夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには小庭の手入れ、私たち夫婦は朝6時より7時間ばかり奮闘して・・。

2014-10-31 16:46:30 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

今週の27日の月曜日の午後のひととき、
『剪定の終わっていない樹・・近いうちに手入れをしましょう・・』
と家内から私は言われたりした。

過ぎし4日に私たち夫婦は小庭の手入れをしたが、
金木犀(キンモクセイ)、白梅(ハクバイ)、アカネモチの一部の剪定は残してしまったのである。

私はこの金木犀(キンモクセイ)の香りは、秋の到来を告げてくれる花木であり、
好きな花のひとつである。

我が家の2本の金木犀(キンモクセイ)の樹は、9月下旬より10月初旬に咲き、
今年は9月月末に満開となり、たわわな橙黄色の小花となり、周辺にかぐわしい芳香が漂(ただよ)わせてくれた。
       
          
やがて一週間が過ぎた頃、ときおり風がなくても小花が音もなく散り始めて、
黒土に落下する時に、かすかな音をたてたりした。

そして樹元の周囲は黒土の上で、こぼれた橙黄色の小花が彩(いろど)っていた。

こうした中で、やがて金木犀の枝に橙黄色の小花が残っているが、大半は地上の黒土に絨毯のように敷き占め、
沈香の香りを残す情景となったりした。

このような情景を私は眺めたりすると、この世の確かな美はこのようなものかしら、
と私は眺めて毎年過ごしてきた。


こうした私は秘めているので前回の10月4日の剪定の時は、愛惜感が増して、
しばらくした後で思っていたのであった。


そして小庭の手入れは、11月1日の土曜日にしょう、と私たちは取り決めたりした。

その後、天気情報に寄れば、11月1日より3日間は小雨時々曇り、と報じられていたので、
やむなく10月31日の金曜日に、小庭の手入れをしょう、と私たちは話し合ったりした。

昨日の夕方、明日の10月31日は、朝の9時から12時頃まで小雨が降りますが、
この前後は曇りの日となります、と天気情報は報じていた。

この後、私たち夫婦は小用の用事が山積しているので、
明日は早起きして、庭の手入れをしょう、と私たちは苦笑しながら決意したりした。


今朝、私たち夫婦は4時に起きて、9時から小雨が予測されていたので、
それまで出来る限りしょう、と話し合ったりした。

そしてのんびりと平素は朝食をしているが、本日に限り、
私は残っていたアンパンをふたつ食べ、家内はケーキのような菓子バンをひとつ食べたりした。

やがて着替えたりしたが、庭先も暗いのである。
そしてこの時節の日の出時間は、確か6時前後と思いだして、私は苦笑したりした。
       

我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建てると、玄関庭と主庭となり、
原則として庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、家内の支援を受けることが多い。

我が家の小庭の樹の剪定は、ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家は私たち夫婦が自己流でしているのが、定年後の実態である・・。
          
私が定年後まもなくして、ご近所より少し広い我が家は、
植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたりした。

こうした時、家内は3泊4日ぐらいの私たちの旅行が2回ぐらいできるわ、と言い、
小庭の手入れは私の責務の範疇であったが、年に数回は家内の手助けを借りている。
                 
   
やがて庭先が明るくなった6時少し前に、私は庭に下り立った。
そしていつものようにストレッチパンズの長ズボン、着古した冬のスポーツシャツ、ウォーキング・シューズ、帽子、
滑り止めの軍手をした上て、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしたりした。

まもなく家内も出てきて、トレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をして、私に近寄ってきた。

そして私は初夏の頃に買い求めた切れ味抜群の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内も剪定用の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、小枝を切り落としたり、
或いは剪定鋏(ハサミ)を使ったりしていた。


私は何にかと暑さに苦手であるが、どんよりと曇り空の15度前後てあったので、
これだったら何時間でも大丈夫たょ、と私は家内に言ったりした。

こうしてお互いに3時間近く奮戦した後、やがてた枝葉を散乱していたので、
市の指定された45リットル入りの『燃えるゴミ袋』(有料)の大きな袋に破れないように入れる為、
枝葉を適度に剪定鋏(ハサミ)で切ったりした。

こうした中で樹の直径15センチ前後の枝も切り落としたので、
『燃えるゴミ袋』に入れる長さに切ったりした。

私たちは若き40代の頃は、数多い雑木は樹高10メートル前後にしていたが、
齢を重ねた60代の頃から、樹高3メートル前後ぐらいにしなければ、
手入れが困難になるので、小ぶりに剪定したりしてきた。

やがて10時半頃に、淡き陽射しとなり、
9時過ぎから午前中は小雨が予測されていたので、
私たちの奮戦を天上の気候の神々は観て、小雨は延期ょ、と采配してくださったのかしら、
と私は微苦笑したりした。
       

この後、白梅(ハクバイ)の樹を見上げたりし、6メートルぐらいの高さになっていたので、
これからの黄葉に染められる時節であったが、
剪定の勢いで、この際少し早いが切ってしまえ、と3メートルぐらいの小振りとし、
作業が終わったのは昼過ぎであった。

やがて私は 『XXちゃんさぁ・・ボチボチ・・やめない?』
と私の方から家内に提案し、お互いに枝葉を袋詰めして、掃き清めたのが1時過ぎであった。

このように私たちは、ときには小庭の手入れする時は、昼食を抜きにして、7時間ばかり奮闘することもある。

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いつの日にか、この世と別れる時、私の秘かな願いは・・。

2014-10-30 15:52:35 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、
民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎え古希と称される70歳となり、
70代を歩き始めたひとりである。

そして家内も今年の12月の誕生日を迎えると65歳となり、
私たちは共に高齢者となり、介護保険証を受ける身となっている。
       
         ☆ 掲載した今回のすべての写真は、我が家の周辺の遊歩道、小公園の11月下旬の情景である ☆

私は定年後の年金生活を10年間り60代を過ごしてきたが、
私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであり、
私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
                    

数多くの60代の人たちは、お孫さんのこと、或いはご自身の衰えと病気の話題が何かとが多く、
そして70代はご自身の葬儀、死について思案することが多くなる、と私は知人とか総合月刊誌などから、
学んだりしてきた・・。
       
          

私は定年後の年金生活を始めて、平素の買物の専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

このような私たち夫婦でも、命果てるまでの残された歳月は、もとより天上の神々の采配によるが、
この先いつまでも慎(つつ)ましながらも、年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、
やがて体力が衰えて介護の身になるか、或いはどちらがいずれ片割れになる・・。
                                     
        

こうした思いをときおり思案したりする時もあり、
厚生労働省の調査によれば、要介護認定を受け始める平均年齢は75歳、
認知症の高齢者でグループホームを利用している人の半数が85歳以上だ、と公表されている。

具体的には、多くの場合75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、これからの70代の日々の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。


健康寿命と称される心身ともに自立し健康的に生活できる期間を保った後に、
悩ましい介護・要か大病などを得て、平均寿命まで長い困苦する時期が、数多くの方が体験されている。

最近の厚生労働省から、あくまで平均であるが、下記のように公表されている。
   男性・・健康寿命(70。42歳)・・・平均寿命(79。55歳)・・・この間の期間(9。13歳)
   女性・・健康寿命(73。62歳)・・・平均寿命(86.30歳)・・・この間の期間(12。68歳)

そして、この悩ましい期間はそれぞれの方は、どのように過ごされるか、
中には稀に心身ともに自立し、溌剌と長寿をされる方もいる。
             

こうした中で、今の私が平素何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。

痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。

このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
          

過ぎし日の3年前の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
      
そして、いつものように木のベンチに私は座り、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。

この遊歩道で、独りで歩き、桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍(きんしゅう)の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、といった状況を願ったりしたのである。
       
         

或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で数日寝ていて悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。

やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

このように70代か80代のいつの日にか、私は末期となると思われるが、
こうしたこの世とお別れをすることは、もとより天上の神々の采配に寄ることである。

そして私の念願は、果たして・・どのようになるか、漠然と年に数回は思い馳せたりする時もある。

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定年前に思案していた年金生活のささやかな願い、そして現実の年金生活の落差は・・。

2014-10-29 16:21:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む70歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、10月29日と明示され、
過ぎし定年退職した記念日も過ぎて、早くも年金生活11年生に進級したか、と微苦笑したりした。

私は民間会社の中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて定年退職したのは、
2004年(平成16年)10月20日であった。

そして定年退職後、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めたので、
丸10年が過ぎて、早くも11年目となり、過ぎ去り歳月は実に早いょなぁ、と微苦笑してしまった。

いつものように午前中のひととき、平素の買物選任者の私は独りで最寄りのスーパー行った後、
自宅に戻り、その後は付近の遊歩道などを歩いたりした。

そして帰宅後、私の机の脇机の引き出しを整理していたら、
1冊のノートを何気なしに見たりし、あるページを読んだりしていると、独り微苦笑したりした。

このノートは、私が定年退職の前の1年半の頃に購入したノートであった。
          

この当時の私は、音楽業界がリストラ烈風の中、あえなく出向になってしまい、
CD、DVDなどの音楽商品をソフト販売店などに、出荷などを取り扱う物流センターに勤めていた、

少し遠い勤務地で、最寄りの小田急線の『成城学園前』から『本厚木』まで45分前後、利用していた。
そして帰路の時は、出来うる限り、乗車の駅始発の『本厚木』からの電車に乗っていたので、ほぼ座れた。
この時に電車の中で、本を読んだり、或いはCDウォークマンで通勤バックからCDを取り出して聴いたりしていた・・。

こうした時の中で、ときおりノートに色々とメモったりした。


私が先ほど読んだのは、2003年(平成15年)1月30日『退職後の日常生活の目標』、
と題したメモ書きがあり、読んだりした。

☆パソコン
  Eメールの送受信
     エッセイ(文学的に日常、旅の寸評)
     音楽と映画

  インターネットの検索
     ただし、散歩を兼ねて、図書館に行くこと

 写真の整理

☆日曜菜園
    草むしり、植木の手入れをした上で、1メートル × 2メートルの菜園を作り、
    ピーマン、チソ、ダイコン、ニンジン、ショウガ、ネギ等

このような年金生活の日常生活の目標メモが記載されていた。
                

こうして退職後の年金生活11年生に進級した今、微苦笑してしまった。

私は定年前の3年前にパソコンを改めて買い求めたし、机、椅子、脇机も新調して、
定年後の年金生活に備えていた私は、
遅ればせながら定年の数か月前に、我が家にインターネット回線を導入した。

そして年金生活を始めたら、電子メールと称されているEメールの送受信で、
知人、関係者などで交流をしょうと思ったりした。

或いは、この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

現実は、ホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の心の節度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、専門知識がない私でも、政治、経済、社会などの難題を私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
       

Eメールに関しては、殆ど利用していなく、知人、友人は相変わらず電話で連絡しあったいる。

図書館を利用と思ってた私は、やはり本屋に寄り、
単行本、新書本、文庫本、雑誌を見たりして、魅せられた本を購入することが、
高校時代から習性であったので、買い求めたりしている。

写真の整理に関しては、定年退職の記念としてデジカメを買い求めて、
バソコンのハードディスクにそれぞれファイル名を付けて、管理しているが、
それ以前の長き時代のフィルムで撮った写真の整理が課題であった。

そしてフィルムを読み取りデジタルに変換する専用機を購入して、
時系列に整理しょうと思っていた私は、面倒さも感じ断念した。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかった為が、
私の独身時代、家内の独身時代、そして私たちが結婚してから私の定年まで、
3系統として家内と共にアルバムを改めて整理し、総計18冊となったりした。
       

何よりも変り果てたのは、菜園の予定であった。
この当時の8年前の頃から、雑誌の『サライ』を定期購読して、
ある号で野菜の成長、花、色合いが載っていた。

或いは作家・曽野綾子さんの随筆の新書本のひとつに、
ご自宅の庭でも野菜を育成していると私は読んだりしてきたので、
生育のうつろいを眺めて、育成するのも良いと思案していた。

結果としては、小庭が更に手狭となり、小鳥が定期便のように飛来してくるので、断念した。

私は定年前に予定したこのようなささやかな事が、現実の年金生活を過ごしている今、
大きく落差があったよなぁ、微苦笑している。

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70歳に一か月ばかり過ぎた私、しなやかな老後を過ごせれば、と微苦笑して・・。

2014-10-28 13:59:13 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めて、早や10年が過ぎている。

私は過ぎし9月下旬の誕生日を迎え、古希と称される70歳となり、
この10年過ごしてきた年金生活の中、私なりに心身溌剌と過ごし、ひたすら享受してきたので、
愛惜を深めて60代に別れを告げたりしてきた。
       
         
世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人、知人からの便りを受けたりしてきた・・。

私も定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした。

そして60代の10年間の日々は、何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
詳細については、この私のブログで数多く投稿してきたので、省略する。
       

私は定年後の年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、スーパー、専門店に行ったりしている。

その後は自宅の周辺の3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受してきた。

この後は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまない映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして年金生活の今でも本屋で、単行本、新書本、文庫本のコーナーを見たりして数冊買い求めたり、
ときには雑誌コーナーで月刊誌、季刊誌、臨時特別号を眺めた後、魅了された時は購入している。
そして、結果として手ぶらとなった時は、古本屋に行ったりして、読みたい本を探し求めて、
早や50数年過ぎている・・。
       

平素の私は、近所の高齢者のご夫妻と立ち話しをしたり、或いは駅前のスーパー、喫茶店、ファミリー・レストランなどで、
高齢者のご夫妻のしぐさ、会話が聴こえたりして、この人生の微笑みを感じたりしてきた。

或いは私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味のひとつであり、
観光ホテルなどの滞在する旅路が多く、こうした時に偶然に私たちと同世代、そして70代のご夫妻と、
ロピー、食事処で幾たびかお逢いすると、お互いに談笑したりして、私は多々学んだりしてきた。

そして私は定年後の年金生活10年間の中で、たまたまブログの投稿文を投稿し、
こうした中、特にブログランキングの『にほんブログ村』の『シニア層』に3年ばかり所属し、
数多くの50代、60代、70代のお方の投稿文を読まさせて頂いた。

その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)える。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、特に60代の女性が70代のご主人との思い、そして70代のご夫妻の日常生活の思い
或いは70代の『おひとりさま』の心情の投稿文を中核に、昨今は更に精読を深めている・・。

そして私は、これから古希入門の私しては、こうした先達者のお方に秘かに励ましを感じたり、
人生の微笑みを頂いたりしてきた。
       

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

そして年金生活を10年ばかり過ごしてきた中、
やはり『健康』、『生きがい』、そして程ほどの『お金』と深めて、
私たち夫婦はささやかな願いを叶えたりしてきた・・。

もとより健康でなければ、ささやかな願いも叶わないので、私たち夫婦は幸いに大病せずに、
今日に至っている。

こうした中で、私が会社時代の懇親会などに列席すれば、
早くも60代で亡くなった方を知ったりして、哀悼を深めたり、
或いは先輩の75歳前後にお逢いし、体力の衰えが明確となりヨボヨボした方に、
私は唖然として、70代のなかばになると、あのような容姿になるのか、と悲嘆したりした。

しかしながら一部の75歳前後の方たちは、心身溌剌とし、私は勇気づけられたりしてきた。
                 

世の中の多くの人たちは70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、これからの70代の日々の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。


健康寿命と称される心身ともに自立し健康的に生活できる期間を保った後に、
悩ましい介護・要か大病などを得て、平均寿命まで長い困苦する時期が、数多くの方が体験されている。

最近の厚生労働省から、あくまで平均であるが、下記のように公表されている。
   男性・・健康寿命(70。42歳)・・・平均寿命(79。55歳)・・・この間の期間(9。13歳)
   女性・・健康寿命(73。62歳)・・・平均寿命(86.30歳)・・・この間の期間(12。68歳)

そして、この悩ましい期間はそれぞれの方は、どのように過ごされるか、
中には稀に心身ともに自立し、溌剌と長寿をされる方もいる。

或いは人生設計が大幅に変貌して、想定外の不幸にも『3B』と称せられる『ぼっち(孤独)』、『貧乏』、
そして『ボケ(認知症)』に苦難されるかも知れない。
       

こうして学んできた私は、何よりも健康でなければ、ささやかな願いも叶わないので、健康寿命が肝要だ、
と深めたりしてきた。

そして何よりも日々歩くことが肝要と思いながら、認知症は勘弁してょ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
ひたすら歩いているのが、70歳に一か月ばかり過ぎた私でもある。

そしていつまで健康寿命が保てるか、やがて命果てる日は、
自助努力は大切であるが、こればかり天上の神々の采配に寄ることである。

私の昨今の心情として、60代のささやかな成功体験を秘めながら、
70代はしなやかに生活を過ごせば、と漠然と思いながら、微苦笑したりしている。

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旅から帰宅後、何かと愚図の私は、慌ただしく日々を過ごして・・。

2014-10-27 13:16:24 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
家内との共通趣味のひとつは国内旅行であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかった為か、若き新婚時代から日本の各地に四季折々に訪ねたりしている。

旅から帰宅すれは、愚図で齢ばかり重ねた私は、何かと慌ただしく過ごすことが多い・・。

もとより旅行は非日常の出来事であり、
平素の私たち夫婦は年金生活している中、程ほどにのんびりと過ごしたりしている。
          

2004年(平成16年)秋に定年退職した後は多々の理由で年金生活を始め、
私は自主的に平素の買物専任者となり、毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、
ときおり本屋に寄ったりしている。

その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
       
        ☆ 掲載した写真の大半は、今回の旅路で撮った ☆ 
  
          

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書をすることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯など専業主婦の責務を継続してくれるので、
せめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に5回前後は茶坊主の真似事をしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、まもなく10年となる。

こうした中で時折、我が家の小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内と国内旅行をしたりしている。
                            

家内は旅行する前日、女優を引退された後に随筆家として著名な亡き高峰秀子さんのように、
台所を洗い清めたり、洗濯物も残さず、そして冷蔵庫の肉類、魚類、野菜物、牛乳など殆ど空の状況にしない、
と満足しないタイプのひとりである。

今回の旅行の場合も、旅先の最終日に現地の宿泊した旅館より大きな旅行バックを宅配便を利用して、
自宅に送付したりした。

そして我が家に20日の夜に帰宅した私たちは、
家内が部屋に外気を入れたりしている間、私は近くの生家である長兄宅にお土産を持参した後、
私は着替えたりし、家内は私が提げてきた旅行バックを開けたりしている。

そして煎茶、コーヒーを私が淹れた後、私は入浴し、
この間、家内は宿泊した売店、お土産屋さんで買い求めた漬物、その地の特有な食べ物を皿に移して、
食卓に並べたりしていた。

そして風呂上りの私は、旅先で呑み過ぎたので、煎茶を飲みながら漬物などを食べている間、
家内は入浴したりしていた。

その後は私たちは、旅先のこぼれ話を談笑したりした。
                 

やがて旅の疲れもあり、家内は寝室に行き、寝てしまった。
その後の私は、一昨年の晩秋頃からブログの投稿文に写真を添付しているので、
旅先で撮った写真をデジカメの記憶媒体からパソコンに移動させ、
パソコンの大きな画面を見て、独り微苦笑したりした。

私の所有しているコンバクト・デジカメの性能に寄るが、何よりもデジカメの技量の乏しい私は、
撮った数多くの写真への心の思いは強いが、やはりこの程度かょ、と苦笑したりしている。
                                                       
そして写真を見ながら旅行の投稿文を思案したりしている。
筆力のない私でも出来うる限り、綴りは紀行文の形式に準拠したく、内容、構成とかを配慮しながら、
綴ろうと思ったりした。

結果として、短めの散文で写真を添付して、ごまかしたような8話ばかり手抜き投稿文となってしまい、
根気と筆力のなさを痛感したりした。
       

しかしながら、私はパソコンに関して、少しばかり憂いてきた・・。

私は平素に愛用してきたパソコンの『ウィンドウズ7(セブン)』のディスクトップ型があり、
広い画面を見ながら、キーボードで投稿文などを綴ってきたりしてきた。

そして『ウィンドウズ8。1』ノートパソコン型は予備機としてきた。
          
           ☆左側が現在愛用している『ウィンドウズ7(セブン)』、そして右側は予備機の『ウィンドウズ 8。1』☆

過ぎし10月28日の夜、愛機となっているディスク・トップ型のパソコンを立てあげた時、
どうしたことか『起動』ができず、色々と対処を試みたが、修復できなかった。

この後、29日、30日に於いて、メーカーの相談窓口と再三連絡して、
指示を受けながら復旧の作業を私は試みたりした・・。

結果として、メーカーの相談窓口から、
ハードディスクが破損していますから交換して下さい、と明言され、私は困惑した。

もとよりハードディスクには、私の長年の写真、私のメモ、我が家の家計簿などあるので、
どこまで外部のハードディスクに保存しているか、と思いめぐらしてしまった。

確か3か月前には、長年の写真をブルーディスクのDVDでバックアップをしていたが、
この他は・・消えてしまうのか、と困惑したりした。

そして12月1日の午前中、霧雨降る中、左手は雨傘を差して、
右手はディスク・トップ型の17キロ前後の重いパソコンを持ち、
買い求めた家電の量販店の修理専門にハードディスクの新品交換を依頼した。

やがてハードデイスクの交換はメーカーを通すので、数週間は要します、と私は言われて、
やむなくノートパソコンで、不慣れな画面を見ながら、キーボードで投稿文を綴る、
と固い決心をし、この間は投稿してきた・・。
       

そして今回の旅路から帰宅した翌日の小雨降る日もあり、
本日は買物は中止になさったら、と家内から言われたりしたが、
日常の食物も少ないで、私はやむえなく最寄りのコンビニで買い求めたりしてきた。

今回の旅の投稿文を綴ったりしたが、写真を添付するに困苦したりした。

私のブログの写真添付は、デジカメより『ウィンドウズ7(セブン)』にコピーして、
やがてペイント機能で写真を縮小して掲載してきたが、
恥ずかしながら『ウィンドウズ8。1』に於いての写真の縮小機能が解らず、
やむえなく困窮しながら、大きな写真を、旅の第一回、第二回で添付したりした。

やがて22日、愛機の『ウィンドウズ7(セブン)』のハードディスクが新品交換が終えて、
家電の量販店のサポートセンターの方に基本のセットアップを依頼していたので、
パソコンを持参しながら、担当者が午後のひととき、我が家に来宅した頂いた。

そしてシステム基本のセットアップを終えて、写真など回復は何とか復活できたが、
ドキュメントの関係は、私が日常のバックアックが悪かった為に、
私のメモ、我が家の家計簿などが消えてしまい、もう一度『エクセル』で作るのかょ、
と落胆したりした。

やがて夜のひととき、旅の旅の続編の投稿文を綴ったりし、大きく添付してしまった写真を修整して、
やはり慣れた『ウィンドウズ7(セブン)』は、私に取っては愛機だよねぇ、と心の中で呟いたりした。
       

そして23日は午前中は小雨が降ったりしたが、午後より曇り空となり、
買物専任者は私はスーパーを2店ぐらい廻り、パン類、肉類、魚類、野菜、牛乳などを買い求めたりしている間、
このブログサイトの投稿する内容を考えたりしていた。

その後もいつものような我が家の日常に戻ったりした。
                 

今回の旅は10月14日から6泊7日であったが、何とか8通ばかり投稿し終わったのは、
昨日の26日であった。

この間にネットで毎日のように精読しているニュース、音楽業界のサイトを見たり、
このブログサイトで私が愛読している方の投稿文を、数多く読ませて頂ただいた・・。

このように私は、パソコンは自宅に置いてあるので、
帰宅直後から、ブログ投稿の完了まで何かと慌ただしく過ごすことが多く、
独り微苦笑したりしてきた・・。
                    

家内は旅路から帰宅した翌日には、今回の旅のこぼれ話を私に言ったりし、
或いは次の旅行に関して、冬の旅を旅行代理店に予約しているが、ときおり私に言ったりしている。

私は今回の旅で脳裏がいっぱいで、旅立つ前の思惑、旅行のさなかの遊学、
そして帰宅後の旅先の写真の整理、ブログの投稿文などで、ひとつの旅でも4度ぐらいは享受しているので、
お互いに元気のうちに、行きたい所に行ければ良いよねぇ、と家内に応じたりしている。
       
                  
そして今回の人生のひとときの旅先で、5組のご夫妻の方たちにめぐり逢え、
幾たびか私たち夫婦は、談笑を重ねた方たちを思い浮かべたりし、微笑んだりしている。

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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 最終回 旅の終りは『大沼遊歩道』

2014-10-26 07:50:41 | 
         最終章 旅の終りは『大沼遊歩道』

私は過ぎし9月下旬に古希(こき)と称される満70歳となり、
家内は12月下旬に高齢者入門の65歳となり、お互いに介護保険を有する夫婦となったので、
ささやかながら記念旅行をしょう、と今回の旅路となった。

そして6泊7日の今回の旅も20日に最終日となり、
『後生掛温泉』から『玉川温泉』方面に向けて、わずか500メートル前後に『大沼遊歩道』があるので、
歩いて往還しょう、と前夜に私たち夫婦は話し合ったりした。

最終日の20日は曇り空となり、朝食後に私が持参してきた大きな旅行バックは宅配便で自宅に手配した間に、
家内は当館の売店で、秋田県産の数多くの漬物、お菓子などを買い求めたりした。

やがて8時半過ぎに当館を出て、路線バスも走るアスピートラインの路を下りながら、
朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を眺めながら、私たちは歩いたりした・・。
          

                    

やがて『大沼遊歩道』の標識案内板が見えたりした。
          

そしてこの表示に従い、歩き始めると葦(あし)の群生の中、歩きやすい木道を歩いたりした。
          

そして晩秋の時節にふさわしく朱紅色に染めら樹木に、私は素敵な情景だょ、
と心の中で呟(つぶや)いながら歩いたりした。
          

やがて湖水が見え、遥か対岸は朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景となっていた。
          

          


この後、10分ぐらい歩くと、風景は一変した・・。
          

私は家内が20メートル先を歩いていたが、こうして私たち夫婦は何年先まで、
行きたい旅を続けられるか、と漠然と思い馳せたりした・・。

世の中の多くの人は70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、健康寿命と称される心身ともに自立し健康的に生活できる期間は、
果たして・・と思い深めたりした。

もとより健康寿命は自助努力は大切であるが、こればかり天上の神々の采配に寄ることだから・・
と思い重ねたりした・・。
          

こうした情景を眺めると、やがて落葉して、冬枯れの情景、そして翌年の遅い春先に芽吹きの季節、
やがてたわわな若葉・・このように思ったりしたが、せんなきことかしら、と微苦笑したりした。
          


このような『大沼遊歩道』をゆっくりと一時間ぐらいで周遊した後、宿泊していた『後生掛温泉』に帰還し、
預かって頂いた家内が持ち続けてきた旅行バック、買い物した紙袋を受け取り、
ロビーの片隅で路線バスの時間を調整したりした。

そしてロビーの一面には、高価そうな横幅の大きな額の扁額(へんがく)には、
『一期一会』と雄渾に毛筆で描かれ、私は見上げて見たりした・・。
          

私は見たりしながら、今回の旅路でも各宿泊所のロビー、食事処などで、私たちと同様な旅をしているご夫婦と談笑を重ねたり、
館内のフロントの方、仲居さん、売店のスタッフさんなどと、ささやかな談笑をしたりしてきた。
或いは八幡平の山頂付近の遊歩道で、登山ベテランの容姿のご夫妻から、アドバイスを頂いたりした・・。

こうした偶然のめぐり逢いを思い重ねたりすると、一期一会、確かにそうですよねぇ、
と何かと鈍(にぶ)い私ても、深く同意したりした。


やがて私たち夫婦は『後生掛温泉』を辞して、さわやかなスタッフに御礼を言いながら、別れを告げた。

その後は後生掛温泉のバス停から午前11時20分過ぎの路線バスに乗り、
そして八幡平の頂上のバス停で乗り換えて、
やがて松尾歴史民俗資料館の前でも乗り換え、盛岡駅前に到着した。

そして東北新幹線で帰京し、我が家に帰宅したのは午後7時半過ぎであった。

                           
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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第七回 ふたたび『後生掛温泉』の館内は

2014-10-25 13:17:49 | 
       第七章 ふたたび『後生掛温泉』の館内は

私たち夫婦は19日の日中のひととき、久々に快晴に恵まれて中、
『玉川温泉』に往還して、宿泊している『後生掛温泉』に帰還したのは午後3時過ぎであった。

そして私は館内の大浴場に行こうか、と思ったりしたが躊躇した。

この後生掛の大浴場のある処は、湯・泥・蒸気で多彩な形で享受でき、
日本の各地から温泉愛好家が訪れ、或いは『湯治の後生掛』と称されて、長逗留される湯客も多いと知られ、
数多くの方が入浴していた。

そして『馬で来て 下駄で帰る 後生掛』と古来から多くの人たちから、効用抜群の名湯と知られ、
立ち寄り湯をされる方も多く、いつも賑わったりしている。

私は昨日の午後2時過ぎに、『温泉保養館』と称せられる浴室に入り、
代表的な『大浴場』の湯に心も身にゆだねて満喫した後、
気泡ゆたかな『火山風呂』、そして打たせ湯にマッサージ効果があるよねぇ、と微笑んだりした。

そして木箱から顔だけ出して、温泉の蒸気で温まる『箱蒸し風呂』は確か5つあったが、
入ってしばらくすると、どっと汗をかいた後は爽快感が満たされるとし、
名物になり、5人が心よさそうに入って満員であった。

やむえなく私は翌日の朝の6時過ぎに、好評の『箱蒸し風呂』に挑戦した。
やがて1分過ぎた頃、全身は汗ばんだりしたが、
私はサウナ風呂などは苦手であったので、蒸気には無念ながら相性が悪く、出てしまった。

よして『大浴場』に入り、やはり温泉は湯船に身をあずける方が、心地よい、
と心の中で呟(つぶや)いた・・。


こうしたささやかな体験があった私は、私たちのように宿泊している人たち、或いは長逗留される湯客、
そして立ち寄り湯の人たちで、『温泉保養館』は賑わっていると思われ、躊躇していたのである。

こうしていた時、私たちの指定された2階の部屋であったが、
各部屋が並ぶ通路の外れに宿泊者専用風呂を見かけ、私は向かった・・。

そして広い休憩室が左右に並び、下方の階段を下りると、浴室になっていた。

やがて静寂の中、たった独りだけの入浴となり、身も心もあずけて、
ひとり静かかょ、と心満たされたりした・・。

その後、広い休憩室に戻り、心地よい微風を受けたり、窓辺から朱紅色、黄色に染められた情景を
眺めたりした。
       

そして俳句の素養のない私でも、一句を呟(つぶや)いたりした。

   いろはもみじ 後生掛の地 充たされて

       


やがて夕食時に、いつものようにビールを私たちは呑んで食事を頂いていたが、
家内は利き酒のセットをメニューから見つけて、頂(いただ)いたら、と私を誘惑した。

そして3種類の地酒を私は呑んだりしたが、この中の高価な大吟醸よりも、
過ぎし年の20年ばかり純米酒の辛口を愛飲してきた私は、
この中のひとつの純米酒が心身あっている、このような意味合いの言葉を家内に言ったりし、
お互いに微笑んだりした。

やがて私たちは部屋に戻りと、
『この近くに大沼の遊歩道があると知ったが・・明日、旅の最後として・・散策しない?』
と私は家内に言ったりして、同意を得たりした。
                               
                                     ≪つづく≫
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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第六回 『玉川温泉』往還記

2014-10-25 07:39:50 | 
         第六章 『玉川温泉』往還記

私たち夫婦は『後生掛温泉』に18日、19日連泊している間に、
路線バスを利用すれば30分ほど近い距離にある『玉川温泉』を訪れてみよう、と旅立つ前から予定していた。

私は20年前の頃に、務めていた会社の同僚の祝いで、近くに通りかかり、
同行の人たちと共に入浴したりしてきたが、家内は未知の地であったのて、
19日の日中のひととき、『後生掛温泉』より『玉川温泉』を往還することとした。

19日の早朝、『後生掛温泉』の部屋の窓辺から外を眺めると、久々に陽射しが見られ、
『天は我らを味方せり・・』
と何かと単細胞の私は微笑みながら、家内に言ったりした。
       

やがて私たちは10時過ぎに、宿泊している『後生掛温泉』を出て、
バス停のある場所までゆっくりと散策した。

そしてバス停の近くで付近の情景を私は撮ったりした。
       

やがてバスに乗ると、車窓から山なみが朱紅色、黄色に染められる錦繍(きんしゅう)の情景となり、
山粧(やまよそお)う景観に圧倒的に魅了させられた。
そして走るバスの道の周辺は、ブナ林となり、所々にヤマウルシが見られ、黄色と朱紅色のバッチワークのような情景となり、
『夢・・街道たよねぇ・・』
と私は家内に小声で言ったりした。
       


まもなくして『玉川温泉』前にバスは到着して、たわむれに記念にと思いながら、私は撮ったりした。
       

付近は私たちと同様な数多くの観光客でにぎわい、湯治されている方も多く、
やはり全国の温泉地の中で、突出した所である。

もとより『玉川温泉』は、江戸時代の1680年に発見されて以来、それぞれの効能の高い強酸性の湯で、
数多くの湯治客が訪れて信愛させられている。

http://www.tamagawa-onsen.jp/
☆【玉川温泉】公式ホームページ ☆

やがて家内が初めて入浴体験を終えた後、私たちは『玉川自然研究路』を散策した。
濛々(もうもう)と湯けむりを上げる地もあったりしたが、研究路は歩きやすかった。
              

しかしながら熱湯を噴出する源泉の奥に広がる地獄谷の周辺は、岩盤浴が病状の回復を促すと信愛されて、
浴衣などに着替えて、毛布にくるまって、岩盤に身を横たえている方もいるので、
私は周辺の風景だけを撮るように専念した。
       

       

         
そしてブナ林の原生林に囲まれた『玉川温泉』は、病(やまい)で訪れて岩盤に身を横たえている方を思うと、
ある一面哀しいほど美しい景観で、尊厳の所に私は思えた。
       

やがて私たちは2時間半ばかり滞在して、この地に別れを告げた。
       


私たちは路線バスに乗り、『後生掛温泉』に向けて車窓から、
山なみが朱紅色、黄色に染められる錦繍(きんしゅう)の情景を眺めながら、
やがて帰還したのは午後3時過ぎであった。
                              
                                     ≪つづく≫
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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第五回 あこがれを秘めた後生掛温泉

2014-10-24 16:24:20 | 
       第五章 あこがれの後生掛温泉

『蒸けの湯温泉』にわずか一泊した18日の朝、小雨降りしきる朝を迎えた。

やがて私たち夫婦は、午前10時15分過ぎに、次の宿泊地の『後生掛温泉』に向かう為、
路線バスに乗ろう、と同じご夫婦とロビーで私たちは談笑していた時、
当館のスタッフのご厚意で『後生掛温泉』まで送迎します、と私たち4人に言われ、
やがて私たちは当館のスタッフの送迎車に乗車した。

そしてブナを中核にヤマウルシなどの落葉樹が朱紅色、黄色に染められて中、
アスピートラインと称された道を小雨降り続ける中、夢街道のような情景を観ながら坂道をゆっくりと下った・・。
       

やがて10時半過ぎに『後生掛温泉』に到着した。
       

そして当館のチエックインの規約は午後3時となっていたので、
私たちは食事処で休息した。
旅先の宿泊所の多くは、朝夕食は私たちの平素より多かったので、昼食は軽食とすることが多く、
今回は私はビールを呑み、家内は当館独自のケーキのような品とコーヒーを飲んだりして、
休息とした。

おがて小雨は本降りとなったが、隣接している『自然研究路』を散策しょう、
と私たちは即決したりした。

樹木はまばらな山岳風景の中、硫黄の匂いが充満し、数多くの所から温泉や高温の泥水が吹き上がる、
と名高い『自然研究路』である。

そして館内より大きな傘をお借りして、私たちは歩きだした・・。
       

この『自然研究路』の路は石畳で歩きやすく、ところどころ噴煙を上げたりし、
私たちは立ち止まり観たりした。
       

そして一周しても一時間ぐらいで、私はデジカメで撮ったりして、ゆったりと周遊したりした。
       


帰還して、まもなく当館のご厚意で指定された宿泊する部屋に入ったのは、午後1時過ぎであった。
そして私は大浴場に入ったが、やはり後生掛の湯は、湯・泥・蒸気で多彩な形で享受でき、
日本の各地から温泉愛好家が訪れ、或いは『湯治の後生掛』と称されて、長逗留される湯客も多いと知られ、
数多くの方が入浴していた。

私は『後生掛温泉』を知ったのは、遅ればせながら1997年(平成9年)秋で、
この当時の私は嵐山光三郎・著作の『温泉旅行記』(JTB、刊行)を読み、
この中の一章に後生掛温泉について掲載されていた。

そして私は誘発されて、いつの日にか訪れたい、とあこがれを秘めていた宿であった。

http://www.goshougake.com/
☆【後生掛温泉】公式ホームページ ☆

やがて部屋に戻り、家内が湯に向かった。
       

そして私は途中で、売店で買い求めた地酒を窓辺に移して、呑み始めたりした。
       

やがて窓辺の彼方の情景を眺めたり、あこがれの地に来た、と漠然と思い深めたりした。

そして8月初旬の当初の希望は3連泊する予定であったが、20日は満室と旅行代理店から言われ、
やむなく本日の18日、そして明日の19日と連泊と決定しまったが、
それだけこの宿に数多くの方が宿泊したい宿なので、私は満足しなければ、と微苦笑したりした。
       

この後、館内の通路を歩き、休憩室の窓辺から、小雨降る中のヤマウルシ、ブナが朱紅色、黄色に染められて中、
チシマサザ、アオモトドマツの緑色の濃淡の情景に長らく見惚(みと)れたりした。
       

やがて明日の19日の日中のひととき、『玉川温泉』に往還するので、
果たしてお天気は・・と漠然と思ったりした。                                
                                     ≪つづく≫
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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第四回 蒸(ふ)けの湯温泉

2014-10-23 18:59:47 | 
       第四章 蒸(ふ)けの湯温泉

『藤七温泉 彩雲荘』に三連泊した17日の朝、小雨降りしきる朝を迎えた。

やがて私たち夫婦は、午前9時半過ぎに八幡平の山頂近くのバス停まで、
当館のご厚意で送迎車に乗車し、次の宿泊地の『蒸けの湯温泉』に向かう為、
バス停で待ちわびた。

旅立つ前の時は、この日の日中に八幡平の山頂付近の遊歩道を散策した後、
午後の便で『蒸けの湯温泉』に向かう予定であったが、
『藤七温泉 彩雲荘』に初めて宿泊した翌日に晴れ間が予感して、結果的には周遊して、
私たちは幸運のぐまれた、と私たちはお互いに微苦笑したりした。

そしてこの日の移動日は、たまたま小雨降っていたので、
早めに『蒸けの湯温泉』に向かうことにし、10時過ぎの路線バスに乗車した。

そしてアスピートラインの八幡平の景観の良い中、路線バスは15分ぐらい下った後、
『蒸けの湯温泉』のバス停に到着した。
       

私は大きな旅行バックを手にさげたりしてきたので、小雨降る中、『蒸けの湯温泉』の旅館まで、
数分歩くこと予期していたが、、『蒸けの湯温泉』の旅館のご厚意で、送迎車が待機して下さり、
私は恐縮しながら御礼を言ったりした。


規約のチエックインは午後2時となっていたが、私たちは大広間か食事処で過ごされては、
とフロントの方から私たちは言われ、大広間に入室した。

そして私たちと同様にチエックイン前のご夫婦が3組がいて、
まもなく私たちはお互いに旅程のことを話題に、談笑を重ね、
やがて食事処でも話がはずんだりした。

12時過ぎに、客室関係者から入室の可能の連絡を受けて、
私たちは指定された2階の部屋に入った。

この『蒸けの湯温泉』は300年以前から地熱を活用した蒸かしの湯から命名され、
三角屋根の山荘風の老舗旅館であり、玄関先から客室まで青森産のヒバ材や秋田スギをふんだんに配置され、
白濁の名湯と知られている。

    
そして部屋の床柱、そして内湯のヒバ造り、大樹をくり抜いた湯船に掛け湯が張られ、
ひと昔は私のような平民には、とても宿泊できない高級旅館であったことが、
私は瞬時に感じられた・・。

http://www.ink.or.jp/~fukenoyu/
    ☆【蒸けの湯温泉】公式ページ ☆

その上、何よりも見せられたのはヤマウルシ、ブナが朱紅色、黄色に染められて中、
チシマサザ、アオモトドマツの緑色の濃淡の情景である。
                


古来から山が朱紅色、黄色に染められる錦繍(きんしゅう)の情景を『山粧(やまよそお)う』と称してきたが、
私は見惚(みと)れながら、そうですよねぇ、と私は深く同意させられたりした。
       

そして私は部屋の窓辺、2階の通路の窓辺から、幾たびも眺めたりした。


翌朝、この館の近くに野趣あふれる外湯の露天風呂があり、
この周辺には八幡平地区の『治山の森』ふけの湯地帯となっている。
       

       

       

       

このような情景を見惚(みとれ)れたりすると、脳裏から言葉が舞い降りてこなく、
散文で無念ながら表現できずに、困ったなぁ、と独り微苦笑したりしていた。


やがて余情を秘めて、『蒸けの湯温泉』の地に別れを告げて、次の宿泊地の『後生掛温泉』の地に、
私たち向かった。                                        
                                     ≪つづく≫
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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第三回 山の宿の『藤七温泉 彩雲荘』

2014-10-23 11:48:19 | 
  第三章 山の宿の『藤七温泉 彩雲荘』

源泉かけ流しの温泉が好きな家内が、5年前の頃から岩手県と秋田県の県境に八幡平(はちまんたい)の付近に、
『藤七温泉』があるが、たった一軒の『彩雲荘』の宿に気付いた。

そして八幡平より岩手県側の2キロばかり下ると、
東北地方の最高峰1400メートルにある山の宿と知られ、雄大な広がる樹海の彼方には、
岩手富士、茶臼岳の山並みが一望でき、湯量は豊富で幾重かの外風呂の露天風呂が点在する宿として、
多くの温泉愛好家に知られている。

この後、私たち夫婦はいつの日にか訪れたい宿のひとつであったが、
やがて東日本大震災もあったりしたりで、小心者の私は断念した・・。

しかしながら私は、いつの日にか八幡平の山頂付近の遊歩道を散策したく、
家内は効用あらかたな白濁色の湯が満喫てきそうと思いが合致して、
『行きましょう・・』
と私は家内に賛意したりした。

そして当館のホームページを私たち夫婦は幾度も見たりした。
http://www.toshichi.com/
☆【藤七温泉 彩雲荘】公式ホームページ☆

やがて今回の旅路の始めに3連泊を予約して、
初めて『藤七温泉 彩雲荘』に訪れたのは10月14日であった。

東京駅発の東北新幹線で盛岡駅で下車した後、
駅前の路線バスで『藤七温泉』方面に行けるバスの便は、日にたった一本であり、
午前11時42分発のバスに乗車し、曇り空の中を盛岡市の郊外を通り、
やがて松尾歴史民俗資料館で乗り換えたりした。

そして路線バスは八幡平頂上に向い、乗客は私たち夫婦と25歳前後の山のいでたちの男性で、
中型のザックを身近に置いていた。

まもなくアスピーチラインと称せられた景観の良い中、
車窓から落葉樹の朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を眺めていた・・。
       

この25歳前後の男性は、八幡平頂上の少し前の茶臼岳(1578メートル)を登山した後、黒谷地湿原を歩き、
そして八幡沼、その後は蒸け湯への山道・・と私たちは談笑したりしたが、
もとより私たちは体力もない身であったので、この好青年に好感しなから、やがて彼は下車した・・。

そして乗客は私たち夫婦だけで、私たち夫婦は幾たび旅先で観光船、路線バスなどで体験してきたので、
『また・・ボクたちだけになってしまったよねぇ』
と私は家内に微苦笑しながら言ったりした。

やがて落葉樹も消え、針葉樹のアオモリ・トドマツ林が点在する中、
小雨が降り、やがて本降りとなり、霧も濃くなり、視界は殆どなくなった。

そしてバスを運転されるドライバーの50代の方は、ゆっくりと徐行しながら八幡平頂上のバス停に到着した、

やかて濃霧と本降りの中、バスは下り10分過ぎると『藤七温泉』のバス停に到着した。
こうした中、数10メートル先の『彩雲荘』の玄関先まで、大きな旅行バックを私は下げながら、
小走りに着いた。

       
         ★翌々日、曇り空の中、記念に私は撮ったりした。★

そして家内と玄関先で苦笑いした後、フロントでチエックインの所定を記載し、
ロビーで少し休息した後、山の宿らしい指定された2階のある部屋に案内された。

この後、旅先の宿に到着したいつものように形態で、
私は先発隊として内風呂に入ったが、誰もいなく貸し風呂のようであったが、
身体が冷え切っていた為か、湯は熱く、やむなく断念して、
外湯に点在する露天風呂を小雨降る中、二か所ばかり入浴し、
やがて熱い内風呂に、日本男児だ、と思いながら私は入り、その後は身をゆだねたりした。

やがて、私は指定された部屋に戻り、家内は湯に向かった。
       
        ☆たわむれに室内を取ったりしたが、山の宿にふさわしく窓際に椅子とテーブルはなく、
         この後の私は幾たびも一階の談話室に通ったりした☆

この後、源泉大好きな家内は1時間半ばかりした後に戻り、
『内風呂・・確かに熱かったけど、一緒にいた方、水を入れていたわ・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。


この宿は外湯の幾つかの野趣あふれる露天風呂として名高く、
私たちが滞在している平日でも、立ち寄り湯の方たちも数多く来客され、にぎわっていた。
       
        ☆滞在した翌日の15日、八幡平の山頂遊歩道から帰還している途中、当館を撮った☆

私は滞在している館内の中では、指定された2階のある部屋から、通路を通り、
       

一階の宿泊者専用の談話室で、本を読んだり、地方紙の新聞を読んだり、
ときおり私たちと同世代の宿泊されているご夫婦と談笑したりした。
       

或いは私たちの部屋から当館の門前、バス停の先の山並みを観たりした。
       

食事に関しては、古来のより日本男児は発露することは恥となっているが、
私は幼年期に農家の児として育ったせいか、田畑の農作物は大好きのひとりである。

今回は異例であるが、山の宿で山菜づくしの多彩な乾物、塩漬け、水煮を調味したのを賞味できたりした。
山ウド、コゴミ、セリ、ゼンマイ、タケノコ、フキ、ワラビなど、少なくとも毎食ごとに10品は食事の友とした。

平素の私の朝食は、五穀米が入った白米のご飯、ワカメの味噌汁、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、
海苔(ノリ)、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰などを愛食している。

こうした根底には、幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の一汁三菜(いちじゅうさんさい)が、
何かと心身の波長に合うのであるので、頂いたりしている。

こうした心情のある私は、当館で夕食を頂いたりしている時、
ビールを呑みながら、塩をまぶした焼き上がりのイワナを食べたりした後、
山菜づくしに魅了されて、
『XXちゃんさぁ・・一汁十菜だよねぇ・・』
と私は微笑みながら家内に言ったりした。、
                            《つづく》

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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第二回 山頂遊歩道は夢幻のような路

2014-10-22 11:33:17 | 

       第二章 八幡平の山頂遊歩道は夢幻のような路

『藤七温泉 彩雲荘』に初めて泊る14日の夕食前、
私はフロントの近くいた。

私たちは3連泊した後、午前10時過ぎに八幡平の山頂近くのバス停まで送迎車を
当宿泊より予約し、その後は山頂遊歩道を散策する予定でいたが、
天候が定まらないことを思い馳せたりしていた・・。

そして明日は何となく快晴の予感がし、急遽フロントの方に、
明日の午前中に山頂近くのバス停まで送迎して下さると助かるですが・・、
と遠廻しに私は言ったりした。

この地から山頂近くのバス停までは、樹海ラインを2キロの坂道を登り切った所で、
路線バスは午後の2時半近くに一便あるだけで、
体力の衰えた私たちは、その後の日程を配慮すれば・・という思いであった。

そしてフロントの方は私の依頼を快諾して下さった。


15日の早朝は、昨日の午後2時過ぎからの雨と濃い霧から一転し、
眩(まばゆ)い陽射しを迎え、私の予感が幸いしたので、微笑んだりした。
       
        
やがて9時半過ぎに、当館のご厚意で私たち夫婦は山頂近くのバス停までは、
送迎車で乗り、そして降り立った。

私たちは山頂の遊歩道に関して、観光パンフレットで見てきた程度であり、
まったくの未知の世界だった。

そして山頂に向かう直線の坂道を100メートルぐらい登ると、
標識案内図が見えた。
       

私たちは左側の路、まっすぐ登る道を思案していた時、
登山に馴れた容姿の60歳前後のご夫妻より、
左手の山頂まで迂回したなだらかな路の方が、景観も良く楽ですよ、
と教示して下さった。

やがて私たちは御礼の言葉を重ね、山頂まで迂回したなだらかな路を歩き出した。
そして左側は風雪に耐えたアオモリトドマツの原生林が見え、
中には私のように軟弱なアオモリトドマツは枯れ木となっていた。
       

そして右側は幾つかの沼を観え、エメラルド色の湖水のガマ沼には、
脚を止めて眺めたりした。
       

その後わずか5分過ぎた頃に、突然に山頂の標識柱が見え、
あっけなく着いてしまった、というのが実感であった。
       

そして堅牢な展望台に上がると、南部富士と称せられる雄大な岩手山、
周囲一望が見渡せ、誰でも景観が魅せられる所であった。
        

やがて展望台から降りると、近くに周囲の案内標識板があったので、
私たちは再確認をする為に、見たりした。
       


そして八幡沼をめざして歩き出した。
       

そして左側には、小さな水たまりのような沼に、素敵な情景だょ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりしていた。
       

路は歩きやすく、空は雲ひとつなく青色の中を私たちは歩いたりした。
              


まもなく展望台に近づくと、八幡沼が観え始めた。
       


そして展望台からは、圧倒的に魅了される八幡沼が観え、長らく見惚れたりした・・。
       



この後は左岸の彼方に観えた避難小屋を目指して、再び歩き出した。
       

       

やがて避難小屋に到着し、堅牢な建物で休息したりした。
       

       

       


この後は広大に拡がる湿地帯の中の木道を歩くと、
もしもこの世で天国があるならば、私にとってはこのような所かしらと思いながら、
夢幻のような中を私たちは歩いたりした。
       

       

こうしたような情景の中、30分ぐらい歩いた所で、彼方の対岸に先ほど立ち寄った避難小屋が観え、
八幡沼を半周してしまったことを実感しながら、
数多くの方たちに八幡沼の遊歩道は魅了される所を改めて認識させられたりした。
       


やがて少しの登り路を上がると見返峠に着き、広大な展望となった。
そして私たちの出発となった広い駐車場、大きな建物の休憩所も観えたりした。
       

この後、私たちは休憩所の食堂で昼食代わりに軽食を食べた後、
この地から樹海ラインを2キロ下った滞在している宿泊『藤七温泉』まで歩いて帰還することとした・・。

そして私たちは八幡平の雄大な景観を眺めたりして歩いたりした。
       

やがて私たちの滞在している宿泊『藤七温泉』が観えたりした。
       


やがて帰還後、私は宿泊者専用の展望風呂に入り、
たったひとりだけの湯に身も心もゆだねながら、
八幡平の山頂周辺の遊歩道は、私はボケない限り長らく心の片隅に残影するだろう、
と思いながら独り微笑んだりした。
                            《つづく》
                      
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錦繍の八幡平の周辺、遊学記【14.10.14.~10.20.】 第一回

2014-10-21 16:35:54 | 

       序章 旅立つ前の思い

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は過ぎし9月下旬に古希(こき)と称される満70歳となり、
家内は12月下旬に高齢者入門の65歳となり、
お互いに介護保険を有する夫婦となる。

そして何かしら記念品をお互いに思案したりしたが、
結果的には私たち夫婦の共通趣味の国内旅行をしょうと、7月下旬に決意した。
        

やがて幾つかの旅行プランを思案したりしたが、
やはり源泉かけ流しの温泉宿に宿泊するのが、私たちの身も心もやすらぐことができると、
いつの日にか訪れ、宿泊したい地域を選定した。

岩手県と秋田県の県境にある八幡平の周辺には、
藤七(とうしち)温泉、後生掛(ごしょがけ)温泉、ふけの湯温泉、玉川温泉など多彩にある。

これまでの私たち夫婦は観光バスで通り過ぎてしまった処が多かったが、
こうした地域の幾つかの温泉宿に宿泊して、
落葉樹が朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を見ながら、
周辺の遊歩道、自然研究路などを散策しょう、と7泊8日で立案した。
       

具体的に東京駅より東北新幹線で北上して、盛岡駅で下車した後、
駅前より路線バスに乗車し、松尾歴史民俗資料館で乗り換えて、八幡平頂上経由で、
藤七温泉で下車し、この『藤七温泉』に3連泊する。

この後は路線バスで藤七温泉より八幡平頂上で乗り換えて、下界の蒸けの湯温泉で下車し、
『蒸けの湯温泉』に一泊だけする。

こうした後に、蒸けの湯温泉より路線バスで下り、後生掛温泉で下車し、
『後生掛温泉』で3連泊する。

この間に路線バスで玉川温泉に行き、日中のひととき往還する。

この後は、盛岡駅まで路線バスで乗り換えを繰り返して、やがて東北新幹線で帰京する。
       

こうした旅程を最寄り駅に近い旅行代理店に提示して、
宿泊所、新幹線、路線バスの手配を依頼したが、
この地域は錦繍の時節は更に最盛期となるので、『後生掛温泉』の宿は3連泊を希望したが、
満室で結果的には一日削り、旅程は決定した。

やがて一週間前に、新幹線の座席指定も確定して、
私は旅行代理店に旅費の残金を支払ったりしてきた。
       

私たちのこうした記念旅行は、14日から6泊7日間となってしまったが、
過ぎし4日前の頃から日本の最南端から台風が北上しながら、猛威をふるう中、
14日の未明時に首都圏に入ったが、幸いに大災害ならず、
私たち夫婦は予定通り記念旅行に旅立つことができた。

私たち夫婦は、冬の雪が舞い降る旅路が多く、この秋の時節の旅は数えように少なく、
果たして旅先の落葉樹が朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を夢想し、
幾たびの旅路で思いがけない心を踊ろかせる出来事に、
秘かに心に期待しながら、周遊したささやかな遊学を記載する。


          第一章 遥かなる山の宿の『藤七温泉 彩雲荘』

岩手県と秋田県の県境に八幡平があるが、岩手県側の2キロばかり下ると、
『藤七温泉』があり、たった一軒の『彩雲荘』がある。

東北地方の最高峰1400メートルにある山の宿と知られ、雄大な広がる樹海の彼方には、
岩手富士、茶臼岳の山並みが一望でき、湯量は豊富で幾重かの外風呂の露天風呂が点在する宿として、
多くの温泉愛好家に知られている。

私たち夫婦はいつの日にか訪れたい宿のひとつであったが、
岩手県北の路線バスは、盛岡駅前からは『藤七温泉』の便は日にたった一本のバスしかなく、
やむなく私たちは、このバスの便に合わせる為、東北新幹線の時間を調整した。

10月14日、台風19号が首都圏に深夜12時過ぎに襲来し、
雨脚は強く、ときおり風は強く吹き、旅行の旅立ちを危ぶまれたが、
幸いにも東京駅より予定通り『はやぶさ 5号』は8時20分過ぎ発車し、
盛岡駅に地まで、強風に伴い減速して25分遅れて到着した。

この後、予定時に駅前より路線バスに乗車し、曇り空の中を盛岡市の郊外を通り、
やがて松尾歴史民俗資料館で乗り換えて、路線バスは八幡平頂上に向かった。
乗客は私たち夫婦と25歳前後の山のいでたちの男性で、中型のザックを身近に置いていた。

まもなくアスピーチラインと称せられた景観の良い中、
車窓から落葉樹の朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を眺めていた・・。
       

この25歳前後の男性は、八幡平頂上の少し前の茶臼岳(1578メートル)を登山した後、黒谷地湿原を歩き、
そして八幡沼、その後は蒸け湯への山道・・と私たちは談笑したりしたが、
もとより私たちは体力もない身であったので、この好青年に好感しなから、やがて彼は下車した・・。

やがて落葉樹も消え、針葉樹のアオモリ・トドマツ林が点在する中、
小雨が降り、やがて本降りとなり、霧も濃くなり、視界は殆どなくなった。

たまたま乗客は私たち夫婦だけで、バスを運転されるドライバーの50代の方は、
ゆっくりと徐行しながら八幡平頂上のバス停に到着した、

やかて濃霧と本降りの中、バスは下り10分過ぎると『藤七温泉』のバス停に到着した。
こうした中、数10メートル先の『彩雲荘』の玄関先まで、大きな旅行バックを私は下げながら、
小走りに着いた。

       
         ★翌々日、曇り空の中、記念に私は撮ったりした。★

そして家内と玄関先で苦笑いした後、フロントでチエックインの所定を記載し、
ロビーで少し休息した後、山の宿らしい指定された部屋に案内された。

この後、旅先の宿に到着したいつものように形態で、
私は先発隊として内風呂に入ったが、誰もいなく貸し風呂のようであったが、
身体が冷え切っていた為か、湯は熱く、やむなく断念して、
外湯に点在する露天風呂を小雨降る中、二か所ばかり入浴し、
やがて熱い内風呂に、日本男児だ、と思いながら私は入り、その後は身をゆだねたりした。

やがて、私は指定された部屋に戻り、家内は湯に向かった。

この後、源泉大好きな家内は1時間半ばかりした後に戻り、
『内風呂・・確かに熱かったけど、一緒にいた方、水を入れていたわ・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。
                            《つづく》
                        
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《秋の旅路》初秋の甲斐大泉の旅路、ささやかな思いで・・。《下》

2014-10-20 09:24:43 | 旅のあれこれ
       第4章  柳生博(やぎゅう・ひろし)氏の人生観と哲学を集積した『八ヶ岳倶楽部』は・・。

私は、ホテルで観光パンフレットで、たまたま『八ヶ岳倶楽部』の名所の解説を読んでいた時、
オーナーは俳優の柳生 博(やぎゅう・ひろし)さんファミリー、
と記載されていた。

私は20数年前の頃、何かの雑誌で氏が、八ヶ岳の片隅に念願の雑木林を構え、
時間の許す限り居住しながら、盛んに雑木を移植している、
という意味合いの内容を読んだこともあり、この大泉の地域だったのか、と解った。

そして氏は移住している地から程近い地に、公開している雑木林が『八ヶ岳倶楽部』と解り、
レストラン、ギャラリーも併設されている、と読んだりしたので、
私なりに興味があり、家内を誘い、訪れることとした。

そして開業時間は午前10時から、と知ったので、
朝露が残る思われる10時少し前に到着するのが良い、と確信して、
ホテルからタクシーで向かった・・。
          
               『八ヶ岳倶楽部』の正門前
私たち開業時間まで少し時間があったので、隣接した処を歩いたりした・・。
          
もとより柳生 博さんがこの地を買い求めて、開拓する前の状況を学び勝ったのである。
                        

この後、『八ヶ岳倶楽部』に入り、『八ヶ岳倶楽部』のパンフレットの解説に思いを重ねながら、
私たちは歩き、数多くの雑木を中核とした庭園で、小路は枕木の木道で歩きやすく、
          
ゆるやかな傾斜地に四季折々のそれぞれの雑木が彩(いろど)っている。
              


私は拝見しながら、柳生 博氏の人生観に於いての思想と哲学を発露された庭であり、
特にレストランの前のテラスで観る雑木の美景は、まぎれなく氏の美学が感じられる。
          
しかし私は、これ以上は解らない。

幸いにギャラリーの片隅に、氏の著作の『八ヶ岳倶楽部 森と暮らす、森に学ぶ』(講談社)、
               
そして『八ヶ岳倶楽部Ⅱ それからの森』(講談社)があり、
               
作庭から公開されるまで苦楽、そして維持管理のことも学びたく、私は買い求めたりした。


この後、レストランで私たちは休憩しながら、
          
家内はサラダを食べながら、フルーツティーを飲んだりした。
私はコーヒーを飲んだ後、ビーフカレーを食べたりしたが、店内は清々しい品位が漂(ただよ)い、
私は好感した。


帰路、私は家内にホテルまで歩いて帰ろう、と提案した。
見知らぬ地は歩き廻って、その地の理解する第一歩、と思っている私は、
この『八ヶ岳倶楽部』の前の道路を南下すれば、小海線の『甲斐大泉』駅の近くを通り、
更に南下すれば滞在しているホテルの近くになるので、歩き出したのてある。

このようなことは、柳生 博氏が初めてこの地域に土地を購入した30数年前の頃の原景を
私は想像の世界でありながら、少しでも見つけられるかしら、ということも確かな動機であった。
                    
そして道路沿いにはアカマツなどが多い人工林の中、
別荘用の分譲の用地、ペンション、食事処などを観たりし、
          
6キロぐらいの道を歩き、ホテルに帰還した。

この後、私は深夜まで、購入した氏の著作の二冊を読みながら、
氏のこれまでの人生の軌跡、特に雑木林に魅せられた根源、そして目的を
この本書から学んだりした。


        最終章  旅の終わりには『森の散策路』

私たち夫婦は、初めて宿泊した『八ヶ岳ロイヤルホテル』に到着後、
このホテルは小高い丘のような上に建ち、正面の前方以外は、森の中に囲まれた建物と解った。

この後、このホテルの所有する森には、『森の散策路』と称せられ、
一周約30分と明記されていたので、旅の最終日の19日にゆっくりと散策しょう、
と私は家内と話し合ったりしていた。

ホテルのご好意で『小渕沢』駅までの送迎車は、
ホテル前の集合時は午後1時半に伴い、チェックアウトの午前11時まで、
私たち夫婦は旅の終わりなので、部屋でのんびりとしょう、
と窓辺から観える八ヶ岳の主峰の赤岳を見つめたりしていた。

チェックアウトを終えた後、私たち夫婦は『森の散歩道』を歩き出した・・。
          
この森は程ほどに手入れをされて、モミ、スギ、アカマツなどの常緑樹の中、
ミズナラ、コメズカ、コナラなどの落葉樹は色づきはじめ、
ヤマウルシのたわわな葉は紅色に染められる光景を眺めながら、小路をゆっくりと歩いた。
          
この森には、時折リスが小路を渡ったり、アカゲラ、コゲラの鳥たちも生息している、
とハードウォチングの方から私は教えを受けたりしていた。
          
私は落葉樹の四季のうつろいに限りなく魅了されるひとりなどで、
ミズナラ、コナラ、ヤマウルシなどの色合いに見惚(みと)れながら歩き廻っていた。


この後、少し上りつめると、大きな松が聳える下の付近に水音を感じ、
窪(くぼ)んだ地表には、湧水が観られ『油川水源地』と小さな札があった。
私は幼年期に農家の児として育てられ、生家の田んぼの一角に湧水があったので、
私としては故郷の原景として愛惜する情景であり、長らく湧き出す水の流れを見つめたりしていた。
          
この湧水から清流が流れ、やがて小さな小川となり、
私はこの森の中の沢沿いに、ゆっくりと下った。
                    
そして紅色、朱紅色、黄色に染められたヤマモミジなどを観ながら、
          
過ぎゆく時の流れの情景を確かに享受した。
          

この後、私はロビーの外れでの喫煙所で、煙草を喫いながら、
一昨日は『清泉寮』の周辺の『カラマツ林の小径』、『富士山とせせらぎの小径』を散策をし、
昨日は『八ヶ岳倶楽部』で雑木を中核とした庭園を歩いたりした。
そしてホテルの正面以外を取り囲んだ『森の散歩路』を歩き廻ったりしていた。

やはり『八ヶ岳倶楽部』は、柳生 博氏の人生観と哲学を集積した美の結晶である。
数多くの雑木を中核とした庭園で、小路は枕木の木道で歩きやすく、
ゆるやかな傾斜地に四季折々のそれぞれの雑木が彩(いろど)っている。

私は初めて拝見した時、柳生博氏の人生観に於いての思想と哲学を発露された庭であり、
特にレストランの前のテラスで観る雑木の美景は、まぎれなく氏の美学が感じられる。
このように瞬時に感じたりし、氏の強い意志と感性で創底され、
昨今は専門知識を有したご子息の真悟氏の基で、運営発展している。

これに対して、程ほどに管理された森が『清泉寮』の周辺の『カラマツ林の小径』、『富士山とせせらぎの小径』、
そしてホテルの『森の散歩道』であり、
                       
私は好感しながら、どちらが好きかと問われても、
美の結晶と、そして程ほどに管理された散策路は比較できないなぁ、と心の中で微苦笑したりした。

このような初秋の旅路を私は思い馳せたりしたのである。

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《秋の旅路》初秋の甲斐大泉の旅路、ささやかな思いで・・。《上》

2014-10-19 09:18:07 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
私たち夫婦は共通趣味のひとつとして国内旅行であり、
家内は秋の旅行を初夏の頃から検討してきた・・。

日本の秋は、落葉樹が朱紅色、黄色に染められる錦繍(きんしゅう)の時節であるが、
もとよりその地域や気候により大きく変動するのが、悩ましいことでもある。

ともすれば錦繍(きんしゅう)を目的もせずに、旅先を移動している最中に、
偶然に朱紅色、黄色に染められる圧倒的な情景にめぐり逢えることもある。

このような状況もあるので、余り深く思案しない方が良いよ、と私は家内に言ったりしている。

このようなことを家内に言ったりした後、過ぎ去り2011年に甲斐大泉の地域の旅路の時、
初秋の時だった為、錦繍(きんしゅう)の前に訪れた旅行が思いだされた・・。


       序 文  初めて八ヶ岳の大泉高原

私は家内と共に、初めて八ヶ岳の山里にある大泉高原を一昨年の2011年の10月16日から3泊4日で訪れた。

有力な通販旅行会社のひとつのクラブツーリズムの雑誌に、
八ヶ岳の高原にあるリゾートホテルに三連泊する団体滞在型のプランが掲載されていた。

そして宿泊先の『八ヶ岳ロイヤルホテル』リゾートホテルは、
星空が観やすいところ、と何かの雑誌で私は読んだりしたこともあり、
その上、この地域は10月中旬の頃から、
数多くの落葉樹が朱色、黄色などに染め始める錦繍(きんしゅう)の情景が展開すると学んだりした。

こうした理由もあり、私は家内に、
日中は錦繍の情景、そして夜には満天の星空を眺められる・・
独断と偏見の多い私でも、三日間宿泊すれば、一日ぐらいは煌々と輝く数多くの星が見られる、
と家内を勧誘したのである。

この旅路の主旨は、新宿駅に集合し、特急『あずさ』を利用して、小淵沢駅で下車し、
ホテルからの送迎バスに乗車し、ホテルに3連泊する間、それぞれ好きな所を見てきて下さい、
滞在の自由プランである。


私は八ヶ岳連峰に関しては、若き学生時代にワンダーフォーゲル部に入部し、
まもない時に横岳(2829m)などを少しばかり登山したが、
もとより新人で余裕のない私は、先輩の指導に導かれ、ひたすら昇っていたので、
今としては、記憶はおぼろげである。

40代の後半に、家内と共に蓼科のリゾートホテルに夏季休暇の時に2泊3日で滞在した時、
ロープウェイに力を借りて、最北端の北横岳(2480m)を登山した後、周辺を歩き廻ったぐらいである。

この間に、私たち夫婦は、蓼科高原に幾たびか旅行し、
あくまで茅野駅からのルートで利用し、観光地めぐりしたりしてきたが、
小淵沢駅からの小海線の甲斐大泉、清里駅の周辺は未知の地域であった。
          

16日の昼の12時40分に新宿駅の南口前に集合し、
特急『あずさ』に乗車して、午後1時に発車し、小淵沢駅に午後3時に下車した後、
宿泊先の『八ヶ岳ロイヤルホテル』ホテルからの送迎バスに乗車した。

その後、ホテルのドライバーさんは、私たち一同に、
ホテルの周辺は、平年より紅葉は遅れ、東沢大橋だけは色づき始めました、
と解説されていたので、
私は昨今の自身の行いが悪かったかしら、と心の中で呟(つぶや)きながら、苦笑した。


       第1章  ホテルの屋上展望デッキからの山脈(やまなみ)の情景

私たち夫婦は、指定された部屋に入室した後、八ヶ岳連峰の赤岳(2899m)を中核に窓辺から観え、
もとより星空が観やすいところ、と学んできたこともあり、
周辺の山脈(やまなみ)の情景も良いかしら、と思いながら、
デジカメを取りだして、屋上展望デッキに行った。

雄大な八ヶ岳連峰の赤岳(2899m)を中核にした光景を観た後、
          
東方に金峰山(2599m)など、そして茅ガ岳(1704m)が観えて、その奥に富士山(3766m)が聳え立っていた。
          
そして南方に点じれば、南アルブスの甲斐駒ケ岳(2967m)、北岳(3196m)などが、
広大な情景が展望できた。

山の愛好者の方たちには、圧倒的に感動する光景かしら、
と登山から遠ざかっている私でも、魅了される情景であった。

そして山脈(やまなみ)の日の出、夕陽の光景も思い馳せたりした。

この間の私は、こうした情景をデジカメで20数枚撮ったりし、
山脈(やまなみ)の空気の流れ、光の粒などのは、無念ながら撮れないので、
せめて心の片隅にと思いを重ねたりしていた。

この後、夜のとばり星空に期待し、私は大浴場に向った。


       第2章  星空の中、赤く光を帯びる星は・・。

私たち夫婦は夕食後、星を眺めようと、ホテルの屋上展望デッキに行った。

数多くの星が広大な夜空に彩(いろど)り、満天の星空のように出逢った・・。

私は幼年期の小学校に入学する前の1950〈昭和25〉年の夏、
東京郊外の調布市で農家の児として育ち、
この当時は寺院の境内で、片隅にスクリーンを掲げ、
夏に一回だけ野外の映画の上映会が行われ、この地域の方たちが観覧していた。

私も母に連れられて、確か映画の『長崎の鐘』の作品を観たりし、
私にとっては初めての映画作品であり、詳細の内容は忘れてしまったが、
帰路、夜空は天の川となり、周辺には数多くの星が燦然と輝き、
今でも心の片隅に深く残っている。

この時に幼年なりに深く感銘していたが、
やがて5年過ぎた頃から、生家の地域は急速に都心のベットタウンに変貌し、
夜空に輝く星は、わずかとなり、その後に私は旅行を重ねるたびに、
旅先で夜空を眺めることが多くなった。

しかしながら無学な私は、太陽と月しか解らず、
火星、木星、金星など惑星は、どの辺にあるかは無知であり、
ましてオリオン座、カシオペア座、おとめ座などの星座が、どこにあるの、
と戸惑いながら見つけられないひとりである。

このような私でも、何かしら幼年期で観た輝く星、
そして定年後には心の浄化をしてくれるような数多くの星、
観るのが好きで、できうれば満天の星を秘かに願い続けている。


数多くの星を眺めていると、満天の夜空かしら、と小声で私は呟(つぶや)くと、
満天の星は・・もう少しありますよ、
と近くにいる見知らぬ天文学に詳しそうな男性が教えてくれた。

この後、私は夜空の星たちを眺めていると、赤く光を放つ星を私は見つめた・・。
眺め見つめていると、少し赤い光が移動するので、
何の星かしら、と私は見惚(みと)れていた・・。
この後も、たえまなく星の数々を避けるように移動するので、稀(まれ)な星もあるよねぇ、と感じていた。

そして近くに家内がいるので、
『不思議な星・・』
と私は小声で家内に話しかけた。

『あらぁ・・赤い光で少しつづ動いているわ』
と家内は小声で私に言った。

『そうだろう・・先ほどから見惚れているが・・』
と私は応(おう)じた。

『でも・・確実に移動しているし・・飛行機みたい』
と家内は呟(つぶや)くように言った。

『航空機からの夜間照明灯か・・夜間飛行のねぇ・・』
と私は家内の呟(つぶや)きに応(おう)じた。


そして私は広大な夜空を改めて眺めると、数多くの星空の中、
五つばかりの夜間飛行の移動する赤い星を見つけたりし、
この山梨県の里山の夜空でも、夜間飛行で飛び続ける航空機の多さに驚いたりした。

この後、私は家内に、
いろいろと予期しない星も見られたので、良かったよねぇ、
と話しかけて、私たち夫婦は屋上展望デッキを去った。


       第3章  『清泉寮』、そして周辺の散策路は・・。

私たち夫婦は、今回の八ヶ岳の大泉地域を初めて訪れたが、
旅行の時の私は、その地の歴史、文化を少しばかり学び、訪れてきてが、
今回の私としては稀(まれ)に、どの地をめぐり観るかは、未知数であった。

ただ落葉樹が朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景、
そして夜空の満天の星空が観られれば、これ以上の享受はないと思っていたのである。
そしてたったひとつだけ、ネットに調べたのが、
『清泉寮』の周辺の『キープ自然歩道』の中の『カラマツ林の小径』を散策すれば、
という思いであった。

16日にホテルに到着する前に、
この大泉地域を観光めぐりするに最適な乗り物『清里ピクニックバス』を、
旅行会社の添乗員さんから頂いたパンフレットから知った。

この『清里ピクニックバス』は、周辺の点在する殆どの観光地に寄り、
一日周遊券600円(大人)で、どの観光地で乗り降りしても利便性のあるバスであった。

私たち夫婦は、滞在しているホテルの前から、この『清里ピクニックバス』を利用し、
観光めぐりをしょうと話し合った後、
17日に『清泉寮』に向かい、乗車した。

無学な私は、この『清泉寮』の原点を創設されたポール・ラッシュ氏のことも知らず、
富士山が一望できる休憩所で、家内と共にコーヒーを飲んだ後、
『八ヶ岳自然ふれあいセンター』で、この周辺の散策路を教しを受けたりした。

そして小学生でも歩きやすいアップダウンの少ない『カラマツ林の小径』、
或いは『富士山とせせらぎの小径』を知った。

私たち夫婦は、『カラマツ林の小径』を歩き始めたのであるが、
小径は整備され、ご婦人の方であったならば、ローヒールでも歩ける散策路である。
          
ミズナラ、コメズカ、コナラなどの落葉樹は色づきはじめ、
そしてモミ、アカマツなどの常緑樹の中、
ヤマウルシのたわわな葉は紅色に染められ、陽射しを受けたり、
木漏れ日の中を歩けば、私の心は小躍(こおど)りしたくなる情景であった。
          
途中で、先生方に引率された中学生の150名ぐらい人たちに逢い、
こんにち~わ、と私たちは挨拶され、私も大声で応(おう)じた。
しかし、それぞれのグループで歩き150名となれば、
私は楽しみながら、大声で応じたり、小声ではっきりと笑顔で言ったりしていた。

こうした予期せぬ出逢いに、私たちは好感しながら歩き、たった一周45分の小径を
ゆっくりと歩いた。


この後、『富士山とせせらぎの小径』と称せられた散策路を歩き始め、
ときおり富士山が一望でき、『カラマツ林の小径』と同様な樹木の中を歩き、
道沿いに小川が流れ、清流の流れを観ながら、一周30分の散策を楽しんだりした。
          

そして、昼食は富士山が一望できる休憩所に戻り、
         
売店、飲食コーナーで、私は農場で飼育されたジャージー乳牛のミルクのLサイズ、
少し大きなジャージー・ミルクパンを賞味した。

家内は婦女子らしくジャージー乳牛のヨーグルト、そしてプリン、
或いはソフトクリームを食べたりしていたが、
ビール、日本酒の大好きな呑兵衛の私が、ミルクを飲みながらミルクパンを食べていたら、
家内は笑いだしたのである・・。

この後、寮内を見学した後、『清泉寮』の前から『清里ピクニックバス』に乗車し、
大泉地域の情景を観ながら、ホテルに帰還した。
                                《つづく》

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