夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活を15年生の私、 齢を重ねるたびに、何かと『都心』は苦手となり、微苦笑して・・。

2019-04-30 14:44:06 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む身であるが、
私の生家も近くにあり、この地域で1944年(昭和19年)秋に農家の三男坊として生を受けて、
結婚した前後の5年間を除き、これまでの69年近くこの地で過ごしてきた・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後40数年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると後期高齢者入門の75歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となる。

私の住む地域では、本日は小雨が降ったり、止んだりして、
ときおり雨上がりの清々しい小庭をぼんやりと眺めたりしていると、
人出の多い『都心』には、年金生活を14年半ばかり過ごしてきた中、
齢を重ねるたびに苦手になってきた、と微苦笑したりした・・。

私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、都心の『東京駅』、『羽田空港』を利用した以外は、
年に数回ぐらい家内に引率されて、都心の新宿にある『伊勢丹』、『小田急』、『京王』のデパートに買い物をしたり、
冠婚葬祭、懇親会で都心にあるホテルに行ったりする程度となっている。

                             
                              
私は地元の調布市の小学、中学校を卒業した後、
1960年〈昭和35年〉の春から都心の高校に通学した。

それまでは幼年期に於いて、母に連れられ、新宿の『伊勢丹』のデパートに行ったりして、
階段の踊り場、そして新宿の地下の通り道などで、
不幸にして戦争で身体の一部を失くされ、軍歌の音色とも、その容姿を見るのが恐かった。

小学校の高学年になると、付近の調布、布田、千歳烏山の映画館に、独りでよく通ったりした映画少年のひとりで、
こうした中、次兄から都心の『日比谷』にある映画を観ようと、
新宿から築地行きの都電を乗ったが、乗り物の酔いで私はしょげたりした・・。

確かあの当時の都電は、運賃は均一13円と記憶しているが、
下車したら当然もう一度支払う必要があったので、日比谷まで頑張れ、と次兄に励まされ、
青ざめた顔で日比谷で降りた記憶が残っている。
                     
高校は中野区に所在していたが、新宿を経由し通学したので、
『荻窪』行きの都電を利用したり、或いは中央線で『中野駅』から歩いて登校したりした。

下校は、殆ど新宿の繁華街を通り、食べ盛りであったので、
街中の食堂でカツ丼とか親子丼、或いはラーメンを午後の3時過ぎに食べることが多かった。
そして、独りで映画館に立ち寄ったりしていた。

こうした中で、『小田急デパート』が開業したり、やがて『京王デパート』が開業されたりし、
特に新宿の西口は激しく変貌し、その後に高層ビルが林立していった。

こうした中、私は読書も好きだったので、『神保町』の古本街に行ったり、
ときにはロードショウと称された映画の封切館で、上映された日比谷の映画街なども通ったりしていた。
1964年〈昭和39年〉の秋に東京オリンピックが開催された数年前の出来事である。

大学に入学してからは、映画鑑賞に没頭していたので、新宿、日比谷の映画館を中心で鑑賞していたが、
名画が上映すると名高い池袋の『人生座』と銀座の『並木座』は、私なりに欠かせない映画館となっていた。

やがて東京オリンピックの開催していた1964年(昭和39年)の秋、
京橋の『近代美術館』に於いて、日本映画の昭和初期からの名画特集を上映していたので、 私は日参したりしていた。

そして映画を観る以外は、新宿の『紀伊国屋書店』、このビルの中にある喫茶の紅茶専門店を利用したり、
ときには『新宿御苑』を散策したりした。

                         

こうした中、映画の脚本家になりたくて、大学を中退し、
芸能専門養成所のシナリオ科に通った頃は、 銀座の『松坂屋』の裏手のビルに教室があり、
数寄屋橋から歩いたりしたが、 お金に余裕のない私は、大人の街である銀座の高級店には縁がなく、
もっぱら大衆向けの店を利用したりしていた。

そして映画青年の真似事の生活を過ごし、 アルバイトや随時契約の単発仕事で何とか生計を立てていたが、
養成所の講師の知人の新劇の長老から、 映画は益々衰退して、まして脚本家で飯(めし)が食えるのは、少ないので、
同じ創作するならば小説を書きなさい、とアドバイスを頂いたりした。

まもなく私は文学青年の真似事に転身して、契約社員をしながら習作をし、
こうした中で純文学の小説の新人募集に3回応募したが、最終予選の寸前で敗退したりした。

このような状況の時、 叔父からは、30過ぎた時、きちんと家庭を持てるだけの力があるの、と言われたりしたので、
根拠のない自信ばかり過ごしてきた私でも、敗北宣言をして、通常の社会人に戻る決心をした。

この時代は高度成長期であったが、大学を中退し、もとより企業の中途入社は容易ではなかったので、
やむなくコンピューターの専門学校でソフト科に1年間学び、 何とかこの当時は大手の音響・映像メーカーに中途入社できたのは、
25歳を過ぎた1970年(昭和45年)の春であった。

                                  

この音響・映像メーカー会社は、この中のひとつとして音楽事業本部があり、
 レコードの有力な幾つかのレーベルを管轄していた。

私は入社試験の面接の最終時に、テレビ・ステレオなどのハード系より、
何かしらソフト系のレコード部門に心身相応しいと思っていたので、懇願して配属して貰った。

入社した直後、現場を学べ、と指示されて、 横浜の新子安にある工場の一角で、商品管理の部署に勤めていた時、
まもなく大手のレーベルが、外資系のレコード会社として独立した会社となり、私も転属された。

やがて私は、10ヵ月後に本社のコンピュータ専任として異動させられた。
本社は『赤坂見付』駅前の東急ホテル・ビルの一角にあり、
私は1971(昭和46)年の早春から数が月程、通った。

この東急ホテル・ビルの2階は小売専門店が並んで、 おしゃれな高級店も数多くあったが、
私は喫茶店を利用できる程度であった。

この当時も赤坂は、銀座と同様に大人の街であったので、 若いサラリーマンの身の私は、
TBS方面の小料理店で昼食を食べたりした。

まもなく本社が『六本木』に移転したので、 この後の1992年(平成4年)までの20年ばかり、
私は六本木の界隈の空気と共に過ごした。

                                           

1971年(昭和46年)5月に本社が六本木の所在となり、
四丁目の交差点から100メートルぐらいにあるビルが勤務地となった。

この当時の四丁目の四つ角に於いては、
本屋の『誠志堂書店』、喫茶風の飲食店の『アマンド』、『三菱銀行』の支店があり、
最寄には『俳優座』や中華料理の『楓林』があった。

そして近くには都の経営する大衆的な『六本木食堂』があったり、
イタリア料理の『カーディナル』、日本料理の大衆店の『正直屋』などの小料理店があったりした。

或いは喫茶店としては、洋菓子の『クローバー』、『貴奈』をはじめとし、数多くの喫茶店があった。
こうした中で 『俳優座』のビルが新築過ぎた頃から、街は急速に変貌を始じめた・・。

レコード店の大型店の『WAVE』、そして本屋の『青山ブックセンター』に通ったり、
或いは日本料理の『美濃吉』を利用したりしていた。
          
こうした中、 私は1972年(昭和47年)の頃から、シャンソンに熱中したので、
銀座の『銀巴里』でコーヒーを飲みながら、数多くのシャンソン歌手の唄声を聴いたりした。

こうした『銀巴里』の往還の時、近くにある『ヤマハ 銀座店』で、
数多くのシャンソンのLPと称されたアムバムを買い求めて、熱中して聴き込んだりした。

そして、ときには水割りのウィスキーを呑みながら『蛙たち』でシャンソンに酔いしれた。
或いは、渋谷にもカンッオーネを主体の店にも足を運んだりした。

この当時、私の勤務上、兄弟会社のようなレコード会社が原宿のピアザビルにあって、
『原宿駅』、『表参道』などからシステムの業務提携の関係で数年通ったりした。                     

この間、私は六本木にある会社に通勤していたが、この六本木のはずれに『防衛庁』があった。
六本木の地下鉄の駅を出ると、四丁目の交差点があり、
ここから200メートル前後に東西南北に小さな複合ビルが立ち並びんでいた。

この繁華街のはずれに防衛庁があったので、何となくとりとめのない感じを持った。
防衛庁の塀は、安すぽいコンクリートで囲みを造り、正門は頼りのない感じであった。

最初、この正門を通った時、私が高校一年の時の1960年〈昭和35年)の安保闘争の時、
全学連等のデモ隊が押し寄せた場所だったのか、と考え深げであった。

私はいつも退社後、地下鉄の駅に向かうと、繁華街を目指した人々とすれ違った。
ビジネスマンは少なく、遊びに来ている人のほうが圧倒的に多かった。
この繁華街のはずれに防衛庁があったので、誰しも違和感を持っただろう・・。

              

その後、地下鉄の千代田線が開通となり、『乃木坂』駅が出来て、
この駅から防衛庁の正門前を通り、 四丁目の交差点までの大通りに客足が増えた。

確か1982年〈昭和57年)の頃と記憶しているが、防衛庁も塀、門扉を一新し、小奇麗になった。
そして私は退社後、この通りを歩いて『乃木坂』駅に向かった。

途中、黒人兵が日本の若い娘と腕を組んだり、或いは若い娘のグループたち、
そして30前後の女性の一部が、ノーブラで高価なブラウスを召して、さっそうと歩いてくるのを、
パブル経済の最中といえども、街の中でもかょ、と私は戸惑いながら苦笑したりした。

その後、ディスコ・ブームとなり、六本木の繁華街は益々大人のおもちゃ箱をひっくり返したように、
活気と喧騒につつまれていた。
しかし、この大通りの200メートル前後の防衛庁だけは、いつもひっそりしていた。

その後、防衛庁は市ケ谷にある自衛隊の基地に移転したが、
この六本木の跡地から江戸時代の小判が出てきた、と風の噂さで私は聞いたりしていた。

このようなことを思い馳せたりしたが、六本木のあの時代の空気を知っているひとりとして、
私は防衛庁の跡地の「東京ミッドタウン」は魅力もなく、興味がないのである。

              

          
1992年(平成4年)の5月過ぎに、レコード会社の合併により、渋谷の外れの勤務となり、
私が20代の後半に散策した『パルコ』、『スベイン坂』、『道玄坂』を懐かしんだりした後、
東急の『文化村』を知り、その後にライブなどで幾たびか通ったりした。

私の現役サラリーマン時代は、中小業の多い音楽業界の中のあるレコード会社であり、
管理畑が大半であったので、 世間で称されている会社の交際費を利用した社用族には皆無であり、
銀座の一流と称されるバー、料亭などの世界は知らない。

このような状況であったりして、私は大手企業で昇進を重ねるエリートの方たちとは、
程遠いサラリーマンの身なので、 シティ・ホテルなどに関しては、
『帝国ホテル』、『ニューオータニ』、 『六本木プリンス』、『品川プリンス』、『京王プラザ』等ぐらい利用した程度である。

 つたない私としては、駅付近の商業ビル内の食事処、街中の専門料理店、 居酒屋をたびたび利用していた。
そして、ときには血気盛んな若き頃は、風俗店に行ったりしていた。
                  
               

2004年〈平成16年〉秋に定年退職した後、
人出の多い都心には疲れた為か、或いは齢を重ねた為か、
『六本木ヒルズ』、防衛庁の跡地の『東京ミッドタウン』、東京駅に近い『新丸ビル』等の興味がない。

このように長年に於いて苦楽を共にした都心であったが、私の心は遥か彼方遠くなっている。

年金生活をしている中、ときおり、新宿の『伊勢丹』、『小田急デパート』、『京王デパート』、
或いは登山、ハイキングのアウトドアの専門衣料店で買物をしたりした後、
帰路の最寄の『成城学園前』の駅ビル、付近の食事処で食事をするのが、
何かしらほっとし、気楽に食べ、呑んだりしている。

日常の多くは、小田急腺の『成城学園前』、『喜多見』、『狛江』、
京王線であったならば、『仙川』、『つつじヶ丘』、『調布』の駅付近で充分と思っている。 

何より気楽なのは、自宅の小庭の落葉樹の四季折々のうつろいを眺めながら、
コーヒーか煎茶を飲みながら、家内とおしゃべりをしたり、 食事をするのが
心身の波長に最良となったりしている。

或いは私は独りで、自宅の周辺を散策したり、或いは近くに流れる野川の遊歩道を歩いたり、
ときおり『神代植物園』に行ったりして、 常緑樹、落葉樹の季節のうつろいに心を寄せたりするのが多い。

              
          
 私たち夫婦は、ときたま旅行を重ねているが、
自宅から一時間ばかりの東京駅を利用する時が多いが、
高層ビルの並ぶ都心を眺めたりすると、 心の中で、めまいを感じたりしていることが多い。

そして旅先で、その地の料理、和菓子、日本酒をほめ、
偶然にその地の方たちと談笑したり、 宿泊先の仲居さんにからかわれたり、
或いは温泉に入浴したりして、 その地の風土を愛(め)でるのが、
つたない人生航路を歩んだ私の心の良薬となっている。

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年を取ったら、歯磨きは朝食後より「起床後すぐ」がいい理由、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2019-04-29 17:29:38 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】を見ていたら、
『 年を取ったら 歯磨きは朝食後より「起床後すぐ」がいい理由 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
歯磨きに関しては、年金生活を始め以来、時間に余裕があるので、
朝食後、そしてや夕食が終わり、やがて寝る前に、一日2回ばかり歯磨きをしている。

何かしら《・・歯磨きは、朝食後より「起床後すぐ」がいい理由・・》を読み、
どうしてなのょ・・と思いながら記事を精読してしまった・・。

この記事は、公式サイトの【 日刊ゲンダイ 】の『ヘルスケア+』に、 
2019年4月28日に配信され、 無断であるが記事を転載させて頂く。   

                                          

《・・年を取ったら歯磨きは朝食後より「起床後すぐ」がいい理由         
               

歯磨きをする回数は1日2回が5割弱。
「マイボイスコム」が今年1月にインターネット調査を行った結果だ。


それによると、「外出先で食事後などに、歯磨きをすることが習慣になっている」は6%、
「外出先で、歯を磨くことがある」が16.4%。

今回で4回目の調査になるが、
1日3回、歯磨きする人は過去に比べてわずかに増えており、
「4回以上」も毎回微増している。

「酒を飲んで酔っぱらってバタンキュー」の人間には、驚くばかりだ。


ところで毎朝ふと気になるのが、朝起きてすぐに歯磨きをした方がいいのか、
それとも朝食後でいいのか? 


効率の良さを考えると、後者になるが・・
池袋大谷クリニック・大谷義夫院長は、「エビデンスはありませんが」とした上で、こう話す。


「たとえば会社を定年退職した高齢者などで、朝は余裕がある。
早起きして新聞を読んで、ゆっくり時間を過ごしてから朝食を取る。
そういう方は、朝起きてすぐに。歯磨きをした方がいいでしょう

呼吸器内科の専門医である大谷院長は、
口腔内の細菌が起こす誤嚥性肺炎などのリスクに着目。

その観点からすると、眠っている間は、唾液の分泌量が少なくなるため、
口腔内で細菌が増加する。

となれば、できれば朝起きてすぐ、何かを口にする前に、
それらの細菌を歯磨きで、外に出した方が賢明だ。


「しかも、高齢者は、のみ込む力が衰えているため、誤嚥しやすい。
すると口腔内の細菌が肺に入り、誤嚥性肺炎を引き起こすのです。
誤嚥性肺炎は、高齢者においては死因のトップです」(大谷院長)


では、中年以下の世代は、どうかというと、
大谷院長の意見は「朝食後でもいいんじゃないでしょうか」。

起床後すぐに磨いた方がいいものの、朝の慌ただしい時間に歯磨きして、
身支度を整えて、朝食取って、また歯磨きして・・はなかなか難しい。

時間がないために朝食抜き、となるなら、歯磨きは朝食後で構わないので、
健康のために朝食を取った方がいい。

               


それよりも大谷院長が重視するのは、夜の歯磨きだ。
前述のように、寝ている間に口腔内の細菌が増殖する。

その増殖を少しでも抑えるには、寝る直前にしっかり歯磨きし、
フロスや歯間ブラシなども使って汚れを取り除く。
「酔ってバタンキュー」の人に関しては、大谷院長から次のようなアドバイス。


「飲んでいても。寝る前のトイレの際に、歯磨き習慣を」

 朝しか歯磨きせず……というのは、何としても避けるべきだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
 
               

記事を読み終わった後、多々教示されたりした。

《・・眠っている間は、唾液の分泌量が少なくなるため、 口腔内で細菌が増加する・・
できれば朝起きてすぐ、何かを口にする前に、 それらの細菌を歯磨きで、外に出した方が賢明・・
しかも、高齢者は、のみ込む力が衰えているため、誤嚥しやすい・・》

そして《・・眠っている間は、唾液の分泌量が少なくなるため、 口腔内で細菌が増加する。
こうした中で、一部の御方は、口腔内の細菌が肺に入り、誤嚥性肺炎を引き起こす・・》

もとより高齢者は、誤嚥性肺炎は死に至る天敵であるので、
私は今後、目覚めた後は、最優先として歯磨きをする、と決意したりした。

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「おなら」がたくさん出て困るのは、腸内バランスが崩れいる、恥ずかしながら74歳の私は初めて学び、やがて微苦笑して・・。

2019-04-28 12:57:52 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読している公式サイトの【 NIKKEI STYLE 】を見ている中、
『 おならがたくさん出て困る…原因は腸内バランス  』と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

こうした中、私は恥ずかしながら時折「おなら」をするタイプであり、
40数年前に私たち夫婦は結婚して以来、ときおり私は室内でも「おなら」をしたりする時がある。

こうした時、たまたま付近に家内がいた時は、
『いやねぇ・・部屋が臭くなるわょ・・「おなら」はトイレでしてねぇ・・』
と私は家内から苦言されたりしてきた・・。

私は14年半前に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めると、
私たち夫婦は共に室内で過ごすことが多くなった。

こうした年金生活の当初のある日、家内が「おなら」をしたらしく、
『あたし・・最近、便秘気味なので・・「おなら」をしたので、窓を開けるわょ』
と家内は付近にいた私に、言ったりした。

『そぉ・・だけど「おなら」を我慢すると、内臓によくないから・・遠慮なく・・』
と私は微笑みながら家内に言ったりした。

昨今、私は相変わらず、ときおり室内で「おなら」をしている。

家内も私が近くにいた時、週に一度ぐらい「おなら」をしている。
『失礼いたしまして・・』
と家内は照れながら私に言ったりしている。

『XXちゃんの「おなら」なんて・・僕に比べれば可愛いもんだょ・・』
と私は笑いながら家内に言ったりしている。

このように我が家として、「おなら」にも秘めたることがあり、
今回の《・・おならがたくさん出て困る・・原因は腸内バランス・・》を真摯に学びたく、
記事を精読してしまった。


この記事の原文は、『日経WOMAN』の2013年4月号に掲載された記事のひとつで、
『日経WOMAN』の福島哉香さんが、取材されて纏(まと)められた記事である。

そして
関連の公式サイトの【 NIKKEI STYLE 】に再構成されて、
2014年9月24日に配信された古い記事であるが、
健康に関しては、時空を超える事柄であり、
無断であるが殆ど大半を転載させて頂く。

              

  《・・おならがたくさん出て困る…原因は腸内バランス

誰にも聞けない「カラダの悩み」ありませんか? 
気になっている症状に、どう対処したらいいのでしょうか。(略)

おならを知れば、腸の状態が分かります。
腸内細菌のバランスが崩れると、発生しやすくなるのです。
食生活や生活の改善を心がけましょう。

    おならがたくさん出て困っています。
    どうしたら減るのでしょうか?(32歳・メーカー・女性 営業事務)
 

臭いおならが、多いですか?
においのない、おならが多いですか?

腸の中には、善玉菌と悪玉菌が存在しています。
この2つのバランスが崩れると、おならが出やすくなるのです。

臭いおならの場合は、悪玉菌が増えている証拠。
悪玉菌は、たんぱく質や脂質をエサに増える菌。

腸の中を腐敗させて、有害物質や“アンモニア”や“スカトール”といった臭いガスを発生させます。
肉類を食べすぎると、臭いおならが出やすいというのは、悪玉菌の好きなエサが増えるから。

また、便秘になると、便の成分が腐敗して、悪玉菌が増えます。
そのほか、ストレスで活性酸素が発生し、消化吸収力が弱まると増加します。

              

いっぽう、善玉菌には、悪玉菌の活動を抑える働きがありますが、
30代以降は、減ってしまいます。


では、どうしたら悪玉菌を減らすことができるのでしょうか。
それは、食物繊維や乳製品を摂取し、腸の中の善玉菌を増やすこと。
善玉菌を増やせば、腸内細菌のバランスも戻り、おならも減ります。

一方、善玉菌が多いと出るのが、においのないおなら。
善玉菌は、食物繊維をエサに増え、腸内の食べ物を発酵し、消化吸収を助けたり、
腸のぜん動運動を促したり、免疫力を高めたりするなどの働きがあります。

体に悪影響を及ぼす悪玉菌に比べ、善玉菌は、体にとって良い菌。
においのないおならは、良いおならと考えてください。
意識しなくても、バランスのいい食生活を続ければ、おならは自然と減ります。

腸は、神経細胞や免疫細胞が集まっている大切な器官です。
食生活やストレスの影響がすぐに出るので、毎日、腸の様子に気をつけていると、
自分の体調に気づきやすくなりますよ。

腸をいたわる習慣が身につけば、自然と体も整ってきます。

              


おならの原因は?
口から飲み込んだ空気と、腸内で食べ物を分解するときに、
発生するガスが合わさったものがおなら。

ほとんどのガスは腸管に吸収されるが、吸収されなかったものが、
おならとなって、体外に出て行く。

おならは、腸内細菌のバランスが崩れたときや、
早食いをしたり、ガムや飴を多く食べたときに、口から飲み込む空気が増えて出やすくなる。

この人に聞きました

藤田紘一郎さん 東京医科歯科大学名誉教授、人間総合科学大学教授。
東京大学医学部医学研究科修了。金沢医科大学教授、長崎大学医学部教授、
東京医科歯科大学医学部大学院教授を経て現職。

専門は、寄生虫学、感染免疫学。
著書に『病気に強い人、弱い人 腸内細菌叢(そう)が寿命を決める』(幻冬舎)、
『脳はバカ、腸はかしこい』(三五館)など。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                             

私は齢ばかり重ねた74歳の身であり、何かと無知なことが多く、
一年に数回ぐらい、あなたは長年サラリーマンができたわねぇ、
と家内は私の無知にあきれ果てて、このようなことを私に言ったりしている。

今回の《・・腸の中には、善玉菌と悪玉菌が・・バランスが崩れると、おならが出やすくなるのです。
臭いおならの場合は、悪玉菌が増えている証拠。

悪玉菌は、たんぱく質や脂質をエサに増える菌。
腸の中を腐敗させて、有害物質や“アンモニア”や“スカトール”といった臭いガスを発生させ
 肉類を食べすぎると、臭いおならが出やすい
・・》

このようなことを恥ずかしながら74歳の私は、初めて学び、
微苦笑をしたりした。

私は何かと野菜、そしてヨーグルトを日々愛食しているが、
ときおり食べ忘れをすると、便秘気味になるが、
今回の『おならの処方箋』4か条を学び、良き体調に努めたいなぁ・・と微苦笑したりしている。
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令和の年金改悪 まずは「繰り下げ幅拡大」から始まる、年金生活の私は学び、やがて動顛を重ねて・・。

2019-04-27 16:56:42 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【マネーポストWEB】を見ている中、
『 令和の年金改悪 まずは「繰り下げ幅拡大」から始まる 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年退職後、やむなく年金生活を始め、
こうした理由は前回記載したので省略するが、
やはり《・・令和の年金改悪 まずは「繰り下げ幅拡大」から始まる・・》って、
どのようなことなの・・と思いながら記事を精読してしまった。           
             
この記事の原文は、『週刊ポスト』2019年5月3・10日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【マネーポストWEB】に4月26日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・令和の年金改悪 まずは「繰り下げ幅拡大」から始まる

             

「将来、こんなに財源が足りなくなる」という試算を国民に示し、
年金カットや保険料増額、支給開始年齢引き上げなどの叩き台にするものだ。

振り返ると、「平成の年金改革」は、団塊世代がターゲットだった。
人口が多い団塊世代が60歳になる前に、年金支給開始年齢が65歳へと段階的に引き上げられ、
本来もらえるはずだった60歳からの基礎年金を失った。

それ以降の世代は、軒並み年金を大きく減らされた。

「令和の改革」のメインターゲットは、団塊ジュニア(1971~1974年生まれ)だと考えられる。
現在48歳(1971年生まれ)の団塊ジュニアから、年金70歳支給になるように、
支給開始年齢を68歳→70歳→75歳へと段階的に引き上げる。

それに合わせて、「すでに年金をもらっている世代」の受給額を減らす
様々な“改革案”が用意されている。

             

☆「額面」と「手取り」が全然違う

その手始めに導入されるのが「75歳選択受給」だ。

現在の制度は、年金受給を60~70歳の間で選択することが可能で、
60歳から繰り上げ受給すると、年金額は30%減額、
逆に、最大70歳まで繰り下げると、42%割り増しの年金をもらえる。

その繰り下げ年齢を、さらに75歳まで遅らせることができるようにする。

社会保険労務士の北村庄吾氏が指摘する。
「現行の割増率で計算した場合、75歳まで繰り下げると年金は84%増になりますが、
これを100%増(2倍)にしたらどうかという議論まである。

“プレミアム”がつくことは一見、喜ばしいことに思えるかもしれませんが、
実際には国民の年金受給を先延ばしにさせようとしているに過ぎません」

75歳受給で「ゆとりある老後生活」は可能か?

75歳受給で「ゆとりある老後生活」は可能か?


             

繰り下げの「推奨キャンペーン」も始まった。

日本年金機構は今年から、年金受給が始まる約250万人に送付する年金請求書に、
〈受給開始を遅らせるほど、受け取れる年金は増えていきます〉との説明が入ったリーフレットを同封する。
「繰り下げは得だ」と強調する内容だ。

だが、甘い囁きに騙されてはいけない。

図は税理士でファイナンシャル・プランナーの犬山忠宏氏の協力で、
月額16万円(年192万円)の年金を65歳から受け取るAさんと、
本来の年金額は同じでも75歳繰り下げ受給(84%割り増しで計算)を選択したBさんの
各年齢までの「年金の手取り総額」を比較したものだ。

ファイナンシャル・プランナーの犬山忠宏氏が語る。

「年金月額の額面だけを比べると、75歳繰り下げが大変得に見えますが、
受給額が増えると、年金から天引きされる税金や社会保険料も増える。

差し引いた手取額を比べると、80歳時点でも繰り下げしなかったAさんの方が1200万円以上多い。
75歳受給のBさんが追いつくのは、90歳になります」

国民に繰り下げを選ばせることで、支払う年金額は増えても、
税・保険料をがっぽり徴収できるから、国は得をするのである。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               

今回の記事を読み終わった後、私は溜息を重ねながら、 
過ぎし昨年の秋、やはり【マネーポストWEB】に2018年10月31日に配信された
『 年金「繰り下げ受給奨励」、真の狙いは「払い損」の人を増やすこと 』 と題された記事を読み、
動顛させられたことに思い馳せたりした・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年11月2日号に掲載された記事のひとつあるが、
無断であるが転載させて頂く。

《・・年金「繰り下げ受給奨励」、真の狙いは「払い損」の人を増やすこと

               

年金の支給開始年齢を現在の「65歳」から「70歳」に引き下げるという、
年金制度の大改悪が着々と進んでいる。

そんな時代の到来で、受給者はどんな状況に置かれるのか。
「年金欲しけりゃ、長生きすればいい」――
理不尽な制度改悪を押しつける年金行政に対抗する方法はないのか。

検討すべき手段として、「年金博士」として知られる社会保険労務士の北村庄吾氏は
「年金の繰り上げ、繰り下げ受給」を挙げる。

現在の年金制度では、最も早くて60歳から受給する繰り上げと、
遅くて70歳からもらう繰り下げと、 10年の幅で受給開始年齢を受給者が決められる。

「受給を1か月早めるごとに年金額は0.5%減額され、
逆に1か月遅くするごとに0.7%増額される制度です。
最大5年繰り上げれば1か月の受け取り額は30%減り、5年繰り下げれば42%増えます」(同前)

平均的な厚生年金加入者(サラリーマン)をモデルとし、加入期間は21~60歳の40年間とし、
現行の「65歳支給開始」のケース(年間受給額187万円)の場合は、
5年繰り上げで年額131万円、5年繰り下げで266万円となる。

この際に有効な手段は「繰り上げ」だと北村氏は指摘する。
「現在の年金改悪の前提にあるのは、“いかに受給期間を短くさせるか”です。

乱暴に言うなら、“保険料を満額納めたうえで、
受給額がゼロ”という加入者を増やせば、政府は丸儲けになるということ。

それであれば加入者側は、繰り上げて受給開始を早め、
“受給寿命を延ばす”ことが原則的な対策になる。

年額(月額)は減りますが、男性の健康寿命は72歳~75歳と言われますから、
健康なうちに保険料分を少しでも、回収することを考えたいところです」(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               

このようなことを学んだことを思い重ねた私は、
年金制度を維持させる総合施策のひとつとして、厚労省か財務省の頭脳明晰の御方達が、
思案した施策なのかしら、と私は思いながら、動顛させられてきた・・。

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お金と時間を持て余す!? “スーパーシニア”が消費をリードする、74歳の私は学び、やがて微笑み・・。

2019-04-26 13:18:57 | ささやかな古稀からの思い

先程、ネットでニュースを見ている中、
『 お金と時間を持て余す!? “スーパーシニア”が消費をリードする 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
住宅街の中、雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。

このような私は、《・・お金と時間を持て余す!? “スーパーシニア”が消費をリードする・・》って、
明記されていたので、やはり世代的に関心があり、記事を精読してしまった。

この記事は、公式サイトの【FNN.jpプライムオンライン】で2019年4月26日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・お金と時間を持て余す!? “スーパーシニア”が消費をリードする

               
 

世界的なロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズ(以下、ストーンズ)のメンバーが
自らプロデュースした大規模企画展『EXHIBITIONISM ーザ・ローリング・ストーンズ展』が今、話題だ。


メンバーが共に暮らした部屋も完全再現!「ストーンズ展」は貴重なアイテムがいっぱい


貴重なギターや写真など500点以上のアイテムが並び、ショップではすでに売り切れのグッズもあるという。
この盛り上がりを支えているのはストーンズ世代と言われる60代、70代のシニア層。

今回はストーンズ展の人気と合わせて、日本でさまざまなブームを牽引している60代以上の消費について、
経済ジャーナリストの渋谷和宏さんに話を聞いた。

(聞き手:新美有加アナウンサー)

               


☆今、シニア世代がブームの発信源に

――ストーンズ展、ご覧になってどうでしたか?

鑑賞する前は、写真展のようなものだと勝手に思っていたんです。
それがいい意味で裏切られました。

愛用のヴィンテージギターや手書きの日記などプライベートな展示も多いですし、
アルバム・デザインなどのアートワークや3Dで体験できるコンサート映像もあり、
非常に見応えがありました。


1962年頃、ストーンズと名乗る前のメンバーが共同で暮らしていたアパートを忠実に再現した部屋ですが、
これから世に出ようとしていた若い彼らの気配が、濃厚に再現されていて感慨深くなりました。


それからステージ衣装。
かなり奇抜なものもあって『よくこれを着ていたな』と思いましたが(笑)、
実際に着用したライブ映像も合わせて展示されていて、それを見るとちゃんと着こなしていてさすがだなと。


今回の展示は、ただ並べるだけじゃなくて、
それがどう使われていたのかも立体的に見せていて、非常に説得力がありましたね。

個人的にはアンディ・ウォーホルが好きなので、彼が手がけたアートワークをたくさん観られたのも嬉しかったです。

               


――青春時代、ストーンズは聴いていましたか?


実はリアルタイムでは、聴いてないんです。ずっとビートルズが好きで。
ただ、1980年にフランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』を観たとき、
ストーンズの『(I Can’t Get No)Satisfaction』が流れて衝撃を受けたんです。

1965年の曲ですが、すごいリフだなって感動して。
それで、60年代の曲から聴き始めてどんどんハマっていきました。


さらに『MISS YOU』という曲で本格的にのめりこみましたね。
ストーンズらしいコアなR&Bをベースとした曲ですが、
当時一世を風靡したディスコサウンドも、見事に織り交ぜた素晴らしい曲です。



――展示会場には、年配の男性が多くいらっしゃっていました。
  基本的には60、70代がコアなファン層といわれていますが、
  それより少し下の渋谷さん世代や私(20代)の世代もいたのも印象的です。
  改めて、ファン層の幅広さを感じました。


ストーンズ展と同じ現象を考えると、昨年大ヒットした映画『ボヘミアン・ラプソディー』が思い浮かびます。
この作品、当初は僕やそれよりちょっと上の世代の人が、懐かしがって観にいっていたのが、
だんだんと若い人にも伝わって観客動員数が増えた。


実は今、若い人の間に起こっている消費のムーブメントは、
60、70代のシニア世代から影響を受けているというのが少なくないんです。

               

☆2012年以降から現れた新しい消費傾向

――『ボヘミアン・ラプソディー』以外で、シニア世代が発信源になったものは何かありますか?

日本の消費シーンを振り返ると、僕は2012、13年頃、日本の消費が大きな転換期を迎えたと考えているんです。


まず、2012年頃に顕著に現れたのが、フルサービス型喫茶店の復活。
1980年代は喫茶店のピークでしたが、1990年代半ばからはシアトル系のセルフサービス型カフェが
日本に出店するようになり、若い客はそっちに流れ、
1990年代後半以降はフルサービス型の喫茶店は減っていきました。


ですが、2012、13年頃から息を吹き返し、それを牽引したのが「コメダ珈琲」。
中京圏中心だった店舗が2013年になり全国展開し、今後も店舗数を増やしていくということで、
完全に積極的戦略に切り替えています。

               

――大躍進ですね。


バイクもそうです。全盛期は販売台数100万台以上を超えていたんですが、
これも90年代をピークに減っていき、2011年頃には40万台を割ります。

ところが2013年頃に一時期、売れ出します。
オートキャンプも同様で、こちらも90年代がピーク。
その後、下がり始めて、2013年頃からまた増え始めいま、若い人たちの間でもアウトドア人気は高いですよね。


こういった現象の背景には、2012年頃の約810万人いると言われる、団塊世代の大量引退です。
退職一時金や退職年金をもらい、時間も得ています。
そういった人たちが喫茶店を潤したり、バイクに乗ったり、キャンプを始めたりしています。

               


☆シニア世代が消費をリード

――若い人たちにとっては、フルサービス型のカフェもオートキャンプも新鮮なモノに感じます。

そうですね。そして今、消費行動に第二段階が起きています。
シニアの人たちが、息子夫婦(団塊ジュニア)やお孫さんを「コメダ珈琲」などの喫茶店に
連れてくるようになったんです。

また、フルサービス型カフェを新鮮に感じた若い層たちが結構来ています。

音楽でも、若いアーティストがCDだけじゃなく、
アナログレコードを発売するという動きもあるんです。


こういう風に2012、2013年頃からはっきりしてきたのが、
シニアの人たちが消費をリードして、若い人に影響を与えるというベクトルです。


また、SNSによる情報拡散の影響もあると思います。
Facebookは40代が多いと言われていますが、60代もやっている人が多く、
高校などの同窓会を呼び掛けたりしていますね。

Facebook以外にもLINEなどで、仲間内のクローズドなSNSを使って趣味などの共有をしています。

               

――シニアの方たちのパワーはすごいですね。


熱量だけではなく、資産もすごいんですよ。
日本人の個人金融資産の総額は1830兆円と言われていますが、
GDPが550兆円ですから、3倍以上。

その7割近くを60歳以上が持っている。
しかもその半分が預金と貯金とされていて、使おうと思ったらすぐ使える。
しかもこの世代は時間もありますから、企業はシニア世代にいろいろとアピールしていきたいんです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
               

私は1944年(昭和19年)の9月に農家の三男坊として、生を受けた身である。

やがて私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。


そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。 

そして年金生活は、現役サラリーマン時代は何かと悪戦苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽な生活を享受して、早や15年目となっている。

       
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。


私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、 多くの御方は60歳で定年退職をされて、
その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、 65歳になった今日、
セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈したりした。


こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、拘束から解放されて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、
と思ったりした。


もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、
身体も元気、 心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。


私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。


その上、私の妹のふたりは1947年(昭和22年)の1月生まれ、 1948年(昭和23年)の10月生まれ、
そして私の家内も1949年(昭和24年)の12月生まれであり、
私は何かと団塊世代の御方には、注視したりしてきた。

               

こうした中、団塊世代の諸兄諸姉
は、現役世代と比較すると、住宅ローンが終わって、住居費がかからない上、
子供の教育費、高かった生命保険も医療費程度となり、家計の固定費が激減する。

そして収入は年金だけが多いが、程々に預貯金があり、
身の丈なりの暮らし方が、身に付いている。

こうした中、ご自分に魅了された品、スポーツ、旅行などに、
これまでの御褒美と思いながら、ときには大胆にお金を使う世代の御方、と私は思いながら、
共感したりしてきた。

今回の記事も、シニア世代の動向で、日本の消費が左右される記事のひとつで、
60代、そして70代は、人生の華やかに過ごせる貴重な年代、と私は思いながら、
微笑んだりしている。

               

余談であるが、私の投稿文に関して、ここ数が月は生活実態が何かと多忙となり、
殆ど毎日一通はできなくなり、送信時間もまばらとなり、ご容赦の程を・・。

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年金生活者の節約術 保険や電話代を見直せ!、高齢者の私は学び、やがて微苦笑をして・・。

2019-04-24 14:53:46 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【AERA dot.】を見ている中、
『 保険や電話代を見直せ! 年金生活者の節約術  』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
住宅街の中、雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。

こうした中、時代遅れの我が家なりに、節約していると思われるが、
今回の《・・年金生活者の節約術・・》私は好奇心に負けて、記事を精読してしまった・・。

この記事は、週刊朝日』の2019年5月3日―10日号に掲載された記事のひとつであり、
週刊朝日』の池田正史、浅井秀樹さんの両氏が取材されて綴られた記事で、

関連のネットの【AERA dot.】に4月24日に配信され、無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・“やる気スイッチ”を押す「10秒アクション」って何?    

               

 《・・ 保険や電話代を見直せ! 年金生活者の節約術  

物価が上がるのに、収入は増えず余裕がない。こんな家庭は多いはず。
とりわけ年金暮らしの人たちは、どうやりくりするか頭が痛いところ。

そこでオススメしたいのが誰でもできる節約術。
保険や電話、電気・ガスなどの支出を一から見直せば、確実に得する。
けちくさいなんて思わずに、あなたも挑戦してみましょう。

【主な格安スマホサービスの料金プラン例はこちら】

まずは年金生活者らの平均的な状況を見てみる。
総務省の家計調査によれば、2017年の高齢夫婦無職世帯の平均月収は、20万9198円。
支出は26万3717円で、毎月5万円を超える赤字だ。

収入は年金頼みで、足りない分は預貯金の取り崩しなどで補う。
楽な暮らしでないことがわかるだろう。

 
少しでも余裕を持つには、上手に節約し、支出を減らすことがカギになる。
節約というと、安い食品を買って、食費を切り詰めることを思い浮かべがちだ。

ファイナンシャルプランナーの畠中雅子氏は、目先の節約にとらわれてはいけないと指摘する。

「食事や日用品の支出を抑えるのは、すぐに始めることができます。
でも、本当にやるべきなのは保険や電話、住まい関連など、比較的大きな出費が伴うもの。
目先のやりやすいところではなく、こうしたところから見直すのが鉄則です」

              
 
例えば、生命保険はどうか。
生命保険文化センターが、昨年9月にまとめた「生命保険に関する全国実態調査」によると、
保険料は全体の平均で年38.2万円。

60~64歳は年43.9万円と、他の年齢層に比べてやや高い。
ばらつきはあるが、シニア層は年間30万円前後、月2万~3万円の保険料を払っている。

手始めは加入している保険の内容を確認すること。

ファイナンシャルプランナーの深野康彦氏は、必要のない保険に入っている人が多いと訴える。

「子どもが独立している人は、死亡保障は不要ではないでしょうか。
入院に備えるものなど、自分のニーズに合った保障内容に絞るとよいでしょう」

 
医療保険についても、再検討したほうがいい。
保険に詳しいファイナンシャルプランナーの丸山晴美氏は、
社会保障があるので、民間の保険の必要性は低いと言う。

 「国民健康保険だけで十分です。
治療にお金がかかっても、『高額療養費制度』があります。
民間の保険に入って高い保険料を払うより、そのぶん貯蓄に回して、万が一に備えたほうがよいと思います」

 
死亡保障の金額を減らしたり、掛け捨ての医療保険をやめたりすれば、
保険料を月1万円浮かすことは難しくない。
年間だと12万円分にもなる。

 
見直す際に大切なのは、バブル経済以前に加入した、いまのものより格段に有利な「お宝保険」を解約しないこと。

「有利な商品は、満期まで入っておくべきです。
保険会社の営業担当者が、別の商品に乗り換えることを勧めてくるかもしれませんが、
当時よりも有利な商品はまずありません。
営業トークに安易に乗らないようにしましょう」(丸山氏)

             
 
通信費の見直しも効果が大きい。
総務省の「2017年通信利用動向調査」によると、
スマホ保有率は50代で7割超、60代も4割半ばに達した。

固定電話の保有割合は、50代超の世帯で8割を超え、75歳以上では9割超。
シニア層は、スマホと固定電話の両方に費用を使っているのだ。


「スマホを持っていて、FAXを使う必要がないようなら、
固定電話はやめてしまったほうがいい」(同)

 
NTTの住宅用回線の場合、基本料金は月1700円前後。
発信者の番号が通知されるナンバー・ディスプレイなどのサービスを契約しているケースも多い。
月2千円前後は払う計算になり、解約すれば年2万4千円ほど節約できる。

 
スマホも、格安サービスがいろいろ出てきた。
楽天モバイルなどのように、料金がほかの4分の1程度まで下がるというものもある。

通信料金は使用状況により異なるが、夫婦で格安スマホにすると、
2人で月1万円安くなることは珍しくない。
スマホの見直しだけで、年12万円カットできるかもしれないのだ。

 
昨年、大手通信会社の契約から、格安スマホに切り替えたある男性のケースでは、
月約1万2千円の料金が約3千円になったという。
持っているものを使えるので、新たに本体を買う必要はない。

             

固定費といえば光熱費も減らせる。
電力の小売りは16年に全面自由化され、消費者が電力会社や料金メニューを自由に選べるようになった。

お金のコンサル会社「ブロードマインド」の坂本卓也氏は、
比較サイト「価格.com」で最適な契約を調べることを勧める。

 
例えば、東京電力エリアの東京都新宿区で生活する3人以上の世帯で契約アンペア数が50Aの場合、
エルピオが運営する「エルピオでんき」に契約を切り替えると、
年間で2万7263円安くなるという。

 
新宿区の1人世帯で契約アンペア数が30Aの場合、
四国電力の「オリーブプラン」(東京エリア)に切り替えると、
キャンペーン特典を含め年間8千円ほど安くなることがある。

 
電気をたくさん使う家庭ほど節約効果が期待できる。
使用量によっては、電気料金がかえって上がる可能性もあるので注意しよう。

 

次はガス料金の見直し。
都市ガスの小売り全面自由化は17年から始まっている。
電気に比べ選択肢は少ないが、こちらも比較サイトで調べることができる。

東京ガスのエリアで4人世帯の場合、ニチガスに切り替えると初年度で年間6398円安くなる。
2人世帯なら4749円だ。

 
ほかにも電気とガスのセット契約もあり、いろいろな組み合わせがある。
どれを選べば一番有利なのか、すぐにはわかりにくい。

ファイナンシャルプランナーの風呂内亜矢氏は、
過去1年分の実際の消費量を比較サイトに入力して、比べてみるよう助言する。

 
水道料金は、自治体ごとの契約になり、格安メニューは基本的にない。
節水が有効で、水道局などが無料配布する「節水コマ」を利用しよう。
蛇口に取り付けると、水量を抑えられる。取り付けられないタイプもあるので確認が必要だ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

             
               
過ぎ去り年の2004年(平成16年)の秋に、ある民間会社のサラリーマンを定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めた。

そして私たち夫婦は、齢を重ねるとボケたことを配慮して、
まもなく銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。

こうした中で、保険関係をすべて見直して、 現役時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、
ほぼ半減に修正し、 火災保険、家財保険だけは従来通りとした。

やがて私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。

そして2011年(平成23年)10月初旬に、 家内は家内の父の命日に際して、
家内の母と妹の三人で、 墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、
何かの話題の後に、年金生活の保険金の話題になったらしい。

この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、 『医療保険』などはなくても大丈夫よ・・、
と家内は言われたりした、と家内の帰宅後に私は教えられた。

この後、齢ばかり重ね何かと無知なことが多い私は、
現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。

或いは遠い親戚の叔父さんが3度ばかり入退院されて、
たまたま私は、 《・・70歳未満の場合は、年収が約210万~790万円の一般所得者は、
一か月当たりの自己負担の上限を8万100円・・》 と教えられ、
何かと思い込みの激しい私は、そうなんだ、と教示させられたりした。

そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。

まもなく私は、解約の手続きを開始したりしたのは、年金生活を7年過ぎた頃であった。
家内は、年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。

『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、 旅行に行けたし・・
こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。

そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあればと思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。

我が家はこれ以来、もとより『国民健康保険』、そして『高額療養費制度』を頼りにしている。

             

通信費に関しては、私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら一昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

そして時代遅れの私は、相変わらず固定電話を称して、
せめてインターネットに関して、 固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。

そして私は、こうした通信費は廉(やす)か高いかわからないが、
ネットは私なりに活用しているが、ときおり良しき悪しきの合わせ鏡のような不思議な世界、
と思いながら活用している。

             

余談であるが、都心の郊外に住む我が家の周辺の住宅街は、どの御宅にも自家用車があるが、
我が家には、自動車がない稀(まれ)な家となっている。

こうした中で、私は無念ながら、自動車の運転を断念したひとりである。
過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は定年退職後は、年金生活を始めた当初、
若き25歳前後の生家の自動車を活用して、若さの勢いで日本の各地を走行してきたが、
この後はペーパー・ドライバーを長年過ごしきたが、この機会に自動車を購入して、
私たち夫婦は、国内の各地をドライブしょうかしら、と私は夢想したりした・・。

しかしながら私は、無念ながら反射神経が鈍(にぶ)くなった感じ、その上に小心者の為、
万一、交通事故で人さまに傷つけたりして被害者はもとより、加害者の私でも心身の傷を深く残すので、
一年後の自動車の運転免許証の更新時に破棄して、自動車の運転を断念したりした。

こうした中で、私は買物、散策などは路線バスにも乗らず、歩いたりしている。
そして駅までの15分前後の道のりも、利便性の良い路線バスなどに頼らず、殆ど歩いたりしているが、
冠婚葬祭、旅行、都心で懇親会などの場合は、タクシーを利用する時があるが、
年平均として、3万円前後となっている。

こうしたことをご近所に住む知人のひとりに言ったりしていると、
この御方は、相変わらず少なくとも月に一度ぐらいドライブしているが、費用としては程々に要しますょ、
と私は教えられ、高齢者夫婦二人だけの家庭として、自動車を保有しないことが
最大の節約かしら、と微苦笑を兼ねたりした。
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年金70歳受給はハイリスク・ハイリターン、定年後やむなく年金生活を始めた私は学び、やがて動顛させられ・・。

2019-04-23 12:24:34 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、私は【「年金を早くもらうメリット」、定年後に多々の理由で、年金生活を始めた私は学び、微苦笑をして・・。】
と題した投稿文を送信した後、ぼんやりと公式サイトの【マネーポストWEB】を見たりした。

そして『 年金70歳受給は寿命を賭けたハイリスク・ハイリターンの大博打 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年退職後、やむなく年金生活を始め、
こうした理由は前回記載したので省略するが、
やはり《・・年金70歳受給は・・ハイリスク・ハイリターン・・》って、
どのようなことなの・・と思いながら記事を精読してしまった。                

この記事の原文は、『週刊ポスト』2019年4月26日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【マネーポストWEB】に4月22日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・年金70歳受給は寿命を賭けたハイリスク・ハイリターンの大博打

             

「年金の常識」には、間違いが多い。

その代表が年金を減額されても早くもらう「繰り上げ」より、
元気で働けるうちはできるだけ年金を我慢し、受給を遅らせて
割り増し年金をもらう「繰り下げ」の方が得だという考え方だ。

新聞やネットの年金記事では、根拠として年金総額の「損得分岐点」を寿命で
計算する方法が紹介されている。

65歳の年金額を基準にすると、60歳から繰り上げ受給すれば毎月の年金額は30%減額され、
逆に70歳まで遅らせると年金額は42%割り増しされる。

60歳受給、65歳受給、70歳受給の3パターンで年金総額を比べると、
75歳までは早くもらう60歳受給が最も多いが、「76歳」になると65歳受給が追い抜き、
「81歳」で70歳受給が2人を抜いて逆転する。

日本人の平均寿命は男性約81歳、女性約87歳だから、
「70歳受給を選べば年金総額は最大になる」という説明だ。

鵜呑みにすると、「繰り下げは得」、「繰り上げは損」という誤解につながる。
実際、「60歳から年金をもらうと元気なうちはいいけど、
受給額が減るから長生きすると損するよね」と考えている人は多いはずだ。

             


だが、冷静に考えてほしい。
年金総額を増やすために70歳受給を選択するのは、
「自分の寿命」を賭けてハイリスク・ハイリターンの大博打を打つに等しい。

「そもそも年金受給を何歳まで生きたら、損か得かで判断するのが間違っている」
そう指摘するのは「年金博士」として知られる社会保険労務士の北村庄吾氏だ。

「定年後に一番生活費がかかるのは60代です。

日本人の健康寿命は男性約72歳、女性約74歳だから、
60代は夫婦とも元気で、人生を積極的に楽しむことができる年齢といえる。
交際費や通信費、旅行、外食など出費も多くなります。
しかし、70代になると交遊範囲も限られてきて出費が減ります」

70代後半から80代になれば、必要な生活費は大きく減る。
そう考えれば、お金がかかる60代に無理して生活を切り詰め、
生活費がそれほどかからなくなる70代から多くの年金をもらうというのは
第二の人生をすり減らす本末転倒な発想ということになる。

本誌・週刊ポストは「年金は65歳より、早くもらう方が得になる」と報じてきた。

夫の年金が月額16万円の標準モデルの場合、
60歳からの繰り上げ受給を選択すると、年金は月額約11万円に減る。

それでも早くもらう分、60代で受け取る年金額は最大になり、
70代からは生活費が少なくて済むことから、
妻の年金(専業主婦は国民年金約6万5000円)を合わせると生活を維持できる。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               

私は定年退職後、やむなく年金生活をして、早や15年目となっているが、
現役サラリーマン時代は何かと悪戦苦闘が多かった為か、
もとより年収は激少しているが、自由に過ごせることが多く、年金生活を甘受している。

過ぎし昨年の秋、やはり【マネーポストWEB】に2018年10月31日に配信された
『 年金「繰り下げ受給奨励」、真の狙いは「払い損」の人を増やすこと 
と題された記事を読み、動顛させられた・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年11月2日号に掲載された記事のひとつあるが、
無断であるが転載させて頂く。

《・・年金「繰り下げ受給奨励」、真の狙いは「払い損」の人を増やすこと

               

年金の支給開始年齢を現在の「65歳」から「70歳」に引き下げるという、
年金制度の大改悪が着々と進んでいる。

そんな時代の到来で、受給者はどんな状況に置かれるのか。
「年金欲しけりゃ、長生きすればいい」――
理不尽な制度改悪を押しつける年金行政に対抗する方法はないのか。

検討すべき手段として、「年金博士」として知られる社会保険労務士の北村庄吾氏は
「年金の繰り上げ、繰り下げ受給」を挙げる。

現在の年金制度では、最も早くて60歳から受給する繰り上げと、
遅くて70歳からもらう繰り下げと、
10年の幅で受給開始年齢を受給者が決められる。

「受給を1か月早めるごとに年金額は0.5%減額され、
逆に1か月遅くするごとに0.7%増額される制度です。
最大5年繰り上げれば1か月の受け取り額は30%減り、5年繰り下げれば42%増えます」(同前)

 

平均的な厚生年金加入者(サラリーマン)をモデルとし、加入期間は21~60歳の40年間とし、
現行の「65歳支給開始」のケース(年間受給額187万円)の場合は、
5年繰り上げで年額131万円、5年繰り下げで266万円となる。

この際に有効な手段は「繰り上げ」だと北村氏は指摘する。
「現在の年金改悪の前提にあるのは、“いかに受給期間を短くさせるか”です。

乱暴に言うなら、“保険料を満額納めたうえで、
受給額がゼロ”という加入者を増やせば、政府は丸儲けになるということ。

それであれば加入者側は、繰り上げて受給開始を早め、
“受給寿命を延ばす”ことが原則的な対策になる。

年額(月額)は減りますが、男性の健康寿命は72歳~75歳と言われますから、
健康なうちに保険料分を少しでも、回収することを考えたいところです」

                

☆「繰り下げキャンペーン」の罠

その指摘を逆説的に裏付けるかのように、
政府は現在、受給を遅らせる「繰り下げ推進キャンペーン」に血道を上げている。

象徴的なのが安倍晋三首相のこの発言だ。
「生涯現役であれば、70歳を超えても受給開始年齢を選択可能にしていく。
そういう仕組み作りを3年で断行したい」(9月14日、自民党総裁選の討論会) 

つまり、「例えば75歳からでも、受け取れるようにする。
遅くすれば年間の受け取り額は、もっと増えますよ」という誘い文句だが、
本当の狙いは「保険料払い損」の加入者を増やすことにあるといっていい。

仮に現行制度に当てはめると、75歳まで(10年間)繰り下げれば、
年間の受け取り額は84%増の344万円。

一見、65歳から受給するより、年金額が2倍近く増えるように見える。
この場合、約10年半(86歳)で損益分岐点をクリアするが、
政府にとっては「繰り下げを選択したけれども、1円も受給せず亡くなる人」
が増えていくから“助かる”ことになる。

北村氏はこう付け加える。
「安倍首相が口にした“70歳以降への繰り下げ選択”の前提には、
年金支給開始年齢の引き上げがある。

すでに厚労省や財務省からは68歳、あるいは70歳支給開始案が具体的に示されている以上、
そう考えるのが自然です」

70歳支給開始が「標準」となれば、75歳に繰り下げても年額は約266万円にしかならない(42%増)。
この場合の損益分岐点は89歳超。

先述した「プラス5歳相当」を加味すると、
やはり90歳を大きく超える“大往生”をしないと元が取れないことになる。 

政府が勧める“繰り下げの甘い汁”には、そんな罠が潜んでいる。
年金支給年齢引き上げに対しては、「繰り上げが得」が正しい選択と言えそうだ。・・》

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               

こうした年金制度を維持する為に、厚労省か財務省の頭脳明晰の御方達が、
思案した施策なのかしら、と私は思いながら、動顛させられてきた・・。

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「年金を早くもらうメリット」、定年後に多々の理由で、年金生活を始めた私は学び、微苦笑をして・・。

2019-04-22 19:10:05 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【マネーポストWEB】を見ている中で、
『 事実とデータが証明する「年金を早くもらうメリット」 』と題された 見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
住宅街の中、雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に住んでいる。

こうした中、 私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。

私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、
2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社を余儀された同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路であり、
私たち夫婦は、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

               

やがて拙(つたな)い半生を過ごしてきた私でも、
年金生活は、 予期した以上に、苦より歓びの方が圧倒的に多く、安楽に過ごしてきた・・。

こうした深情を秘めている私は、 ・・年金を早くもらうメリット・・って、
どのようなことなの・・と思いながら記事を精読してしまった。
 
             

この記事の原文は、『週刊ポスト』2019年4月26日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【マネーポストWEB】に4月19日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・高齢者の強い味方「国から戻ってくる医療・介護のお金」一覧

 

75歳を過ぎると家計の支出はこんなに減る

75歳を過ぎると家計の支出はこんなに減る

                

☆早くもらってよかった!

このデータについてファイナンシャル・プランナーの大沼恵美子氏が解説する。

「70歳以降は、活動範囲が狭くなるだけでなく、
75歳を前後して、認知機能の衰えを意識するようになります。

75歳を過ぎると車を運転する機会や出歩く頻度は減り、
家族や友人とともに旅行の回数も激減します」

確かに〈60~64歳〉で2万5654円の出費となっていた「自動車等関係費」は、
〈75~79歳〉では1万6924円と3割以上減少。

外出機会が減るのと歩調を合わせるように、
知人と連絡を取ったり盆暮れの挨拶状を送る回数も減るから「通信費」も少なくなる。

60歳から年金を繰り上げ受給している部品販売会社OBの男性(68歳)のケースは、
「早くもらう」ことの利点を浮き彫りにしている。


「定年退職の際、家のローンの返済に充てようと年金を繰り上げ、
65歳で元利すべてを払い終わることができた。
(繰り上げた基礎年金部分は)3割も減るから生活は大丈夫かなと不安に思っていたが、
意外と平気なものです。

よく行くスポーツジムは、平日会員の会費は月に1万円。
これだけで併設の温泉は使い放題です。
そこでなじみの男女の友人もできて、帰りに格安の居酒屋で一杯やるのも楽しい。

ゴルフ好きの友人は、料金が割安になる平日に出かけていると聞くし、
しばしば日帰り旅行に出かける妻も、閑散期の“シニア割引”プランを利用しています。
私が使うバスや地下鉄も、あと2年で70歳になるから、シルバーパスで格安になります」

平日限定、70歳以上限定といった“特典”が使えるようになることも、
支出が圧縮できる一因なのだ。

働きながら年金を受け取る60代では、平日限定サービスなどをフル活用することは難しい。
余計にかかるお金を「繰り上げ」で補うことは、有力な選択肢なのだ。
事実とデータを見るほど、年金を「早くもらうメリット」が浮かび上がってくる。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               

私は定年退職後、やむなく年金生活をして、早や15年目となっているが、
現役サラリーマン時代は何かと悪戦苦闘が多かった為か、
もとより年収は激少しているが、自由に過ごせることが多く、年金生活を甘受している。

ここ数か月、経済誌などを読んだりすると、
政府は2018年10月、「70歳までの就業確保」を企業に求める方向で検討を始めた、
と学んだりしてきた・・。

こうした根底には、
今は法律で「65歳まで」が企業に義務付けられているが、
健康な人にはもっと長く働いてもらい、年金を受け取らずに制度を支えてほしい、
という明確な目的も教示させられてきた。

こうしたこともあり、人生100年、と声高に叫ばれてきたのかしら、
と私は微苦笑したりしてきた。

               

私は年金に関しては、少子高齢化が加速される中、
働いて下さる方が減少して、 受給者の私たち高齢者は増加するので、
やむなく年金額は、やがて10%前後は減少すると思われるが、
年金制度は崩壊しない、と書物から学んできた。

こうした中、平均寿命に関しては、「人生100年時代」は、
男性では100人に1~2人、女性で10人に1人弱、 実像である、と私は昨年の11月上旬で学んできた、
沢田 浩さんの寄稿文が【 現代ビジネス 】に配信され、この一部を転載させて頂く。

《・・(略)・・安倍内閣の「人生100年時代」も、鵜呑みにはできない。
100歳以上の人生を生きる人たちが、今後増えることはよくわかった。

そのうえで肝は、「どのくらいの確率で、私たちが100年を生きられるか」ということである。


厚労省や、総務省の公表資料からひも解くと、今年2018年に100歳を迎える人は、
3万2241人(男性4453人、女性2万7788人)。

いずれも、1918年生まれの人たちだが、その年の出生数179万1992人から導くと、
実際に100年を生きる人の確率は、実に1.8%。
うち、男性は0.49%。 つまり、1000人に4~5人しか、100年を生きられないということだ。

3万人近くが100歳を迎えた女性の場合でも、3.167%。
多いといっても、100人に3人ほどである。


現在の日本の総人口1億2600万人に対する構成比では、100歳以上はわずかに0.1%である。
日本の将来人口推計では、この比率が2040年には、0.3%と3倍となる。
その推移からすると、2040年に人生100年を迎えるであろう人も、現在の3倍くらいにはなるだろう。

男性では100人に1~2人、女性で10人に1人弱。
これが「人生100年時代」の本当の実像のようである。・・》

こうしたことを私は学び、殆どの御方は、
現代の平均寿命は、男性約81.1歳、女性約87.3歳(2017年)であるが、
やがてプラス5歳前後が、平均寿命の実態になるかしら、と私は思案させられてきた。

               
            

いずれにしても、年金の受給の時期の決断は、それぞれの御方が、
人生の後半戦の設計に基づき、生活費の基盤とする御方が多い、と思われ、
難題のひとつでもある。 

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読書は大脳を刺激し、想像力が脳を活性化する、高齢者の私は学び、やがて微笑んで・・。

2019-04-21 14:43:35 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【日刊ゲンダイDIGITAL】を見ている中、
『 想像力が脳を活性化 小説の舞台巡りで記憶力アップ効果も 』と題された見出しを
見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしたりしている。

こうした中、私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
このような午前中の過ごし方を殆ど毎日のように過ごしてきた・・。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

                                

この後の午後から夜半には、居間で読書をしたり、ブログの投稿文を書いたり、
或いは私が魅了されている御方のブログの投稿文を読んだりしている。

ときには居間でテレビを通して、映画、録画したドキュメンタリーを視聴したり、
或いは音楽を聴いたりしている。

やがて私が布団にもぐるのは、真夜中の11時半前後が多く、
目覚めるのは朝の7時過ぎが多くなっている・・。

そして現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

やがて朝の7時少し前の頃に、ぼんやりと目覚めて、 うつらうつらとまどろみながら、
ぼんやりと昨日の出来事を思い浮かべたりした後、
本日は・・今週は・・と予定事項を思い馳せたりして、15分過ぎた頃に起床している。

このような生活をしていることが多く、今回の《・・想像力が脳を活性化・・》って、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。

            

この記事は、【日刊ゲンダイDIGITAL】に2019年4月21日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・元気で長生きするには健康第一。
そのために運動に励んでいる人は少なくないだろう。

もちろん運動も大切だが、こと脳の健康という視点だと、より重要なのは読書。
本や雑誌、新聞を読むことが、脳の機能の改善や維持に役立つのだ。(略)

 
「健康・体力づくり事業財団」が、
全国の100歳以上の長寿者1万1346人を対象に行った調査「日本の百寿者のくらし」(1999年)によれば、
趣味を持つのは、男性で46.6%、女性は26.9%。

そのうち、男女とも10%超が「読書・教養」を趣味にあげる。
特に男性は15.2%に上る。
では、活字によく触れる生活を送っている人は、なぜ脳が元気なのか。

 
オックスフォード大学のジョン・スタイン教授が発表した、
読書中の人の脳をMRIでスキャンした実験結果によると、
被験者が本の中の景色や音、においや味を想像しただけで、
大脳のそれぞれをつかさどる領域が活性化したという。

ジョン・スタイン教授は、「読書が大脳を刺激し、想像力が脳を活性化する」と結論づけている。

            

一方で、カリフォルニア大学バークレー校の研究チームが、
2012年1月23日に発表した研究結果によると、
読書やパズルなどで、継続的に大脳を刺激する趣味を持つ人は、
アルツハイマー病の原因物質のひとつ「アミロイドβ」の蓄積を抑制できることが分かったという。

 
別の研究で認知症の症状が出ていない60歳以上の大脳を調べると、
子どものころから、読書好きだったりする。

そうやって大脳を使っていた人は、そうでない人に比べて、
「アミロイドβ」がかなり少なかったという。


「脳科学者の母が、認知症になる」(河出書房新社)の著者で、
脳科学者の恩蔵絢子氏はこう言う。


「新聞や本を読むことは、記憶の引き出しを増やすことにもなるんです。
活字を読んで、内容を理解しようとしたり、登場する人物を推しはかろうと想像したりすることで、
考える力がつくのです。

とくに脳と感情は、結びつきが強く、感情が揺さぶられるほど、その感覚が記憶として定着しやすい。
脳の中では言語的なエピソードとして、記憶を定着させる海馬のすぐ隣に
扁桃体と呼ばれる感情の中枢が位置しています。

感情のシステムが働いて、その信号が海馬に届けば、記憶としてより強く定着するのです。
机に向かって読むだけでなく、小説なら実際にその舞台になった現場に足を運んだり、
美術の本なら、博物館に行ってその芸術品を目で見ることもやってみると記憶力が高まります」

 
GWに舞台となった現場を巡るのもよさそう。

            

■長寿と読書の関係は?
 
昨年10月に放送されたNHKスペシャル「AIに聞いてみた どうすんのよ!? ニッポン」では、
興味深いデータが紹介され、話題になった。

 
AIが全国41万人の高齢者を分析したところ、
健康寿命を延ばす生活習慣の中では、「読書」が最も効果的だったという。

 
健康寿命1位の山梨県は、人口に対する「図書館の数が全国1位」で、
読書習慣との関係が深いことが見て取れる。

 
2016年に米イエール大学が発表した研究結果によれば、
読書する人は、しない人よりも長生きするという。

 
1週間の平均読書時間で50歳以上の3635人を振り分け、12年にわたって調査したところ、
本を読むグループは、まったく読まないグループより、約2年長く生きたという。

週に3・5冊以上読む人は、本をまったく読まない人に比べて、
死亡リスクが低いことも分かっている。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

            

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。

そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしたりした。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。

この当時の私は、アルバイト、契約社員などをしながら、習作をしていた。
確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

こうした時、私の実家で、お彼岸の懇親の時、親戚の小父さんから、
『今は若いからよいとしても・・30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤された。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。
                   
この間、何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。

            

 やがて1970年(昭和45年)の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

こうした中、出向先は遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

この間、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活の中では、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の
各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

            

やがて2004年(平成16年)秋に定年退職後の年金生活の中で、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野眞一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は49年近く購読し、
毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。

そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読してきた。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読してきて、
季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読してきた。

            

このような拙(つたな)い私は、今回《・・読書が大脳を刺激し、想像力が脳を活性化する・・》と学び、
何かと読書好きな私は、もしかしたら晩年期でも認知症にならず、80歳ぐらいまで、
健康で迎えられるかしら、と思ったりして、微笑んでしまった。

しかしながら過ぎし3月初旬より、私の左眼が不意に悪化で、
最寄り駅の眼科医院に通院した後、西葛西にある井上眼科専門病院で手術を受ける為に入院し、
この後も通院しているので、 左眼が少し不自由の中、読書も激少している。

こうした関係で、《・・大脳を刺激し、想像力が脳を活性化・・》に大丈夫かしら、
あと一か月すぎれば、左眼は以前のように視力は回復して治ると思われ、
それまで読書ペースは低下なっても、やむ得ない、と微苦笑もしている。

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高齢者の強い味方「国から戻ってくる医療・介護のお金」一覧を学び、頼りになる多種な項目だ、と思い深め・・。

2019-04-20 11:45:43 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、ときおり愛読している公式サイトの【マネーポストWEB】を見ている中で、
『 高齢者の強い味方「国から戻ってくる医療・介護のお金」一覧 』と題された
見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
住宅街の中、雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に住んでいる。

こうした中、 私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。

過ぎし2004年(平成16年)の秋、私はある民間会社を35年近く勤め、定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた頃は、男性平均寿命は78歳前後であり、
私は80歳まで生きられれば、幸運だよなぁ、と思ったりして、老後の資金の概要設計としてきた。

しかしながらここ数年は、人生100年と公言され、 もとより私が永がられれば、
我が家の老後資金に大幅に修正が必要であり、何かとプラス思考の私でも困惑をしたりしてきた。

こうした深情を秘めている私は、
『 高齢者の強い味方「国から戻ってくる医療・介護のお金」一覧 』・・って、
どのようなことなの・・と思いながら記事を精読してしまった。

 

             

この記事の原文は、『週刊ポスト』2019年4月26日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【マネーポストWEB】に4月19日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・高齢者の強い味方「国から戻ってくる医療・介護のお金」一覧

総務省の「家計調査」(2018年)によれば、〈60~64歳〉の月間消費支出は30万4601円だが、
年代を追うごとにその額は減っていく。

〈60~69歳〉では28万1053円、〈70~74歳〉では、25万8425円、
さらに後期高齢者の年齢に達する〈75~80歳〉では23万9587円となる。

60代前半と70代後半では、毎月6万5000円以上も違い、支出は2割減となるのだ。

            

であれば、年金を「繰り下げ受給」をすることなく、
60代のうちからもらっておいた方がいい、と考える人も少なくないだろう。

定年後の「支出」を確認していくと、“70代以降はお金がかからない”ことが明らかになるだけに、
その論がさらに強固になるかもしれない。
一方で、“医療費や介護費がかさんでくるのではないか”と心配する人も多いはずだ。

健康的な日常生活を送れる「健康寿命」の平均は、男性72.1歳で女性74.7歳。
70代に突入したら、日常生活に支障が出るような病を患うケースも少なくない。

厚労省が作成した「年齢階級別1人当たり医療費」(平成28年度)によると、
70~74歳の1人当たりの年間医療費は約62万円に達し、65~69歳(約46万円)から16万円も増える。

「やっぱり繰り下げ受給したり、厚生年金に長く加入して、
70代でもらえる年金を少しでも増やしたほうがいいんじゃないか」──
と思ってしまいそうになるが、過度に心配する必要はない。

            

ここで挙げた年間の医療費は、あくまで国の負担を合算した金額で、患者が支払う自己負担額とは異なる。

前出の厚労省資料によると、医療費の自己負担額は、65~69歳で1人当たり年間約23万円だが、
70~74歳で約18万円、75~79歳で約14万円まで下がり、
以降は100歳を超えるまで12万~14万円で推移する。

70代以降は、むしろ自己負担額が減少するのだ。

加齢とともに医療費が上がるのに、自己負担額が減るのは、公的扶助が充実しているからだ。
その具体例を一覧表にした。

 https://www.moneypost.jp/528644
☆【マネーポストWEB】==>『 「医療・介護のお金」はこんなに戻ってくる 』☆

            

☆介護にも公的扶助はある

「70~74歳までの一般的な年金生活者の医療費の自己負担割合は2割で、
75歳からは『後期高齢者医療制度』によって1割負担となります。

“手術や入院となれば、費用がかさむのでは”との心配もあるでしょうが、
『高額療養費制度』を利用すれば、医療費が上限を超えた場合は、超過分が払い戻される。

住民税非課税世帯の70歳以上の年金生活者の場合、
医療費がいくらでも、自己負担額は月額2万4600円までに抑えることができます」
(ファイナンシャル・プランナーの丸山晴美氏)

 

介護にも、様々な公的扶助がある。
要介護認定を受けて、介護保険サービスを利用する場合、
利用者の自己負担は1割(一定以上の所得がある場合は2割、または3割)で済む。

加えて、「高額医療・高額介護合算療養費制度」を利用すれば、
1年間に夫婦で支払った医療費と介護費の利用者負担の合計が、
一定額を超えると超過分が戻ってくる。

一般的な年金生活夫婦(70歳以上)なら、年間支払額の上限は56万円となる。

国民年金、厚生年金に加入中の大病なら、「障害年金」が受給できる場合もある。

「年金博士」として知られる社会保険労務士の北村庄吾氏が指摘する。
「手足に障害が残るようなケース以外に、抗がん剤の副作用による倦怠感やうつ病などの精神疾患でも、
一定の条件を満たせば受給が認められることがある。

定年後も一定の条件を満たせば65歳未満なら『障害基礎年金』が、
再雇用などで厚生年金に加入中なら『障害厚生年金』を受け取れます」

            

定年後の医療費を抑えるには、こうした公的扶助を賢く利用する必要がある。

「これらの制度を利用するためには、自ら申請しなくてはならないケースが多い。
行政や医師が教えてくれないこともあるので、
利用者が自分で制度の基礎を知ることが大切です」(丸山氏)

不明な点があれば、かかりつけ医や役場に問い合わせることが肝要だ。
高齢になってからの医療費や介護費が、心配だからといって年金を「切り詰める」、
「繰り下げる」という“対策”は正しいとはいえないのだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

            

昨年までは、私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せずに、 過ごしてきた・・。

しかしながら私は、新年そうそう、心臓の悪化に伴い、
救急車に搬送されて、循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』に、
1月4日より8泊9日の入院した。

この間、『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、
そしてCTスキャンなどの精密検査、 或いはレントゲン終えたのは、1月4日の早朝3時半過ぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。             

今回、私は自身の健康に関して、タバコの喫煙に自身に甘えてきたが、 遅ればせながら禁煙を決意した。

私は大学一年、ワンダーフォーゲル部に所属して、夏の2週間の合宿の時、
中日(なかび)の休息日に、先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、まもなく真似事をして以来、
タバコを愛煙してきたので、56年以上となっているが、今回の担当医師よりも禁煙を勧められた。

こうした中、結果的には1月3日の夕食後にタバコを一本喫って以来、禁煙となり、
我ながら独り微苦笑を重ねたりしてきた。

            
          

 この後、3月の初めの頃、突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4
月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。

過ぎし3年半前、私は左眼、そして右眼の白内障の手術を受けて、
それまで酷い近眼であつたが、手術後は0.8前後の視力となり、
高校生より長年にメガネを愛用してきたが、メガネが不要となり、人生観さえ変わったりした。

この清く正しく美しくになった両眼は、3月の初めの頃に、突然に左眼だけが
視力が激変し、
私は困苦しながら、最寄り駅近くにある眼科専門医院に通ったりしてきた。

この眼科専門医院は、私は3年半前に白内障の手術を受けてきた医院で、
この前後を含めて、少なくとも数10回通院してきたので、
医院長をはじめ10数名のスタッフとも、
顔なじみとなり、
男の癖におしゃべりな私でも、少し遠慮しながらも談笑したりしている。


このように信愛できる医院長に診察された結果、特殊手術が必要と判断されて、
この医院長より特殊手術ができる『西葛西』にある井上眼科専門病院を紹介されて、
入院しながら手術を受けて、ただいま回復に向かっている・・。

              

この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。

そして精密なCTスキャンを専門病院で検査した時、
やがて
検査入院して、 精密な状況を把握して、対処することになった。

この後、私の住む地域の大きな総合医療センターで、4月17日より2泊3日で、
家内は初めて検査入院したりしてきた。

そしてこの後も、第二次の検査をして、具体的に処置がとられることになっている。

このように私たち夫婦は、これまでの今年の短期間に於いて、
私は定年後の15年目の年金生活の中、偶然に2回も重なり、
家内は初めて入院生活をして、大いに家内は戸惑ったりしてきた。

              

そして私は今年の誕生日を迎えると、後期高齢者の入門が許された75歳となり、
家内は古希と称される70歳となり、やはり何かと病院に入院か通院が余儀なくされる、
と私たち夫婦は苦笑をしたりしてきた。

このような思いのある私は、
今回の『 高齢者の強い味方「国から戻ってくる医療・介護のお金」一覧 』を学び、
確かに私たち夫婦の頼りになる多種な項目だ、と思い深めたりした。

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医療費の『限度額適用認定証』、遅ればせながら初めて学び、高齢者の私は安堵して・・。

2019-04-19 17:05:53 | ささやかな古稀からの思い

私は調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
           
過ぎし3月中旬、家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の 膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。

そして精密なCTスキャンを専門病院で検査した時、
やがて
検査入院して、 精密な状況を把握して、対処することになった。

このような専門医師のアドバイスに基づき、私の住む地域の大きな総合医療センターで、
4月17日より2泊3日で、家内は検査入院して、膵臓(すいぞう)を中核に状況把握することとなった。

              

そして私たち夫婦は、予約した時間に出向いた時、
『入院の手続き』のコーナーで所定手続きをしたりした・・。

こうした中で、担当して下さった女性スタッフより、
『失礼ですが・・奥様は69歳ですよねぇ・・『限度額適用認定証』をお持ちですか・・?』
と私たち夫婦は問われた。

何かしら国民健康保険証を所有している方で、
医療機関等の窓口でのお支払いが、高額な負担となった場合は、
あとから申請いただくことにより自己負担限度額を超えた額が払い戻される「高額療養費制度」があります。

しかし、あとから払い戻されるとはいえ、一時的な支払いは大きな負担になります。
こうした時、『限度額適用認定証』を国民健康保険証と併せて医療機関等の窓口に提示すると、
1ヵ月 (1日から月末まで)の窓口でのお支払いが自己負担限度額までとなる、
と説明を受けたりした。

そして私たち夫婦は、家内が長期に入院した時、
たとえ一時的であっても医療費の支払いに困苦するのは避けたく、
加入することとした。

そして私は当日の帰路、市役所の所属部署に立ち寄り、
『限度額適用認定 申請書』と共に、家内の国民健康保険証を提出して、
5分後に家内の『限度額適用認定証』作成して下さった。

やがて私は、たとえ家内が長期に入院した時でも、
一時的な支払いに困苦することは、ないよなぁ・・と高齢者の私は安堵したりした。

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Suica(スイカ)、遅ればせながら高齢者の私は、数週間前より活用して・・。

2019-04-18 17:31:11 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、我が家はインターネットに関して、
固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、 私は据え置き型のパソコンを利用している。

そして私は、恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら一昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

このような時代遅れの私でも、JR東日本が発行しているICカード乗車券のSuica(スイカ)を
ここ数週間前より、遅ればせながら活用している。

過ぎし3月中旬、私の左眼の悪化で、西葛西にある井上眼科専門病院で手術を受ける為に、
我が家より出向いたりした。

            

そして我が家の近くにあるバス停より、路線バスのひとつの京王バスに乗車して、
京王線の最寄り駅の『つつじが丘』駅近くに到着後、京王線に乗車する。

やがて地下鉄の都営・新宿線に乗り継いで、『九段下』駅で下車して、
近くに隣接している地下鉄の東京メトロ・東西線に乗り換える。

そして東西線の『九段下』駅より乗車して、やがて『西葛西』駅で下車して、
徒歩5分前後で、井上眼科専門病院に到着する。

順調であれば1時間20分ぐらいの所要時間であるが、
私は切符を買い求めて乗車し、乗り換えで精算した後、目指す先の切符を買い求めて、
時間を要した。

こうした状況を見ていた家内は、
『Suica(スイカ)』を買い求めて利用すれば・・と提案があり、
私は駅の窓口で、5000円を差し出して購入したりした。

この後、現役サラリーマン時代の定期入れにしていた皮ケースに、
ピカピカの『Suica(スイカ)』を入れて、各駅の改札口で活用している。 

 

 
 
「タッチ&ゴー」の動き

そして私は、このような動作でタッチさせて改札しているが、
殆どの御方はスマホでタッチさせているが、時代遅れの私としては、
少し照れながらSuica(スイカ)を活用して、路線バス、私鉄、地下鉄など利用している。

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今年は私は入院体験を2回ばかり、そして家内は検査入院となり、何かと愚図でノロマの私でも忙しく・・。

2019-04-17 18:13:21 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、 我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、ささやかに過ごしている。

こうした中、昨年までは私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せずに、
過ごしてきた・・。

しかしながら私は、新年そうそう、心臓の悪化に伴い、
循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』に、 1月4日より8泊9日の入院した。

1月3日の夕食を家内と共に頂いた後、 やがて私は9時過ぎに布団にもぐり、
本を読だりしている中、寝付いたりした。

そして10時過ぎ頃、左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
元旦の時、 『玉川病院』の医師のアドバイスに基づき、
『ニトロペン錠』を舌先で舐(な)めたりした。

やがて20分過ぎても鎮静化しなくて、やむなく2錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりし、
今回果たして『ニトロペン錠』鎮静化がするのだろうか、と思いながら、 痛みに耐えたりしたが、
効果なく3錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりした時、
私は家内を起こして、救急車で病院に行く、と決意したのは11時半過ぎであった。

やがて救急車が我が家に到着して、救急スタッフの御方が昨今の私の状況を把握していたので、
循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』を進言して下さった。

            

そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、
或いはレントゲン終えたのは、 早朝3時半すぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。
            

今回、私は自身の健康に関して、タバコの喫煙に自身に甘えてきたが、
遅ればせながら禁煙を決意した。

私は大学一年、ワンダーフォーゲル部に所属して、夏の合宿の時、
先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、まもなく真似事をして以来、
タバコを愛煙してきたので、56年以上となっているが、今回の担当医師よりも禁煙を勧められた。

やはりタバコは心臓にも良くないし、まして身体にも良くないし、
1月3日の夕食後にタバコを一本喫って、これ以来禁煙している。

            


過ぎし3月の初めの頃、突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4
月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。

過ぎし3年半前、私は左眼、そして右眼の白内障の手術を受けて、
それまで酷い近眼であつたが、手術後は0.8前後の視力となり、
高校生より長年にメガネを愛用してきたが、メガネが不要となり、人生観さえ変わったりした。

この清く正しく美しくになった両眼は、3月の初めの頃に、突然に左眼だけが視力が激変し、
私は困苦しながら、最寄り駅近くにある眼科専門医院に通ったりしてきた。

この眼科専門医院は、私は3年半前に白内障の手術を受けてきた医院で、
この前後を含めて、少なくとも数10回通院してきたので、
医院長をはじめ10数名のスタッフとも、
顔なじみとなり、
男の癖におしゃべりな私でも、少し遠慮しながらも談笑したりしている。


このように信愛できる医院長に診察された結果、特殊手術が必要と判断されて、
この医院長より特殊手術ができる『西葛西』にある井上眼科専門病院を紹介されて、
入院しながら手術を受けて、ただいま回復に向かっている・・。

              

この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、
家内が体調を崩して内科を検診した後、まもなく胃の後ろ側にある長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の
膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。

そして精密なCTスキャンを専門病院で検査した時、やがて
検査入院して、
精密な状況を把握して、対処することになった。

何かしら膵臓(すいぞう)の働きとしては、
食べ物の中のタンパク質を溶かす「膵液」という消化液を作って、膵管から十二指腸に出す「外分泌機能」と、
血糖や消化液の量を調節するホルモン(インスリン、グルカゴン、ガストリンなど)を作って
血液に出す「内分泌機能」がある、と学んだりしてきた。

こうした中で、膵臓にできる腫瘍としては、
一般的に「膵がん」と呼ばれる悪性の腫瘍や、その他にもいろいろな種類の腫瘍がありますが、
腫瘍の種類、状態や進行度などによって治療の方法が変わる、と教えられてきた。

そして膵がんに対しては、一般的には他の臓器に転移がない場合、
また膵臓の近くの大事な血管に広がっていない場合、手術をお勧め・・。

膵臓の腫瘍の中には、必ずしも悪性とはいえないものもあり、
その場合は定期的な検査を行って、腫瘍の状態が変化するようであれば、
手術をお勧めすることもあります。

膵臓に腫瘍があると診断された場合は、専門病院での診察、精密検査と治療をお勧めします。

このような専門医師のアドバイスに基づき、私の住む地域の大きな総合医療センターで、
3回ばかり通院して、本日より2泊3日で、家内は検査入院して、
今後の膵臓(すいぞう)対処をすることとなった・・。

              

このような我が家としては、今年たった4か月の間、
私は入院体験を2回ばかり、そして家内は検査入院となり、
何かと愚図でノロマの私でも、慌ただしく忙しくなっている・・。

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左眼の悪化で6泊7日の入院した後、初めて退院後の診察を私は受けて・・。

2019-04-16 18:26:02 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
過ぎし
3月の初めの頃、突然に左眼だけが
酷い白内障になったように視力が激変し、
やがて『西葛西』にある井上眼科専門病院に於いて、
私は特殊な手術を受け、 4月2日より6泊7日で入院して過ごしたりした。

そして退院後の初めての診察日は、
手術して下さった副医院長の診察日と私のスケジュールを調節した結果、
本日の午後一時半過ぎとした。

我が家より少なくとも路線バス、私鉄、地下鉄を活用しても一時間半は要する上、
副医院長の診察を受ける前は、眼底、視力などの6種類ぐらい検査を受けるので、
我が家を10時半過ぎに出たりした。

そして最寄り駅の駅ビル内にある本屋に寄り、
医院の待合室で読む本を一冊買い求めたりした。

やがて『西葛西』にある井上眼科専門病院で予約票を提出した後、
街中の食事処で昼食をした後、5月中旬のような陽気であったので、
アイスコーヒーが飲みたくなり、コーヒーショップの『ドトール』入店した。
 
              

この後、予定通り手術して下さった副医院長の診察を私は受診した。
『先生・・赤眼はお陰様で・・だいぶ解消しましたが・・まだ幾分残っていますが・・』
と私は副医院長に訴えるように言ったりした。

『XXさん・・順調ですょ・・抜糸が終わっていませんから・・赤眼の表情が残っていますが、
抜糸は手術しなくとも・・時間が過ぎれば溶けてしまいますから・・ご安心して下さい・・』
と副医院長に私に言ったりした。

『今後、一週間後に・・先生の診察を受けたいのですが・・』
と私は信頼できる副医院長に言ったりした。

『お待ちしていますょ・・予約して行って下さいねぇ・・』
と副医院長は笑顔を浮かべながら私に言ったりした。

やがて私は一週間後に、副医院長を指定して、予約したりした。

この後、私は我が家の最寄り駅で下車した後、スーパーに寄り、少し買い物をした後、
帰宅したが、6時間ばかりの外出時間となった為か、疲れを感じたりした。 

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花水木(ハナミズキ)、都心の郊外でも咲き始めて、何かと単細胞の私は、かぼそい声で歌を唄い・・。

2019-04-15 13:30:51 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であり、
子供に恵まれなかったので、家内と2人だけの家庭となり、
古惚けた一軒家に住んでいる。

昨日の午前中、日常の買物の担当の私は、最寄りのスーパーのひとつで買い物を終えた後、
帰路は都道の路線バスも走る歩道を歩いた・・。

そして車道と歩道の間にある街緑樹のひとつには、花水木(ハナミズキ)の樹が帯のように点々と植えられて、
過ぎし10数日前の頃に芽吹き始めて、やがて幼い葉を見せていたので、気になり眺めてきた・・。

こうした情景を見上げると、いつごろに咲くのかしら、花水木(ハナミズキ)を歩きながら眺めると、
小枝の先に白色の花弁状をした四つばかりの大きな総苞をつけ、 中心に緑黄色の小花が頭状にに集まって純白色、
或いはピンクの花色となり、 葉色はまだ緑黄色は淡い色合いとなっていた・・。

そして、5日前より、清麗をな色合いを見せながら、咲き始めていた・・。

             

私は民間会社のある会社に35年近く勤めて2004〈平成16〉年の秋に定年退職し、
その直後から多々の理由により、年金生活をして早くも15年目を迎えている。

私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
この花水木(ハナミズキ)の樹の純白の花に、心の濾過を託すように圧倒的に魅せられてきた。

そしてこの時節を迎えると、花が咲き、そして花も終わりを告げて、 あまたの枝葉を大きく広げ、
秋には朱紅色に葉を染めて、陽射しを受け、やがて冬木立となり、
来年の芽吹きの時期まで、お別れねぇ、と愛惜を重ねたりしてきた。

             

私は遅ればせながら、2004〈平成16〉年の秋に退職してまもない時、
偶然にラジオから、一 青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌が流れて瞬時に魅了されたりした。

この後、確か13年前だったと思われるが、NHKテレビの音楽番組の『SONGS』中で、
一 青窈(ひとと・よう)さんと徳永英明(とくなが・ひであき)さんが、デュエットでこの歌を唄っていた。

一 青窈(ひとと・よう)さんは、美麗ながら、心の深淵まで託したご自身の思いを唄い、
大病をされ再出発してまもない頃の徳永英明さんは、透明感あるシルキー・ヴォイスで、圧倒的な歌唱力の声量で唄い、
この歌をお二人が唄うのを視聴したのであるが、 胸が熱くなり、
やがて涙を浮かべそうなくらい圧倒的に感銘を受けたのである。

https://www.youtube.com/watch?v=vh_nZWhX3Es
☆【YouTube】==>『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ、唄・一 青窈、徳永英明 ☆

留意・この曲はこの時の番組が放送されてまもなく、どなた様が【YouTube】に於いて掲載されたが、
その後NHKテレビは著作権の侵害と判断し削除された後、
やがて投稿された《akikoh1121》氏の勇意で復活したのを、敬意し付記する。


こうした思いも重なり、何かと花水木(ハナミズキ)の樹に心を寄せたりしてきた。

                                    

私たち夫婦は古びた一軒家に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、ささやかに過ごしている・・。

私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、我が家の平素の買い物で、したりしてきた。

この後、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受し、 本屋、ときには古本屋に寄ったりしている。

もとより家内は料理、洗濯、掃除などがあり、 私の現役時代は小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後は日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
それでも少し引け目を感じて、家内の茶坊主に専念したりした。

私は定年後の年金生活をし始めた数年だけは、
日の出と共に起床するのをモットーとして、 殆ど起きだしていた・・。

やがて煎茶を飲みながら新聞の朝刊を読んだり、NHKのニュースを視聴したりしてきた。

そして家内が目覚める頃になれば、指定されたマグカップにコーヒーを淹れて、
2階の寝室まで運び、 布団の枕元に置いたりし、
『今日は良いお天気になりそう・・』 と私は朝の挨拶代わりに家内に言ったりしてきた。

この後は、家内は私より早起きとなり、
こうした習慣は消え去り、家内がコーヒーか煎茶が飲みたいことを私は素早く感知して、
家内の茶坊主は継続して、今日に至っている。

こうした中で、午前中のひととき、平素の買物の専任者となった私は、
殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

             
 
家内は日頃の多くは、私のことを、 『あなた・・』 と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで 『XXクン・・』 と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』 と家内は笑いながら、私に言った。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、 『ボケチィンねぇ・・』とか、
ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』 と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

このような私たち夫婦でも、いつの日にか、命果てるまでの残された歳月は、
何かとプラス思考の私でも、自助努力も大切であるが、こうしたことは神様が仏様の采配に寄ると思われ、
この先いつまでも慎(つつ)ましながら、生活ができますように、と念願する時もある・・。

                    

私は、散策したりする時、ときおり心の中で唄ったり、人影の少ない道などで、
   ♪君と好きな人が 百年続きますように・・
一青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌を、かぼそい声で唄ったりして、
早や14年の月日が流れている。

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