夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

膝(ひざ)の変形性膝関節症を軽減する歩き方と姿勢、私は学び、 多々教示されて・・。

2021-06-30 14:28:20 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している【 日刊ゲンダイヘルスケア 】を見ている中で、

『  膝(ひざ)の変形性膝関節症を軽減する歩き方と姿勢
                  専門医が伝授 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
昨年の2月より、新型コロナウイルスの烈風に伴い、
マスクの苦手な私は、外出する時は、やむなく生まれて初めてマスクをしてきた・・。


こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民の責務と思いながら、独りぼっちで出来る限り人影の少ない道を選定して歩いたりしている。


 
ご近所の御方とは、マスク越しに2メートル以上離れて、短めに歓談する程度となり、
平素の買い物も3日間に一度として、まとめ買いをしたりした。
 
或いは少し遠方は、路線バスを利用していたが、
「三密(密集、密接、密閉)」が怖くて、歩き続けて、
やがて膝(ひざ)に痛みを感じて、やむなく整形外科に通院したりした。

こうした原因のひとつには、我が家より片道4キロ以上離れた所は、
以前は路線バスを利用してきたが、感染防止の為、幾たびか往復路を歩いてきた為か、
恥ずかしながら右膝(ひざ)の痛みを感じるようになったりした。

そして買物、散策などの平地が多い処は、数キロぐらいは歩けるが、
ただ階段を下りたり、足を高めに上げたりすると痛みが感じて、
齢を重ねるとこうした老化が始まるのかょ・・戸惑いながら微苦笑をしたりした。




このような結果として、毎週の火曜日に、右脚の膝(ひざ)にヒアルロン酸注射を受けた後、
腰の痛みもあり、リハビリ機器の腰痛牽引、マイクロ波など療法を受けて、
自宅では
湿布の経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤の『ロキソプロフェンNaテープ』を貼ることをしてきた。

このような治療を昨年の6月より、我が家から近くの整形外科で、
毎週のように週に一度、5カ月近く通院し、何とか右膝(ひざ)の痛みが解消されたりした。

こうした中で、ヒアルロン酸注射に関しては、家内の母が80代の初めに膝痛で困苦した時、
ヒアルロン酸注射で痛みが解消された、と私は家内から聞いていたので、
私が通院した医師に私が要望した結果である。

膝(ひざ)の痛みは、齢を重ねると、多くの御方が感じ、困苦する、と学んでいたが、
と私は改めて実感させられて、苦い体験のひとつとなっている。



こうした体験をしてきた私は、遅ればせながら、
《・・膝(ひざ)の変形性膝関節症を軽減する歩き方と姿勢・・》学びたく、
こっそりと記事を精読してしまった。

この記事は、【 日刊ゲンダイヘルスケア 】に於いて2021年6月10日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・ 階段を下りる時や、急に立ち上がった時など、
体重が膝にかかった時に痛む「変形性膝関節症」。


加齢とともに、膝関節でクッションの役割をしている軟骨が、
すり減って変形してきてしまう病気だ。

50歳以上だと、男性の10人に1人、女性の4人に1人が罹っているとされる。



初期の膝痛は、ずっと痛みが持続するケースは少なく、
たまに「痛む時期」があるけど、その後「痛まない時期」が長く続いたりする。

そのため「いまは痛くないから大丈夫」と放置してしまい、
そのうちまた痛みが出る。
このパターンを何度も繰り返している人が多い。


変形性ひざ関節症 今度こそ治す方法を教えてください!」(永岡書店)の著者で、
「リソークリニック」(東京都世田谷区)の磐田振一郎院長(整形外科専門医)が言う。


「膝痛に気づいたら、きちんと整形外科を受診して、シロクロはっきりさせるべきです。
早めに診断をつけて、『自分は変形性膝関節症という病気を抱えている』という自覚ができると、
膝を大切に扱うようになるし、早めに予防対策を行うようにもなります。

そういう意識を持っているかどうかで、
膝の状態の進行や悪化を抑えられることも少なくないのです」



ただし、受診して変形性膝関節症の診断がついても、整形外科でできる治療はあまりない。
軽症や中等症の段階でできることは、
せいぜいヒアルロン酸を注入したり、炎症で水がたまった時に、水を抜いたりするくらい。


それも必要なければ「しばらく様子を見ましょうか」となる。

基本的に、膝痛で整形外科ができることは「保存療法で様子を見る」と
「手術をする」の2つしかないという。


では、軽症や中等症なら保存療法(外来処置)だけでいいのかといえば、そうではない。



膝痛をこれ以上進行させないために、行うといいケアや予防の対策法は、いろいろある。
しかも、軽症であればあるほど使える策は多いし、その策が効果を発揮しやすくなるのだ。

「軟骨が大してすり減っていない軽症のうちに取り組んでほしいのは、
『姿勢』や『歩き方』の改善です。

膝関節にかかる体の重みの荷重は、
どんな姿勢や歩き方をしているかで、大きく変わってきます。

この先、さらに膝の軟骨をすり減らしたり、
膝関節のすき間を狭くしたりするのを防ぐには、
いまのうちに姿勢や歩き方を見直して、膝にかかる負担を減らしておくのがいいのです」


「姿勢」のチェックの仕方は、壁に背中を着けて真っすぐ立ってみる。
正しい姿勢が取れていると、後頭部、肩甲骨、お尻、かかとの4点が壁に着く。

また腰には、手のひら1枚分のすき間ができる。
そして、この状態のまま、片足の膝を曲げてゆっくり上げてみる。
体がグラついて足をスッと上げられなければ、姿勢のバランスが崩れている証拠だ。




次は「歩き方」のチェック。
普通に廊下を歩いてみる。

上から見た時に、左右の足のつま先を外側に開きながら進む歩き方や、
モデルのように1本の線の上を歩くような歩き方は、
膝の一部に負担がかかり膝を痛めやすい。

膝に負担をかけないためには、つま先を前に向け、肩幅より少し狭く、
2本の線の上を歩くような足の運び方がいいという。

 

「姿勢や歩き方の矯正におすすめするのは、頭の上に本をのせて歩くトレーニングです。
頭の上に小ぶりの辞書などをのせて、落とさないように注意しながら、真っすぐ歩きます。

これを行うと、自然に顎を引いて、背中を真っすぐ伸ばし、お腹に力を込め、
膝を伸ばしながら、歩くようになります。

体の荷重バランスが整って、膝への負担を少なくできます。
1日30秒でいいので習慣にするといいでしょう」




■スクワットも効果あり


膝痛が軽症段階のうちに鍛えておくといい筋肉もある。
背骨(上半身)と大腿骨(下半身)をつないでいる「大腰筋」だ。

膝が痛くない時に、行うといい。
筋トレの基本は、スクワットになる。


おすすめのスクワットは2つ。

「つかまりスクワット」は、椅子の後ろに立ち、
椅子の背をつかんで、膝の高さくらいまで腰を沈ませてから、元の姿勢に戻る。

「壁スクワット」は、表面がツルツルした壁に、背中を着けて両足を前に出す。
そして壁に体重を傾け、ゆっくり腰を膝の高さまで沈ませてから、元の姿勢に戻る。


膝を痛めないために心がけるポイントは、
①膝をつま先よりも前に出さない
②両膝・両つま先を正面に向ける
③深く屈伸しすぎないことだ。

スクワットは1日の目安として10回×3セット行うといいという。・・ 》

 
 
今回、「リソークリニック」の整形外科専門医の磐田振一郎院長より、
膝(ひざ)の変形性膝関節症を軽減する歩き方と姿勢、多々教示されたりした。

そして遅ればせながら76歳の私は、姿勢や歩き方が悪いと気づき、
こっそりと《・・頭の上に本をのせて歩くトレーニング・・ 》・
居間の中で、頭の上に文庫本の一冊をのせて、落とさないように注意しながら、真っすぐ歩く練習・・
始めたりした。

しかしながら何かと不器用な私は、歩き始めて数秒後に、床に落してしまい、
何度も挑戦すれば、人並みに出来るようになるよねぇ・・ひとり微苦笑したりした。
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100歳の現役ピアニスト「室井摩耶子さん」、恥ずかしながら初めて学び、敬意を重ねて・・。

2021-06-29 14:03:26 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 ディリー新潮 】を見ている中、

『 100歳の現役ピアニスト「室井摩耶子さん」 
        練習は1日4時間 楽しく生きるコツは?  』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の身であるが、
恥ずかしながら楽譜も読めなく、楽器も弾くこともできないが、
音楽を聴くことが好きなひとりである。

こうした私であるが、恥ずかしながらピアニスト「室井摩耶子さん」は未知の御方であるが、
《・・100歳の現役ピアニスト‥》に驚きながら、
どのような人生航路を歩まれて、日常生活はどのようにお過ごししているのか、
真摯に学びたく、記事を読んでしまった・・。

この記事は、ライターの小川美佳(おがわ・みか)さんが寄稿され記事であり、
【 ディリー新潮 】に
2021年6月28日に配信され、
無断であるが記事、写真を転載させて頂く。

 

室井摩耶子さん1

大正生まれの国内最高齢のピアニスト・室井摩耶子さん。
東京音楽学校(現・東京藝術大学)を首席卒業後、デビューは戦時中だった

 

《・・ 国内最高齢のピアニストとして活動する室井摩耶子さんが、
4月7日、百寿を祝う「第509回日経ミューズサロン 室井摩耶子百寿記念スペシャル・コンサート」(東京・日経ホール)を開催し、
2公演で4曲を披露した。

4月18日に100歳を迎えた現在もピアノを弾き続け、8枚のCDが発売中だ。

2012年、91歳のときに「第22回新日鉄音楽賞・特別賞」を、
19年には「文化庁長官表彰」を受けるなど、その実績は高く評価されている。
室井さんに音楽活動の原動力や、楽しく豊かに生きる秘訣、
そしてピアノとともに歩んだ94年間を振り返っていただいた。

☆コンサート会場が遺体置き場に

1921年(大正10年)に生まれた室井さんは、
成城小学校(現・成城学園初等学校)に入学したのを機に、6歳でピアノを始めた。

「全人教育」という教育理念のもとに設立された成城小では、
画一的で詰め込み型の受験教育ではなく、宗教・芸術・道徳・哲学・労作教育を柱に、
調和のとれた人格を育む教育が行われていた。

「成城小学校の音楽の授業では、国定教科書ではなく、
シューベルトやブラームスといったものを教材として使っていたの。

ヨーロッパに留学した経験を持つ先生は、とても自由な考えを持っていて、
音楽に合わせて身体を動かすリトミックを授業で取り入れたりしていました。
今思えば、幼いころの教育環境は非常に恵まれていましたね」

自由かつ芸術を重んじる成城小の校風は、後のピアニスト人生を支える礎となった。

その小学校の音楽の先生に勧められて、
4年生のときに東京音楽学校の教授をしていた高折宮次に師事し、
室井さんは本格的にピアノの道を歩み始める。

その後、1941年には東京音楽学校(現・東京藝術大学)を首席で卒業。
45年1月、日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のソリストとしてプロデビューを果たした。

日比谷公会堂で開催されたデビューコンサートは、
戦時中にもかかわらず大盛況となり、3日間すべてが満席だった。

「連日満席となったのは、みんな音楽に飢えていたのだと思います。
しかし、コンサートの直後に空襲があり、会場だった日比谷公会堂は、遺体置き場になってしまいました。

戦争が終わり、その後リサイタルを何度も重ねて好評も得ましたが、
自分には“何かが足りない”という思いがずっとありました。

どうしてもその“何か”がわからず、
このときはピアノを止めようと思うくらい追い詰められていたんです」

室井摩耶子さん2

1941年12月、日比谷公会堂で行われた東京音楽学校(現・東京藝術大学)の新人演奏会。
当時の式用制服は黒紋付だった(写真提供:室井摩耶子)

室井摩耶子さん3

1943年12月、東京音楽学校(現・東京藝術大学)のクラスメート、
クロイツァ教授と(室井さんは右から2番目)(写真提供:室井摩耶子)

室井摩耶子さん4

プロデビュー後、人気ピアニストとして注目を集めていた時代の室井さん(写真提供:室井摩耶子)


☆「現代音楽の室井」と注目

室井摩耶子さん5

1955年、映画「ここに泉あり」に本人役のピアニストとして岸恵子さんと共演。
山田耕作さんの指揮で、チャイコフスキーのコンツェルトなどを弾いた(写真提供:室井摩耶子)

音楽の本質は何かと、自分自身に問い、モーツァルトやベートーヴェンは、
日本人には理解できないのではないか、と思い悩んだ室井さんは、コンサートではクラシックを避け、
ポール・デュカスやエリック・サティといった現代音楽を数多く演奏した。

「現代音楽の室井」と注目されるようになった1955年、
「ここに泉あり」(監督:今井正、主演:岸恵子)という大ヒット映画に、
指揮者の山田耕筰とともにピアニストの本人役で出演する。
34歳のときだった。

ピアニストとして一世を風靡したが、
それでも、何かが足りないという思いを拭い去ることができず、
ヨーロッパで音楽の本質を掴みたいという思いは、より一層強くなっていった。

そんな中、1956年にウィーンで開催された「モーツァルト生誕200年記念祭」に、
日本代表として派遣された。

同年、第1回ドイツ政府給費留学生にも推挙され、ベルリン音楽大学に留学することになる。

室井摩耶子さん6

1960年、ベルリンでのリサイタルのプローベ(舞台稽古)(写真提供:室井摩耶子)

室井さんがドイツで師事したケンプ教授は、
若くて優秀なピアニストを世界中から呼び寄せ、ベートーヴェンのゼミを開講した。

ゼミの修了時、教授の勧めでベートーヴェンのソナタ4曲を弾くリサイタルを開催し、
これが思いの外好評だった。

そのリサイタルをきっかけにその後20年にわたり、
ドイツを拠点に海外13カ国で演奏活動を行うようになった。

1964年には、ドイツで出版された『世界150人のピアニスト』に選出され、
世界的なピアニストとしての地位も築いた。

当時は日本でもコンサートを度々開催しており、
高松宮殿下が室井さんのファンで、
コンサート会場に毎回訪れたという逸話もあるほどだ。

「ドイツにいざ行ってみたら、20年も向こうで過ごすことになってしまいました(笑)。
 ドイツ人は、私はこう思う、私はこうしたい、私はこう感じるということ、
私というものをとても強く持っていて、とても大事にしているんです。

それは、音楽をするということについても全く同じなのです。
私は20年かけて、『音楽語(音楽で物を言うということ)』を見つけることができました」

 

室井摩耶子さん7

1960年、ベルリンの街頭に貼られたデビューリサイタルのポスター。
「MUROI」の文字が見える(写真提供:室井摩耶子)

 

☆音楽は、音で作った詩であり小説であり戯曲

1982年、61歳で帰国した後も、
自ら構成やトークを考えた「トーク&コンサート」を定期的に開催するなど、
活躍を続けてきた。

そんな室井さんだが、ピアニストとしてある使命感に駆られているのだという。

「ドイツ語に『ムジチーレン(Musizieren)』という言葉があるの。
日本語に直訳すれば、『音楽をする』という意味になるけれど、
ドイツでは『音楽は、音で作った詩であり、小説であり、戯曲である』
という意味で使われているんです。

ドイツで学んだこの“音楽の本質”を、日本でももっと広めたいと思ったんです。

子どもたちに音楽を教えるとき、五線譜を把握するのは難しいので、
何となく弾ければいいとなりがちで、例えば休符ひとつとってみても、
なぜここで休符が出てくるのか、
そもそも休符とは、何かを真剣に理解しようとする姿勢が、日本の音楽には欠けています。

帰国した当時から、日本の音楽教育では技術ばかりが、
優先されているのは、おかしいと感じていました。

ただ楽譜通りに上手に弾くのではなく、
曲に何が描かれているか、何を伝えたいかを読み解いて、演奏することが大切なのです」

だからこそ、室井さんの教え子には、プロのピアニストとして活躍している人も少なくないのだろう。


☆発見がないとダメ

室井摩耶子さん8

1960年、ベルリンの街頭に貼られたデビューリサイタルのポスター。
室井さんの顔写真も(写真提供:室井摩耶子)

介護していた父親が亡くなった後、
「平屋暮らしだったから、どうしても2階建てに住んでみたい」
と、80歳を超えて家を新築したというが、

「防音にすると言ったら、ご近所の皆さんが、ピアノの音が聴こえなくなるから、
やめてっておっしゃるんですよ」
とほほ笑む。

そんな室井さんは今でも、1日4時間の練習を欠かさない。
それは深夜にまで及ぶことがあるという。

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ドイツで活躍していた時代の室井さん(写真提供:室井摩耶子)

「この弾き方の方が、綺麗かもしれない、作曲家はこう語りたかったんじゃないか、
と考え出したら、それを突き詰めるように、ずっと弾いてしまうんです。

音の種類や深さが、自分の生き方からにじみ出てくるので、
これまで演奏した曲でも、自分が変化すれば、表現も変わってきます」

以前はつまらないと思っていたバッハの曲も、
年齢を重ねるにつれ、曲から匂いたってくるものを感じるというのだ。
だから年齢もあまり気にしていなかったと笑う。

「いくつになっても『発見』がないとダメなのよね。
同じ曲を何百回も演奏しているけれど、
前と同じように演奏しても、聴いている人には伝わらないのよ。

感動が生まれない。
新たな発見があった分だけ、感動してもらえるのです。

室井摩耶子さん10

1963年、ベルリンフィル新ホールの開館式典に招待されたときの様子。
エスコートしているのは政府高官(写真提供:室井摩耶子)


百寿のコンサートのときには、
そうか私は100歳なのかなんて、あらためて考えました。

年齢相応と言われる考え方や、行動に縛られるのが嫌で、過ごしていたら、
いつの間にか100歳になっちゃった(笑)。
でもこの頃は、“100歳効果”もあるんだからと、大いに威張ってるのよ(笑)」


エネルギッシュに過ごす室井さんだが、実は70代で肺がんを患っている。
96歳のときには大腿骨を骨折し、手術とリハビリを余儀なくされた。

それでも「ピアノを弾き続けたい」という一心で、病気も怪我も克服してきた。
そんな強靭な精神力と体力を持つ室井さんにとっては、
コロナの存在もどうということはないようだ。

「最初は、コロナと人間とのケンカだと思っていたけれども、
ベートーヴェンを弾いていて、とってもうまくいったある日に考えが変わったんです。

コロナさん、私たちはみんなベートーヴェンの音楽に浸りきっていますから、
そこにいたければ、いたっていいのよって」

ポジティブな言葉が、ユーモアを交えて繰り出される。
明るく元気に生きる秘訣は、いったいどこにあるのだろうか。

室井摩耶子さん11

1967年、ニッポン放送公開録音にて、高松宮殿下と(写真提供:室井摩耶子)

室井摩耶子さん12

室井さんのファンだったという高松宮殿下は、
音楽会には足しげく通っていたという(写真提供:室井摩耶子)

 

☆「私は肉食人種長寿族」

「お肉は、よく食べます。フィレ肉がいいの。エネルギーの持ちが違う。

昔は、フィレ肉って、なんでこんなに高いのかしらと思っていたけれど、
与えられるエネルギーが全然違うんだから、
しょうがないのかなと思うようになりました。

朝食も、トーストにハムかソーセージといった肉けのものを一緒に、というメニューを、
ドイツに住んでいた頃から60年以上続けています。

今でも、肉を食べて、胃もたれするということはありません。
内臓がうまく働いてくれていると思うので、祖先に大いに感謝しないと」

「私は肉食人種長寿族だから」と冗談めかして笑い、
食事の基本は「好きなものを好きなときに、好きなだけ食べる」ことだという。

ピアノに生涯を捧げ、現在も一人暮らしをしているが、
ホームヘルパーに来てもらう週2日以外は、
身の回りのことは、すべて自分でこなしている。

ストレスを意識しないことも、健康で長生きできる秘訣のようだ。

「“好きなこと、やりたいことをやる”というのが、
ストレスをためずに、健康でいられる秘訣。

いくつになっても、ああベートーヴェンは、こんなこと語っている、
すごいなーなんて感じるのは、ありがたいことですよね。

好きなことをしているからきっと、
“あの人はわがまま放題”って言われているかもしれません(笑)。

それと楽しく生きるコツを強いて言えば、
人様の考えが自分と合わないときには、
自分とは違うその人の考え方と割り切って、サッと流す。

くよくよもしない。
何があっても、『もういいよ。次に行こう』と切り替えることです」


☆「神様、もうちょっと向こう向いてて」

室井摩耶子さん13

室井さんは、今でも1日4時間の練習を欠かさず、深夜に及ぶこともあるという

決して偉ぶって、語ろうとはしない。
人の悪口は、絶対に言わず、ポジティブな言葉しか使わない。

そんな室井さんの生き方のスタンスそのものが、
豊かに生きるということなのかもしれない。

生涯現役のピアニストとして、ここからさらに目指すこととは。

「4月7日に開催したコンサートの映像をテレビで観た方が、
ベートーヴェンの月光の最初の一小節を聴いただけで、
(感動で)鳥肌が立ったとおっしゃってくださいました。

その言葉を聞いて、もう天にも昇らんばかりにうれしかったんです。
聴いた方に喜んでいただけることこそ、私にとっても最高の喜び。

演奏によって、物語が紡がれていくと、
聴いている人の気持ちも、また豊かに膨らみを増すものです。

音楽はやはり、演奏者と聴衆が一体となって作っていくもの。
聴いている人が、演奏家に心を委ねて、一緒になって楽しんで感動してくれたら、
演奏家としてその幸福に勝るものはありません。

まだまだ現役でいたい。
だから高齢と言われる年齢に達してからは、
『神様、私ね、まだまだやらなきゃならないことがあるから、
もうちょっと向こう向いててね』
って、ずっと思っているんですよ」

確かな技術を伴いながら円熟味を増し続ける演奏と、しなやかで柔和で芯の強さを感じる人柄。
現役のピアニストとしてはもちろんのこと、室井さんには、人としても惹きつけられる魅力があった。

小川美佳(おがわ・みか)
千葉県出身。文化、医療、健康、グルメ、街ネタ等幅広く取材する雑食系ライター。
医師やアーティスト、アイドル、学芸員、飲食店店主、高校生等、インタビューした数は1,000名以上におよぶ。
どのジャンルにおいても、正確な情報を分かりやすく伝えることをモットーとしている。

デイリー新潮取材班編集・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



記事を読みながら、「室井摩耶子さん」は大正の時代より長年の人生航路を、
私は初めて学びながら、人生に対して、前向きな思考で過ごされ、
音楽に対する深い思い・・
圧倒されながら、多々学んだりした。

こうした中で、特に《・・ただ楽譜通りに上手に弾くのではなく、
曲に何が描かれているか、何を伝えたいかを読み解いて、演奏することが大切なのです・・

「この弾き方の方が、綺麗かもしれない、作曲家はこう語りたかったんじゃないか、
と考え出したら、それを突き詰めるように、ずっと弾いてしまうんです。

音の種類や深さが、自分の生き方からにじみ出てくるので、
これまで演奏した曲でも、自分が変化すれば、表現も変わってきます」・・》

そして《・・聴いた方に喜んでいただけることこそ、私にとっても最高の喜び。

演奏によって、物語が紡がれていくと、
聴いている人の気持ちも、また豊かに膨らみを増すものです。

音楽はやはり、演奏者と聴衆が一体となって作っていくもの。
聴いている人が、演奏家に心を委ねて、一緒になって楽しんで感動してくれたら、
演奏家としてその幸福に勝るものはありません。・・》

こうした思考を学びながら、恐れ入りました・・、敬意を重ねたりしている。

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新型コロナワクチンで抗体がつきやすい人、つきにくい人、76歳の私は学び、微苦笑して・・。

2021-06-28 14:48:45 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している【 日刊ゲンダイヘルスケア 】を見ている中で、
『  新型コロナワクチンで抗体がつきやすい人、つきにくい人 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
75歳以上のワクチン接種に関しての通知案内書が配達されたのは、
5月15日であった。

そして『集団接種』、或いは『個別接種』が選択できると知ったりした。

そして5月20日に、ワクチン接種の予約した結果、
1回目は、6月5日、そして2回目は3週間後の6月26日に、接種を受けたりした・・。

このようにワクチン接種の受けたが、何かと鈍感な私は、平素の体調と変わらず、
微苦笑をしたりした・・。



しかしながら何かと無知な私は、《・・抗体がつきやすい人、つきにくい人・・》って、
どのようなことなの・・と遅ればせながら学びたく、記事を読んだりした。


この記事は6月22日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・  新型コロナワクチンの64歳以下への接種がいよいよ始まった。
気になるのは、どんな人に抗体がつきやすいのか、つきにくいのか、と副反応だ。

そこで、これまでの日本人のワクチン接種から明らかになった、それぞれの特徴を整理してみた。



■20代女性は60代男性の2倍の抗体を獲得

千葉大学病院が職員1774人に対して、ワクチン接種前と2回接種後での抗体量を調べたところ、
99・9%とほぼ全員が、ウイルスと闘うに十分な量まで増やしていたことがわかった。


ただし、抗体は、年齢や生活習慣でつきやすさが、異なることが明らかになった。

抗体がつきやすいのは
「女性、若い、新型コロナ感染者、花粉症薬などの抗アレルギー薬の内服あり」で、
つきにくいのは「年配、男性、お酒好き、免疫抑制剤・副腎皮質ステロイド内服あり」だった。

実際、千葉大の調査では、20代女性と60代男性とでは、
抗体量が2倍近く違っており、新型コロナ感染歴のある人の方が、
接種後の抗体量が多いことがわかった。


また、毎日飲酒する人は、まったく飲まない人に比べて、20%も抗体量が少なかった。

では、接種からどのくらいで感染防御機能は高まるのか?

国立感染症研究所の「新型コロナワクチンBNT162b2(Pfizer/BiоNTech)を
接種後のCOVID―19報告率に関する検討」(第1報)によると、

1回目の接種を終えた医療従事者のうち、接種後に新型コロナ感染が判明したのは281人。
1回目の接種日からどれくらいの期間で感染したかを調べたところ、
0~13日が181人、14~20日が41人、21~27日は34人、
28日以降は25人と接種から2週間ほどで感染を抑える効果が生まれることがわかった。

1回目接種から2週間は用心した方がいい。



■2回目接種から30日後には中和活性が40%減

ただし、それが長続きするのかは不明だ。
国立国際医療研究センターが、メディア向け勉強会で明らかにしたファイザー製ワクチンの接種後の
中和活性の変動や抗体価の動きによると、

2回目の接種から7日後の中和活性は、1回目のそれよりもほぼ8倍上昇したものの、
2回目接種から30日経つと多くは、中和活性は低下し、平均で40%減少していたという。

医療従事者223人を対象にした研究結果だ。
むろん、これは途中経過でハッキリしたことは言えないが、
ワクチンを2回接種しても、その後も打つ必要があるかもしれない。




■副反応は若い女性に多いが心筋炎は若い男性


気になる副反応はどうか。
今月9日の厚生労働省の専門部会に提出された、
5月30日までの副反応の累積数は、2万5032件。

副反応で多いのは順に、発熱3724件、倦怠感2425件、頭痛2256件、
アナフィラキシー反応1247件、関節痛960件、悪寒942件、疼痛884件、
悪心・嘔吐794件、そう痒症630件、ワクチン接種部位疼痛613件、
紅斑530件、蕁麻疹475件、異常感426件、筋肉痛424件、発疹407件、浮動性めまい401件など。

男性より女性に出やすく、ファイザー製ワクチンデータでは男性1911件(うち重篤249件、死亡59件)、
女性8728件(同1007件、63件)。

年代別で見ると40代、30代、20代、50代の順で多いが、
接種数を考えると、若い人ほど副反応が出る確率が高い。
なお、心筋炎は若い男性に多いことがわかっている。‥ 》
 
 
今回の記事《・・抗体がつきやすいのは
「女性、若い、新型コロナ感染者、花粉症薬などの抗アレルギー薬の内服あり」で、
つきにくいのは「年配、男性、お酒好き、免疫抑制剤・副腎皮質ステロイド内服あり」だった。・・》
と学び、76歳で体力の衰えた私は、やむえないなぁ・・微苦笑してしまった・・。

接種からどのくらいで、感染防御機能は高まるのか?、関しては、
過ぎし日、ワクチンに詳しい北里大学の中山哲夫特任教授がテレビに出演されて、
私は多々教示されたりした。

「1回目のワクチン接種から免疫が働くまでには、10日間から2週間はかかるとみられ、
それまでは免疫応答は何も出ておらず、感染防御能はまずない。

そこから少しずつワクチンの効果が出てくる。
2回目の接種から1週間ぐらいして中和抗体ができることで、
感染や重症化を抑える強い免疫になる。

一方で、ワクチンは2回接種したとしても、
必ずしも100%感染を抑えるわけではないので、
安心して・・あちこち外出していいわけではない。
油断しては、いけない」と私は視聴しながら、学んだりしてきた・・。



こうしたことを学んできた私は、国民の多くがワクチン接種終え、
お互いに自粛すれば、やがて新型ウィルスの烈風が終息化となる・・。

こうした中で、日常生活は蘇(よみが)り、マスクもはずして、
開放感をお互いに享受したいなぁ・・、と願っている。
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年をとって『記憶力がよくなった』人たちがしている3つのこと、76歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2021-06-27 11:19:49 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見ている中、
『 年をとって「記憶力がよくなった」人たちがしている3つのこと 
                        読者調査で判明 』、
と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。





私は過ぎし6年前の70歳を過ぎた頃から
齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、
その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。


しかしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

たとえば祖父と父が健在だった頃、

所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、小学校に入学する前年の1950年(昭和25年)の夏、
『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、今でも心の片隅に残っている・・。


   

ここ数年、無念ながら物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、
確か私が小学3年生の頃、 亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんが
『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、

 収容できずオバー・フローになり、忘れてしまうことで、
悩が適度な記憶量に調整を図っている、 と無念ながら思ったりしている・・。

しかしながら時折、家内より『今からボケたら、困るわょ・・』、
と私は叱咤激励をされる時もある。




私が恐れていることは、いつの日にか認知症になってしまったら、
自身の意志が伝わらず、ささやかな日常生活に困苦するので
《・・年をとって『記憶力がよくなった』人たちがしている3つのこと 』って、
どのようなことですか、と思いながら真摯に記事を精読してしまった。

この記事は、『女性セブン』の
2021年6月17日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の【 NEWSポストセブン 】に於いて、6月26日に配信され、
無断ながら、記事を転載させて頂く。


《・・物忘れが増えてくると、「年だから仕方ない」と思いがちだが、本当にそうだろうか? 

世間には50歳を過ぎて司法試験に合格する人もいれば、
医師免許を取得した人もいる。

彼らはどこが違うのだろうか? 
その答えは、女性セブンが実施したアンケートにあった。

年齢を重ねて、「むしろ(記憶力が)よくなった」人たちに共通する
生活習慣があることがわかった――。

 
今回の記事《・・『記憶力がよくなった』人たちがしている3つのこと・・》を読みながら、
私は微苦笑したしまった・・。

◆1・・・6割が習い事や勉強をしていた、関しては、

私は年金生活の中、多くの方と共に習う事、或いは修学にどは、
長年サラリーマンをしている中、何かと共同作業が必要で、もとより束縛されていた為か、
せめて年金生活で大切な時間は、『ひとり遊び』としている。

たとえばブログを投稿したり、魅せられた御方の投稿文を読ませて頂き、
このように過ごされているのか・・と学んだりしている。

或いはデジカメで、ともすれば忘れがちな情景を、
記憶のかたみ・・と思いながら、撮ったりしてきた・・。



◆2・・・「人と話す」、「声に出して読む」ことが脳の刺激に関しては、

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、
恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。


或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

しかしながら昨年の2月より、新型ウィルスの烈風で、
世の中は『三密(密集、密接、密閉)』となり、
私は生まれて初めてマスクをして、買い物、散策をしているが、
知人に逢っても、お互いに2メートル近く離れて、身振り手振りも交えて談笑している。

或いは人影の少ない処を選定して散策しているが、
人影が途絶えた所は、こっそりとマスクを外すこともある。

このように新型ウィルスの烈風に伴い、閉塞感があり、
何かとおしゃべりな私は、困苦しているのが実態となっている。


 

◆3・・・物覚えがよい4割の人が、日記をつけている関しては、  

私は「日記をつけない」が、ブログの投稿文だけは、
パソコンの故障、国内旅行、入院をしていない限り、ここ16年、毎日投稿している。

ボケ防止もあるが、許された自由時間の多い年金生活に於いて、
何となく惰性で過ごすのは、自身によくないので、せめて頭の体操と思いながら、
投稿しているのが実態となっている。

《・・「運動は、脳の血流をよくすることで、記憶の定着をサポートします。
 運動をしすぎると、体の酸化を進めて、老化につながるので、
 つらさを感じない程度の運動を、毎日するのが重要です。・・》
体力の衰えを実感している私は、無理は禁物だよねぇ・・微笑み返しをしてまった。



余談であるが、本日は買い物の予定日に伴い、我が家の買物専任者の私は
家内から先程依頼された品・・忘れてはいけないと思い、
メモ用紙にピーマン、ニンジン、ダイコン・・と書いたりしている。
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二回目のワクチン接種、76歳の私は終えて、少しばかり安堵し、やがて・・。

2021-06-26 11:29:35 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
こうした中で、私の住む調布市より、
75歳以上のワクチン接種に関しての通知案内書が配達されたのは、
5月15日であった。

そして『集団接種』、或いは『個別接種』が選択できると知ったりした。

この後、私は我が家より近くにある内科専門医院があり、
医院長は信愛できる御方なので、『個別接種』にした。



そして5月20日に、ワクチン接種の予約をする為に、
この医院に行ったりした結果
一回目は、6月5日・・午前8時より、
二回目は、三週間後の6月26日・・午前8時より、
と決定した。

やがて6月5日に一回目の接種を受け、接種前の体温は36.1度で、
直後に何ともなかったので、平素の通り買い物、散策をした後、夕寝を一時間した後、
わずか微熱が出て、36.6度であった。

そして入浴を断念して、寝る前の11時に、
検温したら、平熱の36.2度となり、微苦笑したりした。



この間、一回目のワクチン接種の問診の時、医院長より、
『XXさん・・特に二回目の接種後に、強く痛みを感じた場合に備えて、
お薬をお出ししましょうか・・』
と微笑みながら、私に言ったりした。

そして何かと小心者で感受性の強い私は、
『お願い致します・・何分、気弱な身でして・・』
と私は微笑みながら、医院長に応(こた)えたりした。

こうした私は、炎症を抑える薬、喉の腫れや痛みを抑える薬、
熱を下げる薬・・と称されているイブプロフェン錠を3日分を頂き、
二回目の6月26日の接種後の副反応に備えてきた・・。



そして本日の26日、予定通り二回目の接種を受け、
帰路、明日は雨に備えて、コンビニに寄って、
少しばかり買い物をして帰宅した・・。

接種を受けて3時間過ぎているが、
何かと鈍感な私は、平素の体調と変わらず、微笑んでしまった・・。

もしかしたら何の変化もなく、明日の朝を迎えられるかも知れない、
と漠然と思ったりし、少しばかり安堵した・・。


 
しかしながら過ぎし日、ワクチンに詳しい北里大学の中山哲夫特任教授がテレビに出演されて、
「1回目のワクチン接種から免疫が働くまでには、10日間から2週間はかかるとみられ、
それまでは免疫応答は何も出ておらず、感染防御能はまずない。

そこから少しずつワクチンの効果が出てくる。
2回目の接種から1週間ぐらいして中和抗体ができることで、
感染や重症化を抑える強い免疫になる。

一方で、ワクチンは2回接種したとしても、
必ずしも100%感染を抑えるわけではないので、
安心して・・あちこち外出していいわけではない。
油断しては、いけない」と私は視聴しながら、学んだりしてきた・・。



こうしたことを学んできた私は、国民の多くがワクチン接種終え、
お互いに自粛すれば、やがて新型ウィルスの烈風が終息化となる・・。

こうした中で、日常生活は蘇(よみが)り、マスクもはずして、遠慮なく談笑でき、
旅行に行けるよなぁ・・と空を見上げながら、祈願したりしている。
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パソコン『ウィンドウズ11』発表に伴い、私なりのパソコンの購入歴に思いを馳せて・・。

2021-06-25 15:12:54 | ささやかな古稀からの思い
先程、パソコンを立ちあげて、ニュースを見ている中で、
と題された見出しを見たりした。

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桔梗(ききょう)、つたない人生航路を歩んだ私でも、長らく心を寄せて・・。

2021-06-24 14:09:52 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
いつものように自宅の3キロにある公園、遊歩道、住宅街の歩道を散策すると、
あじさい(紫陽花)は多彩に彩っているが、
まもなく桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)が咲く頃かしら、
と歩いたりしてきた・・。

過ぎし一週間前に、公園の中で、今年初めての木槿(むくげ)の花を見て、
今年も咲いてくれた・・と微笑みながら、見惚れてきた・・。



そして遊歩道の片隅にも、咲き始めて、初夏の彩りの情景に、
心は和(なご)んだりした・・。



昨年の2月より、新型コロナウィルスの烈風に伴い、幾たびの自粛に私は戸惑い、
閉塞感のある世の中に息苦しく感じていた私は、
多種多彩な木槿(むくげ)の花に、心が浄化されたりした。




このような心情で散策していると、6日前に桔梗(ききょう)にめぐり逢えて、

青年期に恋焦がれた恋人に逢えたような心情で、
長らく見惚れたりした・・。



私が桔梗(ききょう)の花に魅了されたのは、
思い馳せれば東京オリンピックが開催された1964年より、数年後であった・・。

東京オリンピックが開催される直前、私は二十歳の誕生日を迎え、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した後、アルバイトをしながら、
養成所に通い映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。

この後、養成所の講師の知人の新劇の長老からアドバイスを頂き、
映画で生活をするは大変だし、まして脚本で飯(めし)を喰(た)べていくは困難だょ、
同じ創作するなら、小説を書きなさい、このような意味合いのアドバイスを頂いたりした。

                       

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたりした・・。

そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしたりした。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。


私は作家・立原正秋氏に関しては、確か純文学の月刊誌を購読してまもないころ、
氏の著作の『剣ケ崎』(新潮社)の短編集を購入し、

深く魅せられて、過去に発売された単行本の『薪能』(光風社)を古本屋で買い求めたりした。

そして、これ以降は作品、随筆が発表されるたびに、
買い求めて、熱愛し、精読していた・・。

この当時の私は、アルバイト・契約社員などをしながら、小説の習作に専念していた。
確かな根拠はなかったが、私には独創性がある、と独りよがり自信にあふれて、
純文学の新人コンクールの小説部門に応募したりした。

しかしながら、当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、
こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

こうした中、街中の園芸店で、片隅にあった
桔梗(ききょう)の花に、

立原正秋氏の書物から感じられる香りに、漠然としながら感じたりした・・。

やがて春の彼岸の時、私の実家で、お彼岸の懇親の時、親戚の小父さんから、
『今は若いからよいとしても・・30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤された。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。



やがて、1980年(昭和55年)の夏、立原正秋氏は無念ながら病死され、

これ以降も追悼などで、立原正秋氏の綴られた未刊の小説、随筆が出版されたり、
或いは立原正秋氏の友人、知人らに寄る氏に関する随筆が出版され、
私は買い求めていた・・。

こうした中、私は園芸店で桔梗(ききょう)を10前後買い求めて、
庭先の片隅に植えたりし、まもなく桔梗(ききょう)の花が20数輪彩ったりした。


その後、三周忌記念出版として、『立原正秋全集』全24巻が角川書店から、
昭和59年(1984年)から発刊され、私の書棚には単行本が少なくとも30数冊はあったが、
心新たにの思いで購入した。
そして、愛惜を重ねながら、毎月配本されるたびに改めて精読したのである。

私は拙(つたな)い読書歴なかで、小説・随筆に関して、
明治以降の作家の中で、最も影響を受けたのが、立原正秋氏となった。

作品はもとより、文体、そして庭園、茶事、食べ物、日本酒、焼き物など、
私の青年期から30代の終わりの頃まで、多大に教示された人であった。



そして私は氏が埋葬されている北鎌倉にある寺に、
心の節度としてお墓参りに訪れた時、境内に桔梗(ききょう)の花が7輪咲いていて、
御手本のように整然と植えられて、感銘させられたりした。

しかしながら、まもなく会社の業務も多忙となり、庭の手入れもままならず、
やがて宿根草の桔梗(ききょう)でも雑草にまみれて、あえなく消え去ってしまった。

これ以来、我が家の小庭には桔梗(ききょう)はなく、
自宅の3キロにある公園、遊歩道、住宅街の歩道を散策した時、
めぐり逢えた時、愛惜を重ねながら、お待ちしていましたょ・・、
と心の中で呟(つぶや)きながら、長らく見惚れたりしている。


余談であるが、桔梗(ききょう)は万葉集の中で、
秋の七草と称され「朝貌の花」は本種であると、学んだりしてきた。

そして秋の七草覚えるには、
・女郎花(オミナエシ)
・薄(ススキ)
・桔梗(キキョウ)
・撫子(ナデシコ)
・藤袴(フジバカマ)
・葛(クズ)
・萩(ハギ)

上から頭の文字をつなげて「お好きな服は(おすきなふくは)」という覚え方が、
やさしいですょ・・と年配のうるわしき女性から、
私が40代の初めに教えて頂いたりしてきた。

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『沖縄慰霊の日』、戦争を知らない無力な76歳の私、私なりの沖縄のささやかな思いは・・。

2021-06-23 13:23:05 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
今朝、ぼんやりと洗面した後、玄関の軒下に下り立ち、襟を正して南の空に向かい、
黙祷したのは朝の7時過ぎであった。

私は1944年〈昭和19年)9月下旬に今住んでいる近くで、農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に、日本は敗戦となった。

そして敗戦時は、一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、
少なくとも沖縄戦が事実上集結したこの日の6月23日は、
『沖縄慰霊の日』と命名された厳粛な日として学んできたひとりである。

          

この後、8時過ぎにテレビのニュースを視聴したりした・・。

《・・23日は太平洋戦争末期、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から76年の「慰霊の日」です。
新型コロナウイルスの感染対策で、追悼行事が中止や縮小を余儀なくされる中、
糸満市の平和祈念公園では、朝早くから祈りをささげる人たちの姿が見られます。

昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、
県民の4人に1人が命を落としました。


沖縄県は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。

最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、
朝早くから戦没者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」の前で、
祈りをささげる人の姿が見られました。


平和祈念公園では、正午前から戦没者追悼式が行われます。

ことしは緊急事態宣言が出ていることから、
新型コロナウイルスの感染対策のため参列者を30人ほどにとどめるなど、
去年からさらに規模が縮小されます。


県内では各地で慰霊祭が相次いで中止になったほか、
休校で平和学習を行うことができなくなるなど
これまでに増して戦争体験の継承が難しい状況となっています。・・》

このようにニュースを視聴して、改めて終結から76年となった・・、私は深くかみ締めて、
やがて私なりの沖縄のささやかな思いを馳せたりした・・。

          

たまたま過ぎし2018年10月21日より、
沖縄本島のブセナ岬にあるリゾートホテルに4泊5日で滞在旅行をして、
こうした中で、私なりの沖縄のささやかな思いを投稿してきたので、あえて再掲載をする。

『 新北風(ミーニシ)の吹く爽やかな中、沖縄本島のブセナ岬にあるリゾートホテル滞在記 』
(2018.10.21.~10.25.)

第5章 とりとめなく館内で沖縄のささやかな思いを馳せれば


滞在している『ザ・ブセナテラス』の室内のベット、窓際の安楽椅子、

そしてバルコニーにある安楽椅子で、ときおり持参した本を読んだりした・・。

              

この本は、昨年の1月下旬、平素の買物で駅前に行った時、本屋に寄った時に見かけて、
瞬時に読みたくなり、講読した一冊であり、感銘を受けて、改めて今回再読したく持参したりした。

そして館内のゆったり休息処の安楽椅子に座りながら、再読した・・。

              

私は1944年〈昭和19年)9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に日本は連合国のポッタム宣言を受け入れて、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりである。

しかしながら少なくとも沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』には沖縄本島に向い、
対戦中のアメリカが、人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下された8月6日の『原爆の日』には広島市に、
その後まもない9日の長崎にも原子爆弾が投下された『原爆の日』には長崎市に向い、
そして8月15日の敗戦なのに『終戦記念日』称している日には皇居に向い、黙祷を重ねたりしてきた・・。

こうした根底には、かの大戦に於いて、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
ここ50数年、黙祷をして尊い命のご冥福を祈っている。


そして私はいつも感じることは、若き10、20代の諸兄諸姉に対して、
少なくとも日本の過去には、こうした現実があった、と認識して欲しい、
固く願っているひとりである。


          

沖縄に関して、恥ずかしきことを告白すれば、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の当時、
私は大学2年で中退し、映画、文学青年の真似事をしている中、
たまたま中野好夫、新崎盛輝の両氏による共著『沖縄問題二十年』(岩波新書)を読んだりした。

そして高校時代以来、何かと時事に関心を抱き、ベトナム問題と同様に
まとまりつかない沖縄問題に思考が整理できず、深く悩んでいた・・。

そしてこの本に出会ったのは、21歳の時だった。

若き私は感受性が豊かな時であったので、知識人の確かなアドバイスを頂いたようになり、
この本の言葉に導かれて、私は沖縄に対しての理論整然と見方として教示され、基軸となった・・。

これ以降、やがて社会人となり、そして定年退職後の生活を送っている今でも、
沖縄、オキナワ・・ことばを読んだり聴くたびに、
何かしら今だに、後ろめたい気持ちを引き摺(ず)っている。

私はこの一冊の本に寄り、沖縄に於いては、安易な観光気分で訪れることが出来なくなり、
この後30年後の50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、更に思いを深めたりした・・。

この後、名嘉正八郎、谷川健一両氏の編集に寄る『沖縄の証言 ~庶民が語る戦争体験~』《上》、《下》(中公新書)を
1977年11月に購読してきた。

そして太田昌秀・著作の『沖縄の帝王 高等弁務官』(朝日文庫)を1996年2月に購読して、
敗戦後の沖縄にアメリカ軍政下の実態を多大に学んだりした。


もとより太平洋戦争で、日本の国土である沖縄列島が直接に戦闘地域となり、
軍人の死もさることながら、一般の人々までが戦場の中で多大な犠牲の上、沖縄戦は事実上集結した日である。

そして沖縄県は『慰霊の日』として、戦没者追悼式が毎年行われている。

          

何よりも戦時中、日本の本州の防波堤となり、
直接にアメリカ軍との激戦地となり、民間の住民まで戦禍にまみれ、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
せめて『慰霊の日』は、沖縄に向って黙祷を重ねたりしてきた。


私よりご年配の方はともかく、私より若き世代の人たちの一部に、
『沖縄慰霊の日』の由来を誰でも解り易く、簡潔に記した書物は、
私が知る限り、知識人の藤野邦夫(ふじの・くにお)氏の書かれた『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)であり、
この中で、この『沖縄慰霊の日』を明記されている。

そして私は若き人たちと共有致したく、今回もあえて転記させて頂く。

《・・ 太平洋戦争が最終段階に入った1944年(昭和19年)3月、
本土決戦を引き延ばす目的で、沖縄に第32軍(牛島満・司令官)が配備された。

そして全島を要塞化する計画が推進されたが、
10月10日の大空襲で、守護隊は大きな被害を受けて、那覇市は全焼。
548人の一般市民の死者をだした。

この後、守護隊の主力部隊が、フィリピン作戦、に狩り出された為、
軍首脳部は県民の中から、人員を補充せざるを得なかったのである。
沖縄戦が始まった時点の兵力は、約10万人とされるが、その3の1は、前記のような補充兵だった。

これに対し、ミニッツ太平洋艦隊司令官の基に、バックナー中将の率いるアメリカ軍の艦船は、約1500隻。
兵力は17万3000人で、後方支援部隊も合せると、実に44万人に達したという。

兵器と爆薬の面でも、心もとない守護隊に対して、アメリカ軍は圧倒的に優位にたっていたのである。

このアメリカ軍が、1945(昭和20年)年3月23日、沖縄諸島に激しい艦砲射撃をくわえた。

彼等は、26日に慶良間列島を確保した後、4月1日から沖縄本島に対する上陸作戦を開始した。

日本軍の主力が、首里を中心に配備されていたので、アメリカ軍はさほどの抵抗も受けずに上陸を完了し、
沖縄本土は南北に分断した。

この後、アメリカ軍は、南部にいた日本軍に対する総攻撃を開始。
両軍の激戦は40日におよび、劣悪な条件で戦った日本軍の抗戦には、すさまじいものであった。
しかし、この戦いの為、守護隊の主力は壊滅した。

残った約4万人の兵力は、5月22日に、更に南部に撤退した。
ここには推定で約10万人の県民も避難した為、沖縄戦は過酷な様相を呈することとなった。

勢いに乗るアメリカ軍の激烈な攻撃にさらされる極限状況の中で、
日本軍による一般人の虐殺、食糧の強奪などが発生。

更に、女子学生で組織された看護隊『ひめゆり部隊』の悲劇にみられるような、
県民達の凄惨な事件が続発した。

          

そして6月23日、牛島司令官の自決。
ここで日本軍の組織的な抗戦は終結した。

しかし、引き続き行なわれたアメリカ軍の掃討作戦で、6月末までに、約9000人の日本兵が犠牲となった。

この三ヶ月間の戦闘死者は、日本軍6万5908人、県出身の軍人2万8228人、
アメリカ軍1万2281人で、計10万5417人。 
そして一般の県民は、推定で9万4000人が亡くなった。

軍人よりも一般人の犠牲者が多い所が、沖縄戦の非人道的な面が如実に現れている。

沖縄県では、沖縄が事実上終結した6月23日を『慰霊の日』とし、1951年(昭和26年)から祝祭日に指定。
糸満市の『平和記念公園』で、戦没者追悼式が行なわれている。 ・・》

注)原文よりあえて改行を多くした。

私は転記しながら、改めて再確認しながら、戦争とは、かくも果てなき残虐の行為である。
          

                         

私は50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、初めて沖縄諸島を観光で訪れたが、
この中のある時、海原を観ていた時、ガイドさんが、
『あの海の彼方は・・アメリカの艦隊でいっぱいだった・・とご年配の方から教えて貰いました・・』
と私はガイドさんから教えて頂いた。

そして私は、前方の海原にアメリカの艦隊がひしめき、
そこから艦砲射撃がされ、沖縄本土が被弾する状況を想像した時、
私は胸が熱くなり、そして涙があふれていた・・。

          

私は『沖縄慰霊の日』、そして原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、8月9日の『長崎被爆』、
そして 敗戦となった8月15日は、
たった一枚の赤紙(召集令状)で徴兵され、戦場で亡くなわれたお方たち、
或いは戦時下、空襲などで亡くなわれた多くの人々に哀悼の意を表して、
毎年この日に黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。

                     

そして今回、掲載した数々の写真は、過ぎし2007年〈平成19年〉10月29日から8泊9日間で、
私たち夫婦は家内の母と共に、沖縄本島の一部を訪れた時に撮ったものである。

家内の母は、1930年〈昭和5年〉生まれであり、
この数か月前に、死ぬまでに一度は沖縄の《ひめゆり塔》を参拝したい、と家内に言ったりした。

家内の母は、戦時中は(新潟県)高田の女学校時代に於いて、
軍事工場の支援に強制従事させられた体験を含めて、
何か平和祈念公園の中で、沖縄戦で亡くなれた新潟県の墓地にも花をささげたい、
このような慰霊の旅路を、この沖縄の前半の時に私たち3人は巡礼した。

この後、佐野眞一・著作の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(2008年、集英社インターナショナル)、
『僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記憶』(2013年、集英社インターナショナル)を読み、
沖縄の光と影を学んだりしてきた。

或いは福永文夫・著作の『日本占領史 1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』(2014年、中公新書)、
改めて敗戦後の怜悧な国益に基づいた実態史を多々教示されたりしてきた。

そして大久保潤、篠原章・共著作の『沖縄の不都合な真実』(2015年、新潮新書)、
ロバート・D・エルドリッヂ著作の『オキナワ論』(2015年、新潮新書)、
高良倉吉・編著作の『沖縄問題 ~リアリズムの視点から~』(2017年、中公新書)、
篠原章・著作の『外連の島・沖縄 ~基地と補助金のタブー~』(2017年、飛鳥社)、
沖縄の現実の難題を多々学び、無力な私は憂いたりしている。

この間、改めて沖縄戦の過酷な実態は、ユージン・B・スレッジ・著作(訳・伊藤 真、曽田和子)の
『ペリリュー・沖縄戦記』(講談社学術新書)を読み、戦地でそれぞれ置かれた人が、
狂気のふるまいに、映像では表現しずらい多くのことに、震撼させられてきた。

          

私は沖縄問題にも専門知識がない浅学のひとりであるが、時代に翻弄される沖縄県民に、
ときには深く感傷させられる時もあるが、
長い展望でそれぞれの家族ひとりひとりが少しでも豊かさを求めて欲しい、
と政治の思惑より現実経済向上を願うひとりである。

このような思いを重ねて、今日に至っている。




余談であるが、私は沖縄、石垣島を旅をした時、最も魅了された歌は、
恥ずかしながら吉川安一さんが作詞された『芭蕉布』である。

もとよりBEGIN(ビギン)の『島人ぬ宝』、夏川りみの『涙そうそう』であり、
そして喜納昌吉の『花』、宮沢和史の『島唄』もある。
或いは寺島尚彦さんが作詞され、森山良子さんが唄われた『さとうきび畑』もあり、
いずれも私は、百回以上聴いている満天の星空のような名曲である。

私は沖縄、石垣島を旅路の中、時折かぼそい声で唄ったりした・・。

♪海の青さに 空の青
 南の風に 緑葉(みどりば)の
 芭蕉(ばしょう)は情(なさけ)に 手を招く
 常夏(とこなつ)の国 我(わ)した島沖縄(うちなー)
【 『芭蕉布』 作詞・吉川安一、作曲・普久原恒男 】

そして長き沖縄列島の歴史の中に、翻弄されてきた島民の苦楽、哀歓に、
無力ながら思い馳せたりしている・・。

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【東京五輪】「無観客」を拒否し続けたのは、IOCでなく日本側だった、無力な私は学び、動顛・・。

2021-06-22 14:40:51 | ささやかな古稀からの思い

先程、パソコンを立ちあげて、ヤフーより配信されているニュースを見ている中で、
と題された見出しを見たりした。

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、記事を読みながら、政府や組織委など日本側が、
なぜそこまで頑なになってまで上限1万人の有観客にこだわるのか、
ネットで公開された記事で学んだりしてきた・・。

【JBpress】に臼北 信行さんが6月17日に寄稿された一部の中で、
記載されていた・・。

《・・大会関係者に対して、「そこまで金儲けしたいのか」と非難する向きも少なくないが、
前出の関係者は「それは否定しないが・・・」と前置きし、こう述べた。

このような記事を読んでいた私は、東京オリンピツクに関して、
新型コロナウイルスの終息の気配もない中、開催させようとしている。

そして開会式の入場者数について、1万人とか騒がれているが、
国民には『三密(密集、密接、密閉)』を長らく強制して、
オリンピックだけは特例として、狭い選手村、各競技場は人出で密集させ、
菅首相は狂気のような言動で邁進している。

先程、【キャリコネニュース】読んだりしていると、

《・・神奈川県の50代女性は、
「子どもたちの学校行事はやらせてもらえないのに、
海外から出入りのあるオリンピックやるなんて絶対おかしい。

まず国民が普通の生活を取り戻すのが、オリンピックなんかより絶対先」
と憤る。
このように、子どものイベントを中止している中での五輪開催に疑問を持つ声は多い。

50代男性も、「目の前の子どもたちの体育祭などを中止にしているのに、
オリンピックって・・・」と呆れた様子で、
「国を挙げての祭典かもしれないですが、五輪延期から1年たった今でも、
すべてにおいてコロナ対策が中途半端な感じなので、
この際思い切って中止にしたほうがいいのでは?」
(東京都/企画・マーケティング)
と綴っている。・・》

このような記事を学びながら、無力な私は溜息ばかり重ねている。

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緊急事態宣言2カ月ぶり解除、無力な76歳の私は、ぼんやりと・・。

2021-06-21 16:01:58 | ささやかな古稀からの思い

先程、パソコンを立ちあげて、ヤフーより配信されているニュースを見ている中で、
と題された見出しを見たりした。

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70歳からの人生で、予期せぬ出費を招く「落とし穴」、76歳の私は学び、溜息を重ねて・・。

2021-06-20 15:23:04 | ささやかな古稀からの思い

先程、パソコンを立ちあげて、ヤフーより配信されているニュースを見ている中で、
と題された見出しを見たりした。


☆自分は大丈夫と思っている人ほど危ない

「自分は絶対に病気になる!と思って生活している人は、あまりいませんよね。
なので、実際に病気になったときの治療費や入院費などは
本人にとって“思いがけない”出費となります」(横手さん、以下同)

加えて苦労して確保した老後資金を、大きく減らしてしまうこともある。

「退職金を投資にまわし、減らしてしまう人は、意外と多い。
さらに、家族間のコミュニケーションが減っていたり、
認知能力が下がっていると、詐欺にあってしまうことも」

自分は、大丈夫と思っている人ほど、意外な落とし穴に、はまってしまいがちなのだ。

「老後に仕事第一だった夫がうつ病を発症したり、
熟年離婚をしてしまうなど、人生は本当にいろんなことが起きますよね。

100年と考えると、老後は非常に長い期間。
どんなトラブルが想定されるのか、事前に対策を練っておくことをおすすめします」



☆お金がなくてもトラブルを回避!

老後資金を確保するだけでも大変なのに、
あらゆるトラブルを想定しておくなんて・・・。

考えただけでもサジを投げたくなるが、
お金が少なくても、乗り切れる方法があるのだとか。
それは、今まで以上に、自分の心と身体の健康を大切にすること。


「食事は腹八分目にして、早寝早起き、適度な運動を心がけること。
当たり前の健康習慣を大切にすることが、何より大切です。

何を当たり前なことを、と思うかもしれませんが、
“病気になったら、いくら必要”と考えるより、
病気にならない工夫をしたほうが、ずっと安くつきますから」

各年代で起こりうるリスクと、その回避策を紹介する。


☆【70歳】後期高齢者になる前に資産の棚卸しを

金融広報中央委員会の調査によると、70歳の平均貯蓄額は1314万円(2人世帯以上)。
けれどもこれは、富裕層も含めた平均値。


「富裕層など、極端な数字の影響を受けにくい値である中央値を見ると460万円。
その額しか貯蓄がない人が多いというのが現状です」

この金額は、現金預金だけでなく有価証券や保険も含むので、
実際に使えるお金はもっと少ない人がほとんど。


また総務省「2019年家計調査報告(家計収支編)」によれば、
高齢夫婦無職世帯の可処分所得は約21万円。
一方、支出は約24万円で、普通に生活するだけでも月3万円、
年間で平均36万円の赤字となる。

資産が460万円あったとしても、およそ12年程度で資金ショートに!


「たとえ70歳時点で、1000万円の現金があったとしても、
病気や介護が必要になれば、月の赤字が10万円以上になることも珍しくない。
そうなると10年もたないのです」

生活費が、予算オーバーしていないか、
含み損を抱えた投資信託を見るのが、怖くなっていないか・・・
しっかりと家計を振り返ろう。


「70歳を過ぎるころから、医療費や介護費が、一気に押し寄せてきます。
その前に、今ある資産をすべて棚卸しし、換金できるものがあれば現金にかえて。
現状をしっかりと把握しておくことが肝心です」


●横手'sアドバイス『健康&労働で老後破産を回避!』


ほとんどの70歳が資金不足。
自宅を売ればいいと考えている人も多いが、
東京以外は買い手がつかず、希望価格に満たないことが多いそう。

おすすめはアルバイトです。
時給が1000円だとすると、毎日5時間×20日間で月10万円の収入を得ることができます。

健康に気をつけ、無理のない範囲で働き続ければ、資金プランはかなりよくなります。
適度な労働は、運動不足の解消や認知症予防にもなり、一石二鳥です。


☆【75歳】要介護認定者となり介護施設へ入所も

65歳から74歳までの前期高齢者のうち、要介護を申請する割合は、わずか4・3%。
けれども75歳以上の後期高齢者になると、実に3人に1人が要介護認定者に。


「1つのがんを治療したら、他のがんが発症したり、
認知症や心不全といった別の病気を近づけてしまったり・・・。
もぐらたたきのように病気が続くことも多いのです」

後期高齢者となり、医療費が2割から1割負担に減っても、
全体の医療費が高くなることは、十分にありえる。


「個人が一生涯でかかる医療費は、平均して2724万円。
そのうちの半分は、70歳以上になってからのものです。
実際には保険があるので、自己負担として約200万円ほどは、かかると考えてよいでしょう」

さらに介護費用も大きな負担に。
平均的な家庭で自宅介護を5年間するだけで、約500万円が必要といわれる。

面倒をみてくれる子どもがいなければ、
民間施設に入る必要が出てくるので、さらに1000万円かかることも。


「とはいえ高齢者の約10%は、亡くなる間際まで、元気な状態で過ごしています。
多少の病気は抱えつつ、健康寿命を延ばす生き方を目指したいものです」


●横手'sアドバイス『フレイルにならない生活を心がけて』


フレイルとは、身体機能や認知機能の低下が見られるものの、
要介護にまでは至らない状態のこと。

医療費と介護費を抑えることは、余裕のある老後を送るためのキーポイントですから
フレイルにならない生活を心がけるのが、何より大切。

タンパク質などの栄養をしっかりとり、筋肉を鍛え、質のよい睡眠をとるようにしてみて。
今から生活習慣を見直し、介護予備軍となるフレイルを少しでも遅らせるようにしましょう。


 

☆【80歳】1度だまされると何度でもやられる!

令和元年の詐欺による被害総額は、約316億円。
10年前と比べて、約3倍にも増加。


「被害者のうち60歳以上が約88%で、このうち3人に2人が女性です。
80歳になると判断能力が低下。
さらに目や耳も機能が衰えてきますから」

さらに、1度だまされたら、複数回だまされる可能性が。

「例えば“送りつけ商法”。
ある日突然、注文をしていないものが送られてきて、
不当な金額の請求書が入っている。

うっかり代金を振り込むと、次々と詐欺商品が送られてきます」。
私はだまされない、という人ほどご注意を。


●横手'sアドバイス『家族に資金管理を依頼して徹底ガードを』


不審な着信は、家族や友人に相談を。

また自動通話録音機を使うのも手。
自治体によっては、高齢者に無料で貸し出しをしています。

また、信頼できる子どもに資金管理をお願いしておけば、振り込むことができません。



☆【82歳】銀行から引き出せず生活困窮!?

高齢化とともに、認知症患者数も増えており、80歳を越えると有病率が24・4%、
85歳を越えると55・5%に。


「認知症状ばかりに目が行きがちですが、お金の面でも、かなり深刻な問題が出てきます」

まず、銀行の預金が下ろせなくなる可能性が。

「ATMなどで、暗証番号が思い出せず、自分で引き出せなくなることがあります。
そして窓口に問い合わせをした場合、行員と簡単な受け答えができないと、
払い出しを断られることがあるんです」

生活費はおろか、施設に入るための預金も引き出せない・・・なんてことが起きる。

また不動産を売って老後資金にしようと考えていた場合も、
「認知症になると、法律上“意思無能力者”となるので、不動産売却も不可能に。

いつかやろうと思っていた贈与や遺言といった相続対策もできなくなり、
遺産をめぐるトラブルが起きることも多いんです」


☆【90歳】途中でやめられない“延命治療”

女性の2人に1人が、90歳以上生きる時代。

「90歳を越えると、寝たきりリスクが格段に上がってきます。
病気で入院したのをきっかけに、回復することもなく、
延々と治療がほどこされるケースが多々あります」

自分で治療をやめたいと申し出ない限り、
家族や医師の判断だけで、延命治療を中止することは難しい。

また2007年の日本医師会資料によると、
死亡前1か月間にかかった医療費を終末期医療費として捉えた場合、
1人当たりの終末期医療費の平均額は112万円という報告が。

実際には、数か月と長引くケースが多いのです。


「生涯にかかる医療費の多くが、この終末期医療費と捉えてもいいほど。
ずっと病院で、死ぬまで苦痛に耐え続けなければならない。
当然、治療費もかさむ。
残された家族への負担も大きくなります」


●横手'sアドバイス『80歳を過ぎたら自分の最期を考えて』


意思能力があるうちに、延命治療や看取り方について示しておきましょう。
公証役場で手続きをする“尊厳死宣言公正証書”や、
日本尊厳死協会に会員登録をしておくと、延命中止の効力が高いです。




☆認知症で起こりうるお金トラブル

 認知症で財産凍結になると……

・遺言書が作れない
・不動産や株式の売買ができない
・定期預金、保険が解約できない
・介護資金が出せない
・生活費が出せない

●横手'sアドバイス『元気なうちに対策をして穏やかな晩年に』

認知症による財産凍結を回避するには、任意後見制度か家族信託がおすすめ。
任意後見制度は、後見人を自分で選び、認知症になった後の生活をどうしてほしいかなど
事前に契約してお願いすることができる。

家族に依頼するのが一般的ですが、おひとりさまや子どものいない夫婦なら、
信頼できる人に頼むことができます。

さらに、財産の種類が多岐にわたるなど、相続方法が複雑な場合は
合法的に円滑な財産管理ができる家族信託の利用を。
いずれも認知症になってからでは利用できないので、元気なうちに検討を。

認知症で起こりうるお金トラブル
 
 
☆教えてくれたのは・・・横手彰太さん
老後問題解決コンサルタント。
不動産会社の日本財託に勤務し、数多くの老後問題に遭遇、解決に導いてきた。
特に相続、家族信託のアドバイスに定評が。講演会やテレビ出演など多方面で活躍中。
著書に『老後の年表』(かんき出版)など。

                      (取材・文/樫野早苗)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、老後問題解決コンサルタントの横手彰太さんより、
多々教示されたりした・・。

これから私たち夫婦は、人生の晩秋期を迎えるので、
多岐な難題があり、少しづつ話し合ったりしている。

たとえば、特に延命治療は中止して欲しく、日本尊厳死協会に、
私たち夫婦は、それぞれ会員登録を、一年前にしたりした。

そして難題は認知症であり、たとえば任意後見制度などは、
検討ばかりで、確定にはいたっていない・・。



いずれにしても亡くなるまで、人それぞれ多岐な課題があると思われ、
ぼんやりと溜息ばかり重ねたりしている。

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「マスク熱中症」を防ぐ正しい使い方、遅ればせながら私は学び、多々教示させられて・・。

2021-06-19 14:10:41 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している【 日刊ゲンダイヘルスケア 】を見ている中で、
『 「マスク熱中症」を防ぐ正しい使い方
            気温上昇でトラブル増加 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。


そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
 

          

こうした中で、私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。

          

こうした時、ときおり  ♪しあわせは 歩いてこない  だから歩いて ゆくんだね・・ 
何かと単細胞の私は、1968年(昭和43年)の頃に流行(はや)った
【『三百六十五歩のマーチ』の歌を心の中で唄い、歩く時もある。

このように私は、水前寺清子さんが唄った『三百六十五歩のマーチ』の歌に、
ときおり叱咤激励されて、 何とか健康寿命の範囲にいられるので、
作詞された星野哲郎さんに感謝をしながら、
私にとっては『三百六十五歩のマーチ』の歌は、心身のビタミン剤だ、
と思いを深める時もある。

やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしている。

          

こうした根底には、高齢者は、脱水を起こしやすい要素をいくつも持っていて、 
放置すると、寝たきりや認知症を招く結果になりかねない、と学んだりしてきた。

そして脱水にならないことは、やはり喉の渇きを感じる前に、
こまめに水分補給は大切だ、 と思いながら実施してきた
     




このように一昨年までは、熱中症対策をして熱い夏を乗り越えてきたが、
昨年の2月の頃より、新型ウィルスの烈風より、
買物、散策、病院の通院など外出の時は、生まれて初めてマスクを付けてきた。

こうした中で、口の周りが熱く汗ばむようで息苦しくなり、
人影のいない遊歩道、公園などで、こっそりとマスクをはずしたりしている。

このように昨年の夏は過ごしてきたが、
今回、遅ればせながら
《「マスク熱中症」を防ぐ正しい使い方 》を学びたく、
記事を読んだりした・・。

この記事は、公式サイトの【 日刊ゲンダイヘルスケア 】に6月16日に配信され、
無断であるが、記事の殆どを転載させて頂く。


 

《・・ 今年もコロナ禍が終わらないまま、夏を迎えることになりそうだ。

ワクチン接種は徐々に進んでいるが、打てば安心というわけではなく、
感染予防のためにも、まだまだマスクは手放せない。
あらためて、夏のマスクの着け方を確認しておきたい。


外出時には、マスクを装着するのが日常となり、マスクによる健康トラブルが増える一方。
中でも、頭痛を訴える人がたくさんいて、
頭痛外来を訪れる患者が急増しているという。


マスク頭痛が起こる原因は、いくつか指摘されていて、
「自分が吐いた息をたくさん吸うことで、
脳が二酸化炭素過多の状態になり、脳の血管が拡張されて頭痛を招く」、

「マスク装着時にゴムを耳にかけることで、
首の筋肉に大きな負荷がかかり、強い首凝りが起こって頭痛を引き起こす」
といわれている。

中でも、これからの季節は「マスク熱中症」による頭痛に注意が必要だ。



東京疲労・睡眠クリニック院長の梶本修身氏は言う。


「ずっとマスクを着けていると、マスクの内側の温度は、40度を超すこともあります。
新鮮な空気を吸い込む際も、温かくなっているマスクを通過するため、
空気は暖まってしまう。

さらに吐く息がマスクを温めるので、
次に吸い込む空気にも、熱が加わって温度が上昇します。

われわれは、主に鼻呼吸で、脳を冷やしています。
鼻腔の奥には、脳とつながっている毛細血管がたくさん通っていて、
鼻呼吸によって冷たい空気を通過させることで、効率良く脳を冷却しているのです。

それがマスク着用で、冷えた空気を吸い込めない状態になると、
脳の温度が上昇して、自律神経中枢がうまく働かなくなり、
体温がコントロールできなくなって熱中症を招いてしまう危険があります」


体に熱がたまって起こる熱中症は、
目まい、吐き気、頭痛、けいれん、意識障害などさまざまな症状が表れる。



重症度はⅠ度~Ⅲ度に分類され、Ⅱ度=中等度以上になると頭痛が起こる


「脳が温まった状態が続くと、脳の細胞が熱で傷害されて炎症が起こります。
すると、損傷を受けた細胞から、
プロスタグランジンという痛みを引き起こす生理活性物質が生成され、
頭痛が表れるのです。

頭痛は、いわば脳の防御アラームですから、早急に脳を冷やす必要があります。
放置していると、重度の熱中症につながってしまいます」(梶本修身氏)




■通気性を考慮して2タイプ併用も


脳を冷やすためには、やはり定期的に鼻から、冷えた空気を取り込むことが大切になる。
どこに行くにもマスクを着けっ放しにしていると、冷えた空気を吸い込めない。

熱中症を防ぐためには、臨機応変にマスクを使い分けるのも一案だ。


今はほとんどの人が、不織布マスクを装着している。
ただ、不織布マスクは、ウイルス感染を防ぐ一定の効果が認められている分、
通気性が良いとはいえない。

その点、ウレタンマスクは、比較的通気性がいい。
ウイルス防御効果はないといわれているが、大きな飛沫をまき散らさない効果は期待できる。


「湿度が高く暖かい空気を吸い込み続けることを、避けるのが一番重要です。
通気性が良くない不織布マスクは、通勤電車内や職場など人と接する場面で装着し、
一人で屋外を移動する時は、通気性が高いウレタンマスクに替えるだけでも違ってきます。

交換する際に、マスクの表面を触らないようにして、
一時的に外したマスクは、ケースに入れておくなど注意が必要ですが、
マスク熱中症を防ぐために試してみるのもいいでしょう」(梶本修身氏)


コロナ感染を予防できても、熱中症になってしまったら、元も子もない。
気温がどんどん高くなるこれからの季節、通気性も考慮してマスクを併用したい。

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、東京疲労・睡眠クリニック院長の梶本修身さんより、
多々教示されたりした・・。

特に《・・「ずっとマスクを着けていると、マスクの内側の温度は、
40度を超すこともあります。

新鮮な空気を吸い込む際も、温かくなっているマスクを通過するため、
空気は暖まってしまう。

さらに吐く息がマスクを温めるので、
次に吸い込む空気にも、熱が加わって温度が上昇します。

われわれは、主に鼻呼吸で、脳を冷やしています。
鼻腔の奥には、脳とつながっている毛細血管がたくさん通っていて、
鼻呼吸によって冷たい空気を通過させることで、効率良く脳を冷却しているのです。

それがマスク着用で、冷えた空気を吸い込めない状態になると、
脳の温度が上昇して、自律神経中枢がうまく働かなくなり、
体温がコントロールできなくなって熱中症を招いてしまう危険があります」

体に熱がたまって起こる熱中症は、
目まい、吐き気、頭痛、けいれん、意識障害などさまざまな症状が表れる。・・ 》

こうした怖い病症に動顛させられた・・。



私は人出の多い処、時間は避けているが、
スーパーなどで買物をする時は、やむなくマスクをしっかりと付け、
やがて人影のいない遊歩道、公園などで、こっそりとマスクをはずしたりしている。

このように私は過ごしているが、今年の熱い時節は、
さわやかな初秋の風を受けるまで、出来る限り人出の少ない処を選定して、
散策しょうと思い深めたりしている。
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みちょぱ「選挙って難しいコトじゃない!」、高齢者の私でも、感心し、魅了され・・。

2021-06-18 14:38:50 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
先程、パソコンを立ちあげて、ニュースを見ている中、
と題された見出しを見たりした。

新型コロナウイルス感染防止呼びかけも兼ねた投票啓発グッズのマスクケースに、
モデルらしくポーズを決めて登場しているほか、
県選挙管理委員会の知事選特設サイトにも動画出演した。

政治の話題を避けがちな同世代に向けて
「選挙って、そんなに難しいコトじゃない。
この人なら任せられるかも、って思った人に投票すればいいと思うんだよね」、

「知らないとか、分からないからじゃなくて、スマホとかで調べれば分かるじゃん?」などと、
決して縁遠いものではないと語りかける。

そして「自分が『いいな』って思ったことを、
『いいな』ってちゃんと伝えることが大事! 

それって、今を生きていく私たち自身を、
私たちの未来を、応援することになると思うんです。
自分の一票を届けに行こう」と、選挙の意義を分かりやすく説明していく。

その上で、投票日でなくても、
商業施設などで投票できる「期日前投票制度」などを紹介。

最後に「未来を変えるのは誰だ! ワタシたちじゃん!」と呼びかけ、
一票を気軽に投じるよう訴えている。


約1万2千個つくられたマスクケースは、県内の大学での啓発イベント時などに配布されている。

みちょぱさんの動画が見られる特設サイトは次の通り。

■特設サイト(https://sapit.jp/2106_chijisen2021)・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、記事を読みながら、確かに多くの御方の意見を選挙で反映させることは、
民主主義の根幹だよなぁ・・と思いながら、
改めて感心させられて、魅了されてしまった・・。

そして私は、こっそりと添付されていた『特設サイト』を視聴して、
初めて「みちょぱ」こと池田美優さんの美麗な容姿を知り、
照れながら好感してしまった・・。

こうした真摯な英知ある県選挙管理委員会のセンスにも感心させられ、
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シニアのスマホ選び4つの注意ポイント、何かと時代遅れの私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2021-06-17 13:47:51 | ささやかな古稀からの思い

☆電話でスマホの使い方を教えるのは至難の業

70代の母:ねぇ、このボタンはなに?

50代の娘:えっ?どのボタン?

70代の母:え?よく聞こえないよ。

50代の娘:お母さん、じゃぁ音量上げてみて(イライラ)

70代の母:音量上げるってどうやるの? わかんないよ? これ押すの?「ブツッ」(通話が切れる)

コロナ禍で会えない親に、電話でスマホの使い方を教えても、
さっぱり伝わらない・・・。

スマホを巡る高齢の親と子のこんなやりとり、ありませんか・・・?


☆せっかく買ったスマホで親子喧嘩も・・・

「せっかくスマホを買ったのに、使い方を子供に聞いても、
邪険に扱われてしまい、心が折れてしまう。
結局使わなくなってしまったという話は、よくあるんですよ」

こう話すのは、シニア世代向けのスマホやパソコン講座を開催している
スマホ活用アドバイザーの増田由紀さんだ。

「目の前にいれば『このボタンだよ』ですむことも、
電話口だと、なかなか正確に伝わらない。
すべてを言葉だけ説明するのは、とても難しいんですよね」(以下、増田さん)

とくにスマホの場合、機種によって各ボタンの位置やメニューの表示が違うので、
誤解が起こりやすいという。



☆高齢の親にスマホをすすめるときの注意ポイント

1.iPhoneは、難しそう・・・は、思い込み

スマホを巡って親子のいざこざを起こさないためにも、
「シニアのスマホは、“親子で同じ機種”を持つのが、おすすめです。

シニアだから高齢者向けの機種ではなく、
お子さん世代など、教えてくれる人と同じスマホを使って欲しいですね。

たとえば、お子さんがiPhone(アイフォン)なら、自分もiPhoneにするのがおすすめ。
若い世代が使う機種は、使いこなせる自信がないという方も多いですが、
その考えはもったいない。

スマホ教室に通ってくださっている91歳の生徒さんは、
iPhoneを使いこなしていますよ。

長年シニア世代とお付き合いしてきた実感として、
高齢であっても、みなさん使いこなせるようになるんです。

年齢と関係なく、“やったことのないことに挑戦してみよう”、
“新しい道具を使ってみよう”という、前向きな気持ちが大切です」



2.親子で同じ機種にすれば教えやすい

「スマホは、機種が変われば、使い方も変わります。
使ったことのない機種を教えるのは、大変なことです。

実際にスマホを触りながら教えられるなら、直感で分かる部分もありますが、
コロナ禍のいまは、直接会うことさえ難しい状況です。

大半が、親世代に操作を教えることになると思うので、
教える側の負担を減らす意味でも、
使い慣れている自分(子世代)と同じ機種を、購入してもらった方がいいでしょう」

教えられる側としても、教えてくれる人と同じ機種の方が、
話も通じやすく、困った時に、すぐに対処してもらえる。



3.“らくらく”操作の高齢者向けスマホはどうなの?

「シニア世代が、新たにスマホを購入するときの候補として、
『らくらくスマートフォン』、『かんたんスマホ』など
高齢者向けに開発されたスマホは、必ずしもおすすめとはいえません。

高齢者向けのスマホは、操作がシンプルで機能を絞っており、
シニア世代に使いやすい面もありますが、
一般的なスマホと動きが違う部分があるんです。

一般的なスマホなら、軽くトンッとタッチすれば動くのに対し、
高齢者向けスマホは、誤作動を防ぐために、ググッと押さないと反応しないなど、
動作が一部制約されています。

“らくらく”などといった名前のイメージから、
簡単に使える、楽に使える夢のようなスマホという印象を
抱いているシニアの方も多いのですが、そんなことはありません。

新しい道具なので、どんな機種であっても、
イチから使い方を覚えないといけませんし、
使い方を子供に聞いても、子供はそれを使ったことがないから、教えられないのです」

最近は、携帯電話会社の店頭に操作を聞きに行きたくても、
コロナでなかなか対応してくれないとう現状。
やはり友人や子供と共通の話ができる機種を、選ぶのが良さそうだ。



4.価格が安いだけで買ってはいけない

「たいして使わないから、値段が安いほうがいいと、
価格で選んでしまう人もいますが、これは失敗のもと。

例えば、安く買えるからという理由で、
携帯電話会社の限定スマホを買ってしまうと、
子供や友人など、周囲に持っている人がいなければ、
使い方も教えてもらえないし、トラブルがあったときに相談できません。

コロナ禍で、オンライン化が加速し、ワクチン接種の予約をはじめ、
病院の予約にしても、スマホやインターネットの活用は、必須になってきています。
シニア世代こそ、積極的にデジタル機器を使いこなせないと生きていけません。

少し値は張っても、長く活用することを考えて納得できる機種を選んで欲しいですね」



☆シニアのスマホ選び【まとめ】

・子供と同じ機種なら、操作を教わりやすくトラブルのときも頼れる

・子世代と親世代で同じ画面で話ができるiphoneは、シニア世代にこそおすすめ

・自分は関係ないと思わずに、新しいことに挑戦する気持ちが大切

・「年だから安いのでいい」、「安いから」という理由で買ってはいけない



☆教えてくれた人 
増田由紀さん

2000年に千葉県浦安市で、初心者向けのパソコン教室「パソコムプラザ」を開校。
2020年10月より、全国どこからでも学べるオンラインスクールにリニューアル。
スマホ、iPad、パソコン講座の講師をはじめ、講座の企画、執筆、講師養成などを行う。

丁寧な解説と、わかりやすい教材が人気。シニア世代のスマホの利活用に力を入れている。
『いちばんやさしい60代からの』シリーズ(日経BP)著者。
デパートカルチャー講座、新聞・雑誌への執筆・監修など多数。

                    取材・文/鳥居優美 ・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 
 
 

今回、スマホ活用アドバイザーの増田由紀さんに導かれて、
《・・シニアのスマホ選び4つの注意ポイント・・》を多々学んだりした・・。
 
私は年金生活を過ごしている中、
ここ10年近く、確かに電車に乗車すると、前の席に座った御方たちは、殆どスマホを見たり、
街中を歩けば、歩きながらスマホを見ながら歩いている。

或いは遊歩道を散策していると、周囲の景観も視ず、
季節のうつろう美景を無視し、歩きながらスマホを見ながら歩いている御方もいる。

危険な「歩きスマホ」が社会問題となって久しいが、
2010年からスマートフォンの普及率は、急激に増加に伴い、
二宮金次郎さんの真似事をして、前かがみに歩く御方が多くなっている。



私の同世代の男性が、お孫さんからスマホを教えられた結果、
たえず持ち歩いて、友達のような玉手箱だ、と私に絶賛している人もいる。

しかしながらスマホは、なんでも教えてくれるような魔法の玉手箱であるが、
果たしてねぇ・・と私はパソコンからの情報の一部だけで十分であり、
興味がなく、保有していなく、現在に至っている・・。

しかしながら外出先で、この世は予期せぬまさかの出来事に、
遭遇するかしもしれないので、スマホをお守り代わりに、
いつの日にか必要と思ったりしている。
 
或いは首都圏大地震なとが万一に襲来した時、自宅か外出先か避難場所にいると思われるが、
こうした時は、緊急情報を知り、無力ながらも対処致したく、
やはりスマホのような情報機器が必要と思ったしている。
 


やがて、いつの日にか体力の衰え、或いは大病となり、要支援、そして要介護と身となると思われ、
こうした時はスマホのような情報機器が必要と思ったしている。


何ごとも、程々に活用されれば・・と微苦笑している。
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東京オリンピック強引開催の危険性、「最悪のシナリオ」、無力な私でも学び、震撼させられて・・。

2021-06-16 14:01:01 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
先程、パソコンを立ちあげて、ニュースを見ている中、
『 東京オリンピック強引開催の危険性
         “ザル”入国に選手団に陽性者「最悪のシナリオ」 』、
と題された見出しを見たりした。

過ぎし昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、幾たびの緊急事態の中、何かと制約が多く、無力な私でも、
苦手なマスクをしながら、「三密(密集、密接、密閉)」を避け、
人出の少ない時間、場所を選定した歩いたりしてきた・・。

しかしながら本音として、私なりに長らく自粛してきた為か、
新型コロナ疲れとなっているが、やがて感染が激少するまでは、
自粛の延長戦だ、と自身を叱咤激励をしたりしている。



昨今、65歳以上の御歳を重ねた人々が、ワクチンの接種が始まり、
やがて出来る限り多くの国民がワクチンの接種を終えた後、
新ウィルスの烈風が終息化する・・。

こうした中で、東京オリンピックが開催されるのが、
ベストと、無力な私でも秘かに思案してきた・・。

何かしら
私は、テレビのニュースで見たりして、
菅首相は、幾たびも虚ろな
まなざしで会見する実態を
テレビのニュースで見たりして、落胆を重ねてきた・・。

昨今、《・・安全安心な大会を開催する決意・・》とお題目を唱(とな)えるような言動に、
国民の健康と命に関わる新コロナウィルスの対策の責務でも、

園児のようなふるまいに、無力な国民のひとりの私でも、困惑してきた・・。

 
こうした心情を重ねてきた私は、
今回の《・・東京オリンピック強引開催の危険性・・「最悪のシナリオ」・・》、
真摯に学びたく、記事を精読してしまった。

この記事は、【 週刊女性PRIME 】が6月16日に配信され。
無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
「医学的な観点から考えれば、五輪は中止すべきであると思います」

☆東京五輪で感染爆発の可能性

☆浮かれた選手から陽性者も・・・

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、約40年にわたりワクチン研究をしてきた横浜市立大学名誉教授・奥田研爾さんの論説、
感染学にも無学な私は、震撼しながら、多々教示されたりした。

過ぎし日、菅首相は、東京や大阪など9都道府県に発令している
新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を6月20日まで延長すると決めた、
テレビのニュースで私は知ったりした。

しかしながら、会見した菅首相は
「度重なる延長は・・心苦しい限り」と理解を求め、
オリンピック開催への反対論には、「安全、安心の大会に向けた取り組みを進めている」
と発言されていた。

しかし約3週間という延長幅についても、解除の要件についても、
明確な根拠や基準は示されず、幼稚園のクラス会のような中途半端であった。

延長は、やむを得ないとしても、国民にさらなる負担を強いる以上、
どうすれば日常を取り戻せるのか、収束に向けての出口戦略を示すのが、
国の最高責任者の責務である。

そして何かと無知な私は、
菅首相は単なる「五輪ありき」の7月23日開幕の東京オリンピックを見据え、
その1カ月前まで宣言を維持して、感染を可能な限り抑え込む危うい姿勢に、
落胆したりした。

昨今も感染者数が高止まりし、病床の逼迫(ひっぱく)が続く中、
感染者が下がりきらない中で解除した場合、
対策を緩和すれば再度の感染爆発を招きかねない。

そしてオリンピックの日程に縛られることなく、
指標に基づいたリスク分析と評価が必要だ、と新聞から学んだりした。


こうした中、感染のリスクを負うのは私たち国民であり、
菅首相は国民の健康と命を守る責務を放棄したら、
総理大臣の資格はない、と動顛しながら、思い重ねたりしている。

コメント (2)
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