田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も9年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

世界の覇権はどうなるか?

2017-01-21 20:01:00 | 講演・講義・フォーラム等
 20世紀の世界を牽引してきたアメリカの衰退が顕著になってきている今、アメリカがそのまま衰退し、覇権国の交代があるのか、それともアメリカの復活があるのか、興味深い話が伺えると思ったのだが…。 

 1月19日(木)夜、時計台ホールにおいて、札幌大学が主催する「札幌大学時計台フォーラム」が開催され参加した。
 フォーラムは、同大学の三須拓也教授が「世界情勢を読み解く」と題して講演された。

                     
                     ※ 時計台ホールの暗い照明の中で講義する三須拓也教授です。
 
 三須氏は、「覇権」について、イタリアの哲学者アントニオ・グラシムの言葉を借りて次のように定義した。「特定の人、集団が長期にわたって不動の地位、権力を維持する事態」だという。
 それに倣って、地球規模における歴代の覇権国を振り返ってみると、16世紀にはスペイン・ポルトガルが、17世紀はオランダが、18~19世紀はイギリスが、そして20世紀に入ってアメリカ合衆国が覇権国の座に就いていたと整理した。この点については、誰もが納得する整理である。

 現代の覇権国とされるアメリカが1970年代に入ってから衰退する趨勢になってきたということについても異論はない。つまり、それはアメリカのベトナム戦争での敗退であり、湾岸戦争、イラク戦争の戦費の浪費、9.11におけるアメリカ中枢部への攻撃等々、世界に冠たるアメリカの権威は音を立てて崩れ始めている。

               
               ※ 三須教授の近影です。

 こうした中で、アメリカが目論んでいるのは、アメリカに余力があるうちに覇権の「再編」を行おうとしていることだという。
 三須氏によると、アメリカにとって20~21世紀の間に軍需産業が肥大化し、もはや軍需産業抜きにアメリカの経済は語れないほどの存在になっているそうだ、その上、アメリカ国内の軍事基地は各州に置かれていて、国内の軍事費削減は政治的に困難な状況にあるという。
 そうした中で、アメリカが目論んでいるのは、軍需産業の産出する兵器を「同盟国」に買わせることによって、軍需産業を潤わせつつ、アメリカ自身の軍事費削減を目論んでいるということだ。(日本の国防費がこのところ増大している要因だという)

 このような状況の中で登場したのが、アメリカの新大統領トランプである。
 三須氏は今年2017年のニュースのポイントは、アメリカの覇権の衰退がさらに進むのか、あるにはアメリカによる再編成の目論見が世界にどう影響するのか見守りたいとした。
 三須氏によると、トランプによる覇権の「再編」の目論見は、あるいは「自滅的再編」を招くのではないか、と予想した。

               

 わずか1時間の講義で複雑極まりない「世界情勢を読み解く」ことなど到底無理な話である。本講義においても、密かに世界の覇権を握ろうとする意欲を隠さない中国のことなどについては全く触れられなかった。
 なんだかちょっと中途半端な形で終わってしまった感じだが、もう少し三須氏の話を聴きたいと思った。
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高齢者には怖~い泌尿器のお話

2017-01-20 16:59:01 | 講演・講義・フォーラム等
 高齢になると泌尿器関係の老化が気になってくる。日本において男性の前立腺がんが急増している状況があるという。そうした状況に対して、検査方法や治療方法が相当に進歩しているというお話を伺った。 

 1月17日(火)午後、「かでる講座 特別医療講演」として「医療法人 北腎会 坂泌尿器科病院」理事長・院長の坂丈敏氏が講演するのを聴いた。演題は「泌尿器の病気治療最前線~高いQOL(生活の質)を目指して~」と題しての話だった。

                  
                  ※ 講演をされた坂丈敏理事長&院長です。

 坂氏のお話は、①過活動膀胱、②前立腺肥大症、③尿路結石症、④前立腺がん、の特に高齢者が陥りがちな四つの症状とその検査法、治療方法についての話だった。

 過活動膀胱は、特に女性多い病気だという。突然トイレに行きたくなったり、我慢できずに漏れてしまったりする症状だそうだ。体操によって症状が改善されることもあるが、他の病気が隠れている場合もあり、専門医の診察をお勧めするということだった。

 前立腺肥大症は男性独特の病気である。症状としては、おしっこが出にくくなったり、おしっこの回数が増えてくることが特徴である。特に就寝中に2度目覚めてトイレに行くようなら要注意とのこと。おおっ!心当たり有りや無しや??。
 治療方法としては、薬物療法と手術療法があるが、内視鏡とレーザーを用いたHoLEPという手術が有効とのことだった。

                    
                    ※ 北腎会では写真のような広報誌を季刊として発行しています。

 尿路結石症は腰や背中に激痛が走り、血尿が出る怖い病気である。原因はさまざまだそうだが、何より速やかに痛みを取ることが重要だという。そりゃそうだ!人間は痛みに弱いからねぇ。私など特に…。
 結石の除去にはいろいろな方法があるという。薬物による自然排石、体外衝撃波砕石術(一時この方法が話題となった)、経尿道的結石砕石術(TUL)、経皮的腎・尿管砕石術(PNL) 、そして最後に開腹手術があるという。
 最近は開腹手術はほとんど行わないそうで、内視鏡を用いたTULとか、PNLが主流とのこと。

 最後に前立腺がんだが、リード文でも紹介したとおり、近年もっとも増加しているがんの一つで、50歳から急速に増加している傾向があるという。前立腺がんは早期に発見し、適切な治療を行えば治るがんであることが強調された。その早期発見のためにPSA検査を年に1回は受けることを勧められた。
 治療方法としては、内分泌療法、手術療法、放射線療法(IMRT)があるということだが、最新機器としてのIMRTについていろいろと説明された。坂病院は最新機器を導入しているということだった。

               
                ※坂病院では前立腺がんの治療に使用している定位放射線治療装置ノバリスという機器です。

 特別医療講演ということで、当初予定になかった講演が坂氏のご厚意で実現したとのことだった。私たち高齢者にとっては怖~い、しかし参考になることが多々あった講演会だった。
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映画 動乱

2017-01-19 16:22:03 | 映画
 映画は1936(昭和11)年2月26日に起こった日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1,483名の下士官 兵を率いて引き起こしたクーデター未遂事件をベースとした映画である。しかし主たるテーマは、時代に翻弄された青年将校とその妻の愛と生きざまを綴った叙事詩の様相を呈した映画だった。 

                    

 1月16日(月)午後に行われた「めだかの学校」の新年最初の「映画の中の北海道・昭和編」で取り上げられたのは1980(昭和55)年に公開された「動乱」だった。
 映画は第一部「海峡を渡る愛」と第二部「雪降り止まず」の二部構成となっている。

 第一部で仙台連隊の宮城大尉(高倉健)は、部下思いの上官だった。
 ある夜、宮城の隊の初年兵・溝口(永島敏行)が脱走する。溝口は姉・薫(吉永小百合)が千円で芸者に売られるのを知って、死刑覚悟で姉会いたさに脱走したのだった。
宮城は何とか溝口を助けようとするが、溝口は捜索隊の上官を殺してしまい、銃殺刑に処されてしまった。宮城は父・広介に用立ててもらった千円を香典として薫に渡した。

 宮城は脱走兵を出した責を問われ、朝鮮の会寧地方に飛ばされた。当時、朝鮮は日本の領土で、戦いの最前線だった。宮城はそこで、芸者になった薫と再会する。溝口の死後、薫の父も亡くなり、借金を返しきらないまま芸者になっていた。
 最前線では、軍事物資が相手方の朝鮮ゲリラに横流しされ、一部の将校が私腹を肥やしていた。戦場には薬も弾も食料も届かず、宮城は焦っていた。そんなとき薫が自殺を図ったが、宮城は薫を救った。

               

 第二部で、宮城は日本に戻り、薫と同居するようになった。(夫婦関係はない)宮城の元には多くの青年将校が集まり、国家の改革について熱く語り合う。青年将校の中には、「時来たる」という者もいれば、「時期尚早」という者もいた。
 宮城は皇道派の恩師・神崎の元を訪れる。宮城は「やるべきときが来た、国軍を腐敗させた原因は統制派だ、水沼閣下(軍務局長)は自分が切る」と決意。しかし、神崎は「水沼は自分が切る、宮城は青年将校をひとつにまとめることに成就してくれ」と言う。そして数日後、神崎が単身陸軍省に赴き水沼の暗殺を果たす。

 その後、宮城は神崎の軍務局長暗殺に関わっているとして憲兵に呼び出され、毒を盛られ昏睡状態に陥る。しかし、薫の手厚い看護で何とか一命を取り留める。
 一連の軍務局長暗殺事件を受け、青年将校たちの昭和維新への機運は一気に高まり、決起を決めた。決行が決まると、宮城は実家に帰り父に薫のことを頼むと言い残し、その後初めて薫を抱く。
 昭和11年2月26日、決起した約1,500人の青年将校らは陸相官邸、警視庁、蔵相、内大臣私邸、首相官邸などを襲撃した。
 これら皇道派は「天皇のために」と立ち上がったのだが、天皇はこの行動に対して激怒し、宮城らは「反乱軍」のレッテルが貼られ、逮捕されて軍法会議かけられる。
 審議は全て非公開で一審即決で宮城以下15人は反乱罪により死刑の判決が下る。
 判決後、薫が宮城の面会に訪れる。そこで薫は、先日正式に宮城と籍を入れたという。
 そして7月12日、死刑が執行された。

               

 第一部、第二部合わせて150分の大作である。
 混乱を極める昭和初期にあって、軍の青年将校たちの指導的立場にいた宮城は時代の波に翻弄されながらも、寡黙に、無骨に、妻との愛を大切にしながらも運命に身を委ねたのだった。
 映画の最後に写真のようなテロップが流れる。

               

 その後の日本の行く末を考えると、いわゆる226事件は日本における大きな曲がり角に起こった事件だったことがよく分かる…。
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みんなの学校 木村初代校長の話を聴く

2017-01-18 19:57:37 | 講演・講義・フォーラム等
 大阪市立大空小学校の初代校長の木村泰子氏はエネルギッシュだった。そしてまた強い信念の持ち主でもあった。彼女の信念を実現された悪戦苦闘の過程を伺った。 

 1月15日(日)、午前中に映画「みんなの学校」を視聴した後、午後にその「みんなの学校」の舞台となった大阪市立大空小学校で開校以来9年間にわたって校長を務められた木村泰子初代校長のお話を伺った。

               
               ※ 札幌市民ホールで講演する木村泰子大空小学校初代校長です。

 木村氏のお話を理解するうえで、氏の略歴を紹介する必要がある。
 氏は40年前に大阪市の短大体育科を卒業され、大阪市の小学校の教員として採用されたそうだ。氏の話によると、氏が40歳くらいのときに体験されたことが、その後の氏の教育理念(信念)の形成に大きな影響を及ぼしたという。(後述する)
 その後、木村氏は若干(?)50歳にして住吉区の児童数1,100人余りという南住吉小学校という大きな小学校の校長に赴任するのだが、その1年後にそこから分離新設された大空小学校の初代校長に赴任され、以後定年退職(平成28年3月)までの9年間を大空小学校校長として勤められたということだ。
 以上が、木村氏が語った氏の略歴である。

                    
                    ※ 若々しさが際立つ木村校長すです。右の女性は木村校長に私淑する女性のようです。

 さて、木村氏が氏の教育理念(信念)の形成に大きな影響を及ぼした体験とは…。
 ある小学校において、次年度の新入生の中に大変な指導困難児がいるということで、学校では障害児学級への入級を勧めるが、親は普通学級に学ぶことを望んだために、混乱したうえ、誰もが一年生の担任を受け持つことを渋ったという。
 その時、氏は率先して手を挙げ、転任してきた2人の先生と3人で一年生の担任になったそうだ。その際の条件として、「1年生の教室として体育館を使わせてほしい」と要望したという。(このあたりがユニークである)そして、1年生3クラスは毎日合同で授業を展開したという。それは1人の先生が得意科目を受け持ち、他の二人はサポートに回り全体の子どもを支援したそうだ。(ちなみに木村氏は体育と音楽を受け持ったという)
 その年の秋の学芸会において、担任した一年生が13曲もの歌を織り込んだミュージカルを全員で演じ、大成功を収めたことで、木村氏は障害をもった子も、そうでない子も周りとの関係性の中で育つことを実感したことから、「障害を理由に子どもを分断しようとする教育を見直したい」と思うようになったという。

 木村氏が初代校長となった大空小学校の地域では、20年以上も前から南住吉小のマンモス校解消のために分離新設が検討されていたという。しかし、その地区の一部に同和地区を抱えていたために、周辺町内会からの猛反発を受け開校できないという事態に陥っていた。木村氏が赴任した時には南住吉小の5・6年生が現大空小学校の校舎で授業するという歪な学校の状況が続いていたそうだ。

 ここからの経緯について木村氏は詳しくは語らなかったが、私が想像するには次のようなことだったのではないだろうか?
 40歳の時の体験と同じで「誰もやらないのなら、自分がやってやろう」と…。児童数1,100余名を抱える大校長から、児童数わずか200余名の新設校の校長に木村氏自ら手を挙げたのだと想像できる。
 その時、木村氏は「理想の学校を創ろう!」という意気に燃えて大空小学校の創設に関わったものと想像される。
 その理想の学校とは、「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」という理念(信念)だった。

                    

 その後の展開は映画で詳しく紹介されているので割愛する。
 講演の最後に木村氏は「特別支援学校を否定するわけではない」と強調された。だが「しかし」と断り「公立学校は子どもの学習権を保障する場でなければならない」そして「公立学校は地域住民のものでなければいけない」と強調された。

 私はこの一連のレポの中で「大空小は特別な学校」というような記述をした。その思いは今も変わってはいない。
 残念ながらというか、現実として、木村泰子氏のような強い信念と、リーダーシップを兼ね備え実践していこうとする人は私を含めて多くの人が持ち合わせていないということも事実である。
 ただ、多くの教師たちは自らの力量の限界を自覚しつつも、自らの良心に従い懸命に努力している人が多いことを、子どもを預ける親は認識してほしいと願いたい。
 そして一方的に他に頼ったり、批判するのではなく、教師として、親として、共に成長していこうとする姿こそ、この映画が訴えていることではないか、と思ったのだが…。
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映画 みんなの学校 Ⅱ

2017-01-17 16:10:25 | 映画
 昨日の中途半端な投稿を補いたい。映画「みんなの学校」として紹介された大阪市立大空小学校は、ある意味において公立の小学校としては理想の小学校のように映る。しかし、それはまた特別な小学校ではないか、という思いも私の中からは拭いきれなかった…。 

               

 このようにリード文で書き出すと、一部の方からは総スカンをくいそうだが、臆せず私の思いを語ってみたい。
 大空小学校のことを如述に表現する一文に出会った。その一文とは、

 この学校の性格をそのまま形づくっている女性校長の人柄だ。母のごとき人心掌握術、船長のごとき経験則。
 外見も若く素敵な木村泰子校長は、教師歴40年以上というから目を疑うが、厚い人望と漲る自信と優しさはそれをたやすく裏付ける。担任たちの誰よりも生徒一人ひとりと話し、全校生徒からもっとも信頼されているのだ。
 

          
          ※ 新設の大空小学校を9年間にわたって引っ張り続けた初代校長の木村泰子氏です。

 この一文からも想像できると思うが、大空小学校は初代校長である木村泰子校長の確固とした教育理念と、それを実現しようとする強力なリーダシップによって実現した学校であるということがドキュメンタリー映画の中からも伝わってくる。

 その大空小学校を「特別な小学校ではないか」と私が疑問を呈したのは、公立小学校において一人の校長が9年も続けて同一校の校長を務めることなどは普通にはあり得ないことである。
 このことは木村泰子校長の熱意、実践、etc.が大阪市教育委員会をも動かし、例外を認めたということだろう。

 大空小学校は全校児童が220人、そのうち特別な支援を必要とする子が30人以上在籍するという。「自分がされていやなことは人にしない」というたった一つの校則と、「すべての子どもの学習権を保障する」という教育理念のもと、特別支援を必要とする子もない子もすべての子どもが、ともに同じ教室で学んでいる。
 そんな教室では、当然のようにさまざまな問題が生起する。しかし、そうした問題が生起する度に木村校長が先頭に立って、問題に向き合い、担任をはじめ教職員を叱咤激励し、問題を起こした子と教室の子どもたちを向き合わせ、解決に導いていく。
 こうした取り組みにより、不登校児はゼロ。他の小学校で、厄介者扱いされた子どもも、この学校の学びのなかで、自分の居場所を見つけ、いきいきと成長してゆく。また、まわりの子どもたちも、そのような子どもたちとのかかわりを通して、大きな成長を遂げている。

          
          ※ 校長自ら全校児童の体操を指導をしている様子です。
               
 映画を観ているかぎり、まさに「理想の学校」、「奇跡の学校」である。
 しかし、当の木村校長や大空小の教職員に言わせると、「そんなきれいごとではすまされない」、「日々真剣に向き合った結果である」というような答えが返ってきそうだ。
 確かに木村泰子校長の強力なリーダーシップによって実現できた側面は強いが、その中で教職員が変わり、地域が変わり、何より子どもが変わっていく姿を画面に認めたとき、私の涙腺が緩むのを禁じえなかった。

 それは「このような学校を創ってみたかった…」という思いと共に…。

          
          ※ 大空小学校の全景です。

 明日は、その木村泰子大空小学校初代校長から伺った講演をレポしつつ、私の思いも語ってみたい。
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映画 みんなの学校

2017-01-16 23:28:13 | 映画
 またまた良い映画を見せてもらった思いである。「みんなの学校」とは、大阪市住吉区にある市立大空小学校という実在の学校の一年間を追ったドキュメンタリー映画である。“不登校ゼロ”を目指す大空小学校の校長を始めとした教職員、父母、地域の人々、そして何より子どもたちの姿が感動的だった。 

                    

 1月15日(日)、札幌市手をつなぐ育成会が主催する映画会「みんなの学校」上映会とその映画に登場する大阪市大空小学校の初代校長の木村泰子氏の講演会が札幌市民ホールで開催され参加した。

 大阪市住吉区にある市立大空小学校が目指すのは、“不登校ゼロ”。
 ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みんなが同じ教室で学ぶ普通の公立小学校だが、開校から6年間、児童と教職員だけでなく、保護者や地域の人も一緒になって、誰もが通い続けることができる学校を作ってきた。

               

 映画はドキュメンタリーとして、そんな学校の日々を丁寧に追い続ける。
 一観客としては「木村校長のリーダーシップが素晴らしい!」、「先生方一人一人が頑張ってるなあ…」という思いで映画に見入っていた。
 一方、学校教育に関わってきた者の一人として観たとき、そこにはまた複雑な思いも私の中には交錯した…。

 そこに論究するには、私のコンデションが悪すぎる。
 今日の私は午前から「めだかの学校」関連に関わり、夕刻はそのまま新年会になだれ込み、この映画を冷静に論ずるにはコンディションが悪すぎる。
 明日、改めてこの映画を振り返りたいと思う。
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南極越冬隊員の話を聴く「南極クラス」

2017-01-15 19:35:17 | 講演・講義・フォーラム等
 動物園で南極越冬隊員の話が聴ける、という理由だけで円山動物園に赴いた。スピーカーが科学者でなかっただけに、専門的な話ではなく、素人から見た南極生活を面白可笑しく語ってくれた。 

               

 1月14日(土)午前、円山動物園で南極越冬隊員経験者の話が聴ける「南極クラス」という講座があると知り、出かけた。
 会場の円山動物園の動物科学館に入ると「南極熊の南極クラス」とスクリーン上に掲示されていた。

               
               ※ 会場となった円山動物園の「動物科学館」の入口です。

 この「南極クラス」という催しは、住宅メーカーのミサワホームが南極基地の建物施設を供給していることから、企業のCRS(社会貢献)活動の一環として行っている教育支援プログラムだそうだ。
 この日、講演(授業?)を担当したのは同社総合研究所の井熊英治という南極越冬経験のある方だった。その井熊氏の容貌が若干厳ついことから社内で「南極熊」と呼ばれているため「南極熊の南極クラス」という講座名になったようだ。(なお、実際には南極に熊は生息していないということだ)

               
               ※ 講師を務めた南極熊の異名をとる井熊英治氏です。

 井熊氏は全国の相当数の学校を中心とした講演活動を行っているようだ。口調は滑らか、用意されたパワーポイントもツボを押さえたもので、ユーモアに富みとても聞きやすかった。

 現在、南極には日本の基地が◇昭和基地◇みずほ基地◇あすか基地◇ドームふじ基地、の4つの基地があるそうだ。(みずほ、あすかの両基地は無人)
 そのうち井熊氏は主として昭和基地でのさまざまなエピソードを紹介してくれた。
 その内容は、極寒での南極生活の様子、ペンギンをはじめとした南極の生物、あるいは氷山のことなど、そのほとんどは私にとっては一度聞いたことのある内容だった。

 ユーモアのある井熊氏らしいお話の一つに、瞬間最大風速が60m/sを超える中に人がさらされるとこのようになる、と自身の実験結果を写真で示してくれた図は笑わせてくれた。

               
               ※ 極地の風速60m強にさらされた後の井熊氏の顔です。

 また、クイズ形式で「この形は何でしょうか?」という三択クイズの形で示されたが、答えは「雪の結晶」ということだったが、極寒の地だけに面白い形の結晶があるものだ。

               
               ※ これらの形の答えが…

                       

               

 そして最後に、2万年前に生成されたという南極の氷を小分けして参加者に配られた。雪が氷化した南極の氷には、たくさんの空気が封じ込められていて、氷に水をかけると二万年前の空気の泡がはじける音を聞くことができた。

               
               ※ 二万年前に生成された氷山から削り取られたという南極の氷です。

 「南極クラス」というちょっと変わった名称につられて受講した講座だったが、肩の凝らない楽しい講座だった。
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ブログ記念日 連続投稿9周年

2017-01-14 18:40:39 | 札幌生活
 今から9年前、2008年1月14日から私は連日投稿を自分に課した。以来今日まである事情から4日間だけ中断したが、それ以外は欠かさず投稿を続けた。自分ながら「よくやってきたなあ…」という思いである。その9年間を振り返ってみた。 

 私がブログデビューを果たしたのは2006年5月6日「可能な限り自己紹介を」というタイトル名で投稿したのが最初である。以来、1年目は月に10~15日前後の投稿だった。(この時期はまだ私の住まいは北見で、現職だった)
 2007年4月、退職して札幌に居を移し、少し余裕もできて投稿は月に20~25日となり、ほぼ毎日投稿する形になっていたのだが、それがある時「よ~し、連日投稿を心がけよう!」と思い立ったのが2008年1月14日だった。

 それ以来、何を差し置いても、特に話題がなくとも、ブログの投稿だけは続けた。内容は二の次、三の次で、ともかく欠かさず投稿をすることに私自身は意味を見出していた。
 連続投稿が危うくなるのは、飲み会が入った時である。酔いが回っていては文章作成もおぼつかない。そんなときは一度寝て酔いを醒まし、深夜に起き出して投稿したことも数え切れぬくらいあった。
 海外旅行に出かけた際も、現地から投稿を続けた。(これがIT音痴の私にはかなり高いハードルだったのだが…)

               
          ※ 私がブログに写真を掲載することができた最初は2007年4月23日付のコンサドーレ戦を観覧した札幌ドームでした。
 
 そんな中、唯一2009年11月13日から4日間、ブログ投稿を中断した。
 それは私が「めまい」の症状に悩まされた時期である。初めての症状だったのだが、歩くこともおぼつかないくらいで、眼を閉じて寝入るしかなかった。当時は第二の職場に勤めていたのだが、止むを得ず休みをもらった。職場を休んでいながらブログを投稿するわけにはいかない。涙を飲んで(?)ブログ投稿を中断した。

 それ以外は、雨が降ろうが、槍が降ろうが、ともかく投稿を続けた。
 先にも記したが、連続投稿することに意味を見出して…。
 ブログを通して交流させていただいている“夢逢人”という方も同じく連続投稿を心がけているという。その方がブログを発信する思いを次のように綴っている。

  私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
  あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
  何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。


 “夢逢人”さんのように私は自らの心の内を語るほどの力量はないが、自ら見たこと、学んだこと、体験したこと、等々に自分の思いを重ねて記すことにより、私の生きた証を記録したいと今日まで続けてきたような気がする。

 これまで触れたことはなかったが、実は私はブログを始めて以来、私のブログに対する「閲覧数(PV)」と「訪問者数(IP)」を残らず記録し続けている。
 昨日、妻も寝静まった深夜、 それらを紐解き9年間を振り返ってみた。
 先の数字の中でも、私が着目するのは「訪問者数(IP)」である。その時々、月間の平均訪問者数を計算し、記録していたのだが、昨夜は年間の平均訪問者数を割り出してみた。

 すると私のブログの場合は次のとおりである。

 2008年-113.4 pv
 2009年-198.0 pv
 2010年-258.4 pv
 2011年-370.6 pv
 2012年-330.3 pv
 2013年-374.5 pv
 2014年-402.5 pv
 2015年-349.4 pv
 2016年-400.4 pv


 訪問者数の推移をみると、2008年から2011年にかけては右肩上がりであるが、その後は凹凸を繰り返し、訪問者数を見るかぎり限界値かなぁ、と思っているところである。
 ちなみに月間平均では2014年2月が534.9 pvで最高である。
 また、最高訪問者数があった日は、2014年2月7日の923 pvである。翌日2月8日も912 pvを記録している。この時の投稿は両日にわたって「沢木耕太郎 流星ひとつ」の読後感を前後編で綴っている。

                    

 年、月、日ともに2014年が最高の数字を得ている。できれば、今年のこの記録を塗り替えたいなぁ、というのが私のささやかな思いである。

 連続投稿を自らに課すことは、ブログの話題作りのために見たり、聴いたり、体験するために出かけることも多いのが実態である。
 しかし、そのことが自宅に引きこもらず、身体を適度に刺激し、脳にも刺激を与えてくれていると信じ、これからも連続投稿を出来るかぎり続けたいと思った“ブログ記念日”の一日だった。

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今冬も子どもたちのお勉強のお手伝い

2017-01-13 20:42:08 | ボランティア
 昨年の冬、夏に続いて、今冬も子どもたちのお勉強のお手伝いをさせてもらった。市内某児童会館に集まる子どもたちの「学習タイム」(?)にお邪魔して、冬休みの勉強に取り組む子どもたちをちょっとだけお手伝いさせてもらった。 

 退職組織が昨年の冬から、長期休業中の一定期間、児童会館における「学習タイム」に子どもたちの学習を支援する活動に取り組んでいる。(昨年の投稿はこちら⇒
 今冬も、1月5日~16日までの6日間、会員の間で手分けして支援活動に取り組むことになった。私は自分のスケジュールと睨み合わせ、1月5日、10日、そして今日13日と3日間のお手伝いをした。

 時間は児童会館が設定している「学習タイム」である午前11時~11時45分までの45分間である。
 時間になると、それまで児童会館の各所で遊んだり、本を読んだりしていた子どもたちは所定の部屋に集まり、長机に分かれて座り、それぞれ学校の宿題や、問題集、あるいは塾の宿題などに取り組み始める。私たちはそれを背後から見守り、質問があったら答えたり、躓いている子へのアドバイスなどをするのが主たる活動である。

               
               ※ 学習に取り組む子どもたちの様子です。あっ、白髪の男性は私ではありませんよ。同じ日に指導にあたった先輩です。

 総じて子どもたちは学習に真面目に取り組んでいる。
 しかし3回目ともなると、いろいろ課題が見えてきたことも事実である。
 初めてだった昨年冬は、「みんな一生懸命取り組んでいるなぁ」、「かなり難しい問題にも取り組んでいるぞ」…、というように子どもの学習の様子を肯定的に見ていた。
 ところが、今冬はおしゃべりしている子や学習に取り組めていない子も目に付いた。

 何故だろう?と考えてみたときに、今冬の学習に参加している子のほとんどが一二年生を中心とした低学年の子が多いことに気付いた。
 どうやらまだ学習習慣がしっかりと形成されていないきらいがあったようだ。
 さりとて、強制的に学習に取り組むように指示することはできない。児童会館の職員が注意をするのだが、あまり効力はないようだった。私たちもなんとか学習に取り組むようにとアドバイスするのだが、子どもたちは教室と違い、どうしてもリラックスしてしまっている感じが否めなかった。

 中には懸命に取り組んでいる子もいるのだが、全体としてはやや集中力にかけていた感は否めなかった。このあたりを、児童会館にどのように伝え、改善を図っていくかが今後の課題かな?と思えた。

 いずれにしても、こうしたボランティアは、私たちだからこそ協力できる活動だと思っている。私たちの仲間を増やし、児童会館との連携を密にし、子どもにとって頼りになる、私たちにとってやりがいのある、教育支援活動に発展していかねばならないと感じた3日間だった。
 
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北見緑陵高校演劇部公演 in 札幌

2017-01-12 17:09:28 | ステージ & エンターテイメント
 「これは脚本の勝利だ!」…。演劇についてはズブの素人の私だが、その着想、構成、セリフのユーモア、等々…すべてが際立っているように思えた。さすがに今年度(昨年11月開催)道内高校演劇の最優秀賞を獲得した作品だと思った。 

                    

 1月12日(木)午後、かでるホールにて「札幌演劇シーン特別プログラム/かでる演劇フェスティバル」「北海道高校演劇Special Day」に今年度高校演劇の最優秀校の北見緑陵高校の演劇部が招待されたということのようだ。

 北見緑陵高校演劇部の作品は「学校でなにやってんの」という演目だった。
 ストーリーは、某高校において文系グラブである放送部がたった一人の部員で奮闘するさまを中心に描きながら、さまざまな文系クラブの喜怒哀楽をユーモアたっぷりに描いているものである。
 ポスターにも表現されている「キモくなければ何もできないんだぞ」という言葉に、ダサくてもいい、恰好悪くてもいい、自分が好きと信じるクラブで精いっぱい活躍してほしい!というメッセージが込められた作品だと私はとらえた。

 作品は演劇部の顧問である清野俊也先生の創作脚本だという。プログラムで清野先生は10年前に赴任した時、演劇はまるで素人だったそうだ。以来、相当に勉強されたのだろう。高校生の日常を観察し、高校生が演じやすい状況を設定し、高校生が生き生きと演じることができる作品に仕上がった、と言えるのではないか?
 昨年感動した札幌琴似工業高校定時制演劇部の作品も、やはり脚本の勝利だった。こう見てくると、高校演劇においては、いかに高校生が演じやすい脚本を創作できるかにかかっているようにも思えてくる。

 ただ、ちょっと残念に思ったのは、演ずる高校生たちの発声が十分に鍛えられていないと感じられたことだ。私はステージからそれほど離れていない席に陣取ったのだが、早口だったり、声が小さかったりで、セリフが十分には聞こえてこなかったのだ。
 私の耳にも問題があるのかもしれないが(老化ゆえ)、琴似高定時制の演劇部と比較してもセリフの不明瞭さが気になり、アンケートにもその点を指摘させてもらった。

 彼らは、今年8月に行われる全国高校総合文化祭に出場するということなので、さらなる精進を積み重ねてもらいたいと思った。
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