今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

その後の私の暮らし~目先に小さな目標を立て、達成感を味わう日々

2016-07-17 07:26:36 | 暮らし

夫が逝ってしまい、私の暮らしのリズムは、すっかり変わってしまうかに思えましたが・・・・・・。

実際は、それほどでもありません。

夫が元気な頃と余り変わりないリズムで、生活を送っているといっていいでしょう。

大きな変化は、食事の回数を二回にしたことでしょうか。

もともと小食でしたから、二回にしても、差し障りは全くありません。

その代り、朝食は、かなりの量にして、お野菜たっぷり、卵料理、肉料理、ヨーグルトなど、バラエティー豊かにしています。

お洒落には程遠い平凡な朝食。
いつも、こんな感じです。

 

私は大変な早起きのため、起床後すぐ目覚めの効用も期待して、トースト半切れとコーヒーを飲んでいます。

ですから本格的な朝食は9時から10時の間に摂ります。

朝は、1日の活動の始まりゆえ、栄養価高いものを多彩に食するのは、理に適っていると思っています。

けれど、この調子で、昼も夜も同様の量の食事をすると、カロリー過多で太るのは目に見えています。

ですから、お昼は抜いて、夕食は5時前あたりにして、早めに済ませます。

かなり横着をしていますが、1日三十品目以上は食べるように心がけていますよ。

 

最近の一人ご飯

 五目ずし・じゃがいもとちくわの煮物・きんぴらごぼう・冷奴・・ほうれん草のお浸し

 

夕食を早めに済ませるのも、理に適っていませんか。

夜が更けるにつれて活動は少なくなっていくのが自然な暮らし方です。

食事を早く終えれば、消化器官の休息を助けることになるのではないでしょうか。

夜に多少お腹がすくので、腸に優しいヨーグルトをたっぷり摂るようにしています。

目に良い、シロップ漬けのブルーベリーを沢山のせて。

 

こちらも、最近の一人ご飯の夕食です。

鮭ずし・なす煮・かぼちゃの含め煮・冷奴

 

二食生活の私の暮らしになってから、体重の増減はほとんどありません。

夫が亡くなった直後は、二キロ程度やせたでしょうか。

体調は上々と言いたいところですが・・・・・・。

年を重ねるごとに、暑さが応える度合いが大きくなっていくようです。

まだ序の口ですのにね~。

くわばらくわばらといった感じ。

気力で何とか乗り切らなくては。

夫の遺影に向かって、時々、暑気の泣き言を言って、ストレスを発散しています。

多少は力になってほしいものです。

 

一昨日の朝食

 

 遺族年金になってからも、夫のお蔭で、予算の費目は、前とさほど変わらず、当面は不安は抱かないでいい暮らしです。

食費と光熱費は、随分減額しました。

一人暮らしになると、外食とお弁当の回数が増えると思いましたが、あにはからんや。

お弁当は、京樽のちらしずしの折詰を一回買っただけ。

外食も、デパートの階上での和食定食と中村屋のカレーライスを二度頂いただけです。

 

京樽のちらしずしの折詰・豚汁・ほうれん草のお浸し 

 

調理は、私の暮らしの生きがいの一つですから。

とは言っても、栄養さえあれば、見映えは悪くても、あまり気にしない日が、最近は多くて。

 

涙ぐましい倹約の一方で、六月の中頃、鎌倉プリンスホテルに一泊して、アジサイ寺を中心に、いくつかの古刹名刹を訪ねる一人旅を愉しんできました。

また何時か、この思い出話はさせていただきますね

 

長谷寺の境内より望んだ相模湾
梅雨時ゆえ、小雨模様と曇り空の日が多かったのですが、束の間ながら青空となり、
理想的なお天気に恵まれた旅行でした。

 

最近また、JTBでお盆の広島行きの新幹線往復切符と、ホテル予約の諸手続きを済ませ、ほっとしています。

広島に行く前に途中下車して、二泊三日の旅行も愉しむ予定です。

昨日、JTBに八万円ほど振り込みました。

前回のお彼岸の墓参は、5万円の支払いで済みましたが、今回は途中下車するので、パック旅行が適用できないうえ、

旅行シーズンのため、割高になるのだそうです。

遠方の墓参は、経費もかかり大変ですが。

旦那さまの喜ぶ顔を思い浮かべると、今から楽しみです。

 

穏やかな瀬戸内の海の朝焼けの光景です。
広島のホテルより

 

旅行好きの妹(世界でただ一つの姥花日記)に、

「出不精だと思っていたお姉さまだけれど、結構意欲的にお出かけしているじゃない。

鎌倉観光も、上出来よ」

と言って、感心されました。

 

確かにそういわれればその通りですが、鎌倉への一人旅の前は、言い知れぬ緊張感で精神的に疲れ、

「私は旅行好きではやはりないのでは」

と心から思ったものです。

ところが帰宅し、振り返ると、良き想い出が輝いていました。

出かけてよかった、と心から思えた私です。

一方体調だけは、悲しい哉、思い通りに行かず、数日間疲れが消えなくて、不良続きでしたけれど。

 

お料理ばかりの画像も、時には良いかしら。

 

わが家での、その後の私の暮らし方についても、少しお話させてください。

タイマーを片身離さず、計画的に生活する私の暮らし方のスタンスは、以前と全く変わりありません。

目先に小さな目標を立て、一つ一つそれをこなして達成感を味わいながら時を紡ぐ。

この暮らし方のお蔭で、私は夫を失った寂しさを乗り越えて前向きに生きていくことができています。

夫が存命中の頃以上に、計画が細かくなってしまって。

心に隙間を作ると、悲しみと寂しさのるつぼにはまってしまいそうで怖いから。

小さな目標をできるだけたくさん作って、成し遂げる充実感に浸るように心がけています。

 

旅行以外にも、わが家でイベント的な出来事がありました。

二階の南側の部屋のレースカーテンの総入れ替え。

システムキッチンのキャビネット、換気扇のの一部補修などです。

 

次女宅に週三回通い、下校したK君を迎え塾に送り出す、代理ママのお役目も、せっせとこなしています。

土曜日は、ほとんど次女宅で夕食を共に。

私も孫たちの口に合いそうなものをこしらえた時には、そのお料理を運んだり、と。

 

次女宅の或る日の夕食

 

業者さんの出入りが幾度もあり、その合間を縫っての娘宅通いでした。

のんびりマイペースが、本来ならば一番好きな私ですが・・・・・。

孫に喜んでもらえる事に励むのは、多少の犠牲を払っても、心の張りとなり、私を元気づけてくれます。

50代のころの自分を思い出し、若返った気分になって、今後も、当分頑張り続けましょう。

 

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初夏の庭 

2016-07-16 07:11:58 | ガーデニング

わが家の花壇のその後について、そろそろ語りたいところですが、草花の入れ替えをほとんどしていません。

ですから、話題に乏しくて、つい延び延びになってしまいました。

1日に数回は庭に出て、水を遣ったり、花柄を摘んだりの作業は変わらず続けています。

夫が逝った後の一人身の寂しさを、庭の植物たちが、いかに慰めてくれていることでしょう。

ガーデニングを趣味にしていて良かった、と改めて思うこの頃です。

このフレーズは、幾度も記事で繰り返してきた気がします。

これから書くことも、同様です。

同じ気持ちをかみしめて暮らしているので止むを得ないこととはいえ・・・・・。

ガーデニングの話題は、なかなかうまく広げられなくて・・・・・・。

何とか工夫して、もう少し気の利いた記事が、次回からかけるように努めますね。

 

かれんじゅら

 

 初夏のわが家の花壇は、花が乏しくて、緑ばかりです。

そのカラーリーフの一部は、夫の入院先の小さなお花屋さんで求めたもの。

やはり同じお店で求めた可憐な黄色の小花をたくさん付ける「かれんじゅら」も、半日陰の場所ながら、とても長い期間、私の目を楽しませてくれました。

大すきなお花になりました。

けれど、早まった無慈悲な対応をしてしまった私。

梅雨前に萎れたので、抜いてしまったのです。

説明では、種がこぼれて世代交代を繰り返しながら周年花が付くと書かれていましたのに。

周年はあり得ない、と勝手に思い込んでしまい、早々に諦めてしまいました。

 

園芸が趣味で大変研究熱心だった父とは大違いです。

「父は育てる人、母は観る人」と私たち姉妹は、よく言っていました。

これからの時期、父丹精の盆栽仕立ての朝顔が、目覚めるとお茶の間にいつも飾られていました。

その父とは、大違いの私。

いい加減な手入れしかできなくて・・・・・。

根を詰めすぎると、疲労困憊してしまう私の体質ですから、何事も適当を旨としています。(笑)

 

けれど、葉物はいずれもとても元気ですよ。

生き生きしています。

 

春ごろの花壇の様子です。今も、似た光景です。

 

 夫が入院中、よく訪ねた不愛想な中年の男の店主さんが経営する小さなお花屋さん。

センスが素晴らしく良くて、店頭に並ぶ草花には私の目を引くものばかり。

よく電車に乗る前に、束の間の時間訪ね、買い求めたものが結構あります。

元気のいい苗だったのでしょう。

いずれも期待を裏切らず、すくすく成長してくれました。

夫が闘病中の切ない思い出とも重なり、愛着もひとしおです。

 

 

一方、最近、近所の花屋さんで購入した草花は、一週間もたたずして萎れてしまい、がっかり。

数千円も支払いましたのに。

とても感じの良い母娘が経営なさっておられます。

久しぶりに立ち寄り、店先に並ぶセンスの良い草花を見て、今後ひいきにして差しあげたい、と心から思ったのですが。

苗の余りの元気のなさを見て、すっかり信用が置けなくなってしまいました

夫の入院先の最寄り駅前の花屋さんの苗は、いずれもとても元気でしたから。

 

遺族年金暮らしになってからは、数千円の無駄は、結構な痛手です。

以前のような、万以上の大人買いは全くしなくなりました。

草花を求める時、心から楽しめない自分がいるようで・・・・・・。

悲しい事だけれど、無駄な出費のように感じたりするのですよね。

せこくなってしまった、そんな自分の心模様が、なんだか悲しい。

今でも、時には大人買いだって、できないわけではむろん全くないのですが・・・・・・。

自分にとって絶対必要な出費とまで思えないのですよね。

今後のガーデニングへの予算の配分は難しい課題となりそうです。

 

 雨樋を入れ替えた時、色を緑にして大正解でした。
庭の風景に溶け込んで、樋が目障りでなくなりました。

 

今は、ほとんど緑中心の花壇になっていますが、この現状に、私は結構満足しています。

派手さはないけれど、しっとりとした落ち着いた風情で、色合いとテクスチャーの変化だけでも、十分私を愉しませてくれます。

一層の事、緑の花壇にしてしまいましょうかしら。

費用も掛からないうえ、手入れも簡単ですもの。

花物は、テラコッタの植木鉢のみにすれば、日当たりのよい所に、移動でき、草花にとっても幸せなことでしょう。

花壇に植えては、我が家の場合、半日陰のところが多いため、条件が厳しすぎて、草花が可哀想。

 

サルビアの深い鮮やかなブルーに魅せられて、毎年買うのだけれど。
この場所も、ムクゲとシャラの木に陽を遮られ日照不足なのでしょう
花が鑑賞できたのは最初だけ。今は待てど暮らせど、花が咲いてくれません。

 

私の理想のイメージで植えつけるのでなく、植物は適材適所の精神で配置することが大切ですね~。

色々な思いを,徐々に生かして、少しでも良いガーデナーになれるように頑張りたいものです。

 

草花にとり、日当たりがよく一番好条件の場所です。
春の頃の光景です。

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続 私の心の支えとなった友人の言葉

2016-07-15 07:16:53 | 想い出

中高時代は、まだ自我が確立されておらず、悩み多き、ひ弱な学生に過ぎなかった私。

そんな私を心配されたのでしょう。

高校時代の恩師、H先生が私に贈って下さった卒業時の言葉は、「大地を踏みしめて歩いていこう」という、特別なものでした。

友、Iさんは、おそらく私のその印象が、完全には拭い切れておられなかったのかもしれません。

 

その友人のお父さまに当たられる小学校の恩師、I先生のお墓参りを兼ねた同窓会が、伊勢で開かれた時、数十年ぶりに彼女に会いました。

昔と変わらない、楚々とした慎ましい雰囲気のIさん。

今は茶道の先生をなさっておられるようでした。

私が前々回の記事で綴った、日本古来から伝承されてきたお稽古事を、マスターの域まで極められたお手本のような人。

清楚な凛とした佇まいでいらっしゃいます。

その時久し振りに、いろいろ語り合うことができた私達。

 

その半年後の年明け、私は久しぶりでしたが、彼女に、夫が亡くなったことを知らせる喪中葉書を出しました。

このたび、ご紹介させていただいた彼女の言葉は、そのお返事に書き留められていたものです。

 

「腰の痛みにかかわらず貴女が、どんなに幸せな人生だったか、すぐわかりました」

 

素直に嬉しく、この言葉を幾度もかみしめた私です。

 

 

もしかすると、彼女は、中高時代との私の変わりように、驚かれたのかもしれません。

多少趣が違いますが、40代後半の頃でしたでしょうか。

妹に、「過去のお姉さまと、今のお姉さまは別人のよう」などと言われたことがありました。

 

確かに私自身も、青春時代を含めた若かりし時の自分より、厳密にいうなら、30代後半頃からのの自分の方が遥かに好きです。

夫の海外赴任で、米国に在住した頃に重なります。

一皮むけられたのは、この時代に出逢えた、良き友人達の薫陶のお蔭だと思っています。

とはいえ、相変わらず、妻として母親として試行錯誤の連続でしたが、大地を踏みしめて、私なりの人生をしっかり歩めるようになっていました。

理想は高いながら、自分の弱さには勝てず、矛盾を一杯抱えながら、それを乗り越え乗り越えの暮らしでしたが。

努力が一つ一つ成果となり順調に実る、幸運な人生だったように思います

その私の人生を陰になり日向になり、ずっと見守り続けてくれたのが、夫です。

 

 

結婚当初は、世間知らずで、何事に臨んでも要領が悪く、未熟そのものな女性に過ぎなかった私。

そんな私にもかかわらず、全幅の信頼を寄せ(?)、家事全般、子育てに至るまで、すべての事を私にまかせてくれた旦那さまでした。

時には、その重荷に耐え切れず、「もっと手伝ってよ」との愚痴を述べたことも再々ありましたが。

夫のこの姿勢のお蔭で、娘時代とは見違える程、私は逞しくなり、恩師の言葉通り、大地をしっかり踏む締めて歩けるようになりました。

 

寡黙な旦那さまで、優しい言葉などかけてもらった覚えはほとんどないけれど・・・・・・。

夫が私に寄せてくれたこの信頼こそが、何よりの優しさだったと思うこの頃です。

 

文句や愚痴を述べたことがほとんどない人。

投資で、ひと財産を失うといった愚行を私が犯した時でさえ、咎め立ての言葉一つ言わなかった人でした。

娘たちを叱ったことも一度もありません。

子供たちを叱る憎まれ役は、私と決まっていました。(笑)

 

 

おおらかな気持ちで私たち家族を常に見守り、経済的にも何不自由のない暮らしをさせてくれた旦那さま。

私はその庇護のもと、伸び伸びと、自分が立てた夢多き人生設計の道を、幾度も脱線しながらも、幸せに歩むことができました。

 

私の友人の「貴女がどんなに幸せな人生を・・・・・・」の言葉は、すべて夫のお蔭によるものです。

 

命日になるとお花屋さんから、花束が届きます。
Mちゃん!ありがとう

 

がんが骨に転移し、激痛に苦しんでいる頃の旦那さまは、弱音も幾度か吐きました。

とても強い人だっただけに、最後の変わりように、私は驚きもしましたが。

「傍にずっといてほしい」とつぶやいたその当時の旦那さまへの愛しさが、今は切なさと共に、一層募って仕方がない私です。

今なお、「ありがとう」の言葉しか浮かんでこない暮らしの日々を、私は送っています。

 

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私の心の支えとなった友人の言葉

2016-07-14 07:17:54 | 想い出
夫の葬儀後に頂いたお手紙やメールにおける、とても印象的な言葉。
 
今も深く心に刻まれ、折々で私を励まし、慰め、支えてくれていることについて、少しずつ書き留めていこうと思います。
 
 
「豊橋でなん十年ぶりでお会いしたとき、腰の痛みにかかわらず貴女が、どんなに幸せな人生だったか、すぐわかりました」
 
 
 
 
 
私はこの一言を目にした時、友人の優しい気遣いを有難く思うとともに、改めて夫への感謝の気持ちが溢れ、涙しました。
 
 
 
 
 
 
私が秘かに慕い尊敬して止まなかった中学の同級生、Iさんからのお手紙に書かれていた文章です。
 
Iさんは、私が小学生の時、六年間にわたってお世話になった担任の先生のご長女でした。
 
とても優しくて、お姉さんぽい雰囲気。
 
学業も、とても優秀な人でした。
 
 
彼女とは親しくなりたかったのだけれど、結束の固い仲良しさん達がすでにもういて、そのグループに入れてもらえなかった辛さは、今でも思い出します。 
 
その頃の私は、主体性などまるでなく、どこかお嬢様気取りのおとなしいに女子学生に過ぎませんでした。
 
お嬢様気取りなぁ~んて言っても、一介のサラリーマン家庭の娘に過ぎなかったのですけれどね。(笑)。
 
 世間知らずもいいところでしたし、花にたとえれば、「白百合」なんていわれて、清純派ぶっていました。(笑)
 
そんなひ弱な雰囲気の私に、彼女は魅力を感じなかったのでしょう。
 
 
そのクラスは、個性的な学生が多く、学校行事にも前向きでとても良いクラスでした。
 
中学の難関試験を合格した優秀な学生が大半を占めていました。
 
私は、小学校からの持ち上がりで、受験は経験しなかったも同然。
 
そのためか、中学入学後は、最初からコンプレックスが結構大きかったように思います。
 
 
 
 
小学校高学年になるまでは、勉強なんて一生懸命した覚えはほとんどなかったけれど、オール5が当たり前のような生徒でした。
 
小学校レベルの内容なら、何をしなくても十分ついていけていた私です。
 
 
 ところが、中学に入学した途端、委縮してしまって、成績はみるみる下り坂。
 
(ネットで調べたところ、私が小学生当時の成績表は、かなりアバウトなものだったようです。
頑張っている子には、オール5の成績を先生がよく付けた、と書かれていました。笑)
 
 
けれど、中学の学習内容は、そんな生易しいものではありませんでした。
 
無力体質との診断を受けたほど、疲れやすかった私。
 
勉強に取り組み、やる気は十分あっても、すぐぐったりしてしまって、集中力が続きませんでした、
 
それも原因の一つだったかもしれないけれど、要領も悪くて勉強のコツがよくわかっていなかった私です。
 
 
前のお宅にお住いだった大学講師のK先生が週一回、ご指導下さったお蔭で、英語だけは、よくできましたけれど。
 
高校時代は、数か月、登校拒否もしたりして・・・・・・。
 
ですから中高時代の自分が、今思い出しても一番好きになれません。
 
 
 
 
 
そのため、大学は、恩師のF先生の推薦で、或る中堅のミッション系の女子大に入学でき 英文学を専攻しました。
 
最初の二年間は能力別クラスになっていて、私は英語だけは比較的優秀だったらしく、一番良いクラスへ。
 
大学時代も、後悔することはいろいろあるけれど、心から信頼できる友人二人に恵まれ、充実した学生生活を過ごせました。
 
そのうちの友一人は、亡くなって二十年以上が経ちます。
 
めったに会えないもう一方の名古屋在住の親友は、今でも、私の心の友であることに変わりありません。
 
電話でたまにお話すると、身内のような親近感を覚えます。
 
 
冒頭でご紹介した今日の記事のテーマらしき言葉から、随分外れた内容になってしましました。
 
いかに私が、か弱くて存在感の薄い人間であったかを説明したくて、前置きが長くなりました。
 
それが、中学時代の友人、Iさんの
 
「腰の痛みにもかかわらず、貴女がどんなに幸せな人生だったか、すぐわかりました。」
 
に繋がるのでしょう。
 
この続きは、明日にさせて頂きますね。
 
 
追記
 
拙いブログにもかかわらず、たくさんの方達に応援いただき、ありがとうございました。
思うところがあって、しばらくランキングを外れようと思います。
 
結構気が小さい私。(笑)
半年ほど前でしたでしょうか。
マイページのポイントが操作を受け、大きく変動したことがありました。
夫が亡くなり、しばらくお休み後、復帰した頃の事です。
 
1000以上あったインポイントが、突然800くらい削られ、260ほどになり、動かなくなりました。
数日不自然な動きが続きました。
数度ブログ村に、その原因を問いあわせましたが、無回答でした。
それ以来、不信感が拭えなくなってしまっている私です。
 
それとは別に、インポイントがいつもに比べ、異常に少ない日があると、自分では正直に書いているに過ぎなくても、自慢話に聞こえて、皆様の心証を悪くしてしまったのでは、などとくよくよ、ドキドキする自分がいます。
そんな自分が情けなくて嫌でたまりません。
過去、数年に亘って中傷を受けたトラウマから、完全に立ち直れていないのかもしれません。
 
煩うことなく、伸び伸びと記述するために、ランキングを外れる方がよいのでは、と思い始めました。
単なる気まぐれにすぎないかもしれません。
またすぐ戻ってくるかもしれません。
その時は、今まで同様、お付き合いの程、宜しくお願い致します。
 
お休みの間に、今後どのようなスタイルでブログ綴りに臨めばよいのか、試行錯誤してみようと思っています。
知識もボキャブラリーも乏しく、文章力に全く自信がない私。
ブログ綴りは、結構苦労を要する作業です。
でも辞めることはできません。
止めると、ボケが一気に進んでしまいそう。
認知症になるのが怖いから。(笑)
予防に、ブログ綴りほど効果があるものを、私は他では見つけられません。
 
皆様の温かな励ましの応援に、心より感謝申し上げます。
ランキングは外れますが、ブログ村には今のまま在籍させていただくつもりでいます。
新着記事が目に留まりました時には、宜しければ、お立ち寄り下さいませ。
 
バナーを一旦外しましたが、取り付けたままにすることに致しました。
 

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続 お稽古の話

2016-07-13 07:23:39 | 想い出

私が娘時代の頃の事です。

母に勧められ、あるいは自分で興味を抱き、始めた習い事に、下記のようなものがあります。

茶道(表千家)、華道(小笠原流)、お習字、日本舞踊(花柳流)、洋裁、料理等。

 

そういえば就学前から、小学生の低学年の間、絵画教室にも週一回通っていました。

その頃、妹はバレーのレッスンに励み、そのバレー団の子供のプリマドンナ的存在として活躍していました。

母の話では、私は体が弱かったので、お絵描きの教室が向いていると感じたようです。

私の絵画教室の先生のお名前は、今でも覚えています。

下村先生。

細身で背が高く、優しい雰囲気の方でした。

家から、かなり遠く離れたところにお教室があったため、いつも母が付き添ってくれたものです。

 

 

もしかすると、母は、その子の興味の対象と、潜在的な才能を見抜く能力にたけた人だったのかもしれません。

妹同様、私の才能が、短期間でしたが花開いた時期がありました。

朝日新聞主催の全国コンクールに入賞したり、学校の宿題となった夏休み帳のドリルの裏表紙に、私の絵が載ったりしました。

図工の先生が、私に一目置いていらっしゃる、との意識もありました。

二名だけ図工室に呼ばれ、放課後、絵を描かされたりしたこともあります。

 

でも数年間ほど習ったのみで、その絵画教室に通うのを止めてしまった私です。

母に連れられ、デパートで催された印象派の絵画展を鑑賞後、帰宅するとすぐ、絵筆を握って絵を描きだすような子供でしたのに。

続けていれば、私の人生のどこかで、その才能が花開いたかも知れませんね~

なぁ~んて、私の勝手な想像です。

孫のR君とK君は、お絵描きが大好きで、才能も感じられます。

もしや、私の遺伝かなあ~なんて、またまた。(笑)

 

 

今春、わが家の庭に咲いたバラのアイスバーク

 

絵画と同じくらい、多少長く続いたお稽古事に、茶道があります。

中学生時代、ご近所のお宅で習いました。

わが家から数軒先のお宅で、広いお庭の隅に本格的なお茶室がありました。

 

私は若いというだけの理由で、年明けの初釜の日に、お点前をするように仰せつかった事があります。

周りはみんな年配の貫禄あるおばさまたち。

緊張のあまり、柄杓を持つ手が小刻みに震え、炭火で熱くなった鉄の茶釜に、掬ったお湯が滴ってしまいました。

確か、お茶室のお湯が煮えたぎる音を、「松風の音」と言いませんでしたかしら?

風雅なたとえですね~。

ところが私は、そのお茶室の静謐さに水を差すような音を、そのせいで立ててしまいました。

恥ずかしさから、ますます緊張して、お点前を続けたものです。

 

母の遺品のお茶道具
和室には、炉が切られていました。

 

わが家から近かったのは、茶道の先生のお宅のみならず、華道の先生も同様です。

何とお隣でした。

お庭は、手入れが行き届いた実に立派な日本庭園。

起伏があり、鯉が泳ぐ池には石橋までかかっていました

それを臨む広いお縁側で、お稽古を受けました。

権威ある有名な先生でいらしたようで、とても活躍しておいででした。

 

今なら、いくら出好きでない私でも、地理的な利便性がこんなに良ければ、熱心に通って、自分のものにしたでしょうに。

臆手で精神的に幼かった私には、そんな意欲がなかったのでしょう。

何をお稽古しても長く続けられなかった私。

それにもかかわらず、お月謝を払い続けてくれた両親のことを思うと、改めて感謝の気持ちが湧いてきます。

 

妹は(ブログ名 ただ一つだけの姥花日記)、私と違い、茶道はお免状を頂いているはずです。

バレーも、そのバレー団の子役として大活躍しました。

森下洋子さんとは、一時、そのバレー団で、一緒にレッスンを受けたことがある妹です。

私とは大違いですね~。

 

ドリームラベンダー

 

他で思い出深いのは、日本舞踊。

郷里では母のお師匠さんからご指導を受けました。

父の転勤先でも、お稽古に週一回通いました

お稽古用の浴衣を着て、扇子を手にすると、おのずから背筋が伸びて、心が凛としたものです。

夫とお付き合いを始めた頃も、まだ続けていました。

辞めてからも扇子は、長い間、身近において大切にしていたのですが、その内に見当たらなくなってしまいました。

 

同じお稽古場でお習字も習っていました。

花嫁修業として、お料理学校にも、もちろん通いましたが・・・・・・。

 

けれど結局、何一つ、ものにできなくて・・・・・・。

お月謝を無駄払いさせてしまった両親に申し訳ない気持ちがします。

けれど、短期間でもいろいろなことを体験できた私は、本当に恵まれていました。

きっとわずかでも、その経験が、私の心の糧となり、成長の助けになってくれたに違いない、と思うこの頃です。

 

 

 ご覧下さいまして有難うございました。

 

 花のように泉のように

 

 


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お稽古の話

2016-07-12 07:14:42 | 想い出

お稽古。

何となく古風な響きがし、奥床しさが感じられる言葉ですね~。

ブログを拝読していますと、いろんなお稽古に励まれた方の記事を目にすることがあります。

私はそれだけで、その方に一目置いて、あこがれの眼差しさえ抱いてしまいます。

 

何故なら、私も娘時代、母に導かれ、或は自発的に、随分いろいろなお稽古に手を付けました。

でも長くて、続いて2~3年。

その道を究めるほどに至ったことは、一つとしてありません。

何か一つくらい免許皆伝のものがあれば、ブログ記事で話題にでき、私の格をチョッピリ上げることができたかもしれませんのに。

格を上げるという言い方は語弊があり、抵抗を感じる方もいらっしゃるかもしれません。

けれど、お稽古の表現がふさわしいものと言えば、日本古来から伝わる習い事が多いですものね~。

一概に日本的なものばかり、とは言えないかもしれませんけれど。

西洋・東洋の伝統を偲ぶような習い事もありますから。

 

 鎌倉へ一人旅した時に撮った長谷寺のアジサイです。

 

私が常に愛読している書物に、次のような記事が載っています。

「稽古」の「稽」は「考える」と言う意味です。ですから「稽古」は昔の物事を考える、古書を読んで学問をする、ということになるわけです。この意味が、時代の移り変わりとともに広く使われるようになり、「学習すること」や「練習すること」も稽古といわれるようになった。でもね、「練習する」といっても、「バスケットボールの稽古」とか「スキーの稽古』とはいわないでしょう。やはり「生け花」「茶の湯」「書道」「琴」などの場合に「稽古」を使う。何故か。これらの伝統技芸には、古くから伝えられた型があって、その型から入ってゆくからです。だから「練習」ではなくて稽古なのです。

中略

古くから伝えられた「型」は生きている。生き続けてきた、と言えるのです。今日の型になるまではに、余分なことは削られ、必要なことは付け加えられてきた。つまり、「定型」と言うのは実は無いのであって、型は常に生成発展をしている、いわば歴史上の生き物なのです。

 

これを読んで、私も古来から伝授され、生成発展してきたような奥の深い習い事を一つくらい極めるべきであったと。

今更反省しても、もう遅い。

いえいえ、スポーツのように体力を余り要しないので、これからお稽古に励んでもいいのかもしれない。

けれど、私はまたきっと、三日坊主とはならなくても、そのうち辞めてしまいそう。

マイペース人間ゆえ、日が決められ、週に一回でも必ず拘束されてしまう事を好まない性格です。

習い事は向いていないのかもしれません。

 

 

 

自分にはそういった情けない面があるので、一つの事を極める人に、私は頭が下がります。

芯がスッと通り、ぶれない凛とした人を心に描いてしまうのは私だけでしょうか。

茶道でも、華道でも、日本舞踊でも、師匠となられるような方々は、皆さんそのような雰囲気をたたえておられませんか。

私にはその様に思えてなりません。

 

そういえば、身近に、伝統的なお稽古ごとに励み、一つ一つものにした人がいました。

私の母です。

お琴、茶道、華道、お習字、日本舞踊、短歌等。

お琴のお稽古に励む母の姿を見たことはありませんでしたが、八畳の和室の床の間には、長い間、お琴が立てかけてありました。

娘時代に精進した和楽器のようで、想い出のアルバムにその姿が見られます。

その他のお稽古事にも励む母の暮らし方が、私の胸に印象深く焼き付いています。

 

母は、努力のみでなく、天性の器用さに恵まれた人でした。

上に挙げたようなお稽古事は、ことごとく自分のものとして、マスターの域に到達していました。

お習字や短歌は入選作品もあり、母が嬉しそうに私に、よく報告してくれたものです。

日本舞踊もかなり上達し、花柳流のお師匠様と発表会の舞台で連獅子を舞った時の母の姿が忘れられません。

 

 

このように何事にも一生懸命臨み、途中でいい加減な挫折を良しとしなかった母。

それゆえ、如何なる時でも姿勢を崩さない凛とした人で、振る舞いも美しい人でした。

恐らく、日本古来から伝わるお稽古ごとに精を出したことにより、自然に身についた所作だったのでしょう。

他に、お料理、編み物なども得意とした母です。

 

 

母に比べ、私の習い事、お稽古ごとの何と浅く、いい加減なものであったことか。

もっとひとつひとつ努力を重ねていれば、それが私の人格を多少でも薫り高いものにしてくれたでしょうに。

今更、後悔しても始まりませんが、束の間の期間でも体験できた事を喜ぶことにしましょう。

何か目に見えない形で、私の成長の糧になっていると思うからです。

 

明日は、私がこれまで習ってきたお稽古事や習い事について、お話させていただきますね。

 

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孫と私~参院選投票日に思ったこと一言

2016-07-11 07:09:42 | 

私には、愛しい孫が四人います。

高校2年生を筆頭に、中1、小5、そして歳のかなり離れた次女家の娘、かれんちゃんです。

保育園の年長さんで、来年、小学生に。

娘たちは見事に産み分け(笑)、両家とも、一男一女に恵まれました。

 

 一昨日(7月9日)は保育園の夏祭り。

催し物を愉しむ、かれんちゃんとお兄ちゃん

 

私は娘二人でしたから、男の子はある意味、未知の領域。

ですから、対応に自信が持てなくて・・・・・・。

けれど、長女家の孫息子R君は初孫ゆえ、その可愛さ余って、かなり夢中になってしまった祖母の私です。

 

今でこそ、子供たちも大きくなり、我が家に来ることは余りありませんが、R君が幼い頃、長女家は頻繁に私の所にやってきました。

そしてR君は、実によく我が家にお泊りしたものです。

一週間一人でも全く平気。

ママを慕って、私を困らせるような事はありませんでした。

子供服を選ぶのは私の趣味と化し、ラルフやファミリアの服に目がなくて、ほとんど買い揃えてあげたものです。

 

 

 

 

何故、そんなに夢中になってしまったのでしょう。

今となっては、理解に苦しむ程ののめり込み様でしたが、夫も、大変な子供好き。

私以上に全身全霊で、孫に接する人でした。

孫とじいじの意気投合振りは、R君のみでなく、長女家の次女のさくらちゃんも、次女家のK君も同様。

かれんちゃんも、おじいちゃま大だ~い好きの片鱗は十分覗かせてていましたが、

その途上で、重い病にかかり、亡くなってしまったじいじ。

 

 

 

病状がひどくなると、あんなに可愛がっていた孫からも、離れたがるようになりました。

私には、とても意外なことでしたから、そんな夫の態度が悲しくて、辛い気持ちになった時期もあります。

でも夫への遠慮から、孫を我が家で預かることは、次第になくなっていきました。

 

次女のお婿さんが数年単身赴任となり、娘と長男のK君はその間、我が家で同居した事があります.

夫が肝臓がんを患う前の事。

ですから、初孫のR君同様、じいじとK君の蜜月は数年やはり続きました。

良き思い出を共有して、亡くなるまでの日が一番浅かったのがK君です。

 

そのせいもあるのかもしれません。

私は、別の車に乗っていましたから気が付きませんでしたが、妹が葬儀後、報告してくれました。

K君が、火葬場に向かうバスの中で、ずっと泣きじゃくっていた、と。

娘の話では、家に帰ってからも同様だったらしく、消沈したきった状態がその後もしばらく続いたようでした。

 

ごく最近も、私は切なくなり、K君への愛しさで胸が一杯になるような事がありました。

「僕は将来広島に住もうかな~。お爺ちゃんのお墓もあるし」

小学校五年生の子が発した言葉とは思えませんでした。

この話を次女から聞き、感極まってしまった私です。

 

幼い頃のK君

 

 K君の優しさは、どうも天性のようです。

同居していた幼い時から、私を困らせるようなわがままを言ったことが一度もありません。

実に穏やかな性格。

今も変わらず、クラスでは誰とでも仲良くでき、リーダーシップもなかなかのようです。

 

私はK君の傍に居させてもらうだけで、まだ小学生ですのに、純白の真綿にくるまれたような居心地の良さを感じます。

今は眼鏡をかけていることが多い大きな美しい瞳にも、その優しさが溢れています。

 

  

妹にも、とても優しいお兄ちゃんです。

 

いつか、K君のパパに、その私の思いを語ったところ、私の身に余るような思いがけない言葉が返ってきました。

「K君の優しさは、お母さんの家の血を受け継いだのだと思いますよ。

M子も優しいし、お姉さんも優しい。

お母さんも優しい性格じゃあないですか。

その性格を、Kは受け継いでいるのですよ。

僕の家はそうではありません。

徹底した個人主義のうちですから」

 

私はとんでもないと思い、言い返しました。

「Hさんのご両親こそ、とても優しくて思慮深い方達ではないですか。

敬虔なクリスチャンでもいらっしゃるし」

「いえいえ、うちは違います」と笑いながら言い返した婿のHさんでした。

 

個人主義は、インテリに多いと聞いたことがありますもの。

個人の尊厳を尊重するこの言葉は、悪い意味合いでは決してありませんよね。

 

本当の優しさを突き詰めるとなると、我が家の人たちが、その言葉にふさわしいかどうか。

首をかしげ、気恥ずかしさで身の置き所がない心境になりましたが・・・・・・。

身内のお婿さんが、そのような感想を述べてくれたことは、素直に嬉しくあり難い事でした。

 

 

さくらちゃんが一歳の頃 

夫の笑顔が最高

 

もしかすると、わが家で一番優しかったのは、旦那さまだったかもしれません。

一見、不愛想に見える寡黙な人でしたが。

私に対しても、文句を言ったり怒ったりすることは、長い結婚生活の間、ほとんどありませんでしたから。

娘たちを叱ったことも一度もありません。

空のように広く、海のように深い心の持ち主だった旦那さま。

ですから幼い孫たちが大好きになったのでしょう。

 

今春中学1年生になった長女家の孫娘のさくらちゃんは、

「理想の男性はおじいちゃま」

と言って、今も憚りません。

 

追記

昨日は、参議院選挙投票日でした。

今の時代ほど、先が見えない不安な世の中を意識して暮らすのは、私は初めてのような気がします。

この状況は、日本のみならず世界的な現象のようですが。

それにもかかわらず、投票率は、過去4番目の低さとの事。

少々驚きましたが・・・・・・。

 

そうはいっても、私も重い腰を上げ、投票所に向かったのは、日も暮れた7時ごろ。

一票を投じてきました。

選挙の帰り道の事。

西の空は、茜色に染まり、それはそれは美しい夕焼けに輝いていました。

しばし見惚れてしまった私です。

 

この夕焼けは、きっと明るい未来を示唆して、私たちを祝福してくれているのかもしれない。

楽観的な私は、ついそのように考え、孫たちの将来に希望を託しました。

世界的に、高齢化と少子化が進む中、グローバリゼーションによる格差も進み、大変厳しい現状ですが。

人間の英知と努力で、この難関を乗り切り、不安を抱かないで済む世の中を作り上げてほしい、と切に願っています。

 

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続 谷根千散策

2016-06-13 07:20:41 | 

このたびの散策で、何といっても、出逢えて一番感動したのは、森鴎外が「舞姫」を執筆した旧居でした。

「水月ホテル鴎外荘」という名称のホテルの中に保存されています。

ウォーキング終了後、参加者一同、その館内でとても美味しい懐石料理を頂きました。

 

昼食後、その旧居を訪ねた私とKさん。

静かな佇まいの、美しい日本庭園へ足を踏み入れました。

何故か、他の方達の人影はほとんどなく、ラッキー。

樹齢を感じさせる瑞々しい緑の木立の庭をを臨む場所に、趣ある古い家屋が。

広い和室が二部屋見えます。

上がって、中の様子を見せていただきたかったのですが、その日は貸し切りのお客さんがいらしたようで、残念ながらそれは叶いませんでした。 

 森鴎外が暮らしている様子が目に浮かんでくるよう。

明治の浪漫にしばし浸り、このたびのウォーキングの感慨を、一層深くした私です。

また是非訪ねたい、と心から思いました。

 

 

他では、15代将軍徳川慶喜の墓前に佇みお詣りができたこと。

日本の歴史を大きく塗り替えた潔い決断の偉業に、思いを馳せたりもしました。

 

 

夏目漱石の住居は跡のみでそれらしき形跡は何も残っていませんでしたが・・・・・。

文豪に思いを馳せ、幾分でも身近に感じられ嬉しく思った私です。

終の棲家ではなく転居を繰り返した中の一軒の跡地のようでした。

 

 

幸田露伴の有名な小説「五重塔」の塔が立っていた場所にも出逢えました。。

未遂心中の放火で、跡形もなくなっていて、心無い事をする人がいるものぞと、なんだか私まで悲しい気持ちに。

 

 

谷中霊園
この霊園には、鳩山一郎、横山大観、渋谷栄一郎などの有名人のお墓も。
この一角に五重塔の跡地があります。

 

団体行動ゆえ、丁寧に撮る心の余裕はなく、慌てて撮影したものばかりですが、

これまで掲載した画像は、私にとって特に印象深かった観光スポットで、道順に沿ったものではありません。

最後に、まだ載せていない画像を一気に掲載させて頂きますね。

綴るうちに、頭が混乱してきました。

まとまりがない文章でごめんなさい。

紀行的な文章は特に苦手意識が強くて、ブログ綴りの苦労が二倍になります。

 

 

 

根津神社

束の間の休息でしたので、見学はできませんでしたが・・・・・・。
徳川綱吉が造営した社殿を千駄木の旧地より遷座したもののようです。
重要文化財に指定されていて、江戸の建築とした最大規模の神社との事。

                     大名時計 博物館  門前の観光のみでした。  

 

瑞輪寺
徳川家康開基の日蓮宗の本山
この界隈は、日蓮宗の寺院が至る所にあり、寺町になっています。

 

                  築地塀
                  江戸時代に築造された土塀

 

谷中千は、正確に述べると、下町と門前町、寺町、武家町が一体となって連なる情緒と文化の香り高い場所です。

ゆえに見どころが満載。

思い出して綴ることで、改めてこの地域の特色と魅力を再認識することできました。

ブログの有難さですね~

けれど、苦労も多かった~

綴り終わるまでにかなりの時間を要しました。

 

お天気も良く、目にも鮮やかな新緑に、八分咲きのつつじが彩を添え、散策には絶好の日和でした。

同行した人たちとは解散後、二人で下町風俗資料館も訪問。

そこで昭和初期の風習や遊具に触れ、童心に帰った私とKさん。

知恵の輪のような遊び道具には、熱心に挑戦したり、と。

 

 

最後に、彼女の案内で、あんみつで有名な老舗の喫茶店、「みはし」に。

天下一品といってもいいような美味しいあんみつをいただき、帰路に就きました。

彼女の話では、歩行数は16350歩だったようです。

私は帰った当日は、意外に元気でしたが.翌日に疲労が出て、三時間もお昼寝。

或る表示の変化に、びっくりもした私です。

翌日、体重計に乗ると、体重は52キロ台(48キロになることが目標です。笑)で、ほとんど変わりませんでしたのに、体年齢が三歳も年取っていました。

二週間後くらいに、元の57歳に戻りました。

過度の運動は、体年齢を、かえって上げてしまうのかしら?

奇妙な発見に首を傾げた私です。

実際は72歳の私です。

でも、昨日久し振りに体重計に乗ると、59歳に。

56歳の時期がしばらく続いたこともあったのに。

実年齢よりかなり若いとはいえ、何だか悲しい。

 

 

 Kさんにまた散策に誘っていただきたいけれど、いつも最後尾の私を気にかけていた彼女。

迷惑をかけてしまい、申し訳なく思います。

今また、百歳になられたご義母様のご体調がよくなくて、車で五駅先の施設に連日通い、大変な日々でいらっしゃるようです。

本当によく尽くされていて、その親孝行に頭が下がります。

ご親族の皆様の願いが届き、さらなるご長寿と穏やかな日々を、とわたしも祈って止みません。

 

前の記事で、すでに触れましたが、そのご義母様が、最近亡くなられました。

ご家族様の心を尽くしたご介護に感銘を受けていた私です。

御心中を察し、私も心塞ぐ思いがしています。

最近は身の回りで、亡くなる方が多すぎて・・・・・・。

夫の死とも重なり、精神的には少々つらい日々です。

元気を出さなくては。

 

またしばらくお休みさせていただきます。

ながぁ~い夏休みを取りたい気持ちもしていますが・・・・・・。

気の向くまま、心の声に応えて、ブログに臨むことに致しますね。

このたびも、たくさんの応援、ご訪問、本当にありがとうございました。

 

梅雨入りし、体調を崩しやすい時期です。

皆さま、くれぐれもお体をおいとい下さいますように。

厳しい暑さに備え、体力を付け、迎える盛夏を元気に乗り切りましょう。

 

カナディアントレッキングに出発のA(妹)ちゃん(世界にただ一つの姥花日記)!

気を付けていってらっしゃ~い!(^^♪)

 

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谷根千散策で感動したスポット色々~止めたくなってしまったなぁ~

2016-06-12 07:00:29 | 

最寄り駅のホームで待ち合わせた私たちは、電車に乗り込み、いよいよ目的地に向かって出発です。

約五キロの道のりを歩くこのたびのウォーキングは、私にはかなりの強行軍。

このようなイベントは初体験といっていいでしょう。

自信は全くなかったのですけれど、Kさんが一緒なら、心強くて何とか頑張れそう・・・・・・。

幾分の不安を抱きながらも、心は弾んでいました。

 

谷中銀座

姿勢も良い彼女。歩き方も颯爽として、私には誠に頼もしい存在でした。

 

意欲的に参加したいと思った理由は、Kさんが誘ってっ下さった事が一番ですが、

他に、歩く行程に点在する、あまりに盛りだくさんな魅力的な観光スポットに、心から惹かれたからです。

私の興味をそそる見どころが、満載といった感じでした。

ざっとその道順をご紹介しますね。

谷中銀座ー須藤公園ー青鞜社ー森鴎外記念館(観潮楼跡)-夏目漱石旧居跡ー根津神社ー大名時計博物館ー瑞輪寺ー築地塀・観音寺ー天王寺ー谷中五重塔跡ー徳川慶喜の墓所ー鴎外荘(水月ホテル)

行き先は、都内の文京区及び台東区に位置する「谷根千」。

私は全く知らなかった地名ですが、娘たちは、母校の大学の周辺に当たるため、よく知っていました。

由緒あるお寺や建物が多くあり、「日本の歴史風土100選」にも選ばれたところだそうです。

谷中・根津・千駄木エリアのことを「谷根千」と略して言われていて、東京23区の中心地にありながらも、戦火を免れ、昔ながらの東京の下町としての風情をそのまま残す、歴史と情緒が溢れる地域。

 

 

 須藤公園
江戸時代、加賀前田藩の支藩大聖寺藩主松平備後守の屋敷であった所。

 

夏目漱石、森鴎外等が住んだ住居やその跡地、将軍徳川慶喜の墓所もあります。 

高校時代、大仏次郎著の「赤穂浪士」を読んで以来、私が一時期夢中になった忠臣蔵由来のお寺もありました。

他にも上げれば、まだいろいろあるのですが、画像のみで丁寧な説明は割愛します。

 

森鴎外記念館
残念ながら休館日で、館内に入ることはできませんでした。

 

集合時間の15分前くらいに、目的地に到着した私達でしたが・・・・・。

何と参加者は百名以上に上り、何グループかに分かれて、すでに出発したとの事。

わたし達は最終グループでした。

それがかえって良かったのか、ガイドの方は、年配の実に落ち着いたしっかりした男女お二人。

特に男性のガイドさんは、ユーモアたっぷりで声も良く通り、実に分りやすい説明でした。

 

後半の寺町界隈の散策では、私は常に皆さんから遅れがちとなり、最後尾。

そのガイドさんが、見かねて私のバッグをお持ちくださいました。

大きい割には軽くて、荷物が体力を消耗するといった感じではなかったのですが。

でもやはり、とても助かりました。

私も,、お洒落なリュックサックが欲しいけれど・・・・・・。

でも衣類費が赤字の現状では、いまは無理です。

 

他の方達の姿が見えませんね~
ずっと先を歩行中です。
昼食の予約時間に遅れそうとかで、歩行のピッチがかなり上がり、ついていくのがちょっと大変!

 

レンズは軽いものに変えていたとはいえ、一眼レフのカメラを持って歩いているのは私だけ。

それなりの重量がありますから、他の方に比べると、荷物の負荷は多少大きかったかもしれません。

ブロガーにはカメラは必須で、私はこのカメラしか所有していませんから、止むを得ないことでした。

「立派なカメラですね~」

ガイドさんに褒められましたが、キャノンのKissシリーズものにすぎません。

交換レンズに、多少上等なものを持っていますが、今回の散策では、最初から付いていた軽めのレンズにしました。

 

いよいよ散策道の観光スポットの説明に入ります。

すべてをご紹介するのは無理ですから、私の心を打った印象的な場所のみにさせていただきますね。

長くなりますので、この続きは明日に回します。

 

今回は、途中から私のブログ記事の内容も、かなり大きく変えました。

次女宅にも、頻繁に行くことになりました。

そのためか、少々疲労気味。

ブログ綴りを止めてしまいたい気分に陥ることもしばしばでした。

止められない一番の理由は、認知症になるのが怖いから、なぁ~んて。

結構、真実です。

これでは、ブログを書く理由が、あまりに消極的で、情けないですね~。

他にも、前向きな理由はありますけれど

明日、もうひと頑張りすると、しばらくお休みできると思うと、なんだか嬉しい私です。

もっと記事を軽やかに綴り、心から愉しめるようになることが、今後の私の課題といったところでしょうか

 

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谷根千散策~敬愛して止まないKさん

2016-06-11 07:13:31 | 

今日は、三日前に投稿した記事の続編です。

間が空いてしまいました。

その時、楽しかった出来事の思い出を、一気にまとめて綴る予定でした.

ところが、ご近所の方とのお花見の際の二つの話題のみで、終えてしまった私です。

今思うと、一気にすべて書くなんてとんでもない。(笑)

その時の内容も、二つに分けて記事にすれば、もっと短い文章になりましたのにね~

何だか短文にするコツがわかってきたような気がしています

 

わが家の花壇の寄せ植え

 

順番に書くとなると、次はママ友達8名のお食事会とお花見。

孫息子のK君とのお出かけ。

行き先は、上野公園にある国立科学博物館で催されている恐竜展でした。

それからしばらく経過した4月26日の事。

親友のKさんと、「谷根千ウォーキング」へ参加、と言った順番になります。

 

友人とのお食事会は八名揃った写真も載せました。

麻生十番の和食どころ「きてら」の懐石料理がとても美味しくて、その説明をされたシェフの心意気に感銘を受けました。

そのあと、六本気のミッドタウンでお花見をした私達でしたが、お上りさん的心境になってしまった私。

目を見張り、感動しきり。

高層ビルが林立する近代的モダンの空間に、桜が見事に咲き誇り、都会のオアシスを形成していました。

 

 

今更ですがミッドタウンの広場の画像です。

 

それから数日後、孫息子との恐竜展へのお出かけ。

この記事は、詳しくいつかぜひ書き留めておきたいことですが、盛りだくさんだった谷根千散策の思い出を、忘れない内に、先に書くことに致しますね。

 

最近は(6月の事です)、隔日、次女宅に行き、K君の帰宅を迎え、塾に送り出すまでの母親代理業に精を出しています。
K君の嬉しそうな顔を見ると、小学校を卒業するまでは、やり遂げたいのだけれど・・・・・・。
なんだか急に暮らしが忙しくなった感じです。

 

谷根千散策に誘ってくださった親友のKさんは、私より5歳お若い方です。

私のブログには、幾度もすでに登場していただきました。

そのため、重複する説明があるかもしれませんが、悪しからず、ご了承くださいませ。

 

共に同じ時期、ロサンゼルスにおける海外暮らしを経験し、その時、親子共々、大変お世話になりました。

娘たちを、わが子のように可愛がってくださいました。

アメリカンスクール終了後、日本人学校への送り迎えも交代でしたものです。

私も慣れない異国で戸惑うことばかりでしたが、彼女のお蔭で、その苦労を乗り切り、楽しく有意義な海外生活を送ることができました

まさに恩人です。

 

英語が堪能で、それを生かし、帰国後も長い間、国際機関関連のお仕事に従事しておられた彼女。

二年ほど前に、退職されたばかりです。

 

英語で大学の講義を受け持たれたこともあるほどの才媛でいらっしゃいます。

女性ながらの長いお勤めでしたが、ご主人様は、世界的に有名な大企業の副社長として活躍されたお方。

私は夫の葬儀後、会社への対応について、ご相談にも乗っていただきました。

自己実現のためでいらしたのでしょうか。

60代半ばまで勤めあげられた、彼女の気力と努力に頭が下がります。

一方、主婦業と母親業も見事にこなされた良妻賢母でもいらっしゃいます。

 

 

実は最近、お身内の御不幸に遭遇されました。

心中をお察しして、私も悲しくてなりません。

また何時か、記事にしたいと思っています。

 

私は、社会経験豊かで優秀なKさんの足元にも及びませんが、なぜかとても気が合う二人。

心もとない私は、彼女を頼っての初めてのウォーキング参加でした。

さてさて今後の道中はいかに。

 

明日に続きます。

 

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徹底的な予算生活の私。

2016-06-10 07:12:31 | 暮らし

今後の暮らし方について思い巡らし、悩んでいることを、昨日の記事で語りました。

旅行など、外の世界にもっと関心を寄せるべきか、あるいは私の大好きな家の充実をもっと図るべきか。

両方ができれば、一番良いのでしょうが、そうすると遺族年金の収入のみでは無理です。

貯金を切り崩す生活をしなければなりません。

 

私はできれば、それは避けたい。

毎月の収入で、すべてを賄う暮らしをすることがモットーです。

私の毎月の生活費は、他の遺族年金の方に比べると多少恵まれているほうかもしれません。

遺族年金以外に、夫のアメリカ年金はほとんど全額いただけますし、他に手当ても多少あります。

でもやっぱり少ないです。

これまでの夫の収入の二分の一以下ですから。

企業年金が無くなってしまった影響が多大です。

 

私は、三十代後半から、家計簿の記帳を休んだことがありません。

その間、投資に一時期熱心になったことがありましたが、それでも家計簿の記帳は続けていました。

なぜもっと早く目が醒めなかったのか不思議でなりませんが・・・・・・。

投資を止めてからは、その損失を埋めるべく、ますます徹底した予算生活を送りました。

その努力の甲斐があって、貯蓄も、今後の心配をしなくていい程度には準備できた私です。

 

ウッドコーンのビクターの音響機器。
とても美しい音色が出ます。でも故障中。音楽に飢えている私です。

 

今も、費目の分け方は同様で、羽仁もとこさんの家計簿を使用しています。

夫が亡くなってからも、数万に過ぎませんが、貯蓄も出来ています。

旅行費、衣類費、お寺費などは毎月残りますが、これは今後使い切ることなので、貯金額にはむろん入れていません。

衣類費は、赤字状態で、毎月の予算額ほぼ二万円を、赤字を埋めることに、今は充当しています。

夫が亡くなって数か月後、自分を慰めたくて、好きなブランドの洋服を二着買ってしまいました。(トホホ)

それが消えるまでは、衣類はしばらく買えない私。

早く赤字をなくしたいところですが、来年までかかりそう。

まだしばらくの辛抱です

 

 

 

旅行費の二万円は、今後、お墓参りに年に数度帰広するため、その経費でほとんど消えてしまいそうです。

秋のお彼岸は、長女が墓参してくれそうですし、広島が大好きな次女家族も、毎年一度の広島行きを心がけてくれるようです。

ですから、わずかながらですが予算の旅行費が余るかもしれません。

でもこの残りでは、大したことは愉しめませんね~

 

十分暮らしを愉しむためには、固定の予算以外の項目の経費をいかに節約して残すかにかかっています。

それが食費、保健衛生費(化粧品代、美容院代などもこの項目に入れています)、交際費、交通費、教養費といったところでしょうか。

予算額すべてを使い切っても、多少は貯金ができるように予算を立てました。

けれど、この額は為替の変動の影響を受けます。

今のところ数千円ですが。

アメリカ年金が収入の一部だからです。

 

世界的なベストセラーになりましたね。

最初読んだ時は、この程度の内容と少々がっかりでしたが、その後結構傾倒してしまっている私。
ここに書かれている暮らし方は、私の目指すところかもしれません

 

将来的には、衣類費も、計画的な購入で買い揃え、ほとんど買わないでいいようにしたい、と思っています。

高価な宝石はもう無理です。もともとあまり興味がなかった私ですが。

それが暮らしの潤いのための充当金に出来れば、生活にもっと余裕が生まれそう。

「フランス人は10着しか服を持たない」を見習いたいものです。

 

最近は、こんなことばかりよく考えるので、記事の内容も金銭的な記述が多くて、なんだか恥ずかしいです。

夫はお金の話をとても嫌いましたから、心が咎めますが・・・・・。

人生の大きな節目を迎えたゆえ、止むを得ないことと、自分を慰めています。

熟慮して、今後に備えないといけないことですから。

さぞお読み苦しい事でしょう。

ごめんなさい。

 

私が座右の書として愛読している草柳大蔵氏の書物に、下記のような文が載っています。

 

~お金を意識するときがくる。その使い方に自分の「程度」を意識する~

 このシチュエーションは、最初にお給料をもらった時の気持ちの変化に触れたもののようですが。

 今の私も、遺族年金と言う、私のみの収入を毎月手にするようになり、初心に帰り、似た気持ちでいます。

 

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今後の暮らし方に思い巡らす私 

2016-06-09 08:11:27 | 日記

親友のKさんから、お誘いのメールがあったのは、今回の谷根千散策のひと月半ほど前の事でした。

NPO主催企画の案内が目に留まり、興味を持ったので、早速問い合わせられたようです。

ところが参加費が4200円と高額だったので、他の友人を誘うのには躊躇いがあり、私に声をかけて下さったとの事。

いつもはご一緒のご主人様は、予定が他におありだったようです。

彼女の誘いを、心から嬉しく思い、参加したい旨、お返事を出したのはいうまでもありませんが・・・・・。

参加費に気を遣う彼女に、私はとても考えさせられました。

 

年金暮らしともなると、むやみにお友達を誘って負担をかけてはいけないのかもしれない、と。

わたしも今後、気を付けなければ、と思いました。

私も遺族年金暮らしとなり収入は激減し、今までよりシビアな予算生活を送っています。

友人とのお付き合いは愉しいけれど、頻繁にとはまいりません。

夫が亡くなり、自由時間はたっぷり。

まだ何かと忙しく、そんな気分からは程遠いですが。

けれど、経済的自由は遥かに縮小。

この矛盾がチョッピリ悲しいけれど、現実をしっかり受け止めて、心豊かに暮らしたいものです。

 

さて、楽しみにしていた谷根千散策の日がいよいよ迫ってきました。

この日のために、初めて紐靴をヨシノヤで購入した私です。

今はやりの、お洒落なスニーカーに惹かれはしたものの、さすがに私の雰囲気には無理があり過ぎと思い、普通の紐靴になりました。

白のパンツを意識して、薄めの色に。

 

左のヒールは、私が今一番気に入っているお出かけ靴です。

 

この靴を履いて、日帰りの散策や旅行を、今後積極的に愉しみたいと、或るデパートの旅行パンフレットなども取り寄せ、意気込んでいる私ですが・・・・・・。

果たしてどうなることでしょう。

それにしても、ここは割高過ぎ。

行き届いたサービスが期待できそうで、一番惹かれる旅行社ですが・・・・・・。

 

 

「おうちでのんびりマイペース」に、幸福感を一番感じる私です。

妹にも、

「無理して旅行しなくてもいいんじゃない。

家庭的なことが好きで、家に一日いても退屈しないお姉さまなんだから、それを心から愉しめば」

 と言われました。

 

旅行に出かけても、帰宅するとぐったりで、しばらく体調をいつも崩す私。

気持ちのリフレッシュとは、必ずしもなりません。

 

でもでも一方では、それでは暮らしの意欲がなさすぎ。

これまでは、家族のために、母親業と主婦業に明け暮れひたすら頑張ってきた私です。

それが生き甲斐でもあり、私の心を十分に満たしてくれることでした。

 

けれど、今後の残り少ない余生は、一念発起。

外に目を向け、行動範囲を一気に拡げ、豊かな体験をしなければ、と思う自分がいます。

さてさて、その気持ちを行動に移すことが、本当にできるでしょうか。

自分自身でも、よく分りませんが・・・・・・。

ネットは既に私の興味の対象を察知しているようです。

私が見るサイトにことごとく、旅行社の広告ばかりが載ります。(笑)

 

 

十位は妹のブログです。

 

一層の事、旅行の予算を、家の充実にすべて向けてはどうかしら。

それなりの価格の絵画など買えて、お部屋の空間を引き立ててくれそう。

旅行と異なり、形となっていつまでも残り、私の心を潤し満たしてくれることでしょう。

 

家具も一部取り替えて、お部屋の模様替えも出来そう。

毎週、切り花をいっぱい買い、お部屋中に飾る程度の贅沢ならできそう。

節約志向が強くなり、かなり削っている食費の予算もアップできそう。

友人達を時々家に招いて、軽い昼食を振る舞ったり、アフタヌーティーのひと時を持っのもいいなぁ~。

上に挙げたことが実現するなら、旅行より、私はもっと幸せな充実感を味わえるかもしれない。

何だか、とても裕福な印象を与える描写になりましたが、さにあらず。

遺族年金の暮らしですもの。

いずれもささやかな思い入れです。

 

 

最近は頻繁に訪ねる次女宅ですが、いつもさりげなくお花が飾られています。

 

何だか、今後の暮らしが混沌としてきて、何を選択すれば良いのかよく分からなくなってきました。

最近は、こんな悩みに明け暮れ、限られた収入の一番良い使い道を模索する日々です。

 

まだ今日の記事は、長々と続くのですが、いったんここで打ち切らせていただきますね。

私のブログ記事の文章は長過ぎと、つくづく思うこの頃。

妹とも、昨夜この悩みで長話。

読む方にも、こんな拙い文ですのにお付き合いくださり、貴重な時間を割いていただくのはあまりに心苦しくて。

私も要らぬ苦労をして、ブログライフが心から愉しめてていません。

文章を短くすれば、もっと軽やかな気持ちでブログに臨めることでしょう。

 

と決心しても、すぐ元に戻ってしまう私ですが、しばらく努力してみますね。

この続きは明日、またつづります。

 

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思い出のエピソード二つ

2016-06-08 07:28:40 | 

前々回の一連の投稿では、「楽しい事もいろいろ」とのタイトルで記事を書きました。

夫を亡くし、寂しい私の暮らしに、彩りを添えてくれた出来事でした。

けれど、その時には十分なことが書き切れず、心残りのままだったようにも。

折角の楽しい思い出ですから、備忘録のために、もう少し詳しく綴りたい、と思います。

お花見の日の話題など今更、といった感じがしないでもありませんが。

印象的なこと、面白いエピソードについて。

これからの残り少ない余生。

「想い出」は一つ一つ愛おしむように一層大切にして、私の心の滋養にしていきたいです。

 

詳しく書き留めてまだいないイベントを順番に綴るとなると、ご近所の仲良しさんたちと出かけた目黒川沿いのお花見でしょうか。

友人お二人のうちFさんは、私より一回りお若い方ですが、親友と言っていいほど心から信頼し合っています。

このたびのお花見で、Fさんのファッションが、ハッとするほどわたしには新鮮に映りました。

ドレッシーなワンピースに、薄いエレガントなショールを羽織っておられたFさん。

靴はもちろん歩きやすいローヒールでしたが。

 

それに比べ私は、イナバヨシエのお店で、随分前に求めたジーンズのジャケット、白のパンツスタイル、といったラフな格好でした。

めったに着用しない自分らしくないコーデイネート。

多少無理してきている気分もあったからでしょうか。

お花見に当たって、さくらに敬意を表するかのようなFさんの優雅なお洒落が、とても素敵に私の目には映りました。

花を愛でる服装としてぴったりに感じられ、自分の身なりがなんだか恥ずかしくなってしまった私です。

 

素敵なお二人

 Iさんもとてもセンスの良い方。私同様に、モノトーン色の洋服がお好きなようです。

 

お洒落も、TPOがとても大切ですよね。

そのTPOも、人の目を気にするのではなく、自分の心に素直になって、一番ふさわしいと思う洋服を選びたいものです。

そう言えば、「谷根千散策」でご一緒したKさんの服装も、とても素敵で印象的でした。

軽装ながら、エレガントな大粒のパールのイヤリングと、同様にパールのペンダントのネックレスを身に着けておられました。

一見ミスマッチのように見える組み合わせですが、とても似合っていらして、彼女の上品なチャーミングさを一層引き立てていました。

Fさんと同様に、私は幾度見惚れてしまったことでしょう。

 

左がKさんです。四歳お若い彼女。姿勢も良く歩き方も颯爽として。

 

高齢になると(ご近所のFさんは、まだまだお若いですが)、次第にお洒落にも無頓着になていきそうで、なんだか心配。

ママ友のTさんから、以前に伺ったお話が、私には忘れられません。

Tさんのお姉さまは、とてもお洒落な方でいらしたようです。

ところが、急に服装を構わなくなられたことで、お姉さまの異変に気づかれたTさん。

その後、アルツハイマー病との診断があり、症状が日増しに重くなられたようでした

 

お洒落を愉しむことと、ブログ記事をわずかでも毎日綴ること。

この二つを心がけているだけで、認知症の予防になるかもしれませんね~

 

もう一つ、お花見の日の面白いエピソードを、語らせていただきますね。

ご一緒した友人、Iさんの対応の機転に、思わず慌てたものの、大笑いしたお話です。

 

 

 「土山人」

 

Fさん、Iさん、私の三人で、目黒川沿いのお花見を、時におしゃべりしながら愉しんでいました。

途中、Fさんが、芸能人も良く訪れ、雑誌にも掲載されたことがあるという、有名処のお蕎麦屋さんに案内して下さいました。

まるで隠家の如く目立たない場所にあります。

店内に入ると、実にセンスのいい和風モダンの空間が私達を迎え入れてくれました。

付け合わせの小鉢が数点付き、それぞれが注文したおそばが供されました。

何と美味しい事。

感動ものでした。

まだ、真新しさが何となく感じられるお店ですから、おそらく長女夫婦がこの近辺で暮らしていた頃にはなかった事でしょう。

 

実はその後、長女夫婦が新婚時代に暮らしたその場所に、いつの間にか辿りついてしまった私達です。

突然の如く、懐かしい、けれどチョッピリ曰くつきのマンションが目に飛び込んできたときの私の感激は相当なものでした。

この時代に、長女家に初孫が誕生。

それはそれは足繁く通った所です。

 

 

既に以前の記事でも、このマンションにおける、私の複雑な思いを綴ったことがありますが。

賃貸にするために、手付まで払い、購入寸前になっていたこのマンションの物件を、娘たちに譲った経緯があります。

その大金を、魔がさしたとしか思えない、投資につぎ込んでしまった私。

投資顧問に騙されたかのように、その大金が激減してしまいました。

けれど、投資はあくまで自己責任。

投資顧問を恨む気持ちはありませんし、今ではもう過去の事。

くよくよしても始まりません。

 

 

そのマンションに、十数年ぶりに再会した私でしたが、管理が行き届いているのでしょう。

新築当時の外観と何一つ変わることなく、かすかにピンクがかった外壁は、目黒川沿いの桜とコラボしてとても美しく、風格ある優雅な佇まいのままでした。

友人達も、その美しさに感動してくれました。

 

長女家は、そのマンション購入が良いきっかけとなり、人生に弾みがついたようです。

今では都心の閑静な住宅地に一軒家を構え、このマンションは賃貸にして運用しています。

 この話を、友人達にしたところ、Iさんが、

「譲ったのが他人でなくてよかったじゃない。他人だったら、もっと残念だったと思うわよ」と。

 

本当に、Iさんの言う通りです。

長女たち夫婦はその後、順風満帆な幸せな結婚生活を送っています。

私が老後の夢にかけた、このマンション。

それを手放し、思い切りよく婚約中の長女とフィアンセのHさんに譲りましたが・・・・・。

その時、子の幸せを強く願った親の祈りが、叶った、と思うことにしましょう。

 

私は懐かしさの余り、前庭のようになったポーチのコートに足を踏み入れ、玄関ドアのあたりまで、行きました。

すると管理人さんが突然現れ、言いました。

「ここは関係者以外、立ち入り禁止です」

 

 

その注意を受けて、私は慌てて立ち去ろうとしたとき。

友人のIさんが、咄嗟の機転を働かして言葉を返しました。

「この方、このマンションの所有者です」

 

私は一瞬ビックリ!

彼女が後で言いました。

お子さんの所有物なら、~さんも同様よ。

 

苦笑いをしながらも、彼女の咄嗟の言い回しに感心した私です。

その一言で、管理人さんは引っ込んでしまいました。

今も、所有者でいられたなら、家賃が副収入となった私。

くらしの潤いに、どんなになったことでしょう。

子供とはいえ、譲ったことが、またちょっぴり悔やまれた一瞬でした。

 

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ビックリの私 長女がテレビに登場 

2016-06-07 07:15:20 | 家族

これからお話することは、私事に過ぎない、実に他愛ない事です。

断る程のことでは、なかったかもしれませんね。

私のブログは個人的な話題ばかりで、何だか恥ずかしい~

過去の記事を読むと、社会的な問題にも、時々触れているのですが・・・・・・。

今も、関心は結構ある私です。

けれど、年を重ねると共に、知識不足が一層気になり、自分の言葉で語る自信がなくなってしまいました。

社会問題や、普遍的な事柄も取り上げて、もっと高尚な内容にしたいとの思いはあるのですが、なかなか・・・・・。

 

さて今日、私が今から取り上げる話題は、またまたプライベート色濃い娘の話。

母親の私が、わが目を疑うような驚きの出来事がありました。

多少大袈裟な表現になるかもしれませんが、笑って聞き流して下さいね。

 

単刀直入にお話すると、長女のMちゃんが、テレビに登場しました。

その番組を見る前日の事です。

Mちゃんから、

「もしかすると私がテレビに映るかもしれない」

との報告がありました。

「どんな風に映るのか分からないのだけれどね。恐らくちょこっと、出る程度だと思うわ」と。

「夜の~テレビ局のニュース番組だから、良かったら見てね」と。

「十時なんて時間は、もう私は床に就いて眠っているわよ。

そんな時間まで起きていられないから、録画にしておくわ」

と言って電話を切りました。

その時は、期待するほどのワクワク感など更々なくて、見落としたらそれまで、といった程度の受け止め方だったのです。

出ても、Mちゃんの働いている姿がちらっと画面に映る程度の事を、イメージしていた私です。

 

 

とはいえ、次女にも報告しました。

なぜなら、録画を頼みたかったから。

テレビをめったに観ない私は、その操作に自信が持てなくて・・・・・・。

録画したつもりが、し損ねていたらいけないと思いました。

 

その翌朝、ひと働きし、朝の家事を済ませた後に、おもむろにテレビをつけた私です。

心配は取り越し苦労だったようです。

録画画面が、そのニュース番組になりました。

その番組が開始して、間もなくの事。

娘が働く会社の商品のデモンストレーション会場が、そこで大きく取り上げられました。

 

その後、応接間らしき部屋に映像が変わりました。

或るニュース番組の、私も良く知っている男性のコメンテーターがそこに立っていました。

するとその部屋に、黒の短めのジャケット、白のパンツ姿の女性が入ってきました。

胸が大きく空いたインナーに、控えめな小粒のダイヤのペンダントのネックレス。

まさしく、その人は、私の娘のMちゃんでした。

 

 

予期もしない意外な展開に、私は只々驚き、その後は固唾を呑んで、じっと見ているのが精一杯。

挨拶を交わした後、腰かけた二人の対談になりました。

5~6分でしたでしょうか。

コメンテーターの質問に、Mちゃんは臆せず自然体のまま、実に落ち着いた丁寧な口調で、応えていました。

キャリアウーマンと言うより、楚々とした優しい女性といった雰囲気。

私が日頃、目にするMちゃんより、はるかに美しい素敵な女性に見えました。

 

いつもは、時には小言も言う、我が子に過ぎないMちゃんです。

社会での活躍の一端を、テレビで観ることになろうとは夢にも思っていませんでした。

テレビを見終わった後も、私はなんだか夢心地。

いつものMちゃんとテレビのMちゃんが結びつかない気分で、戸惑ってしまいました。

 

 

娘の話によると、コメンテーターの方は、とても感じがよくて話しやすかったとのこと。

実際は、一時間近く談話した内容が編集され、7~8分の放映になったようです。

海外の社員と、テレビ会議をする場面も映り、Mちゃんが優しい通る声で、流暢な英語をしゃべっていました。

 

 

私は素直に感想を述べ、心から褒めてあげました。

「自然体の対応で、とても感じが良かったわよ。

会社の印象アップに、少しはなったのではないかしら。

いつものMちゃんより、はるかに美人に映っていたけれど、テレビ局の方がヘヤーやメイクを手直ししてくれたの?」

と訊きました。

「そんなことしていないわよ~」

と言って笑ったMちゃんです。

 

 

 

大学卒業後5~6年、銀行勤めをし、今の会社に転職した長女。

外資系のため、自由闊達な社風で、兼業主婦の立場の女性には働きやすい職場環境のようです。

そのため、私も安心して、それを見守ってきましたが、要職に就いてからの多忙さは、かなりの模様。

体を壊さなければよいのですが。

それが、心配でならない私です。

 

次女も似た転職をしています。

我が子が二人ともキャリアウーマンだと、母親はちょっと寂しい心境なんです。

いつ電話をかけても留守電の日が多く、すぐに話ができません。

私は、会社に電話をかけることはめったにありませんが、倒れるなどの緊急事態になった時、留守電だと、どうすればいいのでしょう。

どちらか一人でも専業主婦であったなら、余暇を一緒に愉しめてよかったのに、と思うことがよくあります。

 

私は子育て中、わが子が将来、仕事人間になることなど、夢にも思っていませんでした。

良妻賢母になり、幸せな家庭を築いてほしい、とそれだけを願い、育てた娘たちです。

既に時代の風潮でしたから、止むを得ないところがありましたが・・・・・・。

機会均等法が成立し間もなく、総合職で男性と変わらない職に、二人とも就きました。

私の人生の歩みとは全く異なります。

 

色々心配もし、複雑な気持ちなることも多々あるけれど、エールを送り温かく見守っていくしかありません。

旦那さまの看護と介助に忙しく、その後、思いがけない不幸で 諸事に追われ、しばらく協力が何もできていない私ですが。

すべてが一段落すれば、以前のようにいろいろ力になってあげられることでしょう。

先日は、ママに代わって次女の息子のK君の学校の行事に参加してきました。

昨日も、次女宅でK君の帰宅を迎えました。

この話題は、またそのうちに何時か、記事にさせて頂きますね。

 

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不条理な出来事 祈り

2016-06-06 07:12:14 | 人生

夫が逝き、その数か月後に、また信じられないような大地震が九州の中部を襲い、多くの人が亡くなりました。

この数か月の出来事は、私の記憶に深く刻まれ、改めて生きることの意味を問い直してくるかのようです。

病に蝕まれ、74歳で亡くなった夫は、おそらく無念であったに違いありません。

もう少し生きて、孫たちの成長を見届けたかったことでしょう。

けれど、東日本大震災や、このたびの地震で命を落とした方々の無念さと悔しさは、それ以上だったのではないでしょうか。

 

わたし達は、この世に生を受け、思春期の頃あたりからでしょうか。

限られた人生であることを、強く認識し始めるのは。

ゆえに、かけがえのない一日一日を悔いなく大切に過ごしたい、と願うのかもしれません。

私のブログのタイトル「今日が一番素敵」にも、そんな思いを込めました。

 

 

今は平均寿命は、男女とも伸びて、80歳を超えています。

けれど、この年数とは裏腹に、想定外の出来事や逆境が、私達の暮らしに突然襲いかかる危惧は、ますます増してきたかのように感じられる昨今。

このたびの地震も、敢えて言わせていただくなら、夫の思いがけない眼の難病やがんの罹患、死も、それに当たるように思います。

抗い難い、不条理な出来事が時に起きるのも人生。

特に天災は、老若男女、貧しい人、富める人、如何なる立場の人も、平等に対峙しなければならないこと。

時に非情になる自然は、人を差別などしません。

 

私の大好きな言葉、「諦めと覚悟」が、また胸に浮かんできます。

このブログ記事では、数年前から2~3度触れてきました。

常に覚悟をし、時には潔く諦め、前を向いて生きようとする気持ちを失わない限り、きっと私たちは元気に人生を歩めるのではないでしょうか。

 

そのような人たちの姿を、災害が起きるたびに、映像を通してですが私は見てきました。

その姿は、時に神々しくさえ私の目には映り、ただただ頭が下がる思いがします。

私も如何なる不幸に見舞われても、それを受容し、立ち直れる人でありたいと、強く願っていますが・・・・・・。

こればかりは、実際に遭遇してみないと、分りません。

 

 

夫が逝ってしまった後、数か月は、思い出しては涙、涙の日々でしたが、時の流れに癒されて、私は、次第に元気になっていきました。

私の場合、旦那さまの余命は数年と知らされ、心の隅で覚悟はある程度できていました。

ですから、受容は当然の事かもしれませんが・・・・・・。

でもやはり辛かったです。

自然災害や、交通事故、その他の突発的な出来事による身内の死は、受け入れる覚悟ができていないだけに、もっと辛いことでしょう。

 

私達は、いつ襲ってくるかもしれない不幸や非情な出来事を思い、常に覚悟と諦めの心構えが必要なのかもしれません。

諦めの言葉には、何か虚しい響きがありますが、私が初めてこの言葉を、覚悟と共に目にした時の意味合いは、とても前向きなものであったと思います。

ですから好きになりました。

 

最近も、同様の言葉を、朝日新聞のコラム「異論のススメ」で目にしました。

京都大名誉教授の佐伯啓思の言葉です。

私が楽しみに読んでいる、新聞記事の一つです。

そこに載っている文章を引用し、終わりにさせて頂きますね

 

 

だが本当の「あきらめ」は、思考停止でもなければ敗北主義でもない。本当に「あきらめる」には覚悟が必要であり、それは容易なことではない。その覚悟とは、人知を超えた巨大な自然の前にあっては、人間の生命など実にもろくもはかない、という自覚を持つことである。それは生への過度の執着を断ち切り、幸福を物的な富の増大に委ねることの虚しさを知り、そして人の生も自然の手に委ねられた偶然の賜物であり、われわれの生命はたえず危機にさらされると知ることでもあろう。

かって哲学者の和辻哲郎は、日本人の精神的傾向として、「戦闘的な恬淡(恬淡)」と言い、また『きれいなあきらめ』ともいい、それを極めて荒々しい日本の自然風土と結びつけた。確かに日本人の「あきらめ」は、こうした人智を超えた「自然」への畏怖と不可分であった。それはまた、今日のわれわれを支配する「近代的」生活や価値観を見直すことでもある。これは相当に「覚悟」のいる「あきらめ」なのである。

 

追記

このたびのオバマ大統領の広島訪問と慰霊碑の参拝、被爆者との対話は、被爆者の身の私にとって、本当に嬉しい事でした。

零歳の乳児の時に、爆心地から三キロの地点で被爆した私です。

その後、私の人生の晩年になり、やっと実現した、アメリカ大統領の広島訪問。

その間の長い歳月を思わないではいられません。

 

戦争は、太平洋戦争に限らず、過去の幾多の戦争、今も続く紛争や内乱も含め、人間の醜い面が露わになった現象そのものです。

謝罪すべきか否かでなくて、人類総懺悔で臨まないといけないことのように思う私です。

もちろん、市井の人たちや子供たちには罪はありませんが・・・・・・。

 

戦争だけは覚悟して諦めるのは、あまりに悲しい。

人類の良心を信じ、いつか核廃絶が実現し、地球上から、戦争も貧困もなくなることを、祈って止まない私です。

 

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