夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

古代ローマ市民のある墓碑にふれて・・♪  《初出2007.7.23.》

2008-05-15 22:18:41 | 読書、小説・随筆
日中のひととき、塩野七生・著の
『ローマ人の物語』(新潮文庫)を相変わらず読んでいた。

副題として、第28巻目で『すべての道はローマに通ず』の下巻になるが、
ソフト面のインフラに於いて医療に関し、綴られている。

そしてローマの市民にもローマ街道の小脇に墓碑が建てられて折、
著作者の塩野七生・女史が綴られている部分があり、
私は思わず微苦笑したりした。


無断であるが、この時代にローマ市民の人生の想いに感銘を受けたので、
転記させて頂きます。


・・私が最も気に入ったのは、
読み人知らず、とするしかない一人のローマ人が墓碑に刻ませた、次の一句であった。



「わたしは死んで、ここに葬(ほうむ)られている。
灰の一つかみでしかなくなったのが今のわたしだが、灰は土(つち)になる。
土は大地に浸透し、人間世界の土台をつくる。
となれば、私が死んではいず、世界中で生きているということではないか」



ただしこれはまじめな墓碑の一例であって、次にあげるのはその反対の例。



「湯浴(ゆあ)みと酒と女が長生きの敵であることはわかっている。
だが、湯浴みと酒と女がない人生は人生ではない。
と思って、52歳まできたところでそれも終った」


【塩野七生・著の『ローマ人の物語』(新潮文庫) 第134ページ~第135ページより引用
注・原文より勝手に改行を多くさせて頂きました】


私は作者の塩野七生・女史に導かれて、
前者の方は謙虚で真摯に生きられた方と感じ、
目頭が熱くなり、思わずため息をついたりした。
人生の終りの時、こうして境地になれれば、と感銘を受けたのである。

後者の方は、2000年前の方でも人生こうして楽観視しながら、
ご自分のお好きな道を歩まれたのだから、
と多少の羨望と嫉妬を感じたのが本音でもある。


その後、私なりに自分の人生は墓碑に刻んだ場合は思ったりした。

日本の各地の四季折々の情景を享受し、
その地の女性のしぐさにときめきを感じ、
そして露天風呂に身をゆだねた後は、純米酒に陶然となり。

このような墓碑が刻まれたら、私は思い残すことはない、
と齢を重ねた62歳の私は夢をみたりしている。



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小雨の朝を迎えて・・♪   《初出2007.7.23.》

2008-05-15 21:49:19 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、小雨が降り続けた朝となっている。

週明けもさることながら、
お子様達が夏休みとなりの時節というのに、少し可哀想、
と空を見つめながら、
梅雨明けはまだかしら、とため息をついたりしている。

日中は雨時々曇りで27度前後で、湿度が高く蒸し暑い、と予測されている。

私は家内と銀行、郵便局、そして買物に出かけるので、
雨は止(や)んで欲しい、と身勝手なことを考えたりしている。


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私達夫婦は、国内旅行となり・・♪ 《初出2007.7.22.》

2008-05-15 21:36:50 | 旅のあれこれ
私は定年退職後の3年生の身であり、
年金生活をして、程々の貯金を取り崩し、
共通の趣味である国内旅行に、ときおり行ったりしている。

家内は茶事などの和事、テニスなどをしているが、
人見知りをする傾向である。
私自身は自分は照れしょう、と思っているが、
家内は物おじしないタイプと言っている。


私は現役時代、会社関係で、
台湾で台北のホテルで3泊、
ホノルルのヒルトンで4泊した程度の海外旅行の体験であるが、
家内に海外の情景をたびたび話題にしていた。

特にハワイで夕焼け、星空を観せてあげたい、と思っていたのである。

家内は国内の観光ホテルに連泊して、
露天風呂などに入ったり、食事を楽しんだりし、
ゆったりと滞在するのを好んでいるのである。

私は英語などに関しては、単語を並べれば何んとかなる、
と思っているタイプであるが、
海外で独りで周遊していた時、
思いがけない交遊も出来たり、失敗もしたりした。

家内は言葉の問題、現地の治安に不安が先立ち、
国内で色々と観るのが良いわ、と言ったりしている。

その上、私は愛煙家であり、
台北、ホノルルに行った時は機内で煙草が喫えた時代であったが、
昨今の風潮に困っているのである。

機内の客室を完全分離し、通常料金の1割増で、
強力ファンなどの設備で対応できないかしら、
と思ったりしていた。

私達夫婦は、たとえハワイで5泊6日の招待旅行を受けたところで、
国内旅行をし、その地の風土、四季折々の情景にまさるものはなしと、
昨今深めているのである。


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夕暮れ時に、青空となり・・♪    《初出2007.7.22》

2008-05-15 20:37:51 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、3時過ぎになりと曇り空から薄日が射しこんで、
空は青く染まってきた。

おかしな天気の移り変わりの1日であったが、
樹木、草花はこの時節に相応しく、生気が感じられる。

アメリカ芙蓉(フヨウ)の淡いピンク、白色の花は庭を彩(いろど)り、
そしてピンクの花穂の唐糸草(カライトソウ)、
ほのかな芳香を漂(ただよ)わせている。

私は日中の殆どは、塩野七生・著の『ローマ人の物語』(新潮文庫)を読み続けていたので、
こうした多彩な天候の移ろいであったが、
塩野七生・女史に導かれて、ローマ帝国の人々に思いを馳(はせ)せた日中でもあった。

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天上の気候の神々は、時には・・♪ 《初出2007.7.22.》

2008-05-15 20:35:41 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、深夜から小雨が降りだしてきた・・。

私は11時過ぎに布団にもぐり込み寝付いたが、
1時半過ぎに目覚め、ネットの『日経』、『読売』などのニュースを見たりしたが、小雨が降っていた。
4時前に再び布団にもぐり寝付いたが、
目覚めた7時には大雨となっていた。

朝食後、寝室で布団に横たわりながら、
塩野七生・著の『ローマ人の物語』(新潮文庫)を読んでいたが、
しばらくするとガラス戸の越しに陽射しが感じられ、
窓辺に立つと、空は青く陽射しがある中で、
小雨が降りつづき、日照雨(ひでりあめ)となっていた。

ときには、天上の気候の神々もこうしたいたずらをする、
と苦笑しながら、私は文庫本を再び読みだした・・。

こうして庭先を眺めながら綴っているが、
先程雨があがり、曇り空の中で樹木、草花は濡れて、雨粒をたたえている。

東京の郊外として、
一年に一回あるかないかの天気の移り変わりであり、
ぼんやりと私は樹木を眺めたりしている。


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されど、蓮(ハス)、睡蓮(スイレン)、そして未草(ヒツジグサ)・・♪ 《初出2007.7.21.》

2008-05-15 20:30:56 | 旅のあれこれ
先程、蓮の純白な花を綴ったりしていると、
私が外出の時、或いは旅先の時に見かけたりした花が思いだされてきた・・。

蓮に関しては、私なりの幼児の想いがあるので、
純白の花びら以外は魅力を感じたりすることはない。

たとえ古代の蓮と知られている淡い紅色の大賀蓮(オオガハス)を観たところで、
一考に心が動かせられない。

そして睡蓮(スイレン)の純白、淡い黄色、紅色の花びらを観た折、
綺麗だがね、と認める程度である。
神代植物公園、明治神宮などで観かけたしたが、
単なる鑑賞用として感じたりして折、
エジプト、フランスなどで愛用されていると聞いても、
そうかしら、と思ったりしている。
ある時、心の純潔、純情・信頼といった花言葉を見たりする時は、
微苦笑したりしている。


いつの年であったか定かでないが、箱根の仙石原湿生花園に行った折、
霧につつまれた中で、睡蓮(スイレン)が咲いて折、
家内に、睡蓮も綺麗なのもあるね、と小声で言った時、
近くにいた年配の男性が嫌な表情をされていた。

私は花をもう一度眺めた後、小さな立て板に、
未草(ヒツジグサ)、
と明示されていて、赤面した思い出がある。


私は観賞用の睡蓮、未草には、魅了はさせられたことはないが、
ただ純白の花びらの蓮だけは幼児の体験から、
年を重ねた今でも、こだわりを持っている。

このような思いから、北関東の館林市のはずれにある蓮で名高い城沼に、
8月の初旬に3泊4日で訪ねようとしている。



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純白な蓮(ハス)の花の想いで・・♪   《初出2007.7.21.》

2008-05-15 20:23:58 | 幼年・少年時代の想いで
私は時折、蓮の花を夢で見かけたりしている。


浴衣姿で田畑の広がった畦道を歩くと、
外れに蓮の水田があり、あたり一面、数多くの蓮の葉が水面から茎を伸ばしている。

そのなかで純白の花色は莟(つぼみ)となったのや、3分咲き、
そして満開となり黄色くなった花床が観られたりしている・・。

そして、著名な作家が私の方に近づいてきて、
蓮の葉で包んだ火薬飯を大事そうに手に持っている。

私は亡くなった作家を敬愛していたので、
貴方はどうして・・、と声を掛けようとしたら、
夢から覚(さ)めたりしている。


私は東京の郊外に昭和19年に農家の子として生を受けた。
祖父、父が中心となり、ある程度の田畑、竹林、雑木林を維持管理していた。
田んぼの外れに半反程度の広さの蓮専用の水田があった。

父、祖父が亡くなる小学生の前半までは、
毎年この時節は幼いなりに楽しんでいた。


7月の下旬に蓮の花は莟となり、8月の初めにお盆を迎えるので、
祖父か父が6本前後採ってきた・・。

私は祖父にねだって、大きな葉をひとつ貰ったりした。
水を少し入れると、水玉になるので、幼児なりに楽しんだのである。

そして泥だらけの中で、
どうしてあんなに白い花が咲くの、
と子供心に不思議となったりした。

お盆の時、仏壇の前に畳一帖ぐらい台を設置し、
位牌の前に、盆棚を置いて、野菜、果物を供えたりしている。
外れに茄子(ナス)や胡瓜(キュウリ)に割り箸で足を付けて、
馬や牛にみたてたりしている。
台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉を浮べ、
淡いピンクのミソ萩を小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の草花を飾り、この中で蓮の花が中核となっていた。


夏休みが終わった頃、蓮の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。

数週間過ぎた頃、この実を採り、
少しむくとどんぐりのような形の実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。


やがて蓮の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
食卓を彩った。

私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間で言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。


このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時は、
あれは蓮じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。


定年退職後の翌年の夏、
黒羽山の大雄寺の高僧が綴られているのを知った。



泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。

泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。
このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。



こうようなことを綴られている。


私は宗教に関しては興味はないが、
泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるので、
私なりの身過ぎ世過ぎの日常生活を過ごして折、
改めてこうした純白の花を眺めると、
何かしら私の心を洗い清めてくれる随一の花と思っている。






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霧雨の降る中、玉簾(タマスダレ)の白い花・・♪ 《初出2007.7.21.》

2008-05-15 20:18:37 | 音 楽
東京の郊外は、霧雨の朝を迎えている。

ここ10日前後、快晴の陽射しから遠ざかって折、
来週の半(なか)ばに晴れマークが予測されているが、
大半は雨マーク、曇り空に占められている。

小学生たちは夏休みとなった、とニュースで報じているが、
幼児、小学生のいるご家族には、
お気の毒と思ったりしながら、空をみつめている。


玄関庭に下り立ち、樹木を眺めながら、
煙草を喫ったりした。

霧雨に煙る中、玉簾の純白の花が咲いている。


♪白い花が 咲いていた
 ふるさとの 遠い夢の日

【 『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙 】


私は鼻歌を唄ったりした・・。

初夏の時節、特に白い花の情景に、
心に沁み、唄ったと思われる。

この歌に関しては、私の小学校の入学した前後に、
ラジオからたびたび流れて、幼児なりに好く聴いていた。
後年になると、この白い花は辛夷(コブシ)、花水木(ハナミズキ)などの春に咲く白い花、と知ったのだが、
私は白い花を見かけると、何となくこの歌を鼻歌で唄いだしてしまう。

居間に戻ると、主庭を眺めると、
アメリカ芙蓉(フヨウ)の淡いピンク、白い花がうつむきながら咲いている。

日中は曇り空が予測されているが、
ここ一週間は急に小雨が降ったりしているので、
果たして・・と空を眺めたれしている。

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淡紅色の花、百日紅(ヒャクジッコウ)の想いで・・♪ 《初出2007.7.20.》

2008-05-15 18:04:45 | 幼年・少年時代の想いで
東京の郊外は街路樹、近所のお宅で、
百日紅の花をこの時節に観かけたりする。

猿滑り(サルスベリ)として慕(した)われている夏の花のひとつであるが、
7月の初めの頃から、秋にかけて長い期間彩(いろど)ってくれる。

古人の人たちは、夏の季節に百日も咲き続けると称して、
百日紅と命名した、と私は何かの本で読んでいた。


私の実家にも百日紅の大きな樹木があるが、
私の小学生の頃には、夏休みの時などは、木登りをしたりした。

叔母達は、猿も滑るくらい・・つるつるした樹だから・・気をつけるのよ、
とたびたび言われたりした。

毎年、この淡い紅色の花が咲く頃、
夏休みが近づいてきた、と思いながら、
夏休みの期間を見守り、初秋の台風の季節まで咲いていた。

ここ数年、散策などでこの花に出逢うと、
小学生の頃が思い出されるのである。

私の住む調布市では、市の花として、
この百日紅が指定され、淡紅色、純白の花が街路樹などで彩っている。

こうした折、暑い夏の時節であるが、
私の心は微笑(ほほえ)んだりしている。



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『万が一の事態に備えて』・・。  《初出2007.7.20.》

2008-05-15 18:01:18 | 時事【社会】
私は東京都の調布市に住む定年退職後の3年生で、
年金生活をして過ごしている身である。

今朝の新聞の中で、月刊の市報誌『ちょうふ』が添付されていたので、
読んだりして、少し驚いたりしたが、
行政としては当然の責務と思え、精読した・・。

たまたま目にした記事であるが、国民の多くに知って頂きたく、
あえて引用させて頂きます。



   万が一の事態に備えて
~調布市国民保護計画を作成しました~

市では、武力攻撃や大規模テロなどから市民の皆さんの生命や財産を守るため、
国民保護法に基づき、「調布市国民保護計画」を作成しました。

この計画の対象となる武力攻撃事態が発生した際には、
警報を出したり避難の指示などを行うことで皆さんを守り、被害の最小化を図ります。

また、避難された方や被害を受けた方には、
炊き出しや医療・衛生管理などの救援活動を行うほか、
収集した安否情報をご家族へ提供します。
なお、このような国民保護計画に基づく対応に当たっては、基本的人権を尊重します。
・・・

そして、図表として、

1 国民保護に関する業務の全体像
    対象となる事態
       武力攻撃事態
         ①着上陸侵攻
         ②ゲリラ・特殊部隊による攻撃
         ③弾道ミサイル攻撃
         ④航空攻撃
       緊急対処事態(大規模テロ)
         ①危険物質を有する施設への攻撃
         ②大規模集客施設などへのに攻撃(駅、電車など)
         ③大量殺傷物質による攻撃(サリンなど)
         ④交通機関を破壊手段とした攻撃(航空機による自爆テロなど)



そして、発生した場合、国、都、市の対策本部は、
避難、救援、武力攻撃災害への対処が具体的に明示されている。

そして、市民の皆様のご協力を、と明記されている。

国民保護の対象となる事態が発生した際には、
地震などの自然災害の場合と同様に市民の皆さんの協力が欠かせません。
自分自身で身を守る「自助」、地域で助け合う「共助」の精神に基づきご協力をお願いします。

2 警報・避難の指示のながれ
    具体的に図表で、国、都、市、そして市民の立場が明示されている。



日常生活に於いては、考えられない事態であるが、
万が一の場合、指針がなくオロオロするのでなく、
こうした計画の公開には、私は早く知りたかったのは事実である。


私は平和を唱える大前提としては、万が一の事態に備えて、
具体的に国、都道府県、市町村、国民は・・と時折考え、
平和対する維持管理に於いて、
ある程度の国税が必要であり国防の万全化に備える必要である、
と高校生の時から確信している。

国防と綴ると、平和ボケの人達はどうしてと不思議がるが、
こうした人に限って、万が一の事態が起きた場合、
国に責任ばかり押し付ける集団と思ったりしている。


私はこの大前提としては、
国税(所得税)、地方税(都民・市民税)、固定資産税、
そして健康保険、家内の国民年金を遅延することなく収めている。
このことは国民のひとりとして、最低限の責務と確信している。

ご不満な方は、選挙などで国の方針を決める議員の人の選任の時、
信任できる人に清き一票を投じればよい、と日頃から思っている。

こんな思いで年金生活をしている私は、
ぼんやりと日頃から考えたりしている。



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人生は、過ぎていく・・♪    《初出2007.7.19.》

2008-05-15 17:28:33 | 定年後の思い
9時半過ぎに、川沿いの遊歩道を歩いた。

ひまわりの群生した花を眺め、木槿(ムクゲ)の花に魅(み)せられた・・。

底紅で花びらは淡紅色した高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)、
もうひとつは底紅であるが、
花びらは純白の色合いの宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)である。

私は初夏から真夏に咲く花の中で、特に木槿には魅了させられている。
このサイトで、私はこの時節に数多く綴っているので、
省略はするが、高砂木槿の淡紅色は洋室、ホテルなどのロビーに相応しく、
宗旦木槿の純白の色合いは和室に相応しい、
と確信を強めている。
どちらも茶花に愛用される花のひとつであるが、
私は独りたたずんで、毎年この時節で心を慰めてくれる花である。


駅前の歯科医院で歯の治療を終えた後、
買物をし、本屋に寄ったりした。

塩野七生・著の『ローマ人の物語』を今年の春先から読み続けているが、
ときには違った本も読んだりしている。
総合雑誌の月刊誌、話題の新刊本、店頭で偶然に読んでみたくなった本などである。

こうした時は、何か、と探すのも楽しくひとときである。

結果として、長部日出男・著の『邦画の昭和史~スターで選ぶDVD100本~』(新潮新書)であった。
私は映画を鑑賞するのが趣味のひとつであるが、
ある程度の映画愛好家であったならば、
長部日出雄・氏についてはご存知のはずであるので、
省略する。

私はこのお方がどのスターに魅了させられ、
どの映画を選定したかに興味を持って購入した次第である。

帰宅後、遅い昼食となった。
昼下りの時であったので、ビールでも呑もう、
と家内に言いながら、居間のテーブルに料理を並べたりする。

庭先の樹木を眺めながら、家内と旅先のこぼれ話をしたりすると、
際限なく話題があふれてくる。

私は2時間ばかり話した後、ビールを呑みすぎたのか、
夕寝をしたりした。

定年退職後の3年生の私は、
ときにはこうした日中を過ごしたりしている。

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梅雨(つゆ)寒むが続けば・・♪    《初出2007.7.19.》

2008-05-15 17:25:00 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、少し肌寒い日が数日続いている。

5月の初旬のような状況で、季節は2が月戻り、
ここ1週間、快晴の日から遠ざかっている。

つい1ヶ月前は初夏のような陽気となり、
暑さに苦手な私は大きな樹木の木陰、クーラーの冷気に身を寄せたりしていた。

こうして7月下旬を迎えるというのに、
どうしたのかしら、と空をみつめている。

そして、陽射しが恋しくなるので、私の身勝手な思いに、
もうひとりの私は苦笑している。

日中は歯科医院で治療を受けたり、買物に出かけたりするが、
果たして曇り空がいつまで、
と庭の樹木を眺めながら思ったりしている。

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静寂な日々を過ぎれば・・♪   《初出2007.7.18.》

2008-05-15 17:23:07 | 定年後の思い
東京の郊外は、曇り時々小雨となり、
梅雨(つゆ)寒むとなり、私は長袖のスポーツシャツを着たりしている。

朝は4時に目覚め、私の机の中の身辺整理をした後、
新聞を読みながら、時折テレビのNHKニュースを視聴したりした。

朝食後、このサイトに綴った後、
散髪屋(理容店)に行き、主人と初夏の花がどこで咲いていたか、
などと他愛ない世間話をしたりする。


帰宅後、買物の専用引き車を牽(ひ)き、最寄のスーパーに出かけ、
家内からの指示の品物を買い揃えた後、
店頭でビールのセールをしていたので、
エビス・ビールを1ケース(24缶入り)を購入したりする。

買物の行き帰りは、住宅街を通り、
それぞれのお宅の初夏の花を誉(ほ)めながら、
歩いたりして、帰宅する。

昼食後は居間で塩野七生・著の『ローマ人の物語』を読んだりしている。
塩野七生・女史に導かれながら、
ローマ帝国に思いを馳(は)せたり、
庭の軒下で、樹木の枝葉、初夏の花を眺めながら煙草を喫ったりした。

そして、庭を歩いたりし、
初夏の彩(いろど)りにつつまれた樹木、草花を身近に見れば、
確かな季節のうつろいを享受したりしている。


私の退職後の日常は、こうした日々が多く、
世間の喧騒から三歩ばかり遠のいている。

定年退職前からこうした静寂な日々を過ごすのが目標であったので、
つたない私なりに充たされている。



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梅雨(つゆ)寒むとなり・・♪   《初出2007.7.18.》

2008-05-15 17:17:50 | 定年後の思い
東京の郊外は、どんよりとした雲の厚く、肌寒い朝を迎えている。

昨日は小雨が降ったり、止んだりして、
本日、明日は曇りの1日が予測されている。

昨日から長袖のスポーツシャツを着ているが、
5月上旬と気温と報じていた。

私は暑さに苦手な身であるが、
7月なのに、急に肌寒くなって、どうしたの・・
と空を見ながら、戸惑っている。


早朝の4時に目覚め、私の机の身辺整理をしたりしていた。
定年退職の3年前、退職後の生活を考えて、
パソコン、机、脇机、椅子を新調した。

そして通勤の合間に、パソコンのマニァル本、
初心者向けの月刊誌『暮らしとパソコン』の雑誌を読んだりしたが、
業務の疲れで精読は出来ず、退職後にゆっくりと勉強すればよい、
と思いながら脇机、本棚に収納していていた。

退職後、何かと雑用に追われ、
そのうち勉強すればよい、と後送りをしていて、
トラブルで困った時、初歩の技量に関しては時折、読んだりしていた。

今朝、読むだろう、多分読まないに区分し、整理をしていた。

この間、2003年(平成15年)前後の雑誌があり、
パソコン、ネット回線の速度と料金、デジカメの広告があって、
パラパラと見たりしたが、飛躍し進化した今、
遠い昔の出来事に思われ、ひとりで苦笑したりしている。

このように綴っていると、霧雨が降りだしてきた。
私は、どうして・・、と空を見詰めている。



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のちの想いに・・♪    《初出2007.7.17.》

2008-05-15 17:13:42 | 定年後の思い
私はあるサイトに加入したのは、定年退職後のまもない日であった。

私は日常の心情などを綴るのが好きであったので、
たまたま『goo簡単ホームページ』のサイトで綴っている。


青年の折は、厚い日記帳に綴ったり、大型ノートの時もあったりして、
その後の中年時代にはワープロに書く込んだ長い歳月もあったりしていた。


10年前頃から、パソコン・ソフトの日記形態に綴ったりしていたが、
退職の2年前頃には、ハード・ディスクが故障し、
日記が消えうせてしまった。
この時は、うかつにもバック・アッブしていなかったので、
時々にハード・コーピーをしていたのであるが、
七割がたは失われた。

私は日々の思いを綴ったりしていたので、
突然に消えてしまった日々の心の軌跡には、
熱き思いで交際している女性から突然の私の前から消え去った、
と同じような思いである。


このサイトのシステム構成は、gooの管理、運営元で保存されているが、
保証はされていない規約になっているので、
1年に1回ぐらいは私のパソコンのハード・ディスクにファイル名を付けて、
保存したりしている。

そして、3ヶ月毎にハード・コーピーをしている。
ほぼ毎日、数通投稿しているので、
毎月A4サイズの用紙で70ページ前後となって折、
プリンターの印字中、既に印字済みの用紙を見ながら、
あの時はこんなことを思っていたのかしら、
と読み返したりしている。

そして保管用にした茶箱に入れている。
そして今は、茶箱も5箱となり、本箱の一角に積み上げられている。


私が数年過ぎた時に読み返す、或いは心身が弱った時、
私なりの『のちの想いに』なれば良いと思っているのである。

家内は私がこのサイトで綴っている内容は、一切知らないでいる。
家内はパソコンに興味はなく、
旅行関係のホームページを私が『お気に入り』に登録したのを
何んとか検索できる程度であるので、
このサイトに綴っている内容は知らないでいる・・。


家内とは日頃から私の多弁な性格せいか、語り合うことは多いが、
その時、その日の心情は百パーセントは伝わらないことは確かである。
私は家内の日頃の気持ちを解かるつもりであるが、
すべて理解しているか、と問われれば、
ある程度はね・・、と思っている程度である。

私が多分、先に天上の片隅にたたずんた後、
残された家内が私の本、ビデオ、CD、DVDなどの趣向を整理していた際、
たまたま茶箱を開けて、初めて私達の夫婦の歩んだ私の心情などを、
違った角度から読んで頂ければと秘かに思ったりしているのである。


小雨の降り続いた昼下りりひととき、
私の綴ったつたない随筆をプリントしていたら、
3ヶ月分であるが、250ページ前後となり、
私は微苦笑したりしている。




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