夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

岩手県の一部地域の旅行に伴い、投稿中止・・。

2010-08-29 16:56:11 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
30日から9月4日まで5泊6日で、
東北地方の太平洋に面した三陸海岸で、宮古市の海岸にある『浄土ヶ浜』、
そして盛岡市の郊外にある繋(つなぎ)温泉の奥地にある鶯宿(おうしゅく)温泉に訪れるので、
投稿文は中止とさせて頂く。

私は定年退職後、まもなくしてブログの世界を知り、
旅行とかパソコンの故障などしない限り、日々数通を投稿し6年目となっている。

私の投稿文は原則として自宅の居間でパソコンに向いながら綴って折、
携帯電話さえ使えないので、もとより携帯電話も所有していない数少ない人であり、
モバイル情報と云われても何のことか無知なのである。

ひとときはミニ・ノートパソコンを購入して、
旅先などで日々の投稿の持続を考えたりしたことはあったが、
旅先の情景や情感を受け止めることに専念した方が、
のちの思いが深まると確信している古い人のひとりである。

そして旅先で魅せられたことをノートを持ちながら、
メモ程度に書き込んだりしている。

このような古い世代のひとりなので、9月4日までは投稿文は休止する。

帰宅後、つたないなりに心を揺さぶられたことなど、
ときめきを感じたことなどを恥ずかしながら素直に綴る予定である。

そして、何よりも秘かに願っていることは、
一夜でも満天のたわわな星を観られれば、
私はこれ以上の幸せのひとときはない、と思ったりしている。

尚、私のこのサイトの左側にあるカテゴリーで、
『旅』124編、『旅のあれこれ』157編を投稿している。
『旅』に関しては、旅の最中に感じたことを発露した紀行文の形式、
『旅のあれこれ』は、帰宅後の旅先のこぼれ話、旅の思いを素直に綴った散文としている。
お読み頂き、ご笑話を頂ければ、幸甚である。


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政権与党の確かな三種の神器を奪われれば・・。

2010-08-29 14:25:43 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
午前中のひととき、ネットでニュースを見ようと、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、

《 「仙谷外し」不発で決断=小沢氏、首相との対決選ぶ-民主代表選  》

と見出しされた記事を見て、政治にも疎(うと)い身ながら、
思わずクイックし、記事を深く精読した・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・ 
    「仙谷外し」不発で決断=小沢氏、首相との対決選ぶ-民主代表選

菅直人首相に小沢一郎前幹事長が復権を懸けて挑む民主党代表選。
「政治とカネ」の問題を抱える小沢氏の出馬は難しいとみられていたが、
挙党態勢構築の要求を首相にはねつけられ、直接対決で雌雄を決する道を選んだ。

「一両日中に判断する」。
24日夜、代表選について沈黙を守っていた小沢氏は、
都内のホテルで鳩山由紀夫前首相と会い、こう伝えた。

首相と小沢氏が対決すれば、いずれが勝っても民主党は分裂含みの展開になりかねない。
こう懸念した鳩山氏は、2人の仲介に乗り出し、
首相に「脱小沢」路線を修正する約束をさせることで、
小沢氏に出馬を思いとどまらせようとしていた。

一方の小沢氏は、鳩山氏の仲介の結果を見極めた上で最終判断を下すことにした。

 ◇小沢氏使者、3ポスト要求

翌25日夕、鳩山氏は首相官邸に赴き、首相と約1時間会談。
「『脱小沢シフト』を小沢氏は快く思っていない。
ここで真剣に小沢氏に協力を求めるべきだ」。

執務室の地球儀を指さしながら約30分間、ロシア、アフガニスタンなどの外交問題について持論を述べた後、
鳩山氏は本題に入った。
しかし、首相は小沢氏の処遇を含め代表再選後の人事で言質を与えることはなかった。

一連の会談と前後して、首相サイドには「小沢氏の使者」と名乗る複数の人物から、
枝野幸男幹事長、仙谷由人官房長官、小宮山洋子財務委員長を交代させ、
そのポストを明け渡すよう求める声が届いていた。

いずれも巨額の党資金や官房機密費を握る重要ポスト。
首相が再選されたとしても、その役職さえ押さえれば、
政権を実質的にコントロールできる。

「首相は対応に悩んでいた」。
周辺はこう語るが、結局、首相が人事で手形を切ることはなかった。

首相と鳩山氏の会談後、
党内では「小沢氏の処遇で首相が最高顧問のポストを提示した」との情報が駆け巡った。
実権を伴わない名誉職に祭り上げる構想で、
これを聞いた小沢グループの議員は猛反発。

小沢氏に近い議員による意図的な情報操作との見方もあるが、
小沢陣営では「小沢立つべし」との空気が広がった。

 ◇首相、「二重権力」拒否

26日朝。モスクワへの出発を数時間後に控えた鳩山氏は、
都内の個人事務所で小沢氏と再び会談。
首相との会談内容を知らされた小沢氏は
「鳩山さんの支援、協力が得られれば出馬したい」。

鳩山氏も「脱小沢」路線の転換に応じようとしない首相に見切りを付け、
「応援する」と約束した。

「これで良かった。すっきりする」。
26日午前、小沢氏の出馬表明を報告しにきた側近の寺田学首相補佐官を前に、
首相はこうつぶやいた。
「要求をのんでも権力の二重構造になるだけだ。
それよりは選挙をして分かりやすい構造にした方がいい」。

自らの消費税発言などで参院選で惨敗し、以来、精彩を欠いていた首相。
「政治とカネ」の問題を引きずりながら、
党内最大の議員グループを率いる最強のライバルとの決戦が決まり、
拳を突き上げて「必勝」を誓った。

(2010/08/28-19:38)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2010082800201
☆【時事ドットコム】「仙谷外し」不発で決断=小沢氏、首相との対決選ぶ-民主代表選☆

私は【時事ドットコム】から配信された昨夜のニュースを遅ればせながら、
読んだ後、政権与党の確かな三種の神器を奪われれば、
小沢一郎氏が率いる諸兄諸姉の議員は、少なくとも150人いるのに、
と思い、今回の代表選の前にそれぞれが言動された、と私は微苦笑した。


確かに《・・枝野幸男幹事長、仙谷由人官房長官、小宮山洋子財務委員長を交代させ、
そのポストを明け渡すよう・・
いずれも巨額の党資金や官房機密費を握る重要ポスト。
首相が再選されたとしても、その役職さえ押さえれば、
政権を実質的にコントロールできる・・》

私は政権与党の幹事長、官房長官、党内の資金管理、配分元の財務委員長は、
確かな三種の神器と称しているが、
誰よりもこの効力と権威がご存知なのは、小沢一郎氏と確信している。

このようなことを妄想を重ねると、無力な私でも微苦笑してしまうのである。

尚、今回の民主代表選の私の思いは、
【「菅vs.小沢」権力闘争鮮明に、あきれ果て・・。】と題した、
一昨日の27日に、このサイトに投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/79370b5788e8f00df38b7f9769629d3b
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
     「菅vs.小沢」権力闘争鮮明に、あきれ果て・・。☆

 
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夏の終り、ささやかな私達夫婦の旅路は・・。

2010-08-29 12:01:37 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
家内との共通趣味は国内旅行である。
私達夫婦は子供に恵まれなかった為か、新婚時代からサラリーマンの多忙期でも、
何かとスケージュルを調整し、四季折々、各地を訪れている。

しかし暑さに苦手な私は、特に小中学生が夏休みの間は敬遠しているが、
家内は夏祭りのような風物詩が好きであるので、
富山県の越中七尾の『おわら風の盆』、、『青森のねぶた祭』、『秋田の竿燈まつり』、
そして昨年は『祇園祭』を観たりしている。

私は熱い期間は、エアコンの冷風の中で、読書をしたりするのが無上の喜びであり、
大半はこのようなふしだらな生活を過ごしているが、
ときには家内に日頃の感謝を思いながら、夏季の国内旅行に出かけたりしている。

これらに関しては、【夏季休暇、私の現役時代の旅行は・・。】
と題して、このサイトに於いて、
8月2日より15回に及び連載しているので、今回は省略する。


6月の初旬、家内は旅行雑誌を見ていた時、
『ここはどうかしら・・』
とJR東日本が発行している『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編、
そしてJTBが発行している『北東北 青森・秋田・岩手』編も重ね、
私に手渡したのである・・。

家内が指定された箇所は、東北地方の太平洋に面した三陸海岸で、
宮古市の海岸にある『浄土ヶ浜』にある観光ホテルを指したのである。

http://www.jodo-ph.jp/
☆ 浄土ヶ浜パークホテル ホームページ ☆

『ここでしたら・・夏休みの期間のピークを避ければ・・
貴方の好きな・・人気(ひとけ)の少ない浜辺を散策する、ことができそうょ・・』
と家内は私に微笑みながら、私に云った。

その後、私は旅行案内書の『上撰の旅 北東北』(昭文社)を見たりし、
北山崎、久慈の海岸の美麗は観たが、この浄土ヶ浜はいずれ訪れてみたい処であった。

この旅行案内書の解説文をお借りすれば、
《・・
三陸海岸を代表する景勝地でもある浄土ヶ浜は、宮古湾の入口にある美しい海岸。
沖には飛び石状に岩がつらなり、まるでは箱庭を思わせるような海岸美を見せている。
(略)
手前には白い玉砂利が広がり、青い海とのコントラストが美しい。

浄土ヶ浜の名は1683(天和3)年に、宮古の常安寺の僧侶、霊鏡が発見し、
「さながら浄土のようだ」
と賞辞したことから由来するという。
(略)
・・》
と解説されて折、
この下段には、海岸の水際から海上の幾重か連なる岩の写真が掲載されていた。

私は玄関庭の軒下で、煙草を喫いながらこうした解説を読み、
ぼんやりとした思いで、中世の作庭家たちは、このような情景を観ながら、
石庭を創りはじめたのだろう、と思ったりした。

この後、私は居間にいる家内に、
『XXちゃん・・良い処みたい・・3泊ぐらいしょうよ・・』
と私は家内に云ったりした。

いずれにしても、東北新幹線で盛岡経由で在来線の山田線を利用し、
宮古を往復する旅となるので、帰路する際に盛岡周辺の温泉地を探したのである。

繋(つなぎ)温泉は、2005(平成17)年の晩秋に家内の母を誘い、
私達三人は5泊6日で温泉滞在した時に、
付近の『盛岡手づくり村』、『小岩井農場』を訪れたりし、
そして盛岡市の街を散策したりした。

或いは『花巻温泉』は、私の定年退職の2年前に、
冬の2月に、雪恋しの思いで2泊3日で訪れて、
小高い里山にある『宮沢賢治記念館』を観た後、積雪のある遊歩道を歩き、
冬枯れの雑木林の美麗に鮮烈な思いを今でも心の片隅に残っている。

このような思いもあるが、盛岡市の郊外にある繋(つなぎ)温泉の奥地に鶯宿(おうしゅく)温泉を見つけて、
観光ホテルを検索し、
《源泉100%掛け流しの温泉旅館・・》に私達は魅了された。

http://www.choeikan.com/
☆鴬宿温泉 「長栄館」ホームページ ☆


その後、私達は駅前に買物した後、旅行代理店に寄り、
8月の30日から、浄土ヶ浜パークホテルを3泊、鴬宿温泉の「長栄館」を2泊、
そして新幹線、山田線の乗車予約をしたりした。

このように私達の今年の夏旅行はこのようになったのであるが、
私の現役のサラリーマン時代は、数多くの人たちと同様に多忙であったので、
夏季休暇5日間と伝達されても、2泊3日の旅行が行ければ良かった方であり、
年金生活をして、初めて少し期日を無視して出来ることでもある、と微苦笑をしたりしている。


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久坂部羊(くさかべ・よう)氏の 『60歳が「死に時」』、私は教示され・・。 【下】

2010-08-29 00:58:46 | 時事【社会】
私は1944(昭和19)年9月に、
今住んでいる北多摩郡神代村入間(現・調布市入間町)近くの実家で生を受け、
祖父、父、母、そして父の妹の叔母2人、
長兄、次兄に続いて生まれたので、三男坊として乳児の時を過ごした・・。
敗戦の大戦の一年前の頃であるので、もとより戦争を知らない身ひとりでもある。

祖父と父が中心となり、小作人の手を借り、
程々の広さの田畑を耕し、宅地の周辺には竹林、雑木林があった。

長兄、次兄に続いて私は生を受けたが、跡取り候補の男の子は2人いたので、
祖父、父らは3番目は何かしら女の子を期待していたらしく、
私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私はなりに感じ取り、
いじけた可愛げのない劣等感のある幼年期を過ごした。

このした中で長兄、次兄は、優等生であったが、
私は小学校に入学しても、通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等生であった。
父が私が小学2年3学期になると、黄疸で長らく自宅治療をした後、
42歳の若さで肝臓が悪化して、病死した。
この後、まもなくして祖父は胃がんで最寄の大学病院で亡くなった。

そして、大黒柱をなくした農家の我家は没落しはじめたのである・・。

母、そして父の妹の未婚の叔母、そして私達の兄、妹の5人の子供が残され、
私達子供は母と叔母に支えられ、そして親類に見守り中で、
貧乏な生活が始まった。

母は私が中学校に入学した1957(昭和32)年の春、
やむえず田畑を売り、駅の近くにアパート経営をしたが、
何とか明日の見える生活となったが、学業に何かと経費を要する5人の子供がいたので、
家計は余裕もなかった。

そして私が高校に入学した1960(昭和35)年の春、
母はラブホテルのような連れ込み旅館の経営に打って出て、孤軍奮闘したので、
私達の生活は何とか普通の生活になった。


幼年期の頃、本といえば、農協の月刊誌だったと思われる『家の光』しかなく、
小学5年の時に都心から引越してきた同級生の家には沢山の本があり、
愕然としたこともあった。
私は都心の私立の高校に通い、
地元から離れ、都心の空気と兄達の影響のない高校であったので、
私なりに純粋に伸び伸びとして育ち、
高校時代になって初めて勉学が楽しくなり、
遅ればせながら読書にも目覚めたり、文学、歴史などに深く興味を持ち、
小説らしき習作を始めたりした。

この後、大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、
幾度も小説新人の応募で最終候補作に漏れ、落胆し、やがて挫折した後、
民間会社に中途会社にする為に、コンピュータの専門学校に学び、
これを梃子(てこ)とした上で、知人の強力な後押しのお陰で、
ある大手の民間会社に中途会社にできたのは、1970(昭和45)年の春であった。

そしてまもなくレコード会社に異動させられて、
六本木にある本社でコンビュータの専任者となり、時代の最先端にいると勘違いしたり、
この間、幾度も恋をしたが失恋の方が多く困惑したり、
結婚後の数年後に若気の至りで一軒家に茶室まで付け足して建てて、
住宅ローンの重みに耐えたりていた。

そして私は30代の後期になると、次兄が自営業していたのであるが、
経済的な理由で、突然に次兄は自宅の布団の中で、睡眠薬を過剰に飲み自裁された・・。

私は援助も出来なかったことを知り、さいなまれながら、
たとえどのようなことがあっても、少なくとも父の死の42歳を乗り越えなければ、
という思いが強く意識した。

そして、55歳を迎える寸前に、業界はリストラ旋風の中、
私は30年近い本社勤務から、出向となり、都落ちの失墜感の中、
家内と退職後の生活設計を改めて話し合い、
定年後の私は年金生活に入り、残された歳月を趣味の時間で過ごそう、と決意した。


このように私は大手企業のサラリーマンの一部に見られるエリートでなく、
屈折した日々の多い半生を歩み、定年を迎え、
半生記は自慢史が多いと云われているが、私は程遠い存在である。

私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
ときには独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。
そして、ある時には、その分野で専門知識があり優れた人の前では、
卑屈になったりした・・。
このように可愛げのない男のひとりである。


私は定年退職時の5年前頃からは、
漠然と定年後の60代は五体満足で生かしてくれ、
これ以降の70代は余生だと思ったりしている。

昨今の日本人の平均寿命は男性79歳、女性86歳と何か本で読んだりしているが、
私は体力も優れていないが、
多くのサラリーマンと同様に、ただ気力で多忙な現役時代を過ごしたり、
退職後も煙草も相変わらずの愛煙家の上、お酒も好きなひとりであるので、
平均寿命の前にあの世に行っている、確信に近いほどに思っている。

世間では、よく煙草を喫い続けると五年前後寿命が縮じまるという説があるが、
身勝手な私は5年ぐらいで寿命が左右されるのであるならば、
私なりの愛煙家のひとりとして、
ときおり煙草を喫ったりしながら、思索を深め日々を過ごす人生を選択する。
そして、昨今は嫌煙の社会風潮があるので、
私は場所をわきまえて、煙草を喫ったりしている。


このように身勝手で屈折の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のように、
と思ったりしたのである・・。

私はこれといって、恥ずかしながら特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。

文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、もとより小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。


私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。

何よりも多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったのである。


私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。


こうして定年後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日常生活で、
家内とふたりだけの生活の折、買物の担当をしたり、
散策をしながら、四季折々のうつろいを享受し、
長年の連れ合いの家内との会話も、こよなく大切にしている。

そして時折、何かと甘い自身の性格と文章修行に未熟な私さえ、
ときには総合雑誌の『サライ』にあった写真家の竹内敏信氏の連載記事に於いては、
風景写真を二葉を明示した上で、文章も兼ね備えて掲載されていたが、
このような形式に誘惑にかられ、悩んだりする時もある。

私が国内旅行をした後、投稿文に写真を数葉添付して、旅行の紀行文の真似事をすれば、
表現上として言葉を脳裏から紡(つむ)ぐことは少なくすむが、
安易に自身は逃げる行為をしていると思い、自身を制止している。

そして、言葉だけによる表現は、
古来より少なくとも平安時代より続いてきたことであるので、
多くの人の心を響かせるような圧倒的な文章力のない私は、
暗澹たる思いとなりながらも、まだ修行が足りない、と自身を叱咤したりしている。


そして拙(つたな)い才能には、
何よりも言葉による表現、読書、そして思索の時間が不可欠であり、
日常の大半を費(つい)やしているので、年金生活は閑だというのは、
私にとっては別世界の出来事である。

このような思いで今後も過ごす予定であるので、
果たして満天の星のひとつになれるか、
或いは挫折して流れ星となり、銀河の果てに消え去るか、
もとより私自身の心身によって決められることである。


しかしながら、いつの日にかは命(いのち)果てる時がある。
ある日、川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、
私の散策の好きなひとつのコースでもある。

木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、
ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたのである。

この遊歩道で、独りで歩き、
桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、といった状況を願ったのである。

5年先か10年先か、或いは数10年先か判からないが、
いずれいつの日にか、命は絶えるのであるが、
亡くなる時は、こうした思いもあることは確かである。


尚、私は葬儀は家族葬とし、死者は土に還るという意味あいから、樹木葬にと、
私達は子供に恵まれなかったこともあり、寺院の墓地は不要である、
とここ6年ばかり家内に云ったりしている。

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久坂部羊(くさかべ・よう)氏の 『60歳が「死に時」』、私は教示され・・。 【上】

2010-08-28 17:34:43 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を読んでいたら、
【編集長のおすすめ】というコーナーがあり、この中のひとつに、

《 「60歳が「死に時」久坂部羊さんインタビュー 》

と見出しされ、私は高齢者の私は、60歳かょ、と思いながらクイックし、
読みはじめたのである・・。

そして、私の人生観の中の健康に対する思い、そして死生観の念願を照らしながら、深く精読した。

この後、作家で医師の久坂部羊さんに、読売新聞の田中秀一・記者が、
インタビューをして、三回の連載記事の最終分と私は判り、
私は第一回から通読した。

私は多々教示され、無断であるが、転載させて頂く。

《・・
   久坂部羊さんインタビュー全文(1)「老い」否定するアンチエイジング

健康への関心は高まる一方です。
日本人の健康観などについて、作家で医師の久坂部羊さんに聞きました。
(聞き手・田中秀一)

久坂部 羊(くさかべ・よう)
1955年、大阪府生まれ。大阪大学医学部卒。
著書に「廃用身」「破裂」「無痛」「神の手」「日本人の死に時」など。
大阪人間科学大学教授。専門は高齢者医療、終末期医療。


――健康志向がとても高まっています。これをどう見ますか?

九坂部(これ以降も、敬称略) 
医療情報は、一般の人が安心するために使われるべきですが、
増えすぎてかえって不安が大きくなっています。

医療が進むことで患者さんを減らさなければいけないのに、
医療が進んで患者さんが増える、矛盾した状況が起こっています。
新しい病気がつくられたり、メタボリック症候群に代表されるように、
病気でない人を病気とみなしたりして医療の世界に引き込んでしまう、
囲い込んでしまう状態です。

健康な人を増やしていくというよりは、不健康な人を増やしています。


――それは医療側に問題があるのですか、それとも医療を受ける側の問題ですか。

久坂部
医療をする側、医療を受ける側、どちらにも問題があります。
医療側は、一つは将来の医療費を減らすために、
予防医学という形で医療の間口を広げているわけですね。
それはあくまで試算であって、予防医学で医療費が減る保障はないんです。

医療業界は患者さんが減ると困るので、
患者さんを増やす方向に圧力がかかる傾向があると思います。
これは意図的にやっているのか、無意識に患者さんによかれと思ってやっているのかは、
医師によって違うと思いますが。

患者さん側の問題は、
過度に安心を求める国民性というか空気というか、それが強くなっています。
知らぬが仏といいますが、知らなければすむものを、
情報が増えたことによって不安が高まるという悪循環が起きています。


 ――それは先進国に共通した問題ですか、日本人に固有な問題ですか。

久坂部
一概には言えないですが、日本はやはり空気に流されやすいところがあって、
みんなと同じ方に流れるという傾向がありますね。
日本は暮らしやく、安全という点で、他に心配がないので、
健康に注意が行き過ぎている。

例えば自然環境が非常に厳しいところでは、
生きていくこと自体が大変なので、健康以前に自然との闘いがあります。

日本は格差社会と言われたりしますが、
やはり豊かで、飢え死にの心配はないですし、疫病で死ぬ心配もない。


――貧しい国ではあした食べるものがなく、健康にかまっていられないかもしれません。
それにしても、日本人はあまりにも健康に関心が向きすぎている印象を受けます。

久坂部
今の社会は、ちょっとでもいい生活、豊かで快適な生活がしたいという「欲望刺激」の風潮がありますね。
アンチエイジングはその典型で、
年齢を経ることによって得ることができる人間の幅とか穏やかさ、経験、知恵よりも、
若さや美しさや楽しみ、快楽を味わうことに目が向いている。

すべて欲望のなせるわざです。
「老い」がすべて否定されているように感じます。
老いることによってしか得られない安定感とか人格的な幅があるはずなのに、
老いに対する価値観を持っている人が少ないんです。

生きているうちは、たった一度の人生なのだから楽しまなければ損、
というような価値観が支配し、
「健康オタク」につながり、不安を高めて右往左往している人が多いように見えます。


――ある程度の年代に達した人が「若くありたい」と思う気持ちを、どう考えたらいいですか。

久坂部
私の場合、若い時には空回りや無駄な動きが多かったし、
あれもこれも求めて、手に入れても疲れるばっかりだった、
というような若さゆえの未熟さがありました。

そう考えれば、ある年齢になって動きが鈍くなって消極的になっても、
それは決してネガティブなことではなく、
落ち着きが出たとか、悟り、達観に近づけているんじゃないかなという実感があるので、
若い時に戻りたいとは全然思いません。

(2010年8月26日 読売新聞)
・・》

《・・
     久坂部羊さんインタビュー全文(2)検査の「正常値」に疑問

――日本人は人間ドックや健康診断が好きな国民ですね。

久坂部
ヨーロッパには人間ドックはありません。
私が外務省の医務官としてウイーンで勤務していたころ、現地の病院の事務職員が大使館に来て、
日本の人間ドックのメニューを教えてくれというんです。

いよいよウイーンにもできるのかなと思っていたら、
現地や東欧に在住している日本人向けにプライベートクリニックを作ったといいます。

サウジアラビアにいたころの話ですが、
大使館員が人間ドックを受けに病院に行ったら「そんなものはない」と言われた。
館員が「どこも悪くないけど検査だけしたい」と伝えると、
「どこも悪くなければ検査はいらない」と言われたので、
息苦しいとか言って、わざわざ病気を作って検査をしてもらったそうです。

私は、そこまでして検査して安心したいという日本人の心は病んでいると思いました。
確認強迫神経症みたいなものですね。

自分に自信がないんですね、あまりにも情報があふれすぎているから。
病院にかかるのは自覚症状や、体調を基準に判断すべきだと思いますし、
ヨーロッパもアメリカもそれが基準です。
自覚症状がなければ病院に行かないんです。

日本は、画像や血液検査の数字に表されるため、
すごく説得力があるように見えるんですね。
あやふやな体調より、よほど信頼してしまう。
正常値に入っていないと不安になる。

でも、正常値なんて医者が勝手に決めているもので、
自然の法則で決まっているものではない。
年齢別の正常値もないし、男女別、体格別の正常値もあるわけでもない。

メタボリック症候群でも指摘されていることですが、
身長によって当然、腹囲も変わるのに、基準値は一律です。
生活の背景や、食生活や職業的な状況で正常値は変わるはずなのに、
そういうことをすべて無視して正常範囲を決めている。
私はなぜそれに疑問を持たないのかと思います。
ほとんど思考停止ですね。

本当に医学とか医療の権威に弱いところが出ている。


――病院に行けば治るんじゃないか、治るに違いないと思っている患者が多いように思います。

久坂部
治る病気は治る、治らない病気は治らないということは、
医者はみんなわかっていて、医者が治せる病気は少ない。

ところが、今は治って当たり前と思われています。
医療の安全性、医療の先進性という情報ばかり出ているのは、
受け手がそういうものを求めるからですね。

医療のマイナス面やできないこととか、等身大の医療の情報を出さないといけないと思います。
治るものもあるし、治らないものもあると。

ところが、マスメディアでは、
こんな病気もこんな風に治りましたと、治るほうばかり出します。

だから患者さんはそういうほうばかり見る。
治らないという情報を出すと、そっぽをむいてしまう。


――確かに私たちの紙面でも、治らないものは記事になりにくいですね。それから、日本人は医療に対する満足度が非常に低いです。

久坂部
それは医療に対する期待値が大きいからです。
治らないケースを一般に伝えていただければ、
期待値が下がり、医療に対する満足度が上がる関係になると思います。

アメリカやヨーロッパの人は、医療の有効性について本当のことを知っている。
過度に美化された情報に惑わされていないのです。

(2010年8月27日 読売新聞)
・・》

《・・
       久坂部羊さんインタビュー全文(3)60歳が「死に時」

――著書「日本人の死に時」に、「医療は寿命を延ばすのに役立ったが、健康寿命は延ばさない」と書かれていますね。

久坂部
人間ドックを受けていても、健康寿命が伸びるわけではありません。
大事なことは、規則正しい生活とか十分な休養とか適度な運動とか、ごくごく常識的なことです。

海外の人はよくわかっている。
日本はやっぱり農耕民族だから、みんなが右にならえば右を向くんですね。
権威に弱く、自分でなんとかするのでなく、
なんとかして欲しいと考えるじゃないですか。

ヨーロッパの人はもっと自己責任、自己判断が強いですから最初から病院に頼らない。
日本は、専門家に意見を聞きたいという人が多いんですね。
自分の頭で考えるというより、教えてもらってそれを無批判に信用して、
やみくもに実行する。

このスパイラルから抜けだすためには、老いの知恵が必要だと考えます。
生まれてから死ぬまで、
人間が思い通り描いたように、うまくはいかないんですね。

現実をしっかり見つめて受け止めて、
自分の体質やこれまでの生活、人生観などを落ち着ければ、
右往左往して振り回されるはずはないです。

それなのに、ちょっとでもいい生活、元気な老後をと、
絵空事のように追い求めるので、
いいかげんな情報に振り回されることになります。


――そうならないためには何が必要ですか。

久坂部
「死」を評価することです。
死は絶対悪のように言われていますが、決してそうではない。

私のように高齢者医療に携わっていると、
とても苦しい生がある現実を目の当たりにします。

そこへ至るまでに、自分の人生を充実させておけば、
機能が衰えたときに、「やるだけやった」という満足を得ることができる。

満足すれば、「まだ」「もっと」と、あたふたしなくて済むと思うんです。
そういう発想は、徒然草や方丈記などのように、
日本では昔から脈々とある達観ですよね。

そういうものをしっかりと身につければ、そんなに欲望にふりまわされません。


――その考え方のヒントが、「日本人の死に時」で書かれた「60歳が死に時」ということですか。

久坂部
私は50歳のときに、「60歳が死に時」だというふうに考えるようになりました。
死に時というのは、死ぬのにちょうどいい時という意味ですが、
その年齢を60歳にするか80歳にするかを最初に考えました。

平均寿命が80歳なので、80まで生きて当たり前という意識が強いですね。
80まで余裕があると、油断してしまう。

70歳で死んだら、10年早死にした、損したという気分になってしまう。

60歳までしか寿命がないと考えたら、
あと10年しかないといってあわてるわけです。
真剣になります。

人生に真剣になったほうが当然実績もあげやすい。
もちろんこれは理屈ですから、なかなかその通りにはいきにくいとは思いますが、
80歳まで生きて当然とか、90歳まで生きるんだと考えるよりは、
人生の安心や安らぎを得られやすい発想だと思います。

(2010年8月28日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=29919
☆【YOMIURI ONLINE】久坂部羊さんインタビュー全文(1)「老い」否定するアンチエイジング ☆

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=29969
☆【YOMIURI ONLINE】久坂部羊さんインタビュー全文(2)検査の「正常値」に疑問 ☆

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=29989
☆【YOMIURI ONLINE】久坂部羊さんインタビュー全文(3)60歳が「死に時」 ☆

私は自身の人生観の中の健康に対する思い、そして死生観の念願を照らしながら、
深く精読したと記したが、
この久坂部羊さんインタビュー全文を読んだ後、
私なりの思いを次回、明記する。

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NHK番組の『日めくりタイムトラベル』、私達夫婦は微苦笑しながら・・。 

2010-08-28 08:03:39 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
私はテレビに関しては、NHKのニュース、そしてドキュメンタリー番組、
ときおり歌番組の『SONGS』ぐらいは視聴している。

こうした身であるが、今週の28日の月曜日からは、
BS2の午後8時から放映される『日めくりタイムトラベル』を視聴している。

http://www.nhk.or.jp/himekuri/
☆NHK 『日めくりタイムトラベル』☆


このサイトに明示されている通り、『時代を映す流行』をテーマに番組は進行するが、
もとよりその時代の内外の政治・経済・社会の出来事、そして社会風潮が明示されている。

このサイトに今週の具体的な時代は、

《・・
8月23日(月) “エレキブーム”がピークとなった 昭和40年(1965年)!(アンコール)

8月24日(火) “ドラクエ”がテレビゲームを変えた 昭和62年(1987年)!(アンコール)

8月25日(水)  “漫才ブーム”がテレビを席巻した 昭和55年(1980年)!(アンコール)

8月26日(木) “超能力”に子どもが夢中になった 昭和49年(1974年)!(アンコール)

8月27日(金) “ガンダムブーム”の出発点 昭和54年(1979年)!(アンコール)

と放映されてきた。

そして今宵は、
8月28日(土) “クリスタル族”が注目された 昭和56年(1981年)! (新作)
が予定されている。
・・》

私達夫婦は、テレビ番組を殆ど共に視聴することは少ないが、
この番組だけは、あの時はあんなことがあったねぇ、と互いに話したりしている。
そして、我が家の出来事も重ねたり、私の現役時代のサラリーマンの心情など、
過ぎ去った日々に愛惜を伴いながら、苦楽の出来事を微苦笑しながら話している。


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「酌量の余地なし」60円強盗に懲役8年、ニュースを知り・・。

2010-08-27 17:47:50 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど2時間前、昼寝から目覚めて、ぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、

《「酌量の余地なし」60円強盗に懲役8年 》

と見出しされた記事に、60円強盗で懲役8年か、と思いながら記事を読み始めた・・。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
      「酌量の余地なし」60円強盗に懲役8年

徳島市内の民家で今年1月、
男が侵入して住民の男性にけがを負わせ、現金60円を奪った「60円強盗事件」で、
強盗致傷罪などに問われた住所不定、無職稲福克祥被告(42歳)の裁判員裁判の判決が26日、地裁であった。

佐藤晋一郎裁判長は
「動機や経緯に酌量の余地はないが、罪を認め、自分の甘さを克服したいと述べている」
として、懲役8年(求刑・懲役10年)を言い渡した。

判決によると、
稲福被告は1月20日午後、徳島市西新浜町の民家に1階の窓ガラスを割って侵入。
室内を物色中に住民の男性に見つかり、包丁を突き付けて金を要求。
アイロンで頭を殴るなどして軽傷を負わせ、男性が持っていた60円を奪って逃げた。


佐藤裁判長は、
稲福被告が留守宅を狙って用意したハンマーを使って侵入し、
そこで手に入れた洋包丁を使って脅迫したり、暴行したりしたことを挙げ、
「強盗をするという強い意思に基づいており、犯行は悪質だ」と述べた。

一方、被告の反省の態度は認め、
さらに「被告は壁にぶつかると勤労意欲を失い、
自力で立ち直れずに窃盗に向かう傾向がある」と指摘。

「出所後は辛抱し、しっかり働いて社会生活を送ることを願っています」と説諭した。

判決後、裁判員を務めた男性が記者会見。
今回の事件の被害額が60円だったことの判決への影響について、
「金額は関係なく、被害者がけがを負ったことが重いと感じた」などと話した。

(2010年8月27日14時19分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100827-OYT1T00163.htm?from=main5
☆【YOMIURI ONLINE】「酌量の余地なし」60円強盗に懲役8年☆


私は法律にも疎(うと)い身であるが、まぎれなく正当な判決を下された、と感じたのである。
もとよりは日本は法治国家であるが、
少なくともここ10数年の悪質犯行、そして判決をテレビのニュース、新聞記事などで知るたびに、
私は犯行した人に対して、温情主義の国民性なのか、
余りにも軽い判決に私は驚いているひとりである。

たとえば殺人で人をあやめても、懲役15年前後の判決に、私は憂(うれ)いている。
もとより被害を受けられた当人の人生をふみにじられた無念さ、
ご家族の心のつらさ、いつまでも蘇る心の重さなどの心情を想像すれば、
私は殺人を犯行した方には、少なくとも無期懲役にし、
犯行内容の酷さ次第では、死刑に処するべき、と思ったりしている。

これくらいの判決が適用されれば、
犯行される方は少しは思い留まり、余りにも悪質な社会事件は減少する、
と深く思いを重ねたりしている。


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「菅vs.小沢」権力闘争鮮明に、あきれ果て・・。

2010-08-27 09:55:44 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日の昼過ぎに、民主党の代表選に小沢一郎・前幹事長が出馬すると知り、
政治の世界に疎(うと)い私でも、驚きながらため息したひとりである。

NHKテレビのニュースを視聴したり、ネットで数多くの新聞記事を読んだりしたが、
私が感じた心情に最も近く発言された方は、
《・・
鳩山前首相に近い牧野聖修・衆院議員(65歳)は
「小沢さんは、政治とカネの問題について国民にきちんと説明できていない。
国民の信頼を得られていない方が、総理として国政を運営できるわけがない」
と小沢氏の出馬を批判した。
・・》
と私は知る限りのニュースの中で、同意したのである。

そして今朝もNHKテレビのニュースを視聴したり、ネットで数多くの新聞記事を読んだりしたが、
この中のひとつの記事に、私の思いを明確に記事された方がいた・・。

今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
愛読している【編集手帳】の記事を精読したりした。

読み終わった後は、そうですよねぇ・・、と深く感じたのである。

この記事と同一なのが、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されて折、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
       8月27日付 編集手帳

ドイツの思想家、ゲオルク・リヒテンベルクは著書『雑記帳』に書いている。

〈蠅(はえ)は叩(たた)かれたくなければ蠅叩きの上にとまるのが安全である〉と。
日本でも知恵のまわる蚊は能楽師の鼓を持つ手ではなく、打つほうの手にとまるとか。

蠅や蚊を例に引くのが礼を失しているならば、黄金虫でもいい。
小沢一郎氏からは「下種(げす)の勘ぐり」とお叱(しか)りを受けるのは覚悟の上で、
民主党代表選に出馬する意思を固めたほんとうの心を尋ねてみたいところである。

政治資金事件で検察審査会が今秋にも下す議決次第で、
小沢氏は強制起訴となる可能性がある。

その時に氏が首相の座にあれば、憲法の規定により起訴を免れる。
政治の信頼は、しかし、地に落ちるだろう。
国政を混迷に導く議決をしてよいものか、
どうか――検察審査会のメンバーは、おそらく悩むに違いない。

小沢氏が議決に一切介入をしなくても、“小沢首相”の存在自体が圧力になる。
わが身を叩くかも知れない司法の手の上に、政治家はとまってはいけない。

同じ虫ならば、円高・株安の闇に明かりをともす蛍(ほたる)となって時節を待つ道もあったはずである。

(2010年8月27日01時23分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。

私は日本は難題が山積する中、責任ある与党として現政権の基で、
経験豊富な小沢一郎・前幹事長は、長老役としてバックアップに徹するべきか、
或いは議員を辞職してふるさとの水沢の地に隠居すべき、
と昨今に思ったりしてきた。

こうした私の心情は、ひとつとして、
【 小沢氏側近の諸兄諸姉の議員、ご一読を・・。】
と題して、7月12日に投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/65ef8fb35dd995d2246483c67b79cefd
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
     小沢氏側近の諸兄諸姉の議員、ご一読を・・。 ☆ 

このように私なりに、小沢一郎・前幹事長に期待もしたことがあったが、
現在の私の心情としては、小沢一郎氏の政治家の国政にまつわる役割は終わりを告げているのに、
どうして・・と高齢者の無力な私は妄想したりしている。


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『白砂の浜とモヤイの群像・・新島(東京)』、拝読しながら・・。

2010-08-26 17:22:30 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど2時間前、昼寝から目覚めて、ぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を読んでいたら、
【新おとな総研】の中で、定期連載の『旅のしおり』の見出しに、

《「白砂の浜とモヤイの群像 新島(東京) 》

と見出しされた記事に、私は懐かしげに読みはじめたのである・・。


松本由佳・記者が綴られた記事であり、無断ながら転載させて頂く。

《・・
      白砂の浜とモヤイの群像 新島(東京)

白い砂浜が6・5キロにわたって続く羽伏浦海岸は波が高く、絶好のサーフポイント。
外国人客も少な くない 他の島や大陸とゆるやかにつながりながら、
島は独自の文化や生態系を育む。
言葉についても同じことがいえそうだ。

例えば、共同で事に当たるという意の「もやい(催合)」。
古来伝わる日本語ながら、現代では死語に近い。
だが、伊豆諸島の新島には今も残る言葉という。

東京湾から約150キロ。
朝一番の高速船に乗れば、午前中にはもうエメラルド色の海で泳げる。
島の人に聞けば、今でも 「明日の畑、もやいする?」などと隣近所に声をかけるそうだ。

新島村博物館の北村武さん(59)は
「地引き網が由来では」と推測する。
火山島である新島は、白い溶岩・流紋岩でできてい る。
崖や砂浜が白く美しいのはこのためだが、米作には適さず、年貢は塩で納めていた。
取り立ては厳しく、海の幸が生活の支え だった。

酒好きだった故人をしのび、酒だるをかたどった流人の墓

島のあちこちにモヤイ像が立つ 江戸時代は流刑地。
「流人も年寄りも障害者も、みんなで力を合わせ、分け前は平等でした」。
流人の眠る共同墓地には白 砂が敷かれ、今も供花が絶えない。



島の方々に立つモヤイの群像が、「もやい」にちなむことは、もう言うまでもない。
離島ブームにわく1970年代、
「く さやと流人の島に新たな名物を」と像を仕掛けたのは、
島生まれの地元紙通信記者、大後友市さん(79)だった。

現在、本土で 病気療養中の大後さんに代わって、
長女の植松摂さん(53)から当時の話を聞いた。

島では、こことイタリア・シチリア島の属島リパリ島にしか産出しない抗火石(コーガ石)が取れる。
溶岩が冷えて固まっ た軽石で、耐火性に優れ、軟らかく加工しやすい。
江戸時代から建材として重宝され、採石は島の重要な産業だった。

「父はこの石で希望者に自由に石像を彫ってもらうことを思いついたんです。
往復の船賃と宿泊代の一部は村が負担しまし た」

これが当たった。
ユニークなアイデアにマスコミが飛びつき、全国から人を呼び寄せた。
美大生もいれば、OLや新婚夫婦 もいた。
流人、若者、島娘……。
彫られた像は100体以上に上る。

渋谷駅にあるモヤイ像は、大後さんと都会の若者が彫り、
80年に新島の東京都移管100年を記念し渋谷区に寄贈されたものだ。



島は最盛期、夏のひと月に5万人もの観光客を集めた。
だが、レジャーが多様化し、海外旅行も身近になった今、
その数を 10分の1以下に減らしている。

「ナンパの島」などという不名誉なレッテルを張られた時期もあったが、その面影はない。
大型 レジャー施設も、ついぞ造られなかった。

代わりに、白い砂浜と青い海が残った。
浜辺には温泉もわく。
リアス式の海岸線が美しい式根島には渡船で10分。
歳月を 経て味わいを増したモヤイ像たちが、それらを優しく見つめる。

植松さんは最近、父から通信記者の仕事を引き継いだ。
「島に来た人に、海が澄んでるね、星がきれいだね、って言われて
改めて魅力に気づきます。
島ではあまりにも当たり前だから」

(松本由佳、写真も)

●あし 東京・竹芝から高速船で2時間20分。大型客船なら10時間半。調布から飛行機で40分。

●問い合わせ 新島観光協会=(電)04992・5・0001。

・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
 
http://otona.yomiuri.co.jp/trip/travelwriter/100826nihon.htm
☆【YOMIURI ONLINE】【新おとな総研】
     『旅のしおり』《「白砂の浜とモヤイの群像 新島(東京)☆


私達夫婦は、共通の趣味としては国内旅行であり、
たまたま昨年の2009(平成21)年5月10日から1泊2日の『新島』を訪れた。
帰宅後、分掲して投稿したが、ひとつに纏めたのを、
このサイトに今年の2010(平成22)年2月23日に投稿している。

私なりに『新島』に関しては、今でも鮮烈な思いで残っている。
こうした思いもあるので、あえて掲載する。

p://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/ca01c302f3ed9f644ab5b33aa42d1c2b
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
     愛(いと)しき光と風、そして波打ち寄せる『新島』 【2009.5.10.~.5.11.】☆ 



この後、私達夫婦は、島の旅も魅了されて、
小笠原諸島の『父島』に今年の2010年2月24日から3月7日まで船中泊往復路2泊、
『父島』のホテル滞在9泊として、訪れている。

このことに関しては、このサイトに、
【光と風の中、夢の島のひとつは小笠原諸島の『父島』・・。】
と題して投稿しているが、今回は省略する。


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「AKB48の握手券・・」、偽造男に有罪、私なりの思いは・・。

2010-08-26 07:52:33 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んだ後、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】をぼんやりと読んでいたが、

《「AKB握手券には財産的価値」、偽造男に有罪 》

と見出しされた記事に、私は思わずクイックした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
      「AKB握手券には財産的価値」、偽造男に有罪

人気女性アイドルグループ「AKB48」のメンバーとの握手券を偽造するなどしたとして、
有価証券偽造・同交付罪に問われた東京都練馬区、無職大井邦彦被告(25)の判決が25日、東京地裁であり、
近道暁郎裁判官は懲役1年6月、執行猶予3年(求刑・懲役1年6月)を言い渡した。

弁護側は「握手券はCDの付録で金銭的な価値はなく、
有価証券にあたらない」などと無罪を主張したが、

判決は「券にはメンバー1人と握手できる権利が表示され、
インターネットのオークションで売買されるなど財産的な価値があることは明らかだ」として退けた。


判決によると、大井被告は昨年11月、自宅で握手券計15枚を偽造し、
東京都渋谷区の路上で少年に渡した。

(2010年8月25日22時33分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100825-OYT1T01173.htm
☆【YOMIURI ONLINE】「AKB握手券には財産的価値」、偽造男に有罪☆


私は現役時代には、あるレコード会社に35年ばかり勤めた身であり、
齢を重ねた65歳の高齢者でも、
現在最も勢いのあるアイドルグループ「AKB48」のCD販売、人気に驚いたりしている。

今回のニュースを読みながら、法律も弱い私は、
《懲役1年6月、執行猶予3年(求刑・懲役1年6月)》
の判決は、懲役1年6月で執行猶予3年・・刑務所に服役しないのか、と解釈している。

しかし、今回の判決に私は、軽すぎて不服なのである。

本来はCDを購入した特権として握手券があり、
中学生か高校生が念願のアイドル・スターと握手もできる、
と期待にときめきながら数多くの方がCDを買い求めた、と私は推定する。

今回の大井被告は、自宅で握手券計15枚を偽造し、東京都・渋谷区の路上で少年に、渡したことは、
少年は握手券を手に入れて、これが無効で握手できない状況は、
多感な少年の心理を踏みにじる悪質な犯行であり、怒りさえ私は覚える。

私はこうした犯行した人は、
少なくとも実刑3年、刑務所に服役させ、3年の歳月に心身反省させる、
そして再発防止のひとつとする。

もとより日本は法治国家であるが、ここ10数年に於いて悪質な犯行に対し、
余りにも判決が軽すぎる、と私はニュースを見るたびに思ったりしている。

尚、あるレコード会社に35年ばかり勤めた身であると明記したが、
「AKB48」の専属契約先のレコード会社とは、無念ながら他社であることを付記する。


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全国47都道府県 “お国柄”も47パターン、挑戦し惨敗となり・・。

2010-08-26 06:03:42 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
バソコンのトップページは【YAHOO! JAPAN】と設定している。

今朝4時に起床したが、読売新聞が配達の時間前であったので、
この【YAHOO! JAPAN】のトップページの中央の下段に、

《 全国47都道府県 
      “お国柄”も47パターン 》

と大きく掲げられ、私は思わず見張った。

この下段には、

《 この夏の帰省で“地元愛”を満タンにしてきた皆さま、
         
      「ウチが日本一」と胸をはれる自慢は何ですか? 》

と明記されて、それぞれの課題が掲載されていた。

☆『県民性診断結婚するなら』
http://enmusubi.yahoo.co.jp/imap/index.html

☆『何県出身者か給与の満足度が高い県』
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001705&vos=nynmyajt1830100200

☆『アナタの県の日本一自慢』
http://chiebukuro.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%80+%E8%87%AA%E6%85%A2+%E7%9C%8C&flg=1&ei=UTF-8&fr=top_slight

☆『うまいラーメン店ベスト10』
http://ramen.yahoo.co.jp/best10/00.html

☆『目指せ合格、方言検定地域別』
http://minna.cert.yahoo.co.jp/LIST/keyword?k=%E6%96%B9%E8%A8%80&sel=1&ptn=2&od=20100824&odo=le&ud=20100824000000

☆『みんなが住みたい駅』
http://realestate.yahoo.co.jp/rent_rank/kanto03.html

☆『トコロ変われば“式”変わる』
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20090924-90007743-r25

☆『日本一の花火大会はここだ』
http://hanabi.yahoo.co.jp/ranking/index.html

確かこのような紹介課題であり、
私はこの中の『目指せ合格、方言検定地域別』を選定した。

私は東京の田舎者であるが、齢ばかり重ねた身であるが、
家内との共通趣味は国内旅行であるので、四季折々各地を訪れている。

今回は方言の検定試験に挑戦したが、正直に告白すれば、惨敗であった。

私は地方の言葉には、確か文化のひとつであり、少なからず興味があるが、
たとえば長崎、鹿児島の中年美人のしぐさ、容姿に見惚(みと)れていた、
と思ったりし、微苦笑している。


☆下段のマークを押し、次画面の『投票』を押して下さいますと、
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日本のインターネット安全性は実質世界一、ニュースに私は微苦笑し・・。

2010-08-25 22:03:02 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先程、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、
《 ネット安全な国、日本は世界で第3位 》
と題された見出しに、齢を重ねた私でも日頃何かとネットにお世話になっているので、
思わずクイックした。

そして【I Tmedia エンタープライズ】から配信された記事と判り、
《 日本のネット安全性は世界で第3位 最も危険なのはトルコ――AVG調べ 》
という見出しで、信頼できるニュースと私は判断し、詳細記事を精読した。

佐藤由紀子・記者の綴られた文をお借りして、無断ながら転載させて頂く。

《・・
     日本のネット安全性は世界で第3位 最も危険なのはトルコ――AVG調べ

オランダのセキュリティ企業AVG Technologiesは8月23日(現地時間)、
世界のネット接続安全性に関する国別ランキングを発表した。
同社の調査によると、日本は世界で3番目に安全にWebを利用できる国だという。

この調査は、同社のウイルス対策ソフトがインストールされている、
世界144カ国の1億2700万台のPCのデータに基づいて行われた。

期間は7月の最終週の7日間。
ウイルス対策ソフトが検知・対処した攻撃の数から換算した。
その結果、世界の平均では73人に1人が攻撃を受けていたという。

ウイルスやマルウェアの攻撃が最も多かったのはトルコで、
調査期間中、10人に1人が攻撃を受けていた。
2位はロシアの15人に1人、
3位は24人に1人のアルメニアだった。
米国は48人に1人で9位、中国は135人に1人で79位だった。

AVGは、リスクが高い理由として、
違法なサイトからのダウンロードが多いことや、インターネットカフェの普及、
日常的なPCの共有などを挙げている。


最も安全な国の上位3カ国は、
1位がアフリカのシエラレオネ(696人に1人)、
2位は同じくアフリカのニジェール(442人に1人)、
3位が日本(404人に1人)だった。

ただし、アフリカの2カ国はまだブロードバンドが十分に普及しておらず、
インターネットの利用も少ない。
従って、実質的には日本が最も安全な国といえるだろう。
インターネット利用者が多く、ブロードバンドも普及しているにもかかわらず日本が安全な理由として、
AVGは日本のユーザーが安全とリスクについての意識が高いことを挙げている。

【佐藤由紀子,ITmedia】
8月25日14時54分配信 ITmedia エンタープライズ
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100825-00000049-zdn_ep-secu
☆【I Tmedia エンタープライズ】日本のネット安全性は世界で第3位 最も危険なのはトルコ――AVG調べ☆


私は記事を読んで微笑んだりしたが、この記事が掲載されている画面の下段に、
《 日本のインターネット安全性は実質世界一…中国メディア伝える 》
と見出しに、詳細記事を精読し、
やはり中国はまぎれなく大人の怜悧な大国であると感心した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100825-00000016-scn-cn
☆【サーチナ】日本のインターネット安全性は実質世界一…中国メディア伝える ☆


私は日本人がインターネット利用を活用する際、
ウイルス対策などのセキュリティ・ソフトを利用し、防止策に努(つと)める方が圧倒的に多い、
と日本の国民性を感じたりした。

この後、私は日本はアメリカに保護された羊のようなおとなしい国だった、
と妄想したのであった。
世界の大国のアメリカ、ロシア、中国などの巨大国は、
もとより国内問題の民族紛争、宗教、経済格差、社会など数多くの国内紛争の闘争をありながら、
隣国そして世界に、怜悧な国益に基づいて、外交、軍事、経済力などを背景とした政治が行われている今日、
余りにもおとなしい日本にサイバー攻撃に値(あたい)しない国だった、
と気付いたりしたのであった。

そして無力な私は、《 日本のインターネット安全性は実質世界一 》かょ、
と大人になりきれない我が日本に、苦笑している。


☆下段のマークを押し、次画面の『投票』を押して下さいますと、
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西原理恵子さん 自伝的ドラマに出演、ニュースに私は微笑んで・・。

2010-08-25 13:45:49 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先程、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、
《 西原さん 自伝的ドラマに出演 》
と題された見出しに、何のことかしら、と思いながら私は思わずクイックした。

そして【まんたんウェブ】の配信された記事と判り、
《 <西原理恵子>自伝的ドラマ「崖っぷちのエリー」最終回に登場 「出たがりなんです」》
という見出しで、私は西原理恵子さんの本は読んだことがあるので、詳細記事を精読した。

記事であり、無断ながら転載させて頂く。

《・・
   <西原理恵子>自伝的ドラマ「崖っぷちのエリー」最終回に登場 「出たがりなんです」

女優の山田優さん主演のドラマ「崖っぷちのエリー~この世でいちばん大事な『カネ』の話」
(ABC・テレビ朝日系、毎週金曜午後9時)の最終回(9月3日放送)に、
原作者でマンガ家の西原理恵子さんがゲスト出演することになり、
21日に都内某所で撮影を行った。

山田さん演じる自分の分身、
相原絵里子と曲がり角でぶつかりそうになる「通りすがりのおばさん」を演じた西原さんは、
「普通マンガ家とかは出ない。出たがりなんです」と笑い、
「おばさんって記念写真を撮りたがるじゃないですか、あれですよ」と話した。


西原さんが演じるのは、
「危ないじゃないの!」
と山田さんを怒鳴りつけるだけの脇役だが、
薄いピンクのターバンに、派手な模様のレギンス、ショッキングピンクのランニング姿で、
タイヤを引きずるというインパクト大の格好。

西原さんとの共演を楽しみにしていたという山田さんは
「西原さんをモニターで見て、すごいハマってるなーと思いました」
と共演の感想を伝えると、
西原さんは「ナチュラルな45歳の役を与えられることが多いので、
誰も気づかないんじゃないか」と話し、
「18歳くらいのかなり無理な役をもらえば、相当目立つんじゃないか」
と提案していた。

ドラマの印象を聞かれると、
西原さんは「一生懸命やっているなーと。
場所をわきまえずに頑張ればどっかでうまくいく。
『どこでもいいから描いてやれ』っていうエリーちゃんの姿勢が描かれていてうれしかった」
と絶賛。

「田舎から何とかして闘志を燃やしている女の子を応援したいんです。
『頑張れば何とかなるよ、東京って』
って言いたかったんですよ」と熱弁した。

ドラマは、西原さんが自らの破天荒な半生を「お金」をキーワードにつづった「この世でいちばん大事な『カネ』の話」(理論社)が原作。
幼いころから貧乏で不幸な“ダメ女”の相原絵里子(山田さん)が、
持ち前のガッツと貧乏ならではの知恵で次々と立ちはだかる障害(=敵)を乗り越え、
図らずもマンガ家として成功していく姿を描いた。
お笑いコンビ「ドランクドラゴン」の塚地武雅さんに、小泉孝太郎さん、陣内孝則さんらも出演している。
(毎日新聞デジタル)
8月25日5時0分配信 まんたんウェブ
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100825-00000001-mantan-ent
☆【まんたんウェブ】<西原理恵子>自伝的ドラマ「崖っぷちのエリー」最終回に登場 「出たがりなんです」☆


私はこのニュースを読みながら、このテレビ・ドラマは無知であったが、
思わず笑ったりした・・。
そして、《「田舎から何とかして闘志を燃やしている女の子を応援したいんです。
『頑張れば何とかなるよ、東京って』》
と原作者の西原理恵子さんの発言を読み、私はやはりこのお方は、
と敬意を深めたりである・・。

私はこのお方・西原理恵子さんの本を昨年に読み、
西原理恵子さんの人生の軌跡を知り、圧倒的な感動を頂いたひとりである。


【西原理恵子・著の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』、感銘させられ・・。】
と題し、昨年の2009年3月6日にこのサイトに投稿しているが、
あえて今回再掲載をすめ。

【・・
一昨夜、読売新聞の夕刊を読んでいたら、思わず精読させられた記事があった。
【ベストセラー怪読】の連載の記事である。

私にとっては未知の書評家・吉田伸子氏が綴られた記事であるが、
このように批評されると、体力の衰えた年金生活の私さえ、読んでみたくなるのである。

無断であるが、転記をさせて頂く。

《・・
”高校出てから8年、負けっぱしの人生であった”と掲示板に書き込んだ男は、
秋葉原で無差別に人を殺傷した。
男に同情する気持ちは全くないが、
”負のループ”は、誰でも陥る可能性のある、
人生の落とし穴のようなものだと思う。

本書は、そんな”負のループ”を断ち切った作者が、
自らの半生を織り込みつつ「カネ」について語った一冊だ。


実の父はアルコール依存症で作者が3歳の時に亡くなり、
義父は義父で、作者が美大を受験する前の日に自ら命を絶つ。

義父の弔問客は、口々に借金の返済を迫り、
義父からの暴力で、喪服の母は顔はぼこぼこに腫れ、
頭も髪の毛も血だらけだった・・という。

故郷での壮絶な過去を振り払い、
母親から渡たされたなけなしのお金を手に上京。
美術専門の予備校へ通い、出版社への売り込みやアルバイトをしながら、
必死で自分の道を模索する。
けれど、予備校時代に作者は、
自分の絵の実力が最下位なことに気付かされる。

作者が凄(すご)いのは、ここからである。
最下位の自分が勝ち目のないと思うのは、
トップの人間に勝とうと思うからで、
トップと自分の順位に比べて卑屈になるのではなく、
最下位は最下位なりの戦い方をすればいいのだ、と。

「どこがどう最下位なのか、自分のことをちゃんとよくわかれば、
勝ち目は必ず見えてくるはず」と。
そうやって、作者は自分を励ましながら、必死にイラストを描き続ける。
そんな作者の言葉だからこそ、ズシリと腹に響く。

「カネ」を稼ぐこと、「カネ」を失うこと、
その両方を身を以て経験した作者が到達した「カネ哲学」。

泥臭くて力強くて、何より生身の言葉で説かれるその哲学こそ、
ともすれば閉塞しがちな現在の状況を打ち破るものである。
・・》

注)以上、書評家・吉田伸子氏が綴られた原文を全文を転記をさせて頂いたが、
あえて改行を多くし、表示した。

この記事の下には、著作者の紹介があり、
《・・
さいばら・りえこ
1964年、高知県生まれ。
漫画家。
強烈なギャグあり、内省的な作品あり、著書多数。
『上京ものがたり』『毎日かあさん』など
・・》
と簡略に明記されていた。


私は年金生活5年生の64歳の身であり、
漫画に関しては、ここ40年ばかりは読んでいないので、
著作された漫画家の西原理恵子氏に関しては、全くの未知の人であり、
書評家・吉田伸子氏の上記の批評に導かれて、
昨日の日中のひととき、駅前の本屋に25分ばかり歩いて行き、買い求めたのである。

そして、深夜の2時過ぎに読了し、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら、そして少しため息をしたのである。
私も私なりに屈折の多い人生の半生でもあったが、
何より著作者のこれまで歩んできた軌跡を思い馳せると、涙を浮かべたりしたのである・・。

私が西原理恵子・著の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』の本を手にした時は、
驚いたのである・・。

著作者自身が、装画、挿画をされ、そして書き文字までされ、
このような本もあったのか、としばらく眺めたりしていたのである。

http://www.rironsha.co.jp/special/kane/index.html
☆ 理論社 西原理恵子・著の『この世でいちばん大事な「カネ」の話 ☆
注)私が最初に見た時は、テレビ化はまだなかった時であり、少し差異がある。

そして、この出版社に於ける紹介として、

《 西原理恵子さんによる、
        活字一本勝負の画期的な一冊  》

《 なぜわれわれは、子どもに「金」の教育ができないのだろう!? 
  カネがなければ一家離散、カネがなければ一家心中。
  カネがなければ人生、貧しい。これは真実だ、ああそれなのに。

  経済学者やカネの地獄を見ないものにはけっして語れない、
  そんな、カネと労働のリアルをみつめ、人生の根本を哲学する書。 》

このように明示され、私は目次をめくり、動顚したのである。

第一章  どん底で息でし、
      どん底で眠っていた。
      「カネ」がないって、
      つまりは そういう
      ことだった。

と著作者自身の独自の書き文字が踊っていたのである。
著作者はもとより漫画家であったのは改めて解かったが、
何よりも著作者の気持ちを素直に発露させる字体であり、思わず本編を読みたくなるのである。

本編に関しては、書評家・吉田伸子氏が綴られた記事、
前回に私は転記させて頂ただいたのが大半であるので、省略はするが、
これ以外に私は思わず目が止まり、しばらく考えされられたことを記載する。

作者が幼児に育った貧困の生活が綴られ、そして少女期にすさんだ街全体の中、
小学校四年生の時、同級生に誘われ、『真夜中のカウボーイ』と『イージーライダー』の二本立てを観た時、
少女にしては社会に対する感覚が鋭いのである。

《・・
社会の中に自分の居場所がうまくみつけられない人たちの話だった。
彼らなりに夢はあるんだけれど、
その夢も、ことごとく、うまくいかない。
両方とも最後は主人公は死んじゃっていう、どうしようもない話、
それなのに、そのときのわたしの心にはすごくしっくりきた。
そんなことは初めてだった。

「そうだよ! これが現実だよ!」
小学校四年生にして、わたしたちは、
どうしようもない彼らに心から共感して、興奮していた。
・・》
注)22、23ページより引用。
  原文をあえて改行を多くした。


作者は昨今、《 世界の裏側を知りたい》と思い、カンボジアの首都プノンペンに於いて,
《・・
ここの郊外は・・あらゆる種類のごみが一緒に捨てられている・・
生ゴミだろうがプラスチックだろうが、アスベストのような有害物質だろうが、
一緒くたにぶちまけられ、うずたかく積み上げられ、山のようになっている。

「スモーキーマウンテン」という名前の由来は、
文字通り、その山から煙が立っているからなの。
ごみの発生するメタンガスで自然発火して、あちらこちらから煙が上がっている「煙の山」・・

そんなごみの山の中から、リサイクルするペットボトルと鉄をより分けて
集める仕事をしている女の子・・

もくもくと立ち上がる有毒の煙。
ツンと鼻をつく異臭。
視界はさえぎられて、ちょっと先でも、ほとんど見えない。

スモーキーマウンテンは、不衛生で危険なごみの山・・
だから、本当は、そんな小さな女の子がそこにいること自体がおかしい。

わたしも、こわかった。
・・
アスベストを防ぐためのマスクもない・・
子どもたちは何ひとつしらされないまま、裸同然の姿で、ひたすらごみを拾っていた。
だから、この子たちは長く生きられない・・
・・
ごみ拾いの仕事をするのは夜中。
昼間は暑いし、日に照りつけられたごみからの悪臭がひどくて・・
それで、その子たちは、夜中じゅう徹夜でごみを拾い集めて、
その賃金がたったの二百円。
・・》
注)206~208ページより引用。
  原文をあえて改行を多くした。


作者はこのようなことを実感した後、
日本の子どもは恵まれ過ぎて、
《自分のやりたいことがわからない》って困惑する日本の子どもに戸惑いを感じる・・。

そして、作者は日本の現状にふれて、
《自分のやりたいことがわからない》ことが日本の一部に蔓延している状況の中、
《人はなぜに働くのか。どうして働かないといけないのか》の悩まれる方々に明記されたりしている。

本書は、書評家・吉田伸子氏が明記されたとおり、
泥臭くて力強くて、何より生身の言葉で説かれるその哲学である。

そして私は更に、本書には人生の教科書のように、作者自身の自己格闘の上に基づいた経験をされた結果、
人は生きていく為に『お金』に纏(まつわ)る殆どすべてが適言されいる。

私は齢を重ねた64歳の身でありが、改めて数多くを学んだひとりであり、
若い20、30代の方達はもとより、多くのお方に読んで頂きたい、
稀(ま)な人生の哲学書でもある。
・・】

こうした投稿をしていたが、今回のニュースで真摯な発言を知り、
西原理恵子さんに敬意を深めたりしたのである・・。


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JTたばこ値上げ前に生産増強、私は微苦笑し・・。【下】

2010-08-25 10:42:42 | 時事【社会】
昨今、本人の健康に良くない、もとより人さまに迷惑、と嫌煙の風潮があり、
そして水戸黄門の紋章のワッぺンのように、
かけがえのない地球と称して環境問題まで云われる方がいる・・。

私は自動車の方が圧倒的に地球を汚染しているが、現在社会に於いては、
必要悪と認めているひとりである。
このような心情の私は、公共交通機関の利便性にある地域に住む私は乗用車に乗らないように、
2004(平成16)年の秋、定年退職後の免許書の更新の時、破棄している。


ぼんやりと私は日本の社会に於いて、急激に嫌煙の風潮となり、
昨今も加速している状況を思い返したりした。
日本に嫌煙ブームが始まったのも、確か平成になってからである。

これ以前の社会は、喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)いたり、
そしてJRの長距離の車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、
ときおり煙草を喫う方が見られたりした。

私がギックリ腰が酷く入院生活を1991(平成3)年の頃は、
整形外科のフロアーの片隅に6畳ぐらいの喫煙コーナーがあり、
煙草を吸わない人でも憩いの場として、団欒していたのである。


この後、日本の社会で一軒屋とかマンションのベランダなどで夜のひとときに、
煙草を喫ったりしている人達を蛍族と命名されたのは、
何時頃の時だったか、と想いだしたりした・・。

環境問題が社会の問題となり、室内の空気はクリーンにと叫ばれ、
愛煙家は止む得ず、居間から出て、夜のベランダに出て、
煙草を喫いはじめ、夜の闇に光を帯びる蛍(ホタル)からの連想で、
こうした人々を蛍族と命名したのであろう・・。


私は定年退職したのは2004(平成16)年の秋であったが、
現役時代のサラリーマンだった最後の10年前頃からは、
職場で禁煙となり、所定の喫煙場所などで煙草に火を点(つ)けて、
愛煙家達の懇親の場所となったりしていた。

私が蛍族の一員に加わったのは、以前綴ったことがあるが、
定年退職の直後、自宅の居間に置いてあるパソコンの脇に、煎茶と灰皿をお盆に入れて、
電子メールなどを盛んに送受信をしていた。

退職後の私は趣味時間で過ごしたかったので、自宅で大半過ごして折、
居間はたちまち煙草の煙が充満し、換気の為に窓ガラスの戸を開け閉めをしたりしていた。

晩秋の時節であったので、暖房の季節もまじかに迫(せま)って折、
室内の換気と暖房の相関のことなどを考えて上、
さすがに何時でも煙草が喫える環境下は身体によくない、と判断した結果、
室内禁煙を家内に宣言し、これ以降は主庭のテラス、樹木の下、そして玄関庭の軒下などで煙草を喫いはじめた・・。

この結果、室内の空気もクリーンとなった上、煙草の本数も減り、苦笑したりした。

師走の大掃除に家内の指示の基に、私なりに多少お手伝いをした時、
『あらぁ・・汚れが少ないわ・・』
と家内は私に言ったりしていた。

私は四季折々、雑木の多い庭の樹木を眺めたり、草花を眺め、
季節の移ろいを教示させられり、或いは少しぼんやりと考え事ったりし
煙草を喫ったりしているのである。

こうした時、何よりも困るのは台風の影響などで風は舞い雨は降る時である。

私は煙草を喫いながら、ゆっくりと喫えないじゃないの、戸惑いながら、
早めに退散をしたりしているのである。

そして、私は外出する時は携帯の灰皿を必ず持ち、
所定の喫煙場所がない所では、人混みから離れ少なくとも10メートル前後の所で、
時代だよ・・、と心の中で呟(つぶや)いたりしながら、
煙草に火を点(つ)けたりしている。


最近の私の心情は、過ぎし7月の初旬に於いて、
喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』と命名された一冊の本を読んで、
多々煙草に関して、教示された。

このことは【喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』、時代のうつろいを学び・・。 】
と題して、私は7月5日に投稿しているが、あえて再掲載する。

【・・
私は愛煙家のひとりとして、あるサイトに2005(平成17)年の頃、
【煙草は日本の文化のひとつである】と題し、昨今の嫌煙ブームの風潮に憂いを綴ったりした身でもある。

この程度のことは、この本の特集のひとつで、
《喫煙は日本の文化だ》と題され、数多くの著名人が綴られていたが、
私なりに改めて学んだが、何よりも驚嘆したのは、
評論家の井尻千男(いじり・かずお)・著の『集団が生き残るための知恵』の寄稿文であった。

この中で氏は、宮澤政権の当時、
宮澤総理の辞令を受けて厚生省の審議委員になり、
毎月一回、禁煙派の医学関係者と論戦をたたかわせた、と述べられていた・・。

《・・
このときの同士は医事評論家の水野肇氏だった。

氏は当時人口に膾炙(かいしゃ)するようになったアルツハイマー病患者が
非喫煙者に多いという統計を挙げて、
自分は脳を病んで人さまに迷惑をかけて死ぬより、
肺ガンで死ぬことを選ぶと勇ましく宣言した。

(略)

その審議会で面白かったのは、
初回こそ10人ほどいた禁煙派が厳しい口調で愛煙家を非難したが、
毎回同じ非難をすることの愚を悟ったのか、
次第に愛煙家の弁に耳を傾けるようになった。

水野委員はもっぱら、
痴呆症になって人さまに迷惑をかけながら、
そのことすら認識できず一日でも長く永生きようとするのか
(タバコの煙の中のなんとかという成分がアルツハイマー病に予防効果のあることを繰り返し)、
それとも肺ガンになっても最期まで明瞭な意識をもって生(せい)をまっとうしょうとするのか。

要は死生観の問題であり、徒(いたずら)に永生きすること自体に意味があるわけではない、
と毎回熱弁をふるった。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。

この後、井尻千男氏は、
《・・
今日のように禁煙派の差配する文明は、
清潔だけを大事にする衰弱せる文明だと批判しつづけた。

(略)

私は一人でも多くの人に聞いてほしいから審議会の議論を公表してくれと
厚生省側に申し入れたが拒否された。
委員の身を守る(当然愛煙家の命)ためという理由だった。
・・》


私はこうした審議会の禁煙派、喫煙派の真摯な諸兄の討議内容を封印したのは、
時の厚生省が喫煙の風潮を更に増長させた諸因のひとつと確信したのである。


そして禁煙の風潮のはじまりをこの本から、学んだのである。
解剖学者の養老孟司、劇作家の山崎正和の両氏に寄る対談、
『変な国・日本の禁煙原理主義』と題され、初出は『文藝春秋』2007年10月号である。

《・・
山崎正和氏の発言
ベトナム戦争の後、アメリカをまとめていた愛国心やピューリタン的な道徳が根本から揺らぎ、
社会秩序も変った。

同性愛も妊娠中絶も、キリスト教以外の信仰も認めなければならない。
そのことに対して、皆、喉に何か引っかかったままだった。
そこで、誰もが一致して反対できる都合のよい”敵”を探し始めたのです。

あの当時、選択肢は二つありました。
たばこかエイズか。
ちょうどエイズが広まった時期でもありました。
しかし、結局はたばこが選択されました。

なぜなら当時エイズの原因とされていた同性愛を好むのは、
ハリウッドスターとか芸術家とか社会の上流層だけれども、
たばこを吸うのは社会の中流以下が多かったからです。

アメリカ人が大麻に寛容なのもまったく同じ理由です。

・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


こうした禁煙の始まりがアメリカで発生し、何かとアメリカの属国の日本に飛び火し、
厚生省の音頭で学界の一部の論を拡大させ、日本の禁煙風潮をあおり、
終局的には世界保健機関の採択した『たばこ規制に関する枠組条約』に基づき、
2004(平成16)年に日本の国会で可決され、
決定的な嫌煙ブームとなった、と私は思いめぐらしたりした。

しかし、大麻、エイズの原因とされる同性愛などは険悪する私は、
ひと様の前では煙草を避けて、玄関の軒下、テラスなどで紫煙を楽しんでいる・・。
そして、あと何年か生きられるか判らないが、痴呆症だけは勘弁してほしいと思ったりしている。
・・】

このように私は投稿していたが、
先ほど、小心者の私は我が愛する『チェリー』について、
値上げ後の年間額を秘かに計算してしまったのである。

410円(一箱) X 365日(一年) = 149650円

そして私は、15万円かょ、と心の中で呟(つぶや)いてしまった。

私は最近として欲しい商品は、パソコンの最新型である。
4年前に買い換えたパソコンを使用しているが、
何かとカタログで最新型の性能を見たりすると欲しくなってしまうのである。

私が秘かに次機と目標しているのが、パソコン量販店で15万円ぐらいの店頭販売価格であり、
煙草代の一年分にあたり、益々私は困惑したのである。

たがが煙草されど煙草、と思いながら、
煙草を禁煙するのは私の心身の波長によくないので、
せめて本数を減らそうかなぁ、と年金生活の気弱な私は、ため息を重ねたりしている。


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JTたばこ値上げ前に生産増強、私は微苦笑し・・。【上】

2010-08-25 08:41:09 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夕、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、
《 JTたばこ値上げ前に生産増強  》
と題された見出しに、私は微苦笑ながらクイックした。

そして時事通信社の配信された記事と判り、
《 JT、たばこ生産増強=駆け込み需要想定 》
という見出しで、詳細記事を精読した。

無断ながら転載させて頂く。

《・・
       JT、たばこ生産増強=駆け込み需要想定

日本たばこ産業(JT)の志水雅一副社長は24日、
たばこ増税に伴う値上げ前の駆け込み需要に対応するため、
生産体制の増強に着手したことを明らかにした。

同社は10月1日の値上げまでに1カ月分程度(100億本強)の駆け込み需要が発生すると想定。
夏から国内各工場の稼働率を上げており、
「顧客に迷惑を掛けないよう万全の態勢を取りたい」(志水副社長)としている。

財務省で行われた2011年度税制改正要望に関する業界団体からの意見聴取後、
記者団に語った。

8月24日13時1分配信 時事通信
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/tobacco_tax/
☆ 時事通信 JT、たばこ生産増強=駆け込み需要想定 ☆

私は昨日の昼過ぎに散髪屋(理容店)に寄った後、スーパーに買物した帰路、
いつもの酒屋さんで煙草を買い求めた・・。

私は『チェリー』を愛して35年になるが、
いつものように1カートン(10箱入り)を買い求めていたのであるが、
店内に大きな用紙が掲げられて、

《・・
    10月1日より、たばこが値上げなります。

お早めにお買い求め下さい。
予約を承っていますので、お申し込み下さい。

・・》

このようなことが明示されていた。

私は『チェリー』は今は300円であるが、確か400円になり、
100円値上げか、と思いながら、予約の指定用紙に、
10カートンと記入したのである。
こうした思いは、一日に私は1箱の20本を愛煙しているので、
単純に100日分としたのである。


私は煙草に関しては、1963(昭和38)年の大学1年の時、
ワンダーフォーゲル部に所属し、夏季合宿で喫いはじめ、
この時以来、風邪を退いている以外は、45年前後愛煙している。
何故かしら私にとっては、心身の波長に良く愛煙しているのである・・。

世の中の著名のひとり方が、毎日20本ぐらいを喫い続ければ、寿命が5年短くなる、
と何かのニュースで読んだりしたが、
我が人生はときおり煙草を喫いながら、深い思いの思索を重ねながら充実した日々であれば、
単に健康ばかり気にし長生きしても意味がない、と思ったりしているのである。


そして夜のひととき、日本たばこ産業(JT)のホーム・ページを見て、
我が愛する『チェリー』は、現行の300円が410円になる、と知ったのである。

http://www.jti.co.jp/investors/press_releases/2010/0716_01/index.html
☆日本たばこ産業(JT) たばこ税増税に伴うたばこの小売定価改定の認可について☆

この後、私は年金生活の身であるので、もとより年金受給額は横ばいであり、
今後は減額が予期され、
毎月の煙草代は一万円を覚悟して予算を計上していたが、
実質は9000円前後であり、値上げ後は12300円前後となるので、
それにしても今回の大幅な値上げで、困ったなぁ、と思ったりしたのである・・。

                               《つづく》

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