私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であり、
民間の中小業の会社を35年近く奮戦して,2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
私の半生は、何かと劣等感と屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・と思いながら
定年後は年金生活を始めた・・。
年金生活を始めて、まもなく偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。
この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、この日から4576日が過ぎている。
この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って、早や13年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
たとえば、9年前のこの日、2008年7月31日には、
『日本古来の伝統美、文庫新書を選べば・・♪』と題して、投稿している。
再掲載すれば、
【・・昨日、家内が駅前の歯科医院で治療を受ける為、私は駅前まで同行した。
駅前で本屋に立ち寄り、何か興味を惹かれる本はないかしら、
と本棚で色々な本の背文字を眺めたりしていた。
私は外出の際は、セカンド・バックを持ち歩き、財布、ハンカチ、煙草、ライター、携帯灰皿、
そして今の時節は扇子、サングラスを持ち歩いている。
そして、本屋で魅了されなく本が買えなくなった時の為、
今読んでいる持ち歩きやすい文庫本の一冊は携えている。
本屋の店内で30分前後探した結果、2冊の文庫新書となった。
一冊は宮元健次・著の『日本の美意識』(光文社新書)であり、私としては、未知な著作者であったが、
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334034450
《・・日本人の根本的な美意識である「優美」とは何か。
「幽玄」あるいは「侘び・さび」「きれい」「かわいい」とは、いったいどんな美意識なのか。・・》
このように、まえがきとして書かれていたので、
日頃の私は中年女性のしぐさ、言葉に魅了されているが、
私にとっては、人生の命題のひとつ課題でなので購入したのである。
そして後書は、竹田恒泰・著の『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)であった。
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69711-6
表紙のすぐ裏に、
《・・現存する世界最古の国家、日本。
その歴史はすなわち天皇の歴史でもある。
本書では、神話の時代から平成の皇室まで脈々と受け継がれる壮大な流れを、
朝廷の立場から概観。・・》
著作者は明治天皇の玄孫のお方であり、朝廷の立場から、日本史を教示を受けようとし、
購入に思い立ったのである。
偶然に、日本の古来の伝統美の文庫新書の二冊になったので、私は微苦笑している。
そして、私が持参している本は、
塩野七生・著の『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)である。
http://www.shinchosha.co.jp/book/118131/
最後の章に、著作者と文芸評論家の三浦雅士と対談が掲載されて折、
三浦雅士氏は、塩野文学を小林秀雄のような・・と鋭い指摘があり、
私も何となく感じてはいたが、つたない知識しか持ち合わせていないので、
無念ながら明言出来なかったのである。
この対談は、中味が高質で色濃く、まるでシルクに触れるような感触であると明記したい。
文芸創作活動をなされる方に必読されるとよい、
と余計なことを思ったりしている。・・】
このようにあの当時も、恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは5年半近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
そして私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
ここ6年近く、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くのお方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
たまたま今朝、私の【gooブログ】に於いて、
私のブログに来て下さった累計『訪問者数(IP)は1、500,410』と表示され、
訪問者数(IP)は150万が超えたのか、と微苦笑したりした・・。
もとより人気のあるブログは、ウサギのように素早く短期に達成され、通過されているが、
つたない半生を歩んできた私に相応(ふさわ)しく、恥ずかしながらカメのようにゆっくりと達成できた為、
何とかねぇ・・と微苦笑を重ねたりした。
こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ8年近く殆どの御方が、心ある写真を添付されたりしてきた。
そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。
特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。
過ぎし2012年(平成24年)の秋、この当時の私は、ブログ上で写真を掲載する技巧がなかったが、
今覚えなくては、いつおぼえるのょ、自身を叱咤激励して、
『文化の日』の翌日の4日から、私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。
私は特に数多くの50代以上の数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその御方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い重ねながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。
こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。
こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。
或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。
このように私は、感じ深めていることは、この広い空の下で、未知のそれぞれの御方に投稿文、
或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
私にとっては心の宝物、と改めて感謝を重ねている。
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