夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

9月に別れを告げるにあたって・・♪

2008-09-30 19:08:08 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であり、身過ぎ世過ぎの生活をしながら、
読書をしたり、このサイトに綴ったりしている。

先程、9月の投稿文を読んだりしているが、
ほぼ朝夕時に毎日2通ばかり投稿していることが多い。

秋の紅葉の旅行勧誘雑誌を見て、
『私なりの錦繍の想いで・・♪』を綴ったり、
自民党の総裁選が開催されたので、
『石原・総理&小池・副総理・・!?』と題し、夢想したりした。

そして、真摯に政局の混迷を憂い、
『大人の童話 10年後の悪夢』を投稿したりした。


こうした中で、たまたま瀬戸内寂聴・著の『秘花』を遅ればせながら読んで、
この作品の文藝評論らしき投稿を東京オリンピック以来綴ったりした・・。

そして、この作品の主人公の世阿弥に誘発されて、
中世の文学を思考した日々もあったりした。


或いは、私がこの世を去るときは、
『いつの日にか、命(いのち)果てる時は・・。』
このような形で去りたいと真摯な願望を託して、
書いたりしたのである。

そして、肩苦しい投稿文もあったので、あえて楽に読んで頂くように、
『ときには、私は『ボケチィン』と呼ばれ・・♪』
と題して、多くのお方に読んで頂きたく、意識して投稿したりした。


このように各分野の内容を投稿してきたので、
人様から見れば、分裂症か、と判断されても致しがたいのであるが、
私にとっては、その日に感じたことや真摯に思考していることに他ならないのである。

このような偏屈な年金生活を今月も過ごしたりしている。


現役の民間会社のサラリーマン諸兄姉は、
当月の月末日は上半期か、第3四半期の締め切り日で更に多忙と思われるが、
私も現役時代は多忙で業務に追われていたが、
卒業した今は、申し訳ないが遠い世界のような出来事となっている。


こうしたことをぼんやりと想い浮べ、9月に別れを告げている。



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東京の郊外も、秋霖(しゅうりん)となり・・。

2008-09-30 09:01:18 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、先週の金曜日の30度近い夏の名残りのような暑さであったが、
翌日から急速に気温が低下し、
昨日の日中は小雨降る11月上旬のように肌寒い日であった。

今朝も小雨降る朝を迎えているが、
気温は15度程度で、日中は雨が止むが20度前後が予測され、
再び夕方より明日の午前中頃まで雨、
と報じられていた・・。

古人の人たちから、秋の長雨の冷たい雨がしとしと降る状況を
秋霖(しゅうりん)と少しお洒落な命名を名付けているが、
それにしても急激に10月の時節を飛び越えて、
11月こんにちは、と天上の気候の神々から云われても、
私は戸惑ったりしているのである。

そして、どうしてなの、と小雨降る空を見つめている。


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東京郊外も、小雨降る肌寒い1日となり・・♪

2008-09-29 17:33:54 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外の調布市は、朝の7時過ぎから小雨が降りだし、
日中も気温が上昇することなく、肌寒い1日である。

朝の6時は16度、昼下りは17度であったし、
夜の6時は15度前後が予測されている。

私は朝の天気情報をNHKで視聴した後、
今日は横一直線の気温か、と呟(つぶや)きながら、
冬用のスポーツ・シャツを着込んだのである。

そして、どうして急激に肌寒くなるの、
と小雨降る空を見つめていたのである。


私は昨日の庭の手入れで、身体が疲れていたので、
本を読んだり、煎茶を淹れたりしていたが、
寒い時は、昆布茶もよいかしら、と思い立ち、
先ほどから飲んだりしている。

そして、今宵のパジャマはスリー・シーズンの代わりに冬用にしょう、
と思ったりしている。


平年の今頃であったならば、
秋の色が日毎に深まります今日この頃・・
と秋桜(コスモス)を眺めながら、
乙女チックのような心情となるところであるが、
何よりも期待している爽やかな秋日和の日々を通り越して、
急激に肌寒くなり、日中の気温は11月上旬の頃かしら、と戸惑っている。

そして、ガス・ファン・ヒーターの暖かな温風も恋しく・・
というのが本心かしら、と微苦笑しているのである。



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ときには、早寝早起き元気な児・・!?

2008-09-29 08:59:56 | 小庭の情景を眺めながら
私は4時過ぎに目覚め、ぼんやりとしている。
東京の郊外は、この時節の日の出は5時半過ぎであるので、
薄暗いのである。


昨日、私は庭の手入れで9時半過ぎに剪定、草抜きの作業をはじめたが、
家内が『あたしも手伝うわ・・』
と薙刀(なぎがた)ならぬ高枝バサミを持ち、
急遽助太刀のなった・・。

家内は土いじりが苦手の上、何より蚊(か)が苦手であるので、
5月下旬から9月頃までは、殆ど庭でゆっくりと過ごす時がないのである。
その上、庭の手入れに関しては、
私の専任の作業なので、少し驚いたのである。


私は剪定バサミで樹木の枝葉を切っていたら、
『齢を取ったら・・高い枝は大変だから・・
今の時(うち)に・・短くしましょう・・』
と家内は提案しながら、高枝バサミで樹高を大胆に短くし始めた。

私は手を止めて、煙草を喫いながら、家内のしぐさを見つめていた。
家内は平素は従順であるが、
ときおり思いつめたら何事も徹底的にする性格なので、
私は微苦笑しながら、眺めていたのである。


この後、玄関庭と主庭に別れ、
剪定と草抜きに専念していたら夕方の4時過ぎとなったので、
『XXちゃんさぁ・・ボチボチ・・やめない・・?』
と私の方から家内に提案したのである。

私達は昼食抜きで専念していたが、私の方が体力の限界に近いし、
日の入りが5時半前であったので、
やむえず暗くなる前に作業を中断しょうと思ったのである。


家内にお風呂に入って貰っている間に、私はテラスで簡易椅子に腰掛けて、
ビールを呑みながら、短くなった樹木を眺めたりしていた。

そして、64歳の齢を重ねた我が身の体力の衰えを、
改めて実感させられたのである。
それにしても、女は元気だ、と5歳齢下の家内をしぐさに驚かされたのである。


夕食はビールを呑みながら頂いたのであるが、
7時半頃に眠くなり、布団にもぐり眠ってしまったのである。
家内はNHKテレビの連続ドラマの『篤姫』を観たと思われるが、
私は夢の中である。


私は薄暗い玄関の軒下で煙草を喫いながら、
樹木の短くなった樹高を眺め、微苦笑し、
肩と手、そして少しだるい身体を感じたりしている。

時刻は、4時半前であり、
定年退職後は日の出と共に起きをモットーとしている私さえ、
どうしてなの、と児童のような早寝早起きに戸惑ったりしているのである。



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ときには、庭の手入れ・・♪

2008-09-28 08:53:03 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、曇り空の朝を迎えている。

私は暑さに苦手な身であるので、
少し怠(おこた)っていた庭の手入れをしょう、
と決意した。

先ほどの天気情報に寄れば、朝の6時は16度だったし、
日中は風もなく曇りの日中となり、昼下りは20度前後であり、
夜の6時過ぎは19度前後と予測されている。

庭の樹木、草花も秋の装(よそ)いに相応しいように、
剪定をしたり、草抜きをする。

ただ、齢を重ね体力が衰えているので、
自分の願望と結果が狂うことがしばしばである。

庭の手入れは労苦が伴うが、何よりも清々しい庭の情景となるので、
私なりに時々手入れをしているのである。



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東京の郊外は、初秋から秋に・・♪

2008-09-27 20:47:55 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、昨夜に強い風が吹き、
私は玄関の軒下で煙草を喫っていたのであるが、
何かしら寒いくらいであった。

今朝、目覚めると、庭のテラスでパジャマ姿でいたが、
少し肌寒く居間に引き上げたのである、

そして、天気予報を観ていたら、
朝の6時は17度で、日中は爽やかな1日で、昼下りは22度前後、
夜の6時過ぎには19度前後が予測されます、と報じていた。

私はTシャツの半袖を肌着代わりとし、
薄めのスポーツ・シャツの長袖を羽織ったのである。


初秋らしい天気が2週間ばかり過ぎ、
中秋の名月も過ぎれば、
突然に秋のような空気につつまれて、
私は少し戸惑ったりしたのである。

そして、数日前まで樹の下で休息していたのであるが、
朝の陽射しを直接に受けていた方が心地良いので、
微苦笑したりし、秋到来を感じたのである。



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齢を重ねると、深化するか、或いは退廃か・・♪

2008-09-27 09:36:25 | 定年後の思い
私は恥ずかしながら、満64歳の誕生日を迎えた。

私は民間会社に35年ばかり勤め定年退職後、
残された人生の日々を自身の趣味で過ごしたく、
年金生活とした。

数多くの人たちと同様に多忙だった現役時代であったので、
せめて人生の後半戦ぐらいは、読書と散策などをし、
ときには国内旅行で各地の四季折々の情景に心を寄せれば、
本望かしらと思っていた。

そして、私の何よりの望みは、こうした日常生活をし、
心の発露として散文を綴ることである。

幸い退職後まもなくして、ブログの世界を知り、
四つばかりのサイトに書き散らかしてきた。


私の根底には、退職後の1年を過ぎた頃、
作家・城山三郎氏の『無所属の時間に生きる』の随筆集を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を教訓としている。

【・・

人生の持ち時間に大差はない。
問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、
あえて挑むとか、打って出ることも、
肝要となろう。

・・】


年金生活の4年生の身であるが、
果たして振り返った時、私自身は深化したか、
或いは身体の衰えに甘えて、退廃したか解からない。

私は先ほど、自身の過去に綴った投稿文を読み返していたりしたが、
この人生に微笑みをと、微苦笑するしかないのである。




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私は独りの師に導かれて・・♪

2008-09-26 22:05:32 | 読書、小説・随筆
この1週間、瀬戸内寂聴・著の『秘色』(新潮社)を読み終えた後、
世阿弥、観阿弥、足利義満などの軌跡を学んだりしていた。
そして、世阿弥の『風姿家伝』を初めとし、
吉田兼好の『徒然草』、鴨 長明の『方丈記』を思いかえしたりしていた。

そして最後には、紫 式部は何故『源氏物語』は書けたのか、
と思索し、ある程度了解出来たりした・・。


私は学生時代に国文学を残念ながら専攻した身ではなく、
ただ近現代文学と称される明治時代から昨今までの小説、随筆に関心がある。

そして、深く読めば読むほど、ある作家たちの作品は、
やはり中世に遺(のこ)された作品に到達することが多いのである。

その上、作品の背景には、当然として人々の営みがあり、
この頃の政治、文化、風土、日常生活、風習などを思考したりしている。


このような思いを東京オリンピックの頃から思い、
私の拙(つたな)い脳裏で苦楽を友とし、今日に至っている。

私の師は、数多くの書物を頼りに独学で学んでいるが、
サラリーマンの多忙な期間を35年ばかりしてきたので、
断片的で、一貫性がなく、残念ながらほころびが多いのである。


若き40代の頃、私は人生は2度あれば、
大学で国文学を専攻し、やがて教授になり、
確固たる国文学の上で足跡を残す、
と苦笑しながら夢想することもあった。

しかし、古今東西の数多くの人が願うように、
無念ながら人生は2度なく、
今の自分を自苦自楽しながら、向上させるしかないのである。


この一週間の私なりの師は、
谷山 茂・編の『日本文学史辞典』(京都書房)である。
この辞典は、昭和56年の秋に、偶然に本屋で見かけ、
年に数回程度、私の本棚から取り出して学んでいる。
戦後の作家の解説などは、幼い解釈もあるが、
貴重な師となっている。


このように私は、現世の社会の混迷を離れ、
ひたすら中世などを思索しながら、
ときには午前中のひととき買物・散策に出かけたりしている。



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気象予報士・半井小絵ちゃんに、魅了され・・♪

2008-09-26 10:12:56 | 時事【社会】
昨夕、配達された読売新聞の夕刊を読んで、
最も魅了されたひとつの記事があった。

『women@Heart あっとは~と』の中で、
『すてき私流』と連載特集のインタビューであり、
どこかで見た若き女性と思い、遅ればせながら気付いた・・。

私は定年退職後、テレビはNHKの朝夜にニュースと天気予報を視聴することが多く、
この中の夜の7時より『ニュース7』で、
天気情報を伝えて下さる気象キャスターの半井小絵(なからい さえ)ちゃんであった。

そして、竹之内知宣・記者の記事を読んでいくうちに、
瞬時に魅了されたのである。


【・・
大学卒業後、日本銀行・大阪支店で秘書などの仕事をしていたが、
「ずっと続けられる仕事をするために、何か資格を取りたい」
と思い、気象予報士になるための勉強を始めた。

「実際に予報士として仕事をすると大変なことばかりですが、
気象の勉強は楽しかった。
雲のでき方など天気を通して、自然の仕組みを改めて学ぶことが出来ました。

歳時記に目を通す機会が増え、
季節に敏感な日本語の魅力も再発見できました」

4回の挑戦で資格試験に合格し、東京の気象情報会社へ。
その後、オーディションで選ばれ、NHKの気象キャスターとして活躍を続けている。


番組では、原稿はもちろん、VTRの映像なども自分で考える。
持ち時間は約2分だが、その日のニュースによって、
時間は直前で秒単位で変わる。

「気象災害は人命にかかわるので、
分かりやすく、コンパクトに伝えることを心がけてます。

天気は複合的な要因で決まるため、
たくさんの情報をいかにそぎ落としていくかに苦労しますね」
・・】

という大半の記事であった。


私はここ数年、NHKの『ニュース7』の天気予報を視聴し、
若い女性が気象キャスターとして、登場され、
天気予報を学んだり、日々のうつろいを改めて確認したりしていた。
そして若き女性の健気で溌溂(はつらつ)とした言葉、しぐさに好感し、
その上、時節に応じての服装のセンスも良いと思っているひとりである。

このような私がこの記事を読んで、更に魅了されたのである。

日本銀行・大阪支店で秘書などの恵まれた職を捨て、
先の見えない4度の挑戦で気象予報士に合格し、上京され、お勤めされて、
オーデションでNHKの気象キャスターとになる軌跡は、
大変努力されて、夢を獲得されたと好感したのである。

何より私は魅せられたのは、
『歳時記に目を通す機会が増え、
季節に敏感な日本語の魅力も再発見できました』
という発言であった。
私は季節のうつろい情景を言葉にし、伝えるには、
そのお方しか持ち合わせていない感性と感覚の個性で、
初めて発露できることであるので、
私は多くの人に見る尺度のひとつ基準として、最も重要視しているのである。


私は思わずこの気象予報士の半井小絵ちゃんに、
この人生に微笑みを、そして幸ち多き人生を、
と心から祈願したりした。


尚、この記事を読み終えた後、
ネットの『YOMIURI ONLINE』に於いて、
同一の記事があったので、掲載させていただく。

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/interview/suteki/20080925ok07.htm

この記事はハーフ・ティは心身波長に合い、とこのお方は発言され、
私はハーフの香りが苦手であるが、
この人への思いは変わらず、微笑したりしている。


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我家の年金生活の午後のひとときは・・♪

2008-09-25 17:53:57 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であり、
午後の2時過ぎ頃からは、居間の17畳ばかりの片隅に、
移動式の簡易ソファ・ベットに横たわる多い。

私は本を1時間前後読み、そして昼寝を1時弱したりしている。

夏季の時節は、暑さに苦手な私はエアコンの冷気をこよなく愛していたが、
ここ数日はガラス戸を開けて、網戸越しに外気を取り入れ、
秋色の微風が通り過ぎ、心身心地良く身をまかせているのである。

昼食後、私は台所へお運びさんの役割を終え、
家内は皿洗いなどをし、庭の外れにある洗濯物を取り込む4時頃まで、
安息のひとときとなる。


家内は居間の外れに、バスタオルの厚いタオルを2枚敷いて、
床に横たわっている。
家内はソファの椅子席は苦手であるので、
当初、私は夏の布団と枕を持ち運ぼうとしたが、
こうした方が気持ちが良いから、
と云っているのである。

そして、本棚が6冊ばかり雑誌を取り出して枕代わりし、
ときには寝息をしたりしている。


4時過ぎに、お互いに起き上がり、整理をするが、
家内の仮枕の雑誌を見ると、私はいつも微苦笑するのである。

月間総合雑誌の『中央公論』、『文藝春秋』であり、
日本広しといえ、この雑誌を枕代わりにしているのは家内ぐらい、
と思っているのである。


このような午後のひととき、5月の下旬頃から10月の中旬頃まで、
1週間で4日前後、午後のひととき過ごしたりしている。

これ以外の季節は、寝室で暖かな布団で横たわっている。

昨日は、夜の11時過ぎに眠くなり、
どうしてなの、と思ったりしたが、
昼寝をしていないことに気付き、独りで微苦笑したりする時もある。



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秋色になり、簾(すだれ)に別れを告げ・・♪

2008-09-25 10:16:03 | 定年後の思い
東京の郊外も、彼岸の入りをした頃から、
日中の陽射しも夏季のような暑さも感じられず、
風も肌に心地良く、初秋の草花が多く観られ、
秋色に染められている・・。


家内は昨日と今朝、我が家の室内に掛けていた簾(すだれ)を取り外し、
カーテンなどに替えている。
私は家内の助手となり、余り役立つことなく、
ウロウロと動き回っているのが、多いのである。


我家は毎年6月初旬の頃から、
簾を収納棚から取り出して、各部屋に掛けている。

洋室であったら、雨戸、網戸、ガラス戸、そしてカーテンを外して簾とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾としている。

朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾にして、風を通したりしている。

私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
ソファーに座り庭を眺めたりする時、ほのかな暗さがあり、
樹木、草花が涼しげに観えるのである。

このように夏季の強い陽射しを避けて、毎年過ごしている。


この頃の私の心情は、このサイトでも綴ったことがある。

【・・
先程、朝の庭を眺めていた時、ひとつの句が甦(よみがえ)ってきた・・。


世の中を 美しと見し 簾かな

     作者・上野 泰


この句は、長谷川 櫂・氏に導かれて知ったひとつである。

氏の解説に寄れば、下記のように綴られている。

陽はさえぎるが風を通す簾は、蒸し暑い日本の夏には重宝なもの。
王朝の昔、高貴な女性の中には、そのかげで一生を送る人もいた。
簾を透(とお)すと何もかも涼しげに見える。
古き世も人も過ぎ去り、今は簾だけが風に揺れている。


詠(よ)まれた俳人は、大正7年に生を受け、
昭和48年に亡くなわれた人であるが、
私は昭和のよき情感をとおして、
遥か彼方の古人の人たちへの愛惜を感じたりしている。

私は庭の樹木、初夏の草花を眺めながら、
とりとめなく千年前の女人のしぐさに思いを馳(は)せたりしている。
・・】


私は簾が外され、カーテン越しに秋の陽射しを受けながら綴っているが、
ほの暗いの中、女人が去っていた、
と幻想も重ね、そして愛惜を秘めながら、
秋の歌を心の中で唄っている。




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瀬戸内寂聴・著の『秘花』    

2008-09-24 18:14:08 | 読書、小説・随筆
          序章

日本の中のひとつとして、瀬戸内山脈があるが、
50数年前に突然に隆起して形(かたち)づくられた山なみである。

ひとりの女性が小説家を目指し、少女小説や童話を発表されながら、
ひたすら純文学の世界を目標とされていた。

こうした折、純文学の雑誌に佳作を発表されたが、
文壇の有力な文藝評論家から、手厳しい批判にさらされ、
大衆文学を公表しながら、発表のあてない純文学の作品を書き続けていたのである。

そして、純文学のふたつの作品を発表され、
文壇はもとより、多くの文学青年・少女から高い評価を得て、
著名な文学賞を獲得した後は、地下水脈から溢れる泉水のように、
精力的に作品を発表され、次々と本が発刊され、
またたくまに流行作家として地位を確立された。

こうした人気もあり、流行作家として確固たる人が、
突然に仏門に入り、修行しながら、作品を発表され、
文壇以外の多くの人々を驚ろかせた。


その後、大衆文学を主軸とした流行作家を自ら捨て、再び純文学に回帰し、
岩手の天台寺で青空説法と称せられた法話をされ、
この寺の境内で、この方の法話と言動を多くの人たちに感動を与え、
うらぶれていた寺を再興させたのである。

そして法話はもとより、講演、随筆などで、各地の多くの人びとに、
心の救済、そして生きがいを導いたのである。

この間、文壇の大家の証(あかし)のひとつとされている『源氏物語』の
現代語訳の大作を発表されたりしていた。

そして、近年に文化勲章も受章され、数多くの国民から賞賛され、
現代に至っている。


このように平地に住む年金生活の無名な男は思って、
そびえる瀬戸内と命名された高き峰峰を眺めてきたのである。



               第一章


このような足跡を残しているお方が、中世に能の大成者と知られ、
一世を風靡した世阿弥の生涯を表現すると、
私は雑誌、新聞などで知り、本音としては驚いたのである。

10数人の著名な国文学を専攻とされた学者はもとより、
私の拙(つたない)い知識からは、数人の小説家が世阿弥について、
発表されている、と少しボケた脳裏がよぎったのである。

大家となり、文化勲章を受賞された後、
あえて栄達、栄華をきわめ、そして失墜感を歩まれ中、
中世の文化史上に確固たる業績を遺された世阿弥の世界を小説にする、
熱意に正直な所、驚嘆したのである。


作者は、85歳の今だから、「最後の作品」として、
世阿弥の特に晩年の佐渡島の時代を表現したい、
と公言されていた。
佐渡に流刑となり、72歳の時から80歳過ぎまでの中、
逆境をどのように受け止めながら、迫り来る老いといかに向き合って、
どのように死を迎えたのか、
関心を示された、とも付言されたりしていた。


作品が発刊された後、版元の新潮社の『波』(2007年5月号)に於いて、
【瀬戸内寂聴『秘花』刊行記念対談】と題し、
作者の瀬戸内寂聴と小説家・川上弘美が対談され、席上で、
世阿弥について今まで書かれた研究書や資料を全部読まなくちゃいけなかったし、
佐渡島に取材として4度ばかり訪れたり、
作品として完成するまで4年を要した、
と発言されていた。

私は作者自身はご高齢の身でありながら、情熱を感じながらも、
何より執念のような一途の深い思いに圧倒されたのである。



             第二章

私は遅ればせながら、9月の中旬の深夜のひととき、瀬戸内寂聴・著の『秘花』を読み終えた・・。

その直後、本棚から、新潮日本古典集成のひとつ『世阿弥芸術論集』を取り出し、
少しばかり読んだりしながら、世阿弥の心情に思い馳せたり、
瀬戸内寂聴・著の『秘花』の作品に思いを重ねたりした。

日中のひとときも、寝不足ながら、思考した上、
この作品の論評を考え出したのである。

私はもとより能に素養もなく、学生時代は国文学を専攻していなく、
文学も愛好家のひとりであるので、
正統な文学論評は表現できる才能も持ち合わせていないので、
困苦したのである。

結果としては、庭の樹木、草花を眺めた後、
作品の一部が脳裏に残っていたのが思い起こされたのである。



申楽は万民に快楽を与える芸だという信条を、
観阿弥は死ぬ瞬間まで守り通したのであった。

『風姿花伝』の中の「奥義に云はく」の件にに、私も書き遺している。
・・・
能力も知力も秀れている上流の人々の鑑賞を受ける役者が、
芸も風格も申し分ない場合は問題がない。

しかし大体において無知な大衆や、遠国や田舎の卑しい庶民には、
こうした高級な芸風は理解し難い。
こういう場合、何とすべきか。

能という芸は、一般大衆に愛され支持されることを基礎として
座が成り立っている。
それでこそ座にとっては喜ばしいことになる。
あまりに高踏的な芸風ばかり研究していっては、
一般大衆の人気を受けることは出来ない。

能を演ずる立場としては、つねに初心の頃の新鮮な気分を忘れないようにして、
時節にふさわしい場所柄を心得て、
鑑賞眼の低い観衆の眼にも、「なるほどな」と納得出来るように能を演じること。
そうなってこそ、どちらにとっても寿福がもたらされることになる。
・・・
どれほど舞台で名人上手の芸を見せようが、
見物の多くがその芸に感動し幸福感を与えられないような場合は、
寿福増長の名人の役者とはいえないのである。
・・・


本書90~91ページより引用。
本書の原文より、あえて改行を多くした。


世阿弥が遺(のこ)された『風姿家伝』の一節を、
作者は、巧く現代文で表現されているが、
何より世阿弥の心情と作者の自身の足跡を投影させて、
加味しながら思いを深く表現された箇所である。


振り返れば、
世阿弥の父・観阿弥は父が猿楽師であり、
奈良時代の頃に大陸から伝承された軽業のような曲芸、物真似などを観せる芸で、
観阿弥は若き頃に結崎座を結成し、近畿地方の寺院の支援で一帯を巡業した。

観阿弥は猿樂の芸の向上心はもとより、
田楽と称される田植えなどで豊穣を祈願した
農村の歌や踊りなどをされる田楽座の良き芸も積極的に取り込み、
創意工夫を重ねて、その地域の好みも取り込んだりし、
各地域の観衆を熱狂させたりしていた。

そして、結崎座の芸に熱意のある人から人選し、『観世座』とし独立させて上、
自ら台本も書き、更に猿楽を向上させながら、観衆の拡大を図ったのである。

この後、中央の京都に進出し、醍醐寺の7日間公演も好評を得た後、
観阿弥は二年後に時の第三代将軍の足利義満の目前で猿樂能を演じ、魅了させ、
これ以降、観阿弥、そして子の世阿弥も絶大な寵愛を受けたのである。

近畿地方の片田舎から旗揚げし、時の最高権力者の支援を受けるまで、
それぞれの公演の場所により、
観衆の質、そして演目の内容、芸の披露の深みを、
たえず観る人に熱狂させる創意工夫をしたのである。

観阿弥は苦楽を伴う巡業を重ね、心身体験した表裏を、
我が子・世阿弥に伝承させ、能の稽古はもとより、
謡、その世界で著名な方から漢文、そして文学などを学ばせて、
中央の権力者に恥じない英才教育をほどこしたのである。

観阿弥の野望は達成されたが、死去した後、
残された世阿弥は義満から一心に寵愛され続けていたが、
まもなく義満公自身が近江の犬王の夢幻能の舞う
情緒もある上、格調高い芸に魅了され、
優遇しはじめ、世阿弥は次第に遠ざかれたのである・・。


このような私なりの世阿弥への思いも馳せながら、
作者の世阿弥の心情を重ねたのである・・。



            第三章

佐渡に渡った後の世阿弥の晩年の日常生活は、
作者の世阿弥の高齢に対する思いを、作者自身の命題とした
【逆境をどのように受け止めながら、迫り来る老いといかに向き合って、
どのように死を迎えたか】
作者自身の老いの心情を重ねながら、表現されている。

そしてひとりの創作した女性・沙江を登場させ、
作者の筆は静かに高揚させ、美しい旋律として綴られ、
まさに瀬戸内文学の長所が表現されている。

私は『狂雲集』などを遺された一休宗純が、
齢を重ね老人となった時、盲目の若き女を身の廻りの世話を願い日常を過ごす中、
愛の交歓を思い重ねたのである。


私はこの『秘花』からは、思わず魅了された一節がある。
世阿弥が流刑と決り、娘婿の禅竹と会話しながら、
父・観阿弥と話しことを回想される箇所である。


・・
北山第の行幸の盛儀から外された屈辱と不満に、
自分の心のなだようもなく悶えていた時、
いつか父が何かの折に話された言葉がよみがえってきた。

「近江の大王は敵ながらあっぱれだな。
あれは生まれつきの天才だ。
はじめから幽玄を目ざして、物まねを次にして、かかりを本としていた。

われわれの得意とす物まねにこだわらず、写実より風情本位ということだろう。
あの芸風は、実に冷え冷えとして、自然に心が洗われるようだ。
芸人にとって、そういう好敵手が現われるほど、芸の励みになることはない。


いいか世阿、あらゆる芸は勝負だ。
勝つか、負けるか。究極は勝たねばならぬ。
秘技を盗んででも勝たねばならぬ。手段を選んではおられぬ。

幸いそなたは筆が立つ。
新しい能を書きことが出来る。その上、自分でシテが演じられる。

まだある。これから書こうと腹案を練っている芸論は、
そなた以外の誰にも書けぬ。


この世の時には男時(おどき)と女時(めどき)があるのだ。
男時はすべてが勢いづく上向きの時、
女時とはその反対の、すべてが勢いが衰え、不如意になる時だ。
女時の最中には焦ってはならぬ。自然の勢いには逆えぬ。

そういう時こそ、じっとわが心を抱きしめて耐えていることだ。
ふたたびめぐってくる男時の訪れを辛抱強く待つのだ」


本書15ページより引用。
本書の原文より、あえて改行を多くした。


作者は世阿弥が義満公から第一人者として寵愛を受けていたが、
やがて義満公は近江の大王の夢幻能に魅了され支援されたので、
栄華からの失墜の心情、思いを父の観阿弥の言葉として、綴っている。

これは観世流の盛衰もさることなから、観阿弥、世阿弥、そして作者自身の
今までの足跡を思い重ねて発露された、と私は感じたのである。


私は久々に本格的な小説を読んだのであるが、
文の力を改めて感じ、今後も文藝は最も有効な表現手段だ、
と行間からの作者の息づかいを熱く感じたのである。

尚、あえて私なりに苦言すれば、
晩年は佐渡の村人との淡い交流の中で、世阿弥が亡くなった後、
まもなく村人から能が演じられ、
後世の人びとから能の大成者として、確固たる業績に敬愛されようとは、
世阿弥は知るよしもなかった・・。

こうした一節も付記されたら、残り花の風情が増す、と余計な事を思ったりしている。


                             《終わり》



思わず、松田聖子ちゃんの『風立ちぬ』を唄いだし・・♪

2008-09-24 10:01:10 | 音 楽
昨夜、12時過ぎの深夜に布団にもぐり寝たのであるが、
3時に目覚め、1時間ばかりぼんやりとしていた。

この後、再び布団にもぐり寝付いたのであるが、
目覚めると7時過ぎであり、家内は洗濯と掃除をしていたので、
『遅れをとった・・』
と私は家内に挨拶代わりに云ったした。


秋晴れの朝の陽射しの中、
私は主庭のベランダで煙草を喫っていたら、
樹木の枝葉は風で揺れて折、私の身体も風に身をまかせると、
秋風と感じたのである・・。

そして、私は思わず、


♪風立ちぬ 今は秋
 今日から私は 心の旅人

【『風立ちぬ』 歌詞・松本 隆 作曲・大瀧詠一 歌・松田聖子】


唄いだしたのである・・。

先ほどの天気予報は、私の住む地域に於いては、
秋晴れの爽やかな1日であり、
朝の6時は22度で、日中の最高気温も26度前後が予想され、
夕方の6時は22度前後が予測されています、
と報じられていたのである。

私は半袖にさよならし、長袖の季節かしら、
と感じたりしたのである。

そして暑さの苦手な私は、爽やかな秋の陽射しを受け気分爽快であるが、
風はまぎれなく秋色である。


尚、松田聖子ちゃんの『風立ちぬ』が街に流れていたのは、
昭和56年(1981年)の秋であり、この後の曲は『赤いスィートピー』もヒットされ、
私はレコード会社に勤めていたので、
他社の松田聖子ちゃんの曲も聴いていたのである。

苦手な松田聖子ちゃんであるが、良い歌は認める私の性格なので、
心の奥底に残っていたと思い、
私は年金生活の4年生の身であるが、微苦笑をしている。


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ときには、私は『ボケチィン・・』と呼ばれ・・♪

2008-09-23 21:23:32 | 定年後の思い
私は民間会社を定年退職後、年金生活の4年生の身である。

私達夫婦は子供も恵まれなかったので、2人だけの家庭であり、
都心の郊外の古惚けた一軒屋に住んでいる。

私は日常の買物を担当し、ときおり庭の手入れを責務として、
家内は料理、掃除、洗濯などを担当して貰っている。

家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。


過日、私は買物を終えて帰宅後、
台所にいた家内に手渡したのである。

まもなく、家内は冷蔵庫に収納したりした後、
『あらぁ・・お願いした品がないわ・・』
と家内は呟(つぶや)くように、私に云った。

『本当ぉ・・』
と私は云いながら、スーパーのチラシで、
家内が赤丸の印を付けたりのを、見ながら確認した。

『本当だぁ・・買わなかったょ・・』
と私は家内に云った。

『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に云った。

この日以降、私が何かで失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に云うのである。


私は齢を重ね、まもなく64歳を迎える身であるが、
少しボケてきたと反省をしながら、
一家の主(あるじ)も失墜したと思ったのである。

そして、現役時代の最後の5年間は年収一千万円台だった私の少しのプライドも、
今としては遠い昔の日々だった、と苦笑したりしている。

尚、私は家内を呼んだりする時は、
『XXちゃん・・』
と婚約の少し前から呼び、今日まで30数年一環し呼んだりしている。



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祖先を敬(うやま)い、亡くなった人々を偲ぶ・・。

2008-09-23 07:27:39 | 定年後の思い
東京の郊外は、おだやかな秋晴れの朝を迎えている。
ここ1週間は、台風の影響などで不安定な天気であったが、
天上の気候の神々も、『秋分の日』にふさわしいように、采配して下さった、
と私は感謝をしている。

『祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日』と称せられ、
私達夫婦も私の実家の長兄宅に寄った後、お墓参りに行く。
お寺の境内、墓地は、『春分の日』と同様に、にぎわう日でもある。

お墓は清められ、お花が奉(ささげ)られ、お線香の紫煙が立ち昇る中、
祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、
改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしているのである。

このように、母の命日、そしてお盆の日、
年にわずか4回ばかりであるが、
私達夫婦はお墓参りをしている。