夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『神奈川県警不正経理、皆で1億1千万円超返還へ』、ニュースを知り・・。

2010-09-30 23:33:45 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
先ほど、ぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、

《 神奈川県警不正経理、皆で1億1千万円超返還へ 》

と題されたタイトルを見て、何んのことかしら、と思いながら私はクリックしたのである。

無断ながら、転載させて頂く。

《・・
       神奈川県警不正経理、皆で1億1千万円超返還へ

神奈川県警の不正経理問題で、
県警は30日、国や県に約1億1300万円の損害を与えたとして、
退職者を含む幹部や会計責任者約1000人から役職に応じた負担金を徴収するほか、
職員からも任意の協力金を集め、同額を返還することを県議会で明らかにした。

判明している2003(平成15)年~2008(平成20)年度の不正経理総額は約11億4300万円。

架空発注で業者に現金をプールする「預け」など不正経理に回された資金は、
その後、必要経費に充てられたため、
県への返還額は正規の入札以外で物品を購入したために割高になった分の差額計約9500万円。

国へは、「執行方法が不適切」として返還を求められている補助金の利息分約1800万円。

補助金自体は県の補正予算で返還する。

(2010年9月30日20時34分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100930-OYT1T00988.htm
☆【YOMIURI ONLINE】《神奈川県警不正経理、皆で1億1千万円超返還へ》☆

今回の神奈川県の県警での不正経理に関し、私は無知であったが、
もとより県民の県警に対して、信頼をゆるがせたことは、遺憾である。

こうしたことを前提として、
《・・退職者を含む幹部や会計責任者約1000人から、
役職に応じた負担金を徴収するほか、
職員からも任意の協力金を集め、同額を返還する・・》
こうした事実に私は微苦笑させられたのである。


こうしたニュースを読み終わった後、
もとより次元が違うことであるが、何故かしら国民に多大な責任を押し付けた2つの出来事を、
思いだしてしまったのである、

公的年金の保険料など約1兆4000億円をつぎ込んで整備した全国301の福祉施設を国が売却したところ、
回収できた金額は2割に満たない2221億円にとどまり、
この結果、約1兆2000億円もの保険料が、年金給付以外の目的によって回収不能の損失となった。

そして先行2005年までに売却された年金保養施設「グリーンピア」(全国13か所)の損失額約1900億円。

これらに立案し、運営をされた数多くの諸兄諸姉、
国民の前で恥じを感じれば、身を削って多少でも返済に努めるのが、
心の節度と確信している。


このことの詳細に関しては、このサイトに於いて、
【 『総額1兆4千億、売ったら2千億…年金施設』、憤りを感じて・・。】
と題して、8月18日に投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/9754c707e879141bc747c64f6840f1da
【『総額1兆4千億、売ったら2千億…年金施設』、憤りを感じて・・。】


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年金生活の我が家でも、家計簿の月次決算を行い・・。

2010-09-30 17:19:59 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の6年生で、
齢ばかり重ねた66歳の高齢者の拙(つたな)い身である。

築後32年が過ぎようとしている古びた一軒屋に住み、
百坪足らずの敷地で、小庭にある落葉樹の樹木、草花の四季折々の移ろいを眺め、
子供に恵まれなかった私達夫婦は2人だけで過ごしている。

そして私は定年退職後に運動神経に自信がなく、免許書の更新も断念したので、
従って自動車も所有できなく、昨今のガソリンの価格も知らず、
その上、私達夫婦は携帯電話に関しては使えないので保有することなく、
社会からの時流から取り残されている、と時折思いながら苦笑している・・。


私は民間会社の中小業に35年ばかり勤めたサラリーマンであったので、
若き頃の30代のなかばに一軒屋を建てた時、
家内は中学生の頃から茶事を学んでいたので、私は気負って茶室も付け足したりした。
しかしながら程々の年収の中、住宅に関してのローンは重く家計を占めたのである。

このように状況であったので、
スーパー・マーケットさえも、ディスカント風の低価格店から高級店まで、
その時に応じて利用してきた。

私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした時期もあったので、
小説、随筆、歴史書、現代史など本は5000冊前後、
ビデオ・DVDの映画作品は1000本前後あり、
勤めた会社がレコード会社の影響でカセット、CD、DVDも3000枚前後あり、
少し多いかな、と思ったりしている。

日常の私は、買物と散策をする以外は、殆ど読書をすることが多く、
ときには居間で映画を鑑賞したり、音楽を聴いたりしている。
そして日々感じたりしていることを心の発露として、
文章に綴り、このサイト等にほぼ毎日投稿している。

そして、ときたま庭の手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行で、四季折々各地を訪れたりしている。


我家の生計は原則として、年金を頂いた範囲で生活を営んでおり、
冠婚葬祭、思いがけない出来事、そして私達夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して過ごしている。


昼過ぎに、9月30日の月末日なったことに気付き、
私は家内と家計簿の9月度月次決算をしたりした。

家内が支出のそれぞれの区分項目を読み上げて、
私はパソコンの表計算ソフトを利用して、入力したりしている。
そして収入の項目を入れたり、銀行、郵便局などの残高を入力した上で、
5表ばかり我が家の独自の家計管理表を作成している。


このようなことは私が独身時代に、自身がその日の心情で散財しているので、
月に一度ぐらいは現状認識と思い、秘かに家計簿をつけたりしていたのである。

家内と結婚した後も、少なくとも交際費、住居費、衣服費などは増加するので、
私達は概要の経費を話し合ったりしている。
こうしたことで、概算予算が出来上がり、毎月実績を入力し、
今月も赤字だょねぇ、と30代後半などは、互いに微苦笑していたのである。


昨今、年金生活をしていると、特に耐久商品と称される品の購入には、
気弱になり、耐久商品の買え時にためらいがある。

今朝、家内は洗濯の合間に、いつものようにNHKの番組を観たりしているが、
13年前頃に購入した32インチのワイド型のテレビであり、
ここ数年に急激に普及した薄型のテレビの購入には、ためらって今日に至っている。

何より困り果てるのは、パソコンの無知な家内からすれば、
バソコンは半永久的商品と思い、
私が現役時代の時は程ほどの年収を得ていたので、幾たびか購入をしたりしてきた。

しかし年金生活となれば、限りある厚生年金、個人年金からの収入には限度があるので、
私は気弱になり、予算を計上することなかったのである。

私の愛機のパソコンが壊れたりすると、
どうしてなのょ、と私は困惑した体験をして、やむえず購入したりしている。

このように私は、年金生活をしていると、
予期せぬ出来事に関しては、何故かしら悦びより、困惑することが多いのである。


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『にほんブログ村』のイメージ画像で、初めて写真を掲げ・・。

2010-09-30 09:49:06 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の66歳の身であり、
過日の27日より放置していたブログランキングの『にほんブログ村』に再加入で、
カテゴリー区分に迷いながらも、何とか軌道に乗せた・・。

しかし、『公開プロフィール』の文字表現の横に、
『イメージ画像』があり、私は写真を添付した経験がないので、
困ったなぁ、とつたない私のパソコンの技量に苦笑し、やむえず放置して無印のようにしていた。

ここ数日、それぞれのお方の魅了されたサイトに、
『お気に入りメンバー』に20数名を登録させて頂いたのであるが、
結果としてIDの上段にイラスト、絵、写真が添付されて、
それぞれのお方が素敵に掲載されているのであった。


昨夜、私も何とか写真で『イメージ画像』を表示しょう、と考えたのであるが、
もとより自身のブログの代表するイメージを表現することでもある。

そして、私がデジカメで退職後の5年間で撮った写真は、
ハードディスクにタイトル、日時を付けて、それぞれファイル名を付け独立させているので、
この写真からと思い、自宅、周辺の情景、旅先の情景を眺めたりした。

こうして1時間ばかり思案し、周辺の情景から自宅からたびたび寄っている、
都立の神代植物園の情景の一枚は、と選択したりした。

バラ、ムクゲの美景もあったが、何かしら女性の方が掲げるイメージと感じ対象外とし、
芽吹きの木立ち、冬の木立ち、錦繍の朱紅、黄色に染められた情景などを選定もしたりした。
しかし、ゆったりと広い状景の中で、四季折々が映しだされているので、
我が家の小庭と誤解されると困るので、選定からはずした。

そして私のパソコンに添付されているサンプル画像を見ていたら、
思わず私は微笑んだのである。

私の幼年期は、いじけた可愛げのない男の子であったが、
夕暮れ時の夕焼けの情景を見て、この世で最も美しい光景だ、と思ったりしてきたのである。

こうした思いから、私が今回掲げた写真は、海辺から見た落陽の情景であるが、
幼年期からの思い、そして人生の後半戦に相応しいかしら、と微苦笑したりしている。


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私の住む調布市は、夕方になるとメロディーが流れ・・。

2010-09-29 18:15:25 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
結婚前後の5年間を除いて、かれこれ60年を少し過ぎている。

私達夫婦は子供に恵まれず、たった2人だけの家庭で、
古惚けた一軒屋に住んでいる。

先ほど、4時半過ぎに昼寝から目覚めた私は、洗面し、着替えたりし、
ぼんやりと玄関の軒下で煙草を喫ったりしていた時、
市の公報を知らせる丘の高台にあるスピーカーから、音楽が流れてきて、
何かしら懐かしいメロディーが流れてきたのである・・。

この後、私は居間にもどり、
『XXちゃん・・今・・鳴っているメロディー・・何の曲だったっけ?・・
題名が思いだせないょ・・』
と私は家内に訊(たず)ねたりした。

『このメロディーは・・「夕焼小焼」ですょ・・いつも夕方5時に鳴っているわょ』
と家内は微笑みながら、私に教えてくれた。

『そうだったょねぇ・・「夕焼小焼」に間違いがないねぇ・・』
と私は照れながら、家内に云ったりした。

そして私は思いだすように、心の中で唄いだした・・。

♪夕焼小焼(ゆうやけこやけ)で 日が暮(く)れて
 山のお寺の 鐘(かね)がなる
 お手々つないで 皆(みな)かえろ
 烏(からす)と一緒(いっしょ)に 帰りましょう

 子供(こども)が帰った 後からは
 円(まる)い大きな お月さま
 小鳥が夢(ゆめ)を 見る頃は
 空にはきらきら 金の星

【『夕焼小焼』 作詞・中村雨紅、作曲・草川信】

http://www.youtube.com/watch?v=WZjSwrR0UBo&feature=related
☆【『夕焼小焼』 作詞・中村雨紅、作曲・草川信】☆



この後、私の小学生の時は、確かドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の一部のメロディーが流れていた、
と思いうかべたのである・・。

私は調布市で農家の三男坊として、1944(昭和19)年に生を受けた。
そして、1951(昭和26)年の春に地元の京王線の金子駅(現在・つつじヶ丘駅)の近くにある小学校に入学した。

この当時の情景は、駅周辺は商店街があったが、この街を過ぎると、田畑が広がり、
雑木林などで緑豊かな地域であった。

私の生家は金子駅より15分ばかり歩いた処で、
程ほど広い田畑、竹林、雑木林があり、祖父と父が中心となって農業をしていた。
田畑の中に1メートルぐらいの川幅のある小川が流れ、長兄、次兄たちに竹に針を付けたりして、
ときおり鰻(ウナギ)を釣り上げたりしていた。

私は小学校を下校する時、ときおり遠回りして帰宅した。
校門を出て新宿駅方面のひと駅は仙川駅であり、この間の周辺を歩いた。
校門から少し歩くと畑道があり、その先は田んぼのあぜ道であった。
そして前方に丘のように少し切立った国分寺崖があり、この高台に仙川地域となっていた。

この間の田んぼのあぜ道の近くに流れる小川を眺めたり、
或いは崖下の小道を歩き、湧き水を見つめたりしていた。
そして授業の図画の写生の時などで、先生に連れられて、
崖の周辺の丘陵にあった高射砲台の跡地の見晴らしの良い場所で、クレヨンで描いていた。

こうした時代に調味料のひとつのマヨネーズ・メーカーのキューピーの工場ができたのであるが、
仙川、金子の駅の周辺から15分前後の地域が、次第に都心のベットタウンに変貌するのは、数年後であった。

いつの頃か確かでないが、夕暮れになる頃、
何かもの悲しいが何か先が明るいような不思議なメロディーが、私の家の畑からも聞こえたのである・・。

学校の小学3年の級達とお互いに何だろうなぁ、噂をしていた時、
音楽の女の先生が、
『あの丘陵に建った工場から夕方に流れるメロディのことねぇ・・
あなた達には・・少し難しいけれど・・ ドヴォルザークという作曲家の『新世界』なのょ・・』
と先生は私達に教えてくれた。

『先生・・ドヴォル・・何とか云う人・・難しくて・・解かねぇけれど・・
何となく悲しいようで・・でも、明るいような・・』
と私は先生がかっこいいので、無理に言葉を重ねていた。

その後、周辺は都心のベットタウンと急速に変貌し、田畑が消えうせたのである。


http://www.youtube.com/watch?v=ZI-d96nZ-NI
☆ ドヴォルザークの交響曲第9番 「新世界より」 第2楽章 ☆

このように私なりのささやかな思いであり、
今でもドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の第2楽章を聴いたりすると、
私の小学生の頃の情景を思い浮かべるのである。


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『思い出話に花咲かす…シニア限定居酒屋が人気』、私は思わず微笑んで・・。

2010-09-29 14:17:13 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
先ほど、ぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、

《 思い出話に花咲かす…シニア限定居酒屋が人気 》

と題されたタイトルを見た後、右サイドに掲載された写真を微笑みながら見た。
そして記事の内容を知りたく、私はクリックしたのである。

無断ながら、転載させて頂く。

《・・
    思い出話に花咲かす…シニア限定居酒屋が人気

アットホームな雰囲気の「井戸端会議」の店内 
会社も子育ても卒業した「おじさん」「おばさん」たちが、
思い出話やうわさ話に花を咲かせる居酒屋が、仙台駅東口から徒歩5分ほどのビルにある。

全国的にも珍しい、客を50歳以上のシニア世代に絞った会員制の店だ。
5月の開店以来、アットホームな雰囲気や素朴な家庭料理が口コミで広がり、
会員が200人を超える人気となっている。

店の名前は「井戸端会議」。
平日の午後5時になると、ぞくぞくとおじさんたちが集まって来る。

会員の一人が慣れた手つきで、はしやおしぼりを並べる。
枝豆やサバの竜田揚げなど、素朴な料理をつつきながらビールで乾杯。


「無職のおじいさんの夜は、早く始まるんだよ」と、
同市青葉区に住む塚田昭彦さん(74)。

IT(情報技術)関連の仕事を引退したばかりという男性(60)は、
「初対面の人にも気軽に声をかけられる雰囲気が好き。
いろんな経験を持った人たちと交流できるのが楽しい」
と声を弾ませた。

店はNPO法人のビジネス創造研究所(仙台市青葉区)が企画、運営している。
店長の高橋義信さん(67)は
「会社も子育ても卒業した50歳代以上が、ゆっくりと気軽に話せるたまり場を作りたかった」という。


座席は38席。
料理は多くないが、それでも県内各地から230人以上が会員となり、
月に延べ400~500人ほどが来店する。
売り上げは月100万円ほど、営利目的でないので利益はほとんど残らないという。

会費は1人2万円、夫婦なら3万円、有効期間は5年間。
会員制にしたのは、会員の積極的な意見を運営に生かし、
ともに店を作っていこうと考えたから。

仲間意識が生まれ、野菜や魚、山菜を持ち寄る会員もいる。
仲間同士でビジネスを始めようという話もわいた。
うわさを聞いた東北の他県や首都圏の同業者から問い合わせも来る。
「来年には2号店を出したいし、会員同士で何かおもしろいことをやってみたいね」
と高橋さんは意気込んでいる。

午後4時~同10時の営業。日曜祝日は休み。
問い合わせは同店(022・299・7580)へ。

(2010年9月29日08時53分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100929-OYT1T00068.htm
☆【YOMIURI ONLINE】《思い出話に花咲かす…シニア限定居酒屋が人気》☆


私の現役時代は数多くのサラリーマンと同様に、
多忙な業務実態であったが、先輩、同僚、少し後輩たちと、
居酒屋に通ったひとりである。

たとえば私が業務が立て込んで夜の9時過ぎに会社にいると、
『忙しいのは判るけれど・・あした一番じゃ駄目なの?・・
ともかく・・いつものメンバーで待っているょ・・』
と気のおけない友人が電話を掛けたりしてきたので、
私は仕事を切り上げて、その場所に駆けつけたりした・・。

そして料理を頂きながら、お酒を呑み、
最近の出来事を公私含めて他愛なく、話し合ったりし、
職場上の交流として、憩(いこ)いのひとときを過ごしたのである。

20年前の1990(平成2)年の頃、
業務の話題になったりすることがあり、ときには気まずくなる時もあったりした。
『俺の家・・まだ黒電話なんだ・・』
と私は云ったら、
『嘘だろう・・本当かょ・・』
と悪友の数人が私の顔を改めて見ながら、云われたりしたのである。

1970年代が終る頃は、職場などではプシュホンの電話機であり、
一般の家庭に於いては1980年代の半(なか)ば頃まで殆どプシュホンの電話機に変貌した。

この後、お互いに和気合い合いとなり、談笑となったのである。

私達の呑み仲間は、やはり私と五歳前後以内で、
その時代を過ごして、あの歌が流行った頃、或いはキューバ危機にハラハラしたとか、
このような話題に共通に認識が出来るのである。

やはり一世代の25歳以上の差になると、
もとより学生時代、社会人になった頃も違うので、お互いに気をつかいながらも、
時代の感覚も違うので、戸惑いながら、互いに疲れるのである。


こうした私の思いもあるので、
今回のシニア限定居酒屋のニュースを知り、判るよなぁ、と微笑んだのである。


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『知床五湖立ち入りは、来春から有料化』、私は賛意し・・。

2010-09-29 08:26:31 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど、ぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
《 知床五湖立ち入り、来春から有料化 》

と題された記事を見て、私は思わずクリックしたのである。

無断ながら、転載させて頂く。

《・・
       知床五湖立ち入り、来春から有料化

世界自然遺産・知床の代表的な観光地・知床五湖(北海道斜里町)周辺の地上遊歩道への立ち入りが、
来春から有料化される。

28日、斜里町で開かれた「知床五湖の利用のあり方協議会」の会合で、
環境省と地元観光関係者らがほぼ合意した。

同会合では、来春から利用者に課す手数料として、
ヒグマ活動期(5~7月)には大人500円、子ども250円、
植生保護期(8~10月)には大人250円、子ども100円とする案が示され、
地元観光関係団体は基本的に受け入れる考えを示した。

地上2~5メートルに設置された高架木道は、引き続き無料とされる。

知床五湖では、ヒグマに遭遇した際の危機を避けたり、
植物の踏み荒らしを抑えたりするため、
湖沿いの地上歩道(全長約3キロ)で、5~10月に、立ち入り人数に上限を設定、
立ち入りに際してマナーやルールの説明を受けなければならない新制度を導入する。

同協議会では、スタッフの人件費などの経費をまかなうための手数料の導入を検討。
観光客が減ることを懸念する観光関係者らは、
手数料をできるだけ無料に近くするよう求めていた。

(2010年9月28日21時52分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20100928-OYT1T01046.htm
☆【YOMIURI ONLINE】《知床五湖立ち入り、来春から有料化》☆


私達夫婦は国内旅行が共通の趣味であり、
知床五湖は確か20年前の10月下旬、その後は5月中旬、10月中旬と三回ばかり訪れている。
そして、知床半島が世界自然遺産に認知された後、私達も観光客であるが、
多くの方が知床五湖を美景を観ながら散策している、と実感している。

私は国の環境省の管理下で、地元の有志の方たちのご好意の基で、
知床五湖の遊歩道などの手入れ、周辺の保護、安全などの総合維持が保たれている、
と確信している。

もとより地元の有志の方たちのご好意で、私達観光客は享受しているのが現状であるが、
残念ながら観光客の一部には、マナーやルールを逸脱している方もいる。

私は地元の有志の方たちのご好意にすがるのは限りがあるので、
今回の有料化については大いに賛意したのである。

私は尾瀬、上高地、白神山地、未知の屋久島などは、
有料化にすべきと日頃から感じている。
保全と維持、そして安全管理は、たぬまぬ労苦ではじめて保たれるのである。
私は地元の有志の方たちのご好意には、甘えることなく、
せめてささやかな有料を支払い、圧倒的な美景を拝観するのが観光客の義務、
と感じたりしている。

三年前、私達が上高地を再訪した時、私は遊歩道の外れにあるトイレを借用したのであるが、
出入口の処に、維持管理の為に百円をお願い致します、このような意味合いが明記されていた。
私はオシッコをしたので、当然であると思いながら百円玉を投入した。
この時、私と同じような60代の男性は、無視して出て行かれたのである。

家内とトイレから30メートルの処で待ち合わせしていたのであるが、
この話を私は家内に話すと、女性の一部の方も同じようだった、と微苦笑していた。

私は維持管理の労苦に単にすがり、ささやな義務を忘れた人は、
恥じを知りなさい、と心の中で呟(つぶや)いたりしていた。


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我が家の居間から、南極の冬の情景を見惚(みと)れて・・!?

2010-09-28 16:16:50 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
先程ぼんやりとネットでニュースを見ようと
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、
偶然に、【 南極フォトアルバム 越冬隊便り】と題された数多くの写真を拝見し、
南極の冬の情景を長らく見惚(みと)れていたのである。

http://www.jiji.com/jc/d4?p=ice100&d=d4_travel
☆【時事ドットコム】☆ 【 南極フォトアルバム 越冬隊便り】

私は圧倒的な南極の冬の情景を長らく見惚(みと)れて、夢のような世界だ、
と心の何で呟(つぶや)いたりした・・。

この後、確か夏の季節に、やはりこの【時事ドットコム】に於いて、
拝見したことを思いだし、私のサイトを開いたりした。

【 猛暑の折は、ネットで『南極』からの便(たよ)りを拝読して・・。】
と題し、7月26日に投稿していた。


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/2a356c516ef06e613f8c8b2fa7520c63
7月26日【 猛暑の折は、ネットで『南極』からの便(たよ)りを拝読して・・。】

このような私の思いも重ねて、今回の冬の南極の情景に見惚れていたのである。


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秋霖(しゅうりん)の時節、私達夫婦はとりとめなく話しながら・・。

2010-09-28 13:24:08 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の6年生の66歳の誕生日を迎えたばかりの身であるが、
ここ数日は雨降る日が続いたしている・・。

過ぎし25日は台風の影響で午前中まで雨となり、午後は回復して晴れ間となり、
26日はさわやかな秋日和の陽射しに恵まれたりしたが、
夜半から雨となり、昨日の27日には雨の一日で、肌寒い日であった。

朝の6時は16度、昼下がりは20度、そして暗くなった6時は19度となり、
11月上旬のなり、
あの真夏日が長く続いた頃を思い馳せれば、別世界のようだ、と苦笑したりしていた。

そして今朝も雨が降って折、
朝の6時は17度、昼下がりは22度前後、夜の6時は21度前後が予測され、
雨は本降りになったり、ときおり小雨となる日となった。

昼過ぎの前には、雷鳴がとどろき、
私はパソコンの電源元のソケットをはずしたりした。
そして、この電源元は、たった一台の光電話、そしてテレビが接続されているので、
本を開き、雷が遠ざかるのを待ったりした。


先ほど、私は煎茶、家内はコーヒーを飲みながら、談笑したりした。
これからの秋晴れの日は、庭の剪定、草むしりに徹底的に、
秋の情景に相応しいように、小奇麗にしょう、と話し合った。

そして私達夫婦の共通趣味は、国内旅行なので、
12月の中旬に雪の舞降る東北地方を訪れよう、と色々と調べたりした。

この後、主庭に雨降る情景を眺めていたら、
昨年の今頃に旅行したことを思いだされて、お互いに微苦笑しながら、
話たりした・・。

この時の旅行は【秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】】と題して、
帰宅後にと題して、9回に及び投稿している。私は投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/1e91e60d5ae73b7bb028c345ffc00e12
秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。 ①


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/f07948dab76d53410d4b8d621878b421
秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。 ②


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/35ae7811974762ca837901b90fe201d7
秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。 ③


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/5028c0b1af3e4d39b7e0431e83fcdcfd
秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。 ④


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/6cad14c2a787be8a1a879ab63c65ea8c
秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。 ⑤


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/e5ac376905e767d71ea668a39e2613d5
秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。 ⑥


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/46106e015104da56ed123b15d25c9c0c
秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。 ⑦


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/0b1f52517e23575839991ac51b030efd
秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。 ⑧


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/02c78659c3293c03f4dd8f12eaf9c45d
秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。 最終


このような旅をしたのであり、この時のこぼれ話をしたりし、
初秋の長雨の秋霖(しゅうりん)の憧憬を眺め、
明日は秋日和のような快晴が予測されているので、やわらか陽射しとよそ風を期待しているのである。


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2010-09-28 10:07:29 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の66歳の身であり、
この【gooブログ】の私のサイト『年金たわむれ記 ~かりそめ草紙~』に於いて、
『ブログの開設から2077日』と明示されて、こんなに過ぎたのかしら、
と微苦笑したのである。

そして、トータルアクセス数の閲覧数(PV)は1002775、
訪問者数(IP)は280715となって折、多いか少ないか判らないが、
本音としては、もう少し増やしもよいかしら、と思ったりしている。


私は2004(平成16)年の秋、民間会社を定年退職して、
まもなくブログの世界を知った・・。

最初に【アメーバブログ】に加入して、
『極楽とんぼ ~団塊世代のひとりとして~』と題し、発信名を『極楽とんぼ』と称した。
Webの世界に未熟な私は、戸惑いながら投稿をはじめ、
まもなく賞金ランキングのような形式が公示され、私は投稿をやめた。

そして【簡単gooホームページ】に加入し、
『風のように光のように』とタイトルを掲げて、発信名を『風と光』とし、
原則として毎日数通投稿したのは2004(平成16)年11月17日である。

まもなく【すくすくブログ】を知り、
『続・極楽とんぼ』と題し、発信名も『極楽とんぼ』と称し、
気楽に綴れる専用サイトとしたのは、翌年の2005(平成17)年1月11日であった。
一週間ぐらい投稿したが、【gooブログ】を知り、取り止めた。

この後、この【gooブログ】に加入して、
『新・極楽とんぼ日記』と題し、発信名も『極楽とんぼ』と称し、
少し気楽に団塊世代、社会、政治・経済の諸問題を綴ろうと思い、
投稿をはじめたのは、 2005(平成17)年1月19日であり、
この日から2077日が過ぎた、ということである。

まもなく『極楽とんぼ』と称した芸能人がいることを知り、その上に社会的な不祥事を起し、
関係ない私までコメントが寄せられ、迷惑限りないと思いながら、
発信名を『夢逢人』に改称した。


このように【gooブログ】と【簡単gooホームページ】
二刀流のようなことを一年半ばかりし、
特に政治・経済に関しては、素人のつたなさ、そして無責任の広言を反省し、
【gooブログ】の投稿を中止したのである。


その後、2007(平成19)年、肝要の【簡単gooホームページ】が9月末で閉鎖と知り、
8月より半ばより、これまで投稿文が移動できる【OCN Cafe】を知り、加入し、
『風のように光のように』として、殆ど毎日数通は投稿した。
後日には、改題し『風、そして光のように』とした。


しかしながら、自身の綴った過去の投稿文の内容を振りかえる時、
あらゆる分野を綴ったりしてきたので、
例えば美空ひばり、五輪真弓の各女史を綴ったのは、いつの日だったかしら、
自身で探しあぐねる時が多いのである・・。


こうした思いがあり、再び【gooブログ】のサイトを再開したのは、
2008(平成20)年5月である。
『年金青年のたわむれ記』のタイトルを掲げ、副題として『~かりそめ草紙~』とした。

定年退職後、今まで各サイトに書き散らかした3000通前後の投稿文を整理、統合をし、
私は定年後の年金生活の日々の思いはもとより、
幼年期から想いより綴っているので、私の光と影を余すことなく網羅しているので、
『日記』の部分をカテゴリー区分を設定し、独立させた。
新たに、『定年後の思い』 『幼年・少年時代の想いで』、『青年時代のの想いで』、
『現役サラリーマン時代の想いで』 、『退職後の旅行』、
この他の区分は、従来どおり、『音楽』、『映画・テレビ』、『小説・随筆』、『時事(団塊の世代)』 、
『時事(社会)』、『時事(政治・経済)』等、
カテゴリー区分としては、12分野とした(現在は増加している)。

こうした結果、各カテゴリー区分にしているので、
さしずめ私にとっては、10数冊の文庫本のような形となっている。
人みな光と影があるのと同様に、
私なりの万華鏡かしら、と微苦笑している・・。

私の半生は屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・、
と思いながら旅行とかパソコンが故障しない限り、投稿してる。


私はブログを投稿する際、最後までお読み頂けるように工夫したり、
その上に数多くの方にお読み頂けるように試行錯誤をしたりしているが、
誰も読まれなく無視されことは愕然とする。

こうした意味合いからのひとつの目途として、
やはりブログのランキングに加入して、気にしているのが本音である。

もとよりランキングに加入し、数多くの方の投稿文を拝読しながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多い。
そして、コメントで交流を深めた人も含めて、
私は励まされたり、微笑んだりして、年金生活を過ごしたりしている。


一昨日、ブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。
2008年の頃に加入していたが、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していたのであるが、
加入者数の多い『にほんブログ村』に、ふたたび本加入させて頂いた。

久々にカテゴリー区分を拝見し、私が所属できるのは、
どれかしら、と大いに迷ったのである・・。

区分108 シニア日記(848人)… シニア(50歳以上目安)、セカンドライフ、中高年など

70歳以上、60歳代、50歳代、独身シニア、死別シングルシニア、)男性シニア、
女性シニア、自分史・自伝、団塊の世代、孫自慢・ひ孫自慢。


区分109 オヤジ日記(5427人) … オヤジ、おやじ、親父など

定年オヤジ、60代オヤジ、アラ還オヤジ、50代オヤジ、アラフィフオヤジ、
アラフォーオヤジ、アラサーオヤジ、ちょい悪オヤジ、ちょいエロオヤジ、説教オヤジ、
駄目オヤジ、寂しいオヤジ、ひきこもりオヤジ、恋するオヤジ、
お茶目オヤジ、戦うオヤジ等が数多くある。

この『にほんブログ村』は、三つの区分に加入でき、それぞれの得点比率が設定できるので、
☆シニア日記の60歳代・・・50%
☆オヤジ日記のお茶目オヤジ・・40%
☆ニュースのニュース批評・・・10%

私の投稿分は、男女問わず乳児から高齢者のことまで真摯に綴ったりしているので、
『シニア日記の60歳代』が相応しい、と感じたのである。

しかし、気楽に綴り、たわむれのように投稿することもあるので、
『オヤジ日記のお茶目オヤジ』も欠かせない、と考えた。

そして、昨今のニュースを読んだりしていると、
心の節度を失くしたりしている政治家、官僚の人たちに対し、
平素は温和な私でも、調味料のわさびのような投稿文を綴るので、
結果としては、このような三本立てとした。

果たして、投稿を重ねていくうちに、改定をすることも考えられるが、
私の今の心情としては当面は、このようで良いでないか、と微笑んだりしている。


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中国のセクシーすぎる「国宝級美女」、齢を重ねた私でも微笑み・・。

2010-09-27 15:50:29 | 時事【社会】
私は年金生活の6年生の66歳の誕生日を迎えたばかりの身であり、
さきほど、プロ野球のソフトバンクがリーグ優勝したニュースの数々を読んだりした。

この中のひとつには、
《 孫正義氏がフェラーリをポケットマネーで奮発? 》
と題された記事を読んだりした。

そして右側には、《 中国のセクシーすぎる「国宝級美女」》と明記され、
ひとりの麗(うるわ)しき若き女性が微笑んでいたのである・・。

そして齢を重ねた私でも、思わずクリックしたのである。

この記事を紹介されたサイトは【YUCASEE MEDIA(ゆかしメディア)】であり、
私にとっては初めて拝見するサイトであり、無断ながらあるが、転載させて頂く。

《・・
      中国のセクシーすぎる「国宝級美女」

「知性派巨乳」「国宝美乳」というニックネームを持つ中国の人気女優ミュウミュウ・コン(鞏新亮)さん。
今年23歳になる彼女だが、実は金融業界から芸能界へと転身を遂げたばかりの異色の経歴の持ち主だ。

中国北西部・甘粛省出身のミュウミュウさんは、
母親の影響で16歳から金融界に関わっていた。
名門大学・清華大学の金融・資本投資人材育成部門を卒業し、
20歳になるころには金融界でちょっとした有名人に。

しかし、ちょうどその頃、
偶然にも中国の有名芸能プロダクションの社長、王中軍氏らと出会う機会がありスカウトされる。
彼女のルックスの良さと、生まれ持った歌声が、彼らの注目を引いたのだった。

プロダクションの強力なバックアップで、ミュウミュウさんは、
一気に金融界の有名人から今度はトップスターへの道を駆け上がっていくことになる。

2008年、中国で北海道旅行ブームを巻き起こした映画「狙った恋の落とし方」で映画デビュー。
この映画でミュウミュウさんは、豊満なEカップをちらつかせた投資家の秘書を演じた。
出演時間はわずか30秒、セリフも2、3語だったが、
そのセクシーさから彼女の登場シーンは印象的なものとなり、
爆発的な人気を集めることになった。

映画デビューの翌年には、歌手デビューも果たしている。
たった一本の映画で華麗に転身を遂げたように見える彼女だが、
少なからず心の葛藤もあったようだ。
「父は今でも映画の出演に賛成していません。
私の夢はやはりCEOになることです」と話すミュウミュウさん。

その夢はすぐには実現しないかもしれないが、
彼女は今、休むことなく新しい道を突き進んでいるように見える。
彼女のキャリアはまだ始まったばかりなのだ。

更新日:2010年09月26日
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://media.yucasee.jp/posts/index/4845?la=0012
☆【YUCASEE MEDIA】 中国のセクシーすぎる「国宝級美女」 ☆


やはり私は、中国の多民族の13億人の国民から選抜されたひとり方であるので、
まぎれなく知性派で美しく身体の方、と感じたりした。
そして23歳の容貌に相応しく、大人の麗しき女性とも思ったりした。

そして我が国の若き女性で、テレビなどで見かける女優、タレントの多くは、
年齢にしてはあどけないの表情、しぐさを感じ、
知性と大人の女性としての妖艶さを兼ね備えた方はいない、
と感じるのは私だけかしら、と読み終わった後、微苦笑をしたりした。

尚、【YUCASEE MEDIA(ゆかしメディア)】のサイトは、
《“最上級を刺激する”をテーマに、
上質とは何かを知り抜いた貴方へ相応しい情報をお届けします。
不透明で先が見えない時代にこそ、真実の情報が貴方の道しるべになります。》
と明記されているので、定年退職後の年金生活の私には、遥かに遠い世界かしら、
と苦笑している。


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近眼の私、メガネの深い思いは・・。

2010-09-27 12:29:53 | 定年後の思い
   前 章 退職後でも少しは

私は年金生活の6年生の66歳の誕生日を迎えたばかりの身であり、
近眼で少し老眼が増しているが、顔の1部と思いと感じ、少しのこだわりを持っている。

今、愛用しているメガネは、一昨年の2008(平成20)年の夏、
6年ばかり愛用してきたメガネのフレームが痛んでいるのに気付き、
やむえず、駅前のメガネ店に行き、新調したりした。

この時の心情を記載すると、
もとよりフレームは、その人なりの顔立ちの表情を表わし、
それなりの個性が感じられるので、
展示品の中から、私が魅了された3種類は数分で決まったが、
最終選定には30分を要したのである。

結果として、程々の品位が感じられるフレームに決定したのである。

店内にあるカタログの一面に於いては、
《・・
1991年には新しいローデンストックの哲学、
『眼鏡は人間の個性を強調するものである。
現在のフレームコレクションは斬新かつ軽量、機能的になっている。』
というブランドイメージとブランド思想のもと、“R”マーク付きの新しい
ローデンストックのロゴを採用。
・・》
と掲載されていた。

この解説文と私のこだわりが一致して、確信を得ながら、決定した要因である。

そして、もう1度、少し照れながら、鏡を手前に引き寄せて、
フレームを掛けたりした・・。



   第一章 初めて近眼と気付いた時

私は1960(昭和35)年の中学3年の終りの頃、
私は職員室で担任の先生から呼ばれ、
『XXくん・・あなた眼・・悪いわね・・0.3って・・』
と先生は、健康診断書を見ながら、私に云った・・。

『・・どうして・・今まで黙っていたの・・
メガネを掛けないと・・黒板の字も見えないでしょう・・』
と先生は云った。

私は教室の後部に座って、黒板の字もかすれていたが、
皆もこのようにと思い、信じていたのである。
兄達、妹達もメガネをしていないので、それなりに思い込んでいたのである。

帰宅後、亡き父の妹である叔母に、
『・・今日、先生から云われたのだけれど・・
眼が悪いので・・メガネを掛けなさい・・と云われたの・・』
と私は云った。

母は外に働いていたので、
未婚の叔母に私達の兄妹は、料理、洗濯、掃除などで、甘え、育ってきたのである。

結果として、高校の入学から、私は生まれて初めて、メガネを掛けたのである。

宅地の丘の外れから、遠望の丹沢の山並み、富士山を観た時、
くっきりとした景観が観え、行く先々の情景も余りにも明確に見えて、
私は驚き、ため息をした・・。


中学に入学し、野球部の練習に明け暮れていた。
レフト付近に3人で守備位置に付いて、外野フライのノックを受けていたのであるが、
何かしら私だけが打球の判断がのろいのである。
私は運動神経が悪く、練習すれば、打球の飛んで来る判断も良くなると、
思っていたのである。


高校時代は、授業時間以外は、メガネを掛けるのが恥ずかしく、
通学バックに仕舞い込んでいた。
そして、文学と歴史に興味を持った私は、文庫本などを読み耽り、
映画を観るために盛んに映画館に通いつめたりした。
そして布団の中で、こっそりと好色本も読んだりしたせいか、
近眼の度数が悪化した・・。



   第二章 盲目への恐怖心に慄(おのの)き

私は東京オリンピックの頃、大学を中退し、
アルバイトをしながら、映画・文学青年の真似事をしていた。
この頃は、近眼の度数も一番上の検査表がやっと見える0.1となり、
布団に入る時以外はメガネを付けていた。

こんなある日、自動車の普通車免許があれば、
何かと便利、将来に食べられなくなった時は、タクシーの運転手になればよい、
と安易な思いで、教習所に通ったりした。

教習所の教習課程を終え、試験所で本免許の受験する為に、
教習所のマイクロバスで私達受験生10名は送って貰ったのである。

ご存知のように、普通免許の場合は、視力は0.7以上は必要であったが、
私はメガネを掛けた上でも、視力試験で落ちたのである。

そして私だけが、とぼとぼと試験場から去ったのである。


後日、1.0が確実に視(み)得るメガネを新調したが、
レンズは厚くなり、それなりに私は気になったのである。

この後、敗者復活戦のような思いで、試験場で合格し、
次兄や友人に助手席に座って貰い、指導を受けした後、
私なりに一人前のドライバーとなった。

しかし、心の奥底から、この先は一体どこまで近眼が進むのかと、
恐怖に慄いたのである。

後年、作家の曽野綾子・女史が随筆で、
盲目になりかけ、何とか手術で救われた、と読んことがあるが、
私は深く共感できたのである。



   最終章 私の現役時代の時は

私は25歳で、遅ればせながら企業に中途入社し、
年収より背伸びし、メガネだけは程々高価な品を買い続けた・・。

近眼が酷く、レンズも厚いので、
なるべく厚さの目立たない加工したレンズ、
そして厚さをカバーするフレームを限定して、選定してきたのである。


通勤用は0.7程度で、運転用には1.0前後の2つのメガネを所有していたが、
幸いに視力の低下は、20代の終りの頃、
0.07程度で横ばいとなり、安堵したりした。

そして50代のなかば頃からは、少し老眼を感じたが、
20代の近眼進度の悪化した時の思いを考えれば、
それなりに受け入れ微笑さえできたのである。


家内は結婚当初、視力は2.0と抜群に良かったが、
50代の初めに老眼となり、メガネに馴れていないので、
落ち着かないようすがしばしばである・・。
そして、ときおり老眼鏡を掛け、新聞、旅行雑誌などを読んだりしている。

この後、どこかに置き忘れて、探す時もあり、私は微笑みながら、共に探したしている。


このように私は近眼には、それなりに苦労し、
メガネの選定に多少のこだわりの半生でもあった。

そして、新たなメガネのフレーム選定の時、
数多くの国産、海外品を愛用してきたが、
再びローデンストックかしら、と微苦笑したのである。


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恥ずかしながら、満66歳の誕生日を迎え、高齢者2年生となり・・。

2010-09-27 09:49:06 | 定年後の思い
私は恥ずかしながら、満66歳の誕生日を迎えた。
昨年は初めて高齢者の入門を許されて、我が街の調布市から『介護保険証』が郵送されて、
私は微苦笑を重ねたりしてきた。

私は民間会社の中小業に35年ばかり勤め定年退職後、
残された人生の日々を自身の趣味で過ごしたく、年金生活とした。

数多くの人たちと同様に多忙だった現役時代であったので、
せめて人生の後半戦ぐらいは、読書と散策などをし、
ときには国内旅行で各地の四季折々の情景に心を寄せれば、
本望かしらと思っていた。

そして、私の何よりの望みは、こうした日常生活をし、
心の発露として散文を綴ることである。

幸い退職後まもなくして、ブログの世界を知り、
四つばかりのサイトに書き散らかしてきた。


私の根底には、退職後の1年を過ぎた頃、
亡き作家・城山三郎氏の『無所属の時間に生きる』の随筆集を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を教訓としている。

《・・
人生の持ち時間に大差はない。
問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、
あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。
・・》

年金生活の6年生の身であるが、
果たして振り返った時、私自身は深化したか、
或いは体力の衰えに甘えて、退廃したか解からない。

私は先ほど、自身の過去に綴った投稿文を読み返していたりした・・。


私は1944(昭和19)年9月に、
今住んでいる北多摩郡神代村入間(現・調布市入間町)近くの実家で生を受け、
祖父、父、母、そして父の妹の叔母2人、
長兄、次兄に続いて生まれたので、三男坊として乳児の時を過ごした・・。
敗戦の大戦の一年前の頃であるので、もとより戦争を知らない身ひとりでもある。

祖父と父が中心となり、小作人の手を借り、
程々の広さの田畑を耕し、宅地の周辺には竹林、雑木林があった。

長兄、次兄に続いて私は生を受けたが、跡取り候補の男の子は2人いたので、
祖父、父らは3番目は何かしら女の子を期待していたらしく、
私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私はなりに感じ取り、
いじけた可愛げのない劣等感のある幼年期を過ごした。

このした中で長兄、次兄は、優等生であったが、
私は小学校に入学しても、通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等生であった。
父が私が小学2年3学期になると、黄疸で長らく自宅治療をした後、
42歳の若さで肝臓が悪化して、病死した。
この後、まもなくして祖父は胃がんで最寄の大学病院で亡くなった。

そして、大黒柱をなくした農家の我家は没落しはじめたのである・・。

母、そして父の妹の未婚の叔母、そして私達の兄、妹の5人の子供が残され、
私達子供は母と叔母に支えられ、そして親類に見守り中で、
貧乏な生活が始まった。

母は私が中学校に入学した1957(昭和32)年の春、
やむえず田畑を売り、駅の近くにアパート経営をしたが、
何とか明日の見える生活となったが、学業に何かと経費を要する5人の子供がいたので、
家計は余裕もなかった。

そして私が高校に入学した1960(昭和35)年の春、
母はラブホテルのような連れ込み旅館の経営に打って出て、孤軍奮闘したので、
私達の生活は何とか普通の生活になった。


幼年期の頃、本といえば、農協の月刊誌だったと思われる『家の光』しかなく、
小学5年の時に都心から引越してきた同級生の家には沢山の本があり、
愕然としたこともあった。
私は都心の私立の高校に通い、
地元から離れ、都心の空気と兄達の影響のない高校であったので、
私なりに純粋に伸び伸びとして育ち、
高校時代になって初めて勉学が楽しくなり、
遅ればせながら読書にも目覚めたり、文学、歴史などに深く興味を持ち、
小説らしき習作を始めたりした。

この後、大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、
幾度も小説新人の応募で最終候補作に漏れ、落胆し、やがて挫折した後、
民間会社に中途会社にする為に、コンピュータの専門学校に学び、
これを梃子(てこ)とした上で、知人の強力な後押しのお陰で、
ある大手の民間会社に中途会社にできたのは、1970(昭和45)年の春であった。

そしてまもなくレコード会社に異動させられて、
六本木にある本社でコンビュータの専任者となり、時代の最先端にいると勘違いしたり、
この間、幾度も恋をしたが失恋の方が多く困惑したり、
結婚後の数年後に若気の至りで一軒家に茶室まで付け足して建てて、
住宅ローンの重みに耐えたりていた。

そして私は30代の後期になると、次兄が自営業していたのであるが、
経済的な理由で、突然に次兄は自宅の布団の中で、睡眠薬を過剰に飲み自裁された・・。

私は援助も出来なかったことを知り、さいなまれながら、
たとえどのようなことがあっても、少なくとも父の死の42歳を乗り越えなければ、
という思いが強く意識した。

そして、55歳を迎える寸前に、業界はリストラ旋風の中、
私は30年近い本社勤務から、出向となり、都落ちの失墜感の中、
家内と退職後の生活設計を改めて話し合い、
定年後の私は年金生活に入り、残された歳月を趣味の時間で過ごそう、と決意した。


このように私は大手企業のサラリーマンの一部に見られるエリートでなく、
屈折した日々の多い半生を歩み、定年を迎え、
半生記は自慢史が多いと云われているが、私は程遠い存在である。

私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
ときには独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。
そして、ある時には、その分野で専門知識があり優れた人の前では、
卑屈になったりした・・。
このように可愛げのない男のひとりである。


私は定年退職時の5年前頃からは、
漠然と定年後の60代は五体満足で生かしてくれ、
これ以降の70代は余生だと思ったりしている。

昨今の日本人の平均寿命は男性79歳、女性86歳と何か本で読んだりしているが、
私は体力も優れていないが、
多くのサラリーマンと同様に、ただ気力で多忙な現役時代を過ごしたり、
退職後も煙草も相変わらずの愛煙家の上、お酒も好きなひとりであるので、
平均寿命の前にあの世に行っている、確信に近いほどに思っている。

世間では、よく煙草を喫い続けると五年前後寿命が縮じまるという説があるが、
身勝手な私は5年ぐらいで寿命が左右されるのであるならば、
私なりの愛煙家のひとりとして、
ときおり煙草を喫ったりしながら、思索を深め日々を過ごす人生を選択する。
そして、昨今は嫌煙の社会風潮があるので、
私は場所をわきまえて、煙草を喫ったりしている。


このように身勝手で屈折の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のように、と思ったりしたのである・・。

私はこれといって、恥ずかしながら特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。

文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、もとより小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。


私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。

何よりも多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったのである。


私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。


こうして定年後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日常生活で、
家内とふたりだけの生活の折、買物の担当をしたり、
散策をしながら、四季折々のうつろいを享受し、
長年の連れ合いの家内との会話も、こよなく大切にしている。

そして時折、何かと甘い自身の性格と文章修行に未熟な私さえ、
ときには総合雑誌の『サライ』にあった写真家の竹内敏信氏の連載記事に於いては、
風景写真を二葉を明示した上で、文章も兼ね備えて掲載されていたが、
このような形式に誘惑にかられ、悩んだりする時もある。

私が国内旅行をした後、投稿文に写真を数葉添付して、旅行の紀行文の真似事をすれば、
表現上として言葉を脳裏から紡(つむ)ぐことは少なくすむが、
安易に自身は逃げる行為をしていると思い、自身を制止している。

そして、言葉だけによる表現は、
古来より少なくとも平安時代より続いてきたことであるので、
多くの人の心を響かせるような圧倒的な文章力のない私は、
暗澹たる思いとなりながらも、まだ修行が足りない、と自身を叱咤したりしている。


そして拙(つたな)い才能には、
何よりも言葉による表現、読書、そして思索の時間が不可欠であり、
日常の大半を費(つい)やしているので、年金生活は閑だというのは、
私にとっては別世界の出来事である。

このような思いで今後も過ごす予定であるので、
果たして満天の星のひとつになれるか、
或いは挫折して流れ星となり、銀河の果てに消え去るか、
もとより私自身の心身によって決められることである。


しかしながら、いつの日にかは命(いのち)果てる時がある。
ある日、川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、
私の散策の好きなひとつのコースでもある。

木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、
ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたのである。

この遊歩道で、独りで歩き、
桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、といった状況を願ったのである。

5年先か10年先か、或いは数10年先か判からないが、
いずれいつの日にか、命は絶えるのであるが、
亡くなる時は、こうした思いもあることは確かである。


私の葬儀に関しては、お通夜、告別式も家族葬とし、
死者は土に還るという意味あいから、樹木葬にと、
私達は子供に恵まれなかったこともあり、寺院の墓地は不要である、
とここ6年ばかり家内に云ったりしている。

このような身勝手な身ながら、ぼんやりとカレンターを見ていたら、
『先負』と明記されているので、
《午前中が悪いが、午後から良好》と古人から伝えられ折、
私の人生の後半戦は、恵まれることが多いのかしら、
と血液のB型にふさわしく私は微笑んだりしている。


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みんなで守ろう「ゲゲゲの灯」、私は微笑み・・。

2010-09-26 11:31:56 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、ひとつの記事を読み微笑(ほほ)えんだりしたのである。

33面の【地域】の『武蔵野版』に於いて、

《 みんなで守ろう「ゲゲゲの灯」

      調布 観光振興 市民団体設立へ

         連続テレビ小説 終了 》

と大きな見出しがあり、
私はさわやかな秋日和のような陽射しを受けながら思わず精読した・・。

この記事と同一の記事が読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】の中、
【地域】の『東京23区』に於いて掲載され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
    みんなで守ろう「ゲゲゲの灯」
                調布観光振興市民団体設立へ

調布市在住の漫画家水木しげるさん(88)と武良(むら)布枝さん(78)夫妻をモデルにした
NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が25日、終了した。

市内の古刹(こさつ)・深大寺などを訪れる観光客は急増し、テレビ視聴率も右肩上がり。

市内では「ゲゲゲの灯を消すな」
と観光振興などに取り組む市民グループの設立準備が進んでいる。

NHK広報局によると、ドラマが始まった3月29日の視聴率は14・8%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
3~4月は平均16・1%と低調だったものの、
9月は1~16日が平均20・7%、23日には最高視聴率22・5%を記録した。

市産業振興課によると、ドラマの舞台が調布に移った4月下旬以降、
深大寺の観光客が増え、4~8月の同寺の観光案内所の利用者は、
昨年同期の5・2倍の2万2781人に上った。

市は、ドラマ放映に合わせ、あの手この手で「ゲゲゲの調布」をPR。
3月に「鬼太郎の住民票」の発行を始め、
5月には「観光案内所」(布田1)もオープンした。

昨年11月からは、市民も参加した「『ゲゲゲの女房』推進委員会」で、
毎月、観光振興などを話し合ってきたが、推進委は9月16日で終了。
そのメンバーが中心となり、「ゲゲゲの鬼太郎友の会」(仮称)の設立準備を進めている。

「友の会」を呼びかけた同市富士見町のクリーニング店経営今野雄二さん(74)は、
「水木先生は50年も調布に住んでいるのに、
ゲゲゲの街をPRする市民グループがないのはもったいない。
来春から始動できるよう、広く参加を呼びかけていきたい」
と話している。

「友の会」は10月14日、同市布田の喫茶店で会合を開く。
参加希望などの問い合わせは、今野さん(042・485・1421)へ。

(2010年9月26日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20100926-OYT8T00081.htm?from=navr
☆【YOMIURI ONLINE】 みんなで守ろう「ゲゲゲの灯」☆

私はNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』は殆ど視聴しなかったが、
家内はときおり視聴していたので、居間の一角にるテレビから聴こえたりした。

私は今回のニュースを読んだ後、調布市の市民として喜ばしい限り、
と感じたりしたのである。

そして私は、この連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』に関しては、
このサイトに確か2通ぐらい投稿していたことを思い出しながら、読み返したりした。


http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/4f96eca1929b12fd26c7b55a6a8ece7e
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
      5月13日【わが街『調布』に、ようこ~そ・・♪】☆

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/d0c89fd693bc8ccac791d4bdac97e925
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
      5月8日【吉岡 聖恵(よしおか・ きよえ)ちゃんの唄声に、朝のひとときに励まされて・・。】☆

このような思いもあり、深大寺、神代植物園の雑木林の情景を思いだし、
そして吉岡 聖恵の唄声に、秘かに続いて、

♪ありがとうって伝えたくて

☆【いきものがかりの『ありがとう』 作詞、作曲・水野良樹、唄・吉岡聖恵】☆

歌を私は心の中で、つぶやくように唄いだしたりしている。


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「国外退去にすべきだった」=自民党の谷垣氏、私は教示され・・。

2010-09-25 21:50:41 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、

《 「国外退去にすべきだった」=自民党の谷垣氏 》

と見出しされた記事を見て、こうした方法があったのか、と思いながら、
記事を精読した。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
     「国外退去にすべきだった」=自民党の谷垣氏

自民党の谷垣禎一総裁は25日午後、京都市内で講演し、
尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で中国人船長が釈放されたことに関し
「騒いで得をするのは中国で、問題を深刻化させないことが一番大事だ。
直ちに国外退去させた方が良かった。
最初の選択が間違っていた」
と述べ、政府の対応を批判した。

政府が釈放は検察独自の判断だとしていることについては
「捜査機関に外交に配慮するようなことを言わせてはいけない。
政権が国民に対して説明責任を果たさなければならない」
と強調した。

(2010/09/25-17:30)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010092500267
☆【時事ドットコム】「国外退去にすべきだった」=自民党の谷垣氏☆


私は政治に疎(うと)く、齢ばかり重ねた無力な年金生活をしている身であるが、
野党の自民党の谷垣禎一(たにがき・さだかず)総裁に関しては、
お坊ちゃまのように頼りない感じで、苦手な政治家のひとりである。

尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件に関して、
こうした方法があったのか、と教示され、まぎれない日本、中国の相互の政治的な知恵を教示され、
初めて自民党の谷垣禎一総裁の評価を改めた。

そして氏に助言された方は、政権当時の防衛長官を務められた政調会長の石橋茂(いしばし・しげる)氏、
或いは政権の当時に長らく国対委員長を務められた副総裁の大島理森(おおしま・ただもり)氏、
と私は推測したりした。

いずれも長年、政権与党の時代、
何かとアメリカ、中国のしたたかな外交、軍事、経済を背景にした政治力を学んだ政権与党の重みを実戦した歴戦の勇士であり、
こうした優れた人が与党の民主党にいないことに、愕然とし、
まぎれなく国家的に損失、と感傷的ながら、改めて私は悔やんだりした。


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『素質も努力も韓国アイドルが上 「少女時代」「KARA」が日本席巻』、齢を重ねた私は微苦笑し・・。

2010-09-25 18:30:55 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど、【J-CAST】のニュースを見ていたら、
『素質も努力も韓国アイドルが上 「少女時代」「KARA」が日本席巻』
と題された記事を読み、思わず微苦笑した・・。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
元「モーニング娘。」メンバーの安倍なつみさんが、
日本のアイドルグループは自分が「モー娘。」だった頃に比べ
「厳しいレッスンをしていない」と批判した。

それと対照的に韓国のアイドルは頑張っている、と持ち上げた。
韓国の「少女時代」や「KARA」が日本に進出し、日本の音楽市場を席巻しそうな勢いだが、
それも練習量の差のせいだといいたいのだろうか。

安倍さんが語ったのは音楽情報サイト「ホットエキスプレス・ミュージックマガジン」の2010年9月15日付けインタビュー。
「今年は日本のアイドルグループが凄まじい盛り上がりになっているが、
安倍さんのデビュー当時と比べてどう思うか」
という質問に答えたものだ。

「モー娘。」にいた頃よりアイドルはレッスンをしない
現在活躍しているアイドルグループについて、

「ウチらがモーニング娘。をやっていた頃よりは厳しくないんだろうなって、
すごく思うんですよ。
私たちは信じられないくらいみっちりと過酷なレッスンが、
あたりまえのようにありましたからね」
と語った。

今のアイドルグループは
「楽しい感じ」や「跳ねてる感じ」しかしないが、
韓国のアイドルグループは見ただけで「相当厳しくやってる」ことが分かる、
というのだ。

アイドルグループは全員で歌って踊ることが最大の見せ場。
なのに、安倍さんが在籍していた頃に比べと、最近は甘くなったのか。

このインタビューについてネットでは「AKB48は厳しいレッスンをしている!」
といった批判も出ている。
中には、
「日本人が作品に求めるのは完成度じゃなくて遊び心。
適当に楽しくやるのがいいんだよ」
という意見もある。


朝鮮日報は「少女時代」や「KARA」が日本に進出し、
大活躍している様子を連日のように伝えている。
2010年9月12日の同紙電子版には、
日本と韓国のアイドルグループの分析が掲載された。

韓国のグループがダンスや歌の実力で日本を上回っているのは、
デビューまで3年から6年、レッスン期間を設けるためで、
日本の6カ月から1年程度を遙かに上回っている、としている。

また、「AKB48」のように、まずはデビューさせ、ステージで「実戦」を重ねさせるなど、
日本の芸能プロダクションは、
「誰でもアイドルになれる」
というのが一般的で、これが実力差が出る原因だと分析した。

芸能評論家の肥留間正明さんは、
日本のアイドルグループが厳しいレッスンをしていない、というのは誤りだと指摘する。

ただし、「少女時代」を見ると、
「日本のアイドルは何をやっているのか」とレベルの違いを感じてしまうのは仕方のないことだ、と打ち明ける。
同じレッスンを受けたとしても、
素質の違い、目標、ハングリー精神で結果は自ずと出てしまう、というのだ。

「日本の場合、アイドルを粗製濫造し、何かのオプションを付けて売り出すが、
韓国は芸能を振興する国策もあり、
大勢の中からずば抜けた才能を選りすぐる」

「韓流」の第一の黒船がペ・ヨンジュンとすれば、第二は「東方神起」、そして第三は「少女時代」。
共通するのは日本の芸能人に比べ大柄で、才能に恵まれ、努力もし、学歴も高い。

韓国のサムソンが家電で、パナソニックやソニーを大きく引き離したような現象が芸能界でも起きつつある。

「韓国だけでなく中国からも日本進出が始まり、このままでは日本の芸能界は浸食されてしまう。
日本も他国を見習い、迎え撃つと共に、
渡辺謙のように世界に通用する人材の育成を早急に図らなければならない」
比留間さんはこう訴えている。

【J-CAST】2010/9/17 19:17
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.j-cast.com/2010/09/17076254.html
☆【J-CAST】『素質も努力も韓国アイドルが上 「少女時代」「KARA」が日本席巻』☆


私は現役時代のサラリーマンの時は、たまたまレコード会社の管理畑に35年ばかり勤めていたせいか、
アイドルの「モー娘。」は他社の方たちであったが売上げ実績は凄さ判っているし、
現在、活躍されている「AKB48」のランキング実績の高さも知っている。

そして韓国アイドルの「少女時代」「KARA」なども、
音楽ニュースで読んだり、【YouTube】で視聴したりしているので、
少しは知っているし、感動もさせられたりしている。

しかし昨今、「AKB48」に続けとばかり、
日本で数多くのアイドル・グループは無知である。

《日本人が作品に求めるのは、完成度じゃなくて遊び心・・》
と発言された方がいるが、単なる同世代の一部に共感されるだけで、
数多くの世代の人たちには、ほぼ完成された技量の美少女に、素敵である、
と感動するのである。

素人に少し訓練された美少女は、校内の芸会、と同一であり、
プロ意識からも逸脱していると、齢を重ねた私は微苦笑している。


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