夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

多くの皆様に感謝を重ねて、そして良いお年をお迎え下さい!

2023-12-31 10:33:47 | 喜寿の頃からの思い

      多くの皆様に感謝!!

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
5歳若い家内と雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や20年目となっている。


             

私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

過ぎし年金生活を始めた当時、ネットの世界は私は殆ど無知な癖に、
この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げようと思ったりした。

そして自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを
出来うる限り随筆風の散文を綴り、公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、
無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。


この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。


                         
           
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、経済、社会、文化などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来してきた・・。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
何よりも掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会、文化などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露できる上、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後は、
2つばかりの10万人ぐらい加入していた小さなブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、
この日から6920日が過ぎている。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
        
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸19年が過ぎて、早や20年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

              
                                              
こうした根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)として残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                    
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、ありのまま数多くの投稿文を綴ってきたりした。

そして70代になると、無念ながら自身の体力の衰えを実感した為か、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。                                   
                                 

               
                                                  
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは10数年前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
文章修業が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤する時もある。

こうした中で、私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
               
ここ10数年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになり、
数多くの御方にお読み下さり、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。

             
                      

こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ15年近く殆どの御方が、心ある写真を添付されたりしてきた。

そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。

特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもあった。

過ぎし2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら微苦笑したりしている。
               
                 
こうした中、私は特に数多くの50代以上の皆様の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその御方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、つたない私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。

             
               

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に心の中の琴線(きんせん)が静かに奏(かな)でり始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。

或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの御方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。

何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない御方にブログの上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。

             
                

過ぎし2020年の新春に、予期せぬ新型コロナウイルスの烈風が襲来し、
これ以来、余りにも悲惨な出来事が長く続き、困惑してきましたが、
お互いの努力により鎮静化して、明るい兆しとなってきました・・。

来年は、明るいニュースが満載となり、数多くの御方と共に微笑んだり、
と祈願しています。

改めて皆様には感謝を重ね、良いお年をお迎え下さい。

                  2023年(令和5年)12月31日
                               『夢逢人』

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年の瀬、都心の郊外に住む私は、とりとめなく思い馳せて・・。

2023-12-30 15:20:19 | 喜寿の頃からの思い

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
生家も近く、結婚前後の5年を除き、私としてこの地域に74年近く住んできた為か、
調布の里っ児、或いは原住民かしら、と思ったりすることもある。

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。

或いは私が長らく通勤で利用した小田急線の『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。




        

私たち夫婦の両親は、私の父は私が小学2年生の時に病死され、母は私が54歳の時に病死され、
無念ながら天上人となった。

そして家内の父は、私が定年退職した2004年(平成16年)の秋の直前に病死し、
家内の母は我が家より遠方で、一軒屋に独り住まいとなった。

そして私たち夫婦は家内の母に、せめて年末年始の期間は、我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から丸15年は共に年末年始を過ごしたが、無念ながら『要介護2』となり、
やむなく介護施設にお世話になっている。

これ以来、私たち夫婦は、年末年始も二人だけで過ごしている。 

           

こうした中、御節(おせち)料理に関しては、
私の母が亡くなる1998年(平成10年)の新春の前の年までは、

家内は黒豆、栗などの素材を吟味して買い求めて、
そして御節(おせち)の品々を3日ぐらいで仕上げたりしていた。

やがて独り住まいの私の母用に、我が家用、家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
それぞれ三段のお重を20年間ばかり料理してきたが、
お互いに齢を重ねてきたので、御節(おせち)料理は簡略となっている。


ここ10数年は駅前、最寄りのスーパーで五店ぐらい廻り、
伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻、酢蛸(スダコ)などの単品を買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。

しかしながら、家内が4年半前に大病に遭遇して以来、御節(おせち)料理の単品を
それぞれ食べたい品を買い求めて、頂ているのが実態となっている。


         

今朝、朝食後、私は家内に本日の買物を訊ねると、
指定された10数品だけ、最寄りのスーパーで私は買い求めてきた。

この間、家内は掃除、洗濯をしたりしている。

やがて帰宅後の私は、近くの神社、寺院を参拝してくるょ、と家内に言ったりして、
家を出たりした・・。


私は高校時代から都心の学校に通った頃から、初詣に関しては、
きまぐれに原宿駅に近い『明治神宮』、鎌倉の『鶴岡八幡宮』、
或いは我が家から3キロばかり歩いた『深大寺』などに、参拝したりしてきた。

やがてサラリーマンを定年退職してから、人出の多い中が苦手となり、
込み合う季節は避けて、参拝したりしてきた。

このような心情を秘めてきた私は、地元の神社、寺院だったら、人出も少なく、
ゆったりした心で参拝できると思い秘めていた・・。

暖かな冬の暖かな陽差しの中、人影も少ない静寂の中を歩いたした・・。

                           

そして私は霞嶺(かすみね)神社、明照院(みょうしょういん)寺院に寄ったりした。

この霞嶺神社、明照院は、1985年(昭和60)年に調布市の市制30周年を記念の中、
調布市内の自然、史跡などの中から市民に選ばれ、『調布八景』のひとつとなっている。

         


         

そして明照院の境内の片隅には、扁額ようなものがあり、私は近づくと、やがて独り微苦笑したりした・・。

         

まもなく私は明照院に別れを告げて、野川の遊歩道を目指して歩いたりした・・。

                  







そして野川の両岸にある遊歩道を30分ばかり歩いたりした・・。

         






やがて小公園にあるベンチで、私は休憩をした・・。
         



そしてぼんやりとしていると、昨夕テレビのニュースで報じたことが甦(よみがえ)ってきた・・。

帰省ラッシュで、ふるさとに向かい新幹線、在来線の乗客、
或いは自動車で高速道路を利用され帰省される方が多く、
成田空港では、年末年始を海外で過ごす家族連れらの出国ラッシュが映し出されていた。

私のふるさとは、今住んでいる近くに生家があり、三男坊の私としては長兄宅が実家となっている。
そして私はこの地域には結婚前後の5年間を除き、74年ばかり住んでいる。

このような事情もあり、私は帰省の方たちを見かけると、少し羨(うらや)ましいのが本音である。

こうした根底には、それぞれの御方は過ぎし一年の思いを秘めて、ふるさとの親、親族、そして友人たちに再会して、
共に語る合う情景が浮かび、
どうかご無事で行かれ、一族再会のような親愛を深めて下さい、と思ったりしている。

そして日本の各地、或いは海外に旅行される方たちにも、
せっかくの年末年始の休暇を楽しまれて下さい、と感じたりしている。



或いは自宅で年末年始を過ごされる方たちには、
民間サラリーマン諸兄諸姉の多くは、短期に成果が問われる時代で、
更に常時リストラの過酷な時代の為、せめて年末年始の時ぐらいは、
愛する妻と可愛いお子様とゆっくりとお過ごし下さい、と諸兄に無力な私でも祈願したりした。

こうした中、年末年始も仕事で業務に携(たずさ)わる方たちには、
たとえ職責であっても、何かと大変ですね、お身体を充分に御自愛して下さい、と心を寄せたりした。
          

               

このようなことを思い馳せて、私は再び歩き、やがて帰宅に向かった歩いたりした。

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私の幼年期の前後、生家で『餅つき』をしていた当時の想いで・・。

2023-12-29 14:06:37 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市の隣接した調布市の片隅に住んでいるが、
生家の実家も近くにあり、私の幼年期の遠い70数年前の頃は、
『餅つき』は、歳末の近くになると私の生家で行っていた。

私は1944年(昭和19年)の秋、農家の三男坊として生を受け、
祖父と父が健在だった頃までは、今住んでいると近くで農家をしていた。



祖父、父が中核となり、戦前からの小作人だった御方たちの助すけを借りて、
程々の広さの田畑を耕していた。

私が小学一年生の1951年(昭和26年)の12月でも、
江戸時代からの名残り農家の六人組で、たとえば『餅つき』などの場合でも、
お互いに20日過ぎた頃から、この日はあそこの家で、
『餅つき』をする互いの助成制度の風習が残っていた・・。

具体的には、祖父の家を含み、六軒の家で交互に手伝う習慣となっていた。


       

こうした中で祖父の家の順番になると、
この一週間前の頃に、父が俵(たわら)に入ったもち米をリヤカーで積んで、

甲州街道に精米専門店があり、精米して頂き、
精米された餅米を俵(たわら)に入れ、排出されたもみ殻、糠(ぬか)も含めて帰宅していた。

やがて『餅つき』の前日には、精米された餅米を水に漬けたりしていた。

そして当日になると早朝から生家で大きな竈(かまど)に、薪(まき)を燃やして、
生家で最も大きなお釜(かま)が水が沸騰する少し前に、
餅米を入れた二尺近い正方形の大きな蒸篭(せいろ)を幾重にも重ねて、やがて蒸(む)した。

ご近所の主人たちが5人来てくださり、それに私の生家の人である。
祖父、父、母、叔母、そして長兄、次兄に続いて、
6歳の私なり手伝いをしたりしていた。

午後になると、大人3人掛かりで、
杵(きね)で臼(うす)の蒸されたもち米を搗(つい)たりした・・。

すべて手作業なので、労力のいる時代だった。




やがて餅になると、お供(そな)え、長方形ののし餅、とそれぞれに作っていた。
長方形ののし餅は、長方形の板で形を整え、片栗粉でまぶした。

この当時の生家に於いては、年末から正月のお雑煮、七草を得て、
その後、ときたま2月の上旬まで食卓に出されることもあった。

このために、のし餅などは10畳の部屋を二つ使い、廊下まではみ出していた。
       
       
夕方の6時頃になると、搗(つ)きたての餅をあんこ、大根のからみ、きなこ用に
それぞれ作り、夕食がわりとなった。

ご近所の主人たちには、酒が振舞われ、茶碗酒として出された。

こうした時、ご近所の叔父さんが、私に言った。
『XXちゃん・・何を食べるの・・』

『う~ん、大根の辛いの・・』
と私は言った。

『そうかい、からみねぇ・・
XXさん、この児きっと呑んべえになるね・・』
と赤い顔になってしまった叔父さんは、私の父に笑いながら言ったりしていた。

後年、私が30代後年より、お酒は日本酒の純米酒の辛口をこよなく呑み、
呑兵衛のひとりとなったので、この叔父さんは的言されたりした。



やがて1956年(昭和31年)の頃になると、
私の周囲の農家の代々の家も、時代の波が押し寄せ、
田畑、竹林、雑木林が消え去り、住宅街に変貌し、
このような風習は、消えた去った・・。


       

このような私の幼年期の頃、生家で『餅つき』をしていた当時の頃を思い浮かべ、
綴ったりしていたが、私にとっては餅つきの情景は、限りなく深い愛惜感も秘めている。

そして私たち夫婦は47年近く生活している中、餅に関しては、
初めて10年ぐらいは、和菓子屋で年末に長方形の『のし餅』を買い求めてきた・・。

その後の今日まで、スーパーで殆ど一年中販売されているシングルパックされた『切り餅』を
ときおり買い求めたりしているので、季節感がなくなってしまった、
とお互いに微苦笑しながら食べたりしている。


そして新年に頂くお雑煮に入れる餅も、シングルパックされた『切り餅』となり、
お供(そな)えもスーパーで販売されている可愛らしい小振りを2セット買い求めたりしている。



このような我が家の元旦の朝の情景となり、私は戸惑いながら時の流れだよなぁ、
と苦笑して早や40年過ぎている。

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『仕事納め』、過ぎさり時代の私のささやかな想い、思い馳せれば・・。

2023-12-28 13:09:19 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の郊外の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを眺めると、明日の29日より市役所は年末年始の休暇と知り、
本日の28日は『官公庁の御用納め』かしら、と思ったりした・・。

そして多くの民間会社もこれに準拠して『仕事納め』になるかしら、と微笑んだりしてしまった。

まもなく私は、サラリーマン現役時代は、ある民間会社に35年ばかり勤めた体験があったので、
特にここ10数年、たえず短期に成果を問われる民間のサラリーマン諸兄諸姉に、
今年も大変な年でしたねぇ、
と働いて下さる諸兄諸姉の健闘に感謝の言葉を心の中で呟(つぶや)いたりしていた・・。

この後、ぼんやりと私の現役時代の『仕事納め』のことを思い浮かべたりしたが、
私の心の片隅に残っていることを思い重ねたりたりした・・。

          

私の現役時代の殆どは、音楽業界のあるレコード会社の本社に勤めていたが、
この当時は、官公庁の御用納めの翌日か当日に年内最後の業務となり、納会をしたりした。

官公庁の御用納めの該当日に、私は同僚たちと昼食の為に食事処に行った時、
所在地が六本木の四丁目の交差点に近い場所だったので、
この当時は近くに防衛庁(現在は『東京ミッドタウン』)があり、
この方たちが少し赤い顔して、テープルを一角を占領していた。

『官公庁はいいよなぁ・・午前中で終りかょ・・』
と同僚のひとりが呟(つぶや)いたりして、私たちは微苦笑したりしていた。

私の勤めた会社の年内の最終日は、夜の6時に業務完了時なると、
本社で1番大きな会議室で立食のパーティ形式となった・・。


          

私が若き27歳の頃は、勤めていた会社がヒット曲に恵まれた『仕事納め』の時は、
やはり大きな会議室で本社一同の社員が結集する中、
総務部の依頼で、餅つきの関係の業者が来社され、『餅つき』大会が開催され、
邦楽の責任者が、杵(きね)を掲げて、そして臼(うす)の蒸されたもち米を搗(つ)いたり、
その後、若手の有志の邦楽の担当者たちが、
杵(きね)を持ち上げて臼(うす)の中のもち米を搗(つ)いたりした。

そして私たちは、日本酒、ビールを呑みながら、それぞれに拍手喝采をしたり、
お互いに健闘を讃えながら高揚感が増して、幸福なひとときを共有したりしていた。

こうした時の私は、日頃に業務に接する人達とは、
歓送迎会、居酒屋での『呑みニケーション』をしているので、
このグループは避けて、他部門の方達と話し合ったりした。



          
或いはヒット曲に恵まれない年の『仕事納め』の時は、
早々と立食のパーティを終わり、『来年は頑張ろうねぇ・・』とお互い言い合ったりした。

この後、有志50名ぐらい最寄りの居酒屋で二次会、
その後は勇士20名前後て洋風の居酒屋で三次会を開催し、
遠方のお住まいの方もいるので、終電の一時間前に散会したりした。
          


こうした中で、1983年(昭和58年)の時は、私は情報畑で社内のシステム開発に悪戦苦闘し、

日曜日以外は殆ど出勤し、奮闘していた年であった・・。

そして土曜日の休日に会社に独り出勤し、
システム開発・運営までのスケジュール概要の進度状況をチエックしていたりしていた。

ある日、気分転換にひとつとして、自席から離れて小さな会議室に移動して、
前方の首都高速道路で、渋谷から赤坂方面に走行する数多くの車を視たり、
遠い彼方に東京タワーを眺めたりしていた。

やがて会議室の片面のステレオセットの横に置いてあったレコードの見本盤をセットし、
自動販売機のコーヒーを飲みながら、聴いたりしていた・・。

そして演歌のような要素を秘めブルースの基調が流れ、
ハスキーな歌声で圧倒的な歌唱力で唄い上げた歌に、私の心は叩きのめされたように、
心の中で膨張するように占領され、世にいわれている鳥肌がたった・・。

そして曲が終ると、ジャケットを見て、内藤やす子の『悲しい色やね』であった。



          
この当時、この歌手に一昨年に他社から移籍し、程ほどのヒットを私が勤めていた会社から4枚ぐらいだして、
この見本盤のアルバムは『I Miss You~愛のつづれ織り~』と題されいた。
 

この当時としは、世の中でヒットされた原曲を編成され、カバーした稀なカバー・アルバムであり、
この中のひとつ歌が上田正樹さんの原曲の『悲しい色やね』(1982年)であった。

たまたま偶然に聴き、瞬時に圧倒的に魅了された私は、この後、私はこのアルバムを買い求め、
自宅で何百回もこの曲を聴きながら、心身励まされたりした。

そして、この曲を私は、人に会うたびに絶賛し、
『XXさんが・・ブルースが好きだったとは知らなかったょ』
と洋楽の編成の方に言われたりしていた。



          
やがて1984年(昭和59年)の半ば、新システムは何とか軌道にのり、
この年の暮れの『仕事納め』の社員の立食のパーティを行っている時、
たまたま内藤やす子さんがマネジャーに付き添われて、参列して下さった。

そして偶然に 内藤やす子さんが私に近づいてきたので、
平素は何かと奥手の癖に、ときおり悪目立ちがり屋の私は、
『貴女の・・『悲しい色やね』に励まされて・・私のシステム開発が・・何とか軌道にのりました・・』
と私はビールを呑みながら、内藤やす子さんに言ったりした。

『嬉しいわ・・』
と内藤やす子さんは驚いた表情を浮かべた後、
周囲の社員の方達に大声で、
『この方が、あたしの『悲しい色やね』のお陰で・・担当されているお仕事・・
上手(うま)く行ったですって・・』
と言ったのであった・・。

この直後、傍にいたマネジャーは、私に握手を求めてきた。

そして、内藤やす子さんも私に握手を求めてきて、
あたり一帯、先輩、同僚、後輩達の拍手で盛り上がった・・。

私は少し高揚しながら恥ずかしげに、内藤やす子さんの手を握った・・。

          

このようなささやかな『仕事納め』の時を思いだしながら、

あの時はあんなことがあったよねぇ、と私は微苦笑を浮かべたりしている。

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まもなく年末に迎い、79歳の私は、とりとめなく思い馳せて・・。

2023-12-27 11:27:16 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
散策しなければ、体力が衰えるので、
毎週のように
近くの都立の『植物多様性センター』、『神代植物公園』、
そして隣接している『深大寺』を訪れているが、昨日の26日も
散策したりした。

いつものように最寄り駅のひとつの京王線の『つつじが丘』の駅前より、
路線バスで調布市の『総合体育館前』で下車したりした。



この後、体育館前のゆったりとした広場を通り過ぎたりした。




まもなく『植物多様性センター』の正門から入ると、さわやかな秋晴れの中を歩いたりした・・。







こうした状景を眺めていると、脳裏の片隅から、シンガーソングライターの谷村新司さんが、
10月8日に亡くなわれたことが、舞い降りてきた・・。

私が信愛している過ぎし1980(昭和55)年に谷村新司さんが、
アルバム『昴(すばる)』のタイトルでアルバムを創られて、8曲の曲がある。

そして私は『昴(すばる)』のアルバムを買い求めて盛んに聴いたりしたが、
最後に収録された『昴』の名曲よりも、
この中のアルバムに収録された『残照』、『玄冬記~花散る日~』の方が私は好みであった。

或いはアリスとして『それぞれの秋』に魅了され、
これらの作品は、日本文学の伝統を継承している、私は確信してきた。

このように私は思い重ねてきたので、愛惜感を深めて、ご冥福をお祈りしたりした・・。

この後、雑木林を散策したりした・・。






まもなく『神代植物公園』の深大寺門より辞した後、
隣接している『深大寺』に寄ったりした・・。



そして『元三大師堂』に、無事に79歳の今、過ごせていることに感謝して、
恥ずかしながら百円玉ひとつであるが、お賽銭箱に入れたりした。

こうした中で、年末年始の準備をしていた・・。

この後、隣接している『本堂』に寄り、私たち夫婦がささやかながら過ごせていることに感謝して、
少しばかり、お賽銭箱に入れたりした。







こうした中で、『深大寺』の山門より辞したりした・・。



この後、私は路線バスを活用して、帰宅に向かったりしたが、
今年の官公庁の年末年始の休暇は、12月29日の金曜日から、
新年の1月3日の水曜日までかしら、と思い浮かべたりした・・。

そして社会は、この年末年始の休暇に準じて、歳末の買い物、初詣、
帰省・・など・・我が家は高齢者夫婦のふたりだけの家族であるので、
今年は特に予定はなく、安楽に過ごそうかしら・・と微苦笑したりしている。

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何度も繰り返しやすい「ぎっくり腰」は簡単な筋トレで予防できる、79歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2023-12-26 15:24:12 | 喜寿の頃からの思い
先程、愛読している【 日刊ゲンダイヘルスケア 】を見ている中で、
『 何度も繰り返しやすい
    「ぎっくり腰」は簡単な筋トレで予防できる 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
若き40代の時に、突然にギックリ腰の悪化で、3度も救急車に乗車し、
入院してきたことがある。 

この当時の私は、ある会社の情報畑で、コンピュータを活用して、システムの開発、運営に従事して、
平日は15時間ぐらいの勤務は、当然のように感じながら、
ときには徹夜勤務して奮戦していた時代であった・・。

こうした中、土曜日も休日出勤した翌日の日曜日、自宅の和室でゴロコロと横たわって休んでいた時、
家内から、掃除機を取って下さい、と言われた私は、
近くの押し入れの下段に収納している掃除機を、かがんで取ろうとした時、
まもなく腰に激痛を感じて、横たわったりした・・。



翌日の月曜日の早朝、相変わらず腰回りに痛み感じていた。
そしてタクシーで病院に行き、治療を受けて出勤しょうか、と思いながら、
二階の寝室の布団から這(は)うようにして、一階の居間の階段をまで這(は)いながら降り、
そしてトイレを終え、何とか洗面所で歯を磨こうとした時、激痛がはしり、くずれ、床に寝転んでしまった・・。

私は家内に声をかけ、
『みっともないけれど、救急車を呼んでくれないか・・』と私は言った。

そして家内は、救急先に電話口で、
『ご近所の手前・・近くにきたら、サイレンを止(と)めて下さい! お願いしますね・・』
と家内は言った。

まもなくサイレンの音を響かせ、救急車が我が家に来た。             

そしてタンカーを持ち、救急員のふたりが入ってきた。

救急隊員のひとりが、家内を見ると、
『奥さん・・サイレンを止めろ、と先程に言われましたが、
サイレンを止(と)めちゃ、救急車が走っていても、他の車は徐行してくれませんょ・・
奥さん・・救急車の役割がしませんから・・』と救急隊員のひとりが怒ったような表情で、家内に言った。

怒られた家内は、呆然(ぼうぜん)としていた。



私は近くで聴いていたが、救急隊員のもうひとりの方に、
『それより・・私を早く病院に連れてって下さい!!』と私は懇願したりした。

この後、家内は少し青ざめながらも、救急車に同乗した。
まもなく救急車は、サイレンをけたたましく鳴り響き、他の多くの車を徐行させ、
やがて病院の正面口に着いた。

そして家内が救急員のひとりの方に、寸志のつもりで、
『ほんのお気持ちですが・・』と手渡そうとしたら、
『奥さん、何をおしゃるんですか・・』と家内は、救急員に怒られたりした。
                    
やがて私はタンカーに乗せられ、病院に入ったのであるが、
ロビーの椅子に入院患者の方たちが、数多くたむろしていた・・。
そして私を眺めていたのである。

『あれは、ぎっくり腰だなぁ・・間違いがねぇ・・』
とその中のひとりが言ったのである。

私の方は、腰は痛いが、頭のほうは正気だったので、恥ずかしい思いであった・・。

そして診察室に向かう通路の中で、黄緑色の公衆電話が見えたので、救急員の方に私は言った。
『ちょうと、待って下さい・・会社に連絡するので、電話をしますから・・』

今度は私が、救急員から怒られたりした。
『ご主人、何をおしゃるんですか・・診察を受けるのが最優先ですから・・常識ですょ・・まったく・・』
と言われたりした。

こうしたことが私としては、生まれて初めての救急車に乗車した初体験である。

                                 

そしてこの時は、入院直後、医師の人から、
『3日ぐらい容態を診ましょう・・』
などと私は云われ、私は多忙時期であったので、焦(あせ)った。

そして私は医師に、『早く・・職場に戻らないと・・痛くても緊急の処置をして下さい・・』
と私は懇願したりした。

結果的には、1泊2日の入院生活を生れて初めて体験した。
            



この一年過ぎた頃、やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、

やむえず救急車に、お世話になった。

この時は、治療を受けながら担当医師より、
『1週間前後、容態を診ましょう・・それから具体的に・・』このような意味合いを、私は言われたりした。

やがて私は、看護婦長の姿を見つけて、
『早く・・職場に復帰しないと、会社に影響します・・
担当の先生に、短期決戦のような治療をお願いして欲しい・・』と私はひたすら懇願したりした。

そして2度目の入院生活は3泊4日で卒業した。

                          

この後、二年過ぎた頃、 やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、
やむえず救急車に、お世話になった。

さすがに3度目に病院に運ばれた時は、私は 観念し、
担当医師の指示に基づいて、28日間の入院生活となった。

そして病室のベットから何とか車椅子に乗り、公衆電話のある室に行き、
テレホンカードで会社に業務の連絡事項を、毎日のようにしたりした。

その後、上司と共に私の関連する業務担当の方たちが来院したりしたが、
入院という非日常生活の視線から、何かしら遠くなってしまった日常の社会の動きを見つめたりした・・。

病室のベットに休んでいても、周囲の社会は順調に動いて、
自分の存在は、一体どこにあるのか、と疎外感を感じ深めたりしていた。

このような困苦した体験があったが、この間、精密検査を受けた結果、
手術で腰を切開することなく、治療薬と腰を懸垂することで、
やがて退院する寸前、特注なコルセットして、病院からお別れできたりした。
                 
こうして私は酷い腰痛で救急車に3回も、お世話になったり、入院生活も3度も体験した。



やがて復帰して、半年過ぎた頃、腰痛を感じたりしたが、この当時は会社間の合併してまもない多忙時期で、
入院した病院に行けば、入院させられることを危惧して、
3週間ぐらい東洋医療のハリ治療に通院して、何とか痛みから解放されたりした。

この時、担当医師に腰痛の原因を訊(き)いても明解な回答も得ず、
ただ医師より、休みの日には、よく歩いて下さい、と助言を受けて、
この後、私は忠実に守り、自宅付近にある遊歩道、小公園を歩いたりしている。
                  

このように苦い体験をしてきた私は、
今回の《・・何度も繰り返しやすい・・「ぎっくり腰」は簡単な筋トレで予防できる・・》、
真摯に学びたく記事を読んだりした・・。

 

何度も繰り返しやすい「ぎっくり腰」は簡単な筋トレで予防できる|日刊ゲンダイヘルスケア

何度も繰り返しやすい「ぎっくり腰」は簡単な筋トレで予防できる|日刊ゲンダイヘルスケア

 突然の激しい腰痛で動けない──。「ぎっくり腰」で脂汗をかいた...

日刊ゲンダイヘルスケア

 

《・・ 突然の激しい腰痛で動けない──。
「ぎっくり腰」で、脂汗をかいた経験はないだろうか。

海外では、魔女の一撃と呼ばれるほどの痛みが走り、何度も繰り返す人は少なくない。
再発を防ぐには、どうすればいいのか。
あいちせぼね病院院長の伊藤全哉氏に聞いた。




■くしゃみで再発することも…

ぎっくり腰とは、急激に起こる腰痛の通称で、医学的には「急性腰痛症」と呼ばれる。
激しい痛みから「仕事に行けない」、「料理や洗濯ができない」など、日常生活に支障を来す。

通常1~2週間程度で自然治癒するとはいえ、
一度発症した人であれば、二度と経験したくない痛みだろう。


ぎっくり腰を起こす仕組みには、さまざまなものがあるが、
そのひとつとして、腰骨の関節の動きが大きく関係している。


「腰は、積み木のように、いくつもの背骨が連なってできています。
それらは椎間関節でつながれ、腰を丸めると関節は開き、反らすと閉じる。

関節は、袋状の関節包に包まれていますが、
いきなり重い荷物を持つと、緩んだ関節包は関節の間の骨に挟まれ、激痛が生じるのです」

日頃から腰の曲げ伸ばし動作の回数が多いほど、
関節包は伸びて緩くなり、椎間関節は不安定になる。

すると、伸びた関節包は簡単に挟まれ、ぎっくり腰を何度も繰り返しやすくする。

とりわけ建設業や宅配サービスといった重労働に従事している人や、
掃除機をかけたり台所仕事など、前かがみの体勢の頻度が高い専業主婦の場合、
腰に負担がかかり関節包は、ダメージを受けやすい。

そのため、「荷物を持ち上げる」、「くしゃみをする」といった、
ささいな動作でも、再発しやすくなる。


「30代の専業主婦の女性は、掃除機がけをきっかけに、ぎっくり腰を起こし、
それから2カ月後に、2リットルのペットボトルを持ち上げる動作で再発しました。

それからは3カ月に1回のペースで繰り返すようになり、当院を受診されました。
実際、ぎっくり腰を何度も再発し、受診される患者さんは少なくありません」



■過度な安静は禁物

ぎっくり腰を起こしたら、まずは安静が基本だ。
腰を丸めた状態で横になり、椎間関節を開いて挟まった関節包を元の位置に戻す必要がある。

一時的な対処法として、
痛み止めの服用や、コルセット(市販のものでOK)の着用も有効だという。

ただ、ぎっくり腰を繰り返さないためには、過度な安静は禁物だ。
立ち上がれる程度の痛みまで改善してからも安静を続けると、
腹横筋や多裂筋といった腰回りにあるインナーマッスルの筋力が低下する。

すると、背骨を正しい位置で固定できず、
腰は不安定になり、再発しやすい腰の状態がつくられていくという。

「とある研究では、ぎっくり腰を起こしてから、ベッドで安静にしていたグループよりも、
普段通りの生活を送っていたグループの方が、回復が早かったとの研究結果が報告されています。

安静にしすぎると、筋力がどんどん衰えて、背骨をさらに支えられなくなる。
筋力があれば、その筋肉がコルセットの代わりにもなります。
日頃からインナーマッスルを鍛えることが大切なのです」

再発を防ぐために自宅でできる筋力トレーニング方法は次の通りだ。

【腹筋のトレーニング】

上向きに寝て、足を伸ばした状態で、両足の踵を地面から10センチ持ち上げる。
10秒間キープした状態×10回を1セットとし、これを朝昼晩行う。
腰を痛めないよう、腰の下に両手を差し込んで行うとよい。


【背筋のトレーニング】

四つん這いになり、片足を後ろにピーンと伸ばし、10秒間キープする。
もう片足も同様に、左右交互に行う。

10秒間×10回を1セットとし、朝昼晩行う。
体が前後左右に傾かないように、真っすぐに保つことで、背筋が強く刺激される。

「オフィスワーカーの方であれば、リクライニング機能のない椅子に腰かけ、
背中をグーッと後ろに押し当てるだけでも、腹筋と背筋は鍛えられます。
日常の中で、ぎっくり腰を再発させないための腰づくりに、ご自身で取り組むことが大切です」

ただし、腰痛が長引く場合、椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症、
骨粗しょう症による圧迫骨折などが、ぎっくり腰の原因になっているケースもある。

「腰痛が1カ月以上続く、腰だけでなく足の痛みやしびれがある場合には
他の疾患が隠れているかもしれないので、一度整形外科を受診してください」・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、あいちせぼね病院院長の伊藤全哉さんより、
「ぎっくり腰」は《・・何度も繰り返しやすい状況、原因・・簡単な筋トレで予防策・・
》、
丁寧に解説して下さり、私は多々教示させられたりした・・。

ここ10年の私は、腰が重いなあ・・或いは腰の痛みを感じたら、
湿布の経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤の『ロキソプロフェンNaテープ』を貼ったりして、
まもなく解消してきた・・。


しかしながら何よりも、適度に毎日のように歩くことが肝要だ、と反省したりしている。
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加湿器を使わずに、無理なく乾燥・脱水対策をする方法3つ、私は学び、やがて微笑み・・。

2023-12-25 15:48:55 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【介護ポストセブン】の『シニア』欄を見ている中で、
『 冬でも高齢者の脱水に注意!
    加湿器を使わずに無理なく乾燥・脱水対策をする方法3つ
』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、

 

冬でも高齢者の脱水に注意!加湿器を使わずに無理なく乾燥・脱水対策をする方法3つ | マネーの達人

冬でも高齢者の脱水に注意!加湿器を使わずに無理なく乾燥・脱水対策をする方法3つ | マネーの達人

肌寒い時期になると、トイレが近くなるから水分摂取を控えると言う高齢者の方がいます。

マネーの達人

 

《・・肌寒い時期になると、トイレが近くなるから水分摂取を控えるという高齢者の方がいます。
また、冬場はのどの渇きも意識しにくい為、自然と水分摂取量が少なくなってきます。

冬の空気の乾燥も加わり、冬場でも脱水になることがあります。

今回は、安価で手軽にできる冬場の乾燥・脱水対策をご紹介します。



☆寒い時期でもできる水分摂取にはひと工夫を

のどの渇きを感じにくい冬場では、水分摂取がすすみにくいものです。

そんな時には、寒い冬場ならではの手軽な水分摂取方法のひとつとして、
10時や3時をお茶の時間と決めて、飲む飲料をインスタントのしょうが湯や葛湯にすることがおすすめです。

しょうが湯や葛湯は、体も温まり、インスタントであれば、お湯を注ぐだけで手軽に飲むことができます。
また、自分で簡単に安価で作ることもできます。

カロリー制限があっても自分で作るのであれば、自分の体調に合わせた甘さの調節もできます。
カロリー制限があるけれど、どうしても甘いものが欲しくなって、
おやつを食べすぎてしまうと言う方も、しょうが湯や葛湯をおやつの代わりにすると、
食べ過ぎの防止になります。

しょうがはちみつ湯 きょうの料理より(画像提供元:NHKエデュケーショナル)

 

☆食事でも水分摂取!おすすめは鍋料理

食事でも、冬場ならではの簡単な水分摂取の方法として、なべ料理があげられます。

しかし、塩分が多いなべ料理もあるので、注意が必要です。

塩分の摂取量を減らすために、

  • 鰹節や昆布などで、しっかりだしをとる

  • ポン酢なども減塩の商品を選ぶ

  • しょうがやネギなどの薬味を活用して、うす味をカバーする

などのポイントがあります。

野菜や肉などをたっぷりとれるなべ料理は、栄養バランスの良い料理です。
また、高価で特別な食品を購入しなくても、手軽にいろいろな種類を作れて飽きません。

寒い時期は、塩分に注意しながら、おいしいだし汁で手軽に水分摂取ができる、
なべ料理を活用していきましょう。

NHK健康ch 食で健康!おいしい「減塩なべ」「減塩すき焼き」のレシピ


☆お金をかけずに室内の加湿で乾燥対策

室内の加湿も、乾燥を防ぐひとつの方法です。

手間なく、お手軽にできる方法としては、

  • 洗濯物を室内に干す

  • お風呂場が近い場合は、残り湯が入っている浴槽のふたと浴室や脱衣場のドアを開けておく

などが考えられます。

洗濯物の室内干しは、移動の導線上に干してしまうと転倒の可能性があるので、注意が必要です。

室内干しをすると雨が降っても急いで取り込む必要がなく、
高いところに干すこともなくなり、転倒のリスクが減るので、おすすめです。

居間と寝室が別で複数の場所の加湿が必要な場合などは、
寝る際には、コップ1杯のお湯を、寝室に置くと乾燥を防ぐことができます。

部屋の加湿は、必ずしも加湿器を使う必要はなく、
今ある物を少しの工夫でお金をかけることなく、部屋の中の乾燥を防ぐことができます。

室内干しを嫌がる方もいますが、お客さんが来ても見えない工夫をする、
部屋干しのにおいを防止する洗剤を使うなど、気にかかる部分を解消しながら、
冬の乾燥予防に部屋干しを活用してみてください。

家にあるもので工夫をしてお金をかけずに加湿しよう(画像提供元:日本管材センター)


☆ちょっとの工夫で乾燥・脱水予防できる

今回は、加湿器を使わずに冬場の乾燥・脱水予防が、手軽にできる方法をみてきました。

加湿器も乾燥を防ぐには良い方法ですが、
足元に不安がある高齢者の方には、床に置いてある加湿器につまずいたり、
加湿用の重い水を毎日補充するのが大変など、使い続けていくことが難しい場合もあります。

ちょっとの工夫で、毎日の乾燥・脱水予防ができればとてもお得です。

もちろん、乾燥しない環境を整えることも大事ですが、
本人が意識して水分摂取を行うことも重要です。

トイレは近くなる可能性もありますが、水分が取れないことの方が問題であることを話し、
今回ご紹介したしょうが湯や減塩のなべ料理の活用などをおすすめしてみてください。

 
執筆者:現役老人ホーム施設長 佐々木 政子 ・・》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、佐々木 政子さんより、加湿器を使わずに無理なく乾燥・脱水対策をする方法3つ、
懇切丁寧に解説して下さり、私は多々教示させられたりした・・。

私は、しょうが湯や葛湯の飲み物は苦手であるが、
いつものように煎茶を淹れた、熱いお茶を飲んだりしている。

今回、何よりも学んだのは、なべ料理で、
塩分の摂取量を減らすための方法であった・・。
  • 鰹節や昆布などで、しっかりだしをとる

  • ポン酢なども減塩の商品を選ぶ

  • しょうがやネギなどの薬味を活用して、うす味をカバーする

このような3箇条を学び、私は挑戦してみよう、と微笑んだりしている。

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クリスマスイブの日、私たち夫婦も年代と共に変貌して・・。

2023-12-24 10:46:06 | 喜寿の頃からの思い
は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、
『クリスマスイブ』と明記されていて、今宵はクリスマスイブの日かょ・・、
と微苦笑してしまった・・。

この後、ぼんやりと過ぎし年の私たち夫婦のクリスマスイブの日を、
思い浮かべたりした・・。



私たち夫婦が結婚前の交際していた遥か遠い日の48年前の頃、
この当時は、銀座とか私が勤務していた所在地の六本木の喫茶店で待ち合わせをしたりしていた・・。


そして私は少し背伸びをして、高級な食事処を誘って、
ワインなどを呑みながら、イタリア料理かフランス料理、或いはインド料理などを頂いていた。

こうした中、クリスマス・イブの時は、銀座の4丁目に近い喫茶店で待ち合わせをしていた。

私は退社後、少し待ち合わせ時間に遅れそうになり、
日比谷線の『六本木』から『銀座』までの地下鉄の電車の中で、
この日には走行が特に遅く感じ、もどかしい心情となり、
下車後の地上までの階段を駆け上り、喫茶店に行ったりした・・。

この当時の1975年(昭和50年)の頃は、もとより携帯電話もない時代で、
待たされる方は、待ちわびる状態となり、駆け付ける方も何かと連絡する方法はない時代であったので、
お互いに信頼だけで結ばれていた時代でもあった・・。

          
       ☆☆ この写真、年金生活のクリスマスシーズン、旅先でたわむれに撮った ☆☆


その後、結婚してからは、私は退社後に付近の専門店で、
一週間前の頃から思案していたプレゼント品を購入し、
封筒状のクリスマス・カードにささやかな一文を認〈したた〉めたりした。

そして幾たびか待ち合わせをしていた洋菓子店の六本木『クローバー』の二階の喫茶店があるが、
この一階に魅了されていた『クローバー』でケーキを買い求めて、
新居の賃貸マンションに帰宅したりした。

この後は、一軒家を建てて、ローン返済で困窮していた時代が3年ばかり続き、
せめて愛用している『クローバー』でケーキだけ購入して、帰宅していた。

          
     
☆☆ この写真、年金生活のクリスマスシーズン、旅先でたわむれに撮った ☆☆


やがて私が40代の頃には、家内に何か欲しい品、とやんわりと訊(き)いたりしていたが、
必要な品は、デパートで買い求めているから必要はないわ、
できたら旅行に行って温泉にゆっくり・・と要望されたりした。

この当時は私は多忙であったのは、40代の後半の頃から、業務が幾分空〈す〉いた2月頃に、
冬の旅をして、家内の念願に応〈こた〉えたりしていた。

そして定年退職後の年金生活に於いても、我が家はプレゼントの品よりも、
観光ホテルに滞在して、ゆっくりと温泉を満喫することが多くなっている。

          
    
 ☆☆ この写真、年金生活のクリスマスシーズン、旅先でたわむれに撮った ☆☆


このように我が家はクリスマス・イブは、旅先以外の年は、
家内が居間などにささやかな室内飾りをして、平素より幾分多めの料理を頂いたりしている。


そして私はウィスキーをオンザロックと称した氷片を入れただけの濃いめを呑みながら、
家内はビールを呑みながら、いつものように談笑したりしたりしてきた。

もとより私たち夫婦が子供に恵まれたならば、クリスマス・イブの日も含めて、
大幅に変貌してきただろう、と思いながら、こればかりは叶わぬ夢となっている。

過ぎし10年前の頃から5年間は、家内は遠い地に住む家内の母の介護で、家内の妹と交代しながら、
家内が5泊6日前後で行っている時は、私は我が家で『おひとりさま』になるので、
独りぼっちのクリスマスイブも体験し、これも人生のひとつだょなぁ・・微苦笑したりしてきた




そして2019年の5月、家内は大病に遭遇して、
私たち夫婦の日常生活は大幅に変貌した・・。
これに関しては、私は数多く記載してきたので、今回は省略する。

この後のクリスマスイブの日は、我が家の居間でささやかな酒宴としている。

買物メール老ボーイの私は、24日の当日、最寄りのスーバーに行き、
大きめの国産ロースト・チキンレッグをふたつ、そして赤ワインのボトル、
そしてモンブランのショートケーキをふたつ、買い求めるのが恒例となっている。

このように年金生活の我が家でも、クリスマスイブの日、
変貌してきたりしている。
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今の健康保険証 来年12月2日に廃止が決定、時代遅れの79歳の私は学び、戸惑い・・。

2023-12-23 14:20:49 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフー・ジャパンが配信している記事を見ている中で、
『 今の健康保険証 来年12月2日に廃止が決定
          「いずれは診察券など全て1枚に」』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、

今の健康保険証 来年12月2日に廃止が決定「いずれは診察券など全て1枚に」(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

今の健康保険証 来年12月2日に廃止が決定「いずれは診察券など全て1枚に」(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

今の健康保険証が2024年12月2日に廃止されることが決まりました。廃止1年後の2025年12月には、今の紙の保険証は使えなくなり、マイナンバーカードと健康保険証が一体となっ...

Yahoo!ニュース

 


《・・ 今の健康保険証が2024年12月2日に廃止されることが決まりました。

廃止1年後の2025年12月には、今の紙の保険証は使えなくなり、
マイナンバーカードと健康保険証が一体となった「マイナ保険証」が中心になります。

▼【動画】マイナ保険証の使い方を見る



☆診察券・受給者証などが、1枚に

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



私は
マイナンバーカードに関して、私は家内と共に、昨年の10月21日に遅ればせながら、

昨年の秋、『マイナンバーカード』に加入すれば、
夫婦でマイナポイント4万円頂ただけると知り、
誘惑に負けて、『マイナンバーカード』に加入したりした。

こうした中、たまたま我が家のある信託銀行の改定時があり、
申請書類には、写真入りの身分証明書が必要に伴い、
私の『マイナンバーカード』を提示し、初めて有効活用ができたりした。

これ以外、現時点では、我が家では『マイナンバーカード』は活躍していないよなぁ・・、
と独り微苦笑したりしてきた・・。




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かぼちゃの“本当の旬”はいつ? 冬至に食べる習慣があるのはなぜ?、79歳の私は学び、微笑み・・。

2023-12-22 12:47:14 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフージャパンの配信しているトピックスを見ている中で、
『 かぼちゃ 冬至に食べる習慣はなぜ? 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
ときおり家内は、
かぼちゃの“本当の旬”はいつ?冬至に食べる習慣があるのはなぜ?種類や熟成の見分け方まで栄養士ライターが解説(LASISA) - Yahoo!ニュース

かぼちゃの“本当の旬”はいつ?冬至に食べる習慣があるのはなぜ?種類や熟成の見分け方まで栄養士ライターが解説(LASISA) - Yahoo!ニュース

 甘く、ほっくりした食味が特徴の「かぼちゃ」。煮物やスープ、天ぷら、お菓子など、幅広い料理に使いやすく、食べ飽きないことも魅力の一つ。 12月の冬至(とうじ)が...

Yahoo!ニュース

 


《・・ 

☆かぼちゃの旬はいつ?

☆熟成をチェックする方法は?

☆「日本かぼちゃ」「西洋かぼちゃ」「ヘポかぼちゃ」の御三家がある


☆冬至にかぼちゃを食べる理由は?

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、
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部分入れ歯の多い時代、手入れの基本の口腔ケア、79歳の私は学び、微苦笑して・・。

2023-12-21 13:14:55 | 喜寿の頃からの思い
部分入れ歯時代の口腔ケア 80代で20本以上歯がある人が過去20年で4倍へ【医師監修】 (1/2)| 介護ポストセブン

部分入れ歯時代の口腔ケア 80代で20本以上歯がある人が過去20年で4倍へ【医師監修】 (1/2)| 介護ポストセブン

 歯の健康が推進され、80代でも自分の歯を維持している人が過去20年で約4倍に増えている。それに伴い「総入れ歯」ではなく「部分入れ歯」を使う人の割合も増えている。そこ...

介護ポストセブン

 


《・・ 歯の健康が推進され、80代でも自分の歯を維持している人が、
過去20年で約4倍に増えている。

それに伴い「総入れ歯」ではなく「部分入れ歯」を使う人の割合も増えている。
そこで、「部分入れ歯」利用時の口腔ケアや、お手入れの基本アイテムなどについて歯科医師に取材した。


 

☆部分入れ歯を使う人が増えている

「近年、口腔ケア意識が高まったことから高齢者の歯の残存率が増えています」
こう話すのは、高齢者の口腔ケアの指導もしている歯科医師の相澤明江さんだ。

実際、厚生労働省の調査によると、80~84歳の人で20本以上の歯を維持している人の割合は、
平成5年には11・7%だったが、平成28年には44・2%と、過去23年で4倍近くに増えている。

 

■80~84歳で20本以上の歯がある人の割合

平成5年(1993年)…11.7%

平成11年(1999年)…13.0%

平成17年(2005年)…21.1%

平成23年(2011年)…28.9%

平成28年(2016年)…44.2%

「かつてお年寄りは、総入れ歯をしているというイメージがありましたが、それも過去の話。
歯の残存率が高まったことで、総入れ歯の方よりも、部分入れ歯の方が増えています。

また、入れ歯と聞くと敬遠される方も多くいますが、昔に比べて入れ歯の種類も豊富になっています。
残っている自分の歯を活かしながら作るのが部分入れ歯ですが、
入れ歯をしていることを気づかれにくい、目立たないものが主流になってきています。 

部分入れ歯のほか、インプラント(人工歯根)治療など選択肢も増えています」(相澤さん、以下同)


☆部分入れ歯のケア方法の注意点

部分入れ歯を利用している人が増えているが、
口腔ケアや部分入れ歯のケアで、気をつけることはあるのだろうか?

「部分入れ歯を使用している人もしていない人も、まず、お口のケアの基本は歯磨きです。
高齢者になるほど歯茎が下がり、歯の根の部分が露出しやすくなります。

露出した歯根部分は、虫歯のリスクが高くなります。
特に、部分入れ歯のバネをかけている歯は、金属のバネが歯根に接触し、
プラーク(歯垢)がたまりやすくなるため、虫歯のリスクも高まります。

また、加齢とともに歯並びが悪くなったり、
歯の隙間が大きくなって、食べ物が詰まりやすくなったりします。

叢生(そうせい・歯並びがガタガタしている状態)の部分や歯の隙間は、
毛先が細く狭い隙間を磨ける『ワンタフトブラシ』を使って、
丁寧に磨くことをおすすめしています」


☆医師が教える「部分入れ歯」お手入れの注意点

「入れ歯のケアは、専用のブラシや洗浄剤、超音波洗浄器を使うといいでしょう。

入れ歯も歯と同じように、食べかすやプラークが付着します。
入れ歯がヌメる感じがするときは、『デンチャー(入れ歯、義歯)プラーク』と呼ばれる、
入れ歯に付着した細菌が原因です。

デンチャープラークは、水洗いしただけでは落とすことができません。

特に部分入れ歯は、食事をする際、入れ歯と歯の隙間に食べ物が挟まってしまい、
食後のケアを怠ると、ご自身の歯のプラークも、デンチャープラークも増殖しやすい状態になっています。

つまり、歯も、部分入れ歯も、丁寧なケアが必要です。
ですから、必ず入れ歯を外して、歯を磨いてくださいと指導しています。

入れ歯のケアは、『洗浄剤を使っているから大丈夫』という方もいますが、
実は、洗浄剤だけでは、入れ歯やバネについたヌメリ(プラーク)は落とせません。

専用のブラシを使って、入れ歯についたヌメリをこすり取ってから、
洗浄剤を使うといいでしょう」



☆部分入れ歯のケアに必要な3つのアイテムと使い方

「入れ歯のケアには、専用歯ブラシのほか、超音波洗浄器や洗浄剤の併用をおすすめします。

入れ歯のお手入れには、以下のアイテムがおすすめだという。
相澤さんにそれぞれの使い方と注意ポイントを伺った。

【1】入れ歯専用の歯ブラシ

歯磨き用の一般的な歯ブラシでは、入れ歯に細かい傷がついてしまうので、
入れ歯専用ブラシ(義歯ブラシ)を使うことが大切だという。

「入れ歯を洗浄剤につける前に、必ず専用の歯ブラシで、食べかすや汚れを取っておくことが大切です」

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【2】入れ歯洗浄剤

専用ブラシで汚れを落とした後に使用するのが「入れ歯洗浄剤」。
部分入れ歯には専用の洗浄剤を選ぶことが大事だ。

カビの原因菌であるカンジタ菌の洗浄には、6時間は浸しておくとよいとされている。

「入れ歯は雑菌がたまりやすいので、毎日の洗浄をおすすめします。
在宅介護では、ご家族も扱いやすいつけおきタイプの洗浄剤がおすすめです」

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【3】超音波洗浄器

超音波洗浄器は、入れ歯のブラシでは取りきれない微細な汚れが簡単に取れる時短アイテム。

「まず、入れ歯全体をブラシで磨いてから、超音波洗浄器を使用するといいでしょう。
洗浄剤も合わせて使うと、短時間できれいに洗浄ができます」

「超音波洗浄器は、短時間でより汚れを洗浄できるので、忙しい方でも簡単、時短で入れ歯を清潔に保てます。

超音波洗浄器は、毎日使用していただいても問題ありません。
部分入れ歯の方なら、入れ歯を超音波洗浄している間に、自分の歯も磨けるのでぜひ試してみてください。

超音波洗浄器を使う際は、超音波洗浄器用の入れ歯洗浄剤を使うか、
水で超音波洗浄してから錠剤や粉末状の洗浄剤に、一晩つけておくとよいでしょう」

☆入れ歯のお手入れと口腔ケアで誤嚥性肺炎予防も

「健康な方でもお口の中には、たくさんの菌が存在しています。
中でも、歯に付着する細菌(デンタルプラーク)は、虫歯や歯周病を引き起こす原因になります。

このデンタルプラークを除去(プラークコントロール)することが、お口を健康に保つ秘訣です。

また、プラークが睡眠時や誤嚥時などに気管に侵入すると、
誤嚥性肺炎の発症のきっかけになる場合もあります。

誤嚥性肺炎を防ぐためにも、高齢者の方は、特にお口のケアや入れ歯のケアをしっかりと行って欲しいですね」


☆教えてくれた人

歯科医・相澤明江さん

日本抗加齢医学会 専門医、日本歯周病学会 認定医。
昭和大学歯学部を卒業後、勤務医を経て2015年に「あいさわ歯科医院」(東京都中央区)を開業。
https://aisawa-dental.com 
子供から高齢者までの幅広い世代の口腔ケアや治療に尽力している。
昭和大学高齢者歯科学教室・研究生在籍。顎関節症の症状を緩和するエステサロン「panacea」も併設。https://www.panacea-lp.com/

取材・文/本上夕貴・・》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、歯科医師の相澤明江さんより、部分入れ歯の多い時代、手入れの基本の口腔ケア、
懇切丁寧に解説、79歳の私は学び、多々教示させられたりした。

私は恥ずかしながら、60歳の時に自分の歯を3本失くし、『部分入れ歯』となり、
この後も、『部分入れ歯』もひとつ増えて、何かと歯に関しても、弱点のひとつとなっている。

こうした中、近くの歯科医院で、『部分入れ歯』が摩耗してきたので、
改めて作り直したのは、一年半の頃であったりした。

日頃の私は、朝夕
に歯を磨いて、『部分入れ歯』のひとつに、
入れ歯の安定剤の『新ポリグリップ』を付けて、食べる品を安定させている。

やがて寝る前に、『部分入れ歯』を外して、歯を磨いた後、
『部分入れ歯』を歯ブラシで軽く磨いたりしている。

この後、可愛らしい専用容器に『部分入れ歯』を入れて、
汚れと殺菌する入れ歯洗浄剤の『パーシャルデント』を一錠入れて、
容器に水を入れて、翌日の朝まで浸しておく。

このように微細な汚れが簡単に取れる時短アイテムの『超音波洗浄器』などは、
利用していない、簡略な手入れとしている。



そして3カ月ごとに、歯科医院に行き、定期検査を受診している。
何かしら歯科専門の整体師に、歯の状態と『部分入れ歯』の実態、
虫歯、汚れなど総合検診を受けたりしている。

この時、歯科専門の整体師は、若き女性スタッフであり、
私は検査日の朝、平素より丁寧に歯を磨いて、身なりも整えて、
受診して、一年は過ぎている・・。

こうした中、若き女性スタッフより、
『XXさん・・部分入れ歯以外は・・現在、23本は維持されていますが、
大切にして下さいねぇ・・』、
と私は言われている。
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寒かったり暖かったり、疲れが取れない「寒暖差疲労」に要注意、79歳の私は学び、やがて微笑んで・・。

2023-12-20 15:12:28 | 喜寿の頃からの思い


寒暖差への対応は、常に行われているが、寒暖差が7度以上になると、
体温調整に使われるエネルギー消費が大きくなり、不調が出やすくなる。


「今年は、秋になっても夏日を思わせる日が続き、ところが一転して急激に寒くなった。
それが続けばまだいいのですが、11月、12月だというのに、気温が高くなる日がある。

すると、自律神経が働いて、体内を一定の状況にするのにエネルギーをたくさん使い、
疲労が蓄積するのです。

寒暖差疲労という名前の通り、8割くらいが全身倦怠感を訴えます。
そこに、自律神経の不調による冷え、頭痛、腹痛、胃腸障害、首こり、
肩こり、めまい、月経痛、イライラや不安など、さまざまな症状が加わる」




■放置すると不調が慢性化する


現代人は、寒暖差疲労を起こしやすい状況にあるという。
スマホやパソコンの長時間使用が原因だ。

「スマホは、画面が小さく、うつむき姿勢を取りがち。
人間の頭は4~6キロと重く、長時間のうつむき姿勢によって、
姿勢が悪くなり、骨格が歪みます。

自律神経は脳と脊髄から始まり、各臓器や器官に分布していく神経で、
骨格が歪むと、自律神経の自然な伝達ルートが妨げられてしまいます。
結果、自律神経の働きが悪くなり、気温の変化にもうまく対応できなくなってしまうのです」 

エアコンが効いて温度が一定に保たれた部屋で一日の大半を過ごすのも、
寒暖差疲労の起こしやすさにつながる。
気温の変化への対応力の低下につながるからだ。


「寒暖差疲労があっても、命に関わることはありません。
しかし、疲労や不調が、慢性化してしまう。
当外来には、そういった患者さんがたくさん来ています」


ひどい症状の人には、漢方薬などを勧めるが、
寒暖差疲労対策の基本は、生活習慣の改善だ。

久手堅院長も実践しているという。
「スマホやパソコンの長時間使用は避ける。
私は1時間くらいパソコンで仕事をしたら、伸びをしたりストレッチをしたり、
椅子から立ち上がって少し歩いたりします」


冬の寒暖差疲労対策では、体を冷やすものを取り過ぎないようにする。
「生野菜をサラダで食べるよりは、火を通した調理法が望ましい。
アイスよりホットにし、体を冷やすアルコールやカフェインは控えめにする」


寒暖差疲労であっても、通常の疲労と同様、
その解消に睡眠の質が大きく関係していることは変わらない。


「私はベッドから手の届く範囲には、スマホを置かないようにしています。
スマホのブルーライトは、睡眠の質を低下させる。

『時計代わりにしているから』と言う患者さんがよくいるんですが、
スマホではなく、目覚まし時計に。
それだけでも随分と睡眠の質が変わります」


入浴をして、体をゆっくり温める。
ただし、寝る90分前には入浴を済ませよう。
入浴で高まった交感神経が、副交感神経に切り替わるまでそれくらい時間がかかる。
自然と眠りのスイッチが入る。

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、「せたがや内科・神経内科クリニック」の久手堅司院長より、
寒暖差疲労の原因、対策を学んだりした・・。

私は年金生活の中で、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を19年を過ごしてきた。

そして
 

      
 
しかしながら、ここ数週間、疲れが取れないよなぁ・・と戸惑いながら感じたりしてきた・・。

今回、寒かったり暖かったりすると、
《・・自律神経が働いて、体内を一定の状況にするのにエネルギーをたくさん使い、
疲労が蓄積する・・》、と学び、微苦笑してしまった・・。

そして寒暖差疲労は、《・・8割くらいが全身倦怠感を訴えます・・》と学び、
原因さえ判れば、対策は私なりに80年近くの人生経験で出来るよなぁ、と微笑んだりした。
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2024年秋頃に、『葉書』 『封書』 値上げ、私は学び、やがて思案して・・。

2023-12-19 13:46:24 | 喜寿の頃からの思い

今朝、ぼんやりとテレビのニュースを見ている中で、
2024年秋頃に、通常『葉書』は現状の63円から85円に、
『封書』について、25g以下の84円、50g以下の94円を、110円に、
値上げしました・・、このように報じられて、79歳の私は微苦笑したりした・・。

この後、ヤフー・ジャパンが配信している記事を見ている中で、
『 郵便物ピークから半減 値上げしても1年で赤字 電子化で窮地に 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。



こうした中で、我が家は郵便の『葉書』、『封書』の活用は、
年金生活の中で、減少し、疎(うと)くなっているので、
どのような実態になっているのかしら、と思い記事を読んでしまった。

 

郵便物ピークから半減 値上げしても1年で赤字 電子化で窮地に(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

郵便物ピークから半減 値上げしても1年で赤字 電子化で窮地に(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 郵便料金の大幅な値上げ方針が18日示された。総務省は、現行料金のままでは4年後に日本郵便の郵便事業の赤字が3000億円超に膨らむと見込む。ただ、想定通りの値上げが実現...

Yahoo!ニュース

 


《・・ 郵便料金の大幅な値上げ方針が18日示された。

総務省は、現行料金のままでは、4年後に日本郵便の郵便事業の赤字が、
3000億円超に膨らむと見込む。

ただ、想定通りの値上げが実現しても、2026年度には再び赤字となる見通し。
今後も郵便物の増加は見込めず、郵便事業を維持するには、抜本的な対策が必要になる。

【グラフ】昔は切手40円…郵便料金の変遷  

郵便物は263億通あった2001年度をピークに、毎年3%程度の減少が続いている。
2022年度は144億通と、ピークに比べてほぼ半減した。

インターネットやSNS(ネット交流サービス)の普及に伴って、
企業が販売促進のダイレクトメールを減らしたり、各種手続きのウェブ化が進んだりしたことが、
郵便物減少の背景にある。  

これに対し、日本郵便は
「大切な人への想いを手紙にしたため、受け取る喜び、贈り物を送る楽しさは、
時代が変わっても色あせない」として、
東京・渋谷で若者向けにデザインしたグッズを販売するなど、
郵便局のイメージチェンジを図っている。



企業への年賀状の利用勧奨などの取り組みも進めているが、
デジタル化の流れには逆らえず、郵便物は2028年度にさらに2割減の115億通まで落ち込むとみている。

一方、全国に約2万4000ある郵便局のコストは、増加傾向が続く。

郵便物を住所ごとに、仕分けする作業を機械化し、
配達ルートを自動で作成するシステムを活用するなど、効率化は進めているが、
郵便事業の営業費用の4分の3は、人件費が占める。

2023年春闘では、物価高に伴って、
2007年の民営化後で最大となる月4800円の基本給底上げを実施しており、
事業の効率化だけで、人件費をカバーするのは難しくなっている。
配達に使う車やオートバイの燃料費の高騰もコストを押し上げている。  

こうしたことから日本郵便の郵便事業の営業損益は、
2022年度に211億円の赤字に転落。

試算によると、現状の料金のままだと、2028年度に赤字は3439億円に膨らむ。
また、2024年10月に84円の封書を110円に、
63円のはがきを85円に想定通り値上げをしたとしても、
2025年度に67億円の黒字を計上するだけで、
郵便事業は2026年度に再び400億円の赤字に転落する見通し。

それ以降も赤字幅は拡大し、2028年度には1232億円に達するという。




1994年の料金改定では、3年間は赤字が生じない値上げ額として、
62円から80円に改めたが、今回は1年しか黒字を確保できない計算だ。  

このため総務省は、短期間で再度の料金見直しも視野に入れるが、
18日の審議会の会合では有識者から
「国がデジタル化の旗を振れば、想定以上に郵便物が減る可能性があり、抜本的な議論が必要だ。
料金改定によるコストもあり、こまめな値上げがいいことだとは思えない」、
「国民感情からすると、3割アップというのは大きい」といった意見が出た。

政府はなるべく安い料金で、全国一律の公平なサービスを維持するため、
抜本的な制度の見直しも検討する。  

郵便サービスを巡っては、2021年10月に土曜日の普通郵便などの配達を廃止したことで
配達日数が延びるなど、サービス低下も指摘されている。

企業として郵便局員の負担軽減や経営の効率化を図りながら、
郵便事業を維持するという難しい課題にどう対処するのか注目される。【道永竜命】・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、《・・郵便物ピークから半減 値上げしても1年で赤字 電子化で窮地に・・》、
79歳の私は学び、郵便物の激少の実態を知った・・。

我が家は、郵便局には『葉書』、『封書』の利用は少ないが、
宅配便のような『郵パック』を年に10回前後活用している。
そして郵便局にある『ゆうちょ銀行』の定期貯金なども活用している。

こうした中、都市銀行は駅前まで行く必要があるので、
ときおり我が家より近くにある郵便局にある現金自動預払機(ATM)で、
現金を下ろしたり、振り込みしたりしている。

このように我が家としては、何かと郵便局を利用させて頂いている。



今回の難題、《・・国がデジタル化の旗を振れば、想定以上に郵便物が減る可能性があり、抜本的な議論が必要だ。
料金改定によるコストもあり、こまめな値上げがいいことだとは思えない
・・》、
《・・政府はなるべく安い料金で、全国一律の公平なサービスを維持するため、
抜本的な制度の見直しも検討
・・》。

こうした難題は、郵便局が必要だ、と国民の大半の賛意があれば、
多少なりの値上げ、サービスの低下(たとえば配達日時を現行よりも遅くなる)・・
妥協の一歩かしら、と思い深めたりしている。
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ときには『井の頭公園』を訪ねて、79歳の私は、ひとつのことを学び・・。

2023-12-18 13:59:27 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、
毎週のように訪れている近くの都立の『植物多様性センター』、『神代植物公園』は、
本日の月曜日は定休日であったので、
久々に都立の『井の頭公園』を訪ねてみようと思ったりした・・。



確か7年前は、池の周辺を散策したので、
今回は隣接した御殿山周辺にある雑木林の初冬の情景を訪ねてみよう・・、
と我が家を出たのは午前9時半過ぎであった・・。

まもなく路線バスを乗り継いで、公園の片隅の『万助橋』のバス停に降り立ったりした。



そして私は、雑木林の中を歩き出した・・。






こうしたのどかな景観を見せたりして、ときおり空を眺めたりした・・。



やがて周辺を歩き、都心の郊外は初冬でも・・こうして情景・・
恵まれているよなぁ・・と心の中で、呟(つぶや)いたりした・・。



この後、歩きまわっていると、逆光の中、
まぶしい中、小さな丘に石碑が建っていたのが見えたりした・・。



そして私は近寄って、解説板を読んだりした・・。



こうしたある御方の行為・・初めて私は学び、黙祷をささげた・・。

やがて私は周辺を散策した・・。



やがて『井の頭公園』の雑木林を辞して、帰宅に向かったりした。 

余談であるが、私が1951年(昭和26年)の秋、
小学一年の私は、初めての遠足は、今回の『井の頭公園』であった。

そしてこの当時は、木炭バスで小学校から『井の頭公園』まで、
往復して乗車した。

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新型コロナ、今冬は感染拡大しない?、79歳の私は学び、やがて安堵して・・。

2023-12-17 13:45:13 | 喜寿の頃からの思い

☆欧米では増加傾向

――2023年11月27日~12月3日の1週間に報告された1医療機関あたりの感染者は、

  インフルエンザが26・72人なのに対し、新型コロナは2・75人と少ない状況です。
  インフルエンザの流行と関係はありますか。

濱田特任教授 
   インフルエンザの感染者が増えると、新型コロナが減るという相関関係は、
   医学的には証明されていません。

   新型コロナの流行は、日本では今のところ顕著になっていませんが、
   欧米では同時流行が起きつつあります。

――日本で、新型コロナの感染者が少ないのはなぜですか。

濱田特任教授 
   20年に日本でも新型コロナの感染拡大が始まりましたが、
   この約4年間で、多くの人が新型コロナにかかったり、ワクチンを接種したりして、
   免疫を持つようになりました。

   今夏は、新型コロナの感染者が増えましたが、流行は秋口まで続き、
   かかった人の多くは、まだ免疫が残っていると考えられます。

   また、今年は、12月になっても比較的暖かい日が多いことも、影響していると思います。
   寒いと室内に籠もりがちになって、換気もしなくなり、感染しやすい状況が生じるためです。

――今冬は、新型コロナの感染は広がらないのでしょうか。

濱田特任教授
   もう少したってから、感染が広がってくるという可能性は十分にあります。
   今、主に流行しているのは、オミクロン株の「XBB」系統のタイプですが、
   別系統の「BA.2.86」というタイプが欧米諸国で増加傾向にあり、
   入院患者や死亡者も少し増えています。

   世界保健機関(WHO)は、BA.2.86について、
   「監視下の変異株」(VUM)から「注目すべき変異株」(VOI)へ、リスク評価を1段階上げました。

   このタイプは日本でもすでに確認されています。



☆「BA.2.86」とは

――BA.2.86は、どのような特徴がありますか。

濱田特任教授
   従来のものと比べて、感染にかかわるウイルス表面の突起(スパイクたんぱく質)の変異が
   30か所以上、確認されています。

   今あるワクチンでも、予防効果は期待できると考えられていますが、
   免疫を逃れる可能性が高くなると懸念されています。

   まだ不明な点が多いですが、感染力はやや強い可能性があります。
   ただ、重症化することは少ないと言われています。

   23年8月に英国の老人ホームで集団感染が発生した際にも、亡くなった人はいなかったと報告されています。

――感染拡大を極力抑えるために、すべきことはありますか。

濱田特任教授
   新型コロナの感染症法上の位置づけが「5類」になったことを受け、
   社会的に様々な制限がなくなり、忘年会に参加したり、
   帰省や海外旅行をしたりする人も多いと思います。

   ただ、そうした機会に感染するリスクはあります。

   しかし、今は社会全体で行動制限をしていくという状況ではありません。
   
   感染が広がってきたら、マスクを着用し、手洗いを徹底する。
   具合が悪い時は、人が集まる場所に行かない――という個人レベルの感染対策を取るよう心がけてほしいと思います。

   重症化することは少ないとはいえ、高齢者にはそのリスクがあります。
   高齢者は年1回、ワクチン接種を受けることも大切です。

はまだ・あつお 1981年、東京慈恵会医科大卒。同大講師などを経て、2010年7月、東京医科大教授。
21年4月から現職。著書に「旅と病の三千年史」(文春新書)、「歴史を変えた『旅』と『病』」(講談社+α文庫)、
「職場における感染症対策」(産業医学振興財団)、「海外健康生活Q&A」(経団連出版)、「パンデミックを生き抜く」(朝日新書)など。・・ 》


注)記事の原文に、あえて改行など多くした。



今回、濱田特任教授より、《・・新型コロナ、今冬は感染拡大しない? ・・》、
に関して、記事を読みながら、微苦笑して、やがて安堵したりした。

そして私は新型コロナ烈風の以前のように、
おおらかに街中を散策できるよなぁ・・
微笑んでしまった。

そして人並みの多い処では、マスクをして、自身の身は、自分で守る、
こうしたことを実践して、年末年始を過ごそうと思ったりしている。
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