今朝、ぼんやりと新聞を読んでいる中で、
何かしら毎年1月31日は、日本愛妻家協会が制定した「愛妻の日」、
と明記されていて、何かと無知なことが多い私は、知らなかったょ、
と微苦笑したりした・・。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅み住む77歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く72歳となる。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。
こうした中、いつものように午前中のひととき、
まばゆい冬の陽射しの中、冬のスポーツシャツの上にカーデガン風のフリースで、
私は独りで自宅の周辺にある遊歩道、公園、住宅街の小道を歩いたりした・・。
私の住む地域は、住宅が密集している地域であるが、
生家も近くにあり、私は結婚前後5年間を除き、早や70年を過ぎているので、
人出の少ない処、時間帯を選定して、閑静な所を歩いたりした・・。
一昨年の2月以来、新型コロナウイルスの烈風に伴い、
幾たびの緊急事態の中、何かと制約が多く、私は生まれて初めて、
苦手なマスクをしながら、「三密(密集、密接、密閉)」を避け、過ごしてきた・・。
しかしながら本音としては、閉塞感を感じながら、自粛疲れとなったりしていた・・。
そしてぼんやりと歩きながら、私は昨年の9月で満77歳となったれしてきたが、
私は50代の後半から、私の大切な6人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、
やがて逝去され、幾たびか冥福をしたりしてきた・・。
こうした中、良き人は早くもあの世に旅立ち、
何かとつたない人生航路を歩んだ私は、こうして生きている・・。
このようなことが走馬灯のように、それぞれの御方のしぐさ、言葉を思い馳せたりした・・。
私は65歳に糖尿病、その後は74歳に心臓を悪化させて入院したりしてきたが、
私と同世代の人と談笑したりすると、何とか同じように日常生活は過ごせる・・、
と微苦笑を重ねたりしてきた・・。
こうした中で、まさかの予期せぬ出来事は家内が3年前の5月に大病して、
未だに体調は万全でないことである。
家内が入院して、手術を受けた後、
私はもしかしたら家内はこの世を去ってしまう・・と心の片隅に思いながら、
心痛な思いで過ごしてきた・・。
やがて退院後、私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
こうした中で、私たち夫婦は、終活のあらゆる想定できることを、
話し合ったりした・・。
たとえば延命治療はしない、希望する葬儀、墓地、
その後の『おひとりさま』の日常生活費、希望される生活状況など、
考えられる範囲を整理したりした。
家内より特訓を受けたりしている。
この世は無念ながら、たとえ仲良し恋しのご夫妻でも、
やがて、いつの日にか、どちらかがあの世に旅立ち、
残された御方は『おひとりさま』になる生活が予測される。
私も家内に先立たれて、独りぼっちの『おひとりさま』になることもあるので、
ときおり漠然としながら、思案をしたりしてきたのは60代の半ばの頃であったりした。
私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。
家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしてきたが、
家内が大病した後、家内の妹が孤軍奮闘してきたが、
家内の母が『要介護・3』となり、やむなく家内は老人介護施設にお世話になったりしている。
過ぎ去る年、家内は6泊7日前後で、家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で加速された独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしてきた。
この間、17年近く前から、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている中、
いつの日にか、家内が私を残して、あの世に旅立ち、
まさかの遭遇で、 私が『おひとりさま』になること考えられると思い馳せたりしてきた。
こうした思いもあり、 愛妻を亡くされた倉嶋 厚さんの著作『やまない雨はない』、
徳岡孝夫さんの著作『妻の肖像』、 垣添忠生さんの著作『妻を看取る日』、
川本三郎さんの著作『いまも、君を想う』、 新藤兼人さんの著作『愛妻記』、
それぞれの各氏の愛妻の終末の病状、そして告別の死、
その後の『おひとりさま』の生活状況を多々教示されてきた。
そして私は、川本三郎さんは恥ずかしながら同年であるが、これ以外はすベて年長の御方たちである。
私は年長の御方たちから、少なくとも人生の機敏を深く学び、今日に至っている。
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
もとよりボケては恥ずかしいから、このように言動をしたりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。
その直後、 『ご苦労であった!』と家内は私に言うのである。
私の現役サラリーマン時代に於いては、
ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、
仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら実際は日常生活の中で、ときおり私が失敗事をしたりすると、
平素は『あなた・・』と呼ばれるのに、
『ボケチンねぇ・・』と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。
こうした私たち夫婦は40数年寝食を共にして過ごしてきたが、
私としては、この世で最も気楽に、裏表もなく談笑できる人生の相棒となっているので、
人生の幸せな時を享受している。