今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

みっともないハプニング 

2016-05-15 07:31:24 | 旅行

今日の記事は連続投稿をスタートして七編目、最終回(?)に当たります。

いつも思いのままに綴るだけで、いよいよ投稿となってからの推敲と画像のアップの作業が、結構大変な私。

ですから最終日ともなると、とてもホッとして・・・・・・。

毎日連続投稿していらっしゃる方々の努力に、頭が下がります。

気力が余程充実しておられるのでしょう。

 

一人身になって以降も、相変わらずまだ忙しくて、落ち着かない日々が続いています。

最近は銀行の方の出入りもあり、少ない資産ながら、いかにそれを分散するか、いろいろ頭を悩ましたり、と。

一方、相続の申告書の記述は、いよいよ終盤に。

銀行の方に尋ねたところ、税理士などに依頼すると、約百万ほどかかるといわれビックリ!

結局妹の大きな力を頼って、わたし達だけで何とかなりそうなところまでこぎつけました。

娘たちにも、妹ほどではありませんが、週末などに、手伝ってもらっています。

この大仕事が終われば、精神的に随分楽になれることでしょう。

その日が待ち遠しくてならない私です。

 

広島の宇品港

 

さて、今日の記事は、このたびの旅行記の最終章になります。

書くのが憚れる程、恥ずかしいドタバタ劇と、二度目のお墓参りなど、新幹線に乗車するまでの行動を、私事に過ぎませんが、また綴らせていただきますね。

 

宮島観光は、いい加減な所も多々ある私にしては、上出来な内容でした。

雨のため、弥山の展望台に上るのは諦めたものの、私のイメージ通りに行動がとれたと言っていいでしょう。

 

また同じ高速船に乗車し、ホテルへ予定より一時間程早く戻った私。

今日こそは、旅における私の楽しみの一つ、優雅なホテルライフを満喫するはずでしたのに。

ところがです。

戻って1時間足らずで、私の不注意から、狼狽甚だしい恥ずかしい出来事に見舞われる羽目に。

 

客室に戻り一服したものの、まだお食事処、「なだ万」の予約時間までには数時間ありました。

それで、このホテルの温泉で、夕食前に温泉浴を愉しんで来ようと思った私です。

 

宮島とホテル間を往復したときに乗船した高速船

 

私が生まれ育った実家は、広島の中心街とこのホテルのある港のちょうど中間あたりに位置しました。

どちらにも、タクシーですと10分足らずで着きます。

ですから、こんな場所で温泉が湧くなんて、私には意外ででちょっとした驚きでした。

海辺のため、塩分の強い泉質のようでしたが、私は久し振りに心ゆくまで温泉浴を満喫できました。

まだ日が暮れる前の事ゆえ、入浴者は私を入れて三名ほど。

たった一人の時もあり、普通風呂、ジャグジー風呂、露天風呂を一人じめにし、気ままに移動。

夫のことを思い出しながら、の〜びり、「いい湯だな〜」の至福のひと時でした。

 

 宮島の風景です

 

ところが、お風呂から上がり脱衣場のロッカーの鍵を開けようとしたところ、その鍵が見当たりません。

鍵の着いたゴムバンドを腕に回して温泉に向かったのは確かです。

恐らく湯につかる時、手持ちのタオルと一緒に、そばに置いたのでしょう。。

置き忘れただけの事、と安易に考えたのが大間違い。

心当たりを、いくら探しても見当たらず・・・・・・。

湯船の底まで、目を凝らしてキョロキョロ、キョロキョロ。

でも、それらしきものは目に留まりませんでした。

 

「これは大変!洋服が着られない!」とすっかり狼狽した私は、温泉の出入り口に立つ係りの人に事情を話しました。

けれど、期待通りにはすぐ動いてもらえません。

また浴場に引き返し、思い当たる場所をすべて見て回りましたが、見つかりません。

私の格好は、タオルを一枚体に巻き付けただけ。

幸いにも、その場に居合わせたのは、後半は私一人だけでした。

自分の憐れな姿を他人に晒さずに済んだだけでも、幾分は助けられた私ですが。

 

4〜50分経過した頃になって、受付の人が、やっと合鍵でロッカーを開けてくれました。

責任者が外出中で、そのスーパーキイが手に入らなかったとの事。

裸のままで、それを待つ間の私の惨めさは、どなたでもご理解いただけるのではないかしら。

それまでの楽しい旅の思い出は、吹っ飛んでしまう程の情けなさでした。

 

宮島の豊国神社から臨んだ厳島神社と反対側の景観です。

 

探す間、私が一番心配したのは盗難です。

「開いたものの、中の貴重品や衣類がなくなっていた、なんてことにならないかしら」と心配し、胸のドキドキ感が次第に高まっていきました。

開いてよかった!

中のものも、すべて無事でした。

 

一流のホテルで、盗難なんてめったにあり得ませんよね。

自分の落ち度を棚に上げ、すぐ他人を疑うなんて。

これもボケの兆候では。

恥ずかしくなりました。

 

お騒がせしたことを受け付けの人に詫びて、温泉を後にしたものの、鍵は見つからないままです。

部屋に戻り、身支度を整え直し、上階の食事処「なだ万」に行きました。

フルコースの懐石御膳を奮発していただいたものの、鍵の行方が頭から離れず、全く美味しく感じられません。

カメラも忘れてしまった私です。

夕食を済ませその足で、また温泉に寄りました。

けれど、まだ鍵は行方不明のまま。

 

翌朝、ホテルを立つ前にまた寄った時に、鍵が見付かった事を、やっと知らせてもらいました。

ジャグジー風呂の底に落ちていたそうです。

私が推測するに、おそらく強い水流に押され、細い腕にぶかぶかの状態でかけていたゴムバンドが、鍵もろとも、腕から外れ落ちてしまったのではないでしょうか。

身体の他は、どこも太い私なのに、なぜか手首だけはとても細いです。(笑)

やっと安心!納得でき、ホテルを心置きなく後にすることができました。

 

 

カメラ騒動で振り回され、鍵騒動では冷や汗をかき、楽しいながら少々情けない一人旅になってしまいました。

けれど、旅の目的のお墓参りは十分時間を取り果たすことができましたから、良しとしましょう。

旅の最終日、ホテルを早く出て、二度目の墓参をしました。

旦那さまにも、私の珍道中を包み隠さず報告しました。

「間が抜けたところは、相変わらずだなあ〜」と苦笑いしていたに違いありません。

その後、駅へと。

 

 

 

わたしが乗車する新幹線、二時発の「のぞみ」までに、まだ時間は十分ありましたから、広島の名物のお好み焼きを駅の構内のお店で食べました。

「みっちゃん」と言う、お好み焼き屋さん。

郷里では、有名処のお店のようでした。

私はお好み焼きが好物といったわけではありませんでしたが、今回の旅はガイドブックに忠実に行動することがモットーでししたから。(笑)

やはり、量が多すぎて、半分しかいただけなかった私です。

でも、お腹がいっぱいに。

その満腹感と、失敗はいろいろあったものの、予定通りに墓参と観光を終えられた満足感を胸に、帰りの車中の人に。

次回の墓参は、お盆前の頃を予定しています。

 

 

住み慣れた郷里ゆえもありますが、今回の旅行で、一人旅に多少自信がついた私。

墓参以外でも、遠出を、今後再々愉しみたい、と願っている私ですが・・・・・・。

極端に少なくなってしまった遺族年金収入と相談しながら、になります。

出来れば遺族年金収入の範囲内で、身の丈に合った暮らしをしたいと、強く思っている私です。

貯金は努めて切り崩さないようにしましょう。

蓄えの一部は、海外旅行用と家屋の維持費に割り当てましたが、自分の今の体力では、、遠方の旅は何だかもう無理そう。

 

何はともあれ、「今日が一番素敵」の思いで、今後の余生を心豊かに過ごせるように努めてまいりたいと願っています。

夫への感謝の気持ちを、常に忘れないで・・・・・・。

 

この旅の一連の投稿でも、たくさんの応援を頂戴し、本当に有難うございました。

実に気ままな自己流の投稿の仕方で、少々恥ずかしくもありますが、この方法が、心の重荷にならず、ブログ綴りを一番私は楽しめるようです。

勝手ながら、今後ともご理解の程、宜しくお願い致します。

 

まだ記事にしたい話題がいくつかあります。

お花見の話題も、書き尽くせていませんし、孫息子の啓太君と恐竜展に出かけたこと等も。

一番大きな話題は、長女が、夜のニュース番組に出演。

コメンテーターと、数分間、対談したことでしょうか。

「谷根千散策」へ、親友のKさんと出かけたことも、とても楽しい想い出になっています。

 

本当は、感動が覚めやらない内に書きたいところですが、のんびりペースで綴っているので益々遅れがち。

我ながら残念ですが、これからも、思い出し思い出し、多少でも皆様に臨場感をもって愉しんでいただける記事になるように頑張りたい、と思っています。

 

 

新緑が瑞々しいしいさわやかな季節。

心に、緑の風と空気をいっぱい吸いこんで、お互いによき日々を紡いでまいりましょうね。

 

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充実した旅路二日目ながら・・・・・・

2016-05-14 07:44:33 | 旅行

旅行二日目の朝を迎え、早朝目を覚ました私。

昨日の疲労は消え、体調は悪くありません。

カーテンを開けると、瀬戸内の島々が点在する、静かな海が広がっています。

陽がかすかに差し、空は朝焼けでほのかに染まっていました。

旅情を掻き立ててくれるには、十分な景色です。

 

今日はホテル専用の桟橋から船に乗り、世界遺産の宮島に渡ります。

自ずと心は弾みましたが、頼れる人は誰もいない一人旅。

いろいろな不安が心をよぎります。

観光に時間を取られ過ぎ、万一最終の船に乗り遅れると、島ゆえホテルに戻れず大変なことに。

<時間厳守>と、心に刻みつけました。

 

宮島のホテルに宿泊することも検討しましたが、一人泊が可能な所は一か所だけ。

それでは、私の希望通りにはいきません。

荷物を運ぶ手間も省けるため、プリンスホテルに戻る選択をした私です。

片道乗船時間は25分足らずで、時間もかかりませんから。

 

 

朝六時過ぎに、早々と最上階のスカイラウンジでビュッフェの朝食を済ませました。

人影もまばらなホールの窓からの景色は、客室の眺望より、はるかに素晴らしいものでした。

 

 

多島美の穏やかな瀬戸内の海原と朝日が雲間に見え隠れする光景を、お食事をいただきながら見惚れぱなしだった私。

けれど、空の気配から察するに、お天気はあまり良くなさそうです。

 

 

心配した通りでした。

いよいよ心躍らせ桟橋に向かうためにホテルを出ると、なんと小雨模様。

雨だなんて、ちょっとショック。

妹の注意を守り、珍しく荷物は小さなポーチバッグとカメラだけの身軽さでしたが。

ホテルに戻り、ビニール傘を貸してもらい、高速船に乗り込んだ私です。

 

懐かしい宮島に、いよいよ到着です。

朱色の鳥居が最初目に入り、目的地に着いた実感が胸に迫りました。

 

 

 

数十年ぶりの再訪でしたが、過去に幾度、この場所に来たか、とても数え切れないほどです。

小学校入学後、高校を卒業するまで、遠足で十数回は訪れているでしょう。

中高時代は、遠足のみならず、宮島の裏の海辺で、夏休みにキャンプを愉しんだことも数度。

結婚後は、毎夏帰省し、ひと月程度、実家に滞在することが常だった私です。

その時は、幼い子供たちを連れ、母も一緒に、二泊三日の宮島行きを、毎年の恒例にしていました。

シカのいる海辺や、水族館、お山の頂上ではおさる見物に興じたものです。

そんなゆったりした帰省を、一人暮しに甘んじて、文句ひとつ言わず許してくれた旦那さまでした。

 

 

また文章が、テーマから外れてしまいました。

観光のお話に戻しますね。

でも私は、立ち寄った観光名所を、丁寧に説明する記述は苦手のようです。

と言うより、そのような綴り方を余り楽しく思えません。

後で、その作業をしなければならない、と思うだけで、旅行中の気分に何がしかのストレスが。(笑)

困った、不勉強極まりない横着ブロガーです。

 

その説明は極力簡単に済ませ、私が感じたことのみを書き記す程度にとどめさせていただきますね。

不親切な記述で申し訳ありませんが、お許しください。

 

 

海上の優雅な社殿、厳島神社と弥山(みせん)が、世界遺産に早々となったことは、どなたでもご存じでしょう。

平清盛がこの地を選び、厳島神社を造営したことも。

詳しく述べると、推古天皇の時代に創建されたものが、平清盛によって、現在の形になったようです

その周りにも、由緒ある寺院や神社が点在しています。

 

 

私にしては珍しく、ガイドブックの案内に忠実に従い、厳島神社を主に、その他の観光スポットも丁寧に見て回りました。

何故かと言うと、夫の四十九日法要後、妹と二人で尾道・倉敷の旅を愉しんだ時の事。

妹の緻密な旅の行程表に感銘を受けたからです。

そのような表までは作りませんでしたが、ガイドブックは読み込み、頭の中では、計画がある程度練られていました。

私にしては、その行程通りに回れた、上出来の一人旅だったのです。

 

 

あいにくにも、宮島を散策中はずっと雨。

已む無くこの度は、神が宿るといわれる弥山(みせん)にケーブルで上り、瀬戸内の景観を眼下に見下ろす楽しみは中止に。

雨模様では、おそらく何も見えないでしょうから。

 

弘法大師の開創以来、山岳信仰の霊峰として崇められてきた弥山。

お天気がよくないため、その山は、うっすらと靄がかかり、幽玄さを一層湛え、神々しくそびえたっていました。

 

海、山、朱塗りの鳥居と神社のしっとりとした落ち着いた景観。

それらが、私の目に一体となって映り込み、言いようのない感動に打たれた私です

雨でよかったのかもしれない。

悲しみが抜けきらず、涙しがちな私の心には、雨の情景は実にしっくりと馴染みました。

 

 

寺院の多い尾道を観光したときも同様な思いになったものですが、宮島は、旦那さまを偲び、冥福を祈るには最適な場所でした。

厳島神社以外にも、それと関連した古刹や由緒ある建物ををいくつか観て回った私です。

厳島神社〜宝物館〜大願寺〜歴史民族資料館など。。

その度に、賽銭を入れ、手を合わせ、夫の冥福を祈りました。

 

 

大願寺(高野山真言宗の古刹)では、思いがけない親切も受けました。

恭しく参拝後、その場を去りかけたとき、お守りなどを販売する店先にいらっしゃる若いお坊さまに声をかけられました。

何事、と近寄ると、「背中に白いものが付いていますよ」と。

言われて羽織った黒のカーデガンを脱いで見ると、どこかでこすったのでしょうか。

目立つほどでもありませんでしたが、確かに白くなり汚れていました。

こんな小さなことでも気にかけ、声をかけてお知らせくださったお坊さまに、感謝溢れる思いがした私です。

心からお礼を言って、その場を去りました。

寂しい私の心が、ほんのり温められたかのよう。

忘れられない思い出の一コマになりました。

 

 

 

お昼食は、厳島神社を出て、徒歩5〜6分で辿りつける老舗のお食事処「藤田屋」で、あなごどんぶりをいただきました。

有名処のせいでしょう。

待ち時間も長く、しびれを切らしそうでしたが、その甲斐はありました。

とてもとても美味しくて、お腹いっぱいに。

 

 

 

その後訪れたのは、豊国神社(千畳閣)。

気付かず通り過ぎてしまいそうな場所にありますが、見ごたえ十分です。

秀吉が1587年に建立した大経堂で、857畳もある広さから、千畳閣と呼ばれているそうです。

 

 

体力が持つかなと心配になるほどの長い階段を登り切ったところに、そのお寺があります。

大広間の廊下からは、厳島神社の全景と海が一望でき、その眺望は絶句するほどの素晴らしさでした。

カメラの被写体としても申し分なくて・・・・・。

撮影の腕がもう少しよければ、よい写真がたくさん撮れたのですけれどね〜

 

豊国神社の傍に立つ五重塔
千畳閣の廊下から間近かに見た五重塔は、圧巻でした。

 

ここを見学後に、懐かしさ一杯のもみじ谷公園へ。

中高での遠足の時は、弥山の山登りを終えた後、ここで、母手作りのお弁当で昼食を摂りました。

その後、せせらぎに足を浸けたりして学友と遊びに興じたものです。

秋の紅葉時の美しさ格別です。

 

 

この公園からほど近い所に、山の展望台行きのロープウェイの発着場所があります。

今回は先に挙げた理由で、登るのは、残念ながら中止。

 

そのため、時間はまだ十分有り余っていましたが、私が回りたい観光スポットはほぼクリヤーできた私です。

後残すは、桟橋に向かう帰路に沿ってある町屋通り。

それに並行するように、お土産やさんが軒を連ねる表参道商店街がありますが、そこには関心がなかった私。

記憶が割と鮮明で、新鮮味を感じませんでしたから。

年齢にふさわしく、ひなびたイメージのする町屋通りに惹かれた私です。

予定通り、そこの入り口あたりに辿りつき、カメラを構えてシャッターを押そうとしたところ、反応がなくて。

何と、またまた電池切れでした。

新しい充電器を買い求めたものの、充電に十分な時間をかけなかったようです。

このあたりの注意力の欠如は、悲しいかな年のせい。

まだまだこの後、大きな失敗が待っているのですけれどね。

 

町屋通りは、期待したほどではなく、古い建物より、立て直された真新しい家のお店の方が多くて。

倉敷のように、歴史ある建物を保存することに、もっと力が入れられなかったものでしょうか。

世界遺産にまでなった観光地ですのに、とても残念に思いました。

 

但し、私が何となく心惹かれて入った町屋通りの喫茶店は、とても落ち着いた風情で、町屋の趣を十分に感じさせてくれました。

ガイドブックにその店のひと隅が載り、紹介されていることに、後で気が付いた私です。

喫茶の店名は、「ぎゃらりぃ宮郷」。

 

私にしては、実にスムーズに予定の観光スポットを観終わりました。

予約の乗船時間までには、まだ十分時間があります。

そのため、乗船を一時間ほど早めた私です。

 

その分を、ホテルで心ゆくまで寛ぎましょう。

昨日は、私の不注意による予定外の浪費を埋めるべく、デパートで購入した酔心の850円の幕の内弁当で夕食を済ませた私でしたが。

今日は、朝から予約しておいた和食処、なだ万での夕食が待っています。

船の車窓から、海を眺めながら、ホテルライフで紡ぐ優雅な時間に期待した私でしたのに・・・・・。

とてつもないドタバタ劇が待っていようとは、みじんも思わなかった私です。

明日はその憐れな出来事も、話題の一つとして取り上げますね。

 

今日は、いつも以上の長文になってしまいました。

貴重なお時間を割き、最後までお読みくださった皆様に、恐縮の至りです。

有難うございました。

 

 

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ホテルの印象は・・・・・・

2016-05-13 07:21:10 | 旅行

十分とは言えなかったお墓参りでしたから、少々心残りのままお寺を後にしました。

お寺さんが呼んでくださったタクシーを、いつまでも待たせるわけにはいきません。

急ぎ足で、寺院の門を出て、タクシーに乗り込んだ私。

「お待たせしてすみません」と運転手さんに一言声を掛けました。

タクシーに乗る度に、懐かしい広島弁が、耳に心地よく響きます。

向かうは広島駅。

そこから広島グランドプリンスホテルの送迎シャトルバスに乗り、ホテルへと。

 

旅行の際、ホテルライフは私にとっては、観光に勝るとも劣らないといっていいほど楽しみな事の一つ。

今回も非日常の空間で寛ぐことへの期待は大きなものでした。

その期待感が、タクシーの運転手さんの一言でますます高まっていった私です。

このホテルが、4月11日から開かれるG7外相会議で利用されると聞いたからなのですが。

 

けれど、実際に到着するとどうだったでしょう。

海岸の岬に立地するホテルゆえ、自ずと私のイメージは膨らみました。

美しい海岸線と緑を望みながらのしばらくのドライブを・・・・・・。

しかし、その期待は見事に裏切られ、普通の住宅地を抜けると、あっという間にホテルに到着。

目に飛び込んできたホテルのエントラス周辺の一部は衣料品の商店街になっていて、ホテルらしい格調さに欠けた雰囲気でした。

でも、中に入ると、圧巻!

 

 

吹き抜けのそれはそれはゴージャスなホールが私を迎え入れてくれました。

ホールの中央には噴水まであります。

けれど、余りに豪華すぎ、ほっと一息つけるような落ち着きさではなくて・・・・・・。

 

フロントで受付を済ませ、客室に到着。

 部屋に通された時の第一印象も今一つ。

ちょっとがっかりした私です。

何故だろう?自分でもその理由がよく分からず、帰宅して思ったことは。

ベッドカバーが白で統一されていたからかもしれません。

調度品も、北欧的で軽い印象でした。

カーテンもホテルらしくない柄。

次女にその感想を述べると、白で統一したホテルは、最近は良く見かけるわよ、と。

 

でも私は初めて目にしたことでしたし、おそらく白から病室を思い出し、一瞬拒否反応が心に影を落としたのかもしれません。

前面のガラスの窓からの瀬戸内の海の眺望も、半分小山で遮られていました。

格安の料金で、パックにしてもらったこのたびの広島往復の旅。

止むを得ないことだったのでしょうけれど。

 

 ツインベッドルームで広さは十分でしたが

 

その上、その日のお夕食も、私の計画とは大違い。

デパートで求めた酔心の幕の内弁当でした。(笑)

旅行の間は、ホテルのレストランで食事をする予定だったのですけれどね〜。

カメラ騒動で、予定外の出費となり、無駄なお金を一万円近く支払ってしまいましたから。

それを埋めるべく、倹約することにしました。

 

時間には十分ゆとりを設け、のんびりと旅を愉しみたい、と願っていた私です。

けれど、一日目は慌ただしく過ぎ、疲労も濃く、ホテルの印象も今一つ。

温泉施設の浴場もありましたが、そこへいく元気もなく、部屋のバスで入浴を済ませ、早々に就寝。

旅の初日から、思いがけない失敗で神経を遣い、疲れ果てていたのでしょうか。

夜はぐっすり眠り、翌朝を迎えることができました。

 

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夫のお墓参り

2016-05-12 07:16:08 | 旅行

広島駅に到着後、タクシーで夫の菩提寺に直行予定でしが、私の頓馬で、すっかり計画が狂ってしまった旅行の初日。

数点のお店を駆け巡り、カメラの充電器とお花を買い求め、お寺にたどり着いた頃には陽がすでに傾きかけていました。

まずは、お墓に行き、旦那さまに声をかけましょう。

とは言っても、私は毎日、家でも語りかけているのですけれどね。

墓前では、改まった気持ちになれます。

 

次第に嬉しさが込み上げてきましたが、そのお墓がなかなか見当たらない。 

長い間、広島の墓参は夫の役目で、私はご無沙汰続きでしたから。

お墓が立ち並ぶ細い道を、キャリーバッグを引きながら、右往左往して幾度も通り抜けるうちに、やっと見付けることができました。

念入りに汚れた墓石をたわしで磨き、お花を手向けた私です。

両隣の親戚のお墓にも。

 

墓前では、まだどこか半信半疑だった夫の死を改めて受け止めながら、感謝の思いを深くしました。

けれど、ここに辿り着くまでの慌ただしい行動で、少々疲れ気味だった私。

果たして、心静かに落ち着いた心境で、お墓を参ることができたでしょうか?

 

 

墓参を済ませ、その後お寺さんにご挨拶に行きました。

住職様の御母堂様が玄関先に出ていらっしゃいました。

一昨年までの前住職様でいらっしゃいます。

夫が逝ったあと、その後の事について、色々ご相談に乗っていただいたのですが・・・・・・。

その時の電話のやりとりの印象は、あまり良いものではありませんでした。

娘たちも同様の思いだったようです。

金銭的なお話が多過ぎましたもの。

私は、四十九日の法要の際、一体いくらお寺さんにお納めしたのでしょう。

院号代も入れると、大きな額になりました。

 

更にお彼岸の前には、寄付の要請もあり、一口10万以上でしたが、遺族年金で暮らす身の私です。

「もうそんなに払いたくない」との不謹慎な気持ちから、今回は、5万円包んで用意していました。

去年の春ごろからの要請だったようですが、私は介護が大変で、それを気に掛ける心のゆとりもなくて・・・・・・。

ゆとりがあっても、無視したかもしれません。

 

けれど今回は、今後、夫の供養でもいろいろお世話になると思うと、そのような態度はさすがに取りづらくて。

心ばかりの寄付に、お彼岸の法要のお布施とお茶菓子を添えてお渡ししました。

 

 バラの世話が苦手な私ながら、今年はアイスバークが清らかな純白のお花をたくさんつけてくれました。
わたしには、まるで夫の死を悼んでくれているかのように見えます。

 

ところが、少々印象が悪かった前住職様が、私を心から歓迎してくださり、遠方からの来訪の労をねぎらう温かなお言葉をたくさんかけて下さいました。

「お上がり下さい」と言われましたが、ホテルの送迎バスの最終時刻が迫っていましたから、丁寧にご辞退して、またお墓に戻りました。

そこで、まだ多少余裕ある時間を過ごしていると、先ほどの前住職様がお見えになり、簡単なお経をあげて下さいました。

感謝の気持ち一杯に。

電話のやりとりで受けた悪い印象は、そのころにはすっかり消えていました。。

 

実は、開業医だった義父は、医院は遠いのに、このお寺さんのかかりつけ医だったようです。

〜先生と呼んで、思い出話までしてくださいました。

 

今後、私が元気なうちは、お寺さんとの長いお付き合いが続くのでしょう。

私達は長男長女の結婚でしたから、守らなければならないお墓が二つあります。

余り義理堅くお寺さんとのお付き合いをしていると、経費がかさみ、大変なことに。

ほどほどに義理を果たしたいところですが、そんな器用な振る舞いが私にできるでしょうか。

何だか、今後のことがちょっと心配です。

 

昨日の私の画像の眼付きの何と暗い事。
数か月前までは、あんな寂しげな眼付きの日が多かったです。
でも今は、ずいぶん元気になり、夫に日々声をかけながら前向きの暮らしをしています。
誤解を招くといけないので、そんな明るい表情の私の画像でもう一度御対面。(笑)

この写真を見て、母に似ていると、しみじみ思いました。

 

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さぁ〜出発 !

2016-05-11 07:14:39 | 旅行

いよいよ、郷里の広島に出かける朝になりました。

旅慣れない私は、数日前から準備を始め、用意は周到のはずでしたが・・・・・・。

自分に自信が持てなくて、早々に家を出ました。

駅には、何と4〜50分前に到着。

待合室で、長い時間待つ間、宮島観光のガイドブックを見たり、新聞の切り抜きを読んだり・・・・・・。

お寺さんに納めなければならないお布施や寄付金、諸会費などを入れた袋の中身をもう一度確認したり、と。

 

ゆったりした旅行スケジュールを立てているので、日ごろ気になりながら手が付けられないこともしたいと、相変わらず欲張りの私。

書物をはじめ、いろいろスーツケースに詰め込んで、結構な荷物になりました。

旅行では、非日常を愉しむのが一番の醍醐味のはずですのにね〜。

日常を引きずったまま旅立とうとする私は、なんだか矛盾していますよね。

 

旅慣れた妹に(ブログ名 世界に一つだけの姥花日記)、

「旅に出るときは、できるだけ身を軽くすることが一番大切。

欲張っていろいろ持っていっても、観光以外何もできないものよ」

と言われました。

今回の旅行では、それをまた思い知った私です。

 

この画像は、広島駅のホームです。

 

いよいよ新幹線「のぞみ」の発着時間が近づき、早めにホームへと。

すると、しばらく経過後、携帯のメロディーが鳴り出しました。

長女Mちゃんの声です。

今日は大阪に日帰りの出張のようでした。

けれど、周りの騒音に掻き消され、話す内容がよく聞き取れません。

「何番ホームにいるの?」と尋ねられ、「四番ホームよ」と答えた私ですが・・・・・。

 

車中の人となり、「のぞみ」が発車してから、私はMちゃんに電話を掛け直しました。

先ほどは良く聞こえなかったので、聞き直すためです。

何と同時間帯に、Mちゃんも同駅にいたとの事。

私に会いたくて、私がいるホームに駆けつけてくれたようでしたが、見付けられないうちに、新幹線が発車してしまったとか。

それを聞き、とても残念に思いましたが、そんな行動をとってくれたMちゃんの思いが嬉しくて、私は何だか感激。

チョッピリ胸がキュ〜となりました。

それなりにお洒落をしていた私の出で立ち姿を、見てほしかったなぁ〜。

 

    

                                                       旅立つ時と帰りの服装です。         二日目の服装です。

一人旅のため、自分の写真が撮れず、やむなく自撮りをしました。

 

この日は次女のMちゃんも留守で、既に数日前から、スイスに出張中。

夫が逝ってしまった後も、遺された家族は、みんなそれぞれ自分の立場で活躍しています。

このブログのテンプレートの図柄の三本のローソク。

これは、私達のつもりでいます。

夫の命を継ぎ、三人でしっかり灯をともし輝いていましょう、との私の思いを、このローソクに込めました。

私達の活躍ぶりを見て、旦那さまは喜んでくれているでしょうか。

 

いろんな感慨を胸に、乗車した「のぞみ」でしたが、静岡あたりに来たとき、冠雪の富士山の全容が、秀麗な美しい姿で私の目に飛び込んできました。

しばし見惚れてしまった私ですが、すぐ我に返りました。

急いで写真に収めないと、一瞬で通り過ぎ、シャッターチャンスを逃してしまいます。

慌ててカメラをバッグから取り出し、撮影の構えをし、シャッターを半押し。

ところが、何としたことでしょう。

全く反応がありません。

一体どうしたこと?と慌てたものの、すぐにその理由が分りました。

電池を使い果たし、充電しなければいけない状態になっていたのです。

 

ネットより拝借しました。
わたしが目にした富士山は、この画像通りでした

 

念入りに旅行の準備はしたつもりでしたのに、またこの有様。

相変わらず頓馬な自分に、呆れ返ってしまいました。

写真をたくさん撮る旅行中は、充電器は必須の持ち物のはずです。

それも忘れてしまうなんて。

 

広島駅に到着したなら、供花を求め、最初にお墓参りをする予定でした。

菩提寺は、駅からほど近い所にあります。

その後、駅発の送迎シャトルバスに乗り込み、瀬戸内海を望むホテルに向かうつもりだったのですが。

 

四十九日の法要以来のお墓参り。

それを済ますと、遠方ゆえ、今後しばらくは夫の菩提寺にはこれません。

そのため、お花を供えたお墓を、想い出の記念に、是非写真に収めたかった私です。

 

電池とお花をどこかで買い求めなければ・・・・・・。

お昼下がりに広島駅に到着した私は、焦る気持ちを静めるようにして、予定になかった行動に出ました。

駅前のデパートを教えてもらい、そこに足を運びましたが、カメラは扱っていないとの事。

仕方なく、タクシーで市内の中心街まで出かけることにしました。

郷里ゆえ、地理に詳しくてその点は大助かりです。

広島の名物と言っていい「ちんちん電車」が目に留まりました。

乗りたくなりましたが、そんな悠長な行動をとっていては、お墓参りが遅くなる一方です。

止むを得ずタクシー利用で往復することに。

 

これも、ネットから拝借した画像です。
広島電鉄の路面電車
先に原爆ドームも見えます。

 

ところが、広島市内で一番大きなデパート「そごう」でも、カメラを扱っていませんでした。

尋ねたデパートの案内係の人が、「目の前のお店エディオンで恐らく販売していると思いますよ」との事。

言われた通り、その家電量販店にありました。

ホッと胸をなでおろした私です。

 

最初、私は電池を購入予定でしたが、新しい電池は充電しないと使用できない、と言われ、充電器を買うことに。

その後、慌てて駅近くのお寺へとタクシーで向かいました。

ホテルの送迎バスの最終は5時過ぎです。

それまでに駅に戻らなければなりません。

時間に追われるようにして夫の墓参を済まさなければならなくなった私。

こんなつもりではなかったのに・・・・・・。

 

私の広島行きの一番の目的は、夫に会うためのお墓参り。

墓前で夫に語りかけ、心行くまで過ごすつもりでした。

その目的を果たすことができたでしょうか。

この続きは明日に回します。

 

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一人旅への思い 

2016-05-10 06:53:59 | 旅行

今日は、既に一月半以上前の事になってしまった、一人旅の思い出を綴ります。

けれど、記憶力が心もとなくて、霞がかかったよう。

キーを打つ手に、勢いが出そうにありません。

書く内に、その思い出が次第に鮮明となり、どうか言葉が溢れてきますように。

 

私にとって、一人旅は本当に久しぶり。

夫が亡くなる半年前、小学校時代の恩師のお墓参りと伊勢参りを兼ねた同窓会に参加したときの事。

目的地に到着するまでの新幹線利用の行程が、一人旅(?)と言えないでもないけれど・・・・・・。

それ以来の事です。

その時も、目的地に着くまでに失敗を数度重ね、自分のボケを改めて認識。

とても心配になったものでしたが・・・・・・。

 

情けない事に、今回も同様のあり様だったのです。

でも、何とかその件は無事に収めて帰宅できたのですから、良しとしましょう。

その失敗については、追々綴ってまいりますね。

 

旅先の宮島で撮った写真です。

 

旅の目的は、お彼岸時の夫のお墓参り。

菩提寺は、夫婦の郷里の広島にあります。

2月の初旬に、そのお寺で四十九日の法要を済ませ、納骨をしました。

その時、私は心の中で固く誓ったのです。

「春と秋のお彼岸とお盆には、できるだけ帰省して、お墓参りをしよう」と。

「夫のことを思うだけでなく、そのように行動することで、私の感謝の思いを精一杯伝えよう」と。

その気持ちを早速実行に移したのが、この度の一人旅でした。

 

旅慣れていて、カープ応援目的のために広島にもよく出かけたりする次女家族に、乗車券の往復運賃を尋ねたところ、約四万円と。

その運賃は、私の想像よりはるかに高く、びっくりしてしまいました。

折角の旅だから、行き先方面で二泊程度はして、墓参のみならず旅行気分も味わいたい、と願っている私。

新幹線の往復代にそんなにかかるようでは、ホテル代、その他の雑費を入れると、一体いくらになるのでしょう。

 

遠出は、他に、年に数度の旅行も愉しみたい、と考えている私です。

お墓参りの経費がそんなにかかっては、私の他の夢はしぼんでしまいそう。

 

次女に、その胸の内を語ると、

「それならビジネスホテルを利用すればいいんじゃない。ビジネスホテルも、それなりに快適よ」

と言いました。

けれど、「それはいやだなあ〜」と、つい応えてしまった私。

素敵なホテルで非日常の空間に浸る事が、私にとっては、旅の大きな目的の一つだからです。

とは言っても、経済的なことも考慮しなければならない、遺族年金暮らしになったわが身。

ビジネスホテル利用も検討課題になりそうですが。

 

私が宿泊したホテルの最上階のホール

 

日々の暮らしに疲れたなら、時々気分転換を図るために、近場の素敵なホテルに泊まりたいなあ〜

そんな願いを、私は常に抱き続けてきました。

都内や横浜のホテル巡りもしてみたい、と。

その優雅な雰囲気の空間は、私が心惹かれて止まないところの一つだからです

 

そういえば、名古屋在住の大学時代の親友やっこちゃんは、それを実行しているとのことでした。

開業医のご主人様の医院で共に働き、手伝っておられる彼女ですが。

あまりに疲れた時、夫婦で他愛ない揉め事があった時など。

気分転換を図るために、一人でホテルによく滞在するそうです。

「簡単に気持ちがリフレッシュできていいわよ」

と言っていました。

 

が入院中に、何度かそれを実行しよう、と本気で思ったこともありました。

けれど、悲しいかな、倹約生活の心がけが、しっかりと身についていたその頃の私です。

それは、とても贅沢なことのように感じられ、実行に移すことができませんでした。

病気と闘っている旦那さまに申し訳ない、との気持ちもありました。

 

ホテルの窓からの眺望

 

少々話が逸れましたね。

元に戻します。

墓参の経費が意外に高く、戸惑ってしまった件について。

 

ところが、広島行きの費用が意外なほど安くつくことが、後で分りました。

JTBの窓口に足を運び、相談したところ、時間をかけて一番安いパック旅行を探して下さったのです。

広島の宇品港の先に立つ、人気の高い広島グランドプリンスホテル。

そのホテルの宿泊を、私は希望しましたが。

そこに二泊して、新幹線の往復代も込みで、旅行代金が何とジャスト5万円。

驚きでした。

なぜこんなに安くなるのでしょう。

 

お部屋の眺望は、窓ガラスの全面がすべてて海と言うわけにはまいりませんでしたが・・・・・。

でも、私はホテルライフを心行くまで満喫できました。

 

今回の旅行で感じたことは、旅の経費は、旅行代理店にも相談し、色々検討すれば、かなり安くしてもらえるということです。

旅行慣れした方は、当然ご存知なことなのでしょうね〜

「私も旅慣れて、無駄なお金は使わず、軽いフットワークで全国各地を旅行したいな〜」と思うこのごろです。

夫のお墓参りを、何よりも優先することには変わりありませんが。

 

夢を追うだけで、そんな再々の旅行が実現できるかどうかは別問題ですけれどね。

出不精で、腰の思い私の事ですから。

 

今日は旅行前の準備段階のお話に終始してしまいました。

明日は家を出てホテルに到着までの行程で起きた、思いがけない出来事とお墓参りについて書きたいと思います。

 

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恐ろしい天災地変

2016-05-09 06:52:33 | 備え

冬が去り、春たけなわの季節を迎えた頃。

日本中の多くの人たちが、気持ちを浮き立たせ、暮らしに弾みをつけたいと思ったその時に・・・・・・。

その心を裏切るかのように、熊本と大分で、天災地変がまた起きました。

せめても、寒さ厳しい冬の季節でなくて良かった、と言えるかもしれないけれど、虚しい慰めの言葉でしかありません。

 

それにしても、相変わらず受難続きのわが国。

熊本城の無残な姿を見て、しばし呆然となった私です。

学生時代、修学旅行で訪れたときの感動が忘れられず、その後、「大好きなお城」と言って私は憚りませんでした。

十数年前、初孫のR君、夫と三人で、四泊五日の九州旅行に出かけたときに再訪を果たし、感慨に浸ったものです。

 

熊本城のみならず、倒壊した家は数知れず・・・・・・。

命を落とした方々の無念さ、被災した方々の悲しみや不安を思うと、慰めの言葉も見つかりません。

 

遅れ馳せながら、心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。

 

いつもは穏やかで美しい自然ですのに・・・・・・。

宿泊したホテルより見た、郷里の瀬戸内の風景

 

それにしても、TV画面に映る被災者の皆様の落ち着いた冷静な態度には、東日本大震災の時と同様に、私は感銘を受けています。

被害を受けられた方々のショック、恐怖、悲嘆は想像を絶するものでしたでしょうに。

私には、同様の態度で臨む自信など全くなくて。

恐らく腰が抜けて、一歩も動けなくなってしまうのではないでしょうか。

夫がいなくなった今、一人ぼっちの恐怖は、相当なものかもしれません。

 

東日本大震災の時は、我が家も激しい揺れに見舞われました。

けれど、被害を受けるほどではなく、私は二階に駆け上がる心の余裕がまだありました。

夫の書斎へと一目散。

そこには、いつもとさして変わらない表情の旦那さまの姿がありました。

その平静な夫の様子を見て、どんなに私の気持ちは落ち着いた事でしょう。

今また、このような地震が起きても、私が救いを求めたくなるような場所は、この家にはもうありません。

 

 

我が事はさておき、このたびの地震で驚いたのは強い余震の多さ。

本震と思っていたマグニチュード7の地震が、そうではなく、その翌々日に襲った地震が本震であったこと。

その地震が、広域にさらに広がり始めたこと。

かってこのような事があったでしょうか。

 

大地震が来ても、それが収まると、私たちは、ひとまず安堵し心を落ち着かせることができましたね。

もっと大きな地震がわが身を襲うなんて、考えないことでしょう。

 

ところがこのたびの地震で、その思考は、今後通用しないことが分りました。

「再度、大きな地震に見舞われるかもしれない」という恐怖を、抱き続けて暮らさなくてはならないなんて。

心の疲弊は、限りないものになってしまいそうです。

 

 

天災地変が襲うたびに、私は思い、慄然となります。

自然の猛威の前では、人が営々として築き上げた文明も、尊い人命すらも、いかにもろいものであるか、と。

 

私が住む地域も、娘たちが幼い頃から、大地震の予兆があると、一番言われ続けてきたところです。

ですから、このたびの天災も、とても他人事とは思えません。

 

熊本地震が起きる数日前にあった友人とのお食事会の席で、私は地震について触れたばかりでした。

「大地震に遭う前に死んでしまいたいわ。

私は地震で命を落としても、さほどの無念さをもう感じないかもしれないけれど・・・・・・。

万一の事があって、若夫婦家族の不幸を見るのは堪えられないから」と。

 

わが家からほど近い所に住む次女のMちゃんとは、東日本大震災後、その対策を、いろいろ話し合ったことがあります。

交通インフラが遮断され、共働きの夫婦が我が子の許にすぐ帰れなかった時の事です。

私が、小学校と保育園で待機している孫たちを迎えに行き、娘のマンションを避難場所として、そこで若夫婦の帰宅を待つ、というものでした。

マンションの庭の隅に、備蓄倉庫まで用意してあるようです。

 

 

その話を聞いたころは、まだ夫の体調はさほど悪くありませんでした。

けれどその後、病がますます重くなり、夫のマンションへの移動は困難に。

そのため、どうしたらよいものかと、わたしは途方に暮れているところがありました。

 

けれど、今は夫がいません。

如何に臆病な私でも、「火事場の馬鹿力」に似たエネルギーを発揮して、余震が続く不安な状況でも、きっと孫を迎えに必死で学校や保育園に向かうことでしょう。

そしてマンションで、娘夫婦の帰宅を待つことになるのかもしれませんけれど。

 

その後、待てど暮らせど若夫婦が戻ってこない。

音信も不通・・・・・・

そんなことを想像するだけで、気持ちが滅入ってしまいそうです。

 

受難続きのわが国を見ていると、もうあまり長生きはしたくないなあ〜

早く旦那さまのところに行きたいなあ〜

そんな気持ちになることも、時にはあるけれど・・・・・・。

孫たちを守るために、この老体でも役立つときが来るのかもしれません。

そう思って、もう少し頑張りましょう。

 

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その後、楽しい事もいいろいろ

2016-04-10 08:40:05 | 日記

夫が亡くなり、四か月以上が経過しました。

厳しい寒さも和らぎ、本格的な春の到来です。

ほの暖かな優しい日差しに当たると、私の心は癒され、幾分でも元気が湧いてきます。

冬の寒さは、心を、時に一層重くしていましたから。

今年は、春の訪れが、殊更嬉しくて・・・・・・。

 

とはいえ、真冬の間も、家に籠って一人寂しく暮らしていたわけではありません。

週末は、ほとんど次女宅に招かれ、一緒に夕食を共にしてきました。

 

かれんちゃんのお部屋が、元K君のお部屋だった広い場所に移りました。

 

今春から小5になる孫息子K君のバイオリン発表会に、小さなブーケを手にして、出かけもした私です。

けれど撮影禁止で、孫の晴れ舞台を写すことができなくて残念。

多くの先生方の教え子たちによる、合同発表会だったからでしょうか。

何だか難しそうな曲を、一か所つかえただけで、見事に弾きこなし、胸をなでおろしたばあばです。

 

次女宅で、長女家も一緒に、ひな祭りの会もしました。

初節句の時、私から贈ったお祝いののひな人形です。選んだのは娘です。

 

妹と、エルメス劇場に出かけ、久々の映画鑑賞も。

今もいろいろなシーンが心に刻まれている私です。

印象的な美しい映像の映画でした。

題名は、「青いパパイヤの香り」。

すみません。詳しい説明は省略させて頂きます。。

 

 

 エルメス本店 総ガラス張りのモダンな建物。

 

先月の26日には、さっちゃんと私のお誕生会が、長女宅で開かれました。

さっちゃんの中学合格祝いも。

久々の長女宅でした。

インテリアは変わり映えしないけいれど、いつ訪ねても、開放的な空間が本当に素敵!

 

  

さっちゃんは、クラスでいつも先頭のおちびさんでしたのに
お兄ちゃん同様、急に背が伸び始めています。
お顔が小さくて八頭身のよう。

私からのささやかなお誕生祝の贈り物

 

29日には、ご近所の仲良しさんと三名で、目黒川沿いの桜のお花見にも出かけました。

ご近所に心から信頼できる友人達がいることを、とても心強く嬉しく思っている私です。

お花見の最中に、私が手付まで払ったのに、長女夫婦に譲ってしまったマンションの前に、いつの間にかたどり着きました。

なんだか懐かしさ一杯で、感激。

譲らなければ、高額のお家賃が入って、今、悠々自適の暮らしだったのですけれど・・・・・・。

管理が行き届いているのでしょう。

新築当時と変わらない美しいマンションを見て、一瞬、残念な思いが、また心をよぎりました。

友人達は、そのあと見た億ションよりもこのマンションの方が素敵、と褒めてくれました。

でも、それで終わり。

もう過去の事です。

チョッとした面白いハプニングが、そこでありました。

またいつか詳しくお話しさせて頂きますね。

 

目黒川沿いの桜。
まだ七分咲きのところが多かったです。

 

そして4月2日は、ママ友さん達とのお食事会で、麻布十番の和食処へ。

次女が中学入学以来のお付き合いですから、星霜の歳月を思うと感慨無量です。

もうメンバーのうち、三名の方が亡くなられました。

未亡人は、私とIさん。

脱会した方、全く見えなくなった方、色々ですが、メンバー数が減りながらも細く長く、三十数年来お付き合いが続いています。

目にも明らかに体の不調がわかる方も、その体を押してまで参加して下さっていました。

パーキンソー病を長期にわたり患っていらしたUさんもそうでした。

年初に亡くなられ、その寂しさはひとしおです。

厚い信頼関係がある私達ゆえ、外観の変わりようにもひるまず、参加してくださるのでしょう。

私も同様の状況になった時には、そうありたいもの、と願いました。

辛い時こそ支え合うのが、本当の友情ですものね。

私も一杯元気をもらって、帰ることができました。

 

 

更に、先週末は、今春小5になった孫息子のK君と、上野国立科学博物館で催されている恐竜展へ。

初孫のR君とも何度も通ったところです。

涙が出そうになるほど心優しいK君と、気もぴったり合って、童心に帰っての本当に楽しい一日でした。

この時の写真を収めたメモリーカードは、次女宅に預けたままなので、画像のアップができません。

次回の一連の投稿時に、詳しくお話したいと思います。

今後も、楽しみにしている親友とのイベントがまだあります。

 

 宮島の厳島の鳥居

 

語るのが最後になりましたが、一大イベントが、もう一つ。

お彼岸中に、郷里の広島にお墓参りに出かけ、二泊三日の一人旅をしたことです。

久しぶりの一人旅で、思いがけないハプニングにも見舞われ、かなり慌てましたが、何とか無事に戻ることができました。

脱いだ衣類と貴重品を収めたロッカーのキーが、温泉浴場で無くなって大慌て・・・・・・

カメラの充電が切れかけていたのに、旅行に充電器を持ち合わせなかったり、と。

楽しいながら、少々疲れた珍道中でしたが・・・・・・。

お墓参りはその間二度し、心満たされて帰途に就いた私です。

 

ハイライト的に述べてきた話題を、次回の一連の投稿時では、もう少し詳しく綴りたい、と思っています。

けれど、記憶が持つかどうかが怪しくて心配。

勝手ですが、またしばらくお休みを取らせていただきます。

 

次回の投稿までの間隔をできるだけ縮められるように頑張りますね。

そのためには、もっと文章を短くし、アップする画像も少なくしなければ。

文章を書くことへの苦手意識が強いのに、どうして苦労してまで、こんな長い文章を、私は書くのでしょう。

変な私です。

 

拙い長文にもかかわらず、最後までお付き合いくださいまして、本当に有難うございました。

たくさんの応援もいただき、心よりお礼を申し上げます。

春爛漫の良い季節。

ご自愛の上、心ゆくまでお楽しみ下さいませ。

 

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春の庭〜私を元気にしてくれるガーデニング

2016-04-09 07:41:14 | ガーデニング

病院への愚痴を書いてしまい、少々恥ずかしく思っています。

記事をすべて削除しようかどうか迷うほどに悩み、落ち込んでしまいました。

過去の辛い経緯が、生々しく蘇りもして・・・・・・。

昨日の記事は、一部削除したうえに、追記にて同様の思いを簡単に書いています。

次女夫婦に相談すると、「そのままでいいんじゃないの」と。

その一言で、削除しないことにしました。

ご閲覧下さった方達は、お読み苦しかったことでしょう。

申し訳ありません。

 

ツルニチニチソウ

 

さて、重たい事を語ってしまいましたので、今日は一転、心に潤いを与えて止まないガーデニングのお話をさせて頂きますね。

その前に、また少々愚痴っぽくなりますが、私のガーデニングにおける、後悔しきりの反省の件について。

 

蘭、その中でも胡蝶蘭ほど、高貴で華やかな花姿の植物は、他には見当たらないのかもしれません。

バラと、甲乙つけがたいといったところでしょうか。

そのうえ蘭は、手入れが余り要らず(?)、日持ちも良く、長い期間その美しさを鑑賞できる。

そうではありませんでしたかしら?

 

蘭のお花は既に幾度もアップしてきました。

ですから、今日は我が家の春の庭の光景を、記事の内容に関係なくご紹介していきます。

 

ところが、私はこの両方の花とも、世話を焼くのが苦手中の苦手。

よく枯らしてしまいます。

枯らさずとも、花が付くことはまずありません。

最近も、同様の失敗を重ねてしまい、いまだに残念な気持ちが拭い切れません。

供花として送り届けて下さった友人お二方さまに、申し訳なくてしかたない私です。

 

 

Kさんから頂いた大きな胡蝶蘭は、根腐れで、葉が溶けるかのように柔らかくなり、枯れてしまいました。

やはり友人からいただいた、もう一つの胡蝶蘭も、似た病状が出ています。

何と胡蝶蘭展での入賞作品のようです。

但し、こちらはかろうじて、まだ葉が緑を帯びているので、何とか生き返らせたいと、適切な手入れをするべく、こまめに観察しているところです。

高価なお花でしょうに、なんとした私の不誠実さ。

恥ずかしくてなりません。

罪悪感さえ、覚えます。

夫が勤務時に在籍したある部署のOB会から、三か月ほど前に頂いた胡蝶蘭のみ、まだ元気です。

これは枯らしてなるものか、と自分に言い聞かせてはいるものの、自信は全くない私です。

 

 

スカピオサ・イベリス・フォックスリータイム・ヒデンス等

寄せ植えにしました。地味だけれどそれなりに気に入っています。
お花がもっとたくさん咲けば華やかになってくれるでしょう

 

枯れた原因は、仏間の和室は北向きで、冬の間、特に寒い部屋だったからだと思います。

それにもかかわらず、その供花を夫の傍から別の温かい部屋に移すのが忍びなくて、ずっとそこに置いたままでした。

寒さにさらされ、そのうえ冷たい水をやり過ぎたせいによるのではないか、と思っています。

 

胡蝶蘭は、供花にはとてもふさわしいお花ですね。

仏前が清々しく麗しい場となり、その優雅な優しい花姿が私の心を灯すように、慰め癒してくれます。

 一層の事、自費で買い直し、もう一鉢、旦那さまのためにお供えしようかしら、と真剣に今、考えています。

次女の私へのお誕生日プレゼントが、夫の月命日ごとにお花を届けてくれるものでした。

それを楽しみにもしています。

 

アイスバーク・イングリッシュラベンダー・アサギリソウ

 

一方、やはり手入れが苦手なバラは、今のところ、割と元気。

めちゃくちゃの自己流でも、強剪定をしたのがよかったのでしょうか。

去年は、アイスバークが一輪も花をつけてくれませんでしたが・・・・・・。

今年は、純白の美しい花に出合えそうな予感がし、期待で胸が膨らんでいます。

 

 

植えて15年以上になる、モッコウバラのみは、手入れ知らずでも、いつまでも丈夫。

春先には毎年、可憐な小花をいっぱいつけて、我が家の庭を、清楚な華やぎで満たしてくれます。

この時期の庭の光景が、一年を通して一番、私は好きかもしれません。

けれど、同じころ咲くアジュガと共に、花期が短くて、たちまち終わってしまうはかなさは、なんとも残念です。

 

 

昨年末から、深い悲しみに明け暮れて、ガーデニングどころではなかった私でした。

けれど、夫が入院中の初秋に、病院近くの小さな花屋さんで求めた草花が、いずれも、いまとても元気。

リーフものを多く買い求めていたのですが、そのせいで、しっとりとした落ち着いた庭の風情となりました。

買った時期と購入場所から、その草花たちには特別の想いがあり、愛しさもひとしおの私。

夫の命が、そこで息づいているようにさえ、感じられてきます。

 

 フレンチラベンダー・マーガレット・

 

最近も、そのお花屋さんに電話をかけ、私の大好きなマーガレットをはじめ、数種の草花をお願いしました。

不愛想な中年の男性の店主さんですが、前の記事でも語ったように、店頭に置かれた草花のセンスは抜群。

そのうえ、花期の長い宿根草が多いのも、うれしい限りです。

普通宿根草は、花期が短いものが多いですけれどね。

 

この度、お電話でお願いしたときには、私の家まで届けてもいいですよ、とおっしゃってくださり、恐縮してしまいました。

もちろん、そんなご足労をかけるのは申し訳なくて、お断りしましたが。

実は、その後本当にお越し下さったのですよ。

園芸用の作業手袋まで頂戴してしまいました。

 

ハーデンベルギア

 

私が、再々、足を運びたいところですが、1時間半ほどかかるので、それも大変です。

我が町の界隈には、素敵なお花屋さんがなくて困ります。

ガーデニングの夢は限りなく膨らむ一方だけれど、経費も掛かるため、遺族年金の身には、今後は結構大変。

作業中の体力の消耗も大きいですものね〜

でもガーデニングは老化防止と認知症予防にはとても良いとのこと。

ブログ綴りと共に、この二つを私の趣味にしている限り、まだ当分は、元気でいられるでしょうか。

 

実は、タニタの体重測定器によると、私の体年齢は、何と57歳。

この機器を年初に購入し、最初に測定したときは、61歳でした。

その時も、意外感一杯でびっくり!大喜びしたのですが・・・・・・。

その後、次第に益々若返り、56歳をしばらくキープ。

昨日、久しぶりに計ると57歳。

体年齢だけでなく、体脂肪、内臓脂肪、筋肉量、他、いろいろ数値になって出てきます。

この数値が、本当に信頼できるものか、半信半疑ですが、72歳になったばかりの私にしては、我が目を疑いたくなるような喜ばしい表示。

 

一昨日の一人ごはんの夕食です。
友人との食事会で、上品で美しい献立のお料理を目にし、少々反省し、奮起しました。

 

実は、悲しみに明け暮れていて、食生活もいい加減でした。

急激に老婆へなっていくような不安がありましたもの。

この意外な数値には、随分気分をよくした私です。

 

 疲れやすい体質は、今も私の泣き所ではあるけれど、ほんの少し自信も付きました。。

すっかりいい加減になってしまった食生活にはもっと気配りし、私の心の内では今も生き続けている旦那さまと共に、よき日々を過ごしたく願っています。

 

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納得のいかない疑問だらけの医療 

2016-04-08 07:34:01 | 家族

今日これから述べることは、もしかすると、私の独断と偏見かもしれません。

他の言葉で言い換えるなら、単なる、大変お世話になった医師への愚痴。

少々恥ずかしいですが、夫が入院中の時から、納得のいかないまま、私の心の内でくすぶり続けていたことを、正直に書かせていただきますね。

読み流してくださいませ。

 

私は、いつも娘たちに言っていました。

「食べることでしか、パパは命を繋げないの。

だから、いろいろ工夫をして、少しでも食べ物を口にいれて上げるようにしてね」

と。

病院食だけでなく、消化の良いもの、夫の好物を、せっせと私は運びました。

嚥下肺炎を起こさないように、それも、いろいろ工夫を凝らしました。

それ以来、数週間、せき込むことは一切ありませんでした。

 

今日もまた桜の画像をアップします。天まで届けの思いで

三十数年来のお付き合いが続くママ友さん達と、食事会後、お花見をした六本木のミッドタウンの光景です。

 

夫の死因は、入院保険の診断書に書かれた説明によると、衰弱死のようです。

肺炎でも、敗血症でも、心不全でもありませんでした。

まだ生き続けたいとの強い夫の思いが、私には伝わってきましたから、その願いを叶えるべく、

あらゆる手当をしてほしい、と願っていたのに・・・・・。

私たち家族も、そのために、一生懸命心を尽くしました。

 

ところが、病院では栄養補給の点滴すらしてもらえなかったのです。

私がその理由を尋ねると、「栄養補給をすると癌が大きくなるから」と言われました。

それは覚悟で、抗がん剤の投与も中止しているのにです。

 

肝臓がんを五年半前に患って以降、服用し続けていた十種類くらいのお薬とサプリメントも、亡くなる半月ほど前から、急に中止となりました。

それも、家族への断りは一切ありませんでした。

ある日病室を訪ねると、薬の袋がひとまとめにしてホッチキスで止められていました。

その理由を、また尋ねると、

「飲んでもあまり意味がありません」

との事。

本当にそうでしょうか。

私にはその様には思えませんでした。

五年間に亘って、夫の体調を整えてくれていた薬です。

すべてを突然中止すれば、体が変調をきたし、弱っていくのは当然ではないでしょうか。

 

 

亡くなる一月程前の腫瘍マーカーは幾分上がって、確か8くらいでした。

直腸がんは、現状維持のままでした。

1年半ほど前は、数値が28前後の時もありました。

夫の病状は、最悪だったわけでは全くありません。

 

抗がん剤と併用して投与する薬の種類も、突然変えられてしまったことが幾度も。

家族の承諾もなく、夫の一時的な症状のみを見てです。

自宅療養中、食欲もあり、体調も万全で特別問題がありませんでしたのに・・・・・・。

入院した当日の夜から、急に服用薬が変わり、先生に疑問を投げかけたこともありました。

その理由は、「ご主人が、昨夜とても痛がったから」の一言。

薬を変える時は、事前に家族に相談してください、と度々お願いしても、その対応はその後も改めてもらえませんでした。

 

モルヒネの投与を始めたときもそうです。

モルヒネは、夫の体には、とてもよく合っていたのでしょう。

気分が良さそうで、食欲も出ました。

次女が、「こんなに元気なパパを見るのは久しぶり」と言って、喜んだほどです。

ところがその翌日、突然、また投与薬が変わりました。

そして、今度は夫の体調がかってないほど、最悪になっているように見えました。

 

何故また急に、薬が変わったのか、私には全く理解できませんでした。

ですから、事情を話し、元の薬剤に戻してほしい、とお願いしました。

 

私が付き添っていた午後の昼下がり、若い医師が病室に訪れました。

「ご家族の要望に従い、モルヒネに戻します」

と言われ、それが点滴で投与されました。

するとやはり、夫が少しずつ元気を取り戻し、夕食も割とよく口にしてくれるようになりました。

 

 

ところがです。

その翌日からの週末の二日間、夫はほとんど眠った状態となり、食べ物も飲み物も口にできなくなってしまったのです。

週末に付きそう次女と長女に、

「何とか食事を口に入れてあげてほしいの。

工夫をして、根気よく少しづつでも長い時間かければ、パパは食べてくれるから」

と娘たちにお願いしました。

娘たちの答えは、

「そうはいっても眠ってばかりだから、食べさせて上げられないの」と。

 

土曜付き添っていた次女から、その理由を聞き、その状況が納得できました。

私は、腹立たしさを通り越し、憤りを感じました。

先生のお話だと、夜、夫が痛がったので、眠らせるのが一番良いと思い、モルヒネの量を増やしたとの事。

またまた家族への説明は一切なく、勝手に治療方針を変えてしまわれた先生に対する不信感は頂点に。

週末の二日間、私はいらいらして、気持ちの整理がつかなくなりました。

 

日曜日も、相変わらず眠ったまま。

食べものも飲み物も、口にほとんどできない状態で時間が経過していったようです。

栄養補給の点滴もしてもらえないままです。

そしてお昼過ぎくらいでしたでしょうか。

長女から、時々無呼吸の症状が現れている、との先生のお話の内容の報告を受けました。。

 

 

モルヒネの量を、家族の承諾もなく増やし、夫を眠らせる処置を勝手に採られた先生へのいら立ち。

それが一向に収まらないでいる時に受けた、無呼吸の症状の報告。

私の心は張り裂けそうになりました。

 

 私は、医師にかかているときは、医学情報をネットに頼ることはあまりしません。

医師を全面的に信頼し、その先生の指示通りに動くことが、一番精神的にも楽で迷いもなくていいからです。

T大病院から転院を言い渡され、助教授の医師から紹介を受けた病院の担当医は、若夫婦よりも数歳若い人でした。

そのため、私は転院した当初から不安がありました。

夫の命を、こんな若い先生に預けて大丈夫かしら、と。

その不安は、入院中、増幅する一方でしたが・・・・・・。

また転院するエネルギーもなく、医師への気兼ねもあって、私は抱く疑問や不信感をストレートに語る勇気はありませんでした。。

 

けれど、できる限り信頼して、素直についていこうとの思いも、そこまで。

あまりに心配で、夫が亡くなる前日は、検索を続け、ネット情報にすがるようにして、日を過ごしました。

すると、ある記事に、モルヒネを打つ対処法に頼りすぎるのは、良くない。

それが理由で、無呼吸となり命を落とすこともある、といったような事が書かれていました。

 

私は、心が張り裂けんばかりのいたたまれない心境から、娘に電話をし、言いました。

「モルヒネの治療に戻してほしいとはお願いはしたけれど、量を増やすように頼んだ覚えは全くない、と先生に伝えてほしい」

と。

娘が、その通りにしてくれたかどうかは判りません。

その日、長女は、夫が眠ったままなので、食事をを食べさせるのは諦めて、いつもより早めに病室を出たとのことでした。

 

 

その翌朝の、早朝の事でした。

「ご主人の血圧が異常に下がってきたので、至急病院にきて下さい」との看護師さんからの電話。

私は、思わず、強い口調で言いました。

「投与するモルヒネの量を減らしてください」と。

 

すぐに病院へ早朝、タクシーで駆けつけた私です。

その朝の、十時十四分に、夫は亡くなりました。

奥さんの要望通りに、モルヒネの量を減らします、と言われ、投与を始めた途端、みるみる夫の血圧が下がっていき、数分後には。

 

半年くらい経過し、私の暮らしがすっかり落ち着いたころ、担当医にお会いして、私が治療中に抱いた疑問点をすべてお話しようと思っています。

今伺っても、私は冷静に話す自信がありませんから。

むろん今更、先生を責めるつもりはありません。

まだお若い先生なので、私の意見が、今後の治療における参考となり、役立てば、との思いでいるからです。

 

家族の承諾もなく、勝手に治療方針を変えていいものかどうか。

栄養補給の点滴を何故してもらえなかったのか?

この点が、一番伺いたいことでしょうか。

 

書き忘れましたが、放射線治療を開始した時も同様でした。

その治療を検討しているとのお話が前日あった時、そのタイミングは慎重に図らないといけないことくらいは、私でさえ判ることでした。

ところが翌日、夫の病室に入ると、夫のベッドがなくなっていました。

放射線治療の承諾書に、後で事後承諾の形でサインをさせられました。

まだ痛む箇所がはっきりしていない状況の時のことです。

その性急さに私は呆れ、少々憮然となりました。

お会いしたときには、このことも指摘したい、と思います。

 

 

肝臓がんの治療の時と同様に、もっと良い医師を探す努力をすべきであった。

紹介、紹介の連続で、そのレールから降りることができませんでした。

その点の不運を思わないではいられません。

(この部分の数行は、削除しました。記述の内容に偽りはありませんでしたが、書き過ぎの感がしてしまいました)

 

皆さまは、良き医師に治療をしてもらう努力を怠らないようにしてください、と声を大にして申し上げたい気持ちで一杯です。。

不信感が甚だしくなった時は、転院の勇気も持ってください。

掛け替えのない大切な大切な命の灯が、納得のいかない治療で消されてしまうのは堪えられません。

転院してでも、夫の命を守ろうとする努力が足りなかった自分の不甲斐なさが悔やまれ、辛い気持ちがまだ拭い切れていない私です。

 

追記

すみません。少々書き過ぎの感がしてしまい、気持ちが落ち込んでしまいました。

記事を削除するべきかどうか、今、大変迷っています。

 

 

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悲しすぎる不運な出来事 

2016-04-07 07:35:09 | 日記

今日もまた、携帯電話のお話です。

病室の夫と私を結びつけてくれた、この電話の恩恵は、計り知れないものがありました。

まだ夫が割と元気な頃も、入院中、私は頻繁に夫に電話をかけました。

一方、Yさんから私にかけてくる頻度が異常なほど増したのは、亡くなる一月ほど前あたりからだったでしょうか。

ところが、夫が亡くなる一週間くらい前の事。

その見守り携帯が、突然故障してしまったのです。

コードを差し込む箇所が具合が悪くなり、充電ができなくなってしまいました。

 

私は、とてつもなく慌てました。

今の二人にとり、携帯が使用できない暮らしは考えられませんでしたから。

私の声を聞くことが、旦那さまの心の安らぎ、気力を奮い立たせる原動力になっているように感じられたからです。

 

 

 

故障の箇所を販売店で即日修理してもらえるのなら、その手立てを取るべきだったのかもしれません。

しかしその時は、大変なことになってしまった、と思いが強い余り、性急な対処をしてしまいました。

その後の不都合を知るすべもなく・・・・・・。

翌日病院に出かける前に量販店によって、すぐ新しい見守り携帯を購入しました。

 

お店の方が、

「古い携帯は処分してもいいですか?」

と問われたので、そのようにお願いしてしまった私です。

想い出品として、取っておくべきでした。

処分しなければよかった、と後悔しきり。

今も悔やまれます。。

 

 

眼の悪い旦那さまの視界に入りやすいように、と派手な色の物を選びました。

ところがです。

時々頭が繊毛状態になり、的確な判断が難しくなっていった旦那さまにとっては、新しい携帯の操作は、不可能でした。

今までの携帯のように一回のワンタッチでは、すぐつながりませんでしたから。

私も扱い方を戸惑うほどでしたので、無理もありません。

 

悲しい事に、それ以来、Yさんから電話が一度もかからなくなりました。

今でもその不運を思うと、悔し涙が溢れそうになります。

それは、亡くなる一週間ほど前からの事でしたから。

おそらく携帯の故障が、夫の死期を早める原因の一つになったのではないか、と思えてなりません。

 

 

 

亡くなる前日の日曜日の事です。

私は週末は休養日にしていましたから、その日は長女が夫に付き添っていました。

長女に、お願いしました。

「新しい携帯は、パパが操作するのは無理のようなの。

だから、看護師さんに、病室に来たときは必ず携帯をかけて、夫に手渡すようにお願いしてね」

と。

けれど結局、新しい携帯に替えて以後、夫からの電話で、私の携帯のメロディーが鳴る事は一度もありませんでした。

 

長女のMちゃんは頼んでくれたのかもしれませんが・・・・・・。

土曜日から、モルヒネの投与量が増やされ、ほとんど眠った状態で、食事も水分も受け付けなくなってしまっていたのです。

次女の話によると、

「痛みを楽にするために、そのような対応を採った」

との担当医のお話だったようです。

 

画像は、すべて我が家の周辺にある、二つの公園の桜です。

 

家族への説明はいつもほとんどなく、治療法を勝手に変える先生。

私の抱く疑問と不信感は、常日頃相当なものがありました。

モルヒネの量が増えたことを娘から聞かされた時は、憤りを感じました。

相変わらず、家族の承諾も取らないままだったからです。

その週末は、私の先生への苛立ちは、頂点に達しました。

この翌々日、最悪の事態を迎えてしまった夫です。

私のこの苛立ちが、虫の知らせだったのかもしれません。

明日に続きます。

 

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続 携帯電話の悲しく辛い想い出

2016-04-06 07:31:37 | 家族

今日も、見守り携帯のお話です。

既に以前の記事で、夫が幾度も私にこの小さな携帯を使用して、電話をかけてきたお話しをしました。

私は、それをラブコールと表現したようにも。

その電話は、昼夜を問わずかかってきたものです。

亡くなる二か月ほど前あたりからでしたでしょうか。

骨転移の激痛に、いくら忍耐強い旦那さまでも耐えられなかったのでしょう。

 

ここまで書いただけで、反省の気持ちで心が疼き、涙が溢れそうです。

夫の痛みをもっともっと理解して上げ、もっともっと長い時間、寄り添って上げるべきではなかったか、と。

緩和ケアー病棟に移る手続きをもっと早くすべきではなかったか、と。

緩和ケアー病棟がある病院への転院は、昨夏の夏ごろから真剣に検討していたのですが、担当医の「最後まで私が診ます」の言葉を信じたばかりに・・・・・・。

夫を一層苦しめることになってしまいました。

この言葉が、偽りであることに気づかされたのは、亡くなる数日前の事でした。

「小康状態」と言われ、転院を勧められたのでした。

 

「君の声を聞きたかっただけだ」と言って。

真夜中に電話がかかってくる事も、よくありました。

時にはその真夜中に、「お願いだ。すぐ病院に来てくれ」とも言われました

 

我が家からほど近いところにある公園の桜です。

 

私は、無理をし過ぎると、自分の体が持たなくなり、共倒れになっては最悪との思いが常にありました。

それだけではなく、これ以上は頑張れない、との私の勝手な気持ちによるところもありました。

ですから、夫にその様に懇願されても、お昼過ぎに家を出て、消灯時間の八時まで病室で付き添い、九時半過ぎに帰宅する、を厳守しました。

 

けれど一方では、そんな自分の態度を申し訳なく思う気持ちもありました。

ですから、携帯に電話がかかってきたときには、昼夜を問わず、精いっぱい、真心を込めて優しく応えるようにしました。

「電話をかけたくなったら、早朝でも真夜中でも構わないから、いつでも電話してね」と言いました。

私の声を聞くだけで、多少でも痛みと闘う気力が湧き、元気を回復してくれるのであれば、こんなに嬉しい事はありませんでしたから。

 

電話がかかってくる頻度は、病院へ着くまでの時間帯が一番多かったです。

私の到着が待ち切れないように、十数分間隔で、携帯のメロディーが鳴ったものでした。

或る時は、病室に到着すると、ドアーを開けるなり、私の名前で声をかけてきました。

「よくわかったわね〜」と言うと、

「足音で君だと思ったよ」

という旦那さま。

 

  

 

弱音を吐かず、妻とはいえ、決して頼ったりしない、独立自尊の人だった旦那さまです。

足音にも耳をそばだてて、私が来るのを待ちわびるYさんの変わりように、驚くとともに、愛おしさで胸がいっぱいになりました。

他にも、似た感情が押し寄せる意外な言葉を、そのころの夫から度々受けました。

 

例えば或る時は、ベッドのそばに腰かけていた私に向かって、

「君、立ってくれ。一周くるっと回ってくれ」

「どうして?」

と、つい尋ねはしたものの、私は素直にその通りにし、咄嗟に、

「素敵な奥さんでしょ?」

と冗談ぽく返しました。

私の全身を、目に焼き付けたかったのでしょうか?

 

 

亡くなる数か月前から、私の存在意義が、みるみる大きくなっていくのを感じ、切ないながらも、私は夫への尽くし甲斐の喜びに浸っているところがありました。

そして、私たち夫婦の絆を、離れていても固く結んで付けてくれるものが、夫の見守り携帯と私の携帯だったのです。

しかしその携帯に、不運な出来事が襲いました。

この続きは明日に回します。

 

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携帯電話の辛く悲しい想い出

2016-04-05 07:24:11 | 家族

今は、スマホ使用が当たり前の世の中ですのに、私はその機器には見向きもせず、ガラケーを長年使用してきました。

そのうえ、ヤフー画面の誘惑に負けないように、キッズ用に設定して、ネット使用は禁止はしています。

スマホに変える気は全くありませんが、ガラケーが製造中止になれば(そんな噂も、ちらほら耳にする昨今)、そうはいかなくなるでしょう。

その頃には、スマホの通信料も今よりずっと安くなり、操作方法も簡単になっているに違いありません。

 

シンプルで操作方法が一番簡単な携帯と言えば、子供たちがよく使用する「見守り携帯」でしょうか。

通信できる相手も、親など数人に限られますから、その特殊性から携帯とはいえ、異種機種と言うべきかもしれません。

実は私の夫は、この見守り携帯を長年使用していました。

Yさんは、携帯に全く興味がない人でしたが、ある時、ソフトバンクの販売店の店員が私に勧めたのがこの機種。

「通信料も一月500円の定額制で、とても安いですから」と。

一瞬迷いましたが、夫に無断で購入し、持つようにしてもらいました。

 

 せめて桜の咲く季節までは夫を生かしてあげたかった、との思いが強い私です。
旦那さまに、その桜を観てもらいたくて、しばらくその画像ばかり載せていきます。
花曇りの白い空の上、私の腕も未熟で、拙い写真ばかりですが。
お花見の記事は、次回の一連の記事の時までお預けになりそうです。

 

その後、言うまでもなく、その見守り携帯は大変重宝しました。

目を難病で患ってからは、特にそうでした。

視野が狭まってしまって、人の顔の識別も困難になった夫には、普通の携帯の操作は無理。

その点、私が購入した見守り携帯は、ワンタッチで対応できる電話機です。

目が不自由な夫でも、操作できました。

 

夫が入院中は、むろん役立ったことは言うまでもありません。

けれど、旦那さまから私に電話をかけてくることはめったにありませんでした。

夫は独立自尊の人でしたから。

 

「独立自尊」 この言葉が思い浮かび使用したものの、本当に夫の人柄を表す表現として適切か、少々自信がなくて・・・・・・。

すぐ、検索して調べました。

福沢諭吉の言葉なのですね〜

独立自尊とは、人に頼らずに自分の力だけで事を行い、自己の人格・尊厳 を保つこと。

これを目にし、私の言葉の選択は間違っていなかった、と思いました。

 

 

夫は病気になってから、最後の厳しい状況に追いやられるまでは、愚痴弱音を一切吐かず、病気と一人で静かに対峙し闘い続けているようなところがありました。

心配し、気を遣いすぎると、かえって嫌がるような人でした。

ですから、病院から私に電話をかけてくるのは、用事がある時のみ。

一方、私はうるさがれても、やはり気になります。

病院に出かけない日は、1日に2〜3回は電話をかけました。

 

しかし、今になって思うことは、本当はもっと寂しがり屋の人だったのかもしれない、と。

亡くなる一月前あたりから、旦那さまの私への態度が急激に変わったからです。

でも、私には、とても嬉しい事でした。

独立自尊の精神の時の旦那さまは、ちょっと近寄り難いような尊厳が漂っていましたから。

秀才の夫に対し、鈍才の妻、との意識もずっと潜在的にありました。

だからと言って、私は自分を卑下はしてはいませんでしたけれどね

 

目黒川沿いの桜並木。
先週、近所の仲良しさんたちとお花見したときの写真です。

長女夫婦は新婚時代、この桜並木沿いのマンションに住んでいました。

初孫の誕生で、私も夫も孫会いたさに心を弾ませて通った懐かしい道です 

黒い帯が突然でき、いろいろ試みたのですが、消せなくなってしまいました。
どうしましょう、困った!

 

あら、話がまた、今日綴りたいテーマから脱線してしまいました。

元に戻します。

見守り携帯のお話でしたね。

 

私は見守りの機能を利用したことは一切ありませんでしたし、その機能の使用方法は、最後まで知らないままでした。

夫を見守って位置確認をする必要性は感じていませんでしたから。

この携帯が思いがけず、非常に役立つ日が訪れるのですが・・・・・・。

その時は、悲しい状況が極限に達していて、今思い出すのも辛く、切ない気持ち一杯になります。

更に、悲劇的な不運が、この携帯で起きました。

このお話の続きは、明日に回させて頂きます。

 

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友の有難さ 

2016-04-04 07:35:22 | 

もう随分前の事になります。

その時、私がお届けしたことがある手作りのささやかな五目ずしを、いつまでもいつまでも心に留め、感謝して下さる方がいらっしゃいます。

お一人は、前回のブログ記事でも綴らせていただいた、まだご逝去されて日が浅い、Uさんでした。

もうお一方は、ロス在住時も大変お世話になった友、Kさん。

共に、私が心から尊敬して止まない人達です。

 

他にも、同じ思いを抱く大切な友が、両手の指では数え切れないほどに、私は恵まれています。

実は、これも、その出逢いの機会を与えてくれた旦那さまのお蔭に因る所が大きいのですが。

外国も含め、転勤が多い職業でしたから。

転居するたびに、その場で良き友との巡り会いが、私にはありました。

Uさんは、ママ友さんでしたから、娘たちにも感謝です。

 


カレンジュラ
去年の秋に植えましたが、今もとても元気。
本当に愛くるしい花です。説明によると、花期は周年との事。本当かしら。
皆様にぜひお薦めしたいお花です。

 

 

夫の突然の死去で悲しみに暮れているとき、その友人たちから、いかに温かなお気遣いをいただいてきたことでしょう。

言葉では言い尽くせないほどに、感謝の気持ち一杯の私です。

いただき物など、一つ一つ写真に収めるべきでしたのに。

その頃の私は、気持ちがまだ平静からは程遠く、カメラを、度々手にする心境ではありませんでした。

ですから残念ながら、1枚もありません。

 

またお寿司の話に戻りますが、そのことを、折々で思い出し感謝の言葉を述べてくださることに、私はいつも恐縮の至りでいました。

何故って、私は、その十数倍の優しさを友から受けてきたからです。

つい先日も、友人がまたお寿司の事に触れられたので、恥ずかしく感じて、私の思いをメールで語りました。

 

時間が十分あったため、たまたま丁寧に五目ずしを作り、多少上等なお重箱に詰め、風呂敷にお包みしてお持ちしただけでした。

もちろん、心を精いっぱい込めたので、そのような形になったのですが。

その印象が、よほど良かったのでしょうか。

そういえば、Kさんのお嬢様が、主婦の鑑と言ってこの届け物に感動された、と後から伺いました。

 

 お重箱もアップする予定でしたが、次女宅に置いたままのようで、探しても見当たりません。
そのため、風呂敷のみとなりました。
明日は孫とお出かけの予定で次女宅に行きますので、後日、アップしますね。

 

けれど、私は行動的な人間ではなく、自分から友人に声をかけ、積極的に動く方ではありません。

要領も悪く、何事もゆったりしているため、家事など家における課題ををこなすのが精いっぱい。

専念した育児を卒業すると、親の介護、孫のお守り、夫が退職後は、三度の食事の世話、そして介護。

いつも何か重点的に集中しなければならない事がありました。

ですからお稽古ごとも、何を始めても、そこまで手が回らず、三日坊主のことが多い暮らしでした。

 

いま思い起こすと、後悔や反省が多々ある我が人生ですが。

けれど、取り組まないといけないことには、不器用ながら、おそらく一生懸命だったのでしょう。

私のキャパシティーでは、それが精一杯だったのかもしれません。

友人には、何事にも一生懸命な人、との印象を与えてきたようです。

 

でも友人や他の方への心配りの点で、一生懸命であったかと言われると、穴があれば入りたいほど。

かなり自己中心的な暮らしを送ってきた私です。

そんな私にもかかわらず、周りの方々は、本当に良くしてくださいます。

 

 ゼラニウム

 

Kさんは、最近、手作りの豚汁とおこわをお届けくださいました。

色々なお茶菓子まで添えて。

お気持ちの温かさが身に沁みました。

余りに度々の事で、すべて思い出せないほどです。

 

年初、帰らぬ人になってしまわれた友人のUさんも、ご不自由なお体にもかかわらず、お手紙だけでなく、小包で、老舗のとても美味しいつくだ煮、銘菓、その他をお届けくださり、感謝と恐縮の至りでした。。

 

ご近所で大変親しくしているFさんのやさしさにも、私は幾度感極まったかしれません。

やはり、すべては思い出せないほど。

夫が亡くなり、暮らしがたいへん取り込んでいる時には、私が普段目にしたことがない珍しいビタミン剤を下さいました。

家族全員で服用しているとても信頼の於けるものですから、とおっしゃって。

そのおかげでしょうか。

一番大変な時を、体調を崩さず乗り切ることができました

体にいい、高級なナッツもお持ちくださったり、と、他にもいろいろありました。

私の健康を慮ってくださるお気持ちが、本当にうれしくて、感謝溢れる思いでいます。

 

先日は瑞々しい、とても立派な有機大根をお届けくださいました。

最近も、また頂戴しました。

それは、しっかり写真に収めました。

私より一回りお若く、大震災の時も、度々お声をかけていただき、どんなに心強く感じたかわかりません。

 

焼きいもは食べかけで、形が変!(笑)
まるで練りの和菓子のように美味しくて感動ものでした。

 

十数年会っていない名古屋在住の大学時代の親友からも、最近お電話をもらい、1時間余り話したでしょうか。

やっこちゃんとは、四年間寝食を共にした、といってもいいような間柄。

ですから、今でも時空を超えて、姉妹のような関係にすぐ戻れます。

 

先週は、隣町にお住いの友人が、美味しいフルーツゼリーのお菓子と寒ふのりを届けて下さいました。

多少落ち着いた暮らしになっていましたので、

「上がって下さい」

と言ったのですが、

「まだまだいろいろ大変でお疲れでしょう。

今日はこのまま帰ります。

落ち着かれた頃、日を改めて、お会いしてゆっくり話しましょうね。」と。

 

そんなお気遣いも、私には嬉しくて。

確かに、今の私は、まだ心が不安定に揺れているので、夫の思い出に浸って一人でそっと暮らしたい。

そんな心境です。

やり遂げなければならない、諸事もまだいろいろありますから。

 

他にも、ロス在住時親しくなったAさん、社宅時代親しかったHさん、Kさん、長女の家庭教師をした生徒さんのお母様のIさんなど。

同様の気を遣い、わたしの暮らしが落ち着くのを待ってくださっています。

 

 コピア(ステラ スコピア)

花が大き目のバコバだそうです。
花期が、これも長そうで嬉しい。
可憐な姿が、愛くるしいです。

 

私の友人とのお付き合いは、日常、頻繁に会って、お茶友達としておしゃべりを愉しむ、といった感じともちょっと違います。

会ってお話するのは、年に数回でしょうか。

でも、私がその人たちに寄せる信頼度はとても高くて、心情を素直に吐露できる間柄、

私は、親友と呼ぶにふさわしい人だと思っています。

境遇も価値観も似た人たちですから、心の通い合いに、全く支障がなくて。

特別、そのような人を意識して、友として選んだ覚えはない私です。

このご縁は、幸運としか言いようがありません。

多くの場合、その縁の機会の場は、夫が与えてくれたのですが。 

 

私の友に共通していることは、皆さん、とても前向き思考で明るく、行動的。

心がきれいで、人のうわさはしない心優しい人達ばかりです。

私は心から敬愛し、尊敬して止みません。

 

私は、この友たちのお蔭で成長できた、といっても過言ではないほどです。

そのような友の中で、私は一番頼りなげ・・・・・。

Kさんが言うに、それが私の魅力とか。(笑)

 

お墓参りに郷里に旅立つ前日にも、Kさんからお電話をいただき、

「ご一緒したくてお昼をお届けしようと思ったのよ。そろそろ落ち着かれたころではないかと思って」

と。

実はそれどころではなかった私です。

お彼岸のお墓参りで、二泊三日の久しぶりの慣れない一人旅に出かける前日でした。

準備に大わらわ。

落ち着かない時を過ごしていました。

 

今後は、毎日が自由の身で、私のお仕事と言えば、孫の世話くらいになる日が訪れるでしょう。

自己中心的な暮らしはそろそろ卒業して、もっと人のために役立つ生き方を目指したいものですが。

ボランティア活動は、余生の暮らし方としては理想ではあるけれど、私の器は、そんなに立派ではありません。

せめて友のために、何か尽くせることがあれば、積極的に動き、これまでの御恩返しをしたいものです。

 

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  花のように泉のように

 

 

 


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ハプニングに見舞われた倉敷の旅

2016-03-13 08:31:52 | 旅行

尾道の観光を期待以上に満喫した私。

その企画を立ててくれた妹への、感謝の気持ちで一杯でした。

心和む尾道の眺望を眼下にしながら、文学の小道を散策しているとき、妹が

「お姉さま、何か詠める心境でしょう。Yさんを偲んで、一句どうぞ・・・・・・」と。

相変わらず折々で涙拭う感傷的な心でしたから、何か詞を紡げそうでも、貧弱な私の感性と語彙では、え〜え〜とつぶやくばかり。

暮らしの折々で、優れた短歌を詠んだ母とは大違い。

そんな口惜しさもチョッピリ味わいながらも、心から満たされた尾道の旅でした。

 

そして、昼下がり、私たちは倉敷に向かいました。

尾道の時と同様、私は妹の案内に身をまかせた、実に気楽な旅。

やはり観光ガイド本もなく、下調べも一切していませんでした。

辿り着いたホテルは、過去の紡績工場を改装し、ホテルへと変貌した建物。

タクシーの車窓から、これはいったい何?と思わず目が惹きつけられた赤煉瓦の威圧的な高い塀。

まるで牢獄の塀のようでしたが。

それが、私たちが泊まったホテル、アイビースクエアーです。

 

 

倉敷では、とても人気の高いホテルらしく、確かにその塀の門をくぐると、そこはタイムスリップしたかのよう。、

レトロで重厚な趣の素敵な空間が、私達を迎え入れてくれました。

またまたとても感動した私です。

 

 

 

妹の予定表には、夕食後、美観地区の夜景を愉しむプランが組み立てられていました。

けれど、それはさすがに私達には強行軍過ぎる、との思いから中止。

ホテルの夕食を、時間をかけてゆっくり愉しみことになりました。

ところが、どうしたことか、私は食欲がありません。

「ホテルは素敵だけれど、お料理の味は今一つね〜」

と、感想を述べた私でしたが、その食欲の減退は、体調異変と言う思いがけないハプニングの伏線だったようです。

 

その翌朝あたりからの記憶が、今綴るにあたってあまり鮮明でなく、少々困ります。

体調が良くなかったせいでしょうか。

でも翌日の朝の私は、まだ普通に行動ができました。

二人で向かったのは、街並みが国の重要伝統的建造物群保存地区になっている、倉敷河畔の美観地区。

 

 

そこは、まるで昔ににタイムスリップしたかのようでした。

歴史のロマンを感じながらの散策。

白壁の蔵を持つ商家風の建物や町家が軒を連ね、倉敷河畔に独特の情緒を醸し出していました。

江戸時代の商人や武士が往来する姿が、目に浮かんでくるような風情です。

倉敷は、江戸幕府の天領となり、年貢米の集積所として栄えた街とのこと。

 

 

その街の一角に、私が観光を待ち焦がれていた大原美術館があります。

ところが、誠に誠に残念ながら、私たちが訪ねた月曜日は、休館日。

まだ私はホテルにいて、そろそろ身支度を始めようとしていた時、一足先にこの河畔の散歩に出かけた妹が戻ってきました。

ドアを開けるなり、素っ頓狂な声で発した第一声が、このお知らせ。

私としたことが、なんという失態・・・・・・云々。

私も残念至極だったけれど、今後お墓参りの帰省で、幾度も通る街。

またの機会の楽しみにすることとなりました。

 

ギリシャ神殿風の重厚な石造建築の佇まいの大原美術館。

今回は、やむなく外観のみ、恨めしく観て終わりでした。

 

 

その美術館がある場所の向かい側に、川を挟んで、国の重要文化財になっている大原家の蔵屋敷があります。

美観地区の蔵屋敷を守り、大原美術館まで設立した大原家の人たちの功績とご苦労に頭が下がる思いがしました。

 

 

さて、このころから、私の体調は一気に下り坂。

お汁粉を頂いたのは良く覚えているけれど、お昼食は、どうしたのだったかしら。

記憶が途絶えてしまっている。

後半の美観地区の観光は私は取りやめ、アイビースクウェアーの一室を特別提供してもらい、新幹線の発着時刻近くまで休ませてもらうことに。

 

 

妹が、残りの観光を済ませ、部屋に戻り、私を叩き起こしにかかりました。

最悪の体調になりつつあった私には、まるで拷問を受けているかのよう。

でも無理しても帰って良かったです。

インフルエンザだった私の体。

タミフル効果の期限がぎりぎりのところで、治療が間に合ったからです。

 

叩きおこされたなんて、少々大袈裟。

妹が私が体調を崩した時の事を面白おかしく、オーバーに表現していたので、その仕返し。

わたし、「死にそう〜」何て言った覚えありません。

観光を途中で取りやめざるを得なかった残念な気持ちを抑え、静かに耐えて、ベッドで横になっていただけです。

次女のMちゃんに、迎えのお願いを頼んだのも、妹。

私はタクシーに乗れば一人で帰れるから、と言いました。

 

でも、本当に楽しかった姉妹旅行。

次は、イタリア旅行の企画が持ち上がっているけれど、一周忌が過ぎるまではちょっと無理そう。

旅慣れている妹に聞くところによると、旅行経費は、お小遣い除いて5〜60万円とのこと。

ビックリ!

遺族年金暮らしの身になった今、お金の使い道は頭を悩ますところです。

シニアーの海外旅行は、今、人気が高いのかもしれないけれど、私は本当にそれを望んでいるのかしら。

それほどの金銭を投入する価値を、そこに見いだしているのかしら。

時差もあり、体力が持つかどうかも、とても気がかり

じっくり検討しましょう。

限られたお金を、一人身になった今、いかに有効に使い、人生を楽しむか。

十分に考えたいものです。

 

 

しばらく、またお休みさせていただきます。

心のエネルギー不足か、今回の投稿はいつも以上に疲れました。

長い間お休み後の投稿でしたのにね〜

肩に力が入ってしまうのでしょうか。

文章を綴ることへの苦手意識は相変わらずなので、心からまだブログ綴りを楽しめていないのかもしれません。

もっと楽しく、もっと気楽に、を目指したいものです。

 

最後になりましたが、あの悲劇をもたらした大震災から、五年が過ぎました。

なおその傷から癒えない方々の、ご苦労を思わないではいられません。

被災地の復興が、住民の望み通りに進展しますように。

そして、希望に満ちた良き日々が紡がれますように、と心からお祈り申し上げます。

 

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