私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
年金生活の67歳の身であり、雑木の多い小庭に築後35年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
昨夜、家内と夕食を9時過ぎに頂き、日中に家内と散策した神代植物園などのことを談笑したりした。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
何かと私は家内に話しかけ、お互いに微苦笑する話題を話し合ったりしている。
我が家の付近には野川が流れ、野川の遊歩道を上流3キロぐらい歩いた先の神代植物園があり、
21日の火曜日、24日の金曜日、そして28日の火曜日、訪れて散策をしたりしりした。
、
今年は寒気が多かった為に、梅園も平年より数週間遅れでの情景となり、
大半は大きく膨らんだ莟〈つぼみ〉で、早咲きの梅だけは咲き始めて、
早春の匂いを漂(ただよ)わせていた・・。
我が家の玄関庭にある白梅は、26日の日曜日に咲き始めて、昨日は20数輪ばかんり咲き、
主庭は日本水仙が咲き、白梅は大きな莟〈つぼみ〉、紅梅は固い莟〈つぼみ〉、
藪椿(ヤブ・ツバキ)は紅色の大きな莟となっているが、
やはり平年より数週間は遅れている、と私は微苦笑してきた。
しかしながら早春の匂いは、日増し毎に深め、
全国的に女の子を祝う《桃の節句》が近づいてきたこと実感してきた。
遅い夕食後を頂いた後、ぼんやりとNHKの『ニュースウオッチ9』を視聴していたが、
日中に読書をしていなかったので、寝室に本を一冊持ちこんで、
佐野眞一・著の『劇薬時評 ~テレビで読み解くニッポンの了見~』(筑摩書房)を
深夜まで読んだりした。
今朝、6時半過ぎに起きだして、玄関庭を眺めると小雪が舞い降り、
常緑樹のたわわな枝葉、落葉樹の数々の枝は、雪化粧となり、
地上の黒土にはうっすらと積もっていた・・。
そして門扉の近くにある郵便受入れ箱の近くのブロック塀を見ると、
積雪3センチぐらいかしら、と私は微笑んで見たりしていた。
その後、主庭のテラスの片隅みに下り立ち、
空から舞い降りてくる小雪を見つめたり、
常緑樹のたわわな枝葉、落葉樹の数々の枝などの雪化粧、
そして地上の黒土にはうっすらと積もっている情景に見惚(みとれ)れいた・・。
そして働いて下さる現役の諸兄諸姉の通勤、学童の通学は交通機関の遅れもあるので、
何かと大変だ、とぼんやりと思ったりした・・。
この後、小雪舞い降る情景を眺めていると、遥か遠い昔のことが思いだされた・・。
私は1944〈昭和19〉年に農家の三男坊として生を受け、
祖父と父が中心となって、程々広い田畑を小作人だった人たちの手助けもあって
農業を営(いとな)んでいた。
この当時は、徒歩15分ぐらいの京王線の最寄駅まで、
殆ど田畑が広がり、雑木林、竹林なども観られた田園風景であった。
私の幼年期は、毎年、冬の時節になると、雪が30センチ前後が数回降った。
1951〈昭和26〉年の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。
ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。
家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。
駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑は雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。
小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅に木造の正方形の1間幅の暖炉があった。
コークスはむろん、石炭も使用される前の時代であったので、
簡易に造ったブリキの中で、薪(まき)が燃やされていたのである。
私たち学童は、衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。
そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と悪口を言い合っていたりした。
下校のひととき、番傘でチャンバラの真似事をし、
番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。
このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。
その後、1955〈昭和30〉年の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957〈昭和32〉年であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。
1964〈昭和39〉年に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、
この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
こうした幼年期に体験した私は、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。
このようなことを私はぼんやりと思い馳せながら、小雪舞い降る情景を眺めている。
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年金生活の67歳の身であり、雑木の多い小庭に築後35年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
昨夜、家内と夕食を9時過ぎに頂き、日中に家内と散策した神代植物園などのことを談笑したりした。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
何かと私は家内に話しかけ、お互いに微苦笑する話題を話し合ったりしている。
我が家の付近には野川が流れ、野川の遊歩道を上流3キロぐらい歩いた先の神代植物園があり、
21日の火曜日、24日の金曜日、そして28日の火曜日、訪れて散策をしたりしりした。
、
今年は寒気が多かった為に、梅園も平年より数週間遅れでの情景となり、
大半は大きく膨らんだ莟〈つぼみ〉で、早咲きの梅だけは咲き始めて、
早春の匂いを漂(ただよ)わせていた・・。
我が家の玄関庭にある白梅は、26日の日曜日に咲き始めて、昨日は20数輪ばかんり咲き、
主庭は日本水仙が咲き、白梅は大きな莟〈つぼみ〉、紅梅は固い莟〈つぼみ〉、
藪椿(ヤブ・ツバキ)は紅色の大きな莟となっているが、
やはり平年より数週間は遅れている、と私は微苦笑してきた。
しかしながら早春の匂いは、日増し毎に深め、
全国的に女の子を祝う《桃の節句》が近づいてきたこと実感してきた。
遅い夕食後を頂いた後、ぼんやりとNHKの『ニュースウオッチ9』を視聴していたが、
日中に読書をしていなかったので、寝室に本を一冊持ちこんで、
佐野眞一・著の『劇薬時評 ~テレビで読み解くニッポンの了見~』(筑摩書房)を
深夜まで読んだりした。
今朝、6時半過ぎに起きだして、玄関庭を眺めると小雪が舞い降り、
常緑樹のたわわな枝葉、落葉樹の数々の枝は、雪化粧となり、
地上の黒土にはうっすらと積もっていた・・。
そして門扉の近くにある郵便受入れ箱の近くのブロック塀を見ると、
積雪3センチぐらいかしら、と私は微笑んで見たりしていた。
その後、主庭のテラスの片隅みに下り立ち、
空から舞い降りてくる小雪を見つめたり、
常緑樹のたわわな枝葉、落葉樹の数々の枝などの雪化粧、
そして地上の黒土にはうっすらと積もっている情景に見惚(みとれ)れいた・・。
そして働いて下さる現役の諸兄諸姉の通勤、学童の通学は交通機関の遅れもあるので、
何かと大変だ、とぼんやりと思ったりした・・。
この後、小雪舞い降る情景を眺めていると、遥か遠い昔のことが思いだされた・・。
私は1944〈昭和19〉年に農家の三男坊として生を受け、
祖父と父が中心となって、程々広い田畑を小作人だった人たちの手助けもあって
農業を営(いとな)んでいた。
この当時は、徒歩15分ぐらいの京王線の最寄駅まで、
殆ど田畑が広がり、雑木林、竹林なども観られた田園風景であった。
私の幼年期は、毎年、冬の時節になると、雪が30センチ前後が数回降った。
1951〈昭和26〉年の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。
ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。
家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。
駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑は雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。
小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅に木造の正方形の1間幅の暖炉があった。
コークスはむろん、石炭も使用される前の時代であったので、
簡易に造ったブリキの中で、薪(まき)が燃やされていたのである。
私たち学童は、衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。
そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と悪口を言い合っていたりした。
下校のひととき、番傘でチャンバラの真似事をし、
番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。
このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。
その後、1955〈昭和30〉年の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957〈昭和32〉年であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。
1964〈昭和39〉年に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、
この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
こうした幼年期に体験した私は、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。
このようなことを私はぼんやりと思い馳せながら、小雪舞い降る情景を眺めている。
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