夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金小父さん、月末の買物は奮闘となり・・♪

2008-11-30 16:38:26 | 定年後の思い
私は年金生活の五年生で日常の買物を専任する身で、
いつものようにスーパーのチラシに、
家内は要望する品に赤印を付け、これが最低限の買物とした上、
あとは私が適度に店頭で見たのを加え、購入している。

我家の最寄のスーパーは、
首都圏を中心に127店舗を展開するスーパー・マーケット・チェーンの『いなげや』であり、

http://www.inageya.co.jp/

この中のひとつの店舗が近くにあり、殆ど毎日愛用しているのである。

このスーパーは、『月末いーな市』と称して、月末恒例のプライスダウンが行われ、
開店時も通常より1時間早め、
お買い上げレシート合計3000円(税込)以上の場合は、
1000円(税込)ごとに『お買物金券』の100円分を差し上げる、
という月末だけの特別セールが、
新聞に添付された折込チラシが入っていたのである。

このような特典があるので、少しばかり多めの買物をすることになった。
私は買物の引き車を伴い、晩秋の陽射しにつつまれた中、出かけたのである。


2階の日用雑貨のフロアーに於いて、
トイレット・ペーパーの12ロールを2つ、
ティシュ・ペーパーの5個パックを2つ、
いずれも『お一人様2点限り』の対象商品である。

この後、1階フロアーに於いて、
お米・新潟コシヒカリ岩船産を5キロ入り、
そしてビール・アサヒスーパードライ(350mlX24缶入り)を2ケースを買い求め、
『お一人様1点限り』のネスカフェのゴールドブレンドとネスレのブライトを購入したりしたのである。

このような形で一旦帰宅し、再びこのスーパーに行き、
ミカンとバナナ、そして野菜、若鶏の手羽元、冷凍食品等を購入した後、
更にビール・アサヒスーパードライ(350mlX24缶入り)を2ケースを買い求め、
『お一人様1点限り』のネスカフェのゴールドブレンドとネスレのブライトを購入したりしたのである。

このように我家は、程々の食品などは、
廉(やす)いかしら、と思ったものに、ある程度は徹底して買い求めている。
私は年金生活を初め、買物担当になった頃は、
おぼつかなく幼稚な担当者であったが、5年生となった今は、
ベテランの境地となっている。

何よりこの店舗のパート女性店員の苦手な20代の10数名は不明であるが、
30代以上の方たち30名前後は性格も解かるようになってきているのである。

このような心境で買物をしている時、
『全国駅弁まつり』と称された駅弁の即売会があった。
家内と昼食の代わりにと、
福井駅の『越前かにめし』(税込1100円)、
総武本線・千葉駅の『勝浦鰹のたたき漬け炙り盛り』(税込920円)を
購入して、帰宅後に頂いたのであるが、
『美味しくないわ・・』
と家内は云ったりしたのであった。

私が食べても、ハズれたと感じながら、
亡き紀行作家・宮脇俊三氏の格言を思い出したのである。
《駅弁は旅先の車中で風景を見ながら頂くのが、美味しいのであって、
自宅で頂いても少しも美味しくない・・》

私は苦笑しながら、買物に馴れはじめた私は今回も失敗した、
と思ったりしたのである。

尚、今回の買物で、『お買物金券』の2900円分を頂き、
《冬の贈り物金券》と明示されて折、
12月14日まで有効と記載され、私は少しばかり微笑んでいる。




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晩秋の朝、陽射しは眩(まぶ)しく・・♪

2008-11-30 07:32:40 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外の調布市は、昨日の晩秋の陽射しにつつまれて、
おだやかな1日であった。

私は先ほどの7時過ぎから
朝の陽射しが射し込んで、眩しげに私は見つめたりしている。

先ほど、地元の天気情報を報じていたが、
朝の6時過ぎは6度、日中も14度前後の陽気に恵まれ、
夜の6時は9度前後が予測されているので、
この時節としては暖かでおだやかな日中を迎える。


私の住む地域は、落葉樹の朱紅色、紅色、黄色に色合いを深めているが、
散りはじめた樹木もあり、地上はそれぞれの落葉で彩(いろど)って折、
それなりの情景となっている。

私は先ほどから、淡黄色に染められた白梅を見つめているが、
夜露を湛えた小枝に朝の陽射しを受けて、光帯びている。
このような光景を眺めたりすると、時が止まったように感じたりしている。


私は年金生活の64歳の身であるので、
日中のひととき、いつものように買物、散策をしたりして、
晩秋の陽射しの中、名残りの錦繍の情景に心を寄せようとしている。


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ときには、錦繍の情景を眺めて、たわむれ一句・・!?

2008-11-29 14:07:57 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外の調布市は、晩秋のおだやかな日となっている。

先ほど、地元の天気情報を報じていたが、
朝の6時過ぎは7度、昼下りは14度前後の晩秋の陽射しにつつまれ、
夜の6時過ぎは11度前後が予測されている。

私の住む周辺は、それぞれの落葉樹が朱紅色、紅色、黄色に色合いを深めて折、
中には早くも落葉したりしているが、 錦繍の情景となっている。

そして12月初旬になると、黄色に染めた公孫樹(イチョウ)が散り、
錦繍の季節が終るのが平年の慣(なら)わしなのである。

このような思ったりしていると、短歌、俳句を詠(よ)む素養はない私さえ、
乙女チックのような心持となり、

  秋深き
     色合い染めて
           舞い散る葉

たわむれに一句を詠んだりするのである。

私は齢ばかり重ねた年金生活の64歳の身であるが、
小・中学時代が劣等生のひとりであったので、
無念ながら拙(つたな)い句しか発想できなく、照れながら詠んだのである。



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党首討論の場所は、国会でなく・・。

2008-11-29 10:04:38 | 時事【政治・経済】等
過日、麻生首相と民主党の小沢代表による初めての党首討論が行われ、
私はNHKの夜のニュースで視聴した。

私は年金生活の5年生の少しボケた身であるが、
国会の場でおのおのが発言されると、
相手方の所属される議員諸兄姉の一部のお方がヤジをとばし、
園児のようなふるまいに失望したのである。

私は不謹慎であるが、黒澤 明・監督の『用心棒』を思い出してしまったのである。
互いに勢力がほぼ拮抗する親分が子分衆を伴い、路上でにらみ合い、
互いにけん制し、ののし合う・・シーンである。


政治の混迷はもとより、投資派生経済の破綻により、実体経済が低迷し、
社会は益々混迷を深めている昨今、
もっと真摯に具体的に討論でき、国民に告知する義務があると私は確信したのである。

私の拙(つたな)い思いをめぐらせれば、
NHKの日曜日の朝の9時からの定期番組『日曜討論』が放映されているが、
このような雰囲気で、司会者の進行の基で、
麻生首相と民主党の小沢代表)のお2人だけで、
席上に煎茶、コーヒーを用意した上で、
徹底討論を少なくとも数時間して頂く。

お互いに納得しなければ、おにぎりかサンドイッチで軽食しながらも、
半日でも1日でも、徹底し討論して頂く。
そして、『NHK教育テレビ』で実況中継をする。

国民から信任され、議員となり、その中の代表者の権力を有するお2人は、
今日の問題点と今後の施策を具体的に国民の前で、発言するのが、
責務と確信している。

今日の混迷から国民に信頼される政治局面への打開策は、
これしかないかしら、と少しボケた私は思ったりしているのである。



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年金小父さん、『オトナの常識 ~和語編~』に挑戦・・♪

2008-11-28 17:44:57 | 定年後の思い
私は年金生活の五年生の64歳の身であるが、
昨日、三井住友グループのSMBCコンサルティングに寄る毎年恒例の、
『2008年 ヒット商品』番付表』
見たりしたが、恥ずかしながら9割方解からないのである。

http://www.smbc-consulting.co.jp/company/mcs/BizWatch/Hit/

そして、大いに落胆し、悔(くやし)し紛(まぎ)れに、
この後、『過去のヒット商品 番付』の項目に於いて、
私の定年退職前の年代であったならば殆ど知って折、
少し安堵しながら微苦笑したのである。


先ほど、少しボケた年金小父さんの私は、敗者復活戦として、
読売新聞社に寄る【YOMIURI ONLINE】の中の『新・大人たち』のサイトに於いて、
『オトナの常識 ~和語編~』と題されたコーナーを見つけたのである。

解説として、今週は「オトナの常識~和語編~」です。
和語とは、日本固有の言葉のことなんですよ、と優しく明示されていたのである。


http://otona.yomiuri.co.jp/culture/lesson/081114.htm


私はゆっくりと、これは確かこうだったよねぇ、
と独り言を云いながら、久々のテストをしたのである。

結果として、9割は正解となったので、
昨日の『2008年 ヒット商品』番付表』の9割は解からなく、
世間から遠のいたと、大いに恥じたのであるが、
少しは名誉挽回かしら、微笑んだのである。

そして、私は小・中学生の頃は劣等生であり、
齢を重ね64年の拙(つたな)い身をさらしてきたが、
やはり生きてきた体験は無駄ではない、
と少しボケた私は、笑っているのである。



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東京都・三鷹市の『家庭ごみ有料化』に反対する人々・・!!

2008-11-28 09:22:25 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生で、64歳の身である。
今朝もいつものように読売新聞の朝刊の中で、
『武蔵野版』を読んでいたのであるが、この中の記事のひとつに驚き、
そしてため息をしたのである・・。

読売新聞社に寄る【YOMIURI ONLINE】にも同一の記事が掲載されているので、
無断であるが転載させて頂く。


     【 三鷹市、家庭ごみ有料化
          来年10月 「負担増」に反発の声も 】

【・・
三鷹市の清原慶子市長は27日の定例記者会見で、
来年10月から家庭ごみを有料化すると発表した。
12月2日開会の市議会に関連条例案を提出する予定。
同市は武蔵野地区の6市で唯一、ごみの有料化を見送っていたため、
一部の市議からは「導入の理由が不明確。景気が悪化する中、市民の負担になる」
と反発の声が上がっている。

有料化は、市指定のごみ袋を購入する方式で実施する。
袋は4種類で、Lサイズ(40リットル)が75円、Mサイズ(20リットル)が37円を予定。
高齢者や身体障害者の世帯には、袋の引換券を配る減免措置も設ける。

これにより、市では2007年度のごみ収集量(2万8722トン)から9・9%の削減を見込んでいる。
袋の販売収入の約2億円は、13年度の稼働を目指す新ごみ処理施設の整備費などに活用する。

清原市長は「これまでもごみの削減は一定の成果が出ており、市民に感謝している」としたうえで、
「有料化を機に、さらに意識を持って生活スタイルを変えてもらいたい。
今以上にごみは減らせるはず」と強調した。

一方、有料化に反対する市議会会派「共産党」と「にじ色のつばさ」の市議7人は
同日、記者会見を開き、岩田康男市議は
「お金でごみ減量を意識させるやり方はどうかと思う」と批判した。
29日にJR三鷹駅前で反対の街頭活動を行うという。

(2008年11月28日 読売新聞)

・・】
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


記事の中で、武蔵野地区の6市と明示されたのは、
東京23区に隣接した武蔵野市、三鷹市、調布市等を指定するのであるが、
たまたま調布市に住む私は、まだ三鷹市は家庭ごみの有料制度が実施されていなかったことに驚いたのである。

私の住む調布市は、確か2004年4月から実施し、
実施前の半年ぐらいは市民に徹底して、実施の目的、内容を
具体的に解かりやすく伝えられたのである。

目的、内容(ごみ区分、収集日、料金)等は上記の三鷹市の案とほぼ同様である。
http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1176118895530/files/16310507022.pdf

http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/genre/0000000000000/1000000010108/index.html

この後は私の住む調布市は、ごみの減量化、リサイクルに寄る再活用で
成果を得ていると『市報』など私は読んだりし、
私は市民のひとりとして、負担も少なく、多大な成果を喜びながら、
この時代に適切な施策だったと感じたのである。

かっては市の財政の伸長した時は、
何かと市民は市の行政に頼る甘えられた時代であったが、
昨今の環境問題もさることながら、
市民のささやかに出来ることは市民で賄(まかな)いことも、
今日の市民としての責務と思ったりしているのである。

このように確信している私は、隣接した三鷹市の市民に失礼と思いながらも、
『家庭ごみ有料化』に反対する人々の心情が理解できないのである。

そして、私は無力な年金生活のひとりであるが、
たとえ市民であっても、権利ばかり主張し、責務を忘れる人は、
この世で一番、心が貧しい卑(いや)しい人と思っている。



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年金小父さん、『2008年 ヒット商品』番付を見ても、現世は遠くになり・・♪

2008-11-27 19:06:33 | 時事【社会】
私は年金生活の五年生の64歳の身であるが、
先ほど、ネットのニュースを検索していたら、
三井住友グループのSMBCコンサルティングに寄る毎年恒例の、
『2008年 ヒット商品』番付表』
見たりしたが、恥ずかしながら9割方解からないのである。

http://www.smbc-consulting.co.jp/company/mcs/BizWatch/Hit/

このサイトに11日に於いて、
【年金青年も流行月刊情報誌『日経トレンディ』、遙か遠くに・・♪】
と題して投稿しているが、
私は益々現世から取り残されている、と改めて実感し、
苦笑したりしている。

この後、『過去のヒット商品 番付』の項目に於いて、
私の定年退職前の年代であったならば殆ど知って折、
やはりサラリーマンを卒業した方には、
このヒット商品の番付表は、《時代がわかる、ビジネスがわかる》と副題されているので、
私のような少しボケた年金小父さんには、無理かしら、と微笑している。



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東京の郊外は、どんよりとした寒い朝となり・・♪

2008-11-27 08:11:08 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、どんよりとした曇り空で寒い朝となっている。

先ほど、地元の天気情報を報じていたが、
朝の6時過ぎは6度、日中も9度前後で一時雨となり、
夜の6時は8度前後が予測されます。
1月上旬のような寒さとなりますので、
防寒対策をして、風邪などに注意しましょう・・。

私はこのように聴こえたのである。
そして、気温も1日ほぼ変わらないので、横一直線か、
と苦笑したりしたのである。


昨日から風もなく、おだやかな晩秋の陽射しの中、
駅前に出かけて、パソコン専門店、スーパーなどで買物をしたり、
晩秋の樹木の色合いの深めた情景を眺めながら、散策したりしていた。

どんよりとした曇り空を眺めて綴っているが、
いつ降ってもおかしくない空模様なので、本日は散策をやめて、
読書に専念しょうかしら、とぼんやりと思ったりしてる。

私は年金生活の無力な64歳の身であるので、
せめて天上の気候の神々に、どうか日本の各地は平年並みにお願いします、
と祈願したりしている。


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『公務員の裏金作りに罰則、懲役5年以下で調整』・・!?

2008-11-26 17:22:18 | 時事【政治・経済】等
私は年金生活の5年生で64歳の身であるが、
先ほど、読売新聞社に寄る【YOMIURI ONLINE】を見ていて、
ひとつの記事を読んで、少しボケたかしら、と思ったりしたのである。

本日の14時33分に配信された記事に於いて、

『公務員の裏金作りに罰則、懲役5年以下で調整』

と題された記事であり、無断であるが、私がボケたのか判明致したく、
あえて、記事の転載させて頂く。

【・・
自民、公明両党がまとめた、
公務員の不正な会計処理に罰則を設ける「不正経理防止法案」(仮称)の内容が26日、
明らかになった。

予算や補助金などの目的外流用や、
業者にプールする「預け」と呼ばれる手法など、
裏金作りにかかわった国家公務員、地方公務員を罰則対象として明記し、
支出先に虚偽の請求書や領収書を要求した行為でも罰則を適用するとした。

罰則は懲役5年以下もしくは100万円以下の罰金とした。
ただ、罰則が重すぎるとの立場から、懲役3年以下とする案なども出ており、
今後、調整する。

与党は議員立法で今国会提出を目指す。
同様の立法措置は民主党でも検討している。
与党は、不正行為をした公務員に対する会計検査院による責任追及結果などを、
首相に提出する検査報告に記載することを義務づけることを盛り込んだ会計検査院法改正案も、
今国会に提出する方針だ。

不正経理問題では、会計検査院が2007年度決算に対する検査を行ったところ、
無作為に抽出調査した12道府県すべてで不正が発覚、
不正経理の総額が11億3700万円に上ったことが明らかになっている。

・・】

注)記事の原文に対し、あえて改行を多くした。


私は現役時代は、外資系の民間会社に勤めた身であるが、
記事のような不正を発覚した場合は、解雇処分となり、
当然、退職金も出ないことが明記されているのであった。

国会議員の諸兄姉は、どうして国家公務員、地方公務員の方たちに甘いのか、
私は理解できないのである。

私は国会議員の諸兄姉の1部のお方が、何か国家公務員、地方公務員の方たちに
後ろめたい言動をしたのか、
と妄想もしたが、清廉潔白と称されいる国会議員の諸兄姉に失礼と思ったのである。

そして、少なくとも国民の血税の元で、国家公務員、地方公務員はお給料を頂いていることを配慮し、
国民の信頼を裏切ったのであるから、厳罰に処するのが適切と感じたのである。

不正された国家公務員、地方公務員の諸兄姉は、
罰金刑などは、たとえ高額であっても再発防止策は効果は少ないので、
少なくとも実刑主義で懲役10年以上とし、刑務所で頭を冷やして頂くことが、
何よりの良薬と思ったりしている。

このように思ったりしたが、果たして私はボケているか、
お読み頂いた方のご判断にお任せする。




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齢を重ねても、寝る子は育つ・・!?

2008-11-26 10:00:25 | 定年後の思い
私は年金生活の64歳の身であるので、
ここ1週間は睡眠時間が増えたのである。

夜は6時間ばかり睡眠時間となり、
午後のひととき本を読みながら、昼寝を1時間前後してしまう悪い癖となっている。
昼寝から目覚めても、あと1時間ぐら眠れそうで、困り果てて、
けじめとして起き上がっているのが実情である。


私の現役時代は、多くの人と同様に多忙な身であったので、
平日は5時間眠れば良い方で、
やむえず休日の時は昼寝を2時間前後して、補(おぎな)っていた。


私は苦手な夏の暑い季節が終わり、安堵してか、
晩秋のこの時節、布団の暖かなぬくもりでぼんやりと考えたりすることが、
何よりも好きなひとりである。

そして、こうしたぐうだらな生活をしていると、
緊張感をなくしたせいか、
体重が一キロばかり増えたので、困っているのが実情である。

古来より、寝る子は育つ、という格言があるが、
齢を重ね、体力の衰え、少しばかりボケた私さえ、
この格言に適用されるのかしら、と微苦笑しているのである。

或いは、亡き作家・井上 靖の小説のひとつの中で、
東京オリンピック開催前後に発表された作品に於いて、
自身の母の高齢の状況、ふるまいを表現されて折、
赤ちゃんのように還(かえ)ってよく眠る、と私はこの一節を思い出したりしている。

そして私も、早くも赤ちゃん還りの始まりかしら、と苦笑している。



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佐野眞一氏に『沖縄の・・戦後史 』を教示され・・。

2008-11-25 18:23:34 | 読書、小説・随筆
私は11時過ぎに、晩秋の陽射しの中、郵便局、スーパーの二店を廻り、
買物や散策をした。
モミジが朱色や朱紅色、そして紅色に色合いを深めた中、歩いたりしたが、
晩秋の情景が心に染めらるようであった。

帰宅後、我家のモミジは、まだ淡い朱色であることに眺めたりした後、
午後のひととき、ここ数日熱中している佐野眞一・著の
『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』を読みはじめたのである・・。

私のこれまでの沖縄と奄美本島との関係を何かの本で学んできたのは、
アメリカ軍が奄美本島は山間部が多く、戦闘し占領しても利用価値が少なく、
こうした状況下で過酷な戦地から免れたこと。
その後、敗戦後の沖縄本島で沖縄人の下で、奄美人が冷遇され働いた・・
この程度の拙(つたな)い知識であった。

佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』の中、
私は遅ればせながら教示されたのである・・。

【・・

軍政下の奄美はいわば日本とは”異国”となり、
鹿児島などへの渡航はすべて密航扱いとなった。
奄美住民の目はいきおい、同じ米占領下にあった沖縄に向かわざるを得なかった。

ましてや米軍基地建設ラッシュに沸く当時の沖縄は、
働く場所にもありつけず食うや食わずの状態に置かれた奄美住民にとって、
願ってもない働き口となった。

北に行けば密航者として裁かれ、
南に行けば基地ブームで一旗揚げられる。
沖縄のように熾烈な戦闘もなかった奄美を占領したのは、
安価で豊富な基地建設労働力を狩り出すため、
アメリカがあらかじめ仕組んだ高度な植民地政策だったともいえる。
・・


注)著作者の原文より、あえて改行を多くした。


私はこうした本書の一節を読むと、しばらく唸(うな)ったのである。

そして私は佐野眞一氏に導かれて、午後のひととき次節を読んだりしている。



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雨上がりの朝、陽射しは眩(まぶ)しく・・♪

2008-11-25 08:08:07 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外の調布市は、昨日の午後2時過ぎに雨が降りだし、
早朝に止(や)み、雨上がりで風もなく暖かく感じたり、
清々しい庭を眺めたりしていた。

7時過ぎから、陽射しが射し込んで、眩しげに私は見つめたりしている。

先ほど、地元の天気情報を報じていたが、
朝の6時過ぎは7度、日中も14度前後の陽気に恵まれ、
夜の6時は10度前後が予測され,その後の9時過ぎに雨と予測され、
この時節としては暖かでおだやかな日中を迎える。


私の住む地域は、落葉樹の朱紅色、紅色、黄色に色合いを深めているが、
散りはじめた樹木もあり、地上はそれぞれの落葉で彩(いろど)って折、
それなりの情景となっている。

私は先ほどから、淡黄色に染められた白梅を見つめているが、
雨粒を湛えた小枝に朝の陽射しを受けて、光帯びている。
このような光景を眺めたりすると、時が止まったように感じたりしている。


私は年金生活の64歳の身であるので、
日中のひととき、いつものように買物、散策をしたりして、
晩秋の陽射しの中、名残りの錦繍の情景に心を寄せようとしている。



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雨降る午後は、読書と昼寝となり・・♪

2008-11-24 18:03:19 | 定年後の思い
東京郊外は午後より雨が予測されていたので、
私は読書の時間とし、2階の寝室で読もうとした。

家内は居間で暖房をし、旅行雑誌を見たりしているので、
私は家内の旅行先のホームページを検索する要望を訊(き)いたりしたのである。
家内はパソコンの入力は覚える気はないが、
検索だけは出来、観光ホテル、周辺の観光案内等は、
私以上に徹底的に調べたりするのである。

四箇所ばかり家内の要望を『お気に入り』に登録した後、
私は寝室に行く前に、
『人が見えても・・面会謝絶ね・・』
と私は家内に云いながら、パジャマに着替えたりした。

私は電気毛布の入った布団にもぐり、
佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』を
開いたのである。

そして1時間ばかり読んでいるうちに、寝付いてしまった。
3時過ぎに目覚め、雨脚を音がして折、予測通り雨になったことに気付き、
そして1時間ぐらい昼寝をしたかしら、とぼんやりと思ったりしたのである。

再び、本を開き、2時間ばかり読み区切りの良い箇所で中断し、
この後、玄関庭の軒下で、薄暗く雨の降りしきる庭を眺めて、
煙草を喫ったりしたのである。

私は年金生活の5年生の身であり、
現役時代は数多くの人と同様に多忙な時を過ごしたので、
このようにぐうだらな時を過ごせるのが、
改めて、何よりの贅沢なひとときと思ったりしたのである。



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再び、佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』・・。

2008-11-24 09:26:24 | 読書、小説・随筆
私は昨夜、10時過ぎに布団にもぐり、1時間ばかり、
佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』を読んでいたが、
日中の庭の手入れの疲労感の為、眠ってしまったのである。

今朝は、5時過ぎに目覚め、再び本を開き、
7時過ぎまで読んでいた・・。
第一章の『天皇・米軍・沖縄県警』しか読了していないが、
やむえず本を閉じたのである。

先ほど、短くなった庭の樹木を眺めたりし、
私の沖縄の原点は・・と思考したのである・・。


私はこのサイトに、【私の沖縄問題の原点・・。】と題して、
2007年6月20日に投稿している。

再掲載は少し気が引けるが、私なりの沖縄の深い思いがあるので、
つたない私なりの沖縄の思いを連載投稿する。

【・・
私の手元に、1冊の本がある。
『沖縄問題二十年』である。
この本は、中野好夫・氏と新崎盛輝・氏のお二人による共著であり、
岩波新書で1965年6月21日 第一刷発行と記されている。

この頃の私は、大学2年で中退し、映画青年の真似事をしていた時であった。

高校時代以来、時事に興味を抱き、
ベトナム問題と同様にまとわりのない問題に思考が整理できず、
深く悩んでいた・・。

そしてこの本に出会ったのは、21歳の時だった。


この本のまえがきに書かれている、


なぜ私達がこんな本を書いたかという動機については、
私達本土の日本人は、戦後、そして現在、
沖縄が置かれている実情について、
もっとよく身近に知らなければならない、
そしてまた、我々自身の問題として考えなければならない、
いわば義務をもっていると信じるからである。
一種の道徳的責任といってもいいと思う。

こうした言い方をすることを、
最近はなにか感傷的偽善といった風に考える風潮も出ているように見えるが、
少なくとも沖縄に関する限り、私達はそうは考えない。

沖縄同胞の祖国復帰運動を語る本土日本人の声の中に、
それは「母なる本土」への復帰をねがう悲願、
「母鶏の翼の下を求める雛鶏」の願い、
というような表現を見かけることがある。

事実、沖縄返還の運動に精力を傾けている人達の中にあってさえ、である。
善意を理解するにはやぶさかでないし、
また美辞麗句としてならともかくだが、
もし少しでも客観的に、冷厳に、
本土と沖縄との過去の歴史を顧みるならば、
どんな意味でもこんな感傷的な言葉は出ないはずである。

ここで、藩制時代の島津藩が行なった経済的収奪、
更に明治期に入っての沖縄に対する差別的処遇、等々の
そういった古い歴史まで遡のぼろうとは思わない。

だが、最近、太平洋戦争末期の沖縄戦、
そしてそれ以降、サンフランシスコ条約に至る経過だけを考えて見ても、
果して私達「本土」は、沖縄に対して「母なる本土」であったろうか。


戦後日本の「奇蹟的」復興とやらにつけても、
私達は、爆撃の災禍はさておき、
とにかく本土が戦場にならなくてすんだ幸福を、
今更のように思う。

だが、それにひきかえ沖縄はどうであったか。
わずか3ヶ月の戦闘に20万近い犠牲者を生んだ沖縄戦、
しかもその半ば近くが実に非戦闘員の県民であった。
意図的にそうしたとまではいわないが、
少なくとも結果的に見れば、ある意味で私達は、
沖縄同胞の犠牲の上において、
本土戦場の不幸は免れたともいえるのではないか。


そして最後には、サンフランシスコ条約の第三条である。
沖縄同胞は、しばしば「売り渡された」という言い方をする。
県民の意志は何ひとつ問われることなく、きずいた時には、
祖国から引きちぎられ、不沈の軍事基地という運命を
背負わされていたというのである。

もし「母なる本土」であるとすれば、重ね重ね、
随分ひどい仕打ちを繰り返した母親といわなければならぬ。


正直に言うが、少なくとも私達は、
戦後の沖縄県民の間から、祖国復帰の運動が起きる等とは、予想しなかった。

歴史的な収奪、差別的処遇があった上、
更に最後に沖縄戦という犠牲を強いられた人々が、
もはや祖国に愛想をつかして、日本から離脱を考えたところで、
私達としては、到底一言もなかったからである。

だが、事実はその後まもなく強い祖国復帰への動きが、
脈々として盛り上りつつあることを知らされて、正直にいって驚いた。

これは絶対に応えなければならない義務と責任があることを直感した。
沖縄出身でもなければ、沖縄の土を踏んだこともない
《もっと正確にいえば、踏むことを許されない》私が、
柄にもなく沖縄に関心を持ち出したきっかけである。

     (略)
        


以上、著作者の中野好夫・氏が綴っている。

注)原文より、私は勝手ながら改行を多くさせて頂きました。



私は21歳の感受性が豊かであったので、
年長者の暖かいアドバイスを頂いたようになった。
この言葉に導かれて、私は沖縄に対しての理論整然と観かたを教示され、
基軸となったのである。

それ以降、社会人となり、やがて定年退職後の生活を送っている現在、
沖縄、のことばを聴くと、何かしら今だに後ろめたい気持ちを引き摺(ず)っている。

私はこの一冊の本に寄り、安易な沖縄観光気分で訪れる避け、
30年後の50代の初めに沖縄諸島の土を踏み、
更に思いを深めたりした。

・・】

このようなことを投稿した後、昨年の10月下旬で8泊9日で、
私達夫婦は家内の母と3人で本島を周遊したり、
マスメディアの『沖縄』の記事を注視したりしてきた。

しかし、私は学者、評論家の本、新聞、テレビ、雑誌などのマスメディアしか知るよしもなかったので、
佐野眞一氏の題されたまぎれもなく『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』の明示された事柄は、
予期した以上に動揺させられたのである。

そして、私は現役時代の一時時期、
沖縄の名護市出身の女性が部署が一緒だったので、
私としては何かとこの若き女性に対しては、父親がわりのような思いで、
懇親をかさねたりしたのである。

この女性の父親、母親の数10年の生活実態、これからの思いや、
この女性の幼児から近日までの軌跡を忌憚なく、話してくれたのである。
こうしたマスメディアに表面化しない話題こそ、
何より歴然とした事実であり、数多くの方たちを軌跡を積み重ねれば、
沖縄の戦後史、と思ったりしている。


私はこのような思いも重ね、
日中のひととき、再び佐野眞一・著の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 』の次章を、
熱中し、読み続ける予定である。



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齢を重ね体力の衰えた身、日中の労働は・・♪

2008-11-23 20:03:11 | 小庭の情景を眺めながら
我家は原則として、庭の手入れは私の責務の範疇であるが、
年に数回ぐらい家内の支援がある。

今朝は、庭に蚊が発生することもなくなった時節であるので、
家内は割烹着を重ね、
『あたしも手伝うわ・・』
と私に云った。

私は10時過ぎに庭に下り立ち、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りに備え、
剪定用の鋸(のこぎり)を持ちながら、樹木に登りながら、適度に枝葉を切り落とたりしていた。

家内は付近の樹木を高枝鋏(たかえだばさみ)で枝葉を切り落としていた・・。

私は樹木の枝葉を切り落としていたが、地上から、
『その枝の下の方から、切り落として・・』
と家内の声がするのである・・。

私は太い枝は残すつもりであったが、家内の要望を聞き入れ、
剪定鋸をしいたのである。
そして10センチ前後の太さの枝を切り落としたりした。


今の私は年金生活の5年生で64歳の身であるが、
定年退職時の2年前に、先々の体力の衰えを配慮し、樹高は数メートル程度にしょう、
と私は家内と話し合っていた。

この話し合いの直後、樹高は5メートルは遥かに超えていたので、
植木屋さんに依頼して剪定して貰ったのである。

我家の庭は、敷地の変形と家屋の関係で、主庭、玄関庭としたが、
当初、私は若き33歳で程々の年収の身であったので、ローンの重みで、
やむえず雑木が主体とした。

かぼそく頼りない雑木も10年過ぎれば成長し、
私は自己流で枝葉を剪定していたのである。

植木さんに樹高を3メートル前後と依頼した結果、
雑木はまるで丸太棒のような樹形となり、
私達は驚いたが、翌年からはそれなりに芽吹き、美形と成し、
やはりその道のプロと植木屋さんを思い返していた。


このようなことがあったが、樹木の枝葉の伸びは、春から秋まで予想以上に成長し、
ある程度は大胆に切り詰めているのである。

数時間、剪定が終われば、
地上には枝葉が散乱し、あと片付けが終った頃は4時過ぎとなった。

この後、家内が入浴している間、
私は庭の隅で、煙草を喫い、それなりに短くした雑木を眺めたりした。

私は入浴後、お互いに疲れ切っていたので、
いつもの寿司屋さんに注文し、昼食兼夕食とした。

居間でぼんやりとテレビで大相撲の実況中継を視聴したりして、
ヒールを呑みながら、寿司屋さんの配達を待ってたりした。

寿司を頂きながら、いつものように、家内と他愛ない話をしている。
そして、日中に庭でささやかな労働をしていたが、
私は煎茶を大き目の茶碗で三杯ほど、そして煙草は5本程度で、
昼食抜きで、6時間ばかり動きまわっていたことになる。

そして私は少しけだるさを感じながら、
家内は私より五つ年齢が下であるが、笑顔を眺めたりしていると、
私は体力の衰えを改めて感じたのである。



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