夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには、『壊れかけのRadio』を唄いながら・・♪

2008-05-13 18:14:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、台風2号の影響で小雨が降ったり肌寒い日が続いている。

私はこの半月に於いて、別ブログの
【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に
今まで4つのサイトに書き散らかした3000通前後の
投稿文を整理、統合をしながら、
NHKのラジオを聴いたりしている。

そして、ラジカセCDで『走れ! 歌謡曲』のゴールド編、プラチナ編と題されたCDの4枚で、
昭和の40年から平成の5年頃までの80曲前後を聴いたりしている。

誰しも同じと思われるが、その曲を聴くと、
その曲が街に流れた頃、自分のその頃をを思い返したりする。


♪思春期に少年から 大人に変わる
 道を探していた 汚れもないままに
 飾られた行きばのない 押し寄せる人波に
 本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio

【『壊れかけのRadio』 作詞・徳永英明 】


私は小声で唄いながら、バソコンに向かったりしている・・。

私はこの歌と共に、平成2年(1990年)の現役時代の頃、
自身の姿を想いだしている・・。

そして、私は唄い終わると、自身の中学、そして高校生の初めの頃、
昭和35年(1960年)の多感な時代を思い返している・・。


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角川春樹・氏は、豪刀のような人・・♪   《初出2007.5.31.》

2008-05-13 15:27:34 | 読書、小説・随筆
昨夜、読売新聞に於いて、俳句の毎月一回掲載する【魂の1行詩】がある。

角川春樹・氏が一般の詠まれた俳句を選定され、
特選された句には講評を明記している。

何時ものように、序文を表記されているが、
特に昨夜に明示した内容は、武士の刀で表現したなら、
造作に似た平穏時の観賞用に似た刀でなく、
まさに戦場で肉を切らせて骨を絶つ豪刀に感じたりした。

無断であるが、俳句に対する真摯な深い思いが、
熱く感じる鑑(かがみ)のような名文であるので、
あえて転記をさせて頂きます。



陶芸家の北大路魯山人は、「平凡と傑作は紙一重だ」と言ったが、
それを決めるのは鑑賞する人間の力量である。

句会に出席して感じることは、選者の力量の無さである。
概して、傑作を平凡と感じてしまう。
さりげないながら内容の深い句は、
句会では見落とし、句集になって気づく、ということもある。

しかし、プロともなれば、作品は勿論のこと、鑑賞力が必要だ。
だが、専門俳人の器量が狭く、
たかが知れた自分の身の丈でしか計ることが出来ない。
良い1行詩を創ろうとするならば、真贋を見抜く選句力が重要である。



【注) 原文より、勝手ながら改行を多くしました 】

以上、無断であるが、転記させて頂きました。


このことは俳諧に留まらず、
小説、歴史書などの書物にも適合することと思っている。
中々、明記し難いことばであり、
それだけ角川春樹・氏の熱く深い思いが伝わってく。
まさに、余人に変えがたい発露と私なりに感じ、
そして私は、しばらく溜息をしたのは事実である。


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天上の気候の神々は、時折きまぐれ・・♪   《初出2007.5.31.》

2008-05-13 15:23:10 | 定年後の思い
私は9時過ぎに玄関庭に下り立ち、樹木の伸びきった枝葉を剪定した。

午後より雨が予測されていたので、私なりに急いで剪定、草取りなどをした。
昼になっても晴れ時々曇り空で、雨の降る気配が感じられなかった。
昼下がり、ある程度整理出来たので、
お風呂が沸く間、煙草を喫いながら、ビールを呑んだりしていた。

晴れ間の中、ときおり微風が吹いて、樹木の間を通り過ぎて行く・・。

こうした情景を眺めたり、空の青さの中で雲を見たりしていて、
どうしたの、と天上の気候の神々のきまぐれを思ったりした。

昨日の午後は、雨の中、買物の重い荷物を提げて、汗を流しながら帰宅したのであったが、
天気予報は昨日と同様の予測をしていたが、良い方向に狂っている。

こうして風呂上り、主庭を眺めながら綴っているが、
青い空に雲がぽっかりと浮んでいる。


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陽射し、そして微風につつまれて・・♪   《初出2007.5.31.》

2008-05-13 15:21:26 | 小庭の情景を眺めながら

東京の郊外は、朝の陽射しが樹木、草花に差し込んで、
ときおり微風が吹いている・・。

昨日は朝のひとときは快晴となった後、9時過ぎには曇り空となり、
私が歯科医院で治療を受けている間、小雨が降りだしたらしい。

私はスーパーで買物を終えた後、本屋に寄り、
雨の降る川沿いの遊歩道を歩いて帰宅した。

結果として、午後より深夜まで降る続き、今こうして主庭を眺めていると、
樹木の枝葉は濡れているが、朝の陽射しを受けて、葉はきらめいている。
ときおり、微風を受けると葉が揺れ、清々しい情景となっている。

何かしら大気が不安定らしく、本日も昨日と同様に午後より雨が降る、
と天気予報が報じている。

私は樹木の伸びすぎた枝葉を剪定する予定であるが、
濡れている枝葉も風と光につつまれてるので、
10時過ぎから昼前後のひととき剪定に最適かしら、
と煙草を喫いながら、樹木を眺めている。

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親切な街の歴史の手引書・・♪   《初出2007.5.30.》

2008-05-13 15:19:19 | 時事【社会】
私は過日、伊豆の下田に温泉滞在をしていた時、
6日目は下田公園に行き、紫陽花(アジサイ)、草花を誉(ほ)めた後、
街中を散策した。

寄っていなかった『下田開国博物館』に入館した。
黒船来航により日本で一番最初に港が開かれた街、と称された博物館であり、
資料や展示品の数々を観たりした

この街に歴史の足跡を残したペリー提督、ハリス総領事、唐人お吉、
ロシアのプチャーチン提督、吉田松陰・・の人々が展示されていた。

私はこの当時に思いを馳(はせ)せて展示品の数々を拝観した後、
お土産コーナーで一冊の本を見たりした。

『下田の歴史と史跡』と題された本で、
著作者は肥田喜左衛門という代々ご先祖の方が回船問屋のお方であったので、
郷土の歴史研究者としては最適の方と思いながら、購入した。

私は喫茶コーナーで、アイスコーヒーを飲みながら、煙草を喫い、
パラパラと本を開いた。

古代の下田から取上げられて折、
中学生程度の読力であれば、親切な手引書と思ったりした。

私は旅の帰路に、この本の後半を読んだりして、
滞在期間の時、街のあちらこちらを散策した名所を思いだしたりした。




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爽(さわ)やかな朝の陽射しにつつまれて・・♪  《初出2007.5.30.》

2008-05-13 15:17:08 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、朝の陽射しが庭の樹木、草花を差し込んでいる・・。

5月の初旬のような陽気と感じているが、
これから曇り空となり、午後から雨が予測されている。

私は9時半過ぎに、歯科医院に治療を受け、散策、買物で外出するので、
果たして雨は・・
と空を見詰めている。

ここ10日ぶりの川沿いの遊歩道であるので、
樹木、草花の移ろいを眺め、歩くのも楽しみである。

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ZARDの坂井泉水からの想いで・・♪   《初出2007.5.29.》

2008-05-13 15:13:43 | 音 楽
私は昨日、旅先の観光ホテルで、
ポップスグループのZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水さんの死を知った・・。

私はこのお方には、お会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時があった。


平成5年(1993)の春、私はレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と統合となり、
初めて長戸大幸・氏の率いるビーイング系のZARDを知った。

これより少し前の時代は、新田和長・氏の率いるファンハウスが、
岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などの全盛の時もあった。

ZARDは透明感ある甘い女性の歌声、若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じた。
『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングル大ヒット、
アルバムに於いては、前年の『HOLD ME』に続き、
『揺れる想い』がミリオンとなり、
この1993年は女性ボーカルとしては頂点となった。

その後、ビーイングはヒーグラム社として独立会社し、
私の務めている会社から、離れていったが、
私なりにアルバムのベスト盤などを買い続けたりしていった。

私は統合当時に『負けないで』、『揺れる想い』などで、
時代に勢いのあるZARDを改めて教示を受けたり、
会社の業績にも貢献してくれたり、私のささやかなボーナスにも功してくれた。

結果としては、私は50歳前後で『負けないで』を知り、
定年退職後の3年生の今でも、時折アルバムの5枚を聴いたりしている。


今回、突然に訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚えたが、
90年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんを、
《大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・》
と心から冥福を祈ったりした。

彼女の率いたZARDの音楽は、永遠に残ると確信するが、
少なくとも私は、今後もときおり聴くと思っている。



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爽(さわ)やかな朝を迎えて・・♪   《初出2007.5.29.》

2008-05-13 15:08:59 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、朝の陽射しを受けて、私は6時前に目覚めた。

ここ1週間は伊豆の下田に温泉滞在をしていたので、自宅の主庭を眺めながら、
煙草を喫い、旅先の情景などを思い浮かべていた。

緑、花、そして潮の香りにつつまれた観光ホテルからの光景も好かったが、
我が家の小庭は樹木と草花の彩りに、
ぼんやりと何かしら安堵している。

日中は快晴から曇りの日中となり、21度前後の5月の初旬のような陽気であり、
爽やかで過ごしやすい日を迎える。

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伊豆・下田温泉滞在記《下》 【2007.5.22. ~ 5.28.】

2008-05-13 13:43:39 | 
   第8章  快晴の朝を迎えて

伊豆半島の下田は、昨日の雨の一日だったが、早朝から快晴の朝となった。

日中は28度前後の初夏のような陽気となり、
家内と2人で須崎半島を散策する予定である。
野水仙の群生の名で知られている瓜木崎の周辺、遊歩道を海を眺め、
さんさんと陽射しを受けながら、初夏の光景を誉(ほ)めようとしている。

家内の母は、少し疲れたので、ホテル内でのんびりしたい、というので、
家内と2人の散策となったのである。

私は過日、下田の町並みで買い求めた婦人帽、
そしてサングラスで初夏の陽気の中を散策しょうとしている。



   第9章  爪木崎の岬は、初夏の香り

家内と1月の初め頃から野水仙で知られている
伊豆の下田の外れにある須崎半島の先端にある爪木崎を訪ねた。

季節はずれのこの地は、観光客もまばらで、
砂浜に行く数人かの海で遊ぶ人影が見られる程度であった。

岬の灯台の近くで海上を眺めると、
外洋の海は青い波が繰り返し、波状となり無限のひとときを感じたりした。
ときおり、風が強く吹きと、広葉樹林はもとより、
松などの針葉樹林も枝葉を揺らしている。

洋上、岩、陽射しの景観が良いが、
ときには風と雨が伴うと情景が一変するのは、
天上の気候の神様のなせる業と空想したりした。

目を開けると、洋上の彼方から波状の波が岬の先端の岩に向かい、
やがて砕け散っている。

そして波しぶきは、初夏の香りを漂わせていた。



   第10章  紫陽花(アジサイ)に心を寄せて・・♪

伊豆の下田は、薄日の差す朝を迎えている。
火曜日より、この下田に滞在しているが、街並み、下田公園、爪木崎などを散策し、
緑と花の豊かな景観を誉(ほ)めたりした。

ときには江戸末期の黒船の来航に当時の情景を想像したりしていたが、
私はアメリカ・ジャスミンの紫、そして白色に変わる色合いも良い。

私が魅了されているのは、
ひときわ鮮やかな青色の色合いに染められたアジサイである。

この下田公園では、6月に『あじさいまつり』が開催され、
数多くのアジサイの色合いにつつまれる、
と街中のポスターで見られる。

私は残念ながら、明日にこの地を去るので、
日中に公園に行き、
わずかに咲き始めた寝姿ブルーと称せられたアジサイに再会しょう、
と思ったりしている。

このアジサイは、女性の秘める妖艶さを感じさせ、
何より気品のある花のひとつである。

日中のひととき、果たして寝姿ブルーの色合いは・・と余計な思いもある。



   第11章  花を誉(ほ)めた後には

私は下田公園の『あじさい祭』の開催される前に、
あじさい園を再び訪れた。

数多いのあじさいは、わずかに咲いてい折、
多くは莟(つぼみ)の状況であったが、
所々七分咲きもあり、それなりに私の心を和(なご)ませてくれた。

アジサイのほかにも、名も知れる多くの草花が咲いているが、
つたない私は知識がなく、ただ呆然と魅了され、しばらく見つめたりしていた。

こうしたことは、私の住んでいる処でも多く感じ、
植物にうとい私は、
いつになったら私を覚えてくれるの、
と可憐な色合いの草花は訴えているようにも観える・・。

街に出れば、古来からの食事処は衰退し、
寿司にしても回転寿司店の方が繁栄している。

私も当地に来て、最初の2日間ばかりは食事処の専門店を利用したが、
刺身を食べたければ、回転寿司で地魚の特選を頂いた方が、
新鮮であり、値段も程々である。

大都心と違い、人の減少する街並みは、私の思う気持ちと相反し、
致しがたいと実感させられたりしている・・。

花は数10年の時を越えて、秘めて咲いたりしているが、
現世の人の営みは、たとえ観光地でも年が変わるたびに変貌をしていく、
と改めて思ったりしている。



   第12章  旅の終りの頃には

家内の母と私達夫婦は、
先週の火曜日より伊豆の下田で6泊7日の温泉滞在をしているが、
本日が旅の最終日となっている。

私は早朝に目覚め、ロビーでペットボトルの煎茶、そして煙草を喫いながら、
『日経』、『読売』、『朝日』の朝刊を読みふけっている・・。

自宅のパソコンの性能と回線の環境の相違にある上、
お風呂と読書、そして観光めぐりには、何かしら飽き足らず、
頭の体操で読んでいる恒例となった。

いずれにしても旅は非日常の時であり、
普段の生活帯が何よりも心身に良く、
こうした温泉滞在は生ぬるく、飽きが多少生じてきている。

私には心の緊張感が欠けた生活帯は、ボケてしまうと、
思ったりしている。



   最終章  旅から帰宅すれば

先週の火曜日から、温泉滞在旅行から先程帰宅したが、
門扉から玄関庭に立つと、微風が吹く中、樹木は伸びて折、
郵便受け入れ箱に数多く郵便物が着信している。

部屋の空気を入れ換えたり、お風呂の準備をしたりしている。

そして、家内のコーヒーを淹れた後、
私は玄関庭に下り立ち、安堵感にしたり、煙草を喫いながら、
旅先のことを振り返ったりしている。

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伊豆・下田温泉滞在記《上》 【2007.5.22. ~ 5.28.】

2008-05-13 13:01:46 | 
   序章 本日より、伊豆・下田に温泉滞在

本日より、28日(月)まで6泊7日で、
家内の母と共に3人で温泉滞在旅行に出かる。

齢を重ねた62歳の私は、何事も好奇心を失くしたら人生は終りだ、
と持論の持ち主であるので、
果たして10年ぶりに訪れる旅先は、と思ったりしている。



   第1章  風光る入り江

私達3人は、伊豆の下田の観光ホテルに到着したのは、
午後1時過ぎであった。

左に爪木崎、右手に城山公園が望める入り江にあるホテルであり、
快晴の空の下、微風か吹く中、海面は午後の陽差しで光を帯びていた。

街に出て、食事処で刺身の盛り合わせ、地魚の煮魚を注文し、
ビールを呑みながら昼食をはじめた。

旅先のことなので地魚も食べられるので、
おのおの自在に追加注文をし、呑みながら食べたりした。

程々の支払いとなったが、旅先のことであるので、
時折こうした贅沢なひとときを過ごすのである。



   第2章  伊豆下田の歴史散歩道

昨夜は8時過ぎに眠り、今朝は3時に目覚めた。

海上は夜明け前であったが、漁船の灯火が港からゆっくとと離れて、
入り江から外海に向かった行った・・。

私は日中のひととき、
この地の歴史の散歩道と称された街並みを訪ねようとと思っている。

快晴に恵まれた日中、
江戸時代の末期に思いを馳(は)せるのも旅先のひとつと思ったりしている。



   第3章  花の香りにつつまれて

伊豆の下田の歴史の散歩道を散策したが、
アメリカのペリー提督、ハリス領事、
そして唐人お吉と称された不運なうら若き女性に思いを偲(しの)ばせた・・。

この後は、ロシアのプチャーチン提督の来航、
江戸末期の下田港の栄華、そしてこの当時の下田の人々の面影を想像したりし、
快晴の暑い中、寺めぐりなどをした。

了仙寺の境内は、ジャスミンの花の彩(いろど)りにつつまれ折、
陽射しを受けているあたりは盛りを過ぎていたが、
日陰の周辺の色合いは、洋花嫌いな私さえ香りは強すぎるが、
ある一面は魅了された。

このあと、丘陵の下田公園を訪ね、あじさいの花色を確かめに出かけたが、
ほんのわずか咲いており、莟(つぼみ)が大半であったが、
わずかに咲いている花の色合い愛(いと)おしさを感じたりした。

観光ホテルに戻ると、黄色い素朴な花が咲いていた。
地の人に尋ねると、兵隊花、と私達は昔から教えられていますよ、
と答えてくれた。

尚、この地域においては、アジサイの花の中で、
品種により寝姿ブルーと称している。
付近に丘陵は、女性の上半身に形に似て寝姿山と名付けられ、
この丘陵にもアジサイが多く、紫と青に染められた花色を寝姿ブルーとも云われ、
妖艶の中でもほのかさを感じさせてくれる、
と余計なことを思ったりしている。

こうしてつたないことを綴っているが、
観光ホテルのロビーの一角にパソコンが2台設置されているが、
OSが98の直後の上、性能、回線に私の日常はXPと光回線の利用の身としては、
多少の我慢を強いられている。



   第4章  ここ数日間は、早朝に

私は家内と家内の母と三人で、
伊豆半島の先端に近い下田に温泉滞在をしているが、
早朝の3時に目覚め、
夕方の4時頃に1時間ばかり寝てしまう悪い癖となっている。

一昨日の旅立つ朝、家内が家内の母宅に電話連絡をしたので、
私は4時半起床予定を勘違いして、3時過ぎに起きてしまったのであった。

この習慣が昨日、本日も続き、
私はロビーの海辺に面したソファーに座り、
夜明け前の海を眺めながら、煙草を喫ったりしている。
4時過ぎになると、あたりは白さを増して夜明けのひとときを迎える。

東の空は小高い山並みの丘陵にさえぎられ、
残念ながら海上の朝焼けの空は見られない。

こうして綴っていると、遊歩道を散策する人たちが7人前後みられる。

私は日中はこの付近の丘陵を散策し、
樹木と花を誉(ほ)めながら、下田の街並みを一望しょうかしら、
と思ったりしている。



   第5章  花の色合いにつつまれて

下田の街外れを歩くと、
今の時節はニオイバンマツリという芳香ある紫の花が彩っている。
紫から白色に移り変わるジャスミンの一種であるが、
街から丘陵に数多くの見られる。

この花と重なるようにアジサイの花が咲きはじめている。
特に青色がひときわ強い妖艶で気品を感じる寝姿ブルーは、
私は魅了されている。

この街は早春に日本水仙の白い花が半島の周辺に咲き、
東京の郊外より1ヶ月を早く咲きはじめ、
そして年の瀬には蝋梅の黄色い花が見られる特に温暖な地域である。

このように散策すると、花に出会うと、もうこのような時節かしら、
と少し戸惑いながらも、それぞれの花の色合いを誉(ほ)めて、歩いている。



   第6章  小雨の舞い降る中

伊豆の下田は、夜明け前の3時半過ぎは曇り空であったが、
5時過ぎに小雨が降り出してきた・・。

朝食前のひととき、ロビーで新聞、そしてお風呂に入ったりし、
小雨の町並みを見下ろしていたが、
ここ3日間は快晴に恵まれ、初夏のような日中を振り返ったりした。

私は町並みを散策したり、小高い丘陵で花の色合いを誉めたりし、
そして遊覧船に乗船し、入り江から須崎半島の周辺を景観したりした・・。

下田港を小高い丘陵、海上の遊覧船からを見たりして、
はるか昔にアメリカ、ロシア、イギリスの船が来航した当時に、
思いを巡らせたりした。

小雨の日中を迎えるが、
紫と白の色合いに染められたニオイバンマツリの芳香を思い出したり、
そして少し開きかけていた青の色合いのアジサイに思いを馳せたりしている。
ひときわ鮮やか色合いを秘め、
小雨の中、どのように容姿で濡れているのかしら、と少し気がかりである。


   第7章  雨の降るときは、読書と

伊豆の下田で温泉滞在をしているが、
ここ3日ばかり晴天に恵まれ、少し暑い日が続いたので、
雨の降る日中は休息とし、観光ホテルの室内とロビーを行き来している・・。

持参した中の一冊の塩野七生・著の『ローマから日本が見える』(集英社)を読んで折、
この女史に導かれて、ローマの時代に思いを馳(はせ)たりしている。

そして疲れを覚えたりすると、
布団の中であったならば、目を閉じ、寝付いてしまう・・。

目覚めると、ロビーへ行き、ソファーに座り
、雨を眺め、煙草を喫ったりしている。

私は塩野七生・女史とお会いできた時は、
少しお洒落なワイシャツと何より話題が豊富であることが肝要かしら、
と夢想したりしている。

この女史の専門の地中海の歴史、文明以外の歴史の足跡の話をし、
少しローマに影響をしたら、とお話をでまれば、
ロビーから見える花を見ながら思ったりしている。


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私の人生の応援歌のひとつ『旅の夜風』・・♪   《初出2007.5.21.》

2008-05-13 12:54:15 | 音 楽
私は定年後の年金生活の3年生の身であるが、
私は時折、口づさむ歌がある。

現役時代に於いては、業務で苦戦した時、
親戚との確執にさいなまれた時など、ときたま唄ったりした。


♪花も嵐も 踏み越えて
 行くが男の 生きる途(みち)

【 『旅の夜風』 作詞・西條八十 】


私が小学3年の春、祖父が亡くなり、
その前年に父に死去されて、母は私を含め5人の子供が残されたので、
母がよく鼻歌を唄ったりしていた。

この頃は、ラジオからよく流れていた、と子供心に記憶がある。

家内は戦前、戦後の歌謡曲は、私より詳しい。
家内の父が歌謡曲が好きで、唄に自信を深めていたので、
家の中、勤務先の交際の折、よく唄っていたらしい。


♪泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
 月の比叡(ひえい)を 独(ひと)り行く


時折、私が鼻歌を唄ったりすると、
家内が、NHKの『素人のど自慢』の鐘の音を真似て、
『カァ~ン』と微笑みながら、云ったりしている。

私は人生の苦節の折、よく鼻歌として唄ったりし、
励まされる貴重な唄のひとつである。

尚、この歌が昭和13年に上映された松竹映画の『愛染かつら』の主題歌であり、
原作が小説家・川口松太郎が雑誌『婦人倶楽部』に連載された、
と知ったのは私はここ数年前であった。



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『小満(しょうまん)』の時節を迎えて・・♪   《初出2007.5.21.》

2008-05-13 12:51:39 | 時事【社会】
東京の郊外は、雲ひとつない快晴の朝を迎えている。
朝方の6時に12度近く、日中は23度前後の心身心地よい1日を迎える。

私は5時過ぎに起きだして、朝の陽射しをまばゆく感じたりして、
思わず陽に向かい、感謝の意味で両手を合わせてしまった。


私が愛用している『日本文化いろは事典』のサイトに寄れば、

小満とは秋に蒔(ま)いた麦などの穂がつく頃で、
ほっと一安心(少し満足)するという意味です。
田畑を耕して生活の糧(かて)を稼いでいた時代には、
農作物の収穫の有無は、人の生死にかかわる問題でした。
そのため、麦などに穂がつくと『今のところは順調だ、よかった』と満足したことから、
小満と言う名前が付いたようです。
このように24節気のひとつ時節の『小満』は明示されていた。

先程、NHKの天気予報の時、
陽気がよくなり、草木が繁って天地に満ち始める頃という意味です、
と報じられていた。

いずれにしても、陽射しを受けながら、雨と土に育てられ、
農作物はもとより樹木、草花がめざましく成長する、
と私は現代風に心を寄せる時節である。

先程、庭先に下り立ち、樹木の青葉が日増しに深める色合いを眺めながら、
煙草を喫ったりしていた。
稲穂に近い小判草の群生は揺れ、半夏生(ハンゲショウ)、秋海棠(シュウカイドウ)は日増しに成長し、
どくだみ(ドクダミ)の白い花、雪ノ下(ユキノシタ)の穂が白い花になり、
この時節を教示してくれる。

私は暑い夏の季節は苦手なので、
この時節は、こよなく愛(いと)おしい日々である。


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月を眺めれば・・♪    《初出2007.5.20.》

2008-05-13 12:48:37 | 定年後の思い
先程、風呂上り、パジャマ姿で玄関庭に下り立ち、
夜空を眺めた・・。

星がきらめている付近に三日月を眺めたりした。

昨年の秋頃は、三日月を見ると、絢香(あやか)ちゃんだ、
と呟(つぶや)いたりしていた。

ご年配のお方の一部には、お解かりにならないと思うが、
10代の女性でシンガーソング・ライターして折、
『三日月』などの名曲を発表された才気あふれるお方で、
私は久々に感性のある人と魅了された人である。


今の私の心は、絢香ちゃんの世界からは遠ざかっているが、
月を眺めれば、過ぎ去った日々に思いを馳(は)せたりしている・・。

私は年を重ねた62歳の身であるが、
それなりに幾たびの出来事を思い返したりし、微苦笑をしている。

ほのかな想いに、時折心を寄せたりし、
私はそれぞれの時節の月から享受をうけたりしている。

古人の時代より歌人達が、月を眺め哀歓を寄せたりして、
詠(よ)まれた歌が数多く残されている。

あの頃から長い歳月が過ぎているが、人の心は変らぬ思いがあり、
私なりに月に眺むる時、ときおり残されている名歌を心の中で呟(つぶや)き、
心を寄せたりしている。


巡り逢ひて見しやそれとも
    分かぬ間に雲隠れにし夜半(よわ)の月かな
        
        作者・紫 式部


秋風にたなびく雲の絶え間より
     漏れ出づる月の影のさやけさ

作者は・・確(たし)か・・左京太夫・・あきすけ・・だったかしら、
と思い返したりしている。


尚、月は眺むることで、月に行き探検されるなどは、
私にとっては論外と思っている。

私は科学などの発達より、情緒や情感をこよくなく大切にしているからである。

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夕暮れは、薫風にゆだねて・・♪   《初出2007.5.20.》

2008-05-13 12:45:48 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、快晴の安定した日中であった。

夕暮れの今、空は雲ひとつない青空となって折、
風が吹いてきて、庭先で風に吹かれると、心身心地よい・・。

樹木の青葉は色合いを深め、揺れている。

こうした恵まれた情景は、この時節でも数えるばかりであるので、
陶然として心に寄せたりしている。


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青空の中、雲はぽっかりと浮き・・♪   《初出2007.5.20.》

2008-05-13 12:38:59 | 定年後の思い
東京の郊外は、空一面は青空となっている。
ほんの数えるばかりの雲がゆったりと浮んでいる・・。


幼児であったならば、
『パパ・・あの雲・・綺麗よね・・』
とパパに願うと思うが、

『XXちゃん・・何でも叶(かな)えるように・・
パパなりに頑張っているが・・
こればっかりわね・・』
と幼児の女の子に答える。

あるとき、満月が輝いていた夜、
女の子は、
『パパ・・あのお月様・・綺麗よね・・』
とパパにせがんだりした。


私は晴れ間の中、ぽっかりと浮んだ雲を見ながら、
このような夢を浮かべている。

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