夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

新平湯温泉に滞在し、周辺の西穂高、高山、過ぎし日のささやかな想い《下》

2013-01-31 17:38:34 | 旅のあれこれ
   第6章  雪の舞い降る『飛騨高山』往還

15日(木曜日)の新平湯は、小雪が舞い散る朝だった。

私たち3人は飛騨の高山市の中心街を散策するので、バスに乗り込んだ。
平湯峠を通り過ぎると路面は5センチ前後雪化粧をしており、高山市の中心部に差しかかると、小雪から雪となった。

朝市を観た後、家内の母は初めての高山観光なので、
屋台会館、日下部民芸館を案内したいと昨夜に家内から聴いていたので、私たちは別れた。

私は全国に唯一現存する郡代・代官役所と称せられた高山陣屋を見学した。
        
平屋建ての三百坪の周囲に簡素な庭があり、素朴な趣(おもむ)きの中、雪が舞い降りている。
        
こうした格調さがない庭なりに、心が和(なご)んだりしたが、ある反面羨望もあったりした。

その後、雪の降りしきる中、古い街並みの周辺を散策した。
やがてある木工店に入り、楢(ナラ)の各種の一枚板を見た。

およそ90cm弱の幅、長さは180cm、そして厚さは9cmほどの一枚板であり、
価格は30~50万円前後であり、テーブルなどに用いると思われた。

私は机の板として、2枚の板を並列に置き、そのときに応じた板を使い分けることを夢想したりした。

今の私は定年前に購入した机、脇机、そして椅子は広島産の書斎用を30万円弱であり、
パソコンなどを置いて日常使っているが、この1枚板が2種類置いてみたいと思ったりした。
理想の書斎としたならば、間口2間以上の窓辺となるが、
私には今から増改築する力はなく、夢と現(うつつ)の世界となるので、無念ながらの現実である。


その後、街の本屋に行き、陳列してある本が少なく、本棚が見えたりしている。
たまたまご主人と書店の本屋の仕入れなどを話し込んだりした。
私は現役時代は音楽業界のあるレコード会社を長年勤務した関係で、
書店と卸の関係を何かと参考にしてきたので、あれこれ話し合ったりした。

その後、街通りでジャージ姿の女子中学生の30数名を見かけた。
多分、修学旅行と思われ、みたらし団子を食べながら、ときおり歓声をあげながら、
雪の降りしきる中を歩いていた・・。

私はあの頃の時代、他愛も無く明るく過ごした時もあったかしら、
と思い返しながら苦笑したりした。

駅前で簡素な飛騨蕎麦を食べた後、
バスを待つ間、付近の和菓子屋に入り、抹茶と和菓子を頂いた。
『語り部(かたりべ)』という和菓子であったが、呑兵衛の私でも奥行きのある和菓子だと感じられた。

帰路のバスの車窓からは、強風が伴なう風雪となり、
雪は路上に20センチ前後のなって折、路肩、道路付近は吹き溜まりとなり、
小さな峠道を通り過ぎた時、前方の大型トラックがスリップし、道路をふさいだりした。
30分過ぎると徐行しながら何とか通過できた後、風雪は激しく視界が5メートル程となった。

こうした中を1時間ほど乗車していると、運転していない私さえ、少しはらはらとしたりした。

宿泊している観光旅館に戻ると、風呂に入った後、
家内たちが無事で戻ればよいが、と思ったりした時、やがて家内たちの声がした。

家内たちは帰りのバス・・雪と風で恐かったくらい、と話しかけてきた。


   第7章  雪のあとには

早朝の5時前に目覚め、ロビーで温かいベツトボトルの煎茶を飲みながら煙草を喫ったりした。
窓辺からは、昨日の雪の名残りで銀世界となっていた・・。

昨日、飛騨高山を訪れたが、心のふるさと、と街中で観られたので、
私なりに想いだされた。

確か1968〈昭和43)年の頃だったか、
小説家・立原正秋が随筆した『心のふるさとにいく』を甦(よみがえ)ってきた・・。
この随筆は、JTBの発刊する月刊雑誌の『旅』の中で連続に掲載され、
飛騨高山を取り挙げており、私の若いころ影響を受けたりした。

編集長が岡田喜秋という後に紀行作家になった方で、
この随筆の『心のふるさとにいく』のタイトルを命名し、
小説家・立原正秋の独自性の名文で私なりに心に残っている。


軒下に数多くの氷柱(つらら)が朝の陽射しを受けると、わずかに雫(しずく)を落としている。

     つららあと ためらいながら 落ちてゆく

このような拙(つたな)い俳句の真似事を詠(よ)んだが、歌を詠む素養がなく、自分ながら赤面したりした。


日中、家内の母は館内でのんびりするので、家内と快晴の中、飛騨高山に出かけた。
               
行きの道路周辺は、昨日の雪の名残りが観られたが、
市内は雪が消え去り、帰路は峠道周辺あたりだけ雪が残っていた。

飛騨高山の市内には、日本酒の酒造所が少なくも三軒あり、この中のひとつで私の好きな地酒を買い求めたりした。
               
その後、家内と和菓子屋、お土産屋と6軒ばかり廻ったが、
私は素朴な『とちの実 せんべい』に魅了されて買い求めた。
この包装紙には、昔なつかしい手焼の味・・飛騨銘菓・・金龍堂と明示されていた。

夕食の時、旅の最後となるので、骨酒を頼んだ。
小ぶりの岩魚(イワナ)を焼いて、大きな参合前後の器に人肌より少し温めたに地酒であった。
どんぶりに岩魚が浮いているように見えたりしたが、香ばしい香りがする。
私は、このような戯(たわむ)れのお酒を呑みながら、夕食を頂いたりした。


   第8章  山里の春を思えば

帰路のバスを待っている間、私たちはコーヒー・ラウンジで窓辺の席に座った。

私は煙草を喫うので、少し離れた席に座り、前方の里山に目を転じた・・。

山里の春は遅く、やがては梅が咲き、そして桜も咲くだろうが、
その前に蕗(フキ)、蕨(ワラビ)、薇(ゼンマイ)等が土から芽生え彩(いろど)るだろう・・。

こんな思いに馳(はせ)ると、

   花をのみ まつらんひとに
           山ざとの 雪まの草の はるをみせばや

歌人・藤原家隆が新古今集で詠まれた歌を思い出された・・。

旅の終わりに、山里に心を託(たく)せば、
こうした時代を超越した名歌のひとつに心を寄せたりした。


今回、奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に5泊6日で滞在し、
走り書きのように綴ったが、のちに旅の想いが甦ってきた時に、ときたま思い馳せると思われる。

旅の魅力は、こうした余情、余韻があるのも齢を重ねた今でも、
私の心をなごませてくれる。


   最終章  旅の終りは、梅の花は満開となり

12日(月曜日)より5泊6日で奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に滞在した。

家内の母と私たち夫婦の3人は、団体の現地宿泊先の往還のツアーに参加して、
先ほど帰宅した。

門扉を開けると、白梅、紅梅が満開となっていた。
煙草を玄関庭で煙草を喫っていると雨がぽっりと降ってきた・・。

ほんの5泊の旅であったが、我が家の庭に於いても、
樹木の移ろいは春の気配が漂(ただよ)っていた。


こうした旅路が、早や6年が過ぎているが、ときおり私は思い馳せたりし、
今回のNHKの番組を視聴した後も想いだされたのである。


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新平湯温泉に滞在し、周辺の西穂高、高山、過ぎし日のささやかな想い《上》

2013-01-31 15:41:11 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の68歳の身であり、
家内は洗濯の合間に、居間でNHK総合テレビを視聴していた・・。

私は付近で読売新聞の朝刊を読んだりしていたが、
家内は『あの周辺も行ったわねぇ・・』と私は声をかけられて、
私もテレビの画面に視線に移した。

何かしら《手軽に北アルプス!! 冬の絶景!!》右上の画面にこのようなことが表示され、
西穂高のロープウェイの情景が映しだされ、やがて展望台から雄大な北アルプスの光景が
映したされていた。

その後、この周辺の名所の数々が放送されていた。
そして私は遅ればせながら、NHK総合テレビの朝の定例番組の『あさイチ』の特集のひとつと気付かされたりした。

私たち夫婦は、家内の母を誘い、過ぎし2007〈平成19〉年の2月12日から5泊6日で、
観光旅館に滞在して、周辺の西穂高のロープウェイに乗車して、
北アルプスの圧倒的な光景、或いは飛騨地方の高山市を散策したりしてきたので、
この特集が終わった後、30分ばかり過ぎし日の旅路を思い馳せるように、談笑をした。


   第1章  旅のはじまりは、めかぶ風のきんぴら

私が2004〈平成16〉年の秋に定年退職する寸前に、家内の父は病死したので、
家内の母は独り住まいとなり、ときおり私たち夫婦は家内の母を誘い、温泉滞在旅行などに行ったりしている。

この温泉滞在旅行の場合は、私は自動車を保有していないので、
多くは旅行会社の団体ツアーを利用している。
交通の便、観光ホテル、旅館の滞在費には、個人で予約するより遥かに格安であり、
気楽に現地まで連れてってくれるプランでもある。

今回は岐阜県の奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に於いて、観光旅館で5泊6日滞在プランであった。

上野、新宿の集合場所となって、観光バスで休憩、食事処に数箇所寄って、現地に赴(おもむ)く。

家内の母が千葉県の八千代市に住んでいる関係で、私たち夫婦は上野に出向き、家内の母と待ち合わせる。
パーラー風の喫茶店で集合時間に調整し、集合場所でバスに乗り込む。
今回、このツアーに参加される方達は、月曜日から土曜日の温泉滞在で、特にご高齢者のご夫婦の方が多かった・・。

上野から新宿までの道程は、一般道を走破しても都内見物の観がある。

新宿を10時過ぎに出た後は、中央自動車道を走り、談合坂SA(サービスエリア)で休憩後、
諏訪市の郊外で食事処で昼食となる。

私は生貯蔵酒を呑みながら、めかぶ風のきんぴらを頂く・・。

食事処の前の広場のベンチで、早春の陽射しを受けながら、
食事処のお土産売り場で地酒とつまみを探した結果、めかぶときんぴらの珍味の試食が気に入ったので、
このように昼食代わりとしている。

私は旅の折は、日常生活で余り接することがない地方の食べ物、呑み物を出来る限り頂くことにしている。
こうしたことは、もとよりその地の風土を学ぶ上、一番大切なことのひとつと思っている。
そして地酒は、諏訪菱友醸造の『至福のひととき』と表示されていた。


   第2章  暖冬、まだら模様の雪景色

中央自動車道から長野自動車道の松本ICで高速道路を下り、一般道の野麦街道からの周辺も雪が見られなかった。

安房峠のトンネルを過ぎると、期待通りの銀世界であったが、まだら模様の雪景色であった。

平湯で休憩後、奥まった山間部の道沿いに新平湯があるが、
私たち夫婦は20数年前に訪れた限りであったので、どの宿に宿泊したのかは忘れている。

やがて宿泊滞在する新平湯温泉の観光ホテル『奥飛騨薬師のゆ本陣』に午後4時に到着した。

入浴後、夕食はいろり風で堀炬燵(ほりこだつ)形式で足が伸ばせるのは良い。
私たちのツアーは40数名であったが、閑散期の平日でもあり、
このような和風の大座敷の中、それぞれゆったりと座れ、私たち3人も6人用のテーブルに指定された。

私は食事の際は、テーブルが狭いのは料理の味より優先する性格であり、
ゆったりとした席で地酒、ビールを呑みながら食事をするのが信条としているので、
居心地が良く、私たち3人は楽しく頂け、私は高揚しながら地酒の追加をしたりした。

指定された私たちの部屋のベランダ風の窓辺から、数百メートル先に里山が観られるが、
冬木立の中、まだら模様の雪景色であった。


   第3章  北アルプスの冬景色

13日(火曜日)の早朝、里山の頂(いただ)を眺めると、柔らかな冬の陽射しが見られた。

こうした中で、私は後期高齢者の家内の母でも、気軽に高地から北アルプス連峰を展望できる所に、
行きましょうと、と家内の同意を得て、誘った。

そして私たち3人は、高地から展望できる北アルプス連峰を見る為、新穂高ロープウェイを利用した。

宿泊している観光旅館の前の新平湯温泉前より新穂高バスターミナルまでバスで20分前後で行き、
そして新穂高ロープウェイに乗車して、第1ロープウェイの乗車口の『新穂高温泉駅(標高1117m)』から
『鍋平高原駅(1305m)』まで乗った後、
第2ロープウェイの『しらかば平駅(1308m)』から終点の『西穂高口駅(2156m)』まで
ロープウェイの車窓から北アルプスの情景が見られる。

私たち夫婦は、この20数年前に観光団体周遊旅行で訪れた時には、
初夏の6月下旬の午後3時過ぎの影響下であったのか、
山霧につつまれて視界は10メートル前後の悲惨な状況であったりした。


私たち三人は新穂高バスターミナルに着き、新穂高ロープウェイの出入り口に向った。
             
そして第1ロープウェイ、第2ロープウェイに乗り、終点の『西穂高口駅(2156m)』に下車した後、
幸運にも冬晴れで風もない中、マイナス5度前後と感じながら歩きだす、
とマウントビュー千石という4階建ての施設があった。
この屋上が展望台のようになって折、
北アルプスの連山が澄み切った快晴の中で観られた・・。
               

槍ヶ岳(3180m)が遠方に聳(そび)え、
3000m前後の連山が厳冬の雪を擁(いだ)き、厳粛さを感じる。
そして前方には西穂高岳(2909m)が圧倒的な威力のように聳(そび)え立っている・・。
               
この後、私たち三人はコーヒータイムとした後、家内たちは下界の熊牧場に行くので別れた。

この西穂高口の周辺は、千石園地となり、
この時節には雪の回廊が係員のお手数で作られている。
                     
暖冬のせいか、積雪は1m前後で20分程度の雪道であるが、
数多くの針葉樹が雪を枝葉に湛(たた)えて、
少女的な視線からすれば、クリスマス・ツリーのように観えたりするので、
齢ばかり重ねた私でも、童心のようにこうした景観に、心の中で歓声を上げて、
雪の回廊を歩き廻ったりしながら、デジカメで盛んに撮ったりした。
                        
                        

このような光景に私はデジカメで10数枚撮り、記憶の片隅としたりした。
この後、私は第2ロープウェイの『しらかば平駅(1308m)』で下車した後、周辺を散策した。
                   
そして陽だまりのベンチに座り、先ほどの西穂高口駅(2156m)の付近の情景は、
天上の神々が創られた地であった、と思いを新たにした。

余談であるが、私達3人が最初に第2ロープウェイに乗り換えた時、
何故かしらか若い女性の係り員がチョコレートを手渡していた。

『あたし・・もらえなかったわ・・』
と家内の母は残念そうに言った。

私は男性ばかりに手渡して折、バレンタイン・デーでささやかなプレゼントとして解かったので、
家内の母に手渡した。
チョコレートは婦女子の食べ物である、と呑兵衛の純米酒を愛する私は思ったりしているのである。


   第4章  されど、『たるまの滝』

私たちが旅行に行く前から、今回の旅行先を家内なりに調べていた・・。

新平湯温泉の付近に、平湯川が流れて折、
夜間のひととき凍りついた川沿いの滝がライトアップされるので観よう、としていた。

私たち3人は夕食後、防寒着の支度をして、たるまの滝を目指して、零下の中をとぼとぼと歩いた。

たるまの滝は暖冬の為、凍らず音を激しく立てて流れ落ちている・・。

この後、この平湯川の川底にトンネルがあるので行って見たが、
川幅を横断して造られて折、途中で観覧しやすいように大きな出窓のように開かれていた。
前方に水量豊かに激しく音を立ててに流れていた・・。

雪解けの時節の折、川幅も川面に大きく変わり、
川沿いの樹木の枝葉の若葉を見せることを想像したりした。

帰路、青年団の方たちが、誘導案内のようなことをなさっていたので、
周辺のまだらな雪を観ながら、私は話しかけた。

『このような情景は・・平年ですと・・いつぐらいの季節ですか・・』
と私は訊(たず)ねた。

『3月の中旬前後の状態です。
いつもは雪がこの辺でも・・60センチ前後あるのですか・・』
と快活そうな青年は答えた。

私たちは宿泊先に戻り、冷え切った身体を温める為、お互いにお風呂に急いだ・・。

深夜、雨が降りだしてきた。


   第5章  旅先の読書

私は温泉滞在旅行の折は、数冊の本を携えていく。

寝る前とか、お天気が悪化して、外出しないで館内にうろうろしている時、
最適な友となったりしているのである。

今回は月刊総合雑誌の『文藝春秋』、
そして長谷川 櫂・著の『四季のうた』(中公新書)の2冊である。

14日(水曜日)は予定通り、雨が降りしきる1日だったので、
観光ホテルの館内でゆっくりしよう、と私たちは話し合ったりしていた。

私は朝食の前後、大浴場と露天風呂に入れば、
ロビーの隅で煎茶のペットボトムかコーヒー缶を飲みながら、新聞を読んだりする。

インターネットの設備がないので、『日経』と『地方紙』を読む。
地方紙の場合は、その地の状況が解かる手掛かりなるので、私は一読している。

この後は、部屋に戻り、布団にもぐり、持参の本などを読んだりしている。

目が疲れると、窓辺から前方の里山を眺めたりしている・・。

雨が一時止んだ後、山霧が地上付近から湧き立ち、里山の頂(いただ)きに向かって、上昇しているが、
風を受けて左側にゆるく昇っている。

その後は、頂きから空に上昇しているが、雨雲の中に吸い込まれていった。

夕刻になると、夕霧の中、冬木立の情景が心に残ったりした。

こんな堕落した1日であったが、
敗戦後から今日までの小説で、百年後でも読まれる小説とは・・、などとせんなきことを思考したりしていた。

深夜、目覚めると雪が降りだしてきた。
                              《つづく》
                      
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ぐうだらな齢ばかり重ねた私でも、ときには夢の中で早春の情景に思い馳せて・・。

2013-01-30 18:57:31 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の68歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後35年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

午後の一時過ぎに我が家のテラスに下り立ち、ぼんやりと樹木や草花などを見たりした。
冬晴れで11度前後の3月中旬の陽気に恵まれていたが、
水仙(スイセン)も莟〈つぼみ〉も見えず、白梅(ハクバイ)、そして紅梅(コウバイ)は莟〈つぼみ〉が固く、
やはり昨年の12月から平年より寒かったので、
平年より遅れているのかしら、と微苦笑をしたりした。

この後、風邪気味のせいか気力がなく、午後は本を読もうと思った。
そして何よりも安楽な処は、2階の寝室の布団であると思い、
煎茶とコーヒーをお盆に載せて、一冊の本を持ちながら寝室に行った。

昼下りの2時過ぎに、私は和室の寝室の電気毛布で温かくした布団にもぐり、
過日、帯広の旅路で買い求めた松山善三・著作の『依田勉三の生涯』(ハースト婦人画報社)の後半部を開いた。
そして障子に陽射しを受ける中、本を2時間ばかり読んだ後、寝ついてしまった・・。

まどろみながら目覚めると、何かしら夢の中で、我が家の小庭の早春の情景を見たのである・・。
               
私が新春の頃から、早春の時節まで、こよなく愛している水仙(スイセン)である。

        
そして白梅(ハクバイ)は平年ならば2月の初旬の頃から、寒さの中で凛と咲き始めて、
2月の下旬の頃まで彩(いろど)ってくれるので、冬麗の美のひとつと思ったりしている。

               
こうした中で、白梅(ハクバイ)より10日ぐらい遅れて咲いてくれるのが紅梅(コウバイ)であり、
少し華やいだ情景が享受できる。

いずれの早春の花は、ここ35年ばかり私は見つめたりしてきたので、
過ぎし日々のささやかな思いと共に、愛惜を重ねたりしている。
掲載した写真は、去る2007〈平成17〉年の2月中旬に、たわむれで撮ったものである。

このような思いを秘めている私は、夢の中で早春を待ちわびているのかしら、
と正気に返った私は、微苦笑したりしている。


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旅から帰宅すれば、愚図の私は、何かと慌ただしく過ごし・・。

2013-01-29 16:32:17 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
ときおり家内と共通趣味のひとつは国内旅行であり、日本の各地に四季折々に訪ねたりしている。

旅から帰宅すれは、愚図で齢ばかり重ねた私は、何かと慌ただしく過ごすことが多い・・。

もとより旅行は非日常の出来事で、平素の私は年金生活の今はのんびりと過ごしたりしている。

定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書をすることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、茶坊主もしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして時折、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内と国内旅行をしたりしている。


旅行する前日、家内は台所を洗い清めたり、洗濯物も残さず、
そして冷蔵庫の肉類、魚類、野菜物、牛乳など殆ど空の状況にしないと満足しないタイプなのである。


私たちは旅行の滞在日数が多い場合は、旅先の最終日に現地より旅行バックを宅配便を利用して、
自宅に送付することが多いが、
帰宅後は部屋に外気を入れたり、着替えたりした後、手荷物を開けたりしている。

そして煎茶、コーヒーを私が淹れた後、私は入浴したりする。
この間、家内は宿泊した売店、お土産屋さんで買い求めた漬物などを皿に移して、
食卓に並べたりしている。

そして風呂上りの私は、旅先で購入した日本酒を呑みながら、漬物などを食べている間、
家内は入浴している。

その後は私たちは、旅先のこぼれ話を談笑したりする。

翌日は、家内は洗濯の合間に掃除をしたり、料理をしているが、
私はスーパーを2店ぐらい廻り、パン類、肉類、魚類、野菜、牛乳などを買い求めたり、
この間に、このブログサイトの投稿する内容を考えたりしている。

そして出来る限り、旅行の綴りは紀行文の形式に準拠したく、
内容、構成とかを配慮しながら、苦心惨憺としながら綴ることが多く、
その上に昨年の晩秋から投稿文に写真を添付してきたので、画像表現に未熟な私は我ながら不満足で、
溜息を重ねながら表示したりしている。

結果として、やむなく短めの散文で写真を添付して、ごまかしたような手抜き投稿文となっている。

しかしながら、せめてタイトル名には配慮したりしている。。

もとより小説、随筆、映画などの場合は、
タイトル名で内容を適切に凝縮した表現となるので、
私も拙(つた)ないなりの投稿文であるが、タイトル名は気にしている。


今回の旅は、たまたま北海道の帯広市の郊外の近くの幕別温泉の観光ホテルに
1月20日より5泊6日であったが、
タイトルも手抜きで、何とか6通ばかり投稿したりした。

この間にネットで毎日のように精読しているニュース、音楽業界のサイトを見たり、
このブログサイトで私が愛読している50数名の方の五日分ぐらいを読ませて頂ただいたりしている。

その上、旅先で読み残した本の読書もあり、私なりに忙しいのである。

そして私がブログの最終文を投稿した後、何とか数日後に平常の時間に戻ることが多い。


本日の午前中、平素のように私は独りでスーパーに買物に行った後、
家内から京王線の『仙川』駅前のドラッグストアーで買い物を依頼され、
私は根はケチなせいか路線バスに乗車せずに、いつものようにのんびりと片道20分はかりの路を歩いた。

冬晴れで風もない10度前後の恵まれた中、旧家の稲荷神社の梅を観たが、
陽当たり良い処なのに莟〈つぼみ〉の状態であった。
               
私は見上げたりしたが、このような莟〈つぼみ〉は、
平年ならば少なくとも三分咲きの冬麗の情景であり、昨年の12月からの寒さの多い日があった影響かしら、と微苦笑したりした。

その後、坂道の上りきると、冬の花が少ない中、道路のはずれに藪椿(やぶつばき)は満開となり、
思わず足を止めたりした。
               

帰路、商店街のはずれに寺が多い中、道路に面したある門前には、格言が掲げている。
               
私は心の中で呟(つぶや)きながら、人生の生きた哲学のように学び、
私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、 人生の戒(いまし)めとして、
特に定年後の年金生活を始めてから教示されているひとつとなっている。

この後、自宅に向かう途中、旧家のはずれに欅(けやき)の冬木立を眺めたりし、
                  
私は幼年期は農家の児として育ったので、この時節はこうした情景が安堵しながら観ることが多い。

このような平素の生活に、私はやすらぎを実感して過ごしている。

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十勝地方の幕別温泉滞在記 最終章 絹糸のような雪が舞い降り

2013-01-28 15:42:20 | 
        最終章 絹糸のような雪が舞い降り

私たち夫婦は24日の快晴の中、十勝川の川沿い、十勝温泉の街並みを散策したり、 
そして札内(さつない)川が十勝川の大河にそそぐ近くに十勝中央大橋の歩道を歩いて渡ったりし、
数時間ばかり魅せられて彷徨(さまよう)ようにひたすら歩き廻ったりした。

そして3時少し前に滞在している観光ホテルに帰館した後、
部屋のベランダから山里の情景を観たりしていると冬場晴れから曇り空に変貌し、
まもなく右側からは絹糸のような霧状の雪雲が低地を覆(おお)いはじめて、やがて雪が舞い降り始めた・・。

何かしら札幌の郊外、十勝平野の奥地の糠平(ぬかぴら)温泉地で見てきた雪質と違い、
霧状のような雪が舞い降り、私たちは長らく見惚(みと)れたりした。

翌日の25日は旅の最終日であったが、ベランダから稀な雪質に魅了されて、
二葉ばかり撮ったりした。
             

その後、私はホテルの正面にある小公園の情景を記念に撮ったりした。
             
この後、私はホテルの正面入り口を撮ったりした。
                   
早朝からホテルの方たちが除雪車で、くまなく歩道や周囲の道路を除雪し奮戦していたが、
霧状のような雪が舞い降っている。

まもなくホテルのひとりが、正面入り口で除雪され、やがて一段落していた時、
私は声を掛けたりした。
『除雪されるのは重労働で大変ですねぇ・・
しかし私たち旅人にとっては、待ち焦(こが)れた雪舞う情景でして・・
何かしら昨年に札幌で見たスノー・パウダーのような雪質と違い、
やはり寒さの関係なのですか』
と私は言ったりした。

確かに帯広のこの時節は、日高山脈などの山なみに囲まれて、
積雪は少ないが、朝夕の気温はマイナス15度前後の厳冬であり、この寒さが雪質に関係しているのかしら、
このような意味合いの言葉を私は交わした。
そして私は、
『雪が降りますと、気温が高くなり、たぶんマイナス3度ぐらいの暖かい朝ですねぇ』
と言ったりして、ホテルのひとりに微苦笑されたりした。
               

私たちはチエックアウト後、ホテルのご厚意でマイクロバスで帯広駅前まで乗車した後、
雪は止み、昨夕から今朝までの新たな雪積15センチぐらい中、街並みは変貌して、
私は見惚れたりした。

その後、とかち帯広空港行きのバスを待っている間は、
駅前の『ホテル日航 ノースランド帯広』のコーヒーラウンジで過ごそう、
と私たちは話し合っていた。

そして駅ビル内で土産品を『六花亭』で買い求めた後、再び雪が降ってきた・・。
私たちは『ホテル日航 ノースランド帯広』に向う途中、私は大きな『長崎屋』ビルに本屋の表示が見えた。

この後、私たちは『ホテル日航 ノースランド帯広』のコーヒーラウンジに入り、
家内がコーヒーを飲んでいる間、
私は札幌で見たスノー・パウダーのような雪が舞降る中、『長崎屋』ビルにある本屋をめざした・・。

私は23日に緑ヶ丘公園の園内にある『百年記念館』を訪れ、
改めて十勝地方を開拓に貢献した人々の苦難が多かった人々を学んだりした。
そして何かしら思い込みの強い私は、この夜の夢の中で開拓に貢献した人々が出てきたのである。

このような思いで、何かしら書物で改めて学ぼうと思ったりしていたので、
本屋にかけ参じたのである。

許された短時間で選定した一冊の本は、
                  
松山善三・著作の『依田勉三の生涯』(ハースト婦人画報社)であり、
本書は1979〈昭和54〉年に潮出版社より刊行され、その後の復刻本である。

私は十勝地方を開拓に多大に貢献した晩成社を率いた依田勉三(よだ・べんぞう)氏を、
私が長年敬愛している映画脚本家、作家である松山善三(まつやま・ぜんぞう)氏が、
御存じで、しかも書物に著作され上梓していたことに、私は驚きながら買い求めた一冊となった。

そして私はスノー・パウダーのような雪が舞降る中、小躍(こおど)りしながら、
家内が待っている『ホテル日航 ノースランド帯広』のコーヒーラウンジに戻った。

そして私たち夫婦は窓辺から雪が舞降る情景をコーヒーを飲みながら談笑した。


やがて私たちは、とかち帯広空港行きのバスに乗車し、
雪が舞降る広大な雪原を車窓から眺め、これこそ冬の圧倒的に魅せられ北海道の情景だ、
と私は高揚しながら家内に小声で話したりした。
                            《終り》

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十勝地方の幕別温泉滞在記 第4章 十勝川の川沿いを散策 

2013-01-27 15:34:23 | 
     第4章  十勝川の川沿いを散策

十勝平野は幾千の川が流れ、ほぼ中央に位置する帯広市は、十勝川、そして札内(さつない)川の大河が流れている。
そして札内川は、十勝川にそそぐ近くに十勝中央大橋があり、この大橋の下流の近くに十勝温泉がある。
この十勝温泉の川沿いに白鳥などの野鳥が飛来する、と書物にも明記され、
或いは川沿いの情景が旅人、写真の愛好家から賞賛されている、と私は学んできたので、
野鳥好きな家内、私は川沿いの情景に魅せられて、この地に向った。

駅前より路線バスに乗り、十勝温泉のあるホテル前で降り、
その後は適当に散策した時、十勝川のはずれの小さな川で、私には川霧のように見えたので、
私たち夫婦は川岸に下り立った。
             

気温がマイナス3度前後と私は感じたりしていたので、もしかしたらホテルの温泉が注(そそ)がれているのかしら、
とも思ったりした。

そして残り雪のある河原を歩いた行くと、野鳥の声が聴こえてきた・・。
             
この右手にある看板の野鳥の説明図の近くにネットで囲まれた中で、
白鳥、カモなどが50数羽見られ、近くには餌台が置かれて、家内は盛んに餌を野鳥に与えたりしていた。
                 

その後、観光温泉のホテル群の小道を歩いたりした後、
路線バスは2時間近く間があったので、駅の近くまで歩こう、と私たちは決意して歩きだした。
                  
やがて十勝中央大橋の積雪ある歩道を歩きながら、札内川が十勝川にそそぐ地帯かしらと思いながら、
デジカメで撮ったりした。
             
                      
そして十勝中央大橋を渡りきった時、記念に歩いてきた大橋の歩道を撮ったりした。
                            
ほぼ直線の道路はトラックなどの輸送車は疾走し、私たちは歩道をひたすら歩き、
ときおり周辺の情景を観たりした。
                       

その後、路線バスの標識が見えて、時刻表を見たら一時間ばかりあったので、
周囲を見渡すと幸運にも食事処があったので、昼食代わりに入店した。

そして想像したよりも美味であったので、このお店の情景を記念に撮ったりした。
                        

その後は無事に路線バスに乗車でき、やがて帯広駅の隣接した札内駅の近くで下車した後、
札内駅の駅前よりタクシーに乗り、宿泊しているホテルに帰館した。
          
                                       《つづく》
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十勝地方の幕別温泉滞在記 第3章 十勝幕別温泉の情景 

2013-01-27 13:27:13 | 
     第3章  十勝幕別温泉の情景

私たちが5泊ばかり滞在するレゾートホテルは、『十勝幕別温泉 グランヴィリオホテル』である。
http://www.route-inn.co.jp/gv/tokachi/
☆【十勝幕別温泉 グランヴィリオホテル 公式サイト】☆

そして私たち夫婦は、指定された10階の一室からのベランダからの情景を観たり、
12階の展望風呂から街並みを観たり、ときおり私はグランヴィリオホテルの周囲を歩き廻ったりした。

どんよりとした曇り空の日もあり、或いは澄み切った冬晴れの日もあったりした。
        
快晴の日の出の情景をベランダから撮ったり、ホテルの周囲からホテルを撮ったりした。
     
        
どんよりとした曇り空の中、ホテルの前の積雪の中のふるさと公園を撮ったりし、
この右手の小さな建物は公衆電話がある可愛らしい建物である。
        


そして快晴の夕暮れ時、夕陽が射し込む光景をペランダから観て、思わず見惚れながら撮ったりした。
        
                    


そして旅の前日の絹糸のような霧状の雪雲が低地を覆(おお)いはじめて、やがて雪が舞い降り始めた・・。
このことに関しては、後日に掲載する。
                                   《つづく》
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十勝地方の幕別温泉滞在記 第2章 『百年記念館』を訪れ、吉村博・帯広第5代市長に敬意 

2013-01-27 10:19:34 | 
     第2章  『百年記念館』を訪れ、帯広市の吉村博・第5代市長に敬意

今回の旅路のひとつには、十勝地方を開拓された人を学ぶこともひとつであり、
緑ヶ丘公園にある『百年記念館』を訪れて教示されることであった。

幾たびか北海道を旅行し、2008(平成20)年12月21日より4泊5日で札幌に訪れ、
冬の時節としては三度目の冬であったが、初めて『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観たり、
市内の各地をゆっくり散策したりした・・。

こうした中で吉田武三(よしだ・たけぞう)・著作の『武四郎つれづれ ~北の風土記』(北海道新聞社)を購読し、
遅ればせながら北海道の名付け親と称せられる松浦武四郎の道内をくまなく踏査の偉業を学んだりした。

そして一昨年の2011〈平成22〉年の12月中旬に、初めての冬の時節に帯広の観光温泉ホテルに滞在し、
十勝地方を開拓に貢献した晩成社を学んだりした。

今回、旅立つ前には、下記の【帯広市 公式サイト】から、改めて多々学んだりした。
http://www.city.obihiro.hokkaido.jp/seisakusuisinbu/kouhoukouchouka/shishi_01.html
☆【帯広市 公式サイト】<==帯広市史<==第一章 自然環境☆

このような思いを秘めて23日の朝の10時過ぎに『百年記念館』を訪れた。
          
そして館内の展示品を見たりした。
          
こうした中、映像装置で『帯広の森』関係のビデオがあったので、
私たち夫婦は指定して30分ばかり視聴し、過ぎし50年前の当時の帯広市第5代市長の吉村博からの提唱、そして輪郭で、
『帯広の森』が出来、やがて多くの市民の植林~剪定~再利用などの好意の結晶で、
数年前に30周年を迎えて、大きな森となり維持管理されている、と初めて学び感銘されたのである。

ビデオとほぼ同一内容が下記のサイトに明示されている。
http://www.city.obihiro.hokkaido.jp/toshikensetsubu/midorinoka/d070202obimori.data/obihironoima.pdf
☆【帯広市 公式サイト】<==帯広市史<==第一章 自然環境☆


やがて退館後、緑ヶ丘公園の園内を歩き、市民の植林された結晶かしら、と樹木を見ながら歩いた。
          
そして私たち夫婦は、緑ヶ丘公園に別れを告げて、街の雪が残る歩道を20分ぐらい歩き、駅前に出た。

                                   《つづく》
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十勝地方の幕別温泉滞在記 第1章 ばんえい競馬

2013-01-26 15:41:34 | 
     第一章  ばんえい競馬

十勝幕別温泉のリゾートホテルに滞在している中で、
優先的に緑ヶ丘公園にある『百年記念館』を訪れたかったのであるが、
21日の月曜日は休館日と旅立つ前に知っていたので、やむなく帯広競馬場の『ばんえい』競馬を観る為に、
9時過ぎに訪れた。

私は競馬場に関しても無知であり、わずかながら東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の頃に、
長兄の友人が来宅していた時に、教えを受けて中央競馬の府中競馬場に於いて、数回ぐらいレース券を購入して程度であり、
まったくの素人であり、ここ50年弱は競馬のレースから遠ざかっている。

しかしながら帯広競馬場は、世界で唯一『ばんえい』競馬を通年開催されている、
と知り、たまたま私たち夫婦は訪れたのである。
          

そしてレースが開催前であったので、競馬場の正門近くにある『とかちむら』で、
《 たくましい十勝の大地が育んだ新鮮野菜や色鮮やかな花々が並ぶ『産直市場』。
  食材の宝庫ならではの味覚が味わえる『キッチン』。
  豊かな気候と風土から生まれたスイーツやオリジナルグッズが揃う『スイーツ&セレクト』。
  3つのゾーンで四季折々の十勝の魅力をお楽しみいただけます。 》
と解説書に明記されていたので、コーヒーを飲んだり、家内はお菓子を食べたりした。

その後の昼食も、この『とかちむら』の食事処で、私は士別産のヒレステーキを食べ、
特選されたステーキだ、と家内に話しながら絶賛した。


競馬場の館内からレース場の近くで、私たち夫婦は見たりした。
          

その後、『ばんえい』競馬の開催中の裏舞台が見られるバックヤードが、
たった100円で見ることができるので、私たち夫婦と60代の女性は解説員の説明を受けながら、
競馬に関する施設、レース場の状況などを観たりした。

やがて隣接してある7頭ぐらいの馬、そしてポニー、ヤギ、ウサギなどがいる『動物ふれあい広場』で、
動物好きな家内は、盛んにニンジンを与えたりした。
          
結果として、家内は日本酒の高級な吟醸酒が買い求めるぐらい、それぞれの馬にくまなくニンジンを与え、
私は微苦笑しながら見たりしていた。

この後、競馬場の前よりタクシーで駅前の近くに出て、
この周辺で一番大きな『長崎屋』で防寒靴などを観たりした。
そして私は何よりも驚いたのは、エスカレータが階段状でなく、動く歩道が上昇しているような状態であった。
                   
私はデジカメを取りだして、見知らぬ女性が乗っていたけれど、記念に一葉だけ撮ったりした。

                                   《つづく》
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十勝地方の幕別温泉滞在記 序章 十勝幕別温泉に初めて訪れ

2013-01-26 09:41:09 | 
     序 章  帯広市の郊外にある十勝幕別温泉に初めて訪れ


私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであり、特に雪の舞い降る情景に魅せられて、
この時節になると、雪恋し、心情となり、
過ぎし20日より北海道の帯広市の郊外にある十勝幕別温泉の中のひとつのリゾートホテルに、
5泊6日で滞在し、周辺を周遊してきた。

私たち夫婦は何故かしら北海道の風土に魅せられて、幾たびか訪れてきたが、
無念ながら十勝地方の帯広の地域は、3度ばかりしかなかった。

最初は周遊観光で晩秋の時に、道東めぐりの2泊3日の最終で十勝地方を観たりし、
その後は、5月の知床半島のクルーズに魅了された後、旅の終わりとして十勝川の筒井温泉に宿泊したが、
いずれも雪のない時節であった。

私の心の奥底には、この十勝地方の帯広の冬のイメージは、
郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、蒼穹(そうきゅう)の情景である。
厳冬の晴れ間の中、雪の大地は凛とし、果てしなく青空が高く観えるのが、蒼穹(そうきゅう)の言葉に何よりも相応しい、
と思ったりしている。


私が今でも敬愛している亡き作家・立原正秋〈たちはら・まさあき〉氏の随筆から、
私が30代のなかばの昭和55年(1980年)10月の初旬に遅ればせながら
蒼穹(そうきゅう)という言葉を学んだ。

この中の随筆のひとつとして、知人が古美術店を開き、命名を頼まれ『蒼穹』と氏は名付けられた。
氏の発想の根源は、もとより氏は朝鮮半島で生を受けられたので、
大陸性の気候の中、冬の晴れ間の凛とした情景を思い浮かべて、
蒼穹(そうきゅう)という言葉を思い重ねただろう、と私なりに解釈した。

そして帯広市は、シンガーソングライターの中島みゆきさんが、
小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされた、と私は25年前に学んだりした。
私は中島みゆきさんを秘かに女神のように信愛し、
このお方の幾つかの歌に支えられて、この人生の難局を乗り切ってきたひとりである。

このような蒼穹(そうきゅう)の情景、そして中島みゆきさんが一時時期過ごされた地域を
私なりに少しでも学びたい心情があった。


こうした思いを秘めて一昨年の2011〈平成23〉年の12月20日より、
帯広市の郊外にある十勝川の筒井温泉にに2泊した後、
いつに日か訪れることを夢にみていた山奥の糠平〈ぬかぴら〉温泉の厳冬地の旅路をしてきて、
私たち夫婦は魅了された。

こうした体験があったので、今回はある旅行会社が企画したフリー滞在プランを利用して、
帯広の郊外の十勝幕別温泉の中のひとつのリゾートホテルに、
5泊ばかり滞在し、周辺を散策したりした。

この地域は、この厳冬期はマイナス10度前後、烈風か寒気団が襲来すればマイナス25度前後と予測して、
防寒着で身を固めて、周辺を歩き廻ったりした。


20日の冬晴れの中、東京の羽田空港で、11時30分発のとかち帯広空港行きを待合所で待機していると、
たまたま冬富士の情景が観えて、
          
『羽田空港から、富士山を見たのは初めてだょ・・』
と私は微笑みながら家内に言ったりして、これからの旅路は何かしら幸運があるのかしら、
と余計なことを思ったりした。


とかち帯広空港に予定通り午後一時に着陸した後、私たち夫婦は帯広市の駅前をめざして、
40分ばかり空港連絡バスに乗車した。
そして指定された『ルートイン帯広駅前』で待機していると、宿泊する送迎車のマイクロバスに乗り込み、
帯広市内の街中を通り、隣接した札内町の街中を走行し、やがて小高い丘を登りきった所に、
私たち夫婦が滞在するホテルが観えた。
          

そして館内に入り、チエックインする前に、私は思わず微笑んだりした。
          

私たちが5泊ばかり滞在するレゾートホテルは、『十勝幕別温泉 グランヴィリオホテル』である。
http://www.route-inn.co.jp/gv/tokachi/
☆【十勝幕別温泉 グランヴィリオホテル 公式サイト】☆

そして私たち夫婦は、指定された10階の一室に入り、宅配便で送付した大きめの旅行ケースを確認したり、
室内を見たりした後、ベランダからの情景を観たりした。
          

                                        《つづく》
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この冬の時節の昨年は、札幌に滞在して付近の名所を周遊【2012.1.28.~2.3.】 《最終》

2013-01-25 08:24:18 | 旅のあれこれ
            最終章  旅の終わりは、中島みゆきさんの『サッポロSNOWY』の歌に想いを馳せながら

私たち夫婦は、1月28日の土曜日より札幌の郊外にあるリゾートホテルのひとつの
『シャトレーゼ ガトーキングダム サッポロ ホテル&スパリゾート』に6連泊し、
この間は北海道中央バスの定期観光周遊プランを利用して、3回ばかり札幌の周辺を観光ツアーめぐりをした。

そしてこの間に、30日の午前中には私の突然な思いから『北海道大学』の構内を散策したりした。

或いは札幌の駅構内、隣接した『大丸』、『ステラプレイス』、
そして北海道中央バスの受付、待合場のある『エスタ』の2階も幾たびか利用したりした。
          
              『エスタ』の2階から観えた情景

前回に冬の時節に札幌に訪れた2008年の12月の下旬の際は、
繁華街のすすきの4丁目より200m前後にある『ススキノ グリーンホテル 2』に4泊5日し、
廉い価格帯の中から、このホテルの浴室は洗い場があり、単なる洋バスより遙かに利便性があり選定した。

この時は、札幌駅の南口より、地下鉄で『すすきの』駅まで利用したり、
すすきの周辺、南三条を歩き廻ったり、大通公園で『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観たり、
或いは『三越』に寄ったり、地下街の商店街を歩いたりした。

ある日には『サッポロファクトー』に行ったりし、中島公園にある『北海道立文学館』に訪れたりした。


今回は、連泊したホテルが札幌駅から郊外の北方にあるせいか、
駅の北口、そして南口まで幾度も歩き廻ったりしたが、前回に観た周辺は、
今回は観光バスの車窓から見た程度であり、札幌の市街は《ふところの広い街》と改めて実感させられたりした。

旅の最終日の前日の2月2日の日中、私たちは札幌駅に出て、
家内は『大丸』、『ステラプレイス』などで買い物している間、
私は本屋に寄ったりし、佐野眞一・著の『あんぱん 孫正義伝』(小学館)などを買い求めた後、
待ち合わせの北口の『ドトール』に行った。

そして窓辺に近い席に座り、コーヒーを飲んだりした。
窓辺からは粉雪が降っている情景が観えたので、しばし私は見惚(みと)れていた。

札幌の街並みは11月初旬の『文化の日』の頃から冬支度、
そして4月の学童が新たな進級が始まる頃まで、
粉雪、或いはスノーバウターの雪が降り、この間に冬晴れを繰りかえし、
芽吹きの時を待ちわびるのかしら、
と私は若き青年のような感傷的な思いで、舞い降る粉雪を見つめたりしていた・・。

そして北口の路線バスの方面から、独りの若い女性が歩いてくるのを見かけた時、
脳裏からひとつの歌が流れてきた。

♪大陸からの強い寒気が下がって 今夜半 冷え込みます
 夕方遅く降りだした雪は明日もかなり強く降るでしょう
 昨日ついた足跡もみんなみんな包んで
     サッポロSNOWY まだSNOWY あの人が
      《略》
♪本やTVで覚えたことも 嘘ではないけれど
     サッポロSNOWY いつかSNOWY あの人に
     言葉にならない 雪を見せたい
      《略》
【 『サッポロSNOWY』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】

このような歌が、私の心に占領したのである。

この後、私は家内と共にホテル専用の送迎バスで、ホテルに帰還する中、
街並みに降りしきる粉雪を車窓から眺め、市民の行き交う情景を重ね、この『サッポロSNOWY』の歌が流れていた。
《終》

注)この歌『サッポロSNOWY』は、中島みゆきさんのオリジナル・アルバム19枚目の『歌でしか言えない』、
  1991年10月23日に発売され、9曲目に収録された作品で、
  今回、無断ながら引用させて頂いた。


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この冬の時節の昨年は、札幌に滞在して付近の名所を周遊【2012.1.28.~2.3.】 《7》

2013-01-24 08:58:39 | 旅のあれこれ
         第7章  道内のお酒、そして道内の最上の和菓子のひとつは

私は北海道を旅行する時は、ビールに関しては、
ここ10数年、殆どサッポロビールの『クラシック』の瓶ビールを愛飲している・・。

もとよりアサヒ、キリンの大手のビールは成功しているビール会社で、
何かと劣勢なサッポロを応援したくなる性格であり、
ビールを呑みたくなった時は、『クラシック』の瓶ビールを呑んでいるが、
瓶ビールがなく、やむえず『クラシック』の生をジョッキーなどで呑む時もある。

しかし旅先で、サッポロビールの『クラシック』がない時、
どうしてなのか私は不機嫌になり、やむなくアサヒ、キリンの瓶ビールを呑んだりしている。

日本酒に関しては、平素の私は純米酒の辛口を呑んで、30数年過ぎているので、
道内の旅先は、『男山』、『千歳鶴』などの純米酒の辛口を呑んでいる。

今回の旅行でも、札幌駅の構内の大きな売店で『男山 特別純米』の4合瓶を見かけ、
北海道限定販売、と付記されていたので、小躍(こおど)りしながら買い求めたりした。

この後、滞在のホテルの売店で、『クラシック』の缶ビール500mlを10本ばかり、
そして道内の地酒の300mlを結果として6種類を買い求め、部屋で呑み比べをしたりし、
或いは煎茶のベットボトルも飲んだりした。

家内は売店で、道産のお菓子、食べ物を色々と買い求めて、食べたりしていた。


こうした中で、和食処『大善』で夕食を頂く時に、
単品料理をアラカルト(選定)をしょうとメニューを見ていた時、
日本酒の中で、『熊ころり』という銘柄を見たりしたのであった・・。

『各地方には・・鬼殺し・・の銘柄はあるけれど・・
〈熊ころり〉なんで・・はじめてだょ・・』
と私は微笑みながら家内に言った。

『珍しい銘柄名ね・・頂いたら・・』
と家内は笑いながら私に言った。

『北海道に相応しく・・熊かょ・・かなり辛口だけれど・・』
と私は言いながら、仲居さんに注文したひとつとなった。

蔵元は小樽市にある『山二(ゆまに)わたなべ』で、正式な銘柄名は『熊古露里』と明記されていたので、
風流を秘めた方が命名されたと確信を深めたりした。
超辛口で呑みやすく、たまたま私はホッケの焼いたのを食べながら頂いたので、心身の波長にあった。

もとより地酒は、文体と同様に独創性がなければ甚(はなは)だ魅力が薄れるので、
私はその地を思い重ねて頂き、風味、香りを楽しんでいるにすぎないのである。


お菓子に関しては、幼年期に農家の児として育ったので、特に洋菓子は解らないが、
道内の和菓子で圧倒的に魅了させられたのは、『柳月(りゅうげつ)』の『百代餅(ももよもち)』である。
http://www.ryugetsu.co.jp/online_shop/detail.php?id=5
☆【柳月(りゅうげつ)公式ホームページ】<== 商品紹介 <==『百代餅(ももよもち)』☆

過ぎし2006年10月中旬に、私たち夫婦は家内の母と3人で、
北海道の道北、道東を7泊8日の旅の最終日に釧路市を私は独りで散策している時、
この『柳月』の釧路店に入店して、三品を買い求めた中の一品であった。

家内は中学生から茶事を学んできたが、私は白みそ、柚子などの『百代餅 (ももよもち)』を、
この世の最上の和菓子のひとつである、絶賛した。

この後、家内は、
『先ほどのお餅・・確かに品位もあり美味しいかったけれど・・
貴方は・・やはり農家の児ね・・』
と家内は微笑しながら、味覚は幼年期で決まる、このような意味合いの言葉を重ねたりした。


今回、家内はホテルの売店で色々な道産のお菓子を買い求めて、
部屋で食べたりしていたが、この中のひとつを私は食べて魅了されたのは、
『わかさいも』であった。
http://www.wakasaimo.com/
☆【わかさいも本舗 公式ホームページ】☆

可愛らしい包みに《大地の恵みから 生まれた、スローなスイーツ》と明記されて、
『このお菓子だったら・・僕だって・・解るょ』
と私が微苦笑しながら家内に言ったりした。

                              《つづく》

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この冬の時節の昨年は、札幌に滞在して付近の名所を周遊【2012.1.28.~2.3.】 《6》

2013-01-23 09:46:57 | 旅のあれこれ
         第6章  ホテル館内の食事処

私たち夫婦は、1月28日の土曜日より札幌の郊外にあるリゾートホテルのひとつの
『シャトレーゼ ガトーキングダム サッポロ ホテル&スパリゾート』に6連泊した。

この間は北海道中央バスの定期観光周遊プランを利用して、
29日の日曜日に『千歳・支笏湖氷濤まつり』そして花火大会を観たり、
30日の月曜日に『大倉山&藻岩山 サッポロ☆トリップ』、
31日の火曜日には『秘湯丸駒温泉と支笏湖氷濤まつり』と称されたコースに、私たちは参加した。
そして30日の午前中には私の突然な思いから『北海道大学』の構内を散策したりした。

私は67歳、家内は62歳の齢を重ねた夫婦なので、旅立つ前は、
一日於きに観光ツアーに参加する予定であった・・。
マイナス5度前後の日中が多い予測した通りであったが、
積雪50センチぐらいの中、粉雪が降ったり、冬晴れとなったりしたので、
天候に順応して、早め観光ツアーめぐりをしたので、
疲れを感じたので2月1日は館内でのんびりしょう、と私たちは話し合ったりした。

食事に関しては、滞在している朝は、朝食は1階の広い『ヴィーニュ』でバイキング形式で、
私たち夫婦は窓辺で雪景色を観ながら、私は五穀米のご飯、そして味噌汁を中核に各料理を頂いたり、
家内はパン食を中心に各料理を頂いたりした。

夕食は観光ツアーの帰路、札幌の駅ビルの食事処は頂いたりしたので、
ホテル館内は、中華レストラン『香満樓』、そして和食処『大善』を利用した。
http://www.gateauxkingdom.com/restaurant-2/
☆【シャトレーゼ ガトーキングダム サッポロ ホテル&スパリゾート 公式ホームページ】<== レストラン・バー ☆

私はフランス料理のフレンチレストラン『ル・バラト』、鉄板焼『甲斐路』などは苦手であり、
イタリア料理の肉を中心の好みであるが、
何よりもコース料理は嫌い食べ物に接した時は悲惨なので、
単品料理をアラカルト(選定)して、お酒を呑みながら頂くのが、私たち夫婦としては、
ここ20数年圧倒的に多いのである。

中華料理は家内の好みなので、家内に選定させ、和食の場合は、魚を中心としたのを私が選んだりした。
いずれも私たち夫婦で、福沢諭吉のお札で何とか足り、美味であり、
年金生活の私たちに相応(ふさわ)しい、と私はこっそりと微笑んだりした。

このホテルは、スパの設備も併設されているので、
私たちは、朝、夕、ときには夜も大浴場、露天風呂を愛用させて頂いた。

そして夕闇が迫る頃、私は大浴場、そして露天風呂で身も心も温めたたりすると、
更衣室の戸に、隣室の簡易なレストランがあるが、
ビール(中ジョッキー)と枝豆 サービス価格XXX円 ポスターの絵柄があり、
呑兵衛の私は誘惑に負けて、家内の風呂上りを待ちながら、
この簡易なレストランでビールを呑みながら、枝豆を頂いたくことが多かった。

お酒、そしてお菓子に関しては、続編で明記する。

                              《つづく》
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この冬の時節の昨年は、札幌に滞在して付近の名所を周遊【2012.1.28.~2.3.】 《5》

2013-01-22 15:34:27 | 旅のあれこれ
         第5章  冬晴れの中の支笏湖の『氷濤(ひょうとう)まつり』と湖畔からの美麗は

31日も冬晴れに恵まれ、私たち夫婦は北海道中央バスの定期観光周遊プランのひとつで、
『秘湯丸駒温泉と支笏湖氷濤まつり』と命名されたコースに、私たちは参加した。

午前に『支笏湖氷濤まつり』を観た後、
湖畔に建つ『丸駒温泉』で入浴した後、昼食をするプランであり、
一昨日の29日の夕暮れから夜に『支笏湖氷濤まつり』と花火大会を私たちは鑑賞したが、
午前のひとときに『氷濤まつり』の情景も観たいし、湖畔の露天風呂から支笏湖を観てみたい、
このような思いで、私たち夫婦は観光ツアーに参列したのである。

札幌南口の駅前バスターミナルを観光バスは午前の9時半過ぎに出発したが、
私たち乗客はたった7名の一行となり、私は何かしら申し訳ない心情であった。、
そして冬晴れの燦々とした陽射しの中、支笏湖の駐車場に10時半過ぎに到着した。

『氷濤まつり』の会場に向った時、
湖畔から蒼い湖面の遠方に恵庭岳(1320m)の雄大な情景が観え、
        
付近の山なみも観えて、私は長らく見惚(みと)れていた。
        
      そして私はデジカメで盛んに撮ったりした。
               

この後、『氷濤まつり』の会場は、平日の午前中の為か、
私たちのような観光客は少なく、ゆっくりと氷像などを鑑賞したりした。
          
休憩所の近くに、道産子馬が二頭あり、その付近の小柄な馬のポニーが繋がれていた・・。
そして何かしら会場一周の乗馬料が明記されいたので、
私は会場の別場所で鑑賞している家内に声をかけたりした。

私は動物は苦手であるが、家内は動物大好きなひとりであるので、
記念に乗馬してみたら、と誘ったのである。

まばゆい陽射しを受けながら、積雪の上、馬の係員に導かれながら、
家内は乗馬したので、私はデジカメで10枚ぐらい撮ったりした。
          
この後、私はポニーの近くに、有料のニンジンを見つけ、
下馬した家内に伝えた。
そして家内は、ポニーに微笑みながらニンジンを幾度も与えたりした。

旅先でこうした動物を見かけると、家内は飽きずに餌を与える習性があるので、
私は微苦笑しながら見たり、デジカメで撮ったりした。
          
そして日本酒でたとえるならば、吟醸酒の4合瓶の料金を超え、
次の観光地に移動する時間も迫っていたので、私は家内にドクター・ストップを宣言したりした。


この後、私たち一行は観光バスの車窓から、湖畔から蒼い湖面、遠方に山なみの美麗を観ながら、
20分ぐらいして、湖畔に建つ『丸駒温泉』に12時半少し前に到着した。

http://www.marukoma.co.jp/
☆【丸駒温泉 公式ホームページ】☆

私たち一行は、出発の3時までの2時間半、20畳ぐらいの和室を控え室として指定されたが、
私は早速、大浴場で身体を温めた後、露天風呂に入浴しながら、
湖畔を観たり、蒼い湖面、そして遠方に聳える風不死岳(1103m)を中核とした山なみを眺めたりした。

その後、レストランの中央のテーブルで、
ビールを呑みながら、単品の三品を食べ、露天風呂から観た情景も良いが、
やはりレストランからの方が展望に良い、と微笑んだりしていた。

そして家内の風呂上りを待っている間、ビール瓶を3本も呑みほし、
齢ばかり重ねた呑兵衛の私は・・と微苦笑したりした。

この後、家内と談笑しながらビールを呑みながら、
今回の観光ツアーを3回ばかり利用したが、予測した以上に良かったねぇ、と互いに微笑んだりした。

                              《つづく》

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この冬の時節の昨年は、札幌に滞在して付近の名所を周遊【2012.1.28.~2.3.】 《4》

2013-01-22 08:20:12 | 旅のあれこれ
         第4章  大倉山、藻岩〈もえい〉山の展望台から市内の街並みを一望すれば

30日の午前中は冬晴れのまばゆい中、初めて訪れる北海道大学の構内を散策した後、
午後は大倉山、藻岩〈もえい〉山の展望台から市内の街並みを一望できるだろう、
と私たち夫婦は、北海道中央バスの定期観光周遊プランのひとつで、
『大倉山&藻岩山 サッポロ☆トリップ』と称されたコースに、私たちは参加した。

札幌南口の駅前バスターミナルを観光バスは午後2時半少し前に出発し、そして街中を通り過ぎ、
郊外の『大倉山ジャンプ競技場』の駐車場にわずか20分前後で到着した。

この『大倉山ジャンプ競技場』は、私たち夫婦は1981〈昭和56〉年の夏、
初めて道南地域の旅行をした時、札幌に無知な私たちはハイヤー観光で周遊した時、
この『大倉山ジャンプ競技場』にも立ち寄ってくれたが、
確か草の生い茂る周囲に、ジャンプ台が観えただけであった。

駐車場、スポーツミュージアムなどが新設され、
ジャンプ台の頂上まで、二人乗りのリフトがあり、私たちは驚きながらリフトに乗った。
          
こうしてリストに乗りながら、私は突然に心の中でひとつの歌が思い馳せたりした・・。

♪虹の地平を 歩み出て
 影たちが近づく 手をとりあって
  ・・
【『虹と雪のバラード』 作詞・河邨文一郎、作曲・村井邦彦、唄・トワ・エ・モワ 】

私は苦手なトワ・エ・モアの札幌冬季オリンピックの歌なのであるが、
スポーツに興味のない私さえ、脳裏に残っていた。

もとよりアジアと日本で初めて開催された1964年(昭和39)年の秋の『東京オンンピック』に続き、
冬季オリンピックを『札幌』で開催させようという機運が高まったりした後、
政官財はもとより、多くの日本人が純粋に熱狂し開催できた最後のスポーツ祭典と思ったりしたのである。

その後のスポーツ祭典は、政官財と開催される自治体の思惑が感じられ、
一部の日本人は醒めた祭典となった、と私は強く思ったりしたのである。
          

そして山頂の展望台からは、広大な市内の街並みが一望でき、しばらく見惚(みと)れたりした。

その後、観光バスは『藻岩山』に向かい、急速な坂道を登りきると、駐車場があり、
私たち一行はロープウェイに乗車し、雑木林、街並みを観ながら上昇した。
そして中腹に着くと、ミニケーブルが観え、その近くに小型バスにキャタピラを付けた雪上車があり、
『モーりす』と大きくか書かれていた。
          
この可愛らしい『モーりす』号に乗車したが、
私たち夫婦は東北の蔵王で遠刈田方面から蔵王の樹氷めぐりをした時に、
本格的な雪上車の乗車し、山頂をめざした体験があったので、微苦笑を重ねたりした。

そして展望台から山なみ、市内の街並みが一望でき、圧倒的に私は魅了された・・。
        

10分ぐらい東西南北の情景を観たりした後、早くも夕闇がせまり、往路はミニケーブルに乗車し、
そしてロープウェイに乗車し、下方の市内の街並みの灯りが一望できた・・。

ぼんやりと私は、こうした情景を観ていると、過ぎし日に市内の街並みの灯りを一望したことが思いだされた・・。

2002(平成14)年の年末、私達夫婦は『ゆく年くる年 日本のてっぺんでお正月3日間』
と称された団体観光周遊ツアーに参加した。
私の定年退職したのは2004(平成16)年の秋であったので、現役は残すところ1年10が月前であった。

この旅の終わりの寸前、札幌の郊外の根雪となった羊が丘で散策している時、
札幌の市内の灯りが満天の星のように観える中、
お正月の旅行も終ったね、と私は家内と笑いあったりしていた。

この後、私はまもなく中島みゆきさんの『根雪』の歌が心の中で流れたのである・・。

私は1970(昭和45)の春、ある大手の民間会社に中途入社し、
まもなく新設されたあるレコード会社に転籍させられた。
その後、レコード業界は、業界全体の売上げピークは1998(平成10)年で、
デパート業界と同様にかげりが見え、
この前後に各社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、
早期退職優遇制度により退職が行われた。

先輩、同僚、後輩の一部の人が、第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出され、
私も出向となり、取引会社のひとつの物流会社に勤めた。

私が定年を迎える頃まで、いくたびかリストラが実施され、
長年苦楽を共にした先輩、同僚、後輩たちと別れを告げたりした。
そして、出向先の物流会社も何度かリストラで、お世話になった方たちの送別会に出たりした。

私は出向先で、人員削減の荒波から退避したような立場となり、
心身とも辛い日々を過ごしていたのである。

こうしたことが札幌の街並みを眺め、思いだされてきたのである。

♪町は 毎日 冬
 どんな服でかくしてみせても
 後ろ姿 こごえてる
 ひとり歩きは みんな 寒い
    (略)
 いつか時が経てば
 忘れられる あんたなんか

【『根雪』 作詞・作曲・中島みゆき、編曲・福井 峻、唄・中島みゆき 】

私はやむえず業界から立ち去った先輩、同僚、後輩の一部の人たちが浮かび、
愛惜感でいっぱいだったのである。

このようなことを思い重ねたりしていた・・。

あれから10年は過ぎ、あの頃は現役サラリーマンで定年退職時まで残すところ1年10が月前であり、
出向先で5年半を勤務していた私は、出向先の物流会社、そして出向元の私が30年近く勤めた会社も、
リストラ烈風で、私自身は出向身分であったので、人員削減の荒波から退避したような立場となり、
心身とも辛い日々を過ごしていた・・。

あれから何とか定年退職を迎えた私は、私は第二の就職を避けて、
年金生活に入り、早くも年金8年生となっている。

過ぎ去ってしまえば、時が解決する、という名言があるが、
そうですよねぇ、と私は微苦笑させられたのである。


観光バスで札幌駅が観えた時、隣席にいる家内が、
『この観光ツアー良かったわ・・
昼下がりに大倉山の展望台からは、冬晴れの中、広大な市内の街並みが一望できたし・・
藻岩山の展望台の帰りにロープウェイからは・・下方の市内の街並みの灯りが一望できたし・・
良かったわ・・』
と家内は微笑みながら私に言った。

『そうだよねぇ』
と私は微苦笑しながら、家内に応えた。

                              《つづく》
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