夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

早春の匂いの中、東京の郊外は、小雪が舞い降る朝を迎え・・。

2012-02-29 09:27:23 | 定年後の思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
年金生活の67歳の身であり、雑木の多い小庭に築後35年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

昨夜、家内と夕食を9時過ぎに頂き、日中に家内と散策した神代植物園などのことを談笑したりした。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
何かと私は家内に話しかけ、お互いに微苦笑する話題を話し合ったりしている。

我が家の付近には野川が流れ、野川の遊歩道を上流3キロぐらい歩いた先の神代植物園があり、
21日の火曜日、24日の金曜日、そして28日の火曜日、訪れて散策をしたりしりした。

今年は寒気が多かった為に、梅園も平年より数週間遅れでの情景となり、
大半は大きく膨らんだ莟〈つぼみ〉で、早咲きの梅だけは咲き始めて、
早春の匂いを漂(ただよ)わせていた・・。

我が家の玄関庭にある白梅は、26日の日曜日に咲き始めて、昨日は20数輪ばかんり咲き、
主庭は日本水仙が咲き、白梅は大きな莟〈つぼみ〉、紅梅は固い莟〈つぼみ〉、
藪椿(ヤブ・ツバキ)は紅色の大きな莟となっているが、
やはり平年より数週間は遅れている、と私は微苦笑してきた。

しかしながら早春の匂いは、日増し毎に深め、
全国的に女の子を祝う《桃の節句》が近づいてきたこと実感してきた。


遅い夕食後を頂いた後、ぼんやりとNHKの『ニュースウオッチ9』を視聴していたが、
日中に読書をしていなかったので、寝室に本を一冊持ちこんで、
佐野眞一・著の『劇薬時評 ~テレビで読み解くニッポンの了見~』(筑摩書房)を
深夜まで読んだりした。

今朝、6時半過ぎに起きだして、玄関庭を眺めると小雪が舞い降り、
常緑樹のたわわな枝葉、落葉樹の数々の枝は、雪化粧となり、
地上の黒土にはうっすらと積もっていた・・。
そして門扉の近くにある郵便受入れ箱の近くのブロック塀を見ると、
積雪3センチぐらいかしら、と私は微笑んで見たりしていた。

その後、主庭のテラスの片隅みに下り立ち、
空から舞い降りてくる小雪を見つめたり、
常緑樹のたわわな枝葉、落葉樹の数々の枝などの雪化粧、
そして地上の黒土にはうっすらと積もっている情景に見惚(みとれ)れいた・・。

そして働いて下さる現役の諸兄諸姉の通勤、学童の通学は交通機関の遅れもあるので、
何かと大変だ、とぼんやりと思ったりした・・。

この後、小雪舞い降る情景を眺めていると、遥か遠い昔のことが思いだされた・・。


私は1944〈昭和19〉年に農家の三男坊として生を受け、
祖父と父が中心となって、程々広い田畑を小作人だった人たちの手助けもあって
農業を営(いとな)んでいた。

この当時は、徒歩15分ぐらいの京王線の最寄駅まで、
殆ど田畑が広がり、雑木林、竹林なども観られた田園風景であった。

私の幼年期は、毎年、冬の時節になると、雪が30センチ前後が数回降った。

1951〈昭和26〉年の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。

ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。

家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。

駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑は雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。

小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅に木造の正方形の1間幅の暖炉があった。
コークスはむろん、石炭も使用される前の時代であったので、
簡易に造ったブリキの中で、薪(まき)が燃やされていたのである。

私たち学童は、衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。
そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と悪口を言い合っていたりした。

下校のひととき、番傘でチャンバラの真似事をし、
番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。

このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。


その後、1955〈昭和30〉年の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957〈昭和32〉年であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。

1964〈昭和39〉年に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、
この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。

こうした幼年期に体験した私は、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。

このようなことを私はぼんやりと思い馳せながら、小雪舞い降る情景を眺めている。


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5輪ばかり白梅は咲き始め、東京の郊外に住む私は、微苦笑させられて・・。

2012-02-28 07:01:25 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
雑木の多い小庭の中、古ぼけた一軒屋に住んでいる。

一昨日の26日の朝10時過ぎ、玄関庭に下り立ち、北風の吹く寒さを感じる中、
塀際に植えている白梅の莟〈つぼみ〉が気になり、近づいたりした・・。

たわわに大きく膨らんだ莟〈つぼみ〉の中で、純白の花を見つけて、
数えたら5輪ばかりあり、恥じらうように咲いていた。

今年は平年より寒さを感じてきた私であり、白梅の固い小さな莟〈つぼみ〉は2月10日過ぎであり、
その後、私が散策してきた付近の野川の遊歩道で見られる白梅も、
陽当たりの良い所に3本ばかり咲いていたが、殆どは莟〈つぼみ〉となったりしていた。

そして野川の上流3キロぐらい歩いた先の神代植物園の梅園に、
21日の火曜日、そして24日の金曜日に訪れたが、やはり大半は大きく膨らんだ莟〈つぼみ〉で、
早咲きの梅だけは咲き始めて、早春の匂いを漂(ただよ)わせていた・・。

昨日の27日の朝、私が玄関庭で白梅を見ると、少しばかり増えて10輪となっていた。

この後、平年より余りにも遅いと感じたりして、
昨年の白梅は、いつ頃に咲いてくれたのかしら、と思いながら、
私はブログに綴った投稿文を読み返したりした・・。

昨年の2001年2月1日に於いては。
【 早春の昼下りの陽射しの中、我家の白梅は20数輪咲き、私は見惚(みと)れながら・・。】
と題して投稿していた。

【・・
昨日は曇り時々晴れの6度ぐらいの寒い昼下りであったが、
今朝は澄み切った青空となり、日中も陽射しは燦燦と、風もなく暖かい3月上旬のような陽気となった。

いつものように私は、スーパーに2店ばかり買物を終えた後、
空気が乾ききった日々が長らく続いたせいか、
少し風邪気味であるので、散策は自重し取りやめたりした。

私は居間でぼんやりと、本を読んだりし、
主庭の白梅を見たりしたが、少しばかり膨らんだ莟(つぼみ)であり、
紅梅も固い莟の状況であるので、ため息をしたりしていた。
無念ながら隣接しているマンション影響で、この時節は半日ほど陽影となっている。

この後、玄関庭に下り立ち、
昼下りの陽射しを燦燦と受けた白梅の花が、静寂の中、20数輪咲いて、
私は思わず微笑みながら、長らく見つめたりした。


我が家の玄関庭は、この時節も陽当たりに恵まれて、
私が散策することの多い野川の川沿いの遊歩道で、陽だまりとなる処にある白梅があるが、
あたかも競(きそ)うように、ここ数週間に数輪、そして10数輪と咲きだして、
私は少年のような多感な心で、互いに見てきたのである。

梅の白き花は、ときおり微風が吹くと、
かすかに花びらが揺れて、まぎれない美を幼年期の頃から、私は感じたりしている。

朝方のひとときは、この世に比類のない清麗の美を感じ、
昼下りの陽射しの中では、早春の訪れを実感させられ、
夜の薄闇の中に於いては、白き花が浮かんだりした情景を眺めると妖艶さも感じさせる
多彩な花であるが、
私は四季折々の花木の中で、特に魅了される花のひとつである。


先ほど、我が家の玄関庭の20数輪の花びらに見惚(みと)れていると、
私は恥ずかしながら俳句を詠(よ)む素養はないが、
たわむれに数句を脳裏に浮かべたりした・・。

凛(りん)として ほのかに匂ふ 梅の花

梅の花 人知(ひとし)れず咲き 匂い寄せ

秘かに咲く 冬麗(とうれい)のなか 梅匂い

私は煙草を喫いながら、たわむれで詠んだが、拙(つたな)さがあり、
やはり私は散文で綴る方がよい、と微苦笑した。
そして、ぼんやりと、昼下りの暖かい陽射しを受けた花びらを眺め、心酔したりしていた。
・・】


このように投稿していたが、苦笑した後、その前の年は・・、と読み返したりした。

一昨年の2010年2月12日に於いては、
【 雨上がりの朝、恥じらいながら白梅、紅梅は咲きはじめて・・。】
と題して、投稿していた。

【・・
昨日の午後より霧雨が降りはじめ、夜の午後7時過ぎから小雨となり、
霙(みぞれ)か雪になるかしら、と思いながら玄関の軒下で煙草を喫ったりしていた。

我が家の玄関庭にある白梅は満開であり、ここ3週間ばかり私は心を寄せたりしていた。
そして主庭の白梅、紅梅は隣接にマンションがあり、陽当たりが悪く、固い莟(つぼみ)であった。

過日の9日は、予感もなく4月中旬のような陽気の中でとなり、戸惑ったのであるが、
夕刻の頃に、恥らうように数輪が咲きはじめたのである。
私は主庭のテラスに下り立ち、ここ一週間ぐらい待ち焦(こ)がれていたので、
ときおり見つめていたので、遅れてご免なさい、と云うように数輪と大きく膨らんだ莟(つぼみ)の情景であった。


今朝、玄関の軒下で、樹木を眺めたり地面の黒土を見た後、夜半は霙や雪が降った気配はなく、
雨が降り続いたことに判ったのである。
そして、私は玄関庭に下り立つと、ときおりメガネが濡れる程度にポッリと降るぐらいで雨上がりの朝であった。

そして私は白梅の満開を眺めていたのであるが、しっとりとなった黒土の上には、
早くも白い花びらが散乱していたので、散りはじめか、と微苦笑したりした。

この後、主庭のテラスに下り立ち、雨上がりの静寂の庭は、白梅、紅梅はそれぞれ10数輪の花となり、
私はぼんやりと眺めていたのである。

遅咲きとなった純白の花、薄紅色を見つめながら、
読書の魅力に気付かされたのも高校生から、民間会社の中途入社できたのも25歳、
そして結婚したのも31歳であり、何かとこの人生の歩みが遅いせいか、
この遅咲きの花が愛(いと)おしく感じるのである。

そして私はどんよりとした曇り空を見たり、たわわな雨粒をたたえた樹木の枝葉を眺めたり、
そして遅咲きの花色を観たり、居間に戻ったのは7時少し前であった。
・・】


このような投稿文を読み返して、玄関庭の白梅が咲き始めたのが、
昨年は2月1日であり、一昨年は2月9日と解り、今年は2月26日となり、
やはり平年より寒気の日が多かったのだ、と改めて私は感じたりした。

そして昨夜のひととき、NHKのニュースを視聴していたら、
本年の寒さは、昭和61年以来の寒さの年です、と報じていた。

その直後、私は指で数えるようにして、昭和61年は確か1986年だったと思いながら、
25年ぶりの寒い冬かょ、と微苦笑したりした。

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電話料金、我が家の3月度、4月度は殆ど無料となり、思わず私は微笑んで・・。

2012-02-27 11:12:59 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

3日前、私はパソコンで久々に電子メールを開けると、
この中の一通に、『フレッツ光メンバーズクラブ事務局』より、
【ポイント残高のお知らせ】と題し、ポイントの一部が2月28日で失効しますから、
早めにご利用下さい、
このような意味合いのメールであった。

この後、私は『フレッツ光メンバーズクラブ』サイトを開き、
たまたまポイントの残高は4900ポイント(1ポイント1円相当)と解り、
どのような商品に交換しょうかしら、と嬉しげに迷ったりした・・。


我が家の通信関係の料金のことを恥ずかしながら公開すれば、
NTT東日本より、毎月の『ご利用料金内訳書』として、たまたま今年の1月度は、

【NTT東日本 ご利用分】
   フレッツ・テレビ伝送サービス利用料・・・・・・・450円
   ひかり電話(基本料)・・・・・・・・・・・・・・500円
   ひかり電話(通話料)・・・・・・・・・・・・1,484円
   ひかり電話(携帯電話等への通話料)・・・・・・・・17円
   ユニバーサルサービス料・・・・・・・・・・・・・・・5円
   消費税相当額・・・・・・・・・・・・・・・・・・121円
   (小計)・・・・・・・・・・・・・・、・・・2,557円
 
【料金回収代行サービス ご利用分】
   フレッツ・テレビ伝送サービス情報料・・・・・・・210円 株式会社オプティキャストご利用分

(合計)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2,767円

このような内訳であり、殆ど毎月はこのような実態である。
フレッツ・テレビ伝送サービスは、テレビを受信するアンテナ代わり、
そして民間放送とNHK、そしてNHKのBSを視聴する為に料金であり、
もとよりNHKの視聴料は、別途毎年10月に一括で銀行で引き落としをしている。

電話に関しては、固定電話の『ひかり電話』を利用し、最低の基本テープルの500円で、
通話料の大半は、家内が独り住まいとなっている家内の母に、殆ど毎夜30分前後、
連絡として利用している程度である。


この他として、ネットの肝要なプロバイダはニフティを選定しているので、
毎月7,199円を支払い、
そしてブログのアクセス解析、ランキングなどの料金として、290円を利用している。

こうした内容が我が家の通信・放送料金の実態であり、
携帯電話に関しては、無念ながら使えなく、保有していないので、
情報社会から、年金生活の我が家は取り残されている、と微苦笑する時もある。


しかしながら我が家としては、私が定年退職した2004〈平成16〉年の秋より、
少しばかり進化している・・。

我が家のインターネット導入時は、遅ればせながら私の定年退職時の少し前、2004年の夏季であった。
以前から、ADSL回線を検討したが、私の住む所は調布市の片隅みで世田谷区に隣接し、
何故かしら電話だけは都内の烏山電話局の管轄下となっている。

しかし遠方なのADSL回線の送受信は劣化すると思い、やむなく断念し、
光回線はこの当時としては、余りにも高い価格であったので、迷っていた時、
ケーブル・テレビとして名高いJ-COMの傘下の地元のケーブルテレビ会社が、
我が家の門扉に近い電信柱で施設工事を行っていた。

私が訊(たず)ねると、電信柱まで光回線を施設し、
そこから各家庭までの配線は、通信速度が下り30メガ、上り2Mメガを目標とし、
ADSL回線よりも安定した高速回線で、程ほどの価格であり、
テレビの伝送とネットのセットで、私は加入することとした。
従って、プロバイダはJ-COM Netの30メガ・プレミアとしたのである。


翌年の2005年の春頃から、NTT東日本が光フレッツの加入促進のキャンペーンに伴い、
我が家にも電話勧誘、チラシの広告が郵送されたり、そして新聞の折込チラシも入ったりしてきた。

光回線はもとより、ひかり電話もセットにすれば、
我が家のJ-COM Netとプシュフォン電話機の電話利用料金より、
料金面は廉(やす)くなる上、ネットの回線速度も早くなるので、6月に加入したのである。

NTT東日本の光フレッツ対応の初期工事は無料となり、
プロバイダはニフティを選定したが、数ヶ月お得キャンペーンに便乗したので、
通信回線も実質50Mメガ前後となり、私は心の中で小躍(こおど)りしたりした。

そして家内が何よりも喜んだのは、
私の定年退職前は家内のお気に入りであった旧態のダイヤル式の黒電話、
退職後まもなくプシュフォン電話機となり、そして現状はひかり電話となったので、
驚くほど電話利用料金が廉(やす)くなったことである。


この後、NTT東日本の販売代理の会社より、フレッツ・テレビ伝送サービスを利用すれば、
加入しているJ-COMより、お得です、電話勧誘されて、
私は切り替えたのは昨年の2009年1月であった。

この結果、NTT東日本の光回線の下で、電話は『ひかり電話』、ネット回線は『フレッツ』、
そしてテレビは『スカパー!光』となった。

この後、月例のNTT東日本より電話料金の請求書が郵送さた中で、
『FLET’S光メンバーズクラブ』の入会案内書が同封されて私は見ていたのであるが、
何かしらお得のサービスがあるので、ネットで検索したのである。

そして、少なくとも会員になれれば2100ポイント(1ポイント1円相当)の商品券などの頂けるので、
私は入会の申し込みをしたのである。


このように我が家は、私の定年後の通信・放送を利用してきた軌跡であるが、
今回の『フレッツ光メンバーズクラブ』のポイントの残高は4900ポイント(1ポイント1円相当)であり、
少しためらった後、私はケチな性格もあるので、やはり電話料金と相殺しょうと決意した。

そして、『フレッツ光メンバーズクラブ』のサイトを開き、ポイント利用をすべて電話料金とした。
この結果、我が家の電話料金は、月平均2,500円前後なので、
今後の電話料金の請求書は、もとより3月分はもとより、4月分も殆ど無料に近く、
私は笑いながら家内に伝えと、家内も笑顔となったのが、3日前であった。

ここ数ヶ月、NTT東日本、KDDI、J-COMなどの販売代理の会社より、
何故かしら回線の乗り換えなどで電話勧誘、郵送のパンフレットを頂くことがあるが、
私は現状に満足しているので、お断りをしている。

しかしながら我が家の今後の命題としては、夫婦2人だけの家庭である上、
私は携帯電話に興味がなく、今日まで至っているが、
数年前の頃から、私たち夫婦のどちらかが、ボケる前には、
迷子のように、私はどこにいる・・と確認できるGPS機能の携帯電話が必要と思ったりしている。

新聞に添付されるチラシの一部に、携帯電話の各社の広告が入っているので、
ときおり私たち夫婦は見たり、ときには販売店でお互いに戸惑いながら見たりしている。

そしてここ数年、スマートフォン(多機能携帯電話)が急速に普及してきているが
我が家は、世の中の時流から取り残されていると微苦笑しているのが、昨今である。

尚、『フレッツ光メンバーズクラブ』の私の利用している範囲としては、
毎月50ポイント(1ポイント1円相当)が確実に付加されて、
ときおり『継続ポイント』などが加算されている。

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モンゴル800の『あなたに』の歌、ラジオから流れ、私は思わず沖縄の旅を思い馳せて・・。

2012-02-26 00:15:26 | 音 楽
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む67歳の身であるが、
いつものように夜の7時半過ぎに風呂から出た後、
パジャマを着た後、居間に戻った。
そして家内が入浴するので、ぼんやりと私はガウンを羽織った後、
居間にあるラジオのスイッチを何気なしに入れた・・。

そしてラジオからは、暖かな南国のように空気につつまれて、
ひとつの歌が流れてきた・・。

♪流れゆく日々その中で 変わりゆく物多すぎて
 揺るがないものただ一つ あなたへの思いは変わらない

【モンゴル800『あなたに』 作詞・Kiyosaku Uezu、作曲 ・MONGOL800 、唄・モンゴル800 】

モンパチ(モンゴル800の略称)の『あなたに』の歌だ、
と私は心の中で呟(つぶや)き、しばらく聴き入った・・。

そして私はモンゴル800の『あなたに』の歌を心の中で唄いながら、
この歌を初めて唄った頃のことを思いだし、独り微笑みを重ねたりした。


過ぎし2007〈平成19〉年の夏が過ぎた頃の夜、
家内は独り住まいの家内の母と定例的な電話連絡を終えた後、
『お母さん・・死ぬまでに一度は沖縄の《ひめゆり塔》を参拝したいって・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言った。

『やはりお義母(かあさん)さんは・・昭和5年生まれだったし、
戦時中は(新潟県)高田の女学校で、軍事工場の支援に強制従事させられた、
と聞いたことがあったし・・』
と私は家内に言ったりした。

『そうなのよねぇ・・何か平和祈念公園の中で、
沖縄戦で亡くなれた新潟県の墓地に花をささげたい、言っていたし・・』
と家内は私に言ったりした。

この頃の私たち夫婦は、私が定年退職する直前の2004〈平成16〉年の秋、
家内の父は病死した後、
独り住まいとなった家内の母を誘い、幾たびか温泉滞在旅行を重ねたり、
家内の母の要望で、飛行機に初めて乗って、初めての北海道の旅を叶(かな)えさせたりしてきた。

『お義母(かあさん)さんの・・死ぬまでに一度は・・
俺たちにとっては、何よりも弱い言葉だし・・』
と私は微苦笑しながら家内に言ったりした。

結果的には、この年の2007年10月下旬から、私たち夫婦が高齢者の家内の体調を配慮して、
沖縄本島の一部を8泊9日で訪れた。


私の沖縄に関しての思いは、1964(昭和39)年の秋に東京オリンピックが開催された時、
大学2年で中退し、映画、文学青年の真似事をしていた時、
中野好夫、新崎盛輝、両氏による共著の『沖縄問題二十年』(岩波新書)を読んだりした。

高校時代以来、時事に興味を抱き、
ベトナム問題と同様にまとまりつかない沖縄問題に思考が整理できず、
深く悩んでいた・・。
そしてこの本に出会ったのは、21歳の時だった。

若き私は感受性が豊かであったので、年長者の確かなアドバイスを頂いたようになり、
この言葉に導かれて、私は沖縄に対しての理論整然と見方として教示され、
基軸となったのである。

それ以降、社会人となり、やがて定年退職後の生活を送っている今でも、
沖縄、オキナワ・・ことばを読んだり聴くたびに、
何かしら今だに後ろめたい気持ちを引き摺(ず)っている。

私はこの一冊の本に寄り、安易な沖縄観光気分で訪れる避け、
この後30年後の50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、
更に思いを深めたりした・・。


そして今回の沖縄の旅する10日前の頃に、総合月刊誌の『文藝春秋』に於いて、
ノンフィクション作家の梯久美子(かけはし・くみこ)さんの寄稿文で、
主題が『美智子さまと昭和天皇』、副題は『沖縄の悲劇を胸に』と題され、
『ずゐせん学徒隊』のことを学び、多々教示を受けたりした。

私たち3人は、那覇市のビジネスホテル風の『アパホテル』に連泊した日中、
『ずゐせんの塔』に花をささげながら私は涙を浮かべて黙祷をしたり、
この後、『ひめゆりの塔』の資料館を見たりし、塔の前で花をささげて黙祷をしたりした。

そして、私は近くにあった大きなクファデーサーの樹の下で、煙草を喫いながら、
皇后陛下が詠まれた歌に思い浮かべたりした。

   クファデーサーの苗木添ひ立つ
           幾千の礎(いしじ)は重く死者の名を負(お)ふ
                                作者・皇后陛下

両陛下が終戦50年の慰霊の旅として沖縄に訪れた時、
『平和の礎(いしじ)』をご覧になった後、
皇后陛下は1995(平成七)年にひとつの歌を詠まれた・・。

この一句に導かれて、この樹木を知り、私なりに沖縄戦の過酷な戦場と思いを重ねた。

この後、『平和の礎』のある『平和祈念公園』に、私たち三人は行った。



那覇市に2日滞在した後、私たちは快晴の中、風光明媚なリゾート地 を目指して、
タクシーで北上した・・。
私は周辺の情景を眺めていると、沖縄の住民の方達には申し訳ないが、
過酷な沖縄戦を忘れさせるかのような心持となった。

やがて、かりゆしビーチの付近のリゾート・ホテルに到着した。
『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャン スパ』であるが、
家内が中部観光には何かと利便性があり、大浴場もあり、6連泊滞在には最適と決めたホテルであった。

この後、『ブセナ海中公園』に行き、
空は青く、明るい陽射し、そしてさわやかな風を身体で受けると、
沖縄の風光明媚を心身感じ、リゾート気分を満喫できた。

遅い昼食を名護市の近くの『名護曲レストラン』で頂いたが、
素朴な沖縄料理を私たち三人は、オリオンビールを呑みながら、色々と食べ比べをしたりした。

店内からは沖縄の名曲が流れていた・・。

そして、私はひとつの歌に耳をかたむけた・・。

♪人にやさしくされた時 自分の小ささを知りました
 あなた疑う心恥じて 信じましょう心から

【モンゴル800『あなたに』 作詞・Kiyosaku Uezu、作曲 ・MONGOL800 、唄・モンゴル800 】

私は沖縄の歌に関しては、『さとうきび畑』を最初に知り、
『芭蕉布』、『花』、『涙そうそう』を聴いている程度であった。

たまたまモンゴル800の方達は、一ヶ月前頃に偶然テレビで、
沖縄列島の島々でコンサートしながら、南下する二時間のライブ版を観た。

この当時の私は齢ばかり重ねた63歳の身であったが、
好感できる若者である程度しか、さほど印象には残らなかったが、
この名護の付近の素朴なレストランで聴いた時、少しふるえ、そして和(なご)みを感じながら、
瞬時に魅了された・・。

私はこの時以降、リゾート・ホテルの部屋のベランダで海を見つめながら、
或いは散策をしている時、鼻歌を唄ったり、心の中で唄ったりしている。

♪流れゆく日々その中で 変わりゆく物多すぎて
 揺るがないものただ一つ あなたへの思いは変わらない

【モンゴル800『あなたに』 作詞・Kiyosaku Uezu、作曲 ・MONGOL800 、唄・モンゴル800 】


その後、11月3日に私たち3人は、『海洋博公園』に行き、
家内達は『美ら海水族館』やイルカを観に行くので、私は予定通り別れた。

私は日頃から中年女性のしぐさ、言葉に魅了されることがあるが、
植物も愛するひとりとして、樹木、草花を観るので、園内の遊歩道を歩きはじめた・・。

国営沖縄記念公園の別称に相応しく、園内は小奇麗に整備がゆきとどいている。
いかにも沖縄の風土に適した樹木、草花が適度に配置されて折、
私の目を楽しませてくれた。

遊歩道の所々、海が目の前に観える展望台に行ったり、
或いは海岸の歩道を歩(あゆ)めば、険しい岩の崖に波が押し寄せている・・。

空は雲がわずかに浮かび、青一色で無限のような拡がり、
そして海は蒼く、果てることのないように彼方まで望み、風は爽やかに私の身体を通り過ぎていく・・。

このような光景を眺めたりしていると、
古来より沖縄の人々から、『美ら海(ちゅらうみ)』として慕われているのが、
私なりに理解ができた。

植物園に戻ると、つる植物園の中で、蔦(ツタ)のように緑色の葉が生い茂って折、
この中で数多くの薄紫色の花が、ひっそりと咲いていた。

私の住む東京の郊外では見かけることのできない花であり、
あえて表現すれば、アサガオの満開の花びらのようでも思え、
色合いは桔梗に似ているかしら、と感じたりしたのである。
いずれにしても、私のつたない感性であるが、
まぎれなく奥行きのあり品性がただよう、数少ない花のひとつである。

私は、この薄紫色の花を、
文化の日に伴い、秘かに『美ら海桔梗』と名付けた。

園内を辞する時、植物に詳しい係員の方から、
『その花は・・ベンガル・ヤハズ・カズラ・・と思いますよ・・』
と私に教えてくれた。

今回、本島を8泊9日で旅をしている身であるが、私はこの薄紫色の花に最も魅了され、
のちの想いとしても、深く私の心に残った花である。


滞在先のホテルのインフォーメション・センターと称された観光遊覧の相談所で、
ときおりブログ投稿していた。

この相談所は20代の女性が3人いて、常時2名で対応している。
机上にはパソコン等があり、ある程度はお客様の相談事を笑顔で応じている。

このルームは15坪前後の広さがあり、
壁際にインターネットが対応されたパソコンが2台あった。
お客様自身が観光先などを検索されるのに設置されていると思われる。

私はこの中で1台を使わして貰い、ホテル内の滞在客の多い中、ときおり投稿したのであった。

この相談所の女性たちと、私は幾たびか談笑を重ねたりした・・。

こぼれ話のひとつとしては、モンゴル800の『あなたに』のことで、
『・・モンパチの『あなたに』に魅了され・・ベランダで鼻歌を唄ったり・・していますよ』
と私は言ったりしていた。

『好い歌ですよね・・私が中学3年の時・・大ヒットし・・私も大好きな歌のひとつです・・』
と微笑みながら答えてくれたりしていた。

私は齢を重ねた63歳のお客の身であるので、、
相手のお方は私よりは40歳以上確実にお若い20代の沖縄美人は、さりげなく応じてくれる。

この後、私は沖縄出身のモンパチの件で、お互いに微笑みながら話し合ったりしていた。


たまたま今宵は、ラジオから偶然にモンゴル800の『あなたに』の歌を聴き、
このような過ぎし沖縄の旅を思い重ねて、
私はモンパチの『あなたに』を小声で唄ったりしたのが、夜の8時少し前であった。


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たかが『花ことば』されど『花ことば』、まぎれなく人々の思いが凝縮されて名言と思い・・。

2012-02-25 10:09:32 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む67歳の身であり、
東京郊外で農家の児として生を受けて、
やがて中小業のサラリーマンを35年ばかり勤め、卒業した年金生活の8年生となっている。

古びた一戸建てに住み、小庭の雑木、草花を眺めたり、
周辺の遊歩道、公園を散策をしたりして、日々季節のうつろいを何よりも教示されている。

ときおり、家内との共通趣味の国内旅行などをして、
各地の四季折々の限りない美に心を留め、齢を重ねるたび愛惜が深まっている。

このように感じ受け止めて日々を過ごしたりしているが、
つたない無知な私は何かと書物で、改めて日本の歳時などを謙虚に学んでいる。

例えば、藤野邦夫・著の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)、
飯倉春武・著の『日本人のしきたり』(青春出版社)、
朝日新聞社・編の『色の彩時記~目で遊ぶ日本の色』(朝日新聞社)、
講談社・編の『茶花歳時記』(講談社)、
野呂希一、荒井和生・共著の『言葉の風景』(青菁社)、
長谷川 櫂・著の『四季のうた』(中公新書)、
松田 修・著の『古今・新古今集の花』(国際情報社)、
道行めく・著の『美しい日本語帳』(永岡書店)、
山下景子・著の『美人の日本語』(幻冬舎文庫)
などが私の机の横にある小さな本箱にあり、
定年後に幾たびか読み返したり、或いは初めて精読した本もある。

そして齢ばかり重ねた無学な私は、ときおり国語の辞書を置き、
そおっと開いたりしている・・。
久松潜一・監修の『新潮国語辞典 ~現代語・古語~』(新潮社)であるが、
二十歳以来から何かと教示を受け、私の秘かな言霊(ことだま)の恩師となっている。
私は齢ばかり重ねた高齢者3年生の67歳の身であるが、
何よりも季節感を大切に日常生活を過ごしているので、
この机の端にある程度の書物を置いている。

国語辞典と同様に、このサイトに投稿する際に欠かせないものとなっている・・。


こうした中で、私にとっては本棚の片隅みには異例とも思える一冊の本があり、
恥ずかしながら記載するが、弘田 茂(ひきた・しげる)・著作の『花ことば』(保育社)がある。

この本は確か1974〈昭和49〉年頃、私は20代の後半であり、
季節感を深めたくて、店頭で偶然に買い求めた一冊である。

こうした根底には、特に西洋花が苦手であるので、拙(つたな)いなりに少し勉強をしょうと、
通勤の満員電車の中で読み耽っていた。

チューリップは『博愛・名声』
ヒアシンスは『競技・遊技』
アモネスは『薄れゆく希望』
クロッカスは『焦燥』
デージー(ひなぎく)は『無邪気・平和・希望』
水仙は『うぬぼれ・我欲』
スノードロップは『慰め・希望』
フランス菊は『忍耐』
ガーベラは『神秘』
矢車草は『繊細さ・優雅』

・・このような事を学び、若き独身の私は、ときおり女性とデートを重ね、
日比谷公園、新宿御苑を散策した時に、こうした花を見たりし、この『花ことば』を重ねたりしていた。

もとより『花ことば』は、人々の日常生活の中で、それぞれの人々の思いが凝縮され、
託された名言と思ったりしている。

そして無知な私がヨーロッパの諸国の文化を学ぶ時、キリスト教、石の建物と同様に、
歴史書、文学、音楽、絵画などの世界は、その地に描かれた地域を理解する上で、
少なくとも幾つかの花のうつろいの情景、そして情感は欠かせないと思ったりしている。


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どうして『へそくり』をするの、と私は不思議に思いながら、微苦笑させられ・・。

2012-02-24 07:09:08 | 定年後の思い
昨日の23日の朝、私はいつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
思わず微苦笑させられた記事があった。

37面の社会面にあるひとつの記事で、
《 妻のへそくり 平均170万円
           夫の1.5倍以上 》
という見出しされていたので、
どういうことなの、と好奇心を失くしたらこの人生は終わりだ、
と私の信念と好奇心で最後まで読んでしまった・・。

無断であるが、この記事を転記させて頂く。

《・・
オリックス銀行が22日発表した調査によると、
配偶者に内緒で預金などお金を貯める「へそくり」をしている
妻の平均額は170万円で、夫の平均額(112万円)を60万円近く上回った。

年代別にみると、20歳代を除く全ての年代で、夫よりも妻のへそくりが上回った。
最もへそくりが少なかったのが30歳代の夫(46万円)で、
30歳代の妻(123万円)とは2・5倍以上の差があった。
最も多かったのは、60歳以上の妻の246万円だった。

調査は、昨年12月に全国の20歳以上の既婚男女を対象に、
インターネットを通じて行い、約2000人から回答があった。

(読売新聞2012年2月22日朝刊)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行をした。

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は新聞を読んだ後、たまたま朝食の時間となり、
家内が台所で調理した料理を居間の食卓に運んだりした。
そして小雨降りしきる庭を見たりし、家内と朝食を頂いた。

私は先ほど読んだ新聞記事を話題に、家内に話しかけたりした。
『XXちゃんさぁ・・今朝の新聞に載っていた記事で・・へそくりをしている方がいて、
60歳以上の妻だと平均240万円みたい・・驚いたょ』
と私は家内に言ったりした。

『・・』
家内は少し苦笑していた。

『だけど・・どうして《へそくり》をするなんで・・夫婦なのに』
と私は家内に言ったりした。

『あらぁ・・私のお友達だって・・「自分のために」だって、へそくりしている方はいますわ』
と家内は私に言った。

『そぉ・・』
と私は家内に言ったりしたが、この地球の空の下で、80億人の中で、たまたまめぐり逢い、
そして寝食を共にされる夫婦なのに、「自分のために」か、
おかしいよ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした・・。


私は家内と婚約した1975〈昭和50〉年12月の少し前の交際期間で、
デートとした最中に、
『お互いに・・隠しだて・・やめましょうねぇ』
と私は何かの話しの続きに言ったりした。

こうした思いがあったので、婚約する直前から、年収より少ない私の貯金の実態を話したりした。

翌年の3月に私たちは結婚して、賃貸マンションで生活を始めた・・。
私は中小業の民間会社に勤めていたサラリーマンの身であり、
家内は専業主婦となり、茶事だけ中学生以来から週1回は習っていたので継続した。

この当時は、私の給料は銀行振り込み制度であり、家内が銀行関係も管理してもらったので、
私は出勤の直前に、家内は私の財布に補充していた。

こうして2年過ぎ、私は生家の近くに一軒家を新築したが、
どうせ住宅ローンで借金するなら、この際は家屋の一部に茶室を設けよう、
と変更したりした。
この私の若気の至りで、予想した以上の費用が掛かり、庭の予算も少なくなり、
結果として雑木の多い庭の樹木となったりした。

何よりも困苦したのは、住宅ローンなどを返済し始めたが、
赤字続きとなり、家内はパート、契約社員などで、3年ばかり働き、
我が家の強力な援軍となったりした。

こうした時、我が家は結婚以来から家計簿を月次決算のようにしてきたので、
今月も赤字・・ボーナスで穴埋めで、何とか黒字かょ、
或いは、やはり年間でも赤字かょ、
と私はぼやいたりしていた。

そして赤字が2年続いた中の苦節3年後、私の年収で何とか生活ができるようになり、
家内は昭和妻と称される専業主婦に復帰した。
もとより、一家の主(あるじ)の私は収入の責務があり、家内は後方支援の重責があることであり、
この当時の風潮でもあったので、
私は家内のことを、これ以来《専守防衛長官》、と秘かに思い続けている。

この間の私の財布は、福沢諭吉のお札が2枚であり、
何か会社の懇親会がある時は、事前に家内は増やして入れてくれた。

そして私が40代を過ぎた頃は、私の財布は福沢諭吉のお札が3枚に昇格となった上、
10万円まで下せる銀行カードも財布に入れたりした。
家内は緊急に必要となった場合、大の大人としてみっともないわ、
と言われて、私は所有はじめたのである。

こうした時でも、私は血気盛んな男性のひとりであったので、
今晩、会社の懇親会がある、と出勤前に家内に言い、福沢諭吉のお札が5枚になったのを確認し、
ときには二次会の代わりに、独り私はこっそりと風俗店に行ったりしたこともあった。
もとより帰宅後、私は家内には、二次会それなりに楽しかったよ、と言ったりしていた。
これだけは我が生涯、家内に隠し事をした秘密であった。

私は民間会社の中小業のある会社を35年ばかり勤め、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職時を迎えた後、年金生活をして過ごしている。

程ほどのお金を幾つかの銀行と郵便局に分散した貯金の基で、
2ヵ月毎に年金を頂き、生活費の基盤としている。
そして、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行、或いは冠婚葬祭、そして思いがけない出費の時は、
貯金から取り崩して過ごしているのが実態である。

私は平素の買物に関しては、定年後に自主的に担当しているので、
福沢諭吉のお札が3枚、そして5千円札と千円札を幾枚か財布に入れて、
家内も福沢諭吉のお札が5枚ぐらい保有し、
現金が手薄になった時は、やむなく銀行から取り崩している。
そして我が家の緊急時の予備金として、福沢諭吉のお札を常時10枚を保有している。

こうした中で、定年直後に公正証書の作成できる処に出向き、
私より家内の方が圧倒的に長生きをする確率は高く、
残された家内の生活が困苦しないように、私の遺言書を作成したりした。

そして家内は60歳を迎えた一昨年に、家内も年金を頂き、
我が家は夫婦ともに、名実ともに年金夫婦となった。

家内は短大を卒業した後、私と婚約するまでの4年の期間、
そして我が家の一軒家を建てた後、3年ばかり勤めたりしたので、
ささやかながら厚生年金、厚生基金を頂く身分となった。

この分を家内名義の総合口座として、原則として下さない方針で来ているので、
少しつづ増えてきている、と私たち夫婦はお互いに微笑んだりしている・・。
こうした額が、あえて言えば家内のささやかな《へそくり》貯金になれば良い、
と私は思ったりしている。

このような状況なので、我家は寝食を共にした結婚して以来、
お互いに隠し立ての貯金の方針がなく、
毎月、家計簿を2人で締めたりしているので、
もとより《へそくり》は無縁となり、明朗会計となっている。


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お地蔵(じぞう)さま、わが心のふるさとの原景を思い馳せながら、心を寄せて・・。

2012-02-23 11:03:03 | 定年後の思い
今朝、ぼんやりと古い暦(こよみ)を見ていたら、
毎月の24日は、『地蔵の縁日』と明記されていた・・。

私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であるが、
近所を散策したりすると、稲荷神社を見かけ、入り口の近くにお地蔵さまを見かけたり、
道しるべとして、お地蔵さまを見ることがある。。

こうした時、私は立ち止まり何気なくに手を合わせて、黙礼をしてしまう。
或いは、ときおり国内の各地を訪れた時、多くのお地蔵さまを見かけたり、
道祖神を見たり、或いは賽の河原に幾たびかで手を合わせてきた。

このような心情の私は、年金生活を始めた7年前の頃、
恥ずかしながら『お地蔵(じぞう)さん』について、こっそりと由来などを調べたりしたことがあった。

知識人の藤野邦夫(ふじの・のりお)氏の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)が、
私にとって一番解りやすく、明確に述べられ、私は微笑んだりしたりしていた。

無断であるが、引用させて頂く。

《・・
お地蔵さんとは、正しくは『地蔵菩薩』のことであり、
『地蔵』とは【大地を母胎とするもの】という意味の古代インドのサンスクリット語『クシティ・ガルバ』に由来する。
また『菩薩』とは、最高の悟(さと)りを開いた仏になろうと修行している女性のことで、
地蔵の場合は、仏につぐ高い地位にある存在とされている。

つまり、お地蔵さんは生命を生みだして育てる大地のような菩薩であり、
日本に地蔵信仰が導入されたのは、はるか奈良時代(8世紀)のことだった。

しかし、広く庶民の間に地蔵信仰が広がって、民間信仰となったのは、
平安時代(9~12世紀)から中世(13~15世紀)にかけてのこと。
それに反映して、日本には100種類以上の地蔵がある。

出産と子育てだけでみても『子育て地蔵』『子安地蔵』『夜泣き地蔵』『乳もらい地蔵』があり、
このほか『いぼとり地蔵』『とげぬき地蔵』『雨降り地蔵』や、
農村部にある『田植え地蔵』などが知られている。

道端や橋のたもとに、今も残る石の地蔵をみると、
かっての日本人にとって、いかに苦しみを救ってくれる存在だったかが解かる。
・・》

このように解説を読んだ私は、確か1955〈昭和30〉年の頃まで、
日本の各地では、日々の生活に貧困と飢えあえいでいた多くの人々がいた。
日照りの時は雨乞い、わが乳児が無事に育つような願いなどを託して、
心の救済として、その地なりにお地蔵さんが祭られただろう、
と思いをめぐりあわせた・・。


遥か遠い昔の60年前の頃、私は地元の小学校に入学したのは昭和26(1951)年の春であり、
この当時は祖父と父が中心となり、程々の広さの田畑を耕し
多忙期には小作人だった人たちの助けも借り、農業を営(いとな)んでいた。

敗戦の1945〈昭和20〉年の後、まもなくして農地改革で田畑は減少したが、
幼児の私には、それなりの田んぼの一角に湧き水があり、田んぼの中に小川がながれ、
蓮(ハス)専用の田んぼもあり、、
池もあり、防空壕などの数多くの情景が鮮明に残っている・・。

通学を始めた私は、駅までの15分ばかりの町道を歩いたり、
旧家の宅地の外れの小路、或いはあぜ道のような畑の小道の角地で、
ときおり『お地蔵(じぞう)さま』を見たりしていた。

どうしてこのような所にあるの、と思いながら、
お地蔵さまの像を洗い清められ、お地蔵の像に赤、白色の前垂れが着せられ、
お地蔵さまの足元の近くに、数々の里花が飾られていた。

その後、父が病死し、まもなく祖父も死去したので、
私の生家は衰退し、貧乏な生活も余儀なくされたが、今でも私の心の片隅には、
このような情景が残っている。


私が旅先で今でも鮮烈に心の片隅みに残っているのは、
2006〈平成18〉年の12下旬に長野県の白馬村に滞在旅行をしていた時であった。

前日の二日間は小雪が降っている中、私たち夫婦は散策したりしたが、
当日が、冬晴れとなり、暖かな陽射しを受け、冬枯れの田んぼが広がり、のどかな景観となった。
山峰の中腹まで雪の白さが陽射しを受けているので、
まばゆい情景となっている・・。

田んぼのあぜ道の脇に小川が活きよいよく流れ、
水の豊富な地域だと実感できたりした。

村道に出ると、雑木林があり、その外れに道祖神があった。
人の訪れもなく、歳月を見守っているようにも感じられ、
柔らかな冬の陽射しを受けていた。

私の日常の年金生活は、ともすれば身過ぎ世過ぎの生活実感なので、
こうした道祖神に心を寄せ、浄化を求めたりした。

やすらぎ・・使い古るされた言葉であるが、
このような周辺の情景を見つめると、
齢ばかり重ねた私は、それなりに深く心に沁みてくる。

人それぞれ、旅先の思いはさまざまであるが、
私は何気ないこうした光景がまぎれもなく心に残っている。

飢餓がなくなったと称せられる現在、
お地蔵さんは日本人から少しづつ忘れていくのだろうか、
と帰路のあぜ道を歩きながら私は思ったりした。

このようなことを思い馳せたし、後年に旅先で賽の河原で見た時、
小さなお地蔵の像の前垂れの赤は女の子、白は男の子だった、と私は学んだりした。


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『一粒万倍日』、齢ばかり重ねた私は恥ずかしながら、初めて学び・・。

2012-02-22 09:59:33 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが
今年から愛用しているカレンダーのようなひとつを見ていたら、
2月22日は『一粒万倍日』と明記されていたが、恥ずかしながら無知であった。

やむなく、私はフリー百科事典として名高い『ウィキペディア』に縋(すが)り、
読んだりした。
《・・
一粒万倍日(いちりゅうまんばいび、いちりゅうまんばいにち)は、選日の1つである。
単に万倍とも言う。
「一粒万倍」とは、一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。
一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、
特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。
但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。
・・》
このように誰でも解り易いように、優しく解説されていた。

しかしながら私のこれまでの人生で、
一粒の籾(もみ)が万倍にも実るような幸運に恵まれたことはないので、
私は苦笑させられた。

私は身過ぎ世過ぎの年金生活をしているが、お金を貸したり、保証人になることは、
我が生家の家訓では、厳しく戒(いか)しめているので、私は忠実に守っている。
こうした関連からして、借金をしたり、物を借りたるすることは、
住宅を建てた30代のなかばに多大なローンを借り、
そして高価な豪華本だけは図書館を利用する以外は、ここ30年は皆無となっている。

このように平坦で面白(おもしろ)みの欠ける男であり、「一粒万倍」の世界は無縁だなぁ、
と改めて思ったりした・・。

この後、ぼんやりとしていた時、民間の中小業の会社で35年ばかり奮戦し、
定年退職後は年金生活に入り、歳月ばかり早く過ぎて8年生となっている。

ときおり家内は、働らなくても何とか生活できることは有りがたいわ、
と私に言ったりしている。

この言葉を突然に甦(よみがえ)り、
まぎれなく35年ばかり奮戦した結果、厚生年金を頂き、
程ほどの貯金を取り崩して我が家の生計は成り立っている。

このようなことを思えば、つたない私でも年金生活をできるのは、
たまたま中小業の音楽業界のあるレコード会社に勤めて、
幾たびかリストラ烈風の中、それなりに時代にも翻弄され、
苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあったが、
これまでめぐり逢えた上司、同僚、そして後輩たちの数多くの方たちから
確かな支(ささ)えがあったからである。

そして奮闘していた時代は、何とか中途入社できた1970〈昭和45〉年から、
定年退職をできた2004〈平成16〉年まで、
やはり業界の盛衰の時代の幸運と重なり合ていたと思ったりしている。

こうした中で、私が妻として選んだ家内の叱咤激励の支援もあり、
世に言われている、無事の人のひとり、と成り得たと深く感じたりした。

このように思ったりすると我が人生に、
「一粒万倍」であるとすれば、このようなことかしら、
と私は微苦笑したりしている。


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体力の衰えた私でも、ボディガード兼お供、そして荷物持ちとなり・・。

2012-02-21 09:04:51 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
私は独りで毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
ときおり家内から、買い物に行きましょう、などと誘われる・・。

こうした時は、私はボディガード兼お供、そして荷物持ちの重責となるが、
明るく大きな声で、ハイ!、と自衛隊の諸兄に負けないように応〈こた〉えたりしている。


ここ一週間でも、最寄りのスーパーに行ったり、
或いは駅前のスーパーに寄った後、食事処で昼食を頂いたりしているが、
なぜかしら家内好みの料理店に利用したりしている。

或いは都心のデパートに買い物に行ったりすると、
家内の衣服の選別時間が私が思っているよりも多いので、
私は独りで本屋に寄ったりして、喫茶店で待ち合わしたりしている。

ここ数年、家内が独りで外出するのは、美容院に行く時、
或いは家内の母が独り住まいなので、季節の変わり時に、
家内が泊りがけて行く時ぐらいとなっている。

家内は国内旅行が好きであるが、旅行以外は都心に出ることは少なく、
特に私が年金生活を始めると、最寄りの駅前でも、ときには出不精となったりしている。
もともと家内は、掃除、洗濯、料理などを徹底的にしないと満足しない性格であり、
私から見れば素早く、生き生きとして行っているのである。
そして、家の中でのんびり過ごす方が楽だわ、と私に言ったりしている。

このように、家内が買い物、散策、或いは歯科医院に治療する時などの外出する時、
私は家内にお供して、話しかけたり、談笑しながら歩いたりしている。

私は小心者でありながら、ときには積極的に動き廻り、おしゃべりな男で、
社交辞令に富んでいる、と家内は言ったりしているが、
こればかりは現役時代の中小業のサラリーマンを35年ばかりしてきた体験のなせる業であるので、
齢を重ねた今でも変わらなく、我ながら微苦笑する時もある。


家内は62歳の身であるが、心身溌剌としている。
私は5つばかり齢上であるが、定年退職後は現役時代の緊張感が失くしたせいか、
昨今は体力の衰えも実感する時がある。
私の母、そして家内の母も更年期が過ぎてから、
新たに甦〈よみがえ〉る程に元気になった時期もあったので、
女は良〈い〉いよなぁ、と私は家内を見つめたりする時もある。

たとえば庭の手入れに於いては、我家は原則として、庭の手入れは私の責務の範疇であるが、
年に数回ぐらい家内の支援があり、
枝切りを徹底的にしましょう、私も頑張るわ、と家内から元気な声を聴いたりした。

こうした時の私は、朝の9時頃から玄関庭の下り立ち、
いつものように剪定鋏(ハサミ)を腰の周りに備え、剪定用の鋸(のこぎり)を持ちながら、
樹木に登ったり、適度な台に乗り、枝葉を切り落としたりする。

まもなく家内は、高枝鋏(たかえだばさみ)を薙刀〈なぎがた〉のように持ち、
私に近寄ってきた後、付近の樹木を高枝鋏(たかえだばさみ)で枝葉を切り落としたりする。

私は樹木の枝葉を切り落としたりしていると、ときおり地上から、
『その枝の下の方から、切り落として・・』
と家内の指示の声がする・・。

このように2時間ばかりした後、主庭に移動したりする。

そして私はベランダの片隅の簡易椅子に30分ごとに5分休憩し、
煎茶を飲みながら、煙草を喫ったりしている。

家内は歩道に面した垣根のアカネモチの枝葉を剪定鋏(ハサミ)で器用に切ったり、
その後は、金木犀(キンモクセイ〉、マテバシイなどの樹木も高枝鋏(たかえだばさみ)で枝葉を切り落とし、
休憩も取らず、奮戦している。

その後、お互いに昼食抜きで奮闘していたのであるが、
私は疲れて、簡易椅子に腰かけて、煎茶を飲みながら、煙草を喫ったりする。


平素の私は近くに流れている野川の遊歩道をよく歩いたりし、或いはウォーキングをしているが、
若き20代の方には追い抜かれることが多いが、
私の同世代の60代の方には、たとえ追い抜かれても数百メートル先では、
私は追い越したりしていることが多い。

しかし家内と都立の神代植物園など数キロ先まで行ったりすると、
家内の方が速足であり、私は60代のご夫婦を追い抜くこと多いが、
家内は余り疲れを感じないと私に言ったりしている。

このように我が家は、家内の方が心身溌剌で、
私は高齢者3年生の67歳の並みの体力と思ったりしているが、
家内が外出する時は、ボディガード兼お供、そして荷物持ちとなっているのが、
定年後の実情である。

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『清く貧しく美しく』と退職後の生活信条を掲げて、私は年金生活を始めたが・・。

2012-02-20 09:52:44 | 定年後の思い
私は1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受け、
東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に大学を中退は、
アルバイト、契約社員などをしながら、映画・文学青年の真似事をした。

私なりに日々奮戦したが、純文学の新人賞の最終候補作の6作品に残れず、
3度ばかり挑戦したが、無念ながら文才と努力に欠け、はかなくも挫折した。
やむなくコンピュータの専門学校で一年ばかり学び、これを梃子(てこ)にして、
何とか大手だった音響・映像メーカーの民間会社に中途入社したのは、
1970〈昭和45〉年の春であった。

そして、この会社の音楽事業本部の一部に大手のレーベルがあり、
外資レコード会社として独立し、私もこの新設された会社に移籍させられた。

結果的には、私は35年ばかり勤め、2004(平成16)年の秋に定年退職できた。

この間、幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年は出向となったりし、
もとよりレコード会社は中小業の音楽業界のひとつの会社であるので、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈が伴い、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。

55歳を迎える寸前に、音楽業界はリストラ烈風の中、
こうした暗澹たる空気の中、私の勤めていた会社もリストラが行われ、
希望退職優遇制度の名の下で定年前に退職を余儀なくされた人もいたし、
人事異動が盛んに行われ、私のように出向となった人もいた。

私は30年近い本社勤務から、出向となり、つたない私でも都落ちの失墜感の中、
こうした時に、私たち夫婦はどのような老後の生活をしたいのか、
と改めて真剣に話し合った。
私たち夫婦は子供も恵まれなかったので、老後も2人だけの家庭となるので、
残された歳月、その後の片割れになった時も配慮したのである。

話し合いの結果として、定年後の私は年金生活に入り、
お互いに残された人生の歳月を趣味の時間で過ごそう、と決意した。

もとより老後の資金も肝要なので、私は出向先の不馴れな物流情報センターで、
何とか頑張れて、定年退職を迎えることが出来たのである。

そして定年退職後は、予定通り年金生活となり、
程々の貯蓄を取り崩しながら、古びた1戸建てに家内と生活を過ごしている。

ご近所の奥様と立ち話などをした時、
悠々自適な生活で羨ましいわ、と言われたりしているが、
大学を卒業した後、官公庁、大企業などで邁進され栄達したエリートのお方たちと違い、
高収入、高額な退職金には無縁で、程遠い生活実態である。

このように私は屈折した日々の多い半生を歩み、定年を迎え、
半生記は何かと自慢史が多いと伝えられている中、私は限りなく遠い存在である。

そして私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
ときには独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。
或いは、その分野で専門知識があり優れた人の前では、
卑屈になったりした・・。
このように可愛げのない男のひとりである。


私は定年退職後に年金生活を始めたが、
1944〈昭和19)年9月生まれであるので、満62歳にならないと年金は満額を頂けないので、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。

程々の貯金を崩しながら、つつましく退職後の生活を過ごす予定で、
私は秘かに退職時に人生信条を掲げた。

【・・定年退職後・・野に咲く花のように、と生活信条を掲げていますが、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度な目標です。・・】

このようなことを年金生活の初めての年賀状にも明記したりした。

野に咲く花のようにの発想の語源は、
古人の利休が、花は野にあるように、という銘言は私なりに知っていたが、
私は40歳の初めに、人生信条として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしている。

『清く貧しく美しく』の発想は、
松山善三(まつやま・善三)氏の脚本・監督された『名もなく貧しく美しく』(1961年=昭和36年)、
そして宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』から、
言葉を重ね合わせ、
何かしら年金生活に相応しいと確信して、明記したのであった。

このような、ささやかな年金生活後の信条で4年目を迎えてた2008年の2月の月末の時、
たまたま作家・嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)氏の『人妻魂』(マガジンハウス、2007年に発刊)を
読み残した章を布団の中で読んでいたら、
情熱的な天才俳人と著作者が明記した杉田久女の章で、
《・・
「清き貧しく美しく」というのは理想の人妻像として広くいきわたっておりますが、
ここのポイントは「貧しい」ところにあって、
どれほど清く美しくても、その人妻が成金であると、
ワンランク落ちてしまうのです。

清純で美しく、「貧しい」人妻であってこそ、
男心はモヤモヤくすぐられる。
どうもそのようです。
しかし、あまりにも貧しいすぎてもいけない。
そのころあいが難しい。・・
・・》
と私の敬愛するひとりの作者・嵐山光三郎氏が既にこのように綴られていた。

私なりに渾身の言葉として発露し掲げた生活信条は、
既に近世の世情よりあった、と遅ればせながら学んだのである。

この後、私は愕然(がくぜん)とさせられ、
深夜にかかわらず、布団に正座し、私の無知にしばし呆然とため息を吐(つ)いたした。

これ以来、『清く貧しく美しく』と言葉は、
何かしら後ろめたい心情で、ときおり私は綴ったりしている。

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暦(こよみ)の上では、雨水(うすい)の時節を迎えたが、天上の気候の神々の采配に戸惑い・・。

2012-02-19 11:16:44 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の67歳の身であるが、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、『雨水(うすい)』と明記されて、
私は思わず微苦笑させられたりした・・。

古来より、『雨水(うすい)』の時節になれば、
冬の間に降った雪や氷が解けて水となり、空から舞い降る雪も雨に変わり、
草木の芽生え始めるころ、と伝えられている。

もとより旧暦の伝えてであり、割り引くことが肝要であるが、
ここ数週間は、日本海に面した地域、そして山間部は稀な大雪に遭い、
私の住む地域では平年より幾たびか霙(みぞれ)、小雪が降ったりし、
白梅、水仙の花が莟〈つぼみ〉の状態で、昨年よりも2週間は遅れている。

そして地元の天気情報を見たりすると、朝の6時はマイナス3度、
昼下がりは6度前後、夜の6時に4度前後であり、
昨日は時折強く北風が吹いていましたが、本日はおだやかな冬晴れの日中を迎えます、
と報じていたので、平年より少し寒いかしらと私は微笑んだりした。

この時節は気候の変動が激しく、三寒四温と伝えたりしている。

過ぎし2008年のこの時節は、3月の中旬前後の陽気と恵まれていた。
冬の寒さを増す季節は、暖かさが何よりの贈り物、と思っている私でも、大いに戸惑ったりしていた。
そして都心のニュースには、櫻(さくら)の咲く陽気です、と報じられていたが、
急速に櫻と云われても、齢ばかり重ねた私は心身が対応できなくなり苦笑したりしていた。

私の住む地域に於いては、平年ならばこの時節は、純白の凛とした花の白梅が咲き、
そして朱紅色の花が咲く華やかな紅梅が咲き、
やがて3月の女の子を全国的に祝う『桃の節句』を迎える頃は、
淡き朱紅色の桃の花が咲いている。

そして3月の下旬となると、櫻の花は莟〈つぼみ〉となり、
やがて花の咲く頃は4月の初めとなるのが、平年の習わしとなっている。

このように思い馳せたりした後、庭のテラスに下り立ち、
まばゆい陽射しを受けたりしながら、澄み切った雲ひとつない青空を見上げ、
何卒(なにとぞ)平年並みに采配の程を、
と天上の気候の神々に祈願したりしたのが、今朝の8時半であった。


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『サラリーマン川柳』、定年後の私でも、幾たびも哀歓を重ねて・・。

2012-02-18 17:32:46 | 時事【社会】
昨日、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、37面の【社会面】で、
《 第一生命保険が主催する『サラリーマン川柳』の入選100作品発表 》
を知った。

そして私は、入選した100作品を読みたくて、第一生命保険のサイトを開いたりした。
http://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/best100.html
☆【 第一生命保険 公式サイト】<== 『第25回 私が選ぶサラ川 ベスト10』☆

そして私は30分ぐらいで、入選された100作品を読んだりした。


私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
ときおり『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読している。

私は1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受け、
大学を中退後、映画・文学青年の真似事をし、
民間会社に中途入社し、35年ばかり勤め、2004(平成16)年の秋に定年退職をした。

この間、幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年は出向となったりし、
中小業の音楽業界のあるレコード会社に勤めていたので、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。

このようなつたない私の半生であり、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。

そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときには本を開いたりしている。

今回の入選された作品の中でも、多くの作品に感心させられたりした。


昨年まで数多くの優秀作品が公表されてきたが、
たとえば『テーマ別に見るサラ川 優秀作品』の中で、『夫婦・家庭』編を読んだりすると、
恐れ入りました、と絶賛させられる作品にめぐり逢ったりする。

◎ 出張を 見送る妻の 目が笑う
                 詠み人・松本松峰


◎ 株価より 妻の機嫌が 乱高下
                 詠み人・頑張るお父さん


◎ 妻子から 絵文字が並ぶ ボーナス日
                  詠み人・孫悟空


◎ 家族旅行 予算削減 パパ留守番
                  詠み人・弐個


◎ 家族との 会話のつもりが 独り言
                  詠み人・ちょいバテパパ


そして私は、齢ばかり重ねでも、独断と偏見の多いが、
『サラリーマン川柳』の史上に於いて、今でも心に残り、不滅の作品であると感じたのは、
二作品がある。

◎ 破れてる ジーパン繕い 怒られた
                  詠み人・優しいばあちゃん

◎ うちのパパ おとなのくせに ママとねる 
                   詠み人・めだかの学校のせんせい


私は小説、随筆を50年ばかり濫読してきた身であるが、
短かな言葉で人生の機敏を的確に表現する川柳の世界に於いて、
このお2人の圧倒的な文才に、思わず脱帽したのである。


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東京郊外の片隅に住む我が家の小庭、パウダー・シューガーのような朝の情景を迎え・・。

2012-02-18 10:56:09 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

昨夜、小雨が降りだした後、ときおり白っぽく舞うように降ったので、
霙(みぞれ)かしら、と私は感じたりした。
その後、私は居間で季刊誌の『文藝春秋 SPECIAL』春号を深夜まで読んだりしたので、
今朝、私は7時過ぎに起きだした。

そして一階の居間に下り立ち、雨戸を開けると、
まばゆい陽射しを受け、黒土の上に散乱した落ち葉が少しある中、
うっすらと粉雪が一面に見られて、私は思わず洗面所の近くにいる家内に大声で言った・・。

『XXちゃん・・我が家の庭は・・バウダー・シューガーのようだ・・』
と私は家内に微笑みながら言ったりした。

私は居間で立ちつくし、家内が寄って来た。
常緑樹のたわわな葉、落葉樹の数々の枝は、雨粒をたたえ、
まばゆい陽射しを受けて、光帯びていた。
そして地上の黒土の大半は、深夜の未明時に粉雪が降ったので、
うっすらと白いパウダー・シューガーをかけたようになっている・・。

私たちは、しばらくの間、見惚れたりした後、
陽射しを受けた粉雪も、あと数時間で消え去ってしまうだろう、
と思いを深めたりした・・。


私がバウダー・シューガーの言葉を知ったのは、
遅ればせながら家内と結婚した1976〈昭和51〉年の春からまもない時であった。
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社に勤め、コンピュータの専任者として、
運営、開発などで奮闘していた。
たまたま本社が六本木にあり、毎週の金曜日の帰宅する時は、
洋菓子店の『クローバー』、或いは『ヴイクトリア』などに寄り、
ショート・ケーキを6つばかり買い求めていた。

私はお酒大好きの呑兵衛のひとりなので、甘い洋菓子などは婦女子の食べ物の思っていたので、
もとより洋菓子は殆ど無知であった。

洋菓子店のデコレーション、ロール、ショートなどのケーキを見ても解らず、
適当に魅了されたのを選定していた。
そして選んだショートケーキの中で、ケーキの上にチョコレートがある上、
白い粉末の砂糖をまぶしたようなケーキに圧倒的に魅せられて、必ず二つ入れていた。

私は幼年期は農家の児として育ったので、
田畑一面に霜〈しも〉の情景に愛惜があったりした。

そしてチョコーレートの茶褐色した色合い上に、
真っ白な粉末の砂糖をまぶしたような状況は、
何かしら高貴な都心の女性のような品位を感じたしたのであった。
お洒落だよなぁ、と溜息しながら選定していたのであった。

このショートケーキを含めて、私は帰宅していた。

そして新妻だった家内は、ケーキ好きのひとりで有ったので、喜んでくれたが、
三が月過ぎた頃から、
クローバーのショート・ケーキ・・ほかの種類もあるわよねぇ、
と私に言ったのである。

家内は私が圧倒的に魅せられた真っ白な粉末の砂糖をまぶしたようなショートケーキ、
このショート・ケーキを外してねぇ、というささやかな要求であった。

私はロシア郊外のような素敵なデザイン、幼年期の田畑一面に霜〈しも〉の情景、
そして高貴な都心の女性のような品位を感じたしたので、
この後も、6つばかりの選定からは外せなく、長い間は2つにこだわってきたが、
やむなく一つにして入れたりした。

このような状況は、新婚生活の賃貸マンションでの2年過ぎた後、
私の生家の近くに我が家を建てたので、住宅ローンなどの重圧で一時消えた。
そして四年後に毎週金曜日の帰宅時に、
六本木の洋菓子店に立ち寄り、ショート・ケーキを買い求めたりし、私の習慣が復活した。

しかし『クローバー』に、私が圧倒的に魅せられたショート・ケーキはなく、
無念ながら他の3種類のケーキを買い求めて、帰宅したりした。

こうして過ぎ去った35年であるが、ときおり洋菓子店に立ち寄ると、
このショート・ケーキを見かけると、今でも買い求めてしまう悪い癖がある。


このようなことを私は思い重ねて、
まもなく消え去ってしまうバウダー・シューガーのような小庭を見つめたりしていたのが、
今朝の8時過ぎであった。


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霙(みぞれ)舞う情景を見れば、思わず過ぎ去りし旅先に思い馳せ・・。

2012-02-17 08:34:38 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、家内と共に夕食を頂いた後、私は玄関の軒下で下り立ち、
ぼんやりと玄関庭の樹木を眺めていたりしていた・・。

わずかな霧雨に気づいたが、近くの灯りで、白っぽく霧雨が舞うように降っているので、
霙(みぞれ)だ、と鈍感な私でも解り、しばらく私は見惚(みと)れたりした。

そして居間に戻り、家内に、
『XXちゃん・・霙(みぞれ)が少し降っているよ・・』
と私は言ったりした。

そして私は机の引き出しから、メモ帳のように活用しているカレンダーを取りだして、
過ぎ去った一が月前の16日を見たりした。

一カ月前は、たまたま裏磐梯地域にあるリゾートホテルの『裏磐梯猫魔ホテル』3泊4日で、
滞在中であり、過ぎ去った旅先の情景に思いを重ねたりした・・。

私たち部屋の最上階の5階の窓辺からは、
積雪50センチぐらいの中、高い松の数10本を観おろし、
その先の雑木林越しに氷結した檜原湖が観え、
湖の雑木林、里山、そして幾重かの山なみが観え、展望に最良な処であった。

そして滞在中は、ときおり粉雪が舞い、この間のひとときに私たち夫婦は初めて
スノーモービルで氷結した桧原湖の上を、ドライバーの方の後ろに乗って周遊したりした。

このようなことを私は思いだすように、家内に語りかけたりした。


そして一年前のカレンダーには、13日から18日まで、蛍光ペンの黄色で背景された中、
銀山温泉、新庄、と記載していた。

この前年の夏過ぎに、雪舞い降る時に銀山温泉に行って観たいわ、と家内は私に言ったりした。

そして結果として、雪が舞い降る確率の多い2月の中旬を選定し、
東京駅より大石田まで『つばさ』を乗車し、
雪深い銀山温泉の旅館街の中ほどにある『旅館 永澤平八』に4連泊して、
街並み、そして付近を散策をしたりした。

その後は、最上地域の『最上川の船下り』をする為に、
悪天候を配慮して、付近の新庄のビジネス・ホテルの『ルートイン新庄』に1泊宿泊し、
帰路は新庄駅より『つばさ』で、帰京する5泊6日であった・・。

このような旅路であったが、私は思い馳せるように各地の情景を家内に言ったりした。

『過ぎ去ってしまえば・・遠い昔のように感じたりするわ・・懐かしい旅だったわねぇ』
と家内は微笑みながら私に言ったりした。

私は年金生活の8年生となって今、過ぎ去り日々が実に早く感じている。
年金生活を始めた頃は、多忙だったサラリーマンの現役時代から、定年退職となると、
束縛された時間から解放され、
働くことなく日中のひととき散策していても良いのかしら、
覚束ない心情を重ねたりすることが多かった・・。

この後、ぼんやりと私は、過ぎ去った定年退職後の年金生活を思いながら、
月日は余りにも早く過ぎ去った、と実感させられたりした。


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さりげない日常の中、確かな美を秘めながら、過ごされる人たち・・。

2012-02-16 06:53:36 | 定年後の思い
私は放置していたブログ・ランキングのひとつ【ブログ村】に、
一昨年の2010年9月下旬に再開し、多くの方の綴られた投稿文を拝読した。
そして、それぞれの人生を過ごされていると感じながら、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を頂いたりしている。

こうした中で、たまたま拝読した投稿文に魅せられて、
少なくとも6か月以上通読している方は10数人の方がいる。

季節感あふれる美麗な写真、詩情あるイラストを拝見したり、
そして心の深淵まで描写できる散文に圧倒されたりしているが、
綴られている内容はもとより、行間に秘められた確かなその方なりの美の哲学を感じる。

こうした方たちに私は圧倒的に感銘をさせられ、私は当人の承諾も得ずに、
左サイドにある《ブックマーク》に掲げている。

こうした女性の前では、高嶺の花のような憧憬で、まばゆく遠くから感じ、
男性の方ならは、酒席互いに言葉少なく吞み交わす・・
このようなことを夢を見たりしている。

このブックマークに掲載した方たちには、コメントしたこともない人がいるが、
私の日常生活の散策の時などで、季節のうつろいを享受しながら、
ときおり伏流水のように、その方の日常生活を思い浮かべたりすることもある。


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