夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「寛容力」つける3つのコツ、遅ればせながら高齢者の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2019-02-28 15:51:46 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見ている中、
『 「寛容力」つける3つのコツ、コノヤローと思ったら6つ数える 』
と見出し記事を見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
NHKのニュースを視聴したりすると、ときおり国会議員の余りにも程度が低い言動、
或いは我が児を虐待する両親のふるまいをニュース知ると、平素はおとなしいと近所の御方から言われている私でも、
どんでもない人だ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

このように私は幾つになっても、ときおり怒り心頭となるので、
遅ればせながら《・・「寛容力」つける3つのコツ・・》を学びたく、
こっそりと精読してしまった。

この記事は、『女性セブン』の2019年3月7日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に2019年2月27日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・「寛容力」つける3つのコツ、コノヤローと思ったら6つ数える

            

小さなことに目くじらを立てたり、腹を立てたりするのは、
自分にストレスをかけていることでもある。

世の中を楽に生きるためには、「寛容力」を身につけることが大きなポイント! 
そこで、元陸上自衛隊初の心理教官で、心理カウンセラーの下関壮太さんに聞いた、
覚えておきたい寛容力をつけるトレーニング&コツをご紹介。


◆怒りの対処

怒りは、あらゆる感情の中で、最も客観性を失いやすい激しい感情だ。
つまり、人は怒ると、われを忘れやすい。

しかし、怒りの衝動のピークは、6秒から10秒とあまり長くは続かない。
「コノヤロー」と思ったら、6つ数える。
これができれば、怒りの爆発は制御できる。

            

◆自分を許す

もし、われを忘れて、周囲に当たり散らしたとしても、カッとした自分を責めてはいけない。
怒りは本能と理解し、「私を守ろうとしてくれたんだ、ありがとう」と、
怒った自分に感謝しながら「い~ち、にい~」と深呼吸を繰り返す。

これが“ありがとう瞑想”だ。
シンプルながら自分を許すのに有効だ。

            

◆他人を許す


相手にイライラしてしまう場合は、視点を変えて、相手の事情を察してみるのも有効だ。
さらにもっと「大きな目」や「鳥の目」、「宇宙からの目」になって、
自分たちの置かれた状況を大きく客観的に捉えると、
相手への怒りが自ずと小さくなっていく。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

                          

私は遅ればせながら、「寛容力」つける3つのコツ、今回学び、多々教示された。

そして日常生活でも険悪と感じた時、この3か条を思い浮かべれば、
私が苦手とする女子高校生からも好かれるかしら、と微苦笑を重ねたりした・・。

しかしながら国会議員に於いて、ときおり歴史観の欠如した言動に対しては、
私は国民のひとりとして、許すことはできないので、
これからも、辞職しなさい、と心の中で呟(つぶや)くことあるだろう、と微苦笑したりしている。

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「家族との同居」が、高齢者の老いを加速させる、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2019-02-27 16:10:47 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 PHPファミリー 】を見ている中、
『 「家族との同居」が、高齢者の老いを加速させる 』と題された見出しを見たりした。

は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
私は民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始め、早や15年目となっている。              

こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住み、
私より14歳年配で88歳の身となっている。

過ぎし年、私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間半を要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や15年になっている・・。            
     
これ以来、長女の家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
大掃除、支度などで、6泊7日前後で行ったりしてきた。
            
ここ5年前の頃から、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
        
こうした中、家内の母は独り住まいを現時点として固守しているが、
私の知人などは同居しているケースが多く、私として思案したりしてきた。

しかしながら私の父の妹に当たる叔母のふたりの晩秋期を、
ときおり私は見たりしてきたが、わたしなりの家内の母との同居のためらいがある・・。

            

こうした心情を秘めている私は、
今回の《・・「家族との同居」が、高齢者の老いを加速させる・・》を学びたく、
精読してしまった。

この記事は、医療や介護の常識に縛られず、高齢者の「生きる楽しみ」を優先した病院作りを実践し、
著書に『人生の最期は自分で決める』(ダイアモンド社)、
阿川佐和子さんとの共著『看る力』(文藝春秋)がある医師の大塚宣夫(おおつか・のぶお)さんの寄稿文であり、
PHPファミリー 】に2019年2月18日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・「家族との同居」が、高齢者の老いを加速させる  

☆同居にはリスクがある

            

老化を加速する要因というのは、いくつかあります。
なかでも、私が大きな要因と考えているのは、家族の余計なおせっかいです。


たとえば、ひとり暮らし、あるいは夫婦ふたりで暮らしている高齢者のもとに
家族が訪れたとしましょう。

以前より家の中がどんどん汚くなっているうえ、本人も身の回りのことに気が回らなくなっている。
そんな姿を見て、ひとりあるいはふたりで生活させていることに不安を抱き、同居を持ちかけます。


もちろん、高齢者側としても、歳をとると、自分の体力、気力の衰えを実感することが増えますから、
生活するうえで不安になったり、自信をなくしてしまうことも、少なくありません。

当然、それは家族にも伝わります。
家族としては、足腰がおぼつかない高齢者をひとり、あるいは夫婦で置いておくのは危険だと、
ある時期になると同居を考え始めます。


ところがこれが、老化をさらに加速させる一因にもなるのです。


家族と一緒に暮らし始めると、これまでなんとか自分でやってきた料理や掃除などを、
途端にやらなくなる方が多いようです。

というより、危なっかしいから見ていられないと、
家族にさせてもらえない場合が多いのかもしれません。


そうすると、自分で生活を回していくという気概がなくなり、
同居する前にできたことまで、できなくなっていきます。

おまけに、何もやらないことで、足腰の衰えも一段と加速してしまう。
家のことを何もやることがない、家族のお荷物になっているのではないかという後ろめたさで、
気持ちが後ろ向きになる人もいます。


そうなったらそうなったで、
家族としては「もっと元気だと思って同居したのに。
だから介護はたいへんだ」という気持ちになるんですね。

同居してまもなく、親が認知症になってしまった、というケースもたくさんみてきました。


確かに、もっと若くて元気なときと比べれば、
食事が不規則だったり、部屋が散らかっていたり、お風呂もまめには入っていないかもしれません。

でも、それで近所に迷惑をかけているわけでもありません。
高齢者の家で火の不始末があると、どうしても認知症と結びつけられがちですが、
確かな根拠があるわけではないのです。


本人に頑張る意欲があるうちは、少々認知症があっても、
それなりのひとり暮らしは維持できるのです。


多少、判断力が鈍くても足腰が悪くても、自分が動かないと一日の生活が成り立たない――
そんな環境こそ、高齢者にとって一見酷なようでいて、
実はもっとも、老化防止に役立ち、認知症の進行を防ぐ効果があると私は考えています。


他人に気兼ねせず、自分のペースで暮らすことができるだけで、
自分のもてる力を、全部出し切ることができます。

ですから、高齢者がギリギリまでひとり暮らし、あるいはふたり暮らしを続けることは、
ご本人にとっても、いいことづくめだと思っているのです。

            

☆孤独でない孤独死もある

老人のひとり暮らし大歓迎。さらには、孤独死で何が悪い。

こう言うと、とても過激に聞こえるかもしれません。
しかし、これまで多くの認知症の方をみてきましたが、私たちが考えている以上に、
みなさん軽い認知症ならば、ひとりで生活を営むことはできるのです。


ひとり暮らしの延長線上にある孤独死だって、私は改めて評価されるべきだと思っています。
だいたい「孤独死」という言葉自体、かわいそう、悲惨だ、迷惑だというイメージを強調し、
どこか決めつけを含んだ表現でイヤですね。

老後の時間を家族や友人たちと断絶して過ごし、
亡くなった後もしばらく発見されない――そうした意味で使われています。


でも、私の考える孤独死は違います。

一人の時間をもち、生活を楽しみ、そしてある時、亡くなる――
亡くなった直後は、諸々の手続きなど、周囲、あるいは家族の手を煩わせることがあるかもしれません。

でも、そこに悲壮感はありません。
本人が自分のもてる力を出し切って、ひとりで静かに逝くことは、
ある意味、理想ではないかと私には思えます。


現代社会、特に都会では自由気ままにひとりで暮らす生活をよしとしてきました。
なのに、死ぬ間際になると、一概に急にかわいそうだと決めつけるのは、
ちょっとおかしいのではないでしょうか。


そのうえで、最期まで、できるだけ他人に頼らない生き方として、
孤独死はもっと評価されるべきだし、社会はもっと寛容になるべきだと思います。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

            

私は記事を読み終わった後、私の叔母ふたり
の晩秋期を重ねたりした。

やはり身体の衰えた母を息子夫婦とすれば、できる限り身体の負担がないように、
リカバリーをしてしまい、こうした良いと思われることが、
意に反してやがて母が・・と私は聞いたりしてきた。

こうしたケースは、私は数多くの書物からも学んできたりしてきた・・。

私たち夫婦の晩年期は、たとえ血は水より濃いと称されているが、
私の兄妹の家族に頼らず、やむえない場合は介護施設にすがり、
いつの日にかあの世に旅立つのが理想としているが、果たして・・と思ったりしている。

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高齢男性が「妻のいない第二の人生」を生き抜く3つの心得、ときおり『おひとりさま』になる私は学び、多々教示されて・・。

2019-02-26 16:36:29 | ささやかな古稀からの思い

先程、小学館が発刊しているの教養雑誌『サライ』の公式サイト【サライ.jp】を見ている中で、
【 高齢男性が「妻のいない第二の人生」を生き抜く3つの心得  】と題された見出しを見たりした。

は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私は民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始め、早や15年目となっている。

              

こうした中、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住み、
私より14歳年配で88歳の身となっている。

過ぎし年、私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間半を要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や15年になっている・・。            
     
これ以来、長女の家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
大掃除、支度などで、6泊7日前後で行ったりしてきた。
            
ここ5年前の頃から、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
        
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、
家内は独り住まいの家内の母宅に5泊6日前後で行っている時は、
私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
          
こうした中、60代の半ば、私と同世代の知人のひとりの奥様が61歳で病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。

こうした体験をしてきた私は、ときおり
『おひとりさま』の生活をしている中、
いつの日にか、私か家内があの世に旅立たれ、
私たち夫婦のどちらかが本当に『おひとりさま』なることも思案したりしている。

こうした深情を秘めている私は、今回の《・・高齢男性が「妻のいない第二の人生」を生き抜く3つの心得・・》
真摯に学びたく、記事を精読してしまった。

              

この記事は、“終活ライター”の坂口鈴香さんが、取材をされて纏(まと)められた
寄稿文であり、
公式サイト【サライ.jp】に昨年の2018年3月10日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・(略)長年連れ添った妻を亡くし、途方にくれる夫。
そんな夫を待ちうけるのは、はじめての独り暮らしだ。

眼科医の西田輝夫さんもそんな一人だった。
同じく眼科医であった妻を亡くし、70歳にして初めて独り暮らしをすることに。

突然はじまった「独り暮らし」という第2の人生。
喪失感を乗り越え、淋しさと折り合いをつけて、男ひとりの暮らしを始めることになった。

そんな悪戦苦闘の日々を綴った本が、『70歳、はじめての男独り暮らし』(西田輝夫著、幻冬舎)だ。

がんで余命半年と宣告された妻は、残された数か月、西田さんに最低限の家事を特訓してくれたという。

それでも、これまで医師として働きながら家事を完璧にこなし、
さらには西田さんの書斎の整理や資料ファイリング、出かける際のファッションコーディネートまで
やっていたという千手観音のような妻がいなくなることは、赤子が親を失うようなものだった。

なんとか「ゴミ屋敷にだけはしないように」と努めるのが精一杯(本書p.7)

という西田さんの言葉は、正直なところだろう。

世の夫にとって、“よくできた妻”の存在は理想かもしれないが、
皮肉なことに最終的にはそれが逆効果となることもある。

逆に妻としては、家事や夫の世話は手抜きしておくくらいが、
あとに残される夫のためになる、とも言えるかもしれない。

              


■高齢男性、はじめての独り暮らしの心得とは

さて、本書で西田さんは、
“古希を過ぎ妻に先立たれたオトコが残された人生を独りで愉しく生きていくため”(本書p.118)のコツを挙げる。
今回は、その中から3つのポイントを紹介しておこう。

ひとりになったときに慌てないために、今のうちにできることもあわせて考えてみよう。

【心得その1】
失ったことを数えるな

西田さんは、ひとりになると、つい誰かに甘えたくなるものだが、
「自立の気持ち」を持つことが大切だという。
そして、自立するためには、失ったことを数えてはいけないと説く。

“自立するためには、まず自分自身の心身の状態を客観的にとらえて、
伴侶を失ったこと、体力を失ったことなどを明確に自覚することがその第一歩です。

「若い時には、できたのにな」、「妻がいたらな」などと失ったことを数えていては、自立できません。”

(本書p.120より引用)

自立する上で、意識して実行したいと西田さんが教えるのが、次の3つだ。

“1 自分自身の身の回りを整え、家事をこなして、家の中を小綺麗に保つこと
2 できるだけ望まれた仕事に積極的に参加し、世の中との接点を豊富にして社会との関わりを持ち続けること
3 元気で働ける限り働いて、生活費を確保し経済的にも自立すること“
(本書p.119より引用)

1については、妻が健在なうちから夫も家事を分担しておけば、ひとりになってもそう困らない。
少なくとも、家の中を小綺麗に保つためにどれだけの家事があるのかくらいは知っておきたい。

ごみ捨てひとつとっても、家中のごみ箱からごみを集め、ごみ箱に次の袋をセットし、
ごみをひとつにまとめてごみ収集所に持っていくまでが、ごみ捨てだ。

台所ごみを集めたら、シンクのごみ受けや排水口だって掃除しないといけないのだ。
妻がそれらをすべてやっているとわかれば、妻への感謝の気持ちも湧くというもの。
妻に先立たれてから感謝しても遅いのだ。

妻も自分が病気で寝込んだり、介護が必要になったりしたときに、
夫が何もできないと困るのは、自分なのだ。
自分のためにも夫に最低限の家事くらいは教えておきたい。

2、3の社会との関わりを持ち、働ける間は働くことの必要性については、
東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子氏もまったく同様のことを指摘されていた。

それについては「定年後の男性が『第2の人生』を謳歌できる働き方のコツ4つ」記事でご紹介したので、
ぜひご一読いただきたい。

【心得その2】
独りぼっちになるな

西田さんは、これまで交流の途絶えていた先妻との間のお子さんや、
非常勤で診察する病院の医師やスタッフ、学生時代の友人たちなど、
自分を気にかけてくれる人たちとの交流が、支えになっているという。

妻が亡くなる前に「私がいなくなったあとはよろしく」と伝えておいてくれたというから、
どこまでも“よくできた”奥さんだと感服するばかりだが、
こうした生前のサポートは、まずないと思っていた方がよい。

そして、今のうちにできるだけ多様な居場所と、幅広い年代の友人をつくっておきたい。

【心得その3】
緊急時に備えよ

西田さんには、独り暮らしをするなかで気がかりなことがある。
それが、「火の不始末」「宅配便の受け取り」、そして「病気とケガ」だ。
男女を問わず、独り暮らしの不安と不便は、まさにここにある。

いくら健康管理を心がけていても、加齢とともに事故やケガのリスクは高くなる。
西田さんも、室内で転倒し大ケガをした経験があり、医師であっても、かなり慌てたようだ。

自分で救急車を呼べればいいが、それもできない場合は
どうしたらいいのか不安を抱いている独り暮らしの高齢者は、少なくない。

そういうときのために、ボタンを押せば受信センターに連絡できる「緊急時通報システム」や、
一定時間動きがないとセンサーが察知して家族などに連絡のいく「見守りサービス」など、
多様な安否確認サービスが存在する。

今後さらに、IoTを利用したサービスは、増えていくことが予想される。
安心のお守り代わりに、こうしたサービスを利用するのもよいだろう。

また西田さんのように緊急入院することになったとき困るのが、入院に必要なものの準備だ。

“災害時と同じように、次のようなものを入れた緊急入院用のカバンを用意して
おかねばならないと痛感しました”(本書p.163)

持病のある人なら、なおさらだ。
西田さんが挙げる緊急入院用のカバンの中身は次の9つ。

□ 下着
□ パジャマ
□ 健康保険証
□ 洗面道具一式
□ 当座の現金
□ 緊急連絡先を書いたカード
□ タオルとバスタオル
□ スリッパ
□ スマートフォンなどの充電器

緊急入院したあとに、家族や知り合いに頼んで、
自宅から入院に必要なこまごましたものを持って来てもらうのは心苦しい。
何がどこにあるかを知らせるだけでも大変だ。

災害時持ち出し袋とともに用意して、できれば季節に合わせて、パジャマなどは入れ替えておきたい。

              

以上、今回は西田輝夫さんの著書『70歳、はじめての男独り暮らし』から、
はじめて独り暮らしする高齢男性がその後の人生を生き抜くための心得についてご紹介した。

超高齢化社会が進み、独居の高齢者は、ますます増加する。

高齢者の夫婦二人暮らしや、家族と同居していても、日中はひとりという高齢者も多い。
西田さんが挙げた、独り暮らしのコツは、独居の高齢者だけでなく、
高齢夫婦のみの世帯や日中独居の高齢者にも共通するものだ。

不安や不便に対して自分なりの対処方法を考えながら、愉しみを見つけて暮らしていきたい。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

              


私はときおり『おひとりさま』の生活を丸14年過ぎた中で、漠然としながらも、
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
本当に『おひとりさま』の生活になってしまった時、幾たびも思案したりしている・・。         

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、私たち夫婦が長年話し合ってきた葬儀に関して、
ささやかな家族葬、やがて四十九日を終えて、約束どうりに樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
              

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、共にお互いの長年の思いであり、もとより愛惜感もあり、
苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。


やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を断腸の思いで処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。                        
                                                          

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                                             
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような駅前の居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。

こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。

                                     


或いは私が身も心も溌剌であった時は、古惚けた我が家で独り住むことも思案したりする。

過日、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私たち達は聴こえてきた・・。

やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・ああした地域福祉センターで、
定期便のように通うと思うょ・・』と私は家内に言ったりした。

私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。
           
もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。
                      
私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。

そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、やがて同世代の女性からでも、
XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。

この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。

やがて帰宅後は、自宅付近の遊歩道、公園を散策した帰路、
この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物して帰宅する。

その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。

このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
ときおり寂しさは感じても、孤独は無縁だよねぇ・・と心身のバランスが保てる、
と微笑んだりしている。

                                       

このように昨年の秋頃まで思案を重ねたりしたが、今回の記事からも多々教示され、
少し溜息して、何かと『おひとりさま』は大変だよなぁ・・と思い深めたりしている。
 

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「ボーっと生きてる」ほうが、体に良いんだって、高齢者の私は学びながら、微笑みを重ねて・・。

2019-02-25 15:27:11 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【 NEWSポストセブン 】を見たりした中で、
『 チコちゃん、「ボーっと生きてる」ほうが体に良いんだって  』
と題された見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
テレビはNHKのニュース、天気情報を視聴し、これ以外は各テレビ局が報じるドキュメンタリー番組を
ときおり視聴している私でも、何かと話題のNHKのマスコットのような女の子・チコちゃん(5歳)を
少しは知っている。

何かしら今回、《・・「ボーっと生きてる」ほうが・・体に良いんだって・・》と見出しを見て、
私は散策、読書、駅前の喫茶店で、ときおりボンヤリと過ぎし日のことに愛惜を感じながら、
思い浮かべたりすることもある。

或いは、これから到来する日々に、少年のように期待を膨らまして、
このようになれば悦びが倍増するよねぇ・・と目じりまで笑った表情で思い馳せたりする。

このような深情を秘めている私は、この記事を精読してしまった・・。

              

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2019年3月8日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式ネットの【 NEWSポストセブン 2019年2月25日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

⦅・・NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる!』では、
おかっぱ頭の女の子・チコちゃん(5歳)が、素朴なギモンに答えられない大人に、
この一言を放ちます。

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」──しかし、チコちゃんは知りません。
「なんでボーっと生きてちゃいけないの?」

いつもは叱る側のチコちゃんだけど、この質問は「えっ!?」って思ったかな? 
今回は、チコちゃんに訊かせていただきます。


実はボーッと生きてるのが正解?(時事通信フォト)


☆ボーっと生きてるって、悪いことなの?

「ボーっとしている時は、脳が働いていない、注意力が欠けている、と思われるかもしれませんが、
むしろボーっとすると、メリットがあることが医学的に証明されているんですよ」
解説してくださったのは、おくむらメモリークリニック院長の奥村歩さん(脳神経外科医)です。

「以前から、ボーっとしている時は、脳が機能していない状態だと考えられてきました。
しかし、米ワシントン大学医学部のM.E.レイクル教授の研究で、
“ボーっとしている時のほうが、集中している状態よりも、脳の広範囲が活性化している”と発表されたのです」

レイクル教授によれば、「読書をする」、「計算をする」など、
集中して活動している時の脳のエネルギー消費量に比べて、
ボーっとしている時は、「前頭葉内側部」、「後部帯状回」といった脳の部位の活動が高まり、
約15倍ものエネルギーを消費しているというのです。

「それは『デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)』と呼ばれる脳の広い領域が
活発に働いているからだと考えられています。
それに基づいて、様々な疾患の予防・早期発見のための研究が進められています」(奥村さん)

              

◆記憶力アップ!

ボーっとしてデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が活性化する時、
脳内では「記憶の整理・定着」が行なわれているんだって。

「脳を“図書館”に喩えると分かりやすいです。
図書館に日々、新しい本が入荷されても、その本をどの棚に配置するかを整理する休館日がなければ、
大量の本が整理されず、混乱する一方です。


それは記憶も同じ。
新しく覚えた情報や経験は、ボーっとしている時に整理されるので、
思い出したい時に、適切な記憶を引き出すことができるようになるのです。

逆に、ボーっとする時間がないほど忙しく働いている人は、
物事や人の名前が整理されず、記憶をうまく引き出せなくなって
『物忘れ』を起こしやすくなってしまいます」(同前)

              

さらに、「認知症」との関連の研究も進んでいます。
「アルツハイマー型認知症患者の脳では、DMNの中でも、
脳の異なる領域同士を連携させる“ハブ機能”を持つ部分の萎縮が、顕著であることが分かっていて、
ボーっとして脳が活性化することで、認知症の予防になる可能性が指摘されています。

2014年の米ハーバード大学医学大学院の研究で、軽度認知症患者を、
通常の治療を行なうグループと、瞑想のようにボーっとする治療法を行なうグループの2つに分けて
認知機能テストをしたところ、後者のほうがDMNが活性化し、好成績をおさめたんだよ」(同前)

その瞑想治療法は「マインドフルネス」と呼ばれ、ボーっとする方法を医学的に研究して定義づけたもの。
あのスティーブ・ジョブズも実践したといわれています。

脳生理学者の有田秀穂さんが教えてくれました。
「ボーっとするといっても、何か別のことを考えていたり、邪念が入ることもありますよね。
マインドフルネスでは、僧侶が瞑想するように無心の状態を作ります。

そうすることで、脳内に“幸せホルモン”と呼ばれるセロトニンという神経伝達物質が分泌されやすくなります。
セロトニンが増えると、うつ病や不眠症の改善につながります」

他にも、DMNが活性化すると、頭痛や腰痛などの慢性疼痛の改善が見られたというデータもあります。
では、邪念が入らないようにして、効果的にボーっとするには、どうしたら良いでしょうか。

「座禅を組んで瞑想をしなくても、散歩やウォーキングなどのリズム運動をしたり、
ガムを噛みながら、目をつむって情報を遮断する、といっただけでも脳の活性化につながります」(同前)

               

◆「ずっとボーっと」はダメ

ただし、ずっとボーっとしていれば、いいわけではありません。
大切なのは、ボーっとする時間と集中する時間のメリハリをつけることだといいます。

「パソコンやスマホで常に情報を頭に入れたり、仕事でタスクに追われている現代人が、
意識的にボーっとする時間を作るから、健康に良いのです。

DMNは加齢とともに活動が低下するという研究結果もあるので、
定年後にずっとボーっとしていると認知症リスクを高める恐れもあります」(奥村さん)

ボーっとしたほうが健康に良いのは(ドドン!)、脳が活性化しているから~(※ただし、ボーっとしすぎに注意)! 
チコちゃんはこの問題、チコる(正解する)ことができたかな?・・》

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした

                          

私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
                  

この後の午後から夜半には、読書をしたり、ブログの投稿文を書いたり、
或いは私が魅了されている御方のブログの投稿文を読んだりしている。

ときには居間でテレビを通して、映画、録画したドキュメンタリーを視聴したり、
或いは音楽を聴いたりしている。

こうした中、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書しているが、
ときには年金に関しての本も読んだりしている。

              
 
過ぎし2015年の12月下旬に、私は嘉悦大学教授の高橋洋一さんのひとつの寄稿文、
【「日本の借金1000兆円」はやっぱりウソでした
       ~それどころか…なんと2016年、財政再建は実質完了してしまう! 
          この国のバランスシートを徹底分析 】
と題された寄稿文を読んだりした。

この御方は、1980年、大蔵省(現財務省)入省、理財局資金企画室長、内閣参事官など歴任され、
小泉内閣、安倍内閣では 「改革の司令塔」として活躍され、2007年には財務省が隠す「埋蔵金」を公表し、
政策シンクタンク「政策工房」会長されている賢人である。

私は読み終わった後、私は大手メディアの新聞、テレビなどは日本の借金は1100兆円を超えている、と報じられているのは、
財務省が国の財政が悪化し、これからも支出の多くを占める社会保障費に危惧して、
資産合計を抜きにして、負債合計だけの1171.8兆円を声高に公表されている、と感じたりした。

そして悪しき表現で明記すれば、財務省は社会保障費は殆ど使用する高齢者を人質に、
消費税など増税しないと財政危機になりますょ、そして年金は激少したり、医療、介護も低下しますょ、
と私は思い馳せて、苦笑させられた。
             
やがて一昨年の2017年3月下旬に、信愛している高橋洋一さんの著作
『 年金問題は嘘ばかり ~ダマされて損をしないための必須知識~ 』(PHP新書)を購読して、
私は年金制度に多々教示したりした。
   
この表紙には、財務省、厚労省、金融機関がひた隠す年金の『真実』も明記されて、
やがて私は年金に関しては安堵してきた。

           

私は年金生活の身であるので、生活費の基盤は公的年金に頼っているので、
ときには公的年金の基本、現状、今後の状況を学び、
改めて《・・日本経済が潰れない限り、公的年金は潰れない・・》に論説を信愛させられたりした。

昨今、体力の衰えを実感をしながらも、せめて知的好奇心は失くしたら、この世は終わだ、
と年金生活の命題にしている私は、愛惜を重ねたり、思い馳せたり、日々走馬燈のように、
写し鏡のように去来し、何かとプラス思考の私は享受している。

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「低体温症」は室内でも起こる 死亡者は熱中症の1.5倍、遅ればせながら初めて私は学び、多々教示されて・・。

2019-02-24 14:53:16 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】を見ていたら、
『 死亡者は熱中症の1.5倍  「低体温症」は室内でも起こる 』
と題された見出しを見たりした。

私は年金生活の74歳の身であるが、
齢ばかり重ね、恥ずかしながら無知なことが多く、「低体温症」って・・
どのようなことなの・・と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】の『ヘルスケア+』に、
昨年の2018年2月16日に配信され、無断であるが記事を転載させて頂く。

            

《・・死亡者は熱中症の1.5倍  「低体温症」は室内でも起こる 

日本海側で記録的な大雪が続くなど、寒波の猛威は収まりそうにない。
朝晩の冷え込みもまだまだ厳しい。
「低体温症」に気を付けたい。


厚労省の人口動態統計によると、低体温症によって2010年以降は
毎年のように1000人以上が亡くなっている。

その数は、熱中症の1.5倍に上るというから深刻だ。
しかも、寒冷な屋外ではなく、7割が室内で低体温症に見舞われているという。


江田クリニック院長の江田証氏は言う。
「恒温動物である人間の体温は、外気温にかかわらず、一定範囲内に保たれています。
そのため、寒冷な環境にさらされ続けると、体温を一定に保とうとして、どんどん熱をつくります。
末梢血管を収縮させて、体熱の放散を防いだり、筋肉を震わせて、熱を発生させるのです。

しかし、外気温などの影響で、この熱生産の働きが限界を超えてしまうと
一気に体温が下がり、自律神経をつかさどっている体温調節のコントロールが失われてしまいます。

そうなると、血液の循環や呼吸がうまくいかなくなるなどして、
最終的には全身の臓器の機能が低下してしまうのです。
亡くなるケースの大半は、体温が28度を下回った場合だといわれています」

            

■室温を20度以上に保つこと


冬に低体温症で、救急搬送される患者は高齢者が多く、
糖尿病や循環器疾患などの基礎疾患を抱えているケースが目立つという。


高齢者は、熱をつくり出す筋力の低下や低栄養などの影響によって
体内で熱を生産して体温を維持する機能が衰えている。

寒さに適応する力が弱く、室内でも気温が低いと、
短時間で低体温症に陥るリスクが大きいのだ。

また、低体温状態に慣れてしまったり、意識障害が表れることなどから、
自覚しづらい点も注意が必要だ。


軽度の低体温症(35~32度)の場合は、
室温を高くしたり、温かい物を飲ませたり、毛布をかけるなどで回復する場合があるが、

中等度以上(32度以下)の低体温症の場合は、
急激に体表面を温めるとショック症状を引き起こす危険がある。
震えに加え、意識が混濁しているようならすぐに救急車を呼んだ方がいい。

何より低体温症を招かないような予防が重要だ。
「室内での低体温症の発症は、暖房をつけていないケースが多く見られます。

寒い環境では、低体温症になるリスクがあることを意識して、
まずは室温を20度以上に保つようにしましょう。
また、室内でも薄着は避け、首や頭部を温かく保つことが効果的です。

汗は体温を急激に奪うので、汗をかいたらすぐに水分を拭いて着替えることも大切です。
こまめに温かい飲み物や食事を取ることも効果的です。

体の深部から温めることができるうえ、脱水の予防にもなります。
さらに、意識して手足を動かすようにするだけでも、体は温まります」


アルコールの摂取は、血行がよくなって体が温まる感じがするが、
これはあくまで一時的な状態にすぎない。

血行がよくなる=血管が広がるため、逆に熱は発散されてしまう。
体内のエネルギー源がなくなれば、体温は急激に下がるので、
お酒を飲んで、そのまま眠るのは禁物だ。


マラソン大会やスポーツ観戦などの屋外でのイベント時はもちろんだが、
室内でも、低体温症は起こるということを忘れてはいけない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

            

私は
東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、自動車もない稀(まれ)な家となっている。
       
こうした中、私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。

例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の丸14年を過ごしてきた。  
       
私が買物とか散策する時の容姿は、この寒い時節は制服のような定番の服装として、
冬用のスポーツシャツにカーディガン風のフリース、ストレッチパンズの冬用の長ズボン、
そしてウォーキング・シューズとなり、
紳士用のショルダー式バックを園児のように斜め掛けをしている。

こうした中、北風が吹く寒さが増す時だけは、防寒着を着たりしている。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

                    

この後の午後から夜半には、居間にあるエアコンを暖房にして、25度前後で過ごすことが多い。
そして読書をしたり、ブログの投稿文を書いたり、
或いは私が魅了されている御方のブログの投稿文を読んだりしている。

ときには居間でテレビを通して、映画、録画したドキュメンタリーを視聴したり、
或いは音楽を聴いたりしている。

この間、私は、お寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗のふたつに煎茶を淹れて、
そして大きめのマグカップにインスタント・コーヒーを淹れて、お盆にのせて、
居間に運び、日中は幾たびかお替りして、こよなく愛飲しているひとりである。

              

何かしら部屋の室内が乾燥すると、風邪がひきやすい、と学んできたので、
もとより風邪をひくと、ささやかな日常生活に多少なり支障がきたすので、煎茶など
飲んだりしている。

このように過ごしている私は、何とか『かくれ脱水』には、ならないで済むかしら、
と微苦笑をしたりした。

もとより脳梗塞や心筋梗塞などになってしまった時は、
ささやかな日常の生活に束縛されるし、万一、悪化した時は命に係わることだし、
勘弁して欲しい・・と願ったりしている。

このような小心者の私は、今回初めて「低体温症」を学び、
私は70歳過ぎた頃から寒がりになり、この寒い時節は暖かな容姿となっているので、
良かった・・と安堵したりしている。

しかしながら寝る前に、寒いトイレに寄ったりしているので、油断大敵だょねぇ、
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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2019年は「年金カット元年」、年金生活の私は学び、やがて無力な私は溜息ばかり・・。

2019-02-23 15:06:55 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見ている中、
『 2019年は「年金カット元年」 打ち勝つための「妻の必勝法」 』
と見出し記事を見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂き、

程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

もとより我が家の生活費の基盤は、厚生年金に頼っているので

《・・2019年は「年金カット元年」・・》って、どのようなことなのょ・・、
と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、『女性セブン』の2019年1月17・24日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に2019年1月8日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・2019年は「年金カット元年」 打ち勝つための「妻の必勝法」

            

少子高齢化が進行する日本の年金制度は本当に大丈夫なのか? 
国は5年に1度、年金のシステムが今後も安心して継続できるのか総チェックする「財政検証」を行う。

さらに、制度の問題点をあぶり出し、制度改正も行う。
2019年はまさに、そんな年金改革の重要な1年になる。


「年金博士」こと、ブレインコンサルティングオフィスの北村庄吾さんが解説する。

「現在は原則65歳から年金の受給がスタートします。
しかし、少子高齢化で年金の財政はカツカツ。
現役世代から集める保険料を値上げし、高齢世代の受給額をカットする方法も、もう限界です。

今年の国会では、『68歳受給開始』か、もしくは『70歳受給開始』が提案されるでしょう」


小泉政権の2004年、「100年安心」を謳った年金改悪が断行された。
しかし、舌の根の乾かない15年後、アッサリ破綻したというわけだ。

さらに2019年度は、「マクロ経済スライド」という“年金自動カット爆弾”がいよいよ発動される。


今までは「景気が悪かったら、年金額は減らさない」という原則があったのだが、
安倍政権は「景気が悪くても、年金額は減らす」と方針転換。
現在、年金を受給している高齢者の生活を直撃する改悪だ。


「これから毎年、1~2%ずつ減らされていきます。
“なんだ、その程度か”と安心してはいけません。
積もり積もって、25年後には、2割以上も減る計算です。

現在の標準世帯の受給額が月額22万1000円なので、
物価が変わらなければ、月額17万6800円まで減ることになります。

全国の高齢者夫婦世帯の平均生活費を約10万円も下回ります。
そんな金額で、暮らしていけますか?」(北村さん)


今年は「年金カット元年」として、歴史に残る年になるだろう。
とはいえ、老後の大切な「命綱」である年金。
何とか防衛する方法はないのだろうか。

          

「年金を増やす最大のポイントは、『妻』です。
会社員が加入する『厚生年金』は、保険料の半分を会社が負担してくれるので、
全額が自己負担になる『国民年金』よりもお得な制度といえます。


しかし現状では、男性に比べて女性の厚生年金への加入期間が、圧倒的に短い。
男性は定年まで、ずっとサラリーマンのパターンが多いので、約半数が35年以上加入していますが、
女性は半数が10年未満です。

逆にいえば、女性の方が厚生年金額を増やすチャンスが大きいということです」(北村さん)


厚生年金は2016年10月から加入条件が大幅に緩和され、
「パート主婦」でも加入しやすくなった。

時給1000円のパート主婦なら、1日4時間半で週5日間働けば、条件をクリアできる。


働けば働くほど年金額はアップして、それが死ぬまで続く。
たとえば、月10万円のパートを1年間続ければ、年金は月額約550円アップする。
10年なら約5500円も増やせる計算だ。


「厚生年金は70歳まで加入できるので、60歳以上の人でも働くことで年金を増やせます。
シニア層も目標を持って働くことで、社会との接点を持ち続けると同時に、
収入は家計の足しになります」(北村さん)


黙って減らされるのを待つほど、国民は愚かではない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

          

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、
年金生活は早や15年生になっている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社を余儀された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、           
定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。

私たち夫婦は、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

               

やがて拙(つたな)い半生を過ごしてきた私でも、年金生活は、
予期した以上に、苦より歓びの方が圧倒的に多く、安楽に過ごしてきた・・。

今回の記事に於いて、《・・これから毎年、1~2%ずつ減らされていきます。
(略)積もり積もって、25年後には、2割以上も減る計算です。

現在の標準世帯の受給額が月額22万1000円なので、
物価が変わらなければ、月額17万6800円まで減ることになります。
全国の高齢者夫婦世帯の平均生活費を約10万円も下回ります。・・・》と私は学んだりした。

私は今年の誕生日を迎えると75歳、家内は70歳となり、
これから25年後となった場合、単純に加算すれば私は100歳、家内は95歳となる。
 
しかしながら、介護などの必要がなく、日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」は、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差がある、と公表されている。

このような平均であり、この間の約10年は、何らかの形で介護支援が必要となる、
と専門分野の御方が公言されている。

               

このように学んできた私は、72歳+8歳=80歳、家内は75歳+12歳=87歳が予測でき、
私はこの世に生かされるのは、長くてあと10年、家内はあと17年ぐらいと思ったりしているので、
25年後・・と教示されても、あの世の世界から聞く言葉で、実感性が乏しいのである。

しかしながら私たちの世代より、娘、息子に相当する世代の御方達は、
私たちが過ごしてきた年金生活より支給額、物価を思案すれば、
大変だょなぁ・・と思い馳せたりし、無力な私は溜息ばかり重ねている。
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笑顔で逝った或る母親が遺した30年分の日記、高齢者の男性の私は学び、瞼(まぶた)が熱くなり・・。

2019-02-22 16:34:57 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見ている中、
『 笑顔で逝った母が遺した30年分の日記 』と見出し記事を見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私の父親は私が小学2年の時に病死されて、残された私の母にすがり、
私たち兄妹は育てられたりした。

こうした中、一時は生活に困苦し、貧乏を実感した時代もあったが、
やがて母は60歳を過ぎた頃には、御自身の趣味に満喫できる生活となり、
この後、満78歳の誕生日を迎えてまもなく、婦人系のガンで病死した。

このような私の母であったが、もとより私たち兄妹にかけがえのない母親であり、
何かと人並みの生活ができるように半生は孤軍奮闘していたので、
私はたえず母親に感謝をしている。

こうした母親に信愛してきた私は、私は母が40歳の頃に、
新聞紙に同封されたチラシの白紙の裏面に、
日記らしい身近な文書の数々を少し見たことがあったりした・・。

こうしたことを思い馳せて、この記事の《・・笑顔で逝った母が遺した30年分の日記・・》を
読んでしまった・・。

            

この記事は、『女性セブン』の2019年3月7日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に2019年2月21日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
笑顔で逝った母が遺した30年分の日記

「すべての困難は、あなたへの贈り物を両手に抱えている」とは、
『かもめのジョナサン』などで知られるアメリカの作家リチャード・バックの名言。

苦労や悲しみを乗り越えた先には必ず、希望にあふれた未来がある──。
そんな言葉を実感させるエピソードを、32歳の主婦Aさんが紹介する。

             

「何してるの?」。
病室の扉を開けた私は、あっけに取られてしまいました。
なぜって、入院中の母が、DA PUMPの『U.S.A.』ダンスを踊っていたんですから。

「簡単よ。あなたもやろう」。
そう言って笑顔を見せる母が1か月後、60歳の若さで帰らぬ人になるなんて、
その時は思ってもみませんでした。

母より2歳年上で銀行勤務の父はプライドが高く、高卒の母をいつもバカにしていました。
気に入らないことがあると、皿を投げつけたり、母を殴ったり・・・。

そんな生活の中でも母は、
「ママは、香ちゃんと一緒だから幸せだよ」、
「大丈夫。怖いことはすぐに終わるからね」
そう言って笑ってくれました。

苦しい生活の中から100万円を貯めた時、母はキッパリと離婚。
その後、保険の外交員になり、私を大学まで出してくれました。

そんな母が不調を訴えたのは、一昨年のこと。
診察を受けた時は、緊急手術が必要なほど進行した食道がんでした。

しかし、術後は順調。
病室でも苦しんでいる様子は見られなかったのに、突然の死。
私はなかなか心の整理をつけられませんでした。

母の葬式から2か月ほどたったある日、遺品の中から、日記を見つけました。
表紙には、看護師さん宛に「必ず捨ててください」というメモが貼ってあったのですが、
看護師さんに渡す前に急死したようで、遺品の箱に入れられていました。

             

日記には、母の本音が30年分綴られていました。
父から受けたDVの恐怖、保険会社で受けたパワハラ、そして、闘病生活のつらさも・・・。

「痛い、眠れない。看護師さんに背中をさすってもらう」、
「つらい・・・つらいよう」、
「いっそのこと殺してほしい」

母の笑顔の裏側を垣間見た私は、
なぜもっと早くその本音に気づき、支えられなかったのか。

母の笑顔を言い訳にして、甘えてきた自分への怒りと後悔で、立ち上がれませんでした。

ふと気づくと、5歳になる私の娘が、扉の隙間から心配そうに私の様子を見ていました。

生前母がいつも、
「あなたの笑顔が、家庭を明るく照らすのよ」 
そう言ってくれたことを思い出し、すぐに笑顔を作り、娘を抱きしめました。

この時自分も、母同様に家族を笑顔で照らしていきたいと心に決めました。
それこそ母が生涯をかけて教えてくれた愛の形だと思うから。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

            

この記事を読みながら、私は母が40歳前後、生活が困窮していた時代を思い浮かべて、
チラシに綴っていたことを私は思い重ねて、瞼(まぶた)が熱くなったりした・・。

私は、こうした人生の深淵を的確にまとめられた文章に、圧倒的に感銘させられたりした・・。

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記憶力の維持・向上のために心がけたい5つ、高齢者の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2019-02-21 16:21:32 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 @DIME 】を見たりしている中、
『 人の記憶は逆回しで思い出されるってホント? 』と題された見出しを見たりした。

私は年金生活の74歳の身であるが、
目覚めた時、ぼんやりと過ぎ去った日々が甦(よみが)った時、
50代の時から30代に体験した出来事となったりして、微苦笑させられる時がある。

このような深情もあるので、記事を精読してしまった。

この記事は、仲田しんじ氏の寄稿文であり、公式サイトの【 @DIME 】に
2019年2月19日に配信され、記事の大半を転載させて頂く。

《・・
我々の記憶は、スマホで撮影した動画と違い、
時系列に沿って最初から最後まで“ベタで”残されているわけではない。

最新の研究では、我々は出来事や体験を“逆回し”にして記憶しているというから興味深い。

            

☆記憶は“逆回し”で思い出される


楽しかった旅を思い出す時には、その旅で一番印象的だったことが
まず最初に頭に浮かんでくるのではないだろうか。

ブログに書き残しておこうとしたり、人から旅の詳細を聞かれたりしない限りは、
家を出て出発した時から、旅の体験を順番に思い出すこともないだろう。


我々はビデオレコーダーのように、体験を“ベタで”で記録保存しているのではなく、
脳の中でいったん“再構成”してから保存している。

そのため、印象的な体験が、先に思い出されてくるのである。
そしてこの“再構成”のプロセスで、往々にして我々の脳は、
体験を後から前へと“逆回し”にして記憶していることが最新の研究で報告されている。(略)

「頭の中では鮮やかな“スナップ写真”として思い出されても、
それはバイアスをかけて“再構成”したものなのです」
と研究を主導したファン・リンデ・ドミンゴ氏は語る。

ある意味で思い出は、我々の“創作物”であったのだ。


さらに研究チームは思い出す回数が増えるほどに、
その思い出の抽象度が、さらに高まる可能性があることを指摘している。

つまり楽しかった思い出は、思い出すほどに“美化”されていくのである。
我々の記憶がいかに信用できないものなのかが、改めて思い知らされる話題だろう。

            

☆記憶力の維持・向上のために心がけたい5つのこと


我々の記憶が、それほど当てにならないものであっても、
日常生活を円滑に行なう上では、一定の記憶力が必要とされるだろう。
長期的な観点から記憶力の維持・向上のために心がけたいことが5つあるという。


●じゅうぶんな睡眠時間

記憶力を良好に保つためには、じゅうぶんな睡眠が欠かせない。
単純に脳を休ませるという以上に、記憶の形成において睡眠が重要な役割を果たしているのである。


7~8時間の睡眠時間を毎日確保できないという向きは、昼寝が推奨されている。
かつてのハーバード大学の研究で、45分間の昼寝によって
その後の記憶力が要求される課題においてより良いパフォーマンスを発揮できることが報告されている。


●メディテーション(瞑想)

メディテーション、マインドフルネスには、さまざまな健康へのメリットがあるが、
加齢に伴う記憶力の低下を抑制する効果もあるという。


2011年に米・マサチューセッツ総合病院から発表された研究では、
記憶にきわめて強い関係がある大脳皮質(Cerebral cortex)の層が、
メディテーションの習慣を持つ者は、厚いままであることが報告されている。


さらにメディテーションは、ストレスを低減することで、記憶力の維持向上に繋がる。
ストレスは海馬の構造を変えて、記憶力を衰退させる“犯人”なのだ。


●コーヒー、紅茶を飲む

かつて米・ジョンズホプキンズ大学が行なった実験では、
参加者に一連の画像を記憶してもらう課題が課されている。

課題終了の5分後、ランダムに分けられた参加者はそれぞれ、
200ミリグラムのカフェインが含まれた飲料か、
何の成分もないプラセボ飲料のどちらかを与えられて飲んだ
(どちらがカフェイン飲料であるかは、見た目ではわからず参加者にも知らせていない)。


24時間が経過した後、参加者は昨日憶えた画像を思い出すテストに挑んだのだが、
カフェイン飲料を飲んだグループのほうが、概して良い成績を収めたということだ。

研究チームは長期記憶の保持に、カフェインが好ましい影響を及ぼしていることを指摘している。

            

●有酸素運動の習慣


運動は睡眠の質を高め、ストレスを緩和するので、結果的に記憶力を維持・向上させる。


カナダ・ブリティッシュコロンビア大学のかつての研究によれば、
有酸素運動の習慣は、言語記憶と学習に深い関係がある脳の海馬(hippocampus)のサイズを
増大させることが報告されている。


あくまでも有酸素運動の話で、筋力トレーニングは研究の対象外だが、
適度な身体的疲労で、眠りの質を高められれば“脳に良い”だろう。



●新しい体験


生活も仕事もルーティーンに終始していれば、脳活動も緩慢になる。
言語記憶と学習に深い関係がある脳の海馬は、記憶すべき必要のある情報を選りすぐっているのだが、
新しい体験がなければ、この能力は衰える一方になるのだ。


規則正しい生活をする一方で、毎日のルーティーンに変化を加えたり、
新しい体験を呼び込むことで、脳が刺激されより多くの情報を脳に蓄えられるようになるのである。

            

☆学び続ける者には“忘却力”が必要?


記憶力の維持・向上に務めたいものだが、新しいことを学ぶには
重要ではないことをどんどん忘れていくという“忘却力”も
また意外な能力として注目されてくるというから興味深い。(略)


そしてビョルク博士は記憶の保存と引き出し能力の違いと、忘却が学習に果たす役割を説明している。
忘れることで、実際に記憶の長期保持と情報検索力を高めることができるということだ。


仕事や学業で日々新しいことを学習している限りにおいて、
記憶力についてはあまり気にしなくてもよいのかもしれない。
忘れた時こそ、別の方法で憶えられるチャンスということだろうか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

            

私は、ここ数か月は布団にもぐるのは、真夜中の11時半前後が多く、
目覚めるのは朝の7時過ぎが多くなっている。       

こうした中、真夜中の11時半頃に居間から寝室に行き、
布団にもぐると、電気毛布の威力で暖かく天国のように感じながらも、
乾燥すぎるのが怖くて、電気毛布のスイッチを切ったりしている。

そして現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

こうした中、 私は今でも、あたかも映画館で三作品が一挙に上映されたかのように、
昨夜は二本立て、或いは3本立て、の夢をみた、と微苦笑する時もある。

そして睡眠中、夢をみることは貧富に関係なく、その御方の日々の思い、念願など、
さまざまな思いが交差される現象かしら、と思う時もある。

やがて朝の7時少し前の頃に、ぼんやりと目覚めて、うつらうつらとまどろみながら、
ぼんやりと昨日の出来事を思い浮かべたりした後、
本日は・・今週は・・と予定事項を思い馳せたりして、15分過ぎた頃に起床している。

            

こうした中、夢のふたつばかり発露する。

私は1960年(昭和35年)の中学3年の終りの頃、
私は職員室で担任の女の先生から呼ばれ、『XXくん・・あなた眼・・悪いわね・・0.3って・・』
と先生は、健康診断書を見ながら、私に言った・・。

『・・どうして・・今まで黙っていたの・・メガネを掛けないと・・黒板の字も見えないでしょう・・』
と先生は苦笑しながら、私に言った。

私は教室の指定された後部に座って、黒板の字もかすれていたが、
同級生もこのような状態と思い、信じていたのである。
こうした根底には兄ふたり、妹ふたりもメガネをしていないので、それなりに思い込んでいたりした。

このようなことがあり、特に算数の基礎である因数分解など理解できず、
高校生になっても微分、積分などの授業には、理解できず逃げ回っていたグループのひとりであった。

このような結果として、もとより期末試験などは惨澹たる結果であり、
ときおり今でも、悪夢となり呻(うな)されたりすることもある。

                         

サラリーマン現役時代だった頃の夢みる時は、どうしてなのか、業務の成功例より、
遥かに失敗したことを多く、目覚めた時に苦笑したりしている。

たとえば、上司、同僚、後輩がいる中、突然に中学時代の悪友が出てきたり、
どうしてお前がいるの、 と私は戸惑ったりしている。

ときには秘かに思い続けた小学校時代の初恋の同級生に見つめられたりし、
貴女はどうしているのょ、ありえない時代の落差に戸惑ったりし、冷や汗をかくこともある。

或いは幼年期は私は農家の児であったので、
田畑、雑木林など景観を観たり、湧き水、竹林の筍(タケノコ)、野菜の収穫時などの情景をみることもある。

こうした体験をしてきた私は、夢はもとより貧富に関係なく、その人なりの日頃の思い、言動の余韻、余情、
そして感性の賜物〈たまもの〉と私は確信を深めて、微苦笑したりしている。

                          

恥ずかしながら私は、70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
       
しかしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

たとえば祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っている・・。

ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、確か私が小学3年生の頃、
亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんの『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、収容できずオバー・フローになり、
忘れてしまうことで、悩が適度な記憶量に調整を図っている、と無念ながら思ったりしている・・。

          

今回の記事に於いて、《・・楽しかった思い出は、思い出すほどに“美化”されていく・・》
そうですねぇ・・と私は共感しながら微苦笑を重ねたりした。

そして《・・記憶力の維持・向上のために心がけたい5つ・・》を学び、
これ以上ボケたら、私自身は困苦するので、5か条を復唱している。

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この時節、『歳寒三友(さいかんさんゆう)』も相応(ふさわ)しい、独り微笑んで・・。

2019-02-20 15:33:05 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
ここ10日は暖かい日もあれば、寒さが戻る定まらない天気となっている。

こうした早春の安定しない天候は、古来の人々よりは『三寒四温』と伝えられて、
このような午前中のひととき私は、いつものように散策をしたりしてきた。

そして早春の多彩な花々に、ときおり私は戸惑いながら微笑んだりしている。

過ぎし15日、どんよりとした曇り空で、日中の最高気温が7度ばかりの寒い中、
私は近くの公園に立ち寄って、散策した・・。

            

このような白梅を眺めたりした後、もしかしたら早咲きの桜が咲いているかしら、
4年前に気付いた公園の片隅にある早咲きの桜に向かい歩いたりした・・。

            

わずか数輪の桜花は、恥じらうように咲き始めていた。

この後、私は幼年期に農家の児として育てられたので、愛しき恋人に逢うように、
水仙が咲き始めた所に行き、私は眺めながら微笑んだりした。

            


この後、福寿草にめぐり逢えたりした。

            


この後、付近を散策していたら、紫色のクリスマス・ローズにも、
偶然にめぐり逢え、まもなく春到来だなぁ・・と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

            

この後、公園の雑木林を歩いたりしたが、
やはり早春の花は、2月は白梅、この後は3月初旬には桃、やがて3月下旬には桜・・
このような順番で私は小学生の頃から、身も心も体験してきたので、
やはり早咲きの桜花は、季節感を戸惑わせる、と微苦笑をしたりした。

こうした時、『歳寒三友(さいかんさんゆう)』という言葉が、脳裏から舞い降りてきた・・。

私は遅ればせながら『歳寒三友(さいかんさんゆう)』を知ったのは、確か10年前の頃であった。

            

この当時の私は年金生活の5年生の64歳の身であったりした。
そしてこの当時は、
私達夫婦は独り住まいの家内の母を誘って、国内旅行に行くたびに行ったりしていた、

たまたま私たち3人は、長崎・雲仙に8泊9日で訪れる時、

羽田空港より、長崎空港に向けて機上の人となった。

私は飛行機の機内は、新幹線などの電車のように車窓から風景が見えないので、何かと苦手である。
ただ、飛行機はたった2時間以内に羽田空港から長崎の地を踏めるのであるから、
やむえず時間の圧縮として利用しているのである。

私は機内の場合は、煎茶のペットボドルを持ち込んで、
この煎茶を飲んだりしながら、持参した本を読むことが多い。

この時は、何気なし『翼の王国』と称されたANAグループの機内誌を手に取り,
何かよい随筆はないかしら、と思いパラパラの捲(めく)ったりした。

この中で、偶然に魅せられた文があり、要約すると下記のように綴られていた。

《・・古来、日本には花が美しいと見る文学的な思想はなく、
『栄木(さかき)』といった常緑の木に神聖を感じていた。

先進国であった唐より梅が伝わってきたが、
『鳥梅(うばい)』という薬として、日本に伝わってきた。

『万葉集』の頃から、目立って梅の歌が現われる。

梅は松、竹と共に『歳寒三友(さいかんさんゆう)』のひとつに挙げられている。・・》

この記事は、『萬手控(よろずてびかえ) 植物文化考』と題された連載で、
私が手にした二月号は『友好の梅』と名付けられ、望月 昭氏が綴られた一節である。

            

私は全文を読み、魅了された一節だけを要約して、ノートに転記したのであるが、
この時節、梅と松、そして竹は、『歳寒三友(さいかんさんゆう)』と言葉に、
齢ばかり重ねた私は、遅ればせながら学び、何よりも魅せられたのである。

この後、この時節、『三寒四温』という天気季語と同様に、
『歳寒三友(さいかんさんゆう)』は私にとっては心の友に相応しい、
と微笑んだりしてきた。

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医師の95%が「胃がん検査は内視鏡」 バリウム検査が超少数派の理由、気弱な私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2019-02-19 14:43:08 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【AERA dot.】を見ている中、
『 医師の95%が「胃がん検査は内視鏡」 バリウム検査が超少数派の理由 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む74歳の年金生活の身であるが、
健康診断の時、胃がん検査に関しては、バリウム検査を受けているが、
過ぎし年に再検査・要で内視鏡の検査を受けたりした。

このようなささやかな体験を秘めている私は、
今回の『 胃がん検査は、医師の95%は内視鏡・・』と知り、どうしてなのょ、
と思いながら、こっそりと読んでしまった。

            

この記事は、『AERA』の2019年2月11日号に掲載されて記事のひとつであり、
『AERA』の編集部の熊澤志保さんが、取材されて纏められた記事で、
公式サイトの【AERA dot.】に2019年2月5日に配信され、
無断ながら転載させて頂く。

《・・医師の95%が「胃がん検査は内視鏡」 バリウム検査が超少数派の理由

胃がんはバリウム、肺がんは胸部エックス線で──。
そんな、がん検診の常識が大きく変わりつつある。

AERAでは、最新事情を専門医に取材。
さらに医師専用コミュニティーサイト「MedPeer(メドピア)」の協力のもと、
がん診療経験のある医師540人にアンケートを実施。

早期発見につながる、がん検診の選び方を聞いた。

            

「今年の検診、何も出なかったから、ひと安心だな」
40代、50代にさしかかれば、がんの有無は、大きな関心事だ。
職場や自治体で受けられる成人検診を健康指標にしている人も多いだろう。


だが、成人検診に含まれるがん検診の内容は、自治体や職場によってかなり違う。

肺がんには、胸部エックス線検査、胃がんには、バリウム検査、大腸がんには、便潜血検査、
乳がんには、マンモグラフィーと視触診などが一般的とされる。

このなかにはスクリーニングには向いているが、がんを発見する手法としては、
時代遅れになりつつあるものもある。
検診結果を過信すると、発見を遅らせることにつながりかねない。


検診の内容を正しく理解していれば、早期発見できたかもしれないのに、
病院にやってきた時には、がんがあまりに進行していた──。


『医者がマンガで教える 日本一まっとうながん検診の受け方、使い方』の著者、近藤慎太郎医師は、
そんなケースを臨床の現場で多く見てきた。


「検診の種類によっては、自分のがんのリスクに見合わないこともあります。
こうした情報格差、それによって生じる医療格差は、そのまま人生の格差につながりかねません。
難しく感じるかもしれませんが、正しく理解してほしい」


            

そこでAERAは、がん診療経験のある医師540人にアンケートを実施、
自分なら受ける、がん検診を選んでもらった。
詳細は後述するが、医師の選択は最新の医療情報をシビアに反映していた。


2人に1人が、がんになるといわれる時代、がんのリスクを正しく下げるために、
がん検診の理解のしかたと適切な選び方を見ていこう。


都内の会社員の男性(53歳)も、毎年、会社指定の成人検診を受けている。
胃がん検診は、バリウム(胃部エックス線検査)だ。
ストレスもそれなりにある職場なので、胃の調子は気にかかる。
毎年、バリウムは、気合を入れて飲んでいる。


「バリウムを飲むのは、割と得意ですね。
発泡剤でサイダーのような感触になるので、ごくごくいけます。
ゲップの我慢も、ぼくはあまりつらくない」(男性)


だが、このバリウム検査こそ、情報を更新すべき、がん検診のひとつだ。

「バリウムと胃カメラ(胃内視鏡)、どちらが優れているかは一概には言えない」(近藤医師)とはいうものの、
バリウムが、コントラストで胃の粘膜の凹凸の乱れを見るのに対し、
「胃カメラならば、食道も含め、胃の状態をカラーできちんと確認することができる」(同)と、
見え方が大きく違うのだ。


AERAが行ったアンケートによると、
胃がん検査に、バリウムを選択する医師はわずか4%。
95%もの医師が、胃カメラを選択すると回答している。



医師が選ぶがん検診【胃がん】(AERA 2019年2月11日号より)


胃カメラを選んだ理由の多くが、
「バリウムは、見逃しが多い」、「バリウムで異常疑いだと、結局胃カメラ」
「早期がんを発見できる」「細胞診検査もできる」といったものだった。


胃がんは、日本人のがんの死亡数の第3位を占めるが、
この20年ほどで、死亡率が急激に下がっている。

近藤医師は言う。

「その理由として、胃がんの治療が進歩し、進行しても手術で完治するケースが増えたことと、
日本人のピロリ菌の感染率が下がり、胃がんになる人が減ったことが挙げられます」


ピロリ菌(ヘリコバクター・ピロリ)とは、
胃に生息する細菌で、胃潰瘍や胃炎など胃の病気に深く関係する。

ピロリ菌が陽性の全員が、胃がんになるわけではないが、
胃がん患者の99%にピロリ菌の感染歴があることがわかっている。

汚染した水や食物から感染すると考えられ、現代日本では感染率は年々減少し、
10代では10%ほどと言われる。


胃がんの早期発見のために、9割以上の医師が選択した胃カメラだが、
一般の人のなかには、抵抗を示す人も。

やってみたが「二度とやるかと思った」(44歳男性)、
「涙も出るし、異物感もあるし、とにかくつらい。
医師の話が頭に入ってこなかった」(34歳女性)という声があがる。

            

だが、胃カメラを選択すべき理由はまだある。
これから上がるだろう食道がんのリスクにも、対応できるからだ。


「ピロリ菌除去は、2013年から保険適用の対象が広がったため、
除去する人も増え、さらに胃がんは、減ると考えられます。

ただし、ピロリ菌を除去すると、胃酸の働きが活発になり、逆流性食道炎が増えています。
将来的に食道がんの増加を懸念する医師もいます」(近藤医師)


食道がんの早期発見には、バリウムよりも胃カメラが確実だ。
早期の食道がんの85%が、胃カメラで見つかっているのに対し、
バリウム検査で見つかっているのは、11・3%に過ぎない。・・》(編集部・熊澤志保)


注)記事の原文に、あえて改行を多くした
            


過ぎし2013年(平成25年)の秋には、一年に一度だけの健康診断を受診した後、
やがて何故かしら『胃がん検診』の結果だけは、『要精検(内視鏡)』に◎印が囲まれていた。

私は担当の医師から、『胃の下腹にあたる幽門部に粘膜面異常が見られますので、再検査をして下さい・・』
と写真の6枚を見ながら私に説明をして下さった。

『再検査と言いますと・・胃カメラを呑んで・・検査することですか?』
と私は医師に言った。

『代表的な検査としては、胃カメラで検査することが多いですね』
と明るい表情で医師は私に言った。

私はこれまでの胃がん、大腸がんの検診をしてきたが、すべて良好の『精検不要』となっていたので、
生まれて初めて胃カメラを呑んで、再検査かょ、と何かと小心者の私は怯(おび)えた。
                    

この後、この医師に調布市で胃腸科に関して評判の良い病院に紹介書を頂き、
そして紹介先の病院に訪れて、胃の再検査を予約の申し入れをした。

やがて評判の良い病院の医師から、梅毒があったら困るので血液検査、そして血圧検査をします、
と私は言われて、女優・島田陽子さんが20代の時のようなだった容姿端麗の看護婦さんから、
血液検査、そして血圧検査を受けたりした。

しかしながら、梅毒があったら困るので・・と医師は明言されたのに対し、
気弱で品行方正な私は、苦笑しながら微笑み返しをしたりしたが、
何よりも美麗な看護婦さんのお逢いができた上、
検査日は10月24日の午前10時からと決定し、再会できる喜びもあったりした。

            

やがて検査日の前夜の9時過ぎからは、コップ半分ぐらいの水に耐えて、
当日の9時半に、この病院に着いた。
やがて島田陽子さんの容貌に似た若き看護婦さんから、何かしら体重測定、そして血圧検査を受けたりした。

そして水飴(みずあめ)のような液体を小さじに頂き、
『口の中で含み、絶対飲んだりしないで下さい・・5分ぐらいは我慢して下さいね』、
と若き看護婦さんから優しく私は言われたりした。

私は幼年期から女性に憧憬する癖がある上、
特に魅了された方には、何かと心も清らかな方と思ったりしてきたので、
『はい! 了解致しました』
と私は従順となり、明るく応(こた)えたりした。

その後、若き看護婦さんから私はベットに横身になるように言われた後、
眠くなりますが・・と言いながら私の腕に注射をした。
そして口の周りにプラスティクの円形を絆創膏で固定した・・。
          

何かしら深い眠りから私は目覚め、そして口の周りにあった円形プラスティクもなくなり、
あれぇ・・検査終わったのかしら、とぼんやりとしながら感じたりした。

しかしながら眠りの感じが強く、ウトウトしていたら、
若き看護婦さんが近寄ってきた、検査は終わりましたが、隣のベットで一時間ぐらい、
横たわって下さい、と私に言った。

私は半分眠っているような状態で、隣室のベットに横たわった。

やがて医師の問診があり、私は医師から検査で写した鮮明な写真を8枚ばかり、
パソコンの画面から解説を受けたりした。

『胃潰瘍・・わずかに見られます』
と医師から私は言われたが、家内に胃潰瘍と診断されたこともあったので、私は安堵した。

そして私は『胃ガンの初期状態は・・?』
と私は医師に問い合わせた。

『現状では、そのような徴候はありませんょ・・』
と医師は明るく私に言った。

この予期せぬ『再検査・要』をしてきたが、まもなく市の福祉から、
『高額療養費制度』に基づき、自己負担限度額を超えたので、超えた額が払い戻し致します、
と通知された葉書が我が家に到着した。

そして私は市の指定された所属部署に出向き、振り込み先、認印などの書類を提出した。
確か払い戻し金額は、野口英世さんのお札2枚ぐらいであったので、
思いがけないプレゼントを頂いたように、微笑んでしまった。

そして私は帰路、家内のお土産として、洋菓子のおしゃれなスィーツを買い求めたりした。

            

このようなささやかな内視鏡の検査を受けたが、この後は相変わらずバリウム検査を受けて、
今日に至っている。

今回、「胃がん検査は、内視鏡」が良い、と改めて教示されたりした。

たとえば、胃カメラ(胃内視鏡)は、食道も含め、胃の状態をカラーできちんと確認することができる・・
「早期がんを発見できる」、「細胞診検査もできる」を学んだりした。

そして、食道がんの早期発見には、バリウムよりも胃カメラが確実・・
このようなことを学び、これからの胃がん検査は胃カメラ(胃内視鏡)にしょうかしら、
と何かと気弱な私でも、微苦笑を重ねたりしている。

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堺屋太一( さかいや・たいち)氏の御逝去に伴い、無力な私は、とりとめなく過ごして・・。

2019-02-18 13:57:51 | ささやかな古稀からの思い

過ぎし9日に、 元経済企画庁長官で作家の堺屋太一( さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが、
8日に多臓器不全のため83歳で亡くなわれた、と私は知ったりした。

堺屋太一さんの未来予測された数多くの作品に、私は安堵したり、憂いたり、
何かと今後の日本社会のありかたを教示して下さり、
私は堺屋太一さんは文明評論家と思いながら、思考に多々影響を受けたりしてきた。

ここ一週間、各メディアで堺屋太一さんの功績を讃えてきたが、私が知る限り、
そうでしたよねぇ・・瞬時に賛意させられながら学んだのは、
元日経新聞論説副主幹で、ジャーナリストの土谷英夫さんの寄稿文であった。

この寄稿文は、初めて知る公式サイトの【ニュースソクラ】に於いて、
【けいざい温故知新】「先見の人」堺屋太一氏を悼む 』と題されて、2019年2月18日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
けいざい温故知新】「先見の人」堺屋太一氏を悼む
          

「だから、言うたでしょ」。
耳を澄ませば、関西アクセントの声が聞こえてきそうだ。
17日に告別式があった堺屋太一氏は「先見の人」だった。


デビュー作「油断!」でエネルギー危機を、
「小説・団塊の世代」で40年も前に少子高齢化の人口構造の危機を予見し、
昭和の末に著した「知価革命」は、モノづくりに偏重した産業構造の転換を勧めていた。


「規格大量生産の工業社会から、知識の値打ちが支配的になる知価社会への移行を」という氏の提言を実行していたら、
日本にもグーグルやアマゾン級のプラットフォーム企業が生まれていたかもしれない。
平成の長期にわたる経済停滞は、避けられたのではないか。


筆者が初めて堺屋氏に取材したのは1971年。
「油断!」を書く前の、通産省(現・経産省)官房企画室の池口小太郎・室長補佐だった。

大阪万博を発案した“異色の通産官僚”としてつとに知られ、
日本をデザインするスケールの大きな話を聞くことができた。


数ある先見の1つが、1985年(昭和60年)暮れに出た「知価革命」。
この年、日本はドイツを抜き世界一の工業品輸出国になり、世界一の債権国の座を約束されていた。

秋には、高くなりすぎた米ドル押し下げの協調介入が「プラザ合意」で決まり、円の急騰が始まる。
「世界の工場の次」に挑戦すべき時機だった。


もう少し時計の針を過去に戻すと、1973年と1979年に起きた1次と2次の石油危機で、
先進国は物価高と不況の挟撃「スタグフレーション」に苦しんだ。
真っ先に抜け出したのが、日本だった。


生産現場の力が大きかった。
生産1単位当たりのエネルギー消費量(エネルギー原単位)の劇的な引き下げを成し遂げ、原油高をはねのけた。

1970年代といえば、団塊の世代が20代、人口構成が若く日本社会のレジリエンス(弾力性)も高かった。


1979年にはエズラ・ヴォーゲルが日本をほめあげた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が世に出た。
自信をつけた日本は、少し天狗になっていた。

米国は衰退に向かっていて、いずれ追い越せると見る人が多かった。
昨今の中国のように。

          

堺屋氏は違った。
米国は工業社会の次にくる社会への移行過程にあるとの見方が「知価革命」に示されている。
当時はレーガン政権。
英国のサッチャー政権ともども「新自由主義」と呼ばれる政治路線だった。


新自由主義といえば最近では、貧富格差を広げ、経済のカジノ化を進めた元凶、といった悪評が多い。
それは一面にすぎない。
規制改革や税制改革で、創意工夫が生き、起業家精神を鼓舞するビジネス環境を用意した面も、
合わせて評価されるべきだろう。


知価革命だが、「工業社会を擁護し維持しようとする抵抗力も甚だ強い」という堺屋氏の危惧通り、
昭和終盤の日本は、選ばなかった。

あろうことか“地価革命”に突っ走ったのだ。
泡と消えるバブルだ。


日本の地価は、1986年ごろから急騰し始め、1991年に下がり始めるまで狂奔した。
株は、ひと足先に1989年(平成元年)の大納会で頂点を打っていた。


トマ・ピケティの「21世紀の資本」に、先進諸国の民間資本を国民所得比で示したグラフが載っている。
1985年ごろから1990年ごろにかけ、日本のグラフは大きな山を成した。

ピケティが「1970ー2010年で最も壮大なバブル」と呼んだ状況をもたらした、壮大な投資の失敗の軌跡だ。


企業の多くは財テクにいそしみ、不動産投資やリゾート開発にも手を染めた。
本業でも過大な投資で、過剰な生産能力を築いた。


バブルが崩壊すると、企業は設備、雇用、債務の3つの過剰に長く苦しんだ。
守りに撤した企業は、コスト削減に明け暮れ、非正規雇用者が増え、デフレが定着した。

平成経済の長期低迷の理由のほとんどは、
1980年代半ばの、「知価」と「地価」の勘違いに起因すると、筆者は思っている。

          

政府の景気対策も公共事業に偏重した。
1985年に530万人だった建設業就業者が、1997年のピークには685万人にもなった。
150万人以上も増えたのだ。
結局、この状況は持続できず、建設業就労者は足下で500万人を割っている。


もし、あの150万人増がソフトウエア・エンジニア(SE)だったら、と夢想する。
インターネットが急速に普及し始めたのは、1990年代半ば以降。

1985年は、まだチャンスがあった。
その時期にスタートダッシュをかけたら、日本にシリコンバレーが出来、GAFAに匹敵する企業が生まれていたかも、
と筆者は悔やむ。


堺屋氏が晩年、力を入れていたのが外国人移民の受け入れだ。
外国人雇用協議会を立ち上げ、自ら会長に就任した。

氏によれば、近世の日本は2度、大人数を受け入れた。
最初は鎖国定着前の1600~1640年ごろと、2度目は1850~1900年ごろで、
中国や朝鮮などから受け入れ、成長の起爆剤になった、という。


移民政策は採らない、と言っていた安倍政権が、180度反対の入管法改正に踏み切った。
「だから、言うたでしょ」という声が、どこかから聞こえてくる。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

          

こうした土谷英夫さんの寄稿文を読み終わった後、私は溜息を重ねたりした。

この後、私は過ぎし年に堺屋太一( さかいや・たいち)氏に関しての私の投稿文を読み返したりした。

この中のひとつを、2013年12月20日に於いて、
堺屋太一・著『団塊の秋』、過ぎ去り年の哀歓、そして今後の情況が的確に・・。』と題した投稿文を
あえて再掲載させて頂く。


私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、家内の要望で、一昨日の18日の午前中、私たち夫婦は駅前に買物をした。
そして高齢者の私でもボディーガード兼お供、荷物持ちであったが、
午後より雨が予測されていたので、珍しく私たちは手分けをしてそれぞれの店で買い求めたりしていた。

そして私は依頼品を買い求めた後、駅ビル内の本屋に立ち寄った。

そして単行本の新書コーナーで、何か読みたい本は・・、と探し求めたいた時、
偶然に堺屋太一(さかいや・たいち)氏の著作の『団塊の秋』(祥伝社)にめぐり逢い、
そして手に取った後、本書の帯の解説文を読んだりした・・。

《 西暦2015‐2028年、彼らは想定外の人生に直面する。
  本書は、『団塊の世代』の総決算である。 堺屋太一
  未来の新聞記事付き。的中率91% 衝撃の未来予測 》

このように明記され、私は瞬時に興味が湧き、買い求めることとした。
          
私は東京郊外の農家の三男坊として1944年〈昭和19年〉9月に生を受け、
やがて東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉の秋に、
大学を中退し、契約社員・アルバイトをしながら映画・文学青年の真似事をしたが、
あえなく敗退し、やむなくある企業に何とか中途入社できたのは、
1970年〈昭和45〉年の春で、満25歳の時だった。

この時代、定期採用で新入社した人達は、団塊の世代の人々であった。
そして机を並べ、この業界の荒波の多い時代の苦楽を共にし、
何かと友人には団塊の世代の人々が多かったので、彼らの世代には何かと親近感がある。

そして私の妹のふたりは、1946年〈昭和21年〉1月、1948年〈昭和23年〉10月、
家内も 1949年〈昭和24年〉12月に生を受けたので、
私は彼らの時代の流れの風潮を少しは知っているひとりである。
          
そして団塊の世代の多くは、2007年〈平成19〉年に定年退職時を迎えるに際し、
数多くの団塊の世代について出版され、私は愛読してきたひとりである・・。

たとえば山口文憲・著作の『団塊ひとりぼっち』からは、多々教示され、
団塊世代の多くは、これからの時期も《ひとりぼっち》と学んだりした。
私は中途入社の身であったので、彼ら同期で何かと励まし合いながらも時代を過ごしてきたのを、
羨ましく感じたりしてきたので、私は衝撃を受けたのである。


堺屋太一 (さかいや・たいち)氏に関しては、私は1975年(昭和50)年に『油断!』を偶然に読み衝撃を受け、
そして翌年の1976年(昭和51)年に『団塊の世代』は多々教示された。
敗戦後の一時時代の突出した多産の世代を「団塊の世代」と命名され、
その後の氏の数多くの著作された中の20作品ぐらい私は愛読してきた。

昨日、本書の『団塊の秋』(祥伝社、刊行・11月10日)を読み出し、
第6話に構成された中で、第1話の「さまよえる活力」、第2話の「年金プラス十万円」を読んだ限りであるが、
過ぎ去ったそれぞれ時代を描写されると、
そうでしたよねぇ、あの時代は、と私は思い馳せながら哀歓を深めたりした。
          
或いはまもなく到来する時代に、こうした風潮の時代になるの、
と著者から教示されて、憂いを重ねたりして読んだりした・・。

こうして著者の描写はもとより、行間から感じられる著者の思いを私なりに重ねると、
次のページが進むことが遅く、著者の的確な時代の表現に魅了されて読んだりしている。
初めて学び、やがて多々教示させられた・・。

そして私たち夫婦が元気な現在、お互いに確認し合い、
いつの日にか、どちらかが残された方が、戸惑いながら必要な書類に不備がないように・・・
思いながら責務を果たそう・・と思ったりしている。

          

このような拙(つたな)い私の投稿文を読み返して、時は余りにも・・と思いながら、
溜息を重ねたりしている。

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中食で静かなブーム、「生から惣菜」、ときおり『おひとりさま』になる私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2019-02-17 14:56:06 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 東洋経済オンライン 】を見ている中、
『 中食で静かなブーム、「生から惣菜」って何? 』題された見出しを見たりした。

私は料理に関しても、煮たり焼いたりすることのできない年金生活の身であるが、
「生から惣菜」って・・どのようなことなのょ・・と思いながら、
好奇心に負けて記事を精読してしまった・・。

この記事は、東洋経済の田宮 寛之・ 記者が綴られた記事で、
公式サイトの【 東洋経済オンライン 】に2019年2月17日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・中食で静かなブーム、「生から惣菜」って何?

激戦続きの中食市場に、意外なジャンルから新商品が登場した。

耐熱性の高い容器に、生の肉や魚を入れ、
電子レンジだけで調理することを可能にした「生から惣菜」シリーズだ。

これを開発したのは、食品トレーや弁当・総菜容器の最大手・エフピコ
同社の佐藤守正社長は「調理済みの総菜を温めて食べる時代ではない」と語る。

メニュー提案もしながら、食品メーカーやスーパーに「生から惣菜」シリーズとして売り込んでいる。


容器はエフピコが提供し、食品メーカーが総菜を作り、スーパーで販売する。
この3者が共同で総菜を開発することもある。
寒さが厳しい今の季節、プラスチック容器で煮込んだ鍋料理が人気を集めそうだ。



エフピコの開発した高耐熱容器を使った「生から惣菜」シリーズ(写真:エフピコ)

■110度まで耐えるプラスチック容器

高級食品スーパー・『成城石井』の総菜コーナーには、さまざまな種類の総菜が並ぶ。
電子レンジで温めるだけで、おいしい料理が食べられるため人気があるが、
よく見ると「豚しゃぶ」や「豚ばらモヤシ炒め」、「牛すき焼」の容器の中に入っているのは
生肉と野菜だ。

成城石井』では「生から惣菜」シリーズを「レンジ調理品」と名づけて販売している。


スーパーの総菜は、すでに調理済みであり、それを温めて食べるというのが常識だった。
しかし、『成城石井』のレンジ調理品は、生の食材をプラスチック容器ごと、電子レンジで煮込んで調理する。
調理済み総菜を再加熱するよりも、生から加熱したほうが、おいしいのは言うまでもない。

また、野菜の場合は、茹でたり蒸したりするよりも、
レンジで温めたほうが栄養価の残存率が高いというメリットもある。

スーパーでは、使い捨てのアルミ鍋に、生野菜や生肉が盛り付けられた「鍋セット」が販売されている。
食材を買い集めてカットする必要がないことが長所だが、
便利そうに見えて実はそうでもないのが、この鍋セットだ。

アルミ鍋をガスレンジにかけて煮るが、均等に熱が伝わらないので、かきまぜ続けなければならない。
その結果、具材がぐちゃぐちゃになってしまううえ、熱い汁をこぼしてしまうことも珍しくない。


            

一方、レンジ調理品は、容器ごと電子レンジに入れて、スイッチを押すだけ。
具材がぐちゃぐちゃになることはない。

このレンジ調理品に使用されているのは、どこにでもあるプラスチック容器ではなく、
エフピコが開発したマルチFP容器と呼ばれる高耐熱容器だ。

従来のプラスチック容器は耐熱性が低く、高温で長時間レンジにかけると変形したり、溶けたりしていた。
また、料理を温めることは可能でも、煮込むことはできなかった。


しかし、マルチFP容器は110度までの熱さに耐えられるので、レンジにかけても容器が変形することはない。
断熱性にも優れており、加熱直後に容器を手で持っても熱くない。

例えば、天ぷらそばを電子レンジ(500W)で6分加熱すると、
家庭用食器では表面温度が82度になるが、マルチFP容器では53度にとどまる。

家庭用食器では、鍋つかみやふきん、鍋敷きが必要だ。
しかし、マルチFP容器は、素手でレンジから取り出し、食卓へ運んで食べることができる。


            

■1人暮らし世帯の増加が追い風に


エフピコは2014年より、「生から惣菜」シリーズの営業を開始。
同社の営業マン200人が電子レンジを担いで、食品メーカーやスーパーなどを回り、
マルチFP容器を使って、生食材から調理された総菜のおいしさをPRした。

現在はスーパーを中心に、114社で「生から惣菜」が販売されている。
エフピコの取引先店舗数約1万2000店のうち、約4分の1の約3200店で「生から惣菜」が扱われている。

高齢化や1人暮らし世帯の増加に伴い、「生から惣菜」の需要拡大が見込まれる。

国立社会保障・人口問題研究所によると、
全世帯に占める1人暮らし世帯の割合は、2015年の34.5%から、
2040年には39.3%まで上昇する。

また、世帯主の高齢化が進み、65歳以上の高齢世帯が増加する。
全世帯主に占める65歳以上世帯主の割合は、2015年の36.0%から
2040年には44.2%まで上昇する。


1人暮らし世帯や高齢世帯は、調理をするよりも、総菜を買ってきて食べることが多い。
こうした世帯が「生から惣菜」の主要顧客になりうる。

今のところ、スーパーでの販売が多いが、
2018年には『ローソン』や『セブン-イレブン』が試験販売を行った。
今後、コンビニでも正式に採用されれば、さらなる販売増につながる。

群馬県を中心に展開する食品スーパー『とりせん』は、2016年に「生から惣菜」を導入。
現在では全60店舗で販売している。

導入2年目は、前年比4倍増、導入3年目も前年比1.3倍増のペースで伸びている。
好調な店舗では、1日120パックが売れるほどの人気商品に成長した。


群馬県は、猛暑になりやすく、夏場は、生肉の販売が落ち込む傾向がある。
火を使う調理が嫌われるためだ。
生肉が売れ残ると収益上は大きなダメージとなる。

「そこで、火を使わないメニューを模索していたところ、
『生から惣菜』を知りチャレンジすることにした」(とりせん)。

「生から惣菜」は、冬場に人気が出そうなイメージがあるが、
調理に火が不要であることから、春夏メニューの充実にも貢献する。

「生から惣菜」のメリットとして、商品を作りだめできることが挙げられる。
特に野菜は、天候によって価格が乱高下するが、
安いときに仕入れて商品にして冷蔵しておけば、コスト削減になる。

また、ゴミ処理や生ぐさいにおいもなく、調理に手間がかからないため、
魚の販売増加にも貢献する。


            

■目標は売り上げ5倍増


エフピコは、過去4年間に食品メーカーなど104社と提携して、メニュー開発に取り組んできた。
食品メーカーにとっても、売り上げ拡大に直接結びつくので、その取り組みにも熱が入る。

エフピコは、これまでディスカウントストアや百貨店、レジャー施設などへの売り込みを検討したが、
マンパワーが不足していた。
今後は食品メーカーの社員が、エフピコのカバーしきれなかった方面に販売を強化する。


今後の目標について同社ストア支援事業部の前田知司ジェネラルマネージャーは
「『生から惣菜』が、どの店でも当たり前に売られている状況を目指す」という。

前田マネ-ジャーによれば、潜在的な需要を考えれば、現在の5倍売れてもおかしくないとのこと。
高齢化や一人暮らし世帯の増加が追い風となり、
総菜は、生からレンジで調理するのが、常識になる日は近いかもしれない。・・》

記事の原文に、あえて改行を多くした

            

私は年金生活の74歳の身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして食事に関しては、朝食と夕食は家内と共に談笑しながら頂いているが、
年金生活の当初より、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由食としている。

こうした中、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活となっている。

このような事情もあり、今回の記事を参考として
学びたく、精読してしまった。 

私は家内は独り住まいの家内の母宅に介護に行っている時は、
我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をする中、食事に関する実態を明記する。

朝食に関しては、家内は炊き上げた十六穀米の入った白米のご飯を、
半合単位にラップに包んで、冷蔵庫の片隅に保存してくれているので、
私は電子レンジで温めて、頂いたりしている。

こうした中で、私の朝食の前菜は、
新タマネギと生ワカメとあえたりした常食をミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

この後は、電子レンジで温めた十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、しらす干し、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、サバの味噌煮の缶詰としてきた。

この後は、我が家の最寄りのスーパーに行き、夕食用のお惣菜(総菜と同意語)売場で数品を選定したり、
野菜、果物売場で少し買い求めて帰宅することが多かった。

昼食はヨーグルトを箱の2分の1を食べた後は、
レーズンバータロールのパンを食べる時が多い。

              

夕食に関しては、家内が温めて食べられる料理を数多く準備してくれているのを、
食べたりしている。

そして健康の源(みなもと)は、程々の食物から形成されると学んだりしてきたので、
前菜として、ニンジンを千切りにして、電子レンジで少し温めて、
ゴマドレッシングに少しお醤油をかけて、食べている。

そして家内が4泊以上になる時は、家内が準備してくれた料理は品切れとなり、
私がスーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて、
食べているのが実態となっている。

こうした中、煮たり焼いたりする料理ができない私は、ときには冷凍食品を買い求めたする時もある。

たとえば日本製粉から発売されている海老と5種類の野菜が入ったオーマイ『ペペロンチーノ』、
日本水産から発売されている『茶豆』などを購入したりしている。

今回、「生から惣菜」の多彩な食べ物を私は学び、

これからの『おひとりさま』になった時の夕食のレパートリーは拡大するので、
どれにしょうかしら、と私は微笑んだりしている。

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老後の健康維持に必須 スマホは今や高齢者のライフライン、時代遅れの高齢者の私は学び、やがて苦笑を重ね・・。

2019-02-16 16:13:37 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】を見ていたら、
『 老後の健康維持に必須 スマホは今や高齢者のライフライン 』と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、我が家はインターネットに関して、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。

そして私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら一昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

このような時代遅れの私でも、『 老後の健康維持に必須 スマホは今や高齢者のライフライン 』、
何かと気になり、どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】の『ヘルスケア+』に、
2018年9月20日に配信され、無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

            

《・・老後の健康維持に必須 スマホは今や高齢者のライフライン

(略)総務省の「平成29年版 情報通信白書」によれば、
40代のスマホ普及率は約80%に達していますが、50代は66%、60代はわずか33%にすぎません。

「電話とメールができれば十分」、「SNSは興味がない」というひとが多いのです。

しかし老後の健康維持も自己責任という時代には、そんな悠長なことは言っていられません。

いまやスマホは、単なる情報端末を超えています。
デジタルヘルス機器と組み合わせることで、
強力な健康管理ツールとしても使えるように進化しているのです。

体重・体組成計(体重・BMI・体脂肪率・筋肉率など)、血圧計、体温計、活動量計が
主なデジタルヘルス機器です。

活動量計とは、歩数、階段の昇降回数、消費カロリー、脈拍数、睡眠時間と質などが測れる、腕時計型の装置です。
アップルウオッチやフィットビットが有名です。

血圧を測定できる活動量計(中国製)も売られています。
試しに買って使ってみたところ、普通の血圧計と遜色のない測定値が得られました。

ただ1カ月ほどで使えなくなってしまったので、品質はまだまだです。

しかしこれらの装置とスマホのアプリを組み合わせると、
毎日の測定値を自動的に記録して、画面でチェックすることができます。
自分で記録する面倒がまったくないので、かなり便利になります。

でもそれだけで、健康維持・増進に効果があるのでしょうか。
実は世界中でその検証実験が行われており、運動量が増えた、体脂肪率が落ちた、血圧が下がった、
といった効果があることが明らかになりつつあります。

また睡眠を測定することで、睡眠時無呼吸症候群を早期に発見できることも分かってきました。
人生100年時代を乗り切るためには、できるだけ長く健康で、仕事を続けることが大切。
引退してからなどと言わず、今日から始めるべきでしょう。・・》
 

記事の原文に、あえて改行を多くした

            

記事を読みながら、スマホに無知な私は、苦笑を重ねてしまった。

私はスマホに無知な上、確か30年前の頃、勤めていた会社より、歩数計を頂き、
一年ぐらい散策の時に愛用していたが、やがて歩数計を身に付くことなく歩いたりした。

この後、歩数計を買い求めて、しばらくは身に付けて歩いたりしたが、
やがて散策の時も忘れてしまったりしてきた・・。

この後、私は年金生活の当初から、せめて我が家の平素の買物ぐらいはと思い、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

こうした後、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

このような根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

しかしながら60分ぐらい歩く時もあれば、
3時間ぐらい歩く時があり、移ろう情景に心を寄せて歩いているので、
歩数は判らないが、平均として1キロを15分ぐらいで歩いたりしている。

            

私は夕食前に、お風呂に入った後、体重計に乗り、こっそりと測定している。
そして体重計に添付されていたB4サイズの『 TANITA 健康管理シード 』に於いて、
『体重』、『体脂肪率』、『内臓脂肪』が日々記載でき、月次内がグラフで表示できるようになっている表に、
殆ど毎晩記入している。

そして私は、昨日より体重が0.2キロ増えてしまった・・と心の中で呟(つぶ)きながら、
苦笑する時もある・・。

このようないい加減な私は、老後の健康維持としては失格だよなぁ・・と苦笑したりしている。

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死後の厄介な手続きを解消、「法定相続情報証明制度」の絶大なメリット、私は学び、安堵しながら・・。

2019-02-15 14:03:20 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【 マネーポストWEB 】の『暮らしのマネー』を見ている中、
『 死後の厄介な手続きを解消、「法定相続情報証明制度」の絶大なメリット  』と見出し記事を見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂き、

程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、いつの日にか私があの世に逝った時、
残された家内は、ささやかな葬儀などをした後、相続なければならない。


このような状況の時、何かと手続きの多い書類が必要と親戚の叔父さんから聞いたりしてきた・・。
今回、『 死後の厄介な手続きを解消、「法定相続情報証明制度」の絶大なメリット  』って、
どのようなことですか、と思いながら、記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『女性セブン』の2019年2月14日号
の記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 マネーポストWEB 】に2019年2月14日に配信され、
無断であるが、転載させて頂く。

《・・死後の厄介な手続きを解消、「法定相続情報証明制度」の絶大なメリット
          

家族の死後の手続きは、少なくとも30以上あり、
何も知らないと延々と続く「手続き地獄」にはまる。

集めなくちゃいけない書類はたくさんあるし、取得できる窓口もバラバラだし、
とにかく厄介──そんな悩みを解消する画期的な方法がある。

それが2017年に新設された「法定相続情報証明制度」だ。

制度を活用した埼玉県在住の57歳主婦・高野さんが話す。

「5年前に父が、昨年は母が亡くなりました。

父の時は、父や相続人全員の戸籍謄本を集めるのに、約3か月かかり、
揃ったところで戸籍の束を持って、役所に行きました。

しかし、束を1セットしか作っていなかったので、複数の手続きが同時進行できない。
1つの申請をするたびに、手続きがストップしてしまうんです。

そこで、複数のセットを作ることにしましたが、
戸籍を集め直すのに、さらに1か月かかる。
お金も労力もかかりヘトヘトになりました」

一方、母親の手続きの手間は、父親の時とは雲泥の差だったという。

「戸籍などの必要書類を一式揃えて、法務局に持っていけば、
『法定相続情報一覧図の写し』という書類を複数枚、発行してもらえました。

そのおかげで、戸籍のセットをいくつも用意することなく、
相続税の申告や生命保険金の請求などの手続きが、同時にできたんです」(高野さん)

相続に詳しい武内優宏弁護士が説明する。

「法務局に戸籍書類などと一緒に、『法定相続情報一覧図』(相続関係を一覧に表した図)を提出すると、
登記官がその一覧図に認証文を付した『法定相続情報一覧図の写し』を交付してくれます。

1枚で戸籍書類一式と同じ効力を発揮します。何枚でも交付は無料です。
謄本は1通につき450円から750円かかり、すべての戸籍謄本のセットを複数用意しようすると、
数千円から数万円かかることもあります。
使わない手はありません」

「法定相続情報一覧図の写し」を発行するには、次の書類が必要だ。

【1】故人の出生時から死亡時までの戸籍謄本
【2】故人の住民票の除票
【3】相続人全員の戸籍謄本か、戸籍抄本
【4】手続きする人の氏名と住所が確認できる、運転免許証などの公的書類
【5】法定相続情報一覧図
【6】申出書

ただし、法定相続情報証明制度を利用できるのは、原則として相続人だけ。
それでも、費用負担が軽減され、手間も省けるため、死後の手続きには絶大なメリットがある。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

            

 遅ればせながら私は、「法定相続情報証明制度」について、初めて学んだりした・・。

いつの日にか私があの世に逝った時、残された家内は、何かと戸惑う葬儀などをした後、
やがて相続をする時、こうした制度があれば、何かと利便性がある、と感じたりした。

そして私は、あの世に逝っても、家内はうろたえることが少なく相続ができる、
と安堵しながら、独り身になった家内に、趣味を深めて、しなやかに過ごして・・
と思い重ねたりしている。

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こんなにある!家族の死後、手続きに必要な書類一覧、遅ればせながら私は初めて学び、やがて多々教示させられ・・。

2019-02-14 15:16:21 | ささやかな古稀からの思い
家族の死後、手続きに必要な書類一覧

家族の死後、手続きに必要な書類一覧

別掲の表には、各種手続きに必要な書類を一覧にした。
遠藤さんのように“無駄足”を運ばないよう、参考にしてほしい。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

          

恥ずかしながら私は何かと無知なことが多く、今回『 家族の死後、手続きに必要な書類一覧 』についても、
遅ればせながら私は初めて学び、やがて多々教示させられた・・。

そして私たち夫婦が元気な現在、お互いに確認し合い、
いつの日にか、どちらかが残された方が、戸惑いながら必要な書類に不備がないように・・・
思いながら責務を果たそう・・と思ったりしている。

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