夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

日本古来の伝統美、文庫新書を選べば・・♪

2008-07-31 07:09:40 | 読書、小説・随筆
昨日、家内が駅前の歯科医院で治療を受ける為、
私は駅前まで同行した。

駅前で本屋に立ち寄り、何か興味を惹かれる本はないかしら、
と本棚で色々な本の背文字を眺めたりしていた。


私は外出の際は、セカンド・バックを持ち歩き、
財布、ハンカチ、煙草、ライター、携帯灰皿、
そして今の時節は扇子、サングラスを持ち歩いている。

そして、本屋で魅了されなく本が買えなくなった時の為、
今読んでいる持ち歩きやすい文庫本の一冊は携えている。


本屋の店内で30分前後探した結果、
2冊の文庫新書となった。

一冊は宮元健次・著の『日本の美意識』(光文社新書)であり、
私としては、未知な著作者であったが、

【・・
日本人の根本的な美意識である「優美」とは何か。
「幽玄」あるいは「侘び・さび」「きれい」「かわいい」とは、
いったいどんな美意識なのか。
・・】

まえがきとして書かれていたので、
日頃の私は中年女性のしぐさ、言葉に魅了されているが、
私にとっては、人生の命題のひとつ課題でなので購入したのである。

http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334034450

そして後書は、竹田恒泰・著の『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)であった。

表紙のすぐ裏に、
【・・
現存する世界最古の国家、日本。
その歴史はすなわち天皇の歴史でもある。
本書では、神話の時代から平成の皇室まで
脈々と受け継がれる壮大な流れを、
朝廷の立場から概観。
・・】

著作者は明治天皇の玄孫のお方であり、朝廷の立場から、日本史を教示を受けようとし、
購入に思い立ったのである。

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69711-6

偶然に、日本の古来の伝統美の文庫新書の二冊になったので、
私は微苦笑している。


そして、私が持参している本は、
塩野七生・著の『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)である。

http://www.shinchosha.co.jp/book/118131/

最後の章に、著作者と文芸評論家の三浦雅士と対談が掲載されて折、
三浦雅士氏は塩野文学を小林秀雄のような・・、
と鋭い指摘があり、私も何となく感じてはいたが、
つたない知識しか持ち合わせていないので、
無念ながら明言出来なかったのである。

この対談は、中味が高質で色濃く、
まるでシルクに触れるような感触であると明記したい。
文芸創作活動をなされる方に必読されるとよい、
と余計なことを思ったりしている。


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東京の郊外は、雷雨に恵まれ・・♪

2008-07-30 07:55:07 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外は、快晴の朝を迎えているが、幾分涼しげな空気につつまれ、
朝涼(あさすず)のひとときを迎えている・・。


昨夜、8時過ぎに遠方で雷鳴が響き、
私は玄関庭に下り立ち、夜空をわずかに彩り、
玄関庭の樹木が風で揺らいでいた。

この1週間ばかり、たびたび弱雨、と天気予報が報じられてきたが、
遠雷ばかり多く、3日前にわずか20分たらず雨であり、
降雨の成果に乏しく、私は失望していたのである。


9時過ぎに、近くで雷鳴が響き、雨が降りだしたので、
私は玄関庭の軒下にたたずみ、久々の本降りの雨を眺めていた。
そして、近くで落雷の音が響いたりしたが、
30分前後の雨は止んだ。

この後、樹木は微風に揺らぎ、枝葉は雨粒をたたえ、
わずかであったが祭典のひとときが終ったのである。


私は10時半過ぎに布団にもぐり、本を読んだした後、寝付いたのであるが、
真夜中か時間は定かでないが、雨脚を音を聴いたりした。


今朝、5時半過ぎに庭に下り立つと、
樹木の枝葉は雨粒をたたえ、地面はしっとりと黒土となっていたのである。
そして、淡紫色の高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)の花を眺めたり、
塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。

そして、居間に戻り、テラスに下り立ち、
煙草を喫いながら、淡紅色と白色の大輪のアメリカ芙蓉(フヨウ)を眺めてたりしていた。


私の熟睡している深夜に、本降りとなり、
真夏日の期間は理想的な展開、と天上の気候の神々に感謝しながら、
私は微笑んでいたのである。

余談であるが、今朝のニュースで昨夜の10時過ぎに、
都心の六本木ヒルズで雷雨があった、と報じて折、
私の苦手な都心も東京の郊外より少し遅れていたと、
私は微苦笑している。



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『雨の慕情』を心の中で唄っても・・♪

2008-07-29 08:21:19 | 音 楽
東京の郊外は、すっかり雨から遠のいている。

一昨日、雨乞いの心持ちとなり、私は思わず、

♪心の中が忘れた あのひとも
 膝の重さを 覚えてる

【『雨の慕情』 歌詞・阿久 悠 作詞・浜 圭介 】

心の中で唄いだしたのである。


午後の5時過ぎに、パラパラと降りだしてきたので、
玄関の軒下で、玄関庭の樹木や空を見つめたりした。


♪雨雨ふれふれ もっとふれ
 私のいいひと つれて来い

【『雨の慕情』 歌詞・阿久 悠 作詞・浜 圭介 】


私は八代亜紀のように巧く唄えないので、心の中で唄ったりしたのである。

しかし、主(あるじ)の私が音痴なのせいか、
或いは祈願不足のせいか、
20分前後で止(や)んでしまったのである。

これでは樹木の枝葉、草花は濡れるまでいかず、
乾ききった情景である。

そして、私はこの歌のように、
情愛を深めたいいひとに、それほどめぐり逢えなかったことを気付き、
私としては雨乞うの歌には相応しくない、
と思ったのである。


この後、私は水を大切にしましょうと叫ばれている今日、
ご近所の方から、非国民と非難されないように、
こっそりと初夏の草花だけに水を散水したのである。

私は住む街は、真夏日が続き、
すっかり雨から嫌われ、どうしてなの、
と今朝も天上の気候の神々に問いかけている。


http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/13/4410/13208/1820004.html


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改めて、井上陽水の『傘がない』を聴き・・♪

2008-07-28 11:41:28 | 音 楽
昨夕、ネットでニュース等を検索していた時、

【オダギリジョーが井上陽水の『傘がない』唄う】

と確かこのような見出しであったと記憶しているが、
私は興味を抱き、このサイトに導かれた・・。

解説に寄れば、

【・・
ニューアルバム『弾き語りパッション』のプロモーション・ビデオの収録が横浜の桜木町で行われ、
その中で俳優のオダギリジョーがストリート・ミュージシャン、
若き日の井上陽水に扮して路上ライブを熱演した。
・・】

このように解説され、私は俳優のオダギリジョーは無知であったが、
井上陽水の『傘がない』に惹(ひ)かれて視聴したのである。


http://www.forlife.co.jp/inoueyosui/

『傘がない』の名曲を聴きながら、
俳優のオダギリジョーが好演しているので感銘しながらも、
初めて聴いた時に思いを馳せたのである・・。


私は昭和47年頃、実家から離れ、母の宅に住んで、
日曜日の午前中のひととき、
近くの喫茶店のカウンター席で煙草を喫いながら、コーヒーを飲んだりしていた・・。

店内から、

♪都会では自殺する若者が増えている
 今朝来た新聞の片隅に書いていた
 だけども問題は今日の雨 傘がない

【『傘がない』 作詞、作曲・井上陽水 編曲・星 勝 】


流れはじめ、私は思わず聴き、心の動揺し、
座っている椅子から転げ落ちそうになった・・。

若い人が政治、社会に無関心が増えていた社会風潮であったので、
余りにも的確に表現された詞に驚いたのである。

この曲を聴き終えた私は、
喫茶店のマダムに、このレコードを問いかけて、
初めて井上陽水の『傘がない』という曲を知ったのである。


私はこのシンガーソング・ライターに魅了され、
その後は、『心もよう』、『いっそセレナーデ』、『最後のニュース』、『少年時代』、『結詞』等は、
少なくとも百回以上を聴いている。

そして、多彩なこの人は、
他の歌い手に『飾りじゃないのよ 涙は』、『ワインレッドの心』等の名曲を提供している。



時は流れ、レコード、カセット、そしてCDを買い求めてきたが、
私は定年退職の少し前に、
改めてベスト・アルバムのCD『井上陽水 ゴールデン・ベスト・スーパー』を購入したのである。


年金生活の今、時折このアルバム全45曲収録された名曲の数々を聴いたりしているが、
その時代の社会風潮を切り取ったり、
叙情、世情のジャンルを多彩に発表された稀(ま)れな創作者である。

そして、これだけ多岐にわたり長年に作詞・作曲を出来る人は、
私の拙(つたな)い音楽愛好歴からして、
このお方・井上陽水と中島みゆきの両氏以外、私は知らない。


尚、この人を詳しく知りたければ、
発表された時代を思い浮かべ、作詞の内容を理解した上で、
海老沢泰久・著の『満月 空に満月』(文春文庫)をお読みになれば、と思っている。

ニューミュージック界で揺るぎない地位を獲得されるまでの心情が描かれているので折、
音楽を目指す人の必読書のひとつ、と私は確信している。



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老兵の私は、早くも夏の疲れを感じ・・♪

2008-07-27 16:56:40 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の63歳の身であるが、
日常は買物・散策、ときおり庭の手入れをする以外は、
本を読んだり、居間で映画のビデオ、DVDで良き時代だった名画を観たりしている。
そして、音楽もカセット、CDなどの音楽棚から、
その日に応じた曲を聴いたりしている。


東京の郊外も例年通り、小学生が夏休みに入る頃、
梅雨明けとなり、真夏日が続いている・・。

暑さに苦手な私は、午前中に買物と散策をした後は、
殆ど居間のクーラーの冷気につつまれた中で過ごし、
庭の手入れが、さぼりがちとなったりしている。

私もサラリーマンの現役時代は、
数多くの人と同様に多忙な毎日であったので、
この時節も、暑い日々の中、ワイシャツを汗ばみながら、奮闘していた。

私は退役軍人のような老兵の身となった年金生活をしているので、
この時節の真夏日の中、よく勤務に励んでいた、
とテラスで煙草を喫ったりしていると、
改めて現役時代に思いを馳せたりする時もある。


深夜族の私は、昨夜は珍しく9時半過ぎに布団にもぐり、
熟睡し、朝の6時に目覚め
久々に健全な時間を過ごしたと感じていた・・。

しかし10時過ぎに遅い朝食と早目の昼食を兼ねて、
家内とそうめんを頂いた後、しばらくパソコンでニュースなどを検索していると、
昨夜は充分に熟睡したのに係わらず、眠くなったのに困ったのである。

結果として、12時過ぎに簡易ベットに横たわり、
本を少し読んだ後、昼寝を1時間ばかりし、
ぼんやりとしたのである。


私は早くも夏の疲れを心身感じ、
これからの秋の彼岸まで、どのように乗り切るか、
と気弱になった私は、玄関庭の軒下で思ったりしたのである。


この先、8月初旬に佐渡島で3泊4日の温泉滞在をする予定であり、
過日にあれほど日本海の美景を楽しみにしていたのであるが、
今の心境は意欲と気力に欠け、困ったと苦笑しているのである。


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雨乞いをしたくなる心持ち・・♪

2008-07-27 15:05:37 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に住む私は、
ここしばらく雨が遠のき、何かと天気予報がここ1週間気になっている・・。

天気予報は夜半のひととき雨、
或いは夕方より弱雨などと、報じられているが、
一向に成果がないのである。

今朝も、早朝に弱雨の予報であったが、湿度が94%と蒸し暑いばかりで、
天上の気候の神々にどうしてご機嫌が悪いの、
と雨の降らない空を私は見つめたりしていた。

過日、北関東地方の館林市は集中豪雨だったとニュースを視聴したりすると、
昨年、蓮の花を観る為に訪れた館林市の郊外に思いを馳せてしまうのである。

そして、この中の一部の雨雲が東京郊外まで南下すれば、
この市周辺も左程の被害に遭わなく、
お互いに恵みの雨と感じれたのに、と思ったりした。

水を大切にしましょう、と叫ばれている今日、
乾燥しきった庭全体に散水すれば、
ご近所の方々から、非国民と云われそうで、
小心者の私はひたすら、雨の降る日を待ち焦がれているのである。

やむえず、アメリカ芙蓉(フヨウ)、高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)などの草花に水を散水しながら、
雨乞うの歌を唄い、天上の気候の神々に祈祷しょうかしら、
と思ったりしている・・。



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私のブログ・サイトの『通信簿』・・♪

2008-07-26 13:31:24 | 定年後の思い
私はこの【gooブログ】サイトで、今年の5月より復活して、
【年金青年のたわむれ記 ~かりそめ草紙~】と題して、
毎日投稿している。

先程、【gooラボ】のサービスの一環として、
『ブログ通信簿』のコーナーがあり、恥ずかしながらも作成を試みたのである・・。

最近投稿した10件から技術的な解析を行い、
判定結果を表示するルールである。

http://blogreport.labs.goo.ne.jp/desc.rb

《私の通信簿》

☆ブログ性別
    男性

☆ブログ年齢
    56
    63歳の私より、若い・・♪

☆主張度
    2

☆気楽度
    3

☆マメ度
    5

☆影響度 
    3

☆通信欄
 あなたは「図書委員」タイプです。
 マメ過ぎると損をしてしまうこともあります。
 もっと自分の意見を言ってみてもいいのでは。
 よく話題にしているラーメンの知識や経験をいかして、
 漫画原作者を目指しましょう。


こうした通信簿を頂き、小・中学生の時は、
『2』と『3』の多かった劣等生であったので、
少しは良いかしら、と微笑んでいる。

私の最近の投稿文でラーメンに関しては綴っていないので、
どうしてなの、と苦笑している。

私は投稿文体はある程度抑制し、綴っているので、
『主張度』は止む得ない、と素直に感じている。

尚、漫画原作者を目指し・・同じ文芸分野であったら、
随筆家を目指しましょう、と明示してくれたら、
この上もない悦(よろこ)びと、
拙(つたな)く齢ばかり重ねている私の実感でもある。



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ときには、『戦場にかける橋』を観る・・♪

2008-07-26 09:51:09 | 映画・テレビ
昨夜、11時半過ぎに、映画のビデオ、DVD棚から、
1本のビデオ・テープを取り出した。

デビット・リーン監督の『戦場にかける橋』(1956年)である・・。

過日の24日(木)の夜にNHKのBS2で、
『米映画・勇気と感動・ベスト100』と題された番組があり、
歴代の名画の名シーンだけを選定していたのを、
私は少し視聴したのである。

この中で、『戦場にかける橋』で炎天下の独房から解放された
英国軍の仕官の歩きの名シーンが取り上げられ、
これが私には脳裏に残り、深夜にかかわらず作品を観たくなったのである。


第二次世界大戦中、日本軍によるビルマ~タイの戦場に於いて、
輸送物質等による戦線拡大を図る為、
この途上にあるクワイ川の鉄橋建設をめぐる作品である。

日本軍の将校(早川雪州)の指揮下の中、
英国軍の仕官(アレックス・ギネス)等が捕虜収容所に置かれた状況、
そして米国人の水兵(ウィリアム・ホールデン)の3者の気質が明確に描かれた名作である。


この映画を私が最初に観たのは、
渋谷の映画館で座席に座れず満員の中、立ちつくし、
確か小学6年か中学1年の頃であった。

その後、20代の前半に名画を上映している映画館で、
そして50代でWOWOWで放映されていたのをビデオ・テープに収録しながら、
観たりしていたのである。


今回、恥ずかしながら初めて気付いたのは、
フランスの作家でピエール・ブールが第二次世界大戦の実話に基づいて、
創作されたベストセラー作品と知り、
観を終った深夜の3時半頃、私は苦笑したのである。

私は名画の場合は、小説、随筆と同様に、たとえば10年毎に観たりすると、
自身の感慨が深められるから好きなのである。


監督のデビット・リーンに関しては、秘かに敬愛する監督のひとりで、
『戦場にかける橋』(1956年)を初めて鑑賞した後、
高校生の時に『旅情』(1955年)、大学生の時『逢びき』(1945年)、
そして有楽座のロードショウの初日に『アラビアのロレンス』(1962年)を観たりしている。

その後は、『ドクトル・ジバコ』(1965年)、『ライアンの娘』(1970年)、『インドへの道』(1984年)を、
ビデオ・テープで自宅のテレビで観たが、
こうした大作は映画館のスクリーンで観るべきだった、
と後悔しているのが本音である。


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私なりの野菜の特選盛り合わせ・・♪

2008-07-25 18:19:30 | 食べ物、お酒
東京郊外も連日の真夏日となり、
昼時には34度となり、暑さの苦手な私は食欲が低下したのである。

家内が実家に行っているので、
読書は早朝、深夜に係わらずしているので、
寝不足にあり、昼食のメニューに困ったのである。

野菜の盛り合わせを思い立ち、
セロリの一株の内側の淡黄色の柔らかな部分を適度に包丁で切り、
ピーマンを三つばかり千切りにした。
そして大皿に盛り合わせ、マヨネーズとソースで頂こうとしたのである。

これだけでは少し寂しいので、かいわれ大根を小皿に盛り、
お醤油をたらした。

居間のクーラーの冷風につつまれた中、
ビールを呑みながら、三品の野菜の盛り合わせ頂き、
炎天下の庭を眺めたりしたのである。

手間の掛からない簡素な野菜の盛り合わせであるが、
5月から初秋にかけて、食欲をなくした時、
ときおり私なりの特選盛り合わせで頂くのである。


そして1時間ばかりすると眠くなり、
簡易ベットに横たわり、
2時間ばかり昼寝をした。

目覚めると、少しぼんやりとし、
夜は胡瓜(きゅうり)を味噌で付けたモロキュウ、
そして葉生姜(ハ・ショウガ)も味噌を付け小皿に載せ、
冷やした純米酒を誉(ほ)めながら頂く。
そして主役は焼き豚を薄切りにし、
キャベツを少々千切りにしょう、かと思案したりしている。

結果としては、呑兵衛の私のささやなメニューとなり、
独り微苦笑している。



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真夏日は、クーラーの冷気の中、本が最良の友・・!?

2008-07-25 07:44:06 | 読書、小説・随筆
昨日、10時半過ぎの真夏日の中、
散髪屋(理容店)、遊歩道を散策、そしてスーパーで買物した後、
帰宅したのは午後の1時半過ぎであった。

家内が実家に行っているので、
戸締りをした自宅のガラス戸などを開け放ち、
室内の熱気を出し入れした後、クーラーをセットするが、
私の好みの27度の室内温度にするには、30分前後を程要する。

そしてクーラーの冷気の中、
遅い昼食を終えた後、このサイトに綴ったりしていた。

この後は、ソファーに座ったり、簡易ベットに横たわったりし、
映画関係の本棚から1冊の本を取り出した。

映画専門雑誌のキネマ旬報に寄る『戦後キネマ旬報ベスト・テン全史』であり、
1946年~1996年までの各年の論評などが掲載されているので、
私のような映画愛好者には貴重な年鑑とし、
何かのたびに愛用している。

そして、あの映画は当時として、
評論家の集約した投票に寄るベスト・テンは、このように評価されていたのか、
と改めて感じたりしている。

或いは、好感している映画評論家の佐藤忠男、品田雄吉の両氏は、
あのようにその年の作品を評価したいたのか、
と作品を思い浮かべながら、思いを馳せたりしている。

このような読み方をしていると、時間が過ぎるのを忘れさせてくれる・・。



深夜の12時半頃、寝室の布団にもぐり、
中断していた櫻井よしこ・著の『日本人の美徳』(宝島社新書)を読んでいた・・。

http://tkj.jp/book/book_01612001.html

そして、特に若い20、30代の向上心のある方、
或いは、夢がもてなく、あきらめている方、
ぜひ読んでほしいなぁ、余計なことを感じたのである。

そして私も63歳の齢を重ねた身であるが、
まだ私は夢に向って日々努力しなければ、
と大いに励まされたのである。

読了したのは、深夜の2時半で、
今朝、目覚めたのは5時半となり、主庭のテラスで、
アメリカ芙蓉の純白、そして淡紅色の花を眺め、
ぼんやりと煙草を喫ったりしている。


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ときには、伊藤久男の唄声に魅了され・・♪

2008-07-24 18:59:00 | 定年後の思い
私は朝のひととき、『あざみの歌』、『山のけむり』、
そして『イヨマンテの夜』で知られている歌手・伊藤久男のアルバムを聴いたのである。

このCDアルバムは、昨年の2月の下旬に、CD、DVD販売店で、
新井 満の『千の風になって ~再生~』のアルバムと同時に購入し、
《懐かしの歌声名曲集》と称され、全14曲の伊藤久男の名曲が収録されている。


私は昭和19年の秋に生を受け、
幼年期、小学の2年生の昭和27年頃まで、
ラジオから盛んに流れ、覚えた曲が多いのである。

たとえば、『イヨノンテの夜』は昭和24年、
『あざみの歌』は昭和25年であり、
そして『山のけむり』は昭和27年に発表されている。


ここ10数年、家内が台所で水仕事をしている際、
ラジオを掛けることが多く、偶然こうした曲が聴こえる時もあり、
私は微苦笑したりしている。

亡くなった家内の父は、戦前・戦後の歌謡曲は詳しく、
私は教示を受けたりした時もあった。

しかし、もとより家内は、幼児の時から教育されているので、
私より5歳齢下なのであるが、私より詳しい時があり、
私は微笑んだりしている。


朝のひととき、『あざみの歌』、『山のけむり』等を聴いていたのであるが、
懐かしい幼年期に還れ、愛惜を感じたりするが、
いつも感じることは、限りなく美しい歌詞である。


♪山には山の 愁いあり
 海には海の 悲しみや

【『あざみの歌』 作詞・横井 弘  作曲・八州秀章 】



この後、私は散髪屋(理容店)に行く途中、
心の中ではひとつの歌を唄っていたのである。


♪高嶺の百合の それよりも
 秘めたる夢を ひとすじに

【『あざみの歌』 作詞・横井 弘  作曲・八州秀章 】


私は真夏日の暑さであったが、
こうした曲を心の中で唄い、
散髪屋の入り口のドアーを押したのである。


余談であるが、一昨年の秋、私達夫婦は家内の母と3人で道東旅行をした折、
私は独りで人影のない知床と阿寒湖の遊歩道を散策した時、


♪イヨマンテ(熊祭り)
 燃えろ かがり火
 ああ 満月よ
 今宵 熊祭り

【『イヨマンテの夜』 作詞・菊田一夫 作曲・古関裕而 】


伊藤久男のはりのある朗朗とした美声のようには唄えないが、
私なりに少し大きめの声で唄ったのである。

幸い熊も東京の田舎者に遭(あ)いたくないと感じてか、
お互いにほっとしたのは、いうまでもないことである。
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『土用の丑』を迎えて・・♪

2008-07-24 07:59:26 | 定年後の思い
東京の郊外も大暑(たいしょ)の時節が過ぎているが、
真夏日の日々が続いている。

私は年金生活の身であるから、午前中のひとときに買物、散策を終え、
午後は居間でクーラーの冷気に身を寄せたりしている。

しかし、現役で勤務される方は、厳しい暑さが続き、
お気の毒と思ったりしている。

私も現役時代は数多くのサラリーマンと同様に多忙な身であったので、
帰宅後、疲れ果てながら、ビールを呑みながら、
食欲の増す料理を食べていた。

江戸時代の頃から、『土用の丑』と称せられ、
栄養価の高い『うなぎ』などを食べて、何とか暑い日々を乗り切ろう、
と心情は痛いほど理解できる。

私は現役時代に、昼食の外食で食事処でうなぎを選定したり、
自宅で遅い夕食で家内が買い求めてきたうなぎを食べたりしていた。


今の私は、63歳の身であり、うなぎより江戸前寿司の方が食欲を増すので、
寿司屋さんに電話をして、配達して貰うことが多く、
齢かしら、と微苦笑している。

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臼井幸彦・著の『駅画の中で出逢う「駅」』・・。

2008-07-23 19:24:26 | 読書、小説・随筆
私は、午後のひととき、
過日、偶然に本屋の棚で見かけた新書の一冊を読んだ。

臼井幸彦・著の『駅画の中で出逢う「駅」』(集英社新書)であるが、
私も映画の愛好者として、「駅」に対する思いは強いので、購読したのである・・。

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0341-f/index.html

著作者の経歴を拝見すると、
鉄道の専門技術畑の栄達のお方であり、
日本の駅はもとより、パリ、ロンドン、ローマ、ニューヨーク等の駅に関する歴史、
そして文化等も詳細に綴られ、私は多々に教示を受けたのである。

そして、著作者の映画を愛好されている方であり、
その上、読みながら著作者自身の心情が、かいま見られて、
私は共感したのである。


『昼下りの情事』(1957年)のラストシーン・・
【・・
男、女主人公の名場面・・
しかし私にはそれよりむしろ、
娘の幸せを願いながら、そっとホームの柱の陰から父親が微笑みを浮かべて、
去っていく列車を見送るシーンが心に残る。
・・


注)原文より、改行を多くした。

この原文5行の綴りを読んで、
私は著作者に対し信頼できる人、と直感したのである。


『アンタッチャブル』(1987年)
シカゴ駅の大階段の名場面に関し、くまなく表現されて折、
同調していたが、著作者の専門畑の英知に思わず脱帽したのがあった。

【・・
この階段は、線路が掘割で進入しているために生じた
駅舎内部の高低差をドラマチックな空間に変えている。
・・



著作者の基調として、
【・・
映画の中で自分の住む街の何代か前の駅舎に出会うと、
宝物でも見つけたかのように嬉しくなり、
当時の駅周辺の様子も窺えて感慨深い・・


私はこうした著作者のまなざし、心情に深く共感するのである。


映画の数多くの駅に関する名場面を披露して下さり、
こうした稀な本に出合えたことに、著作者に感謝したい。


あえて苦言を2点を綴れば、『逢びき』(1945年)に関し、
数多くの作品は丁重に論評している割合にしては、
少し短絡的過ぎる、と感じたのである。

汽車の通過された駅で、人妻が煤煙が眼に入り、
通りかけた医師が取り除く・・
こうした名場面から、この映画がはじまり、
待合室の情景なども加味されながら、ドラマの核心に導かされるのである。


そして、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)を
取り上げて欲しかったのである。

主人公が駅構内で出入りする時、
『イェスタディー』の名曲が流れ、過去と現在を的確に表現するシーン、

恋人がハリウッドに女優を目指し、列車の乗客となり、
それを見送る主人公・・等。


駅をとりまく情景は、それぞれの人の人生を集縮して表現できるので、
古今東西の名画に数多く使用されいる、と改めて感じたのである。


尚、私は拙(つたな)い映画の鑑賞暦であるが、
邦画としては『駅 STATION』(1981年)、
洋画としては『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)を最高位と、
かたくなに信じているひとりである。



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ときには、独り住まいとなり・・♪

2008-07-23 10:05:47 | 定年後の思い
我家は家内と2人だりの家庭であるが、独り住まいの家内の母宅に、
家内が泊りがけで大掃除などで行っている。

今月は21日(月)~26日(土)となり、5泊6日で家内は孤軍奮闘しているのである。
高齢者の家内の母は、身の廻り程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて行っているのである。


私はこの間は、独り住まいとなるが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、食べたりしている。

年金生活の私は、日常はある程度は自在の生活を過ごしているが、
独り住まいとなれば、更に身勝手に過ごすことになる。


平素より音楽を大きめの音量で聴いたり、
映画のビデオ、DVDの劇映画も大音量で視聴したりしている。

そして、入浴時間も好きな時間となり、
我ながら呆れたりしているが、
こうして過ごせるのも、現役時代からの夢のひとときであるので、
私は微苦笑しているのである。


昨夕は、昼寝をしていなかったので、
入浴は6時前に終り、早目の独り宴会をし、
9時過ぎには布団にもぐり寝付いたのである。

今朝は4時過ぎに目覚め、
海江田万里・著の『団塊漂流~団塊世代は逃げ切ったか~』(角川ONEテーマ21)を読了し、
起きだしたりした。

そして、雨戸を開け放ち、外気を入れ、
洗面後、冷茶、アイス・コーヒーを呑みながら、
新聞を精読したりした。

そして、玄関庭の高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)、
移植した秋海棠(シュウカイドウ)に散水し、
主庭にある半夏生(ハンゲショウ)、唐糸草(カライトソウ)、
そしてアメリカ芙蓉(フヨウ)にも散水したりしている。

こうした初夏の花を眺め、煙草を喫いながら、
本日は何をテーマに投稿しょうかと、
思案したのは、7時頃であった。


尚、独り住まいは、いずれ私か家内か解からないけれど、
残された人の予行演習と思ったりしているのである。



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『東京オリンピック』、あの頃、あなたは・・。 

2008-07-22 14:40:18 | 映画・テレビ
         前 章

昨夜、NHKの衛星第二で放映された市川 崑・監督の映画『東京オリンピック』を観た。

放映されるまでの時間で、私は視聴するか、どうかを躊躇し、
ためらいながら視聴したが、胸が熱くなる時が多く、
結果として、最後まで観たのであるが、
ときおり、私のあの頃は、そして社会の移ろいに思いを馳せたのである・・。


第18回オリンピック大会がアジアで初めて東京で開催されたのは、
昭和39年(1964年)10月10日から15日間であった。

『東京オリンピック』と称せられ、
開催前の社会の激動、開催中のにぎわい、
そして開催後の社会の変貌に、
日本の社会全体の空気が変わったこの時代、
私なりの思いを綴ることにする。



      第一章

私は都心の高校に入学したのは、
昭和35年4月からで、文学、歴史、地理、時事に興味を持つ生徒で、
写真部に所属し、風景写真に魅せられていた。

東京郊外の地元の小・中学期であったので、
都内の中学生卒が多い中、今までの劣等生てあったので、初めて本気で勉強に励んだり、
都心育ちの同級生と交遊したりした。
高校の2年位まで優等生のグールプの一員となった後、
安堵したせいか、映画館に通ったり、
女の子と付き合ったり、友人の宅に泊りがけで遊んだりしたので、
成績はクラスで10番め程度に低下したのである。


この頃の私は、写真、映画へのあこがれが強かったのであるが、
日大の芸術学部には、ストレートで入学できる自信がなかったのである。

担任の先生に、進学の相談事を話した折、
『一浪して・・もう一度、真剣に勉強すれば・・合格はできると思うが・・
だけど、映画、写真を専攻し卒業したところで・・
この世界で食べていくのは大変だよ・・つぶしのきかない分野だからね・・』
と私は云われたのである。


結果として、私は安易な二流大学の潰しのきく商学部に入学したのは、
昭和38年4月であった。
クラブのワンダー・フォーゲルで山歩きをしたりしたが、
映画館には相変わらず通っていた・・。

秋になると、授業をさぼり、クラブも退部し、
映画館に通い、シナリオの習作、評論の真似事をしたりした。


そして、翌年になると、
都心は東京オリンピックの開催年で、
日増し毎に景観が変貌していた・・。

私は9月下旬で二十歳となった時、
母と長兄の前で、大学を中退し、映画の勉強に専念する、
と通告したのである。

東京オリンピックの開催中、
私は京橋の近代美術館に於いて、
昭和の初期から戦前までの邦画の名作が上映されていたので、
通い続けて観たしていた。

ある時、渋谷駅に乗り換えた時、
街中から
『日本女子のバレーボール、金メダル・・』
と聴こえてきた。


東京オリンピックが終り、翌年の1月から、
専門養成所に入学した。
この養成所は、銀座のあるデパートの裏口に近いビルにあり、
『ララミー牧場』、『ボナンザ』などのアメリカ・テレビ劇を輸入・配給している会社で、
俳優・演出・シナリオ等の養成所も兼ねていたのであり、
確か俳優コース、演出コースに分かれていた、
と記憶している。


指導の講師は、俳優・早川雪州を名誉委員長のような形で、
各方面の著名な人が講師となり、夜の7時過ぎより2時間の授業であった。

私は演出コースであったが、
日本舞踊で花柳流の著名な方から指導を受けたり、
白人の美麗な女性から英会話を習ったりしていた。
もとより、シナリオを学ぶ為に、
文学の授業もあり、著名な方から、川端康成の文学などを教えを受けたり、
シナリオ基本を学んだりし、同期の人と習作をしたりしていた。

この間に、アルバイトとして、会社から斡旋をして頂き、
アメリカ・テレビ劇に準主役で、撮影所に通ったりしたが、
アメリカ・テレビ劇の日本語訳の発声には失敗していた。


こうして養成期間の一年は終ったが、
俳優志望の男性、女性にしろ、私のようなシナリオ・ライター志望にしても、
夢のような時間であったが、
これといって一本立ちには程遠かったのである。

この後、ある総合月刊雑誌の契約している講師の方から、
取材、下書きを仕事を貰い、
私はノンフェクション・ライターの真似事を一年半ばかりした。
そして、この講師から、新劇の世界の人々と紹介を受けたりし、
浅い交遊をしたりしていた。



       第二章

こうしてアルバイトをしながら、講師のお方から新劇界方たちと交遊したりしていると、
映画界は益々衰退し、シナリオ・ライターの世界も先々大変であると、
改めて認識させられた。


私は文学であったならば、独り作業の創作なので、
小説習作に専念する為に、これまでの交遊のあった人から断ち切り、
ある警備会社に契約社員として入社した。


この警備会社の派遣先は、朝9時にビルに入り、
翌日の10時に退社するまで、視(み)まわり時間以外は、
警備室で待機すればよい職場の勤務状況であった。

そして2人で交互にする体制で、
私が朝の9時に入室し、相手方より1時間ばかりで相互確認し引継ぎ、
翌日の朝の10時に退室できる25時間システムである。

私はこの間に、秘かに小説の習作時間と決め、働きはじめたのである。


私は文学月刊雑誌に掲載されている新人応募コンクールに3作品を投稿した・・。

私は根拠のない自信で、独創性と個性に満ち溢れている、と思っていたのであるが、
いずれも最終候補6作品には残れず、
寸前で落選したりしたのである。

私は独りよがりかしら、と自身の才能に疑ったりし、落胆したのである。



このような折、親戚の叔父さんから、
『30代の時・・きちんと家庭を持てるの・・』
とやんわりと云われたのである。

私は30代の時、妻子をきちんと養い家庭生活を想像した時、
ため息をしながら、小説はじっくりと時間をかけて書けばよい、
と進路を大幅に変えたのである。

大企業に中途入社する為に、コンピュータの専門学校で技術を習得した後、
何とか中途入社できたのは25歳であった。


まもなく企業のサラリーマンは、甘くないと悟ったのである。
一人前の企業戦士になるために、徹底的に鍛え上げられ、
休日に小説の習作をする気力もなくなったのである・・。

そして、私は遅れた社会人なので、
業務の熟練と年収に、早く同年齢に追いつこう、と決意し、
私の青年時代は終りを告げたのである。



       最終章

私はこれまで東京オリンピックの前後の自身の流れを綴ってきたが、
肝要な映画、そして社会状況の移ろいを表現する。


私は市川 崑・監督の『東京オリンピック』の映画は、
『ビルマの竪琴』(1956年)以来、敬愛している監督なので、
封切館で観た。

これ以前、『東京オリンピック』の映画の総監督として、
黒沢 明、今井 正、今村昌平、そして大島 渚などの諸氏が候補となり、
結果として市川 崑に落ち着いた、
と映画雑誌などで知ったりしていた。

その上、完成した試写会を観た後、
河野一郎・オリンピック担当相が不満をもらした、
と新聞などで私は読んでいた。
世にいう《芸術か記録》映画の差異であった。


私はこうした拙(つたな)い知識の上で、
初めて満員の映画館で鑑賞したのである。

テレビに於いては、
オリンピックの競技のそれぞれの種目を克明に放映されてきたり、
新聞も連日に詳細に掲載されていた。

こうした前提条件を考えれば、上記に記した名高い監督でも、
後日に上映される映画作品としては、どのように表現するか、
思案したり、躊躇したり、色々と悩ましたと思われる。


まして、市川 崑のような運動に疎(うと)く、
オリンピックの競技のそれぞれの種目が解からないお方と私は想像したので、
脚本に携わった和田夏十、谷川俊太郎、白坂依志夫、
そして市川 崑の諸氏は、前人未踏のような心境で創作された、
と直感したのである。

作品の評価としては、何より競技に疎い素人の共同脚本であったのが、
成功された、と確信したのである。

競技の前後の選手の表情、しぐさ、
勝者と敗者の安堵、喜び、落胆の情景、
そして観衆の表情、ときおり自転車競技などの周辺の光景・・


私は《みっともない》、《もったいない》と昨今で死語となった社会状況を、
あの頃の時代には日本に於いて数多くの人がしぐさに現れ、
そして優しい表情をたたえていたシーンを観て、
昨夜、40数年過ぎて、再見し、
あやうく涙が溢れそうになったのを付記しておく。


尚、映画の評価には関係ないが、
女子の体操で、ベラ・チャスラフスカの美麗を観て、
あの頃までは女性が競技したが、
これ以降の少女の競技に化し、私は興味を失くしている。


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