先、何かと便利となります。・・》

このように私は学び、微苦笑してしまった。

              

確かマイナンバー制度は、2016年1月に導入されたが、
過ぎし日に新聞を読んだりしていた中、マイナンバーカードの普及率は、
2018年3月1日現在で10.7%にとどまっている。

そして、税務調査の効率化などを目的とした銀行口座との任意の紐付け制度が
2018年1月に始まり、再び注目を集めている、と学んだりしてきた。
 

我が家にも、日本国内に住民票がある個人に割り当てられる12桁の数字で、
「マイナンバー」設定の書類が郵送されてきたが、これといった具体的なメリットが感じられないので、
わざわざ「マイナンバーカード」を作成することはない、と今日に至っている。

今回、《・・年金加入記録がマイナンバーに、ヒモ付けされます・・》と今回学び、
いつの日にか、「マイナンバーカード」を作成する必要があるかしら、と私は微苦笑したりしている。


相続民法大改正、夫を亡くした妻は居住権が確保され、妻にとっては何よりの朗報、と私は思い深めて・・。

2018-10-16 15:59:50 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【 NEWSポストセブン 】を見ている中、
『 相続民法大改正、配偶者居住権で家を売る必要がなくなる  』と見出しを見たりした。

私は高齢者74歳の身であるが、何かと悩ましい相続について、
民法大改正に伴い、配偶者居住権で家を売る必要がなくなる、と知り、
具体的にはどのようなことなの・・と思い記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年10月26日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの【 NEWSポストセブン 】2018年10月15日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・かつて相続税は、「お金持ちにだけかかる税金」だった。
それが2015年の相続税増税で、基礎控除が大幅に縮小され、「普通の人も納める税金」に変わった。


そうしたなかで、2018年7月に相続に関する民法の規定を
40年ぶりに見直す改正案が国会で可決・成立した。
2019年1月以降に順次、施行されていく改正民法によって、相続の常識は大きく変わる。

              

変更の多くは、高齢社会への適応を進めるものだ。
「残された高齢の妻が、住む場所に困らないように」、
「介護に尽くした人に報いることができるように」──変更後の相続ルールは、
上手に利用すれば心強い味方となる。

ただ一方で、新たな落とし穴も生まれている。
相続によって、家族関係にヒビが入る“争続”を避けるための新常識を解説する。


今回の大改正の大きなポイントの1つが、「配偶者の権利の拡充」だ。

妻と子が相続人となるケースでは、民法で定められた法定相続分に従うと、
遺産は配偶者に2分の1、残り2分の1が、子供たちの人数によって配分される。

しかし、現行制度下では、法定相続分通りに遺産分割しようとすると、
妻が自宅を処分せざるを得なくなるケースが、少なからずあった。

夫を失ったばかりの高齢の妻が、長年住み慣れた家からの引っ越しを余儀なくされるのは、
肉体的にも精神的にも負担が大きい。


そうした事態を避けるため、今回の法改正で「配偶者居住権」が認められるようになった。
その違いは大きい。

              

別掲図は資産価値4000万円の自宅と、現金2000万円の計6000万円が遺産として残り、
妻と子供2人が相続する場合をシミュレーションしたものだ。



妻は3000万円、子供はそれぞれ1500万円が法定相続分だが、
夫の残した現金は2000万円しかない。

子供の相続分(2人で3000万円)を捻出するには、家を現金化しなければならなかった(別掲図「改正前」)。


もちろん、相続人全員が承諾すれば、法定相続分に従う必要はない。
ただ、妻が4000万円の家を、子供たちが預貯金を1000万円ずつ受け取ると、
今度は妻の手元に、現金が残らない。
相続後の日常生活に支障をきたす恐れもあった。


こうした問題を解決するのが「配偶者居住権」だ。
別掲図の「改正後」を見ていただきたい。

https://www.news-postseven.com/archives/20181015_781345.html?IMAGE&PAGE=1
【 NEWSポストセブン 】公式サイト
       ==>『相続民法大改正、配偶者居住権で家を売る必要がなくなる』
                                        ==>図表『
家と現金両方が配偶者に』☆

4000万円の家を「居住権」と「所有権」に分けて相続できるようになる。
図では妻の居住権を2000万円と仮定したが、妻は別に1000万円の現金を受け取る。
一方、子供たちは1000万円ずつの家の所有権と、現金を500万円ずつ相続する。


妻はもともとの家に住み続けられる上、夫の預貯金の一部を生活費に充てることができる。

              

フジ相続税理士法人の税理士・高原誠氏はこう語る。

「これまで、遺された配偶者の当面の生活費をいかに工面するかが、実務上の大きな課題でした。
高齢のケースも多く、そういった方は家の所有権の有無より、そこに住み続けられるかが重要になる。

そこで、評価額を少し抑えた居住権という概念を作り出して、
そのぶん手元に残せる現金を増やせるようにしたわけです」


居住権を得るには、相続開始時(夫の死亡時)に、その家に住んでいることが条件となる。
「住民票を置いているかどうかといった規定はなく、
生活の実態があれば、認められるものと考えられます」(まこと法律事務所の弁護士・北村真一氏)


居住権の金額価値への換算は、当事者の話し合いで決定されるが、
法務省は目安として「簡易な評価方法」を公表している。

基本的には、妻の平均余命をベースにした計算だ。
妻の年齢が若いと、その後の居住年数は長くなると想定されるので、居住権の価値は高くなる。
一つの目安として、妻が65歳だと、家の価値の半分ほどが、居住権の価値となる。


配偶者居住権は登記され、子供たちが所有権を第三者に売却、譲渡などした場合も消失しない。
妻はその家に住み続けられるので、配偶者を守る非常に強力な権利といえる。


              

◆住んでいない家の固定資産税


一方で、新たな火種となる可能性もある。
原則として家の所有権をもつ子供たちに、固定資産税の納付義務が発生する。

子供たちが別の場所で暮らしていた場合、
「住んでもいない家の固定資産税を払う」ことになり、抵抗を感じる人も少なくないだろう。


今回の法改正は、配偶者の権利を大幅に拡大するものだが、
逆に言えば、その分、子供たちの権利は縮小する。

実家の所有権を相続しても、自由に売却はしづらく、しかも税も負担しなければならない。
修繕費やリフォーム費用なども含め、家のランニングコストの負担については、
十分に話し合っておく必要が生じる。


家族内で変更された相続ルールの内容を共有し、権利と負担のバランスをどう調整していくのか、
全員が納得する答えを改めて探っていくことが重要になる。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

記事を読み終えた後、夫を亡くした妻は居住権が確保されれば、
従来通り長年住み慣れた家で、このまま住むことが出来、
妻にとっては何よりの朗報だ、と深く感じたりした。


東京都の武蔵野市では、1981年(昭和56年)に高齢者の住宅を担保に
在宅福祉サービスの代金を融資する制度が実施された。

しかしながら、やがてバブルの時代、武蔵野市の住宅街に住んでいた御夫婦が、
夫が亡くなり、多額な相続税が発生して、残された妻は住み慣れた家をやむなく売却して、
引っ越しされた、と私は新聞記事を読み、余りにもお気の毒と思い深めたことがあった。

この後、こうした住民の対策のひとつとして、それぞれの有力な自治体で、
すでに保有している住宅を担保に、毎月一定額の融資を受けるローンで、
返済はせず借入者の死亡時に住宅を処分して、返済資金にあてるリバース・モーゲージが実施された。

こうした方法を活用すれば、生活資金も補充でき、住み慣れた家で従来通り生活ができ、
この後は、幾つかの都市銀行でも設定されている制度である。

              

このように学んできた私は、今回の相続民法大改正に伴い、
配偶者居住権で家を売る必要がなくなる、と私は学び、
夫を亡くした妻は居住権が確保されれば、従来通り長年住み慣れた家で、このまま住むことが出来、
妻にとっては何よりの朗報だ、と感じ深めたりした。


人生の悩みは大きく4つ 人間関係もお金も、一気に解決する「秘策」、高齢者の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2018-10-15 15:38:23 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読しているネットの【 NIKKEI STYLE 】を見ている中で、
『人生の悩みは大きく4つ 
     人間関係もお金も、一気に解決する「秘策」教えます』と見出し記事を見た。

私は2004年(平成16年)の秋に民間会社を定年退職するまで、何かと悪戦苦闘が多い人生航路で、
この後の年金生活は予測した以上に安楽に過ごして、14年生の身である。

しかしながら、この世には人それぞれ悩みもあり、
標題の『・・人生の悩みは大きく4つ 人間関係もお金も、一気に解決する「秘策」・・』、
まるで魔法の杖(つえ)のようなことなんかあるの・・と思いながら精読してしまった。

この記事は、日本ファシリテーション協会フェローの堀 公俊さんの寄稿文であり、
【 NIKKEI STYLE 】に2018年10月11日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・人生の悩みは大きく4つ 人間関係もお金も、一気に解決する「秘策」教えます
              

■どんな悩みでも解決してみせます!

私の職業は「組織コンサルタント」です。
人・組織・社会が抱える悩みの解決のお手伝いをする、いわば問題解決のプロフェッショナルです。

人生経験も社会経験も豊富ですし、幅広い人脈も持っています。
読書量もかなりのもので、自分の著作も海外を含め50冊に上ります。
どんな悩みでもたちどころに解決する自信があります。

嘘だと思うなら、試しにやってみせましょうか。

たとえば、皆さんの中に、なかなか痩せられなくて困っている人はいませんか。
私がとっておきの方法をお教えしましょう。

体に入るエネルギーの「入」を抑えて、「出」を増やせばいいんですよ。
まずは、何より食べないことです。
それが嫌なら、ガンガン運動することですね。

それでこの問題は解決がつきます。
嘘だと思ったら、ツベコベ言わずにやってみてください。必ず解決しますから。


そもそも、ベテランの占師によると、人生の悩みは4つに集約されるそうです。
(1)人間関係
(2)お金
(3)健康
(4)将来です。


(1)人間関係に悩む方、相手と別れられないなら、相手に合わすしかありませんね。

(2)お金は死ぬほど働くか一発事業で当てるか。それが無理なら節約でしょう。

(3)健康の話は、よくなるなら医者、ならないならカウンセラーのお世話になるしかありません。

(4)将来の話は、悩む暇があったら、何かアクションを起こすほうが早いですよ。


どうですか、これですべての問題が解決できませんか?

              

■「やるべきこと」より「やりたいこと」を

もちろん、これは悪い冗談です。
これでは問題は解決しません。

解決策を実行するのは生身の人間であり、やるべきことが分かっていても、
「できない」、「やりたくない」ということがあるからです。
いくら明快な解決策があっても、誰も何もやらなければ、何の成果にも結びつきません。


つまり、なぜ問題が解決しないかといえば、解決策を実行しないからです。
アイデアもさることながら、モチベーションに問題の本質があるのです。

であれば、「やるべきこと」ではなく、「やりたいこと」を見つけ出そう。
それが「ポジティブ・アプローチ」の基本の考え方です。


問題解決というと、完全な解決策を求めるあまり、
どうしても「やるべきこと」や「やらねばならぬこと」を
「やらなければいけない」と思ってしまいます。

英語で言えば、ShouldやMustに当たります。


ところが、そのせいでやる気にならなかったり、やるのを諦めたりしたのでは、
何の解決にもなりません。

完全な解決を求めて何もやらないよりは、
「やりたいこと」、「やれること」を着実に進めたほうが、はるかに得です。
そう考えて、Will、Canを探そうというのが、ポジティブ・アプローチです。

特に、人の意欲や行動が問題になっているときに効果的です。

              

■自分の経験に勝る資源はない

では、実際にどうやって問題を解決していくのか。分かりやすいやり方を一つ紹介しましょう。
先ほど述べた「なかなか痩せられない」という悩みを例にして。


まずは、解決したい問題を定義します。
「痩せられない」ではなく「痩せたい」とポジティブ(肯定的)に表現します。
そうしないと、どこに向かっていくのか、分からなくなります。

あわせて、どれくらい痩せればどんな効用(ベネフィット)があるのか、
理想のありたい姿を明らかにします。
そうすることで、問題解決の本当の意味を明らかにしていきながら、問題に取り組む気分を高めていきます。


次が最も大切なステップです。
おそらく本当に痩せたいと思っているのなら、今まで何もしなかったということは考えられません。
問題解決に取り組んだ過去や現在の事例があるはずです。

自分が持っていない外のものに解決を求めるから、苦しくなるのです。
そうではなく、既にあるものや自分の中に求めるようにしましょう。


なかでも経験は、一番の資源となります。
例外でも偶然でもよいので、何かうまくいったことはないか、
どうしてそのようなことができたのか、どんなささいなことでもよいので
過去の成功事例を集めて掘り下げていきます。

それは解決アイデアを考えるヒントになります。


その上で、現在の到達点を確認しておきます。
目指す姿を100点満点だとしたら、今はどれくらいできているか。
現状の到達点を明らかにします。

スケーリングと呼ぶ作業です。

              

■小さな変化が大きな変化を生み出す

仮に現状が60点だからといって、あと40点稼いで100点満点を目指したのでは、
初回に紹介したギャップ・アプローチになります。
そうではなく、あと1点でもよいから、目標に近づくためにできることを考えます。


ここでは実現性や効果は、一切考える必要はありません。
夢物語でも無責任でもよいので、ありとあらゆる手を考えます。

思いつかないなら、何でもできるとしたらどんなことが起こるか、
一切の制約を取り払って考えます。
これをミラクルクエスチョンと呼びます。

あるいは、仲間を呼んでブレーンストーミングしてもらうのも手です。
他人の経験が生かせると同時に、「できない」という思い込みを打ち破ってくれるからです。


そうやって集まった選択肢の中から、最後に実際の行動に移すものを選びます。
かといって、前回の合理的決定アプローチのように効率性や投資効果では選ばず、
「やりたいかどうか」、「できると思うかどうか」が唯一の基準となります。

一番しっくりくるものを選び、具体的なアクションプランに落とし込みます。
もちろん、これで思う通りに痩せられるわけではありません。
問題は完全には片づきませんが、解決に向けて着実に一歩前に進められます。


小さな変化は、大きな変化を生み出すキッカケになり、
何もしないよりは、状況を変化させることが大切です。

そうやって少しずつ歩を前に進めていけば、いつかは大きな目標を達成できるかもしれません。
そうやってポジティブに考えて進むのがこのやり方です。

              

■うまくいったことを愚直に続けよう

ポジティブ・アプローチでは、「なぜ?」を考えるのはご法度です。
できない理由よりも、できることを考えます。

うまくいかない原因よりも、うまくいった事例を探します。
何が足らないかではなく、どうすれば達成できるかに集中するようにします。


順調に進んでいることは、いじらないことです。
余計なことをせず、そのまま置いておきましょう。

下手にいじると、せっかく順調にコトが運んでいるのに、かえっておかしくなるかもしれません。


その上で、うまくいったことを探して、とりあえず繰り返してみましょう。
それなら、新たなアイデアも要らず、確実に成果も得られ、やる気も高まります。

どんなささいなことでもよいから、うまくいったことを探して繰り返せば、
いずれ大きな成功に近づく源となります。


逆に、うまくいかなかったなら、違うことをすべきです。
うまくいかないことを、「もっと頑張れば」、「次こそは」と繰り返すのは、愚の骨頂です。

同じやり方から違う結果は生まれてこず、それをガンバリズムでどうにかしようとするから
難行苦行になるわけです。


うまくいかないことは、あっさりとやめてしまいましょう。
その上で、何か違うことや、新しいことをやってみましょう。

うまくいかないことを繰り返すくらいなら、何でもよいから変えてみる。
数撃てば当たるで、そのうちうまくいくことが見つかるはずです。


いかがですか。
案外、ポジティブ・アプローチって合理的な考え方だと思いませんか。

なかなか解決できない問題で悩んでいたら、ぜひだまされたと思ってやってみてください。
占いなんかに大枚を払うよりも、よほどマシだと思いますよ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

記事を読み終わった後、人生の人間関係、お金、健康、将来の難題を
一刀両断のように明記されても、それぞれ人は悩むことが多いですょ・・と微苦笑してしまった。

私の知人で、子供が家を建てる資金、孫の教育資金などを援助し過ぎて、
肝心の年金生活に困苦したりしている。

或いは私が現役時代に、知人がリストラに遭遇して、会社をやめて、
やがて収入が下がり貯蓄を切り崩して生活し、お気の毒にも何とか生活されている御方がいる。

そして私の知人のひとりには、大病でここ6年入退院を余儀なくされて、
不安な思いで過ごされている御方もいる。

私の場合はプラス思考であるが、いつの日にか介護・要となり、やがて予測した以上に永がらえぱ、
老後の資金が大丈夫かしら、と不安になる時もある。

人は誰しも大なり小なり悩みをいだいて、人生を過ごされているのだから、
今回のように一刀両断のように解決できないのが、人間だよなぁ・・と私は微苦笑したりしている。


成城石井の隠れた名品、社員が自腹でも買いたい7選、年金生活の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-10-14 14:18:05 | ささやかな古稀からの思い

先程、くらしの経済メディア【 MONEY PLUS 】を見ている中、
『 社員が自腹でも買いたい、成城石井の隠れた名品7選 』と見出しされた記事があり、
私の住む程々近く所に、成城石井
の本店もあり、幼年期から何かと知ったりしているので、
精読してしまった。

https://moneyforward.com/media/hobby/72143/
☆【 MONEY PLUS 】公式サイト ==>2018.10.14.『社員が自腹でも買いたい、成城石井の隠れた名品7選』☆

やがて記事を読み終えた後、年金生活の我が家は、毎日のように買い求めたら、
食費・嗜好品が膨らみ、困るよなぁ・・微苦笑を重ねてしまった・・。

まもなく成城石井に関しては、私が若かった時代に、別れた恋人に偶然にめぐり逢えたような複雑な心情で、
思い馳せたりした・・。

          
          
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。
私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉4月の当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして小さな川が所有している田んぼの片隅に流れ、湧き水もあり、竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

母屋の宅地のはずれに土蔵、納戸小屋が二つばかりあり、
この当時の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の地域の代々継続している家は、このような情景が、多かった・・。

そして小田急線と京王線の間にサンドイッチのような辺鄙な処で、
京王線の最寄駅は『つつじヶ丘駅(当時は、金子駅)』か『仙川駅』であり、
児童の私としては、15分ばかりを歩いて『つつじヶ丘駅』に近い小学校に通ったりしていた。

或いは小田急線の最寄駅は『成城学園前駅』か『喜多見駅』、そして『狛江駅』であり、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に生家があった。
          

こうした中で、確か小学1年生だったと記憶しているが、父の妹が未婚だったの頃、
この叔母に連れられて、30分ぐらい歩いて『成城学園前駅』の近くにある『石井食料品店』に行った。

          
          ☆これ以降の写真は、たまたま私が2014年の12月初旬、成城学園駅の周辺を散策していた時、撮った情景である☆

祖父、母、叔母たちから『石井食料品店』の実家とは、何かしら曽祖父の時代に血縁していていたらしく、
遠い親戚の人、と私は幼年なりに教えられていた。

そして叔母は高校を卒業してまもなく、『石井食料品店』で従業員のひとりとして働いていた。
こうした縁で、私は叔母に引率されて、生まれて初めて成城学園の住宅街を歩いた。

数百坪の敷地が整然と並び、お屋敷町みたい、と私は幼年心なりに、叔母に言ったりしていた。
そして『石井食料品店』に到着したが、見た事のない高価な果物がたくさん店内に並べられていた、
こうしたことが鮮明に今でも、心の片隅に残っている。

この後、水道の水を生まれて初めて飲んだ・・。
この当時の生家は、つるべの時代を終えて、母家の裏にある井戸のポンプを手でこぎながら、
飲んでいたので、私は井戸水しか知らず、水道の水は不可解な味であった。
          

そして私が小学2年の三学期の1953年(昭和28年)の3月に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、生家として大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。

          

やがて私が34歳になった時、生家の近い処に一軒家を構え、
私は当時は中小業の会社に勤めて、本社は六本木に所在していたので、
我が家から通勤コースとして、利便性のある路線バスで『成城学園前駅』経由で六本木に通ったりしていた。

そして私も家内も成城学園前の商店街で買物もするようになった。
こうした中で、『石井食料品店』は高級なスーパーマーケット『成城石井』と変貌しており、
多彩な食材とか食品も高品質で、ときおり買い求めたりしていた。
          

私が40代の半(なか)ばの時、不覚にもギックリ腰が悪化して、
28泊29日で入院した時、会社関係の人にお見舞いを数多く頂だき、
この後、御礼としてデパートとか成城石井から送付したりした。

この中のひとりが東急の田園都市線の青葉台駅の近くの住宅街にお住まいで、
成城石井の支店、青葉台もあるよ、
と私は言われて、成城石井も支店を出店するようになったか、と驚いたりした。

この間の私は、働き始めた25歳からの習性として、
母にはお中元、お歳暮の時に、いくばくかお金を包んて渡したりしていた。

そして私が40歳を過ぎた頃から、成城石井のお惣菜売り場で買い求めた3品前後も、
手渡した時、母は私が予測した以上に悦こび、私は母が亡くなる15年近くまで続けたりした。

          

こうした中、私と母は毎週土曜日に電話連絡をして、
週刊ニュースのように母の一週間の出来事を聞いたりしていた。

たまたま母が成城に行き、歯科医院で治療した後、成城石井に寄って買物をしている時、
御曹司の方が店長として店内にいた時、XXちゃん・・と話しかけ、
5分ぐらい立ち話しをしてしまったわ、と母は私に言ったりした。

『お母さん・・昔のゆったりとしたおおらかな食料品店の時代と違い、
お客さんで混雑している中、店長は奮闘しているのだから、ご迷惑だょ・・』
と私は母に言いながら苦笑したりしていた。

こうしたこともあったりしたが、私、家内、そして母は生前していた時は、
何かと成城石井で買物をしたりしていた。

私は2004年に定年退職をした後、多々の理由で年金生活を始めた頃、
風の噂として、成城石井はある大手の会社に株式の大半を譲渡した、と聞いたりし、
私と亡き母が親しみを感じてきた亡くなった先代の御方、そして後を継がれて高級スーパーに変貌させた御曹司の御方、
無縁となってしまい複雑な思いで、ときおり私は買い求めたりしている。

          

やがて2014年5月、テレビ東京の『ガイアの夜明け』という番組で、
成城石井の躍進を、《 どんな場所にも出店 成城石井・・驚きの戦略 》と、
タイトルが付加されて放送されていた。

何かしから地方まで多店舗する中で、昨今の都心で出店も急増する実態、
こうした中で、自社で手作りしているお惣菜の製造センター、
各店からの細かな発注に対応出来る物流センター、
そして独自の目利きで輸入している種類豊富な高級な生ハムやチーズ等が映しだされた。

或いは麻布十番の店では、2階をワインバーとして、
1階で販売している食材・商品のを使ったメニューを開発しながら提供し、好評されている実態が放映されていた。

私は視聴しながら、成城石井もあの当時からして大きく変貌したなぁ、
と少し溜息を重ねながら、過ぎ去った日々に思い馳せたりした・・。

          

そして2015年11月下旬に、テレビ東京の『カンブリア宮殿』という番組で、
加速されている成城石井の多彩な各店の状景が放送されたりし、
私は25年前の前後、成城学園前の近くにある成城石井で、
私たち夫婦、母が何かと買物していた情景が、走馬灯のような思い馳せられたりした。

このような深情ある私は、ここ数年は家内と共に、来宅用に備えて年に数回ぐらい買い求める程度で、
平素の買い物は年金生活の身であるので、普通のスーパーで買い求めているのが実態であり、
確かに高級スーパーの成城石井は今回紹介された名品7選定・・確かに良いですよねぇ・・
と改めて微苦笑を重ねたりしている。


終活でクレジットカードを解約したある女性、まもなく困苦して、やがて朗報に、私は学びながら微苦笑を重ねて・・。

2018-10-13 12:10:43 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している小学館の教養雑誌『サライ』の公式サイト【サライ.jp】を見たりした中、
『 50歳からのカード選び   ~ クレジットカードを解約した人の末路 ~ 』と明記された見出しを見た。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎ去り年の2004年(平成16年)の秋に、私は民間会社のサラリーマンを定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めた。

そして私たち夫婦は、齢を重ねるとボケたことを配慮して、
まもなくクレジットカード、銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約し、
こうした中、クレジットカードもある大手のカードだけは、継続して、今日に至っている。

              

このような私は、『クレジットカードを解約した人の末路』は、どのように・・と思いながら、
記事を精読してしまった。

この記事は、消費生活ジャーナリストで、
特にクレジットカードについては30年の研究歴を誇るレジェンド的存在の岩田昭男さんが、
『50歳からのカード選び』の連載記事を『サライ』寄稿され、
今回は第二回の記事で、関連の【サライ.jp】に2018年10月12日に配信されていた。

この記事を無断ながら、記事の大半を転載させて頂く。

《・・(略)・・
クレジットカードの場合は、毎月の支払いの実績、つまり、いくらの利用金額があり、
それを期日までにきちんと払っているかどうかで評価されます。
そのため、カード会社は事前に利用者の職業と年収を見て、返済能力のリスクを把握しています。


月々の焦げ付きを怖れるカード会社にとって、
毎月決まった収入があって、その範囲内で家計をやり繰りしているサラリーマンこそ、
最も好ましいグループといえます。

そういう人なら、返済に困る事はないと考えて、クレジットカードを積極的に発行してくれます。


ただし、サラリーマンの多くは、60歳(最近は65歳もあり)で定年ですから、
それ以降は、高い評価は通用しなくなります。

              

リタイアした後は、定期収入のあてがなくなりますから、
いくら年金がもらえるといっても、状況は悪くなります。

それまでは甘い顔をしていたカード会社が、急に冷たくなって、
厳しいことを言い出すのは、こうした背景があるからです。

勤め先のバックアップもなく、定期的な収入もなくなった高齢者は、
信用力の低い人物とみなされる可能性が高いのです。


ですから、リタイアした後に、「断捨離」や「終活」の掛け声に乗って身辺整理をしようと、
クレジットカードを解約したりすると、二度とカードを作れなくなります。

そうした事情を知らないために、リタイアした多くの人がトラブルに巻き込まれています。(略)

              

☆終活でクレジットカードを勇んで「捨てた」女性

一人暮らしのBさんは70歳になったのを機に、
持っていたクレジットカードをすべて解約したといいます。

自分が死んだあとに、残される親族に余計な面倒をかけないようにと考え、
カードというカードをきれいさっぱり廃棄したのです。


Bさんは「これでスッキリあの世に行ける」と思ったのですが、
いざクレジットカードがなくなってみると、
それまでは当たり前にできていたことができなくなり、困り果ててしまったそうです。


例えば、楽天市場で化粧品を購入していましたが、クレジットカードがなくなったため、
カード払いができなくなってしまった。

そこで仕方なく代引きに換えたのですが、配達される時間に自宅にいないと化粧品を受け取れない。
一人暮らしで外出することが多かったBさんにとっては、相当なストレスだったようです。


リアルの買い物でも、クレジットカードを使っていたので、
カードがなくなると、現金の取り扱いに戸惑い、不便さを感じました。

常に財布に、お金を入れておかなければいけないので、
ATMに行く回数も増えて、これも重荷になっているといいます。


このようにBさんは、改めてクレジットカードの大切さを知ったわけです。
そして、もう一度クレジットカードを持ちたいと思って申し込んでみたそうです。
ところが、なかなか審査を通らない。


「70歳を過ぎた年金暮らしのおばあさんには、クレジットカードを発行してくれないのでしょうか。
断捨離とかの言葉に惑わされて、クレジットカードを解約してしまったことを本当に後悔しています。
何か良い方法はないかと思い、ご相談させていただきました」


Bさんの投稿はこんなふうに結ばれていました。

              

■デビットカードなら誰でも簡単に持てる

リタイア後に、家族や親戚に迷惑をかけたくない一心で、
クレジットカードを解約してしまうと、改めてクレジットカードを持つのは難しくなります。
カード会社が、年金生活に入った人の審査をより慎重に行うからです。


しかし、だからといって、クレジットカードの代わりになるものがあればよいのですが、
投稿のあった2013年当時は、全く思いつきませんでした。


それから2カ月ほど経って、そのご婦人が、千葉県で開催された私の講演会に参加されたので、
終わってからゆっくり事情をお聞きしました。

やはり一番困っているのが、ネットショッピングができなくなったことでした。
「生きがいだったのに、突然取り上げられたので、心に穴があいたようです」
と、すっかりしょげていらっしゃいました。

もう一つがカードを申し込んでも、審査に通らなくなってしまったことで、
こちらも悩みの種とおっしゃっていました。


私は、コンビニで品物を預かってもらう「コンビニ受け取り」など色々なアドバイスをしましたが、
どれも決め手になりませんでした。

これでは万事休すだと諦めかけた時です。
少し前にプレスリリースで見た新しいカードのことを思い出しました。


三菱UFJ銀行が、新しくデビットカードの発行を始めたと言う記事でした。
欧米で広まりつつあったデビットカードは、
クレジットカードと違って、預金口座から即時に代金を引き落とすカードでした。

口座を作れば、審査なしにカードを利用することができるのが利点です。
さらに新しくVISAのブランドがつくので、世界3900万カ所の店で利用できるのが特色でした。
当然ネットでも、買い物ができました。


「デビットカードは、どうでしょうか」と私が思い切って尋ねたところ、
ご婦人は、キョトンとして「何のことですか」といいました。
当時は日本人のほとんどが、このカードのことは知らなかったのです。

              

「銀行が発行するカードで、即時決済ですから借金にはなりません。
それに、審査なく持てますから便利ですよ」というと、

「そう?」と彼女は関心なさげでした。

そこで私が「VISAがついているので、ネットショッピングもできますよ」というと、
彼女はさっと顔を上げて、

「楽天も使えるのかしら」と興味を示しました。

「大丈夫ですよ、楽天だってYahoo!だって、何だって」というと、
急にニコニコして、

「何てカードでしたっけ、そのカード」とご婦人が聞いてきました。

「デビットカードです」

「ラビットカードって?」


「いや、デビットカードです」


「デビット? 変な名ね」


結局最後までご婦人は、デビットカードという呼び名にこだわっていましたが、
それでも、いままでの悩みが吹っ切れたように晴れ晴れとした顔になって、
「ちょっと銀行で聞いてみます」といって出て行きました。


それから3カ月してメールが来ました。
「デビットカードを手に入れました。毎日快適に暮らしています。
ネットショッピングって、ほんとうに素敵ですね。ありがとうございました」


私のアドバイスが誰かの役に立ったと、はっきりわかったのはそれが初めてでした。
ご婦人はこれからデビットカードを使って、以前のように自分のやりたいことをやり、
残りの人生を楽しく過ごされるのでしょう。・・(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

独り暮らしの年金生活の女性Bさんは、70歳になったのを機に、
自分が死んだあとに、残される親族に余計な面倒をかけないようにと考え、
持っていたクレジットカードをすべて解約し、この後の日常生活に困苦された。

やがて今回の岩田昭男さんに問いあわされた結果、まもなくデビットカードを利用され、
クレジットカード解約以前のように、溌溂と日常生活を楽しまれている、
このような概要である。

私は読み始めた時は、前向きに「終活」をされた女性Bさんに、お気の毒・・と思いながら、
やがてデビットカードを活用されて、以前のように、溌溂と日常生活を楽しまれているご様子に、
良かったですねぇ・・と微苦笑を重ねたりした。

              

我が家は、後払いの指定日に決済されるある大手のクレジットカードで、
デパートで買い物、旅行代理店の支払い、そして少し高価な品を買い求める時に活用している、

或いは最寄りのあるスーパーの専用カード、あるホームセンターの専用カード、
あるドラッグストアの専用カード等を日常の買い物として愛用して、
何かしらポイントが付くので微笑む時がある。

そしてパソコン、デジカメを買い改める時は、専門店のカード、
或いは洗濯機、掃除機、テレビなどを買い改める時は、家電量販店の専用カードを
活用してきた。

我が家は、ネットショッピングも一度もしたことがない何かと時代遅れであるが、
ここ日本の40年は、クレジットカードを中核に、それぞれの専用カード全盛期の上、
利便性のあるネットショッピングも盛んに利用されている。

こうした今日、やはりクレジットカードは、欠かせないですよねぇ、
と裕福層に無縁な私でも、微苦笑したりしている。


すぐに病院へ 突然発症する「脳梗塞」3つの予兆、高齢者の私は動顛しながら学び、多々教示されて・・。

2018-10-12 14:24:32 | ささやかな古稀からの思い

先程、朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 すぐに病院へ 突然発症する「脳梗塞」3つの予兆 】と見出しを見てしまった。
 

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

私は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを殆ど毎日のように歩いている。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

このような私は、過ぎし2年前に御近所の同世代の男性の知人が、「脳梗塞」で突然に亡くなり、
私は呆然としながら、御通夜に参列したりしてきた。

こうした体験もあり、『突然発症する「脳梗塞」3つの予兆』を学びたく、
記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊朝日』の2018年10月19日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの【AERA dot.】に10月12日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・すぐに病院へ 突然発症する「脳梗塞」3つの予兆

              

日本人の死因として多い脳梗塞
週刊朝日ムック「脳と心臓のいい病院2019」から、実際の例をもとに、その予兆を探る。


【こんな症状には注意! 脳梗塞の3つの予兆】

大場直人さん(当時79歳、仮名)が、異変に気づいたのは午後11時ごろ。

床に就いたもののすぐに眠れず、布団の中で寝返りを打っているとき、
ふと左手指の開閉の鈍さやしびれに気づいた。

最初は、圧迫によるしびれかと思い、少し時間を置いたものの、一向に治ることがない。
そればかりか、指だけでなく、手首から指先まで全体が、しびれていることがわかってきた。


妻の強い勧めで、すぐに夜間救急センターに電話し、脳神経外科専門病院にタクシーで受診した。
診断の結果、血栓や脂質によって脳血管が詰まる「アテローム血栓性の脳梗塞」と判明し、
ただちに入院となり、薬物療法がおこなわれた。


もともと、大場さんは毎年の健康診断で、
頸動脈(けいどうみゃく)の一部が細くなっている、と指摘されていたという。

昭和大学病院脳神経外科主任教授の水谷徹(みずたに・とおる)医師は次のように説明する。

「頸動脈が、血栓や脂質の沈着によって狭くなっていると、
それらがちぎれて、脳血管に流れていくことがあります。

結果、血管が詰まり、脳梗塞を引き起こすのです。
こうした症状の場合、小さな脳梗塞が、複数箇所で発症していることもあります」


脳梗塞の症状として、手のしびれ・まひのほか、言語障害や顔のまひ、片目の見え方の異常が挙げられる。

大場さんは症状に気づいて、時間を置くことなく病院に行ったことで、
生命に関わる事態を防ぐことができたといえる。


なお、頸動脈狭窄症を原因とする脳梗塞は、
これらの症状が24時間以内に治まる、TIA(一過性脳虚血発作)と診断されることも多い。

そうした訴えで、来院した患者をMRI検査で調べると、
小さな脳梗塞が見つかるのだという。

脳梗塞が疑われる症状が見られたら、その程度を問わず、すぐに病院に行く必要がある。

              

この頸動脈狭窄症を原因とする脳梗塞の場合、
脳梗塞そのものを治療したとしても、原因となる頸動脈狭窄症を治療しなければ、再発の恐れが高い。

水谷医師は次のように説明する。
 「海外では、頸動脈(けいどうみゃく)が60%以上狭くなっていると、
年間2%の割合で、脳梗塞を発症するという報告もされています。
もし、60歳で頸動脈狭窄症が生じていれば、80歳までに40%近くの割合で起きるのです」


大場さんも脳梗塞の再発を防ぐため、水谷医師のもとで
頸動脈狭窄症の治療の一つである「頸動脈内膜剥離術」を受けることとなった。
全身麻酔下で頸部を切開し、頸動脈内部を詰まらせている血栓や脂質を直接取り除く手術だ。


もう一つの治療である、血管の内側にステントと呼ばれる網目状の金属の筒を留置して
血管を広げる「頸動脈ステント留置術」に比べ、からだに負担がかかるものの、
根治性が高く、体内に異物を残す必要がない利点を持つ。

治療後の経過も順調で、脳梗塞の再発もなく過ごしているという。(取材・文/鈴木健太)


■脳梗塞の3つの予兆
症状はすべて突然発症するのが、脳梗塞の特徴

□片側手足の脱力(まひ)や感覚の異常 ※顔の片側のまひを伴うことも

□言語障害
□片目の見え方が一瞬暗くなる、見えなくなる・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

記事を読み終わった後、多々教示された。

私は過ぎし6月の下旬、東京都町田市にある「なかはら脳神経クリニック」院長の中原邦晶医師が、
脳梗塞は、“時間との勝負”、と語られたことを読み、今でも心の片隅に残っている。

(・・脳の血管が詰まって、血流が途絶え、組織が壊死していく・・・。
脳梗塞が命に直結する重大疾患であることは間違いないし、
たとえ命は助かったとしても、麻痺などの重大な後遺症が残ることもある。


一方で、迅速な初期対応と効果的なリハビリによって、元の生活を取り戻す人もいる。

「発作から数分で脳細胞の壊死が始まり、時間が経つほど、ダメージは広がります。

でも、発症から4時間半以内にt-PAという血栓溶解剤を静脈に注射できれば、
約4割のケースで、後遺症をほぼ残さないレベルへの回復が可能。

t-PA療法が難しいケースでも、8時間以内にカテーテルを使った血管内治療ができれば、
命を救える可能性がある。
まさに脳梗塞は、“時間との勝負”です」

              

このように明言されていたので、今回の『・・すぐに病院へ・・』には、改めて学んだりした。

そして私は、今回学んだ『脳梗塞の3つの予兆』を学び、やがていつの日にか、
感じた時は、一刻も早く病院で治療を受けよう、と思い深めたりしている。


大竹しのぶ、安倍寧、ピアフを語り尽くすトークショー「音故知新 ピアフ~恋に生き、歌に生き」を観覧して・・。

2018-10-11 14:48:25 | 音 楽

読売新聞は「音故知新」の特集記事を音楽評論家の安倍寧さんが中核となり連載しているが、
今回、女優の大竹しのぶさんをゲストとして招き、
公開のトークショーが10月10日にシアタークリエで行われた。

女優の大竹しのぶさんが2011年以来、過去3度にわたってシアタークリエの舞台「ピアフ」に主演し、
多くの方からピアフが乗り移ったと賞賛された迫真の演技を披露され、
今年11月には4度目の再演を控えている。

こうした中で、舞台「ピアフ」の開演する前の序曲として、500名の御方の観覧者の前で、
音楽評論家の安倍寧さんに導かれて、女優の大竹しのぶさんがピアフを語り尽くす、テーマであった。

音楽評論家の安倍寧さんは、美空ひばりさん、越路吹雪さん、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、ビートルズ等、
今や伝説となったアーティストをリアル・タイムで見聞きし、論評してきた御方である。

或いは、浅利慶太さんの学生時代からの盟友でもあり、
劇団四季取締役として、「キャッツ」、「オペラ座の怪人」、「マンマ・ミーア!」などの
日本公演の企画、交渉に深く携わった、と私は過ぎし年に関係者から聞いたりしてきた。

そしてピアフの歌を数多く唄っていた越路吹雪さんにアドバイスされた安倍寧さんが、
女優の大竹しのぶさんにピアフを演じたら・・進言されたことは、伝説となり始めている。

今回、こうしたおふたりが、安倍寧さんが、女優の大竹しのぶさんにピアフを演じたら、と進言された
エピソードを談笑するように語り合ったりした。

               

そしてピアフの壮絶な人生の中、ピアフが愛した人を語ったりあう中で、
こうしたひとりに公演旅行に同行させたシャルル・アズナブールも・・と語り合ったりした。

そして過日、日本の公演で圧倒的に好評だったシャルル・アズナブールの力量にお互いに感動した後、
シャルル・アズナーブルを囲んで、数多くのバラの花束を抱えた大竹しのぶさん、そして安倍寧さんの一期一会の写真が
今回、掲げられたりした。

或いは大竹しのぶさんは、舞台「ピアフ」の主演を、公演開催期間、
連日してきたが、その日、その日の思いで演技してきたので、
もとより( 映画、テレビのように )同じことはない。

このような意味合いの言葉、真摯に大竹しのぶさんは、発露されていた。
https://www.tohostage.com/piaf2018/
☆ 大竹しのぶ・主演『ピアフ』オフィシャル サイト ☆

こうしたトークショー
が終わった後、エディット・ピアフの命日のあたり、
10月10日にカバーアルバム『SHINOBU avec PIAF』を発売に際して、
この中の二曲をアコーディオンの演奏する中、披露された。

最初は『アコーディオン弾き』、この後は『愛の賛歌』であった。

私は音楽好きで、この名曲ふたつも数多くの歌手が唄うのを聴いたしていたが、
やはり大竹しのぶさんは、良き意味合いで舞台「ピアフ」の主演を演じてきたので、
舞台女優としての圧倒的な表現力で唄われて、歌手の領域と違う魅力させる力量が十二分に発露した。

この後、大竹しのぶさんは、最初の曲は美輪明宏さんの訳詞で唄ってきたが、
今宵は、初めて岩崎時子さんの訳詞で唄い、少し戸惑った、と発言されていた。

こうした言葉、しぐさが、若い女性のような可愛らしさがあり、
大竹しのぶさんは、もとよりテレビドラマ、映画、舞台、CMなど多彩に活躍され、
何よりも第一線で45年近く継続している稀(まれ)な御方である。

人は誰しも光と影があり、大竹しのぶさんは、特に影の深淵も深く演じられる稀(まれ)な御方であり、
テレビドラマ、映画、舞台の第一線の演出される御方が、大竹しのぶさんを抜擢したがる
稀(まれ)な御方、と私は感じたりしてきた。

この後、大竹しのぶさんはアルバムの制作過程に触れて、それぞれのミュージシャンの演奏と共に、
同時に唄った、発露された。

こうした録音方法は、過ぎし1970年代までに流行った方法であるが、
これ以降はそれぞれのミュージシャンの演奏され、歌い手も別の機会で唄われたり、
こうした後に、マルチ録音方法でつなぎ合わせることが殆どとなっている。

現代、余程の自信のある歌い手、或いはミュージシャンの演奏と共に、唄いあげる効果が曲の思いが深まる、
と信愛している歌い手、と私は思っているので、
大竹しのぶさんは、舞台経験を重ねた為か、この高揚感が御存知だ、と私は好感を増したりした。

               

この後、大竹しのぶさんは、私生活の面を発言されていた。
過ぎし9月1日に老衰のため死去した母(享年96歳)への思いを語り、
『あっぱれな人生でした』と語り合うように明言された。

そして『行ってきます』、『ただいま』を言う人がいなく、
母親って、こんなに大きな人だったんだな・・と喪失感を発露されたりした・。

この後、今回の観覧料は3000円であるが、主催社の御厚意で、
大竹しのぶさんの最新アルバム『SHINOBU avec PIAF』を無料で、
観覧者500名に、大竹しのぶさん御自身で、手渡すイベントが実施された。

今回、私は観覧者のひとりとして鑑賞したが、20代後半から70代まで幅広い世代で、
女性が7割前後であった。

こうした中の最後に、大竹しのぶさん御自身で手渡すイベントに於いて、
観覧者の御方が、大竹しのぶさん御自身に、その御方なりの思いを言葉にして、
アルバムを受け取っていた・・。

しかしながら、おひとりさまが30秒の熱き思いを大竹しのぶさんに伝えると、
時間が要した。

やがて私の順番になると、大竹しのぶさんは既(すで)に一時間以上の手渡し応対に、お気の毒と感じて、
『お疲れさまですねぇ・・』と短く微笑みながら握手をしたが、
想定した以上に大竹しのぶさんの手は、若く柔らかく感じたりした。

そして私は、シアタークリエを辞して、帰宅に向かった。

尚、コメント欄は、再開致しました。


ラッキー老ボーイの私、女優の大竹しのぶさんのトークショー、観覧する為に都心の日比谷のシアタークリエに向かう・・。

2018-10-10 08:00:11 | ささやかな古稀からの思い

女優の大竹しのぶさんが、10月10日、東京・日比谷のシアタークリエでトークショーを行う、
と私は知ったのは、過ぎし9月22日、購読している読売新聞の朝刊であった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
この読売新聞の朝刊を見ていたら、
シャンソン 大物俳優が挑む 』と見出しされた記事があった。

私は若き26歳の1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界に熱中した・・。

そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも退社後に週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。

こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を自宅の居間で、レコードが擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。

このような体験を秘めてきた私は、
過ぎ去った日々に愛惜を重ねるように
記事を読んでしまった・・。

こうした記事の中で、《・・
大竹しのぶは11月、主演舞台「ピアフ」の3度目の再演に挑む。

そして初めてピアフの代表曲だけを歌うCD「SHINOBU avec PIAF」(ビクター)も録音。

眼前に大竹が迫って来るような熱唱は、聴いていて鼓動が高鳴るほどだ。

「30歳で夫を亡くした時に、『愛の讃歌(さんか)』に励まされた」と大竹。
「子供の前では泣けないから、シャワーを浴びて泣きながら歌っていた」。
すると、気持ちがスッキリしたという。
「愛や死や別れなど、誰もが経験するテーマを持つ歌を聴いて一緒に泣いてもらい、力になれば」と語る。

大竹は、恋人の死、薬物中毒といった波乱の中でも、
力強く歌い続けたピアフの生き方に魅了されたという。・・》

               

私は女優の大竹しのぶさんが、主演舞台「ピアフ」をしていたことは雑誌で知っていたが、
こうした根底の理由を知り、瞼(まぶた)が熱くなった・・。


そして記事の最終章には、《・・
大竹はCD発売日の10月10日、東京・日比谷のシアタークリエでトークショーを行う。
お相手は、大竹にピアフを演じることを提案した音楽評論家・安倍寧氏。
参加費はCD付きで3000円。歌唱披露も決まった。・・》

掲載された下段には、『申し込みはサイト名』が表示されていた。

まもなく私は、大竹しのぶさんのシャンソンの思い、しぐさ、話す声の質、顔立ちも拝見致したく、
指定されたサイトをクリックした。

そして《・・トークショー「音故知新 ピアフ~恋に生き、歌に生き」開催
          (ゲスト 大竹しのぶ・最新CD付き、先着500名様限定)・・》
と表示されて、500名様限定、と知り、絶大な名声ある大竹しのぶさん・・
全国のファンから申し込みが殺到すると思われ、私は無理だよなぁ・・、と思ったりした。

こうした中で、アンケート欄があり、確かトークショーの観覧したい理由だった、と記憶しているが、
私なりにシャンソンの若き日の熱き思いを綴り、ぜひとも大竹しのぶさんのシャンソンの思い、
しぐさ、声、顔立ちも拝見致したく・・このような意味合いを短い綴りをして、サイト宛てに発信した。

               

やがて私が9月27日の74歳の誕生日に、パソコンで電子(E)メールを開くと、
この主催社より、9月26日付で、ご当選の案内を頂だいたりした。

私は幸運なラッキー老ボーイだ・・誕生日のお祝いかしら・・と微笑んだりした。

そして本日、久々に都心の日比谷のシアタークリエに行くが、
昨今、この周辺は話題の多い『東京ミッドタウン 日比谷』もあり、我が家を早めに出かけることとした。

尚、コメント欄は、一時閉鎖致します。


年をとるにもお金が必要? 素敵に年をとるために必要なこと、こっそりと高齢者の男性の私は学び、やがて・・。

2018-10-09 15:46:12 | ささやかな古稀からの思い

先程、暮らしとお金を考えることをテーマにした情報メディアの『ファイナンシャルフィールド』を見ている中で、
『 年をとるにもお金が必要?
         素敵に年をとるために必要なこと  』と見出し記事を見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間のサラリーマンを卒業した数多い年金生活している高齢者夫婦の家庭であり、
今回の標題に、どのようなことですか・・と知的好奇心に負けて、
記事を精読してしまった・・。

この記事は『ファイナンシャルフィールド』に2018年10月8日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・年をとるにもお金が必要? 素敵に年をとるために必要なこと
               

年齢を重ねてくると、これまでは当たり前だったことが、当たり前でなくなることもしばしば。
それをまとめてコストとして考えたりはしないかもしれませんが、
意外とコストがかかっていることも事実です。


今回は、素敵シニアになるためのコストを考えてみたいと思います。

☆髪の健康を保つためのコスト

若いときには、意識もしなかったことですが、
男性でも女性でも、髪の衰えって気になりますよね。

髪次第で、若くも老けても見える、とよく言われています。
そんな髪を健康に若々しく見せるために、お金をかけている人は多いようです。


例えば、育毛剤。
使っている人も多いのではないでしょうか。
育毛剤に関しては、数百円のものから、高ければ数万円するものまでさまざまです。


効果も人それぞれで、説明書には数ヶ月使用しても効果を感じなければ
その後の効果も難しいだろうという但し書きや、年齢制限、副作用、使用期間の制限などもあります。


気になったら、早めに取り掛かって、難しければすぐに撤退という考え方で使ったほうがよいものが多そうです。


次によくあがるのが、美容室でのケア。
一回数千円程度からで、ジャンルとしてはさまざまなようですが、
白髪染め等のヘアカラー系と、美髪をつくるためのメンテナンスの大きく二種類。


どちらも定期的に行わなければ、効果は保てず、それなりのコストになりそうです。

               

☆筋肉を維持して、いつまでも動ける体でいるためのコスト


いやいやまだまだ若いころと同じ様に、動けるぞと思っていても、
つまずきやすくなったり、階段を上るとすぐ息がきれたり、
気づけば、どこそこ痛かったりしていませんか?

それは、やっぱり年齢による衰えかも!
そんな恐怖におびえて、健康食品やサプリメントを購入している方も多いのではないでしょうか。


また、体力・筋力を維持するために、ジムに通ったり、定期的に運動をしている方も多くいますよね。
ジムに通ったり、習い事をしたりということになれば、やはりそこはコストに。


健康な体づくり、いつまでも動ける体づくりも、なかなかタダという訳にはいかなそうです。

               


☆できるだけお金をかけずに素敵シニアになれないか?

ここまで、年齢を重ねることで、起こるさまざまなことに
対処するためにかかるコストを見てきました。
かけようと思えば、いくらでもかかりそうです。


もちろんいつまでも若々しく健康でいたいものですが、
お金をかけずにできれば、それに越したことはありませんよね。
ちょっとそんな視点で、考えてみましょう。



■正しい髪の手入れ方法をマスターする


定期的にプロによる手入れをできればよいのでしょうが、それはかなりのコストに。
ただ、プロによるお手入れと同等までとはいかないものの、
正しいお手入れの方法、自分にあったお手入れの方法ができれば
健康な髪を保つことにぐっと近づきます。


また、一見高く思えるサロンメイドのヘアケア剤なども、
何度も専門店に通うつもりで計算すれば、意外と安く済むことも。
まずは、プロに相談をしてみるのもいいかもしれません。



■公共のセミナーや施設を利用する


ジムや習い事、スポーツサークルは、やはり民間のものだと、それなりの金額がかかります。
都道府県や市区町村が運営するものであれば、比較的安価で利用できるものもあり、
さらにスポーツ系や健康維持系の講座なども、半年単位程度で割安で実施されていることもよくあります。


都道府県や市区町村にもよりますが、地域の広報誌や自治体のサイトなどにも掲載されていることがあるので、
まずは情報収集が大切です。


               

■ながら運動を心がける


筋力を維持する、体力を維持するためには、何か運動をと考える方は多いかと思いますが、
日常生活の中でのながら運動でも、意外にかなりの負荷がかけられるもの。


掃除や料理、洗濯など日ごろの家事の中で意識してみると、いい運動になりそうです。

例えば、あえて少し高いところに洗濯を干してみたり、
野菜を刻むときにリズムをとりながら、足踏みしてみたり、
アイロンがけは、立ったまましてみたり、
何気ないことですが、プラスアルファの負荷があれば、立派な運動です。


☆何よりもまずは心がけが第一

どんなにお金を使っていても、そこに意識・心がけがあるかで効果や結果は変わります。
たとえお金は使わなくても、毎日自分のことをしっかり意識して、
ケアしてあげるだけで、若さは保てるのではないでしょうか。・・》


 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                                   

私は年金生活の中で、高齢者は何よりも清潔感が大切ょ、と家内から叱咤激励をされている。

こうした中、私は近所にある散髪屋(理容店)に月に一度に行っているが、
白髪が目立つようになってきたが、
人生の苦労が足りない為か、私と同世代の御方より髪の毛だけは多くなっている。

私は夕食前に私は、入浴している。
『お風呂に入ってくるょ』と私は若き自衛官に負けないように、家内に大声で伝えている。

そして私は浴室にある湯船のフタを開け放ち、浴室を湯気で温めたりしている。
この後、洗面所で服を脱いで、浴室に入り、シャワーで暖かな温質で身体を清めた後、
湯船に身も心をあづけて、何よりも倖せを享受している。

やがて私は、湯船から上がり、洗い場で石鹸を付けて、身体をくまなく洗い、
そして私は毎夕に髪の毛は、シャンプー、そしてリンスで洗い清めたりした後、
髭(ヒゲ)を剃ったりしている。

まもなく再び湯船に浸かり、倖せを再び享受し、やがて浴室を出て、
洗面所で、髭(ヒゲ)剃り後のクリーム、そして髪の毛にはヘアートニック、わずかなヘアークリームで整髪した後、
下着そしてパジャマを着たりしている。

この後、私は『お先に・・』と居間にいる家内に大きな声で伝え、
まもなく家内の入浴タイムとなるのが、年金生活の我が家の習(なら)わしとなっている。

               


家内の髪型はセミロングで、月に一度前後、白髪が少し目立ったいるので薄茶色に染めていて、
帰宅後、少し髪の毛は短くないかしら・・と家内は私に尋ねて、
お似合いだょ・・と私は褒めたりしている。

私たち夫婦は1976年(昭和51年)の春に結婚式の直前に、
花嫁人形のような角隠しで白無垢の容姿となった新妻となる人を私は見て、
この先の人生、どのような荒波があろうと私は・・と私は改めて思いながら緊張を増したりした。

そして幾たびかの人生の困難を私たち夫婦は乗り越えてきたので、
私は家内を戦友と感じることもあり、この世で安心して背にできる人であり、
私は一日に一回ぐらいは、感謝の言葉の代わりに言ったりすることが多い。

               

衣服に関しては、年に数度、家内に引率されて、デパートで買い求めたりしている。
そして私は、最初は都心で懇親会、国内旅行に着たりし、
この後は平素の買物、散策に愛用した後、やがて小庭の手入れなど活用している。

少しばかり高価に品であっても、長年愛用すれば、
何かとケチな私でも、充分採算が取れるょなぁ・・と英国の紳士から学んできたこと実践している。


私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

自治会の回覧板で行った時、そして買物の行き帰りに出会ったり、
或いは散策の時に逢ったりした時、談笑している。

               

民間の『スポーツジム』に関して、私の友人、知人などの多くは、
月に一万円ぐらい支払って通ったりしているが、
私は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを歩いている。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

こうした中
、四季折々のうつろう情景を享受したり、歩くことは健康の源(みなもと)であり、
遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、女性グループの御方たちと、話しかけられたり、
或いは話しかけたりして、談笑する時もある。

こうしたことを殆ど毎日、午前中のひとときを過ごして、
無料で体験をして、心も身にも良いビタミン剤だねぇ・・と微笑んだりしている。