夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎ去れば、暑かった日々も忘れ・・。

2008-08-31 17:37:06 | 定年後の思い
私は今朝、『八月も月末となり、少しため息をし・・』と題し、
一文を投稿した・・。

昼前の11時過ぎに、買物に行き、久々の青空を眺めていた時、
8月6日には『広島被爆の日』で旅先で黙祷し、
9日の日には、『長崎被爆の日』、
15日の『敗戦記念日』で手を合わせながら黙祷したりした。

そして、『北京オリンピック』が開催され、
選抜された各国の選手は、日頃猛練習の成果をだして下されば、
勝敗の優劣に興味のない私さえ、
少しばかりテレビで視聴したことを思いだされ、
この事も記していなかったことに、恥じたりしたのである。


私は微苦笑しながら、少しボケてきたのかしら、と思ったりしていた。
暑さの苦手な私は、下旬の21日(木)の夕方から、
突然の激しい雷雨となり、この日から今朝方まで、
私の住む地域では、記録的な大雨、そして雷鳴が響く日が多く、
私は過ぎ去った暑い日々を忘れ去った、というのが今朝方の実感であった。

敗戦後のある優れた作家・演出家の言葉に寄れば、
忘却とは忘れることなり、
と名言を遺(のこ)されていたなぁ、
と脳裏の隅によぎったりしたのである。


八月も月末となり、久々に安定した青空が拡がった夏の日となったが、
児童の多くは、夏休みの最終日を迎える日、
ご家族でゆっくりと過ごして下さい、
と天上の気候の神々からのさりげない贈り物かしら、
と私は青空を見つめたりしている。



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八月も月末となり、少しため息をし・・。

2008-08-31 08:48:24 | 定年後の思い
東京の郊外は、どんよりとした雨上がりの曇り空となっている。

八月も最終日か、と私はカレンダーを見つめながら、
過ぎされば早い、と少しばかりため息をしたのである・・。


私の住む地域では、お盆を1日(金)で迎え、
家内と共に実家の長兄宅、お墓参りをしたりした。

その後、佐渡島に3泊4日で家内の母と共に訪れた。


天候は、暑い夏を向かえ、30数度の中、
半袖とサングラス、そして扇子で扇(あお)ぎながら、
買物、散策をしたりした。
そして、暑さに苦手な私は、帰宅後はエアコンの冷風に身を寄せて、
読書と昼寝をしたりしたのである。

21日(木)の夕方の6時から、激しい雷雨が2時間ばかり降った後、
この日を境に秋めいて、雷雨の日が断続的に続いている。


過ぎ去った日々を思い返せば、
ひと雨ごとに初秋に向って、と平年のようにおだやかでなく、
記録的な激しい雨、そして雷鳴が響き、
齢を重ねた63歳の私は戸惑うことが多かったのである。



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雷雨の日々が続くと、読書は深まり・・。

2008-08-30 18:00:25 | 読書、小説・随筆
雷雨の日々が続くと、読書は深まり・・。
東京の郊外は、ここ1週間は雷雨が多く不安定な日々となっている。

私は慌しく買物をしたりしているが、
自宅の居間、寝室などで読書の時間が多くなっている。

この1週間は、中村政則・著の『戦後史』(岩波新書)を読んだりしていた。

私は昭和19年9月に生を受けた身であるので、
敗戦後から2005年頃まで、どのように日本は歩まれてきたのであろうか、
日本近代史の専門の著者に導かれて、
私なりの今まで感じていたこと、思考してきたことの総決算の決意で、
読んだりしてきたのである。


私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした後、
サラリーマンを35年ばかりし、定年退職した年金生活の4年生で、
屈折した半生であった。

このような拙(つたな)い私であるが、
この60数年を振り返りながら、著作者の専門知識に導かれると、
あの時は自分はこんなふうに思っていたのであった、
と思いを馳せると、次ページが進まないのである。


そして、テレビで映画脚本家の橋本 忍のインタビューを視聴すれば、
村井淳志・著の『脚本家・橋本 忍の世界』(集英社新書)を再読したりしていた。

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0305-f/index.html


このような形で、中村政則・著の『戦後史』(岩波新書)の本は、
ほぼ7日間要して読了した。

改めて、私より10歳齢上の日本近現代史の専門家からは、
私は学ぶことが多かったのである。


読了した後、気分転換で、全く違ったジャンルの本を読み始めたりしている。
中川右介・著の『カラヤン帝国興亡史』(幻冬舎新書)である。

http://www.gentosha.co.jp/search/list.php?FREE=%A5%AB%A5%E9%A5%E4%A5%F3%C4%EB%B9%F1&PUBLISH=7&LIST=10&OFFSET=0&SEARCH=3&sbtn1.x=14&sbtn1.y=6



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昨夜も我家は、パソコンは遮断、電話は不通とし・・♪

2008-08-30 09:16:55 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に住む我家は、
昨夜の8時前、私がブログの投稿文を綴っていた時、
遠方で雷鳴が響き、急いで投稿した後、電源のコンセントを抜いたのである・・。

我家は、NTT東日本の光回線のBフレッツに加入し、
インターネットの回線と『ひかり電話』のワンペア形式であるので、
結果としてはバソコンは遮断され、
電話も不通となるのである。

雷鳴よる誘導雷で家電製品に被害を受ける、
と知ったのは遅ればせながら、一昨日の夜からであり、
少なくともハードディスクのあるパソコンの被害を防止するために、
この電源元のコンセントを抜く万全策としたのである。

そして、停電のことも配慮し、2階の寝室、1階の居間に、
それぞれ懐中電灯を置いたのである。


私達夫婦は、携帯電話も使えないので、
所有していなく、
この間は電話は不通となるが、止む得ないと思ったりした。

そして、懐中電灯もなかった場合は、
蝋燭(ロウソク)を用意しなければならなく、
こうした環境になれば私の幼年期と同じ、
と微苦笑したのである。


その後、雷鳴は深夜まで鳴り響き、
ときおり付近に落雷が数度に地響きをたてながら、豪雨となったが、
少しボケた私の記憶でも、このような長時間は
今まで体験したことがないのである。

私は布団の中で眠りに付く前、
どうして天上の気候の神々は、ご機嫌が悪いの、
と思いながら寝付いたのである。



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映画の脚本家・橋本 忍は、ご健在・・。

2008-08-29 20:28:27 | 映画・テレビ
昨夕、NHKBS2で夜の9時から、
【『七人の侍』脚本家・橋本 忍が黒澤監督との創作を語る】という番組を、
1時間15分を視聴したのである。

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-08-28&ch=12&eid=21291

NHKのBS2では、黒澤 明・監督の没後10年に際し、
遺された名作の数々を今後に於いて放映する。

http://www.nhk.or.jp/kurosawa/

そのまえぶれとして、黒澤 明・監督と接触の多かった脚本家の橋本 忍を招き、
インタビュー形式番組で、会場には若い映画研究生の方たちが50数名いる、
状況の中で行われていた。

橋本 忍は90代のご高齢にかかわらず、
『七人の侍』のエピソードを交え、脚本の完成までの創作のありかを、
明言され、私は安堵したりしたのである。

殆どの証言されていることは、氏の随筆、本、シナリオのメモで読んでいたのであるが、
改めてテレビでご健在の姿を拝見し、直接にインタビューに応(こた)えられ、
私なりの熱いひとときを過ごしたのである・・。


私は東京オリンピックの頃、大学を中退し、
映画青年の真似事をした時期があった。

この頃は、『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『切腹』等のシナリオを読み、
脚本家の橋本 忍を神様のようにあがめ、
絶賛し、心酔しながら、名画座が通ったりしていたので、
世の中は東京オリンピックの開催中、前後であったが、
眼中になかったのである。


番組の最後に若い映画研究生の質問に答えられたり、
最初から巧(うま)くシナリオを書こうと思うな、
何故ならば書けなくなってしまうから、と云うような主旨を、
暖かなまなざしで研究生に明言されたのが、
私なりに胸が熱くなったのである。


そして私は、数年前に読んだ一冊の本を本日の午後、
再読したりしていた・・。

村井淳志・著の『脚本家・橋本 忍の世界』(集英社新書)であるが、
映画評論家の専門家に寄る評論と違い、
これもひとつの橋本 忍の世界も見方である、
と微苦笑しながら、読んだりしていたのである。

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0305-f/index.html



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我家は、雷鳴が響けば・・・。

2008-08-29 09:52:28 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に住む我家は、
住宅街の外れの古惚けた一軒屋で、私は年金生活しながら、
家内と共に過ごしている。


昨夜の7時過ぎに、家内が、
『雷が鳴ると・・家電製品・・弱い・・とテレビで報じていたわよ・・
貴方の大切なパソコンなどは・・特にですって・・』
と私に云った。

『雷っていっても、付近で落雷しなければ・・
大丈夫だょ』
と私は家内に云った。

『私も今まで・・そう思っていたわ・・
だけど・・駄目なんですって』
と家内は私に説明した。

家内は先程まで、NHKの総合の『首都圏ネット』を視聴していて、
落雷で家電製品の被害と対策を放映していたので、
この内容を私に説明したのである。


私は雷や家電に関して、知識がないので、
即急、ネットで検索し、一番わかりやすかったサイトを開き、
読みはじめたのである・・。

https://ybb.softbank.jp/support/utility/thunder/

我家のインターネットの回線は、NTT東日本の光回線のBフレッツで、
電話が『ひかり電話』で、ペア形式となっている。

3年前の夏に、お得なキャンペーン、に便乗して、
今までのケープル・テレビのインターネット回線より早くなり、
電話も以前よりも格安な料金となっている。
私はインターネットの応答時間が迅速になり、
家内も実家の独り住まいの家内の母と電話料金を気にすることなく、
毎晩10分前後通話していても、わずかな料金なので、
お互いに満足している。


テレビは我家のアンテナの状況環境が悪いので、
やむえず10数年から、ケーブルテレビ会社に加入している。


このような状況であるが、
万一、雷鳴により半導体の集約であるパソコン、テレビは困るのである。
特にパソコンは、ハード・デイスクに私なりのデータ、写真など記憶させているので、
修復不可能となる場合が多いので、
ひとつの決断をした。

雷鳴がしたら、光回線の電源のコンセントを抜く、
万全の方式で誘導雷から防止することであった。
この結果、パソコンと電話が電気から遮断されるので、
不通となるが、止む得ないと思ったのである。


昨夜、真夜中に雷雨が予測されていたので、
布団にもぐりる前、私はこの電源のコンセントを抜いたのである。

深夜の2時過ぎに雷鳴で目覚め、1時間ほど響きかせた後、
豪雨の雨脚を子守歌にように感じながら、
携帯電話も私達夫婦は使えないので持っていなく、
50年前の環境に戻ったのかしら、
と微苦笑しながら、再び眠りについたのである。


尚、この1週間の降雨量は、我家がこの地に住んで30数年になるが、
台風の時を含めても、記録的な大雨となって折、
天上の気候の神々に、程々に降ってね、と祈願したりしている。



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真摯に深く、最前線の経済のゆくえを教示してくれるサイトは・・♪

2008-08-28 17:54:05 | 定年後の思い
私はサラリーマンを定年退職し、年金生活の4年生の身であるが、
『読売新聞』を日々読み、総合月刊雑誌の『文藝春秋』、
ときおり『中央公論』を読んだりしている。

こうした時、何かしら興味を持った課題については、
パソコンで検索し、各サイトを見たりしている。


日経新聞社に寄る【NIKKEI NET】が多く、

http://www.nikkei.co.jp/

特集記事を読んだりしている。


そして最近はダイヤモンド社に寄る【DIAMOND online】を知り、
ときおり最前線の経済、業界、企業が中核であるが、
現世の一流の執筆人の方から、こうした思考で見つめているのか、
と数多く教示されている。

http://diamond.jp/

私は50代の現役時代の頃は、週刊誌として『日経ビジネス』を愛読し、
ときおり『ダイヤモンド』を購読している程度であった。


昨今はネットの世界で、無料でこうした最前線の情報を知ることができるので、
少しボケた私は、ときおりサイトを開き、
現役の方たちは大変、とため息をしたりしている。


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年金生活の我家の『タンス預金』は・・♪

2008-08-28 08:54:23 | 定年後の思い
昨夕、ネットでニュースを検索している時、
ひとつのニュースに驚いたのである・・。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20080825mh02.htm

日本銀行の調査で昨年に於いて、
家庭で現金を眠らせる「タンス預金」が30兆円規模、
と読んで驚いたのである。

そして、どうして日本銀行は秘かに家庭で保管している預金が解かるの、
と少しボケた私は思ったのである。


私はサラリーマンを卒業した年金生活の4年生の身であり、
齢を重ねた63歳の身である。

定年退職時にある程度を銀行、郵便局に貯金をして、
2ヵ月毎に年金を頂いている。
そして、国内旅行、思いがけない出費の時は、
取り崩して生活の基盤としている。

日常の買物ぐらいは私が担当しているので、5万円前後は財布に入れて、
家内は5万円前後保有して折、現金が手薄になった時は、
銀行から取り崩している。

このような状況なので、我家では『タンス預金』はないのである、
と思っていたら、ひとつだけあった・・。

10数年前、家内が郵便局で頂いた
郵便ポストの形をした赤いプラステックの貯金箱が2つばかりある。


私は定年後に買物担当となってから、買物をした後、
私の財布から、1円玉、5円玉、そして10円玉が多かった場合、
この貯金箱に入れるのである。

そして、毎年12月の初旬に、この郵便ポストをひっくり返して、
私は銀行に持ち込んだりしている。

1万円弱が実績であり、私は思いがけない現金を頂いたような気持ちになり、
嬉しげにプリンターの用紙、インクの購入費にしたりしている。


尚、我家は結婚して以来、お互いに隠し立ての貯金の方針がなく、
毎月、家計簿を2人で締めたりしている。



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改めて、無名な宮沢賢治が亡くなった後・・。   

2008-08-27 15:07:06 | 読書、小説・随筆
私は机の中の引き出しに、一冊のノートがあり、
8月27日 詩人・童話作家の宮沢賢治の生誕の日、
と綴られていた。
そして、この下段には、
 ==>嵐山光三郎・著の『追悼の達人』(新潮文庫) 最重要
と記していた。


私は宮沢賢治が遺(のこ)された作品の多くは、
40数年前頃、文学青年の真似事をしていた時代、人並みに読んだりしていたが、
それ程、感銘を受けない人であったが、何かしら気になる人であった。


定年退職前の数年前、雪の降る時節に、花巻温泉に2泊3日であったが滞在して、
その折、宮沢賢治記念会館に行ったり、
付近を散策し、遺(のこ)された偉業は実感できたが、
何かしに不可解な面が残ったりしていた・・。


その後、一昨年の秋に、
遅ればせながら嵐山光三郎・著の『追悼の達人』(新潮文庫)を読み、
私は嵐山光三郎に導かれ、私なりに宮沢賢治の人生の軌跡を学んだのである。

そして、『無名な宮沢賢治が亡くなった後・・♪ 』
と題して、あるブログ・サイトに、投稿したりしている。



特にこの中で教えを受けたのは、
宮沢賢治は追悼によって世に出た、
と読んだ時は驚いたりした。

著作者の嵐山光三郎の格調たかい名文を無断であるが、引用させて頂く。


【・・

昭和8年、花巻で無名の詩人が急性肺炎で死んだ。
・・・
(宮沢)賢治の死は、詩人仲間の草野心平の手で友人たちに知らされたのみであった。
・・・
没後、唯一、次郎社より「宮沢賢治追悼」雑誌が出た。
草野心平が逸見猶吉と企画した同人雑誌「次郎」が形を変えて出版された追悼集で・・・

この薄い一冊の追悼文集に寄り、宮沢賢治への評価の起爆剤となった・・・

・・】


生前の彼は、『春の修羅』、そして童話集『注文の多い料理店』を自費出版したが
まるで出廻らず、殆どの人はこの詩人の名を知っている人は少なかった、
と記載されている。
これは文学的な評価の側面であった。


そして、もうひとつ驚かされたのは、
宮沢賢治の人そのものであった。


【・・

賢治は花巻の富豪宮沢商会の息子である。
・・
東京を嫌いつつ東京にあこがれて9回も上京している。
農民を大切にしつつも「農民から芸術は生まれない」と言っている。
・・
理想主義者の裏に「お坊ちゃん」のわががまがある。
それらは賢治文学を理解するうえの条件であり、
賢治もまた矛盾だらけの人間である。
その「教育癖」ゆえに賢治を嫌う人もいる。
・・・
賢治にとって、生身の自分がさらされないことは幸運であった。
・・

詩人にとって死は有効であり、虚構に生きようとした賢治は、追悼によって生き返った。
詩人は裏技の魔法を使い、死者をよみがえらせてみせる。
・・



そして、著作者の嵐山光三郎は、
いまの日本詩壇に、無名詩人を発掘する第二の草野心平がいるだろうか・・
と結びの文として綴っている。



私は著作者の 嵐山光三郎の書物については、数多く発刊されているが、
ある程度は読んで折、愛読者のひとりである。
その上、現存されている作家の中で最も感銘を受け、
信頼を寄せている作家の方でもある。


私は俳句を詠(よ)んだり、詩を綴ったりする素養はないので、
やむえず散文で綴っている。

散文の世界といっても、確固たる根拠もなく、
独断と偏見が多い中、屈折した日々の半生を歩んできたが、
拙(つたな)いなりに、表現者のひとりとして、
ブログ等に投稿しているに過ぎないのである。

ときおり、宮沢賢治を思い浮かべたりする時、
私はあるサイトで知り得た人の詩に思い馳(は)せる時もある。

私はこの人の詩を読み、感じながら、
励まされたり、表現者のひとりとして喚起されたりしている。

その人も孤独で魂まで響きせながら自己格闘の中で、
ときおり、たぐい稀(ま)れ詩を表現している。


http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki

私は無名で無力な年金生活の身であり、
拙(つたな)い感性と感覚の持ち主であるが、
少なくとも、この方からは、私は宮沢賢治以上に感銘を受ける時がある。



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東京郊外は、久々の朝の陽射しに恵まれ・・♪

2008-08-27 08:15:54 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外は、久しぶりに朝の陽射しが射し込んでいる。
青空が空いっぱいに拡がり、微風が吹く朝を迎えている・・。

過日の21日(木)の日中以来であるので、
何日ぶりかしら、と指で数えたりしたのである。

先ほど天気予報を見たら、
朝のひとときは快晴で20度、
日中は曇り時々晴れで25度前後となり、夜に雨、
9月中旬の気候になる模様です、
と報じていた。

明日から3日間は雨時々曇り、となるので、
長雨の合い間のわずかな陽射しかしら、
と私は微苦笑している。

朝の陽射しの中で、色々な蝉(せみ)の合唱団が、久々よ、元気よく鳴いている。


家内は洗濯物の干竿(ほしざお)を拭いたりし、
久しぶりに洗濯物が外に干せる、
と忙しく動いている。


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夏の陽射しは懐かしく、そして恋しく・・♪

2008-08-26 09:07:17 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外は、過日の21日(木)の夜6時から激しい雷雨が2時間ばかり降った後、
暑かった日々を流すかのように、一転して秋涼となった。

そして、雨が降ったり止(や)んだりしている長雨が続き、
私はこのサイトに、
『ひと雨ごとに、秋に向かって・・♪』
と微笑みながら投稿したり、
『東京郊外は、早くも秋霖(しゅうりん)・・!?』
と題して、戸惑いながら綴ったりしてきた・・。

ここ数日も、降ったり止んだりし、
週間予報を視聴していても、晴れマークはやっと31(日)の月末で見られ、
暑さの苦手な私さえ、10日間ばかり陽射しから遠ざかると、
夏の陽射しが懐かしく、そして恋しく感じたりしている。

私は空を見つめながら、天上の気候の神々はどうしてご機嫌が悪いの、
と思ったりしているのである。


昨夜、気象庁が、秋の予測を報じていたので、
私は視聴したり、読んだりしていた。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080825-00000100-jij-soci

そして私は、
なにとぞ平年並みに、秋のうつろいが受容できますように、
と秘かに天上の気候の神々に祈願したりしている。


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夢のひとときの航空便・・♪

2008-08-25 20:21:29 | 読書、小説・随筆
私は旅行の帰路、苦手な航空便に乗り、
疲れいたのか、
座席のシートに身を任せると、直ぐに眠りこんだ・・。

目覚めると、前方に『お食事のご希望の方は、前の方でご用意しております』
と案内表示板が見えたのである。

私はうつろな思いで、前に進むと連結列車のような処を抜けると、
誰も乗っていないお座敷客車のような室を通り過ぎたのである。

そのまま前方に進むと、昭和30年代に街で観られた大衆食堂のような情景であり、
デコラ調のテーブルが幾つか並んで折、電子レンジが各テーブルに置いてあった。

そして、入り口の周囲には、魚の干し物があり、
カマス、鯵(あじ)などの干し物が並んでいた。

私は二枚の鯵を買い求め、ひとつのテーブルに座ろうとした時、
奥まった席でご高齢の男性がいて、私を手招きをしたのである。


私はそのお方に近づくと、テーブルの中央に七輪があり、
赤くなった炭火、網の上にカマスが載(の)せられていた・・。

『よかったら・・座らない・・』
とそのお方は私に微笑みながら、云った。

『先生の・・随筆・・いつも拝読致しまして・・』
と私はそのお方に云った。

『鯵・・載せなさいよ・・』
と私は促された。

私は鯵を一枚載せたのであるが、
そのお方は、隅に地酒の一升瓶、
目の前に茶碗に入った酒、そして灰皿が置いてあった・・。

そのお方は、私に隅にあった茶碗を私の前に置き、
一升瓶から酒を注(つ)いだのである。

その後、ピースの缶から両切りのショート・ピースを口に咥え、
洒落たライターで火を点けて、美味しそうに喫ったりしたのである。


私は茶碗酒を呑みながら、チェリーを取り出して、
煙草を喫ったりした。

『先生・・飛行機でこのようなこと・・
出来るなんて・・
夢のようですね・・』
と私は嬉しげにそのお方に云った。

鯵から煙が出て、窓際に大きな換気扇が幾重にも並んで折、
私はこんなことって飛行機でありえるの、
と思ったりしたのである。

『鯵・・焼き過ぎよ・・』
と私はそのお方から忠告されたりした。

『そうですよねぇ・・』
と私は云いながら、網の上に焼いていた鯵を皿に移し、
醤油を少し垂らして、食べようとしたら、
目の前に居たお方が忽然と消えたのである・・。

私は不思議な思持ちで、周囲を見まわしたりした・・。



私は昼寝から目覚めた・・。
いくらなんでも、飛行機の中で、七輪の炭火で鯵を焼くなんて、
有り得るはずがない、と思ったりした。

そして、そのお方も一昨年の春に他界されているので、
どうしてなの、とぼんやりと私は思い返したりしたのである。

しばらくして、私は最近は鯵の干物を食べていなかったし、
何よりこのお方の遺(のこ)された随筆の数々を再読していなかったことに、
気付かされたのである。

尚、そのお方は久世光彦と称せられた方で、
テレビの演出、作詞家、そして小説家と多芸な方で、
私はこの人の随筆を敬愛しながら、愛読したひとりであった。



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改めて、私なりの年金生活は・・。

2008-08-25 11:26:25 | 定年後の思い
私は以前、『年金生活3年生の生活・・♪』と題して、
2006年11月21日に投稿している。

先ほど、読み返したりし、微苦笑したりしている。

改めて、私なりの民間会社を定年退職後の日常を振り返ったりしていた・・。

私はあるレコード会社を定年退職をしたのは、
2004年の秋であり、まもなく丸4年を迎え、
この11月で5年生となる。

私は昭和19年生まれであるので、
年金の満額支給は満62歳からであった。

退職後の満60歳からは私は働く意思がなかったので、
報酬比例部分と称される年金を頂ただいていたが、
満額に対して5割強の受給額であった。

この間の生活費は、程々の貯金を切り崩して生活をしてきた。


私共の夫婦は、子供に恵まれなく、
定年の5年前にリストラ旋風の中で出向となった時、
定年後の生活設計を行った。

退職後どのような日々の生活をしたいか、このことが全ての基本とした。
前提条件としては、ある程度の資金が必要なので、
定年時の貯金残も試算はしたりした。

そして、お互いの趣味をそれぞれ大切にし、
夫婦の共通の趣味は国内旅行であるので、程々に日本の各地を訪れよう、
と話し合った。

年金が満額になった時は、通常の生活費は年金と相殺し、
旅行費、思いがけない経費は別枠とし、貯金から切り崩すというのが、
諸経費の基本とした。


この目標に向って、多忙な定年までの5年間の現役時代の終末期を過ごしてきた。
この間、1戸建てが25年を過ぎ少し古惚けてきたので、
多少のリーフォームをした。

退職後、半年も過ぎれば、ある程度の生活ペースが落ち着いてくるが、
最初の頃は試算通り生活できるのかしら、
と心配したのは本音でもあった。


生活費は現役時代はある程度使っていたので、
果たして年金支給額で大丈夫かしら、と不安はあったが、
交際費、衣服費、交通費、通信費などは激変した。
具体的に云えば、会社関係の親睦会は年に数回となり、
友人達との居酒屋に行く回数も激変し、
そして何よりスーツ、ワイシャツ、ネクタイ、靴、クリーニング代は殆ど不要となった。

振り返って見ると、それぞれ定年後はお互いの人生の再スタートなので、
退職後はいつまで職場の延長戦でもないし、
家族を中心とした生活基盤に移行したと思っている。

代りに、時間が出来たので、
自分達の趣味の国内旅行が経費も回数も増えたりした。

しかし、旅行は非日常生活なので、
毎日の生活で自身の生きがい見出して実施するのが、
何より肝要と思われる。


昨今、団塊の世代の人々が定年退職に際し、
1部のお方が、退職後なにをして好いか解からない、
というのを読んだり、聞いたりするたびに、
私は驚いている。

最近でも、駅前の『ドトール』などでコーヒーを飲んでいると、
時間を持て余した退職後の男性を見かけることがある。

私は貴方達は、何かご自分で生きがいとした趣味がないのですか、
と思ったりしている。

私は定年前より、明確に目標を持っていたので、
退職後は無職でいる。


私の日常は小説、随筆、歴史書、現代史を読んだり、
居間で音楽を聴いたり、
或いは古き良き時代だった映画の作品をビデオ、DVDを視聴したりしている。

そして、買物、散策をしたりして、
四季折々のうつろいを心にとめて、思考している。
その上、ときおり庭の手入れをしたりしている。

こうした中で、心に感じたこと、思考していることを文章に綴り、
ブログのサイト【gooブログ】、 ブログに準じたサイトの【OCN Cafe】に於いて、
原則として、毎日数通を投稿したりしている。

このように過ごせば、時間は限りなく必要である。


私は若い時、一冊の文庫本を近くの公園など読めば、
日中過ごせるタイプなので、
余りお金のいらない生活も出来る。

要するに自分の趣味を深めるのに、お金の大小ではないということである。
程々の感性と感覚があれば、後は自分の努力次第で、
それなりに深化していくということである。

定年退職後、贅沢と感じたのは、好きなときに趣味に触れ、
或いは人気の少ない時に散策できた時である。

そして、中年女性以上のしぐさ、言葉に興味を持ち、
眺めたり、さりげなく会話をしたりするのは、
幼年期から私の悪い癖で、齢も重ねても変らないのである。


私の父は小学2年の他界され、母は私の50代のはじめ死去し、
家内の父は私の定年退職の直前に他界され、
家内の母が独り住まいとなっている。

家内の母は、私より14歳齢上の高齢の身なので、
心身の状況を私たち夫婦は心配している。

家内は毎月4泊5日前後で大掃除などで実家に行ったり、
ときおり、私たちは温泉滞在とか要望された国内の地を旅行に誘ったりしている。

こうして私なりの年金生活を過ごしているが、
詳細は日々に綴って投稿しているので、省略する。


そして私は、何事も好奇心をなくしたら人生は終りだ、
と確信しているひとりだから、
時間は限りなく欲しいと身勝手に感じ、日常を過ごしている。


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あるサイトから、『秋の七草』を学ぶ時・・♪

2008-08-24 20:00:46 | 定年後の思い
東京の郊外では、秋の七草、といわれても住宅街が多いので、
旅先で偶然に観るか、都立の公園で観るか、
或いは著名な寺院の庭で観るほかはないのである。

やむえず、山上憶良が綴った『万葉集』の一節を読むことが多いのである。


秋の野に咲きたる花をおよび折

   かきかぞふれば七種(なないろ)の花

萩の花 尾花(おばな) 葛花(くずばな) なでしこの花

   をみなえし また藤袴(ふじばかま) あさがほの花



日中のひとときこのようなに感じていた時、
【OCN Cafe】のサイトで、
あるご婦人のお2人を想い出されたのである・・。

お二人とも、季節に応じ、お住まいになられている貴地、周辺の野草などを
その方なりの思い託し美麗にサイトに掲載されて折、
その上、その方自身の文体で日常の心情を綴られて、
私は感動したり、ときには感銘をいただき、
私は秘かに殆ど毎日拝見している。

そして東京郊外では、五十年以前に失われた野草に愛惜し、
遠い私の幼年時代に思いを馳せることが多いのである。


私は齢を重ねた63歳の年金生活をしている身であるが、
何より季節のうつろいを大切にしている信条なので、
あえて、お二人のサイトを明示する。


http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mottyann4649


http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/yukiusagi898

そして、日本古来から幾数千年受け継がれてきた野草の風情を
私は教示され、確かな伝統美のひとつと深めたりしている。


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東京郊外は、早くも秋霖(しゅうりん)の時節・・!?

2008-08-24 08:50:24 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外は、過日の夜に雷雨があった後、
暑かった夏の季節に別れを告げて、秋涼となった。

私は真夏から秋用に衣替えをしたり、冷茶を止(や)めて、煎茶を淹れたりしていた。

昨日も小雨が降ったり止んだりし、昼下りでも22度前後であり、
10月のこの辺の気候かしら、と感じたりしていた。


今朝、玄関の軒下で空を見上げたり、
樹木を眺めたりしているが、小雨が降り続いている・・。

毎年、今頃の時節であったならば、
蝉(せみ)の鳴き声が盛大に響いて聴こえるのであるが、
この2日の肌寒い雨で、時折かぼそく鳴いている程度である。


居間に戻り、パソコンで私の住む地元の天気予報を検索したりした。
本日の日中は小雨の1日となり、
朝6時は21度、昼下りは26度前後、夜の6時頃に25度となっている。

そして、この先の28日(木)まで、晴れマークがなく、
雨、或いは雨時々曇りが続いている。

古人の人々は、9月中旬から10月中旬頃まで、
冷たい雨が長く降り続けるのを秋霖(しゅんりん)と称していたが、
私はカレンダーを見つめ、まだ8月下旬なのに、
と暑さの苦手な私でも、ため息をしたのである。

そして、雨の舞い降りる空を見つめ、
天上の気候の神々は、どうしてご機嫌が悪いの、
と齢ばかり重ねている63歳の私は思ったりしている。



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