夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

寝る前にはスマホ、パソコンは厳禁、目の老化は認知障害に繋がる、私は学び動顛し、やがて目のケア方法を教示させられ・・。

2018-04-30 15:24:56 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私の午前中の殆どは、平素の我が家の買物専任者となり、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店に行ったりしている買物メール老ボーイとなっている。

或いは最寄駅まで15分前後を歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたり、
ときには本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。

やがて買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

          

やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、私はスマホも使えず時代遅れの身であり、
せめて置き型のパソコンで、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、早や14年生となっている。

或いは何かと好奇心が強く、パソコンで政治、経済、文化などの専門家に寄る寄稿文を読んだりしている。

こうした日常生活を過ごすことの多い私は、
たまたま、ときおり愛読しているネットの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていたら、
【 寝る前スマホ厳禁! 目の老化は認知障害に繋がる 】と見出しを見た・・。

私はスマホは使えず所有していないが、パソコンは4時間ぐらい利用しているので、
もとより認知症になったら困苦するので、どのようなことですか・・と思いながら記事を読み始めて、
動顛させられたりして、精読してしまった。

          

この記事は、【ダイヤモンド・オンライン】に於いて、
『医師が教える! 男性のための心と体のアンチェイジング』の連載記事があり、
今回の記事は北青山Dクリニック院長の阿保義久さんの寄稿文であり、
2017年1月25日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・寝る前スマホ厳禁! 目の老化は認知障害に繋がる 

☆PC、スマホ・・目が酷使される現代

五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)を通じて入手した外界の情報を脳が処理・分析することで、
私たちは思い通りの生活を営んでいます。

五感の中でも、脳が処理する情報の80%は、視覚から入手されています。
私たちは、常に、ものを触ったり、臭いをかいだり、人の話に耳を傾けたりしているわけではありませんので、
睡眠中などの目をつぶっている時以外は、絶えず目から情報を得ているのです。

意外なことに、身体の中で最も活動的に動いている筋肉は、腕や脚の筋肉ではなく、目の筋肉でもあります。
目には動いている部位が200万個以上もあり、毎時間3万6000種類もの情報を処理する能力があります。
そして無意識のうちに、目は動き続けています(睡眠中でも動いています)。

          

目は心身の健康状態を映し出す鏡でもあります。
過労や寝不足の時は、目を見ればそのコンディションの悪さがわかりますし、
下まぶたの裏側や白目の部分の色が変化している場合は、貧血や内臓に病気があることが示唆されます。

眼を調べれば、糖尿病、高血圧、動脈硬化などの兆候や進行度について捉えることができるのです。

このように休むことなく機能し、心身の影響を受けやすい目が、
現代社会では極端に酷使されるようになってきました。
          

パソコンやスマートフォンの急速な普及がその理由の一つです。
カラーテレビやテレビゲームなどによる影響とは比べ物にならないほど、
スマホの長時間使用による眼精疲労、ドライアイ、そしてブルーライトによるダメージは甚大です。

それにより目のエイジングは今後、これまで誰も経験したことがないほど、急速に進むことが危惧されています。

          

☆目の老化は
脳の老化を引き起こす

脳に伝わる感覚の8割が、目から入ってくるわけですから、
目が衰えて視覚情報が減ると、脳への刺激も弱くなって、老化が進むことは想像に難くないことです。

目の老化により視力が低下し視野が狭くなると、視覚情報の低下により、脳が興奮しにくくなります。
すなわち、刺激に対する脳の反応が弱まるため、意欲や活動性が低下します。

この時、記憶のために必要な情報も得られなくなると、認知機能の低下も進みます。
実際に脳が刺激を受けて興奮しなくなると、認知障害が悪化することは、しばしば報告されています。

視覚から得られる様々な情報や刺激が、日常生活における積極性や新しい創造の原動力になるのですから、
目の機能を保つことは脳のアンチエイジングにとって、極めて大切だということになります。

          

☆目の機能低下が起きる
5つのポイント

目の老化には「涙の分泌量や質の低下」、「血管の硬化」、「毛様体筋の衰え」、「水晶体の変化」、
「網膜の劣化」といった5つのポイントがあります。
それぞれの症状と原因を紹介します。

(1)「涙の分泌量や質の低下」がドライアイを招く

 涙には目の表面を潤して保護するだけではなく、目の表面を構成している角膜や結膜に、
 栄養を供給する大切な働きがあります。

 涙の分泌量や質の低下が加齢によって引き起こされると、いわゆるドライアイとなって、
 目の乾き、異物感、痛み、疲れなど、目の不快な症状を招きます。

 不快な症状に悩まされないためには、まばたきをすることが極めて大切です。
 まばたきにより涙分泌が刺激されるばかりか、角膜や結膜の表面に涙がしみわたって
 栄養や酸素が十分送り届けられるからです。

 通常は、1分間に20回程度、すなわち3秒に1回はまばたきが必要なのですが、
 加齢でなくともスマホやパソコン画面を凝視していると、まばたきの回数が極端に減ってしまい、
 ドライアイが進みます。

 ドライアイを悪化させる他の要因は、コンタクトレンズの長時間装用、睡眠不足、
 ストレス、エアコンの長時間使用による乾燥などが挙げられます。

          
 
(2)「血管の硬化」による動脈硬化が目の機能を低下させる

(3)長時間スマホ・老眼による「毛様体筋の衰え」

 3つ目はピントを調節する毛様体筋の衰えです。
 老化と共に筋力が衰えて、ピント調節ができなくなることが老眼の一因です。

 画面を見る時に、近い距離で長い時間凝視し続ける、と毛様体筋の疲労が進みます。
 やはりスマホの普及により、何時間も近くを凝視する人が増えてきたため、
 毛様体筋の筋力や柔軟性の低下が発生しやすくなります。

(4)加齢による「水晶体の変化」

 4つ目は水晶体の変化です。ものを見る際、毛様体筋の収縮弛緩により
 
 水晶体が薄くなったり厚くなったりすることで焦点が調節されています。

 老化によって水晶体の弾力性が失われると、老眼につながります。
 また、水晶体が濁って視力が低下するのがいわゆる白内障です。

 水晶体の白濁は紫外線などによる酸化ストレスの関与が大きいと言われています。
 主症状は視力低下ですが、長い年月をかけて徐々に進行するため自覚されにくいようです。

          

 (5)紫外線やブルーライト、喫煙による「網膜の劣化」

 最後は網膜の劣化です。
 網膜はカメラのフィルムに相当する重要な部分です。
 水晶体を通過してきた視覚情報が、網膜上で結像し実際に見える形が作られます。

 網膜のほぼ中央にある黄斑部は、ルテインなど黄色の色素によって保護されていますが、
 老化によってこの色素が減ると、紫外線やスマホなどから発せられるブルーライトの影響を強く受けてしまいます。

 光以外では、喫煙によるダメージも大きく影響するようです。
 黄斑部の色素減は、近年急増している、加齢黄斑変性という視力低下や失明に繋がる疾患が発症しやすくなります。

 紫外線やブルーライトといった直接目に入る刺激のほか、
 ライフスタイルの欧米化や高齢化が、加齢黄斑変性の増加の理由と考えられています。

 
 目の老化のポイントの2つ目は、酸素や栄養を届ける血管の硬化です。
 高血圧、糖尿病、脂質異常症などの生活習慣病が原因となり、血管が老化し、
 やがて動脈硬化が進行すると、目に対する血流が減って酸素不足や栄養不足となり目の機能低下が生じます。

 元をたどれば、生活習慣病にならないような健康管理が必要です。

          

☆寝る前のスマホは厳禁! 
電車やデスクでできるセルフエクササイズも

上に挙げた、目の老化の5つのポイントを意識し、
涙分泌・血管・毛様体筋・水晶体・網膜の機能を落とさなければ、目の若々しさを保つことができます。

生活する中で基本となる大切なことは、目の酷使を避け、目を十分休ませることです。
長時間スマホやパソコンを見続けない、まばたきを意識する、十分な睡眠時間を確保する、
などが目の保護に役立ちます。

最後に、日常に取り入れられる目のケア方法をお伝えします。

まず、多くの人がやってしまいがちな寝る前のスマホの使用は、厳禁です。
ブルーライトの影響で、睡眠ホルモンであるメラトニンの分泌が抑制され、良質な睡眠が得られなくなります。

また、日中に紫外線の刺激を回避することも大切です。
サングラスや帽子、日傘などを利用して目をしっかりと守りましょう。

近視や遠視も放置せずに、適切な視力調整をすることでも、目の負担が軽減されます。

また、生活習慣の管理が、目の機能保持に大きく影響するのは言うまでもありません。
特に糖尿病や高血圧は、目の老化を促します。
甘いものや塩分摂取を控えて、適度な運動に心掛けることです。

          

さらに、目にとって必要な栄養素を摂取することも忘れてはいけません。

特に、ルテインは大切です。
先述したように、網膜の中心にある黄斑は、ルテインによって、外界の刺激から守られています。
人は生まれながらにして一定量のルテインを持っていますが、
それは目の酸化を防ぐために、徐々に消費されています。

ルテインは体内で合成できないので、外から補充されなければ、いずれは枯渇してしまいます。
そのため、ルテインが豊富に含まれる、ホウレンソウ、ブロッコリー、ゴーヤなどの食材を摂り入れると良いでしょう。

          

最後に、目のセルフエクササイズを習慣化することをお勧めします。
ピントを調節し、眼球の動きをつかさどる筋肉をよく動かすことで、
筋力が維持されるばかりでなく、目の血流も改善して、酸素や栄養が目全体に十分に行き渡るようになります。

具体的なセルフエクササイズは、3つあります。
(1)視線を同じにして、近いところと遠いところを繰り返し見てください。
   10回程度繰り返すと、目の周囲の筋肉がストレッチングされて疲労回復にもなります。

(2)目を大きく見開いて眼球をぐるぐる回したり、
   上下左右を見たりするのを30秒程度行うのも、血流回復に非常に役立つようです。

(3)単にまばたきするだけではなく、顔全体の筋肉を使うように
   大きく目を見開いて、その後急激に思いっきり強く目をつぶる、
   これを何度か繰り返すのも目の機能維持に大きく役立ちます。

能動的に筋肉を動かし、目のアンチエイジングに取り組みましょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
          

私は記事より、《・・五感の中でも、脳が処理する情報の80%は、視覚から入手されてる・・》ことを学び、
目の機能低下が起きる5つのポイント、そして具体的な対応など多々教示されたりした。

私は3年前の晩秋、酷い近眼の上、白内障となり、やむなく白内障の手術をした後、
視力が1.0前後となり、驚きながら高校一年生より55年ぶりに近眼のメガネから解放され、
歓びながら、人生観が変わるよなぁ・・と微笑みを重ねてきた。
          
そして昨年の3月、まばゆい春の陽射しを受けている中、
紫外線の実態を学び、やはり遅ればせながらサングラスが必要だ、と私は気付いたりした。
             
そしてUVカットのサングラスの中で、紫外線を1%しか通さない紫外線透過率1%を、
平素用は薄いサングラス、都心に外出する時は少し濃いめのサングラス、
ふたつ選定して、これ以来まばゆい陽射しの中を歩く時は愛用している。

          

この間、白内障の手術後、まもなく眼を保護して乾燥を防ぐ『ヒアレイン』点眼液を、
一日二回を点(つ)けてきた。

こうした中、熱い陽射しを受けながら歩き、デジカメで写真を撮ったりする時だけは、
サングラスを外して、過ごしたりしてきた。

こうした事が原因か判らないが、
過ぎし昨年の7月下旬の朝、右眼が赤ぽっく充血してしまったが、
私はドライアイになりやすい傾向で、朝、昼、夜・・一日三回と医院長から指示されて、
一週間後は、解消して微笑んだりした。

そして私は居間で読書したり、映画を視聴したり、或いはパソコンと向き合ったりし、
疲れを感じた時は、小庭にある
若葉とか色合いを深めた深緑の雑木を眺めたりして、
疲れた目を癒(いや)したりしてきた・・。

或いは午前中のひととき、遊歩道、公園を散策して、季節のうつろう情景を眺めたりし、
目も心も風情を感じ深めたりしてきた・・。

しかしながら、今回は具体的な目のケア方法も学び、
もとより目は、かけがいのない一生の友であり、少しづづ目のケア方法を実践しょう、
と決意したりしている。


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高齢者のさりげない日常動作の検定、73歳の私は学び、こっそりと受診し、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-04-29 15:02:00 | ささやかな古稀からの思い

先ほど、ときおり愛読しているネットの【NEWS ポストセブン 】を見たりしている中、
【 ペットのボトルの蓋、開けられなければ日常生活年齢は80代 】と見出しを見て、
どういうことなの、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年5月4・11日号
に掲載された記事のひとつであり、
関連の【NEWS ポストセブン 】に2018年4月27日に配信されていた。

私は読みながら、日常生活活動テストと判りながら、
これは高齢者のさりげない日常動作の検定試験だよなぁ、
と思いながら、体力の衰えた73歳の私は学び、こっそりと受診し、やがて微苦笑を重ねたりした・・。

こうした高齢者のさりげない日常動作の検定は、下記の三つの簡単なテストで、
ご本人の状態が判るので、あえて転載させて頂く。

           

 

《・・体重計に乗れば、体脂肪率や筋肉量などから判断される「体内年齢」が表示され、
脳トレの結果を見れば「脳年齢」が診断される・・。

年齢に関する指標は数あれど、いま一つピンと来ないのは、生活に直結していないからだ。
もし、普段行なっている動作や日常生活の行動から“本当の体力”がわかるとしたら──。

●ペットボトルの蓋が開けられなければ80代

足腰だけでなく、腕の力も加齢で衰える。

「握力の衰えの目安は、男女ともに自分の体重の半分の握力があるかどうか。
たとえば、体重60㎏で30㎏の握力がないと、荷物の持ち運びなど日常生活に支障が出てきます。

80代になると、如実に握力は低下しペットボトルのキャップを開けられないという人もいます」
(桜美林大学老年学研究所所長・鈴木隆雄氏)

           

●片手でシャツのボタンを1分で掛けられると40代

加齢で手先の動きが鈍くなるので、手先の器用さにも、日常生活年齢が表われる。

「スポーツ庁の『平成28年度 体力・運動能力調査』で実施されたADL(日常生活活動テスト)にも結果が出ていますが、
私の経験則からいえば、1分以内に“片手で”シャツの前ボタンをすべて留められたら、『30~40代』の器用さ。
1分以内に“両手で”留められれば『60代』、
できなければ『70代後半』です」(秋津医院院長・秋津壽男医師)

           

●立ったままズボンが穿けなければ70歳以上

腕の筋力や手先の器用さだけでなく、加齢によって足腰も弱まり、平衡感覚も失われていく。

「前述のADL(日常生活活動テスト)には、
『立ったままで、ズボンが穿けますか』という設問もありますが、
これができなければ、『70歳以上』の足腰といえます」(前出・秋津医師)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
           

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、ささやかな年金生活を過ごしている。

ペットボトルのキャップに関しては、私は握力が衰えていないで、立ったままで簡単に開けている。
しかしながら家内は、家内の母の介護の疲れか、ときおりキャップが開けずらくなったわ、
と私に言ったりして、お互いに微苦笑する時もある。

こうした時、ペットボトルを置き、片手でペットボトルを握り、空いた片手でキャップだけ廻せば、
簡単にキャップは開けられる、と私は知人から聞いたりしている。

片手でシャツのボタンを1分で掛けられることに関しては、
私は若き現役サラリーマンの時代から、両手で素早く留めてきたし、
昨今の今でも、30秒ぐらいできているので、今回の検定だと『60代』と判り、微笑んだりした。

家内もブラウスのボタンなども、私と同じぐらいで留めたりしている。

立ったままズボンが穿けなければ70歳以上に関しては、
私は寝起きの時に、正気には程遠く、バジャマから長ズボンに穿き替える時、
転んだら大変と思い、付近にある椅子に片手を付いたりして、着替えたりしている。

やがて10分後には、完全に正気となった後は、立ったまま簡単にズボンが穿けられる。

このような実態が私の状態であり、10年前より無念ながら衰えている。

           

こうした対策として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、住宅街の小道、公園などを殆ど毎日歩いたりしている。

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断捨離、高齢者夫婦の我が家は、時折ためらいながら、少しつづ整理して・・。

2018-04-28 13:36:56 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、断捨離に関しては、時折ためらいながら、少しつづ整理している。

こうした動機のひとつには、遠くに住む家内の母の実態を学んできたこともある。

         

私たち夫婦我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、家内の母は我が家より遠方の処で、
戸建ての独り住まいの生活をされて、早や13年半が過ぎている・・。
                         
過ぎし7年前、家内の母は81歳を過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、
杖(つえ)を突いて歩く身となり、やがて市の福祉課を通して、『要支援2』と認定されたりした。

やがて4年前の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなったりした。

やがて一昨年の5月下旬、家内の母のリハビリなどの自助努力の成果として、
市の福祉課が再審査をしたら、『要支援2』から『要支援1』と認定されたりした。

こうした中で、家内の母は長年生活してきた衣服、生活用具、雑貨品などが多く、
ときおり家内と家内の妹は、
『お母さん・・もう着ることもないし、この品だって使うことがないから・・捨ててもいいわねぇ・・』
と言ったりしてきた。

しかしながら母は『いつの日にか、使うことあった時、困るし・・』
と抵抗して、ふたりの娘とのささやかな論争が繰り返している・・。
           
このようなことを私は幾たびも、家内から聞いたりしてきたが、
余りにも断捨離してしまうと、家内の母が認知症になったら、もとより私たち夫婦も困苦するので、
私は家内に『程々にしたら・・』と私は言ったりしてきた。

         
        
こうした思いもあるが、我が家は断捨離に関しては、
家内が先導となって、三年以上着ない衣服、そして靴なども、収納スペースの制約があり、
やむえず断捨離をしてきた。

しかしながら、これ以外は何かをきっかけに、ためらいながら破棄をしたりしてきた。

過ぎし2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災に動顛させられ、
やがて我が家も保存している物を見直しをしたりした・・。

           

自宅の本棚、押し入れを中心に整理し、大幅に処分をしたりした。

私は若き頃に
、映画・文学青年の真似事をした体験もあり、
小説、随筆、歴史書、近現代史など本は5000冊前後、

映画作品としてビデオ・DVDが1000本前後あったりした。

そして現役サラリーマン時代は、たまたの音楽業界のあるレコード会社に35年ばかり勤め、
製作畑ではなく、管理畑の片隅に勤めていたが、少しづつ買い求めた結果として、
レコード、カセット、CD、DVDの総数として
3000枚前後となったりした。

こうして家の中の本の整理を主体にして、押入れに収納していた単行本を整理をし始めたのであるが、
主に私が東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)前後の5年間ぐらいで購入した
小説・文学評論が圧倒的に多かったりした。

たとえば石川達三さん、丹羽文雄さん、三島由紀夫さん、安部公房さん、大江健三郎さんなどが多く、
そして福永武彦さんの本は、殆ど所有していたのには、微苦笑させられたりした。

この方たち作家の作品は、今後は読むこともないだろう、市の資源ゴミにだすことに決めたりした。

           

数年前、自宅から徒歩10分ばかりのある古本屋のチェーンの支店長と私は話し込んでいた時、
私は思いついたように、自宅の本を思い浮かべて、
もしも古本屋に売却したら、と小説、文藝評論の数々の名を上げて言ったりした。

『信じられいような廉(やす)さと思いますよ・・ご愛読された本と思いますので、
ご自宅で保管された方がよろしいかと思います・・』

と私は支店長から言われてしまったりした。

その後、やむなく市の図書館に寄贈しょうと思ったりしたが、
友人にこのようなことを話したら、昨今は図書館でも過剰で困り果てているのが多い、と教えられた。

私が保有している小説、随筆、評論などは、市の図書館の本館に、8割方ぐらいあるが、
今現在としては、全ての本を処分する気にはなれないので、結果として、図書館に寄贈は断念したりした。

結果として、押入れにあった本は、3冊だけ保存することにして、500冊ぐらい処分とした。
そして石川達三さん、丹羽文雄さん、三島由紀夫さん、安部公房さん、大江健三郎さん、福永武彦さんなどに、
さよならを告げたりした。


この後も、本棚も整理して、1500冊ぐらい処分し、3000冊前後が愛着を秘めて保管している。

そして映画作品の収容棚、音楽作品の収容棚も、程々に整理したりした。
           
このようなささやかな断捨離を我が家としてはしてきたが、やはり何かをきっかけにしなければ、
難しいよねぇ、と私は苦笑したりしている。

           

この間、私は脳科学者の加藤俊徳さんの書物より、
「“断捨離”によって、思い出を振り返る機会を失うと、

脳の機能が衰え、孤独感からも認知症のリスクを高める可能性がある」と学んだりしてきた。

このように私が最も恐れている
認知症にならないために、
程々に捨てすぎない片付けをしょう、と思ったりしている。


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税務署より『督促状』が郵送され、恥ずかしながら年金生活の私は、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-04-27 13:20:55 | ささやかな古稀からの思い

昨夕、我が家の郵便受入箱を除(のぞ)くと、一通の封書が配達されていた。
そして私は見ると、私の住む所属地域の武蔵府中税務署よりの封書であった。

表の一面には、宛名や住所が違う場合には、『開封せずに』
右に記載の税務署へご連絡をお願いします、と明記されていた。

そして私は居間に戻り、開封したら、『督促状』と大きく明示された書類が入っていた。

○あなたの国税等が上記のとおり滞納となっておりますので、
 国税通則法第37条第一項(督促)の規定に基づき納付を督促します。

 この納付書で、日本銀行(本店、支店、代理店若しくは歳入代理店(郵便局を含む))
 又は当税務署に至急納付してください。

○督促状発付 平成30年4月24日
       (第01560号)
 国税収納命令官 武蔵府中税務署長
   財務事務官 XX XX

このように厳(いか)めしい文章が明記されていた。

          

そして上記には、
税目・・申告所得税及び復興特別所得税
本税・・10、000円
法定納期限・・H30.3.15
延滞税・・法律による金額

こうした文面を私は読みながら、過ぎし2月下旬に、
私は『所得税の確定申告』したことが、瞬時に甦(よみがえ)ったりした・・。

          


私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金、郵便個人年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

こうした年金生活の中で、確定申告に関しては、厚生年金、わずかな企業年金以外に
積立型個人年金の分割払い、或いは医療控除があったりし、
毎年の2月には、『所得税の確定申告』を所属地域の税務署に郵送をしたりしてきた・・。

          

私は現役サラリーマン時代は、親会社が都市銀行の金利より優遇されているグループ内拠出貯金を知り、
20年間ばかり給与より差し引かれる貯金をしてきた。

或いは50歳過ぎた頃、家内が郵便局に偶然見かけた『据置定期年金保険』を知り、
確か900万円を定期にすれば、5年過ぎた後、1000万円を10年分割する個人年金に、
私は加入したりした。

やがて私は定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた当時は、
幸いに住宅ローンを終えていた。

しかしながら私は1944年(昭和19年)9月生まれであったので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は満額のほぼ半分となっていたこともあり、
グループ拠出貯金は我が家の家計に、大いに助かったりした。

そして私が63歳より、『据置定期年金保険』の個人年金を受け始めて、
お得感があったよねぇ、と家内から私は言われたりしてきた。

このように年金生活は、年金収入があっても、家計は平均として毎月7万円前後が赤字となる家庭が多いと学び、
もとより貯蓄で補(おぎな)っていることもあり、働いている時代は貯金が大切だよねぇ、
と何かとグウダラな私でも、感じ深めてきた。

           


過ぎし2月11日、私は遅ればせながら『所得税の確定申告』の確定申告の下書きを始めた・・。

家内が保管している病院の医療費、これに関連した治療の薬代金、
或いはドラッグ・ストアーで買い求めた薬代金などの領収書の封筒を取り出して、
医療控除の基礎資料をエクセルで作成したりした。
            
やがてネットの国税庁のホームページの『確定申告書等作成コーナー』をパソコンで開き、
郵送されてきた厚生年金、企業年金、郵便個人年金の確定申告用の書類を取り出して、
入力を始めたりした。

こうした中で、年に一回の作業なので、忘れてしまったかしら、と不安げにパソコンの画面を見たりしたりした・・。

私は恥ずかしながら『e-Tax』の方法に自信がなく、定年後のここ13年間は、
ネットの国税庁のホームページの『確定申告書等作成コーナー』をパソコンで開き、
源泉徴収票などの書類に基づいて、入力している。

この後『所得税の確定申告書』の用紙の最後のページに添付されている『下書き用』に転記した後、
提出分の本書に清書しているのが、毎年の実態となっている。
         
今回も厚生年金、わずかな企業年金、郵便年金保険の『収入金額等』、そして『所得金額』、
国民健康保険、介護保険、配偶者控除、基礎控除、医療費控除などの『所得から差し引かれる金額』、
或いは『税金の計算』などの算出方法が解からないので、
この国税庁のホームページの『確定申告書等作成コーナー』を頼りにして、項目、計算結果を転記している。

          

やがて、『課税される所得金額』が自動計算され、10、000円と表示された・・。
そして私は、納める税金は一万円、と判り微苦笑したりした・・。

そして私は家内に、入力の間違いがなければ、今年に納める税金・・一万円になったょ、
と苦笑しながら言ったりした。

『良かったわ・・一万円で・・』
と家内は微笑みながら私に言ったりした。

私は家内が安堵した表情を眺めたりした後、複雑な思いとなったりした。

やがて私は小庭のテラスに下り立ち、税金で大半成り立っている日本の予算を思い浮かべたりした・・。
わずか一万円だと・・もとより国家の維持・管理も・・或いは私の好きな国立公園さえも・・と苦笑したりした。

やむなく私は、現役サラリーマン時代は数多くのサラリーマンと同様に、
大半は睡眠時間を削り奮戦して、程ほどの税金を納めてきたから、今や体力も衰えた身に案じて勘弁してねぇ、
と空を見上げながら心の中で呟(つぶや)いたりした。

          

そして昨年は医療控除分が多くて、納める税金はたった千円と知り、驚いたりしてきた。
その前の年は、私は白内障などの手術を受診した主因で、還付金が3000円となり、
私は複雑な思いで、臨時収入だねぇ、と苦笑した体験を秘めたりしてきた・・。


しかしながら本年は、毎年1月下旬には、
所属地域の武蔵府中税務署から『所得税の確定申告』の用紙が郵送されてきたが、
今年は未着で、やむなく昨年の確定申告の下書きを消して、計算結果用に作成したのが実態であった。

          

やがて私は、『所得税の確定申告』の用紙が未着であったので、待ちくたびれて2月20日に、
所属地域の武蔵府中税務署に電話連絡をした。

やがて2月24日の金曜日の夕方、我が家の郵便受入箱に、
所属地域の武蔵府中税務署から『所得税の確定申告』の用紙が郵送されてきた。

そして2月25日の土曜日、遅ればせながら今回の『所得税の確定申告』の用紙に清書して、
その後の月曜日の26日に郵便局に私は行き、郵送したりしてきた。

しかしながら、今回は10、000円を納付する責務があるが、
恥ずかしながらどのようにして納付することがわからず、放置してきた。

こうした根底には、昨年は医療控除分が多くて、納める税金はたった千円であったが、
4月下旬に武蔵府中税務署より『督促状』が郵送され、
翌日に郵便局で、納付手続きを完了させたりした。

そして私は今年も確信犯のように、『督促状』を待ち焦がれて、
私は本日の午前中のひととき、郵便局で、納付手続きを完了させたりした。

          

尚、私は『所得税の確定申告』を郵送で管轄の税務署に送付され、
税金を納付する必要のある御方・・どのようにして納付されているか、
お読みになって下さった御方の中で、ご教示して下されれば幸甚です。

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ときおり二度寝を甘受している私、二度寝の効用を初めて学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2018-04-26 09:18:08 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『 働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。

『そうだょねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

       

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、
最後の5年半はリストラ烈風となる中、出向となったりした。

やがて私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。
     
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。。


このように私のつたないサラリーマン航路であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。

       

世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

そして私でも、過ぎ去った60代の10年間の年金生活の日々は、
定年退職時までは何かと悪戦苦闘が多かった為か、
私の人生の中で何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。

                        

2004年(平成16年)の秋、年金生活の当初は、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

       

私たち先輩、そして私たち同世代、少し若い団塊世代のサラリーマンの多くは、
もとより職務、そして家計の責務で、睡眠時間を削り奮戦してきた。

私も職責を果たす為に、奮闘して、平日は睡眠時間を削ることが多く、
休日のひとときに昼寝などをした補(おぎな)ってきた。

或いは若き40歳前後は、コンピュータ自社導入のシステム開発、運営業務などで、
徹夜も幾たびもして、今働くなくていつ働くょ、と自身を叱咤激励したりしてきた。

やがて最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりし、
従来の都心の本社勤務地より、遠方となり、朝の4時45分に起床して、帰宅できたのは早くても午後9時前後が多く、
出向先の不馴れな物流センターで、自分の敵は自分だ、と私なりに奮(ふる)い立たせたりした。

                 

やがて年金生活の当初は、朝、布団(ふとん)の中で目覚めた後、
もう会社に行かなくてよいんだ、と安堵感に微睡(まどろみ)ながら微笑んだりした。

そして二度寝などを甘享したりすると、夢の中で職務上の成功体験の出来事より、失態した出来事が多く、
目覚めた後、独り苦笑したりしてきた。

やがて数年後はサラリーマン時代の夢は激減し、
朝まどろむ時、夢と現(うつつ)の世界を往還するように、今日はどこを散策しょうか、
駅前の本屋に行き、あの本を買い求めようか、などを思い馳せたりしてきた。

或いは家内と国内旅行に行き、旅先のロビー、食事処で隣席して談笑した人たちを思い浮かび、
たとえ一期一会でも、人生の微笑みひとときを過ごせた、と走馬灯ように感じたりしてきた。

                        

ここ一週間、布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の5時半ぐらいが多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

そして目覚めた時、ぼんやりと昨日は・・と思い浮かべたり、
今日は・・と予定事項を思い浮かべたりしている。

まもなく15分ぐらい過ぎた時、オシッコだ、と感じて、布団から起きだすことが多くなっている。
       
しかしながら、やがて布団のぬくもりが恋しい為か、布団に戻ってきてしまい、
枕元で昨夜読んでいた本を開き、読み出したりする。

まもなく30分ぐらい本を読んでいたが、寝不足を感じて目を閉じているうちに、
眠ってしまった・・。

やがて一時間ぐらい二度寝した後、目覚めてぼんやりとまどろんだりした・・。

       

過ぎし日の出来事とか、これからのささやかな願いの数々が、
夢と現(うつつ)の世界を彷徨(さまよ)うようなひとときとなっている。

そしてぼんやりとして正気には程遠く、
やがて起床して、煎茶を飲んだりして、正気になり微苦笑することが多くなっている。

このように朝、目覚めてぼんやりと微睡(まどろ)む時、やがて二度寝ができることは、
貧富に関係なく、この世で最も贅沢なひととき、と私は微笑んだりしている。

       

 たまたま昨夜ときおり愛読している生活総合情報サイト【All About(オールアバウト)】に於いて、
『 5分間の二度寝が一日を幸せにする 』と題された見出しを見た。

私は齢ばかり重ねても、何かと好奇心が強く、こっそりと読んでしまった・・。

この記事は、医師で 睡眠ガイドをされている坪田 聡さんの寄稿文のひとつであり、
【All About(オールアバウト)】に2018年3月29日に配信され、
無断であるが記事の前半を転載させて頂く。

《・・5分間の二度寝が一日を幸せにする  

「 質が悪い睡眠が続くだけで、逆に体が疲れるから止めたほうが良い 」 と、
言われる 二度寝。(略)

二度寝で幸福感が得られるメカニズムは、まだ、科学的に解明されたわけではありません。
これまで知られている事柄から、その仕組みを考えてみました。


■ 睡眠不足の解消
5分でも10分でも二度寝をすれば、それだけ睡眠不足の量が減ることになります。
たったそれだけで、と思うかもしれませんが、昼休みに短時間の仮眠を取ると、
目覚めたときスッキリして、午後からの仕事にがんばろうと思えるはず。

短時間の仮眠と同じ効果が、朝の二度寝にもあります。

       
■ 夢の続きが見られる
朝方には、浅い睡眠であるレム睡眠が多くなります。
レム睡眠中、体の筋肉は休んでいますが、脳は活発に働いています。

このときに、夢を見ることがわかっています。
楽しい夢を見ているときに少し目覚めて、また、楽しい夢の続きを見られると、
いわゆる 「 夢うつつ 」 の幸せな気分になれます。


■ 外界からの刺激がソフトに
深く眠っているときは、外界からの情報は途中で遮断されて、脳に届きにくくなっています。
でも、眠りが浅くなるにつれ、外部からの刺激が、少しずつ分かるようになります。

二度寝しているときに、ほんわかと感じる光や物音、布団の触感などが、
天国にいる気持ちにさせてくれるのです。


■ 抗ストレス・ホルモンの働き
目覚める予定時刻の前後には、コルチゾール というホルモンの血中濃度が急に高まります。
コルチゾールは、ストレスを和らげる働きがあり、また、膠原病やアレルギーの治療にも使われています。

コルチゾールは、副作用として睡眠に悪影響を及ぼすこともありますが、
実は、「 多幸症 」 を起こすこともあるのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
       

今回の記事を読み終わった後、二度寝の効用を初めて学び、多々教示されながら、微笑んだりした。

特に私は年金生活をしている安楽な身であるが、
《・・楽しい夢を見ているときに少し目覚めて、また、楽しい夢の続きを見られる・・
 「 夢うつつ 」 の幸せな気分になれます。・・》この世からの最上のプレゼントだ、と微笑んだりしている。 

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医学的に「健康に良い食べ物」は5つしかない、高齢者の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-04-25 08:46:57 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中、築後39年を迎える古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、

程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、
食事に関しては、ここ3年は殆ど変わらず美味しく頂いている。
          

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、

朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の一汁三菜(いちじゅうさんさい)の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。

タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯を半合ばかり盛ったお茶碗、インスタントのワカメの味噌汁、

納豆、コブの佃煮、シラス干し、福神漬けを必須として、
これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを
加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、

二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。
           
昼食は私はホット・コーヒーを飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしていたが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

しかしながら昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。


そして私は4月から9月までは、トマトを二つを食べた後、キュウリを2本食べ、
10月から3月までは、やはりヨーグルトを箱の半分を食べた後、リンゴを一個ばかり食べたりしている。
          
                                                          

やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べてきたが、
ここ半年は、ニンジンを千切りにして、電子レンジで少し温めて、
ゴマドレッシングに少しお醤油をかけて、食べている。


そしてその日に応じて牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など200グラム程度に、
キュベツなどの野菜を多めに頂いたりし、

ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

こうした中で、お酒に関しては節制しているが、5日毎にウィスキーの濃い水割りを飲んだりしている。


家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。


このような食事内容が、真実一路のように変化がなく、ここ三年ばかり続いたりしている。

          
            
          

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、
こうした時でも、殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしてきた。

                      


たまたま昨夜、ときおり愛読しているネットの【東洋経済オンライン】を見ている中で、
『 医学的に「健康に良い食べ物」は5つしかない 』と見出しを見たりした。

私はどのような食べ物ですか・・と思いながら好奇心に負けて、精読してしまった・・。

この記事は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)助教授の津川 友介さん
の寄稿文であり、
【東洋経済オンライン】に4月24日に配信され、
無断であるが記事の最終章の部分を転載させて頂く。

《・・長生きするためには、科学的根拠に基づいた正しい食事をとることが、最も確実である。
どのような食事をとれば、がんや脳卒中などの病気になりにくくなり、
長生きできるようになるかに関しては、数多くの研究結果が存在している。

科学的根拠に基づいた本当に健康になれる食事を理解しておけば、
ちまたにあふれる「最新の研究結果によると・・
」という枕詞ではじまる玉石混淆な情報に
惑わされることもなくなるだろう。(略)
           

■不動の「本当に健康に良い食品」5つ

(略) 数多くの信頼できる研究によって本当に健康に良い(=脳卒中、心筋梗塞、がんなどのリスクを下げる)と
現在考えられている食品は、
①魚、
②野菜と果物(フルーツジュース、ジャガイモは含まない)、
③茶色い炭水化物、
④オリーブオイル、
⑤ナッツ類の5つである。


逆に、健康に悪いと考えられているのは、
①赤い肉(牛肉や豚肉のこと。鶏肉は含まない。ハムやソーセージなどの加工肉は特に体に悪い)、
②白い炭水化物、
③バターなどの飽和脂肪酸の3つである。

つまり、白米や小麦粉を使った白いパン、うどんといった精製された炭水化物、牛肉や豚肉、バターは避け、
玄米や全粒粉を使ったパン、蕎麦、魚、野菜、果物、オリーブオイル、ナッツなどに置き換えるということだ。


このような食事をすることで、脳卒中、心筋梗塞、がんなどの病気を減らし、
健康を維持したまま長生きする確率を上げることができる。


注意してほしいのは、私は加工肉、赤い肉、白い炭水化物などは
「体に良くない」と説明しているのであって、「食べるべきではない」と主張しているのではないということだ。

甘いものが好きな人にとっては、甘いものを食べることで幸せな気持ちになり、
幸福度が上がるかもしれない。

そういう人にとっては、甘いものをゼロにすることで、
健康にはなるけれども、人生がまったく楽しくなくなってしまうこともあるだろう。


そのような場合には、幸福度と健康をてんびんにかけて、
毎日少量の甘いものを食べるという食事を選択することも合理的な判断だろう。

食事によって得られるメリットとデメリットを十分理解したうえで、
何を食べるかを選択すべきだろう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
           

私は野菜は、がん死亡が減り、心臓病も減る、と学んできたので、
タマネギ、キャベツ、トマト、キュウリ、ブロッコリー、ニンジンなど野菜を愛食してきたので、
もとより癌(がん)、心臓病になったら困苦するので、少しは対策になっているかしら、と過ごしてきた。

こうした中、私は幼年期に農家の児として育ち、少し体験をしてきたので、
何かと農作物は天候に左右されることが多い中、労苦の果てに野菜を育てて下さる農家の御方に、
感謝しながら、美味しいよねぇ、と私は食べたりしている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉が大好きな私は、その日に応じて、食べたりしている。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康維持の三冠王・・と思いながら、年金生活を過ごしている。

今回の《・・医学的に「健康に良い食べ物」は5つしかない・・》多々教示されながらも、
《・・健康にはなるけれども、人生がまったく楽しくなくなってしまうこともあるだろう・・》に共感して、
私としては、ここ3年愛食した
内容で、私の終末期まで食べられたら本望だよねぇ・・と微苦笑をしたりしている。 

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肺炎での死は、誤嚥性が7割、ごっくん運動で、のどを筋トレで対策、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2018-04-24 09:24:15 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中、築後39年を迎える古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は朝食、夕食の時、家内と共に頂いているが、
私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したりしている。

そして私は食べながら家内に話したりしていると、一か月に一度ぐらい、
食物が食道へ入るべきものが気管に入ってしまうらしく、一分ぐらい、むせたり咳き込んだりすることがある。

こうした時、家内は『高齢者になると誤嚥(ごえん)になる人が多いから、気を付けてねぇ・・』
と私は言われたりしている。

私は2年前の頃までは、こうした体験がなく、戸惑いながら不安を秘めたりしている。

そして家内も、数か月に一度ぐらいあるから、私も気を付けるわ、と私に微苦笑しながら言ったりしてきた。

           

たまたま、昨夜に長らく愛読しているネットの【NIKKEI STYLE】を見ている中で、
『 ごっくん運動でのどを筋トレ 飲み込み力、低下防ぐ のど仏上げて10秒 肺炎での死、誤嚥性が7割 
と見出しを見たりした。

私は齢ばかり重ねた身で、何かと無知なことが多く、ごっくん運動で・・のどを筋トレ・・って、 
どのようなことなのかしら、と思いながら、記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、ライターの田村知子さんの寄稿文であり、
日本経済新聞・『NIKKEIプラス1』2018年3月10日に掲載され、
関連の基幹サイト【NIKKEI STYLE】に配信されていた。

そして少し古い記事であるが、健康に関しては、すべて時空を超越するょ、
と私は思い、
無断であるが大半を転載させて頂く。
 

《・・「飲み込み力」の衰えを感じたら、「ごっくん運動」でのどの筋力を鍛えよう。
           

食事中に、むせやすくなった、
せき払いが増えたと感じる人は「飲み込み力」が衰えているかもしれない。

飲み込む力が落ちて、誤嚥(ごえん)性肺炎になるリスクを下げるためにも、意識的にのどの力を鍛えよう。

「若くても、意識的にのど(喉頭)を動かすことができない人は多い」と話すのは、
神鋼記念病院(神戸市中央区)耳鼻咽喉科の浦長瀬昌宏科長。

浦長瀬科長は同科で、嚥下(えんげ)トレーニング外来を開設し、
食べ物を飲み込む嚥下(えんげ)の機能を改善する指導に取り組んでいる。

浦長瀬科長によると、飲み込む機能は60代から低下するのが一般的だが、
のどの筋力は40代から衰え始めるという。

呼吸やまばたきを自然にするのと同様に、
食事中に飲み込むことを意識する人は、ほとんどいない。

そのため「飲み込み力が弱まってきても、気づきにくく、
飲み込みづらさを自覚したときには、嚥下(えんげ)機能の低下が進んでいることが少なくない」(浦長瀬科長)。

食べ物を飲み込むとき、喉頭(のど仏の周辺)がポンプのような動きをすることで、
食べ物が食道へ送られる。

加齢などで、のどの筋力が弱まると、喉頭がうまく上がらなくなり、
食べ物や唾液が気管に入り込む誤嚥(ごえん)が起きやすくなる。

誤嚥(ごえん)が原因で、肺に侵入した細菌が炎症を起こして、発症するのが誤嚥性肺炎だ。

池袋大谷クリニック(東京・豊島)の大谷義夫院長は
「肺炎はがん、心疾患に次いで日本人の死因の第3位。うち7割以上が誤嚥性肺炎」と話す。

誤嚥(ごえん)には、本人が気付く顕性誤嚥と、
就寝中など気付かぬうちに起きる不顕性誤嚥の2種類があるが、
「高齢者では、後者が原因の肺炎の方が多い」(大谷院長)。

           

食事中に、むせやすくなる、
のどが詰まるような違和感がある、
せき払いが増えるといった傾向があれば、
飲み込み力が衰え始めたサインの可能性があるので要注意だ。

「今のうちから意識的に、喉頭を動かしていけば、
食事中の誤嚥はもちろん、唾液がのどの中にたまりにくくなって、就寝中の誤嚥も起きにくくなる」(浦長瀬科長)。

のどの筋力を鍛える「のどトレ」は、食事中ののどの動きを意識することから始めよう。

食べ物を飲む込みときに、のどに手を当てると、
のど仏が上下に動いたり、あごの下に力が入ったりするのが分かる。
「女性ののど仏は見つけにくいので、だいたいの位置で構わない」(浦長瀬科長)

飲み込むときの、のどの動きがイメージできたら、
まずは水を飲むなど意識的に飲み込む動作を。

次第に水がなくても「ごっくん」と飲み込む動作ができるようにする。

続いて、のど仏を上下に大きく動かす練習で可動域を広げていく。

最終的には、飲み込んだあとに、のど仏を上げたまま、
あごの下に力を入れ続ける状態を維持できるようにする。

「最初は少量の水を飲んで、のど仏を上げる練習をするといい」と浦長瀬科長。

「慣れてきたら、水なしで飲み込んだ状態を10秒キープし、最後は勢いよく息を吐き出す。
一日2~3回取り組むと、飲み込み力を強化できる」・・(略)
・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
                        

私は「誤嚥性肺炎」は新聞、雑誌などで漠然と学んできたが、
改めて今回《・・誤嚥(ごえん)が原因で、肺に侵入した細菌が炎症を起こして、発症するのが誤嚥性肺炎だ。
「肺炎は、がん、そして心疾患に次いで、日本人の死因の第3位。
うち7割以上が誤嚥性肺炎」
・・》と学び震撼させられた。

確か私の記憶によれば、一昨年の4月に亡くなった歌手のペギー葉山さん(83歳=享年)、
過ぎし年に俳優の
根津甚八さん(69歳)、そして歌舞伎役者の中村勘三郎さん(57歳)も
誤嚥性肺炎が引き金となって亡くなわれた、と私の心の片隅に残っている。

私は富も名声も無縁であるが、いつの年にはこの世と別れを告げる寸前まで、
やはり自身の口で、たとえば朝食の時には『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』と称されている
ご飯と汁、おかずと香の物を
食べたいと願っている。

こうしたことを叶える為、せめて今回学んだ『ごっくん運動』で、のどを筋トレをしようと思い、
先ほどから《・・水がなくても「ごっくん」と飲み込む動作・・》を始めている・・。

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回転寿司のファミレス化を学び、何かと単細胞で時代遅れの私は、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-04-23 14:35:59 | ささやかな古稀からの思い

        

先ほど、ネットでニュースを見ようと、バソコンを立ち上げて、私は【YAHOO! JAPAN】を設定しているので、
トップ画面には、トビックスのニュースが表示されている。

こうした中に、『回転ずし 進む ファミレス化 』と見出しがあり、
どういうことなのょ・・と私は好奇心に負けて記事を読んでしまった。

この記事の原文は、読売新聞の基幹ネット【ヨミウリオンライン』に於いて、
4月23日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・なぜ? 回転寿司のファミレス化が止まらない
     
大手回転寿司(ずし)チェーンが、寿司以外の「サイドメニュー」をどんどん充実させている。

各社がラーメンやカレー、スイーツなどのメニューを増やし、
あたかも「ファミリーレストラン(ファミレス)化」を進めているように見えるのだ。
流通・外食業界の分析に定評がある店舗運営コンサルタントの佐藤昌司氏に業界事情を解説してもらった。

          

■ますます激化する「サイドメニュー合戦」

チョコレートケーキ、パフェ、ポテトフライ・・。
子どもが大喜びする食べ物が、寿司とともにベルトコンベヤーで運ばれてくるのは、もはや当たり前。

今、回転寿司チェーンのメニューを見ると、
「こんなものまで!」と思うぐらい、「寿司店」とは、ほど遠い料理の写真が目に飛び込んでくる。

数年前から本格化してきた大手回転寿司チェーンの「ファミレスメニュー」の強化。
当初は、一時的な動きと見る向きもあったが、さらに競争は激しくなっている。

早くからカレーや天丼、豚丼などの「寿司店らしからぬ」サイドメニューに注力していたのは、
業界2位の『くら寿司』(運営:くらコーポレーション)だ。

3月中旬には初の本格的な洋食メニューを発売した。
ラーメンの麺に、カルボナーラソースを加えた「カルボナーラ スパらッティ」と、
「イタリアンチーズハンバーグ」という、かなりコッテリ系の料理だ。
さらにデザートメニューの「チョコとマスカルポーネのパフェ」も投入した。

一方、業界首位の『スシロー』(あきんどスシロー)は昨年11月、
スイーツ強化の取り組みとして、社内の部署横断プロジェクト「スシローカフェ部」を発足させた。

第一弾の商品として専門店が監修したアップルパイを同月中旬から、
14粒のイチゴを贅沢(ぜいたく)に使った「苺(いちご)すぎるパフェ」など
3種のイチゴスイーツを同じく今年3月中旬から、それぞれ期間限定で販売した。

若い女性らをターゲットに、スイーツの写真をツイッターやインスタグラムに投稿すると、
食事券が抽選で当たるキャンペーンなども実施した。

ゼンショーホールディングス傘下の『はま寿司』は、ラーメンの販売に注力する。
これまでにも「旨(うま)だし鶏塩ラーメン」、「北海道濃厚味噌(みそ)ラーメン」など様々なラーメンを提供してきたが、
3月には、昨年1か月間で60万杯以上を売り上げた「春の旨だしはまぐりラーメン」を再びメニューに加えた。
たこ焼きやうどんなども充実している。

『かっぱ寿司』(カッパ・クリエイト)も2月下旬、一部の店舗で時間を限定し、
「デミたまハンバーグ丼」や「とろたまローストビーフ丼」など計5種類の丼メニューを発売した。
昨年11月下旬には、人気映画「鋼の錬金術師」とコラボした「ハガレンパフェ」を10万食限定で用意した。

          

■“ファミレス化”のメリットとは?

大手回転寿司チェーンがファミレスのようなサイドメニューを競って投入し続けるのはなぜか。
大きく分けると、
(1)新たな客層を取り込む
(2)リピーターを確保する
(3)他の回転寿司チェーンとの差別化を図る――の三つの目的があるようだ。

サイドメニューを充実させることで、普段の外食では、ファミレスを中心に利用する客層も取り込むことができる。
魚嫌いの子どもを連れているファミリーにも、アピールできるはずだ。

寿司ばかり食べていては飽きてしまうという客も、サイドメニューが充実し、料理の幅が広がるとあれば、
次に来店する楽しみが増え、リピーターの増加につながる。
客離れを食い止めるのにも一役買いそうだ。

また、低価格の回転寿司チェーンでは、寿司ネタで特色を打ち出すことは、実は難しい。
しかし、サイドメニューであれば、わかりやすい差別化が可能になる。

たとえば、『はま寿司』は、サイドメニューの中でも「ラーメン」を特に強く押し出し、
「ラーメンも楽しみな回転寿司チェーン」という評判を確立して、差別化に成功しつつある。

          

■スシローは女子高生を取り込み

そうした中、『スシロー』が、スシローカフェ部を立ち上げた動きは興味深い。

この取り組みによって、午後2時から5時ごろまでの、
寿司を目当てに訪れる客が減る「アイドルタイム」に、
女子高生たちが来店し、スイーツや寿司を楽しむケースが増えているそうだ。

回転寿司チェーンは、ファミレスに比べ、アイドルタイムの集客が難しいとされてきた。
しかし、ピークの時間帯を過ぎてから、寿司目当てで訪れる客もいる。

客離れを防ぎたい各チェーンは極力、人手を抑えて接客をしながら、
仕込みや清掃などを、この時間帯に並行して行うケースが多い。

そんな中、『くら寿司』も、以前からコーヒーやスイーツに力を入れており、
『スシロー』は、ここにきて「カフェ部」でイメージを強化。

学校帰りの女子高生という新たな客を取り込み、
アイドルタイムの売り上げを伸ばすための「仕掛け」で競い合っているのは、
特筆に値する、と筆者は考えている。

          

■ファミレス市場に「侵食」?

回転寿司業界は、今も成長し続けている。

大手では、『かっぱ寿司』が苦戦しているものの、
『スシロー』と『くら寿司』、『はま寿司』は、今も各地で出店攻勢を仕掛け、売上を伸ばし続けている。

2016年度の売上高は、『スシロー』が前年比8.5%増の1477億円、
2位の『くら寿司』が7.9%増の1136億円、
3位の『はま寿司』が8.0%増の1090億円。
『かっぱ寿司』だけが1.1%減の794億円と減収だった。

このように業界は活況を呈しているが、
一方で多くのチェーンがひしめき合い、「過当競争」に陥っている感も否めない。

これまで主戦場だった郊外のロードサイドでは、用地や物件の獲得競争が激化。
以前よりも、出店余地は狭まっている。
さらに、既存店売上高では、各社苦戦している。

都市部や海外への出店、新業態での展開などで、
業績を拡大する余地がまだあるとはいえ、
「新規出店ありき」の成長戦略では、いずれ行き詰まる、と筆者は見ている。

各社も既存店の収益性を高める必要があると考えていて、
その答えの一つが、“ファミレス化”のようだ。

調査会社の富士経済(東京)によると、
2016年の国内のファミレスの市場規模は、1兆3198億円。

これに対し、回転寿司は、6055億円だった。

ファミレスの市場は、回転寿司の2倍以上に上る。
回転寿司チェーンには、大きなファミレス市場は、さぞ魅力的に映るだろう。

回転寿司チェーンが、“ファミレス化”することで、
当然、ファミレス業界は、影響を大きく受ける。

回転寿司チェーンに勢いがあるとはいえ、
ファミレス側も、市場への「侵食」をそう簡単に許すわけにはいかないだろう。

          

■回転寿司の大きな「武器」


しかし、回転寿司チェーンには、ファミレスにはない大きな武器がある。

その一つが、ファミレスと比較した場合の、
売上収益(売上高)に占める人件費を中心とした販売管理費(販売費及び一般管理費)の割合(売上高販管費率)の低さだ。

ファミレス最大手で『ガスト』などを展開する『すかいらーく』を例に挙げてみよう。
『すかいらーく』の17年度の販管費率は、約61.7%。

これに対し、回転寿司首位の『スシロー』の親会社、スシローグローバルホールディングスは、約45.4%で、
『すかいらーく』より、約16ポイント低い。

回転寿司は、専用のベルトコンベヤーを使い、基本的に人の手を介さず、客席まで料理を運べるため、
ウェーターやウェートレスなどホールを担当する従業員が少なくてすむ。
つまり、人件費を低く抑えられるのだ。

外食産業全体が、人手不足で人件費の高騰に苦しむ中、これは大きな強みと言える。

一方、2017年度の売上収益に占める、材料など商品の原価(売上原価)の割合(売上原価率)は、
『すかいらーく』の約30.1%に対し、『スシロー』が約48.3%で、約18ポイント高い。

一般的に、外食産業の売上原価率は、30%程度といわれる。
『すかいらーく』が低いというより、『スシロー』が高いのだ。

『スシロー』の原価率の高さは、外食産業でもかなりの水準にあるとされる。
『くら寿司』も『スシロー』に近い原価率だ。

つまり、販管費が抑えられる分、寿司ネタなどにお金をかけ、低価格で提供することができるのだ。

          

■回転寿司はファミレスの「脅威」となるか?

もし、売上原価率が低いファミレスのメニューを回転寿司チェーンが積極的に導入すれば、
平均の原価率が下がって、より高い利益率を確保できるようになる可能性がある。

一方で、販管費が大きく上がりそうな要素はないため、
原価を抑えて捻出した費用で「目玉商品」を投入できるかもしれない。

利益を重視する場合は前者を、集客を重視する場合は後者を選ぶことになるだろう。
仮に後者を選択した場合、ファミレスにとっては、大きな脅威となるに違いない。

ファミレスには、商品開発力などで「一日の長」があり、
顧客満足面でファミレスがすぐに回転寿司チェーンに後れを取ることはないだろう。

しかし、価格や品質、品ぞろえなどを総合すると、
回転寿司チェーンは、決して引けを取らないと筆者は考えている。

回転寿司の“ファミレス化”は、今後も止まらないのではないだろうか。

ファミレス各社は、回転寿司を「しょせん、真似(まね)ごと」などと軽く見ていては、
足をすくわれ、市場を奪われかねない。

ファミレス側にも、商品開発の努力や、お客を喜ばせる仕掛け作りが求められる。
業界の垣根を越えた「外食産業の大競争時代」の幕開けも近いかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行などを多くした。
          

私は記事を読み終わった後、回転寿司の各社は切磋琢磨された企業努力で、
それぞれの回転寿司の店には、多彩な食物の新種が出されていることに驚いたりした後、
溜息を重ねながら、微苦笑をさせられたりした。

私は年金生活の73歳の身であり、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。

或いは私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
根がケチの為か路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりしている。

           

私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物に関して、
自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

我が家は朝のひととき、家内が新聞に添付されているスーパーのチラシを見た後、
赤のサインペンで丸印を付けたりする・・。

やがて私は手渡されて、赤丸が付いたのが本日の買物の対象品であり、
そして私が店内で魅せられた品を追加するのが、我が家の鉄則となっている。

平素はスーパー、専門店で買い求めた食品を、その日に応じて家内が料理してくれるので、
私は家内と共に談笑しながら、食べたりしている。
このような状況で、我が家は外食が少ない家庭と思われる。

こうした中で、家内は女性の身であるので、私はスーパーの買物の帰路、
コンビニに寄り、家内の好みのスイーツをふたつばかり買い求めて、帰宅する時もある。

或いは我が家より遠くに住む家内の母は、要介護の身となり、
家内は家内の妹とお互いに日程を調節して、家内が担当した期間には家内の母宅で孤軍奮闘している。
こうした時は、私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしている。

こうした時の私の食事に関しては、平素と殆ど変わりなく食べたりしているが、
夕食用として家内が準備してくれた料理を主体に食べたりしている。

そして4泊以上になる時は品切れとなり、
私がスーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて

食べているのが実態となっている。

          

3週間に一度ぐらい、家内に誘われて、その時に応じた最寄駅の付近で買物した中で、
私たち夫婦は昼食代わりに外食をする時もある。

私は家内の要望に応じて、食事処を選定する。
たとえば、『とんかつ』、『焼肉』、『牛たん』、『寿司』、『ラーメン』、『ステーキ』、
『タイ料理』、『イタリアン料理』などの専門店が多くなっている。

或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物した時は、
少しおしゃれな食事処を利用をしている。

そして年に何回か、私たち夫婦は国内旅行を遊学する時は、旅先で特徴のある食事処を賞味したりしている。
こうした中で、たとえば羽田空港を起点する時は、
家内は少なくとも発送時間の一時間半前に到着しないと安堵できない習性のある。

こうした時は、5年前の頃までは、人気のある食事処は、待機している御方も多く、
私たち夫婦は食事が終わったら退席し、その後は喫茶店に入店してきたりした。

やがて、それぞれの食事専門店が集約したフードコートを私は知り、
付近には異国の御方も多くいて、旅行ケースが横に置きながら、談笑しながら食事をされていた。

こうした状況を私は学び、これだったら一時間ぐらい居ても・・大丈夫だなぁ・・と私は思い、
これ以来、私たち夫婦は、羽田空港を利用する時は、フードコートを幾たびも活用している。

           

今回の記事に読んだ後、確か3か月前に最寄駅から少し離れた、ある有力な回転寿司店に入店した時、
私は何かと単細胞の身であるので、多彩な寿司以外に、スイーツ、カレーなどを見かけて、
私は驚き、どうしてなのょ、と溜息を重ねたりしてきたので、
こうした回転寿司の各社の背景があったことを学び、単細胞の私は微苦笑をさせられたりした。

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紫外線対策のサングラスの選定、高齢者の私は改めて学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2018-04-22 16:32:30 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
本日の午前中は、家内に誘われて、徒歩15分ばかり歩いたホームセンターで買い物、
そして帰路にスーパーに寄って買い物をして帰宅した。

何かしら初夏のような陽気となり、陽射しが燦燦と照らす中を歩き、
私は半袖のスポーツシャツ、夏の帽子、サングラスの容姿で、
家内はワンピースに日傘を差して、歩いたりした。

『今から・・こんなに暑くなって・・この先が思いやられるょなぁ・・』
と熱さに苦手な私は、家内に苦笑しながら言ったりした。

やがて帰宅後に、日本気象協会の公式ネット【tenki.jp】を、ぼんやりと見ている中、
『 紫外線対策 ── 間違ったサングラスを選んでいませんか? 』と見出しを見たりした。

          

私は3年前の晩秋、白内障の手術をした後、手術前は酷い近眼であったが、
視力が1.0前後となり、驚きながら高校一年生より55年ぶりに
メガネから解放された歓びで、
人生観が変わるよなぁ、と微笑んだりしてきた。

          
そして昨年の三月、まばゆい春の陽射しを受けている中、
紫外線の実態を学び、やはり遅ればせながらサングラスが必要だ、と私は気付いたりした。
             
そしてUVカットのサングラスの中で、紫外線を1%しか通さない紫外線透過率1%を、
平素用は薄いサングラス、都心に外出する時は少し濃いめのサングラス、
ふたつ選定して、これ以来まばゆい陽射しの中を歩く時は愛用している。

          

こうした深情を秘めた私は、やはり紫外線対策のサングラスの選定に気になり、
改めて学ぼうと思い、記事を精読した。

この記事は、日本気象協会の公式ネット【tenki.jp】に於いて、
女性の近藤澄代さんが綴られ、お肌のことも気配りした多くの御方に優しい記事であり、
2018年4月21日に配信され、無断ながら大半を転載させて頂く。

《・・紫外線対策 ── 間違ったサングラスを選んでいませんか?
過ごしやすい陽気が続いていますが、徐々に暑くなり、日差しの強い日が多くなってきました。

外に長時間いる日は、顔や体にクリームやスプレーなどで、
しっかりと紫外線対策をしている人は多いはず。

でも、つい忘れがちなのが目の紫外線対策です。
目からも日焼けをすると言われていますから、保護するためのサングラスは必須です。


でも、そのサングラスの選び方、間違っていませんか?

目を守る効果的な方法をご紹介します。

           


☆日焼けには2種類ある

赤くなる日焼けの後、肌を守るのがメラニンです

日焼けには、2つの種類があることをご存じでしょうか。
ひとつは「サンバーン」、もうひとつは「サンタン」と呼ばれます。

●サンバーン
屋外で紫外線を浴びている時、比較的すぐに皮膚が赤くなってヒリヒリする状態や、
さらに悪化して、水ぶくれができたりするような日焼けのことを「サンバーン」と言います。

皮膚にとっては、やけどと同じ状態です。
24時間後をピークに、2〜3日続きます。


●サンタン
サンタンは、サンバーンによって焼けてしまった肌が、
数日後から少しずつ肌が黒くなる現象です。

体が日焼けをした肌を守るために、メラニン色素を出して守ろうとするのです。
サンタンは、数週間から数カ月は肌の黒さを保ち、その後、自然に元の肌色へ戻ります。


つまり、サンタンは紫外線に対する防御反応です。
肌が黒くなることは、美白を意識する女性にとっては嫌なことかもしれませんが、
肌が黒くなることで紫外線から細胞を守っているわけですね。

           


☆目の日焼けとは?

サンタンが起こるメカニズムです

サンタンが起こるメカニズムです

近年、目から日焼けをするという話をよく聞きますが、
そのメカニズムはどういうことなのでしょうか。


ビーチや雪山などの野外で太陽を直接浴びていると、目にも強い紫外線が当たります。

すると、脳が「目に有害な紫外線が侵入してきた」ということを感じて反応し、
「メラニンを作って体を守れ!」という指令を出します。


指令を受けたメラニン色素は、皮膚の細胞に入って紫外線を吸収、
サンバーン(皮膚の火傷)を防ぎ、肌をダメージから守ろうとします。


その結果、肌に直接紫外線を浴びていなくても、
メラニンを作ろうとしてしまうので、シミやそばかすが生じる原因になってしまうのです。


日焼け止めを塗ってお肌の紫外線対策をしていても、
目は無防備のままでは、せっかくのケアが半減してしまいます。
目に紫外線を受けると、体の内部でも防御反応が起こることを覚えておきましょう。

           


☆大切な目を守るために

コンタクトやメガネでも紫外線カット仕様がおススメ

大切な目を守るために、外出するときには、次のいずれかを利用して目の紫外線対策を行いましょう。
・ サングラス
・ 紫外線カットのメガネ
・ 紫外線カットのコンタクト
サングラスは選び方を間違えると、かえって目のためにならないことがあるので、注意が必要です。


●サングラスは薄めの色を選ぶ

サングラスを選ぶ場合、レンズの色が濃いほうが、
紫外線対策に効果があるようなイメージを持っていませんか? 

外からは瞳が見えないので、目を覆って紫外線をブロックしてくれるように見えますが、
実は反対です。


濃い色のサングラスをかけると、暗い部屋に入った時と同様によく見えないため、
目は光を多く取り入れようとして、瞳孔を大きく広げて見ようとします。

すると、せっかくサングラスをかけていても、
目に紫外線を多く取り込んでしまうという、逆効果に。


サングラスを選ぶ場合は、なるべく薄い色のレンズがおススメです。



●紫外線カット機能の確認をする

さらに、サングラスを選ぶ場合のポイントは紫外線カット機能です。

「紫外線透過率」、「紫外線カット率」など、メーカーなどによって違う表示がされていますが、
なるべく紫外線カット機能が高いものを選びましょう。


また、紫外線カット機能は永久ではありません。
何年も前から使っているサングラスなどは、注意が必要です。
レンズにキズがついていたりしないか、確かめてから使ってくださいね。

          

お肌にも目にも紫外線対策を!

── 人間の体には防御システムが備わっているので、
通常の日常生活で紫外線を浴びても、目には特に問題ありません。


ところが、長い時間、強い紫外線を浴びてしまうと、
「充血」や「ドライアイ」、「眼精疲労」などを引き起こしたり、病気になるリスクも高くなります。


このようなことを避けるためにも、屋外で長時間を過ごす場合は、
紫外線カット機能がついたサングラスなどで、目を守るようにしましょう。

目になるべく強い紫外線が入らないように工夫をすることも、美肌作りのひとつです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

          

私は3年前の晩秋に白内障の手術後、まもなく眼を保護して乾燥を防ぐ『ヒアレイン』点眼液を、
一日二回を点(つ)けてきた。

こうした中、熱い陽射しを受けながら歩き、デジカメで写真を撮ったりする時だけは、
サングラスを外して、過ごしたりしてきた。

こうした事が原因か判らないが、
過ぎし昨年の7月下旬の朝、右眼が赤ぽっく充血してしまったが、
私はドライアイになりやすい傾向で、朝、昼、夜・・一日三回と医院長から指示されて、
一週間後は、解消して微笑んだりした。

いずれにしても眼は大切であり、今回
の記事に於いては、多々教示されて、
特に熱い季節の紫外線対策、改めて私は学んだりした。

そして余談であるが、私は殆ど毎日歩いているので、
家内より日焼けしているわょ、と私は3月頃から言われたりした。

そして私は洗面所で顔を見ると、日焼けした顔立ちを見て、
クロちゃんだねぇ、と微笑んだりしてきたが、今回の記事で原因も教示され、
今回のひとつの記事で、日焼けの原因と種類、そしてサングラスの選定、ふたつも学んだ、
と私は微笑みを重ねたりしている。
 
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70代は人生の「黄金の10年」、つたない半生を歩んだ私でも、瞬時に賛意を深めて・・。

2018-04-21 14:30:09 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。
 

私の午前中の殆どは、年金生活を始めた当初から、平素の買物ぐらいは担当をする、
と家内に宣言して、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店に行ったりしている買物メール老ボーイとなっている。

或いは最寄駅まで15分前後を歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたり、
ときには本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。

やがて買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

          

やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、早や14年生となっている。


こうした中、我が家の私たち夫婦の両親は、家内の母だけとなり、遠い地に独り戸建に住んでいる。

ここ4年、家内は家内の妹と交互に、介護に泊りがけで行く日もある。
こうした時は、我が家は私が『おひとりさま』となっている。

そして時折、小庭の手入れをしたり、年に数回は家内との共通趣味の国内旅行を重ねている。

          

たまたま昨日、家内から今日は買物は結構ですわ、と私は言われて、
我が家より徒歩で45分ばかり野川の遊歩道を遡(さかのぼ)ると、
『深大寺』があり、隣接した所に都立の『神代植物園』があり、私は独りで向かった。

やがて『神代植物園』の園内を歩き廻ったりすると、数多くの70歳前後のご夫婦、
或いは女性グループ、そして独りの男性、女性が、花木、花を鑑賞されたり、
散策されたり、休息所で私は見かけたりした。

そして中には、80歳前後と思われるご夫婦、或いは独り歩きの女性も、
数多く見かけたりした・・。

私は園内を一時間半ばかり歩き廻り、少し疲れを感じ、
大きな樹の下に、木のベンチがあり、私は腰を下ろしたりした。

そしてペットボトルの煎茶を飲みながら、ぼんやりと前景を眺めていると、
過ぎし2017年3月15日に総合教養雑誌『サライ』がネットで配信された記事の中に於いて、
70代は「黄金の10年」、一章が脳裏から舞い降りてきた・・。

          

《・・子育てや親の介護といった困難を乗り越えた安心感もあり、
幸福感は70代に入ってからも上昇し続けます。
生活の自由度が増し、夫婦関係も心地よく、良い意味でお互いを頼りにする年代です。

老いを実感する瞬間は、たまにあるかもしれませんが、日常のほとんどのことは支障なくこなしていけます。
その上で「円熟期」に入った手応えがあれば、老化に対する漠然とした不安に悩むことはないでしょう。

祖父母としての務めを果たしたり、ボランティア活動をするなど、目的意識を持つことが、
この世代の幸福感につながります。
             
豊かな人生経験に裏打ちされたあなたの意見や考えに、多くの人が耳を傾けるでしょう。
あらゆる場面で意見を求められるかもしれません。

その反面、若い時に加齢への偏見が根付いている人は、
自らの偏見が自分へ向かい、老人性うつ病のリスクが高まることもあります。

その他、一般的な幸福度は健康の問題に直結し、健康管理ができる環境や信頼できる医師がいるかどうかで、
生活の満足感が左右されます。

健やかに長生きする秘訣は、自分のライフスタイルに目を配り、見通しを持つことです。
刺激を求めたり、人づきあいや親密な触れあいを持つことで、余生はいっそう楽しいものになります。・・》

こうしたことを思い重ねると、確かにそうですよねぇ・・と賛意を深めたりした。

          

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受して、早や14年目となっている。

          

   
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くの御方は60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈したりした。

私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

そしてここ数年、団塊世代の諸兄諸姉の一部には、70代を迎えられ、
私は70代こそが、体力の衰えを実感させられながらも、
それぞれの御方なりに深みのある日々が過ごせますょ、と共感を重ねている。

          

こうした中で、私は団塊の世代に関しては、
過ぎし2006年〈平成18年〉8月下旬、年金生活丸2年を迎えようとした時、
山口文憲(やまぐち・ふみのり)さんの著作『団塊ひとりぼっち』(文春新書)を読んだりした。       

その後、三浦展(みうら・あつし)さんの著作『団塊格差』(文春新書)を読んだりした。

そして不運にも生活に困窮される御方、或いは充実感のない御方の実態は学んだり、私の知人もいるし、
すべて団塊の世代の御方が、バラ色とはいえない人生を過ごしている御方も少し知っている。。  

          
   
私は今年の9月の誕生日を迎えると、恥ずかしながら74歳となる。

過ぎし年にゴールデン・イヤーズと称される60代を卒業し、
定年退職をするまで、何かとつたないサラリーマン航路を歩んだ為か、
我が人生として、予測した以上に安楽な期間を享受できたりしてきた・・。

そして70代を過ごし始めると、ときには60代の日々に愛惜を重ねたり、
これから到来する日々に期待を膨らましたり、微笑んだりしている。

或いは、ときおり物忘れもあり、やむなく人生は気合だ、と自身を叱咤激励をしりしてきた。

こうした中、70代を迎えてからは、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるようにと願いながら
プラス思考で過ごしているのが実態となっている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

          
       
こうした中、私と同世代の御方が、不運に大病されて亡くなわれた御方は、
私の友人、知人にも8名いたり、或いは大病で入院されている御方もいる。

私はそれぞれの御方がこの世を去る御歳は、確かに日頃の自助努力も大切であるが、
こればかり神様か仏様の采配に寄るものだ、と友人や知人の御通夜、告別式に参列して、
うなだれながら思い深めたりしてきた。

しかしながら長寿社会の今日、殆どの70代の御方は、身体の衰えを実感しながらも、
溌溂と日々を過ごしているのが実態と思えて、私なりに70代の仲間として、
ときには友人、知人と談笑したりして、何かとプラス思考の私は楽しい日々を享受している。

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僧侶の高齢化に伴い、多事多難なことが発生している実態、私は学び動顛させられて・・。

2018-04-20 17:01:24 | ささやかな古稀からの思い

先ほど、ときおり愛読しているネットの【NEWS ポストセブン 】を見たりしている中、
【 僧侶の高齢化が問題に 戒名忘れ・担架運ばれ・故人の不倫暴露 】と見出しを見て、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年4月27日号
に掲載された記事のひとつであり、
関連の【NEWS ポストセブン 】に2018年4月19日に配信されていた。

私は読みながら、不謹慎ながら微苦笑したり、微笑んだりしてしまい、やがて真摯な事情を学び、
多々教示させられた。

こうしたことは社会の難題であり、多くの御方と共有致したく、あえて無断ながら転載させて頂く。

       

《・・僧侶の高齢化が問題に 戒名忘れ・担架運ばれ・故人の不倫暴露

母の葬儀に現われた80代の住職の様子がどうもおかしい。

時に数十秒にわたる長い沈黙が続く。
うっかりや滑舌の問題でなく、どうやら思い出せないところがあるらしく、
挙げ句の果てには、読経を飛ばしているようだ。

疑念が確信に変わったのは、法話の段になって亡くなった母の戒名を間違えた瞬間だった──。

       

住職の高齢化が大きな問題となっている。
日本最大の寺院数を誇る曹洞宗が2015年に行なった「曹洞宗 宗勢総合調査」によれば、
60歳以上の住職は全体の53%を占め、10年前から9%アップ。
男性住職を見ると、70歳以上はいまや約25%を占めている。

冒頭のエピソードは今年1月、清水忠夫さん(62・仮名)が
86歳で亡くなった母の葬儀で、喪主を務めた際の出来事だ。

「読経途中には、舟を漕いでいるようにも見えました。
祖父の代からお世話になっていた住職で、しっかりした方だったのにお年でしょうか・・・
まさか肝心の戒名まで間違えられるなんて、母もかわいそうで」(清水さん)

同じような事例が近年、各地で急増しているという。

仏教界に詳しいジャーナリストで、現職の浄土宗僧侶でもある鵜飼秀徳氏が話す。
「仏教界ほど高齢化が進んでいる業界は、あまり見当りません。
80代や90代でも、葬儀や法要に出ている住職は珍しくない。
そのため頭や体の衰えに伴うトラブルが増え、問題となっています」

足腰の衰えから、斎場に入る途中で、転倒した70代の住職のケースでは、
「起き上がれなくなって、担架が運び込まれる事態になり、
遺族がほったらかしにされた」(都内の寺院関係者)という。

高齢住職がリタイアしないのは、“住職には定年がない”ことが大きい。
檀家も経験が長く、位が高い僧侶をありがたがるため、
住職が引き際のタイミングを逃しやすい面もあるという。

       

◆法話で愛人の存在を暴露

トラブルの中には、“ハプニング”と片付けられないケースも。

故人と生前から親交の深かった78歳の住職が、法話中に「愛人」の話を始めたというのだ。


「“愛人がいた”といったレベルではなく、
馴れ初めから逢い引きの際の決め事など、生々しい内容を話し続けるのです。

喪主の奥さんは、卒倒寸前。
参列者もざわつき、気まずい空気が斎場を覆いました」(中部地方の葬儀会社関係者)

法話を終えると、遺族が住職を問い詰めたが、ニコニコして悪びれた様子は微塵もない。
怪訝に思い、付き添いの者に質すと、“住職は軽度の認知症で・・・”と困り顔で話したという。

大阪市にある西山浄土宗・泰聖寺住職の純空壮宏氏が語る。
「認知症の住職が、葬儀や月命日のお参りなどを忘れたという話をよく聞きます。
高齢の住職がお墓への納骨日を忘れたケースもあります。

当日、遺族がお寺に着いても、住職は出掛けてしまっていて連絡がつかない。
遠方に住む遺族は、出直すわけにもいかず、仕方なく墓地の管理人がお経のCDを流したそうです」

トラブルが絶えない背景には、「後継者不在」も影を落としている。
代わりがいないため、檀家はハラハラしつつも、高齢住職に任せるしかないというわけだ。

       

『心が軽くなる仏教とのつきあいかた』などの著書があるファイナンシャルプランナーの勝桂子氏が話す。
「住職の半数以上は、平均年収が300万円以下で、専業で成り立っているのは4割程度。
檀家は減る一方なので、後継者を無理に探さないなど世代交代できないお寺も多い。
後継者や副住職もいない、“ひとり住職”のお寺が増えている」

自分が現役引退すれば、廃寺となりかねないため、体が動く限りは頑張る道を選択するが、
葬儀や法事を頼んだ遺族にとっては、“トラウマ”になることもある。・・》

注)記事の原文、あえて改行を多くした。
       

私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
分家のような形で、実家の近くに住んでいる。

しかしながら実家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、
たまたま私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りとなる。

いつの日にか、私たち夫婦が亡くなった後、長兄の子供である甥っ子ふたりに何かと面倒をかける、
と思いながら、長らく躊躇(ためら)ってきた・・。
           
やがて
私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
いずれも永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。

       

そして葬儀に関しては、私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、
和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、とここ15年ぐらい言ったりしている。

私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。
こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。

私はサラリーマンを定年退職し、早や13年半が過ぎた年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできたりした。

こうしたことで、遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。

そして私の生家(実家)は曹洞宗なので、やはり生家(実家)の墓地のある寺院の方に読経して頂くが、
通夜、告別式の5分ぐらいの簡略なお経でよい、と思ったりしていたが、
これらを省略しても差し支えないと思ったりする時もある。

こうした私の思いは、葬儀、墓地にも寺院には、わずかに影響すると思われるが、
今回の記事を読み、寺院が衰退していく事情を真摯に学んだが、
私の諸事情もあり、勘弁して欲しい、というのが本音となっている。

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スマホばかり頼る人は、脳を使えていない理由を学び、恥ずかしながらスマホも使えない私でも、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-04-19 16:08:48 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【東洋経済オンライン】を見ている中で、
『 スマホばかり頼る人が脳を使えていない理由  』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であり、
恥ずかしながらスマホと省略されているスマートフォンも使えない時代遅れであるが、
どういうことですか・・と思いながら好奇心に負けて、精読してしまった・・。

この記事は、「脳の学校」代表の
加藤 俊徳 ・医学博士の寄稿文であり、
【東洋経済オンライン】に4月17日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

       
 

《・・スマホのおかげで、日々の生活が格段に便利になった。
一方で、スマホが私たちの脳に与える好ましからざる影響も注目されつつある。


ケータイが出てくる前は、電話をかけるときも、相手の電話番号を憶えていたりしたが、
今は、自分で電話番号など記憶しなくなった。
脳の記憶をつかさどる部分を使わなくなったのだ。


スマホのアプリの乗換案内は便利だが、乗り換えの順番や路線図を頭の中で描いたり、
途中駅の風景を想像することがなくなった。

また、レストランへ行くとき、最初に行き方をスマホで、
チェックしてから行かないと、単純なことでも難しく感じてしまう、という経験はないだろうか?
これらの例はみな、脳を使わなくなってきたという具体例である。

       

■聴覚系部位は人間の脳の根幹

問題は、この中でも「聴覚系をつかさどる部位」を使わなくなり衰えていることだ。

脳というのは、聴覚系や視覚系、思考系といったように、部位によって働きが違う。
ところが、現代人のようにテレビやスマホばかり見て、脳の成長が視覚系に偏ってしまうと、
脳全体の成長バランスが悪くなって、日常生活の多くの場面に支障をきたしてしまう。


視覚が優位になった場合、どうしても聴覚がなおざりになってしまう。
聴覚系は、理解系や記憶系と密接な関係にある非常に重要な脳の部位。

聴覚系の働きが阻害されると、わたしたちは物事をきちんと理解し、記憶に基づいて行動できなくなる。

逆に、きちんと聞くことができるようになると、
脳の各部位が鍛えられ、それをきっかけにさまざまな脳の部位を偏りなく、広く使えるようになる。

だからこそ、聴覚系の脳部位をないがしろにしてはいけない。
その意味で、聴覚系こそ人間の脳の根幹をなすと言っても過言ではない。


拙著『脳を強化したければ、ラジオを聴きなさい』でも詳しく解説しているが、
現代人は耳で他人の生の言葉を聞く機会が激減し、どんどん「自閉化」している。

他者との交流時間が不足し、コミュニケーション能力が低下して
「自閉化=非社会化=共同体からの疎外」が進んでいる。


この原因の多くはテレビやパソコン、スマホを見てばかりで、視覚優位の生活環境になっていることだ。
その意味で、現代人は、映像・文字情報に頼りすぎており、
「聞くこと」よりも視覚に引っ張られる、「テレビ脳」、「スマホ脳」になっている。


その中でも最も危険なのが「スマホ脳」だ。
視覚系が優位になると、聴覚系の活動は半減する。

スマホはテレビ以上に、主体的に「見る」というよりも、
受動的に「見せられている」状況をつくりだす。

視覚系は、聴覚ほど脳の各部位をバランスよく活性化させることはできない。
これが、脳の理解系や思考系の活動をも著しく低下させる。

加えて、スマホは、外部記憶装置そのもので、人の海馬をやる気にさせない。
出番のない海馬は、記憶しようともしなくなる。

その結果、前後の記憶が飛びやすくなり、注意散漫や物忘れが頻発する。
スマホ脳で意識が飛びやすいことは、歩きスマホをしている人が
他人や物にぶつかりやすいことからも、容易に想像できる。

       


■聞く力が弱い人は問題も多い


あなたの周りには、こんな人はいないだろうか? 
これらはみな、聴覚系が劣っている、あるいは未発達な人たちである。

(1)人の話を聞かない

(2)怒りっぽい

(3)相手の気持ちを察することができない

自分だけ一方的にしゃべって、人の話を聞かない人。
聞く力は、右脳と左脳の両方にあるが、こういう人は、右脳の「聞く部位」が働いていないことが多い。

自分以外の音に、注意が向かない、こういう人は脳画像を見ると一目瞭然だ。

また、人が話をしているとき、話を聞かず、自分が次にしゃべることばかり考えている人も、
やはり聴覚系と直結している記憶系が劣っていることが多い。

怒りっぽい人。
こういう人は、家族や同僚に対して、つねにイライラを抱えている。
しかし、実は相手を理解する以前に、そもそも相手の話をちゃんと聞けていないケースが多いのだが、
本人はそれを自覚していない。

こういう人は、怒りの原因が自分の側にあることに気づかず、
どうにもならない感情を相手や物にぶつけてしまう。

スマホをいじっている人に声をかけると、イラッとした態度になってしまうのは、
聴覚系がかなり劣っているからだ。

       


オフィスの新人にありがちなのが、相手の気持ちが読めない人。
お客様から電話がかかってきても、相手が困っているのか、怒っているのか、
泣いているのか、声から判断・想像ができず、判断をあやまってしまう。

「耳で空気を読めない」のだ。
視覚系優先で生きてくると、こうなってしまうが、実はこういう若者は多い。

ただ、視覚系優位といっても、狭い画面を眼球を動かさず眺める習慣によって、
耳だけでなく、目でも空気が読めない人が急増している。


こんな聴覚系の問題を解決するのが「ラジオ」である。
人の言葉が一方的に流れてくるラジオは、「よく聞く」訓練にはもってこいで、
流しているだけで、聴覚系や理解系の部位が鍛えられる。

ラジオを聴く、という行為は、実はただ耳に音が入ってくるのではなく、
脳が音を選んで聞き続けている行為。
これは脳を強化するトレーニングそのものだ。


さらに、ラジオは声だけで、いろいろと想像する。
これも脳の各部位を刺激してくれる。

ラジオを聴きなれた人は、パーソナリティーのその日の声を聴き、
「あ、きょうは元気がないな」などと判断できる。
「耳で空気が読める」ほど、聴覚系が発達している証拠だ。

       


■「ラジオ脳」があなたを救う


ここで私はみなさんに「ラジオ脳」になることをおすすめする。
「ラジオ脳」とは、聴覚系の部位が高度に発達し、それにより、聴覚系の部位と関係の深い、
その他の7つの脳の部位(記憶系、思考系、視覚系、理解系、伝達系、感情系、運動系)の機能も同時に強化された脳のこと。

意識的にラジオを聴くことで、このラジオ脳を手に入れることができる。


また、私がおすすめしたいのが「ながらラジオ」。
「ながらラジオ」は、聴覚系の部位とその他の部位を同時に刺激し、鍛えることができる。

たとえば、料理や掃除などの家事をしながら、ラジオを聴いてみる。
この場合、ラジオの音声を耳の器官で感受して聴覚系を使い、
体を動かすことで運動系を同時に使っていることになる。


まさに、聴覚系と運動系の部位を同時に鍛えているわけだ。
あるいは、ラジオのスポーツ中継や、ドラマ、スタジオ外からの実況レポートなどを聴きながら、
その光景を想像してみてはどうだろうか?

この場合、聴覚系と視覚系の部位を同時に働かせていることになり、
これもまたふたつの部位を鍛えていることになる。


脳というのは非常に正直で、使えば使うほど、鍛えれば鍛えるほど、成長する。
だから、脳トレは何歳になっても、始めるのが遅すぎるということはない。

その脳トレの中心にくるのが「聞く力」、聴覚系の鍛錬。
それがラジオで簡単に、そして有効にできる。・・》

注)記事の原文、あえて改行を多くした。

       

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。
 

私の午前中の殆どは、年金生活を始めた当初から、平素の買物ぐらいは担当をする、
と家内に宣言して、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店に行ったりしている買物メール老ボーイとなっている。

或いは最寄駅まで15分前後を歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたり、
ときには本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。

やがて買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

このように私は午前中の大半は、小庭の手入れ、冠婚葬祭、懇親会、或いは家内と共に国内旅行、
そして家内が買物をする時は、ボディガード兼荷物持ちをする以外は、殆ど毎日している。
 

                                
      
やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、早や14年生となっている。

ここ数年、私はネット、スマホ、バソコンなどを一日の大半を使うと、
深く考える思考力の低下となり、やがて人の能力が劣化すると私は学んできた・・。
そして私は、これ以上に思考力の低下は困苦するので、バソコンに触れる時間を減少させてきた。

今回の記事を読み終わった後、《・・スマホばかり頼る人は、脳を使えていない・・》ことに、
スマホを使えない私でも、そうですよねぇ・・
と同意をしながら、微苦笑をしたりした。

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時代遅れの私、生まれて初めてスマホに触れ、戸惑いながら、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-04-18 14:51:34 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、我が家はインターネットに関して、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。

そして私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら一昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

私はフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。

                      

私は知人、友人とは我が家の固定電話、
或いはパソコンの電子メールで交信し、不自由を感じたことはなく、過ごしている。

日頃の私は、新聞、雑誌を読んだり、テレビの番組を視聴したり、
その上にネットで多彩な情報は、固定のパソコンで充分であり、情報であふれて、
選定に困苦するくらいである。

こうした中で、私たち夫婦には子供に恵まれなかったので、息子、娘もいなく、
もとより孫もいない身であり、緊急性のある連絡事項は少ないのが実態であり、
このように必要に迫られることなく、結果的には情報機器に時代遅れとなっている。

このような事情で、私は携帯電話、そしてスマホも、覚えようとする努力もなく、
今日に至っている。

         

こうした中、過ぎし日の4月5日より私たち夫婦は、
沖縄本島の北西部地域にある名護市にあるホテルに6泊7日で、周辺を遊学した。

そして大型施設に入館すると、日本語、英語、中国語、韓国語に順にアナウンサーされて、
世界の主要国から訪れていることに実感させられたりした。

平素の私たち夫婦は、ときおり都心のシティホテル、街、公園、国内の旅先で、異国人から話しかけられ、
私は英語の単語をたどたどしく並べて、身振り手振りで応対していた状況を、
家内が傍で見かけて、家内は私に、外国に行ったら頼りにならないわ、と信頼が失墜しているのが実情となっている。

私としてはサラリーマン時代に、会社として台湾、その後はハワイに旅行で遊学したが、
特にハワイの時は、オプション・ツアーで独りぼっちで、やはり身振り手振りで英語の単語をたどたどしく、
微笑みながら対応したりしてきた。

このような事情もあったりしたが、私たち夫婦として、異国の海外旅行に行ったことのない稀な夫婦となっている

そして気楽に日本語が通じる国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

         

今回の旅で、私たち夫婦が、パンのクロワッサンの形に似ている水納島(みんなじま)に、

9日に訪れた時、たまたま往還の定期船、『水納港』待合休憩所で見かけた女性ふたり連れであった。

そして英語の単語しかわからない私でも、この女性ふたり連れは、
風にながれて聞こえてきたのは、スぺイン語とわかったりした。

ひとりの御方は、メガネをかけて黒髪のセミロングで理知的な容貌をされ、

もうひとりの御方は、黒髪のロングヘアーで、30歳前後と思われる美麗な人で、スペインか中南米の美人だなぁ、
と私は少し見たりした。

         

やがて帰路の定期船に於いて、黒髪のロングヘアーの30歳前後と思われる異国の美麗な御方より、
私に近づいて、スマホを私に手渡されながら、たどたどしい日本語で、写真を撮って下さい、
と私は言われたりした。

私はスマホを初めて見て、驚愕しながら、困ったぁ、と瞬時に感じたりした。


そして船べりでポーズをしたお二人を見て、スマホも無知ながら、
何んとか『 picture』と表示された箇所を見つけて、 ピクチャだよねぇ、これだったら写真だょなぁ、
と瞬時に思いながら、このボタンを押した。

        

しかしながら私は少し長く押したらしく、シャターの音が三回ぐらい聴こえた。

そして私は黒髪のロングヘアーの30歳前後と思われる異国の美麗な御方に、
撮った写真を確認して欲しく、『リプレー・・』と言いながら、スマホを返却した。

この後、この異国の美麗な人は、瞬時に写真を確認されて、
私に微笑ながら近寄り、私にも少し画面を見せて、確かにお二人が微笑えんで映っていたので、
私は安堵をしたりした。


このように私は、初めてスマホを触れ、何とかは異国のお二人の女性の願いを満たすことができたが、
時代遅れの私としては、浦島太郎のような心情で恥ずかしく、照れたりしたのが、実情であった。

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ときには小庭の手入れ、体力の衰えた私は昼食抜きで6時間ばかり奮戦しても、あえなく敗退して・・。

2018-04-17 16:52:59 | ささやかな古稀からの思い

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

そして東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。

こうした中、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いのささやかに過ごしている。

我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。

昨日の夕食の時に、私は家内に、『明日(あす)、庭の手入れをするよ・・』と言ったりした。

三週間前の以前には、幾たびか私は小庭の手入れしてきたが、
これ以来さぼったりしてきた・・。

         

今朝、私は6時少し前に目覚めて、やがて家内と朝食を頂きながら、地元の天気情報を視聴したりした。

朝の6時は11度、昼下がりは17度前後、夕方の6時は15度前後、
昨日の晴れ間より一転して曇り空となり、午後の3時過ぎから雨が降り始めますので、
昨日より寒さを感じる日となります・・と報じていた。

私は雨の降りだす前に、小庭の手入れが終わればよいが、と思ったり、
昨日はスリーシーズンのスボーツシャツで買物、散策をしてきたが、
風邪を退くひとを恐れて、御身大切に古びた冬のスボーツシャツを着ることにした。

やがて私は8時少し前に、玄関庭に下り立った・・。

こうした時の私の容姿は、ストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、帽子
ウォーキング・シューズ、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。

そして私は切れ味抜群の鋸(のこぎり)右手に持ちながら、
適度な台に乗り、一時間ぐらい枝葉を切り落としはじめた。

この後は、草むしりに専念したが、樹の周囲の雑草を取るために、
幾たびか這(はい)つくばっていると、少し泥だらけとなったりした。

しかしながら熱さが増す夏季には、たらたらと汗が吹きでて、
泥だらけ汗まみれとなったりしてきたので、これより楽だよなぁ、
と感じたりした。

こうした中で、私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、
ペットボドルの煎茶を飲み、5分ぐらい休息としたりした。

そして40代の頃は、55分ぐらい剪定したり、草むしりをして、
5分ぐらい休憩で奮戦していたよなぁ、と私は苦笑したりした。

         

この後、ぼんやりと今年の春は足早に過ぎている、
と我が家の近くにある野川の遊歩道を散策すると
実感させられたことを思い重ねたりした・・。

昨日いつものように散策していると、華やかな八重桜は最後の彩りとなり、
         

ハナミズキの白い花、そして薄紅色の花が満開となっている。

         

         

そしてツツジは、多彩な品種の花が、満開となり、しばらく私は見惚れたりした。
         

或いはフジの花が咲き、少し早いじゃないの、と驚いたりした。
         

このようなことを休憩の合間に思い馳せたりし、
この後は、私は昼食抜きで奮闘して、草むしりに専念したりした。

やがて私は疲れ果てて、三割ぐらい残してしまったが、家の中で料理をしている家内に、
『XXちゃんさぁ・・疲れたから・・本日はここまでで終わりにするょ・・』
と私は大声で家内に言ったりしたのが、午後2時過ぎであった。
         

    
やがて私は風呂に入った後、遅い昼食とした。

我が家は年金生活をすると、朝夕は談笑しながら家内と共に頂くが、
定年前は私は多くのサラリーマンと同様に多忙で、家内は専業主婦であり、
こうした習性から、年金生活を始めた当初に私は自主宣言して、お互いの束縛することなく自由食としている。

このような関係で、本日の私の昼食は、恥ずかしながら記載すると、
煎茶を淹れた後、ふたつともアンパンで、こしあん、つぶあんを食べたりした。。

そして簡素な昼食後、コーヒーを飲みながら、
今こうして投稿文を綴っているが、けだるさを感じて、やはり齢だよなぁ・・
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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「脳は何歳になっても若返る」、医師が教える「認知症」予防&治療、私は真摯に学び、やがて少しばかり安堵をして・・。

2018-04-16 16:02:19 | ささやかな古稀からの思い

昼食後、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 「脳は何歳になっても若返る」医師が教える「認知症」予防&治療  】と見出しを見てしまった。
 

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
恥ずかしながら70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、

独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。

日頃の私は、 いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受しながら、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。 

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない上、
何よりも自身が自覚できない言動をする認知症は、私は何よりも恐れたりしている。

このような深情を秘めた
私は、どのようなことですか・・と思いながら、
真摯に学びたく記事を精読した。

この記事の原文は、週刊朝日の2018年4月20日号に掲載された記事のひとつで、
【AERA dot.】に於いて4月16日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

          

《・・「脳は何歳になっても若返る」医師が教える「認知症」予防&治療 

 

認知症治療の基本(週刊朝日 2018年4月20日号より)

認知症の根本治療薬はまだないが、進行を遅らせる薬はある。
また認知症は、自分の心持ちひとつで発症を遅らせたり、進行を遅らせたりできる病気でもある。
一方的に怖がらずに理解し、毎日の生活を変えることが大切だ。


【図表】認知症の「薬物療法」と「非薬物療法」ってどんな治療?

         

認知症は、物忘れをおもな症状とした脳の病気だ。
いろいろな原因から細胞が死んでしまったり、働きが悪くなったりすることで
脳に障害が起こり、生活に支障をきたす。

まず記憶障害(物忘れ)が起こり、思考や判断力の低下、会話の途切れや、
見当識が失われる(後述)などといった認知機能の障害も起こる。


認知症の定義は、これらの障害が6カ月以上続き、
社会生活や日常生活に支障をきたしている状態であることだ。


愛知県在住の富永幸子さん(仮名・78歳)の娘は、
久しぶりに会った母親の財布が、
膨らんでいることに気が付いた。

連れだってスーパーで買い物をすると、
小銭がたくさんあるのに、1万円札で支払うそぶりを見せた。
実家の冷蔵庫を開けると、印鑑が卵を並べるところに置いてあった。

         

認知症専門医の遠藤英俊医師はこう話す。

「認知症の診断基準として、
(1)お金(請求書)の支払いができない、
(2)薬の服用が守れない、が指標となっています。

前者は、信用を失ったり、周りの人を巻き込んで迷惑をかけたりし、
後者は、自分の命にかかわったりします。

認知症は、本人や家族の生活に影響を及ぼすからこそ、介護が大変な病気と認識されているのです」


         

現在の日本には、600万人程度の認知症患者がいると言われている。
主な原因となる病気は70種類以上もあり、ほとんどの認知症は
神経変性疾患や脳血管障害が原因のため、進行を遅らせることができても、
根本的に治療をすることはできない。

もっとも多い認知症の原因は、神経変性である「アルツハイマー型認知症」。
また、「脳血管性認知症」や「レビー小体型認知症」も数が多いため3大認知症と呼ばれ、
全体の約90%を占めている。


 プライドが高い富永さんを病院に連れていくために、娘は芝居をした。
「受けたい検査があるの。お母さんも一緒に受診しない?」と。


「病院に行くことを話す際には、その方の心やプライドを傷つけないことが大切です。
家族に対する不信感を抱かせないように注意しましょう。
頭ごなしに説得することは禁物です」(遠藤医師)


認知症を疑ったら、専門医がいる「物忘れ外来」や「認知症外来」を受診する。
一般病院の場合は、神経内科や脳神経外科、老年科を初診に選ぶことが多い。

どうしても受診を拒否する場合には、
各市町村の認知症初期集中支援チームに相談すると、チームメンバーが自宅にまで来てくれるサービスもある。


         

病院ではまず「問診」をする。
付き添いの家族と本人を個別に最近の生活の様子や病歴、服用している薬を聞く。

次の検査は「心理検査・知能検査」。
本人の記憶力や認知機能の程度を調べ、簡易長谷川式認知症スケールやMMSE(ミニメンタルステート検査)をおこなう。

ビタミン欠乏症や甲状腺の機能低下がないか「血液検査」をし、
CT(脳の断面図を撮影し、脳の萎縮や変化を調べる)、
MRI(脳の周りに電磁波を当てて、脳の萎縮を診る)では、
腫瘍や脳梗塞などの病変の有無がわかる。

初期に一定の部位の血流が悪くなるアルツハイマー型認知症は、
SPECT(脳の血流量を調べる)検査をすることで早期診断が可能だ。
検査結果を総合して医師が診断する。


「認知症の根本治療薬はありませんが、認知機能を改善したり、
進行を遅らせたりする薬はあります。

ただ、それらの薬も有効率は3~4割程度なので、薬だけでは限界があります。
認知症の治療は、薬物療法に加えて、適切なケアを提供する、
心とからだによいとされるリハビリテーションをおこなうことが大切です」(同)


認知症の治療は、「薬物療法」と「非薬物療法(脳活性リハビリテーション)」に加えて
「適切なケア」と「なじみの環境」の四つが柱となる。

         

予防に始まり、MCI(軽度認知障害)、中等度から終末期まで継ぎ目なしに診る「フルステージ診療」が
主流になりつつある。

環境が変わると認知症の症状が悪化するため、なじみの環境の維持も重要だ。
また認知症の人は、自分が今いる場所や状況を正しく認識することができなくなる「見当識障害」を発症する。

認知症の進行を遅らせるには、
決まった時間に食事をとるなど時間の感覚を維持させることが大切。

主治医選びは、患者の状態をきちんと把握し、生活指導をしてくれるかがポイントになる。
「主治医によって寿命が変わる」と言っても過言ではない。


         

「脳は何歳になっても若返る」と話すのは、
脳内科医でMRI脳画像分析を専門とする加藤俊徳医師だ。

脳の中には記憶を司る「海馬」があり、
目や耳から入ってきた情報を集めて整理をしている。

アルツハイマー型認知症は、この海馬が萎縮することで発症する。
逆に言えば、海馬を元気にするような生活を送ることが、健康な脳を保つ秘訣である。


「脳細胞の代謝には、酸素が必要不可欠です。
特に海馬は、脳の中でも多くの酸素を必要とします。
深呼吸や瞑想をするなど、新鮮な酸素を豊富に取り入れるようにしましょう」(加藤医師)


ほとんどの認知症は、現在の医学では治すことはできない。
喫煙者は非喫煙者よりも約4倍、糖尿病の人もそうでない人に比べると約4倍、
アルツハイマー型認知症になりやすいといわれている。

要は、生活習慣病を予防・治療することが、認知症予防につながる。
魚や野菜、ナッツ類など、認知症予防によいとされる食材を積極的に取り入れつつ、
バランスのよい食事をすると、脳の働きも活性化する。

脳は、日々の刺激によって変化し成長するので、常に新しいことに興味を持って挑戦する。
熱中できる趣味を見つけて、ストレスフリーになる。


「たばこや深酒をやめて、規則正しい生活を心がけましょう。
新聞を読んだり、いろんな人とコミュニケーションをとったりするなど、
意識して脳を使う生活に変えていきましょう。

適度な運動をおこない、足腰を丈夫に保つことも大切です。
認知症を予防することは、難しくないのです」(同)


知的活動、適切な栄養、適度な運動、社会参加が認知症予防となる。
脳を若々しく保つために、自分の生活を振り返ってみることが大切だ。(本誌・長谷川拓美)


注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
        

回の記事を読み終わった後、特に「脳は何歳になっても若返る」ことを学び、
少しばかり安堵を重ねて、微苦笑をしたりした。

私たち夫婦は、子供ら恵まれなかので、たったふたりだけの家庭であるが、
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、

何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

こうして歩く時の私は、紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりして、記憶のかたみとしている。
             
このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。

        

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は幾たびか重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

     

こうした日常生活をしているので、認知症になる可能性は少ないと思われるが、
しかしながら、この世はまさかの出来事に遭遇することもあり、
認知症だけは勘弁して欲しい、と念願しながら歩く時もあるのが、現状となっている。
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