夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

偏(ひとえ)に数多くの諸兄諸姉に感謝を重ねながら、改めて良きお年をお迎え下さい!!

2015-12-31 09:50:45 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であり、
民間の中小業の会社を35年近く奮戦して,2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
私の半生は、何かと劣等感と屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・と思いながら
定年後は年金生活を始めた・・。

年金生活を始めて、まもなく偶然にブログの世界を知り、丸11年が過ぎて、早や12年生となり、
結果的には、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
            
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
               
       
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。    
       
ここ5年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くのお方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
                      

こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ7年ぐらい殆どの方が、心ある写真を添付されたりしてきた。

そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。

特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。

過ぎし2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。
               
                 
私は数多くの50代以上の諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。
               

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。

或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。

何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。
               

今年も社会に於いては、余りにも悲惨な出来事が多く、私は悲嘆したり、憂(うれ)いたりしましたが、
来年こそは、明るいニュースで数多くの方と共に微笑んだりしたい、と祈願しています。

改めて諸兄諸姉には感謝を重ね、良きお年をお迎え下さい。

                  2015年(平成27年)12月31日
                               『夢逢人』

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齢ばかり重ねた年金生活の我が家、年末年始は酒宴の夜が続き、老ボーイの微苦笑して・・。

2015-12-30 13:21:30 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私の父は私が小学2年生の時に病死され、母は私が54歳の時に病死され、
家内の父は私が定年退職した2004年(平成16年)の秋の直前に病死し、
家内の母は我が家より遠方で、一軒屋に独り住まいとなった。

そして私は定年後に多々の理由で年金生活を始めてまもない時、
私たち夫婦は家内の母に、年末年始の期間は我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から丸11年が過ぎ、早や12年を迎えている。

今年も家内の母には、28日の夕方に来宅して貰い、私たち夫婦と3人で年末を過ごし、
新年を迎え、3日の午前中に帰宅される。

我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵(こたつ)で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。

そして家内は高齢者の家内の母を案じて、布団はマットレスを敷いた上に、敷布団を2枚敷たりしてきたが、
確か4年前から膝(ひざ)を悪化してきたので、ベットの代わりに敷布団を8枚ぐらい敷き、
この間にホームセンターで買い求めた堅牢な戸板を入れて安定させて、休んで頂ただいてきた。

しかしながら昨年の12月下旬、家内は二階に干した敷布団を一階に降ろす時、
階段を踏み外して一階までの17段を転落し、私たち夫婦はお互いに動顛した苦い体験もあり、
再発防止、そして体力の疲労も配慮し、簡易ベットにしょう、と私たちは話し合ったりしてきた。

そして新聞の折込チラシに、我が家では初めて知る『ニトリ』で、廉(やす)いベットが掲載され、
少し大きめのベットを買い求めたりしてきた。

こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。
               

家内の母は、私より14歳ばかり齢上で、今や85歳の身となっているが、
80歳を過ぎた頃から、膝(ひざ)が悪化して、杖(つえ)を突く身となった。

こうした事情から、家内の母が炬燵(こたつ)に入いる時、膝(ひざ)に負担がないように、
私たち夫婦は椅子を探し、そして料理を食べやすいように炬燵(こたつ)のテーブルの上に、
簡易な食卓テーブルを買い求めたりしてきた。

こうした家内の母が椅子に座り、簡易な食卓テーブルで料理を食べたりすると、
私たち夫婦は炬燵(こたつ)に入ると、家内の母に対して見上げるようになり、
家内の母からすれば、私たち夫婦を見下ろすような状態となり、従者を従えているようとなった。

私は当初、家内の母のこうした状態に、畏(おそ)れ多くも昭和天皇の皇后陛下様のように、
思い重ねて微苦笑したりした。

ここ数年の私は、畳とか座布団に座ることに、膝(ひざ)に負担を感じることとなり、
こうした時は炬燵(こたつ)に入らず、私たち夫婦が食事などを頂いている居間の食卓テーブルにある椅子に座り、
炬燵(こたつ)に入っている家内と家内の母に向かって、明るく大きな声で談笑してきたりしている。
               

一昨日の28日、家内の妹に引率されながら家内の母は、定例の病院でリハビリと我が家の最寄駅まで来て頂いて、
料理をしていた家内が最寄駅に出向き、家内の妹から引き継いで、我が家に何とか到着した。

やがて夕食の家内たちはビールを呑み、私はウィスキーを濃い水割りとして、
御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、談笑を重ねたりした。

そして昨夜も酒宴の真似事を私たちは行い、家内の母が帰宅する前夜まで続く・・。

こうした中で、大晦日(おおみそか)の夜に年を取ることを祝って行う儀式の『お年取り』をしたりしてきた。
しかし殆どは、酒宴の真似事と同じだ、と私は微笑んだりしている。

私は結婚する前は、私の生家は大晦日の夜は『年越し蕎麦』の習わしであったが、
家内の実家が『お年取り』をされていたので、私たちが新婚の頃、家内の実家に招待されて、
数多くの料理を食べながら、お酒を呑み、談笑を重ねたり習慣に、私は最初の頃に驚いたりした。

やがて我が家でも、大晦日の夜は『お年取り』をして、早や30数年が過ぎている。
               

私たちの28日から新年の2日までの酒宴の真似事は、
家内の母は85歳、私は71歳、そして家内は66歳となった今、
それぞれ高齢者の身であるが、この一年のその人なりのささやかな出来事を話したりする。

家内の母は膝(ひざ)と腰(こし)を悪化して、入院したり、その後の通院で、
いずれも家内と家内の妹と交互に、付き添われて治療を受けている日々・・。

或いは私が白内障の手術を受けて、幸いにも視力1・0前後となり、
酷(ひど)い近眼で長年メガネを愛用してきた私が、メガネが不要となり、戸惑ったりしている。

このようなことお互いに話題が泉のように尽(つ)きないが、
家内の母は昼下がりに、3時間ぐらい昼寝をしているので、元気溌剌で応答し、
私は戸惑いながら微苦笑を重ねたりしている・・。

ここ28日、そして29日は、私たち3人は夜の9時半過ぎに酒宴の真似事を終り、
この後は家内の母と家内は、母と娘の時間と私は思い、
私は2階にある寝室で、布団にもぐり読書をしているうちに眠ってしまったした。

このように齢ばかり重ねた年金生活の我が家、今年も年末年始は酒宴の夜が続き、老ボーイの微苦笑している。

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年の瀬、体力の衰えた老ボーイの私でも、家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、奮戦!?

2015-12-29 10:54:32 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

平素の買物メール老ボーイの私は、家内から依頼された品を買い求める為に、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店を廻ったりしているが、
年始に伴い、家内が簡素であるが御節(おせち)料理の真似事をするので、
家内の要請のひと声に基づき、買物メール老ボーイの私は、駅前のスーパー、専門店に出陣回数が多くなっている。

或いは家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、
駅前に買物に幾たびか同行するが、家内はその後に料理の重責となるのが、毎年の習わしとなっている。
               

昨日の28日の月曜日は、『官庁御用納め』と思われ、
働いて下さる多くの諸兄諸姉は、年末年始休暇は29日の火曜日から新年の1月3日の日曜日までかしら、と思ったりした。

そして私は現役サラリーマン時代は、民間の中小業に勤めていた時は、
『官庁御用納め』に準拠し、『仕事納め』となったりすることが多かったが、
外資系の為か年の決算月もあり、疲れ果てながら30日頃まで奮戦することが多かったりした。

昨今の民間サラリーマン諸兄諸姉の多くは、短期に成果が問われる時代で、
更に常時リストラの過酷な時代の為、せめて年末年始の時ぐらいは、
愛する妻と可愛いお子様とゆっくりとお過ごし下さい、と諸兄に無力な私でも祈願した。
                               

今朝、のんびりと家内と朝食を頂き、30分ぐらい過ぎた頃、
家内は新聞の折込みに入っていた数多くのスーパーのチラシを見たりした・・。

こうした中で、このスーパー・・新鮮そうでお廉(やす)いわ、と呟(つぶや)くように私に言ったりした。

まもなく、家内は駅前にあるXXスーパーのチラシを持ちながら、
『昼ごろに行きましょうか?』
と私に言ったりした。

『結構ですねぇ・・行きましょう!』
と私は現役サラリーマン時代の緊張感から解放されて、早や11年が過ぎいるが、
体力の衰えも感じている中、せめてボケてはいけないと思い、明るく返事をした。

本日、目指す駅前にあるXXスーパーは、我が家から徒歩20分ぐらいにあり、
路線バスは頻繁に10分ごとに利便性はあるが、殆ど私たち夫婦は歩いて往還したりしている。

しかしながら家内は、駅前に共に行くと、3つばかりあるスーパー、パン専門店、ドラッグストアー、百円ショップ、
そしてホームセンターなどを見たりする習性があるので、
体力の衰えた老ボーイの私は、家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで疲れることが、多くなったりしてきた。

こうした時、平素の時は私は家内のボディガードを一時放棄して、
本屋に寄ったり、コーヒーショップ『ドトール』でコーヒーを飲んだりし、
待ち合わせをしたりしてきた。

しかし今回は御節(おせち)の単品用の刺身などを買い求める為であり、
いち早く我が家の冷蔵庫に保管する短期決戦となるので、
つかず離れず逐次、家内のお供、そして荷物持ちとなることが予期される。
               

このようなことをぼんやりと私は思い馳せていた時、
『12時過ぎに、家を出ましょうねぇ・・』
と家内は私に言ったりした。

『はい! 了解致しました!』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく返事をしている。

果たして本日は・・と私は微苦笑したりしている。

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「日本の借金1000兆円」はウソで、財政再建は2016年で実質完了する寄稿文を読み、驚愕して喜び・・。

2015-12-28 14:03:08 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
政治・経済も疎(うと)いが、少子高齢化の中で、日本の借金は1000兆円を越えている、
と幾たびも新聞など学んだりしてきた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

昨今、ファイナンシャル・プランナーの紀平正幸さんから、年金の受給額が年々減っていることを学んだりした。
「夫婦2人の場合、20年前の受給額は平均して年金300万円だったのが、現在は220万円になったと言われる。
つまり、3割近く減ったのです。

ところが生活費は、ここ20年ほど年間300万円で変わっていません。
つまり、普通に生活するだけで、1年で80万円の赤字になってしまいます。
60歳の夫婦が90歳まで生きれば、2400万円の赤字が確定するんです」

このような実態を学び、年金生活12年生の私は苦笑したりしたりした。
                              

或いは最近、『週刊新潮』2015年12月24日号に於いては、
『中年フリーターの「老後破産」で生活保護費が5倍に』を読み、
私はやがて20数年後は、日本財政は更に悪化すると動顛したりした・・。

《・・厚生労働省によると、雇用者に占める非正規雇用者の割合、すなわち非正規雇用率は、
80年代半ばには10数%だったものが、今年は40%近くにまで達している。
いまや、この国の労働力の5人に2人、実に2000万人以上が非正規雇用者というのが実情なのだ。

労働経済ジャーナリストの小林美希氏が予測されると、
「2008年に政策研究機関であるNIRA(総合研究開発機構)が発表したレポートでは、
今後、就職氷河期世代が老人になった際には、生活保護に必要な予算が、約17兆から19兆円にのぼると試算されていました。
非正規雇用の人々が現状のまま放置されつづければ、実際にそのくらい、あるいは、それ以上のコストがかかることになってしまうでしょう」

ここ数年、生活保護の給付総額は年間3兆円台だから、その増加ぶりは、すさまじいばかりだ。
17兆円といえば、先ごろ新規上場した郵政3社株の時価総額と、ほぼ同額であるが、
それ以上に、日本の一般会計予算の5分の1に近い金額だと言ったほうが、より衝撃的かもしれない。

それほどの巨費が、単年度の生活保護費として必要になるというのだ。
しかも、それらはまさに、中年フリーターたちの“老後破産対策費”と呼ぶべきものなのである。・・》

このような記事を読み、無力な私でも果たして日本財政はどうなるか、憂いたりしてきた。
               

早朝のひととき、私が愛読している講談社の基幹サイトのひとつの【現代ビジネス 】を見たりし、
《 「日本の借金1000兆円」はやっぱりウソでした
       ~それどころか…なんと2016年、財政再建は実質完了してしまう! 
               この国のバランスシートを徹底分析 》と見出しを見て、
どのような理由で・・と驚愕しながら、 精読した・・。

この原文は【現代ビジネス 】の中で、『ニュースの深層』で高橋洋一氏が定例寄稿文を寄せられている。

高橋洋一(たかはし・よういち)氏の略歴は、1955年、東京生まれ。
80年、大蔵省(現財務省)入省、理財局資金企画室長、内閣参事官など歴任。
小泉内閣、安倍内閣では 「改革の司令塔」として活躍。07年には財務省が隠す「埋蔵金」を公表、08年に山本七平賞受賞。
政策シンクタンク「政策工房」会長、嘉悦大学教授。

このような確かな御方であるので、信頼できる寄稿文である、
そして私と同様に、「日本の借金1000兆円」と思っている方に、読んで頂きたく、無断ながら記事を転載させて頂く。
               
《・・
☆鳥越俊太郎氏もダマされていた

先週26日(土曜日)、大阪朝日放送の番組「正義のミカタ」に出た。
大阪のニュース情報番組だが、東京とは違って、自由な面白さがある。
そこで、「日本経済の諸悪の根源はZ」というコーナーをやった。Zとは財務省である。

その中で筆者が強調したのは「借金1000兆円のウソ」である。
借金が1000兆円もあるので、増税しないと、財政破綻になるという、
ほとんどのマスコミが信じている財務省の言い分が、正しくないと指摘したのだ。

借金1000兆円、国民一人当たりに直すと800万円になる。
みなさん、こんな借金を自分の子や孫に背負わせていいのか。
借金を返すためには増税が必要だ。
こんなセリフは誰でも聞いたことがあるだろう。
財務省が1980年代の頃から、繰り返してきたものだ。

テレビ番組は時間も少ないので、簡単に話した。
「借金1000兆円というが、政府内にある資産を考慮すれば500兆円。
政府の関係会社も考慮して連結してみると200兆円になる。
これは先進国と比較してもたいした数字ではない」

これに対して、番組内で、ゲストの鳥越俊太郎さんから、
「資産といっても処分できないものばかりでしょう」と反論があった。
それに対して、多くの資産は金融資産なので換金できる、といった。

筆者がこう言うのを財務省も知っているので、財務省は多くのテレビ関係者に対して、
「資産は売れないものばかり」というレクをしている。
鳥越さんも直接レクされたかがどうかは定かでないが、財務省の反論を言ってきたのには、笑ってしまった。

番組が昼にかかり15分くらいの休憩があった。
そのとき、鳥越さんから、「金融資産とは何ですか」と筆者に聞いてきた。

「政策投資銀行(旧日本開発銀行)やUR都市機構(旧住都公団)などの特殊法人、独立行政法人に対する貸付金、出資金です」と答えた。
それに対して「それらを回収したらどうなるの」とさらに聞かれたので、
「民営化か廃止すれば、回収ということになるが、それらへの天下りができなくなる」と答えた。

このやりとりを聞いていた他の出演者は、CM中のほうがためになる話が多いといっていた。
実際に、番組中で言うつもりだったが、時間の都合でカットせざるを得なくなった部分だ。

借金1000兆円。これは二つの観点から間違っている。
               

☆巨額な政府資産に驚くなかれ

バランスシートの左側を見てみれば…
第一に、バランスシートの右側の負債しか、言っていない。
今から20年近く前に、財政投融資のALM(資産負債管理)を行うために、国のバランスシートを作る必要があった。
当時、主計局から余計なことをするなと言われながらも、私は財政投融資が抱えていた巨額の金利リスクを解消するために、
国のバランスシートを初めて作った。

財政が危ういという、当時の大蔵省の主張は、ウソだったことはすぐにわかった。
ただし、現役の大蔵官僚であったので、対外的に言うことはなかった。

筆者の作った国のバランスシートは、大蔵省だからか「お蔵入り」になったが、
世界の趨勢から、その5年くらい後から試案として、10年くらい後から正式版として、財務省も公表せざるを得なくなった。
今年3月に、2013年度版国の財務書類が公表されている。

その2013年度末の国のバランスシートを見ると、資産は総計653兆円。
そのうち、現預金19兆円、有価証券129兆円、貸付金138兆円、出資66兆円、
計352兆円が比較的換金可能な金融資産である。
そのほかに、有形固定資産178兆円、運用寄託金105兆円、その他18兆円。

負債は1143兆円。
その内訳は、公債856兆円、政府短期証券102兆円、借入金28兆円、これらがいわゆる国の借金で計976兆円。
運用寄託金の見合い負債である公的年金預り金112兆円、その他45兆円。

ネット国債(負債の総額から資産を引いた額。
つまり、1143兆円-653兆円)は490兆円を占める。

先進国と比較して、日本政府のバランスシートの特徴を言えば、政府資産が巨額なことだ。
政府資産額としては世界一である。
政府資産の中身についても、比較的換金可能な金融資産の割合が、きわめて大きいのが特徴的だ。

なお、貸付金や出資金の明細は、国の財務書類に詳しく記されているが、そこが各省の天下り先になっている。
実は、財務省所管の貸付先は、他省庁に比べて突出して多い。
このため、財務省は各省庁の所管法人にも天下れるので、天下りの範囲は他省庁より広い。
要するに、「カネを付けるから天下りもよろしく」ということだ。
               

☆財政再建は、実は完了している?

第二の問題点は、政府内の子会社を連結していないことだ。
筆者がバランスシートを作成した当時から、単体ベースと連結ベースのものを作っていた。
現在も、2013年度版連結財務書類として公表されている。

それを見ると、ネット国債は451兆円となっている。
単体ベースの490兆円よりは少なくなっている。

ただし、この連結ベースには、大きな欠陥がある。
日銀が含まれていないのだ。
日銀への出資比率は5割を超え、様々な監督権限もあるので、まぎれもなく、日銀は政府の子会社である。

経済学でも、日銀と政府は「広い意味の政府」とまとめて、一体のものとして分析している。
これを統合政府というが、会計的な観点から言えば、日銀を連結対象としない理由はない。
筆者は、日銀を連結対象から除いた理由は知らないが、連結対象として含めた場合のバランスシート作ることはできる。

2013年度末の日銀のバランスシートを見ると、資産は総計241兆円、そのうち国債が198兆円である。
負債も241兆円で、そのうち発行銀行券87兆円、当座預金129兆円である。

そこで、日銀も含めた連結ベースでは、ネット国債は253兆円である(2014.3.31末)。

直近ではどうなるだろうか。
直近の日銀の営業毎旬報告を見ると、資産として国債328兆円、負債として日銀券96兆円、当座預金248兆円となっている。

直近の政府のバランスシートがわからないので、正確にはいえないが、
あえて概数でいえば、日銀も含めた連結ベースのネット国債は、150~200兆円程度であろう。
そのまま行くと、近い将来には、ネット国債はゼロに近くなるだろう。

それに加えて、市中の国債は少なく、
資産の裏付けのあるものばかりになるので、ある意味で財政再建が完了したともいえるのだ。

ここで、「日銀券や当座預金も債務だ」という反論が出てくる。
これはもちろん債務であるが、国債と違って無利子である。
しかも償還期限もない。
この点は国債と違って、広い意味の政府の負担を考える際に重要である。
               

☆滑稽すぎる 「日本の財政は破綻する」論

このようにバランスシートで見ると、日銀の量的緩和の意味が、はっきりする。

政府と日銀の連結バランスシートを見ると、資産側は変化なし、負債側は国債減、日銀券(政府当座預金を含む)増となる。
つまり、量的緩和は、政府と日銀を統合政府で見たとき、負債構成の変化であり、
有利子の国債から、無利子の日銀券への転換ということだ。

このため、毎年転換分の利子相当の差益が発生する(これをシニョレッジ〔通貨発行益〕という。
毎年の差益を現在価値で合算すると、量的緩和額になる)。

また、政府からの日銀への利払いは、ただちに納付金となるので、
政府にとって日銀保有分の国債は、債務でないのも同然になる。
これで、連結ベースの国債額は、減少するわけだ。

量的緩和が、政府と日銀の連結バランスシートにおける負債構成の変化で、
シニョレッジ〔通貨発行益〕を稼げるメリットがある。

と同時にデメリットもある。
それはシニョレッジ〔通貨発行益〕を大きくすればするほど、インフレになるということだ。
だから、デフレの時にはシニョレッジ〔通貨発行益〕を増やせるが、インフレの時には限界がある。

その限界を決めるのが、インフレ目標である。
インフレ目標の範囲内であればデメリットはないが、超えるとデメリットになる。

幸いなことに、今のところ、デメリットはなく、実質的な国債が減少している状態だ。
               

こう考えてみると、財務省が借金1000兆円と言い、「だから消費増税が必要」と国民に迫るのは、
前提が間違っているので、暴力的な脅しでしかない。
実質的に借金は150~200兆円程度、GDP比で30~40%程度だろう。

ちなみに、アメリカ、イギリスで、中央銀行と連結したネット国債をGDP比でみよう。
アメリカで80%、65%、イギリスは80%、60%程度である。
これを見ると、日本の財政問題が大変で、すぐにでも破綻するという意見の滑稽さがわかるだろう。

以上は、バランスシートというストックから見た財政状況であるが、
フローから見ても、日本の財政状況はそれほど心配することはない、というデータもある。

本コラムの読者であれば、筆者が名目経済成長で、プライマリー収支を改善でき、
名目経済成長を高めるのは、それほど難しくない、
財政再建には、増税ではなく経済成長が必要、と書いてきたことを覚えているだろう。

その実践として、小泉・第一安倍政権で、増税はしなかったが、プライマリー収支が、ほぼゼロとなって財政再建できた。
これは、増税を主張する財務省にとって触れられたくない事実である。
実際、マスコミは財務省の言いなりなので、この事実を指摘する人はまずいない。

さらに、来2016年度の国債発行計画を見ると、新規に市中に出回る国債は、ほぼなくなることがわかる。
これは、財政再建ができた状況と、ほぼ同じ状況だ。

こうした状態で、少しでも国債が市中に出たらどうなるのか。
金融機関も一定量の国債投資が必要なので、出回った国債は、瞬間蒸発する。
つまり、とても国債暴落という状況にならないということだ。

何しろ市中に出回る国債がほとんどないので、
「日本の財政が大変なので財政破綻、国債暴落」と言い続けてきた、
デタラメな元ディーラー評論家には、厳しい年になるだろう。
               

☆今の国債市場は「品不足」状態

2016年度の国債発行計画を見ると、総発行額162.2兆円、
その内訳は市中消化分152.2兆円、個人向け販売分2兆円、日銀乗換8兆円である。

余談だが、最後の日銀乗換は、多くの識者が禁じ手としている「日銀引受」である。
筆者が役人時代、この国債発行計画を担当していたときにもあったし、今でもある。
これは、日銀の保有国債の償還分40兆円程度まで引受可能であるが、市中枠が減少するため、
民間金融機関が国債を欲しいとして、日銀乗換分を少なめにしているはずだ。

要するに、今の国債市場は、国債の品不足なのだ。
カレンダーベース市中発行額は147兆円であるが、短国25兆円を除くと、122兆円しかない。
ここで、日銀の買いオペは新規80兆円、償還分40兆円なので、合計で120兆円。
となると、市中消化分は、最終的には、ほぼ日銀が買い尽くすことになる。

民間金融機関は、国債投資から、貸付に向かわざるを得ない。
これは日本経済にとっては望ましいことだ。
と同時に、市中には実質的に国債が出回らないので、これは財政再建ができたのと同じ効果になる。

日銀が国債を保有した場合、その利払いは直ちに政府の納付金となって財政負担なしになる。
償還も乗換をすればいいので、償還負担もない。
それが、政府と日銀を連結してみれば、国債はないに等しいというわけだ。

こういう状態で、国債金利はどうなるだろうか。
市中に出回れば瞬間蒸発状態で、国債暴落なんてあり得ない。なにしろ必ず、日銀が買うのだから。

こうした見方から見れば、2016年度予算の国債費23.6兆円の計上には、笑えてしまう。
23.6兆円は、債務償還費13.7兆円、利払費9.9兆円に分けられる。

諸外国では、減債基金は存在しない。
借金するのに、その償還のために、基金を設けて、さらに借金するのは不合理だからだ。
なので、先進国では債務償還費は計上しない。
この分は、国債発行額を膨らせるだけで無意味となり、償還分は借換債を発行すればいいからだ。

利払費9.9兆円で、その積算金利は1.6%という。
市中分がほぼなく国債は品不足なのに、そんなに高い金利になるはずない。
実は、この高い積算金利は、予算の空積(架空計上)であり、
年度の後半になると、そんなに金利が高くならないので、不用が出る。
それを補正予算の財源にするのだ。・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
               

この寄稿文を読み終わった後、「日本の借金1000兆円」は誤りで、
《・・実質的に借金は150~200兆円程度、GDP比で30~40%程度だろう。
ちなみに、アメリカ、イギリスで、中央銀行と連結したネット国債をGDP比でみよう。
アメリカで80%、65%、イギリスは80%、60%程度である。・・》
と学び、私は安堵したりした。

そして財務省は省内の権益の拡大、天下り先の確保なども含めて、どうして無知な国民を翻弄させるのょ、
と少しボケた私は微苦笑したりしている。

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自宅介護、介護サービスを活用すれば、1日プラス1000円で介護放棄を防げる、と朗報を真摯に学び・・。

2015-12-27 13:29:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昨夜のひととき、週に2回ぐらい愛読しているビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の基幹サイトで、
【 1日プラス1000円で介護放棄を防ぐ! 介護サービス利用法 】と見出しされた記事を偶然に見たりした。

そして【家計簿公開!ケース別「幸せの処方箋」】と連載記事で、今回は【自宅介護(同居)】編と知ったが、
恥ずかしながら自宅介護も未経験で、介護サービス利用法も無知であったが、
いつの日にか、齢を重ねれば遭遇することもあるので、精読した。

そして自宅介護に伴う介護サービスを活用方法、
何よりも家族が介護する場合とヘルパーさんとの相違を真摯に多々学んだりした・・。

この記事の原文は、『PRESIDENT 』の2014年5月19日号に掲載された記事のひとつで、
ノンフィクションライターの山田清機(やまだ・せいき)さんの寄稿文であり、
『PRESIDENT 』の基幹サイトに2015年12月21日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
               

《・・自宅で看るか、施設ならどこに頼るか。介護パターンの選び方によって、家族のお金と心の負担に大差がつく。
実例を通して「わが家のベスト」な選択を考えよう。

同居している家族が要介護状態になったとき、まず家族が考えることは「自分たちでなんとかしよう」ということである。
当たり前と言えば当たり前の反応だが、こうした頑張りがかえって裏目に出てしまうケースが多いという。

【ケース1】要介護5の母親と暮らす長女が介護不能に

82歳になる母親は、70代の後半から寝たきり状態になっている。
父親はすでに他界していたため、同居していた長女(59歳)が介護をすることになった。

長女は「自分の家族は自分で面倒を見るべきだ」という意識が非常に強かったため、
介護保険サービスは週1回の訪問入浴サービスしか利用していなかった。

長女自身、年を重ねるごとに体力が低下していくのを感じてはいたが、
家の中に他人が入り込んでくるのが嫌だったので、無理をして母親の介護を続けていた。

そんなある日、母親のおむつを交換するために前かがみになって
母親の体位を変えようとした瞬間、腰に激痛が走った。

ギックリ腰になってしまったのである。
数日間は、長女自身が動けない。
夫は会社勤めをしている。介護は1日たりとも休むことができない……。
               

長女は仕方なく、1日3回の訪問介護サービス受けることにし、
排泄介助と昼食の介助などをホームヘルパーに任せることにしたのである。

その結果、自身の負担だけでなく、家族全体の負担が劇的に軽減することになった。
長女が母親にかかり切りだった分、夫や子供たちが家事を分担していたのだ。

また、定期的におむつ交換をしなくてもよくなったため、
家事やテレビを中断することが少なくなって、精神的にもかなりゆとりが生まれるようになった。

このケースで増えた介護費用は1日3回(合計2時間)の訪問介護の利用料金で、
1日当たり約1100円(東京23区、自己負担1割の場合)。

訪問入浴を含めた月額費用の合計は約3万8000円である。


なぜ、同居している家族が介護保険サービスの利用を躊躇しがちかというと、
必ずしも「自分たちで面倒を見るべきだ」という意識のせいばかりではない
と訪問介護サービスの専門業者、ケアリッツ・アンド・パートナーズの宮本剛宏社長は言う。

「1番多いのは、介護費用の実態をご存じないということです。
ケース1でおわかりのように、1日3回の排泄介助サービスを受けても、1日当たり1000円程度で済んでしまうのです。
しかし、多くの人がそんなに安くやってもらえるとは思っていないのが実情です」


もうひとつの原因は、家族が介護したほうが、被介護者にとって快適であるという思い込みだ。

「特に娘さんが同居している場合、ヘルパーのやり方に対して、
『私のやり方と違う』という印象をお持ちになる場合が多いですね。

それでヘルパーさんと揉めてしまって、結局、自分で介護をすることになってしまうのです。
しかし、ヘルパーは訓練を受けたプロです。
多少やり方が違っても、ヘルパーが誤ったやり方をすることはまずありません」
               

【ケース2】要介護3で認知症が悪化

介護保険サービスの利用は、家族の負担を軽減するだけでなく、被介護者を守る場合もある……。

埼玉県でひとり暮らしをしていた85歳の母親の認知症が悪化したため、
都内で暮らしていた60代の長男夫婦が同居をすることになった。

最初は懸命に母親の世話を焼いていた長男だったが、度重なる失踪に業を煮やして、
同居して3カ月が経過した頃から、母親に暴力を振るうようになった。

やがて、介護を放棄するようになり、おむつ交換を怠るようになった。
ヘルパーが入浴介助のために週1回訪問していたが、1週間に1度もおむつを交換していなかったこともあり、
ネグレクト(介護放棄)の状態に陥っていたのである。

そこでケアマネージャーが行政と家族の三者で話し合う場を設け、
1日2回の訪問介護と週2回の通所サービス(デイサービス)を利用することを提案した。

それまでに利用していた介護保険サービスは週1回の入浴介助だけだったので、
月額費用は約2000円だった。

そこに1日2回の訪問介護と週2回の通所サービスを上乗せしたので、
介護費用は約3万3000円にアップしたが、家族の負担が大幅に減り、
長男の精神的な負担も軽減されたため、母親に対する暴力はなくなった。
               

なぜ、実の親に、暴力を振るうようになってしまうのか。
原因は心身の疲労だけではない。

「老いて介護を必要としている親に、暴力を振るうなんて信じられないと思いますが、
子供にとって親はいくつになっても親なんです。

だから、その親が認知症になったりすると、子供は精神的に強いショックを受けてしまう。
そして、何でこんなことができないんだと、憐みよりも、苛立ちや怒りを感じてしまうことが多いのです」

実の子供ならではの濃密で、複雑な感情が原因で、親に暴力を振るったり、ネグレクト(介護放棄)したりしてしまうわけだ。
逆に言えば、赤の他人であるヘルパーならば、そうした感情を抱く可能性は、少ないということになる。
そういう意味でも、介護に家族以外の第三者を介入させることは、プラスの面が大きいのである。


同居で介護保険サービスを利用する場合のポイントを、宮本社長にまとめてもらおう。
「同居家族がいる場合は、生活援助サービス(買い物など)は受けることができませんから、
そこはどうしても家族がやらなくてはなりません。

一方で、入浴介助にせよ排泄介助にせよ、専門的な訓練を受けていない人がやると、どうしても時間がかかってしまいます。
ですから同居の場合、身体介護に関しては、可能な限り介護保険サービスを利用して、プロに任せてしまったほうがいいと思いますね」

なぜかといえば、家族が限界まで頑張って、
そこからこぼれた部分を介護サービスで補うという考え方では、
生活にまったく余裕がなくなってしまうからである。

最低限の介護サービスを依頼するのではなく、プラスαのサービスを依頼するぐらいの積もりでいたほうが、
被介護者のためにもなる。

その理由は、とりも直さずヘルパーはプロだからだ。
家族が「これが快適なはずだ」という思い込みでやっている介護が、
むしろ被介護者の心身の状況を悪化させてしまうケースがよくあるのだ。

月に3万~4万円程度の出費で、家族も被介護者もハッピーになれるのなら安いものである。
まずは、いくら払えばどのような介護保険サービスを受けられるかを知ることからスタートすべきだろう。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
               

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を尊重して過ごしている。

私は71歳の身であり、私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私たち夫婦は年金生活を過ごして、丸11年が過ぎて早や12年目になっているが、
幸いにもお互いに大病に遭遇せず、過ごしてきた。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないことが多く、
私たち夫婦は38年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えて、
お互いに戦友と思いながらも、年金生活のセカンドライフは、ささやかながら安楽の日々を過ごしている。

そして私たち夫婦の最大の難題は、いつの日にか介護を必要とされる時期である。

やがて75歳以上の後期高齢者になれば、果たして介護が出来るだろう、と思い深めたりした。
ご年配の知人、亡き母から自宅での介護は何かと大変、と私は聞いたりしてきたので、
その時には、やむなく断腸の思いで、自宅を処分して、いずれかの老人ホームにお世話にならざるを得ないだろう、
と漠然と思案したりしてきた・・。

こうした思いを秘めて、老人ホームについては漠然としながらも、注視したりしている。
          
しかしながらファイナンシャルプランナーの有田美津子さんによると、
有料老人ホームの相場(家賃や食費などの月額)は地方では15万円程度。
東京都内ではそれが25万~30万円ほどに跳ね上がり、23区内ともなると40万円ほどにもなる・・》
と教示され、私も切実な難題である。
          
私たち夫婦のどちらかが、要支援になった時は、『特別養護老人ホーム(特養)』は、
介護に要する負担金は少なく済むので、 少なくとも52万人の待機者いて、
国からの公費が1人あたり年間180万円程度多くかかるともされ、
財政的に『特別養護老人ホーム(特養)』を増やし続けることは難しい、と新聞などで読んだりしてきた。

その上、原則的として要介護2以下の人は、入居は困難である。
                          

『サービス付き高齢者住宅』に関しては、入居条件は60歳以上であることだけで、
要介護度に関係なく誰でも入れる上に、要介護・要支援認定を受けていれば、60歳未満でも入居が可能。

そして 館内および部屋はバリアフリーで、日中は館内にケアの専門家の職員が常駐して、
安否確認と生活相談のサービスを提供する。

ただし、サービス付き高齢者住宅は、介護や食事、健康管理などのサポートはセットではなく、
あくまで高齢者向けの賃貸住宅である、と学んだりしてきた。


そして民間の『有料老人ホーム』に関しては、
少なくとも入所一時金は1000万円、そして毎月は最低として利用料金は20万円が要し、
更に手厚い介護を受ければ高額となり、私は溜息を重ねたりしてきた。

その上に昨今、民間の『有料老人ホーム』でも倒産が多くなったと知り、
要介護となった時の身を思い馳せると、住まいの迷子は勘弁してほしい、と思ったりした。
                          

このように迷い果てているが、今回の記事を精読して、
自宅介護に伴う介護サービスを活用方法、
何よりも家族が介護する場合とヘルパーさんとの相違を真摯に多々学んだりした・・。

そして古惚けた我が家をリフォームし、初めて学んだ介護サービスを活用方法、
ヘルパーさんにある程度は身をゆだねれば、介護する方の困窮度合が和らげる、と学んだりした。

そして要介護の度合いに応じて、リフォーム、介護補助費の制度も学び、
こうした前提には、どちらかが認知症でなく健康寿命の範囲の身で、ケアマネジャーさんに適切な依頼事項を出来れば、
長年住み慣れた思いで深い我が家で、お互いに晩年期を過ごすのも良いかしら、と今回の記事で、
私は大いに励まされたりした。

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年の瀬の前の時節、昼寝ができることは、この世で最も贅沢なひとつ、と老ボーイの私は微笑み・・。

2015-12-26 12:05:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

昨日の朝、家内が独り住まいの家内の母宅に介護に行く為に、門扉の近くで見送ったのは、朝6時であった。

しかし今回は、日帰りであったので、今年は家内は幾たびも介護で3泊4日前後で通い、
私は『おひとりさま』の生活をしてきたので、たった一日だけのお留守番か、と微笑んだりした。

世の中は25日は『クリスマス』であるが、我が家は子供もいなく、まして孫もいないで、
せめてと思いながらケーキと飾り物をしてきたが、今年に限り、何事もなく過ごしてきた。

やがて私は、家内が用意してくれた十六穀米の入った二合ばかり白米の炊飯器のスイッチを入れた後、
煎茶とコーヒーを飲みながら、配達された読売新聞の朝刊を読んだりした。
               

まもなく私はタマネギをスライスし、生ワカメとあえ、前菜として、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

そしてご飯が炊きあがった後、一合はラップに包み、やがて冷えてきたら冷蔵庫に保管し、
昼食の際、電子レンジで温めて頂いたりする。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
シャケの瓶づめで頂だいたりした。

こうした根底には、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
こよなく愛食としている。
               

この後、平素の買物と散策は中止として、総合雑誌『文藝春秋』(一月号)と『新潮45』(一月号)で、
読み残した記事を読もうかなぁ、と思ったりしたが、
ブログで、私が長年に及び愛読している方々の投稿文を二時間ばかり読んだりした。

そしていつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、やがてその御方のブログの愛読者のひとりになってきた・・。

この後、私は自身のブログの投稿文を少し思案した後、投稿したは12時過ぎであった。

やがて昼食をした後、台所で皿洗いをし、台所を清めたりした。
               

そして総合雑誌を読み始めたが、昨夜も深夜まで読書をし、今朝は早めの起床の為か、
少し眠くなったりした・・。

この後、二階の寝室で昼寝をしょうと思い、電気毛布にスイッチを入れたりした。
まもなく私は、バジャマに着替えて、温かくなった布団にもぐり、本を開き、読み始めた・・。

障子を開け、ガラス戸越しに青空が視え、久々に昼下がりに布団の中に、身をゆだねた。
やがて私は睡魔に負けて、目を閉じたら、いつまにか昼寝をした・・。

目覚めると20分ぐらいであったが、この世で最も贅沢なひとつを過ごしている、と微笑んだりした。

年の瀬の前の時節、働いて下さる諸兄諸姉は短期に成果を求められる時代、
特に年末年始の休暇前で、多忙で奮戦されているだろう、と思い馳せたりした。

私の現役サラリーマン時代は、いくつかの忘年会の真似事をしたり、外資系で12月本決算月であったので、
業務の責務を果たそうと奮闘したりしてきた。

最後の5年はリストラ烈風の中、私は出向となり、遠方の勤務地に通勤する為に、
朝の4時45分に起床して、帰宅は早くても夜の9時過ぎであった。


やがて私は起きだして、着替えた後、居間に降り立った。
               

まもなく家内は帰宅した後、夕食の時、世の中は『クリスマス』の日であるので、
一週間前の頃に、駅前のスーパーで買い求めたターキー(七面鳥)のスモーク仕上げを加えたりした。
私は濃い水割りのウィスキー、家内はワインを飲みながら、一時間半ばかり談笑し、夕食を頂いたりした。

たまたま昨日は、このような高齢夫婦の一日であったが、
私としては、何もしなくても優雅な日だった、と微苦笑したりしている。

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歳末大売り出しのチラシを見て、御節(おせち)料理を思い馳せ、年金生活の私は微苦笑を重ねて・・。

2015-12-25 12:04:42 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

今朝、配達された読売新聞に多くのチラシが添付されていた。
               

たとえば『伊勢丹』の新宿店では、『大歳の市』と称して、
《 今年を締めくくる美味も、新年の幕開けを飾る美味も。》と題して、各地の精選された食品が掲載されていた。

『京王百貨店』の新宿店でも、歳末『食品大市』と称して、
《 年末年始の祝宴にふさわしい美味を揃えました。》と題して、やはり各地の精選された食品が彩(いろど)っていた。

或いは最寄駅のひとつの成城学園前にあるスーパーの『成城石井』店に於いては、
『お正月お支度セール』と称して、
《 新しい年を迎えるご準備はお近くの成城石井で 》と副題されて、上記のデパートに甲乙しがたい精選された食品が掲載されていた。

そして上記の3店は、いずれも御節(おせち)料理が小さめに掲載されていた。


我が家の御節(おせち)料理も、ここ40年に於いて大幅に変貌してきている。
               

私の母が亡くなる1998年(平成10年)の新春の前の年までは、
家内は黒豆、栗などの素材を吟味して買い求めて、
御節(おせち)の品々を3日ぐらいで仕上げたりしていた。

そして我が家、独り住まいの私の母用に、家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
それぞれ三段のお重を20年間ばかり料理してきた。

やがて私が定年退職する2004年(平成16年)の秋の直前に、家内の父が病死し、
家内の母は独り住まいとなったので、年末年始には我が家に来て頂いている。

そして年末年始は私たち夫婦と家内の母と共に三人で過ごすのが恒例となっているが、
お互いに齢を重ねてきたので、御節料理は簡略となっている。

ここ10年は駅前、最寄りのスーパーで五店ぐらい廻り、
伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻、酢蛸(スダコ)などの単品を買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。

或いはここ10年、通信販売の盛況の中、我が家も遅ればせながら5年前からは、
製造元の現地などの販売所に連絡して、ホタテ、数の子などを購入したりしている。

このような簡略の御節料理でも、買物となれば家内なりに吟味するので、
何かと買物の時間を要してきた・・。

この間も私は家内の依頼で、買物メール老ボーイのように、スーパーなどに幾たびか出陣してきたのが、
我が家の年の瀬の実態となってきた。


そして私が定年退職した2004年(平成16年)の秋、多々の理由で年金生活を始め、
これ以来、丸11年が過ぎ、12年生となっているが、御節料理に関しての費用は、減少している。
               

昨今、ファイナンシャル・プランナーの紀平正幸さんから、年金の受給額が年々減っていることを学んだりした。
「夫婦2人の場合、20年前の受給額は平均して年金300万円だったのが、現在は220万円になったと言われる。
つまり、3割近く減ったのです。

ところが生活費は、ここ20年ほど年間300万円で変わっていません。
つまり、普通に生活するだけで、1年で80万円の赤字になってしまいます。
60歳の夫婦が90歳まで生きれば、2400万円の赤字が確定するんです」

このような実態を学び、年金生活12年生の私は苦笑したりした。


或いは明治学院大学社会学部の河合克義教授の書物からは、
「2012年に東京都港区の、75歳以上の高齢者を含む2人世帯を調査したところ、
高齢者夫婦のみの世帯については、年収250万円未満の世帯が26・3%を占めました。
4世帯に1世帯は生活保護水準に近い生活をしているのです」
               

このような悲惨な実態を学び、我が家も困窮しないように、
日常生活に於いて、必要度合いに応じて、メリハリした生活をしたダウンサイジングをしたりしてきた。

このような我が家の状況であるので、今年の御節(おせち)料理の単品買いは、
家内の指示棒で決定されるが、果たしてどうなる・・と私は思いながら微苦笑したりしている。

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都心の郊外に住む私、クリスマスイブの日なのに、11月の陽気に恵まれて、戸惑いながら微苦笑して・・。

2015-12-24 14:01:25 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
今朝、6時過ぎに玄関の軒下に降り立つと、昨夜から降り続いた雨も上がり、
この時節は日の出は6時半過ぎであり、やはり少し薄暗かった・・。

そして空を見上げると少しくすんだ青色であったで、日中は快晴が予感された。

やがて私は煎茶、家内はコーヒーを飲みながら、たまたまテレビで天気情報を視聴したりした。
朝の6時は7度、昼下がりは14度前後、そして午後6時は10度、
日中は風もなく快晴となり、11月のような暖かい陽気に恵まれる、このような意味合いを報じていた。

『クリスマスイブの日なのに、見知らぬ子供たちに、ささやかな贈り物を届けるに、サンタクロースの小父さんは
雪もなく橇(そり)も使えないので、戸惑っているよねぇ・・』
と老ボーイの私は、66歳の誕生日を数日過ぎた家内に言ったりした。
               

やがて私は8時半を過ぎた時、最寄の内科専門病院に向かった。
近くに流れている野川に隣接している遊歩道を、陽射しを受けて歩いたりした。
川辺は雨上がりで濡れていたが、雑草は陽射しを受けて煌(きら)めき、川面も陽射しでまばゆき、
ときおり私は立ち止まり、見惚(みと)れたりした・・。

私は過ぎし2010年(平成22年)の秋に、私は健康診断の結果、糖尿病と診断され、青色吐息となり果て、
内科の医師の指導、家内は野菜を多くした料理、そして私はウォーキングをほぼ毎日したりした。

そして翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、
悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はすべて優等生となった。

この後は、4週間於きに定期検査日、次回は検査結果日、と四週間ごとに通院している。
そして血圧、脈拍などを受け、問診したり、検査日には血液検査、検尿などをしてきた。

そして隣接した薬局で、血糖を下げる薬、インスリンの分泌を促す血糖を下げる薬、
動脈硬化を防ぐコレステロールを下げる薬、いずれも錠剤の3種類を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
               

まもなく内科専門病院に着き、予約していた9時であったが、いつものように10分前には医院長と問診したりした。
そして今回は検査日であったので、麗(うるわ)しき30代が多い女性看護師さんから、
血液検査を受けたりした。

何かしら私の友人には、地方の都市に住むひとりが、街の中の内科医院であるが、
予約していても長く待たされ、ひどい時には2時間も待たされたょ、と電話で聞いたりしていたが、
私の通院している内科には、数多く来院される方は多いが、予約管理が徹底されているらしく、
私は殆ど予約時の10分前には、医院長から診察を受けたりした。


やがて私は内科専門病院を辞したが、世の中では大学病院も大切であるが、
住まいの近くに内科医院なども、齢を重ねるほどに肝要である、と学んできた私は、
通院している内科専門病院の医院長に、信愛を深めている私としては幸運と思ったりしている。

まもなく私は郵便局で年賀状を投函する為に、小公園を通り過ぎた・・。

そして今年の秋は暖かい日が多く、名残り花のように公孫樹(イチョウ)の葉も少し残っていて、
私は微笑んだりした。
               

やがて大通りに出て、歩道を歩いている時、路線バスが視えて、しばらく眺めていた・・。
わずか一か月前には、私は白内障の手術で、通院する時に路線バスを利用してきたので、
遥かに遠い昔のような出来事だった、と錯覚しながら、予測した以上の視力を得られたことに、
神様か仏様か解らないが、ひとえに感謝を深めたりした・・。

その後、住宅街を通り、陽射しを受けて歩いていたが、
幸福という言葉が、この世にあるならば、こうした時かしら、と感じたりした。

こうした根底には、健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間の健康寿命は、
平均として男性は71歳、女性74歳と私は学んだりしてきた。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
こうして師走の時節、のんびり歩けることは、至福と思いながら自宅に向かったりした。

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買物メール老ボーイの私、奮戦した後、ささやかなアクシデントに微苦笑させられて・・。

2015-12-23 16:19:41 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
いつものように家内から依頼された品を買い求める為に、出かけた・・。

たまたま本日は最寄駅に近いドラッグ・ストアー、そしてホームセンターであったが、
どんよりとした曇り空の日中と予報される中、午後3過ぎから小雨が降る、と報じられている。

私はドラッグ・ストアーが特売日であり、10時開店と知っていたので、
我が家から徒歩20分ばかり道を早足で歩き、開店まもない時に到着した・・。

そして特売限定のユースキンA、クレラップのミニ、レギュラーなど12種類を店内の籠(カゴ)に入れた後、
あとはメリット・シャンプーかょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

まもなく常備棚に行って品と値段を確認した後、店の表面付近にある陳列している品々を見に行き、
そしてメリット・シャンプーを見て、
この中には、わずかながら増量20%があり、私は秘かに微笑んだりした。

定年後から買物老ボーイをしてきた私は、特売品で更にお得感のある品を買い求める時、
このようなことを幾たびか体験した結果であった。

やがてドラッグ・ストアー、そしてホームセンターに立ち寄り、
復路も運動不足なので、歩いて帰宅した。
               

そして駅前での買物は順調だったで、帰宅後は年賀状を作成をしょうと思ったりした。

やがて帰宅後、一週間ばかり思案してきた文面を少し修正して、
テストプリントねぇ、と印刷している時、まもなくプリンターのインク5種類ある中で、
ひとつのインクが、交換メッセージが表示された。

そして私は、脇机に保存しているプリンターのインクを見たが、たまたま交換すべきインクがなく、
やむなく歩いて20分ばかりのパソコン専門店に向かって歩いた。

まもなくパソコン専門店で、指定したインクに限り、在庫がなく落胆した後、
人生は晴れる時も曇りの時もある、と苦笑しながら、やむなく5種類あるパックを買い求めて、帰宅した。

そして帰宅後、年賀状のテストプリントをした後、一時間後には50通ばかり年賀状を区分けした文面3種類と
宛名を印刷を終えたりした・・。

やがて遅い昼食を頂いていると、小雨が降りだしてきた・・。

ときには、このように突然のプリンターのインク切れアクシデントがあり、
微苦笑しながら、少し疲れたょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。


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『良いお年をお迎え下さい』と老ボーイの私は、明るく大きな声で、早くも年末の挨拶をして・・。

2015-12-22 15:02:12 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

今朝、ぼんやりと私はカレンダーを見ると、『冬至』と明記され、微笑んだりした。
もとより一年で最も夜の時間が長いことであるが、これからの日は朝の日の出が日増しに早くなるので、
私は微笑んだりした。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
               

やがて朝食後の一時間を過ぎた頃、
家内は新聞の折込みに入っていた最寄りのスーパーにチラシを取りだして、
家内が赤のサインペンで丸印を付けたりする。

まもなく、この赤丸が我が家の本日の必須の購入品とし、
あとは私が店頭の商品で魅了された品を買い求めてくるのが、我が家の鉄則となっている。

この後、家内からスーパーのチラシを私は手渡し、
『本日は・・これだけお願い・・』
と家内は私に言ったりしている。

私は現役サラリーマン時代の緊張感から解放されて、早や11年が過ぎいるが、
体力の衰えも感じている中、せめてボケてはいけないと思い、
『はい! 了解致しました!』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく返事をしている。

このような我が家の平素の買物パターンで、私は独りで指定された駅前のスーパー、専門店に行ったり、
或いは最寄のスーパーに行くこともある。
               

私は2004年(平成16年)の秋に定年後の年金生活を始めて以来、
平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。

或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
                      

私が買物に出かける為に着替えが終わった時、玄関のチャイムが軽快に鳴りだした・・。
私が玄関に出たら、近くに住む御高齢の男性が、自治会の回覧板を持参されていた。
そして私は、年に何度かお逢いできる87歳の御方で、私は好感している方であったので、
数分立ち話をしたりした・・。

やがて私は門扉から出て、お見送りする時、今年はもうお逢いできないだろうと思い、
『良いお年を~お迎え下さい』
と私は、明るく大きな声で、年末の挨拶をした。

御高齢の男性は、私に微笑まれた後、立ち去った。
               

この後、駅前のスーパーで買物を終えて、我が家に帰館した後、
最寄のスーパーに向い、帰宅する途中、小公園に立ち寄ったりした。

私の住む地域では、平年ならば、11月3日の『文化の日』の頃から、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。

そして公孫樹(イチョウ)のあまたの葉が黄色に染められ、
やがて殆どの葉が落葉するが12月10日頃で、晩秋は終わりを告げて、初冬の時節となってきた。

しかしながら今年の秋は暖かい日が多く、名残り花のように公孫樹(イチョウ)の葉も少し残っていて、
私は微笑んだりした。
               

やがて住宅街を歩いていたら、
『XXさん・・しばらく・・』
とご近所の奥様から、声をかけられた・・。

私は亡き母から素直に血筋を受けたらしく、男の癖に恥ずかしながら、おしゃべりであるので、
立ち話を5分ぐらいしてしまった・・。

ご主人は76歳で私は散策する時などで、幾たびも談笑し好感してきた人で、
奥様は麗(うるわ)しい顔立ち、しぐさで、季節感あふれる言葉を話される72歳であり、
私は理想的なおしどり夫婦だ、と確信を深めているご夫婦である。

そして年末年始は、ご夫妻は娘さん御家族と共に、沖縄と石垣島の旅路をされる、
と教えて下さったりした。

やがて私は、『良いお年をお迎え下さい・・ご主人にもよろしく・・』
と私は奥様に明るく大きな声で言ったりした。

そして、あと10日も過ぎれば、大晦日かょ、と思いながら我が家に向かったりした。

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何かと愚図の老ボーイの私でも、昨今は『年末年始のごみ収集日程』が気になり、微苦笑し・・。

2015-12-21 14:19:51 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

数日前 ぼんやりと年末年始のことを思案したりしていると、
28日の月曜日が『官庁御用納め』と思われ、働いて下さる多くの諸兄諸姉は、
年末年始休暇は29日の火曜日から新年の1月3日の日曜日までかしら、と思ったりした。

私の現役サラリーマン時代は民間の中小業に勤めていた時は、
『官庁御用納め』に準拠し、『仕事納め』となったりすることが多かったが、
それまでの期間は年末年始を控えて、その上に外資系の為か年の決算月もあり、より一層奮戦したしていた。

昨今のサラリーマン諸兄諸姉の多くは、短期に成果が問われる時代で、
更に常時リストラの過酷な時代の為、せめて年末年始の時ぐらいは、
愛する妻と可愛いお子様とゆっくりとお過ごし下さい、と諸兄に無力な私でも、秘かに声援したりした。
               

しかしながら、この後の私は、台所のある市から配布された『調布市ごみリサイクルカレンダー』を見たりした。

21日の月曜日は、燃やせないごみ、有害ごみ ==>今年最後の収集日
22日の火曜日は、燃やせるごみ、カン
23日の水曜日の祭日は、古紙、古布 ==>今年最後の収集日
24日の木曜日は、容器包装プラスチック ==>今年最後の収集日
25日の金曜日は、燃やせないごみ、ビン ==>ビンだけは、今年最後の収集日
26日の土曜日は、お休み
27日の日曜日は、お休み
28日の月曜日は、ペットボトル ==>今年最後の収集日お休み
29日の火曜日は、燃やせるごみ、カン ==>今年最後の収集日
30日~1月3日は、お休み

このような日程となり、ボケてはいけないと、今年最後の収集日は要注意日ねぇ、
と私は自身に言い聞かせたりした・・。

そして今年は29日の火曜日は、『燃やせるごみ』の今年最後の収集日であるので、
その前に小庭の手入れを丁寧にした後は、
やがて小庭を掃き清めるのは、前日の28日に行えばよいかしら、と微笑んだりしてきた。

我が家は市から指定されたそれぞれのごみリサイクル品を私は朝の7時まで、
市から指定された所の道路に面した門扉の内側に置いたりしてきたので、
今朝もこの周辺の家では一番早いかしら、と思いながら何かと愚図の私でも微苦笑してきた。
       
私は年金生活をしている中で、何かと愚図の私でも、この時節は何かと慌ただしい過ごしている。
そして私は家内の指示棒に基づいて、少しばかり奮闘している。
               
       
年賀状に関しては、私の住む地域は確か25日まで郵便ポストに投函したら元旦に配達できます、
と明記されていたので、本日の午前中のひととき、文面を遅ればせながら思案したりした。

そしてサンタクロースの小父さんが来宅するまでに、郵便ポストに投函する予定としている。

平素の買物メール老ボーイの私は、家内から依頼された品を買い求める為に、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店を廻ったりしているが、
年始に伴い、家内が簡素であるが御節料理の真似事をするので、
家内の要請のひと声に基づき、買物メール老ボーイの私は、駅前のスーパー、専門店に出陣回数が多くなっている。

或いは家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、
駅前に買物に何回か同行するが、家内はその後に料理の重責となる。

そして昨日は、年末に備えて、台所、浴室、洗面所など備品などを買い改める為に、
私は家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、ホームセンター、スーパーなどを廻り、疲れを感じたりしている。

家内はここ4日前から、大掃除を始めて孤軍奮闘している。
独り住まいの家内の母を28日の日曜日に来宅して頂き、
私たち夫婦と共に三人で年始の1月3日まで共に過ごすのが、
ここ10年の恒例となっているので、これらの準備で多忙なのである。

こうした中で、窓拭きぐらいはお願い、と私は家内から言われて、
暖かい陽射しの射す日は・・と愚図の私は思案ばかりしている。
               

そして私は平素のように読書をしたり、のんびりと遊歩道、公園を散策したいのであるが、私はこの時節は叶わないことが多い。
このように愚図でノロマの私でも、何かと慌ただしいのである。
                 
或いは『お正月飾り』もあり、無知な私でも12月29日は「苦待つ」といわれ縁起が悪いので、
31日は「一夜飾り」と云われ、神様に対して礼節がない、
と亡き母から学んできたので、28日の午前中まで心身清めた後にしょう、と思ったりしている。

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エアコンは「つけっ放し」がいい? 冬の暖房費、節約法を学び、老ボーイの私は微苦笑して・・。

2015-12-20 16:00:12 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く、まもなく誕生日を迎えると66歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後37年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

こうした中で、我が家は寒さを感じた時は、
暖房は居間にあるエアコンを使用せずに、ガスファンヒーターに頼りしてきた・・。

新築した1978年(昭和53年)初春の当時は、周辺の家は電力は20アンペアが多かったらしく、
我が家も東京電力より20アンペアが配盤された。

そして室内の灯り、冷蔵庫、洗濯機、レンジ、炬燵(こたつ)などを活用し、
これ以上するとブレイカーが降りて電気は遮断されたりした。

やむなく東京ガスが配管した各部屋に設置されていたので、暖房はガスファンヒーターを使用してきた。
この後、今から25年前の頃には、電力は30アンペアに増強されたが、
相変わらずガスファンヒーターを幾たびか買い改めてきたりした。

そして過ぎし年に修理を依頼した時、想定したより修理代が高く、
結果的には、新たに買い改めてきた苦い体験もあったりした。
               

そして今年の秋にガスファンヒーターを取り出して準備稼働をさせたが、何かしら排出される清浄機動が衰えたらしく、
家内は、今年の冬はエアコンの暖房で過ごしましょう、と私に提案して、過ぎし11月中旬が使用している・・。

こうした根底には、私たち夫婦は高齢であり、少し重いガスファンヒーターを新たに買い求めても、
やがて私は後期高齢者となり、重量とガスの取扱いなどを配慮すれば、やむなくエアコン一台で暖冷房ですませよう、
と思惑があったした。

そして熱い時節は、長年に電力に頼るエアコンの冷房を稼働させてきた体験はあったが、
エアコンの暖房は我が家として初めてであった・・。

こうした中で、我が家の居間は17畳ばかりあり、一角に6人用の炬燵(こたつ)を設置し、
居間全般として、エアコンの暖房は稼働させている・・。

朝は30度でスタートさせて、15分過ぎた頃に23度に設定して、夜まで継続している・・。
そして私たち夫婦は、大半を居間で過ごすことが多くなっている。

そして私は小心者の為か、エアコンの暖房に伴う電気料金は、果たしてどのくらいなるか、
と漠然と思ったりしている。
               

こうした心情もあり、少しネットで検索していた時、
【エアコンは「つけっ放し」がいい? 冬の暖房費、節約法】と見出し記事にめぐり逢えて、
クリックして読んだりした・・。

記事の元は初めて見る【SUUMO 】で、
【SUUMOジャーナル - まだ見ぬ暮らしをみつけよう】に12月17日配信されている。

無断であるが、記事の一部を転載させて頂く。
《・・(略)ズバリ、エアコンは暖房時もつけっ放しのほうがいいのか、
節約アドバイザーの和田由貴さんに話を伺った。

「エアコンはつけはじめとしばらくたったあとでは、消費電力が5倍近く違うので
こまめに消すよりは、つけっ放しのほうが電気代が安くなる可能性があります」(同氏)。

和田さんによると、エアコンはつけはじめの10~20分くらいの間が、もっとも消費電力が高くなるそう。
そのあとの消費電力は、テレビよりも低くなる可能性があるのだとか。

ただし、使用しているエアコンや室内と室外の温度差によっても異なるので、
必ずしもつけっ放しが良いとは言えないとのこと。

ちなみにエアコンの風量については、自動運転がいいそう。
電気代を抑えるために、微風や弱風などに設定しがちだが、風量が弱いと部屋が暖まるまでに時間がかかり、
余計に電気代がかかってしまう。

風量を自動にしておけば、最初はいっきに部屋を暖め、その後は室温を維持するように、
消費電力を抑えながらの運転に切り替わる。(略)・・》

このような節約法を多々学んだりした。
               

私は冬用のスポーツシャツの上に、ジャンパー型のフリースで室内で過ごしているが、
しかしながら経費節約の余りに、今の23度設定より低下させて、風邪で通院するも困るよなぁ、
と軟弱な私は思案しながら、微苦笑したりしている。

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ときには『昭和の時代』に、老ボーイの私は限りなく愛惜を秘めて、微苦笑を重ねて・・。

2015-12-19 14:29:16 | ささやかな古稀からの思い

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の71歳の身であり、
確か一週間前の頃、読売新聞に於いて、出版広告として、倉本聰・著作の『昭和からの遺言』が掲載されていた。

《  僕らは貧しく、豊かではなかったが
          何となく今より倖せだった気がする。》

このような文面を読み、駅前に出た時、本屋に立ち寄って買い求めよう、と思ったりした。

テレビ・シナリオ、映画、舞台の脚本、随筆など多彩に活動されている倉本聰(くらもと・そう)さんの作品に
私は初めて触れたのは、1975(昭和50)年1月過ぎであった。

敬愛していた映画の脚本家・橋本忍(はしもと・しのぶ)さんの『砂の器』のシナリオが読みたくて、
本屋で雑誌の『シナリオ』(シナリオ作家協会)の1月号を買い求めた。

その中に、東芝日曜劇場の『りんりんと』のシナリオが掲載されていた。
なんてシリアスなドラマを書く人、と倉本聰さんの作品に初めて知り、印象が残った。

やがて10数年後に私にとっては、倉本聰さんの数多くシナリオ、随筆などを殆どすべて購読して、
作品はもとより、生活信条、創作の考え方、環境問題等で、多々ご教示を頂き、信愛するひとりとなり、今日に至っている。
          

昨日、駅前に出て眼科医院に通院した後、本屋に立ち寄ったりした・・。
そして倉本聰さんの『昭和からの遺言』(双葉社)を手に取った後、
付近には半藤一利(はんどう・かずとし)・著作された『昭和史 戦後編1945==>1989』(平凡社)に気付き、
ここ十年ぐらい氏の愛読者となってきた私は、遅ればせながら購読しょう、と思い立ったりした。
          

昨夜から倉本聰さんの『昭和からの遺言』を少し読み始め、今朝、私の机には、この二冊の本がある。

そして小庭に降り立ち、ぼんやりと陽射しを受けたりしていた時、
私に取っては昭和19年(1944年)の秋に農家の児として生を受け、昭和64年(1989年)の1月7日の昭和天皇が崩御されるまで、
私の『昭和』の時代は少なからず45年近く空気を共にしてきた・・と改めて思ったりした。

もとより私の自己形成は『昭和』の時代であったので、今でも過ぎし『昭和の時代』は愛惜を深めて、
ときおりあのようなことがあったよねぇ、と私は思い馳せることがある。
              

私は昭和19年(1944年)の秋、東京都の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の農家の三男坊として生を受けた。
長兄、次兄の次に私は生まれたのであるが、
何かしら祖父と父などは、三番目の児は女の子を期待していたらしく、幼年の私でも感じたりしていた。

もとより農家は、跡継ぎとなる長兄、この当時は幼児は病死することもあるが、
万一の場合は次兄もいるので、私は勝手に期待されない児として、いじけたりすることがあった。

そして私の後にやがて妹がふたり生まれ、 祖父、父が初めての女の子に溺愛したしぐさを私は見たりすると、
私は益々いじけて、卑屈で可愛げのない言動をとることが多かった・・。

しかし祖父は不憫と思ったのが、自身の名前の一部を私の名前に命名した、
と後年に父の妹の叔母から、教えられたりした。
                    

私が地元の小学校に入学する昭和26年(1951年)の春の当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、 程ほど広い田畑、
そして田んぼの中のひとつには湧き水があったり、所有していた田んぼの中に小さな川も流れ、
母屋の周辺は竹林、雑木林が周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに土蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあり、
この地域の旧家は、このような情景が、多かった・・。

この頃の生家の周辺には、平坦な田畑、雑木林が続き、
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、大人の人たちは国分寺崖、と称していた。

その後、私が昭和28年(1953年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の昭和29年(1954年)の5月に祖父も他界され、
農家に取っては肝要の大黒柱の2人が亡くなり、生家は没落しはじめた・・。

やがて昭和30年〈1955年〉の頃から、都会に住んでいた人たち達が周辺に家を建てられ、
そして私が小学校を卒業した昭和32年〈1957年〉であるが、
この頃になるとベットタウンとなり、急激に新興の住宅街となり、周辺は大きく変貌した・・。
                                     

この間、祖父、父が健在だった時代、私が地元の小学校に入学する前の当時は、
周辺には幼稚園もなく、やっと託児所ができた頃であった。

託児所と称されても、寺院の片隅の大部屋を借用して、幼児を預かる程度の施設が実態であり、
お遊戯をしたり、挨拶を学んだり、ときには幻燈機で何かしらの観たりしていた。

幻燈機は若い方には不明と思われるが、
現代風に表現すればモノクロ(白黒)の画面で、ときには総天然色のカラーもあったが、
静止画面のスライド・ショーと理解して欲しい。

私の生家でも、祖父の指示の下で、大きな部屋に、ご近所の家族を招き、
『母をたずねて三千里』などの劇画を観たりした。
私は総天然色のカラー作品で、この『母をたずねて三千里』に感動し、
涙を浮かべて観たりしたのが、5歳の頃であった。
                         

こうしたある日、私は祖父から空の一升瓶を渡され、
『XXに行って・・大丈夫かなぁ・・』
と雑木林の拓いた村道で徒歩10分ぐらいの道のりを歩いた。

私が向った先は、酒屋でそれぞれの日本酒の四斗樽が壁一面に並び、
お菓子、佃煮などが並べられている不思議な店であるが、
この当時は駅の周辺は商店街があったが、駅までは15分の道のりであるので、
実家の周辺には、この店しかなかったのである。

私は空の一升瓶を割らないように大切に抱えて、
人気(ひとけ)のない村道を歩き、この店に行った。

そして60歳ぐらいの店主に、私は空の一升瓶を少し振り、
『これ・・お願いします』
と私は店主に言ったりした。

店主は明るい表情を見せながら、壁面に置いてある四斗樽のひとつに、
栓を開けて、枡(ます)を満たし、その後は一升瓶に移したりした。

この当時は、冠婚葬祭で一升瓶を贈答したり、年末年始とか行事に限り、
何本かの一升瓶を購入していたが、
平素はこのような日本酒の量(はか)り売りの多い時代であった。

この後、私は祖父から預かったお金を渡し、
店主から満たされた一升瓶を受け取ろうとした時、お煎餅(せんべい)を3枚を渡された・・。

『おじさ~ん・・ありがとう・・ごさいます』
と私は店主に言いながら、重くなった一升瓶を受け取った。

そして私は今宵の晩酌する祖父と父の表情を思い浮かべたりしながら、
薄暗くなった村道を歩いた。
しかしながら何よりも右側のポケットに、お煎餅(せんべい)を3枚があり、
『この煎餅(せんべい)、美味(おい)しそう・・』
と思いながら、家路に急いだ・・。

後年、祖父と酒屋の店主は旧知で、昵懇の仲であったので、
何かといじけることが多かった私を不憫に感じた祖父の思いだった、
と祖父が亡くなったある時、私は叔母から教えられたりした。

昨今、私はスーパーで買物をしている時、丸い大きく厚い『草加せんべえ』を見かけたりすると、
ときおり幼年期に酒屋から頂いた煎餅(せんべい)に思いを重ねることもある。
                         

この頃、私は母に連れられ、年に一度ぐらい新宿の伊勢丹(デパート)に行ったりした。
母は私と妹を両手につなぎ、末妹は乳児だったので背中にしょっていた・・。
そして京王線の『金子(現在・つつじが丘)』駅から『新宿』駅まで電車に乗ったりした後、
新宿三丁目まで歩いたりした。

そして伊勢丹(デパート)の階段の踊り場、或いは地下の通り道などで、
不幸にして戦争で身体の一部を失くされ、軍歌の音色とも、その容姿を見るのが恐かった。

こうした中で、ある時は母から私は勝手に手を放して、デパートの店内で迷子となり、
人形の売り場で半ベソになっていた私は、店員さんから救出されて、探していた母の元に行ったりした。
                   

私が小学校の高学年になると、映画に魅せられて、
付近の調布、布田、千歳烏山の映画館に、独りでよく通ったりしていた。
こうした中、次兄から都心の日比谷にある映画を観ようと誘われて、
新宿から築地行きの都電を乗ったが、乗り物酔いで私はしょげた・・。

確かあの頃の都電は、運賃は均一13円と記憶しているが、
下車したら当然もう一度支払う必要があったので、日比谷まで頑張れ、と次兄に励まされ、
青ざめた顔で日比谷で降りた記憶が残っている。
                

このように私の小学生時代までの思いでは、走馬灯のように思い浮かび、
その後の地元の中学時代、そして都心にあこがれ始めた高校時代・・など限りなく、
昭和64年(1989年)の1月7日の昭和天皇が崩御された当時の私は、
中小業の民間会社で情報畑で悪戦苦闘ながら奮闘していた多忙時であり、
もとより私にとっては『昭和の時代』は、あふれるように愛惜を重ねたりするが多いのである。
                    

過ぎ去る年の昭和63年(1988)年の晩秋、私はこの頃、音楽業界のあるレコード会社に勤務して15年が過ぎ、
管理部門の情報畑で、4月より実施される『消費税』のシステム対応の開発に追われていた。
昭和天皇が病状が悪化し、社会は何かと自粛の空気につつまれていた・・。

そして昭和64年(1989年)の1月7日の朝、
私は昭和天皇が崩御された、とNHKのテレビのニュースで視聴し、
とうとう陛下様は亡くなわれてしまった、というのが率直な思いであった。

この後、私はいつものように会社に出勤した後、
フロアー別の朝礼の時、専務取締役のひと言で、私たち一同は皇居の方面に向かい、黙祷をしたのである。

その後の私は、4月から『消費税』の対応策で多忙な身である上、
更に『昭和』から新たな『平成』と制定されると、
コンピュータの和暦の表示を『請求書』に至るまで改定したので、慌しい日々を過ごしていた。

こうしたこともあるが私の心情は、平成元年といわれるより、
昭和64年といった方が心身の波長が合うので、何かしら戸惑ったのは事実である。
         

もとより敗戦後の荒廃した日本は、敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。
私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代も奮闘してきた。

こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。


私たちが過ごしてきた昭和の時代は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、
そして家族で明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。

こうした中でバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
やがてソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変し、
世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などに国際競争力に敗退し、かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。
          
殆どの民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
そして私は確か5年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。
         
      
こうしたことは私たちの息子、娘の世代から観れば、
お父さんは会社で一生懸命に奮戦し働き、マンションか一軒家を買い求めて、
お母さんは専業主婦で家庭を守る中で、子供ふたりは程ほどの自由な生活を満喫し、大学まで学び、
やがて子供は結婚して独立させてくれた典型的な中流社会は、大半は崩壊した・・。

その上、経済は低迷していると言われている現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
          
          
こうしたことを思いつくまま昭和の時代を思い馳せたりし、
平成の時代になってから大きく変貌したことを綴ってきたが、
私は何より社会が劣化し、言葉、しぐさが雑になった、と憂いている。

はじらい、うつむく、待ちわびる・・死語に近く、どうしてなの、と私はため息をすることが多いのである。

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白内障の手術を左眼、そして右眼に受けた私は、遠い昔の出来事ように感じて、反省をして・・。

2015-12-18 16:05:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
今朝、いつものように瞬間湯沸かしの湯で特選おしぼりで、顔を丁重にふき、首回り、耳周辺を拭いたりした。

この後は通院している眼科医院長の指示に基づいて、3種類の『点眼薬』を付けたりした。
☆抗菌薬『クラビット点眼薬』・・・・一日3回「赤色キャップ」   
☆消炎薬『サンベタゾン点眼薬』・・・一日3回「黄緑色キャップ」 
☆鎮痛消炎薬『ブロナック点眼薬』・・一日2回「水色キャップ」

やがて朝食後に、2週間ぶりに駅前の眼科医院に通院する為、徒歩15分ばかり歩いて向かった。
晩秋から初冬の時節となっている中、澄み切った青空の中を歩き、
やがて眼科医院に着いた。

まもなく麗(うるわ)しき女性スタッフから、いつものように精密眼圧、精密眼底、視力検査などの検査を受けた後、
そして手術して下さった医院長から、幾種類から検査を受けた後、
『問題なく順調です・・3種類の『点眼薬』は、これからは一日2回にして下さい・・』
と医院長から、私は言われたりした。

『お蔭さまで感謝致します・・ありがとうございます・・』
と私は医院長に、御礼の言葉を重ねたりした。

『次回は、年始明けに来院して下さい』
と医院長から、私は言われたりした。

やがて私は眼科医院を辞した後、本屋に寄って2冊ばかり購入し、そしてスーパーで食品を買い求めた後、
少し遠回りして公園の中を歩いたりして、自宅に向かったりした。

こうした中、私は白内障の手術を11月17日に左眼、24日には右眼に受けてきたが、
何かしら遠い昔の出来事ように感じて、微苦笑したりした・・。
               
               ☆今回、掲載した写真のすべては、本日・澄み切った青空の中、撮った☆

今年の5月頃から、朝のひととき小庭にあるテラスに降り立ち遠方を眺めると、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。

或いは平素の買物専任老ボーイの私が、家内から依頼された品を求めて、
スーパーに向い前方の状景を眺めたりして歩いている時、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。

こうした時、高齢者は白内障になる人も多い、と学んだりしてきたので、
私も白内障になってしまったかしら、と思ったりしてきた。

私は6年前に総合病院で健康診断を受診した後、
白内障の症状が少しみられます、と診断されたりした。

翌年からの健康診断は、我が家から近い内科専門医院で受診してきたが、
眼科に関する検査はなく、いずれ眼科専門医院で検査すればよい、と私は放置してきた。

その上、私は酷(ひど)い近眼で0.03ぐらいの視力で、メガネを掛けて0.7の視力となっているが、
何かしら齢を重ねるたびに、視力の低下しているように感じてきた・・。
               

やがて8月25日に最寄駅の近くに眼科専門医院で検査を受けて、
まぎれない白内障です、と副医院長から診断された。

そして独り住まい家内の母が膝(ひざ)と腰が悪化して、入院をしたり、
ここ数週間は通院となっているが、何かと家内は付き添い、介護などで家内の母宅に駐在することが多く、
私は我が家で飛び石の『おひとりさま』と生活を過ごしていた。

このような家内の母の予定も配慮して、私は11月に白内障の手術を受けたいです、
と診断された副医院長に要望したりした。


そして9月29日に、白内障の手術に関して事前詳細検査を受けた後、
手術を担当される医院長より 詳細事項も含めて説明を受けたりした。

やがて11月10日に於いて、手術の一週間前の最終精密検査後、
医院長の丁重な説明を私は受け、 手術日の2日前より細菌の感染を抑える薬の『点眼薬(ベガモックス)』を、
朝、昼、夜と一日三回を左眼に、目薬のようにしてきた。
               

そして17日には、左眼の手術を受けたが、白内障の水晶体の濁った皮質を細かく粉砕すると同時に眼外へ吸引した後、
確約していた広く手元から遠くまで見える多焦点眼内レンズを挿入して頂ただいたが、
手術中は苦痛を感じることなく、ただ初めての体験で、緊張感を秘めながらも15分ぐらいで終わった。

まもなく手術後、ガーゼ生地を主体とした大きな眼帯をして下さった。

私は当初予約していた保護メガネは、大きな眼帯でメガネを掛けることができなくなり、
当面は、右眼の裸眼0.03を頼りに、おぼろげな視界を過ごすこととなった・・。
          

そして左眼は、翌日の18日には幾つかの検診を受け、早くも眼帯がとれ、
何かしら鮮明で視界が開け、前方が明確に視(み)えたりした。

しかしながら、右眼の裸眼0・03の酷い近眼の視力であり、左眼は手術後には0・5以上が視(み)えたが、
余りにも右眼と左眼とに差異があり、私の小さな脳でも、視(み)ようとする神経制御が働き、右眼の裸眼0・03も補助動作が働き、
前景は鮮明に視(み)えるが情景となっている、と思われる。

そして余り長時間を視(み)ようとする神経制御は、混乱を起こすかも知れないと、私は感じたりして、
手術の翌日以降は、当面として視(み)ようとする神経制御が働きを自制して、新聞、本、パソコンは一日3時間以内として
歯を磨いたり、布団の中では、予約購入した保護眼鏡を付けたりしてきた。
                          

この間、手術日の2日前より細菌の感染を抑える薬の『点眼薬(ベガモックス)』を、
朝、昼、夜と日に3回を左眼に、目薬のようにしてきた。

やがて手術後は、毎食後に抗生物質のフロモックス錠剤を飲み、
そして抗菌薬『クラビット点眼薬』、消炎薬『サンベタゾン点眼薬』は、朝、昼、夕、夜と日に4回、
鎮痛消炎薬『ブロナック点眼薬』は朝、夜と日に2回を付けたりしてきた。

通院に関しては、手術後の翌日、そして手術後の3日目に検診を受けて、
医院長より、特に異常なし、と診断されたりしてきた。

洗髪は手術後の翌日に医院長から、本日より美容室、理容室で、頭を上仰向けで行うことはできますが、自分でしないこと、
と言われたりしたが、安全性から手術後の3日目に、家内の指示に基づいて、私は生れて初めて美容院で洗髪した。

そして11月23日は、右眼の手術日の前日であったので、美容院に行き洗髪して、手術日に備えてきた。
          

翌日の11月24日は右眼の手術を受けたりしたが、過ぎし17日に左眼に手術を受けた体験があったので、
緊張感もなくリラックスした心情で、手術を終えた・・。

しかしながら手術後、ガーゼ生地を主体とした大きな眼帯となり、
一週間前に手術した左眼を頼りに視界を見れば、今回手術した右眼は眼帯の下でも眼球が動くので、
本日は食事、トイレ以外は安静して下さい、と医院長から私は言われたりした。

やがて私は家内と共に帰宅した後、昼食をした後、新聞、本、パソコン上のブログも自制して、
布団にもぐりながら、ラジカセCDで音楽棚から8枚ばかりCDを抜き取り、深夜まで聴いたりした・・。

この間、ときおり寝付いたり、夕食を頂いたりしたが、ぐうだらな安静日となったりした。

そして25日には、家内と共に眼科医院に行き、手術日の翌日の診察を受けた・・。
手術した右眼の大きな眼帯を看護師さんから取って頂いた後、視界が鮮明に視(み)えた。

まもなく幾つか検査を受けた後、一週間前に手術した左眼は1・0と診断されて、
確か手術後3日目は0・6前後であったので、視力向上に驚いたりした。

そして前日手術した右眼は、眼帯から解放されて5分過ぎた為か、0・5前後であり、
私は両眼が想定以上で、悦んだりした・・。
                          

以前の手術前の私は、裸眼0・03は酷い近眼で、メガネを掛けても0・7弱くらいであったが、
更に白内障で状景が、一時的にかすんだ時もあったりしたが、
今回の白内障の手術に伴い、左眼、右眼を広く手元から遠くまで見える多焦点眼内レンズを挿入した手術を終えた今、
今後の注意事項を守れば、次第に視力の向上もある、と医院長から私は言われたりした。

この後、私が念願していた0・7よりも視力が良くなり、メガネが不必要となったりした。

このようなことを思い馳せたりしたが、手術後の当初、鮮やかに視(み)えた感動、
そして私は高校生より何かと酷い近眼で、劣等感のひとつであったので、
たとえ今回の多焦点眼内レンズの効力であっても、これ以上の吉報はないかしら、と悦んだりした心情・・。
               

今やメガネが不要で、視力が1・0前後となり、あたりまえのような昨今の心情となり、
手術してきたことも遠い昔の出来事ように感じて、傲慢だよなぁ、と自身を反省したりして、
微苦笑したりした・・。

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中高年からの運動は、物足りないくらいがいいワケを学び、老ボーイの私は微苦笑して・・。

2015-12-17 15:16:49 | ささやかな古稀からの思い
私は中小企業の会社に35年近く勤めて、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、丸11年が過ぎ、早や12年生の老ボーイの身である。

そして私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、もとより建康でなければ、ささやかな願いも叶(かな)わないので、
自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受したり、或いは認知症は勘弁してょ、願いながら歩いたりしている。
                 
               ☆今回、掲載した写真のすべては、本日・曇り空の中、撮った☆
         
このような心情を秘めている私は、昼下がりのひととき、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていた時、
【中高年からの運動は物足りないくらいがいいワケ】
と見出しを見て、本格的な運動もしていない私は、どのようなことなょ、と思いながらクリックした・・。

【耳より健康トレンド】と連載記事で、工藤 渉さんの定例の寄稿文であり、
読み終わった後、微苦笑させられたりした・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。
《・・
☆中高年になってからの運動、無理は禁物です

運動は健康によい。
これは常識であるばかりか、いまや国家を総動員しての一大プロジェクトの動機のひとつでもある。
当コラムでも「ロコモティブシンドローム」に触れた際に健康増進法や厚生労働省の「健康日本21」について言及したが、
同プロジェクトなどは、もはや「21世紀における国民健康づくり運動」と銘打って、中高年の運動を奨励しているほどである。

なぜ中高年の運動が奨励されるかといえば、この世代の「健康状態に問題がなく日常生活が制限されることなく暮らせる期間」
つまり「健康寿命」を延ばすことで、10年間に2~5兆円程度の医療・介護費用が節減できるという試算があるからだ。

逆をいえば、中高年の段階での運動不足は各種生活習慣病や、
運動器の障害により要介護になるリスクの高い「ロコモティブシンドローム」につながる可能性が高いということになる。
国民の意識も高く、厚生労働省の国民健康・栄養調査では、
健康目的に運動を行っている人は若者よりも50歳以上の中高年に多く、60歳以上ではその割合が60%を超えているという結果も出ている。

若い頃から習慣として運動を続けている人はいいが、健康のために一念発起して運動を始めようという場合には、少し注意が必要だ。
当然ながら心肺機能、内臓機能、筋力、骨強度、バランス能力などすべてが、若い頃に比べて著しく低下していると考えたほうがいい。
既に膝や腰を痛めている人もいるだろう。

このような状態ではいきなりのハードな運動が厳禁なのはもちろん、
普通に走る、ちょっと重いものを持ち上げるといった運動でも、逆効果になりかねない。

現時点で体力に不安を感じている人や足腰に不調がある人が、突然ハードな運動を始めるとは考えにくい。
問題なのは若い頃は運動をしていて、体力にある程度自信があるというケースだ。

体力の衰えを自認していても「軽い運動」には面白みを感じず(あるいはプライドが傷つき)いきなりハードな運動に走る場合がある。
本人はハードな運動だとは思っていないし最初は充実感があるのだが、
疲労のあまり長く続かなかったり、怪我をして続けられなくなるのだ。
               

☆スポーツジム、ウォーキング…運動不足の人ほど物足りない程度から

ではどんな運動から始めればよいのか。
時間に余裕があるならスポーツジムの会員になり、体力を測定した上で自分向けのメニューを作ってもらうのが手っ取り早い。
相手はプロでありジムにも長く通ってもらいたいのだから、無理のないメニューを用意してくれるはずだ。

ジムは気が進まないという人は、まず歩くことだ。
医師や専門家もランニングではなく、まずウォーキングを薦めることが多い。
帰りに一駅手前で降りて歩く、音楽を聴きながら歩く、散歩を兼ねて歩くなど、
生活習慣の中に自然に取り入れられ、楽しみながら続けやすい。
スピードやフォームなどを考え出せば奥が深いのだが、まずは歩く習慣をつける、歩くことを楽しむことが先だろう。

無理のない運動といえばロコモティブシンドローム予防のためのものがある。
目的や対象を考えれば当然だが決して激しくはなく、それでいて身体をほぐしたりバランス感覚を養う効果がある。
ふだん運動していないなら、この程度でも充足感があるはず。

自分が中高年であり運動不足だという自覚があるのなら、
まずはちょっと物足りない程度の運動から始めるのが、無理せず長続きする秘訣のようだ。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
               

私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの我が家となっている。

昨夜、夕食を頂いた後、やがて茶坊主の私は家内用のコーヒーを淹れて、
居間の食卓テーブルの片隅に置いた。

『明日、駅前の歯医者さんに行く日ですから・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。

『XXちゃんさぁ・・解っていますょ・・確か予約は10時と記憶していますょ』
と私は笑いながら応(おう)じたりした。
 
家内は幾たびか歯の治療を自宅周辺の歯科医院に受けたりしてきたが、
私は妹から、9年前の頃に小田急線の『喜多見』駅前の歯科医院が良いみたい、と聞いたりしたので、
これ以来、私の歯の老化を含めて、この『喜多見』駅前の歯科医院で私たち夫婦は、治療を受けたりしてきた・・。

そして利便性のある路線バスを利用すれば、我が家より10分前後で到着するが、
最短距離として野川の遊歩道を歩けば、20分前後を歩けば到着するし、
何よりもこの遊歩道の片側は、細長い小公園が帯のように続き、四季折々の情景が見られるので、
私たち夫婦はこのコースを愛用してきた。

難点といえば平日などは、人影も少ない時があるので、
家内が出かける時は、私がボディガード、お供として、共に歩いたりしてきた。


今朝、9時15分過ぎに我が家を出て、曇り空の中、私たちは遊歩道を歩き、
過ぎ去った苦い思いで、或いは家内の母の介護のこぼれ話・・とりとめなく語り合ったりした。
                          

やがて駅前で家内は歯科医院、私は付近を散策となり、
合流はいつものように駅前の片隅にあるコーヒーショップの『ドトール』とした。


私は野川の両岸にある遊歩道、付近に隣接した小公園を歩き廻り、魅せられた情景をテジカメで撮り、
記憶のかたみ、としたりした。

私は一時間ぐらい歩き廻り、朱色、紅色、黄色などに多彩に染めていた晩秋から初冬にうつろう情景に、
愛惜を重ねながら撮ったりしたりした・・。
                          

やがて駅前の片隅にある『ドトール』で家内と合流した後、駅前のスーパーで買物し、
遊歩道を歩き自宅に向かった。


このように午前中は独りで平素の買物、
その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている平日と、
少し変化してしまったりした・・。
               

私たち夫婦は年金生活丸11年が過ぎて、早くも12年生に進級となったが、
これまでは幸運にもお互いに大病することなく、過ごしてきた。

そして健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間の健康寿命は、
平均として男性は71歳、女性74歳と私は学んだりしてきた。

家内は私より5歳ばかり若いが、私は健康寿命平均と同じ齢となったりし、
お互いに何よりも怖いのは認知症であり、歩くことが多くなっている。

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