夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

キュウリ、3本、100円・・!?

2005-05-24 16:53:30 | 食べ物、お酒
昨日の日中、何時ものように買物に行く前、家内からの要望を聞く。
スーパーのチラシを見ながら、家内は赤マジックでチョコンと印をつける。

私は所定のスーパーに行く途中、道路の脇を彩っていた躑躅の終わりを知る。
ワイシャツでちょうど良い気候なので、気分爽やかといった感じである。

店内に入ると、野菜売り場に行き、
キュウリ、バラ売りで3本で100円、
ピーマン、5個入り100円
を買った。

予定通りであったが、キュウリにしても、ピーマンにしても
立派な成育をしていたのに、びっくりした。

その他、セロリ、大根、牛肉、豚肉・・等を買い、帰宅した。

家内に手渡しながら、
『XXちゃん、キュウリ、結構立派だったよ。
 生産者の人たち、採算取れるのかなぁ・・』と私は言った。

『立派なキュウリですけれど、何時もの値段ですよ・・』と家内は笑いながら言った。

『だってさぁ、育て上げて一本、30円ちょっと、だろう・・
 作っている人たち、販売の中間マージンは取られるのだから
 一本、20円切ると思うなぁ・・』と私は言った。

『よろしいじゃ、ないですか
 家は年金生活ですの。
 貯金も崩した生活なのよ
 予定通りですけど・・』と家内は言った。

確かに家内のいう通りだった。
私共は程々の貯蓄をしており、少しずつ取り崩す方針だった。
これは定年の数年前に話し合った結果、予定通りだった。
旅行費以外、堅実な生活費で送ると・・。

私は庭先で煙草を喫いながら、
生産者は汗水たらし、季節を乗り越えて、その成果が
一本20円前後で評価される・・立場を考えさせられた。

家内は生まれてこの方、サラリーマンの家庭で育ってきたので、
常に消費者の立場の意見を言うけれど・・。

こんな事を考えていたら、雨が降ってきた。

『XXちゃん、雨、降ってきたよ』と大声で家内に言った。
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黒木瞳より浜美枝の方が魅了・・♪

2005-05-23 16:09:00 | 定年後の思い
午前中、私の別ブログの【続・極楽とんぼ】の日記に、黒木瞳と浜美枝について、綴った。

詳細は、【続・極楽とんぼ】でお読みください。

午後になって、想いだした・・。

東京オリンピックが終わった頃、
私は映画青年を気取って、東宝撮影所に
行ってた時だった。

東宝の若手看板スターの星由里子と浜美枝にお会いしたが、

星由里子は看板女優らしく、そつのない答えをしていた。

浜美枝の方は、明確な返事を頂けたのには、こちらの方がびっくりした。

この人はこの頃からも、ご自分のお考えを持っていた、と思い出した。

この頃の若手の女優さんにしてみれば、数少ない頭の良い人、ということである。
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風・・。

2005-05-23 14:44:00 | 定年後の思い
風について、ちょつと調べていたら、

?E舛㎠①|櫃陵佞垢気?br>  風の音に いとど短き うたたねの夢

            式子内親王

名句があった。

風はうつ世であり、季節のうつ世?Ebr>表?E靴討い?E隼廚辰討い?E?br>
このようなよしなごとを思い浮かべて、
午後の艇昔うつ世を眺めてい?E
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「黒木瞳」より、「浜美枝」の方が魅了・・♪

2005-05-23 10:27:23 | 読書、小説・随筆
今朝の読売新聞を視ていたら、文藝広告欄に
数多くの新刊本が載っていた。
その中で、私の目に止まったのは、二冊の本だった。

一冊目は、黒木瞳・女史が『母の言い訳』(集英社)だった。

「かっこいい有名人ママは誰」
「理想の母親」第一位に選ばれた、
人気女優の話題作。

コピーが躍っていた・・。

「私がいつかいなくなったとき、娘に捧げるために
せっせとペンを走られた」
娘や家族との心地いい日常生活を綴って、
全国の共感を呼んだエッセイ。

と解説してあった。
この人は、旬の人であるので、本は売れるだろう。


もう一冊は、浜美枝・女史の『私の骨董夜話~人との出会い、ものとの出会い~』(リヨン社)だった。

十代で柳宗悦の民芸を知り、
写真家・土門拳に「本物と出会う」ことを
教えられて押しやはじまった、
骨董への旅、用の美を求める旅。

と解説されていた。

黒木瞳は知っているが、浜美枝は知らない、
というこのサイトをお読み頂ける人に、
この人のプロフィールを簡単に紹介する。

1943年、東京都に生まれる。
1960年、東宝映画より女優デビュー。
1967年、映画『007は二度死ぬ』で日本人初のボンドガールに抜擢される。
日本を代表する女優として活躍する一方、
十代の頃から日本古来の手仕事や農業に興味を持ち、全国各地を歩く。

40歳を過ぎてから本格的に農業問題、食糧問題に関わるようになる。
農政ジャーナリストとして、「農村アメニティ審議会」の委員、
「食アメニティを考える会」の会長を務める。

『旅のおみやげ』、『花織の記』、『やまぼうしの花咲いた』などの著作も多い。

私はここ数年前に、この人の『正直な作り手の味』(集英社)を読んだが、
農山漁村を訪ね歩き、真摯に作り手と語り合い、ご自分で味わったエッセイであるが、
何よりこの中で、子育て、菜園の素材への姿勢、料理に対する素朴な考えには、
感銘を受けた次第です。

この本こそ、文部省が全国の子育ちのお母さんに贈呈してほしい、
と考えたくらい感動しました。

いずれにしても、女性の多くの方に、浜美枝のエッセイを
お読み頂けたら、日常生活により一層【ふくよかな彩りのある生活】になる
と思います。
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レコードのあれこれ・・♪

2005-05-21 15:30:46 | 音 楽
本日、私のもうひとつブログ『風のように光りのように』の日記を綴り為、
レコード棚ケースより、シャンソンだけのレコードを引き抜き、
居間のテーブルに載せた。

今から十数年前、同僚がレコードを聴いている、と言ったので、
処分がてら、四百枚ほど宅配便で送った。

今、残っているのはその時々に思い出のあるレコードだけに
なっており、二百枚程度である。

そして今回は、シャンソンの五十枚程度である。

一枚、一枚を居間に載せる度に、その時の思い出が蘇る・・。

レコードからカセット・テープ、そしてCDと三代にわたって、
私の音楽棚を及んでいる。
昨今の状況で、CDが圧倒的に多い。
この三代にわたってある曲は、長年飽きずに聴いていることになる。
今、手元にあるのは、

シャンソンは、バルバラ、金子由香利。
クラシックは、モーツァルトの一部。

私が最も好きなひとりとして、中島みゆき、であるが、
この人に傾倒したのはカセット・テープの時代からだった。

ポピュラーの多くは、同僚に上げたし、四十年近い収集で
三代にわたるアルバムは少ない。
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『ナントに雨が降る』の想いで。 最終回

2005-05-21 11:57:00 | 定年後の思い
私はそれまでのシャンソンの知識は、越路吹雪、岸洋子ぐらいは知っていた。
本場のシャンソンとしては、ダミアの『暗い日曜日』が私の先代の人たちが夢中になったり、
ジュリエット・グレコとか、やはりエディット・ピアフに尽きる、とかはあくまで知識としてである。

このバルバラの『ナントに雨が降る』には、私の屈折の多い青春と
父を幼児の時に死去された想いか、傾倒した。


   『ナントに雨が降る』

           訳詩・永田文夫

♪ナントに雨が降る
 私を放ってほしい
 ナントの空は 私の心を悲しくしてしまう

 ちょうど一年前の
 そんな朝
 ナントの街は やはりどんよりとして
 私が駅から出た時
 今まできたことがなかった街は
 私にとっては見知らぬ街
 メッセージが来なければ
 旅行などしなかったでしょう

 ”マダム、グランジュ・オー・ルー通り25番地へ
 お越し下さい
 忙いで! 希望はあまりありません
 彼の最期の時に
 あなたに会いたいといいました”

 長い長い放浪の後
 やっと彼は私の心の中へ戻ってき
 彼の叫びは沈黙を破り・・
 彼が去ってしまってから
 長い間、私はこの放浪者、この不明者を
 待っていた

 ああ ついに彼は私のところへ戻ってきた
 グランジュ・オー・ルー通り25番地
 私はあの出会いをなつかしく思い出し
 廊下の奥にあったこの部屋を
 思い出の中に深く刻みこんだ

 私が行くと、暖炉のそばに座っていた
 4人の男が立ち上がり
 部屋の明かりは寒くて白く
 彼等は晴れ着を着ていた

 その見知らぬ人たちに
 何も質問せず
 何も言わず、ただ彼等をみただけで
 私はすでにもう遅すぎたことが解った
 それでも私はそこにいた

 グランジュ・オー・ルー通り25番地に
 彼はもう決して私に会うことなく
 すでに世を去っていた

 さあ これがあなたの知っている物語
 彼がある晩戻ってきて
 それが彼の最後の旅
 最後の岸辺になってしまった

 彼が死ぬ前に
 私の微笑で暖まりたがっていた
 けれどその夜のうちにこの世を
 去ってしまった彼

 別れの言葉も ”ジュ・テーム”もいわないで・・
 海に続く道にある
 石の庭に横たわって
 安らかに眠ることを祈ります
 私は彼をバラの花の下に横たえた
 神よ、神よ・・

 ナントに雨が降る
 そして私は思い出す
 ナントの空は
 私の心を悲しくしてしまう・・


この歌は、父の死をしみじみバルバラ自身が綴り、唄ったものです。

この時のレコードから聴こえたのは、フランスの原語であったが、何となく歌詞の概要は解り、
職場であったが、目頭が熱くなった。

その後、バルバラに傾倒して、アルバムのレコードが12枚聴き込んだころになると、
『黒いワシ』の異色作品を携え、日本に来日した。
日生ホールで公演された。

いずれにしても、このバルバラの『ナントに雨が降る』が
シャンソンに傾倒する十年間の始まりだった・・。


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半化粧の想いを託して♪

2005-05-17 09:39:40 | 定年後の思い
昨日の日中、庭の手入れをした。

草むしりをしている時、蕗(ふき)の群生が伸び放題に成っていたので、
少し間引いた。

その中に、半化粧の草花が二十センチほどが七本あった。

この草花は、半夏生ともいわれ、夏至から少し経った頃に、
葉が半分ほどに白くなる。

入梅の終る頃になると、トカゲの尾のような紐状の白っぽく、
中に薄い黄色の花序が咲き、
花序の付近の葉が白くなる不思議な草花である。

入梅のうっとしい季節の中で、雨に濡れたこの草花は、
色っぽい草花である。

やがて花が咲き終わり、夏の盛りになると、白い葉はごく普通の緑に変化する。

まるで女性の移ろいやすい気持ちと仕草を表わしている草花である。

秋の終わりになると、地上の葉は枯れ始め、根は地中の中で冬を迎える。

この草花も私の好きな草花のひとつである。
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東京の郊外では・・♪

2005-05-15 15:38:35 | 定年後の思い
東京の郊外では、早朝はどんよりとした曇り空であった。

午前中、曇り時々小雨が降り、昼になると薄陽が射して

晴れ間が広がってきた・・。

午後の三時になると、雨が突然強く降ってきて、雷がなった。

全く変な天気である。

今、また落雷の音が遠方で鳴っている・・。
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躑躅(つつじ)の咲く寺♪

2005-05-14 17:43:24 | 旅のあれこれ
家内と家内の母と三人で、那須塩原温泉に滞在した。

ときたま三人で旅行をする。

旅行先では家内と家内の母の二人連れで観光周遊をし、
私は一人で散策することが多い。

今回の滞在でも、このパターンにした。

婦女子の観る観光地と私の観る観光地とは、少しの差異があったからだ。

私は事前に下調べをして、その地にゆっくりと観て、感じて、思索したりする。


温泉の繁華街のはずれに、妙雲寺があった。

牡丹(ぼたん)の寺、と別称される寺であり、
牡丹が数多く、庭園、墓地、墓地から里山の中腹まで植わっていた。

大半は蕾から三分咲きであったが、中には満開の華麗な花もあった。
私は牡丹には、華やか過ぎるので余り興味がなかった。
むしろ蕾、一分咲きに、ほのかな色香を感じた・・。

山門から庭園に抜ける時、小川があり、清流が溢れるような勢いで流れていた。
その側に、純白の水芭蕉の群生があり、清純な色合いを湛(たた)えていた。

庭園から墓地にかけて、牡丹の群生の所々に躑躅が咲いていた。
薄いピンクのやしお躑躅、オレンジの花の蓮華(れんげ)躑躅が
七分咲きから満開に咲き誇っていた。
中には紅色した躑躅もあり、私の心を充たしてくれた。

墓地の中心には、池の庭園があり、臨時の茶席があった。

抹茶は避けて、煎茶とお酒を頂いた。
檀家のご婦人方が接客していた。
五十前後のご婦人と話がはずみ、お酒のお替りをした。
このご婦人は、容姿が整い、顔立ちも美人だった。
このとき、草もちを運び入れた娘さんが近ずいてきた。
『この地は、美人が多いですね・・』と私は五十前後のご婦人に言った。
『この子、私の姪っ子です・・』と言った。

帰り際、草もちを二包み買い求め、家内と家内の母へのお土産とした。
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明日から温泉地に滞在しま~す♪

2005-05-08 18:19:36 | 旅のあれこれ
家内の母と家内とで、温泉旅行に行きます。

家内の父が昨年の秋に死去され、家内の母が一人住まいとなり、

ときたま私共は、三人で旅行に行っています。


今回の旅行は、

『二泊三日』という私の案は、

『四泊五日』の家内の案に妥協しました。

ブログの皆様に逢えなくなる、という主張は、

家内から一蹴されました《泣》

家内は、食事、掃除、洗濯の権利を保有していますので、

怖い存在です《泣》

人生は、実は家内でした・・には、妥協するとき、しばしば有ります《笑》

従って、この日記も13日(金曜日)まで、休載します《泣》


この間、このブログの日記に『中国の発展から、教示してくれること』を

六回に分けて綴りました。

特に最終回は、私には珍しい国家について触れていますので、

ご一読の上、ご笑話頂けたら、幸いです。
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中国の発展から、教示してくれること。  最終回

2005-05-08 16:26:13 | 時事【政治・経済】等
以上、長らく転記してきました。

このレスター・ブラウン氏は、歴史学者のポール・ケネディ氏と同様に、
具体的に数量で今後の中国の発展を示し、地球規模で急速に経済的地位を
向上させた場合、何が起こるかを提示した論文である。

私は、この中国、インドが発展し続けた時、レスター氏も危惧されているが、
ある資源をあらゆる国が同時に争う時、果たして日本は・・当然において、
思考する次第です。

欧米の先進国、中国の国益に基づいた戦略、そして戦術は存在します。
日本の場合は、戦略がなく、戦術のみです。
特に地理的に中国と近い日本は、中国のアジアにおける覇権を目指していますが、
果たして《戦略に近いもの》が、具体的に実施されるでしょうか。

ここ数十年の日本が中国との国家間を傍観して見ていますが、
ちょっと生ぬるい総合外交です。

総合外交は国家間の争いの場合、戦争をくい止める防波堤、
と歴史から私は学んでいます。

果たして日本は、国益がありような総合施策を採ってきたように、
思えない次第です。

戦略なき国家は、オランダが繁栄後、イギリスの国益に基づく戦略で
衰退した例もある。

果たして日本は、たとえば食糧の国家間の争奪の時、対抗し、
国民を餓死させない保障はあるか、という事です。

過去の歴史を学ぶことも重要なことです。


昨今、社会状況を傍観して、山川草木を生活の基軸にしている私が、
ふうっと思った次第ですから、
ご笑話して下さい。
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中国の発展から、教示してくれること。  その⑤

2005-05-08 15:21:08 | 時事【政治・経済】等
しかも我々ほ、地球の自然環境が持続的に再生産できるものを、はるかに超えて消費している。
過剰な伐採や農耕、地下水のくみ上げ、牧畜、漁獲を行う時、
我々は自然の恵みの余禄を消費するだけでなく、その元本をもむさぼっている。

経済と同様に生態系においても、これは破産への道である。


中国は、新たな経済モデルが必要なことを教えている。
それは化石燃料にら依存せず、風力や水力、地熱エネルギー、太陽電池、太陽熱発電、
生物燃料などを含む、再生可能なエネルギー資源を活用する事である。

新エネルギーを探すのは、石油地質学者ではなく、風力気象学者の役割である。

建築の設計には、エネルギー建築学者が参加するようになるに違いない。


この新しい経済の中で用いられる交通手段は、自動車ではなく、
最大限の機動性を図るものになるだろう。

この新経済は、あらゆる種類の資材を再活用し、再循環させる。

工業の製造過程と製品の設計は、ゼロ排気とゼロ廃棄を目標にすることになる。


「現状維持」という選択肢は、もはや命脈が尽きた。
我々は直ちに別の道に向かう必要がある。

石油、穀物、そして原材料の枯渇が、
経済不安と政治紛争をもたらし、
経済発展の基盤となる社会秩序を混乱に緒と陥れる前に、
そうしなければならない。


《続く》
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中国の発展から、教示してくれること。  その④

2005-05-08 14:35:40 | 時事【政治・経済】等
車はどうなるか。
もし中国の自家用車保有台数が、米国並みの一人当たり0.77台になれば、
2031年の総保有台数は11億台となり、今の世界全体の総数7億9500万台を、
はるかに上回る。

これほど大量の車のために一般道路や高速道路、駐車場などを舗装するとすれば、
その広さは、現在の中国の稲作面積に近いものになるだろう。


以上の予測は、中国の使い過ぎを非難するためのものでない。

人類の大きな部分が、地球規模で急速に経済的地位を向上させると、
何が起きるかを知るためのものである。

欧米の経済発展モデルは、化石燃料を基盤とし、自動車に依存する使い捨て経済だが、
これは中国では機能しない。
要するに充分な資源が存在しないからである。

もし中国で機能しなければ、年率7%で経済成長し、
2030年までに人口が中国を追い越すとされるインドでも機能しないだろう。

「米国の夢」にあこがれる、そのほかの発展途上諸国の30億人にとってもまた、
機能しないだろう。

そして、地球規模の経済一体化がますます進み、
縮小しつつある資源をあらゆる国が同時に争う時、
いま豊かな工業社会に暮らしている12億人にとってもまた、
この経済モデルが機能し続けることはないだろう。

それが恐らく、最も重要なことである。


現在の経済モデルでは、経済発展を維持し得ない。
先進諸国がそれに早く気付けば気付くほど、良い結果を全世界にもたらすだろう。

現在の消費水準が地球に及ぼす負担はあまりにも大きく、
現代の産業経済が依存するエネルギー資源と鉱物資源は、
急速に枯渇しつつある。


《続く》
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中国の発展から、教示してくれること。  その③

2005-05-08 13:33:45 | 時事【政治・経済】等
2004年、米国の1人当たり食肉消費量は125キログラムだった。
2031年の中国がこの水準に達するとすれば、
年間消費量は現在の6400万トンから1億8100万トンに増加する。

これは、目下の世界食肉生産量の2億3900万トンの、ほば5分4に相当する。


エネルギー関連の数字は、さらに驚くべきものである。
もし中国が、今の米国並みの割合で石油を使えば、
2031年までに、日量9900万バレルの石油が必要となる。
目下、世界の石油生産量は日量7900万バレルであり、
これを大きく超えるのは無理かもしれない。


石炭も同様である。
もし中国の石炭使用量が、現在の米国並みの1人当たり2トンに達すれば、
使用総量は年間28億トンとなり、現在の世界総生産量25億トンを上回ることになる。


これほど大量の化石燃料を燃やせば、息苦しくなるだけでは済まない。
中国による化石燃料の使用から生じる炭素俳出量だけでも、現在の世界全体と並ぶだろう。
手に負えないほど急速な気候変動が発生し、食糧安全保障を脅かし、
沿岸部の都市を水浸しにするのかもしれない。


また、中国の1人当たり鉄鋼消費量が米国並みに増えることは、
総使用量が、現在の2億5800万トンから、5億1100万トンに跳ね上がることを意味する。これは、欧米先進諸国全体の現消費量に匹敵する。


さらに、近代化のもう一つのむ指標である紙の使用量を見てみよう。
現在、年間わずか27キログラムの1人当たり使用量が、
2031年に今の米国並みの210キログラムに増加すれば、
中国は3億300万トンの紙を必要とする。
これは、目下の世界総生産量1億5700万トンの、ほぼ倍である。
世界中の森林が消えるだろう。


《続く》
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中国の発展から、教示してくれること。  その②

2005-05-08 12:31:00 | 時事【政治・経済】等
中国経済は、1978に大規模改革を初めて以来、
26年間にわたって、年率9.5%の急速な成長を遂げてきた。

今後8%成長を続くとすれば、経済規模は9年ごとに倍となり、
2031年、推定人口は14億5000万の中国人の年間所得は、3万8000ドルに達する。

控えめに6%成長を仮定すれば、経済は12年ごとに倍となり、2040年に、
現在の米国の所得に追い付く。


ここでは8%成長を前提に、2031年の中国が、今の米国並みの貪欲さで資源を
消費すると仮定したい。

肉や牛乳、卵が豊富な米国風の食事を維持するのに必要な、一人当たり穀物消費量は、
現在の291キログラムから935キログラムに上昇する。

2031年の中国は、2004年の3億8200トンを大幅に上回り、
13億5200トンの穀物を消費することになる。

2004年、世界全体の穀物収穫量は、20億トン強だった。
これは、その3分2に等しい数字である。


いま世界に存在する耕地の生産性を高かめることには限界がある。

中国の消費に応えるために10億トンの穀物を追加生産するとすれば、
ブラジルに残存する熱帯雨林の大部分に相当する広さを穀物生産用の耕地に変えることになる。
もちろんこれは、開墾した土地が農耕に堪えることを前提にしての話である。


《続く》
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