夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者と初めての北海道旅行【上】・・♪ 《2006.10.16.~ 10.23.》

2008-05-04 22:17:34 | 
   序章  元気なうちに北海道

家内の母が、家内に
『元気なうちに・・北海道に行って見たいわ・・』
の一言で今回の旅行となった。

私を含めて3人で温泉滞在旅行は、たびたび出かけているが、
家内の母は76歳の高齢者の身であり、初めて飛行機に乗るので果たして・・
と思ったりしている。

詳細のコースは、過日『高齢者、初めての北海道観光・・♪』に掲載している。


旅の途中、知床のウトロに連泊、阿寒湖で三連泊で休息を設定しているが、
この間に私は周辺を散策する予定である。

私が独りで散策するが、熊と出会った時は、お互いにびっくりして、
互いに尻尾をまいて、退散すると思っている。
熊だって、見知らぬ東京の田舎者に逢いたくないと確信しているから・・。


   第1章  旅の始まりは、北海道限定ビール

私共夫婦は、北海道はたびたび旅行しているが、
旭川市に関しては、昨年『旭山動物園』に3時間ばかり観た以外は、
昼食に立ち寄る程度であった。

今回の旅行で、家内の母が動物好きなので、
この動物園をゆっくり観たい、という要望の為、
市内のホテルに宿泊することとなった。

旭川空港に昼に着き、バスで市内に入ると、
町の街路樹に紅い実をつけ、朱色に染め始めたナナカマドが観られた・・。

ナナカマドの樹木は、本州では里山、高山に見られるので、
『おかあさん・・やはり、北海道だね・・』
と私は、家内の母に言った。

ホテルにチエック・インをした後、遅い昼食を取るために、
旭川の街並みを歩いた。

これといった当ての無い食事処であったので、結果として寿司屋に入った。

座敷に上がり、家内の母は、
通常はアサヒビールのスーパードライを飲んでいるので、
北海道限定の『北の職人』を注文した。

私は北海道に来た時は、サッポロビールの北海道限定『クラシック』を飲み、
地酒は『男山』、『国士無双』の純米酒が殆どである。

私達3人は、『北の職人』をグラスに注ぎ、
『おかあさんの・・初めての・・北海道・・乾杯ね・・』
と私は明るく言った。

こうして家内の母は、
初めての飛行機の搭乗を羽田空港から旭川空港の旅路を終えて、
初めての北海道観光のはじまりとなった。

尚、この寿司屋の味は、私は美味しい感じ、『大番寿司』という名の店であった。



   第2章  雨、そして風の中の層雲峡

旭川の明け方は、霧雨だった。

家内と家内の母は、旭山動物園に行き、
私は独りで今晩の宿泊先の層雲峡に向かった。

駅前で路線バスを待っている時、中国人の観光客のグループと同乗となった。
60代の温厚そうな男性がリーダーらしく、
15名の20代から40代の人達を先導していた。
上川市経由層雲峡に向かったが、雨は強さを増し、ときたま風が吹いた。

終点の観光ビルでホテルからの送迎車を待っている間、
私は『層雲峡・渓谷案内図』を温厚そうな中国人のリーダーらしき人に手渡し、
つたない英語の単語を並べ、解説した。

先方の方は、にっこりと笑い、頷(うなづ)いた。
後で私は反省したが、メモ用紙で漢字を並べた方が好かった、思ったりした。

昨年の5月に層雲峡は宿泊したが、夕方に到着し、朝にこの地を離れたので、
今回は黒岳方面のロープウェイに乗り、周辺の景観をほめる予定であったが、
風のために運行は中止となっていた。

やむ得ずホテルに直行したが、昼前であり、チエックインの時間前であったが、
部屋に通してくれた。

私は昼のひととき、大浴場、露天風呂に浸(つ)かったが、
たまたま独りであった。

露天風呂の前面は、渓谷に面していたので、
風がうなりの音をたてて通り過ぎて寒かったが、
これ以外はすこぶる快適であった。

家内達が部屋に着いたのは、3時過ぎであった。
やはり旭山動物園も雨が強さを増したので、早めに引き上げてきた、
と家内は呟(つぶや)いていた。

夕食の時、オリジナル創作料理と称して、
タマネギの中身をくり抜き、ビーフシチューを詰め込んで焼き上げた料理は好感した。
ありふれた料理でも、少し工夫すれば、
このような夢のある形、味わいが増すということである。


   第3章  遙かなるオホーツク海

快晴の朝の中、層雲峡の銀河、流星の滝をほめた後、
大雪湖から石北峠に向かう道は私は好きな景観のひとつである。

エゾマツ、トドマツ、そしてダケカンバの多い樹林の中、
左側の道路沿いに数多くのせせらぎがある。
こうした中、ときたま鹿を見かける時もある。

『クマ(熊)なく・・シカ(鹿)と・・コンキよく・・観てください・・』
とバスガイドさんが言った。
確かに、この辺は熊、鹿、そしてキツネを見かけることもある。

北見市に抜ける途中は、広大な畑が広がり、
その奥まった処が小高い里山となり、紅葉、黄葉に染められた錦繍の世界が展開し、
私は道内の風物詩のひとつと思っている。

網走を通り過ぎると、オホーツク海が望め、
斜里を過ぎると、海岸沿いの道になると、
北海道らしい景観となる。

私は冬の季節、流氷を追い求め、初めて流氷を眺めな時、
厳粛な心持になったことを想いだしていた。

知床五胡の2湖を散策した途中、羅臼岳を望みながら、
湖面沿いの小道を歩くのも私の好きな光景のひとつである。

宿泊するホテルは、ウトロ港をまじかに景観できる処だった・・。



   第4章  『知床~それは命の営み』

夜明け前の3時過ぎに目覚め、
ウトロ魚港とその前方に拡がるオホーツク海を観た・・。

標題を掲げたのは、斜里町商工観光課が命題した『知床~世界遺産~』の豪華な小誌の中から、
拝借した言葉である。

宿泊しているホテルの館内で頂いたものである。

私は知床に関しては、像(ゾウ)の尻尾以下しか無知である。

斜里町から海岸沿いの国道をウトロに向かうと、
玄関代わりのオシンコシンの滝が迎えてくれる。
ウトロには秋、冬、春に来ているが、私の心の想いは流氷の時節が深く残っている。

厳粛・・と云うしか言葉が見つからず、
海岸沿いと見られる周辺を3時間ばかり家内と歩いた体験がある。

防寒服と登山靴で零下10度、風が吹くと零下15度前後であったが、
遥か彼方まで流氷を見つめていると、私はこの景観には謙虚になる。

厳粛と謙虚・・これが私の知床の思いであるが、
適切な言葉で集約したのは標題に拝借した言葉につきると直感した次第である。

家内達は魚港周辺を散策するので、
私は『知床自然センター』の周辺を散策することにした。

この館内の映像展示館で『知床の四季』を観た。
解説に寄れば、映像を超えたダイナビジョンが誘う、大自然の世界、と綴られていたが、
まさに遂力のある映像から知床の大半が集約されている名画、
と感動を受けたりした。

その後、『乙女の涙』と称される海岸の滝までの遊歩道を散策した。
樹林の中のゆるやかな坂道を下ると、あたり一面平地となり遥か彼方に知床の連山が観られる一帯であった。

のどかな晴れ間の中、こうした光景の中で散策ができるのは、贅沢のひとつと感じたりした。

帰路、ウトロの街中で、ホッケを遅い昼食代わりにした。
このホッケは、私の好きな魚のひとつであるが、
都心で頂くのは小ぶりが多い。

私の友人の一人に小樽出身がいるが、
都心の居酒屋で、この小ぶりのホッケを私が食べていたら、
こんなのホッケじゃない、
と言われたりしたこともある。

私は本物のホッケをクラシック・ビールでほめ、
友人の顔を思い浮かべたりした。

ホテルの敷地の一角に足湯があったので、部屋に戻ると、浴衣に着替え、
足湯にのんびり浸かっていると、
こんな贅沢な昼下がりのひとときを過ごしてもよいかしら、
と思ったりした。

まもなく家内達が散策から戻る姿を見かけた。



   第5章  されど、知床観光航路

20日(金)は知床の硫黄山航路コースの観光船に乗船後、知床峠を通り、ウラス、標津、摩周湖、硫黄山、
そして阿寒湖までのJALライナーのバス観光周遊の移動の旅である。

前日の朝、港から沖まで晴れ渡って折、
家内達に明日のお天気は悪いから今日の日中に観光船に乗った方が良い、と私は言い、
私は『知床自然センター』に出かけた。

『乙女の涙』までの散策の途中で、道連れになった人達と話している時、
観光船が風と波で欠航になった、と教えて貰った。

この人達は、九州の方達で、団体観光のグループで、道東観光めぐりをしている一部の人であった。

『こんなに・・良いお天気なのに・・欠航とは・・
何のために・・この道東めぐりに参加したか・・意味がないわ・・』
と50代のご婦人が言ったりしていた。

『そうですよね・・観光船の方達に・・こんな良いお天気・・
何時・・周航するの・・言ってみたいですね・・』
と私は軽口を言った。

この観光船は、これだけ魅了させる景観を秘めている。

私達夫婦は、昨年の5月、知床岬まで早朝クルーズがある団体観光周遊に参加したことがある。

ウトロのホテルのロビーに真夜中の2時半に集合して、
知床岬で日の出を観るために乗船したことがあった。

観光船から知床連峰が望め、4時過ぎの月をほめ、知床岬まで周航したことがあった。
詳細は昨年の5月に綴っているので、省略するが深く心に残っている。

20日の朝は、どりよりとした曇り空であった。
昨日のお天気を配慮すると、欠航かしら、と思いながら、朝の7時過ぎにフロントに問い合わせた。

『おかあさん・・こんな天気でも・・観光船に乗れるって・・』
と私は家内の母に言った。

そして家内は
『良かったわ・・おかあさん・・雨女・・返上よ』
と言った。

家内達は動物好きなのであるが、
ここ数年に動物園などに行ったりすると、雨まじりのお天気が多かったのである。

私からしてみれば、家内の母は初めて北海道の思い出に観光船は欠かせないひとつであるので、
何とかと思いが叶えたらという気持ちであった。

硫黄山航路コースの乗船後、どんよりとした曇り空で、ときおり小雨が降ったりした。
オホーツクの波の打ち寄せる海岸の景観は飽きることのない光景であった。

家内の母の微笑んだ顔立ちを見ると、この旅行は良い思い出になると私は感じ、
安堵したりした。



   第6章  道東の魅了のひとつは

硫黄山コース周遊船を下船後、バスは知床峠に向かったが、
霧につつまれて、前回訪れた時と同様に、
峠で下車しても薄ら寒く霧の中で、知床の連山も幻となった。

峠を越えてラウスに向かうと、霧が消え去り、ラウスの街並みが一望できた。

私は前回も感じたことであるが、
オホーツク海のウトロと根室海峡に面した太平洋のラウスとは陽と陰のように思っている。
標津のサモンハウスで昼食後、摩周湖を観たが、おだやかな晩秋の光景であった。
家内達に記念写真を撮った後、冬の情景が深く心に残っているので、
道のはずれで煙草を喫ったりしていた。

摩周湖から硫黄山に向かうゆるい下り道の直線があるが、
左右の広葉樹が朱色と黄色の錦繍の世界となっていた。
道路以外、すべての彼方まで染まって折、
この中をバスが走破したが、夢幻のひとときを感じた。

硫黄山は20年ぶりに来たが、休憩所、お土産屋、広い駐車場に少し驚き、
この間の歳月を感じたが、硫黄の吹き出る小高い山の丘陵は変わらない情景であった。

阿寒湖は華やかな温泉街であるが、それなりに3連泊の間に散策し、
私の阿寒湖の魅力を探そうと思っている。



                         《つづく》



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投稿文章を綴るとき・・♪    《初出2006.10.15.》

2008-05-04 22:13:54 | 定年後の思い
私は旅行などで外出しない限り、そして過日のパソコンの故障を例外として、
ここ2年近く毎日投稿している。

投稿する時は、なるべく改行を多くしている。
ブログの文体は、論文、小説などと違い、お読み頂く場合はパソコンの画面であり、
読みやすく綴れるように意識して綴っている。

そして内容としては、日記形式の時もあれば、随筆風に綴ったりしている。


日記形式に綴る時は、案外気楽であるが、文章の質が落ちるので、
なるべく随筆風に綴れるよう注意をしている。

この場合、投稿内容が直ぐに決まることもあれば、
中々決まらず苦慮することがある。

ときたま、季節の香気ある文体を綴れた時は好いが、
こうしたことは何時も綴れるわけにはいかない。

拙(つたな)い脳裏を働かすが、感性に乏しいので、修行の積み重ねに頼るしかない。

いずれにしても文を綴ることは、幾つになっても難しいと思っている。

秋日和の昼さがり、樹木を見つめ、苦慮するひとときである。

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心に節度を改めて学ぶとき・・♪  《初出2006.10.14.》 

2008-05-04 21:20:09 | 現役サラリーマン時代の想いで
私はサラリーマンを卒業した身であるが、
現役時代を振り返る時、どなた様も体験されたと思うが、
その時、その時にそのお方の人生軌跡に大きく影響をさせる時点がある。

私も大学を中退し、彷徨(ほうこう)した5年を送った後、
ある企業に35年間勤めたが、
最後の5年間が決まった時、ターニング・ポイントと成った。


私の勤めていた業界は、業界全体の売上げピークが過ぎ、
各社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併があったりした。

これに伴ない、人のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、
出向、早期退職優遇制度により退職が行われた。

私は昭和45年の中途入社であったが、
この頃の時代は多くのお方と同様に、この会社で定年まで勤め上げて、
私なりの人生設計を持っていた。


先輩、同僚、後輩の一部の人が、第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出されていたが、
私は定年までの思いが強くあったので彼等の決断を見送った。

私が人事担当の取締役から、出向の話があった時、
《何で・・俺が・・》
と思いがあった。

周囲の人事異動が激しく行われていた時期であったので、
ある程度の人事の異動が覚悟していたが、出向とは予測もしていなかった・・。


私は出向を受け入れ、取引会社のひとつに勤めはじめた。
出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく戦力外として感じたので、
屈辱と無念さが入り混じっていた。

取引先は神奈川県の東名高速道路に隣接した所にある物流会社であった。
この中のひとつの物流拠点に通ったが、
センター長をはじめとする正社員の5名に基づいて、
若手の男性の契約社員、アルバイトの10名、
30代と40代の多い女性のパートの100名前後の職場であった。

それまでの私は、部門間で多くの女性正社員、契約社員と職場を共にしたが、
こうした職場環境には戸惑ったりした。


若手の契約社員、アルバイト、そして女性パート人達と親睦会、立ち話したり、
管理部門として立場で、社内の事情を把握するにつれて、
意外と冷遇されていると解かってきた。


物流現場で多くの人達に効率よく動いて頂く為に、
上に立つ方に様々なタイプがあることを知った。
短的な形で云えば、あたりは柔らかく指示タイプ、
威圧的に形で指示するタイプであった。

私のそれぞれのお方に性格を知る必要があると思い、
ともかく私なりに脳裏に刻み、多くのお方を覚えた。

云うまでもないが、私はあたりは柔らかくタイブで、ミスなど気付いた場合、
その当人の性格を加味し、人前を避けて注意した。

再発防止が目的であるので、
威圧的に行っても当人が傷つく場合が多いので、
これは私の性格からして避けた。

私の出向元、出向先の会社で、一年後に更にリストラが行われ、
ある程度の正社員がこの業界から去った。

こうした中、私の出向元の会社では、
出向先に対して、物流コストの削減が実施され、
結果として若手男性の契約社員、アルバイト、そして女性のパートお方達の人件費削減、そして解雇が行われた。

私は内面心の板ばさみとなり、苦心した時期があったりした。


何とか定年退職を出向先で迎え、
出向元の有志が私の為に歓送会を開いてくれた。
その席のひとりのお方は、すでに早期退職優遇制度でお辞めになった年上の人であるが、
『実は・・俺に出向先の話がアンタより先にあったの・・
俺の前にひとりあった・・いずれも断わらいたので・・
人事の取締役・・アンタに言ったと思うよ・・
悪かったけど・・』
と言われた。

私は過ぎ去った5年を思い浮かべたが、
《結果して・・俺は第3の男かょ・・》
と呟(つぶや)いた。

後日、出向先で私の歓送会を開催して頂き、
女性のパート方達から花束、贈呈品、
そして色紙にほぼ全員からの短かなメッセージを見た時、
涙があふれそうになり困ったのは事実である。

私は現場で弱い立場の人達から、限りなく多くの心の勉強をさせて頂いた。
指示する立場であれ、傲慢さをなくし、
謙虚な言動がいかに必要なのかを改めて教示してくれた。
私は出向の体験をしたが、
今でもこのことの心の節度が貴重な財産と思っている。




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新聞に同封されるチラシ・・・♪   《初出2006.10.14.》

2008-05-04 21:11:11 | 定年後の思い
定年退職後の生活で、新聞を配達されると、
時間に制約することなくゆったりと精読できるのは、ひとつの特典と思っている。

最初にチラシを除き、新聞を読んだりしている。

この後で、スーパー・マーケット、デバート、自動車、マンションなどの不動産、家電、家具などの曜日に寄るが、
分厚さに愕(おどろ)いたりしている・・。

誰しも同じ思いと思われるが、その時に自分が興味があることのチラシを見たりしている。

私のここ半年は、マンション、家電の薄型テレビ、パソコン、パソコンの機器を見たりしている。

マンションの場合は、古びた一戸建てで小庭のある所で私達は生活をしているが、
いずれ身体が衰え時、マンションなどに引越しせざるを得ないと思っている。

パソコンの場合は、この二週間前に故障し買い換えたが、
使っていた機種は5年近く過ぎていたので、パソコンの性能進化にため息をついたりしていた。
何より愕いていたのはデジカメの記憶媒体のコンパクト・フラッシュであった。
2年前にデジカメを買い求めた時、512MBを購入したが、
最近は四分の一程度の価格と成って折、数ヶ月前に1GBを購入したりしている。

薄型テレビは、いずれ購入するが、購入のタイミングを思案したりしている。

スーパーのチラシは、我が家の日常に欠かせないので、
家内の指示棒の基で、私は買い物に出かけたりしている。

デパートはときたま利用するが、高級ブランド品には、どのようなお方が買い求めるのかしら、と想像したりしている。

私は現役時代から、衣料品に関しては利用しているが、
あくまで自分の年収をわきまえて程々の価格から選定している。

このような思いで、チラシをみたりしていると、15分を過ぎることもある。


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高齢者、初めての北海道観光・・♪  《初出2006.10.13.》

2008-05-04 21:02:08 | 旅のあれこれ
家内の母は、私より14歳上の76歳の一人住まい身であるが、
2ヶ月前頃、家内に『元気なうちに・・北海道に行ってみたいわ・・』と言った。

私共夫婦は、北海道には四季折々、心身の波長があうので、10数回訪ずれている。

家内の母は、動物が好きな上、温泉滞在を好んでいる。

私は自動車をここ30年前後運転をしていないので、レンタカーは対象外である。

晩秋の北海道で程々ゆったり観光するにはと、家内と色々と話し合った。

その結果、来週の月曜日から7泊8日となった。


北海道を周遊するには、効率と快適さ、そして程々の価格を配慮して、
【JAL STAGE(ジャル・ステージ】を利用することとした。

日本航空、全日空の航空会社の旅行専門会社が、
各地のホテルとホテルの間を定期的に周遊観光バスを走らせている。

私達夫婦は、昭和55年の夏に個人旅行として道南周遊に利用し、
その後、秋の沖縄本島と諸島、真冬の北海道に周遊したりしていた。

今回利用する北海道に於いては、6泊7日以内の旅行会社の規約があったので、
別途シティホテルを加えたりした。

尚、この中の旅行プランの中で通常に各地を移動する周遊するプランがあるが、
高齢者には体力を要求されるので、無理である。

以前、南紀の勝浦温泉に6泊7日で滞在した折、
三時間ぼかりの周遊観光を選定した時、
家内の母は名所に寄ったりしたが、忙しいので疲れたと聞いたりしていた。

こうした体験があったので、程々にゆったりと周遊するのに、
家内と色々と話し合ったが、日程などで一時は家内と険悪になったりしたが、
何とか旅行日程を纏(まと)め上げた。

下記の日程は、あくまで高齢者に配慮した周遊である。
     

10月16日に出発し、23日に帰宅する7泊8日の旅となるが、
旅行日程を記すると、以下のプランとなる。


京浜急行の『羽田空港駅』のプラットホームで家内の母と逢い、
ゆったりとティー・タイム後、羽田空港から旭川空港に着いて、旭川のシティホテルに宿泊。


家内達は、旭山動物園で日中過ごして、私は層雲峡に直行して、周辺を散策。
その後、層雲峡の観光ホテルで合流する。


層雲峡よりJALライナーのバスで知床半島の宇土(ウトロ)に行き、観光ホテルに宿泊。
この間、指定された観光地に寄りながら走破する。


ウトロに連泊。
周辺を散策。


ウトロよりJALライナーのバスで阿寒湖に移動する。
知床観光船に乗ったりした後、知床峠を越えて、ウラスから摩周湖に寄ったりする。
阿寒湖の湖畔の観光ホテルに宿泊。

⑥阿寒湖に連泊。
 周辺を散策。


阿寒湖に三連泊。
 周辺を散策。


阿寒湖からJALライナーのバスで釧路空港に移動。
この間、釧路湿原を2時間前後で散策。

釧路空港から羽田空港に着陸し、
その後、軽食をして、家内の母と別れ、
帰宅。

以上が今回の旅行日程であるが、
家内の母が高齢者であるので、どこで連泊して心身を休めて頂くかで、
家内と一時険悪となったりした。

北海道は晩秋の時節となるが、錦繍は過ぎてしまうかと、思ったりしている・・。

私達夫婦は、昨年の10月19日より新潟港からフェリーで小樽港に行き、
各地を観光した時、偶然に二週間遅れた紅葉、黄葉の色合いを染めた錦繍にめぐり合えた。
4泊5日のみじかな旅であったが、心に深く残っている。

今回の旅路で果たして樹木の枝葉は、と期待もしたりしている。
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人生の達人に、思わず敬服・・♪   《初出2006.10.12.》

2008-05-04 20:43:41 | 定年後の思い
過日、作曲家の高木東六・氏が亡くなわれたが、
新聞、テレビなどで訃報のニュースを報じていた。

私はこのお方は、『水色のワルツ』を作曲され、
NHKの『あなたのメロディ』の審査員で出演されたのを視聴していた程度であった。

訃報のニュースで知る、ある程度のこのお方を少し知ったりした・・。

月間雑誌の『文藝春秋』の中で、定期特集の【蓋棺録(がいかんろく)】があるが、
著名人の訃報記事であり、亡くなれたお方の人生の軌道を短文で、
深い想いでそのお方の人生を切り取っているのに何時も感銘を受けている。
どのお方が綴られているのが解からないが、
まぎれもなく人生を達観し、的確に表現している人と思っている。

今回は、作曲家・高木東六・氏を取り上げていた・・。

無断であるが、記事の一部を引用させて頂きます。

・・演歌が大嫌いだった。
「演歌を歌う限り、日本に文化はない」とまで言った。
その高木が、たった1回だけ作曲した演歌が『水色のワルツ』だった。

1947年、疎開先で完成させるが、専属のビクターには、
「レベルが高すぎて売れない」と言われた。
そこでコロムビアに持ち込み、1950年、二葉あき子が歌って発売される。
初じめはなかなか売れなかった。
ヒットしたのは、1952年に映画『水色のワルツ』が封切られてからだった。

エッセイもよく書いた。
得意なのが艶笑ものだった。
・・・お堅いNHKなどでは、「イメージを悪くする」といって嫌ったが、
「あれは、僕の息抜きだから、やめる気はなかった」

・・・正式な音楽教育を受けた歌手との仕事を好んだが、
例外は藤原義江と美空ひばりだった。

「藤原さんは演奏会でもでたらめで、
伴奏がずれると、僕が悪いかのように睨(にら)んだ」。
美空ひばりは「一度で覚えてしまって、僕の考える以上に細やかに歌った」。

・・・90歳を超えてからも、毎日40本のタバコを吸い、
コーヒーを好きなだけ飲み、こってりしたウナギやスキヤキを食べた。
「あるがままに生きる。
それが長寿の秘訣です」。

以上、記事の一部を引用させて頂きました。

彼の努力と才能もさることながら、自在に生きられた高木東六・氏には、
『あなたは人生の達人です・・敬服致します・・』
と私は思わず頭を下げて、唸(うな)ったりしている。


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時は流れて・・♪    《初出2006.10.12.》

2008-05-04 20:40:14 | 定年後の思い
私は民間会社を定年退職して、まもなく三年を迎えている。

どなたも同様であると思われるが、現役時代は多忙な時期を送り、
多くのお方達と同様に人事異動をし、色々な職場体験をし、苦楽を共にしてきた。

このような歳月を送ってきたので、せめて退職後になったら、自分の自由な時間を過ごそうと思っていた。

東京の郊外に住み、小庭の雑木の季節のうつろいを誉(ほ)めて、ときたま家内と国内旅行に行ったりしている。

日常生活の多くは、日の出の頃に起きだして、新聞を精読し、世間を騒がしているニュースなどを見ると、
馬鹿なことを・・、と独り言を云ったりしている。

日中は買い物に行ったり、その時の心持ちで散策をしているが、
小説、随筆、歴史書、現代史、雑誌などを読んだり、
音楽を聴いたり、ときには映画のビデオ、DVDを居間で視聴していることが多い。

そして、こうした心身感じたことを濾過させ、文に認(したた)める事である。
幸いブログの世界を知り、投稿したりしている。

そして庭先に下り立ち、朝の柔らかな陽射し、昼下がり、夕暮れのひととき、
煙草などを喫いながら、雑木の枝葉を眺め、季節のうつろいを甘受している。

年金の身であるので、程々の貯金を崩しながら身過ぎ世過ぎの生活を送っているが、
現役時代の多忙を振り返る時、一日のうつろいを見ながら生活をできるのは、
私なりの贅沢な日々と思っている。



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茜雲(あかねぐも)の朝を迎えて・・♪   《初出2006.10.11.》

2008-05-04 20:37:22 | 定年後の思い
5時に目覚めて、台所で煎茶を淹れた後、玄関庭に下り立った。

西の空には青みがった中で、白っぽい月がうっすらと浮かんでいる。
東の空は、朝焼けの赤くそまった雲が幾重にも観られた。
古人の人達は、茜雲と読んでいるが、それなりに美を感じる。

居間に戻り、何時ものように相田みつを氏の一日一言のような《ひとりしずか》の本日の言葉を読み、
心に響くまで2回ばかり精読したりした。

その後、戸を開け放すと、東の空は茜雲は消えうせて、
雲は白さを増した中で彼方に日の出を感じさせる明るさとなった・・。

門扉の開く音が聴こえ、玄関庭に行き、新聞を取り込んだ時、
青みががった空の中で、幾重にも白い雲があり、
その中を白い月はわずかであるが、ゆっくりと移動している。

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昼寝から目覚めれば・・♪    《初出2006.10.10.》

2008-05-04 20:29:45 | 定年後の思い
昼食を食べた後、眠くなり2階の寝室で横たわり、
猿谷 要・著の『ニューヨーク~世界の都市の物語~』を読んでいるうちに寝付いてしまった。

先程、目覚めて窓を開け放ち、居間に下りてきて、煎茶を淹れた後、
少し飲んだりし、ぼんやりと秋日和の庭を見つめていたりした。

昨日の朝は、5時に起きだした後、家内を6時前に見送り、
午後のひととき昼寝をしょうとしたら、北朝鮮の核実験のニュースを観たりした・・。

その後、パーリーグのプレーオフの第一ステージの第三戦『西武』対『ソフトバンク』を観てて、
試合は好戦でハラハラしながら観たりした。

夜、NHKで『~永遠の音楽~ 叙情歌大全集』を観ながら、
夕食とし、純米酒を呑み、特集版を観たが、
選曲に工夫が足りない、歌い手が下手な人が多いなどと、
独り言を言ったりしていた。

その後、『ロシアの新興財閥・繁栄と没落の軌跡 ~クレムリンと富豪~』を観ていたが、
製作はフランスの名前は忘れだが、優秀なドキメンタリー作品のひとつと思ったりした。

その後、布団にもぐり、猿谷 要・著の『ニューヨーク』を少し読んだ後、寝付いた。

今朝は6時に起きだしたが、秋日和の午前中ぼんやりとしていた。

年金青年の身でありながら、睡眠不足よくないと思ったりしながらも、
特別号外として配達された『北朝鮮、核実験』を読んだりしていた。

秋日和に恵まれた日中、このような不摂生を過ごしたりしている。

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ときには、野球をテレビ視聴したり・・♪   《初出2006.10.10.》

2008-05-04 20:27:26 | 時事【社会】
私はプロ野球を一年に数回テレビ中継を視聴したりする程度の男であるが、
パ・リーグのプレーオフの第一ステージをここ三連戦を観た。

『西武』と『ソフトバンク』の戦いであるが、どちらのチームが勝利してもかまわないが、
手に汗を掻(か)く程度の好戦を期待していた。

個人選手としての興味は、西武の松坂投手がどのような配球でソフトバンク打線をねじ伏せるのか、
大試合に力を発揮できないと云われているソフトバンクの松中選手が、
今回も西武に研究、対策されて打てるか、この2つしか興味が無かった。

結果として想像以上に、ハラハラしたり、ドキドキしたりして、両チームの選手を覚えたりした。

西武の松坂投手は、多くのお方の絶賛されている男であるが、
日本の球界でこれ以上投げさせるのは、気の毒と思ったりした。

日本の球界で超一流選手の方でも、本人が大リーガーに身を投じたい、
と思っている人々には、
球団のオーナーの立場として、叶(かな)える度量が必要と思われる。

ソフトバンクの場合、昨年に城島補手を手放し、彼が大リーガーで活躍している。

野球の守りは捕手が要(かなめ)であるが、球団としての戦力低下を承知した上で、あえて本人の希望を叶えさせことは、
真の英断と思ったりしている。

西武の球団としては、松坂投手は必要なのは素人でも解かるが、
あえて彼の夢を叶えさせる度量があってもよい、
と思ったりしている。


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ときには、早朝で・・♪    《初出2006.10.9.》

2008-05-04 20:24:11 | 定年後の思い
昨日から家内は、今朝より家内の実家に3泊4日に行くので、
洗濯、掃除、留守にする間の私の料理に専念していた。

家内の母は、二年前の秋に主人に死別され、一人住まいとなっている。

家内が実家に行き、掃除をしたり、衣料、暖冷房、カーテンなど生活にまつわるの季節に応じた雑事をしている。

家内の母は、心身ともに元気であるが、長年生活を共にした主人が死去する前、
入退院を5年近くした看病の疲れのせいか、最低限の身のまわりをする程度となり、
月の大半は親しい女友達と会ったり、国内旅行をしている。

このような状況であるので、家内が毎月ある程度泊りがけで、雑事をしている。

今朝は家内は3時半に起床し、洗濯をし、料理をしている。
私は5時に起きだして、玄関庭で煙草を喫いながら、日の出前の薄暗い空を見たりした。
月がぽっかりと浮かんで折、私の寝ている間に移ろった位置にあるので、
早朝にはこの位置で照らしてくれるのか、と改めて思ったりした。

家内は玄関からの門扉まで階段を掃き清めている。
樹木越に干し竿に洗濯物が干されている。

『薄暗いのに・・少し早いじゃないの・・』
と私は言った。

『そうかしら・・』
と家内は微笑んだ。

家内を6時始発のバスで見送り、私は家に戻り、戸を開けた。
朝のやわらかい陽射しがまぶしく、秋日和の日中を予感させた。

東京の郊外では26度前後の快晴、と天気予報は報じていた。
体育の日にふさわしく、東京オリンピックの頃を思い出している。

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ときには、風は強く吹いて・・♪   《初出2006.10.8.》

2008-05-04 20:21:32 | 定年後の思い
東京の郊外は、秋の澄みきった青空で秋日和となっているが、
ときおり風が強く吹き、樹木の枝葉がしなったりしている。

金木犀(キンモクセイ)の橙黄色の小花は、ときおり吹雪のように枝から離れ、庭の周辺に飛んだりしている。

一昨日まで激しい雨と風で台風のような日々が続き、
昨日の朝の9時過ぎに秋日和となった。

私は買い物に出かけたら、団地の近くの幼稚園で運動会が開催されていた。
付近の小学校の児童達も澄み切った久々のお天気で、小公園で歓声をあげたりしていた。

のどかな秋日和の昼前の情景であった。

帰路、コスモスが微(かす)かに揺れて折、
ススキの穂も色合いを染めてきたので、のどかな光景に心が満たされたりした。

夜になると、月を眺めた後、純米酒を弐合徳利に入れ、
くい呑みのひとつを選んで、家内と他愛無い話を交わしたりした。

東京の郊外も晴れ間がしばらく続くと安堵していたが、
先程から、ときおり強い風を吹くのを眺めていると、
昨日、幼稚園の運動会の開催選定したお方はよかった、と思ったりしている。

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秋日和の朝を迎えて・・♪   《初出2006.10.8.》

2008-05-04 20:12:55 | 定年後の思い
東京の郊外は、久しぶりの澄みきった青空の朝を迎えている。

庭に下りたつと、落葉樹は少し染められ、草花の小花が咲いている。

小鳥が餌を求めて、鳴き声と共に飛来してくる。

金木犀(キンモクセイ)のたわわな橙黄色の小花は、
長雨の日々を通り過ぎたので、微(かす)かな芳香を漂(ただよ)わせている。

紫式部(ムラサキシキブ)の実も紫色を深めて折、
樹木の周囲は強風で振り落とされた紫の実が散りばかまれている。

このような情景の中、朝の淡い陽射しが照らしはじめている。

日中は25度前後の秋日和となり、贅沢な一日を迎える。



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激しい雨と風の後は、秋日和・・♪   《初出2006.10.7.》

2008-05-04 20:10:46 | 定年後の思い
東京の郊外は深夜まで、雨がここ数日降り続いた・・。
ときおり激しい雨となり、風が伴なっているので台風の状況と似ていた。

台風が熱帯低気圧となり急速に発達し、大雨と風をもたらした、と気象庁は報じていた。

東京の郊外は、先程から曇り空となっているが薄日の予感をさせる雲の流れとなっている。

これからは数日は、晴れ間の続くと予測されているので、
さわやかな秋の情感にしたれる秋日和となる。

金木犀(キンモクセイ)の樹木の周辺は、橙黄色のたわわな小花が散り蒔(まか)れ、
更に昨夜までの風の強さで庭のあちらこちらに散乱しているが、
風がやんだ今はそれなりの風情がある。


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秋霖(しゅうりん)のような時節ではあるが・・♪ 《初出2006.10.6.》

2008-05-04 20:08:35 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨夕から冷たい雨が降り続いている。

秋の長雨をもたらす秋雨前線で、しとしとと降れば秋霖の時節といえようが、
台風の低気圧が加わり、雨は激しさ、ときたま風が強く吹き、横なぐりの雨となっている。

秋霖となれば、肌寒く少し物思いに耽(ふけ)ることもあるが、今日のように激しい雨と風が加われば、
愛煙家の蛍族のひとりとして、玄関の軒下で煙草を喫うのも情感にしたる余裕もない。

樹木の枝葉は揺れ、枝葉の雨粒を払いのけ、周辺に撒き散らす。

昼のひととき、こうした秋のひとときもある。



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