夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

15年度:公的年金の支給額の確定を知り、やがて年金生活の私は微苦笑を重ねて・・。

2015-01-31 09:02:21 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。


こうした中、昨夕の夕食前、配達された『読売新聞』の夕刊を読んでいたら、
《 年金額伸び率、0・9%に抑制 
     15年度 「マクロスライド」初適用 》
見出しを見て、どういうことなのょ、と私なりに読んだりしたが、
少しボケてきた為か、直ぐに理解できず、私なりに新聞記事を再整理して、何とか解ったりした。

読売新聞の原文を私なりに再整理したのは、下記の通りとなった。
                      

①年金額は毎年度改定され、賃金・物価の変動率に応じて増減する。
 15年度の年金は、過去の賃金上昇率が平均2・3%増だったことをそのまま反映させれば、2・3%増となる。

②しかし、現在の年金額は0・5%分「払い過ぎ」の状態だ。
 「払い過ぎ」は、1999年から2001年にかけて物価が下落したにもかかわらず、
 当時の自公政権が年金額を引き下げなかったことが原因で、今回も適用されるが、
 2015年度で解消され、来年度は無し。

③払い過ぎ解消後の本来の伸びは1・8%で、マクロ経済スライドの0・9%を差し引けば、全体で0・9%の伸び率となる。

④支払われる年金額(モデルの月額)

   2014年   
    国民年金・・・6万4400円
    厚生年金・・21万9066円

   2015年
    賃金上昇分・・・2・3%
      差し引要素・・「払い過ぎ」0・5%
              マクロ経済スライド0・9%
    結果の増加分・・・・0・9%     
       国民年金・・・608円
       厚生年金・・2441円
 
   この結果、4月から、自営業者らの国民年金(満額)は月6万5008円(前年度比608円増)、
   会社員らの厚生年金は、夫婦2人の標準的な世帯で月22万1507円(同2441円増)となる。

   年金は4、5月の2か月分が、6月にまとめて支払われる。

⑤今回、30日に公表した厚生労働省の2015年度の公的年金の支給額は、
 年金抑制策「マクロ経済スライド」の初適用で伸び率が0・9%抑制され、本来の伸びの半分にとどまった。
 年金額は賃金や物価ほど伸びないことになり、4月分から額は増えても、実質的には目減りする。
           


私は『マクロ経済スライド』は、高齢者の増加率や平均寿命の延びで、
自動的に決まる抑制率(調整率)分で、
年金の伸びを強制的に低く抑え、高齢化が進んでも年金を破綻させない制度は、
新聞などで学んだりしてきた。

もとより国民年金、厚生年金、公務員の共済年金などの約4000万人の受給者が適用されて、
2004年に制度ができて、今回初めて適用された。

私は個人的には、「払い過ぎ」とマクロ経済スライドにより、
厚生年金の表面上の絶対支給額は、マイナスになるだろう、と思ったりしてきた。

しかしながら、賃金上昇分が2・3%と知り、表面上は2441円増加と解ったりしたが、
実質的には目減りとなり、微苦笑させられたりした。

その上、総務省が30日に公表した2014年の物価は、前年に比べ2・6%上昇して、
伸び率としては、バブル経済末期の1991年(2・9%)以来、
23年ぶりの高水準、と学んだりした。

このように表面上の絶対支給額は確かに増えたけれど、物価の上昇により、
実質は減少してしまった、苦笑したりした。
          


昨今は年金改革の中に於いて、高齢者の年金を具体的に引き下げられてきた・・。

私としては、感情的になれば、敗戦後の荒廃した日本は、
敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた。

食べるものに困窮したり、衣服も着替えられる余裕も少なく、まして住む家屋は困苦し、
衣食住に困惑した時代であった。

こうした当時、私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の主要国の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であるので、
私は殆どの先代の諸兄諸姉に、学えば学ぶほど、敬愛ざせられてきた。

そして後続する私たちの世代は秘かに学び、やがて団塊の世代も奮闘してきた。

こうした成果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
         
その上、経済地域の大都市と地方の格差はあるが、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、 医療の充実もあり、
主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。

このように日本が経済大国になれたのは、少なくとも高齢者が奮闘した成果であり、
一部の政治家、官僚の舵取りが誤って、失われた20年となり、
借金に頼らず税収で賄える国と地方の基礎的財政収支が悪化したので、
今頃になって高齢者の年金を引き下げるなんて、とんでもない、と私は感じる時もある。
               

しかしながら心を静めて理性的になると、日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

そして年金も現役世代が払う保険料で
高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。

そして周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化し、
ここ10年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となり、
たとえ大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、安住できない時代となってきた・・。

こうした過酷の中で働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、
このように熾烈な状況の中で奮戦している。
       

そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できる。


ときおり、こうしたことを思案したりすると、少なくとも年金の実質減額は、
やむえないなぁ、と私は微苦笑したりしている。

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東京の郊外は、初雪が舞い降り、私は微笑みながら見惚(みと)れて・・。

2015-01-30 11:50:20 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市の住む年金生活の70歳の身であり、
今朝、遅く7時過ぎに目覚め、やがて一階の雨戸を開けると、
雪が降っていて、今年初めての雪だ、と心の中で呟(つぶや)きながら、微笑んだりした・・。

そして8時過ぎに、記念にとデジカメを取り出して、小庭の舞い降る雪を撮ったりした。
       

私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む地域は、
今年は3度ばかり、雪の花びらがわずかに舞うことがあったりした。

こうした時、気象庁は今年初めての雪が降りました・・と報じていたが、
私は幼年期に農家の児として育ち、この時節に幾たびか30センチ前後降ったりしたので、
少なくとも地上に薄化粧したような数センチになった時、雪が降った、と認めるひとりである。

私の住む家は生家にも近く、この地域には結婚前後の5年を除き、
早や65年近く住んでいる・・。
       
        ★ 今回掲載した写真のすべては、午前8時過ぎ、薄化粧したような初雪 ★

私の幼年期は東京郊外の農家の児として育ち、遥か60年前の頃は、
この冬の時節に30センチ前後の雪が降っていた。、

1951年〈昭和26年〉の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。

ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。

家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、ときおり風が吹き、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。

そして駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑も雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。

小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅にあった木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)があり、
この当時のこの地域の村立小学校に於いては、
コークスはもとより、石炭も使用される前の時代であったので、
正方形の中心に簡易に造ったブリキの中で、炭を熾(おこ)してあるか、薪(まき)が燃やされていた。

私たち学童は、この木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)を囲みながら、
衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。

そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と互いに悪口を言い合っていたりした。

下校のひととき、私も番傘でチャンバラの真似事をし、番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。

このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。
                 

その後、1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。

やがて1964年〈昭和39年〉に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
          

こうした幼年、少年期を体験した私は、この時節の寒い時期を迎えると、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。
              

今回、突然の雪は都心は5センチ前後が予測されていたので、
私の地域では7センチぐらい積雪と思われ、午後になると止む、と思われる。

東京の都心は地方の方からすれば軟弱で、10センチ以上降れば、公共の交通機関に支障するので、
今年初めて雪として、公共の交通機関に影響がないと思われ、及第である。
そして学童は雪景色に歓声と共に悦(よろこ)ぶし、高齢者の私でも見惚(みと)れたりしている。

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三寒四温の時節、陽射しの中で散策、ときには布団の中で読書を甘受し・・。

2015-01-29 13:43:10 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は平素の買物専任者で、殆ど毎日のように家内から委託された買物で、
最寄りのスーパーか駅前のスーパー、専門店にメール老ボーイのような責務を果たした後は、
独りで自宅の周辺3キロ範囲の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
       

もとよりこの時節は、過ぎしの5日に『小寒(しょうかん)』を迎え、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、その後の1月20日には『大寒(だいかん)』を迎えて、
一年で最も寒い時期と古来から伝えられている。

そして『小寒』から『大寒』までの15日間、
その後の『大寒』から2月4日の『立春(りっしゅん)』までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。

『寒の内』と称せられる『小寒』、『大寒』そして『立春』までの時節は、
旧暦であるので、今の暦(こよみ)に於いては2月中旬頃から始まると思われるが、
私の住む地域でも寒い時節となる。
       

こうした中で、3月中旬のような暖かい日もあれば、平年より寒い日もあり、
この時節は三寒四温の時節、と遥か千年前の頃から名言されている・・。

私は暖かな陽射しに恵まれた中、遊歩道、小公園などを歩いたりしていると、
この世の最良のひとときを甘受している、と実感したりしている・・。

落葉樹の冬木立を眺めたり、水仙などの花にめぐり逢うと、陶然としながら、
お酒を少し呑んだように心が華(はな)やいでしまう。

世の中の喧騒も遠のいで、時が止まったかのような心情に、なったりする。
そして富も名声にも無縁な私でも、この世に『幸(しあわ)せ』という言葉があったならば、
こうした時かしら、と微笑んだりした。
              

やがて自宅に向かう帰路、ときには♪春は名のみの 風の寒さや・・と心の中で唄ったり、
人影のいない処では、かぼそい声で、この『早春賦」(そうしゅんふ)』の歌を唄ったりする時もある。


ときおりこの時節、小雨の降る寒い日もある。
こうした時の私は、買物お休みの日だ、と家内と微苦笑しながら決めて、
私は居間のガスファンヒーターの暖房に甘えたりしている。

そして私は本を読んだり、音楽を聴いたり、テレビでニュース、ドキュメンタリー番組を視聴したり、
ネットでニュースを見たり、或いはブログ投稿文を綴ったり、
愛読している数多く方の投稿文を読んだりして、人生の微笑みを感じたりしている。

やがて昼食を家内と共に頂いた後、ソファーで本を読んだりすることが多いが、
何かしら布団にもぐった方が専念できると思い、
2階の寝室に向かってしまう。

そして布団にもぐりと、電気敷き毛布で暖かいのである。

寒い時節になると、家内はときおり、暖かさが何よりのご馳走です、と私に言ったりしてきたが、
確かにポカポカした布団の中にいると、この世の最上の恵(めぐみ)である、と実感させられている。
                 

こうした中で私は本を開き、読んだりしている。
たまたま昨日のひとときは、鎌倉文士の亡き里見とん氏の随筆を読んだりしている中、
《・・喧嘩をすれば弁護士の食いもの。病気をすれば医者の食いもの。死ねば坊主の食いもの・・》
と名言を読んだりして、人生の達人のお方だった、と微苦笑したりした。

この後、少し眠ってしまい、いつでも昼寝ができるのは年金生活の特権だ、
と思いながら甘受したりしている。

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ガラケー、スマホに無知な私でも、やさしい利用目的と料金の関係を学び、微笑み・・。

2015-01-28 07:24:54 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、恥ずかしながら私たち夫婦は、ガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えないのである。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンに無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。

このように無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
       

我が家はNTT東日本の管轄下の光ファイバー固定回線を頼りに、
電話は『ひかり電話』となり、たまたま世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住んでいるので、
都内地域の電話配線下となっている。

そしてネット回線は『フレッツ』なり、私はパソコンでネットを日々利用している。
或いはテレビも、アンテナ不要の『スカパー!光』となり、
このように我が家はすべて光ファイバー固定回線の体制になったは、
定年した翌年の2005年(平成17年)の頃からであった。

そして私たち夫婦は、この当時に旅先の北海道の道東地方をめぐっていると、
くまなく道路際には光ファイバー固定回線が配線されていたので、
これからの日本は、光ファイバー固定回線の時代だ、と当時の私は微笑みながら思ったりした。
       

私たち夫婦は、私の妹ふたりと年に少なくとも一度は会食をするが、
15年前の頃から、逢うたびに妹ふたりは携帯電話を持っている。

確か5年前の時、真新しいスマートフォンを妹のひとりから見せてもらい、
『お兄さんと違い、子供たちに連絡したり、お友達とも連絡する時、何かと便利ょ・・
その上、写真も撮れるし、音楽も聴けるわょ・・』
と微笑みながら私に言ったりした。

この後、私は妹のふたりから通信費を教えてもらったりしたが、
それぞれ一万円前後、と教えてもらったりした。

そして私たち夫婦は、帰路の時、家にある『ひかり電話』で不自由していないし、
まして子供や孫もいないのだから・・このような意味合いの言葉を交わしたりした。


しかしながら、周知の通り、この前後の日本でも無線のモバイル情報機器で、
高性能の携帯電話、やがてスマートフォンが急速に愛用されたり、
フェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンが多くの方が使用され、
モバイルの全盛時代となった・・。

私の予測は全く外れて、定年後に多々の理由で年金生活している中で、
少しボケてきてしまったかしら、と苦笑したりしてきた。、
                     

過ぎし年の1998年〈平成10年〉の当時の私は、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めていたが、
この少し前の年の頃から、若手の20、30代の世代が携帯電話を使い始めていたが、
50代の私たちも、いずれは携帯電話を利用しなければ、と思っていた。

この数年前の頃から音楽業界はリストラの烈風となり、
私は1999年〈平成11年〉の初春に、取引先の物流情報会社に出向となった。

勤務した職場は、音楽のCD、DVDなどの商品をソフトの販売店に出荷、返品など取り扱う商品センターで、
私を含めた管理の正社員の5名の基で、契約・パート社員の男女120名前後で対応した。

東京ドームより広い商品センターの中で、連絡事項などはマイクを通して拡声器、もしくは電話などで通達し、
携帯電話も要求されない現場で奮闘し、
この出向先で5年半ばかり勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職時を迎えた。
       

この間の世の中は、多くの方が携帯電話が愛用する時代となったが、
私は定年後の年金生活の中で、何かの機会で覚えればよい、と思ったりしていた・・。

しかしながら私は、携帯電話に興味がなく、今日まで至っているが、
6年前の頃から、私たち夫婦のどちらかが、ボケる前には、
迷子のように、私はどこにいる・・と確認できるGPS機能の携帯電話が必要と思い、
新聞に添付されるチラシの一部に、携帯電話とかスマートフォンの各社の広告が入っているので、
ときおり私たち夫婦は見たりし、思案するばかりで今日に至っている。
       

昨年の初秋の頃、確かNTTグループの会社に於いて、
光ファイバー固定回線を利用している方で、(無線)ガラケーかスマホを組み合わせたサービスを、
半年後の頃に実施すると、新聞などで報じていた。

『これだったら・・光ファイバー固定回線の我が家として、経費の無駄なく、
ガラケーかスマホに加入できるよねぇ・・』
と私は家内に微苦笑しながら、言ったりした。


昨夜、ネットでニュースを見ている中、
《 スマホにかかる料金を月2,000円以下にする方法 》
と見出しを見て、どようなことなのょ、とクリックしてしまった。

そして副題には《「毎月のスマホ代7千円」をなんとかしたい! 》と明記されていた。

この記事は、初めて見る公式サイトの『マネーの達人』に於いて、
編集部ライターの吉見夏実さんが綴られた記事で、1月26日(月)に配信された記事である。

そして読み終わった後、特に前半の記事は、
ガラケー、スマホに無知な私でも、やさしい誰でも解りやすい入門手引書だ、
と私は微笑んだりした・・。
       

無断であるが、この記事の前半の部分を転載させて頂く。

《・・あなたは、スマホの通信費が高いと感じていませんか? 
また、「スマホは高いから」とがんばってガラケーを使い続けていませんか? 
サラリーマンの平均年収はこの15年間で50万円も下がっているのに、
毎月スマホの通信費だけで7千円も払っているのは高すぎると思いませんか?

そこで、今回はスマホにかかる料金を、月2,000円以下にする方法を紹介したいと思います!

★格安SIMカードを使おう

スマートフォンには、SIMカードというものが入っています。
端末のカバーを開けるとmicroSDみたいなモノが入っていると思いますが、
それがSIMカードです。

SIMカードがないと、通話もメールも何もできません。
ドコモで買ったスマホにはドコモのSIMカードが、
ソフトバンクで買ったスマホにはソフトバンクのSIMカードが入っているんですね。

このSIMカードをドコモ、ソフトバンク、エーユー(au)といった会社以外のところのモノに変えるだけで、
通信費を劇的に減らすことができるんです。

それが、最近「格安SIM」とか「MVNO」とか言われてるモノです。
パソコン通信のプロバイダとしても有名なOCNやBIGLOBEなどをはじめ、
さまざまな会社から格安SIMカードが販売されており、これをお手持ちのスマホに入れるだけで、
通信費を下げることができます。
       

たとえばBIGLOBEの場合だと、このようなプランがあります。
・音声通話スタートプラン……月額1,600円で高速データ通信1GBと通話ができる
・エントリープラン……月額1,800円で高速データ通信2GBと通話ができる
・ライトSプラン……月額2,405円で高速データ通信5GBと通話ができる
・ライトMプラン……月額3,738円で高速データ通信8GBと通話ができる
・スタンダードプラン……月額4,690円で高速データ通信10GBと通話ができる

BIGLOBEの場合はドコモの回線を使っているため、
XiエリアとFOMAエリアで使うことができます。

格安SIMの会社によって使っている回線が違うので、
「うちはエーユー(au)の電波が入りにくい」などキャリアによって不都合がある場合は、
自分が使いやすい回線に対応している格安SIMを選べばいいということになります。・・》
注)記事の原文に、あえて改行などをした。
       

この後、関連記事として『スマホの使い方別 自分に合った「格安SIM」の選び方と注意点』
と題された記事を私は読んだりした・・。
http://manetatsu.com/2015/01/39885/
公式サイトの『マネーの達人』公式サイト==>
       1月25日(日):『スマホの使い方別 自分に合った「格安SIM」の選び方と注意点』

この記事も編集部ライターの吉見夏実さんが綴られた記事であるが、
通話とかネットやメールなどのデータ通信の使用量と料金を
具体的に5つのパターン別に明示していたので、
それぞれの利用される人とっては、無駄なく効率が良い、と私は多々教示されたりした。
       

そして私は、外出する時、お守り代わりか、そして万一電話連絡を要した時か、
或いは旅行先でノートパソコンを持参して、ネットを利用する時など、
便利かしら・・と感じたりした。

いずれにしても使用進度の少ない私は、
NTTグループの会社に於いて、光ファイバー固定回線を利用している方で、
(無線)ガラケーかスマホを組み合わせたサービス方式を待つか、
或いは上記のようなプランを利用するか、思案をしたりしている。

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小鳥たちは寒い時節は、懸命に縄張り争いを見て、私は微苦笑を重ねて・・。

2015-01-27 14:18:06 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市の住み、民間会社を2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始め、早や11年生の70歳の身である。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた築後37年の一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの地域に住んでいるが、
小庭には定期便のように小鳥が飛来する・・。

この時節を迎えると、ここ10日前の頃から、
樹の高い処に止まって、何かしら甲高い鳴き声をしたり、別の小鳥は離れた樹で止まり、
やはり甲高い鳴き声をたびたびしている。

昨日の朝のひととき、いつものように小鳥が甲高い鳴き声をしていたので、
『XXちゃんさぁ、小鳥たちが最近・・変に甲高い鳴き声をしていているよねぇ』
と私は家内に話しかけたりした。

『あれは・・小鳥がこの周囲は私の縄張りょ、と宣言している鳴き声なの』
と家内は笑いながら私に言った。

『そうなの・・』
と私は家内から教えられた苦笑したりした。
       

私は小鳥にも無知で、家内は小鳥に関して詳しいのである。

晩秋になると、目白(メジロ)、シジュウカラ、雀(スズメ)が多い、と確か5年前の頃に教えて貰ったことを、
ぼんやりと私は思いだしたりした。

この時は、午前の10時過ぎに、居間で家内とお茶の時間としていた。
私は煎茶で家内はコーヒーであるが、
居間の窓際のテーブルにお盆を置いて、飲んでいた。

モミジの朱色の葉は、わずかに残っているが、小枝に小鳥が2羽が飛んで来た。
『XXちゃん、小鳥が2羽・・いるよ』
と私は小鳥好きな家内に言った。

『あれはメジロです・・』
と家内は言った。

『あれがメジロかょ・・』
と私は言った。

『前にも・・教えてあげましたょ・・』
と家内は微笑みながら言った。

私は雀(スズメ)ぐらいは解かるが、あとはすべて小鳥と称している。
そして恥ずかしながら目白(メジロ)は、確か私の住む調布市の市の鳥と制定されていることを思い浮かべ、
苦笑したりした。
       

メジロの1羽は小枝から小枝に飛んで、何かを啄(つい)ばんでいる・・。

もう1羽のメジロは小枝から枝先の方に移動し、少し身体をよろけている・・。

家内は笑っている・・。

家内に言わせれば、器用に餌(えさ)を啄(つい)ばめことのできるメジロもいれば、
或いは不器用なメジロもいるらしい。

以前も家内から教えられたことであるが、
さしずめ少しよろけたメジロは私に似ているのかしら、と思って私はみつめたりした。

よろけたメジロは、この後はしっかりとした枝に止まり、
先程の動悸を鎮(しず)めているのか、陽射しを浴びたりしていた。
       

このようなことを私は思い浮かべたりした後、
やはり小鳥たちも冬季になると何かと餌不足となるので、この時節に縄張り争いをするのか、
と苦笑したりした。

私は中小業の民間会社を35年近く勤めていたが、
私は殆ど専門職の多い管理畑だったので、社内の後方支援のような立場であり、
上層部の栄進には無縁となったが、出世コースの制作、営業畑の多く人の奮戦を見たりしてきた。

そして派閥のようなグループをそれぞれ作り、意気揚々としたふるまいを傍観していた。
こうした中で栄達された方、或いは敗退して退社された方を眺めたりしてきた。

私は新聞や雑誌などで、何かと無知な官界、政界も同じように、多くの方たちは派閥を作り、
互いに縄張り争いをしている、と学んだりしてきた。

この寒い時期には、甲高い声で鳴く百舌鳥(モズ)が参戦し、
小鳥たちを見ていると、小鳥もよくやるよなぁ、苦笑させられたりしている。

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糖尿病からガン予防、長寿にまで効く!健康に良い“究極の食事法”、私は学び、やがて微苦笑し・・。

2015-01-26 14:19:13 | ささやかな古稀からの思い
東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

今朝、いつものように家内共に朝食を頂いたりした。

私は何かと単細胞の為か、キャベツとニンジンの千切りした盛り合わせを前菜としている。
そしてこの寒い時だけは、電子レンジで少し温めて、愛食している。

この後、五穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、春菊のゴマ和え、
そしてコブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰が、
日々貫徹のように食べたりしている。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』が、
何かと心身の波長に合うのであるので、このような内容が多いのである。

家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、コーヒーを飲みながら頂いている。
       

昼食は蕎麦(そば)或いは素麺(そうめん)が多いが、
私はフランスパンを三分の一、或いはアンパンを食べることもあり、
家内はケーキのような菓子パンを食べたりする時もある。

夕食はキャベツとニンジンの千切りした盛り合わせを前菜とした後、
牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉をその日に応じて、家内の料理してくれた食べることが圧倒的に多い。
そして5日に一回ぐらいは、私はビールかウィスキーの濃い水割りを呑んだりすることもある。

そして私は母親の遺伝と思われるが、男の癖におしゃべりなタイプで、
家内を微苦笑させながら、談笑をしたりするので、夕食は少なくとも一時間を要したりしている。
       

過ぎし2010年(平成22年)の秋に、私は健康診断の結果、糖尿病と診断され、
内科の医師の指導、家内の野菜を多くした料理、そして私はウォーキングをほぼ毎日したりした。

そして翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、
悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はすべて優等生となった。

この後は、4週間毎に定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
        
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。

こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
       

このように過ごしている中、昨夜、私が無料で会員なれるた公式サイトの『ダイヤモンド・オンライン』、
ニュースをよんだりしていた中で、
『 糖尿病からガン予防、長寿にまで効く! 健康に良い“究極の食事法”とは?』
と見出しを見て、どういうことなの、と思いながらクリックした。


この公式サイトの『40代・50代からの健康寿命を考える男の健康』系で、
『アンチエイジング・老化防止』の連載記事のひとつで、
『 糖尿病からガン予防、長寿にまで効く! 健康に良い“究極の食事法”とは?』と題され、
副題として『――食はギリシャの小島に学べ! 』とされていた。

この記事を編集された方は、清野仁與さんであり、無断ながらこの記事を転載させて頂く。

《・・ABBAの音楽も懐かしいミュージカル映画「マンマ・ミーア!」が大ヒット中です。
この話の舞台となっているギリシャの小島は輝く太陽と青い海がすばらしくて、
このような場所で美味しいシーフードを食べながらしばらく過ごせたなら、
間違いなく元気になれそうな気がします。

実際に“健康”の観点からも、この地域は魅力的なのです。

ギリシャの島々を含む地中海沿岸は世界的にみて、心臓病や慢性疾患、ガンの患者数が少なく、長寿の地域でした。
1970年に、最初にこの地域の食習慣と健康の関係が紹介されて以来、
特に1990年代以降、地中海沿岸地域の伝統的食習慣をモデルとした「地中海式食事法」の研究は急増しています。

これまでに「地中海式食事法」のメリットを示す研究成果は数多く蓄積されており、
現在、最も注目されている“究極の”健康に良い食事法の1つといっても差し支えないでしょう。
            

★科学的研究が「地中海式食事法」の健康効果を証明

先日も、地中海式食事法は、脳の健康にも良いことが報告されました。
この米国コロンビア大学の研究では、この食事法を遵守していた人々は、
そうでない人々より、記憶力などが重度に損なわれた状態である軽度認知障害(MCI)のリスクが3割低下して、
さらにMCIがアルツハイマー病に進行するリスクが半減することがわかったのです。

地中海式食事法は、コレステロール値、血糖値、および血管の健康状態を改善することが示されています。
これらの結果として、糖尿病、高血圧、心臓発作や脳卒中などの予防に役立つこともわかっています。

例えば、この食事法への遵守度の最も高い人々は、糖尿病のリスクが8割以上も低下すると、
スペインのナバラ大学の研究者が昨年報告しています。

ガンの予防にも役立つようです。
地中海式食事法への遵守度が高い人々ほど、ガンのリスクが低下することを、
昨年、米国ハーバード大学の研究者が報告しています。

この研究では、研究者が定義したこの食事法を構成する10要素のうち、実行している要素が2つ増加するごとに、
ガンの総合的リスクが12パーセント低下しました。

これらの結果として長寿にもつながるようです。
2007年末に報告された、米国国立ガン研究所の研究者による38万人の米国人を対象とした研究では、
地中海式食事法をしっかり守った人々で、総死亡リスクが2割低下することを発見しています。
       

★「地中海式食事法」の定義とは?

地中海式食事法の研究といっても、実は、その定義には幅があります。
多くに共通しているのは、健康に良い脂肪(主にオリーブ油)、野菜や果物、全粒穀物、魚を食べる、
赤肉はあまり食べないということです。

それでは、“正統な”地中海式食事法とはどのようなものでしょうか。

地中海の食事と聞くと、イタリア料理やスペイン料理のメニューが浮かぶかもしれませんが、
残念ながらピッツアやラザニア、ハモン・セラーノあるいはイベリコ豚を食べるというわけではありません。

「地中海式食事法」は、1960年代のギリシャのクレタ島とイタリア南部の伝統的な食習慣が
ベースとなった食事スタイルです。

ギリシャ保健省と地中海式食事法の普及活動を行なっている米国のオールドウェイズの情報によると、
“正統な”地中海式食事法は大体、以下のように定義できそうです。

1)毎日、野菜や果物、精製していない全粒穀物、乳製品、オリーブ油を食べます。
  乳製品は低脂肪タイプを。野菜や果物はできるだけたくさん食べます。
  全粒穀物は、日本人なら玄米ご飯がお勧めです。

2)週に数回、卵、魚介類および鶏肉などの家禽類、豆類、ナッツ類や種子類、イモ類を食べます。
  最近の研究によれば、魚はたくさん食べたほうが良いでしょう

3)豚や牛のような赤肉料理は、月に1~2回程度、特別な日にだけ食べます。
  ただし通常、ソース、豆やパスタ料理に、より美味しくする目的で“少量”の肉を加えることはあります。

4)赤ワインを適度に飲みます。
  食事と一緒に、男性はグラス2杯、女性はグラス1杯までが適量です。
  ただしこれは必須要素ではありません。

5)精製された砂糖や穀物、オリーブ油以外の脂肪はほとんど食べません。
       

★まずはできることから、そして食事を楽しむこと

まずは、できることから取り入れてみてはいかがでしょうか。
これまでの研究でも、少しでも実行する要素が増えて遵守度が高まれば、その分だけ恩恵も増すことが明らかです。
例えば、お肉を食べる回数を減らすとか、
オリーブ油の代わりにやはり健康に良い脂肪が豊富なキャノーラ油を使用するという方法も考えられます。

実行はお早めに。先送りをしていると健康診断の結果に
「マンマ・ミーア!(なんてこった)」と叫ぶことになるかもしれませんよ。

最後に「地中海式食事法」には、重要な要素として、
「家族や友人とともに過ごす楽しみとしての食事」があります。
良い人間関係と生活を楽しむことが、カラダとココロの健康に役立つことは“科学的に実証済み”です。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
       

私は朝食と夕食の前には、大皿にキャベツ、ニンジンを中心の前菜を欠かせなくなっている。
普通サイズキャベツを四分の一ぐらい千切りし、
その脇に寒い時期以外は、セロリ、トマト、ニンジン、キュウリなどの季節物を大皿に盛り合わせている。
そして婦女子の野菜の盛り合わせの量からは、少なくとも4人前ぐらいかしら、と私は思いながら頂いている・・。


こうした根底には、私は幼年期に農家の児として育ち、その上に遠い30年前の頃に、
今は亡き俳優の森繁久弥さんが、胃腸薬のキャベジンの宣伝に出演していたので、
キャベツの多大な効力を信愛してきたので、こよなくキャベツは盛大に頂いている。

そして朝食の時は、五穀米の入った白米のご飯の量を減らしたい為に頂き、
夕食の時は、何かと牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などが大好きであるが、
食べる量を減らしたい為にも、キャベツ、ニンジンを中心の前菜を頂いたりしている。

こうした中で、魚が少ないので、朝食の時にはシャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰を
食べたりしているが実態となっている。
       

今回の記事を読み終わった後、微苦笑したりした・・。
地中海の《・・1960年代のギリシャのクレタ島とイタリア南部の伝統的な食習慣・・》
と学んだりしたが、もとより風土も文化も違うのである。

私は年に数回、家内を誘いイタリア料理店に寄り、料理の濃厚な風味、ワインの香り、
そしてイタリアの映画や音楽の1950年代、1960年代は好みであり、
訪れていない町、街角の情景も本を読んだり、テレビで視聴したりして、好感しているひとりてある。

しかしながら日本の東京の郊外で70年近く過ごしてきた私は、
平素の料理を食べながら、談笑し、やがて買物したり、その後は散策することが心身の波長に合うので、
残念ながら今回の食べ物の内容には、敬遠したい、と苦笑したりしている。

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三寒四温の時節の中で、ときには東京の郊外は3月上旬のような陽気に恵まれて・・。

2015-01-25 13:59:27 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私は東京郊外の北多摩郡神代村(現在・調布市の一部)に1944年〈昭和19年)の秋に、
農家の三男坊として生を受け、私が今住んでいる近くに生家もあり、
この地域に私は結婚前後の5年ばかりを除き、65年近く住んでいる。

こうした中で昨年の12月頃から平年より寒く、
我が家の小庭の水仙(スイセン)も莟〈つぼみ〉も見えず、白梅(ハクバイ)、そして紅梅(コウバイ)は莟〈つぼみ〉が固く、
平年より数週間は遅れているのかしら、と苦笑したりしてきた。

もとよりこの時節は、過ぎしの5日に『小寒(しょうかん)』を迎え、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、その後の1月20日には『大寒(だいかん)』を迎えて、
一年で最も寒い時期と古来から伝えられている。

そして『小寒』から『大寒』までの15日間、
その後の『大寒』から2月4日の『立春(りっしゅん)』までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。

『寒の内』と称せられる『小寒』、『大寒』そして『立春』までの時節は、
旧暦であるので、今の暦(こよみ)に於いては2月中旬頃から始まると思われるが、 私の住む地域でも寒い時節となる。

こうした中で平年ならば、1月には小庭の片隅に於いては、水仙の花は咲き冬麗の美を感じ、 
                                          
やがて2月中旬には白梅は凛とした純白の色合い、紅梅は華やかな朱紅色の色あいを見せてくれるので、         
早春の美だ、と思いながら毎年過ごしてきたのである・・。


一昨日の23日の昼下りの時は、暖かな12度となったり、3月上旬のような陽気に恵まれ、
南の暖かな風に運ばれて、早春が訪れた、と微笑んだりした。

しかし昨日の24日は、ときおり北風が吹く中、曇り空となり8度ばかりとなり、平年並みかしらと微苦笑したり、
或いは過ぎし日の21日には、朝の9時過ぎから霙(みぞれ)が予告もなく午後1時過ぎまで降り、
その後は小雨が降り、最高気温でも4度ぐらいの寒い一日となったりした。

こうした中で、やはり三寒四温の時節だよだねぇ、と心の中で呟きながら、微苦笑を重ねたりしてきた・・。


本日、10時過ぎに買物に行ったり、その後は自宅の付近を散策したりしたが、何かしら暖かさを感じたりした。
そして風もなく、早春のひとときを享受したりした・・。

やがて自宅に戻ると、地元の天気情報は昼下がり12度の暖かさを迎え、
3月上旬のような陽気、と報じられていた。

この寒い時期は、私は暖かさが何よりの恵みょ、と思ったりしているので、
天上の気候の神々の采配に感謝しながら、青空を見上げながら、両手を合わせたりした・・。


やがて2月下旬になれば、玄関庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら10数輪ばかり咲き、
その後は澄み切った青空で陽射しは燦燦(さんさん)となる中で、小庭の白梅は数多くの莟〈つぼみ〉か大きく膨らむ。

そして3月を迎えれば、予告もなく南の風が吹き、、
私は三寒四温の時節は、女の子が全国的に祝賀される『桃の節句』で終わりにしてょ、と毎年心の中で願ったりしてきた。

その後、南の風が吹くたびに暖かさを増して、
一週間前を過ぎた頃から、主庭の水仙、白梅は満開となり、やがて紅梅に咲き、
我が家の小庭は遅ればせながら水仙、白梅、紅梅が彩(いろど)られてるのが、毎年の習わしとなってきた。
                                           

このように思い馳せたりして、冬晴れの陽射しの中で、ぼんやりと佇(たたず)んだりし、
果たして、この先の天上の気候の神々の采配は、どのようになるの、と私は青空を見上げたりしている。


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ときには駅前に買物し、やがて帰宅後、ありのままに発露すれば・・。

2015-01-24 16:37:51 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

平素の買物専任者の私は、今朝は家内から新鮮そうな野菜を買ってきて下さい、と依頼されたりした。
その上、たまたま今回は小用を兼ねて、我が家の最寄駅のひとつの京王線の『仙川』駅に向かった。
路線バスも頻繁にあるが、私は根がケチなためか、15分ばかりの大通りの歩道を歩いたりした。

曇り空の5度前後の中、冬のスポーツシャツにフリース状のジャケットを着て、
坂道も早足で歩けば身体は温まり、ときおり落葉樹の冬木立を眺めたりすると、
心身に良いよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりしたりした。

そして駅前の商店街を歩き、やがて駅前に到着した後、
近くの旅行代理店に寄ったりした。

2月中旬に私たち夫婦が立案した冬の旅路を依頼していたので、
一昨日、要望していた航空券など揃った、と電話連絡を頂いたので、
航空券、宿泊券、JR、路線バスの乗車券などを私は担当者から受け取り、
旅費の残金などを支払ったした。
            

この後、駅ビルの中にある本屋に寄ったりした。
これといった買い求める本はなかったが、店内を見て、読んでみたい本を探したりした。
雑誌、単行本、新書本、文庫本の書棚を30分ぐらい見たりしていた。

ここ5年ぐらいは殆ど小説系は購読せず、ノンフィクション、随筆、近現代史を買い求めることが多く、
創り物を読んでも興味がないわ、と亡き高峰秀子さんの随筆の一行を思いだして、
私は微苦笑しながら、そうですよねぇ、と思い重ねながら、過ごしたりしてきた。

結果的には、本日買い求めたのは、H。G。ウェルズ(訳・下田直春)の『世界文化小史』(講談社学術文庫)であった。
こうした関係の本は好奇心旺盛の私は、高校以来乱読したきたが、
この際、総合的に復習のお勉強ね、という目的であったりした。
            

この後、ドラックストアーで、お風呂の風呂水清浄剤の『ふろ水ワンダー』を購入した。
我が家のお風呂水の管理上、長らく愛用している品であり、
我が家の在庫が薄くなったので、今回買い求めたりした。

そして近くのスーパーに寄ったりした。
やがて野菜コーナーで、それぞれの野菜を視たりしたが、
最近はお値段と新鮮さを配慮すると、玉ネギ、ジャガイモ、ニンジンが優等生であり、
キャベツ、サニーレタス、セロリなとは新鮮さが劣化し、価格も高いのである。

私は買物専任者の10年生である上、幼年期は農家の児として育ったので、
昨今の気候が定まらない中で、農作物の生育~出荷までの労苦は、少しわかるので、
苦笑しながらも同情したりしてきた。

結果的に本日買い求めたのは、特売で新鮮だった大根を一本、
新鮮そうな春菊、私の好きなパセリ一袋、新鮮な長ネギを一本、セロリを一株、
たったこれだけをレジ袋で提(さ)げて、我が家へ15分ばかり歩いて帰宅した。

帰宅したのは12時半すぎであった。
家内は掃除、洗濯を終えて、昼食の準備をしていた。

そして遅い昼食を家内と頂いた後、旅行代理店から受領した色々な券を
私たち夫婦は確認しあったりし、旅先の期待感を思い馳せたりすると、数時間過ぎたりした。

この間、年金生活の当初から茶坊主の私は、煎茶を淹れたり、
インスタントコーヒーを家内の手前に置いたり、忙しいよなぁ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

たまたま本日の状況を恥ずかしながら、ありのままで発露すれば、このような我が家の実態である。

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羽田空港の食事処、愛食している所はフードコートの『東京シェフキッチン』

2015-01-23 15:49:00 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
家内との共通趣味のひとつは国内旅行であり、幾たびも旅を重ねてきた。

そして北海道、九州、沖縄列島の旅路は、殆ど航空機を利用してきたが、
こうした時は羽田空港から搭乗してきた。

こうした旅路の場合は、私たち夫婦は羽田空港・発の2時間半前には、出発ロビーに着いたりしていた。
何かしら家内は、羽田空港までの電車が遅れたりした場合のことを配慮して、
早めに着いて待機すれば安全です、とこうした信念で、
いち早く着いたりしてきた。

確か3年の以前の頃まで、こうした時には、空港内のレストランを利用して食事をしてきた。
しかし殆ど30分前後で食事を終えた後、待機している方たちもいるので、
この食事処を退去した後、喫茶店のような処でコーヒーか紅茶を飲んだりしてきた。

こうして20数年、それぞれのレストラン、蕎麦屋などで食事をした後、喫茶店を利用してきた・・。
       

そして3年前の頃、いつものように京浜急行の羽田空港・国内ターミナル駅を下車した後、
地下1階のフロアーを歩き、2階の出発ロビーを目指していた時、
何かしら地下1階のフロアーで、簡素な食事処が集約しているのを見かけたりした・・。

『XXちゃんさぁ・・とんかつ屋さん、蕎麦屋さん・・など沢山あるよねぇ・・便利そう・・』
と私は家内に言ったりした。

『あのような所は、フードコートっていうのょ』
と家内は微苦笑しながら、世の中に疎(うと)くなった私に教えてくれた。

そして何かと好奇心が衰えていない私は、家内を誘い、初めて入店した。

やがてフードコートには、とんかつ専門店・銀座「梅林」、下町浅草の洋食屋「ヨシカミ」、
青山のピザ&パスタ「トゥ・ザ・ハーブズエクスプレス」、大阪たこ焼「たこぼん」、
中華料理「彩鳳」、日本そば「あずみ野」などがあることを知ったりした。

そして私は山菜そばを食べたり、3か月後の旅路の時は、とんかつを食べたりした。
特にとんかつは程ほどに美味しく、お値段も廉(やす)かったのであった。

食事を終えた後、飲み物も廉(やす)く、1時間ぐらい座っていても、
大丈夫な店内の雰囲気で、確かに私たち夫婦の周囲でも、
欧米人らしいグループの数組が寛(くつろ)いで、談笑したりしていた・・。


その上に、私は愛煙家のひとりで、喫煙所は30メートリ近くにあり、この近くに化粧室(トイレ)もあり、
圧倒的な便利な所だょ、と私は微笑みながら家内に言ったりしてきた。

これ以来、私たち夫婦は羽田空港・発の旅路は、
この第1旅客ターミナルの地下1階にあるフードコートの『東京シェフキッチン』を利用している。

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賢人の大前研一氏より日本の税制改革総論を学び、私は多々教示され・・。

2015-01-23 13:20:16 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
政治、経済に疎い私でも、過ぎし14日に新年度予算案が閣議決定された読売新聞の記事を読んだりした。

《・・高齢化で医療や年金などの費用が膨らみ、
一般会計の総額は14年度当初より0・5%増えて96兆3420億円と、
当初予算としては最大になる。

収入面では、大企業を中心とする業績の回復で、
税収がバブル経済期の1991年度(実績)以来、24年ぶりの高水準となる。

新たな借金である新規国債の発行額は当初予算では6年ぶりに30兆円台に抑えた。
景気回復によって新たな借金を減らすことができた形で、財政の再建は見通せないままだ。

安倍首相は同日午前、記者団に対し、「経済再生、財政健全化の同時達成に資する予算となった。
全国津々浦々に景気回復の成果を広げたい」と語った。

国のお金の使い道を示す歳出では、
政策に充てる経費に14年度当初予算比0・4%増の72兆8912億円を計上する。・・》
       
       
この後、ある民間放送のテレビニュースの中で、
《・・政府の2015年度予算案は、
大幅な税収増を追い風に国と地方の基礎的財政収支の赤字を半減させる目標の達成にメドをつけた。
もっとも賃上げや株高など景気回復を先取りした予算案といえ、
歳出入の抜本改革も手つかずのまま。

1000兆円規模の借金を抱える中で、財政再建は薄氷の道のりだ。
収支改善を着実に進めるほかの欧米先進国との差も開きつつある・・》

このような政府の2015年度予算案についての論評を読み、
無力な私は果たして・・この先は日本は・・と憂いたりした。
       

しかしながら憂いたりしても、もとより財政再建の難題の解決にはならず、
やがて日本の賢人の中で、根本的に日本財政を改革する提案をする人がいないかしら、
と無力な私でも、思い重ねたりしてきた。

昨日、偶然に私がネットで読んだのは、
『 大前研一氏 高所得者層からカネ取り低所得者優遇制度に意見 』
と見出しされた記事をどようなことなの、と思いながらクリックした。

そして大前研一(おおまえ・けんいち)氏の提議を精読した後、
前半は民主主義国家として経済の健全性、
後半は日本の税制改革総論であり、日本の税制を根幹から改革する提議で、
実施された時は、日本の明るい展望が予感できる確かな改革、と感じたりした。
       

この記事は『週刊ポスト』の2014年12月19日号の記事のひとつで、
ネットに 2014年12月11日に公開配信されていた。
無断ながら転載させて頂く。

《・・欧米でベストセラーになっているパリ経済学校の創立者で
教授のトマ・ピケティ教授の著書『21世紀の資本論』(邦題は『21世紀の資本』みすず書房刊)。

同書は、格差是正には所得ではなく資産に対する累進課税すべきと説いている。
しかし、それは好ましくない結果を生むと考える大前研一氏が、
もっとも日本社会に適した課税方式を提案する。

* * *

いわゆるビッグデータを真面目に分析したという点で本書は重要である。

しかし、ピケティ教授が格差拡大の解決策として主張している累進課税は、
結果的に人々のマインドを小さくする。
資本主義社会は、利潤動機がなければエネルギーが出てこないのだ。

しかも、極端な累進課税は民主主義の哲学に反する。
民主主義は「1人1票」だ。

ところが、日本のように所得が多い人には住民税を含めて最高55%課税し、
所得が少ない人(課税最低限以下の人)には課税しないとなると、
選挙の投票などでは権利は同じなのに、負担(納税義務)に大きな差が生じる。

私は、最低でも5%は課税し、累進制にするとしても最高税率は25%程度に抑えるべきであり、
それが活力ある社会を保つ限界ではないかと思う。

かてて加えて、政府と国会議員は組織票を持つ団体などに媚びへつらい、
票が多い低所得層へのサービス合戦を繰り広げている。

そうなると何が起きるか? 
本来、高所得者たちは社会的に多様な貢献ができるはずなのに、
すでに自分は高額な税金を納めることで十分義務を果たしているという意識になり、
社会貢献マインドが非常に小さい“矮小化した富裕層”をつくってしまう。

だが、「稼げば稼ぐほど社会に貢献できる」というインセンティブ(意欲向上や目標達成のための刺激策)がない社会は
発展しないと思う。

では、代案は何か。
かねてから私が提唱している「(フラットな)資産課税」と「(例外なき)付加価値税」だ。
       

改めて簡単に説明すると、資産課税は預貯金や株式などの流動資産と不動産などの固定資産に対し、
それを相続した人も含めて一律に1%課税するという制度である。
たとえば100億円の資産を持っている人や相続した人は、例外なく年間1億円の資産税を払うわけだ。

日本の個人・法人の流動資産と固定資産は合計約3000兆円とされる。
これに時価の1%を課税すれば、税収は約30兆円になる。
       

企業が生産や営業のために持つ資産には課税しない。
 
また、今回の衆議院の解散・総選挙では、消費税の引き上げ延期が争点なき争点になっているが、
私は最終的な消費に対して課税する消費税ではなく、
経済活動に伴って発生する付加価値(富の創出)に対し、
すべての流通段階で一律に広く課税する付加価値税を導入すべきだと考えている。

つまり、1万円の木材を仕入れて本棚を作り、それを2万円で売れば、1万円の価値を創出したことになる。
その場合、付加された価値=1万円に対して一定の税率で課税する。
納税するのは消費者ではなく、価値を創出した法人や事業者だ。

その税率を10%とすれば、国内で産み出される付加価値の総額≒GDPが約500兆円だから、
税収は約50兆円になる。

以上のような資産税と付加価値税の合計は、約80兆円。
国の一般会計予算が約100兆円だから、20%カットすれば所得税、法人税、相続税など他の税金は
すべて廃止しても帳尻が合い、
国債を発行する必要もなくなる計算だ。
       

それが日本の国家財政の正しい均衡だと思うし、活力も出てくる。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


日本の住民は、少なくとも国に納める所得税、自治体に納める地方税があるが、
私は貧富を問わず、収入のある人は税金を納める責務がある、と確信している。

もとより収入に応じての累進課税により、税金を納めるのが基本となっている。

日本は長年に於いて、トーゴーサンと称せられる所得に対しての捕捉率が問題となってきた。
もとよりサラリーマンは所得のすべての10割は捕捉され、
自営業者は5割前後、農家は3割前後しか捕捉されていない実状となっている。

そして実態としてサラリーマンの殆どは、勤務先から毎月所得税を源泉徴収されているので、
所得のすへてが捕捉されている。

しかしながら自営業者は確定申告によって、収入から必要経費を差し引いた額を所得として申告しているので、
実情は不明確で、一部の人にはサラリーマンと同じ所得がありながら、半分程度しか税金を納めていない場合にある。

まして政治家の場合は、政治資金というあやふやな聖域があり、政治資金は非課税を理由に、
所得に対しての税額は全く不明となっている。

こうした日本の現状の中で、財政難題となっているここ10年、
大前研一氏より抜本的な税制の改革総論の提議が、公開された。
       

氏の《・・資産課税は預貯金や株式などの流動資産と不動産などの固定資産・・》は、
裕福層から貧困層までのそれぞれ保有する預貯金や株式などの流動資産、
或いは住居、所有しているは土地などすべて不動産の固定資産、
これを把握するためには、日本で長らく検討されてきた『国民総背番号制』の実施で、
初めて対応できることと思われる。

もとより国民総背番号制は、社会保障・税一体改革の一環として、
基礎年金番号、健康保険被保険者番号、パスポートの番号、納税者番号、運転免許証番号、
住民票コード、雇用保険被保険者番号など各行政機関が個別に番号をつけているが、
これを連動させた上、上記の個人の流動資産と固定資産を連結した個人総合情報、
と私は理解している。
       

そして今回の大前研一氏より抜本的な税制の改革総論の提議が実施された場合は、
たとえば前総理の鳩山由紀夫氏のように、母はブリヂストン会長の娘で、
母親から毎月1000万円も「おこづかい」としてもらってきた人もいる。

鳩山家の場合、一切働かなくてもブリヂストン株の配当金だけで年間3億円近い所得があり、
鳩山家はそれ以外にも莫大な不動産や株式を所有しているので、財産が生みだす所得は毎年10数億円。

しかも、株式配当への課税は一律7%ときわめて低く設定されており、資産家に有利なしくみになっている、
と私は何か本で読んだりしてきた。

こうした典型的なパワー裕福層から、資産家、そして私のような慎(つつ)ましいな年金生活、
或いは不幸にして生活保護を受けられている人まで、あらゆる人が、
《・・それぞれ保有する預貯金や株式などの流動資産、
或いは住居、所有しているは土地などすべて不動産の固定資産・・一律に1%課税するという制度・・》
公平だ、と感じ深めたりした。

そして実施されたならば、日本の明るい展望が予感できる確かな改革、と思い深めたりした。
       

しかしなから実施された場合、財務省とサラリーマンは歓迎されると思われるが、
やはり自営業者、農家、そして政治家は現代のあやふやな既得権で反対し、
頓挫する方向にあらゆる手立てが工作されると思ったりしている。

そして中には、公平の名のもとに国民の資産を把握し、膨れ上がった国家の債務の解消のために預金封鎖を行い、
預貯金の数割が強制的にカットされる可能性が高い、と懸念する意見があったりしている。

こうしたことを推測すると、大前研一氏より抜本的な税制の改革総論の提議は、
無念ながら税務の専門部会から検討もされない、と私は危惧したりしている。


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賢人の大前研一氏『年金制度はもう破綻している』と学び、年金生活の私は困惑して・・。

2015-01-22 11:58:01 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めた。

定年退職する数年前の頃、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、
と学んだりした。
       

そして年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしているのが、
我が家の実態である。
           

私は3日前、ネットでニュースなどを見たりした中で、
ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の配信して下さった記事のひとつとして、
『 目を覚ませ! 年金制度はもう破綻している 』と題された見出しを見た。

そして『大前研一の日本のカラクリ』の連載寄稿文の中のひとつ記事であり、
『プレジデント』誌に 2014年12月29日号に掲載された寄稿文と解った。

そして私は大前研一(おおまえ・けんいち)氏に関しては、わずか3冊ばかり購読してきたが、
特に経済、社会分野などに怜悧な見識のある賢人、と思ってきたので、
今回の寄稿文を精読して、結果的には多々教示しながら、どうしたらよいの、と困惑させられたりした。
http://president.jp/articles/-/14114
『PRESIDENT』==>『大前研一の日本のカラクリ』==>
             ==>『目を覚ませ! 年金制度はもう破綻している』

今回、私は大前研一氏から学んだ当時2000年の頃の《国の年金政策に関わっている御用学者》持論であり、
何かと無知な私でも驚嘆した。
《・・4%の経済成長が持続して、サラリーマンの定期昇給も年4%、少子化に歯止めがかかって出生率が2.0まで回復する――。
そういう前提のうえで、5%の運用利回りが確保できれば、年金が回るように制度設計している・・》

あの当時は民間の大企業さえ、リストラ旋風で混迷していた時代であり、
どのような視点から、こうして持論を《国の年金政策に関わっている御用学者》が明言するのか、
私には理解できないので、驚嘆したりした。

大前研一氏は《・・1990年代の経済状況の推移や少子化の進展具合から考えて、あまりに想定が甘すぎる。
これでは国民を欺くようなもので、本気で年金制度を維持するなら、
支給年齢を引き上げて、支給額を減らし、保険料を高くするしかない。

私がこう指摘すると、そこはいじりたくないというのだ。・・》

私は政治家が、有権者の選挙票の行方が怖くて、ためらい続けた、と推測する。

こうした状況を長らく続け、少子高齢化の社会は加速した結果、
《・・年金問題に熱心な政治家はほとんどいないから、
財務省や厚生労働省の小難しい説明に、簡単に誤魔化されてしまう。

若い現役世代は自分が支払った保険料分の年金を将来的にもらえないのに対して、
今の受給者はもらいすぎているというアンバランスも、政治的には絶対に解消されない。

高齢者のほうが投票率が高いから、政治はどうしてもそちら側に歪み、
年金問題は何も解決しない、という構造になっている。・・》

こうした実態を大前研一氏から学び、あの2000年の当時に日本の社会構造、経済実態を配慮して、
有力な政治家が英断できなく、ズルズルと年金維持策で昏迷に至っている、と無力な私でも憂いている。
       

昨今は年金改革の中に於いて、高齢者の年金を具体的に引き下げられている。

たわむれが許されるならば、私としては、
これまで日本の経済大国は、少なくとも高齢者が奮闘した成果であり、
一部の政治家、官僚の舵取りが誤って、失われた20年となり、
借金に頼らず税収で賄える国と地方の基礎的財政収支が悪化したので、
今頃になって高齢者の年金を引き下げるなんて、とんでもない、と私は感情的に感じる時もある。
        

しかしながら理性的になると、日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

そして年金も現役世代が払う保険料で
高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。

そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できる。
       

ときおり、こうしたことを思案したりすると、私は憂鬱になる。
しかしながら憂いたりしても、もとより難題の解決にはならず、
やがて日本の賢人の中で、根本的に日本財政を改革する提案をする人がいないかしら、
と無力な私でも、思い重ねたりしてきた。

そして最近、私は日本の税制を根幹から改革する提議を学んだりし、
日本の明るい展望が予感できる確かな改革と感じたりした。

次回、この税制を根幹から改革する提議を賢人から学んだことを公開する。

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過ぎし年の私の夢のひとつは、はかなくも消え果てて・・。 

2015-01-21 13:34:36 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

私は過ぎし昨年の9月の誕生日を迎え、古希と称される70歳となり、
家内は昨年の12月に65歳の高齢者入門となったりした。

そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。


今朝6時頃に目覚めて、布団の中でまどろんでいた時、微苦笑したりした・・。

若き私の40代の頃、ひとつの夢を漠然とし考えたりしたことがあった。
私たち夫婦が住んでいる住宅街のそれぞれ住宅が密集し、何かしら息苦しい住宅街より、
解放感のある地方の山里に、と想いを馳せたりした。
       

たとえば八ヶ岳の別荘地の分譲地などで、のんびりと生活することを夢想したりした。
しかしながらこの当時の私は、都心に通いサラリーマンの身であるし、
住んでいる一戸建ての住宅ローンも多額に残っていたので、
もとより収入を別途に挙(あ)げる自信はなく、夢だよねぇ、断念した。

やがて50代の後半になると、山里に300坪前後の土地を求め、
落葉樹のクヌギ、コナラなどの中、平屋建ての30坪ほどに住むことも考えたりした。

この当時は住宅ローン等の返済を終えていたので、
定年退職する60歳になった時は 自宅を売却して買い求めて、
老後の生活資金を配慮した場合でも、何とか出来ると思ったりした。
       

こうした私の根底には、私の住んでいる近くに私の生家もあり、
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。

そして私が小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑などを耕していた。

或いは祖父の所有していた広い田んぼの中には、小さな川が流れたり、
湧き水もあり、竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに土蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあり、
はずれに小さな稲荷を保有して、この地域の旧家は、このような情景が多かった・・。

このような生家は、周辺は平坦な田畑、竹林、雑木林などが拡がり、
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖、と学校の先生たちは称していた。

その後、私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、
生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。

そして1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になると都心に勤める方のベットタウンとなり、新興の住宅街に大きく変貌した。
              

我が家の最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
或いは私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。

こうした中、私は家内に相談したら、
日常生活の買物、交通・病院などの利便性から、反対された。
『貴方の好きな本屋さんだって、今は歩いて行ける範囲ょ・・まして、スーパーなどの買物だって・・』
と私は家内に言われたりした。

具体的に指摘されれば、私は確かに好きな音楽CDとか、映画のDVDを購入する店、
もとより本屋も該当するが、店内を見て周り、興味を持ったのに手を取ったり、買い求めたりしている。
そして、こうした空気が好きである。
或いは、ときおり洒落(しゃれ)た居酒屋も欠かせない・・。

『貴方、60代の心身元気なうちは良いけれど、
70代頃からの体が弱ってきた時の事も考えて・・』
と私は家内に言われたりした。

確かに山里に住めば、自動車は必須事項だし、買物も一週間まとめて購入し・・
と思ってきたが、
体の弱った時の通院、そして都心の外れの文化と利便性には勝てない、と断念した。
       

こうして私のあさはかな夢も消え、
定年退職後の年金生活の中、住宅街の密集地から抜け出して、
我が家より3キロ範囲の遊歩道、小公園、公園などをひたすら歩き、
季節のうつろいを享受したりしてきた・・。

或いは家内との共通趣味のひとつの国内旅行で、各地域の観光ホテルに滞在して、
周辺を歩き廻り風土、文化を学び、その地の景観に心身共にゆだねて、遊学したりしている。

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《昨年の一月の旅路》 函館の冬は風花慕情《2014.1.13.~1.17》 最終回

2015-01-20 16:14:28 | 旅のあれこれ
      最終章 旅の終わりは、風花の中の雪路の五稜郭公園・・。

私たち夫婦は市電の『函館駅前』駅から乗車した後、『五稜郭公園前』駅で下車し、
10分ばかり歩き、五稜郭タワーが聳える地に着いた。
そして教科書のように五稜郭タワーの最上階の展望フロアーに於いて、
東西南北を見渡すことのできる光景を視たりした・・。
          
そして見下ろせば五稜郭も観えたが、私は何かしら満足できずにいた。
          

こうした心情の根底には、タワーのような高台の展望から眺めるのが好きになれず、
同じ高台であったならば、たとえば東京の郊外に600メートル足らず高尾山の山頂近くから、
彼方の郊外の街並み、そして新宿の都心を眺めるのは好感でき、
何かしら足元が地べたに着いていないと、落ち着く困惑することが多いのである。

やがて私は家内に、あの地上は確か公園になっているので、散策しょう、
と誘ったりした・・。


そして館内の2階で昼食をした後、私たち夫婦は雪の小道を歩きだした・・。
          
やがて箱館奉行所らしき建物を眺めたりして、記念写真として撮ったりした。
          

そして奥に進むと風もない青空の中、予告もなく花びらのような雪が舞いながら落ちてくる風花(かざはな)に、
私は魅了されて心を寄せたりした・・。
                     
もとより風花は、周辺に観える山で降っている雪が、ときより強く風が吹くと、
私は市街のはずれの路、海辺の路、そして街の片隅を歩いたり、
青空の中、白き雪が花びらのように見え、舞いながらはかなく消える情景である。
          
そして函館は小山に囲まれ、坂が多く風光明媚の地であり、
その上に晴天に恵まれることも多く、この時節の函館は、私は風花の街、と命名したりした。
          

こうした情景に私は圧倒的に魅せられて、10枚ぐらいの写真を撮ったりした。
          
私は幼年期は東京郊外の農家の児として育ち、遥か60年前の頃は、この冬の時節に30センチ前後の雪が降っていた。、
1951年〈昭和26年〉の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。

ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。

家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、ときおり風が吹き、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。

そして駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑も雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。

小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅にあった木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)があり、
この当時のこの地域の村立小学校に於いては、
コークスはもとより、石炭も使用される前の時代であったので、
正方形の中心に簡易に造ったブリキの中で、炭を熾(おこ)してあるか、薪(まき)が燃やされていた。

私たち学童は、この木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)を囲みながら、
衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。
そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と互いに悪口を言い合っていたりした。

下校のひととき、私も番傘でチャンバラの真似事をし、番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。

このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。

          

その後、1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。

やがて1964年〈昭和39年〉に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
          
こうした幼年、少年期を体験した私は、この時節の寒い時期を迎えると、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。
          
このような心情を秘めてきた私は、愛惜感が増して、こうした雪路を歩くのが好きで、
今回の旅路も多くの観光客が訪れる名所よりも、素朴な景観のある所を歩くことに魅せられている。

やがて五稜郭公園に別れを告げて、『北洋資料館』に立ち寄った後、
路線バスで函館空港を目指した・・。

そしてこの時節の函館は、風花の街、と私なりに思いを深めたりした。

                              《終わり》

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《昨年の一月の旅路》 函館の冬は風花慕情《2014.1.13.~1.17》 第5回 

2015-01-20 13:44:05 | 旅のあれこれ
      第5章 函館駅の周辺を彷徨(さまよ)い・・。

1月17日の旅路の最終日を迎え、函館空港・午後7時35分発の羽田空港行きの航空便であったので、
日中は函館駅前の周辺を観よう、と4日ばかり滞在した湯の川温泉の『啄木亭』を辞して、
私たち夫婦は市電の路面電車の『湯の川温泉』駅より『函館駅前』駅を目指して乗車した・・。

13日に冬の函館を初めて訪れたが、羽田空港・発の函館便が、一時は危ぶまれたが、
何とか予定通りに着陸してくれた後、空港ビル内の食事処で昼食をし、
          
小雪舞う中、タクシーを利用して『啄木浪漫館』を訪れた後、隣接した大森海岸の海辺を視たりした。
          

          
そして待機して頂いたタクシーで、宿泊する湯の川温泉の『啄木亭』に入館した。

14日は函館山の「裏側」にある絶景の海岸と知られている『穴澗海岸(あなま・かいがん)』を訪ねる為に、
9時半過ぎに『啄木亭』を出て、市電の『湯の川温泉』駅に向かう雪道で、
家内の登山靴に付けたゴム製の滑り止めが切れてしまったので、『函館どつく前』駅の途中の『十字街』駅で下車して、
ホームセンターの『イエローグロブ豊川店』で、金属製スバイク6個つきのゴム製滑り止めを買い求めたりした。

こうしたことは私は積雪の中を歩く中で予期される事態であり、私は旅立つ前に調べていたので、
たまたま役立ち、ついでに私も予備用に購入した。

そして家内は歩きだすと、雪道歩きやすいわ、と云ったりしたので、
私は安堵しながら微笑んだりした。

やがて市電に乗車し、『函館どつく前』駅で下車した後、丘にある『外人墓地』までの長い坂道を歩きだした。
そして『外人墓地』の近くになると、展望が開けて、海辺、海上が見え、対岸の半島が観えたりした。
                    、
この後、『外人墓地』に隣接した雪道を歩き、やがて10分ばかり歩くと、『穴澗海岸』が観えて、
対岸の光景を私は撮ったりした。
          
そして10分ぐらい歩いた先は、閉鎖されていた。
          
やむなく引き返して、函館出身のロックグループのGLAY(グレイ)のひとりが信愛している『カフェテリア モーリエ』に、
私たち夫婦は立ち寄ったりした。
          

そして私たち夫婦は、店内からの眺められる景観に好感し、昼食も兼ねて、一時間ばかり過ごした。
          

やがて『はこだて冬フェスティバル』の中心街の八幡坂、教会をひたすら歩き廻り、
          
そして『函館市文學館』に立ち寄ったり、赤レンガのある地も歩いていた時、青空から急激に小雪降り、
私たち夫婦は退散しょうと、最寄の市電駅より乗車して帰館した。

15日を迎えると、私たちが宿泊している湯の川温泉の『啄木亭』より、
10分ぐらい南下すれば海辺が観られので、歩き廻ったりした。
          
そして遥か彼方に函館山が聳え、この先端は立待岬と判明し、待ち焦がれて情景に、
心を寄せたりしていた・・。
          

16日は何処にも出かけない完全休養日とし、たまたま風も伴う小雪が舞い、
          
窓辺の近くの椅子に座りながら、
午前中のひととき異例であるが、雪見酒としたりした。


このようなことを市電に乗車している中で、思い馳せたりしたが、
旅先の時は余りにも早く過ぎてしまった、と微笑んだりした。

やがて市電の『函館駅前』駅で私たち夫婦は下車し、『函館朝市』に行った。
何かしら家内が旅立つ前に、イカを釣れる簡易な処がありので、
家内は意欲満々であったが、無念ながら不漁の為に閉店であった。
          
この館内は、所々にテープルと椅子が設置されていて、出店となっている魚、貝、そして鮨(すし)等、
食事処であった。

私は焼いてもらった大きなツブ貝をビールを呑みながら頂いたりし、
家内は焼いたカキを食べたりした後、その後にマグロの握り寿司を頂きながら絶賛したりした。

その後、JR『函館駅』ビル内に本屋があったので、私は立ち寄り、
家内は土産店に寄ったりした。

私たちは今回の旅路で、函館山から観られる夜景、『はこだて冬フェスティバル』のイルミネーションの夜景など、
興味がなく対象外としていたので、
これからの視る午後の時間は・・どこに訪れようか、とお互いに思案し、
やむなく『五稜郭』でも行こう、と話し合ったりした。

そしてJR『函館駅』ビルを後にして、歩きだした。
           
                              《つづく》

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高額療養費の改正に伴い、年金生活の私は朗報かしら、と微苦笑を重ねて・・。

2015-01-19 18:34:18 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

私は過ぎし昨年の9月の誕生日を迎え、古希と称される70歳となり、
家内は昨年の12月に65歳の高齢者入門となったりした。

そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
       

過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた直後、
私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。

こうした中、健康保険に関して定年退職後も、勤めていた企業の所属する健康機関に継続していたが、
支払い請求額の通知を受けて、少し高いなぁ、とため息をついたりした。

現役の企業の諸兄諸姉が所属していた健康機関なので、
何かしら病気とか万一の病死などは手厚く保障されていたが、
私の現役サラリーマン時代は給与から自動的に毎月差し引かれていたので、高いとも低いとも感じていなかった。

やがて私は定年後に年金生活に入ったが、昭和19年9月生まれであるので、
年金満額支給は62歳になってからであり、それまでの2年間は年金支給額は、ほぼ半額程度であった。

このような収入時期の時代で、やはり企業の所属する健康機関は手厚く保障されていたが、
支払う毎月の保険料も高かった、と遅ればせながら気付いたりした。

やむなく私は、健康保険を企業の所属していた健康機関から国民健康保険に切り替え後、
最初の『国民健康保険料』の夫婦合算の請求支払額が余りにも激少したので、微苦笑したりした。

もとより国民健康保険料は、前年度の収入に基づいて、
家族構成、お住まい地域の自治体により差は発生するが、算出されている。


この後、保険関係をすべて見直して、
現役サラリーマン時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとしたりした。
                 

やがて私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。

その後、2011年(平成23年)10月初旬に、
家内は家内の父の命日に際して、家内の母と家内の妹の三人で、
墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、何かの話題の後に、年金生活の保険金の話題になったらしい。

この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、
『医療保険』などはなくても大丈夫よ、と家内は教えらた、と家内の帰宅後に私は聞いたりした。

この後、何かと愚図の私は、現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。

そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視(み)たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。
       
         
そして、私は解約の手続きを開始したのは、私たち夫婦は年金生活を7年過ぎた頃であった。  

こうした中、家内は年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。

『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、
旅行に行けたし・・こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。

そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあれば、
万一、大病やケガで多額の医療費が要した時は、「高額療養費制度」を活用させて頂く、と思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。
          

「高額療養費制度」は、何かしら手術や治療で、
月に100万円かかることになったとしても「高額療養費制度」を活用すれば、
実際の負担額は月9万円を超えることはない、と学んだりした。

たとえば100万円の医療費のうち、70歳未満なら、
まず3割が自己負担なので、窓口で支払うのは30万円。

さらに「高額療養費制度」を利用すると、1か月の医療費が約9万円を超えた分については、
加入する健康保険に申請すると、払い戻してもらえ、約21万円が後から戻ってくる、と知ったりした。
                    
このように「高額療養費制度」を学び、何よりも私のような高齢者に頼りになる制度、
と私は信愛を深めたりしてきた・・。
       

昨年の晩秋の頃から、健康保険の高額療養費が本年の一月より改正されます、
と私は新聞の記事を読んだりしてきた。

先ほど、ビジネス情報誌として名高い『週刊ダイヤモンド』のネットの『ダイヤモンド・オンライン』があるが、
無料で会員なれる公式サイトで、私は経済、社会など多々教示されているが、
この中のひとつの記事の『高額療養費改正で負担が減る人、増える人 ・・』を読んだりした。


この公式サイトの『ライフ・健康』系で『知らないと損する!医療費の裏ワザと落とし穴 』の連載記事で、
この『高額療養費改正で負担が減る人、増える人 ・・』は、2015年1月15日 に配信され、
フリーライターの早川幸子が綴られた記事である。

無断ながらこの記事を要約させて頂く。

《・・ 高額療養費は、患者が1ヵ月に支払う自己負担分に上限を設けることで、
医療費が家計の重圧にならないように配慮した制度だ。
この制度があるおかげで、日本で暮らす私たちは病気やケガをしたときの負担を低く抑えることができている。

現在、医療機関の窓口では年齢や収入に応じて、かかった医療費の一部を自己負担する。
たとえば70歳未満なら、会社員も自営業も3割となっている。
こうした中、100万円医療費がかかったら、30万円を自己負担するのかというと、そのような心配はない。

窓口での負担が一定額を超えると高額療養費が適用されるので、3割負担し続けるということはない。

昨年までのルールで見ると、70歳未満で一般的な収入の人なら、
1ヵ月の医療費が100万円かかっても自己負担するのは約9万円。
300万円でも11万円程度となっている。
医療費の負担を抑えられるありがたい制度と言えるだろう。

このように高額療養費は、万一の医療費を低く抑えられる優れた制度ではあるが、
苦しい健保財政のなかで、自己負担限度額が年々引き上げられてきたのも事実である。
       

2000年以降、自己負担限度額は収入に応じて
「低所得者」「一般所得者」「上位所得者」の3区分に分類されるようになり、
2006~2014年までは、一般所得者では年収が210万円~770万円と500万円以上の幅があるが、
医療費は同じだけ負担する。

上位所得者も、年収770万円を超えると、その後は1000万円でも、1億円でも負担は同じである。


しかしながら、健康保険が応能負担の上に成り立っていることを考えると、
高額療養費の限度額に差がないのは不公平だという見方もある。
       

2012年11月~2013年8月に行われた社会保障制度改革国民会議でも、
持続可能な社会保障制度を作るため、「低所得者に配慮し、負担能力に応じて応分の負担を求める」
ことの必要性が繰り返し提言されていた。

この提言を受け、今回の制度改革では、高額療養費の所得区分も保険料と同様に
負担能力に応じて細分化することになった。

紆余曲折あったが、最終的には、これまで収入に応じて3段階だった1ヵ月の自己負担限度額を
5段階に細分化することに決定された。

2015年1月から、年収370万円以下の人はこれまでよりも限度額が引き下げられる一方、
年収770万円以上の高所得層の限度額は引き上げることになった。

具体的な改正内容は、下図の通りとなった。

たとえば医療費が高額になったときの負担は、どうのように変わるのか。
1ヵ月の医療費が100万円だった場合で比較すると下記のようになる。

(1)住民税非課税世帯⇒これまでと負担は変わらない

(2)年収約370万円以下⇒限度額が5万7600円になり、これまでより2万9830円負担が軽くなる

(3)年収約370万~約770万円⇒これまでと負担は変わらない

(4)年収約770万~約1160万円⇒限度額が17万1820円になり、1万6820円の負担増

(5)年収1160万円以上⇒限度額が25万4180円になり、9万9180円の負担増

しかし、長期療養中の高所得層の人のなかには、
「限度額までは届かないので高額療養費は適用されないけれど、
毎月15万~20万円を超える医療費がずっとかかり続ける」
といったケースも出てきそうだ。

応能負担の観点では、これまで高所得層が優遇されてきたと見ることもできるが、
健康なときに毎月収める保険料とは異なり、
病気やケガをしたときの医療費の自己負担が増えるのは不安なものとなる。・・》
       

このような高額療養費の改正の記事を読み終わった後、
我が家の年収は、上記の(3)に該当し、
《 年収約370万~約770万円⇒これまでと負担は変わらない 》
と学んだりした。

昨今、年金は減少する中、健康保険、介護保険は増えてきたので、やはり高額療養費の負担も多くなるかしら、
と思ったりしてきたので、安堵しながら微笑んだりしてしまった。

しかしながら我が家の年収は、恥ずかしながら約400万円であり、
上記の(3)に属しても、この中の最低だよなぁ、つたない我が家の年収に苦笑したりした。

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