先程、ときおり愛読している公式サイトの【 文春オンライン 】を見ていたら、
『 「おさみしいでしょう」なんて大きなお世話
70歳の社会学者・上野千鶴子が「在宅ひとり死」を勧める理由 』
と題された見出し記事を見たりした。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私が社会学者の上野千鶴子(うえの・ちずこ)さんを書物から知ったのは、
2004年(平成16年)の秋に定年退職をして、 多々の理由で、年金生活を始めて、数年後であった。
そして上野千鶴子さんが著作された『おひとりさまの老後』(法研、2007年)、
やがて『男おひとりさま道』(法研、2009年)を購読した。
こうした中、子供に恵まれた私たち夫婦が、いつの日にか、家内に先立たれて、
私が『おひとりさま』になったことを思いめぐらして、
雷に遭遇したように叱咤されながら、 多々教示されたりした・・。
そして『ひとりの午後に』(文春文庫、2013年)に於いては、
上野千鶴子さん自身のこれまでの人生の軌跡を記載されて、稀な優等生のような人生航路を歩まれている御方でも、
苦悩を秘めた歩みがあったんだぁ、と何かと拙(つたな)い半生を過ごしてきた私は、微苦笑させられたりした。
或いは『女たちのサバイバル作戦』(文春新書、2013年)に於いては、
ここ40数年の女性の就職、勤務の実態の苦悩を多々学んだりしてきた。
そして月刊雑誌、新聞などに上野千鶴子さんが寄稿された文を私は読んだり、
或いはネットで偶然にめぐり逢えた寄稿文を精読してきたので、 私にとっては信頼できる御方となっている。
このような心情を秘めてきた私は、この記事を精読し、
上野千鶴子さんは相変わらず前向きで、 意気軒昂な論調に、微笑みを重ねたりした。
この記事は、公式サイトの【 文春オンライン 】に2019年3月31日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。
《・・ひとりでいるだけで「おさみしいでしょう」と言われるのを、
大きなお世話だ、と言いたいために『 おひとりさまの老後 』を書いた。
その後、ひとりで家で死んでいても「孤独死」と言われたくない、
と『 おひとりさまの最期 』を書いた。
だからよくもわるくもなく、すっきりさっぱり、「在宅ひとり死」ということばを作りだした。
わたし以外に使っているひとはいないので、@ChizukoUenoなんである。
とはいえ、ケチなことは言わない。どんどん使って広めてほしいと思う。
孤独死の定義には次のような条件がある。
(1)単身者が自宅で死んで、
(2)立ち会い人がおらず、
(3)事件性がなく、
(4)死後一定時間以上経過して発見されたもの。
孤独死でいつも問題になるのは、死後の発見が数週間から数ヶ月も遅れること。
死体は腐乱し異臭が漂い、悲惨なことになる。
それを防ぎたければ、死後の発見を早くしさえすればよい。
心配はいらない。ほとんどの年寄りは死ぬ前に、要介護になる。
要介護認定を受けてケアマネージャーがつけば、
人の出入りがあって、かならず早期に発見してもらえる。
ピンピンコロリは突然死。 のぞんだからといって、できるものではない。
ふつうの高齢者の死に、ほとんど事件性はない。
現場を見れば、事件性の有無はわかる。
遺体をみつけたからと言って、動転して119番や110番する手を止めれば、
警察が立ち入ったり、解剖にまわされたりしないですむ。
単身者が、独居の在宅で死んで、何が悪い。
ひとりで暮らしていることが当たり前なら、そのまま在宅で、要介護になればいい。
介護保険の居宅支援サービスを使って、そのまま家に訪問介護にきてもらったり、
他人に会いたければ、デイサービスに通えばいい。
そのうち動けなくなれば、訪問看護と訪問医療に入ってもらえばいい。
そのうち食べられなくなり、飲めなくなり・・・そうなれば、長くない。
そしてある日、ひとりで家で死んでいる・・・それでいいではないか。
最後に残るのは、立ち会い人がいるかいないか。
いつもひとりでいるのが、あたりまえの家に、 死ぬ時だけ、親族縁者が大集合するってヘン、じゃないだろうか?
「死に目に逢いたい」は、死ぬ側の気持ちだろうか、死なれる側の気持ちなんだろうか?
わたしはこれを「看取り立ち会いコンプレックス」と呼んだ。
臨終の席で泣き叫ぶより、別れと感謝はできるときにしておけばよい。
そう考えれば「孤独死」なんてこわくない。
孤独死統計も定義を変えればよいと思う。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は69歳の家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後40数年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの厚生年金を頂きながら、程ほど貯金を崩しながら、ささやかに過ごしている。
こうした中で、いつまでもささやか倖せを続くことは考えられないので、
いつの日にか、どちらかが介護を受けることも、漠然としながらも私は思案する時もある。
日本人の平均寿命は、1956年(昭和31年)の当時は、
男性が63.59歳、女性が67.54歳であったが、 その後、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
過ぎし年の2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。
そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。
こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する期間である。
私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、
やむなく介護施設に思っているが、 介護施設に入居して、
平均5年ぐらいで、亡くなる方が多いと学んできた。
そして要介護認定されている場合は、 特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。
しかしながら、特別養護老人ホーム(特養)の入居は競争が激しく、やむえず有料老人ホームを思案したりした。
そして東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかり、入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ・・と読んだ時、
裕福でない私は溜息を重ねたりした・・。
或いは地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件がある、と学んだりしてきた。
我が家も無念ながら程ほどの貯金しかなく、高価な有料老人ホームには、とても・・と思ったりしている。
そして程ほどの介護施設に入ったとしても、永らえば、やがて貯金が底をつく、と思い憂いたりし、
やはり私の晩年期の最大の難題と思いを深めたりしている。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で、年金生活を始めた。
そして私は、家内より早く亡くなると思いながら、
私たち夫婦は、公正証書の遺言書を作成できる処に出向いたのは、年金生活を始めて、まもない時であった。
もとより遺(の)こされた家内が、生活に困苦しないように、
私は、少なくとも責務と深く思いながら、実施してきた。
そして悩ましい相続に関しては、私が亡くなった後に、
家内、私の兄妹の間で、揉めることなく的確にしたい為に、 作成したこともあったりした。
こうした中で、私が亡くなった後は、質素な家族葬として、
墓地は一代限りとなるので、長兄の子供である甥っ子ふたりに何かと面倒をかける、と長年に思案した結果、
私たち夫婦は樹木葬ができる墓地を買い求めたりした。
そして永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入し、
いつの日にか、埋葬されて、土に還える、と私たちは選定したりした。
そして私が亡くなった後は、やむなく自宅を売却して、
小さなマンションを買い求めて、 趣味を大切にして、生活して欲しい、
と私は家内に幾たびに言ったりしてきた。
しかしながら、この世はまさか予期しない出来事もあり、
家内が私を残して、あの世に旅立つこともある。
こうした時は、私は古ぼけた一軒屋に住み、『おひとりさま』の生活を過ごすか、
或いはやむなく自宅を売却して、小さなマンションを買い求めて、『おひとりさま』の生活を過ごすか、
ときおり私は思案する時もある。
こうした状況に私が遭遇させられた時は、私自身が『健康寿命』の範囲で、
今のように平素の買物をしたり、自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策が、
できるかどうかで決まる、と思ったりしている。
或いは介護要となってしまい、やむなく介護施設に入居する場合も、あり得る。
このように私は年金生活14年半の中、漠然としながら思案したりしてきた。
今回、上野千鶴子さんの人生の晩秋期の思い、相変わらず前向きで、 意気軒昂な論調に、微笑みを重ねたりした後、
いずれにして、いつの日にか、それぞれ決断をする時がある、と思いながら、
晩秋期のそれぞれの決定する要素は、資金も時間もやり直しがきかない事項と思い、再び模索したりしている。