夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

風邪の伴い、年金生活12年半の中、初めて昨日の一日は、布団の中で過ごして・・。

2017-03-31 09:25:10 | ささやかな古稀からの思い
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は72歳の私と67歳の家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後39年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの厚生年金を頂きながら、程ほど貯金を崩しながら、ささやかに過ごしている。

過ぎし2004年(平成16年)の秋に私は定年退職し、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
そして何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された定年退職後の人生は、年金生活をしながら、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした。

そして年金生活を始めた時は、少しは不安があったりしたが、定年退職するまでは何かと苦節が多かった為か、
予測した以上に年金生活は安楽な日々を過ごし、早や12年半が過ぎている。

こうした中で、歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、人生は気合だ、と時折つぶやきながら、年金生活を過ごしている。

或いは風邪気味の時は、病院などに行かず、市販の薬も敬遠して、
早めに布団にもぐり、本を読み、そして睡眠時間を多めにして、克服したりしてきた。
             

一昨日の29日、私は家内から依頼された買物をする前に、散策した。
近くにある桜並木の多彩な桜花が、どのくらいになったの、と気になり、
花曇りの中、向かった。

あいにくと陽射しはなく、桜花は一分咲きであり、私は落胆したりし、
やもえず帰路は少し遠う廻りして、少し運動不足だったので、足早に歩いたり、ときには大股で歩き、帰宅した。

やがて少し汗ばんだりしていたが、買物メール老ボーイの私は最寄スーパーに行き、
依頼された品に漏れがないよなぁ、と店内の空(す)いている処で確認し、やがて帰宅した。


やがて午後はブログの投稿文を書いたり、本を読んだしている中、何かしら寒気を感じて、
フリースを着たりした。

そして夕食はいつもように家内と共に頂いた後、
『風邪気味だから、早く寝るょ』と私は家内に言ったりした後、
『やはり風邪よ・・私がいつものんでいる薬・・効果があるわょ』と家内は市販の薬を手渡した。

そして私はいつもよりも風邪気味の状態が酷く感じて、市販の薬をのんだ後、
午後8時、寝室に行き、布団にもぐって本を読み始めたが、まもなく眠くなり、寝付いた。
             

やがて目覚めたは朝6時半すぎで、10時間も寝たかょ、我ながら微苦笑した。

まもなく家内と朝食を食べ始める前。
『熱がありそうだわょ・・』と家内は体温計を私に手渡し、私は測定した。

やがて不馴れな体温計を取り出し、視れば37・5度だったので、
『病院で診察を受けて、お薬服用すれば・・数日で治るわょ・・』
と家内は私に言ったりした。

そして最寄の内科専門医院に向かう途中、確か私の平熱は36・5度と記憶しているが、
やはり37・5度だったら、熱っぽくだるいのなぁ、と独り苦笑をした。

まもなく内科専門医院で受付を終えると、受付嬢から最新型の体温計を私に手渡して下さり、
そして私は測定した後、37・7度だったので、
我が家のは30数年前に買い求めた体温計であり、多少差異があっても、と苦笑した。

やがて担当医師より診察を受け、近くにある付属薬局店で、薬を頂いた。

☆細菌の感染を抑える薬。
☆炎症を抑える薬。
☆咳を鎮める薬。
☆痰を出やすくする薬。
☆痛みや発熱を抑える薬。

こうした調剤された薬を頂き、うつろな状態で私は帰宅した。
             

やがて家内は薬を確認したりした。

そして私は『熱っぽく・・だるいし・・今日は布団の中で過ごすょ・・』
と家内に言ったりした。

そして私は2階の和室の寝室で、本を読んだり、
風邪薬は眠り薬のように私は感じて、眠れる老ボーイかょ、と独り微苦笑をしたりした。

結局、昨日の私は一階にある居間で昼食、夕食、そしてトイレに行った以外は、
95%は2階の寝室で、布団の中で過ごし、年金生活12年半の中、初めての出来事であった。
             

或いは3月30日は私たち夫婦の結婚記念日であったが、
私は熱っぽく・・だるいし・パジャマ姿だし・・後日に外出した時に食事処で・・
と私は家内に詫びたりした。

余談であるが、ブログの投稿はパソコンの故障、国内旅行以外は、毎日投稿してきたが、
年金生活12年半の中、初めて途切れてしまった、と独り微苦笑をしたりした。

コメント欄は風邪の為、数日は閉鎖します。

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突然の脳梗塞・・迷わず救急車を呼ぶべき「5つの症状」、高齢者の私は多々教示され、これからの光明を頂き・・。

2017-03-29 15:01:10 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しいるネットの【日刊ゲンダイ デジタル】を見たりした中で、
【 突然の脳梗塞・・迷わず救急車を呼ぶべき「5つの症状」 】と題された見出しを見た。

私はここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。

そして私は脳梗塞も怖いなぁ、と思いながら、確か2年前の遅ればせながら学んだことは、
脳梗塞は脳卒中の1つで、頭の中の血管が詰まることにより生じる疾患。

脳卒中の中には他に、血管が切れることによって生じる脳出血、
脳動脈瘤という血管の“コブ”が破れて生じるくも膜下出血がある。

そして厚生労働省の人口動態統計2014年よると、脳卒中は日本人死亡原因の第4位で、
年間およそ11.4万人の方が脳梗塞が原因で死亡している。

このようなことを学び、今回の【突然の脳梗塞・・迷わず救急車を呼ぶべき「5つの症状」】も真摯に学びたく、
精読した。

この記事は、【日刊ゲンダイ デジタル】で2016年12月21日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
             

《・・5つの「ちょっとした異変」があれば、迷わず救急車を呼ぶべきだ。
最悪の事態になりかねない。

「びびっと気づいて対応するか、『何かおかしいな』程度に考えて放置するかで、その後の運命は大きく変わります」
こう言うのは、東京慈恵会医科大学神経内科の井口保之教授。
脳梗塞治療のエキスパートだ。

脳梗塞は、突然起こる5つの症状が、見極めの決め手になる。

ところが、井口教授によれば、「見落とされることが、非常に多い」という。
ドーンとくる重い症状であれば、慌てて救急車を呼ぶだろうが、軽い症状のケースが、珍しくないからだ。
しかも、一過性脳虚血発作といって、数分から1時間以内で、症状が消えてしまうケースもあるから厄介だ。

井口教授らの調査では、どんなに軽い症状であっても「びびっと気づいた」人は、76%が2時間以内に来院。
一方、症状には気づいていても、重大視しなかった人は、半数以上がすぐに病院に来ていなかった。

これがどういう結果を招くのか。

「早期に来院すれば、『血栓溶解療法』という内科的治療が可能になるのです」
             

血栓溶解療法とは、「t-PA」(アルテプラーゼ)という血栓を溶かす薬剤を注射で投与する。
脳梗塞は、脳へいく血管が血栓(血液の塊)で詰まって血流が滞り、その先の脳細胞が壊死する病気だ。

当然のことながら、治療までの時間が長くなるほど、壊死する脳細胞は増え、脳の損傷が拡大する。
早い段階で、血栓溶解療法を受けて、血流が再開通すれば、“被害”は最小限に食い止められる。

「t-PA(アルテプラーゼ)を受けた100人の調査では、39人が3カ月後に自立でき、
プラセボ(t-PAを受けられなかった)群は、26人しか自立できませんでした。

100人単位で見ると、小さな差と思うかもしれませんが、母体を大きくすると有意差がはっきりとわかります」

脳梗塞は、約4割の患者は、発症前と同程度まで回復し、
一方で6割は、後遺症が残ったり、死亡したりするといわれている。

さらに、後遺症・死亡例のうち、何らかの後遺症が残る人が20%、
補助なしの社会生活が困難なほどの後遺症の人が23%、死亡者が17%。

どれに属するか? に大きくかかわっているのが、軽い症状にも「びびっと気づき」「早期に来院」することなのだ。
             

井口教授が注意を促す5つの症状は次の通り。

①片方の腕や脚にマヒ、しびれが起こる。マヒは「動かしたくても動かない」、しびれは「ジンジンしたしびれ」

②ろれつが回らない、言葉が出てこない、他人の言うことを理解できない

③片方の目が見えない、視野の半分が欠ける、ものが二重に見える

④立てない、歩けない、ふらふらする

⑤経験したことがない激しい頭痛


⑤は、くも膜下出血の症状で激烈なので、誰でも危険を感じるだろう。
しかし、①~④も突然起こったら、たとえ軽くても、迷わず救急車を呼ぶ。
             

☆高齢者の場合「認知症と誤解」

高齢者の場合、「認知症の表れ」と本人も家族も思いがち。
たとえ認知症の症状だったとしても、それは検査を受けたからこそ、わかることであって、
MRIなどのチェックは不可欠だ。

「私の調査では、病院に入院した脳梗塞急性期の患者で、
血栓溶解療法を受けることができる割合は、全体の5%程度。

5つの症状にびびっと気づく人が増えれば、急性期治療を受けることができる患者の割合は、もっと増えるでしょう」

症状から脳梗塞を疑った時、救急車を呼ぶのに遠慮はいらない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は72歳の私と67歳の家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後39年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの厚生年金を頂きながら、程ほど貯金を崩しながら、ささやかに過ごしている。

過ぎし2004年(平成16年)の秋に私は定年退職し、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
そして何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された定年退職後の人生は、年金生活をしながら、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした。

そして年金生活を始めた時は、少しは不安があったりしたが、定年退職するまでは何かと苦節が多かった為か、
予測した以上に年金生活は安楽な日々を過ごし、早や12年半が過ぎている。
             

私は定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。

そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。

やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、  
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
             

こうした中で、私は2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。

私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。

このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

この間、私は最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。

こうしたこと以外は私たち夫婦は幸いに大病に遭遇することなく、過ごしてきた。
             

昨今、日本人の平均寿命は、1956年(昭和31年)の当時は、男性が63.59歳、女性が67.54歳であったが、
その後、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する期間でもある。

私は何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
             
こうした根底として、いつの日にか糖尿病の再発、或いは認知症、脳梗塞などの難病に遭遇したら、
もとより困窮するので、歩くことが多くなっている・・。

そして平素の買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
             

今回の脳梗塞に関して、脳梗塞の前触れの『5つの症状』を学び、
こうした表情が出たら、迷わずにいち早く救急車に乗車する。

そして病院で『血栓溶解療法』という内科的治療などを処置して下されれば、
脳梗塞は、約4割の患者は、発症前と同程度まで回復し、
一方で6割は、後遺症が残ったり、死亡したりするといわれている。

さらに、後遺症・死亡例のうち、何らかの後遺症が残る人が20%、
補助なしの社会生活が困難なほどの後遺症の人が23%、死亡者が17%。

このように多々私は学び、いかに脳梗塞の前触れの『5つの症状』が重要かを学び、
これからの私たち夫婦が過ごす中で、『5つの症状』を察知したならば、素早く対処すれば、
脳梗塞の約4割の患者は、発症前と同程度まで回復すると学び、私は光明を感じたりした。

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安倍昭恵に姑・洋子さんが大激怒「ケジメとってもらいます」、無力な私でも学び、瞬時に賛意して、微苦笑を重ねて・・。

2017-03-28 12:17:47 | ささやかな古稀からの思い
先程、ネットでニュースを見ている中で、
【安倍昭恵に姑・洋子さんが大激怒「ケジメとってもらいます」】と見出しを見て、
やはり安倍首相の母上様の安倍洋子さんは、いたたまれず、お嫁ちゃんの安倍昭恵さんに、
遅ればせながら大激怒されたか、と年金生活の無力な私でも、微苦笑してしまった・・。

この記事は、光文社が発行する週刊誌の『女性自身』が報じ、ネットには3月28日に配信され、
無断ながら転載させて頂く。

《・・「3月上旬、安倍首相の母・洋子さんが、2階で暮らす昭恵夫人を3階に呼び出したそうです。
そこで『首相夫人という立場にいながら、得体のしれない人物には、もう会わないように・・』と、
面と向かって厳しく叱咤したと聞いています」(政治部記者)
             

安倍晋三首相(62歳)の私邸で再燃した嫁姑バトル。
姑の洋子さん(88歳)が危機感を募らせたのは、森友学園の国有地払い下げ問題で自分ばかりか、
夫まで窮地に追い込まれる局面を作った、昭恵夫人(54歳)の“言動”だった。

2月9日に国有地が格安で森友学園に払い下げられた件が、報道されたことに端を発し、
建設予定だった小学校の名誉校長に昭恵夫人が就任している(のちに辞任)など
学園と夫人の“近しい関係”が次々と明るみになった。

前出・政治部記者はこう語る。
「23日に行われた学園の前理事長、籠池泰典氏(64歳)の証人喚問で、昭恵夫人の“疑惑”がさらに強まった。
問題の国有地の定期借地契約の期限を探るため、
昭恵夫人付きの職員が財務省に“働きかけ”をしたファクスの存在まで明るみになりました。
それに加えて、昭恵夫人を通じて安倍首相から100万円の寄附金を受け取ったとも証言したのです」

森友学園問題の“主役”として昭恵夫人がクローズアップされ、洋子さんが怖れていた事態が、現実になりつつある。
             

洋子さんは故・岸信介元首相の長女。
安倍首相の父で元外相の故・晋太郎氏と結婚し、夫が亡くなった後も、長男一家と次男・晋三夫妻と同じ邸宅に住んでいる。
安倍家に隠然たる力を持つ彼女のを、政界関係者は“ゴッドマザー”と呼ぶ。

「洋子さんは、以前から昭恵さんの自由奔放な振る舞いが気になっていたようです。
首相に返り咲いた2012年からは、特にその思いを強くしていたようで・・」
と語るのは政府関係者。

それでも洋子さんは、直接文句をつけることは避けて、
古くからのスタッフを通じて、次のような苦言を昭恵夫人に伝えたという。

「首相が公務を終えて帰宅するまでに、帰宅すること。
彼女が経営する居酒屋で、酒を飲まないこと。
最低限の家事をすること。

山口にたびたび帰って、選挙の手伝いなど地元周りをマメにすることなどでした。
しかし山口に帰ること以外は、ほとんど守られなかったそうです」

昭恵夫人は、東京・神田で2012年から経営する居酒屋『UZU』で“人脈作り”に励んできたという。

安倍首相が帰宅しても、彼女が不在のことも多かったそう。

政治部記者が言う。
「そんなとき首相は、3階の洋子さんのところに行って、
母の晩酌に付き合いながら、DVDを観て過ごすこともあるようです。

いまはお手伝いさんが作ることが、多いそうなんですが、
朝食も洋子さんが、用意することがあるとか。
私邸では自然と、母子2人で過ごすことが多くなるようです」(前出・政府関係者)

洋子さんは折に触れ注意していたようだが、昭恵夫人も頑として言うことを聞かなかったという。
そんな昭恵夫人に、洋子さんもさじを投げた状態が続いていた。
             

しかし森友学園問題は日に日に大きくなり、行方によっては、
安倍首相の政治生命にも影響を及ぼしかねない。

思いつめた洋子さんが、ついに面罵したのが冒頭のシーンだった。

その続きには、こんな決定的な言葉が昭恵夫人に投げかけられていたという。
「『あなたの不知な行動で、どれほど首相が苦しんでいると思っていますか』
と昭恵夫人に話し聞かせたそうです。

そして『政治家・安倍晋三にもしものことがあったら、しっかりケジメをとってもらいますからね』
と付け加えたとも聞いています」(前出・政府関係者)

このときは、さすがの昭恵夫人も反論することもなく、黙って洋子さんの話を聞いていたという。

内閣支持率も目に見えて低下。
昭恵夫人だけではなく、危機はついに安倍首相も追い込みつつある。
洋子さんの懸念どおり、夫妻が“ケジメ”をつける日が来るかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は日頃から読売新聞を読んだり、総合月刊雑誌『文藝春秋』を愛読したりし、
或いはネットで多彩なニュースを読んだり、
ときには岸信介元首相の関連の本も購読してきたひとりである。

こうした関係で書物から故・岸信介元首相、安倍晋太郎氏、安倍洋子氏、
そして現在では、安倍晋三首相、安倍昭恵首相夫人を少し学んだりしてきた。

昨今の森友学園問題がマスコミは日増しに盛んに取り上げて、まるで『大人のおもちゃ』のように話題となり、
政治にも疎(うと)い私でも、いたたまれず26日に於いて、
『森友学園問題、園児でも解るようなことで、マスコミ界は『大人のおもちゃ』にしたことも罪は深い。』
と題してブログの投稿文とした。

つたない私が書いた目的は、日本にとっては国内、国外に難題が山積しているので、
国会で園児でも判るような森友学園問題に時間を割くは、時間の浪費であり、
マスコミも国内、国外に難題が山積している課題に、国民に判るように提示する記事、そして解決案を提示するのが、
公器たる使命である、と思いであった。
             

そして安倍昭恵首相夫人に関しては、森友学園の籠池泰典理事長が、小学校を経営しょうとする無理難題の野望から発生し、
籠池泰典理事長は、力学の嗅覚に鋭い御方であり、安倍昭恵首相夫人は利用されたことである。

こうしたことも判らず、いつまでも森永製菓のお嬢様のような言動にはあきれるが、
まして国家の重責ある安倍首相を困惑させたり、国会で窮地になったり、
何よりも首相の奥様は、ご威光がある言動には自覚を問いたい。

そして私は、今回の安倍昭恵首相夫人の森友学園問題に関しての処罰として、
自主的に当面として、座敷牢ならぬ外出禁止か、
或いは高尾山にある琵琶滝で、白装束で滝に打たれて反省し、首相の奥様として成長してほしい。

このように私は思ってきたので、今回の記事、
安倍首相の母上様の安倍洋子さんは、いたたまれず、お嫁ちゃんの安倍昭恵さんに、
遅ればせながら大激怒されたか、と年金生活の無力な私でも、微苦笑してしまったのである・・。

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若い女性の一部が「昭和酒場」に行く理由、年金生活の私は初めて学び、やがて無力ながら同情を深め・・。

2017-03-27 16:05:56 | ささやかな古稀からの思い
先程、ネットでニュース記事を見たりしている中、
【 安さだけじゃない・・若い女性が「昭和酒場」にハマるワケ 】 
と見出しを見たりした・・。

どのようなことなのょ、と年金生活を始めて13年生の私は、社会にも疎(うと)くなってきたが、
好奇心ばかり強く、こっそりと読んでしまった・・。

この記事は【日刊ゲンダイDIGITAL 】が3月26日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・安さだけじゃない・・若い女性が「昭和酒場」にハマるワケ
             

店の軒先の赤提灯が風情たっぷりで、座布団を敷いたビールケースが、イス代わり。
焼き鳥や串カツ、煮込みにビールを飲んで、1人2000円ほど。
「昭和」な雰囲気の酒場に、若い女性が吸い寄せられている。

東京なら、恵比寿横丁、吉祥寺のハーモニカ横丁、下北沢の鈴なり横丁、有楽町のぶんか横丁など、
昭和酒場が軒を連ねる横丁系はもちろん、新宿ゴールデン街にも20代女性客がズラリ。

都内各地の酒場で流しとしても活動するミュージシャンのさとうさおりさんはこう話す。
「20~30代の女性同士、男性同士で訪れたお客さんが、
隣り合わせになったことで、仲良くなるシーンはよく見かけます。

流しで歌うと、その曲をきっかけに『これ好きなんですよ』
『次はどの曲をリクエストしようか?』などと初対面同士で盛り上がることもある。
隣のおじさんと懐メロをキッカケに、意気投合する若い女性グループもいます」

なぜ昭和酒場は、若い女性を引きつけるのか。
             

恋愛作家のにらさわあきこ氏が言う。
「オシャレな店に行き尽くした女性が、昭和酒場に入ってみたら、
意外と馴染んだというのが、よくあるパターン。

人気の理由のひとつは、隣り合った年上の男性たちに、おごってもらえる確率が高いこと。
自腹でも、そもそも安いので安心です」

精神的な気楽さも重要なポイントだという。

「今は人との交流は、LINEなどSNSでのつながりが主流で、
同じ属性の人同士で、交流する傾向が強い。

その結果、細かい違いに注意したり、空気を読むことが求められたりして、本音を出しにくい。
出会い目的の場所でも、自分がどう見られているか意識するので、
今の女性は多少なりとも演じながら、生きている部分があるのです。

でも、昭和酒場なら、世代やタイプが異なる人が交流していて、自分をつくる必要がなくて楽なんです」
             

若い女性だって気楽に飲みたいのだ。

「おじさんたちが多く、若い女性というだけで価値が高く、
チヤホヤされて、かまってもらえるのも、うれしいのです」(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は現役サラリーマン時代、昭和が終わる1989年頃までは、
職場の仲良しグループで、おしゃれな居酒屋から、今回の「昭和酒場」まで、
積極的に行ったりしたひとりである。

そして気楽に私生活のことまで、お互いに微苦笑しながら、談笑したりしていた。
たとえば、私の場合は、未だに黒電話だょ・・、と私は言ったりして、同席たちの笑いを誘ったりしていた。

やがて50歳を過ぎた頃からは、会社の懇親会は相変わらず無欠勤であったが、
同世代の男性と食事処で、ゆっくりと料理を頂き、ワインなどを飲みながら談笑することが多かった。

或いは私独りで、自宅の最寄駅の近くにある居酒屋に立ち寄り、
数品を食べながら、純米酒の辛口を4合ばかり飲む中、かすりを召した仲居さんに、
からかわれたりしていた。

やがて勤めていた会社がリストラ烈風となり、やがて私も出向となり遠方の勤務先に通勤した関係で、
居酒屋などに通える時間もなくなった。

定年後は多々の理由で年金生活を始めた私は、
会社時代の懇親会は都心のホテルのような処が多かったり、
或いは知人、友人とは、駅前によくある大型チェーンの居酒屋で、交流を重ねたりしてきた。

こうした関係で、平成になってからは、私は「昭和酒場」の状況は無知となり、
今回の記事を読み終わった後、「昭和酒場」の余りにも変貌に、浦島太郎の心情だ、と微苦笑したりした。
             

しかしながら、昨今の若き女性は、《・・今は人との交流は、LINEなどSNSでのつながりが主流で、
同じ属性の人同士で、交流する傾向が強い。

その結果、細かい違いに注意したり、空気を読むことが求められたりして、本音を出しにくい。
出会い目的の場所でも、自分がどう見られているか意識するので、
今の女性は多少なりとも演じながら、生きている部分があるのです。・・》

こうしたことを教示されたりした。

ここ10数年は、民間会社は短期に成果が問われる時代の中、常時リストラともいわれたりして過酷な時代になり、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割の中、もとより女性も奮戦している。

そして私は確か4年前、上野千鶴子さんの著作『女たちのサバイバル作戦』(文春新書、2013年)を購読して、
ここ40数年の女性の就職、勤務の実態の苦悩、昨今の状況を多々学んだりした。
             

今回、改めて若き女性にしても、職場で人一倍に気配りをしたり、たえず情報で追いまくられたり、職責を果たしているので
疲れ果てて、ほっと気を抜ける処・・たとえぱ今回の「昭和酒場」・・こうして私は解釈して、
何かと若き女性も大変だょねえ、と無力ながら同情を深めたりした。

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森友学園問題、園児でも解るようなことで、マスコミ界は『大人のおもちゃ』にしたことも罪は深い。

2017-03-26 14:20:59 | ささやかな古稀からの思い
過ぎ日、森友学園の小学校用地の国有地が、評価額を8億円余も下回る価格で学園に売却されたことに、
驚きながら、こんなことってありえるのか、と政治・社会に疎(うと)い私でも驚いた。

この後の数日、新聞を読んだり、テレビのニュースを視聴した私は、
森友学園問題は園児でも解ることだよなぁ、と微苦笑したりした。

何かしら森友学園の籠池泰典理事長が、小学校を経営しょうとする無理難題の野望から発生したことである。
ただ籠池泰典理事長は、力学の嗅覚に鋭い御方である、と私は感じた。

安倍首相の奥様である安倍昭恵氏は、問題の小学校のホームページに名誉校長として高く評価する挨拶文が掲載されたり、
或いは2014年12月と2015年9月には、学園の運営する幼稚園で講演し、政府職員も同行させている。

こうした事は、江戸時代の水戸黄門さまの印籠のご威光よりも大きく、、
もとより現世の時の総理大臣のご威光は遥かに大きく、この奥様である安倍昭恵氏を籠池泰典理事長が活用された。
             

そして各関連先に認可申請を巡る資料は、異例ながら迅速に処理された・・。

もとより各関連先の担当者、そして責任者は、一時的にしても背景として、安倍昭恵氏の氏名があったことを注視して、
迅速に処理すれば、安倍昭恵氏の好感も良く、やがて総理大臣の覚えもよかろう、と行動された、
民間企業のサラリーマンを長らく体験した私でも、このように察知した。

そして小学校用地の国有地が評価額を8億円余も下回る価格で、学園に売却されたことについて、
財務省などは、国有地内のゴミ撤去費用を差し引いたと説明する。

現地調査を踏まえ、公共事業に使用される積算基準に基づき、
ゴミの処分量と作業単価から国交省大阪航空局が算出し、
膨大な廃棄物が埋まった土地である以上、売却価格の減額は正当である、と報じられてきた。

こうした中で、学校法人「森友学園」が大阪府に提出した、豊中市に建設中の小学校の設置認可申請を巡る資料に、
事実と異なる点が次々と発覚した。

たとえば校舎などの建築費に関し、国土交通省への補助金申請書類と異なる金額を記載した契約書が含まれたり、
大阪府には「7億5600万円」、国交省には「23億8400万円」と報告していた。
別の金額の契約書も、大阪空港の運営会社に提出された。

学園側は、建築費の増額分を見込んで申請したというが、
より多くの補助金を受け取るために虚偽の契約書を提出したことは、
籠池泰典理事長の底知れぬ思惑にあった、と私は感じられた。
             

私は籠池泰典理事長は、稀代の力学を悪用した御方で、まして学園理事長の教育者としての資質はなく、
社会を騒がせた罪は重く、マスコミも乗じて、やがて国会で国内、国際難題の審議を停滞させた罪は重い。
こうしたことで、後日、処罰が下されると私は感じたりしている。

そして籠池泰典理事長に活用されたのは、安倍昭恵氏であるが、主人の国家の重責ある安倍首相を困惑させたり、
いつまでも森永製菓のお嬢様のような言動にはあきれるが、
何よりも首相の奥様は、ご威光があり言動には自覚を問いたい。

私は今回の安倍昭恵氏の森友学園問題に関して、自主的に当面として、座敷牢ならぬ外出禁止か、
或いは高尾山にある琵琶滝で、白装束で滝に打たれて反省し、首相の奥様として成長してほしい。

今回、私は何よりも憂いたのは、新聞、テレビ・ニュース、週刊誌などマスコミが、
森友学園問題に関して、『大人のおもちゃ』に報じてきたことである。
             

公器であるマスコミは、安易な森友学園問題より、国内、国際難題が山積していることに、
国民に分かりやすく提示、そして解決する案を報道することが責務と私は思ったりしている。

このように私は、ここ数週間、園児でも解るようなことの森友学園問題に、微苦笑を重ねて、
2週間前の頃から投稿文を思案したが、政治関連には投稿しても底が抜けた盥(たらい)のように体験もあり、
むなしさもあり、筆力もなく、あえて避けてきた。

今回、私としては憂いためらいながら、投稿した次第である。

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「腰のだるさ・しびれ」は、歩行困難の予兆かもしれない、ギックリ腰で3度も入院した私は、真摯に学び・・。

2017-03-25 15:19:29 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていたら、
【 「腰のだるさ・しびれ」は歩行困難の予兆かもしれない 】と見出しを見た・・。

私は年金生活13年生であるが、過ぎし40代の時に、ギックリ腰で自宅で動けなくなり、
恥ずかしながら救急車に乗せられて、病院に入院を3度も体験してきた身であり、
何かと腰に関して、気になるので、こっそりと真摯に精読してしまった。

この記事は、【ダイヤモンド・オンライン】の中で、『耳より健康トレンド』と称せられた連載があり、
今回の記事は、第63回として、ライター・工藤 渉さんの寄稿文であり、
3月25日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・「腰のだるさ・しびれ」は歩行困難の予兆かもしれない
             

少しの距離でも歩きづらく、ベンチで休憩を取りながら過ごしていませんか?

腰部脊柱管狭窄症をご存じだろうか?

「ようぶ・せきちゅうかん・きょうさくしょう」と読むこの病気、
字面から腰のあたりの脊柱管が狭くなっているのだろうと想像はつくものの、

脊柱管とは何か?それが狭くなると何が良くないのか?わからない人も多いだろう。

実際に腰部脊柱管狭窄症と診断を受けている人は約65万人だが、推定患者数は240万人ともいわれる。

患者数が多く、メディアでもよく取り上げられるわりに、認知度が低く思えるのは、
病名の読みにくさもあるだろうが、後述のように痛みを伴わない場合もある症状や、
患者が高年齢層に集中していることも関係するのかもしれない。
             

☆腰痛がないケースも多く 治療開始が遅れることも

この病気の代表的な症状のひとつが「長い距離を続けて歩くことができない」ことで、
その結果、歩行と休息を繰り返さざるをえない「間歇性跛行」(かんけつせい・はこう)が見られる。

腰痛はあまり強くなく、ほとんど感じない人もいる。
安静にしている際には症状がないが、背筋を伸ばして立ったり歩いたりすると、
ももや膝から下にしびれやだるさ、痛みが出て歩きづらくなる。

この場合、前かがみになったり、腰かけたりすると症状は軽減される。
高齢者に前かがみで歩く人が見受けられるが、この病気で苦しんでいる場合も多いはずだ。

腰部の病気の症状といえば「腰痛」をまず思い浮かべるが、
腰部脊柱管狭窄症では先述のように腰痛が軽いか、感じない場合も珍しくない。

その他の症状も、姿勢を変えたり腰かければ、ラクになる。
よって多くの人が病院に行かず、以前より歩けなくなったのは
「年齢のせいだ」「運動不足のせいだ」で片付けてしまうのが、診断を受けていない患者が多い理由のひとつだろう。
             

☆脊柱管は加齢により誰でも狭くなる 中高年は要注意

脊柱管は背骨などの組織に囲まれた管状の空間、いわば脊髄の神経が通るトンネルだ。
年齢を重ねると背骨が変形したり、椎間板がふくらんだりと、さまざまな要因で脊柱管が狭くなってしまう。
その結果、管内の神経や伴走する血管が圧迫を受けやすくなり、しびれや痛みが生じるのだ。

組織を変形させる要因としては、加齢の他に、労働や運動などが考えられる。
個人差はあるものの、腰に負担をかける労働や運動を長年続けてきた人は、リスクが高まるわけだ。
実際、中高年になってから発症することが多い。

脊柱管は加齢により、誰でも確実に狭くなっていくので、自覚症状がない人も、一年後のことは分からない。
いまは関心がない若い人も、いずれは直面することになるかもしれない。

予防法はふだんの生活の中で、腰に負担をかける運動や姿勢を避け、進行を遅くすることくらいである。
             

☆手術以外にも 有効な治療法は多い

多くの人はしびれや痛み、歩行困難がひどくなってから、病院を訪れる。
腰部脊柱管狭窄症か否かは、問診や画像検査で比較的容易に判断可能だ。

検査の結果、重症だと判断されなかった場合には、
理学療法や運動療法を受ける、コルセットをつける、神経ブロックを受ける、
脊髄の神経の血行を良くする薬を服用するなど、手術をしない保存療法が進められる。

歩行障害がひどく日常生活が困難な場合には、手術も大きな選択肢である。
腰部脊柱管狭窄症の手術は、簡単にいえば神経を圧迫している骨などを取り除き、
神経への圧迫をなくすことだ。

ただし複数の腰椎にまたがって狭窄があると手術も複雑になるし、
圧迫を除去しても、神経の働きが元に戻らず、しびれなどの症状が残る場合もある。

直接、生命に関わる病気ではないが、腰に不快感をかかえ歩行が困難という状況は、
生活の質を著しく低下させる。
足でかせぐ仕事に就いているのなら死活問題だ。

長い距離を歩けなくなった、腰や足に原因不明の痛みやしびれがある、
よくつまづくようになったという場合、
加齢や運動不足のせいで済ますより、整形外科を訪れたほうがいいかもしれない。

他のほとんどの病気と同様に、治療を始めるのは早ければ早いほどいいのだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は、過ぎし40代の時に、酷い腰痛で救急車に三回も、お世話になったり、入院生活も三度も体験した。

この時、担当医師に腰痛の原因を訊(き)いても明解な回答も得ず、
ただ医師より、休みの日には、よく歩いて下さい、と助言を受けて、
この後、私は忠実に守り、自宅付近にある遊歩道、小公園を歩いたりしている。
       
やがて定年退職後の年金生活に於いては、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
             

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか腰痛の再発、或いは認知症、脳梗塞などの難病に遭遇したら、
もとより困窮するので、歩くことが多くなっている・・。
                            
こうした中で、雨が降ったりする日は、畳にころがったり、居間にあるソファに座ったりして、
長らく本を読んだりした後、何となく腰のだるさを感じてしまう。

やがて翌日は、人生は気合だ、と自身を心の中で叱咤激励して、遊歩道を歩いたりしている。
             

そして何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。


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あなたの「マネー力」がズバリ分かる5つの質問、裕福でない高齢者の私でも、果敢に挑戦して・・。

2017-03-24 16:22:19 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【NIKKEI STYLE 】を見ていたら、
【 あなたの「マネー力」がズバリ分かる5つの質問 】と見出しを見た・・。

私は年金生活13年生であり、恥ずかしながら裕福でないが、遊学する時間だけはあり、
こっそりと「マネー力」の5つの質問に、果敢に挑戦しょうと思ったりした。

この記事の原文は、『日経ウーマン』の 2017年3月号に掲載された記事を再構成し、
【NIKKEI STYLE 】に3月23日に配信された記事であり、無断ながら転載させて頂く。

《・・あなたの「マネー力」がズバリ分かる5つの質問

お金を上手に使いため、増やすには正しい知識が不可欠。
金融広報中央委員会が作った5つの質問で自分の「マネー力」を知り、お金と賢く付き合いましょう。
             

※基本の5問で満点を取って「マネー力」を身に付けよう

お金を増やすことに興味はあるけれど、マネーの「基礎力」に自信がない・・。
そんな人も少なくないのでは? 「5つの質問で、あなたの金融リテラシーが分かります」。
こう話すのは、日本銀行の金融知識普及グループ長の川村憲章さん。

この質問は、2016年に全国2万5000人を対象に実施した金融リテラシー調査のうち、
基本となる4つの分野を網羅する形で抜粋したもの。

1問20点×5問で、平均点は52.2点だった。

「日本人の強みは、慎重で堅実な行動をすること。
一方、金融教育の遅れから、金融知識が低いことが課題です。
損失を回避しようとする傾向が強く、投資には慎重です」。

実際、今回の調査では、正解率が低い人ほど金融トラブルに遭いやすく、
投資をしている人ほど、正解率が高かったという。

この5つの質問は、マネー力の「基本のキ」。
カードローンの返済に追われたり、無計画に買い物し貯蓄がゼロだったり。

そんなお金の失敗をしないためには、100点を目指したいところ。
特に家計管理と生活設計の2つは、日ごろから意識し、実際に行動することが大切だ。
「お金との付き合い方は、必要不可欠な生活スキル。金融知識があなたの生活を守り、幸せにします」
             

Q1.家計管理

家計を把握する行動として「適切ではない」ものは?

1.家計簿などで支出を管理する
2.本当に必要か、収入はあるかなどを考えた上で支出するかどうかを決める
3.収入のうち、一定額を天引きにするなどの方法で貯蓄をする
4.支払いを遅らせるために、クレジットカードの分割払いを多用する

A.→ 4.「支払いを遅らせるために、クレジットカードの分割払いを多用する」

(全国で55.1%の人が正解)
クレジットカードの分割払いは、手数料という名の金利が発生する。
支払いを遅らせるために分割払いを続けてしまうと、それだけ余分なお金が出ていくことに。
クレジットカードの支払いは、手数料ゼロの翌月一括払いのみに!
             

Q2.生活設計

一般的に、「人生の3大費用」といえば何を指す?

1.一生涯の生活費、子供の教育費、医療費
2.子供の教育費、住宅購入費、老後の生活費
3.住宅購入費、医療費、親の介護費

A.→ 2.「子供の教育費、住宅購入費、老後の生活費」

(全国で47.6%の人が正解)
人生の3大費用は、教育費、住宅費、老後資金。

子供1人が大学卒業までにかかる教育費は1000万~2000万円といわれ、
住宅費も数千万円かかる。
いずれも大きな出費となるだけに、早めに計画を立てておくことが大切。
             

Q3.金融知識

金利が上がっていくとき、資金の運用(預金など)、借り入れについて適切な対応はどれ?

1.運用は固定金利、借り入れも固定金利にする
2.運用は固定金利、借り入れは変動金利にする
3.運用は変動金利、借り入れは固定金利にする
4.運用は変動金利、借り入れも変動金利にする

A.→ 3.「運用は変動金利、借り入れは固定金利にする」

(全国で43.9%の人が正解)
金融取引の基本となる金利に関する問題。
市場金利が上がっていく場面では、運用商品も市場に合わせて、金利が上がる変動金利を選ぶ。
反対に借り入れでは、市場金利が上がっても、金利がずっと変わらない固定金利を選ぶべき。
             

Q4.金融知識

10万円の借り入れがあり、借入金利は複利で年率20%です。
返済をしないと、この金利だと何年で残高が倍になる?

1.2年未満
2.3年以上5年未満
3.5年以上10年未満
4.10年以上

A.→ 2.「2年以上5年未満」

(全国で40.6%の人が正解)
ややこしい複利計算も、お金が2倍になるのにかかる年数が簡単に分かる算式、
「72の法則」(下記の備考を参照)を当てはめれば簡単。
今回の条件でこの算式に当てはめると、「72÷20(金利)=3.6(年)」となり、選択肢2が正解。
             

Q5.外部知見

金融商品の契約についてトラブルが発生したときに利用する相談窓口や制度として、「適切でない」ものはどれ?

1.消費生活センター
2.金融ADR制度
3.格付け会社
4.弁護士

A.→ 3.「格付け会社」

(全国で73.7%の人が正解)
格付け会社は、金融商品や企業、政府の信用状態を評価する民間機関。
残り3つの選択肢のうち、金融ADR制度(金融取引に関する裁判外紛争解決手続制度)は、
業界ごとに設立されたADR機関で、中立な専門家が和解案を提示するなどして解決を図る制度。
             

備考・・72の法則とは? 
複利でお金が2倍になる期間を簡単に計算する算式のこと。

「72÷金利」でお金が2倍になる年数が分かる。
例えば、メガバンクの普通預金の金利は現在、年0.001%。
「72÷0.001」となり、預けた金額が2倍になるには7万2000年かかる。

一方、クレジットカードの分割払いを利用する際の金利が18%だった場合、
「72÷18=4」となり、約4年で返済額が2倍になる。

月々の投資額の目安を決めたり、ローンを組んだりする前に活用しよう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

今回、私が「マネー力」の5つの質問に、果敢に挑戦した結果、
やはり人生72年を過ごし、多事多難を体験してきたので、簡単なテストだなぁ、と思ったりした。

こうした中、Q4.金融知識だけは不正解で、結果としては80点となったり、微苦笑させられた・・。

やはり《・・10万円の借り入れがあり、借入金利は複利で年率20%です。
返済をしないと、この金利だと何年で残高が倍になる?・・・》複利計算と言われても、
小学生の『算数』は、恥ずかしながら通信簿『2』劣等生だったので、未だに数学は苦手となっている。
             

或いは「人生の3大費用」を遅ればせながら学んだは、
1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。

この当時は、私が勤めてきた中小業の多い音楽業界の各レコード会社は、
1998年(平成10年)に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年から各社はリストラ烈風となり、業務の大幅な見直し、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。

私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば1999年(平成11年)の新春、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に出向を命じられたした。

この少し前、早期退職優遇制度の下で同僚のひとりが退職を余儀なくされて、
私たち仲良しグループだけの有志として、歓送会をしたりした。

散会後、私はこの同僚と歩いている中、
『子供ふたりの学資で結構かかってしまったので、貯金が余りなく、
これから定年の5年間で老後資金を貯めようと思っていたが、このような状態になってしまい、あとは退職金だけが頼りだ』
とこのような意味合いの言葉を呟(つぶや)かれた・・。
             

私は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭であり、
子供に関する学業の具体的な教育資金は無知であり、
まもなく月刊教養雑誌で知り、大学卒業させるまでは、こんなにかかるのか、と驚きながら溜息したりした。

今回、このようなことを思い重ねたりした。

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上野千鶴子さんの的言、いつか必ず来る「おひとりさまの老後」、知っておきたい心構えと準備、遅ればせながら多々学び・・。

2017-03-23 15:40:23 | ささやかな古稀からの思い
先程、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 いつか必ず来る「おひとりさまの老後」、知っておきたい心構えと準備
                仕切り直しは50代から 】 
と見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
私が社会学者の上野千鶴子(うえの・ちずこ)さんを書物から知ったのは、
2004年(平成16年)の秋に定年退職をして、多々の理由で、年金生活を始めて、数年後であった。

上野千鶴子さんが著作された『おひとりさまの老後』(法研、2007年)、
そして『男おひとりさま道』(法研、2009年)を購読した。

こうした中、子供に恵まれなかった私たち夫婦が、いつの日にか、家内に先立たれて、
私が『おひとりさま』になったことを思いめぐらして、雷に遭遇したように叱咤されながら、
多々教示されたりした・・。

これ以来、上野千鶴子さんのご著作の本を買い求めたり、
或いは月刊雑誌、新聞などに上野千鶴子さんが寄稿された文を私は読んだり、
或いはネットで偶然にめぐり逢えた寄稿文を精読してきたので、私にとっては信頼できる御方となっている。

こうした心情を秘めている私は、今回掲載されている記事を精読した。
             

この記事の原文は、講談社が発刊している季刊女性誌の『おとなスタイル』2017年春号の記事のひとつであり、
社会学者、東京大学名誉教授の上野千鶴子さんに、牧野容子さんがインタビューされ、まとめられた文で、
関連サイトの【現代ビジネス 】に2017年3月19日に配信され、無断ながら転載させて頂く・

《・・いつか必ず来る「おひとりさまの老後」、知っておきたい心構えと準備~仕切り直しは50代から~

10年前に発表した『おひとりさまの老後』を皮切りに、
ひとりが基本、で生きる心地よさを研究し続けてきた上野千鶴子さん。

時代とともに、おひとりさまと、それを取り巻く環境はどう変化してきたのか。
おひとりさまを楽しむコツ、教えてください!
             

☆市民権を得た「おひとりさま」

<長生きすればするほど、みんな最後はひとりになる。
結婚したひとも、結婚しなかったひとも、最後はひとりになる。
女のひとは、そう覚悟しておいたほうがよい。>

――こんな言葉で始まる上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』。
女性学、ジェンダー研究の第一人者として知られる上野さんが、
子供に頼らない、ひとりが基本の老後の暮らし方に徹底的に向き合って書いたこの本は
大きな反響を呼び、75万部のベストセラーとなった。

本を発表したのは2007年。上野さんが50代後半の頃だった。

「最初の動機は、まったく私利私欲のためでした。
子供がいない、おひとりさまの私が先々、安心して生きていくには
“どこに住んでどう暮らすか・人とのつき合い方やお金はどうするか・どんな介護を受けるか”。

当時、漠然と不安に感じていたことを調べようと思ったのがきっかけでした。

でも、調べていくと実に、奥が深い。
自分事だけにするなんてもったいない。
学問としてきちんと学ぼうという気持ちに変わっていったんですね。

しかも、探るほどに“なーんだ、シングルの老後ってこんなに楽しいんだ!”という結論が出てきて、
それを一冊にまとめたのが、おひとりさまシリーズの最初でした」
             

それから10年。
びっくりするほどのスピードで、おひとりさま時代がやってきた。

「この時代の変化の速さは、私の想定をはるかに超えていました。

最初は私のような、いわゆる世間的に“かわいそう”と言われる少数派シングルのために本を書いたのです。
何しろ私たちは“子供がいなくて老後はどうするの?”と真顔で心配されてきた世代ですから。
それが、いつの間にか、市民権を得てしまった。

おひとりさまは今や、多数派ともいえる時代になっています。
かつては結婚前か、夫と離死別した後、つまりファミリーを作る前か後か、
にしか使われない言葉であった“おひとりさま”が、一つのライフスタイルになり、今もその数は増え続けています」

とはいえ、やはり将来、老後をひとりで過ごすことに、
漠然と怖さや不安を感じている人も、多いのではないだろうか・・。

「私も最初はそうでした。
でも、2000年に介護保険法が施行され制度が大きく変わりました。

“家族に頼らない・頼れない老後”の人たちの介護を、社会も後押ししています。
高齢者に、施設に入らなくても、おひとりさまで大丈夫ですよ、といえるくらい、
介護や福祉のインフラは育ってきています。

介護は初期の頃は4兆円でしたが、今や10兆円市場といわれるくらい、巨大な成長産業です。
人材も事業も生んできました。

私の気持ちも50代の頃と比べて、圧倒的に楽になりました。
おひとりさまが大きな顔をできる世の中になったのですから。

私の講演を聞いた多くの人が“ホッとしました。老後が明るくなりました”と言ってくださいます。

ただ大事なのは、無関心や無防備でいないということです。
50代の今から少しずつでも考えていけば、不安は徐々に減っていくはず。
きっと年齢を重ねるのが楽しくなり、ひとりという未来にも明るく立ち向かえるはずです」
             

☆仕切り直しは50代から

上野千鶴子さんに伺いました。
50代でやっておくべきこと、備えるべきことはありますか?――

Q 50代とは女性の人生の中で、どんな時代だと思いますか?

新たなチャレンジにもっとも適した世代です
「50代になると、子供が独立していったり、夫と死別あるいは離別したりして、再びひとりになるというケースも。
夫がいても「気持ちはおひとりさま」の女性も多いです。
そんな人たちには、「おかえりなさい、おひとりさまへ」と言ってあげたい。

また、体力の衰えを含めて、仕事をしている人にとっては、
自分の生産性が減少していくのを感じる年代でもある。
つまり、自分の人生の下り坂が見えてくるのです。

でも、それは決してネガティブなことではありません。
その時に、うまく切り替えができるかどうかで、その後の生活が大きく変わります。

下り坂とはいえ、50代は60代と比べて、まだひと踏ん張りできるエネルギーがあり、あきらめがつかない年代。
だからこそ、人生を方向転換したり、もう一度、新しい何かにチャレンジしたりすることを考え、
取り掛かるには、とても適している年代です」
             

Q おひとりさまになったとして、安心できる老後のために50代から準備、整備しておくべきことはありますか?

老後を学ぶ、そんな気持ちで向き合うといい
「50代女性だと平均寿命まで30年ぐらい。ゼロ歳児が30歳になる時間です。
それだけの時間をどう豊かにつぶすかは大問題。

だからこそ今何をするか考えるべき。
50代は仕切り直しするエネルギーが残っているからです。

60代からは大変。
私は50代で介護という分野を見つけ、あ、これで時間がつぶせると思った。

それから16年。
今では人に相談されるくらいの知識が身につきました。
私のように、将来を考えて老後のために、準備や学びを増やすのもお勧めです」
             

Q 夫や子供と長年過ごしてきて、将来ひとりになるなんて想像できません。考えるだけでも不安になります・・。

おひとりさまは必ず慣れるものです
「ひとりになって、さみしくて仕方がない、という人からご相談を受けることも少なくありません。

夫とあんなに仲が悪かったのに、先立たれたらこんなに骨を嚙むようなさみしさが、
自分に訪れるとは思わなかった、とか。
まあ夫婦とはそういうものなんだろうと思いますが、私の答えはとても簡単。

「おひとりさまは、慣れます」、これだけです。

必ず慣れます。
相談に来た方もみなさん、今は人生を謳歌されています。
女性は男性に比べて、生活的自立ができてますから、大丈夫。
不安は解決できるし、さみしさは慣れます。これが鉄則です」
             

☆今の行動力が力になる

Q 老後という言葉を聞くだけで不安に。何から始めていいかもわからず、気になるけど、見て見ぬふりしています。

見ること、知ることで不安もなくなります

「見ないふりができるのは、結局まだ老後が他人事なのでしょう。
私が調べたところ、もとからのおひとりさまは、家族持ちよりもまさかのときの不安感が強く、
自分なりのセキュリティネットワークを作っている人が多いよう。

自分の健康が万全である、なんて保証はどこにもないのですから、当然のことです。

まだ現実味がないと思っても、家の近くのグループホームや介護施設などを見学してみると
他人事ではなくなるかも。

あるいは、そういった施設でボランティアをするのもいいかもしれません。
現場では、いろんな老い方を目の当たりにすることになります。

私もたくさんの現場で、人はこうやって老いて、死んでいくのかということを山のように見てきました。
でもそれは逆に私を強くし、おかげでほとんどのことは怖くなくなりました。
知ることで、不安は解消します」
             

Q 先生は、介護生活になってもひとりで暮らすと言われていますが、それは本当に可能なのでしょうか?

今の行動力が、必ず力になります

「今は国も在宅介護を推奨しています。
しかも、家族がいる人でも老後ひとりになるケースは多く、おひとりさまの在宅介護は今後どんどん増加していきます。

私は、今の住まいの徒歩圏にある、
訪問医療の医師、訪問看護ステーション、訪問介護事業所の3点セットをすでに確保しています。
私の「在宅ひとり死」プランのインフラは整備されつつあります。

先日は、私が住んでいるマンションの管理組合主催で
居住者限定の「ひとりで家で死ねますか?」というシンポジウムを開催し、
医療・看護・介護の3者の専門の方たちにお話をしていただいたところ、大好評でした。

高齢化の波は私の地域にも確実に押し寄せています。
漠然と不安を抱えながら、ただ待っているだけでは、セキュリティネットワークは広がりません。

老後を楽しく心地よく生きていきたいなら、
まずは現状を把握し、知り合いや近所などに同じ仲間を作るなど、自分でどんどんアレンジをしていく。

それぐらいの気合や楽しさを持って、老後と向き合ってみるといいですよ」


おひとりさまはさみしい、と思っているあなたへ。
おひとりさまは、必ず慣れます。
そして、誰にも縛られない自由ほど快適なものはありません。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。             
             

今回、50代からの女性に向けた季刊誌『おとなスタイル』であり、
男性の72歳の私としては、《・・仕切り直しは50代から ・・》と明記されていたので、
遅いかしらと思いながら、微苦笑したりした。

しかしながら男性の多くは、妻に先立たれる思いは少ない、と思われる。
私は60代のなかば、知人の奥様が病死されたので、このようなことはあるのか、と動顛させられたこともあり、
これ以来、私を残して家内に先立たれることを、ときおり思案する時もある。

或いは私が定年退職後、年金生活を始める直前に、
家内の父が病死され、家内の母は独り住まいとなったりした。

この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。

ここ数年は、家内の母の老化と病状で、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となっている。

こうした関係で、ときおり私は『おひとりさま』の生活を体験している。
             

今回、特に教示されたことは、《・・女性は男性に比べて、生活的自立ができてますから・・》、
このことは少なくとも、料理、洗濯、掃除だよねぇ、と私は瞬時に感じ、
私は『おひとりさま』の時は、戸惑いながらも真似事をしたりしてきた。

或いは、いつの日にか、本当に『おひとりさま』になり、介護を受ける身となった時は、
介護施設にお世話になるか、と思案してきたが、
《・・訪問医療の医師、訪問看護ステーション、訪問介護事業所の3点セット・・》を、
元気な時に確保すれば・・自宅で介護を受けられる、ことも学び、光明を感じたりした。

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デジタル時代の「伝わる文章」の極意を学び、ブログ13年生の私は、最近感銘させられた御方の投稿文は・・。

2017-03-22 15:26:56 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【ダ・ヴィンチニュース】を見ている中で、
【 文は一行目から書かなくていい! 
           芥川賞作家が教える、デジタル時代の「伝わる文章」の極意】と題された見出しを見て、
ブログ13年生の私は、学ぼうと思いながら、記事を精読してしまった。

この文は木谷誠さんが綴られた寄稿文であり、【ダ・ヴィンチニュース】には、
3月21日に配信されて、私なりに要点をまとめて転載させて頂く。

《・・「どうしたら文章がうまくなるか?」──
こんな思いを抱いた人は少なくないはず。
              

作家・ライター志望でなくとも、日常生活ではSNSなどでのやり取りや季節ごとの挨拶状があるし、
ビジネスにおいても報告書や企画書、更には始末書を書かねばならないこともあるだろう。

このように文章で伝えなくてはならない場面は多い。

『文は一行目から書かなくていい』(藤原智美/小学館)は芥川賞作家でもあり、
ノンフィクション作家として第一線で活躍を続ける藤原智美氏の経験を基に、
この電子メディア時代で「伝わる文章」の極意を導き出す一冊だ。

やはり、最初に注目したいのはタイトルにもある「文は一行目から書かなくていい」の項目だろうか。
書き出しが決まらず悩む読者諸氏は、多いと思うが、
本書は「最初の一行が書けないなら、ほかのところから書き始めればいい」と結論付けている。

ではそもそも、なぜ順番に書かなくてはと思うのか。
著者は小学校における原稿用紙を用いた作文授業が、元凶ではないかと推測している。
授業中に配られる用紙は提出に必要な最低限の枚数で、下書きなどせず鉛筆で書いていた。

それだと終盤まで書き進めても、後で一行目を直そうとすれば、消しゴムで消してまた書き直すことになる。
それが面倒なので、一行目が書けるまで二行目に手を付けられなくなってしまうということだ。

しかし現代では、授業でなければ多くの人は、パソコンで書くことだろう。
それなら手書きとは違い、文章の増減や入れ替えは、自在にできるので
「思いつくとこから素直に書いていけばいい」と著者。
              

断片的に書かれた文章でも、パソコン上で並べて整理すれば、全体像や足りない要素も見えてくる。
そこから書き足したり順序を並べ替えたりすることは、パソコンを使えば容易だろう。

また、書く上で注意したいのは、相手に伝わるか否か。
私も書く上で常に注意しているつもりだが、それでも第三者から見ると、
伝わらない文章になっていることがあり反省しきりである。(略)

読み手に伝わる文章を書くことは難しい。(略)

書くこと自体が苦手なら1~2行の程度の日記から始めてもよいのだ。
その際には単語の羅列ではなく文章で書き、感情が動いたことも書くのが大切。

例えば「近所に新しい喫茶店がオープン。
気になって入ってみたが、想像以上にコーヒーが美味しかった。また行こう」という感じ。

これを皮切りに、どう美味しかったのか、どのような店なのかも書けるようになれば上達は進む。
まずは感じたまま、素直に書いてみるのがオススメだ。・・》
              

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなく偶然にブログの世界を知って、早13年生となっている。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                      
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
            
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。    
                                                                                             
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは5年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
                      
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
              

こうした中で、特に数多くの50代以上の諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。
                            
こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。
              

ここ数週間に於いて、これぞブログ投稿文のお手本だ、と深く感銘させられた投稿文がある。
http://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014/e/b225a2329f09d67b65b6cca69c76b698
【世界に一つだけの姥花日記】サイト・・・2017年2月27日『合格お礼参り&矢川沿い散策』

心も清いご婦人が、いつも良質な投稿文を重ねて読まさせて頂いているが、この投稿文は突出している、
と私は感じ、深く感銘させられた。
              

今朝、数多くの投稿文を読ませて頂いた中で、圧倒的に魅せられた投稿文があった。
http://piano717.blog90.fc2.com/
【野いちごひとりごと】サイト・・・2017年3月21日『円熟した名演奏♪アンドラーシュ・シフピアノリサイタル』

私は楽譜も読めなく楽器も弾けない身で、拙(つたな)い感性で音楽を聴いたりしているが、
この御方は著名な音楽大学を修学した麗しきご婦人であるが、
演奏の内容を感性のある思いで深く表現され、シロウトの私でも、あたかも演奏場でピアニストの息遣いさえも感じ、
クラシック評論家を超越した優(すぐ)れた投稿文である。
              

このようなお二人の投稿文を私は読み終わった後、いつもながら文章修業に甘い私は、しばし項垂(うなだ)れたりして、
やがて高貴な貴婦人の前で、私はひざまずいて、恐れ入りました、と呟(つぶや)く情景を重ねたりしている。

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デジタルデトックスの日、年金生活を12年半を過ごしてきた中で、殆ど皆無だった、と微苦笑して・・。

2017-03-21 13:50:35 | ささやかな古稀からの思い
今朝、初めて知るデジタルデトックスについて、NHK総合テレビのニュースで報じていた。

何かしらスマートフォンやパソコン、ゲームなどすべてのデジタル機器に、まったく触れないことで、
現実のコミュニケーションや自然の姿を認識し依存度を低めようという内容であり、
ある講師に引率された参加者の中高年の男女が映し出されていた。

多く参加者は、何かと日常生活の中、スマートフォン、パソコンは欠かせなかったが、
この日は使用から意識的に解放していたが、生き生きとした表情と会話が映し出されていた・・。

そしてある女性は、デジタルカメラを何かと愛好していたが、この日は使用せず、
溌剌とした表情も映し出されていた・・。
             

ぼんやりと視聴していた私は、デジタルカメラの内部にある無線LAN付加機能を活用して、
撮影した画像データ等をパソコンやスマートフォンに転送するのは別として、
単独で使用するデジタルカメラの場合は、デジタルデトックスの範囲には該当しないょ、と私は苦笑したりした。

昨今はテレビ、ステレオ、洗濯・乾燥機、炊飯器などあらゆる日常生活には、デジタル機器で、
制御されているからである。

この後、デジタルデトックスかょ、と心の中で呟いたりしたが、
年金生活を12年半を過ごしてきた中で、デジタルデトックスの日は果たしてあったかしら、と思い馳せたりした。
             

私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら、有線の据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
          
このように無線のモバイル情報機器に、遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
                         
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、息子、娘もいなく、もとより孫もいないので、
たった2人だけ家庭となっている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、一昨年の春に遅ればせながら家内専用の携帯電話を買い求め、今日に至っている。
             

私はパソコンに関しては、ネットで『ダイヤモンド・オンライン』、『プレジデント・オンライン』などを愛読したり、
私は退職する前は、音楽業界に35年近く勤務してきたので、やはり習性として音楽業界の動向を公式サイトで読んだり、
或いは何かと不明な事を調べたり、旅行に関して、路線バス時刻表など多岐に及び活用している。

その上、過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿している。

そして私は、ブログで魅了された数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりしてきたので、
パソコンの一日使用時間は、4時間前後かしらと思ったりし、日常生活には欠かせない友のひとりとして、愛用している。
            

このように私は、家内と共通趣味のひとりとして、国内旅行であり、
こうした時は自宅の据え置き型のパソコンから、もとより解放される。

過ぎし一月中旬、私たち夫婦は沖縄本島の北谷(ちゃたん)地にあるリゾートホテルに9泊10日で滞在し、
日中は周辺を歩き廻り遊学したりしてきた。

こうした時は私はデジカメで魅せられた情景を撮ったりしたが、
リゾートホテルに帰還すれば、何かと読書が平素より多く、私は微苦笑をしたりした。
             

過ぎし2001年(平成13年)の秋、私は定年退職時が2004年(平成16年)の秋であったので、
定年後の生活に備えて、ノ-トパソコンは所有していたが、自宅専用としてパソコンを一新した。

この当時はウィンドウズ旋風の中で、ウィンドウズの基本システムは
『ウィンドウズXP』であり、たまたま富士通のディスクトップのタワー型を選定した。

そして10年ぐらいは大丈夫かしら、と漠然と思ったりし、
プリンターも新調し、民芸風の大きな机、脇机、そして椅子を買い揃え、定年後に備えたりした。

こうした中で、私が何より私は困り果てるのは、パソコンが無知な家内が、
パソコンは半永久的商品よねぇ、と確信したように思い続けていることであった。

私が現役時代の時は、程ほどの年収を得ていたので、
オーディオ、テレビ、パソコンなどの商品は幾たびか買い換えてきたが、
しかし年金生活となれば、限りある厚生年金、企業年金、積み立てきた個人年金からの収入には、
もとより限度があるので、私は気弱になり、予算を計上するできなかったことが多い。

こうした根底には、故障もしていないパソコンを買い改め費用があるならば、
国内旅行で、旅先の滞在日数を増やしましょう、
と家内が私に提案することが予測されるので、私はパソコンの予算計上をためらったりしてきた。
                                  

やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、まもなくブログの世界を知り、
私は無我夢中に毎日数通は投稿し、そしてブログ上のコメントで知り得た8名の人と、
お互いにコメントを交わしていたブログ熱中時代の時であった・・。

そして定年後の生活に備えた肝要のパソコンは、2006年(平成18年)9月中旬に、予告もなく突然にダウンして、
まもなく年金生活2年生を迎えようとしていた私は、
『10年ぐらい利用しょうと思ってたのに・・どうして突然に故障するのよ・・』
と心の中で呟(つぶや)きながら、長らく黒い画面を見つめ大いに落胆したりした。

やむなく買い求めたパソコンの量販店に修理を依頼したが、1週間後に我が家に来宅することをなり、私は困窮した・・。
我が家は無念ながらパソコンはたった一台しかなく、この来宅するまでの1週間の間、
どうしょうかしら、と悩んだりした。

この当時の私は、ブログ上で盛んにコメントで交流を重ねていた時代で、
コメントを頂いたりし、半日以内に必ず返信していたが、
もとより返信が出来なくなり、相手のお方はどうしたのかしら、と戸惑うと思いながら、悩んだりした。

もとよりリアルの交流であったならば、電話でお詫びの連絡もできるが、
ブログの世界は匿名が多く、連絡できる方法がないのである。
もとより匿名の世界であっても、何よりも信頼が大切なのに、と困苦したりした・・。
             
        
そして私はこの修理の期間、パソコンのレンタルを量販店に依頼をしたが、
弊社は扱っていません、と素っ気ない返事を私は受けたりした。

やがて修理が最悪の場合に備えて、このパソコンの量販店に最新のパソコンの下調べに行き、
魅了されたパソコンが販売価格25万円にため息をしたりした。
こうした根底には、我が家の予算計上にしていないので、困り果てた・・。

この帰路、25万円・・空から舞い降りてこないかしら、と思ったりして帰宅した。

         
そして待ち焦(こ)がれたパソコンの量販店の修理の技術者が予定通り来宅した時、
パソコンの故障を点検して結果、
心臓部のキャッシュメモリ、メインメモリの一部でわずかな磨耗があり、
部品の交換すると10万円を超える、と私は言われた・・。

私の現役サラリーマン時代の50代の頃は、冷蔵庫、クーラーなどを新調しょう、
と私は家内に気軽に言ったりして、購入したりしていた。

しかしながら、この当時の我が家の年金生活の年次購入予定品目もなかったが、
やむなくパソコンの新製品を買い改めることに決意した私は、家内にどう説得するかであった。

私は長らく中小業の民間会社のサラリーマンをしていたので、多事多難の対処には鍛(きた)えられ、
こうした中で多少の悪知恵も備えられてきた。

家内は冷蔵庫、洗濯機をよく手入れをするタイプで、
過剰に掃除し過ぎ、やむえず新調した体験があったのを、思いだしたりした。

私は居間に置いているパソコンから、台所にいる家内に近くに寄り、
『XXちゃんさぁ・・昨今のパソコン自体、飛躍的に進歩しているし・・
前に買ったパソコンより遥(はる)かに廉(やす)くなっているの・・この際、思い切って新しいのにしょうねぇ・・』
と私は少し懇願するように家内に言った。
          
結果として、データ強制移行料などを含めて、27万円弱で、魅了されたパソコンに新調し、
やはり最新のCPUは速い、と私は微笑んだりした。
                    

こうしたことは一般の御家庭すれば、笑い話になると思われるが、
私としては年金生活12年半過ごしてきた中で、何よりも困窮し、危機一発の出来事であった。

この事件から確か4年過ぎた頃から、私は懲りてパソコンの予備機を買い揃えて、
主機と予備機として、日常生活の友としている。

こうした体験を過ごしてきた私としては、パソコンが壊れて、やむなく買い改める一週間は、
まさにデジタルデトックスの日だった、と私は思い浮かべて、苦笑したりした。

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見た目の老化を予防する! 心の老化度チェック、老ボーイの私でも、こっそりと積極果敢に受診すれば・・。

2017-03-20 13:30:13 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、ネットでニュースを見たりして彷徨(さまよ)っている中で、
【 見た目老化を予防する! 心の老化度チェック 】と題された記事を見た。

私はどういうことなのょ、と思いながら精読してしまった。

この記事、初めて見る生活総合情報サイト【All About(オールアバウト)】の記事のひとつであり、
医学・医療情報を正確にわかりやすく人々に伝え、患者さんと医師・医療スタッフの良好な関係を育む「医療コミュニケーション」が
専門とされている宇山恵子さんが寄稿された文で、【All About】2017年1月19日に配信されていた。

そして何かしら女性向けの内容な感じを受けたりしたが、老化に関しては男女の差もないよなぁ、
と老ボーイの私は思いながら読んでしまった。無断ながら転載させて頂く。

《・・見た目老化を予防する! 心の老化度チェック
             

☆その不調や疲れ・・心の老化が関係しているのかも!?

老け見えと心の持ち方の関係は?
心の持ち方、気持ちは、見た目を輝かすための美容液。
あなたが美しく輝くためのエネルギーになります。

「疲れが抜けない」「メイクのノリが悪い」「ちょっと老けたかも・・」など感じる人は、
心や気持ちが老化して、あなたを輝かすエネルギーが不足しているのかもしれません。
まずは「心の老化度」をチェックしてみましょう。


☆心の老化度チェック
□ 人に会うのが面倒くさい
□ おしゃれをするのが楽しくない
□ 最近笑わなくなった
□ 最近泣かなくなった
□ 人の悪いところばかりが目につく
□ 集中力がない
□ 体を動かすのがおっくう
□ 食べものへの関心が薄くなった
□ 後悔することが多い
□ 新しいことにトライしていない

5個以上チェックが入った人は、心の老化に注意です
5個以上チェックが入った方は、心の老化が進んでいる可能性大です。

このままの状態では、疲れがたまったり、やる気が出なくなったりして、仕事もプライベートもいい結果が出ないかもしれません。

ネガティブで内向きな状態になっているあなたの心を、少しずつ外向きにポジティブになるように切り替えてみませんか?
             

☆社交的な人は健康で幸せ

社交的な人は、健康で幸福感が強いことが、心理学の研究で明らかに!

「人に会うのが面倒くさい」にチェックした人は要注意です。
人間は社会性が高く、誰かとつながっていることで、安心感や幸福感を得られるのです。

イギリスの心理学の研究によると、社交的な人は内向的で神経質な人に比べて、
健康で人生に対する満足感や幸福感が高いことをご存知ですか? 

この研究は、1946年生まれの人2千529人を対象に、10代、および60代の健康状態を調べたもの。
10代で社交的だった人は、そうでない神経質で内向的な人に比べて、
年を取ってからも、健康的で人生に対する満足度や幸福感が高いことが明らかになっています。


人に会うのには、身支度や心の準備などいろいろ面倒なことが多いのも事実。
でもそれを楽しまなきゃ!

人に会うのが面倒くさいと感じる人は、おそらく人に会うために、いろいろな身支度や心構えが必要だから、
それを準備するのが面倒に思えてしまうのでしょう。

もちろん、自分を良く思ってもらうためには、それなりの自己演出も必要です。
でもこれには、エネルギーが必要ですよね。
             

☆元気がないときは気楽な友人と会おう

元気がないときは、気楽に会える楽しい友人と会いましょう!
もしあなたが疲れて元気がない状態であれば、身支度や心構えが必要ない、
気楽な関係の友人と会うことから始めましょう。

孤独を感じたり、淋しいなと思ったら、一人でいるのをやめて、
誰かと話をしたり、人と会うことで気持ちを切り替えるようにしましょう。

人に会うのが面倒→外出しない→オシャレもお化粧もしない→見た目が老化…という、
心の老化に引っ張られて、見た目も老化してしまうという悪いスパイラルを断ち切るためにも、
人と話し、人に会いましょう。

ここで大切なアドバイス。
もしあなたの心が元気のないときに会うのであれば、ぜひ笑顔が素敵なお友達と会ってください。
             

☆人の笑顔を分けてもらおう!

ミラーニューロンのおかげで笑顔が輝いている人と会うと自分の笑顔も輝きます!

ミラーニューロンをご存知ですか? 

私たちの脳には、話し相手の動作をまねようとする神経細胞があり、それによって、
言葉を通じたコミュニケーションがなくても、赤ちゃんとお母さんのように、
お互いに共感したり、気持ちが通じ合うことができるのです。

それに一役買っているのが、ミラーニューロンの働き。
だから笑顔が素敵な友達と話をすることで、あなたの脳も相手の笑顔をまねようとして、自然に笑顔になれるのです。

さらに笑いの健康効果も! 
笑いはウイルスや細菌を寄せ付けないように、体を守る免疫の力を整えて、病気になりにくい体を作ります。

もちろん、お腹を抱えて笑えば、腹筋を使えるので、お腹ぽっこりを改善するエクササイズにもなります。
表情筋を動かして、顔を引き上げるのにも、笑いは一役買っているので、たるみの改善にもなります!

心の元気を取り戻したいなら、まず、笑いをもらえそうな友に会い、笑顔を取り戻しましょう。
             

☆悲観的な人はストレスに弱い

後悔したり、人の悪いところばかりを考えないようにしましょう!
「後悔することが多い」「人の悪いところにばかり目が行く」にチェックが入った人は、
物事を否定的・悲観的に考えていることが多いです。

カナダ・コンコルディア大学の研究で、楽観的な人は悲観的な人よりも、
ストレスを上手にコントロールしていることが明らかになりました。

人がストレスを受けると、コルチゾールというホルモンが分泌されます。
コルチゾールは、心臓がドキドキしたり、頭に血がのぼったり、冷静に物事を考えられなくなるなど、
体にさまざまなストレス反応を起こさせています。
             

☆楽観的に生きるほうが健康にも良い

楽観的に考えることで、気持ちがぐっと楽になりストレスからも解放されます

ストレスを受けたときに、楽観的な人は悲観的な人よりも、
コルチゾールの分泌量が少ないことが明らかになり、ストレスを受けたときの体の反応も、少ないことがわかりました。

まだ楽観主義とコルチゾールの分泌のメカニズムについて、はっきりとした分析は進んでいませんが、
少なくとも、後悔したり、悪いところばかりが目につくような心理は、
否定的な感覚に結び付き、健康にも良くないですし、ストレスが増えそうです。


☆悪い想像を繰り返し考えない

悪い想像をめぐらすのは、結局あなたにとって大きなマイナスです!

さらにスウェーデンの研究では、私たちの想像が、
見たものや聞いたことの記憶を変えてしまうという結果も出ています。

つまり、頭の中で悪い想像やイメージを想像し続けていると、
それが事実ではなくても、悪い方向にスパイラルしてしまうのです。
             

☆赤ちゃんも誰かに与えるのが好き

誰かのために・・そう思う気持ちが、心のエネルギーになります

どうすれば心の老化を予防・修復できるのでしょうか? 
肌のアンチエイジングでは、いつも書き続けているのですが、肌のアンチエイジングの基本は、
赤ちゃん肌に戻ることです。

実は心も赤ちゃん心、つまり生まれたての心に戻るのが、一番のアンチエイジングなんですよ!

たとえば乳幼児を対象にした実験で、1歳半~2歳半未満の乳幼児を対象とした実験で、
乳幼児たちは、おやつをもらうときよりも、乳幼児が誰かにおやつを与えているときの方が、
笑顔が大きく、喜んでいることが明らかになりました。

こんな小さなうちから、人間は誰かのために役に立つ、誰かのためになることをするのが大好きなのですね。
             

☆心の老化を防ぐ5つのポイント

心の老化を防ぐ5つのポイント、さっそくすぐにできるものから実践してみて下さい!

心の老化を防ぐ方法は一言で言って、楽観的で社交的に生きること。
その具体的な方法は次の5つです。

心の老化を防ぐ5つのポイント
※後悔しない
※笑顔を忘れない
※気楽に笑い合える友達と会う
※人の悪口を言わない
※人に喜ばれることをする

このうちムリなく今のあなたができそうなことを1つ、スタートしてみて下さい。
きっと少しずつ心が元気を取り戻して、前向きに楽観的な気持になれるはず。

すると、メイクやファッションが楽しく感じたり、人に会うのが嫌でなくなったり、きっと笑顔も増えるはず。
活動的になって、ダイエットにも効果が出るかもしれません。

そう、アンチエイジングには、心のエネルギーが満ちていることが大切なのです!

心のアンチエイジングについて「もっと詳しく知りたい!」という方は、
ガイドの著書『心の扉を開ける23の鍵』(小学館)をお読みください。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は72歳の私と67歳の家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後39年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの厚生年金を頂きながら、程ほど貯金を崩しながら、ささやかに過ごしている。


過ぎし1964年〈昭和39年〉の秋、東京オリンピックが開催された大学2年の時に、
映画の脚本家になりたくて、中退した。
                                              
そして専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりした後、まもなく契約社員をしながら文学青年の真似事をしたが、
やがて敗退し、やむなく安定したサラリーマンの身に転向を決意した。
                                    
そして何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。

やがて1970年〈昭和45年〉の春、私はこの当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
そして制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
             

このように私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された定年退職後の人生は、年金生活をしながら、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした。

そして年金生活を始めた時は、少しは不安があったりしたが、定年退職するまでは何かと苦節が多かった為か、
予測した以上に年金生活は安楽な日々を過ごし、早や12年半が過ぎている。

定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、季節のうつろいを享受している。

帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                                      

こうした中、家内は相変わらず専業主婦の延長戦として料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか濃い水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と私は家内を誘い、日本の四季折々の各地を遊学したりしてきた。
                            

今回の記事の中に於いて、10問の『心の老化度チェック』をこっそりと積極果敢に受診し、
集中力がない、ことに幾たびか体験して、やはり齢を重ねると、退職直後より確かに集中力が衰えを実感している。

そしてときおり、人に会うのが面倒くさい、と感じる時もある。
私は都心には高校以来、あこがれたりして40年以上遊学したり、勤務先で奮戦してきた処であったが、
定年後は都心の人出が多い処は、苦手意識が増し、できる限り避けている。

私は5、6人と逢ったりして、懇親を深める会合は好きであり、積極的に参加してきたが、
百名以上の懇親会は、気遣いで疲れるので、苦手となっているが、出席をしている。

これ以外は該当しないなぁ・・、と微苦笑したりした。
             

おしゃれに関しては、清潔感がないと見っともないわ、と家内から叱咤激励されているので、
平素の買物とか散策の時は、衣服は汗くさくなく、こざっぱりと着て、颯爽と歩いたりしている。

そして都心で懇親会、家内と国内旅行の場合は、少し高価な衣服で行ったりしている。

今回、何よりも平素を過ごす中、『心の老化を防ぐ5つのポイント』、
《・・後悔しない・・笑顔を忘れない・・気楽に笑い合える友達と会う・・人の悪口を言わない・・
人に喜ばれることをする・・》そうですよねぇ、微笑んだりした。

余談であるが、《・・心の持ち方、気持ちは、見た目を輝かすための美容液・・》、
宇山恵子さんの綴られたフレーズ、老ボーイの私でも、瞬時に魅了されたひとりである。

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「わき水 絶対に守りたい!!」壁新聞に大臣賞、無力な高齢者の私でも、感動して、やがて過ぎし年に思いを馳せて・・。

2017-03-19 14:31:00 | ささやかな古稀からの思い
先程、 『Yahoo!JAPAN』に於いて、国内ニュースを見たりしていた中で、
【 「わき水 絶対に守りたい!!」壁新聞に大臣賞 益城・広安西小の地球環境クラブ 】と題された記事を見た。

私は何かと湧水(わきみず)に関して愛惜を秘めてきたので、どのようなことなの・・と思いながら精読してしまった。

この記事、西日本新聞が2017年3月18日に配信して下さり、無断ながら転載させて頂く。、

《・・「わき水 絶対に守りたい!!」壁新聞に大臣賞 益城・広安西小の地球環境クラブ

地域で環境保全活動や環境学習に取り組む「こどもエコクラブ」を対象にした日本環境協会(東京)の壁新聞コンクールで、
熊本県益城町の「広西地球環境クラブ」(広安西小学校環境委員会)が、最高賞の環境大臣賞を受賞した。
19日に都内で行われる「こどもエコクラブ全国フェスティバル」で表彰される。

壁新聞は「大好きな熊本のわき水 絶対に守りたい!!~あきらめない 広西わき水プロジェクト」をテーマにした。
             

環境委員会は5、6年の児童約25人で構成。
校区内の2カ所の湧き水を紹介するパンフレットをほぼ完成させた昨年4月に熊本地震が発生し、
この内の1カ所は、水が出なくなった。

7月にはもう1カ所の水素イオン指数(pH)や温度の調査を開始。
旧来の湧き出し口から離れた場所で、水が湧いていることに気付いたことや、
湧き水の源でもある阿蘇地方にも調査に行ったことなどを、写真やグラフ、近隣住民のインタビューを交えて壁新聞にした。

児童たちは湧き水周辺の清掃なども行っており、
壁新聞は「私たちはすばらしいわき水をいつまでも守り続けていきたいです」との言葉で結ばれている。

児童たちは表彰式に向けて、2度の震度7に見舞われた体験を踏まえたスピーチを準備中。

同小で環境教育を担当している村上茂人教諭は
「内陸と海岸部など地域の環境に応じて、防災への対応の仕方が違うことや、
熊本のきれいな湧き水は、変わらないことを伝えたい」としている。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
熊本県益城町にある広安西小学校の児童が、校区内の2カ所の湧水(わきみず)を紹介するパンフレットをほぼ完成させた中、
熊本地震に遭遇した、と初めて知った。

そして湧水(わきみず)に関して周辺、湧水(わきみず)の源の阿蘇地方などに調査したり、
湧水(わきみず)が途絶えた処、そして離れた場所で水が湧いていること気付いたりして、清掃をしていること、
読み終わった後、良き学習をされましたねぇ・・と私は感動してしまった・・。

やがて私は幼年期より湧水(わきみず)に関しては、ささやかな思いを秘めてきたので、思いを寄せてたりした・・。
             

私は今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き、67年ばかり住み、
戦後から今日まで急速に変貌してきたことに、何かと心を寄せたりして愛惜感もある。

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
やがて兄2人、そして妹二人の間(あいだ)で、サンドイッチのように育ったが、
何故かしらいじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして母屋の宅地の外れには土蔵、納屋小屋にあったりし、周辺には竹林、雑木林に囲まれた農家であった。
 
こうした中、この当時の周辺の情景は、京王腺の駅付近には商店街があるだけで、
周辺は田畑、竹林、雑木林など拡がり、緑豊かな村里の情景であった。
       
このような状況で、私が小学生の前半までは、父、祖父が病死されるまで、農家の児として育てられた。

私は地元の小学校に入学した頃は、独りで下校する時が多かったりした。
                       

こうした時、通学路から外れて、田圃の畦道を歩いたりし、
ある日、小雨に降られた後、七色の虹が視えて、
この世でこんなに綺麗なことがあるの・・と長らく見惚(みと)れたりした。

或いは通学路を下校する時、祖父の知人宅に寄り、
70歳ぐらいの小父さんに、白い梅の花、桜より好きです、と私は言ったりして、
変わった児だねぇ、と私は言われたりした。

或いは祖父が所有していた田んぼの中には小川に流れたり、ある処には湧水(わきみず)があったり、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。
          
私は何かと湧水(わきみず)に魅せられて、夏の季節であっても、冬の時節に於いても
コンコンと湧き出る水を、どうしていつまでも湧いてくる、と不思議そうに眺め、飽きることがなかった。
そしてこの湧水(わきみず)は、田んぼの中央に流れる小川に流れていった。

初夏になると湧水(わきみず)の周辺は、夏のお盆に使う紅紫色したミソハギの花が咲いたりしていた。
          

こうした中、私が小学生2年に父が病死し、この翌年に祖父も死去し、
生家は衰退したが、私の住む周辺は1955年(昭和30年)の初めに頃になると、
田畑、雑木林は急速に消え、もとより湧水(わきみず)、蓮(ハス)の水田も消え去り、やがて住宅街に変貌した・・。

そして、この間に曲がりくねっていた近くに流れる野川も、本格的に大きな川として護岸工事の上、
整備されたり、遊歩道や小公園も新たに設けられたりした。

こうした中で、私が農家の児として育った原景は、殆ど消え去ってしまった・・。
             

後年、私が結婚した後、家内と湧水(わきみず)を観に旅行をしたりした。
富士山の伏流水が湧き出る三島郊外の柿田川、或いは忍野八海の湧水(わきみず)を観に行ったりした。

そして伊豆地方の湯島に宿泊した時、湯ヶ島にある山葵(わさび)が植えられている処があり、
杉木立の斜面の外れに湧水(わきみず)があった。
小さな湧き水が四箇所あり、コンコンと湧き出て、やがて小川となっていた。

そして定年後、私は家内と共に国内の旅行をした時、
旅先で偶然に、湧水(わきみず)、田んぼある蓮(ハス)の花を見かけたりすると、
しばらくのあいだ見惚(みと)れながら、まぶたが熱くなってしまうことが多くなっている。
                  
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「遺言書を作っておくべき人の7パターン」、私は多々教示され、やがて悩ましい相続に思い馳せて・・。、

2017-03-18 15:24:46 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【NIKKEI STYLE 】を見ていたら、
【 おひとりさまも注目 「遺言書を作っておくべき人の7パターン」 】と見出しを見た・・。

私は遺産に関して、相続に何かと翻弄された為か、真摯に読んでしまった・・。

この記事は財務コンサルタントと名高い斧原元治(おのはら・もとはる)さんが寄稿された文で、
【NIKKEI STYLE 】に3月17日に配信された記事であり、無断ながら転載させて頂く。

《・・おひとりさまも注目 「遺言書を作っておくべき人の7パターン」

この世に生まれてきた以上、やがて来る死は避けられません。
どんな人でも相続の問題から逃れることはできないのですから、
全ての人が遺言書を作っておくに越したことはない、といえるかもしれません。

しかし、そのような一般論ではなく、我々のような「相続のプロ」の視点から見たときには、
明らかに遺言書を作る必要性が高い方も実際にいらっしゃいます。
今回はこのような「遺言書を作っておくべき人」のお話をしましょう。
             

遺言書に対する世間の関心は急速に高まっており、一般の方にも身近な存在になってきています。
例えば日本公証人連合会が公表している「公正証書遺言の作成件数」では、
最新データの2014年の公正証書遺言の作成件数は10万4490件であり、
2009年の7万7878件に比べ5年間で34%以上と、急増していることが分かります。

これに自筆証書遺言の件数を加えれば、さらに多くの遺言書が毎年作られているといえます。

法律では「15歳以上の意思能力のある人」なら、誰でも遺言書を作成できるとされています。
そして実際に遺言を書かれている方は、お金持ちとは限らず、財産が少ない方も大勢おられます。

むしろ「もめごとが起こっているケースの約70%は、
遺産規模が5000万円未満の場合である」という裁判所のデータを見ると、
財産の額には関係なく、遺言を書いておく必要があるといえそうです。
             

☆遺言書が必要になる7つのパターン

我々のような相続の専門家は、「遺言書の必要度合い」は、
財産額ではなく以下の4つのケースに該当するかどうかで判断します。

すなわち法定相続分通りの相続を希望しない場合、
もめるかもしれないという心配がある場合、
特定の財産を特定の方に残す必要がある場合、
相続人以外の個人や法人に遺産を遺したい場合――の4つです。

より具体的にいえば、以下の7つの例のどれかに当てはまる方には、遺言書の作成を強くお勧めします。
                          

(1)お子さんのいないご夫婦で、財産は長年連れ添った妻や夫に全て相続させたい方

この場合、法定相続分に従えば妻や夫の他に、本人の兄弟姉妹へも全財産の4分の1が相続されることになります。
それでは困る、という場合は、兄弟姉妹には遺留分(一定の相続人が一定の財産を取得できる権利)はありませんので、
遺言を書いておけば財産を妻や夫に全て相続させることが可能になります。


(2)再婚されておられる方

例えば、夫が亡くなって相続が起こった際に、
先妻の子供たちと後妻の方との間で、もめごとが起こることがあります。
経験上、ここはトラブルが起こりやすいポイントでもあります。
遺言書で回避したいものです。


(3)経営している事業をスムーズに次世代に引き継ぎたい方

企業オーナーや農業の方は、円滑な事業承継をしていくために、
株式や農地が後継者に確実に引き継がれるようにしておきたい、と考えるものでしょう。
こうした場合も、遺言書の必要性は非常に高くなります。


(4)財産を相続人以外の人に残したい方や、法人などに寄付したい方

例えば、自分たちの面倒をよくみてくれる息子のお嫁さん、昔恩を受けた知人、
あるいは内縁関係にある人(戸籍上の配偶者でないと法定相続分はありません)などに財産を残したい場合には、
遺言書が必要です。

また、自分の死後に出身校や日本赤十字社などの法人に寄付したい場合にも、遺言書が必要となります。
             

(5)独身の方

近年は一生独身で過ごされる方の割合が増えてきており、「おひとりさま」という言葉も見かけます。
こうした方の相続人は、兄弟姉妹やおい、めいとなるケースがほとんどで、相続人の数が多くなる傾向があります。

また、日ごろの親戚付き合いにも濃淡があるため、
「全ての相続人に法定相続通りの割合で、遺産を残すのはシックリこない」と思われる方も大勢いらっしゃいます。

このような方は遺言書で、自分の遺産を渡す相手を決めておかれることをお勧めします。


(6)子供が複数いるが、法定相続分とは異なる遺産配分を行いたい方

例えば、先祖代々の財産を「長男に」受け継いでいってもらいたい方、
子供たちの中でも経済力のある・なしに応じて、遺産配分に差をつけたい方などです。

このケースでは、「自分の子供たちは、みな仲良くやっているので、遺言書まで書かなくても大丈夫」
とお考えの方が多いのが特徴です。

いわゆる「うちの子供たちに限って」というケースですね。
ただ相続の現場では、相続発生時の子供たちの懐具合(経済状況)によって、
「権利がある以上は、少しでも多くもらいたい」という方や、
「配偶者の考えに影響を受けて、権利を主張する」方が少なからず見られます。

いずれにせよ仲の良い兄弟が「争族」にならぬよう、遺言書の作成をお勧めします。


(7)法定相続人が誰もいない方

この場合、ご本人が亡くなられると相続財産は行き先を失い、国のものとなってしまいます。
それでもよいという場合は別ですが、このような事態を避け、
例えば、いとこや知人に財産を残したいということなら遺言書が必要になります。
             

☆家族信託や遺言代用信託は本当に救世主か?

遺言書に代わるものとして、最近は「家族信託」や「遺言代用信託」という仕組みも利用されてきています。

これらは金融自由化の流れの中で、2007年の信託法改正に伴って、
取り扱いが可能となり、近年、急速に広まってきているものです。

これらの基本的な仕組みは、以下の通りです。

まず本人が保有している不動産や株式など特定の財産を、
信託という「器」の中に入れ、委託者は本人、受託者を子供や身内の人が作る資産管理会社などとし、
信託契約で「本人の死亡時に信託受益権を相続する人や法人」をあらかじめ決めておきます。

これにより、本人の保有する特定の財産を特定の人や法人に、
本人死亡時に相続承継させることが実質的に可能となるというものです。

注目されているだけあって、家族信託や遺言代用信託の活用は、
相続問題回避のための「新たな救世主」という見方をされることもあります。

ただ、成年後見制度の弱点を補完するという観点からは有効といえても、
もめない相続を実現するためには正直、これらの仕組みでは、限界があります。
やはり「遺言書に勝るものはない」のです。

なぜなら、これらの仕組みは、特定の財産「のみ」を対象としているために、
本人の財産全体をカバーすることができず、
結果として残された財産の分け方は、遺産分割協議で決めざるを得なくなり、もめる要素が残ってしまうためです。

さらに信託と違って遺言なら、「本人が、内容をいつでも自由に、比較的簡単に書き換えることが可能」です。

財産の残し方について自分の思った通りに書けて、
変更するのに誰の同意も必要ないという点も、遺言書の長所の一つといえるでしょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は都心の郊外の調布市に雑木が多い小庭の中で、古惚けた戸建に住んでいる。
そして近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

やがて私が地元の小学校に入学した当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

まもなく私の父は、私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死された。

そして祖父は跡継ぎの肝心な父が亡くなり、落胆の度合いも進み、最寄りの大学病院に入院している中、
胃癌が発覚して、やがて翌年の1954年(昭和29年)の5月に、亡くなった。

この当時のどの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹である二十歳前後の未婚の叔母ふたり、
そして長兄は小学6年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、家は急速に没落し、生活は困窮となり、
やがて母はやむなく転業しりした。

この間、生家はこの地域によるある旧家として、長兄が家督をすべて引き継ぎ、
弟たちは結婚して独立した時には、長兄は分家として資金をだす責務が、暗黙のようなルールがあったりした。

しかしながら私、そして次兄が独立した時、長兄はあやふや約束ごとが多くなり、
まもなく確執のような状況となったりしたが、こうしたことは私の住む地域で、よくあることであったりした。

そして私が34歳の時、次兄は自営業に資金破綻して、自室で毒物を飲み自裁した。

やがて私が54歳の時、私の母は、婦人系の癌で広尾にある赤十字の病院で入退院を3年ばかり繰り返した後、
1998年(平成10年)1月中旬に亡くなった。

この当時の母は、少し遠方で賃貸マンションを経営していたが、
この母の遺産に伴い、遺書もなかった為か、相続に長兄、私、妹ふたりで長らく話し合った結果となったりした。

このように私は、相続に関しては、少し困苦したりした体験をした。
             

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で、年金生活を始めた。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、私より5歳若い家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私は、漠然としながらも家内より早く亡くなると思いながら、
私たち夫婦は、公正証書の遺言書を作成できる処に出向いたのは、年金生活を始めて、まもない時であった。

もとより遺(の)こされた家内が、生活に困苦しないように、
私は、少なくとも責務と深く思いながら、実施してきた。

そして悩ましい相続に関しては、私が亡くなった後に、家内、私の兄妹の間で、揉めることなく的確にしたい為に、
作成したこともあったりした。
             

今回の記事を読み多々教示されたりした。
そして我が家は、《・・ケース(1)お子さんのいないご夫婦で、財産は長年連れ添った妻や夫に全て相続させたい方・・》に、
相当するなぁ、と微苦笑したりした。

ここ10数年、私は長兄との過ぎし年の確執も消え果て、お互いに元気で・・と長兄と私は談笑したりしている。

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『人生の9割は血液型で決まる!』、遅ればせながらB型の私は学び、やがて溜息を重ねて・・。

2017-03-17 13:10:41 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 B型の人は独特の感性でイメージ展開 ひらめきや直感に富む 】と題された見出しを見た・・。

恥ずかしながら私は、血液型はB型のひとりであり、どのようなことなのょ、と思いながら、
こっそりと読んでしまった・・。

この記事の原文は、『人生の9割は血液型で決まる!』(世界文化社刊)の著者で、
これまで20数年もの間、多くの人に対して「血液型と性格・性質」について研究を行なってきた小萩喜一さんが、
『週刊ポスト』2013年1月1・11日号のインタビューに応じて、発言された内容であり、
関連ネットの『NEWS ポストセブン』に2012年12月26日に於き配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・占いのように思われがちだが、最近では会社の人事に取り入れられるケースも、見受けられるのが血液型診断。
O型とA型で約7割を占める日本人。
その煮詰まりやすい社会のなかに、発想転換のヒントを与えるとともに、潤滑油として「楽しさ」を与えるのがB型だ。
               

B型に向いているのは、音楽や芸術分野に関わる仕事。
独特の鋭い感性でイメージを展開したり、ひらめきや直感に富んでいるので、
クリエイティブな分野の仕事には最適だが、持続力がないのが弱点。
 
「B型の人に大切なのは“どこまでも真剣に遊ぶこと”です。
これはと思うものに出会ったら、思い切りそこに照準を合わせ、夢をかなえるために、一心不乱に取り組むと成功します」

占いなどでは「変わり者」扱いされがちなB型だが、その熱中ぶりや波瀾万丈さを評価する声も。
クリエイティブな企画者として、独創性を認めてもらえるかどうかが、B型の人の分岐点なのである。・・》

私は読み終わった後、血液型の性格は幾たびか学んできたが、
『人生の9割は血液型で決まる!』と断言されても、72歳の今頃になって教示されても、
遅いょ・・こればかり勘弁して欲しい・・と私は心の中で呟(つぶや)きながら、微苦笑を重ねたりした。
             

過ぎし昨年の4月中旬、雑誌を整理していたら、栞(しおり)が挿(はさ)んだページがあり、
見たら血液型B型について、掲載されていたので、読んだりしてしまった・・。

☆B型は力を身につけて、人生を楽しく生きる
☆不調、逆境の時こそ、自分が主演と信じる

と記載されて、この下段には『B型思考の基本素養 』が明記されていた。

①マイルールを大事にする。
②自分なりの工夫で、努力を楽しむ。
③弱点をさらけだす。
④他人の評価より、自分の満足。
⑤小さなことでも、真剣勝負する。
⑥ひとつのことに、ハマってみる。
⑦ハマった自分を堂々と宣言する。
⑧悩みぬいて飽きる。
⑨部下や上司には、積極的に声をかける。
⑩頼みの綱は、自分自身。

このような記事を読みながら、私は幾たびか微苦笑をしてしまった・・。
                   

そして私は、記事を読み終わった後、B型の長所、短所が明示され、
何かしら素肌を視られたように恥ずかしさの余り、赤面させられたりした・・。

確かに私は何かと単細胞で、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプであり、
これまでの人生を思い馳せると、拙(つたな)いなりに当っている面もあるよなぁ、と苦笑してしまった。

年金生活の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもある。
そしてこれまで歩んできた人生の中で、ときには熱病のように無我夢中となったりする時があった。
              
大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりしてきた。
                              
                     
たとえば音楽の場合は、1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界に熱中した・・。

そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも退社後に週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。

こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を居間で、レコードが擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。
            

やがて1989年〈昭和64年〉初春に、遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。
『エレーン』の歌であり、この当時の私は音楽業界のあるレコード会社の情報畑で奮闘していた時代であった。

この当時、消費税実施が4月から初めて実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。

その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』の歌で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』の歌が支えとなっている。

この間、カセット、CD、DVDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。


そして1997年(平成9年)の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。
                                    

映画に関しては、小学4年生の頃から独りで、
たびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の直前に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。

この間、映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、古本屋まで行って買い求めたりし、
一年後には500冊ぐらいなったりした。

そして、脚本家として橋本 忍さんを神様のように信愛した。
映画監督の場合だと特にデビット・リーンに夢中になったりしていた。
アルバイトをしながら、映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。

この間、専門養成所に入り、やがて講師の知人の新劇の長老から、
映画は衰退するばかりで、同じ創作分野だったら小説を書けば、と強く勧められたりした。
                                   

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
       
       
そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしりした。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。

この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。
                   
                                         
その後の私は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
こうした中で、あるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の
各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は47年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読したりしている。
                
私は幼少の頃から、根は単細胞の性格のためか、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様である。
少年の頃から、なぜかしら女性に憧憬する癖があり、
青年の頃には失恋の方が多かったが、ときには相思相愛で無我夢中で、恋い焦(こ)がれた時もあった。
            
         
私は映画、文學、音楽、そして愛(いと)しき女性にも、
熱愛している時は、この世の中、あなたしか視(み)えない、というように、
時を忘れ、ときには食事も忘れ、寝る間も惜(ほ)しんで物狂いになったりしてきた。

恥ずかしながら齢を重ねても私の悪い癖は、ときたま活火山のようになるので、
もとより理性などの平常心は吹き飛んで、心酔を重ねることが多い。

そして、病気は治療すれば殆ど治(なお)るが、癖(くせ)は治ることは少ない、
と格言があるが、ときおり私は理性のある人に何歳になったらなれるの、と思ったりすることがある。
                               

余談であるが、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は私と家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、血液型A型となっている。

そして我が家では年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生する。

こうした時、私は中小業の民間会社で35年近く奮戦して、何かと悪戦苦闘が多かった体験を応用して、
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協してしまう。

『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている時もある。

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春眠暁を覚えず・・春に眠いのは、ポカポカ陽気のせいではなかった!?、老ボーイの私は学び、戸惑いながら微笑み・・。

2017-03-16 15:09:36 | ささやかな古稀からの思い
先程、 『Yahoo!JAPAN』に於いて『雑誌』コーナーがあり、私は見たりしていた中で、
【 春眠暁を覚えず……春に眠いのはポカポカ陽気のせいではなかった!? 】と題された記事を見た。

私はどういうことなのょ・・と思いながら好奇心に負けてしまい、精読してしまった。

この記事、私として初めて見る働く堅実女子のお悩み解決サイトの【Suits-woman.jp 】に於いて、
睡眠を改善したことにより体質改善に成功した経験から、睡眠を専門的に研究家の友野なおさんの寄稿文であり、
2017年3月15日に配信され、無断ながら転載させて頂く。、

《・・春眠暁を覚えず……春に眠いのはポカポカ陽気のせいではなかった!?

昔からから「春眠暁を覚えず」と言います。
春の夜は心地よく、朝になったのも気づかずつい寝過ごしてしまう・・という意味の、中国由来のことわざです。
しかし、春にうとうとしてしまうのは、実は暖かさのせいだけではありませんでした。
             

☆春は1年でもっとも寝にくいシーズン?

近ごろ眠いのは、当たり前。
気候もポカポカ暖かく、ついうとうとしてしまうもの・・そんなふうに思っていませんか? 
実は、春、眠気に誘われるのは、ポカポカ陽気のせいだけではありません。

意外に思われるかもしれませんが、春は1年の中でも、眠りにくいシーズンなのです。
春特有の理由から眠りの質が低下するので、
睡眠不足、朝スッキリ起きられない、昼間もうとうとしてしまう、というわけなのです。

理由は大きく3つあります。

1つは、花粉症によるアレルギー鼻炎です。

鼻がつまって口呼吸になったり息苦しかったりすると、眠りの質が低下します。
アレルギー鼻炎対策は後述します。


2つめの理由は、身の回りの環境、人間関係の変化が大きい季節であることです。

たとえば、みなさんの職場でも異動があったり、新しい人が入ってきたりしませんか?
個人的に引っ越しをしたり、新しい職場に移ったりする方もいるでしょう。

子育て中のお母さんも、新学期を前にあわただしい日々ではないでしょうか。

新しい環境、新しい人間関係に慣れるまでは、ふだんよりも緊張するものです。
つまり春は、ストレスがたまりやすい季節といえます。
ストレスが快眠をさまたげる一番の原因であることは、みなさん、もうよくご存知ですね。
             

そして3つめの理由は、寒暖差の大きさです。

真冬の寒さから、グーッと気温が上がって暖かくなったと思ったら、次の日はまた寒さに逆戻り。
冬から春にかけては寒暖の差が激しく、気候が安定しません。

体もそれに合わせて、調節をこまめにしなくてはならず、実は体に大きな負担がかかっているのです。
寒暖差という物理的な変化もストレス要因になります。


睡眠中の寒暖差対策は、寝具を賢く活用して対応しましょう。
今も羽毛布団や毛布をかけて、寝ている方が多いと思いますが、
その他に、綿、ガーゼ、シルク素材などの薄手のかけ布団を2~3枚、用意しておきます。

日によってちょっと寒かったり、ちょっと暖かかったりする春の夜。
薄手のかけ布団で、微調整することができます。
             

☆快眠は花粉対策から

最近は春のスギ花粉だけではなく、秋のブタクサ、季節を問わないハウスダストなど、
年中アレルギー鼻炎のアレルゲンが飛びかい、鼻炎に悩まされる人が増えています。

対策としては、まず寝具の見直し。
最近は寝具メーカーもいろいろ工夫していて、花粉のつきにくい布団カバーやシーツを発売しています。
多少コストがかかりますが、快眠のための必要経費と考えてもいいと思います。

次に、洗濯物は部屋干しすることです。
パジャマやシーツなど寝具はもちろん、洗濯物すべてを部屋干しにすること。
私はこの季節、浴室乾燥を利用しています。

お布団クリーナーも効果があります。
メーカーによって特性は違い、効果も多少違うと思いますが、
使わないより使ったほうが、当然、お布団はきれいになります。

そもそも論ですが、花粉は外から入ってきます。
外から帰ってきたあと、上着をそのままクローゼットにしまっていませんか? 

クローゼットは寝室にあることが多いですから、これをすると花粉を寝室にまき散らすことになります。
上着は家に入る前に、パタパタはたいて、家の中でもクローゼットや寝室に持ち込まないことです。
できれば玄関にハンガーを置いて、そこに掛けておきましょう。

このほか、室内の花粉やホコリは床に落ちてたまるので、
床から30㎝程度の高さがあるベッドで寝ましょう。
マスクの着用もおすすめです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は72歳の私と67歳の家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後39年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの厚生年金を頂きながら、程ほど貯金を崩しながら、ささやかに過ごしている。
       
こうした中で、平素の買物は私が自主的に専任者となり、家内から依頼された品を求めて、
殆ど毎日ように独りで最寄のスーパーに行ったり、ときには駅前まで徒歩15分ばかり歩いたりしている
買物メール老ボーイとなっている。
       
やがて買物を終えた後は、毎年のように我が家の周辺を三寒四温の中、
住宅街、遊歩道、公園などを独りでひたすら歩き廻り、冬麗の落葉樹の冬木立、或いは花を愛(め)でて、
季節のうつろいを享受してきた。
                    

そして帰宅後は、我が家の小庭に健気(けなげ)に咲いてくれた水仙を眺めたりしてきた。
                        

やがて確か2月20日頃だったと思われるが、玄関側にある小庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら数輪咲き始めて、やがて白梅は凛とした純白の色合いを早春の清麗の美として感じたりした。
            
ときおり玄関庭に下り立ち、昼下りの陽射しを燦燦と受けた白梅の花が、静寂の中に咲き、
私は微笑みながら、長らく見つめたりした。
                                  

そして梅の純白の花は、ときおり微風が吹くと、
かすかに花びらが揺れて、まぎれない美を幼年期の頃から、私は感じたりしている。


私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域では、
平年は3月下旬から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くが、平年の習わしとなってきた。

しかしながら昨年の2月下旬に、早咲きの河津桜(カワヅザクラ)の桜花にめぐり逢えて、少し困ったなぁ、と思ったりした。
1月には水仙、2月には白梅、紅梅、3月には桃の花、やがて桜花・・
このように私は70年ばかり過ごしてきたので、少しばかり戸惑ったりした。

そして戸惑いながら、早咲きの河津桜(カワヅザクラ)の桜花に瞬時に魅了されて、
今年も少年のように、2月中旬の頃から、まだかしら、と幾たびも、公園に寄ったりして、
やがて今年も再会できて、歓びを重ねたりしてきた・・。
             

或いは私が幼年期の頃から、好きな多彩な椿の花に、心を寄せたりして過ごしてきた・・。
               

このような思い馳せたりし、過ぎ去った『如月(きさらぎ)』の2月に愛惜を秘めながら別れを告げたりした・・。
       

そしてぼんやりと、新たな『弥生(やよい)』の3月を迎えて、
お待ちしていましたょ、と心の片隅みで呟(つぶや)いたりした。

古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
『桜月(さくらづき)』、『桃色(ももづき)』と称せられ、寒さが長らく続いた冬の季節が過ぎた後で、
暖かな春の訪(おとず)れに、数多くの人々は共有しながら悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。

こうした中、私の住む地域では、昨年の12月頃から平年より暖かく、
寒い季節には暖かさが何よりょ・・と家内の口癖を私は聞きながら、過ごしたしてきた。


こうした思いで過ごしてきた私は、3月の時節は我が家の近くの遊歩道を歩き、
ときには小公園に寄ったりすれば、
毎年のように桃、やがて桜の花にめぐり逢え、私は小躍(こおど)りしながら歩いたりし、
3月の散策は少年のように悦び勇(いさ)んで歩き廻ってきた・・。
             

こうした中で、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は芽吹き、
幼年期に農家の児として育った私は、見惚(みと)れながらも、何よりも愛惜を深めながら、
今年もしなやかに過ごしなさい、と天上の両親、祖父などに励まされる季節となっている。
             

もとより3月は、初旬には日本中の女の子をそれぞれのご家庭で慶(よろこ)び祝う『桃の節句』、
下旬の初めには新たなる旅立つの園児は『卒園式』、学童、学生は『卒業式』などが祝賀され、
こうした中で働いて下さる新たなる社会人の諸兄諸姉が、不安と希望を秘めてスタートされる時節でもある。

そして社会の中核である働いて下さる諸兄諸姉も、再就職や人事異動などで、
新たなる職場に配属され、戸惑いながらも意欲充分な志(こころざし)で、勤務される時期でもある。

私はこうした時節は、定年後に年金生活を過ごし13年生の無力な身ながら、
それぞれの人々の人生の門出に、微笑ましく感じて過ごしている。
                     

このような3月は、天上の気候の神々のきまぐれな采配により、
『春に三日の晴れなし・・』と古人からの伝えがあり、春3月は快晴の日が長く続くことはなく、
少年や少女の多感の心情のように、天候は定まらないことに、齢ばかり重ねた私でも戸惑う時節でもある。

このように過ごしてきた私は、今回の記事を読み終わった後、微笑んだりしてしまった。

平素の私は、ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

たまたま深夜まで読書をしていた時は、目覚めた時は少し眠いが、
やはり朝の7時頃に、人生は気合だ、と心の中で呟きながら、起床したりしている。

こうした時、昼食後まもなく、二階の和室六畳の寝室に行き、
この時節は、敷き布団を二枚敷き、この上に電気毛布をセットさせて、シーツを敷き、
そして毛布と掛布団としている。

やがて15分過ぎた頃、電気毛布の威力で布団が暖かさが増した頃、
私はパジャマに着替えて、本を持参して、寝室に行く。

そして窓際から陽射しが差し込む中、私は布団にもぐれば、暖かく、
本を読みながら、まもなく寝てしまう・・。
                           

やがて一時間半過ぎた頃、ぼんやりと目覚め、まどろみながら、
この世で何より倖せ・・と感じながら甘受したりしてきた。
             
私は現役サラリーマン時代の大半は、睡眠時間を削りながら、
多くの諸兄と同様に奮戦してきたが、退職後の年金生活をしている私としては、
もとより昼寝ができることは、夢のような甘受のひとときとなっている。

こうした中で、ここ一週間は深夜に読書をしていない私でも、
午後のひととき、眠くなって戸惑ってしまう・・。

やはり齢か、或いは3月のうららかな時を感じて、昼寝に誘惑されてしまう・・。

そして富も名声も無縁な私としては、よく眠れる老ボーイかしら、と微笑んだりする時もある。

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