夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『団塊の自殺増加、月曜日に最多』の記事を拝読し・・。

2008-10-31 15:26:04 | 時事【団塊の世代】
私はニュースを検索していたら、
『団塊の自殺増加、月曜日に最多』
と見出しがあり、読んでいたが悲しみを覚えている・・。

産経新聞が本日10時14分に配信された記事であり、
無断であるが掲載させて頂く。

【「自殺大国」日本…団塊世代リタイア後に増加 20年度版白書】
という見出しである。

【・・
政府は31日午前の閣議で、平成20年版「自殺対策白書」を決定した。
19年の自殺者数は前年比938人増の33093人で過去2番目の多さとなった。
いわゆる熟年離婚したり、団塊世代で退職したりした
壮年以上の男性自殺者が増加したことが一因とみられている。
年間の自殺者数は10年連続で3万人で推移しており、
政府は同日、自殺予防への重点施策を盛り込んだ「自殺対策加速化プラン」を策定した。

白書によると、19年の男女別の自殺者の内訳は
男性23478人(前年比665人増)、女性9615人(273人増)。
原因や動機は「健康問題」(14684人、63.3%)が最多で、
「経済・生活問題」(7318人、31.5%)、
「家庭問題」(3751人、16.2%)が続いている。

年齢層でみると、男性は55~64歳、女性は75歳以上が最も多い。
職業別では「無職」が57.4%と半数以上を占め、
次いで「被雇用者・勤め人」(27.7%)、
「自営業・家族従事者」(9.9%)、
「学生・生徒など」(2.6%)-となっている。

場所は「自宅」(54.7%)、曜日は「月曜日」が最多で、
時間帯では、男性が早朝の午前5~6時台、
女性は昼下がりの午後2~4時台に頻発している。
人口10万人あたりの自殺者数を示す「自殺死亡率」は23.7で世界8位だった。
主要7カ国(G7)では男女ともに日本がトップで、
「自殺大国」日本の実態が改めて浮き彫りになった。

19年で顕著だった自殺の傾向について内閣府は
「団塊の世代の自殺者が増えている。
退職や熟年離婚などで配偶者や友人、職を失う『喪失体験』が
自殺の原因の一つではないか」
と分析している。
・・】

以上、配信の全文を掲載させて頂いた。
注)配信記事の原文より、あえて改行を多くした。


私は昭和19年に生を受け、年金生活の4年生の身である。
私は25歳の時、遅ればせながら企業に中途入社したので、
大学の新卒の方の団塊の世代と共に職場の机を並べたりした・・。
こうした関係で、友人は何かしら団塊の世代が多く、
私の妹や家内も団塊の世代である。

私は彼らより少し齢上であるので、
平成16年(2004年)の秋に定年退職し、
私は50代なかばより予定していた通り、年金生活に入った。

定年退職後のとりまく環境、財政状況、働く意欲、生きがいは、
それぞれに嫌いな言葉であるが、格差はある。

私は山口文憲・著の『団塊ひとりぼっち』(文春新書)を読んだりしたが、
確かにかっての会社時代の友人、先輩、後輩とも次第に疎遠になるし、
たとえ最愛の家内であっても、今まで専業主婦などで、
それなりの自宅、ささやかな趣味などの日常のペースを確保している。

こうした状況を思い、私は年金生活の直後から、
買物を担当したり、散策などし、家内の従来の日常ペースに支障がないように、
独りで外出しているのである。

このような言動をしてきたが、まぎれなく『団塊ひとりぼっち』は、
正鵠と感じているのである。

私はそれぞれのお方が、強く趣味を持たれ、生きがいを見出し、
私たちの世代も含め、ご年配の人たちなりに生きがいを持たれ、目の輝きがあり、
それなりに第二の人生を過ごされている。

古くから云われているが、濡れ落葉になるかならないかは、
ご自身の廻りの人たちへの配慮と思いやりがあるか、ないかの違いである。
何より楽しく年金生活を過ごすのは、
最良の味方のパートナーを大切にすることに限る、と確信している。

私は決して裕福な年金生活を過ごしている訳ではないが、
少なくとも『清く貧しく美しく』の信条を掲げて、過ごしている。


このように思って過ごしているが、
特に団塊の世代の1部が、人生のなかばで、命をみずから絶たれるのは、
私は悲しく、辛いのである・・。
尚、私は30代の後期に於いて、次兄が自営業で経済的な理由で、
自裁されたので、私はこうした記事を読むたびに、
辛さを増し、やりきれない思いとなるのである。


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『神無月』に別れを告げて・・♪

2008-10-31 08:45:58 | 定年後の思い
私は先ほどから、このサイトに綴った1ヶ月ほどの投稿文を読み返していた・・。

小説、随筆の読書の思い、映画の思いでも重なったり、
或いは音楽のことも書き散らしている・・。
そして、平年の同じ様に、金木犀の香りに重ねて家内の父の命日を
想いだしたりしている。

ときおり、国内旅行に行ったりしているが、
たまたま今月は志賀高原の中腹にある発哺温泉に2泊3日の短じかな旅をし、
念願の秋山郷を訪れたりしている。
落葉樹のたわわな葉が黄色、朱色に染められた錦繍の世界に、
深く心を寄せたりしたのである。

過ぎ去ってしまえば、齢を重ねるごとに月日は早く去る、
というのが実感である。

しかし、64歳の私は、深く心に残っている日々でもあり、
のちのおもいとなることは確かなことである。



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独り身の私は、今宵も『美少年』と共に・・♪

2008-10-30 17:06:02 | 食べ物、お酒
家内は26日の日曜日から明日の31日まで、5泊6日で実家に行き、
冬支度などの大掃除などをしている。

家内の母は独り住まいで高齢となっているので、
毎月、家内が赴(おもむ)き、大掃除などをし、
親と娘の他愛ない話をしているのである。

私はこの間は、独り身となるが、
身勝手でふしだらな生活をしているのである。
朝だけは殆ど日の出前には、起床しているが、
昼下りに本を読みながら昼寝をしたり、夜は居間で映画を鑑賞したり、
或いは音楽を聴いたりすることが多い。

食事に関しては、ご飯ぐらいは炊けるが、
あとはスーパーのお惣菜コーナーで豚肉、鶏肉の料理済みなどと、
カイワレ大根と木綿豆腐の『北海道十勝』が多くなるのである。

ここ数日、悪い癖を覚えて、日本酒の地酒コーナーで、
熊本県の『美少年』の4合瓶を買い求めてくる。


私は年金生活の4年生であり、晩酌をしているが、
多くは山形県の『住吉』、岐阜県の『三千盛』などの純米酒の辛口を友としているが、
男の子であるので、ときには浮気をし、私と波長が会えば嬉しい限りと、
と少しときめきながら、他の地酒も呑んだりしている。

この『美少年』を知ったのは、
20年前頃で最寄り駅の近くの居酒屋で知ったのである。
それまでは、大分県の『西の関』に魅了され、ときたま今も呑んでいるが、
佐賀県の『窓の梅』は評判ほど美味しくないと感じ、
九州の方は、日本酒の美味しさは解からず、不幸な夜を送っている、
と独断と偏見のある私は思い込んでいたのである・・。

私がここ数日、『美少年』の4合瓶を
食事用のテーブルに置き、独り身の友としている。
この瓶の首には、カードのような紙が首飾りとなっている。

【 特定名称酒部門
 九州No.1獲得
 香り高く軽快な喉越し
 さらにおいしくなった吟造り純米酒】

と明記されているのである。

http://www.bishonen.co.jp/syohin/jungin/gindu.html


私はサラリーマンの現役時代を含めて、
日常で呑んでいる日本酒は、一升瓶で3500円以下として、
普通のサラリーマンに相応しいと、選定してきた。

これ以上の高価な日本酒は、無念ながら我家の収支にバランスが崩れるので、
あきらめているが、頂き物、即売会などで呑んだりした時、
心の中で、高いお酒なのだから美味しくって当たり前だ、
美味しくなかったら怒るよ、
と悔(くや)し紛(まぎ)れ呟(つぶや)いて、40数年過ぎている。

このようなことを長年してきた呑兵衛の児として、
この程度のお酒が拙(つたな)い私に相応しい、と確信し、
今宵も『美少年』と共に過ごそうと思っている。

尚、私は美少年のような同性には興味はなく、
絣(かすり)を召した中年以上の凛とした女性と手を握りながら添え寝をするのを、
夢見ている男の子のひとりである。



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『定額給付金』は、麻薬と同じようなので、険悪・・♪

2008-10-30 09:44:11 | 時事【政治・経済】等
私は年金生活の4年生の身であるが、
昨日、読売新聞を読んで、景気浮揚の一環として、
『定額給付金』を年度内に実施の予定を知り、
驚いたり、ため息ををしたりした。

午後になると、【YOMIURI ONLINE】を検索している時、

【 定額給付金は全世帯に、所得制限見送り…自公が最終合意 】

という見出しがあり、私は精読しはじめたのである。

【・・
政府・与党は29日、追加景気対策の柱となる定額減税に代わる定額給付金について、
全世帯を対象に2兆円規模で実施することで最終合意した。

所得税と住民税が課税されない低額所得者の一部は対象外とする案も検討されたが、
株価急落で景気の先行き不透明感が強まったことから、
幅広く景気刺激効果を狙う必要があるとして、全世帯を対象とすることにした。

与党は当初、定額減税と減税の恩恵が及ばない非課税世帯に対する臨時福祉特別給付金の二本立ての対策とし、
特別給付金は高齢者などの生活困窮世帯に限定する方針だった。

高額所得者は定額給付金の対象外とすべきだとの意見もあったが、
「所得額を把握するには法改正などの手続きが必要になる」(総務省幹部)ことから、
年度内実施のために所得制限は見送られた。

総額2兆円を2008年3月末現在の全国の世帯数で単純に割れば、
1世帯あたりの給付金は約3・8万円になる。
実際の給付額は家族構成によって異なる。

追加景気対策は30日に決定する。
具体的な給付方法は今後、支給窓口となる市町村と協議する。

・・】

無断であるが、上記が記事の全文である。
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


私は憂鬱になったのである。
確かに私を含めた年金生活にとっては、朗報であるが、
国が財政赤字なのに、これ以上増やしても大丈夫なの、
そして果たして『定額給付金』は景気浮揚の効果があるかしら、
と思ったのである。

1部の政治に関連した方たち、選挙対策の『ばらまき』と批判したいるが、
私もまぎれなく『清き一票』を国民から買収する策と感じ、
心の純潔を汚されたように思ったのである。


昨今は高齢者社会となり、社会保障の財源は国家の財政を圧迫しているので、
私は年金生活で、何かと心苦しく感じる時もある。
そして政治家の諸兄姉は、清き一票を多く獲得するには、
ご年配者を優遇すれば念願が叶うが、これは麻薬のような政策であり、
一時は良くても、あとで苦しむのは、国の財政と
現実に汗水を流して働いて下さる人たちなのである。

1部の人たちは、国力が衰退するよりも、
目の前の国民の生活を優遇するのが肝要である、と叫ばれているが、
果たして私たちの世代が亡くなった後は果たして・・と思っているのである。

たわむれで発言させて頂ければ、
私は年金生活で子供に恵まれなく、次世代、そして孫の世代も心配しないので、
国の財政赤字が膨らみ、孫の世代が困窮しても、
私は既にあの世である。


私たち、ご高齢者の人々は、社会保障の最優先の政策にすがることなく、
働いて下さる人方たちのこれ以上の負担をなくし、
程々に心の節度を持って過ごすことが、
何よりの次世代、孫世代のお手本となる、と考えたりしている。


余談であるが、かって1999年に於いて、
『地域振興券』として約7000億円が配布された。
ご高齢者の多くは、2万円が配布されて、買物に使ったりした、
と聞いたりしたことがあった。

私はこの頃は、あるレコード会社に勤めていたが、
宇多田ヒカルという歌手が『First Love』というCDアルバムが発売され、
たちまち765万枚の空前の売れ行きとなり、
ご高齢者の一部の方がお孫さんの歓心を乞う為に購入された、
と風の噂で聴いたことがある。
私はこれまでの業界のCDアルバムの記録は500万枚前後であったので、
そう云われれば本当かもしれないねぇ、と友人と苦笑したのである。



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改めて、映画『砂の器』の脚本について

2008-10-29 18:58:10 | 映画・テレビ
私は昨夜、映画の『砂の器』を自宅の居間で、鑑賞し、
このサイトに於いて、【秋の夜長は、映画『砂の器』、『エビータ』鑑賞となり・・♪】
と題して、私はあるサイトにも投稿したのである。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mackychan

このお方から、即急にログ・メッセージを頂き、私は驚きながら、
微笑んだのである・・。

【『砂の器』 遍路シーンは原作では僅か数行なんですよね・・。】

私は齢を重ねた64歳の年金生活をしている身であり、
ブログ、ブログに準じたサイトを四つばかりさまよい、
現在は2つのサイトに加入している。

このお方のサイトを偶然に知ったのは、昨年の夏で、
独創性のある文体で、ほとばしるような感覚で映画への熱意が感じられて、
私は瞬時に好感したのである。

もっとも彼は30代のなかばと思われるが、
このくらいの感性がなければ、個性ある文章を綴れない、
と確固たる自信と熱情があふれ、私は羨望したりしたのである。

かって私はシナリオ・ライターにあこがれ、
大学を中退後、習作などし映画青年の真似事をした時期があり、
はかなくも挫折した体験もあるので、
彼の勢いのある熱意を認め、将来に映画専門誌の『キネマ旬報』で、
『日本映画 脚本賞』を獲得して欲しい、と祈願したりしたのである。

そしてときおり、私が拙(つたな)い映画の作品などに関して投稿した後、
余りにも正鵠な寸評を頂き、分かる人には分かる・・
と強く共感したりしたのである。


今回の彼からのメッセージで明示された通り、
『砂の器』の脚本は、原作・松本清張と余りにもかけ離れている。

私は高校生の頃から、原作の小説と映画になった作品と
比較するが、言霊になされる活字の小説の表現と
スクリーンの画面から表現される総意の映画作品とは違う世界と
確信しているひとりである。

しかし、結果として、感動し感銘を受けたのは比較してもよい、
と信じているのである。

こうした状況から、原作より想像を超えた脚本は余りないが、
この『砂の器』に関し、私は驚嘆したのである。

こうした思いを以前、このサイトに【創作者の人々に敬意を・・♪】と題し、
2006年12月3日で投稿したが、今も変わらない思いでいるので、
あえて再掲載をする。


【・・
私は大学を中退し、映画青年の真似事をしていた時もあった。
昭和44年(1969年)前後までは、小学生以来、よく映画を観たひとりである。

私は映画の基盤となる脚本家に於いては、橋本 忍・氏が最も好きな方である。
『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『生きものの記録』、『真昼の暗黒』、『蜘蛛巣城』、『張込み』、
『隠し砦の三悪人』、『私は貝になりたい』、『黒い画集 あるサラリーマンの証言』、『悪い奴ほどよく眠る』、
『ゼロの焦点』、『切腹』、『白と黒』、『霧の旗』、『白い巨塔』、『拝領妻始末』、『日本でいちばん長い日』、
『砂の器』、『八甲田山』等の作品が浮かんでくる・・。

昨日の読売新聞に於いて、【時代の証言者】として、
この1週間、《喜劇監督 山田洋次》が連載されている。

私は山田洋次・氏の監督として作品は、余り観ていないので方である。
『下町の太陽』、『馬鹿まるだし』、『霧の旗』、『幸福の黄色いハンカチ』、『遥かなる山の呼び声』、
『キネマの天地』、『たそがれ清兵衛』等であり、
『男はつらいよ・・』のシリーズは苦手なの数本観たが、忘れてしまった。

このように山田監督の作品に関しては、評価は出来ない立場であるが、
脚本家としては優秀な作品を観ているので、
この連載は私の興味となっている。

それにしても、この読売新聞の担当記者、山田洋次の前に喜劇監督と称されているが、
不勉強も甚(はなは)だしい、と思っている。

昨日のこの連載に於いて、山田洋次・氏が『砂の器』の脚本、映画までの完成を語っていた。

私は何かしらで読んだり、観たりしているが、
山田洋次・氏の証言は創作の秘密を明言されているので、
この人の高潔さを感じたりした。

新聞記事を無断であるが、あえて転記させて頂きます。


『ゼロの焦点』に続いて、1962年(昭和37年)頃、
野村芳太郎さんが監督する『砂の器』の脚本作りに、
再び橋本 忍さんと取り組みました。
公開は1974年ですが、脚本は10年以上前に出来ていたんです。

松本清張の原作は、話が入り組み過ぎていて、とても映画になりそうもない。
『これは無理ですよ』
と言うと、
橋本さんは、『その通りなんだ』
とにやにや笑い、
『でも、ひとつだけ方法がある』
と言って本を開きました。
それには、捜査会議で刑事がハンセン病の男と息子の足取りを語る場面に、
赤鉛筆で傍線が引いてありました。

『追われるように古里を出、島根県の亀嵩(かめだけ)に現れる。
その間どこに回ったかは、この親子にしか分からない。
この分からない、というところを絵にするんだ』。
物乞いをしてこの国のあちこちを回り、
どんな目にあったか。
どんなにつらかったか。
それをクライマックスにして物語を作っていくということです。

捜査会議が再開されたのが、犯人の新曲発表コンサートの晴れの日。
刑事が話し始めたところで音楽が始まる。
その音楽に乗せて、親子の旅の回想がはさまれる。
『どうだ、良いだろう』
と橋本さんは自分の発想にとても興奮し、
すぐに旅館を押えてくれ、
と言いました。
夜を日に継いで、仕事を進めたかったんですね。

その時は、横15センチ、縦10センチくらいのカードに、
場面を書いていました。
いらないものは捨て、必要なら挿入する。

最近カードで整理する、というのははやりましたが、
橋本さんは40年以上前に実践していた。
ものすごい勢いで橋本さんがカードに書き込み、
それを僕が原稿用紙に写す。
10日か2週間くらいで、完成しました。

親子があちこち行く場面は、僕が考えました。
村の子供にいじめられるとか、
小学校の校庭をじっと見つめているとか、
橋の下で親子で楽しそうに食事しているとか。

でも、真冬の雪の中は書いていません。
あの場面は野村さんが加えたのです。
物乞いの人達は、寒い時に北には行きません。
でも野村さんはあえて、親子に酷寒の青森県・竜飛岬を歩かせた。
それが映像的な緊張感、過酷さを描き出し、
あの映画の象徴となっています。

それにしても、企画が中断しても10年以上あきらめず、
ついに実現させた野村さんの執念には頭が下がりますね。


以上、無断であるが記事を転記させて頂きました。
注)新聞記事の原文より、あえて改行を多くした。



私は脚本が完成されてから、作品の完成までは、
色々と映画専門雑誌、新聞記事などで読んで折、
松竹が暗い映画だと短絡的に判断し、中々製作の許可がならなかった、と読んだりしていた。

監督の野村芳太郎・氏は、作家の松本清張の原作の映画化を数多くして折、
『霧プロダクション』を設立し、製作、監督を数々を行った人である。

この『砂の器』は、橋本 忍・氏が映画完成にやまれず、
ご自分のプロダクションを設立し、資金を投じて、製作も兼ねている。

私は改めて山田洋次・氏の証言を読んで、
原作の松本清張があるにしろ、
創作され、完成までの秘話を話された山田洋次には、
清々しさを受けている。

脚本の共同著作の場合、あるお方達は僕の発想みたいに語る人が、
余りに多いからである。

この映画が完成され、原作者の松本清張・氏は、
『小説より、この映画の方がはるかに優れている』
と私は読んだことがある。

この映画に関しては、橋本 忍、山田洋次、野村芳太郎、
そして撮影の川又 、作曲、演奏の菅野光亮・・等の結晶で、
私達に感銘を与えてくれた有数な名画と感じている。

私は創作に携わる人々に敬意しているが、
今回の『砂の器』の映画には、特にこの思いが強い。

・・】


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秋の夜長は、映画『砂の器』、『エビータ』鑑賞となり・・♪

2008-10-29 09:24:10 | 映画・テレビ
私は読書を最優先としているが、映画を居間で鑑賞するのも好きである。
26日の日曜日の夜は、野村芳太郎・監督の『砂の器』を
ビデオ・DVDの棚から取り出して、秋の夜長に鑑賞したりした。

この映画は、1974年秋に上映された作品であるが、
脚本家の橋本 忍さんが、あえて自身でプロダクションを設立し、
制作された執念の力作であるので、
私はサラリーマンの多忙な時、久々に映画館で観た作品でもある。

そして、『宿命』と題されたオリジナル。サウンド・トラックの
レコードを買い求め、擦り切れるほど聴き惚れて、
その後は、CDとして保有し、ときおり聴いたりしている。

肝要な作品は、DVD化された折、私は小躍りし、
ビデオ・DVD販売店に立ち寄り、買い求め、
自宅の居間で10数回鑑賞している。

私は東京オリンピックの頃に、『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『切腹』等のシナリオを読み、
脚本家の橋本 忍を神様のようにあがめ、
絶賛し、心酔しながら、名画座が通ったりしていた時期もあった。

私が結婚する前、家内と交際期間中に、
少なくとも『砂の器』を観なきゃ、私と言葉がはずまない、
と映画館に連れて行き、鑑賞した作品でもある。


昨夜は、『エビータ』を鑑賞したが、
この作品に関しては、たびたびこのサイトで綴っている。

9月7日に於いて、【改めて、『エビータ』のマドンナ・・♪】と題して、
投稿したりしている。
【・・
2005年2月上旬に、【『エビータ』は感動しました・・。】
投稿したのである・・

昨日の読売新聞の夕刊、エンターティンメントの中で、
劇団四季『エビータ』が7年ぶりに東京公演、という記事が載っていた。

現代のモーツァルトと言われる作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーの最高傑作が、
東京で7年ぶりに上演決定。

現在上演中の『キャッツ』、『オペラ座の怪人』と併せて、
劇団四季史上初のロイド=ウェバー作品1都市3作同時公演が実現する。

アルゼンチンの伝説の大統領夫人の短くも激しい生涯を描いた感動作で、
今回は、演出、衣装、装置を一新して、さらにスケールアップしての上演となる。

という記事が載っていた。


私は、舞台は解からないが、映画で感動したのを覚えている。

1996年のアラン・パーカー監督の『エビータ』である。
本来、ミュージカル映画が嫌いであるが、この監督は私をねじ伏せてくれた。

完成まで監督候補はハーバート・ロス、リチャード・アッテンボロー、フランシス・F・コッポラ等の7人、
主役はメリル・ストリープ、ライザ・ミネリ等7人となったという。

最初、首都の大通りをエビータの葬儀で始まる・・
映像美と音楽でアラン・パーカーは期待された重責を押しのけ、
最良の演出を与えてくれた・・。

主役のマドンナは、民衆の前で大統領の官邸のバルコニーから、
民衆に呼びかける『泣かないでアルゼンチーナ』を歌う。
涙なくして視られないシーンである。

この映画はアラン・パーカーとマドンナの最良な面がでている。
他の方が担当しても、これ以上の作品は作れない。


余談であるが、私はメリル・ストリープの大ファンであるが、
この映画はマドンナが最適である。
歌手として、私はマドンナには余り感心を持っていなかったが、
見直したのである。


マドンナは、ローマで熱狂的な歓迎の中、
エビータについてこう語った、と語りづかれている・・。

『エバはアルゼンチンの労働者階級にとって聖母であり、
救世主として崇拝された。
でも一方で、女性の武器を使って次々に野心を満たしたのも事実。

私が彼女を演じたかったのは、
人々が作り出した偶像としてのイメージをだれよりも理解でき、
生身の人間である彼女の意志の強さ、
もろさをスクリーンで体現できると思ったからなの』

そして才女らしく、
『自分が何かをなすべき者てある
という運命を予感していた彼女に強く共感したのであって、
私自身の歩みが彼女に似ているからではなかったわ・・』

私はマドンナの理性に感服したのである。

・・】


そして、【昨夜、思わず『エビータ』の名曲を聴き・・♪】と題し、
この前日に投稿したりしている。

【・・
今、私が読んでいる本は、
山崎洋子・女史の『「伝説」になった女たち』を再読している。

この本は、1990年に刊行され、私が本屋で文庫本になったのを偶然目にとまり、
購入したのが1994年であった。

早朝、アナスタシア、エヴァ・ペロン等を読んで、
改めて山崎洋子・女史の著名人の心理の深層を的確に表現されていると思った。

若い女性で上昇志向のお持ちのお方に、
ぜひ一読してほしい、とも思っている。


アナスタシアに関しての映画化は、
イングリット・バークマン主演の『追想』(1956年)がある。

エヴァ・ペロンには、マドンナ主演の『エビータ』(1996年)がある。

共に感動力作であり、私さえ涙を流した作品である。

この伝説となったお2人の方を更に深める為、
ときには映画鑑賞も良いかな、と思っている。

尚、マドンナに興味のなかった私は、
この映画を観て、マドンナの魅力を遅ればせながら気付いた。

今は、『エビータ』の中の代表曲、
【Don’t Cry For Me Argentina】を聴いているが、
涙なくして聴けない名曲である。



このように投稿したのであるが、
私は歌手のマドンナへの評価を良い意味で変えた、
そしてマドンナがこのエヴァ・ペロンの人生観を深く見つめ、
私はマドンナの評価を讃(たた)えたひとりであり・・・
以前にもこのようなことも・・投稿文に綴ったことがある。

尚、ミージュカル映画が苦手な私は、
この作品『エビータ』だけは例外で、少なくとも数10回観たりしている。

・・】


昨夜、改めて感じたことは、
国家が動乱の時でも、人々は情念に支(ささ)えられて生きている、
と思ったのである。

余談であるが、この映画を鑑賞した時、衆議員の小池百合子・女史を
思い浮かべてしまったのである。
二世議員がはびこる今日、小池百合子・女史は、
言動に賛否両論があるが、独り一代で築きあげたのである。
そして、小池百合子・女史は、この映画をご覧になったか、
と余計なことを思ったりしたのである。





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まばゆい秋の陽射しの中、散策すれば・・♪

2008-10-28 16:26:42 | 音 楽
東京の郊外は秋晴れに恵まれて、
私は昼下がりのひととき遊歩道を歩いたりした・・。

朝夕は肌寒く感じられるが、昼下りの秋の陽射しはまばゆく、
秋麗(あきうらら)のひとときとなっている。

ハナミズキのたわわな葉も早くも朱紅色に染めはじめ、陽射しを受け、
秋の深まりを感じたりした。

しばらくした後、近所のお住まいの若き奥様がベビー・カーに乳児の乗せ、
昼下りの散策を愉しまれ、こちらに向かってきた。
私は奥様に微笑みながら、
『赤ちゃんも・・心地よさそうに眠っていますね・・』
と云ったりした。

『私も陽だまりのような中・・心地良いですわ・・』
と奥様は微笑みながら私に云った。

この後、私は奥様を見送った後、遊歩道沿いにあるベンチに腰掛けて、
煙草を喫ったりした。

私は年金生活の身なので、こうした秋の陽射しに恵まれ、
昼下がりのひとときを散策できるのは、何よりも贅沢の時と思っている。


そして秋の陽射しは夕刻に近づくと、つるべ落としのように暮れ、
人生のたそがれを感じたりし、何か時の愛惜感を受けたりする、
と思ったりしたのである。

このような秋の夕暮れに思いを馳せると、
突然、ひとつの歌が浮び、私は心の中で唄った・・。


♪足早に暮れてゆく 秋の夕陽のいさぎよさ
 久しぶりに散歩する父と二人での遠まわり

【『残照』 作詞・作曲 谷村新司、 編曲・青木 望、 唄・谷村新司 】


私は父を幼年期に死去されたが、この歌は父と子、そして人生の愛惜感があり、
私が好きな曲のひとつである。

この曲を知ったのは、昭和55年4月下旬、
グループのアリスがレコード会社を設立され、
私が勤めていたレコード会社が、受託販売を受けた。
そして、まもなくアリスのひとりである谷村新司氏が、
ソロのアルバム『昴』を発表され、8曲の中のひとつの曲であった。

最後に収録された『昴』のロング・セラーとなった曲よりも、
『残照』、『玄冬記~花散る日~』の方が私は好みであった。


♪”人生は祭りのよう”何気なく貴方は言った
 その後の淋しさにたえる勇気が出来ました

【『残照』 作詞・作曲 谷村新司、 編曲・青木 望、 唄・谷村新司 】


このような幾重の思いでも重ねながら、
私は心の中で唄ったりしたのである。



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秋麗(あきうらら)の朝は、肌寒く・・♪

2008-10-28 07:54:25 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、昨日より秋晴れにの恵まれ、
これから晴れマークの日が続き、日中の買物、散策は心身心地良い。

私はいつものように5時過ぎに目覚め、雨戸を開け、
煎茶を淹れたりした後、外気を入れる為にガラス戸を開け、
新聞を読んでいたのであるが、肌寒いのである。

私はスリー・シーズンの長袖のスポーツシャツを脱ぎ、
あわてて初冬のスポーツシャツに着替えたのである。

朝の6時は12度、昼過ぎは20度前後、
そして夕方の6時は17度になるでしょう、
と天気情報は報じていた。

我家は暖房のガスファンヒーターは居間に出し準備しているが、
この時節には使用することはない。

そして11月上旬の『文化の日』にも早すぎ、
下旬の『勤労感謝の日』前後に毎年お世話になっているので、
と私は袢纏(はんてん)を羽織ったりしている。

この後、私は齢を重ねた64歳の身なので寒がりになったのかしら、
と微苦笑したのである。
そして、日中の秋麗の中、スリー・シーズンの長袖のスポーツシャツで、
買物、散策をしたりしている。



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読んで見たい金胤奎(キムユンギュ)・著の『ある父子』

2008-10-27 18:25:27 | 読書、小説・随筆
先ほど、読売新聞の【YOMIURI ONLINE】の『文化』欄を見ていたら、

【 朝鮮半島生まれの作家・立原正秋に民族名の短編「ある父子」 】

と見出しを見つけて、遅ればせながら10月20日18時54分発信の記事であっが、
私は記事の内容を精読していたりしていた・・。

【・・
ベストセラー「冬の旅」などで知られた朝鮮半島生まれの直木賞作家、立原正秋(1926~80)が、
本格デビュー前に元の民族名で発表した作品があることが20日までに確認された。

この作品は、日本で刊行されていた「自由朝鮮」誌49年2月号に、
金胤奎(キムユンギュ)名義で掲載された短編「ある父子」。
連合国軍総司令部(GHQ)が提出させた出版前のゲラを集めた通称「プランゲ文庫」の中から、
早稲田大の山本武利教授のグループが発見した。
立原晩年の小説「冬のかたみに」ともエピソードが類似しているという。

立原は生前、両親とも「日韓混血」と話していたが、
2人とも朝鮮人であることが、その後明らかになった。
同グループの川崎賢子・早大非常勤講師は
「どこに自分を所属させるかという、
民族の揺らぎの中から作家立原正秋を作り上げていった過程が分かる」
と話している。
・・】

以上、全文の記事を無断で掲載させて頂いた。
注)記事の原文をあえて改行を多くした。


私は東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)の頃,
大学を中退し、映画・文学青年の真似事を始めた・・。
そして翌年の夏、立原正秋・著の『剣ケ崎』(新潮社)の短編集を購入し、
深く魅せられて、過去に発売された単行本の『薪能』(光風社)を古本屋で買い求めたりした。

この頃は、文学に関する月刊誌は、
純文学として、『新潮』、『群像』、『文学界』、
中間小説として、『小説新潮』、『オール読物』、『小説現代』を、
記憶に間違いなければ、精読していた。
そして、欲しい小説の単行本があったならば、
たとえ一食抜いても、買い求めていた時期であった。

私は作家・立原正秋に関しては、これ以降は作品、随筆が発表されるたびに、
買い求めて、熱愛し、精読していた・・。

そして昭和55年(1980年)の夏、立原正秋氏は無念ながら亡くなわれたが、
これ以降も追悼などで、立原正秋氏の綴られた未刊の小説、随筆が出版されたり、
或いは立原正秋氏の友人、知人らに寄る立原正秋に関する随筆が出版され、
私は買い求めていた・・。

その後、三周忌記念出版として、『立原正秋全集』全24巻が角川書店から、
昭和59年から発刊され、私の書棚には単行本が少なくとも30数冊はあったが、
心新たにの思いで購入したのである。
そして、愛惜を重ねながら、毎月配本されるたびに改めて精読したのである。

私は拙(つたな)い読書歴なかで、小説・随筆に関して、
明治以降の作家の中で、最も影響を受けたひとりである。

作品はもとより、文体、そして庭園、茶事、食べ物、日本酒、焼き物など、
私の青年期から、今日までの自己形成に多大に教示された人であった。

このような私なりの強い思いの軌跡があるので、
未発表の作品を読みたいと思ったのである。


尚、余談であるが、絶筆となった小説は、読売新聞に連載していた『その年の冬』なので、
亡くなわれた後の追悼などの記事に関し、読売新聞が多く掲載されると思い、
私はこれ以降、読売新聞を定期購読し、40年近く過ぎている。


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改めて、 『文字・活字文化の日』・・♪

2008-10-27 10:05:48 | 読書、小説・随筆
今朝、読売新聞を読んでいたら、

【10月27日は『文字・活字文化の日』】として、
読書の特集記事が3ページが掲載され、私は微笑んだりしていた。

私はこのサイトに於いて、3年前に関連した投稿をしていたので、
読み返していた・・。

【『文字・活字文化の日』と私のブログ・・♪】と題して、
2005年10月27日の3年前に投稿している。

・・
本日の読売新聞を見ていたら、
本日は『文字・活字文化の日』と綴られていた。
何故、この日がこうして制定されたのか解らないが、
多分、本日から11月9日まで読書週間にちなんで命名したと思う。

私は活字による文字を読む新聞、雑誌、小説、随筆、
教養の歴史学、現代史などを読むのが好きである。

言葉から文字へと人々の営みの中から、
文明が生まれ、その中の一部として、文化が発生している。

創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれの人々が読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
私はこの魔力から高校生の時から愛好している。

私はブログという伝達方法で、文字のみで投稿しているのは、
この理由に他ならない。

写真、飾りを付けられている方が多いが、
私は今後も文字のみで表現する手段としたい。
私の綴づった内容が充分に伝わらなかった時は、
私の文章修行が未熟であることに他ならない。
・・

このように投稿していたのであり、この時も思いは今でも変わらない。
私は定年退職後の4年生の身であり、相変わらず活字中毒のひとりである。

新聞に関しては、『読売新聞』を定期購読し、
現役時代よりゆっくりと読んで、ときには心の節度を失くした記事などを読んだりしていると、
『馬鹿なことを・・』
と呟いたりする時もある。

或いは、国内旅行に行ったりする時、宿泊先の観光ホテルで、
その地の地方新聞を出来る限り読んだりしている。

月刊誌に関しては、『文藝春秋』は昭和45年以来愛読して折、
そして『中央公論』、『新潮45』は特集記事に魅せられた時、
購読している。

そして新聞の出版社の広告を見たり、本屋の店頭で見かけ、
小説、随筆、歴史書、現代史など単行本、文庫新書などを購入したりしている。
その上、何かしら魅了させられない時、古本屋に寄ったりしているのである。
昨今の本屋の店頭の流通が早いので、
買いそびれた本や思いがけない興味のある本にめぐり逢え、
私の心は小躍りしながら、購入するが、
殆どは余りに廉(やす)いしので驚いたりしているのである。

退職後で一番変わったのは、ネットでニュース、興味のあるサイトを見て、
読むことが増えたことである。

『読売新聞』のオンライン・サイト
http://www.yomiuri.co.jp/

『日本経済新聞』のオンライン・サイト
http://www.nikkei.co.jp/

殆ど毎日読んだりし、この他は音楽業界の専門サイトを検索したりしている。

このように年金生活で自在の身といっても、
この上に、このサイトに綴り投稿したりするので、
ぐずの大忙しかしら、と微苦笑する時が多いのである。



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霧雨降る午後のひとときは、『You Tube』で音楽を視聴・・♪

2008-10-26 16:09:07 | 音 楽
東京郊外は、朝から小雨が降りだし、午後になると霧雨となっている。
このような時、読書に相応しい思っていたが、
ときには音楽を聴くのも良いかしらと思い、私はネットで【You Tube】を開いた・・。

結果として、
①『Runner』by 爆風スランプ
②『浪漫飛行』by 米米クラブ
③『指輪』by navy&ivory

そして、これ以降は、中島みゆきの一連の音楽を視聴したのであった。

私が一番驚いたのは、投稿者のひとりが、
《厚生年金ホール 1978年》に於き、中島みゆきのコンサート・ライブを
多分、ラジカセで録音されたと思う数曲があった。

そして、《ニッポン放送 オールナイト・ニッポン》のラジオ番組に、
定期出演されていた中島みゆきの語りが、これもカセット録音され、
これ等も視聴したのであった。

投稿者は、メーカーのビデオ・テープ、DVDの販売品から1部を投稿した方、
テレビで録画した一部を投稿した方、
そしてCDジャケットの表紙を静止画面でCDの音で投稿した方、
以上が圧倒的に多いと思われる。
そして、わずかであるが、音楽メーカー提供のビデオ・クリップから投稿された方もいる。

これらが私のように、どなたでも無料で視聴できるのである。


私はあるレコード会社の管理畑に勤め、定年退職後の年金生活の4年生の身であり、
現役時代には自社はもとより、他社のレコード、カセット、CD、DVDも購入したり、
ビデオ・クリップなども視聴してきた。

定年退職後は、ネットで【YAHOO JAPAN】に於いて、
『動画』の中で、『音楽』を無料で視聴したりした。
しかし、あくまで音楽メーカー提供のビデオ・クリップで、
音楽著作権の許諾者がアーティストの宣伝も兼ねた広報の1部であった。

その後、私は遅ればせながら、半年前に【You Tube】を知り、
検索して、視聴した時、
投稿者がそれぞれの思いで、前記のような方法で投稿されたので、
著作権の問題は未決のまま、日本で500万曲以上の楽曲が公開されているので、
音楽のバンドラの箱が開けられた、と驚いたのである。


私は自身が個人的に視聴するのは理解できるが、
ブログなどに直接URLを貼り付けるのは、
やはりためらいがあるので、これまでは音楽に関する内容を綴っても、
【You Tube】の該当した曲のURLを明示したことはない。

尚、最近の出来事として、
音楽の代表的な管理元の日本音楽著作権協会(JASRAC)が、
【You Tube】と契約が締結できたニュースを知り、
果たして具体的な内容はどのような形であるか、
私なりに興味を持ったりしているひとりである。

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=AS3Y22001%2023102008



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今朝の鼻歌は、高田みづえちゃんの『秋冬』を唄い・・♪

2008-10-26 07:29:14 | 音 楽
サラリーマンを卒業した年金生活の4年生の私は、
玄関庭で落ち葉がわずかであるが落ちはじめていたので、
朝の6時過ぎに玄関から門扉まで箒(ほうき)で掃き清めた・・。

私の住む東京の郊外は、落葉樹が色合いを朱色、黄色に染められるのは、
11月上旬頃で通例である。
そして、『勤労感謝の日』の頃になると、錦繍の世界になるのが、
毎年のならわしである。

このようなことを思ったりしていると、不意にひとつの歌が心の中で、
唄いだしたのである・・。


♪しゃれた日焼けに 涙が流れる
 あ~ 秋かしら

【『秋冬(しゅうとう)』 作詞・中山丈二 作曲・堀江童子 歌・高田みづえ】


秋海棠(シュウカイドウ)の可憐な淡紅色も咲き終わり、
紫式部(ムラサキシキブ)は、たわわな紫色の実をつけているが、
日毎に色合いを深めている。

そして私は小声で、

♪鏡を見つめて 小さな声で
 一人でつぶやく 秋の詩
 季節の変わり目を
 あなたの心で知るなんて

【『秋冬(しゅうとう)』 作詞・中山丈二 作曲・堀江童子 歌・高田みづえ】


私は鼻歌を唄ったのであるが、高田みづえちゃんの歌と思い出しながら、
あの頃に街に流れていた頃を重ねたりしていた・・。
確か昭和59年冬の頃だった、と思われる。

私はあるレコード会社の情報部門で、開発や運営で奮闘したりし、
数多くのサラリーマンと同様に、多忙で睡眠不足の日が続いていた。
このような時、他社に勤める友人のひとりから、
この歌が入っているカセットの見本品を頂いた。

そして、土曜日の休日出勤した翌日の日曜日に、
高田みづえちゃんの歌声に導かれて、小声で鼻歌を唄ったりしていた。

疲れきって心の余裕のない私は、
中年男には恋する時間もないし、第一、ローンの返済で大変だ、
とやけっぱちのような心情で唄っていたのである。


このようなことを思いだした時、私は40代であったが、
若かった時だった、と私は独りで微苦笑したりしたのである。



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家に居ても、全国の錦繍の情景めぐり・・♪

2008-10-25 09:58:16 | 旅のあれこれ
先ほど、ネットを検索しょうと思っていたら、
【YAHOO! JAPAN】のトップページに於いて、

《 ドライブガイドも! 全国の紅葉スポット情報 》
明示され、私はクイックしたら、

《 紅葉特集 2008 》

http://kouyou.yahoo.co.jp/

全国各地の朱色、紅色、黄色に染められた錦繍の情景が観られ、
これだったならば、自宅でゆっくりと眺められるので、
どなたでも楽しめる、と私は微笑んだりしたのである。


尚、このサービス・サイトの掲載期間は、
2008年10月1日~12月14日
と明記されているが、少なくとも全国の各地の美景が楽しめるので、
その地の紅葉前線は・・と私は微笑みながら、検索している。



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志賀高原・発哺温泉滞在記 《下》 【2008.10.21.~10.23..】

2008-10-25 06:34:13 | 
     第3章 霧雨の中の錦繍

志賀高原の発哺温泉滞在の最終日の早朝は、強い雨脚で目覚めた・・。
天候が崩れるのは、夕方頃からと思っていたが、早くも雨となった。

館内の展望風呂に6時過ぎに入ったが、
外の景観は本降りと濃霧で視界は殆どなく、
午後2時に宿泊地のこの地を離れる頃は、回復するかしら、と思ったりしていた。

朝食の7時半過ぎになると、小雨に変わり、
落葉樹は数多くの黄色に染められた中、
モミジなどの朱色の葉は鮮やかに浮き立っている。
ときおり、風が吹くと、黄色い葉の数枚が空中をさまよった後、
地上に落下している。

地上は落葉した黄色い葉は、絨毯のように積み重なり、
朱色、紅色の葉も観られ、小雨が降る中、潤(うるお)いのある情景となっていた。
私は煙草を喫ったり、コーヒーを飲んだりしながら、
しばらくの間、見惚(みと)れていた・・。

宿泊地の観光ホテルの前で、バスに乗車する時、
雨は上がり、濃霧の世界となった。

バスは志賀高原から横手山の付近、そして白根火山の付近を通過したが、
濃霧の中で視界は殆どなく、
『飛行機に乗っているみたい・・』
と私は家内に云ったりしていた。

草津温泉の街並みの外れを通過する頃は、視界も開け、
雨上がりの錦繍の光景となった。


今回の短かな2泊3日の小旅行であったが、
秋晴れ、小雨、霧雨、雨上がりの中、
それなりの黄色、朱色に染められた錦繍の世界が観られたので、
これ以上の至福の時はない、と私は改めて実感したのである。



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志賀高原・発哺温泉滞在記 《中》 【2008.10.21.~10.23..】

2008-10-24 14:38:29 | 
     第2章 秋山郷往還記

私が秋山郷の名を知ったのは、遅ればせながら20数年前の頃であるが、
新潟県の大河の信濃川に注(そそ)ぐ中津川の奥まった処であり、
新潟県と長野県にまたがった渓谷沿いにあるので、
自動車を所有しない私は、はなはだ遠方すぎ、未知の地となっていた。

今回の志賀高原の発哺温泉滞在の2日目に、秋山郷の周遊があったので、
私達夫婦は魅了させられて、団体観光バス・ツアーの参加の理由のひとつとなった。

そして私は、江戸後期の商人、随筆家として、『北越雪譜』などを遺(のこ)された鈴木牧之に興味を深め、
磯部定治・著の『鈴木牧之の生涯』(野島出版)を読み始めたりし、『秋山紀行』も知り、
そしてネットで秋山郷に関してそれなりに調べたりした・・。

http://www.akiyamago.com/


このような思いで、私は中型バスに乗車して、宿泊先の発哺温泉から旅立った。

奥志賀高原までの上る道程、そして緩(ゆる)やかな下り道、
いずれも狭くカーブの多い奥志賀林道、そして雑魚川林道から、秋山郷の最上流の切明までは、
1時間半ばかりの車窓からの情景は、まさに錦秋の世界であった。

道路沿いに薄(ススキ)の群生は穂先が白さを増し、
落葉樹の圧倒的に多い黄色に染められた色合いの中、
所々(ところどころ)に散見できる朱色の色模様は、鮮やかな色合いとなっていた。

このような中で、陽射しを受けたり、枝葉の木漏れ陽は地上や周辺をゆらめき、
そして、ときおり微風が吹くと、黄色に染められた葉が空を舞いながら、
地上に落下していた。

私は思わず、
『夢のような情景だね・・
林道ではなく・・夢街道だね・・』
と隣席の家内に云ったりしていた・・。


私達は、中津川を下るように秋山郷の集落の『切明温泉』、山源木工の付近に
ある『蛇淵の滝』を観たり、
そして『前倉』は渓谷となり、対岸に聳える岩は錦繍に染められ、一幅の絵画となっていた。
この景観を眺めながら、昼食となった。
自由食であったが、地元の食材を加味したお握(にぎ)りと茸(きのこ)汁が
私達と同行した人が多かった。
私達夫婦は、炉辺で焼かれている岩魚をそれぞれ2匹づづ頂き、
私はワンカップの地酒、家内は煎茶で岩魚を誉(ほ)めたりした。

その後、秋山郷の入り口に当たる『見玉不動尊』で、
眼病に良いと称せられているので、私は丁重に参拝した後、
清流があふれるように流れていたので、小岸で私は顔を洗ったりしたのである。


このような戯(たわむ)れも多かったのであるが、
江戸時代の後期に鈴木牧之・著の『秋山紀行』のような過酷な環境と違い、
現在は豊かな田畑や里山の情景となっている。

『結束』集落にある石垣の田圃(たんぼ)は、
津南町観光協会の発刊した『秘境 秋山郷 ~人が抱く本来の故郷~』に寄れば、
【・・
江戸時代、秋山郷では、穀物をはじめ、農作物の収穫が極めて少なく、
天明・天保の飢餓では多くの村が滅びてしまった。

そんな背景の中、明治時代の始め、「石垣田」の開田が始まった。
それまでは粟(あわ)や稗(ひえ)が主食だったが、
「米を食べたい」その一心で、
石だらけの急斜面地を村人たちは競うように開拓したようだ。

重機などない時代、作業は難航した。
中には、5人がかりで3日間もかけて動かした巨石もあると言われている。
その石垣は積み方も工夫が施され、現在でも殆ど当時のまま残されている。
・・】

そして、樹木はブナ、トチノキ、白樺(シラカバ)、
片栗粉の原料となる片栗(カタクリ)の花は大切にされている、
と記載されたりしている。

最近の民宿に於いては、
白米のご飯、黍(きび)ご飯、
鹿(シカ)肉、岩魚(イワナ)があり、
山菜としては、行者大蒜(ギョウジャ・ニンニク)、ゼンマイ、蕨(ワラビ)、
コゴミ、ウド、ミョウガ、
茸(きのこ)としては、舞茸(マイタケ)、ナメコ、椎茸(シイタケ)
そして、里芋(サトイモ)、山芋(ヤマイモ)、筍(タケノコ)、豆腐(トウフ)などが、
食膳として頂けると聞いたりしたのである。

このような食材であったならば、都心の高級食事処より、
遙かに健全で確かな美味に頂ける、と確信したりしたのである。


宿泊地への帰路、ふたたび雑魚川林道を通った時、
バスのドライバーのご厚意で、臨時停車となり、
錦繍の美麗な情景を私達は鑑賞できたのである。
数多くの人も私もカメラで写し撮ったが、
その人なりの心に残る思いに、勝(まさ)るものはない、と私は実感したのである。

秋晴れの中、日中の大半に於いて、錦繍の世界に酔えた私は、
私達と同行した多くの方は、行いの良い人ばかり、
或いは強運の人ばかり、と私は微笑んだりしていた。


                            《つづく》


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