夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

桜花(さくらばな)咲く中を歩き、とりとめなく心を寄せる情景は・・。

2014-03-31 14:53:22 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
午前中のひととき、平素の買物専任者の私は、駅前のスーパーに向った。

私の住む地域は、平年は3月20日前後から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くが、
今年の冬は30数年ぶりの寒さだったので、10日ぐらい遅いかしらと感じたりしてきた。

私は桜花(さくらばな)に関しては、三分咲きに心を寄せたりした後、
やがて満開の情景にも愛(めでた)りしてきた。
          

或いは自宅の近くに流れる野川の桜並木の遊歩道を歩いたりすると、
花びらが散乱して、歩道の脇には絨毯のように花びらが重なったりする。

こうした情景を観ると、 私は立ち止まり、数多くの桜花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり微風が吹くと、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
やがて地上に落下する。

古来より、桜の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきたことに、
思いを重ねたりした・・。

私は桜花に関しては、3分咲きに魅了されるひとりであるが、
やはり花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散る光景に美を感じてきた。

このような情景に私は見惚(みと)れてたりしてきたが、
遥か1000年前の人たちも、私のように感じる人が多いかしら、と思わず微笑んだりしてきた。

そして私は桜花を観る時、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も大病もせず、天上の神々の采配で生かしてもらっている、と思いが強く、
毎年、花衣(はなごろも)の情景を眺めていると、過ぎし日々に愛惜を重ねることが多い。

或いは野川の水の流れを見たりしていると、
川面は陽春の陽射しを受け、光を帯びながら清き流れとなっていた・・。

そして川辺に枯れた薄(すすき)の群生に、桜花が重なっていて、
やがて水の流れに巻き込まれ、花筏(はないかだ)のように下流に向かい、ゆっくと流れていた。

このような桜花のうつろう情景に心を寄せてきた。
          

こうした中で、自宅の周辺の雑木林を歩き廻ったりしていると、
このようなところに桜があったことは知らなかったよ、と教示されることもある。

そして私は山桜を見かけると、 私が若き34歳の時、
自営業をしていた次兄が、資金繰りが破綻して、突然に自裁されたので、
私はこの山桜に心を託して、山桜の咲く時になると、次兄の言葉、しぐさを思い浮かべたりし、
何かとお世話になった次兄を思い馳せたりし、35年過ぎている。
          

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、その後は年金生活をしている身である。

私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしている拙(つたな)いひとりである。

春爛漫の時節を迎えた今、齢ばかり重ねた私でも、生きている歓びを改めて享受している。

このようなことを思いめぐらしながら歩いていると、
やがて駅前のスーパーが見えて、夢幻のような思いから現(うつつ)に戻り、私はスーパーに向った。

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春爛漫の中、私は家内のボディ・ガード兼お供で、買物に行けば・・。

2014-03-29 16:52:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の69歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

我が家の平素の買物は、私が年金生活を始めて以来、私は自主的に専任担当となり、
近くのスーパー、駅前のスーパー、専門店などに殆ど毎日独りで出かけている。

ここ2週間の前の頃から、スーパー、専門店に買物に行けば、
何故かしら平素より店内は込み合っていることが多く、
何かと鈍(にぶ)い高齢者4年生の私でも、消費税率が来たる4月1日より5%から8%となるので、
こうした影響かしら、と感じたりした。

その後、年金生活のわが家は、家内からの買物依頼品が増えて、
買物専任担当の私は、孤軍奮闘して、家内の要請に応じてきた。
          

こうした中で、昨日の昼下り、家内から、明日(あした)買い物に行きませんか、と私は告げられた。

何かしら消費税率の改定前に、数店ばかり廻って買い求めたい主旨であった。
『はい! 了解しました・・行きましょう』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく大きな声で応(こた)えた。

私は2004年(平成16)の秋に定年退職した直後から年金生活をし、
やがて高齢者の身になったので、何かと世情に疎(うと)くなっているので、
ボケてはいけない、と家の中でも明るく大きな声で家内と会話することが多くなっている。

そして私は何かと家事の大半は家内をしてもらっているので、
せめて家内のボディ・ガード、荷物持ちをして、お供をしなければ、
一家の主(あるじ)としての責務が果たせない、と私は齢を重ねるたびに深めたりしている。

我が家は恥ずかしながら自動車もなく、私は根がケチなせいか、利便性の良い路線バスには乗らず、
ひたすら歩くことが多い。
          

今朝、快晴の朝を迎えて、日中は5月下旬のような陽気となります、
と地元の天気情報は報じていた。

そして今年の冬は30数年ぶりの寒さとなったので、我が家の小庭にある水仙、白梅、紅梅などは、
平年より2週間ばかり遅れて、ときおり空を見上げて、
天上の気候の神々の采配に私は戸惑ったりしてきた。

ここ2週間は、きまぐれのように春暖の陽気に恵まれて、
昨日の28日には4月下旬のような陽気となり、私の住む地域は、桜の花は莟(つぼみ)が大きく膨らんで、
桜並木の多くの樹は、開花寸前の状況となっていた。

こうした情景であったので、本日は5月下旬のような陽気を迎えるので、
桜花は三分咲きかしら、と朝食前に私は思ったりしていた。


午前10時過ぎに私たち夫婦は、自宅を後にして20分ばかり歩き、
ホームセンターで、私の要望の庭の手入れの剪定用の鋸(のこぎり)、鋏(ハサミ)を買い求めた後、
家内は台所の用品を購入して、その後に15分ばかり歩くスーパーに向った。

やがて途中の住宅街の路を歩くと、数10本ぐらいの桜が満開となり、
私は家内共に長らく眺めたりした。
          

そしてスーパーの休憩室で私が待機している間、
家内は専門コーナーに於いて、エプロン、シーツなどを買い求めた戻ってきた時、
家内の常用している化粧品が品切れだったわ、と私に言ったりした。

私は資生堂の化粧品だったら別のドラッグ・ストアーに行けばあるょ、
と言いながら、私の知っている限りの7店ばかりのドラッグ・ストアー店名を家内に言ったりした。

この中で、家内のお気に入り店が、ここのスーパーから30分ばかり歩いた先にあり、
家内はためらったりしていた。

路線バスを利用すれば10分で着くよ、と私は言いながら家内を励ました。

結果的には、何かと運動不足の私たち夫婦は、春爛漫の中を歩いた・・。
          

やがてある駅前に到着した後、私が本屋に寄っている間に、
家内は2店目のドラッグ・ストアーで指定している化粧品が、買い求めることができた。

やがて遅い昼食として、食事処を少し迷った後、お寿司屋さんに寄って頂いた。

そして帰宅に向っで歩きだしたが、途中のわが家からの最寄のスーパーで、
家内は買物するわ、と言いだして、私は近くのベンチで待ちわびたりした。

私は春爛漫の中、久々に夫婦そろって買物をしたが、
利便性の良い路線バスにも利用しないで、ひたすら歩き廻り、こうした夫婦もめずらしいよなぁ、と微苦笑したりした。

そして私は今年の9月の誕生日を迎えると、70代入門の身となり、
家内は12月の誕生日で65歳となるが、こうした生活がいつまでも続けば良い、と思ったりしているが、
やがてはいずれのどちらかは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。

果たして私たち夫婦は何年先か、10数年か、或いは数10年先か解らないが、
今日のような語り合いながら共に歩くことができるのは・・と漠然と感じたりした。


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桜花、東京郊外に私の住む地域でも、恥じらうように咲き始めて・・。

2014-03-28 15:23:48 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
平素の買物専任者として、家内から依頼された品をスーパー、専門店などで買物の責務を終えた後、
自宅の周辺3キロ範囲の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりしている。

そして季節のうつろいを享受したりしているが、その上に何よりも認知症は避けたくて、
殆ど毎日のように歩いている。

こうした中で、10日前の頃から、早咲きとして名高い大島桜(オオシマザクラ)の親戚のように桜が咲き、
私は立ち止まって、見惚(みとれ)れたりしてきた・・。
          

その後も早咲きの桜にめぐり逢えて、やはり長らく眺めたりしてきた・・。
          

          

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に、結婚前後5年を除き、
63年ばかり過ごしてきた私としては、染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが、平年の慣(なわら)わしで、
過ぎし年の思いでも重ねて、愛惜感を深めたりしている。

このような思いもあり、桜花は染井吉野(ソメイヨシノ)、山桜(ヤマザクラ)、そして八重桜(ヤエザクラ)に、
私の場合は限る、と思ったりしている。


本日は暖かな快晴の朝を迎え、4月下旬のような陽気になります、
とテレビのニュースで報じられていたので、
私は買物を終えた後、自宅の付近に流れている野川の遊歩道を歩いたりした・・。
          

この周辺は桜並木のように100本ぐらい桜樹が並んでいるが、
平年ならば3分咲きの時節であるが、今年の冬は30数年ぶり寒さとなっていたので、
やはり染井吉野(ソメイヨシノ)も遅れている、と少し落胆しながら歩いたりした。

やがて大きく莟〈つぼみ〉が膨らみ、今にも咲きだしそうな枝先を見て、
まもなく開花だよねぇ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。
           
そして幹を眺めていた時、何かしら遅れてご免なさいと言ったように、
恥じらうように咲き始めていた桜花に、私は微笑んだりした。
          

私はサラリーマンの現役時代は、中小業の民間会社に35年近く勤めて、
陽当る表舞台のエリートコースには縁がなく、
裏方の管理畑が多かったので、何かしら幹におまけのように咲いているこの桜花に
心を寄せてしまったのである。

ほんの2輪ばかりであったが、私の住む地域でも、咲き始めたねぇ、
と応援したくなる心情で見つめたりした。

やがて私は帰路に向かいながら、明日も陽気に恵まれるので、
この桜並木は三分咲きで彩(いろど)るだろう、と思いながら歩いたりした。



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介護制度手続き、遅ればせながら69歳の私、初めて学び・・。

2014-03-27 14:40:58 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤めて定年退職した2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

この間、私が65歳になる直前に、調布市高齢者支援室より、『介護保険被保険証』が郵送され、
そして『介護保険料』の請求書が同封されてきた。
『俺も高齢者となり、介護保険証を持つ身になったよ・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりしてきた。

家内は私より5歳ばかり若い身ながら、私たち夫婦は共に厚生年金、そしてわずかながら厚生基金を頂き、
年金生活の夫婦となっている。

そして原則として私の厚生年金は『老齢基礎年金』と明示され、
年金支給額より『所得税』が差引かれ、住民税の『市民税・都民税』、『介護保険料』、『国民健康保険税』などが
差し引かれている。

こうした中、恥ずかしながら『介護保険』についても、
幸いに私たち夫婦は、大病もせず五体満足で過ごしてきたので、漠然とした思いで過ごしている。
          

先ほど、【YAHOO! JAPAN】を開き、たまたま『雑誌』のコーナーを見ていて、
《 介護制度手続き -親が倒れて安心な町、心配な町 》
という見出しがあり、どういうことなの、と思いながらクリックした。

そしてビジネス総合誌として名高い雑誌『プレジデント』より、3月26日(水)に配信された記事と解り、
私は安心しながら精読した。

無断であるが、保健ジャーナリストの西内義雄さんが寄稿文の中で、介護制度の手続きに関してだけ、
要旨をさせて頂く。

《・・介護制度手続き -親が倒れて安心な町、心配な町

高齢の親が脳や心臓の病気、骨折などで入院したら……。
年末年始に帰省して「親の介護」が頭をかすめた人も多いことだろう。
いったん病気になると、杖や介助がないと自由に動けなくなることも珍しくないからだ。
実は、万一親が倒れた場合、身内がいかに早く関連する制度の「手続き」をしてあげるかで、
親の「生活の質」に大きな差が出ることをご存じだろうか? 

たとえば、高額な医療費の自己負担限度額を超えた分が支給される高額療養費。
その限度額を超える分を最初から支払う必要をなくす限度額適用認定証。

自力生活が難しくなれば介護認定。
後遺症が残るなら身体障害者認定も視野に入れることとなる。

これらの制度は、ほとんどが申請しなければ何も始まらないものばかり。
いくら健康・介護保険料を滞りなく支払っていても、誰かが動かない限り何も始まらない。

また、その手続きはどれも複雑で時間がかかる。
介護認定を例にとると、

①まず保険者(国保なら住民票のある自治体)に申請を出す。

②その後本人への調査が入るが、結果が出るまで1カ月近くかかる。

③つまり、退院後すぐに介護保険を利用したサービスを利用したければ、
 入院中に申請を出すのがベストだが、遅れる人も多い。

④特例として認定前からサービスを利用することもできるが、
 認定されなければ全額自己負担になるし、認定されても申請をした日までしか
 自己負担の減免はさかのぼることができない。・・

⑤第1号保険料(65歳以上)の介護保険料を例にとると、
現在(平成24~26年度:第5期)の全国平均は月額4972円だが、
自治体別に見ると月額2800~6680円と4000円近い地域格差がある。

厚生労働省は現在、介護の必要度が低い「要支援1、2」へのサービスの一部を
全国一律の介護保険サービスから市町村事業に移行させる見直し案を検討中と伝えられている。
これが始まったら、さらなる地域格差が生まれる可能性もある。・・》
注)記事の原文に、箇条書き、改行を多くした。
          

私たち夫婦の両親は、家内は母だけとなり、私より14歳齢上の後期高齢者で84歳となっている。
家内の父は私が定年退職時の直前に病死し、その後は一戸建てで独り住まいとなっている。

2年前ごろに膝(ひざ)を悪化して、最寄りの病院に通院している中、
市からの福祉専門の方からアドバイスを頂き、やがて家内と調整を繰り返した後、
現在は生活の一部について部分的な介護を必要とする状態の『要支援2』となっている。

こうした我が家の家内は、少しばかり経過状況は認識しているが、
私は時折聞いたりしてきたが、少なからず漠然とした心情もあったりした。

今回、私たち夫婦は子供にいないし、私は今年の9月誕生日を迎えると古希と称される70代に入門となり、
やがて齢を重ねて、介護制度を縋(すが)ることも考えられるので、
私自身も、真摯に介護制度の手続きを遅ればせながら、初めて学んだりした。

そして私は介護保険料はここ数年は毎年8万円前後支払っているが、
てきたならば介護にお世話になりたくないなぁ、と思いながら、
自宅の付近の3キロ範囲にある遊歩道、小公園などひたすら歩いたりしている。


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『無為不待』という言葉を学び、齢ばかり重ねた69歳の私、うなだれて・・。

2014-03-26 14:11:49 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
日頃の不摂生の為か、 左の腰の近くに吹き出物のような赤みが発生して、
昨日に続いて、最寄駅の近くのある『皮膚科』専門医院に治療を受ける為に、午前の9時半少し前に自宅を出た・・。

花曇りのような中を15分ばかり歩いたりしていたが、
昼より小雨が一時降った後に、午後3時過ぎから本降りが予測されていたので、
平素の買物専任者の私は、雨の降る前に、治療を受けた後にスーパーで買物をして帰宅する、
このような思いで『皮膚科』専門医院に向っていた。

やがて『皮膚科』専門医院に午前10時から受診開始時間の15分前に到着したが、
受付をした後に待合室に入ると、既に先着の受診者は5名ほどいた。

そして私は受診できる時まで、持参した本を読みながら、待ちわびた。
たまたま持参した本は、相田みつを・著作の『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』(角川文庫)であり、
過ぎし2009年(平成21年)の夏の頃に、偶然に本屋で見かけて、買い求めた本であった。

私は相田みつを氏に関しては、
ここ20年近く、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。

          
私はこの相田みつを氏の遺(のこ)された名言を、人生の生きた哲学のように学び、
私はつたない人生を歩んできたのに、ときおり独断と偏見の多い日頃の言動をする時もあり、
人生の戒(いまし)めとして、日々教示されている。

そして相田みつを氏の御著書は5冊ばかり購読し、多々教示されている。


今回、持参した本を再読していると、
          
《       無為不待
   人里はなれた谷間の
   白百合の花は誰にも
   見てみてもらえないですが
   少しのかけひきも
   なく精一杯の
   美しさで
   咲きます

   このような純粋な行為を
   佛教では無為不待と
   いうそうです

              みつを    》

このような氏の特有な書体を読んだりした後、無為不待(むいふたい)、という言葉を改めて学んだりし、
ため息をした後、このような心境の言動は、齢を重ねた69歳の私は、とても遠い世界だ、
とうなだれてしまった・・。
          

平素の私は、ご近所の奥さんたちから、御歳よりお若く、謙虚で明朗活発な方、と褒めたたえられているが、
もとよりオセイジであり、私の日頃の言動はともすれば自己顕示欲もあり、
あとで反省したりしているが、忘れた頃に幾たびも繰り返すことが、若き青年時代の頃からあったりした。

私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
裏返しのような反動心があり、ときおり自己顕示欲が増して、平常心から程遠いことをする時もある。

たとえば確固たる専門知識のない癖に、少しばかり知っていることを断言したりする時もあったりした。

年金生活をしている今でも、ときおりは自己顕示欲が露呈して、
つたないブログの投稿文なのに、ランキングが上位になれば、と思ったり、
齢ばかり重ねた69歳の私は、幾つになったら人知れず純粋な言動ができるの、
と反省ばかりしている。

そして怪我は治(なお)るが、性格は直(なお)らないなぁ、と苦笑した後、うなだれている。

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私は『皮膚科』、家内は『眼科』、共に病院に揃って行くのは初めての体験となり・・。

2014-03-25 16:05:05 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤めて定年退職した2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
その直後から年金生活をしている。

私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、過ぎし一カ月の前の頃から家内は瞼(まぶた)の周辺がかゆみとなり、
市販の薬をドラックストアーで買い求めて治療してきたが、昨今に赤みとなったりで、
昨日の夕暮れに、
『明日(あした)・・眼科の先生に診ていただくわ』
と家内は私に言ったりした。

やがて夕食前に私が入浴した後、なぜかしか左の腰の近くに吹き出物のような赤みがあり、
三日前の頃は少し膨らんでいたが、痛みもなく放置していたが、やはり気になったりしていた。

そしてこの状況を私は家内に話したりすると、
『うちのお父さん・・40代の頃に大きな吹き出物が出来て・・
近くの病院で10センチぐらい切開して・・治ったことがあったから・・
専門の皮膚科の先生に診て頂いた方が無難だわ・・』
と家内は私の腰近くを視て言ったりした。

この後、私は最寄駅の付近で、『眼科』、そして『皮膚科』をネットで検索した。
そして『眼科』は午前9時から、『皮膚科』は午前10時から受診時間と知ったりした。
          

本日の春の陽気に恵まれている中、午前の8時半過ぎに私たち夫婦は駅前に向って歩いた。
私たちは結婚して38年生であるが、これまでは私がギックリ腰で整形外科、風邪で内科などを体験し、
家内も胃痙攣で内科、歯の治療で歯科に病院に行ったが、
それぞれの日時は差異があり、共に同じ日にそれぞれの病院に治療に受けに行くのは初めてである。

やがて駅前から家内の治療を受ける『眼科』の病院をお互いに確認した後、
私は独りで『皮膚科』の病院の場所を確認した後、
付近を散策して10時受診開始時を待ちわびたりした。

そして10時の5分前に『皮膚科』の病院に行くと、
受付の近くにある待合室に10数組の受診者がいた。
私は予想したより少し多いなぁ、と思いながら持参した本をソフアーに読んだりした。

やがて30分過ぎた頃、XXさん、お待たせを致しまして、と若い看護師の女性から呼ばれて、
医院長のいる診察室に私は行ったりした。

そして私はこれまでの経過状況を言ったりした後、
患部を診て頂く為に、恥ずかしながら長ズボン、そしてパンズを少しずらした・・。
結果としては、隣室で切開をすることなり、私は隣室の診察室に移動するように指示された。

その後、診察室は8畳くらいの広さで、ベットが中央に設置されて、
私は麗(うる)わしき若き看護師に指示されて、ベットに横たわった後、
再び長ズボン、そしてパンズを少しずらした・・。

そして医院長が見えて、麻酔をした後に一センチ前後切開します、と宣言された後、
私の赤み帯びた患部の手術をして頂いた。

そして入浴は避けてシャワーだけにし、切開した箇所が濡れた場合は、ガーゼを取り換えて、
細菌物質の薬を呑み、明日も治療経過を診せて、と医院長から言われたりした。

もとより細菌物質は、細菌による感染症の対処であるが、
明日も通院するのか、と私は思ったりした。
やがて何かとプラス思考の私は、明日も麗(うる)わしき若き看護師に逢える、
と私は瞬時に感じ、承知致しました、と私は病院長に御礼の言葉の最後に元気よく言ったりした。

やがて私は医院を辞した後、最寄りの薬局で薬を受け取り、
家内と待ち合わせした場所に急いだ。
          

しかし家内はいなく、結果として家内と逢えたのは一時間後であった。
何かしら『眼科』の患者が多く、待ちくたびれた後に、丁重に治療して下さった、
と私は家内から聞いたりして、安堵したりした。

この後、私たちはスーパーで買物をした後、近くのネパール料理店で遅い昼食をした。

やがて駅前より自宅に向かい歩きだしたのは、午後2時過ぎであった。


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春の陽気に恵まれた中、東京郊外に住む私は散策すれば・・。

2014-03-24 15:39:45 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝も快晴の朝を迎えて微笑んだりした。

私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
過ぎし日の21日に晴れ時々曇りの中、北風の吹く日の後は、
一昨日の22日の土曜日、そして昨日の23日も春めいた陽気に恵まれて、
英語に何かと弱い私でも、『Spring has come (スプリング・ハズ・カム)』と家内に言ったりした。

古来より寒さ暑さ彼岸まで、と明言されてきたが、
私の住む地域は30数年ぶりの寒い冬であり、水仙、白梅が咲くのは、
平年よりも数週間遅れてきたので、春到来はいつになったら、と天上の気候の神々の采配に戸惑ってきた。

やがて3日前から春の陽気に恵まれて、
何かと鈍い私でも、春だよねぇ、と心の中で呟きながら、自宅の近くの小公園、遊歩道などを、
歩き廻ったりしてきた。
          
今朝の6時は5度で迎えたが、清々しい空気に包まれる中、眩(まばゆ)い陽射しを受けたりした。

10時過ぎに平素の買物専任者の私は、いつものようにスーパーに出かける前、
薄手の冬用のスポーツシャツ、長ズボン、ウォーキングシューズの容姿で向った。
日中は快晴の中、18度前後の暖かさの予測されていたので、
私としては今年初めての薄手の容姿となった。

そして買物の責務を果たして帰宅した後、私は京王線の『仙川』駅を目指して、
徒歩15分ばかりの道を歩きだしが、
今回は私が小学校に通った通学路の旧街道を歩いてみよう、と遠回りの路に進路変更とした。

細い路を歩いたりしたが、55年前の頃から住宅街に変貌しているが、
小公園の道端の脇には、草花が咲いて私は立ち止まって撮ったりした。
          

そして国分寺崖と称される坂道を上がった後、やがて音楽専門学校の桐朋学園仙川キャンパスの脇道に出た。
          

そして校門のひとつから、早咲きの桜かしら、と思いながら、撮らせ貰ったりした。
          

その後、駅ビルの中にある本屋に寄ったりした。
雑誌コーナーを見ていると、
私が秘かに季節ごとに逢える恋人のように購読している季刊誌の『文藝春秋SPECIAL』(2014年春号)が、
発売されていることを知り、手に取ったりした。
       
たまたま《 認知症最前線 》の特集であり、
表紙の中央には《 認知症に勝つ 》と明記されていたので、私は微苦笑してしまった。

私はこれまでの60代の9年半の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
健康でなければ自身の日頃のささやかな願いも叶わないこともあり、
実践のひとつとしては、何よりも怖いのは、認知症などであり、
これだけは回避したく、ひたすら歩いたりしてきていたからである。


この後、新書コーナーの視たりしていると片隅に、
監修・斎藤明美『高峰秀子』(キネマ旬報)と少し厚い本があった。

そして私は手に取ると《 高峰秀子三回忌 永久保存版 》と明記されて、
過ぎし日の2010年(平成22年)3月に発行、と私は読み、見逃していたょ、心の中で呟いたりした。

私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催された1964年〈昭和39年〉の秋の時であったが、
大学を中退し、映画の脚本家になりたくて、映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックには眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの戦前の昭和20年までの名作を観ることが出来た。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と称せられた高峰秀子さんの存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、 少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、 木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子さんの存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、ただ群を抜いた女優であった。

子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三さんには、
まぶしいようなあこがれの存在の人であり、秘かに敬意をしていた。
             

このような過ごしていた間、確か冬の日だったと記憶しているが、
私は成城学園の近くの砧にある東宝の撮影所で、宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子さんがこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と高峰秀子さんは私に言った。

私はこの当時も大女優であった高峰秀子さんとは、
これが出会いであったが、これ以降はお逢いしたことがない。
          

この後の私は、映画青年の真似事、その後に文学青年の真似事もあえなく敗退し、
やむなく私はサラリーマンに身を投じ、音楽業界まあるレコード会社に35年近く勤めて、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、その直後から年金生活を始めた身である。

この間、サラリーマンの現役時代のいつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
高峰秀子さんの随筆の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を読みはじめ、これ以降は本屋で見かけるたびに、購読してきた・・。

そして2010年12月の歳末時に高峰秀子さんの死去が公表されて、私も落胆したひとりであり、
もとより天上の花のひとつとなった高峰秀子さんにお逢いできるひとがないので、
せめて私は高峰秀子さんが上梓された数多くの随筆を読んだり、再読したり、
或いは出演された名画を鑑賞したりして、愛惜を重ねたりしている。

このような私の心の片隅に敬愛しているお方なので、今回めぐり逢えた本を買い求めたりした。

この二冊の本を持ち、家内のお気に入りのパン専門店『ANDERSEN(アンデルセン)』で、
フランスパンとケーキのような菓子パンを購入した後、帰路に向った。

そして何かと単細胞の私は、人生最良の日かしら、と微笑みながら自宅に向かった。 

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神様、そして仏様にも、つたない私でも違和感なく育ち、そして今は・・。

2014-03-23 11:34:58 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の69歳の身であるが、
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
私の半生は何かと劣等感があり、屈折の多い人生だったので、
敗残者のようなことも幾たびか体験してきた。
そして残された人生は、せめて少しばかり自由な時を・・、と念願しながら定年直後から年金生活をしている。

今朝の緒食後に居間にある本棚の本を並び替えていた時、
たまたま宗教学者・作家として名高い島田裕巳(しまだ・ひろみ)氏の本が、
三冊あることに改めて気付かされて、微笑んでしまった。

氏の『平成宗教20年史』(幻冬舎新書)、『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、
そして『神も仏も大好きな日本人』(ちくま新書)を購読してきたが、
何かと無知な私は多々教示され、好感している著作人のひとりとなっている。

そして『神も仏も大好きな日本人』の本を手にして、
《 日本古来の神道と外国から伝わった仏教。 両者はお互いに影響しあい、日本独自の混合宗教となって・・》
と解説を読みながら、確かに私だって神様、そして仏様にも違和感なく育立ち、今日まで過ごしてきたことを
改めて実感してきたので、微苦笑したりした。
           
               ☆ 自宅の近くの小公園、私の好きな情景 ☆         

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
生家も近くにあり、結婚前後5年間を除き63年ばかり生活を共にしている。

私がこの地域の地元の公立小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の4月の当時は、
生家は祖父と父が中心となって、程々に広い田畑を小作人だった人たちの手を借りて、耕していた。
そして母屋の周囲には竹林、雑木林、そしてお稲荷さんを所有し、
宅地の外れには蔵、納戸などがある農家であった。

母屋の中のひとつの10畳の和室には、梁の近くに神棚が備えられ、
そして別の10畳の和室には、片隅みの一角には仏壇があり、朝には新たにお茶、お線香を捧げていた。、
この部屋の梁の近くには、昭和天皇のご一族の皇族の写真が掲げられていた。
そして土間の竈(かまど)のある梁の近くに小さな神棚が備えられいた。

そして生家から程遠くない所に神社とお寺があった。
陵山と言われる少しばかり小高い丘陵があり、仲良く二分化され、
低い処にはお寺となり、高いの所には神社であった。

神社は『糟嶺神社』と命名されて、後年に私は、農業の神様の糟嶺大神を祀っている、と知ったりした。
          
そしてお寺は『明照院』と称されて、やはり後年に、
16世紀の中頃に開かれた天台宗のお寺で、観音堂に祀ってある弁財天は、美人の神様、と私は学んだりした。
          
この当時の幼年期の私は、神社で初詣、節分の時は豆まき、秋のお祭りの会場となったり、
お寺では幼稚園がなかった当時で託児所、そして夏には境内でラジオ体操、
ある時は野外の映画が上映されたりしていた。

生家の墓地は、この当時は生家の近くにあり、この地域の住む方たちの墓地であり、
ある有力な地主のご厚意で借地された場所であった。
この当時は土葬となっていて、私が小学2年の時に父が病死されて、
生家でお通夜、告別式の葬儀、そして墓地で埋葬したのを私は少し心の片隅に残っている。

その後、この墓地は1960年〈昭和35年〉の頃に解消され、
生家は曹洞宗であるので、徒歩20分ばかりの曹洞宗の『泉龍寺』に
母の意向に基づいて移して、今日に至っている。
         

このように生家も日本の各地に数多くある神様と仏様の仲良くしている混合宗教であり、
違和感なく私は育ってきた。

その後、高校生の頃に歴史に興味を始めた頃は、
明治新政府の方針で強制的に分離され、神様が主役となり、
お寺の仏像などが粗末に扱われる風潮を学んだりして、少し悩んだりした時もあったりした。

そして現在、三男坊の私は生家の近くに住み、
長兄は生家を跡継ぎを受け継いで、この生家も改築されて50年近くになっているが、
この家族の居間のようになっている和室には、仏壇と神棚が、仲良く同居している。

分家のようになった我が家は、神棚を設けず、お札(ふだ)を頂いた時は失礼にならないように、
居間の飾りケース棚に入れている。
そして仏壇は、私たち夫婦は子供に恵まれなかったため、今現在は無縁となっている。

こうした中、私たち夫婦は神も仏も空気のように感じて過ごしているが、
お彼岸、お盆の時は先祖や両親に感謝して、お墓詣りをしている。
そして神社やお寺に出逢ったりした時は、手を合わせたりしている。

或いは私が年金生活を過ごしている中、近くの神社の『糟嶺神社』、そしてお寺の『明照院』を
四季折々に独りで散策して、幼年期に愛惜を感じたり、季節のうつろいを享受している。

ここ20年近く、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。
          

私はこの相田みつを氏の遺(のこ)された名言を、人生の生きた哲学のように学び、
私はつたない人生を歩んできたのに、ときおり独断と偏見の多い日頃の言動をする時もあり、
人生の戒(いまし)めとして、日々教示されている。

たまたま本日は《一病息災 貧乏神同居・・》の格言であるが、この横には初詣で寺院で参拝した時に、
七福神の土鈴を買い求めて鎮座させている。
そしてこの土鈴の大黒天は豊作・財福の神様と知られているので、
同じテーブルに並んでいるので、私は微苦笑したりした・・。

或いは朝の眩(まばゆ)い陽射しに向って、感謝を込めて手を合わせたりしている。


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『春分の日』、過ぎし2月に死去された叔父さんを偲(しの)び、愛惜を重ねて・・。

2014-03-22 09:20:55 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた築後36年の一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、毎年この日の『春分の日』は、私たち夫婦は私の生家の実家である長兄宅に行き、
仏壇に安置されている位牌にお線香を捧げた後、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行っているのが、ここ9年の恒例となっている。

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
1944年(昭和19年)の秋に生を受け、もとより両親、そして祖父母、親族、祖先のお陰で、
私がこうして生きているので、感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、この日の『春分の日』、『お盆の日』、『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。


昨日の朝、いつものように朝の9時半過ぎに、私の実家の長兄宅に行き、
長兄夫婦と1時間半ばかり談笑し、長兄宅を辞した。

そして我が家に向う途中で、何かしら欠けていたことに、改めて実感させられた・・。
          

過ぎし2月2日より私たち夫婦は、札幌市の郊外にある定山渓温泉に13泊14日間で、
観光ホテルに滞在した旅路の間、
私の曾祖父の妹の嫁ぎ先の家に於いて、私より10年齢上の叔父さんが死去された、
と知ったのは、帰宅後のまもない時であった。

遠い親戚の方に当る叔父さんであったが、特に私が定年退職後から、
『春分の日』、『お盆の日』、『秋分の日』に於いて、私たち夫婦は長兄宅に於いて、
長兄をまじえて幾たびも談笑したりしてきた・・。

私は叔父さん、長兄、私が地元の小学校に通学したので、
共通の話題として、遥か遠い昔の小学校の情景を教えて貰ったりした。

私は1951〈昭和26年〉の春、長兄は1946年〈昭和21年〉の春に地元の小学校に入学し、
叔父さんは1941年〈昭和16年〉の春であったので、
あの当時の頃の状況、そして周辺の情景を多々教示されたりした。

この叔父さんは、この地域で住んでいる代々農家のひとりであり、次兄であった。
長兄の方は小・中学校に学業が優秀で、この当時として稀(まれ)で大学を卒業した後、
ある大企業に勤められて、やがて栄進された人である。

そして次兄の叔父さんは農家の後継ぎとして育てられて、
中学校を卒業した後、ひたすら田畑を長年に耕しながら労苦を重ねた果てに、
やむなく植木業をしながら賃貸マンションなどを経営して生計している人であった。

この当時に旧家としても、長兄はエリートサラリーマンとして栄達され、
次兄は先祖伝来の田畑、雑木林を維持管理を懸命にされた稀なケースとなり、
私は幼年期の頃から両親がときおり話題することもあったりしたせいか、
私なりに何かと注視していたことも、心の片隅にあったりしていた。

私が40歳の頃、民間会社の中小業で情報畑で、ワイシャツを着て奮戦していたある日、
日中のひととき、突然にこの叔父さんを思い浮かべた時があった。

この数日前の私の休日、付近を私は独りで散策していた時、
この叔父さんが所有している畑の跡の植木の幼き樹、少し伸びた樹の拡がる中、
おひとりで黙々(もくもく)と草むしりをしていて、
泥まみれ汗まみれで孤軍奮闘していた。

私は声を欠けびそれて、少し眺めた後、立ち去ってしまった。

私は中小業でエリートコースとは無縁であったが、
スーツ、ワイシャツ、ネクタイを身に付けて、都心のビルの暖冷房完備の中で勤務していたので、
何かしら私の住む地域の近くで、時代の変貌している中、黙々(もくもく)と手入れされる叔父さんとは、
余りにも働く環境、農作業から得られるわずかな収益など差異があったので、後ろめかったのであった。

そしてこの叔父さんが中学校を卒業した後、汗水たらして田畑を耕していた時、
お兄さんは大企業で奮闘してエリートコースを歩まれた軌跡を、
どのように思考していたか、私は思いめぐらしたこともあったりした。


こうした叔父さんであるので、私は地元の情景の変貌などを、
敗戦後の1945年〈昭和20年〉から、私が地元の小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉の頃まで、
話題にしたりした。
          

私の育った世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
田畑、竹林、雑木林など圧倒的に緑の豊かな地帯であったが、
都心のベットタウンとして、私の小学生の高学年に急速に住宅街に変貌していたので、
私の幼年期のおぼろげな記憶をたどりながら、
叔父さんの確かな視線と思情を頼りに、話題の中核としたりした・・。

そして38年前に、私たち夫婦の結婚披露宴に参列して下さったり、
36年前には我が家を新築した時、作庭する経費が不足したので、
この叔父さんの宅を訪ねて、幾ばくかのお金を包み、塀際の周りの樹木を植えて頂いたりした。

こうした間、叔父さんは奥様と共に男の子、女の子を育てられて、
この子供ふたりが成人してまもない時、奥様に病死され、
その後に子供ふたりが結婚されて、それぞれ独立した家庭の中、叔父さんとしてはお孫さんに恵まれ、
初めてこの人生に於いて安堵の生活をここ10年過ごされた、と私は感じたりしてきた。

このような事情を含めて、ここ9年ぐらいは私は何かと10年齢上の叔父さんに、
70代になればあのように近い容姿になるのかしら、と思い重ね、
年金生活の身過ぎ世過ぎの生活をしている私でも、ひとつの目標としてきたことは事実であったので、
更に親近感を深めてきた・・。
          

突然の死を私は知り、既に葬儀も終わった後だったので、
お焼香をさせて下さい、とこの宅のご子息に電話連絡をした翌日に、私は訪れた。

そして遺影の穏やかな表情、安置されているお骨となってしまった真新しい箱に向って、
お線香を捧げた後、幾ばくかのご仏前を差しだしたりした。

この後、45歳前後のご子息夫婦に、生前の叔父さんから多々教示を受けたことなどを報告するように、
私は話したりした。
こうした中で、叔父さんは何事も謙虚でお心が清(す)んだ稀な人だった、と私は言ったりした。

そして突然の死は、叔父さんはご子息と樹木の剪定をしていた時、
叔父さんは怪我をされ、たいしたことはないよ、と言ったりしたが、
やがて破傷風か身体全体に毒素が廻り、入院されてまもなく亡くなわれた、
と私はご子息から教えて頂いた・・。


こうした過ぎし日のひとときを過ごしてきた私は、長兄宅でこの叔父さんとは、お逢いできなくなったことに、
改めて実感させられ、寂寞感につつまれたりした・・。
          

この後、私たち夫婦は、小田急線の『狛江駅』から徒歩5分ぐらいにあるお寺まで、
お互いに運動不足もあるので、20分ばかり徒歩の道を往復しょう、と歩きだした。

やがていつものように山門から私たち夫婦は入り、
寺院の境内は、大きな樹木が数多くあり程広く、ご家族連れが多く、にぎわう中、
私たち夫婦はお墓に向った。
                         
この後、私たちは私を育ててくれた祖父、父、母、次兄などが永眠しているお墓の墓石を水で清め、
途中で買い求めた生前の母が好きだったお花を2束のお花を奉(ささげ)、お米を備えたり、
お線香を奉げた。

お線香の紫煙が立ち昇る中、祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。

こうした思いを重ねたりした後、毎年ながら母のおもかげがよぎっていった。

私の場合は、父が私の小学校の2年の時に病死され、、
その1年を過ぎた後、まもなく祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。

こうした確かな記憶の片隅から、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、言葉づかいが想いだされる・・。

そして生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに今でも感謝している。
          

まもなく穏やかな陽射しの中、お線香の煙が芳香を残して、
澄み切った青き空の中にゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。

やがて寺を辞した後、帰宅に向かう道を私たち夫婦は歩いたりしている中、
私はどれほど敬愛している方でも、愛惜を秘めながら生きている者にしても、
やがて時折思いだすぐらいとなる現実・・胸が熱くなったりした。


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コメント (2)

にほんブログ村に再加入して3年半が過ぎ、私が深く愛読しているサイトは・・。

2014-03-21 06:48:09 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であり、
この【gooブログ】の私のサイト『夢愛人かりそめ草紙』に於いて、
『ブログの開設から3,347日』と明示されて、こんなに過ぎたのかしら、と微苦笑してしまった。

そして、昨日までの『トータルアクセス数の閲覧数(PV)は4、207、052』、
『訪問者数(IP)は884,337』と表示されて微笑んだりした・・。

しかしながら閲覧数(PV)に関しては、数多くの方が周知の通り、
ここ6年ぐらいはグーグル、マイクロソフトなどの大手のロボット検索が、
懸命に数多いブログ投稿文を追跡するように活動しているので、
大幅に加算されている実態であり、無念ながら実質数は不明であり、210万ぐらいが妥当かなぁ、
と苦笑したりした。
                             

私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
まもなくブログの世界を知った・・。

そして2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、ほぼ9年半が過ぎている。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
                                        
                   
私はブログを投稿する際、筆力が乏しいながら
最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしているが、
日本だけでもブログをされている方は、数千万人と風の噂で聞いたりしていた。

そして私の加入している【gooブログ】のサイトでも、
過ぎし年の2008年(平成20年)の当時は、確か加入数150万人ぐらいで、
この当時の私は写真を添付する技量もなく、ひたすら文章だけの散文らしき文を綴り投稿文としていた。

そして私のサイトは訪問者数は長らく日々300人前後が多く、
【gooブログ】の総加入数の中に於いては、
多くある広大な砂糖黍(さとうきび)畑の中で、たった一本の砂糖黍(さとうきび)のような存在であった。
          

このように私は、やがて埋もれてしまい、誰からも読まれなく無視されることが想像されて、
つたない私でも、余りにも悲しきことで愕然とするので、ひとつの対策をした。
          

こうした思いからひとつの方法として、
やはりブログのランキングに加入して、程ほどに上位にランキングされれば、
少しでも多くの方に読んで頂けると、つたない投稿文ながら自己顕示欲が増して、加入することとした。
                    

そしてブログのランキングのサイトも幾つか彷徨(さまよ)うように加入したが、
『人気ブログランキング』の『随筆・エッセイ』に加入し、今日に至っている。


その後、2010年〈平成22年〉の秋に、やはりブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。
私は2008年〈平成20年〉の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していた・・。

やがて投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、私の投稿文毎にどのくらい読んで頂いたか、
と目安ができるので、ふたたび本加入させて頂いた。

そして現在は、『人気ブログランキング』に於いては、『随筆・エッセイ』に所属し、
『にほんブログ村』に関しては、加入時は『随筆・エッセイ』系に重点していたが、
一昨年の秋の頃から、世代のよしみに甘えてシニア日記系『60歳代』に移行している。
                                    

こうした中で、『にほんブログ村』に加入している50代から70代の多いシニア層のお方を中核に、
多くのお方の投稿文を読ませて頂いたりした。

そして日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を幹事ながら年金生活を過ごしたりしている。

或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
                                    

私のブログサイトの左側の『ブックマーク』に於いて、
ご当人様のご承諾も得ずに、掲載させて頂く、と明記して掲げているが、
少なくとも2年以上、このお方が投稿するたびに必ず私が愛読してきたサイトである。

そしてこの2年以上、このお方が投稿するたびに必ず私が愛読してきたサイトのお方も多く、
大半は『にほんブログ村』で知り得たお方である。

今回、改めて明示するのは、なぜかしら『にほんブログ村』に於いては、
PV(ページビュー)アクセスランキングの機能は、私の加入している【gooブログ】は対象外となっているので、
あえて再公開をする。(昨日、ブログを無念ながら中止されたお方にいたので、再整理した)

★公開した当初から表示
☆蝶になりたい
☆田舎おじさん札幌を見る!観る!視る!
☆プラチナのように輝いて!
☆今が一番素敵
☆田舎暮らしは心が和む♪
☆本当に幸せなの?
☆十勝の日々折々
☆薪ストーブと高齢者の日々
☆天真爛漫ちゃらんぽらん  
☆雲上の楽園通信

★追加させて頂いたお方(1年前の頃に表示)
☆マジョリンの気ままにスローライフ
☆野いちごひとりごと
☆あなたがいて私がいて、そして
☆緑仙の日々是好日
☆綿毛たんぽぽ の風任せ*発芽ばなし
☆かのこの部屋
☆一生勉強一生青春・good everyday
☆かをるのワルツ♪
☆赤い実青い実黄色い実
☆日替わり定食
☆ふたりでお茶を
☆ようこそ 美奈Aの部屋
☆まさかの坂の途中から・・・
☆らんらんのブログ
☆禅寺丸ばあさんのひとりごと
☆林住記
☆翁の笑止な “ガハハ” 問答
☆ほろけ・だだちゃ の つぶやき人生
☆JAMESの言いたい放題&一人暮らし
☆プー太とにころ山
☆気ままな生活☆無門の縁台日記・PARTⅡ
☆老いてピンボケ独り言
☆無無無庵
☆浜ちゃんの小豆島写真日記
☆竹の子日記
☆雅勒の散歩路
☆中高年よ大志を抱け

★私の長き交流している人
☆ギャンブル一筋30年
☆団塊世代おじさんの日常生活

この諸兄諸姉のサイトに関しては、一部のお方とのコメント上で交流を除き、
隠れキリシタンのように秘かに私は、愛読者のひとりとなっている。
                                      
 

           
こうした理由の一つとして、私は気楽にコメントを書くことはできない身で、
コメントを書き込んで下さった方のプロフィールはもとより、
最近のその方の心情まで配慮して返信するタイプのひとりである。

こうした事情により時間が要するので、日常生活の肝要の読書、散策の時間まで影響し、
原則としてコメントの交信は取りやめて、お互いに投稿文を読んで頂ければ、と変貌した時代もあったりした。

ここ数年は、来訪しコメントを残して下さった方には、原則として返信を認(したた)めている。
或いは数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、そのお方にコメントをしたりしている。

そして上記の諸兄諸姉のサイトを明記した以外に、ときおり読ませて頂くお方も多く、
ここ3が月に於いても、瞬時に魅了されたお方のサイトも10名のお方もいる。

               
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、
めぐり逢えたこと、秘かに感謝したりしている。

そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
その上に、数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、改めて感謝している。
          
尚、私はどのような政治信条とか趣味などは理解できるが、
ただ犬とか猫に関してだけは、苦手な身の気弱な男性であり、
こうした投稿文に限り、スルーしたりしている偏見のある小心者である。


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小雨降る朝を迎え、天上の気候の神々の采配に、東京郊外に住む私は戸惑い・・。

2014-03-20 08:36:18 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝の6時過ぎ、配達して下さった新聞を取り込もうと、玄関の軒下に行くと、
小雨が降り、少し寒いじゃないの、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

この後、地元の天気情報をネットで見ると、
朝の6時は7度で小雨、その後は強さを増した雨となり、昼下がりは5度前後、
夕暮れの6時は7度前後、と報じられていた。

横並びの平年より寒い雨の一日かょ、と私は苦笑したりした。
          
            我が家の小庭、たわむれにこの一週間に撮ったりした。以下、同様。         

私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
一昨日の18日は『春一番』となり、強風が吹き荒れる中、いつものように平素の買物専任者の私は、
スーパーに買物をした後、付近に流れる野川の両岸にある遊歩道を散策したりした。

冬のスポーツシャツだけで歩き廻ったが、汗ばんで春到来かしら、
と何かと単細胞の私は実感したりした。
そして朝に報じられた天気情報で、日中は風が強く吹く中で、4月下旬のような陽気となります、
と視聴していたので、思い重ねて、本当だよねぇ、と私は微笑んだりした・・。

結果的にはこの日は、朝の6時は4度、昼下がりは21度、夕暮れの6時は17度となり、
朝の4度を除けば、まぎれなく5月上旬のような陽気となった。

昨日は雲の時々晴れの一日であったが、
朝の6時は8度、昼下りは14度、そして夕暮れの6時は11度となり、
平年並みのお天気に、何事も平常心が肝要と同じだ、と少しボケた私は微笑んだりした。
          

このようにぼんやりと過ごしてきた私は、予告もなく突然の2月下旬のような寒さに戻り、
私は戸惑ったりした。
そして寒さ暑さは彼岸まで、と古人からの伝えがあり、三寒四温の定まらない時節は自覚してきたが、
余り激しいじゃないの、と天上の気候の神々の采配に、小雨降る空を私は見上げたりした・・。


この後、明日からの週間天気情報をチエックしていたら、
明日の21日の『春分の日』は、快晴の一日となの、昼下がりは14度前後となり、
その後の6日は腫れ時々曇りのマークが横並びとなり、15度前後から20度前後、
と表示されていた。

私は春到来だねぇ、と微笑みながら、やはり古人からの格言、寒さ暑さは彼岸まで、
確かにそうですよねぇ、と改めて教示させられた。
          

やがて働いて下さる諸兄諸姉の多くは、明日より3連休と感じたりし、
平素は何かと短期に成果の問われる多忙で過酷な時代なので、
せめて3連休の時ぐらいは、この世で一番信頼できるご家族で、ゆっくりとお過ごし下さい、
と思ったりした。

このようにぼんやりと思い、本日の寒い雨の一日、
春一番で吹き荒れて埃(ほこり)まみれた周辺の歩道、公園、そして樹木、花たちも、
洗い清めて下さる、と何かとプラス思考の私は微笑んだりした。


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『春一番』の昨日、東京郊外でも強風の中、メタボの私は戸惑いながら散策して・・。

2014-03-19 12:07:11 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨日の朝、小庭にある白梅が強い風を受けて、盛りを過ぎた花が風を受けると、
花吹雪となっていた。

そして白梅の満開を過ぎた後やがては、風もなく時折はらはらと音もなく散り、
周辺にわずかな花びらがあるのが、何よりも情緒があるのになぁ・・と私は戸惑いながら見つめたりした。

やがて10時過ぎに平素の買物専任者の私は、いつものように家内からの依頼品を確認した後、
冬用のスポーツシャツ、長ズボン、ウォーキングシューズの容姿で、スーパーに向ったが、
大通りの歩道を歩いたが、風を身体全体に受け止めても寒さを感じることはなかった。

そして朝方にテレビのニュースに於いて、
春一番の強い風は吹き荒れますが、日中の最高気温は20度前後となり、
4月下旬のような陽気となります、と報じられていたのを思い重ねて、
何かと鈍感な私でも、本当だねぇ、と実感させられたりした。
                    

やがて買物の責務を果たした私は帰宅後、
強風の為に軽登山靴に近い重いウォーキングシューズに履き替えて、散策に出かけた・・。

私は過ぎ去りし年の2010年〈平成22年〉の秋の健康診断で糖尿病と明示されて以来、
食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして大幅に改善されている。

何よりも長き45年ぐらい日本酒の純米酒、ビールを夜のひととき愛飲してきたが、
糖尿病と宣告されて以来、 冠婚葬祭、懇親会、国内旅行など以外は、
原則として自宅で呑むのは、5日に一度ぐらいとなっている。

この間、最寄の内科専門医院に3週間毎に定期健診を受けているが、
ここ3年ぐらいは悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はほぼ優等生となって、
改善努力の成果となっている。

こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。

しかしながら身長170センチで、問題は体重が75キロ前後となりメタボの範疇であるので、
少なくとも日々の散策は必須事項となっている。

昨今は長寿の社会に於いて、何よりも健康寿命が肝要である、と言われたりしている。
もとより高齢者が、心身ともに健やかに過ごすためには、歩くことが大切で、
私も雑誌の『サライ』から、改めて学んだりしてきた。

①生活習慣病(高血圧症、糖尿病、心臓病など)を予防する。
②認知症になりにくい
③免疫力が上がる
④骨を丈夫にし、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)を予防する。
⑤筋肉量を維持、向上できる。

私はこれまでの60代の9年半の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。

こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などをひたすら歩いたりする中で、
季節のうつろいを享受している。
                 

昨日の散策は、自宅の付近に流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いた。
川の流れは平素は清流の中、川面は陽射しを受けたりする煌(きら)めいたりしているが、
強風の中では、川面はさざ波のようになったりしていた。

そして遊歩道を歩く高齢者の中で、細身の方は強風を受けると、身体が揺らぎ、
メタボの私は体重の重み、がっしりとしたウォーキングシューズ、
その上に近眼の私はメガネをしているので、たとえ埃(ほこり)が舞い上がっても、
動じなく歩き進んだりした・・。

メタボとメガネは、こうした時だけ有利かしら、と苦笑しながら颯爽と歩いたり、
春まじかな『春一番』の強風の中、記念ねぇ、と思いながらデジカメで撮ったりした。
          

この遊歩道は幾たびか毎週のように歩いたりしたが、私の住む地域は30数年ぶりの寒い冬だったので、
平年よりも数週間、春の訪れが遅れていると感じたりした。
          

そして平年ならば桜の莟〈つぼみ〉が、たわわになり、早咲きの桜もわずかに観られ、
やがて桜並木は三分咲きから、月末頃には満開となっていたが、果たして今年の桜花は・・。
と思ったりした・・。
 

この後、高台にある小公園に立ち寄ると、風は強さを増したりした。
          

そして黄色い花が観えると、まんさく、かしらと思いながら私は近づいた。
単細胞の私は、記念撮影をしょうと、デジカメを舞えたが、風で枝の花、枝先も揺らぎ、
おとなしくしていてねぇ、と思いながら撮ったりした。
          

しかし無念ながらコンパクトカメラの為か、或いは私の技量不足の為か、
それとも私の平素の行いが悪い為か、このような写真になってしまったのである。

この後、私は幼年期に農家の児として育ったので、こうした情景に魅了された撮ったりした。
          

やがて芝生の生えた広場の中、近くにある幼稚園の先生に引率された園児50数名が、
それぞれ風の中を走りまわったり、中には歩いたりして歓声していた・・。
そして強風が増すと、中の数人が帽子が飛ばされて悲鳴を上げたりしていた状景に、
私は、いいよねぇ・・こうした年齢の時は・・と微苦笑したりした。

このような人生のひとときの情景を視たりして、私は小公園内を歩き、やがて自宅に向かった。


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ブログの表示画面、季節が移ろいに伴い、のろまの私も衣替えのように改定して・・。

2014-03-18 14:36:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨日、我が家の小庭のある白梅が満開の盛りが過ぎ、昼下がりときおり風もないのに散り始めているので、
夜のひととき私が加入している【gooブログ】のブログサイトに於いて、
ブログの表示画面のテンプレートを衣替えのように改定した・・。
          

私は中小業の民間会社を35年近く奮闘して定年退職を2004年(平成16年)の秋に迎え、
まもなくブログの世界を知り、色々のブログ・サイトに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の新春に加入した。

この後、他のブログ・サイトに夢中になり、二度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿し、
ブログ歴は9年生となっている。

この【gooブログ】を初めの6年ぐらいは、文章だけの散文のように投稿文としてきたので、
表示画面のテンプレートは、読みやすいよう黒の背景で白文字を表示する《ブラック》としてきた。

その後は、明るい少し華やかな表示画面にしょうと、思案したりした。

そして私の加入している【gooブログ】のテンプレートに於いては、
《オススメ》として春、夏、秋、冬に相応しい多彩な表示画面の種類 があったり、
或いは 緑のgoo、グルメ、花 、和風/アジア、HYBRIDがある上、
ベースカラーとしては、ホワイト、レッド 、イエロー、ピンク 、ベージュ、ブルーなどがあるので、
余りにも豊富にあるので、私なりに迷ったりしてきた。

やがて原則として季節が移ろいに準拠して表示画面を改定しょう、
と何かと鈍間(のろま)の私でも対応させてきた・・。
          

そして体力も衰えてきた男性の私は、せめて華やかなテンプレートも良いかしら、
と今年の2月頃も色々と迷ったりした・・。
女性だったならば、《赤いカーネション》は精麗だし、
いちごの《ストロベリー》は可愛らしく、結果として選定したのは、《アモネス》のデザインであった。

しかしながら、少し華やかしら、と躊躇(ためら)ったりしたことは本音であったが、
齢を重ねると男性の私でも、華やかなワッペンが欲しがり、恥ずかしながら掲載したりした。

やがて私は羞恥心を深く感じて、無難な《カラーノート》と称したノートとバックの表示画面に改定した。

そして昨夜は、まもなく数週間後には桜が開花するので、
【gooブログ】のテンプレートの中から《桜》の表示画面が4種類ぐらいあったので、
この中のひとつを選定した。

何かしら夜桜の情景のようで、表示画面が少し暗かったが、
情感があって良いじゃないの、と単細胞の私は選定してしまった。
          

そして桜花が散り、葉桜の時節になったら、落葉樹の幼い葉が伸ばした眩(まばゆ)い《新緑》の表示画面に、
改定すれば良いかしら、と思ったりした。

しかし余り表示画面を改定し過ぎると、読んで下さい方が、戸惑うことも考えられるので、
何事も程ほどが重要である、と自戒したりしている。


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ブログの投稿文、つたない私は平素の外出着、コメントは心の普段着・・。

2014-03-17 12:45:49 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤めて定年退職した2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
その直後から年金生活をしている。

私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

年金生活を始めた当初、最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。

もとより家内は料理、洗濯、掃除などがあり、私の現役時代は小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後は日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
      

そして殆ど毎日のように家内からの依頼品をスーパー、専門店などに行ったりし後、
自宅の周辺の住宅街、或いは近くの遊歩道、小公園を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、この世の中で許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
                    

そして何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時と共に過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりする時もある。

或いは、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学び、遊学している。


日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
         

私は定年後まもなくブログの世界を知り、パソコンの故障とか国内旅行で不在でない限り、
毎日投稿してきたので、早や9年半となり習性のように投稿を重ねてきた・・。
          

ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの分野まで表現でき、
まさに10数年前の頃から、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の愛読者は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
          

私の場合も専門知識のなく疎(うと)い身ながら、ときおり政治、外交、軍事、経済、社会の出来事を綴ったりしてきた。
しかしながら、一時的な感情だけで吐露(とろ)し、後で後悔することが多かったりしてきた。

その上、心の奥に感じてきた危険な事柄は、心の節度として抑止してきた。
たとえば、
◎XX党は、うわべの平和を念仏のように発言し、平和ボケであり、国家の主権さえも欠落している。
◎XX党は、財源の悪化を無視してまでも、福祉だけを最優先とする政策を掲げ、日本の衰退を招く悪質な党である。
◎社会を震撼させる卑劣な悪質な犯行する方は、たとえ法治国家の日本であっても、即時に絞首刑にしなさい、

このようなことを私が記載すれば、もとより私の人格が疑われてしまい、
感情と理性の間を往還しながら、心の節度して平坦な発言の投稿文となってしまうことが多かった。
                     

しかしながら私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しては、余すところなく表現してきた、
誰しも光と影があるので、ためらいながらもマイナスと称される影も私は描写してきた。
たとえば
◎母は生まれてまもなく里子にだされて、やがて私たち兄妹の母親となった。
◎私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
◎或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
 ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、私たち五人の子供は成人したこと。
◎又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる自裁して、亡くなったこと。

◎そして私自身の場合は、幼児の時は、いじけたことが多く、小・中学生は通信簿『2』と『3』の多い劣等生であった。
◎大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、新人賞に3回応募したが落選し、やがて敗退したこと。
◎或いは定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。

こうした出来事のことは、小心者の私としては匿名であることで発露できたことであり、
心のわだかまりを吐露しなければ、私としては一歩先でも進めない時もあったりした。
          

このような心のうめごきをリアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。

小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションンとして読者は受け止めることができ、
ブログの匿名で公開する内容も、間接的な意味合いからして同じかしら、と思ったりしている。
 
        
このような理由も重ねて、私は『夢逢人』と命名した。

私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。

そしてこのように私は、これまでの人生の歩みを吐露(とろ)しなければ、
この先の人生を生きて行くことはできない、と思い発露してきたのである。
                    

このような思いで描写してきたが、もとよりブログはこの広い世の中に公表することであり、
1(私)対N(多くのお方)と思い、少しは抑制した表現としている。

こうしたことは私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、少しは身なりを整えるのと同様に、
私のブログの投稿文は、平素の外出着かしら、と思ったりしている。

しかしながら都心に買物や懇親会などの出かける時は、多くの方に恥ずかしくないように、
程ほどの衣服を整えて出かけるが、
このように準じたお洒落でうわべの事柄は、つたない半生を歩んできた私は、少し背伸びした投稿文を私は書くことができない。
そして素直な心に準じた身の丈に合った投稿文を重ねることが圧倒的に多い・・。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切している。

このような事情で数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、
と言っても差し支えない。
          
              
コメントに関しての私の場合は、そのお方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手のお方)のささやかな心の交流と思いながら、
私は本心を発露して綴り、相手のお方の返信にも本心が見え隠れし、微笑んだり、苦笑したりする。

まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コンントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。
                               
或いはそれぞれのお方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら微苦笑したりし、
返信を認(したた)めたりしている。

私は毎日のように数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、とご教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を受けている。

そしてこうした中で、感きわまってコメントをしたりする時もある。

このように私は、多くのお方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれのお方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。

このように私は、ブログの投稿文を重ねて9年半となっている。

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春先の昨今、どうして寝坊することが多くなったの、と69歳の私は苦笑して・・。

2014-03-16 15:34:27 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝ぼんやりと目覚めて30分ぐらいまどろんだ後、
横を眺めると家内はいなく、ノソノソと私は起きだして、一階の居間に降りだした・・。

陽射しは燦々と照らす居間の中で、家内は洗濯の合間、テレビのNHKの連続ドラマを視聴していた。
私は8時過ぎかょ、と寝坊してしまったことが解り、
『春眠・・暁(あかつき)を覚えず・・』
と私は朝の挨拶代わりに、寝坊した照れ隠しに家内に大きな声で言ったりした。

私はこれといった専門分野の学識は恥ずかしながらなく、単なる役立たずの雑学ばかりの拙(つたな)い身であり、
確か、春眠、暁(あかつき)を覚えず、は、中国の唐時代に、
詩人の孟浩然(もうこうねん)が遺(のこ)された詩の一節だったかしら、と苦笑したりした。

この後、私は洗面して着替えた後、コーヒーを淹れたり煎茶を淹れながら、
昨夜は10時半過ぎに布団にもぐりこんで本を数ページ読んだりしている中、
眠くなり消灯した。
そして昨今は、やはり今年の9月になれば古希と称される70歳になるので、
もとより体力も衰え、読書の意欲も薄らいだのかしら、と思いながら寝付いてしまった。
          

今年の冬は私の住む地域は30数年ぶりの寒さとなり、稀な大雪が降ったり、
私たち夫婦は、北海道に3度ばかり旅を重ねたりしてきた。
そして平素は買物専任者の私は、スーパー、専門店に行ったり、
その後に自宅付近の3キロ範囲の中をひたすら歩いたりしてきた・・。

こうした中で、早朝に目覚めると、布団から起きだしたりする時、
或いは散策して風吹く時に寒さを感じたりする時、
人生は気合いだ、と心の中で呟(つぶや)いたりしていた。

こうしたことは、高齢者は風邪を退くのは天敵だ、と思いながら叱咤激励をしてきたので、
今年の冬は冬眠のような生活を送らずに過ごしてきた。
          

思い馳せれば、私の定年前の5年間は、リストラの烈風の中、私は出向となり、遠方の勤務地の為、
起床が4時45分とし、そして始発のバスに乗り、小田急線の電車の通勤途上で、
真冬の時節の頃は日の出を迎えたりしていた。

帰宅も夜の9時過ぎが多く、もとより睡眠不足となり、
休日の時の昼下がりに昼寝をして補(おぎな)ってきた体験がある。

そして50代の後半で体力テストは勘弁してほしい、と思いながらも、
自分の敵は自分であり、努力しなければ何事も手に入らない、と奮闘してきた・・。


やがて定年後の私は、年金生活を始めて、だらけた日常生活を過ごしたくないので、
日の出前に起床することを殆ど実践してきたし、家内も5分遅れぐらいで起きだして、
洗濯などを始め、そして台所を清めたりし、この付近で我が家はゴミ出し一番が圧倒的に多かった。

そして年金生活3年生の頃から、日の出前の起床は、時間で勝負する現役サラリーマン時代は終わったのだから、
無理に日の出前の起床は止めようと思い、
その後は日の出前とその後は、大相撲の世界でたとえれば8勝7敗ぐらいで過ごしてきた。

こうした中で、ときには昼寝もしたりして、年金生活の何よりの特権かしら、
と微苦笑したりしてきた。
          

このようなことを思い浮かべ、昨今は春の匂いを感じることが多く、
その上に私は買物に行くと、4月から消費税のアップの影響かしら、買物先が混雑し、
我が家も負けじと、家内からの指示で、あちらこちらのスーパーで買物専任者の私は、
孤軍奮闘を重ねてきた・・。

こうしたことなのか昨今は、寝付きが早く、その上に7時間眠っても、
寝坊してしまうことが多くなっている。

早寝早起き元気な児、と古来より賞賛される明言があるが、
69歳の私は縁遠いかしら、と寝坊した私は苦笑したのは朝の8時半過ぎであった。

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