夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

天候変化で感じる体の不調 「天気痛」の原因と対処法、初めて高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2017-05-31 15:46:21 | ささやかな古稀からの思い
たまたま先程、ときおり愛読している【NEWS ポストセブン 】を見ていたら、
『 天候変化で感じる体の不調 「天気痛」の原因と対処法 』と題した見出しを見てしまった。

私は齢ばかり重ねた年金生活の72歳の身であるが、
「天気痛」・・初めて知ることで、どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。

やがて読み終わった後、多々教示されたりした。
        
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2017年6月9日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の【NEWS ポストセブン 】に5月31日に配信され、 無断ながら転載させて頂く。

《・・天候変化で感じる体の不調 「天気痛」の原因と対処法
             

天候の変化が、人体に影響を及ぼすことはあるのか

「雨が降ると、頭痛がする」「台風が近づくと、腰痛や肩こりがひどくなる」
天気によって、持病の痛みが増した経験を持つ人はいるだろうが、「気のせい」と片付けていないだろうか。

天気は、人体にさまざまな影響を及ぼしており、それは時に命の危険すら伴うこともある。

気圧医学の第一人者で、『天気痛』(光文社刊)の著書もある愛知医科大学客員教授の佐藤純氏は、
20年以上にわたって「天気と痛みの関係」を研究してきた。

佐藤氏がこう語る。
「天気の悪化による不調を『天気痛』と名付け、
2015年に出演した生活情報番組『ためしてガッテン』(現『ガッテン!』、NHK)で初めて言及しました。

当初は“信じる人がいるのか?”と不安でしたが、番組終了後に“長年の痛みの謎が解けた”、
“これまで痛いといっても信じてもらえなかったのに、これで理解してもらえる”などのメッセージが
続々と届いたのです。

研究を続けてきて良かったと思いました」
             

佐藤氏によれば。天気痛のメカニズムはこうだ。

「天気が悪くなる、つまり気圧が下がると、人間はこの変化をストレスに感じます。
それに対抗しようと、自律神経内の交感神経の働きが活発になり、
血圧や心拍数が上昇することで、痛みの回路も活性化。
痛みに敏感になり、慢性痛などが強く出てしまうのです。

天気痛を訴えるのは、女性が圧倒的に多いのに、天気の変化を感じるのに、男女差はないはず。
男性は痛みを訴えたり、具合が悪いと言ったりしにくい風潮があるため、表に出てきてないだけでしょう。

2015年の愛知医科大学の調査によれば、
現在国内だけで約1000万人以上が、天気痛の症状を抱えていると推計されます」

痛む場所は、それぞれが抱える持病や慢性痛の部位による。
代表的な天気痛は、片頭痛、肩こり、腰痛、関節痛などだが、うつや気持ちの落ち込み、
イライラが強く出るなどの精神状態にも、影響を及ぼすという。
             

☆天気の変化で脳梗塞に

どんな天気のときに、痛みが出やすいのか。

上本町わたなべクリニック院長の渡邊章範氏が言う。
「自律神経は、朝から昼にかけて上がり、夜に向けて下がっていくという
気温の変化に合わせるようになっています。
それが狂った時に“痛み”を感じます。

例えば朝は、カンカンに晴れていて気温も高かったのに、昼頃から強い雨が降って、気温が全然上がらない時、
ズキンズキンと脈打つような頭痛を訴える人が多い。
頭をギューっと締め付けるような痛みが生じる筋肉系の頭痛とは、明らかに違う痛みです」

痛みは、天気が変わった時に顔を出す。
雨が降り始める前の曇りの段階から注意が必要だという。

前出の佐藤氏が話す。
「気圧変化が大きくなる雨の“降り始め”と“降り終わり”が、もっとも痛みを感じやすい。
中には5hPa(ヘクトパスカル)程度の気圧変動で、痛みのあまり身動きが取れないという人もいます。
5hPaとは夕立が降った時など、ごく普通に見られる変動です」

ゲリラ豪雨などで急速に低気圧が発達した場合は、30hPa以上の気圧変化が生じ、
多くの人が天気痛を訴えることになる。
             
逆に雨が一日中降り続くような日は、気圧が低く安定するため、痛みは強く出ないという。
             

気圧が上下することで、気温や湿度も変化する。
これもまたさまざまな病態を引き起こすことになる。

「ゲリラ豪雨のように晴天から一転して、大雨が降った時は、気圧が下がる一方、湿度が上がります。
湿度が高いと発汗が抑えられることで、血行不良が起き、関節痛やリウマチが悪化するケースが多いのです。
とくにリウマチは“梅雨時が一番辛い”という患者さんが多いのですが、
こうした理由からだと考えられています」(前出・渡邊氏)

京都大学リウマチセンターは2014年に大規模調査を行ない、
「リウマチ患者の痛みや腫れは、気圧の低い時に起きやすい」という結果を発表している。


気象予報士の資格を持つ、国家公務員共済組合連合会立川病院医長の福永篤志氏は、こんな話をする。
「脳神経外科医である私が、気象予報士の資格を取ったのは、脳の病気と天気が、密接に関係があると思ったからです。

夏になれば最高気温が35℃を超える猛暑日も来ます。
こんな日は脱水により、血液がドロドロとして、脳血栓が起こりやすくなります。

暑い日が続いた後に、急に気温が低い日が来ると、
動脈硬化を患っている人は、寒暖差によって血圧の調節機能が上手く働かず、
脳の血管が切れたり血液の循環が悪くなって、くも膜下出血や脳梗塞を引き起こすケースも多数報告されています。

夏や秋に見られる1日の気温差が10℃以上、気圧差で10hPa以上の荒れた天気の日は、要注意です」
             

☆酔い止めが効く

来る梅雨を前に、天気痛を予防する手はないか。
まず天気痛で多い片頭痛だが、脳の血管の不具合が原因であるため、
いわゆる痛み止めは、あまり効果がないという。

そこで意外な薬の名前を挙げるのが前出の佐藤氏である。
「耳の奥には、体の平衡感覚をつかさどる三半規管などが集まる内耳があるが、
ここが敏感だと天気痛を起こしやすい。

内耳は気圧の変化を感知し、脳に信号を送るセンサーの役目も持つ。
そのセンサーが敏感だと気圧の変化に耐えられなくなり、
“気圧に酔った状態”となって、自律神経の働きが活発化してしまうのです。
             

センサー機能を修正するには、神経の緊張を緩める作用がある漢方薬の他、抗めまい薬や酔い止めも効果的。
これらの薬に含まれる成分が内耳の血流を改善したり、自律神経の働きを正常化させることで、痛みが取れます」

簡単なマッサージによって、予防することもできるという。
「耳たぶの後ろにある硬い部分(乳様突起)には、自律神経を整えるツボが集中しています。
耳の周りを広範囲で指で押したり温めたりすることで、天気痛を予防することができます。
天気が崩れる前に、刺激しておくと良いでしょう。

天気痛でとくに多い片頭痛は、頭蓋骨に圧力がかかるのも一因。
ガムなどを噛んで、顎を動かすことで、その圧力を解放させることも効果的です」(前出・渡邊氏)

ただし頭皮全体のマッサージは、血管を拡大させてしまうので、
痛みが増して、逆効果だというから要注意だ。

ただでさえ憂鬱になる梅雨。
せめて痛みだけでも対処したい。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は何かと鈍(にぶ)い神経の為か、気圧の変化で、頭痛、関節痛はないが、
ただ朝の気温と日中の最高気温と、10度以上差異があった時、衣服に戸惑う時がある。

そして家内は、気圧、気温の激しい変化の時は、頭痛のような状態で、
気分がすぐれないわ、と私に言ったりする時もある。

私は何よりも熱さに苦手な私は、《・・脱水により、血液がドロドロとして、脳血栓が起こりやすくなります・・》
と過ぎし日に生死にかかわることなので学んだ後は、買物、散策の時は、水分補給そして適度な休憩をしたりしている。
             

定年後から多々の理由で年金生活を始め、自主的に平素の買物担当となった私は、
家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
             
帰宅後、やがて独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりしている。

こうした中で、昨年の熱い時節になると、私の容姿として制服のようになった半袖のスポーツシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしてきた。
         
しかしながら燦々と陽射しが照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落ちる・・。
          
やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。
             

そしてコンビニなどで、ベットボトルの煎茶を買い求めて、
小公園にある大きな樹の下で、水分補給をしながら休憩をしたりしている。
                       
しかしながら35度前後の猛暑の時は、最寄駅から利便性ある路線バスに乗車して、
バス車内のエアコン冷風に甘えて、甘享したりしてきた。

或いは自宅の近くにある遊歩道を少しばかり歩く程度となり、さぼったりしてきた。
もとより熱中症で倒れて、目覚めたら病院のベッドだったことは困苦するので、回避してきた・・。
             

今回の記事に於いて、無知だったことが多く、多々教示されたりした。
そして古来より、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、と名言があるが、
知るは一時の恥 知らぬは一生の恥かしら、と高齢者の私は微苦笑したりしている。

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充実した老後を過ごすための銘言、改めて高齢者の私は学び、やがて賛意を深めて・・。

2017-05-30 16:21:12 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【アゴラ】を見ている中で、
『書評「絶望老人」 --- 城 繁幸』と見出しを見たりした。

私は城 繁幸(じょう・しげゆき)さんに関しては、過ぎし2004年に、
『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』(光文社〉を上梓されたのを、たまたま私は読み、
ご自身が勤められた富士通が行った成果主義の問題点や日本型成果主義の矛盾点を的確に論評され、
私は多々教示され、これ以来信頼している御方のひとりとなっている。

このような城 繁幸さんに真情を秘めている私は、記事を精読してしまった。

そして今回は、新郷 由起・著作の『絶望老人』( 宝島社)について、書評されている論評であり、
私は読んでいく中、満天の星空のように、充実した老後を過ごすための銘言が多々記載されていて、
私は年金生活13年生の身であるが、改めて学び、やがてそうですよねぇ、と賛意を深めたりした。

この原文は城 繁幸さんのブログ「Joe’s Labo」2017年5月27日の記事であり、
【アゴラ】には2017年5月28日に転載されて配信され、無断ながら私も転載させて頂く。
             

《・・タイトルだけ見て、NHKが日曜夜に視聴者を恐怖のどん底に叩き落とした
特集「老人漂流社会」を連想する人も多いかと思うが、
中身はそこまでハードモード人生なものではない(というか宝島はタイトル釣りすぎ!)。

もちろん一部に絶望気味の人も出ては来るが、
大半はどこにでもいる、ごく普通の老人たちのインタビュー集だ。

余談だが、メディアが老人とか格差社会をテーマに特集を組むときは、
たいてい、とびっきり強烈なインパクトのケースを紹介するものだ。

なぜなら、その方が視聴者に受けるから。それが悲惨であればあるほど、
視聴者は自らの相対的な豊かさを実感して安心できる。

「大変だなあ、可哀想だなあ」と口に出しつつも、
心の底では「自分は、ああはならない」と分かっているから、
しばらくすればきれいさっぱり忘れてしまえる。

だから、ああいう格差とか貧困の特集というのは、何も解決しないし、
何かの参考になるということもない。
所詮はエンタメなのだ。
             

筆者は以前から「普通の老後を迎えた普通の老人に、今、何が起こっているのか」
ということに非常に興味があったのだが、
本書はそういう意味では、最良の一冊と言えるかもしれない。

普通に結婚して、子供も巣立った後の老人から、独身のままリタイアして、一人暮らしする老人、
家族はいるものの、自分の意思で縁を切った老人、
河川敷でホームレスとして生きる老人など、
様々な形態の老人たちが登場し、現在の生活について率直な思いを述べる。

“では、経済的余裕さえあれば、老後は安泰なのか。
頼れる血縁者のいない高齢者はみな、憐れで、誰もが悲惨な末路を迎えるのか。
(中略)
気が遠くなるほど長く延びた、老いの日々を幸福に導くもの、絶望へ追いやるものとは何か。
その分岐点と、おいて生きる上で、真に必要なものを問うていきたい。”

と前書きにもあるように、
まず意外なのは、経済的余裕があっても、必ずしも幸せだとは言い切れない点だ。
             

たとえば、銀行マンとして現役時代は、仕事漬けの日々を送って出世もし、
高額の退職金と豪邸を手にリタイアしたものの、妻は早々に病死。
なかなか定職に就かない長男夫婦に無心されるうち、結局、退職金も家も処分するはめになった老人もいる。

また、入居一時金が3千万円を超えるような富裕層向けの有料老人ホームに入居すれば
何の心配もいらないかというとそうでもない。

上げ膳据え膳、栄養管理も投薬もバッチリ管理してもらえる暮らしでは、
人間としての様々な能力は、むしろ急速に衰えるらしい。

“「衰えの進みにくい体づくりのためには、人生後半の食生活が最も重要で、
それには正しい知識を得た上で、自分でやれるうちは、自力で賄うのが一番なのです。

というのも『食事を用意する』という行為には、たくさんの高次機能が凝縮されているから。
買い物に出かければ歩くし、店先に並んだ旬の食材を目にして季節を感じることもできる。
(中略)様々な機能は、いつも使っていれば衰えにくく、適度な負荷をかけることで、老いの抑制につながるのです」
(人間総合科学大教授・熊谷修氏)”

逆に、河川敷に気の合う仲間と“集落”を作って、
気が向いた時だけ、日雇い仕事をしているホームレスの爺さんたちの話が、実はいちばん明るかったりする(笑)
             

キャリアも同様で、大企業の役員や先生と呼ばれる立場の人ほど、
老後の新たな職場や地域の共同体などで、行き詰まる人が多い。

柔軟性が無く、現役時代と同じ高い地位で、扱われることを望むためだ。
地域のイベントなどでも、手より口を動かすだけで、
注意されると怒って、それっきり顔を出さなくなる人も珍しくないという。

“年を重ねるだけでは、“人生の達人”になれない

コップの水が7割方入っているのを「満杯じゃない」と受け取るか
「半分以上も入っている」と捉えるか。

必要なのは「足るを知る」感覚を踏まえて、生きる知恵と生活力を備えること。

「たくさんのお金がなければ、生きられない」「幸せを感じられない」生活と価値観に固執せず、
限られた収入のなかで、生きられる知恵や工夫、方法を身につけ、
その中で自身が楽しめる人生の目的と手段をえることだ。

言い換えれば、長い人生経験の中で、どのような状況でも
自分を“活かして”生きる力を養ってこなかった人、生きるセンスを培えずにいた人ほど、
長く延びた老いの日々を苦心して送ることになる。”

結局のところ、老後というのは、肩書とか誰かに与えられた役割とか、
そういうしがらみが、一枚一枚剥がれ落ちて行って、
最後に自身が人生で培った地肌が、丸裸になることなのだろう。
             

さて、以下は筆者のメモ。

筆者の見たところ、充実した老後を過ごすためのポイントは以下の4点だ。

1.とにかく人とのつながりを維持する

一部の人の夢を壊すようで悪いが、やっぱり“独身貴族”なんてものは幻想で、
独身で老後に突入した人は、ほぼ絶望寄りの状況に陥っている。

一人暮らしをしていても、離れて暮らす家族がいるか、
気の合う友人知人とある程度のコンタクトを持たないと、相当厳しい老後になることは、覚悟しておいた方がいい。


2.常に新しいことへの好奇心を持つこと

老いて生きる上で、一番必要なものは何だと思いますか、
と問われた一人の老人は、“好奇心”と答えた。

“「これをなくすと、一気に老け込む。
年を取れば、どうしたって先行きを暗く感じたり、やりきれない思いは、増える一方だと思うんだよね。

だからこそ、新しいものを吸収しようとする気持ちや行動力を増やしていかないと、ひしゃげちゃう。
いやなことがあっても、前向きに老いていきたいじゃない。
せっかく一度きりの人生なんだからさ」”

これはキャリアデザインにも、通じる話だ。
好奇心を失うと人材は伸びなくなる。
             

3.何でもいいから趣味を持つこと

よく言われる話だが、仕事一筋で無趣味の人ほど、老後に一気に、老け込むものだ。
それを防ぐには、長く続けられる趣味を一つは作って、おくべきだろう。

筆者がなるほどなと感心したのが、裁判の傍聴シニアの話だ。
朝から公判をはしごして、ほとんど終日を裁判所で過ごす人までいるらしい。

“「ここでは、つくりもののテレビドラマなんか、足元にも及ばない、
本物の人間ドラマが、生で見られるんだ。

しかもタダで。
『世の中にはこんな犯罪があるんだ』とか『こういう事情があったんだ』とか、
弁護人と検察官のやり取りとか、飽きないよねぇ。
(中略)テレビなんか見てるより、よっぽど面白いよ」”

他にはボランティア活動なども。
これなら1番も同時にカバーできる。
             

4.仕事も生活も、地に足のついた状態をキープしておくこと

と書くと、ちょっとわかりづらいかもしれないが、
筆者の見たところ、老後に困っている人が直面している困難の根っこは、
すべて現役時代の行いにあるように見える。

たとえば仕事一筋で、土日はゴルフ三昧だった男性が、
息子にたかられるのは、突き詰めれば
「それくらいのことやってもいいだろう。なんせあのオヤジなんだから」
と足元を見られているのが原因だ(ついでに言えば、自身も悪いことをしたと後悔しているから、断り切れない)。

老後に再就職や地域活動で行き詰まる人は、中高年になってから、
分相応の地位について、胡坐をかいていた結果だろう。

自身の分をわきまえている人、あるいは掛け値なしに本当にすごい人というのは(飾る必要が無いから)姿勢が
低く人当たりも優しいものだ。

要するに、仕事でも家庭でも、求められる役割はしっかりとこなし、実のあるものにキープしておくこと。
仕事を理由に家庭をおざなりにしたり、年功序列のレールの上で、うとうとしながら後半生を働いてきてしまったりすると、
必ず老後のどこかで、しっぺ返しが来ることになるように思う。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私はこのサイトに於いて、私の年金生活の実態に関して、幾たびも投稿してきたが、
初めてお読み頂いた御方を思い、あえて簡略に再掲載をする。

東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                           

そして年金生活を当初は、現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

こうした中、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

或いは年金生活を始めた当初から、私は自主的に平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

そして私は、独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還したりしている。

こうした中、駅前に出た時は、殆ど本屋に寄って、単行本、新書本、文庫本、雑誌コーナーを見て、
読んでみたい誘惑に負けて、数冊を買い求めたりしている。

やがて買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
                                                      
午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

このように拙(つたな)い私は、歩くこと、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体と信愛し、過ごしたりしている。
                           

しかしながら人生は、想定していないことは多々あると私は学んできたが、
ときおり私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、
やがて一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
                           
やがて家内の母が『要介護2』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が『おひとりさま』の生活となり、
私たち夫婦の年金生活の予定事項が定まることが少なくなり、少し困苦する時もある。

そして何かとプラス思考の私は、これも人生だよねぇ、と微苦笑したりしている。
             

今回の記事を読み終わった後、つたないサラリーマン航路を歩んだ私でも、
定年後の年金生活は、謙虚に過ごせば、予測した以上に安楽な生活をしている。

こうしたこともあり、数々の老後を過ごすための銘言を改めて私は学び、
そうですよねぇ、と賛意を深めたりしている。

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コメント (9)
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殆どの御方は、長らく住まわれた地域が、何よりも安楽な地、老ボーイの私は感じ深めて・・。

2017-05-29 16:48:45 | ささやかな古稀からの思い
私は年金生活13年生の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、ささやかに過ごしている。

私たちは東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住んでいる。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や67年が過ぎている。

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。
                

私は民間会社の中小業のある会社で35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めたが、平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
       
そして70代の三年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
ときおり願いながら歩いたりしている。
             
          
過ぎし私の40代の頃、ひとつの夢を漠然とし考えたりしたことがあった。

私たち夫婦が住んでいる住宅街のそれぞれ住宅が密集し、ともすれば何かしら息苦しい住宅街より、
解放感のある地方の山里に、と想いを馳せたりした。
       
たとえば八ヶ岳の別荘地の分譲地などで、のんびりと生活することを夢想したりした。

しかしながらこの当時の私は、都心に通いサラリーマンの身であるし、
住んでいる一戸建ての住宅ローンも多額に残っていたので、
もとより収入を別途に挙(あ)げる自信はなく、夢だよねぇ、断念した。
             

やがて50代の後半になると、山里に300坪前後の土地を求め、
落葉樹のクヌギ、コナラなどの中、平屋建ての30坪ほどに住むことも考えたりした。

この当時は住宅ローン等の返済を終えていたので、
定年退職する60歳になった時は、自宅を売却して買い求めて、
老後の生活資金を配慮した場合でも、何とか出来ると思ったりした。
          

こうした私の根底には、私の住んでいる近くに私の生家もあり、
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。

そして私が小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑などを耕していた。

或いは祖父の所有していた広い田んぼの中には、小さな川が流れたり、
湧き水もあり、竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに土蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあり、
はずれに小さな稲荷を保有して、この地域の旧家は、このような情景が多かった・・。

このような生家は、周辺は平坦な田畑、竹林、雑木林などが拡がり、
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖、と学校の先生たちは称していた。

その後、私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、
生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。

そして1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になると都心に勤める方のベットタウンとなり、新興の住宅街に大きく変貌した。
                    

私は消えてしまった故郷、失われてしまった時を求めてか、時代の変貌に戸惑いながらも愛惜感を秘め、
このような私の思い、漠然とした山里に平屋建ての生活を家内に相談したら、
日常生活の買物、交通・病院などの利便性から、反対された。

『貴方の好きな本屋さんだって、今は歩いて行ける範囲ょ・・まして、スーパーなどの買物だって・・』
と私は家内に言われたりした。

やがて具体的に指摘されれば、私は確かに好きな音楽CDとか、映画のDVDを購入する店、
或いは本屋に寄って、単行本、新書本、文庫本、雑誌コーナーを見て、興味を持ったのに手を取ったりして、
やがて買い求めたりする空気が好きで、ここ50年の習性のようになっている。

そして時折お洒落(しゃれ)た居酒屋に入店して、知人と談笑するも欠かせなくなっている・・。

『貴方、60代の心身元気なうちは良いけれど、70代頃からの身体が弱ってきた時の事も考えて・・』
と私は家内に言われたりした。

確かに山里に住めば、自動車は必須事項だし、買物も一週間まとめて購入し・・と思ってきたが、
身体の弱った時の通院、そして都心の外れの文化と利便性には勝てない、と断念した。
             

こうして私の淡き夢も消え、定年退職後の年金生活の中、住宅街の密集地から抜け出して、
我が家より3キロ範囲の遊歩道、小公園、公園などをひたすら歩き、
季節のうつろいを享受したりしてきた・・。

或いは家内との共通趣味のひとつの国内旅行で、各地域の観光ホテルに滞在して、
周辺の山里、街はずれ、街中を歩き廻り風土、文化を学び、
その地の景観に心身共にゆだねて、遊学したりしている。
                       

昨今、我が家の固定資産税は土地が毎月3万円ぐらい、老朽化した家は毎月5千円ぐらいと評価され、
四半期毎に納入しているが、
このまま住んでいたら、大切な老後資金が減る度合いが少なく済むので、
当面この状態で過ごしたいよねぇ、と私たち夫婦は話し合いながら、微苦笑したりしている。

私たち夫婦は、年に数回は都心のデパートに買物に行ったりしているが、
私たちは人出多い中、齢を重ねるたびに苦手意識となっている。

そして帰路、最寄駅のひとつ『成城学園前』駅で下車した後、
付近の食事処で遅い昼食を頂きながら、ほっとしているのが実感となっている。

何よりも安楽なことは、自宅の居間で小庭の春夏秋冬を明晰に表現する落葉樹を眺めながら、
私たちは談笑したりする時である。

このような心情を重ねてきた私は、殆どの御方は、長らく住まわれた地域が、
それぞれの出来事の思いもあり、愛惜も加味され、何よりも安楽な地、と老ボーイの私は感じ深めている。
             

しかしながら私たち夫婦は、いつ日にかどちらかが足か腰が衰えてきた時、
やむなく自宅を売却して、駅の近くにあるマンションのコンパクトサイズを買い求めて、
晩年期を過ごしたい、と思ったりしている。

或いは介護を要する身となった場合、漠然としながらも介護施設を話し合うこともあるが、
こうしたことに遭遇することは、自助努力も必要であるが、こればかりは神様か仏(ほとけ)さまの采配による、
と私は思い深めているひとりである・・。

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浴びないのは実は不健康 太陽光が体に良い「3つの理由」、老ボーイの私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2017-05-28 16:17:00 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しいるネットの【日刊ゲンダイ デジタル】を見たりした中で、
【 浴びないのは実は不健康 太陽光が体に良い「3つの理由」】と題された見出しを見た。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
民間会社で35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めたが、平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

こうした中で5月中旬から10月中旬頃までは、陽射しが燦々と照らす中、歩くことが多くなっている。
             

こうした熱い時節になると、私の容姿として制服のようになった半袖のスポーツシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしてきた。
         
しかしながら燦々と陽射しが照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。
          
やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。

こうした時、ときおり ♪しあわせは 歩いてこない  だから歩いて ゆくんだね・・
【『三百六十五歩のマーチ』 作詞・星野哲郎、作曲・米山正夫、唄・水前寺清子 】
と何かと単細胞の私は、1968年(昭和43年)の頃に流行(はや)った歌を心の中で唄い、歩く時もある。
             

やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしてきた。

このように年金生活を12年半ばかり過ごしてきたが、漠然としながらも陽射しを浴びることは身体に良い、
と知人から聞いたりしてきたが、具体的な理由も知らなかったので、
今回、真摯に学ぼうとして、記事を精読してしまった。
             
         
この記事は、【日刊ゲンダイ デジタル】に2017年5月19日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・浴びないのは実は不健康 太陽光が体に良い「3つの理由」

「肌が汚くなる」「目が悪くなる」「老化を促す」――。
すっかり悪者扱いされている紫外線だが、本当は体に良いとする研究も少なくない。

日焼け止めクリームや日傘などで、紫外線を完全シャットアウトしているあなたは、
実は健康を損ねているのかもしれない。

「紫外線を浴びることで、血圧が下がることが報告されています」
こう言うのは東邦大学医学部の東丸貴信名誉教授だ。

報告したのは、皮膚科学のエキスパートで英国エディンバラ大学のリチャード・ウェラー医学博士。

皮膚が紫外線にさらされると、皮膚細胞に蓄えられた一酸化窒素が放出されることで、
血管が広がり、血圧が下がるという。
実際に日焼けマシンを使った実験では、使用後1時間で血圧が下がったことが確認されたという。

「紫外線により、血管拡張物質である一酸化窒素が皮膚から放出され、
この一酸化窒素がサイクリックGMPを活性化します。
これが血管の太さを調整する血管平滑筋に働いて、動脈を拡張させるのです」(東丸名誉教授)
             

☆子どもの近視抑制に効果あり?

さらには、脳の視床下部や松果体が光を感知することで、自律神経の調整が行われ、交感神経が抑えられる。
これらの総合的な作用により、血圧が下がるのだという。

むろん、日光を浴びるメリットは、それだけじゃない。
体内でビタミンDを作る作用もある。

「ビタミンDには、骨の成育に必要なカルシウムの体内吸収を高めるだけでなく、
免疫作用をアップするなど、病気の予防効果があることがわかっています」(東丸名誉教授)

逆にビタミンDが不足すると、骨へのカルシウム沈着障害が起きて、
骨粗しょう症やくる病などの病気を発症させる原因になるといわれているほか、
がんなどの病気の罹患率を高める可能性が指摘されている。

ビタミンDは、魚やキノコなどの食べ物に多く含まれているが、
食物だけで必要量を確保するのは難しい。
紫外線を浴びることで、皮膚のなかで生成する必要がある。
             

驚くべきは、最近の研究で紫外線にきわめて近いバイオレットライトと呼ばれる太陽光を浴びることで
近視の進行を抑制する可能性が報告されていることだ。

眼科専門医で清澤眼科医院(東京・江東区)の清澤源弘院長が言う。
「慶応大学の研究チームが昨年末に発表しました。
紫外線と可視光線の中間にあたる波長360~400ナノメートルの光を浴びた近視のヒヨコは
近視の進行が抑制されただけでなく、近視抑制遺伝子の数値が上昇していることがわかったのです。

臨床研究からもバイオレットライトが通過するコンタクトレンズを装着している人は
そうでない人に比べて、近視の原因のひとつとされる眼軸長の伸長が抑制されることが判明したそうです」

この研究のキッカケは、同じ中国人でもシンガポールに住む子供に比べて、
オーストラリアに住む子供の方が、近視になる率が低かったから。
原因を調べたところ、遺伝や読書時間などよりも、戸外での活動時間に近視との相関関係が強かったという。
とはいえ、紫外線を浴びることは皮膚がんや目の病気につながるのではないか?

「紫外線を浴びるといっても、必ずしも直射日光に皮膚や目をさらす必要はありません。
天気のいい日なら、木陰にいるだけでも十分です。
それも1日数十分程度でいいのです」(東丸名誉教授)
             

そもそも日焼けが皮膚がんを発生させる率は、
一般的に考えられているよりも、ずっと低いことがわかっている。

スウェーデン女性を20年間追跡調査した研究では、
太陽光を避ける群は、積極的に浴びる群よりも寿命が0・6~2・1歳短くなると見積もられている。

白内障や加齢黄斑変性症、網膜色素変性症など目の病気のリスクの高い人は
サングラスで目を守る必要があるが、健康な人はさほど紫外線に神経をとがらせる必要はなさそうだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

このように私は学び、微笑んだりした。

私は今年の三月、遅ればせながら紫外線について、学んだりした。

目は光を通して、私たちの「視界」を脳に伝えてくれる大切な器官で、
ただ、目の表面は寝ているとき以外、つねに外部にさらされているため、皮膚と同様、紫外線の影響を受けやすいものです。

紫外線を浴び続けることで、眼球の構造上、角膜や白目を覆う結膜が傷つき、
眼球の奥にある網膜や黄斑部にも影響を及ぼし、目の細胞修復に支障をきたす場合もある。

そしてレンズの役割を果たす水晶体は、ヒアルロン酸など保水性のある成分から生成されるため、
目を健康に保つためには、乾燥も防ぐ必要がある。

そして紫外線の影響は、真昼の日光によるものが大きいと思われがちであるが、
朝日や夕日の太陽にも、紫外線は多分に含まれ、朝夕は真昼と違い、太陽が低い位置にある。

真昼の紫外線は、朝夕より強いものの、太陽の位置が高いため、まゆ毛やまつ毛が目を守ってくれ、
反対に朝夕は、目が紫外線を直に受けやすく、ダメージの原因となりやすい。

日の光を浴びたときに目がしみるように痛む場合、放っておくと症状が悪化し、
知らぬ間に「紫外線アレルギー」になってしまう場合がります。
そうすると、白内障や緑内障、ひいては失明の危険も高まる。

女性なら日傘や帽子、サングラスを日常的に利用している方もいますが、
男性でも、外側からの目のケアとしては、サングラスのほかにUVカットのメガネやコンタクトレンズという手段もあり、
目の不調がひどい方は取り入れて必要がある。
             
このように私は学び、やはりUVカットのサングラスが必要だ、と思いを深めたりした。
             

一昨年の晩秋、最寄駅の近くにある眼科専門医院に於いて、私は白内障の手術を受け、
手元から遠くまで見える多焦点眼内レンズを挿入して頂き、
やがて左眼は1・0、右眼は0・9前後となり、メガネが不必要となった。

そして私は高校生より何かと酷い近眼で、劣等感のひとつであったが、
近眼のメガネから解放されて、戸惑いながらも、これ以上の吉報はないかしら、と悦んだりした。
             
やがて昨年の春の陽射し、そして初夏の陽射しを受けながら、UVカットのサングラスが必要かとら、
と思い、駅前のメガネ屋さんに寄ったりした。

そして多彩なUVカットのサングラスを販売員の御方から私は説明を受け、
三つばかり私は掛けたりしたが、陽射しのある方角を視たりしたが、余り変わらないなぁ、
と思ったりした。

こうした根底には、やはり高校以来55年ぐらいメガネから解放された歓びがあり、
わざわざサングラスを掛ける必要がないよなぁ、と思いがあったりした。

私は長年、酷(ひど)い近眼で0.03ぐらいの視力で、メガネを掛けても、0.7の視力となっていた。
そして50歳頃までは、夏のまばゆい陽射しを感じた時は、度入りのサングラスを掛けたりしていた。

しかしながら昨年の夏の陽射し、秋の陽射しを受けながら、
帽子を深くかぶり、メガネから解放された歓びで、ひたすら散策してきた。

やがて家内から私の顔立ちを見て、陽に焼けて顔が黒くなったわょ、と私は幾たびも言われて、
クロちゃんかょ、と私なりに微笑んだりしてきた・・。
             

こうした軌跡もあったりしたが、今年の三月、まばゆい春の陽射しを受けている中、
紫外線の実態を学び、やはり遅ればせながらサングラスが必要だ、と老ボーイの私は気付いたりした。
             
そしてUVカットのサングラスの中で、紫外線を1%しか通さない紫外線透過率1%を、
平素用、都心に外出する時にと、ふたつ選定して、これ以来まばゆい陽射しの中を歩く時は愛用している。
             

そして今回、『浴びないのは実は不健康 太陽光が体に良い「3つの理由」』を学び、
これからの熱い時節に、陽射しを受けながら、颯爽と歩き、
たとえ昨年と同様に、クロちゃん、になっても、ひとつの健康体のワッペンかしら、と微笑んだりした。

しかし女性の場合は、日傘を差して白いワンピースを召して歩く、
或いは大きな婦人帽をかぶり、サングラス、腕はUVカットした長い手袋のような容姿、
このようなご近所の奥様と、私は買物とか散策で住宅街でお逢いして、談笑してきたが、
今年も・・と思い馳せたりしている。

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体重を減らしたく、老ボーイの私は一大決心をして、ここ三日ばかり微苦笑を重ねて・・。

2017-05-27 17:27:41 | ささやかな古稀からの思い
私は年金生活している72歳の身であるが、身長170センチ、体重は76キロ前後がここ数年続いていたが、
ここ数が月は、体重が78キロになった時もあり、体重を減らしたく、ここ三日間に於いて大幅に食事内容を変えて、
昨夜は76・5キロとなり、微苦笑した後、もう少しだよねぇ、心の中で呟(つぶや)いたりした。

もとより肥満体は糖尿病になる早道と専門家より公言されているし、
糖尿病から認知症もなることがあると学んだりし、私は認知症だけは困苦するので、
やはり私の場合は日常生活を過ごすのは、おまけながら75キロが理想と思ったりしている。
                        

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯を半合ばかり盛ったお茶碗、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、シラス干し、福神漬けを必須として、これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを
加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。
             

昼食は私はホット・コーヒーを飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。
しかしながら昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
                                                               

やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など200グラム程度に、いずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

こうした中で、5日毎にウィスキーの濃い水割りを飲んだりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような食事内容が、真実一路のように変化がなく、ここ三年は変わらず続いている。

          
こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。
                          
          
私はスポーツもしなく、これといった運動もしない老ボーイであり、日頃は歩く程度となっている。
過ぎし12年半まえ、年金生活を始めた当初、 日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
                                        

こうした食事、散策をしてきたが、やはりご飯、肉類は食べ過ぎとなり、体重が増えてしまい、
ここ三日前より、大幅に変わっている。

朝食のご飯は、少し減らした0.3合となり、代わりにキュウリ、トマトなどを食べたりしている。
そして昼食は、八枚切れ食バンをたった一枚にスライスされたハムをはさみ、そしてヨーグルト、リンゴだけとしている。
やがて夕食は、肉類200グラムを半減して、キュウリ、トマトなどを食べたりしている。

これ以外は従来通りに賞味してきたが、こうした関係で、1.5キロばかり、体重は減少している。


もとより健康でなければ、私でも日頃のささやかな願いも叶わないので、
これからの自立した健全な生活を継続するには、やはり程度な体重が大切なこと、改めて思い重ね、
実行を始めた。

そして拙(つたな)い私は、歩くこと、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
新たにセカンドライフの私なりの健康体と信愛している。

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高齢者の生活支援サービス続々 家族の負担減にも・・、遅ればせながら私は学び、朗報だ、と呟(つぶや)き・・。

2017-05-26 16:28:20 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【NIKKEI STYLE 】を見ていたら、
【 高齢者の生活支援サービス続々 家族の負担減にも 】と見出しを見た・・。

私は72歳、家内は67歳の高齢者夫婦であるが、子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

しかしながら齢を重ねるたびに、体力の衰えを実感し、二人で一人前、と思ったりする時もある。
いつの日にか、どちらかが介護の要支援などになってしまった時は、
やはり高齢者の生活支援サービスがあれば・・と漠然と話し合ったりしている。

こうした心情を秘めた私は、どういう生活支援サービスが受けられるの、と思いながら記事を精読してしまった。
            
この記事の原文は、『日本経済新聞』の夕刊で、2017年5月18日に掲載された記事のひとつで、
保田井建さんが記載され、関連ネットの【NIKKEI STYLE 】に5月26日に配信された記事であり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・高齢者の生活支援サービス続々 家族の負担減にも
             

高齢者の在宅生活を支える有料サービスが、相次ぎ登場している。

掃除や洗濯、ちょっとした困り事を請け負う。
介護保険では対象にならない日常生活のお世話が、主な内容。

保険外サービスは、高齢者夫婦が互いを介護する老々介護の場合など、家族も利用でき、
うまく活用すれば家族の負担も軽減できる。

サービスの現場を訪ねた。
5月上旬の昼、東京都板橋区の高島平団地。

「お久しぶりです」と明るくはつらつとした声の主は、
高齢者の生活支援サービス、御用聞き(東京・板橋)の古市盛久社長(38歳)。

訪れたのは、団地で一人暮らしをする大竹玉枝さん(77歳)宅。
古市さんは、大竹さんから居間のパソコンコーナーの移設とテレビ裏の配線の整理などの模様替えを頼まれた。

「家電製品の取り扱いは、お年寄りにとって難題」
と話す前掛け姿の古市さんはテキパキ仕事をこなす。
所要時間20分。

「今日は1200円です」と古市さん。
模様替えや家具の移動は、5分で300円だ。

「助かるわ。また頼むわね」
と話す大竹さんは、古市さんとの会話も楽しみにしている。

古市さんが事業を始めたのは5年前。
顧客の大半が、要介護状態で独居する人や要介護の夫と、夫を介護する妻の二人暮らしの高齢者だ。

「高齢者が苦手な電球の交換や水回りのパッキン交換は、公的な介護保険の対象サービスにはない。
保険外の分野で地域貢献したい」と古市さん。

公的な介護保険は、65歳以上で認定を受けた人と
特定の病気で介護が必要な40歳以上の人が、利用できる仕組み。

介護必要度に応じたサービスを受け、利用者は原則、費用の1割を負担する。
在宅の場合は、介護ヘルパーによる身体介助や自立のための生活援助などだ。
             

介護保険の対象メニューは細かく決められている。
例えば食事を作るのは、要介護者のためであり、
同居する高齢者であっても、世話をする人の分は、作らない決まりになっている。

首都圏と大阪で在宅介護事業を展開するセンチュリーライフ(東京・港)は、
家族の世話をする人の生活支援も、1時間2500円で引き受ける。

利用者にとっては「顔なじみで信頼できるヘルパーが指定された時間に
食事を調理して取り置いてくれるなど、安心感がある」
と同社の介護支援専門員の近藤貴子さん。

家事全般だけではない。訪問看護のホスピタリティ・ワン(東京・港)は、
入院中の高齢者が一時退院する際に、看護師を自宅まで付き添わせるサービスを実施している。

介護保険に基づく訪問看護は、入院中の人は使えず、
一時退院した要介護者の世話は、病院を出た時から家族などが担うことになるからだ。

料金は1時間6000円からで、4時間ほど使う人が多いという。
「退院させて、在宅介護が可能なのかどうかを見極めたい、と考える家族などが利用する場合が多い」(高丸慶社長)。
             

自治体も保険外での生活支援サービスを始めている。
東京都新宿区の「介護者リフレッシュ支援事業」は、認知症の高齢者を介護する人の家事を援助する。

同区内に住む54歳の女性は
「81歳の父の介護で鬱になりかけたが、区に相談して支援を受け、精神的な疲れが和らいだ」と振り返る。

国の社会保障費は、膨らむ一方。
特別養護老人ホームをはじめとする施設の増設は難しく、在宅での介護を推進する流れにある。
そんななか、保険内と保険外のサービスを一体化させ、高齢者の利便性を高めようとする考えが広がる。

ただ一方で、一体化するほど
「どこまでが保険内でどこからが保険外かが曖昧になり、料金トラブルが多発しかねない」
(大手介護事業者)といった声もある。

利用者とその家族は、内容や料金体系について、事業者に確認したほうがいい。
在宅サービスは、高齢者が単独で受けることもあるため、
それを悪用して高額の料金を請求するケースもある。

不審に感じたら自治体や地域包括支援センターなどに相談してみよう。
             

☆在宅医療でも負担減の動き

在宅医療の世界で、医師と看護師だけでなく、相談員として患者宅まで社会福祉士を同行させ、
患者と家族双方が抱える様々な負担をケアする動きが出てきた。

東京都町田市の「在宅療養支援クリニック かえでの風」はその一つ。
昨年1月に社会福祉士を採用し、現在2人でケアする。

最期は自宅で迎えたいというニーズが高まり、よりよいケアを実現するため社会福祉士に注目した。
社会福祉士の佐藤淑子さんは、患者の死後、家族に寄り添い悲しみや喪失感をサポートするグリーフケアに力を入れる。

グリーフケアでは、死を前にした患者に佐藤さんが代筆の形で、
人生を振り返ってもらったり、大切な出会いを語ってもらったりする。

書面は死後、家族に渡す。
家族への感謝をつづったものが多く「残された家族の癒やしになり、喪失感が軽減される」と佐藤さんは話す。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は恥ずかしながら、テレビ裏の配線の整理、水回りのパッキン交換などは、
苦手で少し苦闘しながらしてきたので、こうした有料支援サービスがあると、朗報だ、と呟(つぶや)いたりした。

或いは、まさかの出来事で、家内に死去されて、私が『おひとりさま』になった場合、
入院中の高齢者が一時退院する際に、看護師を自宅まで付き添わせるサービスは、
退院させて、在宅介護が可能なのかどうかを見極めたい、と主旨に微笑みを感じたりした。

私はいつの日にか、大病となり、やがて退院となり病み上がりとなった時、
不安を秘める中、頼りになる有料支援サービスだ、と思い深めたりした。

やがて2025年になれば、団塊世代の殆ど御方は、75歳以上の後期高齢者となり、
こうした中で、多彩な有料支援サービスが展開し、実施されると思いながら、
それぞれの御方は、選択してサービスを利用されれば、更に前向きに生活を過ごされる、と思い重ねたりした。

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介護は平均14年、3800万円もかかる、遅ればせながら学び、動顛した後、やがて微苦笑して・・。 

2017-05-25 14:31:18 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの『マネーポストWEB』の『暮らしのマネー』コーナーを見ている中で、
【 介護は平均14年、3800万円もかかる 知っておくべき費用の実情とまずできる対策 】と題された見出しを見た・・。

私は年金生活の72歳の身であるが、5歳若い家内と共に過ごしているが、
私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、早や年金生活13年生となっている。

しかしながら日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの平成27年には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中、『健康寿命』と『平均寿命』の間は、介護を要する期間であり、誰しも難題と思い深めたりしている。

私たち夫婦は、子供に恵まれなかったので、頼れる人もいなく、
やがていつの日にか介護・要となった時は、やむなく介護施設に・・ときおり漠然と話し合ったりしている。

こうした心情がある私は、謙虚に介護の概要を学びたく、記事を精読し、多々教示されたりした・・。
             

この記事の原文は、ケアマネージャーを7年経験して、
現在は現役で老人ホームの施設長を務める介護に精通されている佐々木政子さんが、
『マネーポストWEB』に連載されている寄稿文のひとつである。

そして今回の記事は、『マネーポストWEB』に2016年11月28日に配信されていたが、 無断ながら転載させて頂く。

《・・介護は平均14年、3800万円もかかる 知っておくべき費用の実情とまずできる対策

若いうちは考えもしなかった御両親の介護。
突然介護をしなくてはならなくなった時、1番悩まれるのは、介護に要する時間と費用です。
介護費用に悩んでいる方は、沢山いらっしゃるのが現状なのです。

今回は、まずできる対策をわかりやすくまとめてみました。
             

☆介護にかかる費用の内訳

要介護状態になったと仮定した場合、自宅を改修したり介護用ベッドや車椅子などの介護用品の購入を初期費用と言います。

生命保険文化センター「生命保険に関する全国実態調査」によれば、
初期費用で約343万円、毎月の介護費用で約19万円にのぼります。

そして介護期間の平均も、14年3カ月と言う調査結果が出ています。
これらを合算すると初期費用を含み、約3,792万円もの費用が掛るのです。

この結果だけ見れば、気が遠くなる様な金額です。
だからこそ公的機関が存在するのです。


介護保険制度とは、平成12年4月より始まった国の制度で、
介護が必要となった高齢者やその家族を社会全体で支えていく仕組みの事です。

40歳から被保険者として介護保険に加入し、その保険料と税金により運営されていますが、
介護保険サービスを受けられるのは、65歳からと定められています。

ただし40~64歳でも「特定疾患」にかかった場合は、サービスの利用は可能です。
他にも要介護認定など条件がありますので、厚労省のHPから確認してみて下さい。
             

☆介護で仕事を休業する場合は?

介護休業給付制度

家族を介護する為に、仕事を休まなければならない場合にも、制度は勿論あります。
正社員だけではなく、パート勤務の方にも適用されます。

ただし、介護休業終了後に退職を予定している場合は、給付対象外になってしまうので、注意が必要です。

また、一定の条件を満たす必要があるので、事前によく確認をしてから、
自分の今後の介護プランと合わせて、検討することをおすすめします。
             

☆介護保険だけでは追い付かない!

要介護、要支援の認定を受けた場合、認定ランクに応じたサービス及び支給限度額(月額)が決定されます。

しかし介護費用の全額が、介護保険から支給はされません。
支給限度額の1割(または2割)を個人が負担する事になっており、
限度額を超えるサービスは、全額が個人負担となってしまいます。

施設などに支払う費用がなく退所せざるを得ない、
その後どうすれば良いのかと悩んでいる方が、いらっしゃるのも現実となっております。

この辺りの問題については、おひとりお一人の現状や、お住いの地域のサポート体制によって解決策が異なります。
必ず対策はあるものです。

例えばご担当のケアマネージャーなどがお手上げといっても、
お近くの介護スタッフ、介護窓口や福祉の窓口まで足を運んでみましょう。
必ず良い知恵を貸してくれるスタッフがいるものです。
             

☆民間介護保険制度の利用

生命保険会社や損害保険会社が販売しており、最近では公的介護制度の上乗せとして、
加入される方も増えてきています。

公的介護保険は介護が必要になった時に、申込みをしてサービスを受けますが、
民間介護保険は保険金として支給されます。

そして公的介護保険では、65歳以上が要介護認定の対象の反面、民間介護保険は年齢は問いません。
しかし公的介護保険より、要介護認定の基準が非常に厳しい点があります。

保険会社により支払い基準が異なるので加入をお考えの時は、よく見極める事が重要ですね。
             

☆介護保険限度額を超えてしまったら?

自己負担額の上限を超えた分が、払い戻される制度です。
介護をしていく中で、デイサービスや特別養護老人ホームの利用は、超過傾向にあります。

高額介護サービス制度は、それらを利用し過ぎてしまった分を申請する事で、費用の一部を戻してくれます。

ですが、全てにおいて適用される訳ではありません。
例えば「住宅改修費」などは適応外です。
申請の際は、条件に合うか調べてから申請する様にしましょう。
             

☆いざという時の相談先は?

介護をする立場になるのは、何時やって来るか分かりません。
そうなってからでは、前述でお話した様に高額な費用が必要となる為、悩んでしまわれる事でしょう。
その時の状況により、相談する先も変わってきます。

介護保険サービスを適切に利用する為にも、地域の相談窓口が1番良いでしょう。
各市区町村の担当課(高齢者福祉課、介護保険課など)では、介護保険について相談して下さい。

他にも、地域包括支援センターやケースワーカーに直接相談されるのも良いですね。

最近では、ご近所に介護の看板を掲げている事業所をよく見かけると思います。
相談先に迷われたときには、町の介護サービスの事業所に声をかけてみましょう。
快くこの地域の相談窓口を教えてもらえるものですよ。
             

☆まとめ

少子高齢化が進む現在、介護に対し関心を持つ方は増えてきていますが、
介護の現実について、具体的に考えている方は少ないでしょう。
「備えあれば憂いなし」、早過ぎる事は決してないのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、我が家より遠方地で、独り住まいをしている。
昨年の5月より家内の母は『要介護2』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした時は、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしているが、
家内から当然ながら家内の母の状況を聞いたりしている。

過ぎし3年前、家内の母は初めて『要介護1』となった時、
私は在宅介護をする場合、介護保険サービスの居宅サービスとして、
一か月に利用できる介護保険の利用限度額を聞いたりしてきた。

◎介護給付・予防サービス

要支援1 ・・・  5万30円
要支援2 ・・・ 10万4,730円
 

◎介護給付・介護サービス

要介護1 … 16万6,920円
要介護2 … 19万6,160円
要介護3 … 26万9,310円
要介護4 … 30万8,060円
要介護5 … 36万650円 
  
そして限度額の範囲内であれば、1割を自己負担することで利用でき、
ケアマネジャーの進言に基づき、ベットは買い改め、手すりなど設けたりしたが、
家内の母は安堵しながら、微笑んだ、と私は家内から聞いたりしてきた・・。
             

最近、私たち夫婦が学んだことは、
77歳になったら、要介護認定調査を受けること、
そして要介護にならない人が多数ですが、『要支援1』の認定は意外に多い、と知ったりした。

こうした中で、要支援1と認定されると、ケアマネージャーこそ付かないが、
行政の担当者が目配りしてくれるようになり、状態が変化したときに、認定調査を受けるのがスムーズになる。

また、予防給付金を利用して、ヘルパーやリハビリ施設の利用、段差解消工事も1割~2割負担で出来る。

そして財政が豊かな自治体では、浴槽の変更工事の助成もあるので、
早い段階で介護申請することのメリットは大きい。

高額になると思いがちな施設入居は、公設のケアハウスなどは、年金収入より利用料が、かなり安い場合が多く、
バランスのいい食事と転びにくい環境で、健康寿命が延びる可能性が高い。

その結果、生涯介護費用が安くなる可能性が高まる。
             

このように学び、ターニングポイントは、77歳と知り、
私は今年の9月に誕生日を迎えると73歳となり、自助努力して、何とか健康的に自立した生活を過ごして、
幸運にも77歳を迎えた時、『要介護認定調査』を受診しょうかしら、と思ったりしている。

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『熱中症セルフチェック』危険度をその場で判定、高齢者の私は、初めて学び、頼りになる指示棒と感じ・・。

2017-05-24 14:19:04 | ささやかな古稀からの思い
先程、ネットでニュースを見ている中で、
【 熱中症セルフチェック、危険度をその場で判定 】と題された見出しを見た。

私は都心の郊外の調布市に住む72歳の年金生活の身であるが、
5月20日の土曜日より30度近い突然の熱さに困苦し、
気候の神々の采配に戸惑い、今から熱くなったら、今年の夏はどのようになるのょ、と苦笑したりした。

もとより熱中症は私に取っても天敵であり、初めて知る『熱中症セルフチェック』は、
どのようなことなの、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、学生の教育や生活・健康に関するニュースを保護者や先生を対象に毎日配信する【ReseMom(リセマム)】公式サイトで、
奥山直美さんが記載された文で、2017年5月23日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・熱中症セルフチェック、危険度をその場で判定
             

日本気象協会は、新コンテンツ「熱中症セルフチェック」を公開した。
パーソナルデータから、現在の熱中症の危険度を算出し、簡易的に判定してくれる。
スマートフォンなどで、外出先の熱中症危険度もその場で調べることができる。

日本気象協会では、「熱中症ゼロへ」プロジェクトを推進しており、
名古屋工業大学・東北大学と共同で研究した熱中症リスクの評価技術を応用して、
「熱中症セルフチェック」を開発した。

「熱中症セルフチェック」は、個人ごとの熱中症の危険度を簡易的に診断する新しいコンテンツ。
従来の気象情報に加え、「年代」「活動レベル」「現在地」を選択することで、
その環境に1時間いた場合の熱中症危険度が4段階レベルで診断される。

チェック結果では、選択内容と気象条件をもとに、発汗量や体温上昇量を算出。
その環境に1時間いた場合に、どのくらいの量の水分が失われるかを
「コップ半分(100ml)程度」などとわかりやすく表示して、水分補給や休憩の目安を伝える。

外出先での熱中症危険度をその場で調べられるよう、スマートフォンでも利用しやすいユーザーインターフェイスを採用。
熱中症の症状や予防対策、応急処置のポイントも解説している。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

こうして「熱中症セルフチェック」の解説文を読んだ私は、
無念ながらスマートフォンは使えない私は、パソコンで日本気象協会の「熱中症セルフチェック」を開き、
https://www.netsuzero.jp/selfcheck
こっそりと受診して、高齢者の方でも簡単で的確だ、と微笑んだりした。


私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

そして定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
             

やがて帰宅した後、独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりしている。

こうした中で、熱い時節になると、私の容姿として制服のようになった半袖のスポーツシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしてきた。
         
しかしながら燦々と陽射しが照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落ちる・・。
          
やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。

こうした時、ときおり ♪しあわせは 歩いてこない  だから歩いて ゆくんだね・・
【『三百六十五歩のマーチ』 作詞・星野哲郎、作曲・米山正夫、唄・水前寺清子 】
と何かと単細胞の私は、1968年(昭和43年)の頃に流行(はや)った歌を心の中で唄い、歩く時もある。

私は特にスポーツはしていないが、このように私は歩いたりしている程度であり、
体力の衰えを実感している私は、この程度で充分と思ったりしている。
                          

しかしながら35度前後の猛暑の時は、最寄駅から利便性ある路線バスに乗車して、
バス車内のエアコン冷風に甘えて、甘享したりしてきた。

或いは自宅の近くにある遊歩道を少しばかり歩く程度となり、さぼったりしてきた。
もとより熱中症で倒れて、目覚めたら病院のベッドだったことは困苦するので、
回避してきた・・。

今回、日本気象協会が提供して下さった『熱中症セルフチェック』は、
これから熱くなった日には、私にとって頼りになる指示棒と感じながら、微笑んだりしている。

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五輪真弓さん本人が語る「恋人よ」の誕生秘話を学び、やがて私の若き時の秘めたることを思い馳せて・・。

2017-05-23 15:16:24 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ている中、
【 ヒット曲「恋人よ」の誕生秘話 五輪真弓本人が語る 】と見出しを見てしまった。

私は若き20代に、五輪真弓(いつわ・まゆみ)さんのデビュー曲『少女』(1972年)に瞬時に圧倒的に感銘し、
やがて『恋人よ』(1980年)にも、私はささやかながら秘めたることがあり、
この記事を精読してしまった。
         
この記事の原文は『週刊朝日』の2017年5月26日号に掲載された記事のひとつであり、
朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】に2017年5月22日に配信されて、
無断ながら転載させて頂く。

《・・ヒット曲「恋人よ」の誕生秘話 五輪真弓本人が語る〈週刊朝日〉
             

デビューしたのは、21歳のときだ。
アルバム「少女」は、ロサンゼルスでのレコーディングで、
五輪真弓さんのデモテープを聴いて、感銘を受けたキャロル・キングが駆けつけ、参加したことでも話題になった。

「スターになりたいとか、売れたいとか、そんな気負いは一切なかったですね。
ただ、社会に出ていくことで緊張していたし、不安もあったので、
当時のジャケット写真はだいたい表情が暗いの(苦笑)。

実際、生意気なところもあって、取材のときも、ほとんどしゃべらないものだから、
そのうちインタビューの仕事がこなくなっちゃった(笑)」

今でこそ快活な雰囲気だが、「あの頃の私にインタビューなんかしたら、きっと泣いちゃうわよ」などと、
ジョークまじりに言う。

華々しくデビューはしたものの、思うように曲が書けず、デビューして4年で、
スランプに陥ったこともあった。

「私の曲作りは、詞を書くことから始まります。
最初に書いた詞も、“小さいときの思い出を通して、今の心境を言葉にしてみたらどうだろう”と、そんな発想からでした。

一人で黙々と言葉やメロディーを紡いでいると、まるで天とつながっているような気分になれる。
私の大好きな時間でした。
             

でも24歳ぐらいで“書くべき自分の世界”を見失って、
ちょうどそんなタイミングで、フランスのレコード会社からアルバム制作の申し出があったんです」

日本を離れた暮らしの中で、初めて歌謡曲も含めた日本文化の素晴らしさに気づけた。
以来、日本的な情緒を歌詞やメロディーに加えるようになり、
「そういう経験があったから、のちに『恋人よ』のような曲を作ることができたんだと思います」
と五輪さんは振り返る。


「子供の頃、浴びるように洋楽を聴いていたとき、
英語はわからなくても、曲が言わんとしていることはわかった気がした。

私が詞にメロディーをつけるときも、伝えたいことをどうメロディーに乗せるかに腐心します。
私の音楽がアジアの国々で受け入れられるのは、
メロディーにも、私が言わんとすることを込めたいと考えて作っているせいかもしれない」

「恋人よ」が大ヒットしてからは、忙しい毎日を過ごしていた。
体調を崩し、「休みたい」と心と体が悲鳴をあげた頃に、今の夫と出会い、結婚。

子供が生まれたことをきっかけに、仕事をセーブした。
2013年以降は毎年秋にコンサートツアーを行っていたが、デビュー45周年の今年は、春からのツアーとなる。

「出産と子育てを経験して、私はようやく“人間形成”の時期に入ったの。
こんなふうに笑いながらインタビューを受けられるようになったのも、子供のお陰。

若い頃は、自分の世界を表現することに躍起になっていたけど、
今は人間として高得点を目指したい。
歌だって、今のほうが表現に深みが出ているはずだし(笑)」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

確か年金生活を始めて6年過ぎた頃、いつもように家内から依頼された買物で、
最寄りのスーパーで買物を終えて帰宅する途中、
橋の歩道がさわやかな風が吹いていたので、足を止めて身をまかせて受けていた・・。

そして、ぼんやりと遠方の情景を眺めていた時、脳裏からひとりの歌が突然に舞い降りて、
私は心の中で唄いだした・・。

♪枯葉散る 夕暮れは  来る日の寒さを もの語り
【『恋人よ』 作詞、作曲・五輪真弓、編曲・船山基紀、唄・五輪真弓 】
と心の中で唄いだしていた。

そして、この後の私は自宅に向かいながら住宅街を歩いたが、
真弓ちゃんの歌かょ、と微苦笑しがなら、私は五輪真弓さんの歌に魅せられた頃が浮かんだりした。
             

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋に大学を中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画・文学青年の真似事をして、はかなくも敗退し、
やむなくコンピュータの専門学校で一年学んだりした。

そして遅ればせながら1970年(昭和45年)の春に、この当時は映像・音響メーカーとして、
大企業であったが、何とか中途入社ができた。

この民間会社は、この中の一部に音楽事業本部があり、
数多くの大手のレーベルを傘下に収め、レコード業界の首位を独走していた。

まもなく、この中の大手レーベルが外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード専門会社に転籍させられた。

そして商品の現場を10ヶ月学んだ後、本社のコンピュータ専任者として配属されたが、
音楽に関しては、文学、映画の次の程度に関心がある程度であった。

やがて1972年(昭和47年)の初秋、私は日曜日で自宅でラジオを聴きながら、
身のまわりの整理をしていた。

♪あたたかい陽のあたる   真冬の縁側に
【 『少女』 作詞・五輪真弓 】
私は思わず手を止めて、ソファに座り、煙草に火を点(つ)けた・・。

♪つもった白い雪が   だんだん とけてゆくのを
【 『少女』 作詞・五輪真弓 】

私は楽譜も読めなく楽器も弾けない身であり、制作とは直接に関係ない管理畑であり、
音楽には拙(つたな)い感性を頼りに聴いたりしてきたが、
この『少女』を創られた御方は、感性の鋭い人と感じながら、瞬時に圧倒的に感銘し
初めて作詞・作曲し、唄っている人が、五輪真弓さんと知ったりした。
             

翌朝、会社で、たまたま私が朝礼の当番であった。

本社の営業本部、同じフロアーの営業所の数多くいる社員の前で、
私は前に立ちながら、ひととおり業務関係のことを云った後、
『・・CBSソニーさんから、凄い感性のある人でデビューします。
10月に発売されますが、五輪真弓という若い女性が・・『少女』というデビュー曲で・・感性と感覚が際立った人で・・』
と私は他社のアーティトであったが、半分得意げで云ったりしてしまった。

たまたま営業の本部長の所に、邦楽の制作本部長が打ち合わせて来ていたのを、
後で知った。

この後、一時間後に、私は制作本部長とエレベータの中で、偶然ふたりとなった。
『・・お前さんねぇ・・よく云うよねぇ・・』
と制作本部長は微苦笑されながら、私に云った。

私はもとより音楽業界のレコード会社は中小業が多く、
中堅のレコード会社で、コンピュータ専任者の身であったが、
この当時は、世間に対しても怖いもの知らずの27歳の時であった・・。
             

私は偶然に五輪真弓さんの『少女』をラジオで聴いた後、
レコードのアルバムの発売日に待ち焦がれ、『五輪真弓/少女』を買い求めたのは、
確か1972年(昭和47年)の10月の下旬であった。

この頃の私は、自室にレコード・プレイヤー、プリメイン・アンプ、そしてスピーカと、
この当時の普通の音楽ファンの機器構成で聴いていた。
しかし、この当時のオーディオ機器は、私の基本給の月収より数倍高く、私はローンで返済していた。

そして、私は帰宅後、このアルバムに夢中になり、殆ど毎日聴いていたし、
次兄にも賞賛をしたりしていた。

翌年の7月に『風のない世界』が発売されて、
特にこの中の一曲『煙草のけむり』には、この人の才能が満ち溢れている、
と友人らにも絶賛していた。
             

確か数年後であったと記憶しているが、
虎ノ門ホールで五輪真弓さんのコンサートがあり、この頃に交際していた女性と観たりした。

この女性はある音楽大学のピアノ専攻科を卒業したばかりで、
先生に師事しながら、ピアニストを熱望する人であった。

そして私はピアノを専攻する人に、気後(きおく)れしながらも、
ピアノを弾きながら自身の作詞・作曲され、歌を唄う五輪真弓のコンサートに、誘い出したりした。

この女性とは、コンサートの終了後に食事をしていた時、
虎の門ホールの音響、そして五輪真弓さんに関して才能のある人ね、と私に語ったので、
私は五輪真弓さんのデビュー以来才能を認めていたので、
この女性に同意されたので、私の心は小躍りのような状態であった。

この人とは、渋谷、新宿で幾たびか待ち合わせ、夕食を共にした後、自宅に送り、
この方の母親に可愛がって頂だき、親愛の情をしぐさを見せてくれたりした。

そして私は、自宅に来て貰ったり、私の実家にも連れて行ったりしていた。

このような時、有数なソプラノ歌手のコンサートが東京文化会館の小ホールで開催され、
伴奏としてのピアノを弾く担当に選ばれ、私は当然ながら、このコンサートを観たりした。

ただ会場、ロビーなどは演奏者はもとより、招待された方、音楽大学の卒業生、生徒たちの雰囲気が、
私の今までの人生で体験したことのない特有な雰囲気につつまれていた。
             

その後、まもなくして、私は結婚したい、と申し込んだ夜、
『貴方が思っているような・・サラリーマンの良い奥さんには・・なれないわ・・』
と云った。

確かに毎日10時間前後は、ピアノ弾いているので、
サラリーマンの普通の生活ペースは無理であるが、私は承知の上だ、
とこのような意味合いの言葉を重ねたりした。

数ヵ月後、貴方に負担をかけたくないの、と私は言われ、
私は失恋をした・・。

そして私は五輪真弓さんに関しては、スターとなった今、
何となく遠ざかり、シャンソンなど曲に夢中になり、深めていった・・。
             

私は数年後、妹の嫁ぎ先の親から、ひとりの女性を紹介され、
この人と結婚した。

私が家を建て始めて、ローンの負担が重苦しく感じ、数年続いた時、
私は懐かしい唄声を聴いたのである。

♪枯葉散る 夕暮れは   来る日の寒さを もの語り
【『恋人よ』 作詞、作曲・五輪真弓、編曲・船山基紀、唄・五輪真弓 】

私は思わず、真弓ちゃんだ、と心の中で叫んだりした・・。

そして、相変わらず、才能を発露させ、確固たるスターになった五輪真弓さんに、
しばらくぶりだったけれど、凄い詞を書いたよね、と心の中で祝杯したりした。

♪恋人よ そばにいて   こごえる私の そばにいてよ
【『恋人よ』 作詞、作曲・五輪真弓、編曲・船山基紀、唄・五輪真弓 】

私はピアノニストに熱望した人は、今はどうしているか解らないが、
私にとっては、若き日の貴重な苦い想いのひとつとなっている。
             

私は今でも五輪真弓さんの『恋人よ』を聴いたりすると、
このピアニストの演奏だけで、生活できるように熱望した女性が思い浮かび上がり、
私の若かった頃が蘇(よみが)ることが多い。

そして、ときおり思い出したかのように、かぼそい声で鼻歌を唄うこともある。

♪まるで忘却(ぼうきゃく) 望むよに   止まる私を 誘ってる
【『恋人よ』 作詞、作曲・五輪真弓、編曲・船山基紀、唄・五輪真弓 】

このように私には、五輪真弓さんの歌には、
齢ばかり重ねた私は、ささやかな想いでを秘めながら、聴いたりする時もある。

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“超手軽”に幸せになれる6つの方法、遅ればせながら高齢者の私でも学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-05-22 16:01:58 | ささやかな古稀からの思い
先程、ネットでニュースを記事を彷徨(さまよ)う中で、
【 “超手軽”に幸せになれる6つの方法 】と題された見出しを見てしまった。

私は高齢者の72歳の年金生活の身ながら、好奇心は強く、
どのようなことなの、と思いながらクリックして記事を読んだりした。

この記事は、初めて知る『週刊SPA!』が運営するニュースサイトの【日刊SPA!】のひとつの記事であり、
脳科学者・篠原菊紀さん、そして脳生理学者・有田秀穂さんに、石田恒二さんらが取材されて纏(まと)められた寄稿文であり、
【日刊SPA!】に2016年11月12日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・“超手軽”に幸せになれる6つの方法

大企業の経営悪化に未成年の自殺など、暗いニュースが目立つ現代。
実態以上に幸せを感じづらい中、些細なことで幸福感を覚えてる人も存在する。

こうした些細な幸福感の積み重ねが、日常のストレス緩和に役立っているらしい。
そこで今回、インスタントな幸福感のメカニズムを明かし、いつでも超手軽に幸福になれる方法を探ってみた!
             

☆幸福ホルモンを増やして、持続的に“幸福感”を得るには?

持続的な幸福感を得るには、どうしたらいいのか。
脳科学を専門とし、ホルモンの研究実績も豊富な篠原菊紀氏に話を伺った。

「やはり生活スタイルの改善が基本。
例えば、ハグやセックス、見つめ合うといった『スキンシップ』でオキシトシンが増加します。

運動も重要で、抗不安効果のあるGABAの働きが増し、セロトニンの分泌量が増えます。
さらに神経をストレスなどのダメージから保護するタンパク質・BDNFも増えるので、ストレス対処能力も高まります」

逆にストレスを増やしてしまう要因はなんなのか?

「運動不足によるストレス対処能力の低下やバランスの悪い食事はもちろん、
過去や未来を考えすぎることも、ストレスになります。

その場合は、瞑想などで“今ここ”に集中することも、幸福感を得る方法と言えるでしょう。
いずれにせよ重要なのは、適度に頭を使って運動をし、野菜や魚が豊富な食事を摂って、人と関わりを持つこと。

これは生活習慣病予防や認知機能低下予防と同じなのですが、
要するに脳を良い状態に保つことが、ウェルビューイング(健康で幸福な状態)に繋がるということです」
             

☆やはり“健やかな”生活こそが、最善の方法

脳生理学者の有田秀穂氏も同様の指摘をする。

「持続的な幸福感を得るには、セロトニンとオキシトシンを増やすのがいいでしょう。
セロトニンはドーパミンの過剰な分泌を抑え、不安感を取り除いて精神を安定させ、穏やかな幸福感をもたらしてくれます。

ドーパミンより刺激は小さいですが、高い持続性が魅力。
特にセロトニンは、『日光』と『疲れない程度のリズム運動』で増やせます。

5分以上の、日光浴や散歩を取り入れてみましょう。
全身運動が難しければ、ガムを噛むのでもOK。

食事ではセロトニンの材料となる栄養を多く含むバナナなどを取ることもオススメです。
3か月続ければ、セロトニン神経が鍛えられ、劇的な心の変化を実感できますよ」


一方のオキシトシンは、やはりスキンシップがキーワード。

「異性や友人と電話するだけでも、ある程度オキシトシンの分泌を促せます。
ただ、メールやラインでの活字だけのコミュニケーションだと、『左脳=言語脳』の処理になってしまいます。
絵文字やラインスタンプを駆使して、五感を刺激するといいでしょうね」

蔓延する「ストレス社会感」への突破口は、小さな幸福と同じく、身近なところにあるようだ。
             

<セロトニンを増やすコツ>

*日光を浴びる
*疲れすぎないリズム運動
*バナナや大豆、乳製品を取る

<オキシトシンを増やすコツ>

*パートナーや友人、ペットとのスキンシップ
*未来や過去を考えすぎたら瞑想
*メール、LINEは絵文字やスタンプを活用・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

記事を読み終えた後、人それぞれ倖せを実感するのは、
もとより生い立ち、学業、結婚生活など、その人なりの人生航路を歩んできたので、
受け止め方が違うよなぁ・・、と拙(つたな)い定年退職まで歩んできた私は、微苦笑したりした。
           
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
             

そして年金生活を当初は、現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

こうした中、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

或いは年金生活を始めた当初から、私は自主的に平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

そして私は、独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還したりしている。

こうした中、駅前に出た時は、殆ど本屋に寄って、単行本、新書本、文庫本、雑誌コーナーを見て、
読んでみたい誘惑に負けて、数冊を買い求めたりしている。

やがて買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
                                        

午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

このように拙(つたな)い私は、歩くこと、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体と信愛し、過ごしたりしている。
             

しかしながら人生は、想定していないことは多々あると私は学んできたが、
ときおり私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、
やがて一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
                           
やがて家内の母が『要介護2』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が『おひとりさま』の生活となり、
私たち夫婦の年金生活の予定事項が定まることが少なくなり、少し困苦する時もある。

そして何かとプラス思考の私は、これも人生だよねぇ、と微苦笑したりしている。

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年金生活をしている72歳の私、働いて下さる諸兄諸姉に、改めて感謝を深めて・・。

2017-05-21 15:08:17 | ささやかな古稀からの思い
今朝、いつものように配達して下さった読売新聞を見ている中、
『働く世代から集めたお金で成り立つ公的年金』と題された図表を見たりした・・。

この記事は定期特集の『安心の設計』が連載され、この中には『ニャるほど! 社会保障』があり、
今週は『公的年金って、どんな仕組みなの?』と題された記事であった。

読売新聞の安田武晴さんが綴られた記事であり、私が読み終えた後、
要旨は下記の通りとなる。

《・・公的年金は国が運営している年金制度で、民間の保険会社が運営する私的年金と区別するため、こう呼ばれている。

2017年度は55兆円が公的年金として、国からお年寄りなどに支払われる見通し。

55兆円のうち約7割は、働く世代の人たちが納める保険料。
約2割は国が集めた税金、
残りの約1割は、公的年金のために積み立てているお金などが充てられる。
             

そして年金を受け取るのは、お年寄りが主だけど、障害がある人、大黒柱を亡くした遺族も受け取れる制度。
お年寄りへ支払われる公的年金は「老齢年金」と呼ばれ、原則65歳になると受け取ることができる。

年を取ると多くの人は、若い頃のように働いてお金を稼ぐことが難しくなるので、生活が成り立たなくなってしまう。
だから社会全体で支え合う仕組みとして公的年金が必要。
働く世代の人たちがみんなで、お年寄りに仕送りをしていると考えればいい。

そして若い頃から自分で貯金しも、貯金だけで老後の生活を送れる人は少ない。
それに、何歳まで生きるかわからない。
老齢年金は死ぬまで受け取れ、金額は人によって違うけれど、

そしてお年寄り世帯の年間平均所得のうち、7割近くは公的年金が占めている。
暮らしに欠かせないお金だね。

若い人にも、事故や病気で障害を負った時には「障害年金」、
一家の稼ぎ手が亡くなった時には「遺族年金」が支払われる。
公的年金は年齢に関係なく、人生のリスクに備える役割がある。

しかし保険料を納めないと、原則受け取れない決まりになっている為、
20歳になったら、きちんと保険料を納める必要がある。

いま年金をもらっているお年寄りも、若い頃は保険料を納め、その時のお年寄りを支えてきた。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は中小業に35年近く奮戦してきたが、過ぎし2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始め、早や13年生となっている・・。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
             

今回の『働く世代から集めたお金で成り立つ公的年金』と題された図表を見たりし、
改めて55兆円のうち約7割は、働く世代の人たちが納める保険料、と知ったりした。

ここ数年、個人消費が延びない限りは、民間会社は剰余金が豊富でも、設備投資には積極的になれず、
結果として働いて下さる方の給与は、物価を上回る実質賃金の増加は困難となり、益々消費低迷となっている。

そして私は、何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

そして年金も現役世代が払う保険料で、高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。
             

私も40代の頃は、給与から『厚生年金』が差し引かれて、
こんなに差し引かれるのかょ、と微苦笑したりしてきた。

或いはこの当時、たまたま家内の父と年金の話題になった時、
『お義父(とう)さんは、年金生活を始められたが、5人でひとりをささえる時代であるが、
僕たちが年金生活を始める頃は、3人でひとりをささえる時代と思われるので、大変ですょ・・』
このような意味合い言葉を、私は家内の父に苦笑しながら言ったりしたことがあった。
             

周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。

そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

或いは国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、やがて10年過ぎた平成26年には415.0万円と知ったりした。
                   
こうした過酷の中で働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、このように熾烈な状況の中で奮戦する中、
「世代間扶養」の原則に基づいて、保険料のひとつ『厚生年金』を支払って下さり、
数多くの私たちの年金生活は支えられている現実がある。

更に私は、昨今学んだことは、《・・年収700万円世帯の手取り収入は、15年前に比べて50万円も減った。・・》
こうした現実に、無力な私は、瞼(まぶた)が熱くなってしてしまった。
                          

このような働いて下さる諸兄諸姉に心情を深めてきた私は、
今回の記事を読み終わった後、年金生活をしている私としては、改めて働いて下さる諸兄諸姉に感謝を深めている・・。

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「絶望の老後」を送らないために、『損しないためにやるべきこと、やるべき時期』一覧表

2017-05-20 14:15:55 | ささやかな古稀からの思い
私は昨日、講談社の公式サイトのひとつ【現代ビジネス】を見て、
この中のひとつの記事『「絶望の老後」を送らないために、やっておくべき30のこと』に喚起されて、
『「絶望の老後」を送らないために、やっておくべき30のこと、遅ればせながら高齢者の私は学び、多々教示されて・・。』
と投稿した。

そして最終ページに記載されていた『損しないためにやるべきこと、やるべき時期』三表に於いて、
何かしら添付することに、何かと利便性あるネットでも、ためらいがあり、省略した。
             

本日、朝8時より小庭の草むしりをしながら、汗まみれ泥まみれで奮闘する中、
やはり投稿文を読んで下さる御方には、尻切れトンボのように感じて、
【現代ビジネス】に甘えて、掲載しょうと思ったりした。

そして『「絶望の老後」を送らないために、やっておくべき30のこと』に伴い、
『損しないためにやるべきこと、やるべき時期』一覧表を掲載させて頂く。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51704?page=6
☆【現代ビジネス】「絶望の老後」を送らないために、やっておくべき30のこと☆
     ==>『損しないためにやるべきこと、やるべき時期』一覧表(三表)

私は30項目を読みながら、多々教示されて、できることは・・と思案したりした。

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「絶望の老後」を送らないために、やっておくべき30のこと、遅ればせながら高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2017-05-19 16:08:31 | ささやかな古稀からの思い
先程、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 「絶望の老後」を送らないために、やっておくべき30のこと   
              これだけで1000万円の差がつく! 】と見出しを見たりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

こうした中、高齢者72歳の私は、恥ずかしながら何かと無知なことが多く、
今回の標題《・・「絶望の老後」を送らないために、やっておくべき30のこと ・・》
やはり残こされた老後生活は困窮するのは、もとより困苦するので、少しでも学びたく、精読してしまった。

やがて記事を読み終えた私は、知らなかったこともあり、多々教示された・・。
             
この記事の原文は、『週刊現代』の2017年5月20日号に掲載された記事のひとつであり、
【現代ビジネス 】に5月16日の配信された記事のひとつであり、無断ながら大半を転載させて頂く。

《・・「絶望の老後」を送らないために、やっておくべき30のこと これだけで1000万円の差がつく!

80歳、90歳まで生きるのは、いまや当たり前の時代になった。
退職後の人生が、昔より劇的に長くなったからこそ、考えるべきはおカネのことだ。
できるだけ損はしたくない。
             

☆お得な公的年金の受け取り方

男性は79.55歳、女性は86.3歳・・。
厚生労働省が今年発表した日本人の平均寿命だ。

65歳まで働いたとしても、男性は15年近く、女性は20年以上生きる計算になる。
長寿は喜ばしいことだが、先立つものがなければ、老後は長く厳しいものになる。
つまり、カネだ。

60歳を超えてから、劇的に増やすことはできないかもしれないが、
いまからやっておけば、70歳をすぎて損をしない方法がある。

まずは、老後資金の一番の支えとなる年金だ。

経済ジャーナリストの荻原博子氏が話す。
「国民年金は65歳から支給されますが、希望すれば60歳から70歳の間で、もらう時期をずらすことができます。

たとえば、60歳からの繰り上げ支給を選ぶと、支給額は65歳からもらう場合に比べて、月3割減額されます。
長くもらえる分、総額は減る可能性があるのです。
損益分岐点は、77歳前後。
             

76歳までに亡くなると、60歳からもらいはじめたほうがよかったわけで、
77歳以降も生きれば、65歳からもらったほうがよかったことになります」

一方、70歳からの繰り下げ受給を選ぶと、65歳からもらった場合に比べて月々約4割強、支給額が増える。
この場合の損益分岐点は82歳で、これ以上長く生きれば、繰り下げ受給のほうがよかったことになるという。

「平均寿命がどんどん延びていて、80歳まで生きる人がザラにいることを考えると、
繰り上げ受給は、あまりお得だとは言えません。
年金は個人単位でもらうものですから、夫婦のどちらかが繰り下げるという選択肢もあります。

女性のほうが長生きであることを考えれば、夫の年金は65歳から受け取り、
妻は70歳から受け取るのがいいかもしれません」(荻原氏)

妻が年下で、厚生年金に20年以上加入していない場合は、夫の厚生年金に加給年金が加算される。

「妻が65歳になるまで、年に約40万円の加給年金を受け取れます。
この場合、夫が厚生年金をいつから受け取るかに注意をしてください。

繰り下げ受給を選択すると、その期間中は加給年金がもらえません。
仮に5年繰り下げると、最大約200万円を損するのと同じになってしまいます」
(ファイナンシャルプランナーの大沼恵美子氏)
             

1961年4月2日以降に生まれた男性から、年金は完全に65歳以降の支給になる。
会社員人生を送ってきた人にとって、無年金時代の支えになるのが、退職金だろう。

その退職金だが、近年は分割して年金として受け取る方法が人気を集めている。
一括で大金を手にして下手な運用に手を出すよりも、会社に運用をしてもらったほうが安心というわけだ。

「退職者が一時金ですべてを受け取るか、10年分割の年金で受け取るか、
一時金と年金に分けて受け取るかを選択できるケースが多いのですが、
どれがトクなのか、非常にわかりにくい。

結論から言うと、一時金でもらうのがもっとも得ということになります」(ライフカウンセラーの紀平正幸氏)

60歳で定年退職し、大卒の平均的な退職金2000万円を手にし、
65歳までは再雇用制度で勤務(年収350万円)、
65歳から年金(年間220万円)を受給するケースで紀平氏が試算した。
             

☆定年後のトクする働き方

退職金を一時金ですべて受け取った場合に比べて、
年金で受け取ると、所得税や住民税などを多く支払わないとならなくなる。
結果、一時金でもらうほうが、約120万円も得をするというのだ。

とはいえ、2000万円は大金だ。
定期預金に預けておいても金利がつかないし、かといって下手な運用で減らしたくはない。
どう扱えばいいか。

「老後資金は減らさないことを第一に考えなければいけません。
ただ、定期預金だけで持っていても、物価の上昇分は補えない。

なので、1000万円で10年満期の個人向け国債(変動金利型)を購入してはいかがでしょうか。
半年ごとに金利の見直しがあるので、物価の上昇局面でもある程度は対応できます。

残る500万円は定期預金、もう500万円は国内外の株式や債券で運用され、
かつ手数料の安い『バランス型投資信託』という運用が無難です。
バランス型投資信託は短期的にはマイナスになることもありますが、長期的に見れば年利2~3%になっています」(紀平氏)
             

人生は80年を基準に考えることが当たり前の時代になった。

体が健康ならば、60歳の定年退職後も働きたい。
そのとき、忘れてはいけないのが、失業保険と高年齢雇用継続基本給付金だ。

ファイナンシャルプランナーの横山光昭氏が解説する。
「定年退職後もそれまでの会社が再雇用してくれればいいですが、
条件が合わないなどの事情で雇用延長せず、再就職を目指しても、なかなか決まらないというケースもあるでしょう。

そんな場合は、定年退職後でも失業保険がもらえます。
65歳未満の給付は、退職前6ヵ月の平均賃金の45~80%で、65歳未満で勤続年数が20年以上なら150日間、
10年以上20年未満なら120日間です」

定年退職後に働き続けても、給料が大幅に下がるケースがほとんどだ。
そんなときには雇用保険に給与の差額を補填してくれる仕組みがある。

「条件は60歳から64歳で、給与が60歳時点の75%未満であること。
もらえる給付額は給与の低下の度合いによって変化しますが、
賃金が60歳時点の61%以下なら、15%が支給されます。
雇用保険の加入期間が5年以上あれば、最大5年間給付を受けることができます」(横山氏)
             

高齢になれば、大病を患う可能性も高くなる。
だからといって、高額な医療保険に入る必要はない。
国民皆保険の制度を適切に使えば、よほどのことがない限り、老後に破産することはない。

「がんなどの入院治療で高額の治療費がかかった場合、高額療養費制度を利用すれば、
一定額を超えた分の払い戻しを受けられます。
年収が370万円から770万円の間なら、月の自己負担額の上限は9万円。
それを超えた額は戻ってきます。

ただ、払い戻しまでの時間がかかるため、一時的な立て替えも高齢者にとっては大きな負担になります。

事前に医療費が高額になることがわかっているのなら、
限度額適用認定証を提出すれば、窓口での支払い金額は自己負担限度額までとなります。
病院にいるソーシャルワーカーに相談してみてください」(医療コンサルタントの吉川佳秀氏)
             

☆親の介護費は親の財布から出す

老齢の親がいる場合は、相続対策と、介護への備えが重要になる。

老親がふたりとも健在で、あなたにきょうだいが3人いる場合、
相続税には3000万円の基礎控除と相続人ひとりにつき600万円の控除があるため、5400万円までの相続は無税だ。

「これを超える資産を持っている場合は、
たとえば、孫への教育資金として1500万円を贈与すると、相続資産を減らせます。
あとは贈与税がかからない範囲、年間110万円以内で子や孫に贈与していくのもいい。

相続税を減らすためにマンションを買ったり、アパート経営をしたりすることは、避けたほうがいい。
現金よりも不動産のほうが相続税は安くなりますが、
受け取ったほうが管理や運営で、苦労することが考えられるからです」(ファイナンシャルプランナーの深野康彦氏)

70歳をすぎれば、いつ自らが要介護になっても、おかしくないだけに、長生きした老親の介護問題は切実だ。
多くの子供が考え違いしがちだが、親の介護費は子供ではなく、親自身が持つものだと考えたほうがいい。

介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子氏が言う。
「親の介護が1~2年で終わるのならいいのですが、実際はもっと長期間にわたるものです。
10年、20年と介護状態にある人はザラなんです。

いま80歳の親に対して、あと2~3年だろうと思って、介護資金の援助をしても、
100歳まで生きるかもしれないわけです。

そうすると、自分も介護を受ける年齢に、達してしまいます。
親の介護に自分の預貯金をつぎ込むとか、あるいは介護のために会社を辞めるだとかはありえない選択肢です」
             

看取りサポートを行う「チャプター・ツー」代表の三村麻子氏も、親の資産を洗い出すことが、まず大事だと話す。
「親に『いくら持っているの』と聞くと、『俺の財産を狙っているな』と誤解されますが、とんでもない。
財産を狙うどころか、よほどの金持ちでない限り、親の財産はイコール介護資金なんです。
その認識を親子で持っていただきたいですね。

いま、70代の高齢者は、お元気です。
だから、放っておくと、レジャーや買い物で、どんどんお金を使う。
この遊興費を節約しないと、将来の介護資金が不足し、子供が補填しないといけなくなります」
             

☆住まない実家は売る

ターニングポイントは、77歳。
自分がその年を迎えた時のことも、現実的にいまから考えておこう。

「77歳になったら、要介護認定調査を受けることをお勧めします。
もちろん、要介護にならない人が多数ですが、『要支援1』の認定は意外に多い。

要支援1と認定されると、ケアマネージャーこそつきませんが、
行政の担当者が目配りしてくれるようになり、状態が変化したときに、認定調査を受けるのがスムーズです。

また、予防給付金を利用して、ヘルパーやリハビリ施設の利用、段差解消工事や、
和式トイレの洋式トイレへの改修工事(上限20万円)も1割~2割負担でできます。

財政が豊かな自治体では、浴槽の変更工事の助成もあるので、
早い段階で介護申請することのメリットは大きいですよ。

高額になると思いがちな施設入居ですが、
公設のケアハウスなどは、年金収入より利用料が、かなり安い場合が多いですし、
バランスのいい食事と転びにくい環境で、健康寿命が延びる可能性が高い。

その結果、生涯介護費用が安くなる可能性が高まります。
90歳の主人の母は、入居して3年で貯金を100万円増やしたというのが、自慢なんです(笑)」(三村氏)
             

老親の介護認定に関して、認定調査には絶対に自身も、立ち会うべきだと専門家は口を揃える。

「要介護の認定は、当事者がケアマネージャーと自宅か病院で面接を行います。
面接は2~3時間で、ケアマネの問診で、要支援1から要介護5までの7段階で判定されます。
認定はこの時の一発勝負で決まると言ってもいいでしょう。

高齢者はこの際に、ケアマネの前で、張り切ってしまう人が多いんです。
普段は多くのことができないのに、
ケアマネの前で『たまには食事も作る』と強がったり、立ち上がったりしてしまう。

その結果、ケアマネは意外としっかりしているという印象を受けて、
実際より介護度の低い判定を出すことがよくあるんです。

絶対に子供が立ち会って、『親はこう言っていますが、できません』
と修正してあげることが重要です」(医療コーディネーターの川上憂子氏)
             

親が介護施設に入所するか、亡くなってしまった場合、住んでいた実家の処分が問題となる。
「相続する予定のマンションで、自分が住む予定がないのであれば、
できるだけ早く売ったほうがいいでしょう。
持っていると固定資産税などもかかります。

将来的に日本の人口は増えませんし、東京五輪の後には、マンション価格が暴落する可能性があります。
売りたくても売れない状況になる前に、手放したほうがいい」(前出・深野氏)

親が戸建てを持っている場合、事態は複雑だ。
放置していると、無駄なコストがかかる。

「一番大きいのは、固定資産税と都市計画税です。
地域によって税額が違うのですが、首都圏郊外の一戸建ての場合、年間15万~20万円くらいの税金がかかります。

税金以外にも、庭の手入れにおカネがかかったり、メンテナンスなどで手間がかかったりします。
親が存命であれば、生前に荷物を片付けてもらうよう、お願いしておきましょう。

土地の境界の確認も、早めにやっておくべきです。
いざ相続となり、売却しようと思っても、境界が確定していないと売れません。
土地家屋調査士や不動産鑑定士に依頼して、土地の権利関係を整理しておくことが大切です」(不動産コンサルタントの牧野知弘氏)
             

☆動けるうちに「プチ移住」

空き家を処分しないと税金が跳ね上がり、より損をすることになる。
牧野氏が続ける。

「倒壊などの恐れがあるとして『特定空き家』に指定されると、
固定資産税は6倍、都市計画税は3倍に跳ね上がります。

解体の費用も負担しなければなりません。
逆に、すぐ更地にしてしまっても、売れなければ、こちらも税金は6倍になってしまう。

不動産は5年、10年くらいのスパンで『実家処分戦略』を立てて、実行されることをお勧めします」
             

これは両親の自宅に限らない。
自身が70歳を迎えるときに、どこに住んでいるのか、具体的かつ現実的に考えておいたほうがよさそうだ。

「おカネのことは、結構計算をされていますが、
住まいに関しては『このままで』と考えている人が多いですね。

でも、5人家族で住んでいた、庭の広い家を今後、20年、30年と維持していけるのかを考えたほうがいい。

大きな家を維持するには、やっぱりおカネがかかります。
早めにコンパクトな住居に引っ越したほうが、後々困りません」(老前整理コンサルタントの坂岡洋子氏)
             

行動的なうちに、今住んでいる場所から「プチ移住」するのも手だ。

近場に引っ越すだけでも、生活コストは大きく下がる。
たとえば、東京都江戸川区から、川を挟んだ千葉県船橋市に転居したとしよう。

都内に比べると土地の評価額が低いため、まず固定資産税の節約になる。
さらに、国民健康保険料も市町村によって異なるので、この引っ越しで安くなる。
江戸川区から船橋市に移るだけで、夫婦ふたりなら年間3万9680円もお得なのだ。

「新たな人間関係もできて、後々、体が弱ったときも、助け合えます。
移住を積極的に受け入れている自治体を選ぶといいでしょう。

知人が長野県の安曇野に移住したので訪ねたところ、
周辺に暮らしている人の多くが、都会からの移住組でした。
『おかげで話の合う人が多くて助かる』と言っていましたね」(前出・荻原氏)

古希はあっという間にやってくる。
損をしないために、いまからできることはたくさんある。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
          
こうした中、私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。

しかしながら、この間、私は日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの平成27年には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中、『健康寿命』と『平均寿命』の間は、介護を要する期間であり、誰しも難題と思い深めたりしている。

私たち夫婦は、子供もいなく頼れる人もいないので、やがていつの日にか介護・要となった時は、
やむなく介護施設に・・ときおり漠然と話し合ったりしている。
             

或いは、人生は想定していないことは多々あると私は学んできたが、
ときおり私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。

私が定年後する直前に、家内の父が病死され、家内の母は我が家より遠い地で、独り住まいとなっている。

そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
11年ぐらい恒例となっていたが、これくらいは私にとっては気分転換で良好と思ったりしてきた。

やがて一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
                           

やがて家内の母が『要介護2』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が『おひとりさま』の生活となり、
私たち夫婦の年金生活の予定事項が定まることが少なくなり、少し困苦してきたことも事実となっている。

『お義母(かあ)さんは・・娘ふたりに介護されて良いけれど・・
我が家では子供もいないので、頼れる人はいないし、お互いの頑張りだよなぁ・・』
と私は微苦笑しながら、ときおり家内に言ったりしている。

『そうよねぇ・・あたし達が晩年期まで・・しっかりとしないと』
と家内は苦笑しながら、私に言ったりしている。
             

この間、確か10年前の頃だったと私は記憶しているが、
家内の母は月平均14万円前後で貯金を少しづつ崩しているが、長生きを考えると心ぼそいわ、
とこのような意味合いの言葉を、長女の私の家内に言った。

そして私は家内から聞いて、毎月少し融資を受けられる『リバースモーゲージ』を本格的に調べたりした。
『リバースモーゲージ』は、老後資金がどうしても不足してしまう場合には、自宅不動産を活用し、
自宅を担保にお金を借りて、慣れた自宅を手放さず、死亡後に担保を売却して元本を返済する方法である。

まもなく家内は関係先に孤軍奮戦した結果、家内の母の住む八千代市の社会福祉協議会より、
家内の母は、毎月3万円の融資を受けている。

家内の母は、家内に、お父さんの遺(のこ)された一戸建て・・私の老後で喰いつぶしてしまうけれど、
とこのような意味合いの言葉を家内に言った、と後日に私は家内から聞いた。
                         
私は家内に結婚してまもない時に、
お義父(とう)さんとお義母(かあ)さんが築きあげてきた財産に関して、
どのようにお使いになっても、僕は関係ないょ・・と私は家内に言ってきた。

こうした私の根底には、私が結婚する時、私の母から、
男子(だんし)たる者は、奥さんの実家の財産をあてにするのは、最低の男だからねぇ、
と私は叱咤激励されたので、もとより家内の母のいつの日にかの遺産は、あてにしてこなかった。

やがて家内の母は、年金に毎月3万円頂くので助かるわ、と家内に言ったと、
と私は家内から聞いたりして、悦んだりした。

そして家内の母は、自身の葬儀代を預けるから、と家内に程ほどの金額を振り込んだ、
と私は家内から聞いたりして、私は微苦笑しながら、
お義母(かあ)さんらしいねぇ、と家内に言ったりした。
                                                           
しかしながら私は家内の母に対して、たったひとつだけ困惑することがある。

年末年始の時節になると、独り住まいの家内の母に年末に我が家に来宅してもらい、
私たち夫婦と共に新年を我が家で過ごした・・。

こうした過ぎし7年前のある日、居間の炬燵に入り、食事をしたり、談笑したりすることが多かったが、
ある時、家内の母が、『あたし・・やっぱり・・百まで生きたいわ・・』
と呟(つぶや)くように家内に言ったりした。

まもなく家内から私は聞いたりした時、私は家内の母が100歳になる事は、私は86歳、家内も81歳の高齢者となるので、
私は困り果てて、勘弁してょ、と心の中で思いながら、笑ってごまかしたりした。
                                   
家内の母が百歳まで生きられたら、老々介護以前に、私たちのどちらかは片割れになるか、或いは夫婦ふたりとも死後の世界、
と思ったりしたのである。

人それぞれ永(なが)らえるのは、自助努力も肝要であるが、こればかりは神様か仏(ほとけ)さまの采配による、
と私は思い深めているひとりである・・。
             

そして家内の母は、娘ふたりに介護されている今、
『私・・このようになること・・思ってもいなかったわ・・』
と数が月前に、私に電話で詫びたりしたことがあり、私は微苦笑したりした。

そして私たち夫婦が、どちらかがいつの日にか死去して、おひとりさまになった時・・
予測した以上に多事多難があると思われるが、こうした事は、このサイトで私は幾たびか記載してきたので、
省略する。

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都心の郊外でも、大気が不安定となり、高齢者の私は10数年ぶりに雨宿り・・。

2017-05-18 18:03:16 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外の調布市に住む年金生活の72歳の身であるが、
今朝、天気予報をテレビで視聴すると、
《・・きょう18日(木)は、広く晴れますが、関東付近では、大気の状態が不安定になりそうです。
特に昼過ぎは、雷雨にご注意ください。・・》と報じていた。

私は何よりも驚いたのは、北海道の札幌市と沖縄県の那覇市が、最高気温25度前後と報じられて、
北国と南国が同じ気温は、10年に一度ぐらいかしら、と微苦笑させられたりした。

午前中、雲ひとつない快晴の中、いつもように家内から依頼された品を求めに、
スーパーに行ったりした。

やがて午後一時半過ぎに、散髪屋(理容室)に行ったが、少し待合室に待機していると、
雲ひとつない快晴から、黒い雲が流れるように空の一部を占領した。

そして一時間過ぎ、私は散髪を終えて、帰宅しょうとしたら、激しく雨が降りだし、
『XXさん、まもなく雨は上がると思われますので、こちらでゆっくりと・・』
経営者のご主人に私は言われて、待合室で雨宿りとなってしまった・・。

そして私より数分遅れて散髪を終えた私と同世代の御方も、激雨で戸惑い、
結果的には、私と同世代の御方、ご主人と三人で、待合室で談笑した。
             

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
付近の野川の遊歩道に見られる樹木、野花の情景、付近にあるスーパーが移転する情報など、
三人で談笑したりした。

やがて一時間過ぎると、小振りになり、私は散髪屋(理容室)を辞去し、
持参した折り畳み傘を差して、帰宅に向かったりした。

そして雨宿りをしたのは、確か年金生活を始めて翌年以来かしら、と微苦笑しながら歩いたりした。

やがて自宅で、家内から依頼された小用を終えて、本日のブログを綴りはじめたのは、
午後5時半過ぎとなり、いつもの午後3時前後に投稿している時間に、大幅に遅刻だよねぇ、と苦笑したりした。

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私たち夫婦の昨今の合言葉、10年早いじゃない、と互いに叱咤激励をして・・。

2017-05-17 16:23:52 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
            
過ぎし2004年〈平成16年〉の秋に、私は中小業に35年近く奮戦してきたが、定年退職となり、
何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始め、早や13年生となっている・・。

そして年金生活を始めた当初から、私は自主的に平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。
             

こうした中、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

そして年金生活を始めてまもない頃、私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
             

こうした中で、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったりした。

やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、  
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
        
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
             

私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。

しかしながら、この間、私は日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの平成27年には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中、『健康寿命』と『平均寿命』の間は、介護を要する期間であり、誰しも難題と思い深めたりしている。

私たち夫婦は、子供もいなく頼れる人もいないので、やがていつの日にか介護・要となった時は、
やむなく介護施設に・・ときおり漠然と話し合ったりしている。
             

私は70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。

数か月前、家内が視聴していたテレビ・ドラマで、私は何気なしに視て、
『この俳優さん・・齢を召されてきたが、相変わらず名演技をしているよねぇ・・』
と私は家内に言ったりした。

しかしながら俳優さんの氏名が言えなくて、内心は苦笑したりする。
やがて津川雅彦(つがわ・まさひこ)さんだったことに気付いたりしている。

そして『先程の俳優さん・・津川雅彦(つがわ・まさひこ)さんだった・・
俺も少しボケてきたかなぁ・・』
と私は照れながら家内に言ったりした。

『あなたぁ・・10年早いじゃない』
と家内は微苦笑しながら私は言ったりした。
             

家内は視力は2.0ぐらいの抜群であったが、
50歳を過ぎた頃から、戸惑いながら老眼鏡のメガネを掛ける身となっている。

私は高校時代から、酷い近眼でメガネにお世話になってきたが、一昨年の晩秋に白内障の手術の結果、
1.0ぐらいの視力となり、メガネ不要となり、55年ぶりかしら、と大いに戸惑いながら、微笑んだりしてきた。

家内は長年に於いて視力が良かった為か、老眼鏡のメガネを使い終わった後、
居間のテーブル、食卓テーブル、サイドテーブルなどに置き忘れて、
探すことが多く、どこに置いたかしら、と独り言を言ったりすることがある。

そして偶然に私は聞き、ふたりで探すこともある。

やがて家内は探し求めた後、『あたし・・少しボケたかしら・・』
と照れ隠しで家内は、私に言ったりした。

『XXちゃんさぁ・・10年早いじゃない・・お互いに気を付けようょ』
と私は苦笑しながら家内に言ったりしている。
             

昨今、私たち夫婦は、10年早いじゃない、ときおり互いに叱咤激励をして過ごすことが多く、
やはり齢かしら、私は微苦笑をしたりしている。

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