高田城址公園の外堀を埋め尽くす蓮、「東洋一」と称されるその規模と美しさは、
紅蓮の中にところどころ白の蓮が入り混じって咲く様子にある。東洋どころか世界でも珍しい蓮花群らしい。
日本三大夜桜で有名な高田城址の夏の風物詩「観蓮会」を訪ね歩くのも良いかもしれない。
上越市高田には、赴任2回で延べ11年間暮らしたから、何はともあれ懐かしい。
だから信州に帰省するたびに、ここまで足を延ばして観て食べて呑むことにしている。
高田城址公園から真東に車を走らせる。県道はやがてR405に変わり、
15分も走ると高田平野の端に到達する。ここに岩の原葡萄園がある。
青く光っているのは雪、それこそ冬の高田には捨てても余る雪がある。
ここは「雪室」という天然の冷蔵庫、冬に降り積もった雪を貯蔵して夏場の冷蔵庫として活用する。
第二号石蔵には樽が整然と並んで、ワインが深い眠りに、いや静かに発酵している。
隣の雪室から流れている冷気が、低温発酵・低温熟成のワイン造りを実現している訳だ。
ワインショップで試飲タイム、今日は運転手だから、香りだけ御相伴にあずかるのは辛い。
“深雪花(みゆきばな)” というのは雪椿をイメージして命名されたワイナリーのメインブランド。
白はシャルドネとローズ・シオターが融和して、ロゼはマスカット・ベーリーAを仕込んでいる。
“ローズ・シオター” という辛口が気に入ったようだ。洋梨のような香りというがボクには分からない。
何本か買い込んでいたから、いずれ刺身か酢の物か、はたまたムニエルに合わせて食卓に登場するでしょう。
ワイナリーから5分ほど山間に入ると、築300年の豪農の館を移築したそば処がある。
褪せた暖簾には「木草庵」と白く抜いてある。ちょっとお気に入りの店なのだ。
“手打ち天ざるそば” が登場、付け合わせの豚肉と大根の煮物が泣かせる。
旬の山菜や夏野菜の天ぷらは大皿に盛って突いたら楽しそうだ。そう田舎の祖母の家に集まったように。
そばは上越ならではの「とよむすめ」で、このあたりでは自然薯をつなぎに使う。
甘さと香りが立つそばの喉ごしを楽しむ。古民家の雰囲気と相まって幸せな気分だ。
さてっと信州に戻ろう。今日は北信濃にとっておきの湯宿を予約している。
<40年前に街で流れたJ-POP>
DANCING SHOES / 松田聖子 1985
横浜から特急に乗車すると最初の停車駅は上大岡、ほどよい都会感があって好感度が高い。
バスターミナルの通路を抜けると、通りの向こうの階上にその居酒屋がある。
冷えたタンブラーに生ビールが注がれて、横浜でのトワイライトタイムが始まる。
“唐もろこし唐揚げ” は夏野菜の甘味たっぷりで、ビールのお供にはちょうど良い。
なぜ今宵上大岡かというと、ことの発端は先日の仙台の炉ばた酒場。
狭いカウンターで袖振り合ったのがこの店のマスターで、しばし親しく談笑をさせていただいたからだ。
この若い経営者は新しい店を出そうと、杜の都で何軒かの酒場を視察中だったらしい。
熊澤酒造(茅ヶ崎)の “湘南” の吟醸を注いでもらう。ちゃんと地酒を置いてくれているのが嬉しい。
看板的メニューだという “だし巻き” を焼いてもらう。ハーフサイズでOKだって。
仙台では人懐っこい感じの彼も、カウンターの中ではキリリと料理人の表情だ。
ジュワッと旨味たっぷりのだし巻きと、爽快感のある辛口の吟醸酒がよく合う。
“箱根山” は足柄の井上酒造の酒、ふくよかで後味キレ良くスッキリした純米酒。
肉はジューシーで、皮がパリッと焼けた “若鳥柚子コショウ焼き” はなかなかの逸品だ。美味しい。
お互い問わず語りで、開店直後の楽しい時間、酒肴のこと、新しいビジネスこと。
ちらほらと常連さんで席が埋まり始め、バイトの女の子は入ったのを潮にお勘定。
ご馳走さまでした。また伺えるかな、新しいお店には必ず。
<40年前に街で流れたJ-POP>
セーラー服を脱がさないで / おニャン子クラブ 1985
R120、竜頭の滝から戦場ヶ原に向かうワインディング、落葉広葉樹の葉陰から夏の陽光が射す。
少しでも涼しい風に吹かれようと、日光までやってきた。これから金精峠を越えて群馬に抜ける。
09:00AM、神橋を左手に見ながら大谷川を渡って神域に入る。
とりあえず東照宮くらいは詣でておきたい、ところがだ、拝観受付所にはこの時間から長蛇の列。
警備員氏によるとこの列は30〜40分の待ちらしい。
それではっと、左右の仁王像が睨みをきかす表門に手を合わせ、
小浜藩が奉納したという極彩色の五重塔を仰ぎ見てから踵を返す。先を急ごう。
第二いろは坂を駆け上がる。上り専用の二車線だから、続くヘアピンカーブに
上体を右に左に投げ出すようにして、右車線からクルマを抜き去っていく。なかなか爽快だ。
中宮祠まで登り切ったら華厳滝に寄り道、日光二社一寺の混雑はまだ追いついて来ないようだ。
すんなり乗れたエレベーターを降り、冷んやりした地下通路を抜けると、霧状の飛沫に包まれる、
落差97m、しぶきを上げながら滝壺へと落ちた水が、こんどは勢いよく岩肌を洗って滑り落ちる。
観瀑台からの眺めは、吸い込まれるようで、ダイナミックで、そして涼やかだ。
男体山の噴火による溶岩が渓谷を堰き止めたという中禅寺湖、最大水深は160mもあるらしい。
明治中期以降は大使館別荘が建てられて、ある意味国際的な避暑地といえる。
賑やかな湖畔も中禅寺湖畔ボートハウス辺りまで走ると、静かな避暑地の雰囲気になる。
深く青い神秘的な湖面に微かにさざなみが立っている。見上げる雲の流れは早い。
振り返ると中禅寺金谷ホテルのログハウス、コーヒーハウス「ユーコン」がある。
ここでのランチは宿泊せずともリゾート気分を味わうことができるから、開店時間に合わせて飛び込んでみた。
サイドメニュー的な “フライドポテト&オニオンリング”、これは美味い。そしてホテルクオリティ。
それでいてなかなかのボリューム、生ビールが欲しいところだけど、今回はしょうがない。
Pizzaはシンプルに “マルゲリータピザ” がいい。
甘酸っぱいトマト、とろ〜りとモッツァレラチーズ、バジルが香って絶品の一枚だ。
ヘルメットの中にマルゲリータの余韻を残して、Zはさらに標高を稼ぐ。
戦場ヶ原から湯ノ湖を過ぎると、R120は地肌が見える日光白根山を眺めながら峠道にかかる。
標高1,840mの金精トンネルを駆け抜けると群馬県、一服の清涼を求めた日光のツーリングなのだ。
We'll Never Have a Trouble / The Square 1985
新南口を降りて、さくら坂を登り始めると老舗の立ち呑みがある。
客層は週末ということもあって、30代いや20代も居るか、御同輩は少なそうだ。
「俺ってクールだろ」と言いたげに、若い奴が大人の時間を愉しんでいる。
女子二人連れにとっては、ここで軽く食事をするのはファッションか。
彼女を連れてきて「どう、渋いでしょ」っとドヤ顔の男だけはいただけない。
こちらは本当に渋い “赤星” を注ぐ。よく冷えている。
ちょっと長たらしい “鬼おろし薬味シラス冷奴”、その名のとおり結構にぎやかで、そして美味しい。
千切りキャベツにマヨネーズ、上に数枚のハム、和えてないから “ハムキャ別”、看板メニューだ。
コラボしているキューピーから携帯サイズの提供があったから、上からたっぷりかけてみる。
ここらで日本酒に替える。会津坂下の “天明” は夏らしい打ち上げ花火のラベル。
バニラの風味がほんのり香るうすにごりが、スッキリと爽やかな純米酒だ。
西に長旅をして二杯目は “富久長”、シャープなキレのある辛口純米“夏”は、安芸の酒だ。
これもまた絶品なのが “鰹レアフライ”、薄衣がカラッと揚がって、内はたたきそのままにレア。
岩塩を塗して、さらにタルタルを纏わせて齧る。美味い。夏の辛口酒にも合うね。
古臭さとお洒落を上手に表現した店、季節感のある旨い酒のラインナップ、
ひと捻りもふた捻りもした尖ったアテ、ここはなかなかの店ですね。
なるほど感度が良い若い奴らが集まるのも頷ける。感心するばかりのオヤジ世代なのだ。
さて、いよいよ後半戦に入る立ち呑みで巡る山手線、次は恵比寿に降ります。
<40年前に街で流れたJ-POP>
魔女 / 小泉今日子 1985
ガタゴトと1番ホームに2両編成が入ってきた。大きく「いい電」のヘッドマークを付けている。
フロントのカラーリングは葡萄色と桃色だろうか。
今日は車窓に果樹畑を眺めながら、東北の古湯をめざして福島交通飯坂線を旅する。
駅ビルの狭間で起点駅の風格もなければ旅情もない福島駅だけれど、
むしろ600m先の曽根田駅は開業当時の姿にお色直しをして風格がある。
駅舎には自家焙煎コーヒーと手作りケーキの瀟洒なカフェが入っていて、
地元のマダムたちがちょっと贅沢な時間を過ごしている。って雰囲気かな。
2両編成のいい電は、県道3号線に沿って北上していく。
この1000系電車は2017年以降東急東横線からやってきた。
面影が感じられないのは、全てが中間車両を改造をしたものであるかららしい。
路線延長半ばの桜水駅には車両基地が併設されている。
側線に並んでいる顔ぶれを見ると、すでに全てがこの1000系に置き換わっているようだ。
そしてありましたよ1編成、赤とアイボリーの伝統的なカラーに塗られた車両が。
都会的なシルバー基調もいいけれど、福島交通らしいこの電車がいいね。
運転席への入口には温泉暖簾がかかっている。若い車掌氏がのれんを潜って出入りする光景は微笑ましい。
2両編成のいい電が、ガーダーを鳴らして小川鉄橋を渡るころには温泉街が見えてくる。
終点の飯坂温泉駅、線路は1本で両側にホームがあって、降車ホームと乗車ホームを区別している。
東京モノレールの浜松町のような、都会的センスと効率的な運用を感じさせる。
ホームは半地下のようになっていて、階段を上がると駅舎がある。
「ようこそ!飯坂温泉へ」の広告柱はグルメ情報が満載だ。
そしてこの地にも寄っていたのは、日本史上最高の俳諧師のご一行様だ。
ところが苫屋のような宿に泊まったご一行、蚤と蚊に悩まされたようで、好意的な感想を記していない。
温泉街には8つの共同浴場がある。鯖湖湯(さばこゆ)は日本最古の木造建築共同浴場らしい。
平成の世になって、湯船は御影石に改築されたけど、ヒバ材の香りに包まれて至福の時を過ごせる。
だなんてとんでもない。何せ泉温は51.0度だから水遊び否熱湯遊びが精一杯。
意を決して肩まで浸かる。湯舟の中で動いたら熱くて耐えられそうもないので、じっと固まる。
いいところ30秒、オヤジの肌も福島の「はなもも」のように染まるのだ。
鯖湖湯の近く、小さな旅館の勝手口に「蕎麦」の暖簾が掛かっているから、つい吸い込まれる。
メディアにも取り上げられているらしい古民家風の内装の「二八更科蕎麦 そばひろ」なのだ。
火照った身体にキンキンに冷えた “一番搾り” を流し込んで、一息ついた気になる。
アテは “酒つまみ三種” を択んで、あれっ小鉢が四つ、まぁ良い。
そして “冷しラジ玉そば” が登場、薬味に任せてほどよいコシの二八をズズッと啜る。んっいいね。
半ばしたらラジウム温泉玉子を割ってマイルドに、最後のつゆまで愉しんで、美味しい。
いい電の「1日フリーきっぷ」は、共同浴場入浴券がついて1,000円のお得なきっぷ。
熱い湯に浸かって、冷たいビールを呷って、美味い蕎麦を啜って、いい休日になったね。
さてっ新幹線に乗車する前に “円盤餃子” でもう一杯やりましょうか。
福島交通 飯坂線 福島〜飯坂温泉 9.2km 完乗!
<40年前に街で流れたJ-POP>
夏ざかりほの字組 / Toshi & Naoko 1985
渋く “赤星” をグラスに注ぐ。ビールらしい苦味がいい。
本日のお膳と云って、お通し的な三品が供せられる。
説明は忘れてしまったけど、せんべい汁的な小鉢、変わり種のポテサラ、刺身三点盛りかな。
炉ばた発祥の地と云うけれど、囲炉裏ばたってことなのだろうか。
よく磨かれたコの字カウンターの中には、銅が鈍く光る酒燗器を置いた囲炉裏がある。
囲炉裏の前には客席と向かい合うように燗番娘が腰掛けて、何くれと世話を焼いてくれる。
ちょんちょんと塩を付けながら “とうもろこし天麩羅” を抓む。
日本酒は “天賞” の一択、先ずは “独眼竜政宗” と名打った辛口本醸造を注いでもらった。
定番の晩酌酒は、ほんのり吟醸香が漂う淡麗辛口だ。
とろみを感じる “太白山” は、しっかりと甘い純米にごり酒だ。
いやでもこの甘さは半端ではない、もてあましてしまう呑み人なのだ。
この “三角揚げ” ってのは仙台の名物らしい。外はサクサクで中はふんわり、
ミョウガに生姜と夏の薬味に、さらに七味なんか振ると実に美味しいアテになる。
最後は本醸造 “天賞” を燗をつけてもらう。普段は飲まないんだけど看板娘が可愛いから。
お気に入りのぐい呑みを選んだら、徳利の首つまんで(残念ながら)自分で注ぐ。
こんがりとした “笹かま炙り” をわさび醤油にちょんちょんとつけて口に放り込む。
淡麗でまろやかな味わいの本醸造に上手に付き合ってくれる。美味いね。
〆の一品を頼みたいところだけれど、最後の「はやぶさ」の時間が迫ってきた。
夏の囲炉裏ばたで杜の都の酒肴を愉しんだ宵、いい感じに酔。
余韻もそこそこにアーケードの人混みを掻き分けて、仙台駅へと急ぐのだ。
<40年前に街で流れたJ-POP>
俺たちのロカビリーナイト / チェッカーズ 1985
たった1両の気動車が低くディーゼルエンジンを響かせている。
かつて東北各地と上野を結ぶ特急が停まったであろう長い4番ホームにポツンと。
乗務員同士が談笑する長閑な発車前の風景がそこにある。
石巻線は東北本線の小牛田から分岐する。4番ホームの外れの0キロポストが起点であること教えてくれる。
途中の前谷地で気仙沼線と別れ、石巻を経て女川で太平洋に出会う石巻線の旅だ。
小牛田駅を北に向けて出発した単行気動車は、ほどなく東北本線と別れて東へ転進する。
良質なお米を産する大崎平野は一大穀倉地帯、石巻線の車窓には青々とした田んぼが広がる。
5つ目の鹿又(かのまた)駅、車内放送が8分間の停車であることを告げる。
ってことは上り列車との行き違いか。カメラを持って強い日差しの中に出る。
生暖かい風に乗って、カンカンカンという踏切の警報音が聞こえてきた。
まもなくおっとりと上りの2両編成がカーブの向こうから現れた。
「奥の細道・最上川ライン」ロゴの110系は、運休中の陸羽西線でお馴染みの車両だ。
仙台からの仙石線と並んで、単行気動車は路線の中心駅石巻に到着する。
駅舎では、009島村ジョーと003フランソワーズ・アルヌールが出迎えてくれる。
石巻には2軒の酒蔵がある。一つはご存じ “日髙見”、東京でもお目にかかれる銘柄だ。
平孝酒造は「魚でやるなら日髙見だっちゃ!」をモットーに、魚料理や鮨と相性抜群の地酒を醸している。
今一つは墨廼江酒造、宮城酵母をもって各地の酒造好適米を醸している蔵元だ。
岩手県中央部に発した東北最大の大河北上川は、250キロを旅して石巻湾に注ぐ。
そのゴール目前の中洲(中瀬)に、夏陽に煌めいて白い宇宙船が降り立っている。
石ノ森萬画館は宮城県出身の漫画家・石ノ森章太郎氏の記念館。
仮面ライダー1号・2号・V3あたりを観て、遊んで、育った世代としても興味のある展示だ。
青い三角屋の石巻駅に戻ってきた。庇からは002ジェット・リンクが飛び立つ。
仮面ライダーV3に見送られて、女川をめざして旅の後半をゆく。
満々と水を湛えた旧北上川の鉄橋を渡ると鉄路は南に転じて、やがて車窓に万石浦が広がる。
半島の山々に囲まれた巨大で、そして波静かな内海では海苔や牡蠣が盛んだ。
万石浦を離れた単行気動車が女川トンネルに吸い込まれると終点は近い。
音声が終着女川を告げる中、最徐行で単式ホーム1面1線となった女川駅に到着する。
ほぼ満員の単行気動車は10分と停車することなく、慌ただしく折り返していった。
復興なった女川駅は、羽を広げたウミネコをイメージした切妻造、
2階は温浴施設「女川温泉ゆぽっぽ」となっている。
7年前に訪ねた際は、ここで熱い湯に浸かって、笹かまぼこをアテに生ビールを呷った。
女川駅を背に、シーパルピア女川のタイル張り遊歩道が海に向かって、なだらかに降っていく。
女川港には小さな漁船が次々と戻ってくる。っとやはり海鮮で一杯やりたいね。
狙っていた魚市場食堂は団体貸切だって、踵を返して道の駅おながわの人気店へ急ぐ。
すでにずいぶん並んでいたけれど、なんとか17組目の札、これなら待っても良さそうだ。
周りのテーブルでは次々とお気に入りの丼がオーダーされるけど、ボクの場合はそうはいかない。
“うに皿” と “めかぶ酢” をアテに “墨廼江特別純米酒” をいただく。穏やかな香りでキレの良い純米酒が美味い。
そして “海鮮丼” を択ぶ。丼と云うより品の良い陶器に盛られたご飯に、
大ぶりな海老は2尾、本マグロ、帆立、ネギトロを並べて見た目も麗しい。
石巻の旨酒と女川に揚がる旬を肴に、真っ昼間から美味しい石巻線の旅は終わるのだ。
石巻線 小牛田〜女川 44.9km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
誰がために / 成田賢
由利本荘駅の4番ホームにカラフルな2連の気動車が停まっている。
10:55発の「まごころ列車」は、秋田おばこ姿のアテンダントが迎えてくれる。
閑散とした駅前とは不釣り合いな白亜の橋上駅が、由利高原鉄道の起点になっている。
羽越本線の旅からちょっと寄り道して、鳥海山ろく線を乗って呑む。
2連の気動車は子吉川と絡みながら内陸へと進む。
鳥海山に発したこの川は、本庄平野に穀倉地帯を形成しつつ日本海に注ぐ。
折り畳みのテーブりを広げたら、“鳥海山” の清澄辛口本醸造のスクリューキャップを切る。
アテは郷土のお菓子 “なんばこ”、米粉を練って揚げた伝統的なお菓子だ。
この辛口の酒と、仄かに甘いお菓子の絶妙なハーモニーを楽しみながら列車はゆく。
路線の半ばの前郷駅では上り列車と交換する。
かつて日本中の鉄道で見られた懐かしいタブレットの引き渡し風景を見ることができる。
由利高原鉄道、津軽鉄道そしてくま川鉄道の3路線のみに残る非常に貴重な風景だ。
鳥海山ろく線は旧国鉄の赤時ローカル線矢島線を転換した。旧国鉄にはこんな盲腸線がずいぶんあった。
戦前に敷かれた国鉄矢島線は、おそらくは米や木材の搬出手段であったと想像される。
「まごころ列車」の先頭のオレンジの車両「なかよしこよし」は、
良質な木のおもちゃに溢れて、子どもたちの歓声が聞こえる。
後方のブルーの車両は、この季節「たなばた列車」に仕上がっている。
トンネル内ではイルミネーションが煌めいて、これも子どもたちに人気だ。
左右から里山が迫って平地が狭まると、鉄路は緩やかなカーブを繰り返して終点に向かう。
旧矢島線は内陸の院内まで結ぶ予定だったいわゆる未成線、
結局、矢島から先は工事再開されることなく、鳥海山ろく線はここ矢島で車止めが行手を塞ぐ。
時計台を載せた瀟洒な矢島駅は、秋田杉をふんだんに使った温もりある雰囲気で、
吹き抜けの広々とした待合室、観光案内所、売店を持ち、本社を併設した立派な駅だ。
由利本荘市に合併前の旧矢島町、当時の人口は6,000人弱、この小さな町に酒蔵が2軒。
一つは文政年間創業の天寿酒造、車内で呑んできた “鳥海山” はこの蔵の酒だ。
今一つは “出羽の富士” の佐藤酒造店、こちらは明治の創業で蔵元としては新しい方かも知れない。
いずれにしても、米どころであり、雪深く清浄な気候風土なこの地は、酒造りに適しているようだ。
午前中は雲に隠れていた霊峰鳥海山が姿を現した。
二つの蔵が銘柄を名乗るのに、この山以上のものはないね。それほどに秀麗で雄大な山容だ。
この景色は「栄食堂」の窓辺から。この店、営業しているのかも怪しく感じる外観だけど、
店内のテーブルと小上がりの卓を数えたら、かつては大きな商いをされていたと思われる。
スーパードライを開ける。ジョッキがキリン生なのはご愛嬌だ。
壁一面に無数の品書きが貼ってある。その数130種だって、ほんとうに商売になるの?
目移りするこれど、暑さにやられているから “やっこ”、ごま油が効いているのかな、これ美味しい。
網戸を通ってくる風に人心地ついたから、“餃子” を焼いてもらった。
ニラがたっぷりで、モチモチした食感の一皿だ。こんなのもキライではない。
そして “出羽の富士” を冷やで一杯、地元の親父さんの晩酌の酒だ。
ガラスの器に氷を敷いて、無造作に盛られた大盛りの麺とたっぷりのきゅうりの細切り。
〆に “そうめん” をズズッと一口啜るごとに涼を感じる。
あっ、チリリンと風鈴がなって、祖母の家で過ごしているような鳥海山麓の午後だ。
由利高原鉄道 鳥海山ろく線 羽後本荘~矢島 23.0km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
早春物語 / 原田知世 1985
スパイスの風味が香る黄色いルー、とんこつスープがベースらしい。
豚肉、玉ねぎ、にんじんを隠すほどたっぷりとかかっている。
さらにご飯は大盛りで、カウンターから運ぶ両の掌にはずっしり重量感がある。
スプーンに掬って大きな一口。懐かしさと美味しさが口いっぱいに広がる。
ボクの子どもの頃は、まだ赤や黄色の缶に入ったカレーパウダーから作る家庭があった。
子ども用には牛乳を入れたり、大人はソースをかけて食べる人もいたなぁ。
半分食べたら、円を描くようにソースをかけて、味変を楽しむ。
ちょっと昭和を感じながら、心とお腹が満たされる朝食なのだ。
「名物 万代そば」は鉄道駅ならぬバスターミナルにある立喰そば店、そばより寧ろカレーが人気。
若い女の子だって食べてるし、レトルトばかりか煎餅、柿の種、Tシャツまで売っている。
新潟に単身赴任していた頃は、月に2回くらいは食べに寄ったかな。
始発の「とき301号」で新潟入りしたら、小雨の中真っ先にバスターミナルへ。
朝食に “バスターミナルのカレー” を楽しんだら、これから羽越本線の旅に出るのだ。
<40年前に街で流れたJ-POP>
「C」/ 中山美穂 1985
低いディーゼル音を響かせる気動車、乗務員が点けた前照灯を合図に、小走りに乗車に向かう。
7〜8年ぶりになるだろうか、この週末は羽越本線を旅しようと思う。
信越本線、羽越本線、磐越西線がジャンクションする新津は古くからの鉄道の町。
かつては操車場を有し、今では新津車両製作所が首都圏向けの通勤電車を製造している。
新津を発った2両編成の気動車は、大きく右カーブすると満々と水を湛えた阿賀野川を渡る。
田水張る風景を眺めながら、プシュッと “風味爽快ニシテ” が小気味良い音を立てる。
車窓左手から白新線が合流してきた。新潟から走ってきたE129系の4連に襷は渡って村上をめざす。
村上駅に降り立つ人を迎えるのは、瀬波温泉の源泉やぐらがモチーフと云われる。
さて乗継列車の発車までは2時間半、駆け足で「鮭・酒・人情(なさけ) むらかみ」を巡る。
先ずは鮭、旧い城下町で築100年を優に超える町屋、雪国らしい太い天井の梁からつり下がる鮭、
そんな様子が見られる「千年鮭 きっかわ」は、吉永小百合さんのCMでご存知の方も多いと思う。
塩引き、酒びたし、生ハム、はらこの醤油漬け、店内にはこれ以上はない酒の肴が並んでいる。
お昼にいただいた “はらこ丼”、いくらの一粒一粒がキラキラしてる。
山葵をたっぷり溶いた醤油を適量垂らしながら頬張る。口いっぱいに旨味が広がる。
それにサイドメニューの “鮭の塩引き”、これが美味かった。時間があれば一杯いきたかった。
続いて酒、〆張鶴に大洋盛、三面川の伏流水と良質な酒米が採れる村上には旨い酒がある。
今回は大洋酒造の和水蔵を訪ねる。とはいえ時間が無い。自宅へ送る4本を択んだら、駅までは小走りだ。
新潟から山形の県境区間は再び気動車の登場となる。
村上を出ると鉄道用語でいうデッドセクションがあって、電化方式が直流から交流に変わるのだ。
交直両用の車両は高価らしいから、普通列車には気動車を導入した方が費用対効果が良いらしい。
車窓には名勝「笹川流れ」が広がる。
日本海の荒波の浸食によりできた奇岩、岩礁や洞窟、そして澄み切った碧い海が美しい。
日本海に沈みつつある夕陽を眺めながら、大洋盛りのスクリューキャップを切る。
越乃Shu*Kuraとマークされた「Myぐい呑み」で、スッキリとした生酒が美味しい。
やがて気動車は庄内平野に抜ける。羽前大山辺りをはじめ庄内にも酒蔵は多い。
さて今宵どんな酒が呑めるのかと思い巡らすうちに酒田に到着、高校生の流れを追って改札を抜ける。
酒田は北前船で栄えた湊町、京大坂へ向かう船には米や紅花を積んだという。
この北前船で富を築いた豪商達が愛した料亭「相馬樓」では、酒田舞娘の艶やかな踊りを楽しむことができる。
この相馬樓からほど近い名店「久村の酒場」で今宵の一杯、静かな住宅街を赤提灯がしっとり照らしている。
地元のご常連と出張族・観光客が半々だろうか。窮屈なコの字カウンターの片隅に座る。
地酒目当てとは云っても先ずは生ビール、今日も暑かったから、喉を鳴らしてはじめる。
お店の自慢の味 “〆さばのさしみ” をいただく。品書きには時価とあるから自慢の程が伺える。
鳥海山の南麓は遊佐町の “杉勇”、特別純米辛口+10原酒はあんがい飲みやすい。
っで、アテに “蛸から揚げ” を択ぶ、濃口の料理にもぴたりと寄り添ってくれる酒だね。
“うどがわらきゅうり漬け” は酒田の夏の味、パリパリした食感でとても美味しい。
二杯目の “嘉八郎” は羽前大山の酒、芳醇でフレッシュ、キレのある味わいを愉しむ。
酒田の蔵元 “上喜元”、渾身仕込第四三号という杜氏の自信作は瑞々しく爽やかな味わいだ。
〆の “むきそば” は酒田のおもてなし料理、ソバの実を茹で、冷たいそばつゆをかけていただく。
茹だるような暑い日も、渾身とむきそばで爽やかに暮れていくのだ。
翌朝の朝活は米どころ庄内のシンボルともいうべき「山居倉庫」へ。
土蔵の黒い板壁と欅の緑のコントラストが美しい。この風景を切り取ったら始発のバスで駅へ向かう。
早くから秋田行きが停まっている。このパープルのラインは東北に来た実感を沸かせる。
この701系、ローカルを走るのに旅情を演出しないロングシート、あまり好きではない。
ところで1番ホームには米俵を積んだ北前船と、山居倉庫を描いた暖簾が並んでいる。
特急列車から降り立つ観光客に、米どころ酒田をよく表現した展示だと思う。
休日の朝だけに、ガラガラの秋田行きに揺られて、先ずは象潟をめざす。
かつては八十八潟、九十九島の景勝地として知られた象潟は、1804年、大地震の海底隆起で陸地となった。
田植え直前に訪れたら、水を張った水田に九十九島が浮かんでいるように見えるだろうか。
蚶満寺を訪ねる。芭蕉は「おくのほそ道」で『松島は笑ふが如く、象潟は憾むが如し』と詠んだ。
船を漕ぎ出して遊覧し、いずれかの島に上陸して、名産のシジミを肴に酒を呑む。
そうして和歌や俳句を詠むのが、風流な遊びだったらしい。ちょっと興味が沸くね。
軽快な音をたてて、象潟駅に次の秋田行きがやって来た。
2時間開いてしまう疎なダイヤが、九十九島を歩くには丁度いい時間だったわけだ。
車窓を振り返るように見ると、朝は雲に隠れていた鳥海山(2,236m)が上半身を晒している。
富士に雪が消える季節になっても、出羽富士にはこれだけの雪が残るのですね。
この雄大な姿を見るために、きっとまた羽越本線を旅したいと思うのだ。
竿燈、なまはげ、秋田犬が並ぶ秋田駅のコンコースは、待ち合わせスポットになっている。
何本かの東京方面に帰る旗持ちツアーの一行が引けたら、一枚写真に収めておこう。
乗ってきた2両編成は、忙しなくその表示を折返し先の酒田に変えている。
米どころ酒どころを北上する旅は、期待を裏切ることなく美味い酒肴に出会う旅だった。
竿燈祭りへ向かう秋田の街に後ろ髪を引かれつつ、旗持ちツアーを追って秋田新幹線に乗車するのだ。
羽越本線 新津〜秋田 271.7km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
あなたを・もっと・知りたくて / 薬師丸ひろ子 1985
青山のNARISAWAで8年間薫陶を受けた井上シェフのイノベーティブがRESTAURANT SALT。
落ち着いてシンプルなカウンターで、まるでスタジアムでゲームを観戦するかのように
シェフの調理を目で追いながら Lunch Course を愉しむ。
メニューは2か月で変わるから、まぁ季節ごとに伺うのが美味しい習い性になっている。
レコード針に見立てた器にのったアミューズは、枝豆のペーストに鯵のたたきのタルト。
“ダニエル・デュモン” は華やかな香りのシャンパーニュ。
ここに伺ったらお酒はソムリエ氏のペアリングにお任せすることにしている。
ソーヴィニヨンブランの辛口 “プイィ フュメ” を注がれる。淡いイエローがキレイだ。
3品目はサラダに当たるのかな、とうもろこしにフルーツトマトのペースト、バニラアイスを添えて。
とうもろこしの甘みに、トマトの酸味が呼応して、夏野菜が美味しい。
グラスは日本ワインに代わる。最近脚光を浴びる余市の “ドメーヌ・イチ” だ。
心地よい苦み、オレンジ色のピノ・グリは、和食との相性も良い。
実山椒のペーストにリゾットをのせて、グリルした丸茄子をトッピング、これは絶品です。
夏の料理は続く、鰻の焼き物ね。きゅうりとミョウガを添えて。
栃木の “仙禽” の夏酒は七色の “かぶとむし”、柑橘系の微炭酸が爽やかだ。
フレンチワインに拘らずに、日本ワインや日本酒のペアリングも提案してくれるのが楽しい。
ハートのエチケットが洒落ている “カロン・セギュール” は、みずみずしい風味の赤。
メルロとカベルネ・ソーヴィニヨンのブレンドだ。
A5ランクの黒毛和牛、ロースだけどビックリするほど柔らかくジューシー。美味いね。
プレーンのアイスティーでひと息、次のメニューはどんなだろうか。夏がゆく頃にまた訪ねたい。
<40年前に街で流れたJ-POP>
バチェラー・ガール / 稲垣潤一 1985
払暁のベランダから見える富士山があまりにもキレイだから、居ても立っても居られない
髭剃りもそこそこに階下に降りて、Zのシートをそっと捲る。
セルに当てた親指に力を入れると、腹に伝わるような低いエンジン音が響く。
幸い中央環状の山手トンネルも4号線も渋滞にかからず、
飛行場も競馬場もビール工場もあっというまに後方へ飛び去って、
フリーウェイは山に向かって、緩やかなS字を描いて走っていく。
新倉富士浅間神社からR137のトンネルを抜けると青い河口湖が広がる。
中腹に薄雲を絡ませて、鋭いナイフのような残雪が美しい。
河口湖の初夏の風物詩であるラベンダー。北岸の大石公園からは富士山、河口湖、ラベンダーの共演が楽しめる。
でもボクの技術では、あの淡い紫色を切り取ることができなかった。悪しからず。
11時の開店を前に列を成している「彩花」は吉田うどんの人気店だ。
タイミングを図って訪ねたつもりだけれど、ちょっと出遅れか。まぁ回転は早いでしょう。
メニューは単純で、温か冷、かけかつけ、それにトッピングの掛け算となる。
辺りの様子を見よう見まねで “冷やしたぬきうどん”、温玉と肉をトッピング。
先ずは濃いめの汁にワサビを溶いてズズッと啜る、あっ違った、噛み締める。このコシが魅力だ。
肉とキャベツは、おかずと言うかつけ合わせに楽しむ。
麺が半ばになったら、温玉をくずして絡めながら食べる。これがまた美味しい。
県道717号でちょっとした峠越えをして山中湖畔に出る。いつの間にか雲が沸き立っている。
おろしてくる風に波立つ湖面にヨットが遊んでいる。
湖畔近くの木立の中に、朱が際立つ山中諏訪神社の社を見つけた。
富士山麓は浅間神社と思っていたから(実際R138を挟んで山中浅間神社が並んでいる)これは発見だ。
祭神は豊玉姫命(トヨタマヒメ)で安産子授けの神社として崇敬を集めている。
富士からの帰り道は道志みち(R138)のワインディングを走る。
標高のピーク山伏峠(1,100m)から津久井湖(140m)までまっしぐらに降りていくルートは、
ジャケット越しに感じる気温や風の匂いが刻々変化するのが楽しい。まさに風を感じてなのだ。
CHANCES / T-SQUARE 1985
先月発見した「ますや」を訪ねる。暑い中を並ぶこと10分ほどで先客に続いて席に着く。
昭和の世から変わっていないであろうメニュー。そう思わざるを得ない値段がそこにある。
“あんかけチャーハン” を択ぶ。初めましての時、隣客が掻き込んでいるのを見て狙っていた。
どんぶり飯を伏せたような皿に、たっぷりと餡掛けがかかっている。
もやし、野菜、きくらげ、豚肉、熱々の餡に上顎が焼ける。美味い。
スープを啜ったら、れんげで残ったご飯と餡を平らげる。幸せな気分だね。
580円也を支払ったら、満腹を抱えて駅に向かう。また来たいと思わせる店なのだ。
<40年前に街で流れたJ-POP>
SAND BEIGE / 中森明菜 1985
伊勢中川19:41発、急行 五十鈴川行きで賢島までの伊勢志摩の旅は始まる。
奈良周辺でずいぶん時間を費やしたから、山田線に乗車するのは陽が落ちてからだ。
地方都市あるあるなのだが、松阪駅前は子どもを迎えに来るクルマで身動きが取れない。
ホテルに荷物を置いたら酒場を探しに出る。商店街はシャッターが降りて、居酒屋だけが煌々としている。
奥行きがある「一円相」は長いカウンターと、背後にテーブル席と小上がりを並べる。
冷えた生ビールを呷る、“冷やしトマト” に食卓塩を振っていると、“とり天タルタル” が追いかけてきた。
50〜60席は満席でかつかなり混沌としている。カウンターには御同輩や出張族にカップル、
テーブルや小上がりでは女子会の黄色い声、やんちゃなお兄さんの奇声が飛び交う。
品書きに “やまいし” を見つけた。鈴鹿山系の麓、湯の山温泉の辺りに蔵がある。
赤ラベルは穏やかでさっぱりした純米酒、アテに “キハダマグロ刺身” を抓む。
“播州一献” を択ぶ。夏辛と謳った純米酒は軽やかでドライな酒だ。
こりこりとジューシーな “せせり網焼きポンズ” が美味しい。
濃厚な味の料理をさっぱりと流し込む夏辛といい相性だと思う。
快晴の翌日、松阪駅から旅を再開する。伊勢神宮に詣でたいので朝早い出発となる。
反対側のホームからは、大阪行き名古屋行きの特急が忙しなく発車していく。
朝のラッシュ時まで運用する長い編成をくねらせて、急行 鳥羽行きがやってきた。
外宮門前の伊勢市駅までは15分ほどの乗車になる。この季節、電車の冷房にホッとするね。
伊勢市駅前には豊受⼤神宮(外宮)の参道鳥居が立っている。この鳥居をくぐって石畳の参道を辿る。
神馬牽参なる神事に遭遇した。菊の御紋の衣装をつけて、神馬が御正宮にお参りする。
毎月1,11,21日の朝8時、参拝者が見護る中、皇室から贈られた白馬が玉砂利を静々と行く。
参道の若草堂で朝食に “伊勢うどん” をいただく。
かなりご年配の女将さんがお一人で営んでいる。そして黄ばんだ伝票が泣かせるね。
たまり醤油をベースにしたタレで太くて柔らかい麺を啜る。途中で玉子を割るとまた美味しい。
連接バス神都ライナーに乗車すると10分で内宮前に到着する。
宇治橋で五十鈴川を渡り、玉砂利を踏み締めると、身が引き締まるような気持ちになる。
皇大神宮(内宮)は日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りする。
遠く正宮を拝して二拝二拍手一拝、感謝とおかげさまの心を捧げる。
おかげ横丁は特産品や伊勢土産の店、郷土料理の店が連なって賑わいを見せる。
旧くは古市遊郭、現在ではおかげ横丁が、参詣後のお楽しみと言うところだろうか。
先を急ごう。伊勢中川から延びてきた山田線は、宇治山田で鳥羽線と名称を変える。
さらに鳥羽からは志摩線と称するのだが、これは歴史的背景と加算運賃制度によるものらしい。
鳥羽線は山際を駆けて、池の浦駅で初めて海に出会う。
入江の桟橋で微かに揺れている「鳥羽丸」は商船学校の練習船だ。
鳥羽駅前の噴水ではイルカが跳ねている。
湾内のイルカ島では、イルカやアシカなど海の生きものたち触れ合うことができる。
鉄路は再び志摩線と名称を変え、短い2編成が実際の終点である賢島までの25キロを駆ける。
青い伊勢湾は島々を抱えてキラキラと美しい。2つ3つと遊覧船が遊んでいる。
一転して太平洋に繋がる英虞湾にはエメラルドグリーン、車窓にこの海が広がると賢島だ。
各駅停車の2両編成は控えめに端っこの5番ホームに到着した。
1〜3番線には「しまかぜ」とか「伊勢志摩ライナー」とか大阪名古屋から来た特急が並んでいる。
南国を感じさせる空気を大きく吸い込んで、のんびりした改札口を通るのだ。
賢島エスパーニャクルーズの「エスペランサ号」が入江に揺れている。
大航海時代のカラック船をモチーフにした真紅の船体が美しい。
この美しい船を眺める筏上のさざ波食堂、テラス席で “カールスバーグ” を飲めばリゾート気分だ。
ヒラメ、めじな、はまち、まぐろを並べて “本日の海鮮丼”、わさび醤油とゴマだれを駆使して美味しい。
まとまった休みが取れた週末、京都から奈良を経て伊勢志摩まで乗って呑んで来た。
今回も旨い酒肴、風景、人情に出会って上々の旅になったと思う。
さてっと、名古屋までは呑み鉄の軛を解いて特急に乗ろう。もちろん呑みながらね。
近鉄山田線 伊勢中川〜宇治山田 28.3km 完乗
近鉄鳥羽線 宇治山田〜鳥羽 13.2km 完乗
近鉄志摩線 鳥羽〜賢島 24.5km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
悲しみにさよなら / 安全地帯 1985