私は年金生活の4年生の身であるが、
勤めることなく自在の生活をして折、たんたんと日々を過ごしている・・。
早くも水無月も過ぎ去ろうとしている今、
この月はどのような想いであったか、
私はこのサイトに綴ったのを読んだりしていた。
私は小船に乗り川の水流に流れを任せるような状況は嫌いで、
少なくとも無力なりに私は老朽化した小船の舵を取りながら、
流れていく日々を目指している。
このような思いで水無月を振り返ったのである。
中旬に上高地を訪れ、その夜に現地のNPGの好意に寄り、
夜の散策を楽しんだことが深く心に残っている・・。
この時の思いの投稿文の1部には、
【
・・
8時からの『ナイト・ハイク』と称せられた夜の散策コースに私達夫婦は参加した。
NPGの好意に寄り、真っ暗な上高地の森の小道を散策するのであるが、
私達のグループ10名は、ガイドの懐中電灯の足元を照らす光、
そして星と月明りの中をガイドに導かれて歩いた・・。
http://npg-alps.net/guide/night.php
私は夜の闇は幼少の頃は歩いたが、
この齢になっても真っ暗の中は独りで歩いたならば、
恐怖心がつのり、ただひたすら謙虚になる、
と改めて自覚させられたりした。
そして忽然に視界が開かれ、穂高連峰が観え、
沢の幾筋の残雪が雪明りとなり、周辺まで山すそが観えたのである。
そして頂の上空には、星が煌(きらめ)いていた・・。
私は神々(こうごう)しく厳粛な心持となり、
立ちすくんでいた。
こうして1時間ばかりの闇の中の散策であったが、
深く心に残った。
そして解散後、私達の宿泊している所からわずかな処に河童橋にあるので、
私達夫婦は橋の中間点に立ち、山すそを眺めたりした。
月が山すそに隠れ、わずかな月の光を観、
そして30数分の後、恥ずかしげに月が頂の上から現(あらわ)れたのである・・。
私は夜の散策で、星の光、沢の雪明り、そして月の光を鑑賞できた稀(まれ)な体験をし、
寝付いた時、夢の中で再来するかしら、と深く思ったりしていた。
・・
】
そして下旬のひととき、中学時代の同級生の有志メンバーと懇親会に参加したことである。
40代の初めにクラス会をした後、
20数年ぶりに男女10名で逢ったが、
心を深めたのである。
お互いにそれぞれの人生の軌跡を歩んできたが、
少なくとも出席された人のすこやかな笑顔、
そして60数年過ごしてきたささやかな自信と
わずかな誇りが感じられるしぐさ、言葉に溢れていた。
人生それなりに真摯に生きてくれば、こうして少年・少女の時代に還れる、
と改めて深く感動したりしたのである。
日常生活の多くは、買物、散策、庭の手入れ等で梅雨の時節に相応しく、
樹木、草花のうつろいに享受している。
そして、買物、散策の折、ご近所の奥方とさわやかな会話をし、
やはり女性の50、60代は清麗な言葉、
ふくよかで少しばかり妖艶なしぐさに魅了されることを、
改めて感銘を受けたりしている。
私は読書とこのサイトに投稿したり、
ときおり映画を居間で鑑賞したり、音楽を聴いたりしているので、
それなりに1日が終えるのが早く感じ、
現役時代と違った自在の身であるが、それなりに忙しい、と微苦笑している。
勤めることなく自在の生活をして折、たんたんと日々を過ごしている・・。
早くも水無月も過ぎ去ろうとしている今、
この月はどのような想いであったか、
私はこのサイトに綴ったのを読んだりしていた。
私は小船に乗り川の水流に流れを任せるような状況は嫌いで、
少なくとも無力なりに私は老朽化した小船の舵を取りながら、
流れていく日々を目指している。
このような思いで水無月を振り返ったのである。
中旬に上高地を訪れ、その夜に現地のNPGの好意に寄り、
夜の散策を楽しんだことが深く心に残っている・・。
この時の思いの投稿文の1部には、
【
・・
8時からの『ナイト・ハイク』と称せられた夜の散策コースに私達夫婦は参加した。
NPGの好意に寄り、真っ暗な上高地の森の小道を散策するのであるが、
私達のグループ10名は、ガイドの懐中電灯の足元を照らす光、
そして星と月明りの中をガイドに導かれて歩いた・・。
http://npg-alps.net/guide/night.php
私は夜の闇は幼少の頃は歩いたが、
この齢になっても真っ暗の中は独りで歩いたならば、
恐怖心がつのり、ただひたすら謙虚になる、
と改めて自覚させられたりした。
そして忽然に視界が開かれ、穂高連峰が観え、
沢の幾筋の残雪が雪明りとなり、周辺まで山すそが観えたのである。
そして頂の上空には、星が煌(きらめ)いていた・・。
私は神々(こうごう)しく厳粛な心持となり、
立ちすくんでいた。
こうして1時間ばかりの闇の中の散策であったが、
深く心に残った。
そして解散後、私達の宿泊している所からわずかな処に河童橋にあるので、
私達夫婦は橋の中間点に立ち、山すそを眺めたりした。
月が山すそに隠れ、わずかな月の光を観、
そして30数分の後、恥ずかしげに月が頂の上から現(あらわ)れたのである・・。
私は夜の散策で、星の光、沢の雪明り、そして月の光を鑑賞できた稀(まれ)な体験をし、
寝付いた時、夢の中で再来するかしら、と深く思ったりしていた。
・・
】
そして下旬のひととき、中学時代の同級生の有志メンバーと懇親会に参加したことである。
40代の初めにクラス会をした後、
20数年ぶりに男女10名で逢ったが、
心を深めたのである。
お互いにそれぞれの人生の軌跡を歩んできたが、
少なくとも出席された人のすこやかな笑顔、
そして60数年過ごしてきたささやかな自信と
わずかな誇りが感じられるしぐさ、言葉に溢れていた。
人生それなりに真摯に生きてくれば、こうして少年・少女の時代に還れる、
と改めて深く感動したりしたのである。
日常生活の多くは、買物、散策、庭の手入れ等で梅雨の時節に相応しく、
樹木、草花のうつろいに享受している。
そして、買物、散策の折、ご近所の奥方とさわやかな会話をし、
やはり女性の50、60代は清麗な言葉、
ふくよかで少しばかり妖艶なしぐさに魅了されることを、
改めて感銘を受けたりしている。
私は読書とこのサイトに投稿したり、
ときおり映画を居間で鑑賞したり、音楽を聴いたりしているので、
それなりに1日が終えるのが早く感じ、
現役時代と違った自在の身であるが、それなりに忙しい、と微苦笑している。