夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活を始めた時、つたない人生航路を歩んだ私でも、秘かに決意し、実行してきたことは・・。

2017-10-31 14:40:35 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
年金生活をしている73歳の身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので,
たったふたりだけの家庭となっている。

そして住宅街が広がる中で、雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、

ささやかに過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であり、
多々の理由で年金生活を始め、早や丸13年が過ぎ、14年生となっている。

この多々の理由については、8日8日に投稿文で、
過ぎしリストラ烈風の中、私は定年退職して、まもなく実質として丸13年の年金生活が過ぎ、独り微苦笑をして・・・
と題して投稿している。

こうした中で、先ほど、私が年金生活を始めた時、
つたない人生航路を歩んだ私でも、秘かに決意し、実行してきたことを、
先程、思い浮かべて独り微苦笑をしたりした・・。

           

私は定年退職後、年金生活を始めた当初、平素の買物ぐらいは担当をする、
と家内に宣言した。

そして私は午前中のひととき、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後を歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたり、
ときには本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。

こうした中、最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

このように私は午前中の大半は、小庭の手入れ、冠婚葬祭、懇親会、或いは家内と共に国内旅行、
そして家内が買物をする時は、ボディガード兼荷物持ちをする以外は、殆ど毎日している。

                        
      
こうした主な原因は、定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時代は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信したりした。

そして昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

こうした中、家内は専業主婦の延長戦のような朝夕の料理、そして掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

           

      
やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、年金生活を始めてまもなくブログの世界を知り、
パソコンの故障、国内旅行をしている時以外は、毎日一通はブログの投稿文を書いたり、
私が愛読している御方の投稿文を読まさせて頂いている。

           

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

こうして歩く時の私は、紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、

大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
             
このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

           
            

こうした中で、私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。
過ぎし
私が定年退職後、年金生活を始める直前に、家内の父が病死され、
家内の母は独り住まいとなったりした。

この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。

いつの日にか私たち夫婦は、どちらかが片割れとなり『おひとりさま』となるが、
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
私は特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしてきた。

ここ数年は、家内の母の老化と病状で、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、これも人生だよねぇ、と私は独り微苦笑したりしている。

           

昨夜、年金生活を初めてまもない頃、旅先の写真を見たりした。
やがて寝る前に洗面所で歯を磨いている時、何気なしに鏡を見たりした・・。

過ぎし9月30日に、私がサラリーマン時代に勤務していた『OB懇親会』に、
私も出席して、数多く先輩、同僚、後輩などと、談笑をして交流を深めたりした。
そして数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は言われたりした。

私なりにプラス思考で年金生活丸13年を過ごしてきたが、
しかしながら、やはり13年の歳月が過ぎれば、老(ふ)けきたよなぁ、と独り微苦笑をしたりした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学生のスマホ所持率が増加! スマホを使う子供に親が教えるべき4つのこと、時代遅れの73歳の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2017-10-30 14:00:56 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【ディリー新潮(DAILY SHINCHO)】を見ている中で、
【 小学生のスマホ所持率が増加! スマホを使う子供に親が教えるべき4つのこと 】と見出しを見たりした。


私は年金生活している73歳の身であるが、恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら、有線の据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
          
このように無線のモバイル情報機器に、遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
                         
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、息子、娘もいなく、もとより孫もいないので、
たった2人だけ家庭となっている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、一昨年の春に遅ればせながら家内専用の携帯電話を買い求め、今日に至っている。

             

私はパソコンに関しては、ネットで『ダイヤモンド・オンライン』、『プレジデント・オンライン』などを愛読したり、
私は退職する前は、音楽業界に35年近く勤務してきたので、やはり習性として音楽業界の動向を公式サイトで読んだり、
或いは何かと不明な事を調べたり、旅行に関して、路線バス時刻表など多岐に及び活用している。

その上、過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿している。

そして私は、ブログで魅了された数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりしてきたので、
パソコンの一日使用時間は、4時間前後かしらと思ったりし、日常生活には欠かせない友のひとりとして、愛用している。

こうした中、過ぎし一週間前、自宅の近くにある遊歩道を散策していると、
小学生の下校時間と思われ、数多く学童と出逢ったりした。

そして中には、スマホと思われる機種を楽しそうに操作する学童を5人ぐらいて、
私は微苦笑をしたりした・・。

今回、【小学生のスマホ所持率が増加!・・】と標題に、
どうしてなのょ・・と私は好奇心に負けて精読してしまった。

この記事はネットの【ディリー新潮】に於いて、2017年10月26日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
小学生のスマホ所持率が増加! スマホを使う子供に親が教えるべき4つのこと

             

情報セキュリティメーカーが実施した携帯電話・スマートフォン利用実態調査(2017年3月発表)によると、
なんらかの携帯電話を持つ小学校高学年の生徒のなかで、
スマホ所持率は60.2%に達していることが分かった。

(※情報セキュリティメーカーのデジタルアーツ株式会社「2017年 未成年の携帯電話・スマートフォン利用実態調査」より
 全国の小・中・高校生男女と0~9歳の子どもを持つ保護者1197名を対象に実施)

そんな時代のニーズに合わせ、子供向けのスマホも登場。
ドコモやauのジュニアスマホが有名だ。




子供向けのスマホも登場 (掲載された記事より、お借り致しました)


また、2017年にはauがミライエフォルテを発売して話題になったが、
大手キャリアなので、子供向けのスマホでも月額5,000円近くかかり、割高と言える。

対して“格安スマホ”は、月額2,000円もあれば十分な機能が利用でき、お得感がある。

中学生の格安スマホ所有率が、13.0%に対し、
小学生の格安スマホ所持率は、21.0%と高く、キッズ携帯を卒業後、
格安スマホへ移行、というのが最近のスマホデビューの定番なのだろう。

             


そこでスマホを使わせるうえで、子供に教えたい4つのことを考えたい。


(1)使っていい時間をはっきりとさせる

    食事中にはスマホをいじってはいけない、
    登校中の歩きスマホは厳禁といった基本的なルールを徹底させたい。
    また「1日1時間」といった家庭内ルールを設定するのもいいだろう。


(2)インターネットやSNSにはリスクを伴うことをきちんと話す

    課金や違法なダウンロードなど、よく分からないまま利用してしまうケースもあります。
    個人情報が簡単に漏れてしまう危険性も具体的に教えてあげてほしい。


(3)料金が発生していることを教える

    スマホは無料ではない。
    料金明細を使い、実際に子供が「いつ・どこで・誰に」かけているのかを一緒に、確認するのがベスト。
    毎月料金が発生し、親が支払いをしているのだから、
    親が携帯を管理するのは当然と、立場をはっきりさせることが大事。


(4)メールの書き方をきちんと伝える
    
    友達同士のトラブルは、メールが発端となることが多い。
    だからこそメールは、返信のスピードが勝負なのではなく、
    「1度は読み返して、相手がどう受け取るだろうか」と考えさせるように教えていく必要がある。

    逆に、傷つく言葉を言われても、重く受け止めすぎる必要がないことも、
    合わせて教えてあげるのが親のつとめと言える。



また、親が気になるところを網羅したTONEスマホも注目だ。
例えば、アプリ制限機能で使って欲しいアプリを指定したり、
時間制限機能で、休日だけゲームやYouTubeを許可することができる。

居場所確認機能も搭載しており、指定した位置への出入りが確認でき、習い事や塾などの送迎に便利だ。
月額使用料が1000円という低価格も嬉しい。


小学生からスマホ所持が増える今、子供に安心・安全なスマホを選んで、
使い方をきちんと教えることが必要だ。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした
            

私は読み終わった後、特にスマホを使う子供に親が教えるべき4つのこと、
学童がいる親御さん、そして祖父、祖母も、何かと大変だなぁ、と微苦笑させられたりした。

もとより現代、働いて下さる諸兄諸姉はバソコンとスマホは必須情報機器の時代で、
短期に成果を求められる過酷な状況となっている。

こうした社会状況の中、小学生からスマホかょ・・と私は苦笑したりした。

私は我が家にある据え置き電話で充分満足しているし、
写真はデジカメ・・場所検索などは事前にパソコンで調べたりしていて、
スマホは必要ないよねぇ・・と年金生活丸13年過ぎた今も、思ったりしている。

そして30年以前には、たとえば待ち合わせをする時、過ぎし時代は『待ちわびる』トキメキがあったが、
ポケベル、そして携帯電話、やがてスマホという時代なり、あえなく死語となり、
情緒、情感が減少してしまったねぇ、と老ボーイの私は微苦笑をしたりしている。

余談であるが、今回の『TONEスマホ』・・時代遅れの私は、
判らず、何のことなの・・と心の中で呟(つぶや)いたりしいる。

 ☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入所まで数年待ち「特別養護老人ホーム」は実は空いていた、私は実情を学び、やがて溜息ばかり重ねて・・。

2017-10-29 15:39:23 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ている中、
【 入所まで数年待ち「特養」実は空いていた
       ~「個室型」は高すぎて入れない~ 】と見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇しないで、お互いに体力の衰えも実感しながら過ごしている。

やがて齢を重ねて、いつの日にか、介護にお世話になる時が到来すると思われるので、
漠然としながらも介護施設について、思案したりしてきた・・。

こうした中で、日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの平成27年には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

そして誰しも憂いることは、「健康寿命」と「平均寿命」との間に、多くの御方が介護・要となり、
介護の状況により、やむなく介護施設に入居する事態となる。

やがて「団塊の世代」が後期高齢者となる8年後には、
特別養護老人ホーム(特養)などに入れない介護難民が、43万人に達すると予測される、
と新聞などで報じられている・・。

          

周知通り、特別養護老人ホームは、本人と扶養義務者の所得によって金額が変わりるが、
月額利用費は、介護保険利用者負担費+食費+居住費=合計5万~15万と格安で入居でき、
医療費・散髪費等の日常生活費は実費負担になる、と報じられている。

そして「待機老人」が52万人いると新聞などで記載され、
やむなく有料老人ホームを選定される御方が多いのが、実態と私は思ったりしてきた。

しかしながら介護付き有料老人ホームを少し調べたりしてきたが、
それぞれの地域、介護の難度、施設の優良度合により、差異があることを学んだりしてきた。

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市
の外れに住んでいるが、
程近くにある三つばかり参考例として記載する。

A:入居費(0万円~840万円)そして月額(21.1万円~35.5万円)
B:入居費(0万円~1580万円)そして月額(0万円~63.7万円)
C:入居費(0万円~3600万円)そして月額(27.4万円~115.6万円)

入居費が廉(やす)ければ、月額の負担が多い上、
やはり介護の難度、施設の優良度合により、大幅な差異がある、と思われる。

もとより介護
の難題は、いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、
やがて永がられば本人の自己負担額が増し、

こうした中で、資金不足となり、やがて私だって介護難民になることが予測される。

私は裕福層には遥か遠い年金生活の身であるので、
改めて有料老人ホームの入居費、そして毎月の負担額が余りにも高価に、溜息をしたりした。

          

こうした心情を秘めた私は、今回の標題、【 入所まで数年待ち「特養」実は空いていた ~「個室型」は高すぎて入れない~ 】
精読してしまった・・。

この記事は、介護に精通しているライターの相沢 光一さんが綴られた寄稿文であり、
『プレジデントオンライン』に2017年10月28日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・入所まで数年待ち「特養」実は空いていた ~「個室型」は高すぎて入れない~

民間の半額以下ということで、人気のある特別養護老人ホーム(特養)。
40万人近い「入所待ち」が社会問題になっていますが、
あるケアマネージャーは「担当地域では空きがある」といいます。

しかも「そういう地域は、少なくないはず」というのです。
なぜ空きがあるのに、待機者がいるのでしょうか――。

          

☆民間の半額以下「特別養護老人ホーム」の現実とは? 

在宅での老親の介護が難しい状況になった場合、考えざるをえないのが、施設への入所です。
なかでも入所希望者が多いのが、特別養護老人ホーム(特養)。
全国に約9500カ所あり、約57万人が暮らしています。

社会福祉法人や地方自治体が運営する公的施設であり、費用が安いのが特徴です。
毎月の費用は、介護サービス費と生活費をあわせて月10万円ほど。
「入居一時金」はありません。

一方、民間の有料老人では、一般的に毎月20万円以上の費用がかかり、
さらに数百万円の入居一時金を求められます。

そのため希望する特養に入れない「待機者」がたくさんいます。
厚生労働省によると、2016年4月時点での待機者は、36万6000人です。

このため「空きが出るまで、数百人待ち」とか「入所するまで、数年かかった」といった話をよく聞きます。

          

☆待機者が約37万人「でも、空きのある特養は結構あるんです」

ところが、ケアマネージャーのMさんは
「実は入所者で埋まっていない、つまり空きのある特養は、結構あるんです」と言うのです。

「もちろん地域差は、あると思います。
すべての特養が満員で多くの人が、順番待ちをしている地域もあるでしょう。
でも、私が担当しているエリア(首都圏某市) では、2カ所の特養で空きがあります」

全国的にも特養の待機者が、減少傾向にあることは確かなようです。
その要因のひとつは、2015年4月に施行された介護保険法改正です。

それまで特養には要介護1以上であれば入れたのですが、
改正によって入所条件が、原則要介護3以上になりました。
要介護1と2の人が除外になった分、待機者は減ったわけです。

しかし、Mさんは、「ほかにも要因がある」といいます。
それは「特養に個室のユニット型が増えたこと」です。

          

☆スウェーデンを真似た「ユニット型」が増加中

特養は「従来型」と、2001年以降に新設された「ユニット型」のふたつのタイプに分けらます。

従来型は、4人同室の多床室が主です。
しかし、それでは入所者のプライバシーを保てないということから、
厚生労働省は、特養の個室化を推進。

2001年以降に新設された特養には、個室が設けられるようになっています。
ユニット型とは、その個室の入所者10人程度をひとつの生活単位=ユニットとして職員を配置し、
ケアをする形態です。

ユニット型特養は、福祉先進国のスウェーデンのケアスタイルを取り入れたものです。
入所者は、個室で寝起きし、そのユニットを担当する職員から、個別にケアを受けます。

食事や入浴の介助もユニットごとに行われ、
個室に隣接した共同スペース(リビング)で、入所者同士が交流することもできます。


従来型の多床室でのケアとユニット型の個室でのケア。
入所者のことを考えれば、個室のほうがいいに決まっています。

病院であれば原則として「退院」がありますが、老人ホームはいわば終の棲家。
病院のように施設側で決められた人と同じ部屋で、ずっと暮らすことになるのは、
精神的な負担が大きいといえます。

最近では多床室でも、プライバシーに配慮して、ベッドまわりをカーテンではなく、
建具で覆うことで「個室風」にしているところもあるようですが、
同じ空間にいることに変わりません。

寝ている時のいびきや認知症の人の独り言などが、聴こえることがあるでしょう。
排泄介助では臭気も漂ってきます。


一方、個室ならば、そうした問題はありません。
また、家族が訪問してきても、個室で気兼ねなく話ができる。

ケアに関しても個別ですから、自分のユニット担当の顔見知りの職員に
安心して任せられるというメリットもあります。
自宅の快適さには及ばないまでも、それに近い環境で生活できるのがユニット型というわけです。

          

☆デメリットは月の利用額が4万~5万も高くなること

いいことずくめです。
しかし、問題がないわけではありません。

Mさんはこう語ります。
「ユニット型特養は、多床室に比べ、料金がかなり高いのです。
月額利用料の目安は、多床室が8~9万円なのに対し、
ユニット型は、光熱費や設備の維持費がかかるため12~14万円ほどになります。

老人ホームの利用者さんの頼みは、年金ですよね。
その支給額から見て、多床室の料金なら払えるけど、ユニット型は無理という人は、かなりいる。

にもかかわらず、新設の特養はユニット型ばかり。
その結果、空室が出てしまうんです」

多床室の利用額8~9万円より、月4~5万円ほど高くなってしまう。
このため空きがあるのに、入れないという状況が生じているのです。

          

☆はやりのユニット型は職員の負担が大きすぎる

空室が出る要因として、施設側の事情もあります。

多床室は、介護職員が効率的にケアできますが、
ユニット型は、個別ケアのため職員の負担が大きくなります。

介護施設は、ただでさえ人手不足。
給料はたいして変わらないのに、仕事の負担が重いところに働き手はなかなか集まりません。

老人ホームでは、最低でも利用者3人に対し、1人の介護職員を配置しなければならないという
基準がありますが、その基準を満たすことができず、
空室があるのに、利用者を受け入れられない特養がある、とMさんは言うのです。

「つまり、空きが出ているのは、厚労省の方針で新設が進められたユニット型特養。
理想と現実のギャップが生んだ空室といえます。

たしかに入所者の方々のことを考えたら、個室であることが理想です。
しかし、料金が高くて入れない人がいるという現実がある。

そもそも特養って、利用料が安いのが、最大の利点じゃないですか。
収入が少ない要介護者のセーフティネットでもある。
その辺の目配りを十分にしないまま、空室を出してしまっている状況は、やはりおかしいですよね」

介護関係者でも、ユニット型支持派と多床室支持派に分かれて、
議論が行われることが多いそうです。

「でも、どちらがいいというのではなく、ユニット型も多床室も十分に整備して、
利用者さんの状況に応じて、選択できるようにするべきだと思います」(Mさん)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

            

この記事を読んでいる中で、高価な有料老人ホームには無理としても、
何とか特別養護老人ホームのユニット型には入居でき、やがて永らえても大丈夫と微笑んだりした。

しかしながら、肝要の介護施設の職員さんが不足で、受け入れ態勢ができず、やむなく空き室になっている所もあり、
と私は学び、やがて溜息ばかり重ねたりした・・。

れから「団塊の世代」が後期高齢者となる8年後は、約800万人と予測される中、
私は介護難民にならないことは、ひたすら自助努力して、
介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」を出来る限り長く保つしかない、
と思ったりしている。

私は殆ど毎日、独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
ささやかな願いも叶えられなく困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、
或いは足早に歩くことが多くなっている。

            

そして富も名声も無縁な私としては、歩くこと、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体と信愛し、過ごしたりしている。

いつの日にか介護・要とか大病に遭遇しないことは、自助努力も肝要であるが、
こればかりは神様か仏様の采配に寄るよなぁ・・と微苦笑をしたりしている。

 ☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨーグルトは「不老長寿の妙薬」、遅ればせながら私は学び、微笑みを重ねて・・。

2017-10-28 15:51:54 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

私は民間の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めた。

こうした中、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。

年金生活を始めて数年は、何かと単細胞の私は、冷凍チャーハンを電子レンジで温めて、
こよなく愛食していた。

やがて3年を過ぎた頃、飽きてしまい、スーパーに売っている色々な菓子パンを食べたりし、
この後はアンパンのこしあん、粒あんを計ふたつを食べて、
この世にこんなに美味しい食物があったんだぁ、と微笑ながら長らく愛食していた。

しかしながら今年の確か5月、少し肥満体であった私は78キロになってしまい、
身長170センチでも、まぎれなく肥満体となり、もとより肥満体は万病の元であり、
朝食のご飯を半減したり、夕食の肉類も半減したり、何よりも昼食が激変した。

            

そして昼食はキュウリ2本とトマトを一個を食べたりし、74キロをめざした。
やがて7月には達成してしまい、もう少し減らそうと思ったりした。

この後、9月より初秋となり、キュウリとトマトより、代わりを思案したりしてきた。
柿も良いが糖分が多すぎるので、リンゴとして、ヨーグルトも付け加えた・・。

このように私はこの時節は、リンゴを一個ばかり食べた後、ヨーグルトの450グラム入りを半分ほど食べ、
昨今は72キロ前後となり、微笑んだりしている。

こうした中で、10年前に愛用していた長ズボンも穿(は)けて、
何かしら得をしたように、独り微笑んだりしている。        

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
やがて認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
午前中のひととき、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

            

たまたま先程、ときおり愛読している生活総合情報サイト【All About(オールアバウト)】に於いて、
『「新常識! ヨーグルトは夜に食べるべし』と題された見出しを見た。

私はどういうことなの、と思いながら精読してした後、多々教示され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・新常識! ヨーグルトは夜に食べるべし

 
注)記事に掲載された写真をお借り致しました

 「夜ヨーグルト」はダイエット効果でも注目されている。
心と体の両面でメリットがありそうだ。

「不老長寿の妙薬」として、世界中で食べられているヨーグルト。
日本でもすっかり日常食として定着しています。


ヨーグルトといえば朝食、というイメージを持っている方も多いと思いますが、
実は「夜」に食べる方が、大きな効果が期待できるそう。

というのも、ヨーグルトに含まれる乳酸菌=腸の働きを良くする善玉菌は
空腹時に多く出る胃酸に弱く、朝、胃が空の状態で食べると
乳酸菌が胃酸にやられて、腸に与える良い影響が薄れてしまうからなのです。


さらに人間の腸は、夜10時から深夜2時の間で最も活動が活発になると言われており、
この時間帯にヨーグルトを食べると、質の良い乳酸菌がベストな状態で腸に届き、
しっかり働いてくれるというわけ。


また、ヨーグルトには脂肪燃焼の手助けをするビタミンB2や、
睡眠時にリラックス効果をもたらすカルシウムも含まれていますので、
何だかちょっとお腹の調子が良くないな、リラックスできていないな、
なんていうときは、「夜ヨーグルト」を試してみると良いかもしれません。

第二の脳とも言われる「腸」。
しっかり仕事するためにも、大事にケアしてあげて下さい。・・》

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした
         


私は齢ばかり重ねた何かと無知なことが多く、今回の記事で、
ヨーグルトは「不老長寿の妙薬」、遅ればせながら私は学び、微笑んだりした。

長寿社会の中、私は健康寿命と平均寿命に関して、
遅ればせながら過ぎし高齢者入門となった65歳の時から、強く意識を始めたりした・・。

厚生労働省の「平成25年簡易生命表」などによれば、
男性は健康寿命は71.19歳、そして平均寿命は80.21歳、
女性は健康寿命は74.21歳、そして平均寿命は86.61歳、と公表されてきた。

そして平均寿命と健康寿命の間には、男性で約9年、女性で約13年の差があり、
それぞれ人生の晩秋期として、何よりも悩ましい難関の期間となる。

もとより健康寿命は、健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間であり、
やがて要支援・要介護状態となり自立度の低下や寝たきり、終末期となる。

そして誰もが最後まで、健康で心身溌剌とした生活を送りたいと念願して、
自助努力されて過ごされている、と私は深く感じたりしてきた。

昨今、75歳以上の男女は 体力が過去最高に向上された、と私は感じ、微笑んだりした・・。
そして平均寿命が延びて、行動的な高齢者が増えつつある中、
20数年前より、多くの御方が5歳~10歳ぐらい若返りになっている、と私は感じたりしてきた。

            

たまたま私は、ヨーグルトは「不老長寿の妙薬」と学び、体力の衰えた私でも、
今後もヨーグルトを愛食すれば、やがて75歳の後期高齢者を迎え時、心身溌剌・・
もしかしたら80歳の時でも、健康上の問題がない状態で日常生活を迎えられるかしら、
と何かと単細胞の私は、微笑んだりした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「秋バテ」にご注意 効果的な予防とは、老ボーイの私は学び、やがて微苦笑をして・・。

2017-10-27 16:58:43 | ささやかな古稀からの思い

先程、ネットでニュースを見ようとして【YAHOO! JAPAN】を開き、
たまたま【ライフ】コーナーに於いて、ニュースを見たりした中で、
『「秋バテ」にご注意 効果的な予防とは 』と題された見出しを見てしまった。

私は年金生活の73歳になる身であるが、
私の住む場所は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅であり、
9月23日の秋分の日を過ぎた後、ときおり夏の香(かお)りを残した快晴もあったりしたが、
秋雨前線で小雨が降り続く日もあり、戸惑いを重ねたりしてきた・・。

そして爽やかな秋晴れが続くことはなく、天上の気候の神々は、ご機嫌が悪いのかしら、
と私は思ったりしてきた。

平素の私は、午前中のひとときは、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、或いは最寄駅までひたすら歩いて、
数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

しかしながら、秋雨前線で小雨が降り続く日は、一日おきになったりして、
体調維持が・・と私は家内にボヤく時もあったりしてきた。

こうした心情を秘めた私は、「秋バテ」にご注意 効果的な予防とは、標題を読んでしまった・・。

この記事は、内科・外科をはじめ「ホーム・ドクター」家庭の総合医を実践している松本浩彦(まつもと・ひろひこ)が、
明確な解答をされた記事であり、『デイリースポーツ』に10月27日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

 《・・「秋バテ」にご注意 効果的な予防とは
            

【Q】
夏バテはしなかったのに秋になって、体が重く、疲れやすいです。(50代男性)

【A】
夏バテは通常、夏の暑い時期に現れる慢性的な症状を言いますが、
実際の医療現場では、夏バテとは、暑さが過ぎた頃に多く見られます。

夏に環境や食品などで身体を冷やした場合に多く現れ、
夏の暑い盛りにを感じることを言うのではないのです。
「秋バテ」と言った方が良いかもしれませんね。

秋は、夏の暑さから解放され、眠りが深くなり、何とも言えない疲労感を感じやすくなります。
オフィスでは、10月ぐらいまで冷房も入っていますし。
秋雨や台風など、気温も一定ではなく、風邪を引き起こしやすくなります。

秋バテの原因は
(1)汗をかくことによる体内の水分やミネラルの不足
(2)胃腸の疲れによる消化機能の低下
(3)屋内と屋外の温度差による自律神経の乱れ
(4)睡眠不足による体力の低下、などが挙げられます。

それでは「秋バテ」の予防法を-。
            

《食事》
1日3食・規則正しく・バランス良く。
冷たいものはなるべく控え、身体を温めてくれる食材を飲食しましょう。
胃腸に負担をかけないため、よく噛んでゆっくり食べることも大切です。

《入浴》
寝る30分前に、ぬるめのお風呂にゆっくり浸かることで、
副交感神経が優位になり、体が睡眠モードに切り替わります。

《運動》
気候が涼しくなってくると、汗をかかなくなり、血行が悪くなってしまいます。
体内に疲労物質が溜まり、疲れやすくなります。

ウォーキングや軽い運動に、ちょうど良い気候ですので、適度に汗をかくようにしましょう。
何事も急にやってはいけません。
季節の変化に、徐々に身体を慣らせていくことです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

            


私は齢を重ねるたびに体力の衰えは実感しているが、
食欲に関しては、充分あるが、少し肥満体の私は、朝食の時はご飯をセーブして、72キロを保っている、

睡眠に関しても、ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

私は寝ている間は、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

入浴にも、高齢者は清潔が大切ょ、と私は家内から言われているので、
夕食前に入浴する時は、髪の毛も毎夕丁重に洗い、身体もくまなく洗い清めて、
ゆったりと湯船に浸かり、身も心も天国かしら、と思いながら享受している。

問題は運動であり、ほぼ毎日ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩いたりしているが、
《・・気候が涼しくなってくると、汗をかかなくなり、血行が悪くなってしまいます。
体内に疲労物質が溜まり、疲れやすくなります・・》と学び、溜息をしたりしている。

夏の熱い時は、汗もしたたり、ハンドタオルが汗をぬぐったりしてきたが、
昨今、涼しくなってくると、うっすらと汗ばむ程度となっている。

そしてジョキングなどをすればよいが、高齢者には心臓に負担をかけることは悪い、
と学んできたので、ためらいながら散策しているのが実情となっている。
             

私が住む地域は、11月3日の『文化の日』の頃から、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。

そして私は、毎年いつもように私は自宅の3キロ範囲にある遊歩道、小公園を散策し、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに染められる中、
スキップしたくなるような心情で散策をしてきたので、歩くことが長くなるので、
汗をかく代わりだょ、と微苦笑したりしている・・。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族が認知症になったとき、やってはいけないNG行動、こっそりと私は学び、多々教示されて・・。

2017-10-26 15:54:09 | ささやかな古稀からの思い

先程、長らく愛読しているネットの【NIKKEI STYLE】を見ている中で、
『 家族が認知症になったとき、やってはいけないNG行動 』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
家内は今年誕生日を迎えると68歳となり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの高齢者夫婦の家庭である。

こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しなく、今日に至っている。

しかしながら、いつの日にか、どちらかが認知症になることも、無念ながら予期できる。

こうした根底には、私の親戚の85歳の女性が不幸に認知症になったり、
或いは知人が81歳を過ぎてまもなく認知症になってしまった、と御当人の娘さんから、
私は打ち明けられたりしてきた・・。

もとより誰しもが認知症に遭遇せずに、身体は衰えても明るく晩年期を過ごしたいが、
こればかりは多くの人が、長生きすればするほど避けられない難題のひとつと私は思ったりしてきた。

こうした心情を秘めてきた私は、少なくとも私たち夫婦が、どちらかが認知症に遭遇した時に、
うろたえて困苦するばかりは悲惨となるので、少し学ぼうと思い、こっそりと精読してしまった・・。

この記事の原文は、『日経Gooday』の 2016年6月20日に於いて、
ライターの伊藤左知子さんが、福祉と生活ケア研究の専門家にインタビューされて纏められた記事であり、
関連の基幹サイト【NIKKEI STYLE】に2016年12月22日に
配信されていた。

そして少し古い記事であるが、認知症などの難題は、時空を超越することであり、
無断であるが転載させて頂く。
 

《・・家族が認知症になったとき、やってはいけないNG行動

          

(略)両親など身近な人が認知症になったとき、ついとってしまう行動や言動が、
認知症の人を傷つけ、症状を悪化させてしまうことがある。

どのような行動がNGなのか。
東京都健康長寿医療センター研究所 福祉と生活ケア研究チーム研究員の伊東美緒氏の話を基に解説する。


☆細かい指摘や小言は、逆効果

認知症の初期では、まだ認知機能が保たれているので、一人でも日常生活を行える。
しかし、何事も完璧にこなせるというわけにはいかない。

例えば、認知症になると、初期の段階から、
燃えるごみの中にアルミ缶を入れてしまう、食器に洗剤が付いたまま、うっかり食器かごに
上げてしまうといったささいな失敗が、増えてくる。

問題は、そんなときの家族の対応だ。

失敗が何度か続くと、「ゴミはきちんと分別してよ」、
「ちゃんと洗剤を落とさないとだめでしょう」と、細かく指摘してしまいがち。

家族としては、きちんとした生活に戻ってほしくて言うわけだが、
この行為は、むしろ逆効果になると東京都健康長寿医療センター研究所の伊東美緒氏は話す。

「認知症の初期は、ご自身だけでなく、ご家族も認知症を認めたくない傾向があります。
そのために、ご家族がしてしまう行動の中には、
認知症の人を混乱させてしまうものがあります。

失敗を細かく指摘する行為も、その一つです。
認知症のタイプにもよりますが、アルツハイマー型認知症の場合、
実際にはできていなくても、自分ではちゃんとできているつもり、という場合が少なくありません」と伊東氏。

つまり、家族がよかれと思って言ったことでも、認知症の本人にとっては、
「私が食器を洗ってあげているのに、なんで文句ばかり言うんだろう」と納得できない状態なのだ。

これが続くと、「うるさい!」という反応になって、口論につながってしまう。

「認知症の人は、言語機能も衰えてくるので、口論になっても、言葉数では、なかなか勝てません。
そのため、イライラが募り、『もういい、出ていく』と飛び出してしまったり、
あるいは“自分では、やっているはずなのに、私はおかしいのだろうか”と不安が募って、
うつ状態に陥ってしまうこともあります」と伊東氏は話す。

やってはいけないNG行動(1)ささいなことで小言を言う

          


☆よかれと思ってやらせる「脳トレ」も、逆効果になることが…

脳トレを無理強いするという行為も、初期の認知症で家族がしてしまいがちな行動だと、
伊東氏は指摘する。

家族としては、脳の機能が落ちないように、あるいは元に戻るようにと、
必死の思いで、脳トレ本などを買ってくるわけだが、
子供がやるような計算ドリルをやらされることに、本人が乗り気でない場合も少なくない。

「認知症のご本人が、好きで、脳トレに取り組むならいいのですが、
周りがあれこれ強制すると、それがストレスになってしまいます。

また、計算などは徐々にできなくなってくるので、
最初は3ケタの計算ができていたのに、2ケタしかできなくなり、
2ケタも難しくなってくるのを、計算ドリルをすることで、本人に気付かせることになります。

そうすると、ああ、こんなこともできなくなってしまったと落ち込んでしまい、
それが、うつ状態を引き起こす、きっかけにもなりかねません」と伊東氏は話す。

3ケタの計算ができなくても、老後の生活は十分していける。
それよりも「3ケタの計算ができなくなった」と落ち込むほうが、
認知症の人にとっては、悪影響なのである。

やってはいけないNG行動(2)脳トレを強制する

          


☆口論によるストレスを減らす工夫がお互いのため

「認知症の初期の段階で、ご家族に意識していただきたいのは、
認知症は、特別なものではないということ。

年を取れば、うっかりゴミを出し間違えることなんてあるよね、
とゆったりと構えることが大切なのです」と伊東氏は話す。

燃えるごみにアルミ缶が入っていたら、家族がこっそり出しておく。
食器に泡がついていたら、こっそり水洗いしておく。

家族がフォローすることで、口論が減る。
口論を減らすことは、認知症の本人だけでなく、家族にとってもストレスを減らすことにつながる、
というわけだ。

「そうはいっても、ぶつかってしまうこともあると思います。
そんなときは、自分を責めないことが大切です。

またやってしまったと落ち込まれるご家族がいますが、
家族だから、ぶつかってしまうのは、しょうがないと思うことも大事です」と伊東氏。

          

☆周囲に隠すデメリットより、隠さないメリットの方が大きい

もうひとつ、初期の認知症に限らず、認知症全体に関わる大きな問題がある。
それは偏見だ。

近年、認知症の情報が、テレビや新聞、インターネットなどで紹介されるようになり、
認知症に対する意識はだいぶ変わってきた。

しかし、いまだに認知症に対する偏見があり、隠してしまう家族も少なくない。
近所にはもちろん、地域包括支援センターや医療機関への相談もしない。

伊東氏は、「認知症は、隠そうとすればするほど、苦しくなります」と話す。

「狭い空間で、少ない家族と四六時中、一緒に過ごし、
同じことを繰り返し言ったり、聞かれたりするようになるわけですから、
ストレスも大きくなり、口論も絶えなくなります」

やってはいけないNG行動(3)家族が認知症であることを周囲に隠す

          

また、認知症を隠すということは、
家に閉じ込めて、出さない行為に、つながっていくと伊東氏は指摘する。

「例えば、アルツハイマー型認知症の場合、じっとしていられないという特徴があります。
一人で勝手に外に出て、迷子になると困ると思って、
家族がちょっと買い物に行くときに、部屋に鍵をかけてしまうのです。

本人は、じっとしていられないのに、じっとしていなさいと言われるので、
意地でも出ようとします。

ドアから出られないなら、窓からという感じで、危険な出方をしてしまうこともあります。
そして、そこから逃げようと思うので、遠くへ行く徘徊(はいかい)になってしまいます。

閉じ込められる恐怖心がなければ、その辺を回って戻ってくることがあるのですが、
閉じ込めようとすると、症状を悪化させてしまうのです」と伊東氏。

やってはいけないNG行動(4)認知症の家族を家に閉じ込める

          


認知症が進行して、生活障害が出てくるようになると、外から見ても変化が分かるようになる。
その結果、近所から、「あの家は、いつも大声でけんかしている」、
「ゴミがたまっているようだ」と苦情が出て、ようやく地域包括支援センターや行政が介入するようになる。

「認知症は、誰にでも降りかかってくる問題です。
親、親戚、近所、自分自身がなる可能性があるので、
うちの母が、うちのおじいちゃんが、というように、
ご近所同士で情報を提供し合い、助け合っていくことが、これからは必要になってくると思います」
と伊東氏は話す。

          

☆周囲に話すと、サポートを得られやすくなる

周囲に話すことで、良好なサポートを得た例として、伊東氏は、
「認知症になった男性の娘さんが、
『父が認知症で外に出てしまうので、ご迷惑をおかけするかもしれません。
もし外で見かけたら、家に帰るよう声かけをしていただけないか』
と、自治会の集まりで、お願いしたケース」を紹介してくれた。

その男性は、認知症になる前までは、自治会長をやっていて人望も厚かったという。
娘夫婦は共働きで、日中に家にいられない。

見栄を張っている場合ではないということで、助けを求めたのだ。
すると、「会長さんには、以前お世話になったので、できることはやらせていただきます」と言って、
多くの人が、声かけだけでなく、わざわざ家まで来て見守りをしてくれたり、話し相手をしてくれたという。

それだけでも、ありがたい話だが、地域の人の協力を得られたメリットは、それだけにとどまらない。
そのおかげで、娘さんがやらずに済んだことがあるのだ。
それは「介護離職」だ。

「大切なのは、割り切れるかどうか。
もし、協力を求めなければ、娘さんは仕事を辞めるしかなかったでしょう。

しかし、介護で仕事を辞めてしまったら、介護が終わった後の生活は、どうなるのでしょうか。
その後の生活設計、自分の人生を考えたら、認知症を隠すのではなく、
周りに相談する方が、利があることは明らかです」と伊東氏は話した。

          

☆日ごろからのご近所との関係作りが生きてくる

伊東氏は「ただ、自分が認知症になった場合を考えると、
以前から、ご近所と仲が悪ければ、協力など得られないでしょう。

つまり、若いうちにどれだけ、ご近所付き合いをうまくやってきたか、
地域に貢献してきたかということも、大切になってきます」と話した。

近年、子供の声がうるさいといった、ご近所トラブルも多いようだが、
うるさいと怒鳴り込む前に、「待てよ? 将来、助けてもらうかも」と考えたら、
「元気がいいね。お母さんは大変ですね」と言えるのではないだろうか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした
            

私は民間の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めた。

こうした中で、午前中のひとときは、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、或いは最寄駅までひたすら歩いて、
数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

今回、家族が認知症になったとき、やってはいけないNG行動、真摯に学び、多々教示された。

やがて私たち夫婦が、どちらかが認知症に遭遇した時、この格言を重ねて、
戸惑いながら、涙と笑いの中、過ごせればと感じ深めたりしている。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

40代以降は要注意 我が家の風呂場やトイレでの死を防ぐ、私は学び、やがて注意一秒、ケガ一生と呟(つぶや)き・・。

2017-10-25 14:08:33 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【日刊ゲンダイDIGITAL 】を見たりしている中、
【 40代以降は要注意 我が家の風呂場やトイレでの死を防ぐ 】 
と見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
 
こうした中で、家の風呂場やトイレで、どちらかが倒れたり、死に至ることがあったら、
もとより大変なので、どのようなことなょ、と思いながら記事をこっそりと読んでしまった・・。

この記事は、【日刊ゲンダイDIGITAL 】2017年10月18日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・40代以降は要注意 我が家の風呂場やトイレでの死を防ぐ

            

寒くなって最も危険な場所は、実は自宅の「風呂場」や「トイレ」であることをご存じか。
2015年は、年間1万9000人が風呂場で亡くなったが、これは交通事故死者数の4倍にあたる。

日本法医学会の調査によると、浴室での死亡は、
10月下旬あたりから増えはじめ、12月、1月にピークを迎えるという。

一方、突然死のうち約5%は、高齢者のトイレでの脳卒中や心筋梗塞。

これからの季節、無事に風呂やトイレをすませるには、どうしたらいいのか? 
「赤坂パークビル脳神経外科」(東京・港区)の福永篤志医師に聞いた。


「入浴中の主な死亡原因は、虚血性心疾患などの心臓病、脳血管障害、溺死です。
それには温度差が、関係しています。

暖かい居間などから、寒々とした風呂場に移動したり、熱いお湯につかることで、
心臓や血管などに負担がかかり、心疾患や脳梗塞などが起きるのです。
これが『ヒートショック』といわれるものです」


ヒートショックは、トイレでも起きやすく、
高血圧、糖尿病、動脈硬化症、心疾患、脳卒中などの人は、そのリスクが高まることが知られている。 


また、冬の風呂場で亡くなる人の9割が65歳以上だが、残り1割の多くは40~65歳。
消費者庁が55歳以上を対象にした調査でも、
1割が入浴中にのぼせたり、意識を失ったりして、ヒヤリとした経験をもっていた。
40、50代も安心はできないのだ。


            

では、寒い日の風呂場では、何に注意すればいいのか?


「入浴により温度が急激に変化すると、血圧が大きく変動し、失神したり浴槽内で、溺れやすくなります。
それを避けるには、入浴前に浴室や脱衣所を暖めることです。

シャワーで湯を浴槽にためると、蒸気で浴室が暖まります。
沸かし湯なら、ふたを外して沸かすといいでしょう」



☆飲酒後のおしっこで失神も

寒くなると長風呂をしたくなるが、入浴は10分までが目安。
のぼせてボーッとすると、体温が湯の温度まで上昇し、熱中症になりかねない。


「お湯の温度は、41度以下にしましょう。
半身浴は、体温がゆっくり上昇するので、全身浴より心臓への負荷が少ないが、
長風呂だと、体温が上昇する可能性があります」 


入浴中は、急に立ち上がってはいけない。
体への水圧がなくなり、圧迫されていた血管は、一気に拡張する。
その結果、脳に行く血液の量が減り、貧血状態になり、一過性の意識障害を起こしやすい。


「浴槽から出るときは、手すりや浴槽のへりを持って、ゆっくり立ち上がること。
このとき、心臓と同じ高さまで頭を下げると、血圧の下がりが少なくてすみます。

入浴中にヒヤリと感じたことのある人の多くは、
浴槽から立ち上がった時に、もっとも危険だと答えています。
立ち上がるときに、浴槽内に倒れて、溺れるケースが多いのです」

               

お酒を飲んだ後の入浴は、脱水症状を引き起こしたり、血圧が急に高まり、心臓に負担をかけやすい。
酔って注意力が低下して、転倒事故を起こすこともある。
アルコールが抜けるまでは、入浴は控えるべきだ。


高齢者は、食後に血圧が下がる食後低血圧により、失神しやすくなる場合もある。
食後すぐの入浴も避けた方が無難だ。

体調不良のときや睡眠薬などを服用した後は、気温が低下する深夜や早朝の入浴は注意が必要だ。 


「一緒に暮らしている人がいれば、入浴前に一声かけましょう。
入浴事故後に発見が早かったおかげで、死を免れたケースは少なくありません」


            

寒いときはトイレも温めておこう。


「お金に余裕があれば、トイレ用ヒーター、温水暖房便座を準備する以外に、
トイレの窓のカーテンや、断熱シートをつけるのも手です。
トイレではマフラーやカーディガンなどを身につけましょう。
便座には、カバーをつけるのがいいでしょう


トイレでの高齢者の脳卒中や心筋梗塞の8%は、排便中に起きている。
「腹圧をかけていきむと、全身の血圧が上がります。
便秘にならないよう運動をし、ヨーグルトや野菜を取りましょう」


トイレで忘れてならないのは、排尿後失神。
ぼうこう内の尿が一気に減ることで、迷走神経反射が起こり、
心臓に戻ってくる血液が減って、脳が虚血状態になり失神する。


「血流不足で脳の細胞が壊れないように、体の活動を強制終了させて脳を守る仕組みです。
大量にお酒を飲んだ夜、トイレに立ったときに起こりやすい。
倒れたとき便座に頭を強打することも多く、誰でも起こるので注意が必要です」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

            

私は読み始めて驚いたことは、
《・・2015年は、年間1万9000人が風呂場で亡くなったが、これは交通事故死者数の4倍・・
浴室での死亡は、10月下旬あたりから増えはじめ、12月、1月にピークを迎える・・》
と知ったことである。

我が家は古びた築後39年の戸建てであり、お風呂場は洗面所と隣接し、近くにはトイレもある。
こうした中で、寒い時節に於いては、居間はエアコンで暖房しているが、夕暮れから居間のドアを開けて、
洗面所とトイレまで温めている対策をしている。

そして夕食前に私は、入浴タイムとなり、
『お風呂に入ってくるょ』と私は若き自衛官に負けないように、家内に大声で伝えている。

そして私は浴室にある湯船のフタを開け放ち、浴室を湯気で温めたりした後、
洗面所で服を脱いで、浴室に入り、シャワーで暖かな温質で身体を清めて、
湯船に身も心をあづけて、何よりも倖せを享受している。

ここ半年、ダイエットを意識して、少し熱い湯温で汗がでるまで浸かっているが、
今回、《・・温度が急激に変化すると、血圧が大きく変動し、失神したり浴槽内で、溺れやすくなります・・
・・41度以下に・・体温がゆっくり上昇する・・》と学び、今後の実施事項だなぁ、と感じ深めたりした。

やがて私は、湯船から上がり、洗い場で石鹸を付けて、身体をくまなく洗い、
そして私は毎夕に髪の毛は、シャンプー、そしてリンスで洗い清めたりした後、
髭(ヒゲ)を剃ったりしている。

まもなく再び湯船に浸かり、倖せを再び享受し、やがて浴室を出て、
洗面所で、高齢者は清潔感が大切ょ、と家内から日頃から叱咤されている私は、
髭(ヒゲ)剃り後のクリーム、そして髪の毛にはヘアートニック、わずかなヘアークリームで整髪した後、
下着そしてパジャマを着たりしている。

この後、私は『お先に・・』と居間にいる家内に大きな声で伝え、
まもなく家内の入浴タイムとなるのが、ここ10年の我が家の習(なら)わしとなっている。

            

こうした私の入浴している中で、何よりも注意してきたことは、
浴室の洗い場で、石鹸を付けて、身体をくまなく洗っている時、タイルが滑ることである。

過ぎし私が40代の中頃、ギックリ腰が悪化して28泊29日入院した時、
たまたま一週間、二人一部屋で、私より6歳年長のある金融機関に勤める部長と同室になり、
何か桜見をしてお酒を飲んで、帰宅後にお風呂に入り、やがて洗い場でタイルで滑って、
複雑骨折して、入院している身となった、と私は御当人から教示させられたりした。

こうした教訓を学んだ私は、お酒大好きだった私は、風呂に入った後に夕食でお酒を飲むこととなり、
そして浴室でシャワーを浴びたり、或いは身体をくまなく洗っている時、
注意一秒、ケガ一生・・と、厳守している。

或いは今回、特に学んだことは、旅先で厳寒期に露天風呂に入り時、思案させられた。
宿泊している館内から、雪舞い降る中を出て、
下方にある露天風呂に、風雪の中、雪上の階段を下りながら、まもなく露天風呂に浸かったりしてきたが、
こうしたことを幾たびも体験してきたが、今後は高齢者の私は、断念しょうと決意させられた。

            

トイレに関しては、我が家は洋式トイレで便座にカバーをつけただけであるが、
今回、注意事項を多々学び、油断大敵・・と深く教示させられた。

やはり浴室、トイレ・・倒れたり、死に至ることがあったら、
もとより困苦し、浴室かトイレで命を果てることは、つたない人生航路を歩んだ私でも、
余りにも自身が哀れであり、今回の注意事項を遅ればせながら少しづつ実施しょうと、深く思ったりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大豆の発酵食品で摂る 味噌や納豆が高血圧を予防する、愛食している私は学び、やがて微笑返しして・・。

2017-10-24 15:17:09 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【日刊ゲンダイDIGITAL 】を見たりしている中、
【 大豆の発酵食品で摂る 味噌や納豆が高血圧を予防する 】 
と見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

こうした中、食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の一汁三菜(いちじゅうさんさい)の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯を半合ばかり盛ったお茶碗、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、シラス干し、福神漬けを必須として、
これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを
加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

            

昼食は私はこの時節は、リンゴを一個ばかり食べた後、ヨーグルトの450グラム入りを半分ほど食べているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

しかしながら昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。

                                                               

やがて夕食の時は、私は前菜として、ここ数か月はニンジンを千切りにしてを電子レンジで少し温めて、
ゴマ・ドレッシングにお醤油をかけて、盛大に食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など200グラム程度に、いずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

こうした中で、5日毎にウィスキーの濃い水割りを飲んだりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような食事内容が、真実一路のように変化がなく頂いている。

            


こうした中、家内は味噌汁が苦手で、ときおり丁重に具だくさんの味噌汁を作って、
私たちは賞味しているが、これ以外は私だけが簡素なインスタントのワカメの味噌汁を頂いているが、
家内には身体に良いのに・・、と私は漠然と思ったりしてきたが、明解な理由は無知だった。

そして今回
の標題に誘引されて、この記事を読んだりした・・。
         
この記事は、日本医師会認定産業医、「北品川藤クリニック」院長の石原藤樹さんが寄稿文であり、
【日刊ゲンダイDIGITAL 】に2017年10月4日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・大豆の発酵食品で摂る 味噌や納豆が高血圧を予防する

            

「高血圧の予防に、大豆がいい」という話は昔からあります。

大豆には、イソフラボンという成分が含まれていて、
血管の平滑筋の増殖を抑えるなど、動脈硬化の進行を防止するような作用があるからです。

ただ、「大豆食品で血圧が下がった」という報告がある一方で、
「変化がなかった」という報告もあり、一定していません。


その原因として考えられることは、イソフラボンの吸収の不安定さです。
大豆に含まれるイソフラボンは、腸内細菌の働きで、分解されてから体に吸収されるので、
どんな腸内細菌が多いかによって、その吸入量も変わってしまうからです。


そこで最近注目されているのが、味噌や納豆などの大豆の発酵食品です。
発酵食品にはアグリコン型という大きさの小さなイソフラボンが含まれていて、
腸内細菌の助けを借りなくても吸入されるからです。


今年の栄養学の専門誌に、日本の多目的コホート研究という、有名な臨床データを解析した論文が掲載されました。
それによると、味噌や納豆などの大豆発酵食品を取る習慣のある人は、
その後高血圧になる危険性が少なくなっていました。

そして、大豆全体の摂取が多くても、そうした関係は見られなかったのです。


味噌や納豆を含む食品には、塩分量の多いものが多いので、
その点には注意が必要ですが、適度にそうした食品を取ることは、
生活習慣病の予防に有効であるようです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

            

この記事は、記事を読み終わった後、味噌や納豆は高血圧を予防に良い、と学んで私は微笑んだりした。

私は血圧に関しては、これまで正常範囲となっているが、もとより高血圧になれば、
脳卒中や心筋梗塞など動脈硬化による様々な病気の原因となる、と私は学んできた。

私は朝食には、味噌汁を殆ど手抜きのインスタントのワカメであるが、毎日の朝食の友としている。
そしてスーパーで買い求めた納豆に、みじん切りにした長ネギを散らして、お醤油を加味して、
愛食している。

こうした愛食した成果で、正常な血圧が保てきたのかしら、と私は微笑んだりした。

しかしながら私が、納豆にお醤油をかける時、少しだけょ・・塩分取りすぎになりますから・・、
と家内は私に言ったりすることが多く、私は微苦笑しながら頂いているが実状となっている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老いの豊かさを支えるのは、一に生活費、二に健康、三に生きがい、と私は教示され、やがて羨望する御方を学び・・。

2017-10-23 15:23:56 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】を見ている中、
【 老人はなぜ「怒り多く、欲深くなり、心を乱す」のか その原因は子にあり?  】と見出しを見てしまった。

私は過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。

《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。

                                                         

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》
                                   

このようなことを私は深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動、ご著書も購読したりして、信愛を重ねている。

         

このような心情を重ねてきた私は、今回の記事を読んだりした・・。

         
この記事の原文は『週刊朝日』の2017年10月27日号に掲載された連載記事のひとつであり、
朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】に2017年8月23日に配信されて、
無断ながら転載させて頂く。

この記事の原文は、『週刊朝日』の2017年10月23日に掲載されて記事のひとつであり、
関連の基幹ネットのひとつ【AERA dot.】に2017年9月29日に配信され、無断ながら転載させて頂く。


《・・
老人はなぜ「怒り多く、欲深くなり、心を乱す」のか その原因は子にあり?

【貝原益軒養生訓】(巻第八の5)

今の世、老(おい)て子に養はるる人、わかき時より、

かへつていかり多く、慾(よく)ふかくなりて、子をせめ、
人をとがめて、晩節をたもたず、心をみだす人多し。

養生訓では巻第八の前半に「養老」という題名をつけて、
老人の養い方や老人の振る舞いについて語っています。
そこでは27項目にわたり、老いに対する考え方を披露しています。

その一つはこういうものです。

「いまの世は、老いて子に養われる人に、若い時より怒りが多くなり、欲が深くなって、
子をせめ、人をとがめて、晩節の節度をたもつことができずに、心を乱す人が多い」(巻第八の5)

なかなか厳しい見方ですが、これに対する子どもの対応として、こう説いています。

「子はそういうものだと思って、父母が怒らないように、日頃から気をつかい、慎重になるべきである。
父母を怒らせるのは、子としては大いなる不孝となってしまう」(同)

この老いて乱れるというのは、ひとつには、
子に養われるというところに起因しているのではないでしょうか。

以前にも紹介しましたが、養生訓の研究家として名高い立川昭二先生が
「人生の幸福は、後半にあり」という益軒の慧眼について、
老いの豊かさを支えるのは、一に生活費、二に健康、三に生きがいであると補足しています。

老いても生活費を自分で確保できることが、実は心の平穏にとっては、重要なのかもしれません。

         

人生の後半を見事に生きた人物として立川先生が著書『足るを知る生き方』(講談社)で紹介しているのが
神沢杜口(かんざわとこう・1710~95)です。

益軒の晩年期に生まれた神沢杜口は、益軒とは面識がなかったでしょうが、その影響は強く感じられます。

彼は40歳頃に、それまで務めていた京都町奉行所の与力を退職し、娘婿にあとを譲りました。
44歳で妻に先立たれ、末娘の一家との同居をすすめられるも、
別々に住んで、時々会うほうがうれしい心地がすると言って、京都の下町に住んで市井の人となりました。


神沢杜口は、この市井の一人暮らしの見聞をもとに『翁草(おきなぐさ)』200巻を書き上げました。
江戸時代を知る第一級の史料です。


神沢杜口は、家禄の一部を年金のようにして生活費にあてていました。
借家での質素な暮らしですが、一人で生きていくのには十分です。


健康については、とにかく、よく歩いたようです。
好奇心旺盛に歩き回って、見聞を広めていたのですから、足腰が丈夫でした。
80歳になっても一日に5~7里(20~28キロ)歩けたというのです。


生きがいは、『翁草』の執筆です。
ライフワークと定めた著作を、世間や家族に煩わされることなく続けることができたのですから、
幸せだったでしょう。


まさに老いの豊かさを支える3条件を満たして「人生の幸福は、後半にあり」を実践したのです。(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした
         

私は読み終わった後、改めて《・・人生の幸福は、後半にあり・・》
そして《・・老いの豊かさを支えるのは、一に生活費、二に健康、三に生きがい・・》
私は、そうですよねぇ、と瞬時に同意をさせられたりした。

私は定年退職するまで、つたない人生航路を歩み、何かと悪戦苦闘が多かったりした。
そして定年後、多々の理由で年金生活を始めて、早や14年生となっている。

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

ときおり私は60代の10年間の年金生活を振り返る時は、
ここ8年前の頃から、世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
セカンド・ライフに於いて、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
数多くの知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。
           
そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、
つたない定年まで半生から比べれば、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受し、大病に遭遇せず、70代も継続している・・。

このように過ごしてきた私は、人生の幸福は、後半にあり、名言に微苦笑しながら同意したりしている・・。

                      

今回の記事で、遅ればせながら神沢杜口(かんざわ・とこう・1710年~1795年)さんの人生航路を初めて学び、
私にとっては羨望し、仰ぎ見上げるような御方が江戸時代にもいた、と深く教示させられたりした。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪

にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい経験を脳にインプットすることが、アルツハイマー予防に、遅ればせながら私は学び、やがて安堵を重ね・・。

2017-10-22 14:43:12 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している【NEWS ポストセブン 】を見ている中で、
『 新しい経験を脳にインプットすることがアルツハイマー予防に 』と題した見出しを見てしまった。

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

           

こうした中で、午前中のひとときは、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、或いは最寄駅までひたすら歩いて、
数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

こうした心情を秘めている私は、やはりアルツハイマーは怖く、こっそりと精読してしまった。

この記事の原文は、『女性セブン』の2015年10月15日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の【NEWS ポストセブン 】に2015年10月7日に配信され、
少し古い記事であるが、もとよりアルツハイマーは男女、中高年に関係なく、無断ながら転載させて頂く。

《・・新しい経験を脳にインプットすることがアルツハイマー予防に

           

「脳が最も成長するのは、20代から40代にかけて。
しかし、脳は死ぬまで、成長を続けます」

そう言うのは脳科学の専門家で医学博士の加藤俊徳さん。

「年をとると、確かに脳細胞は減少しますが、これは脳が衰えるということではありません。
というのは、年をとっても、脳内ではアミノ酸などの物質が増え続けているため、
トレーニング次第では、いくつになっても鍛えられるんです」(加藤さん・以下同)

しかし、スマホやパソコンといったIT化が進む現代社会、
便利なものに頼りすぎると、若くても脳がどんどん衰えていく、と加藤さんは語る。

「脳にとっていちばんよくないのは、同じことを毎日繰り返す刺激のない『マンネリ化』と、
何も考えなくても無意識に動作ができるようになる『脳の自動化』です。
この2つは脳を働かせないので、ボケる道へとまっしぐらなんです」

ただ、やみくもに脳を鍛えればいいというわけではない。

「脳は、その場所によって役割が分かれていて、8つにわけられるのですが、
ボクはこれを、8つの脳番地に分けています。

8つとは、思考系、感情系、伝達系、理解系、運動系、聴覚系、視覚系、記憶系の脳番地です。
これらはすべて連動していて、どれかが衰えていけば、ほかの脳番地もつられて衰えていきます」

つまりは、8つの脳番地をバランスよく鍛える必要があるということ。
特に40代以降の人が気をつけたいのは、視覚系脳番地だ。

「現代人は、視覚系脳番地の衰えが深刻です。
今は重要な情報も、スマホに登録すればおしまい。

電話も番号を脳にインプットすることなく、ボタンひとつでかけられる。
よく見もせずに、何かができてしまうというのは、
脳をほとんど使わないため、脳をどんどん衰えさせてしまうんです」

では具体的に、どのようにして脳を鍛えていけばいいのか。

           

「まずは1日1回、“新鮮なこと”を見つけましょう。
前から行ってみたかったお店に入ってみるとか、普段はつけないような派手な下着を身につけるなど、
何でもかまいません。

あとは、雑誌を見て、“今、こんなことが流行しているんだ”
“この俳優と女優がつきあっているんだ”といった新しい発見をするだけでもいい。

だから、ぼくは流行に敏感なんでよ。
雑誌を意識して見て、常に脳を活性化させていますから(笑い)。

そのように、常に新しい経験を脳にインプットすると
海馬が働き、アルツハイマー病予防にもなるんです」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

           

私は、過ぎし8月下旬頃、今回の医師・医学博士の加藤俊徳さんが著作された『悩まない脳の作り方』(辰巳出版)を
たまたま読み、多々教示されたりした。

こうした中で、脳は8つの「脳番地」に分けられる、ことに驚いたりした・・。

【思考系脳番地】
 前頭葉に位置する脳の司令塔で、物事を考えたり判断を下す部分。
 ここが発達している人は創造力、意欲、判断力が高い。

【感情系脳番地】
 扁桃体を中心に前頭葉や頭頂葉に存在。
 発達している人は喜怒哀楽が豊かで、周囲の感情を読み取るのが得意。

【伝達系脳番地】
 コミュニケーションの分野を担当。
 会話だけでなく、手紙を書く、身振りや表情で気持ちを伝えるのが上手な人が発達。

【運動系脳番地】
 手足や口に指令を送り、体を動かす。
 スポーツに加え、裁縫や絵を描くなど手先が器用な人もこの部分が発達している。

【聴覚系脳番地】
 耳で聞いた情報を集約する場所。
 言語は聴覚系の左脳が、非言語は右脳が主に司る。聞き取る力が高い人が発達している。

【視覚系脳番地】
 後頭部に位置し、目で見た情報を集約する。
 周囲の変化に素早く気づくなど、見ることに長けている人は発達している。

【理解系脳番地】
 耳や目で見た情報を理解し、整理整頓する。
 空間認知や場の空気を読むのもこの部分。好奇心旺盛な人は発達している。

【記憶系脳番地】
 記憶を司る海馬周辺に広がり、右脳が映像、左脳が言語を主に記憶する。
 この部分が発達している人は、記憶力がよい。

このように記載されていて、私の小さな脳でも、有機的に働いてくれたんだぁ・・と驚いたりした・・。

           

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

こうして歩く時の私は、紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、

大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
             
このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

           

今回の記事に於いて、《・・常に新しい経験を脳にインプットすると
海馬が働き、アルツハイマー病予防にもなるんです・・》と教示されて、安堵したりした。

私は新聞を毎日読んだり、午後には単行本、新書本、総合月刊誌など読書も好きだし、
音楽も聴いたりし、ブログの投稿文も書いたりしているので、
アルツハイマー病の予防になっているよねぇ、と微笑んだりした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ             

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「やすらぎの郷」脚本家・倉本聰さん、高齢者の生活で大切なことは「明るく生きることが第一」、私は教示され、やがて微笑み・・。

2017-10-21 12:21:47 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】を見ている中、
【 「やすらぎの郷」脚本家・倉本聰
           「安倍首相より田中角栄と酒を飲みたい」理由  】と見出しを見てしまった。



私は倉本聰(くらもと・そう)さんの作品に初めて触れたのは、1975(昭和50)年1月過ぎであった。

映画の脚本家・橋本忍(はしもと・しのぶ)さんの『砂の器』のシナリオが読みたくて、
本屋で雑誌の『シナリオ』(シナリオ作家協会)の1月号を買い求めた。

この中のひとつに、東芝日曜劇場の『りんりんと』のシナリオが掲載されていた。

確か「東京から北海道・苫小牧へ向かう1隻のフェリーを舞台に、2人だけの、たった2日間の船旅で、
母親と息子の交錯する人生の感慨を描くドラマであった。

こうした中、老いた母の人生の黄昏の姿や人生の重みを、息子はどう感じるだろうか。
母はなぜ、息子たちを捨ててまで故郷に向かうのか。

東京・晴海埠頭。信(渡瀬恒彦)は、年老いた母・さわ(田中絹代)とともに、
北海道・苫小牧行きのフェリーに乗り込んだ。

苫小牧は、さわにとって生まれ故郷。
50年ぶりの帰省に、さわは、まるで観光旅行にでも出かけるように浮き立っていた。

だが実際、苫小牧に向かう目的は、そこにある老人ホームに入るためだった。
息子たちの反対を押し切って、さわは、そこに行くことを選んだ。《TBSチャンネル広報資料を大半引用》

私はこの当時としては、なんてシリアスなドラマを書く人、と倉本聰さんの作品に初めて知り、印象が残った。

やがて10数年後に私にとっては、倉本聰さんの舞台以外、
映画・テレビの数多くシナリオ、随筆などを殆どすべて購読して、
作品はもとより、生活信条、創作の考え方、環境問題等で、書物上から多々ご教示を頂き、
信愛するひとりとなり、今日に至っている。

このような私であるが、未読記事であったので、精読してしまった。

           

この記事の原文は、発売中の週刊朝日のムック『高齢者ホーム 2018』に於いて、
坂口さゆりさんが、倉本聰さんに理想のホームや、死生観などを尋ねる、インタビー記事であり、
関連の基幹ネットのひとつ【AERA dot.】に2017年9月30日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・「やすらぎの郷」脚本家・倉本聰、「安倍首相より田中角栄と酒を飲みたい」理由 

脚本家・倉本聰(82歳)が、シルバー世代に向けて手がけた昼ドラ「やすらぎの郷」(テレビ朝日系)、
(略)“やすらぎロス”が叫ばれるなか、現在発売中の週刊朝日ムック「高齢者ホーム 2018」では、
倉本聰にとっての理想のホームや、死生観などを尋ねている。

           

――高齢者の生活で大切なことは「明るく生きることが第一」と倉本は言う。
    人生に必要なのは「生きがい」と「笑い」だ。

人間やることがなくなっちゃったら、生きていても仕方がない。
だから、最期まで何かやれることは、見つけなければいけない。

僕はおふくろが亡くなった時、老人の生きがいは、人のために役に立つことなんだということがわかりました。
人間として、社会の中に存在するということは結局、人のために役に立っているということ。
そこを誤解してはいけないという気がします。 

いちばんいいのは、自分の子孫や家族の未来に対する奉仕ができるかどうか、かもしれません。
よく言うんだけど、昔話は「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが、住んでいました」から始まります。

「お父さんとお母さんが住んでいました」という始まりはありません。
というのはね、昔はおじいさんとおばあさんが、孫を預かって育てていた。

教育係は、おじいさんとおばあさんで、お父さんとお母さんは、外に稼ぎに行ってたんです。
そんな子どもは、生活の知識もあるし、きちんとした、しつけもされていた。

今の時代も、それができるなら、したほうがいい。
高齢者の生きがいにもなるし、児童手当や待機児童の問題も解決すると思うんですけどね(笑)

                      

――人生に必要なもう一つの要素は「笑い」。
    倉本は、いま日本人にいちばん欠けていることかもしれないと言う。

人にただ話すのと、そこに笑いを入れるのとでは、相手の引きつけられ方が変わってくる。
狙った笑いではなく、笑いのポイントって、たくさんあるような気がします。
笑いがあると、人は引きつけられるし、話に乗ってきてくれる。
笑いのある人は、魅力的です。

 日本人はジョークがヘタでしょ。
でも、世界のジョークのネタになる民族としては、かなり上位。

日本人を題材にしたジョーク集は、たくさんあります。

例えば、ある国会議員が戦後初めて訪米団の一員として、米国へ行った時の話。
米国はジョークの国だから、ジョークを覚えていかなくちゃダメだと言われて、
一生懸命覚えていったらしいんです。

それでアメリカの議員と会った時に、
“My country is rice country. Your country is also rice country. Both the same.”
と笑ったそうなんだけど、シラーとされちゃった。

意味わかります? 
「日本は米の国だ。アメリカは“米国”だから、ライスカントリー。同じだ」って。

そう言われても、漢字を知らない米国人には、わからないよね。
これ実話ですよ。
こういう話ってバカバカしいんだけど、聞いていて楽しいでしょ。


笑いは、とっても難しいんです。
泣くという感情は、割と万国共通なんですが、
笑いは、育ちや国によっても違うし、地域差がある。

だからこそ、笑いのある高齢者ホームは、理想ですね。
いまの日本は、明るくないでしょ。
政治に、笑いがなさすぎるって気がするんです。

これは総理大臣の、トップの資質によるんだと思う。


振り返ってみると、吉田茂、田中角栄、小泉純一郎は、なんとなく明るかった。
人間が陽だったんですよ。

安倍晋三は陰ですね。一緒に飲みたいとは思わないな。
逆に、田中角栄は飲んでみたいけどね(笑)・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした

           

私は読み終わった後、瞬時に魅了されて、圧倒的に共感させられたことは、
《・・人生に必要なのは「生きがい」と「笑い」だ。・・》
そして《・・高齢者の生活で大切なことは、「明るく生きることが第一」・・》であった。


私は小学5年の頃まで、劣等感と卑屈にさいなまれ、いじけた可愛げのない屈折した児であった。
こうした根底のひとつには、兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等生で、

通信簿を学期末に頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、と担任の女の先生が溜息まじりに言われたりしていた。        
 
この当時の私は、クラスの仲間からは、私を『三原山』とあだ名を付けられていた。

何かと平素は無口の癖に、ときたま怒り出し、周囲の多くの同級生が困惑し、
伊豆七島のひとつの大島は、幾10数年ごとに爆発する活火山の由来だった。
     
やがて小学6年生の頃になると、突然に人前でおしゃべりをすることが大好きと変貌して、
見知らぬ小父さん、小母さん対しても、私の方から話すようになり、
母、兄妹、そして父の妹でこの当時未婚だった叔母も驚いていた・・。

これ以来、私はお調子者のひとりとなって、学生時代、社会人のサラリーマンの中、
ときにはトンボのように自由にふるまったり、おだてられると高揚しながら奮闘したりしてきた。
そして、同じ仕事をするなら、明るく楽しくしょうょ、と職場で公言したりしてきた。

或いは私は現役サラリーマン時代も、初対面した御方には、表情、しぐさはもとより、
言葉づかい、アクセントなどを記憶するように努め、明るい笑顔で対応してきた。

こうした中、会社間で合併した時も、私は母の血筋を純粋に受け継いだ為か、
恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
相手方の多くの社員と談笑を重ねて、交遊を深めたりしてきた。
           
            

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた。

こうした中、相変わらず亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、
おしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり私たち夫婦は、都心のシティホテル、街、公園、国内の旅先で、異国人から話しかけられ、
私は英語の単語をたどたどしく並べて、身振り手振りで応対していた状況を、
家内が傍で見かけて、家内は私に、外国に行ったらアブナイわ、と信頼が失墜しているのが実情となっている。

私としてはサラリーマン時代に、会社として台湾、その後はハワイに旅行で遊学したが、
このような事情で、私たち夫婦として、異国の海外旅行に行ったことのない稀な夫婦となっている

そして気楽に日本語が通じる国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

           

平素の私は、2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、
年金生活を始めたが、平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
       
そして70代の三年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
ときおり願いながら歩いたりしている。

             
          

やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、ブログの投稿文を書いたり、私が愛読している御方の投稿文を読まさせて頂いている。


或いは、家内は相変わらず専業主婦の延長戦として料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

           

我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、『要支援2』となってきた。

こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした関係で、家内は家内の妹とお互いに日程を調節して、
家内が担当した期間には家内の母宅で孤軍奮闘し、
私は我が家で『おひとりさま』の生活をする時もある。

そして何かとプラス思考の私は、これも人生だよねぇ、と料理、洗濯、掃除など若葉マークの初心者に近いが、
いつの日にか、まさかの出来事で家内が私を残してあの世に旅立つこともあるので、
独り住まいの特別演習だ、と思いながら、人生は気合だ、と自身を叱咤激励しながら過ごしたりしている。

           



このように年金生活を過ごしているが、
『生きがい』が最優先であり、そして『健康』であり、程ほどの『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

やがて70代の後半か80代か判らないが、いつの日にか、この世とお別れになるが、
もとより自助努力も肝要であるが、こればかりは神様か仏様の采配に寄る、と漠然と思いながら、
過ごしている。

今回、私は創作者の倉本聰さんより《・・人生に必要なのは「生きがい」と「笑い」だ。・・》
そして《・・高齢者の生活で大切なことは、「明るく生きることが第一」・・》と教示されながら、
つたない人生航路を歩んだ私でも、
そうですよねぇ・・と私は幾たびか微笑返しをしたりした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほのかな作並温泉の秋の旅路【2017.10.15.~18】《下》 宿泊している周辺を散策すれば・・。

2017-10-20 14:58:19 | 

今回、訪れた作並温泉の周囲は、周辺のそれぞれ里山の数多くの雑木は、
紅色、朱紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅ)の情景には、少し時期が早く、
一部の雑木が、ほんのりと恥ずかしげに染め始(はじ)めていた時期であった。

こうした中、15日からは曇り空が続いてきたが、
17日には早朝から里山の山頂付近には朝の陽射しが照らし、
空は明るい青空となったりした・・。

秋晴れ、或いは秋日和を迎える、と私は指定されて部屋の窓辺に近い椅子に座り、
微笑んだりした。

やがて私たち夫婦は、のんびりと宿泊している周辺を散策したりした。

           

宿泊している『岩松旅館』の近くにある『湯神神社』を訪ねた。

何かしらお湯の神様で、縁結び、子宝安産、商売繁盛、無病息災などを願う地元の人から親しまれている、
と私は旅館のフロントの御方から教えられていたが、本当かしら、と微苦笑したりした。

やがて杉木立の中、こっそりと『恋人の聖地』と命名された可愛らしく穏やかな石仏に私は見惚れて、
百円玉たったひとつをお賽銭箱に入れたりした。

こうした中で、私が願うことは、やはり無病息災であり、
出来る限り、長らく私たち夫婦は、こうしたのんびりとした旅をできますように、
と祈願したりした。

           

まもなく『湯神神社』を辞する時、前方はおだやかな秋晴れであった。

           


やがて周辺を私たち夫婦は、のんびりと周辺を歩き廻ったりした。

           

やがて脇道を歩けば、コスモスがひっそりと咲き、
ときには私は華やかな情景も好きであるが、こうしたひっそりと咲く花も圧倒的に魅了され、
見惚(みと)れたりした・・。

           

こうした情景を私たち夫婦は、眺めたりして、やがて帰館した。

そして私は浴衣に着替えて、渓流沿いにある天然岩で造られた露天風呂に向かった。
地下1階にある大浴場の近くから、 渓流沿いにある露天風呂の更衣室まで、古式ゆたかな木造階段が、
八十八段あると教えられ、ボケ防止と軽い運動と思いながら、私は下りていった。

そして心の中で、カウントしながら階段を下り、確かに八十八段あった、
と私はまだボケいないことに、安堵したりした。

まもなく渓流の川面に陽射しが照らす情景を眺めながら、露天風呂に身も心もあずけたりした。

やがて私は部屋に戻り、布団の中で横たわり、持参した本を夕食時間まで、読んだりした。

そして平素の私は、パソコンで有知識者のネット記事を読んだり、私のブログ投稿文を書いたり、
愛読している御方のブログを読まさせて頂き、3時間前後は要しているが、
情報機器から旅先では、いつもように解放された深味な時間を過ごしたりした。


翌日、10時少し前にチェックアウトして、『岩松旅館』の歓送迎のマイクロバスに、
私たち夫婦は乗車して、やがて作並駅前に到着した。

そして私は、たわむれに作並温泉駅の情景を撮ったりした。

  

こうした中で、宿泊した『岩松旅館』の広告看板で左側には、
《真の名湯は
      多くを語らない》
と明記されて、本当ですねぇ、と私は心の中で呟きながら、微笑んだりした・・。

           

まもなく仙台行きの快速列車が到着して、
やがて私たち夫婦が仙台駅に到着したのは11時少し前であった。


そして仙台駅で指定された集合時間13時25分まで、
私たち夫婦は、本屋に寄ったり、喫茶店に寄ったりした後、私だけ駅弁を買い求めたりした。

当初の予定は、家内が調べてきた駅ビルにある牛タン通りで、ある店で昼食を頂く予定であったが、
家内は朝食で予定以上に食べて、お腹がすいていない、と私に訴えて、
私はビールを飲みながら牛タンを食べることが、あえなく幻となってしまった・・。

やがて集合時間で、私たち一行が集結して、仙台駅13時44分発『やまびこ』に乗車して、
東京駅に15時48分に到着して、散会した。

やがて帰宅したは、17時であったが、玄関庭の片隅にあるカリンの樹から、
ふたつばかり黄色に色づいた実が、黒土の地表にころがっていて、
今回たった3日少しばかり家を空けたが、確かに時間が過ぎたことに、私は微苦笑したりした。


★コメント欄は、しばらく閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほのかな作並温泉の秋の旅路【2017.10.15.~18】《中》 『ニッカウヰスキー』宮城峡蒸溜所を訪ねて・・。

2017-10-19 16:23:39 | 

初めて宿泊した『岩松旅館』で私たち夫婦は夕食を頂いた後、
部屋に戻った時、家内から書類を私は手渡された・・。

『ニッカウヰスキー』宮城峡蒸溜所に関して道順であり、
家内は路線バス時刻表などがコピーされていた。

私たちが宿泊している岩松旅館の前に路線バスのバス停があり、
一時間に一本だけ走行して路線バスに乗車して、やがて作並駅前を通り過ぎて、
「ニッカ橋」下車した後、徒歩で里山にある『ニッカウヰスキー』宮城峡蒸溜所を訪ねるプランであった。

何かしら土、日曜日だけは、『ニッカウヰスキー』のご好意で、
作並駅前と宮城峡蒸溜所の間は、シャトルバスが運行していると判ったが、
私たち夫婦は16日の月曜日であり、里山に建立された宮城峡蒸溜所まで軽いハイキング、
と私たちは決意したりした。

やがて16日の月曜日の朝食後、フロントで路線バスの時刻を確認していた時、
『岩松旅館』の歓送のマイクロバスが、9時20分に作並駅前に行くので、
私たち夫婦は便乗させて頂くことにした。

そしてドライバーさんにお願いしている中で、宮城峡蒸溜所までお送りします、
と予想外のことを私たち夫婦に言って下さった。

やがてマイクロバスで、作並駅前からは私たち夫婦は貸切のような状態で、
里山の道を上がり、同乗していた私は、このような日に見学で訪れるのは、
中高年の男性が10名足らず・・と私は思ったりしていた。

まもなく広大な宮城峡蒸溜所のレンガ棟が10幾つか視え、やがておしゃれな建物前で下車した。

            

                        

そしてドライバーさんより、この場所に11時20分にお迎えにきますので、
お待ち下さい、と私たち夫婦に言いながら去って行った。

そして私たち夫婦は館内に入ると、見学希望者の受付などがあり、
私は署名した後、ウイスキーの製造工程、ウイスキーの種類別に匂いが判る処で、
私は香(かぐわ)しいそれぞれの匂いを実感させられたりしたり、ニッカの歴史などの展示を鑑賞した。

http://www.nikka.com/guide/miyagikyo/map/map08.html
☆『ニッカウヰスキー』宮城峡蒸溜所・公式ホームページ・・・ビジターセンター☆

やがて見学指定時間を迎え、ご案内して下さる若き女性にガイドされながら、
私たち一行20名前後は、蒸溜棟(カフェ式連続式蒸溜機)蒸溜棟(単式蒸溜器)貯蔵庫などを
視察させて頂いたりした。

                        

この間、各棟が並んだ横には、広い道路があり、私たちと同じような見学者が、
老男女から小学生まで数多くの御方が、ご案内して下さる若き女性に引率されながら、
私たち一行とすれ違ったりし、私は余りにも多くの御方たちが、宮城峡蒸溜所を訪れることに驚いたりした・・。

そして私の横にいた同世代の男性が、NHKさまさまですよねぇ、と私に話しかけられて、
私は微苦笑したりした。

もとよりNHKの朝の連続テレビ小説『マッサン』が、2014年9月から翌3月まで放送され、
日本におけるウイスキーの黎明を支えたニッカ・ウィスキーの創業者の竹鶴政孝とその妻リタがモデルであり、
好評を得たドラマであった。

私はドラマもさることながら、私は主題歌を創られた中島みゆきさんの信愛者であるので、
『麦の唄』・・♪嵐吹く大地も  嵐吹く時代も・・年金生活の私は励まされるように、
幾たびか、かぼそい声で唄ったりしてきた。

このような心情を秘めた私は、微苦笑を重ねたりした・・。

やがて見学を終えた後、ウィスキーの試飲があり、私は素敵な場所で味わえることに、
心まで高揚した。

http://www.nikka.com/guide/miyagikyo/map/map05.html
☆『ニッカウヰスキー』宮城峡蒸溜所・公式ホームページ・・・ゲスト・ホール☆


ご案内して下さった若き女性より、お1人様3種類を各1杯までとなっております、
と私たち一同に伝えられて、
ウイスキーの『竹鶴』、『スーパーニッカ』、そして『アップルワイン』が、
小振りなワイングラスに入り、置かれていた。

そして私たち夫婦は、片隅のテーブルに賞味したりした。
こうした中で、結果として私は家内のウィスキーも飲み、
家内は私の『アップルワイン』を飲んだりした・・。

まもなく横にある即売コーナーで、家内はウィスキー・チョコレート、
そしてブランデー・チョコレートを購入した後、
私の長兄宅、家内の母、妹に、お土産として買い求めるわねぇ、と私に言ったりした、

そして樽ウィスキー・ゼリー、ブランデー仕込甘納豆なども加えて、
結果として『竹鶴』3本分ぐらい相当する価格を私は支払い、微苦笑したりした。

やがて『岩松旅館』のご好意のお迎えマイクロバスに、私たち夫婦は乗車し、
宿泊している『岩松旅館』に帰還中、
私は単細胞の為、本日は大安がふたつ重なるょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

            

ひとつは『ニッカウヰスキー』宮城峡蒸溜所は、予期した以上に展示品、蒸溜所のレンガ景観が良く、
各スタッフにも好感した上、ウイスキーまで試飲できたりした。

もうひとつは『岩松旅館』のご好意のマイクロバスで、
私たち夫婦の為に、『岩松旅館』と宮城峡蒸溜所まで往還して下さり、
ひたすら感謝している。

そして鶴の恩返しには程遠いが、せめて帰館後に館内の売店で、
日本酒とお菓子を程ほどに買い求め、私は昼下がり部屋の窓辺にある椅子に座り、
お酒を飲みながら、私は幸運な男だょねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

★コメント欄は、しばらく閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほのかな作並温泉の秋の旅路【2017.10.15.~18】《上》 旅の始まりは、とりとめなく・・。

2017-10-19 10:27:32 | 

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、
結婚以来、国内の各地をときおり旅路を重ねてきた・・。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始め、
旅行の日程から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなったりした。

そして季節としては、5月の大型連休が終わった後、
或いは舞い降る雪が恋しく冬の時節に旅行をすることが、多かったりしてきた。


私たちの旅路、定年後まもなく私は自動車の免許書の更新を断念した私は、
もとより旅先でもレンタカーも利用できなく、
最寄駅の近くにある旅行代理店に私たち特有のプランを依頼して、JR、航空機、フェリーなど、
そして宿泊先を選定したりしてきた。

或いは通販のクラブツーリズムの滞在型で、魅了されたプランに参加して、
幾たびか活用したりしてきた。

いずれにしてもリゾートホテル、観光ホテル、観光旅館などに滞在して、
街中、周辺を歩き廻ったり、郊外の山里の小道を歩いたりして、遊学をしたりしてきた。

            

今年、8月下旬に秋の旅路は、どうしょうかしらと私たち夫婦は思案していた中、
作並温泉の観光ホテルで3連泊するクラブツーリズムのプランがあったりした。

過ぎし私が現役サラリーマン時代の1996年(平成8年)の8月初旬の夏季休暇の旅行として、
私たち夫婦は、JR東日本の旅行ビューのパンフレットを見たりしていた中で、
仙台市の郊外にある作並温泉は未知であったので、この当時『一の坊』に3泊4日で滞在し、
周辺を遊学したりした。

そして、今回の秋の旅路として、21年ぶりに作並温泉の観光ホテルに滞在し、
クラブツーリズムの『渓流露天風呂と天然岩風呂 作並温泉「鷹泉閣岩松旅館」』と称せられた滞在ブランであり、
朝夕の食事も付いた高齢者にやさしい価格の秋の旅路となった。

            
            
10月15日、秋雨前線の影響で、小雨降る中、私たち夫婦は自宅を8時少し前に出て、
やがて東京駅に到着したのは、9時であった。

そして集合時間は10時半であり、指定集合場所に近い愛用している喫茶店(美味しいコーヒーと喫煙可)で、
私は喫煙できる隣接した部屋で、タバコを喫いながら、コーヒーを飲んだり、持参した本を読んだりし、
家内は普通一般のおしゃれな店内で、コーヒーを飲みながら、ケーキーを食べたりしていた。

ここ10数年、嫌煙ブームが加速されている現代、断念できない愛煙家の私は、
東京駅の駅ビル商店街、そして隣接しているビル内で探し求めた秘密の喫茶店であり、
ここ8年ばかり愛用してきた場所であった。

そして家内は、たとえば集合時間に対して、電車の遅延などを配慮し、
少なくとも1時間前には到着していなければ、安堵できない性格もあり、私たち夫婦は少し早めに到着して、
のんびりと集合時間まで、いつもように過ごした。

やがて私たち夫婦は、指定された集合場所に到着して、
まもなく同じ滞在プランを選定された御方6名と談笑をしたりした。

そして東北新幹線の『やまびこ』の11時発に乗車して、やがて13時すぎに仙台駅に到着した後、
この後は、作並温泉駅までの切符、そして滞在する岩松旅館のそれぞれ指定された部屋など記載された用紙を受領して、
あとはご自由に・・という今回の旅程であった。

            

まもなく私たち夫婦は、仙台駅と山形駅を結ぶ仙山線の快速に乗車して、やがて作並駅に到着した後、
駅前に待機して下さった岩松旅館のマイクロバスに乗り、岩松旅館でチェックインしたのは、14時半過ぎであった。

            

http://www.iwamatu-ryokan.com/
作並温泉・公式ホームページ『元湯鷹泉閣 岩松旅館』

まもなく指定された部屋で、私たち夫婦は煎茶を頂いた後、私は浴衣に着替えて、
渓流沿いにある天然岩で造られた露天風呂に身も心もあずけて、旅に来た・・と実感させられたりした。

渓流沿いから対岸の里山を仰ぎ見れば、それぞれの雑木は、紅色、朱紅色、黄色などに染められる錦繍の情景には、
少し時期が早く、一部の雑木が、ほんのりと染めはじめて、私は微笑んだりした・・。

                        

そして地下1階にある大浴場の近くから、 渓流沿いにある露天風呂の更衣室まで、古式ゆたかな木造階段が、
確か八十数段があり、上り下りは良き運動かしら、と70代3年生の私は微苦笑したりした。

やがて夕食は、コース料理とは異なり、それぞれ並んだ料理から好きなものを取って食べるバイキング形式であり、
果物、飲物、ケーキもあり、私はいつも、この世の贅沢のひとつと、ここ30数年確信を深めたりしている。

そして食べ残すことは、世界各国で餓(うえ)たる人を思い馳せると、
神様か仏様より厳罰が下さる、と思い深めたりしている。

私たち夫婦は、注文したビールを飲みながら、それぞれ選定した単品を頂きながら、
明日、近くにある『ニッカウイスキー』の工場見学をしょうょ、
と私は家内に言ったりした。

過ぎし私が現役サラリーマン時代の1996年(平成8年)の8月初旬の夏季休暇の旅行として、
私たち夫婦は、作並温泉として、この当時『一の坊』に3泊4日で滞在した中で、
仲居さんに『ニッカウイスキー』の工場見学を訊ねたりした。

工場も夏休みで休業、と私は教えられたが、やがて東京に向かう新幹線の帰路の時、
たまたま隣接した人から、『ニッカウイスキー』の工場見学も開業していましたょ、と私は知り、
苦笑させられた体験があったりした。

こうした事情から、私にとっては敗者復活戦であり、
たとえ雨が降っても・・行きましょう、と家内は瞬時に賛意したりし、私は微笑んだりした・・。


★コメント欄は、しばらく閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過ぎし21年前、仙台市の郊外にある作並温泉に滞在したささやかな想いでは・・。

2017-10-16 15:47:01 | 旅のあれこれ

私の現役時代の夏季休暇の旅行は、
1996年(平成8年)の8月初旬に3泊4日で作並温泉を滞在した。

この当時、私たち夫婦は、何かとJR東日本のビューの旅行パンフレットを見たりして、
幾たびか旅路を休日とか代休を活用して、重ねていた私たちの時代であった。

こうした中、仙台市の郊外にある作並温泉は未知であったので、
夏季休暇を利用して、周辺の観光めぐりをしょうとした。

この当時も、私は現役のサラリーマンで数多くの人と同様に、多忙な時期であった・・。

春先に大幅な人事異動であり、私も異動し、ある部署に落ち着いたと感じた夏季休暇に、
家内と宮城県の作並温泉にある当時は観光ホテル『一の坊』に3泊4日で滞在した。


上野駅から新幹線に乗り、たった2時間ばかりで仙台駅に到着したのは、

私はかっての国鉄時代の『L特急』大好きだったが、新幹線の威力に改めて驚かされた。

そして在来線の仙山線に乗り継ぎ、仙台市の郊外の情景を眺めたりし、
『愛子』と名づけられた駅、街を思わず微笑んだりした後、1時間弱で、作並駅に到着した。

駅前から宿泊先の観光ホテルの迎えのマイクロバスが待機して下さり、
私たち夫婦は乗り込み、樹木の多い林の中を通り抜けると、
宿泊先の看板、そして建物が観えた。

http://www.ichinobo.com/sakunami/
☆ 作並温泉『ゆづくしSalon一の坊』 ホーム・ページ ☆

広瀬川に沿ったゆるやかな傾斜に館内の露天風呂の数々があり、
私たち夫婦は、それぞれの風呂を享受した。

そして川べりに近いところからは、広瀬川の清流に小魚が遊泳する情景も見られ、

水は清き、という言葉がぴったりだ、と私は家内に話しかけたりした。


この後、ホテルから数キロにあるラベンダーの丘陵に行ってみよう、
とロビーの外れで私たち夫婦は話し合っていると、
ホテルのご好意でワンボックス・カーで送迎して下さり、私たち夫婦はラベンダー園に行ったりした。

このラベンダー園は、ゆるやかな丘陵に数多くの品種のラベンダーを育てられ、
私達は歩き廻り観賞させて頂いた。

そして休憩所を兼ねた軽食処は、広いテラス風で木のテーブル、椅子が、

ゆったりと配置され、もとよりラベンダー畑もまじかに見えたりした。

こうした中で、家内はラベンダー入りの紅茶を飲んだり、
ラベンダー入りのアイス・クリームを食べたりしたが、
私たち夫婦はラベンダーの香りは強すぎて、苦手となり苦笑したりしていた。

そして私は、ビールを呑みながら、煙草を喫ったりし、

前方のラベンダーの丘を眺めれば、何かしら開放感があり、情景に好感を増したりした。

この後は、ホテルの周辺を散策をしたりし、のんびりと過ごしていた。


翌日、本来であったならば、館内に宿泊している方達は、仙台の七夕を観に行かれる方が多かったが、
私は平素は会社で多忙だった時代で、せっかくの休暇に、
わざわざ人の多過ぎるところは、なるべく避けていたので、論外であった。


或いは近くにある『ニッカ・ウィスキー』の仙台工場の敷地を歩いたり、
試飲させて頂いた後、私なりのお好みの品を購入する予定であったが、
仙台工場はお休みのようです、と仲居さんから教えられ、やむなく私たち夫婦は断念した。

こうした中、仙台市の駅前より、観光バスの定期周遊の半日コースで、
松島めぐりのコースがあり、私達は仙山線に乗り、駅前より私達は参加した。
そして松島で遊覧船に乗ったりし、海上の美景を楽しんだりした。


翌日のひととき、ホテルのロビーの一角に、
3メートル前後の竹に5色の短冊が飾り付けられていたことに気付いた。

私は昼の風呂上り、浴衣姿でロビーの一角を歩いていた時、
この短冊を何気なしに読んだのである・・。

数多くの短冊を読んだが、ひとつの短冊に心を惹(ひ)かれた・・。

《 らいねんも このホテルに
      かぞく ぜんいんで こられますように 》

と小学生の上級生の女の子らしい綴りで書かれていた。

          

私は作並温泉に訪れる途中で、
仙台市内の華麗で豪壮な七夕(たなばた)を少し観えたが、
この女の子のひとつの短冊に籠(こ)められた願いが、心に沁みた・・。

そして私は華美な仙台の七夕もそれなりに良いが、遥かにこの短冊のひとつに魅了され、
この人生の微笑みを頂き、心を寄せたりした。


このようにささやかな想いでがあり、私はこうした情愛が限りなく愛(いと)おしく、
華美な飾りより、たったひとつの願いを託した尊ぶ心に、圧倒的に魅了されたりした。


そして旅の終わりは、
仙台駅から程近い伊達政宗の廟所(びょうしょ)である『瑞鳳殿』を2時間半ばかりで、
観賞して、帰京した。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする