私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を読んでいたら、
【編集長のおすすめ】というコーナーがあり、この中のひとつに、
《 「60歳が「死に時」久坂部羊さんインタビュー 》
と見出しされ、私は高齢者の私は、60歳かょ、と思いながらクイックし、
読みはじめたのである・・。
そして、私の人生観の中の健康に対する思い、そして死生観の念願を照らしながら、深く精読した。
この後、作家で医師の久坂部羊さんに、読売新聞の田中秀一・記者が、
インタビューをして、三回の連載記事の最終分と私は判り、
私は第一回から通読した。
私は多々教示され、無断であるが、転載させて頂く。
《・・
久坂部羊さんインタビュー全文(1)「老い」否定するアンチエイジング
健康への関心は高まる一方です。
日本人の健康観などについて、作家で医師の久坂部羊さんに聞きました。
(聞き手・田中秀一)
久坂部 羊(くさかべ・よう)
1955年、大阪府生まれ。大阪大学医学部卒。
著書に「廃用身」「破裂」「無痛」「神の手」「日本人の死に時」など。
大阪人間科学大学教授。専門は高齢者医療、終末期医療。
――健康志向がとても高まっています。これをどう見ますか?
九坂部(これ以降も、敬称略)
医療情報は、一般の人が安心するために使われるべきですが、
増えすぎてかえって不安が大きくなっています。
医療が進むことで患者さんを減らさなければいけないのに、
医療が進んで患者さんが増える、矛盾した状況が起こっています。
新しい病気がつくられたり、メタボリック症候群に代表されるように、
病気でない人を病気とみなしたりして医療の世界に引き込んでしまう、
囲い込んでしまう状態です。
健康な人を増やしていくというよりは、不健康な人を増やしています。
――それは医療側に問題があるのですか、それとも医療を受ける側の問題ですか。
久坂部
医療をする側、医療を受ける側、どちらにも問題があります。
医療側は、一つは将来の医療費を減らすために、
予防医学という形で医療の間口を広げているわけですね。
それはあくまで試算であって、予防医学で医療費が減る保障はないんです。
医療業界は患者さんが減ると困るので、
患者さんを増やす方向に圧力がかかる傾向があると思います。
これは意図的にやっているのか、無意識に患者さんによかれと思ってやっているのかは、
医師によって違うと思いますが。
患者さん側の問題は、
過度に安心を求める国民性というか空気というか、それが強くなっています。
知らぬが仏といいますが、知らなければすむものを、
情報が増えたことによって不安が高まるという悪循環が起きています。
――それは先進国に共通した問題ですか、日本人に固有な問題ですか。
久坂部
一概には言えないですが、日本はやはり空気に流されやすいところがあって、
みんなと同じ方に流れるという傾向がありますね。
日本は暮らしやく、安全という点で、他に心配がないので、
健康に注意が行き過ぎている。
例えば自然環境が非常に厳しいところでは、
生きていくこと自体が大変なので、健康以前に自然との闘いがあります。
日本は格差社会と言われたりしますが、
やはり豊かで、飢え死にの心配はないですし、疫病で死ぬ心配もない。
――貧しい国ではあした食べるものがなく、健康にかまっていられないかもしれません。
それにしても、日本人はあまりにも健康に関心が向きすぎている印象を受けます。
久坂部
今の社会は、ちょっとでもいい生活、豊かで快適な生活がしたいという「欲望刺激」の風潮がありますね。
アンチエイジングはその典型で、
年齢を経ることによって得ることができる人間の幅とか穏やかさ、経験、知恵よりも、
若さや美しさや楽しみ、快楽を味わうことに目が向いている。
すべて欲望のなせるわざです。
「老い」がすべて否定されているように感じます。
老いることによってしか得られない安定感とか人格的な幅があるはずなのに、
老いに対する価値観を持っている人が少ないんです。
生きているうちは、たった一度の人生なのだから楽しまなければ損、
というような価値観が支配し、
「健康オタク」につながり、不安を高めて右往左往している人が多いように見えます。
――ある程度の年代に達した人が「若くありたい」と思う気持ちを、どう考えたらいいですか。
久坂部
私の場合、若い時には空回りや無駄な動きが多かったし、
あれもこれも求めて、手に入れても疲れるばっかりだった、
というような若さゆえの未熟さがありました。
そう考えれば、ある年齢になって動きが鈍くなって消極的になっても、
それは決してネガティブなことではなく、
落ち着きが出たとか、悟り、達観に近づけているんじゃないかなという実感があるので、
若い時に戻りたいとは全然思いません。
(2010年8月26日 読売新聞)
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久坂部羊さんインタビュー全文(2)検査の「正常値」に疑問
――日本人は人間ドックや健康診断が好きな国民ですね。
久坂部
ヨーロッパには人間ドックはありません。
私が外務省の医務官としてウイーンで勤務していたころ、現地の病院の事務職員が大使館に来て、
日本の人間ドックのメニューを教えてくれというんです。
いよいよウイーンにもできるのかなと思っていたら、
現地や東欧に在住している日本人向けにプライベートクリニックを作ったといいます。
サウジアラビアにいたころの話ですが、
大使館員が人間ドックを受けに病院に行ったら「そんなものはない」と言われた。
館員が「どこも悪くないけど検査だけしたい」と伝えると、
「どこも悪くなければ検査はいらない」と言われたので、
息苦しいとか言って、わざわざ病気を作って検査をしてもらったそうです。
私は、そこまでして検査して安心したいという日本人の心は病んでいると思いました。
確認強迫神経症みたいなものですね。
自分に自信がないんですね、あまりにも情報があふれすぎているから。
病院にかかるのは自覚症状や、体調を基準に判断すべきだと思いますし、
ヨーロッパもアメリカもそれが基準です。
自覚症状がなければ病院に行かないんです。
日本は、画像や血液検査の数字に表されるため、
すごく説得力があるように見えるんですね。
あやふやな体調より、よほど信頼してしまう。
正常値に入っていないと不安になる。
でも、正常値なんて医者が勝手に決めているもので、
自然の法則で決まっているものではない。
年齢別の正常値もないし、男女別、体格別の正常値もあるわけでもない。
メタボリック症候群でも指摘されていることですが、
身長によって当然、腹囲も変わるのに、基準値は一律です。
生活の背景や、食生活や職業的な状況で正常値は変わるはずなのに、
そういうことをすべて無視して正常範囲を決めている。
私はなぜそれに疑問を持たないのかと思います。
ほとんど思考停止ですね。
本当に医学とか医療の権威に弱いところが出ている。
――病院に行けば治るんじゃないか、治るに違いないと思っている患者が多いように思います。
久坂部
治る病気は治る、治らない病気は治らないということは、
医者はみんなわかっていて、医者が治せる病気は少ない。
ところが、今は治って当たり前と思われています。
医療の安全性、医療の先進性という情報ばかり出ているのは、
受け手がそういうものを求めるからですね。
医療のマイナス面やできないこととか、等身大の医療の情報を出さないといけないと思います。
治るものもあるし、治らないものもあると。
ところが、マスメディアでは、
こんな病気もこんな風に治りましたと、治るほうばかり出します。
だから患者さんはそういうほうばかり見る。
治らないという情報を出すと、そっぽをむいてしまう。
――確かに私たちの紙面でも、治らないものは記事になりにくいですね。それから、日本人は医療に対する満足度が非常に低いです。
久坂部
それは医療に対する期待値が大きいからです。
治らないケースを一般に伝えていただければ、
期待値が下がり、医療に対する満足度が上がる関係になると思います。
アメリカやヨーロッパの人は、医療の有効性について本当のことを知っている。
過度に美化された情報に惑わされていないのです。
(2010年8月27日 読売新聞)
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久坂部羊さんインタビュー全文(3)60歳が「死に時」
――著書「日本人の死に時」に、「医療は寿命を延ばすのに役立ったが、健康寿命は延ばさない」と書かれていますね。
久坂部
人間ドックを受けていても、健康寿命が伸びるわけではありません。
大事なことは、規則正しい生活とか十分な休養とか適度な運動とか、ごくごく常識的なことです。
海外の人はよくわかっている。
日本はやっぱり農耕民族だから、みんなが右にならえば右を向くんですね。
権威に弱く、自分でなんとかするのでなく、
なんとかして欲しいと考えるじゃないですか。
ヨーロッパの人はもっと自己責任、自己判断が強いですから最初から病院に頼らない。
日本は、専門家に意見を聞きたいという人が多いんですね。
自分の頭で考えるというより、教えてもらってそれを無批判に信用して、
やみくもに実行する。
このスパイラルから抜けだすためには、老いの知恵が必要だと考えます。
生まれてから死ぬまで、
人間が思い通り描いたように、うまくはいかないんですね。
現実をしっかり見つめて受け止めて、
自分の体質やこれまでの生活、人生観などを落ち着ければ、
右往左往して振り回されるはずはないです。
それなのに、ちょっとでもいい生活、元気な老後をと、
絵空事のように追い求めるので、
いいかげんな情報に振り回されることになります。
――そうならないためには何が必要ですか。
久坂部
「死」を評価することです。
死は絶対悪のように言われていますが、決してそうではない。
私のように高齢者医療に携わっていると、
とても苦しい生がある現実を目の当たりにします。
そこへ至るまでに、自分の人生を充実させておけば、
機能が衰えたときに、「やるだけやった」という満足を得ることができる。
満足すれば、「まだ」「もっと」と、あたふたしなくて済むと思うんです。
そういう発想は、徒然草や方丈記などのように、
日本では昔から脈々とある達観ですよね。
そういうものをしっかりと身につければ、そんなに欲望にふりまわされません。
――その考え方のヒントが、「日本人の死に時」で書かれた「60歳が死に時」ということですか。
久坂部
私は50歳のときに、「60歳が死に時」だというふうに考えるようになりました。
死に時というのは、死ぬのにちょうどいい時という意味ですが、
その年齢を60歳にするか80歳にするかを最初に考えました。
平均寿命が80歳なので、80まで生きて当たり前という意識が強いですね。
80まで余裕があると、油断してしまう。
70歳で死んだら、10年早死にした、損したという気分になってしまう。
60歳までしか寿命がないと考えたら、
あと10年しかないといってあわてるわけです。
真剣になります。
人生に真剣になったほうが当然実績もあげやすい。
もちろんこれは理屈ですから、なかなかその通りにはいきにくいとは思いますが、
80歳まで生きて当然とか、90歳まで生きるんだと考えるよりは、
人生の安心や安らぎを得られやすい発想だと思います。
(2010年8月28日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
http
://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=29919
☆【YOMIURI ONLINE】久坂部羊さんインタビュー全文(1)「老い」否定するアンチエイジング ☆
http
://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=29969
☆【YOMIURI ONLINE】久坂部羊さんインタビュー全文(2)検査の「正常値」に疑問 ☆
http
://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=29989
☆【YOMIURI ONLINE】久坂部羊さんインタビュー全文(3)60歳が「死に時」 ☆
私は自身の人生観の中の健康に対する思い、そして死生観の念願を照らしながら、
深く精読したと記したが、
この久坂部羊さんインタビュー全文を読んだ後、
私なりの思いを次回、明記する。
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