夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

物忘れと認知症の違いは? 認知症の基礎知識、高齢者の私は学び、やがて運動が大切と教示され・・。

2017-02-28 14:43:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ている中、
【 物忘れと認知症の違いは? 認知症の基礎知識 】と見出しを見てしまった。

私は70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。

或いは家内が視聴していたテレビ・ドラマで、私は何気なしに視て、
『この俳優さん・・齢を召されてきたが、相変わらず名演技をしているよねぇ・・』
と私は家内に言ったりする時もある。

しかしながら俳優さんの氏名が言えなくて、内心は苦笑したりする。
やがて津川雅彦(つがわ・まさひこ)さんだったことに気付いたりしている。

このように状況もあるので、今回の【 物忘れと認知症の違いは? 認知症の基礎知識 】、
こっそりと読んでしまった。
             

この記事の原文は、『週刊朝日』2014年6月27日号に掲載された記事のひとつであり、
そして【dot.(ドット)】に2014年6月19日に配信されていた。

古い記事であるが、もとより認知症は私にとっては天敵であるので、
真摯に学びたく、無断ながら転載させて頂く。
              
《・・認知症で行方不明になる人が、全国で問題になる中、
認知症の予防、地域で安心して暮らせるコミュニティーづくりが急ピッチで行われている。

そもそも認知症とはどんな病気なのか。
群馬大学大学院保健学研究科教授の山口晴保氏に聞いた。
             

Q1 認知症とは、どのような病気ですか。

認知症は大脳がつかさどる認知機能が低下する病気です。

認知機能とは、「見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触る」などの五感を通して、
脳に入る情報から、自分の置かれている状況を認識したり、言葉を自由に操ったり、
計算するなど知的機能を総称する概念です。

この認知機能が低下して、人の手助けなしでは生活できないレベルにまで、
生活力が失われる状態になることを「認知症」と言います。
             

Q2 自然な「物忘れ」と認知症の「物忘れ」は、どこが違いますか。

認知症の症状の一つに「物忘れ」がありますが、
誰でも加齢に伴い、記憶力は少しずつ悪くなります。

「具体的な内容を忘れる」のは、自然な物忘れ、「出来事そのものを忘れる」のは、
アルツハイマー型認知症による記憶障害という違いで、比較できます。

例えば、冷蔵庫を開けて消費期限が切れたお肉が出てきたら、
「1週間前に買っておいたのを忘れた」と気がつくのは、自然な物忘れ。

「誰が買ったのか」と、自分が買ったことを忘れていたら、アルツハイマー型認知症の疑いがあります。
             

Q3 認知症と間違いやすい病気はありますか。

認知症と「うつ」は、深い関係にあります。

レビー小体型、脳血管性の認知症は、うつ的な症状が目立ちます。
また、認知症の初期の段階、軽度認知障害(MCI)の段階で「うつ」の状態になると、
アルツハイマー型は1.65倍、脳血管性認知症は2.52倍の確率でなりやすいことがわかっています。

「うつ」状態では、脳の中にセロトニンという神経伝達物質が不足しているので、
ジョギング、水泳、早歩きのようなリズミカルな運動を毎日30分ぐらい続けると、
3カ月で脳内のセロトニンが増えてくるという調査結果もあります。
             

Q4 認知症になりやすい生活習慣、または遺伝はありますか。

アルツハイマー型認知症の多くは、70歳を超えて発症しますが、
中には40~50歳代と比較的若い段階で発症する方もいて、遺伝的な素因を持っている傾向があります。

遺伝的なアルツハイマー病は「家族性アルツハイマー型認知症」と呼ばれています。
しかし、遺伝性のアルツハイマー型は、ごく一部。
65歳以下で発症する認知症は全体の1%です。

また、認知症になりやすい生活習慣は、運動不足が挙げられます。
内臓脂肪型肥満に、高血圧、高血糖、脂質異常症のうち、
二つ以上を合併した状態を「メタボリック症候群」と言います。

この「メタボリック症候群」になると、アルツハイマー型の発症リスクが
2倍以上に高まるという調査結果も出ています。

メタボを防ぐには、運動が最も効果的です。
こまめに体を動かしましょう。・・》
             

今回、特に学んだことは《・・認知症になりやすい生活習慣は、運動不足・・》、

私も以前、この【dot.(ドット)】を読んでいた時、
《・・運動には、認知症を予防する効果があるといわれています。
脳を活性化し、気分を快適にすると、注目されています。

からだの動きをコントロールしているのは、私たちの脳です。

運動は、脳が働いて起こすものです。
脳からの指令で、筋肉が動くとそれに連動して関節、骨などの運動器は動きます。

しかし、脳はただ一方的に運動器に命令を下しているのではありません。
運動時に筋肉や腱、関節などから生じたおのおのの命令(信号)が脳に伝わっていき、脳を活性化します。
これは脳─筋が相互に刺激し合う関係性を表しています。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は運動が良いと教示されても、体力が衰えているので、ジョギング、本格的なウォーキングは避けている。
こうした代わりに、ひたすら歩いたりしている。

過ぎし12年半まえ、退職後の年金生活に於いては、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、歩くことが多くなっている・・。
                            

こうした時は紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。

何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
             

このように年金生活を丸12年過ぎて、早13年生となり、
やはり70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、無念ながら物忘れが多くなっているのが、
実情となっている。

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ブログの投稿文でも発信したら、やがて削除をしても、検索機に保存されることに、改めて自戒し・・。

2017-02-27 15:38:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなく偶然にブログの世界を知って、早12年半となっている。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                      
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
            
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。    
                                                                              
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは4年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
                      
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
             

昨日、昼食後に少し眠くなり、ソファーに横たわり寝付いたりしてしまった。
やがて本日のブログの投稿文をぼんやりと思案したりした・・。

私は殆ど午後3時前後に投稿していたので、思考が定らないまま、
『地球に似た7惑星の発見、天文学も無知な私でも、遅ればせながら学び、やがて妄想を重ねて・・。』
と題して、一気呵成に書き上げ、午後2時半に発信した。

やがて余りにも結論が断定的であり、この間の状況説明が書かれていないことに気付いたりした。

本日の早朝の4時半頃、熟睡していた私は、何かしら天の神のような御方から、
『夢逢人ょ・・投稿した文は余りにも酷過ぎる・・人格を疑われるょ・・』
と私は朦朧とした中で、聴こえて目覚めてしまった。

やがて私はパソコンを立ち上げた後、
投稿した『地球に似た7惑星の発見、天文学も無知な私でも、遅ればせながら学び、やがて妄想を重ねて・・。』を、
遅ればせながら早朝の5時に削除した。
             

もとよりブログの投稿文でも発信したら、やがて削除をしても、検索機に保存される・・。

マイクロソフトの「BingBot」、グーグルの「Googlebot」などが、
ロボット型検索エンジンでインターネット上のウェブページを、定期的に巡回している。

たとえ私のつたない投稿文でも、発信後に収集されて、やがて私が削除しても、保管されている。

そして私は冷や汗を感じながら、この投稿文の閲覧数(PV)をチェックしたら、62と表示された。
検索機以外に幾10人の御方に、お読み頂いたことを推測して、リアルだったら即お詫びしたかったが、
ネット世界であり、困苦したりした。

やがて私は、ブログの投稿文でも、発信する前に読み直して・・と改めて自戒したりした。

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知らないと損をする! 年金「4つの豆知識」、年金生活の私でも、改めて学び、やがて・・。

2017-02-26 19:50:04 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン 』を見たりしていた中で、
【 知らないと損をする! 年金「4つの豆知識」
                キーワードは「10年」 】と題された記事を見た。

私は年金生活の13年生の身であるが、無知なことがあったら大変だ、と思いながら、こっそりと精読してしまった。

この記事は、大槻経営労務管理事務所執行役員、特定社会保険労務士の武澤 健太郎さんの寄稿文であり、
『東洋経済オンライン 』に2017年2月26日に配信されていたが、無断ながら転載させて頂く。

《・・意外と知らない、年金の豆知識をご紹介します。
             

☆今だからこそ知っておきたい「ねんきん」

大学卒業後、3年間会社勤めをし、その後脱サラ。
都内で妻と2人でカフェを営む30代男性のTさん。

正直、年金については今まで考えたこともなく、また生活も今ほど安定していなかったので、
脱サラ後は、国民年金保険料をまったく払っていませんでした。

先日、たまたま見ていたニュースで
「来年から年金をもらうために必要な期間が25年から10年に短縮される」ことを知ったTさん。
老後のことを考え、今後は払おうと思ったTさんでしたが、ふと疑問が……。

「そもそも年金って、払った分はもらえるの?」

原則20歳以上の人が加入している国民年金。
でも、残念ながら制度をきちんと理解している方は、少ないのではないでしょうか。

そこで、今回は年金をもらうために必要な期間が10年に短縮された今だからこそ、
知っておきたい「ねんきん」の4つのお得な話をしていきたいと思います。
             

1、どうすれば10年になる?

65歳になったら、国民年金からもらえる老齢基礎年金。

この老齢基礎年金は、今まで原則25年間(300月)保険料を掛けていなければ、1円ももらえない制度でした。

しかし、25年間は非常に長い期間であるため、25年を満たせず老後に無年金となってしまう人が増えてきたことから、
平成24年に「消費税率を10%にすることを条件に、25年を10年に短縮する」ことを決めていました。

ところが、消費税の引き上げが先送りに。
年金は喫緊の問題であることから、今年の9月分の年金から10年に短縮することを決めたのです。

冒頭のTさんは会社に勤めた期間が3年間(厚生年金に加入)ですから、
あと7年間、国民年金(厚生年金でも可)保険料を払えば、
老後に年金、具体的には老齢基礎年金をもらえるようになったわけです。

なお、この10年は、国民年金と厚生年金の期間を両方合わせてカウントしてくれます。
また、老齢基礎年金がもらえれば、厚生年金から支給される老齢厚生年金が、
たとえ1カ月でも加入した月分に応じて、支給されるようになります。

ですからTさんの場合は、老齢基礎年金がもらえるようになれば、
会社員だった3年間分の老齢厚生年金も、別途もらえることになるわけです。
             

2、保険料を払っていない期間もカウントされる?

年金をもらうために必要な10年ですが、実はこの10年は、保険料を払った期間だけが、カウントされるわけではありません。

たとえば、所得が一定額以下のために保険料を免除されていた期間や
学生納付特例によって保険料が猶予されていた期間などはもちろん、
その他にも「平成3年3月以前に、学生であるため国民年金に任意加入しなかった期間」

「昭和61年4月以前に専業主婦で、任意加入していなかった期間」
「日本人が住民票を除いて海外に住んでいた期間」などのように上記ケースに該当しているだけで、
この10年にカウントしてくれる場合もあるのです。

これら10年にカウントしてくれる期間を合算対象期間(通称カラ期間)といいますが、
自分が当てはまるケースもあるかもしれないので、よく確認しておくことが大事です。

たとえばこんなケース。
保険料を払った期間は1年だけで、その後住民票を海外に移して、
そこで9年以上暮らしているようなケースです。
こんなケースでも10年としてカウントしてくれ、年金はもらえるのです。

さすがに保険料を1年しか払っていないので、月額約1625円と、月1回のランチ代くらいしかもらえませんが、
日本円でもらえるので、住んでいる国によっては、大きなメリットになりますよね。
             

☆長生きすればその分多くもらえる年金

3、国民年金は10年で元が取れる制度

みなさんが日頃疑問に感じるのは、
「年金は自分が払った分もらえるのか?」
「何年ぐらいもらえば元が取れるのか?」ということではないでしょうか。

『老齢厚生年金』は、会社からもらっていた給与額で、保険料も年金額も計算されるため、
金額を計算することが難しいのですが、
国民年金からもらえる『老齢基礎年金』は、保険料も年金額も定額なので、計算することができます。

老齢基礎年金は、20歳から60歳までの40年間、保険料をすべて納付した場合は、
78万100円(平成28年度)になります。

また、保険料は1万6260円(平成28年度)になります。

そこで計算すると、
78万100円÷480月(40年)=1625円

つまり、保険料を1カ月納付するごとに将来の年金が、年間1625円ずつ増額されるという計算になります。

ですから、元を取るためには、1万6260円÷1625=約10年ということになるわけです。

したがって、『老齢基礎年金』計算上、10年以上もらうことができれば、元が取れる制度ということです。

ちなみに、現在の受給開始年齢は65歳なので、75歳以上まで生きていれば、損はしないことになります。
将来的には受給開始年齢を70歳に引き上げるような話も出ていますが、
とりあえず、長生きすれば、その分多くもらえる年金。
健康で長生きしたいものですね。
             

☆保険料を払うことが難しい場合は

4、免除制度等も活用しよう

人生いろいろ。安定した仕事について、生活が順調なときもあれば、
退職等により収入がなくなり、生活が厳しいときもあるわけです。
そういったときは、国民年金には免除や猶予制度があるので、自分が該当するかどうか確認することが大事です。

保険料免除や納付猶予になった期間は、年金をもらうために必要な10年にもカウントしてくれますし、
『老齢基礎年金』の金額にも、一定程度反映してくれる場合もあります。

ケガをした場合にもらえる『障害年金』、
家族がなくなった場合にもらえる『遺族年金』は、
老齢年金と異なり保険料を払っていないと受給できなくなってしまいます。

しかし、保険料免除や猶予期間は未納期間ではないので、いざというときに大きな違いがでてきます。

免除、納付猶予制度は、所得基準以外にも、失業中の場合、学生の場合、
配偶者からDVを受けているような場合も対象となるケースがあります。
いざというときのためにも、保険料を払うことが難しい場合は、免除や猶予の申請を忘れずにしましょう。

年金については、自分が保険料を掛けていた分はもらえない、
将来破綻するのではと思っている方もおられますが、
まずは、年金制度をきちんと理解し、自分の老後を考えて行動することが大事です。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金(『老齢厚生年金』+『老齢基礎年金』)、
そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

我が家は年金が家計基盤であり、近年は支給額が減少はしている・・。

もとより1950年には、1人の高齢者を12.1人の現役世代(15~64歳)が支えていたが、
2012年の段階では、高齢者1人を現役2.6人が、
2060年には、高齢者1人を何と1.3人の現役が支えるという、不安定な構図になる時代となる。

しかしながら年金は減少しているが、破綻することはない、と私は信じている。
             

昨今、改めて学んだことは、2015年の総務省の家計調査によると、年金世帯の平均的な毎月の暮らしは、
実収入21万3379円に対し、支出が27万5706円で、差し引き月6万2327円の赤字だ。
多くの老夫婦は、貯蓄を切り崩す生活であり、我が家とほぼ同様だなぁ、と微苦笑したりしている。

こうした中で、実収入のうち社会保障給付は19万4874円で、
支出のうち税や社会保険料など非消費支出は3万1842円だが、特に保健医療には1万5405円かかり、
中長期的に政府の方針によって、年金の減少や社会保険料や医療費の増加があれば、この赤字は増える一方になる。

そして、仮に90歳まで生きるとすれば、老後資金はいくら必要になるだろうか。
年間約75万円の赤字を埋めるには、65~90歳までの25年間をあてはめると、
生活費だけでも1875万円の金額が必要だ。

そのほか、住宅の修繕や介護費用など予備費も1000万円程度は確保したいので、
夫婦で3000万円程度の老後資金を考えたい、と学んだりしてきた。

私が心配していることは、いつの日にか介護にお世話になることである。
             

日本人の平均寿命は、昭和31年の当時は、男性が63.59歳、女性が67.54歳であったが、
その後、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、おととしの平成27年には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と
私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する期間である。
             

私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、やむなく介護施設に思っているが、
介護施設に入居して、平均5年ぐらいで、亡くなる方が多いと学んできた。

そして要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。

しかしながら、特別養護老人ホーム(特養)の入居は競争が激しく、やむえず有料老人ホームを思案したりした。

そして東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかり、入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ・・と読んだ時、
裕福でない私は溜息を重ねたりした・・。

或いは地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件がある、と学んだりしてきた。
             

そして一部の御方は、長生きすればするほど、お金が程ほどにあっても
永らえば、やがて貯金が底をつく、と学んだりしてきた。
            
我が家も無念ながら程ほどの貯金しかなく、高価な有料老人ホームには、とても・・と思ったりしている。
そして程ほどの介護施設に入ったとしても、永らえば、やがて貯金が底をつく、と思い憂いたりし、
やはり私の晩年期の最大の難題と思いを深めたりしている。

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総合スーパーの衣料品がユニクロ、しまむらに勝てない理由、時代遅れの私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-02-25 15:18:14 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅み住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、長らく愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を読んでいる中、
【 総合スーパーの衣料品がユニクロ、しまむらに勝てない理由 】と題された見出しを見たりした。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

こうした中で、私は衣服に関しては、衣服ぐらい少し良い物を着ないとみっともないわ、と家内の勧(すす)めで、
都心のデパートに家内に引率されるように、年に数回ぐらい買い求めたりしてきた。

そして旅行や懇親会などの外出着となった後は、平素の買物メール老ボーイの私の制服ようになったりし、
やがて室内着となり、最後は小庭の手入れをする時に来たりしている。

大半は15年ぐらい愛用してきたので、イギリス紳士の真似事みたいだよねぇ、と私は家内に苦笑しながら言ったりしてきた。
             

しかしながら私のパジャマ、下着、靴下などは、最寄駅にあるスーパーの衣服フロアーで、
やはり家内と共に行き、買い求めたりしている。

或いは確か5年前、私の妹から、『ユニクロで買ったフリースだけれど・・普段着に着てねぇ』
と私は頂いたりした。

やがて私は室内着として、ユニクロのフリースを着たが、軽くて暖かく、
まもなく初めて最寄駅にあるユニクロに行き、多彩なフリースから2着ばかり買い求めたが、
値段も驚くほどに廉(やす)く、
これ以来、私はセーター、マフラーと無縁となったりした。

そして冬の旅路でも、高価な防寒着の下で、ユニクロのフリースを着て、
デパートのバーゲンセールで買い求めた冬用のスボーツシャツを着れば、
マイナス10度前後は、快適であったりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかった為か、家内は何かと世間に疎(うと)く、衣服に関しても、
デパートで真実一路のように買い求めて愛用し、ときには春、秋のバーゲンセールで、
適度に買い求めたりしている。
             

ここ数年、いくつかの最寄駅にある駅前に『しまむら』が開店した、
と私は新聞の折込チラシを見て、未知の世界である婦女子専門店の店は、
活性化があるよなぁ、と微苦笑したりしてきた。

このような心情を秘めてきた私は、『ユニクロ』、『しまむら』の実態も知らない時代遅れの私は、
どういうことですか、と私は好奇心に負けて精読してしまった。

この記事は、株式会社オチマーケティングオフィス代表の生地雅之さんの記事は、寄稿文であり、
2017年2月24日に【ダイヤモンド・オンライン】配信され、無断ながら大半を転載させて頂く。

《・・総合スーパーの衣料品がユニクロ、しまむらに勝てない理由

ここ何年もの間、総合スーパー(GMS)の衣料品売上が、低迷し続けています。

日本チェーンストア協会のデータで、ここ20年間の暦年売上額を見ても、
ピーク時の19年前には総売上が16.8兆円強あったものが、平成28年では13.0兆円(77.3%)しかなく、
衣料品売上に至っては、3.5兆円弱あったものが、1.1兆円強(28.3%)まで下落。

衣料品の構成比も20.6%から6.5%までに低下し、大幅な凋落ぶりです。
そもそも中小スーパーは食料品の依存度が高く、衣料品のシェアが低いのですが、
GMS2強のイオンリテールやイトーヨーカドーは、構成比が15~20%とそれなりにあるものの、
やはり売上は減少傾向にあります。

総合スーパーの衣料品事業は、なぜ低迷しているのでしょうか。
再生の可能性はあるのでしょうか。
             

☆総合スーパーの 衣料品売上が低迷している理由

低迷している理由を二つの角度から見てみます。

一つは店頭売上です。
お客様の売場、商品などへの評価バロメーターとなるからです。

二つ目が営業利益です。
これは経営者に対する評価バロメーターとなります。


まず、売上から見てみましょう。
前述した通り、明らかに減少傾向にあります。

最近の総合スーパーは、やたらと品番数が増えてしまっています。
これは、お客様のニーズが把握できておらず、売っていくのではなく、
買ってもらう「待ちの商売」になってきているからです。

よって、売場には“不要商品”が多く、「何を訴求しているのか」が判りにくい状態になってしまいます。
つまり売り場が、お客様が「好みの商品」を探すのにも、一苦労という状態になってしまっているのです。
             

次に、営業利益の視点から見てみましょう。
これも減少傾向にあり、衣料品事業で見た場合、赤字に陥っている店舗や会社も少なくありません。

まず、前提として、自店のポイントカード等から顧客の購入データの収集はできているのに、
分析・解析力に問題があり、きちんと顧客ニーズを把握できていないのです。

当然ながら、お客様のニーズを把握できていないため、品番数が広がり、
品揃えの奥行きが浅くなり、機会ロスを恐れて不要な商品までも、メリハリなく買取仕入を行っているのが実情です。

そのために、販売実力以上の膨大な仕入れが発生し、在庫増に苦しむことになります。
その在庫処分により、衣料品の非効率に陥り、衣料品事業として赤字に転落しているのです。

衣料品事業の低迷をなんとか挽回しようとする結果、
チラシの乱用で経費を使い、商品知識や接客技術の低い販売員を配置し、
結果として高コスト運営になり、儲からないのです。

儲からないから原価率の低減に力が入り、価値を上回る価格になり、「負のスパイラル」に陥ってしまうのです。
             

☆総合スーパーの衣料品は なぜ魅力に乏しいのか

実は、総合スーパーの店頭にある商品は、
ユニクロやしまむら、ショッピングセンター(SC)のショップブランド以上に、
良い商品もたくさんあるのです。

しかし、上記のように「不要な商品」が多く混在し、お客様が「良い商品」を見つけられない環境にあります。

これが一番の問題なのです。

まず、自店のお客様にとって「必要か否か」の目線軸を持ち、
勇気を持って「不要な商品」を店頭から引き下げることから始めるべきです。

むろん、店頭に「必要であり、売場に不足している商品」を補充するのは、とても重要です。

それでも、売場での「品揃え」は、基本的に「引き算」であり、
最初に「不要な商品」を見つけて排除することから始めるべきなのです。
不要な商品を「在庫があるから・・・」と、わざわざ店頭に出して置くこと自体に問題があるのです。
             

この点、ユニクロやしまむらは「品揃えの研究」が徹底しています。

ユニクロは「売れ筋商品」と「それ以外の商品」の区別を徹底的に深堀りし、把握しています。
「品揃え」の観点から「売れても売れなくても良い商品」も置いてありますが、
品数などを徹底管理しており、「売れない商品」を見越して、「売れる商品」で営業利益を盤石に確保しています。

しまむらは「単品の商品力」という点では、総合スーパーの商品とはあまり変わりがない印象ですが、
“機会ロス”を恐れず、次から次へと新品番を展開し、
常に売場を楽しく見せて「顧客の目線」を意識しています。

要するに両社とも、強固なビジネスモデルを構築できているのです。
総合スーパーの衣料品においても、自社・自店にとっての強固なビジネスモデルを構築すれば、
勝てない訳はないのです。
             

☆総合スーパーの 衣料品売場は活況を取り戻せるか

総合スーパーの衣料品売り場や事業は、活況を取り戻すことができるでしょうか。
特定商品を豊富に品揃えし、安価で販売する専門店に対抗できるのでしょうか。

私は「できる」と思います。

まず「売り場」という箱を作ってから入れるモノ(商品)を考えるのではなく、
「人材の育成」に力を入れるべきです。

最初は紳士服や婦人服など、各部門別のプロの育成を優先して行う。
次には、それを束ねる商品化計画の担当者を育成する。

それから、商品の魅力をお客様に伝えるプロモーションを徹底する。
そして最後に、全体を俯瞰して運営するマネジメントを深堀りするのです。(略)・・》
             

こうした記事を読み、多々教示されたりした。

そして無力な私でも、『ユニクロ』に行った時は、販売員から礼節ある言動を感じ、
覇気さえも感じたりした。

こうしたことは、やはり専門店であるから、肝要の衣服の販売が低下すれば、会社の倒産もありえるので、
それだけ販売員も真剣にお客が要望することを加味して、くまなく対応している、とシロウトの私でも思ったりした。

これに反して、最寄駅にあるスーパーの衣服フロアー店に於いては、
活気ある販売員が少なく、もとより専門知識も乏しく感じたりしてきた。

こうした中で、私は適度に家内と共に、選定してきたが、ある面、気楽さから愛用している。

或いは我が家から歩いて20分ぐらいに『イトーヨーカドー』があり、
この衣服フロアーは、適度に品質も良く、そして程ほど価格であり、私は利用する時もある。

こうした関係で、私はある都心のデパート、そしてスーパーの3店・・会員となり、
ポイントが加算されることを、秘かに喜んで、年金生活を過ごしている。

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この寒い時節、ときには天国ような処に老ボーイの私は、幾たびに体験をして、微笑み・・。

2017-02-24 15:10:25 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は年金生活を始めて当初から、平素の買物に関して、家内から依頼された品を求めて、
独りで最寄のスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている買物メール老ボーイの身である。

そして帰宅後、買物の責務を終えた後は、やはり独りで自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩いたりし、
このようなことが午前中、ほぼ毎日ようの過ごしている。

午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
            
そして、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
             

ここ数が月、三寒四温の中を過ごしてきた中で、ときおり日程が狂う時がある。

午前中は真実一路のように買物と散策を過ごした後、前日に深夜まで居間で読書をしていた時は、
昼食後、何かしら眠くなってしまい、苦笑したりする。

平素の私は、ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

たまたま深夜まで読書をしていた時は、目覚めた時は少し眠いが、
やはり朝の7時頃に、人生は気合だ、と心の中で呟きながら、起床したりしている。

こうした時、昼食後まもなく、二階の和室六畳の寝室に行き、
この時節は、敷き布団を二枚敷き、この上に電気毛布をセットさせて、シーツを敷き、
そして毛布と掛布団としている。

やがて15分過ぎた頃、電気毛布の威力で布団が暖かさが増した頃、
私はパジャマに着替えて、本を持参して、寝室に行く。

そして窓際から陽射しが差し込む中、私は布団にもぐれば、暖かく、
本を読みながら、まもなく寝てしまう・・。
             

やがて一時間半過ぎた頃、ぼんやりと目覚め、まどろみながら、
この世で何より倖せ・・と感じながら甘受したりしてきた。
             
私は現役サラリーマン時代の大半は、睡眠時間を削りながら、
多くの諸兄と同様に奮戦してきたが、退職後の年金生活をしている私としては、
もとより昼寝ができることは、夢のような甘受のひとときとなっている。

富も名声も無縁な私としては、せめて叶うことは、こうした天国ような処で、
この寒い時節、ときには享受したりしている。

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シニア「元気な今のうちに」消費、高齢者の私は学び、やがて微苦笑をして・・。

2017-02-23 15:16:38 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【NIKKEI STYLE 】を見ていたら、
【 「元気な今のうちに」消費 「逆算」がシニアを動かす 】と見出しを見た・・。

そして私は年金生活の72歳の身ながらも、好奇心に負けて、こっそりと読んでしまった・・。

この記事は公認会計士・心理カウンセラー 藤田耕司(ふじた・こうじ)さんが、
シニアマーケットコンサルタントの堀内裕子(ほりうち・ゆうこ)さんに、インタビューされた記事で、
【NIKKEI STYLE 】に2月22日に配信された記事であり、無断ながら殆ど転載させて頂く。

《・・2020年東京五輪・パラリンピック後の時代「post2020」に、
日本経済を元気にする鍵を握るのは、シニア世代の活発な消費行動だろう。

では、どうすれば病気や介護などへの不安を抱えるシニアが動くのか。
老年学の研究者でもあるシニアマーケットコンサルタントの堀内裕子氏に
「元気な今のうちに」と考えるシニアの「未来から逆算する」消費行動について聞いた。
             

藤田耕司さん
    シニアの消費動向を考えるうえで、まずシニア層の家計の実態が、どうなっているのかが気になります。

堀内裕子さん
    内閣府の16年版「高齢社会白書」から、世帯主の年齢階級別に1世帯当たりの貯蓄と負債を見てみましょう。
    30~39歳は貯蓄が610万円、負債は995万円です。
    40~49歳を見ると、貯蓄は1030万円に増え、負債も1051万円に膨らみます。

    ところが、50~59歳では、貯蓄は1663万円になり、一方の負債は654万円に減ります。
    60~69歳は一段と貯蓄が増え、2484万円になります。負債は213万円と大幅に軽くなります。
    70歳以上の世帯ですと、貯蓄は2452万円、負債はわずか78万円です。

    60歳以上は住宅ローンが払い終わり、子供の学費支出もなくなっているので、貯蓄が多く、負債が少ないことが分かります。

藤田耕司さん
    60歳以上は、それよりも下の世代と比べ、ずいぶんと家計にゆとりがあるように見えますね。
    それなのに消費意欲が、旺盛ではないのはなぜでしょうか。
             

堀内裕子さん
    内閣府が2012年にまとめた「高齢者の経済生活に関する意識調査」によりますと、
    60歳以上の高齢者が貯蓄をする目的は、「病気や介護が必要になったときの備えのため」との回答が62.3%を占めています。

    一方、「普段の生活を維持するため」は20.0%となっています。
    医療や介護の費用は予想できないため、それが不安材料となって、消費が抑制されてしまっている現状がうかがえます。
    実際にシニアの方に話を聞いていても、医療や介護にかかる費用に対する不安の声を頻繁に耳にします。

藤田耕司さん
    シニアの消費促進には、そういった不安を解消することが求められますね。

堀内裕子さん 
    シニアは元気であっても、頭のどこかで将来に対して、いくつかの不安を抱えています。
    現在抱えている何らかの体の不具合に対する不安、今後の自分や家族の病気や介護に対する不安、
    年金や保険などの社会的不安などです。

    これらの不安に対処するために、どれくらいのお金がかかるか分からないから、
    なるべくお金を残しておこうと「タンス預金」が増えていきます。

    こうした不安を緩和して、シニア市場を活性化させるためには、
    シニア層に病気や介護、年金、保険などについて理解を深めてもらい、
    将来への備えとして、何が必要かについても理解してもらうことが不可欠です。
             

藤田耕司さん
    どんな備えが必要になるのかを理解するうえで、老年学は有効ですね。

堀内裕子さん 
    老年学は医学、心理学、社会学、福祉学といった多面的な観点から、「老化」について研究する学問です。
    将来、何にどれだけのお金が必要になるのかをシミュレーションするためには、
    老化による体の変化についての理解が必要になりますから、
    老年学はシニアの将来への不安を解消するための有効なツールになるでしょう。

    最近は老年学の研究成果を踏まえ、誰にでも訪れる「正常老化」などについて、
    シニアの方に講演をする機会も増え、参加者も多くなっていますから、将来への不安を抱えたシニア層が増えていると感じています。

藤田耕司さん
    老年学のニーズは今後、一段と増えるでしょうね。
    ただ、将来への不安が緩和されるだけで、十分でしょうか。
    他にシニア消費を活発にするヒントはありますか。

堀内裕子さん
    シニア消費を理解するには、高齢者の現在・過去・未来に鑑みて、
    その上で「シニアの今」を見なければならないと思います。

    確かに、未来を見据えたシニアの消費は介護や年金、病気への不安などネガティブな要素が多く、
    不安が消費を妨げるケースも多く存在します。
    しかし、実はシニアの未来を見据えた消費の中にも、ポジティブな消費は多く存在します。
             

藤田耕司さん
    具体的には、どんな消費でしょうか。

堀内裕子さん
    「あと何回、元気に海外旅行ができるのだろう。もういい年だから、体が動くうちに欧州などの遠くに行っておこう」とか、
    「年を取って運転ができなくなるまでに、あと何回車を買い替えられるのだろう。
    今のうちに乗りたかった車に、乗っておこう」といった発想からの消費です。

    未来を考えて、そこから逆算して「今のうちに買いたいものを買っておこう」
    「やりたいことをやっておこう」という消費のパターンを「引き算消費」と呼んでいます。
    シニア消費には、こういったポジティブな消費も多いのです。

藤田耕司さん
    確かに、自分が高齢者になったら、そういった発想で、今買うべきものを考えるでしょうね。

堀内裕子さん
    それから「あと○年はお友だちと山登りをしていたいから、足腰が弱らないようにジムに通おう」とか、
    「孫の成長を少しでも長く見ていたいから、健康食品やサプリメントをとっておこう」といったように
    「あと○年は元気でいたいから」ということを動機とした消費もあります。

藤田耕司さん
    そういった動機から、買い物をするという感覚は、若い世代の発想にはないでしょうね。

堀内裕子さん
    シニア向けの商品やサービスを開発しているのは、シニア世代の消費者よりも若い人たちです。
    どんな動機から、シニアが今何を買うべきかを考えているのかを、若い世代にぜひ知ってもらいたいのです。
    もっとシニアの気持ちに寄り添って、シニアの本当のニーズを満たす商品やサービスを世に送り出してほしいですね。

藤田耕司さん
    未来から逆算して「あと何回」「あと○年は」といった気持ちを持っているシニアには、
    ここが消費喚起のツボになりそうです。
             

堀内裕子さん
    シニアの方からは「足腰が丈夫なうちに東京五輪を見に行きたい」とか、
    「死ぬ前にもう一度、オリンピックを見ておきたい」といった声を聞くこともあります。

    1964年の東京五輪が開催された時に思春期を迎えた高齢者にとって、
    3年後の東京五輪・パラリンピックは特別な思い入れのあるイベントです。

    1964年も2020年も同じ「東京オリンピック」であり、思春期の思い出とひも付いた特別なイベントです。
    そのため「東京オリンピックを見に行きたい」という動機はシニアにとって大切なものなのです。

藤田耕司さん
    「死ぬ前にもう一度」も、未来から逆算する消費の動機になり得るフレーズですね。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった二人だけの家庭で、
雑木の多い小庭の中で、古惚けた一軒家に住んでいる。

私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

確か一週間前の頃、下記のようなことを学び、微苦笑させられたりした。

《・・2015年の総務省の家計調査によると、年金世帯の平均的な毎月の暮らしは、
実収入21万3379円に対し、支出が27万5706円で、差し引き月6万2327円の赤字だ。
多くの老夫婦は、貯蓄を切り崩す生活である。

実収入のうち社会保障給付は19万4874円で、支出のうち税や社会保険料など非消費支出は3万1842円だが、
特に保健医療には1万5405円かかっている。

中長期的に政府の方針によって、年金の減少や社会保険料や医療費の増加があれば、この赤字は増える一方になる。

仮に90歳まで生きるとすれば、老後資金はいくら必要になるだろうか。
年間約75万円の赤字を埋めるには、65~90歳までの25年間をあてはめると、
生活費だけでも1875万円の金額が必要だ。

そのほか、住宅の修繕や介護費用など予備費も1000万円程度は確保したいので、
夫婦で3000万円程度の老後資金を考えたいところ。・・》
             

こうした意味合いの根底には、殆どの人は、長生きすればするほど、お金が程ほどにあっても
永らえば、やがて貯金が底をつく、と学んだりしてきた。
                           
私たち夫婦はお互いに体力は衰えて、心持ちは溌剌としているが、
いつの日にか介護にお世話になる、と漠然としながらも思ったりする時もある。

我が家は無念ながら程ほどの貯金しかなく、高価な有料老人ホームには、とても・・と思ったりしている。
そして程ほどの介護施設に入ったとしても、永らえば、やがて貯金が底をつく、と思い憂いたりし、
やはり私の晩年期の最大の難題と思いを深めたりしている。

こうしたことで、貯金を崩して消費に積極的には、できないことも多々ある。
             

しかしながら、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行は、
行きたい処に行こうょ、と幾たびも旅路を重ねてきた・・。

もとより貯金は減るが、いつの日にか介護にお世話になった時、あの時に行っていれば・・、
と後悔をしたくないである。


過ぎし私が定年退職する直前、家内の父が病死されて、
家内の母は我が家より遠方で独り住まいとなったりした。

そして私たち夫婦は、家内の母を誘って温泉旅行を幾たびもしてきた。
やがて家内の母は、北海道に行ったことはないから・・、と家内に言ったりして、
家内の母は、生れて初めて飛行機に乗り、私たち3人は北海道の地を周遊したりした。

まもなく家内の母は、戦時中は軍事工場で働かされた多くの女学生のひとりであり、
死ぬ前に一度だけ・・参拝したいわ、と家内に言ったりして、
最初は長崎、翌年は鹿児島、次の年は沖縄、最後には広島・・と私たちは慰霊の旅路をしてきた。

昨今の家内の母は、『要介護1』の身となり、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。

こうした中で、家内の母は、元気に歩いていた時、各地に連れてってもらい、良かったわ、
と家内に言った、と後日に私は家内から教えられて、微苦笑したりした。
             

今回の記事を読み、高齢者でも《・・「やりたいことをやっておこう」という消費のパターンを「引き算消費」・・》
程ほどしか貯金がない我が家でも、確かにそうですよねぇ、と私は微苦笑しながら、多々教示されたりした。

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この人生、まさかの”めぐり逢い”、私は3回も体験して、微笑みを重ねて・・。

2017-02-22 16:30:31 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
午前中のひととき、近くにある散髪屋(理容店)に行った。

私はここ20年ぐらい愛用している散髪屋であり、散髪して頂く中、
主人と季節のうつろいなどを話題に談笑したりしている。

たとえば、この時節は近くに流れている野川の川岸にある一本の河津桜が、
咲いているか、まだ莟(つぼみ)かしら、とお互いに情報交換をしたりしてきた。

或いは晩春になれば、ハナミズキの花は、あの処が綺麗に咲いている、
とお互いに言ったりしてきた・・。

このような話題を本日も話している中、ひとりの老人が入店した。
そして私は鏡に映る人を見て、『しばらくでした・・またお逢い出来まして・・』、
と私は少し大きめ声で、その老人に挨拶した。

『XXさんに・・また逢えたねぇ・・』
と老人は微笑みながら、私の愛称を言ったりした。
             

この老人は私の住む地域の旧家の御方で、以前は農家で畑を手広く管理されていたが、
私の生家と同様に、昭和30年頃からこの一帯は、急速に住宅街に変貌してきたので、
やむなく転業して賃貸マンション、貸駐車場を経営されている80歳になられた御方である。

私は昭和19年の秋に、農家の三男坊として生を受けた。
そして祖父、父が亡くなるまで農家をしていたので、
祖父の代より以前からも、この御方の家とは長らく交際が継続してきた関係であった。

そして私の結婚式の延長である披露宴にも参列して頂いたり、
この前後の葬祭などで、幾たびにお逢いしてきた御方であった。

しかしながら確か10年前に、付近にある旧家の奥様が亡くなわれた時、
私はお通夜に行った時に、この御方は受付をされていて、
まもなく私に近づいてきて下さり、数分ばかり私たちは言葉を重ねたりした。


これ以来、この御方と出会わなかったが、半年前の頃に、
この散髪屋(理容店)で、私は出逢って、驚いたりした。

何かしらこの御方が50年ぐらい利用してきた散髪屋(理容店)が廃業となり、
やむなく探している中で、たまたま私が愛用してきた散髪屋(理容店)に来店され、
偶然に私たちは、散髪屋(理容店)でめぐり逢いとなった。

この後、三か月前に偶然にこの散髪屋(理容店)で逢い、
そして本日も、この散髪屋(理容店)で逢ったりした・・。
             

この御方は20日サイクルで利用していると、二回目に聞いたりしたが、
私は月一回サイクルであり、もとより打ち合わせもなく、同じような時間帯で、
ここ半年、たまたま三回もお逢いできることに、この人生の不思議さに微笑みを重ねたりした・・。

余談であるが、この御方から、いつでもいらしゃい、と歓待される言葉を確か10年前に私は言われたりしているが、
親から家督を移譲されたこの御方、そして私の長兄だったら、いざしらず、
私はサラリーマンを卒業した三男坊の身であるので、格式ある旧家には、たじろいで未訪問となっている。

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過ぎし年に60代を卒業して、70代を過ごす中、初めて実感させられることに、微苦笑を重ねて・・。

2017-02-21 15:35:33 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった二人だけの家庭で、
雑木の多い小庭の中で、古惚けた一軒家に住んでいる。

こうした中で、つたない半生を過ごしてきた私でも、年金生活の60代の10年間は、
予期した以上に、苦より歓びが圧倒的に多く、安楽に過ごしてきた・・。

たとえば平日にのんびりと散策したりすると、働くことなく自由に散策できるなって許されることかしら、
と定年前の多忙なサラリーマン生活を思い馳せたりして、年金生活を始めた当初は、戸惑ったりした。

或いは私たち夫婦は国内旅行を幾たびか旅路を重ねてきたが、
旅立ちの時、東京駅、羽田空港などで働いで下さる諸兄諸姉を見かけると、
少し後ろめたい心情もあったりした。

私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇することなく、私は60代の年金生活10年間を卒業した。
             

過ぎし年の2014年(平成26年)の9月下旬、私は古希(こき)と称される満70歳を迎えることが出来た・・。

もとより古希は、還暦に続く長寿の祝いの70歳のことであり、
中国の盛唐時代に西暦700年代の詩人の敬愛している杜甫(とほ)が、
『曲江詩』の一節の中、人生は70古来稀(まれ)なり、から伝承されている。

しかしながら、この2014年(平成26年)の当時は、総務省の公表に寄れば、
日本の70歳以上の方は2383万人で、総人口の19%近くの長寿社会を迎えている今日、
古来稀(まれ)なり・・は死語だよねぇ、と私は微苦笑を重ねたりした。、

私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

そしてお互いに体力は衰えて、心持ちは溌剌としているが、
いつの日にか介護にお世話になる、と漠然としながらも思ったりする時もある。

もとより日本人の平均寿命は男性80歳、女性87歳と公表され、
健康寿命は男性71歳、女性74歳と明記されたりしている。

そして男性80歳、女性87歳時点で、半数が死亡し、 男性71歳、女性74歳時点で、
半数がやむなく介護を必要とする状態になる可能性が高い、と私は学んだりしてきた。

こうした中で、何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、人生は気合だ、と時折つぶやきながら、年金生活を過ごしている。

或いは風邪気味の時は、病院などに行かず、市販の薬も敬遠して、
早めに布団にもぐり、本を読み、そして睡眠時間を多めにして、克服したりしてきた。
                           

しかしながら、70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
       
しかしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

たとえば祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っている・・。

ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、確か私が小学3年生の頃、
亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんの『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、収容できずオバー・フローになり、
忘れてしまうことで、悩が適度な記憶量に調整を図っている、と無念ながら思ったりしている・・。
                          

私はこの寒い時節、和室の寝室で朝に布団から目覚め、
やがて起きだして、部屋の片隅に置いている靴下を履こうとする時、
身体か或いは骨が固くなった為か、苦難する時もある。

このようなことは60代の時は感じたことはなかったが、
無念ながら老化現象で齢なのかしら、と独り苦笑したりする。

或いは知人宅で正座したり、あぐらを掻(か)いたりして、一時間ぐらい談笑した後、
すぐに立てなくなり、苦笑をしたりしてきた・・。
             

何よりも恥ずかしいことは、オシッコが近くになったことである。

ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

そして目覚めた時、ぼんやりと今日は・・と予定事項を思い浮かべたりして、
15分ぐらい過ぎた時、オシッコだ、と感じて、布団から起きだすが多くなっている。
       
日中は、近くお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗を三つに、煎茶を淹れて、
そしてコーヒー・カップにインスタント・コーヒーを淹れて、愛飲している。

昨今の寒い時節、こうした煎茶、インスタント・コーヒーを飲んだりしていると、
一時間半ごとにトイレに行き、オシッコをしたりしている。

私は年金生活を始めて当初から、平素の買物に関して、家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている買物メール老ボーイの身であるが、
70歳の頃からは、家を出る直前に、トイレに行き、オシッコをしたりしている。

そして買物の責務を終えた後は、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩いたりしているが、
一時間半ぐらい歩く間、水分補給は十二分にしている為か、
小公園などのトイレに行き、オシッコをすることが多い。
             
こうした事態に私は戸惑って、苦笑したりしている。
                           

そして私は高齢者に入門した65歳の頃、作家・渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)さんの随筆を読んでいる中で、
『その年にならなければ、解らないょ・・』、
このような意味合いの言葉を学んできたので、昨今の私は、そうですよねぇ、と同意を深めたりしている。

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つたない定年までの半生を過ごした私でも、年金生活は予測した以上に享受でき、微苦笑を重ねて・・・。

2017-02-20 15:16:19 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
午前中のひととき、いつもように私は独りで散策した・・。

3月下旬のような暖かさに恵まれている中、付近に流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いたりした。
そして自由に散策ができるなんて、我ながら改めて倖せを感じたりした・・。
             

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
         
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
            

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。

こうした中で、私たち夫婦は雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごし、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                        

年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。

そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。

やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、  
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
        
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
            

このような心情の片隅みに秘めながら、私は60代の年金生活は、つたない我が人生の中で、
最も安楽な日々を過ごして、享受してきた。

過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

そして私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。
            
        
定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
私は今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き、長らく住み、
戦後から今日まで急速に変貌してことに、愛惜感もある。

そしてイギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をして、歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。

帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
            

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

たとえば私が勤めていたあるレコード会社のOB会と称せられる懇親会に出席したりすると、
上司だった御方たち、或いは同世代の数多くの人と談笑したりしている中、
数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は言われたりした。

私は照れながら、テレビ朝日の『じゅん散歩』で主演されている高田純次さんが、
私の当面のライバルです、とワインの勢いに乗(じょ)じて、私は応じたりした。
            
或いは女性グループの中で談笑している中、たまたま音楽の話題となり、
他社の『いきものがかり』を定年後に偶然に聴き、
何かと吉岡聖恵(よしおか・きよえ)ちゃんの歌声に、励まされていますょ、
特に『YELL(エール)』は、高齢者の私でも心身のビタミン剤ですょ、と私は言ったりした。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
            

このように年金生活を過ごしているが、私は敬愛しているチャップリンの遺(のこ)された言葉のひとつに、
《 人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー。 》
という名言があり、人生の確かな格言ですねぇ、と程ほどの貯金しかない私でも、信愛しているひとりである。

そして恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活を過ごしている。

このように私は過ごし、つたない定年までの半生を過ごした私でも、年金生活は予測した以上に享受している。

そして私たち夫婦は、いつの日にか、どちらかが介護を受ける身まで、
ささやかながら年金生活の楽しき日々を甘受している。
            

或いは私としては、予測できなかったこともある。

私たち夫婦の両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、独り住まいの生活をされて、12年半となるが、
家内の母は、5年前の81歳を過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、杖(つえ)を突いて歩く身となった。

まもなく市の福祉課を通して、『要支援2』と認定されて、
市の福祉課からのアドバイスにより、住まいの一部を補修したりした。

やがて昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりし、市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

こうした中、家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
こうしたことに伴い、ときおり我が家は、私が独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごすこともある。

このような体験を私は重ねているので、これも人生だよねぇ、と微苦笑をしたりしている。

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『サラリーマン川柳』、定年退職後12年半の年金生活の私でも、こよなく愛読して、微苦笑させられて・・。

2017-02-19 13:47:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の身であるが、
過ぎし13日、サラ川と愛称されている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』コンクールに於いて、
入選作の100の作品が発表されて、私はこっそりと読んで、微苦笑させられてきた。

私は無念ながら短歌や俳句を詠(よ)む素養はなく、
人さまが詠(よ)まれたのを読ませて頂くのが好きなひとりである。
             

もとより短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。

そして俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。

或いは川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。

つたない半生を歩んできた私は、せめて川柳ぐらいは・・と時折一句でも吐くことあるが、
やはり素養に乏しく感じ、やむなく『ブログ』の世界で散文のような拙(つたな)い綴りを
殆ど毎日投稿をしている。
                                                

こうした中で、ときおり私は『サラ川』と称せられている『サラリーマン川柳』を愛読している。

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年は出向となったりし、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。

このような悪戦苦闘が多かった私は、何かと『サラリーマン川柳』が好きで、
現役のサラリーマン時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。

そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓を発露していると確信し、年金生活13年生の今でも、ときおり本を開いたりしている。
                 
                 ☆本棚から特に愛読している2冊を取りだして、たわむれに記念撮影☆


今回、入選作の100の作品が発表されて、読んでいる中、意味合いが解らない句もあり、苦笑させられたりした。

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭の為か、
ここ12年半中、何かと社会状況が疎(うと)くなっている。

たとえば入選作の100の作品の中、転記させて頂くと、たとえば、

◎ AIも 「愛」に見えるよ 婚活中・・・詠み人・リラックモ

◎ アモーレも 今や我が家の 新ゴジラ・・・詠み人・小小市民

◎ 君の名は ゆとり世代の 名が読めず・・・詠み人・くまねこもも

或いは時代遅れの私は、年金生活を12年半ばかり過ごしてきた中で、
100作品の中で、素直に同意させられたのは、たとえば、

◎ 久しぶり! 聞くに聞けない 君の名は・・・詠み人・健忘賞

◎ 効率化 提案するため 日々残業・・・詠み人・ビジネスマンみっちゃん

◎ 上司より 妻の決裁 高難度・・・詠み人・ナカケン

こうした句に私は実感を深めて、そうですよねぇ、と微苦笑したりした。
             

余談ながら、長年『サラリーマン川柳』を愛読してきた中で、瞬時に深く魅せられて、
今でも心の片隅に残っている二作品がある。

◎ 破れてる ジーパン繕い 怒られた・・・詠み人・優しいばあちゃん

◎ うちのパパ おとなのくせに ママとねる・・・詠み人・めだかの学校のせんせい

私は小説、随筆、ノンフィクション、近現代史など57年ばかり濫読してきた身であるが、
短かな言葉で人生の機敏を的確に表現する川柳の世界に於いて、
このお2人のたぐい稀(まれ)な文才に、ふるえる程に感銘して、思わず脱帽したりしてきた。

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長生きが「コスト」になる時代が到来、高齢者の私は改めて学び、溜息ばかり重ねて・・。

2017-02-18 12:17:49 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン 』を見たりしていた中で、
【 高齢者の「医療費負担」は来年度から重くなる
           ~長生きが「コスト」になる時代がやってきた~ 】と題された記事を見た。

私は、長生きが「コスト」になる時代、どのようなことですか、と思いながら、精読してしまった。

この記事は、ファイナンシャルプランナーの花輪 陽子さんの寄稿文であり、
『東洋経済オンライン 』に2017年2月16日に配信されていたが、無断ながら転載させて頂く。

《・・高齢者の医療・介護の負担は、どこまで重くなるのか――。

厚生労働省は2017年度から実施する、医療や介護の負担増について、その大枠を発表した。

医療費の患者負担に上限を設ける「高額療養費制度」に対しては、一定の所得がある世帯の限度額を引き上げる。
また、75歳以上が加入する、後期高齢者医療保険では、保険料負担の「軽減特例」も見直す。

一方、介護保険サービスの自己負担も、2018年度から増える予定。
高齢者の生活はますますきつくなり、年金での老後資金のやり繰りがさらに厳しくなりそうだ。
             

なぜこのタイミングで医療保険制度改革が必要なのかといえば、
急激な高齢化によって医療費などの社会保障費が増大し続け、日本の財政を圧迫しているからだ。

2016年度当初予算では、社会保障費が約32兆円で3分の1を占め、
1990年と比べると約3倍にも膨らんだ。

社会保障費が毎年1兆円規模で増加している中、社会保険料収入は、横ばいで推移しているため、
その多くは税金と借金で賄われている。
少子高齢化は今後も止まることはなく、財政は一層深刻化することが予測される。
             

☆医療費のピークは75~79歳で迎える

2025年には、団塊世代が75歳以上の後期高齢者になるという、”2025年問題”がささやかれている。

高齢になれば当然、病気や要介護になるリスクも高まる。
医療費の推移を見ると、70歳以降に生涯の医療費の約半分がかかり、75~79歳でピークを迎える。

また、要介護者の発生率は、加齢とともに急に高まり、80~84歳では29.9%、85歳以上では60.3%にも上る。
政府としては、団塊世代が70歳以上になる2020年までに、医療・介護制度改革を進めたいのであろう。

誰しもが避けられない高齢化。
具体的に改革の内容とその影響についてみていきたい。
             

☆まずは高収入の老人から標的に

そもそも高額療養費制度とは、医療費がかさんだ際に、患者負担に毎月の限度額を設ける仕組みだ。
現行、70歳以上の高齢者には所得に応じて、外来費や入院費で優遇措置がある。

まず、70歳以上の現役並み所得者(年収370万円以上)は、外来費の負担限度額について、
現行の4万4400円が2017年8月には月5万7600円へ、2018年8月には月8万円以上へと引き上げられる。

また、70歳以上で住民税が課税される一般所得者(年収156万~370万円)も、
現行の月1万2000円が2017年8月には月1万4000円へ、2018年8月には月1万8000円へとアップするが、
これには年間上限の設定で、歯止めがかけられる(年14万4000円まで)。

住民税非課税の低所得者(年収156万円未満)は、負担増がなく現行のまま維持される、という内容だ。

これらはいずれも、過度な負担増を避けるため、2段階に分けて実施される計画だ。
どちらかといえば、高齢者の中でも、中高所得者から対象になっていったといえよう。
             

☆後期高齢者の特例も減らされる

75歳以上が支払う、後期高齢者医療保険の保険料に関しても、負担を軽減している特例が見直される。

年収153万~211万円で一定の所得のある人向けには、現行の5割軽減から、2017年4月には2割軽減となり、
2018年4月には軽減措置自体がなくなる予定。

74歳まで夫や子どもに扶養されていた専業主婦向けには、現状で保険料を9割軽減されており、今の保険料は月380円。
が、これが2017年4月には7割軽減へ、2018年4月には5割軽減へと引き下げられる。

医療費だけではない。
介護費もこれから重くのしかかる。

介護保険サービスの自己負担は、現行の2割(年収280万円以上)から、
2018年8月には3割(年収340万円以上の単身者など)へと引き上げられる見込みだ。

また、高額介護サービス費の負担の限度額も、2017年8月から一部がアップ。
課税所得が145万円未満で、住民税が課税されている人のいる世帯の上限額は、
月3万7200円から月4万4400円になる(ただし実施から3年間に限って、年間上限の44万6400円を設定)。
これらの金額は決して小さくない。
             

☆90歳までなら老後に3000万円ほしい

2015年の総務省の家計調査によると、年金世帯の平均的な毎月の暮らしは、
実収入21万3379円に対し、支出が27万5706円で、差し引き月6万2327円の赤字だ。
多くの老夫婦は、貯蓄を切り崩す生活である。

実収入のうち社会保障給付は19万4874円で、支出のうち税や社会保険料など非消費支出は3万1842円だが、
特に保健医療には1万5405円かかっている。

中長期的に政府の方針によって、年金の減少や社会保険料や医療費の増加があれば、この赤字は増える一方になる。

仮に90歳まで生きるとすれば、老後資金はいくら必要になるだろうか。
年間約75万円の赤字を埋めるには、65~90歳までの25年間をあてはめると、
生活費だけでも1875万円の金額が必要だ。

そのほか、住宅の修繕や介護費用など予備費も1000万円程度は確保したいので、
夫婦で3000万円程度の老後資金を考えたいところ。
今から貯金をするのが間に合わない場合、アルバイトで収入を増やすか、節約で支出を減らすしかない。

特に生命保険の見直しは、効果的である。
子どもが独立したら、多額の生命保険は不要となるので、解約や減額を検討するのも一つの手。

また現在、交通・通信費の月平均は2万7286円と、改善余地が大きい。
通信費は格安スマホを使えば、月2000円程度に削減することも可能で、
孫との会話は、無料のスカイプなどを活用し、自宅の固定回線や光回線を思い切ってなくしてしまうこともできる。

シルバー割引も積極的に利用するとよい。
             

☆老人1人を現役1.3人が支える未来

日本の財政事情を考えると、どちらにしても、高齢者も含めたより一層の自己負担増が避けられない。
日本では、総医療費に対する患者負担は、わずか13%程度と、諸外国と比べてもかなり低い水準である。
日本の国民皆保険制度は、総医療費の48.6%を負担し、38.4%が公費補助となっている(2014年)。

振り返ると1950年には、1人の高齢者を12.1人の現役世代(15~64歳)が支えていた。
が、2012年の段階では、高齢者1人を現役2.6人が、
2060年には、高齢者1人を何と1.3人の現役が支えるという、不安定な構図になる。

少子高齢化で医療費が膨張する一方で、保険料収入が伸び悩めば、患者負担を増やしていかざるをえない。
後に続く現役世代は、さらなる老後資金の確保が必至となるだろう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、溜息ばかり重ねてしまった・・。

私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭である。
そして私たち夫婦は、自分たちのセカンドライフと称せられる老後の生活の改めて話し合ったのは、
1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あり、家内は49歳の時であった。

私は1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め始めた時であった。

こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。

具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
                                  

やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。

こうしたことを実現するためには、各出版社から年金生活に関する数多くの本が発売されていたので、私なりに買い求めた。

或いは雑誌としては、 『ほんとうの時代 ~50代から読む「大人の生き方誌」~』(PHP研究所)であり、
こうした本を読んだりしながら、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、そして年金の推定額も算出し、
収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。

やがて私は定年退職の60歳を迎えた時、出向5年半で睡眠時間を削り、私なりに奮戦してきたので、
身も疲れ果てて、せめて60代の10年間は、何とか五体満足で生かしてくれ、その後は余生である、
とこの当時は家内、友人、或いは知人に言ったりしていた。

根底としては、煙草を喫う愛煙者で、蛍族と称される室内厳禁で、玄関の軒下、小庭のテラスで喫うひとりで、
この当時は、私はお酒大好きだった呑兵衛だったり、スポーツにも無縁で、散策する程度であった。

或いは、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

やがて定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
何よりも思いがけないことは、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                                 
私たち夫婦は幸運に大病もせず生活をしてきたが、
不幸にも知人の病死、大病で入退院している友人を思い重ねれば、涙を浮かべたりしてきた。
             

日本人の平均寿命は、昭和31年の当時は、男性が63.59歳、女性が67.54歳であったが、
その後、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、おととしの平成27年には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と
私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する期間である。
             

私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、やむなく介護施設に思っているが、
介護施設に入居して、平均5年ぐらいで、亡くなる方が多いと学んできた。

そして要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。

しかしながら、特別養護老人ホーム(特養)の入居は競争が激しく、やむえず有料老人ホームを思案したりした。

そして東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかり、入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ・・と読んだ時、
裕福でない私は溜息を重ねたりした・・。

或いは地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件がある、と学んだりしてきた。

そして殆どの人は、長生きすればするほど、お金が程ほどにあっても
永らえば、やがて貯金が底をつく、と学んだりしてきた。
                           

我が家は無念ながら程ほどの貯金しかなく、高価な有料老人ホームには、とても・・と思ったりしている。
そして程ほどの介護施設に入ったとしても、永らえば、やがて貯金が底をつく、と思い憂いたりし、
やはり私の晩年期の最大の難題と思いを深めたりしている。

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「モラトリアムおじさん」って何なのょ、と何かと好奇心が旺盛な老ボーイの私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-02-17 13:36:45 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、ときおり愛読しているネットの【NIKKEI STYLE 】を見ていたら、
【 シニア消費の鍵を握る「モラトリアムおじさん」とは? 】と見出しを見た・・。

そして昨今の社会状況に、ともすれば判らないことが多いが、
「モラトリアムおじさん」って何なのょ、と思いながら、
好奇心に私は負けて、こっそりと読んでしまった・・。

何かしらシニアマーケットコンサルタントの堀内裕子(ほりうち・ゆうこ)さんに、
公認会計士・心理カウンセラー 藤田耕司(ふじた・こうじ)さんが、インタビューされた記事と判り、
【NIKKEI STYLE 】に2月16日に配信された記事であり、無断ながら殆ど転載させて頂く。

《・・東京五輪・パラリンピック後の「post2020」に、日本は少子高齢化と人口減少が続き、
消費市場の縮小が避けられないが、市場の中でシニアの存在感は、着実に大きくなる。

シニアマーケットコンサルタントの堀内裕子さんは、生活に変化や刺激を求めているものの、
具体的な行動に踏み出せない「セカンドライフモラトリアム」と呼ぶシニア層の存在に着目。

この層の消費意欲を呼び覚ませば、日本は経済活性化の糸口が見えてくるという。
             

藤田耕司さん
    ビデオリサーチの「ひと研究所」と共同で、シニア市場について調査研究した成果を
    「新シニア市場攻略のカギはモラトリアムおじさんだ!」(ダイヤモンド社)としてまとめていますね。
    企業がシニア市場でビジネスを展開するうえで、何が鍵になるのですか。


堀内裕子さん
    シニアについて深く研究した結果、やはりシニアは、多様性に富んでいると実感しました。
    長年の経験で培ったものも多く、複雑な属性を持っています。

    その複雑なシニアを理解するために、人が行動を選択する背景には、その人の価値観が大きく影響していると考えました。
    各種の定量調査や定性調査を実施し、この価値観を踏まえてシニアを分析した結果、
    シニア市場を考えるうえで重要な「新型シニア」の存在が明らかになりました。

藤田耕司さん
    具体的には、どのような分析によって、どんな高齢者たちの姿が見えてきたのでしょうか。
             

堀内裕子さん
    縦横2軸の図を使い、シニアを分類しました。
    縦軸の「行動軸」は行動が「積極的」か、「慎重・控えめ」か。
    横軸の「志向軸」では「変化・刺激」を求めるのか、「伝統・保守」を重視するのかといった価値観によって違いを見ます。

    その結果、6つのグループをプロットすることができました。

    (1)の「社会派インディペンデント」は、人とのつながりを大事にして、新しい人脈を築くことや世代を超えた交流にも意欲的です。
    (2)の「ラブ・マイライフ」は、若さ・美への追求心やアンチエイジング(抗加齢)意識が強く、新しい物好きで情報通。流行にも敏感です。
    (3)の「セカンドライフモラトリアム」は多数派を形成している印象です。

    セカンドライフモラトリアムは、現役時代には「企業人」「会社人間」ともいわれた人たちで、
    組織人として働いてきた人が多い層になります。

    社会に取り残される不安が強く、これからの人生をどう過ごしたらよいのかを模索しています。
    変化・刺激を求めるものの、何をやってよいかが分からず、
    仮に興味や関心があることを見つけても誰かが背中を押してくれないと、一歩が踏み出せません。

    あるいは、その一歩を踏み出すためには「大義名分」が必要になります。
    お金も体力も時間もあるのに、やることが見つからない今の状況に不満を覚え、
    「会社にいた方が楽だった」と悶々(もんもん)としています。

藤田耕司さん
    これが「新シニア市場攻略のカギはモラトリアムおじさんだ!」という本の題名に出てくるシニア男性のイメージですね。
             

堀内裕子さん
    (4)の「身の丈リアリスト」は、何かと「お金がない」「お金がかかるからできない」という諦め感を
    口にすることが多くみられるタイプです。

    特に資産が少ないわけではありませんが、使う意欲が低いのが特徴です。

    (5)の「アクティブトラッド」は、リタイアして悠々自適に暮らしている人が多く、
    お金も時間もあり、消費も行動も積極的ですが、保守的な考え方が強い傾向にあります。
    変化や刺激を望まず、伝統的、保守的な価値観の持ち主です。

    (6)の「淡々コンサバ」は、現在の生活に不満はなく、これ以上に多くを望まない人たちです。
    強い主張も持たず、淡々と平穏な暮らしを送っています。
    孫の話題にとても敏感なグループです。
             

藤田耕司さん
    こうした分類を踏まえて、シニア市場を活性化させるポイントは何でしょうか。

堀内裕子さん    
    注目すべきは、26.8%と最大の比率を占めるセカンドライフモラトリアムです。

    お金も体力も時間もあり、「何かをしたい」と思ってはいるものの、
    現役時代に仕事を優先してきたために、仕事以外は何をやってよいのか分からない。
    これは潜在的な消費のポテンシャルが非常に高いグループだといえます。

藤田耕司さん
    6グループを見ると、「積極的」な活動状況のグループよりも、
    「慎重・控えめ」の方が圧倒的に多いのが気になります。

    消費にも「慎重・控えめ」のシニアが多い状況が続けば、今後の日本経済の大きな課題になりますね。

堀内裕子さん
    特に、意欲はあるのに、やることがないセカンドライフモラトリアムのシニア層が、
    「積極的」に動き出す第一歩を後押しする社会的な仕組みづくりが、喫緊の課題でしょう。
             

藤田耕司さん
    「モラトリアムおじさん」の第一歩。
    これを後押しするには、どうすればよいのですか。

堀内裕子さん
    セカンドライフモラトリアムの男性は、終身雇用制度のもとで会社に勤務することを通じて、
    適度に束縛されることが、当たり前になっています。

    退職して誰からも指揮命令を受けなくなると、自由すぎて居心地が悪くなる傾向にあります。
    彼らが居心地よく過ごすには、規則正しい生活リズムを守り、
    適度な束縛を得るために何らかのコミュニティーに属することが効果的です。

    このタイプの男性は、コミュニティーに属するために、自ら積極的に動こうとはしませんが、
    他者からのきっかけがあって、動かざるを得ない「大義名分」があれば動きます。
    自分のプライドを満たし、妻や友人に顔が立つ理由があれば、「仕方ないなあ」と言いながら動いてくれますよ。

藤田耕司さん
    前回、2020年東京五輪・パラリンピックは、シニアがボランティア活動に参加し、
    社会と接点を持つ大きなきっかけになり得るという話を聞きました。
    3年後、東京大会のボランティアに参加して活躍するのは、このセカンドライフモラトリアムのシニア層かもしれませんね。

堀内裕子さん
    東京五輪・パラリンピックのボランティア参加で形成されるコミュニティーは大切な財産になるでしょう。
    これを2020年だけで終わりにさせるのではなく、その後もシニアが何らかの形で社会と接点を持ち、
    社会に貢献するための「器」として機能させ続けることができればよいですね。

    シニアの活動を増やすとともに消費を促していくことが、超高齢化社会を迎える日本の経済を活性化する上でも、
    非常に重要な取り組みになると考えています。・・(略)》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

何かしら「モラトリアムおじさん」は、セカンドライフモラトリアムと区分された男性は、
《・・現役時代には「企業人」「会社人間」ともいわれた人たちで、
    組織人として働いてきた人が多い層になります。

    社会に取り残される不安が強く、これからの人生をどう過ごしたらよいのかを模索しています。
    変化・刺激を求めるものの、何をやってよいかが分からず、
    仮に興味や関心があることを見つけても誰かが背中を押してくれないと、一歩が踏み出せません。

    あるいは、その一歩を踏み出すためには「大義名分」が必要になります。
    お金も体力も時間もあるのに、やることが見つからない今の状況に不満を覚え、
    「会社にいた方が楽だった」と悶々(もんもん)としています。・・》

私は、男の癖にどうして・・と思いながら、笑ってしまった・・。
そして男性タイプを6大区分にされているが、私は富も名声も無縁であるが、
どこにも属さないタイプだよなぁ・・と微苦笑させられたりした。
             

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
         
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。

私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭となっている。
そして雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んでいる。

年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
                                        

午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
             

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
                           

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
                                                 
         
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
                           

このように私は定年退職するまでは、何かと悪戦苦闘の半生であったが、
定年後の年金生活は、予測した以上に心身に於いて、安楽な生活を過ごしている。

そして我が家は裕福層には無縁であるが、何とか生活できて有りがたいわ、
と家内がときおり呟(つぶや)くように言ったりする時、私は微苦笑したりしている。

こうした中、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

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3月中旬のような陽気の中、老ボーイの私は身も心もゆだねて、遊楽すれば・・。

2017-02-16 16:11:01 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった二人だけの家庭で、
雑木の多い小庭の中で、古惚けた一軒家に、ささやかに過ごしている。

昨夜、夕食後のひととき、私は家内に、
『明日、久々に神代植物園に行かない?』と誘った。

『少し疲れているから・・家でゆっくりするわ』
と家内は私に言ったりした。

家内は独り住まいの家内の母の介護で、家内の妹と連絡しあって、
家内の母宅に交互で行ったりしているので、何かと疲労感が残っている。

『悪いけれど・・独りで行ってくるねぇ・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。

この時節、家内と神代植物園に幾たびも行ってきたが、暖かな大温室にある休憩処で、
ゆったりとお茶を飲みながら、冬枯れの外景を見ることが多く、
その上、家内は植物園には、余り関心がないタイプである。
             
             ☆今回、掲載した写真すべて、本日に訪れた『神代植物公園』の寸景である☆

私の住む自宅の近くには野川が流れて、川沿いには遊歩道があり、
上流に向かい45分ばかり歩くと『深大寺』があり、そして隣接した所に都立の『神代植物公園』がある。

私は野川の川沿いの遊歩道を歩くのが圧倒的に多かったが、
70歳を過ぎてから、殆ど少し楽なコースを歩き、途中からパスを利用している。

我が家から15分ばかり歩いた先には、京王線の最寄駅のひとつの『つつじが丘』駅があり、
駅前より神代植物公園、深大寺方面の路線バスに乗車し、やがて神代植物公園の正門前に到着する。

最も安楽なコースは、我が家の近くに路線バスを乗り継げば、20分前後で神代植物公園の正門前に着くが、
歩くことが何より健康の源(みなもと)であると信愛し、体力の衰えた私でも、
すべて路線バスを活用するは、論外としている。

この都立の『神代植物公園』は、園内にある雑木林があり、
私は幼年期に農家の児として育った為か、身に心も安らぐ所となっている。
                                                    
そして私が通った地元の神代中学校の付近にあり、
入学した1958年〈昭和33年〉の当時は、神代緑地として存在し、この周辺は雑木林、畑などであった。

やがて1960年(昭和35年)の春に中学校を卒業した後、
確か翌年の1961年(昭和36年)の秋に、拡大と整備され上、
神代植物園と改称して、都内唯一の植物公園として開園された・・。

この間の私の中学時代は、生家より自転車で通学し、ときおり開園前の雑木林の中とか周辺を下校の時などに、
学友と自転車で走りまわったりしていた。
その後、人生の節目などを含めて、四季折々通ったりしてきた。
               
そして私が心に迷ったりした時などは、樹木を眺めたり、それぞれの花に心を寄せて、
心の濾過をして浄化されたりしてきた。
                                
定年後の年金生活してきた中でも、殆ど独りで、四季折々訪ねている。
                                       


本日、自宅を9時過ぎに出て、何かしら雲ひとつない澄み切った青空が拡がり、
3月中旬のような陽気の中、最寄駅に向かって歩き始めた・・。

やがて駅前より路線バスに乗車し、やがて神代植物公園の正門前に到着したのは、9時半過ぎであった。

そして園内を歩きはじめると、ミツマタは咲いているかしら、と思ったりした。
             

少し満開には程遠いが、今年も咲いてくれたなぁ、と私は微笑んだりした。

この後、早咲きの河津桜を観に行ったが、無念ながら小さな莟(つぼみ)であったが、
付近にあるカンヒザクラは、彩ってくれた。
             

そして私が近く奥地にある早や桜を、昨年より秘かに恋い焦がれた一本の樹を訪ねて、
私は長らく佇んだりした・・・。
             

この後、クリスマスローズに、私は挨拶をしたりした。
             

うつむきに咲いているクリスマスローズには、謙虚さを感じ深めて、私は好きになった花のひとつである。

そして福寿草(フマジュソウ)にも、今年もたんたんと咲いてくれたなぁ、と敬意をしたりした。
             

やがて白梅・紅梅園に向かう途中、マンサクにも、めぐり逢えたりした。
             

この後、白梅・紅梅園を訪ねたが、私は三分咲きが最も好感しているので、満開は過ぎただろう、
と期待はしていなかった。
             

             

しかしながら蠟梅(ロウバイ)は、過ぎし一月より長らく満開を保ち、私は驚きながら撮ったりした・・。
             

やがて雑木林を歩いたりして、結果的には2時間半ばかり身も心もゆだねて、ベンチに腰掛けることも忘れて、
歩き廻ったりした後、神代植物園に別れを告げた。
             

まもなく最寄駅の近くにある和菓子店に立ち寄り、家内が好きな桜餅を買い求めたりした。
恥ずかしながら千円札で200円、御釣りがきた紅白2ペアのこしあんであった、
ささやかながら家内の疲労回復と私は思ったりしながら、やがて一時過ぎに私は帰宅した。

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ブログの世界でも、出逢いと別れを幾たびか体験して、歓びと愛惜を重ねて・・。

2017-02-15 15:16:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった二人だけの家庭で、
雑木の多い小庭の中で、古惚けた一軒家に住んでいる。

私は初めて『ブログ』の世界を知ったのは、年金生活を始めて、まもなく偶然に本屋で、
ひとつの本で知り、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸12年半が過ぎて、早や13年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                      
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          

私は自身の投稿文も大切であるが、ここ12年半数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりした。

そして日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。

或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その御方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
                                                                  

こうして過ごしてきた間、私の投稿文にコメントを頂いたり、
或いはある御方の投稿文を読ませて頂き、瞬時に圧倒的に魅せられて、そのお方にコメントをしたりしている。

或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、ときには私の投稿文をこのように解釈されたのかしら微苦笑したりし、
返信を認(したた)めたりしている。

こうした中で望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない数名の方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。


或いはコメント上で、心の交流を盛んに重ねても、ふとしたことで疎遠になり、別れとなる場合もある。
          

私がブログを初めてまもない2004年〈平成16年〉の12月の時、
ブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入していていた・・。

確か一カ月後に、九州の北部にお住まいの60歳前後と思われる奥方と投稿文に於いてコメントをお互いにし、
その後、2年ぐらい高校生の交換日記のように、この当時も私は日々投稿文を綴っていたせいもあり、
殆ど毎日コメント欄で心の交流を重ねた。

こうした中で、この奥方のご主人様は、大手の運輸関係の会社を定年退職されて、
年金生活を過ごされ、ご子息のおふたりが、いずれも大卒後に東京にある民間会社に勤められている、
と私は知ったりした。

やがて、この奥方が一枚の写真を添付し、散策する時に何かと魅せられている小花のひとつです、
と投稿文に掲載されていた。

私は恥ずかしながら、こ当時は無知であったので、ネットで検索したら、
『オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)』と明記されていたので、植物学者は文学性の感性が余りにも欠落している、
と思い苦笑した。

そして『瑠璃唐草』、『天人唐草』、『星の瞳』とも名づけられていたので、
この奥方に、『星の瞳』に瞬時魅せられました、と私はコメントしたりした。
           
           ☆2008年3月、私が近くに流れている野川の川べりで、偶然に『星の瞳』にめぐり逢い撮った一葉☆
   

こうした淡き心の交流を2年半していたが、ご主人様がご病気となり、入退院をされる中、
奥方の投稿文も途絶え、やがて私たちの交流も途絶えがちとなり、
まもなく加入している小さなある簡易なブログサイト自体が閉鎖となり、そして交流も終えてしまった。

このような私にとっては、貴重な思いを秘めているので、
『星の瞳』を通して、この奥方は、私の年金生活を始めて不安な心情の中、心おだやかに過ごせたので、
女神のような人と私は思っている・・。

そして、その後に私は春先に散策したりする時、『星の瞳』を見かけたりすると、
あの奥方は、どのように過ごされているのかしら、と思ったりし早や8年が過ぎている。
          

或いは確かブログを始めて半年が過ぎた頃、
あるブログに準じた簡易ブログサイトに私が加入していた時、
札幌市にお住まい小学5年生の女の子から、コメントを頂き、私は驚いた・・。

小学5年生には優れた文章を綴られて、私は驚いたりしたが、何かしら東京に行きたい、と主旨であり、
私は旅先の札幌の市内、郊外には、幾たびか訪れていたので、
東京より素敵な処が数多くあります、と具体的に名所、景観を記載して返信したりした。

そしてお互いに3通ばかり交流した最後に、
お父様によくお話しをして下さいね、と私は記載して、終結とした。
                       
                     
やがて海外に住む御方からでも、コメントを頂き、ネットは世界をめぐることを実感させられたりした。

過ぎし9年前の頃、アメリカのミシガン湖畔の住宅街にお住まい日系3世、高校女子生徒と、
日本とアメリカの風習、季節感の差異をお互いに確か6通ぐらい交流した。

やがて広島の原爆投下の理由に関して、
多くのアメリカ軍の青年を犠牲するを避けるために原爆投下した、と学校で教えられた、
と断片するように記載され、私に同意を求めたので、私は異論を唱えて、はかなくも交流は途絶えた・・。
          

これまで私の人生のリアルの世界でも、たとえば現役サラリーマン時代に於いても、
盛んに交流していた友に於いて、人事異動で地方に転勤となったりして、やがて疎遠となったりしてきた。

年金生活をしている中でも、私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味であるので、
ときには観光ホテルなどに滞在プランで共にしたメンバーの人たち、或いは団体周遊観光で旅路を共にした人たち、
こうした旅先で知り得た人たちと、宿泊している館内の食事処、大浴場、ロビー、
或いは私たち夫婦が街中を散策している時に、お逢いしたりし、お互いに談笑したりした。
          
もとより旅先で知り得た人たちは、それぞれ生を受けた環境も違い、
その後に育った状況、学歴、その後の社会人として職業、結婚生活・・、
やがてシニア世代となり、それぞれの生活をしていて、誰ひとり同じ人生航路を歩んできた人はいない・・。

その上、人それぞれ思考、信条、性格、趣味なども違うし、この広い世界で同じ人はいないが、
私たち夫婦は旅路で交流して、人生のひとときを共にし、
旅の終わりに近づくと、私たち夫婦は『また、いつ日にか旅先で、お逢いしたいですねぇ・・』
とそれぞれのご夫妻に愛惜の挨拶をしたりすることもある。

しかしながら、その後にお逢いしたことは、殆どないのが実情であった。
                                                  

過ぎゆく人生は、出逢いと別れを幾たびか体験すると古来から伝えられているが、
ネットのブログで、私が投稿文、コメント上で交流してきた方たちも、
歓び悲しみを共にしてきたので、同じかしら、と思い深めたりしている。
  
齢を重ねるたびに私は、感じ深めていることは、この広い空の下で、未知のそれぞれのお方に投稿文、
或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、私にとっては心の宝物、と感謝したりしている。

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『林住期』、『遊行期』、私は改めて学び、数多くの高齢者は不安を秘めながら、『高等遊民』のように過ごされ・・。

2017-02-14 14:50:20 | ささやかな古稀からの思い
三日前、私は愛読しているネットの『プレジデント・オンライン』を見ている中、
【 なぜ人はラクに生きられないのか 】と見出しを見たりした。

そして私は、高名な医師、作家である鎌田實(かまた・みのる)さんの記事であり、
真摯に学ぼうとして、精読した・・。

この記事は、田中響子さんが鎌田實(かまた・みのる)さんにインタビューされ、纏(まと)められた記事であり、
『プレジデント・オンライン』に2017年2月11日に配信された記事で、無断ながら転載させて頂く。

《・・『がんばらない』(集英社)から17年。
これまで医療のあり方、生き方について数々の書著を書いてきた諏訪中央病院院長の鎌田實さんが、
初めて自分の人生にフォーカスをした本、『遊行を生きる ~悩み、迷う自分を劇的に変える124の言葉』(清流出版)を書きました。

自分の生い立ちや、人知れず持っていた孤独な思いなどを突き破り、新しいステージ入った鎌田さんですが、
その進化の根底には、あるひとつの言葉があったのです。
             

☆「動」のエネルギーを感じる遊行期

これまで、私は人間の心にスポットをあてた本を数多く書いていましたが、
5年ほど前から、初めて自分自身の心にスポットをあてたエッセイの連載を『月刊清流』に書き始めました。

私は幼い頃に親に捨てられました。
おかげさまで多くの人の助けがあって今、こうしていられるわけですが、
捨てられたという思いが、ずっと心の奥底にあり、どこかで「自分の人生は、これでよいのだろうか」と悩んでいました。

連載を始めた頃は、まさに自分の中で壁にぶつかっていました。
“遊行”という言葉に出会ったのもこの頃です。

インドで人生を4つの時期に区切り、そのうちのひとつが遊行期なのです。
ちなみにその4つとは、「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」です。

「学生期」はオギャアと生まれてから人が、学び成長する時期です。

「家住期」は家を作る時期。家族を作ったり、実際に家を建てたりします。
会社、組織を作る人もいるでしょう。

「林住期」は、老年を迎える時期で、森や林に隠棲しながら人生について考えます。
内向きで「静」を感じます。

そして最後に「遊行期」。
これは死の準備期間。人生の締めくくりの時期です。
             

ところが、この「遊行期」は、「林住期」が“静”なのに対し、「動」のエネルギーを感じます。
「もう死も間近だし、明るく生きようではないか」といったような、
どこか達観したような、外にはじけるパワーを感じます。
遊行(=遊びにいく)という音も、自由で開放的な気持ちにさせてくれます。

私はこの遊行という言葉がすっかり気に入ってしまい、自分の人生を振り返りながら、
「これからは遊行でいく!」と心に決めました。

遊行をスローガンにし、ことあるごとに遊行について考えるようになりました。
「尾崎豊は遊行人だな」「ビートルズの中でも、ジョン・レノンは飛びぬけた遊行人なんじゃないか、
だから、あんなに人気があったんだな」とか……。

そんなことを言っているうちに、いつのまにか遊行的な生き方をしている自分に気づくようになりました。
それまでの自分の人生では、会うことのなかったような若い人たちやタイプの違う人たちと親しくなり、
一緒に事業や福祉活動を行うようになったのです。

2025年の医療問題を見据えて、若い人たちと起こした地域包括ケア研究所もそのひとつ。
             

☆遊行を実践すると、人生が大きく変わる

いったん遊行の精神を得たら、その流れは止まるところを知りません。
もっとこんなことができるのではないか、あんなことができるのではないかと、夢がどんどん広がるようになりました。

今、考えている計画は、新しい白血病の治療法を、私が医療活動をしているイラクでも、採用できないかということ。
信州大学の医師が白血病の画期的な治療法を開発し、日本でも臨床に採用される予定です。

この新治療は回復率が80~90%と高いこともさながら、高額な治療費を抑えることも可能となります。
今、外務省に打診をしているところですが、こうした考えも、以前の私だと思いつかなかったでしょう。

実際に遊行を実践してみると、人生が大きく変わってきます。
殻を破るとでもいうのでしょうか。

言葉の力というのは、本当にすごいですね。
まさに、良い言葉は良い人生を作るのだと思います。

皆さんにも是非「自分の言葉」というものを持ってほしい。
最初はその言葉がしっくりこなかったり、真の意味を理解していないかもしれません。

でも、その言葉を繰り返しているうちに、だんだんと自分の中で発酵し、発熱し、
やがて、自分の人生が言葉に沿っていくようになります。

私は、遊行の精神は、人生のすべての時期、世代で意識すべきことだと思います。
遊行とはすなわち、どんな自分でも受け入れて認めてあげて、その先に広がる世界です。

だから、どの世代でも遊行の精神を持っていればいいし、
それによって、日本も今の閉塞感のある社会から、もっと明るい社会に変われるのではないかと思うのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、鎌田實(かまた・みのる)さんの高潔で明晰ある言動には敬愛させられるが、
数多くの団塊世代を中核とした高齢者は不安を秘めながら、『高等遊民』のように過ごされている、と深く思い馳せたりした・・。


私は東京の調布市に住む年金生活の72歳の身であるが、
午前のひととき、自宅の付近の遊歩道、小公園、住宅街を殆ど毎日のように歩いたりしている。

過ぎし一週間前の3月中旬のような暖かい時、近くに流れる野川の遊歩道を散策していたら、
70歳前後の男性の5人離(はな)れ離(ばな)れになりながら、高価な一眼レフのデシカメに望遠レンズを付け、
三脚を建てられて野鳥を撮られていた・・。

私は野鳥にも無知であるが、何かしら携帯電話かスマホで、とお互いに小声で連絡し合い、
男性の5人はお互いに高揚した少年のようなしぐさを、たまたま私は見たりすると、
思わず微笑みながら好感したりした。

やがて私は歩道橋を渡り、対岸の遊歩道を歩けば、
60代なかばの御夫婦が語り合いながら、散策したりしていて、この人生の微笑みを感じたりした。

そして私は歩き続けて、小公園の片隅にある幾つかのベンチに於いては、
爽やかな陽射しの中で、男性の4名が、それぞれ将棋を対局したりしていた。

この後、私は遊歩道を歩いたりしていると、60代後半と思われる女性3名が、
爽やかな陽射しを受け、談笑しながら歩いて来たりしした。

やがて私は、小公園にあるベンチに座り、小休憩をしていると、
昨今の団塊世代を中核とした高齢者の多くは、『高等遊民』かしら、と感じ深めたりした・・。
                                   

過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、
団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、年金生活を迎えられた、と私は解釈した。

ふりかえれば、敗戦後の荒廃した日本は、
敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。

私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代も奮闘してきた。

こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。

その上、経済は都心の一部は活性化しているが、地方は未(いま)だに低迷している現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
             
         
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代はゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

そして70代も殆どの方は、体力の衰えは実感しながら、心は溌剌している.
          

しかしなから私の知人3名には、
不幸にして最愛の夫か妻に病死され『おひとりさま』になったりしている。

或いは1991年(平成3年)にバブル経済の崩壊後は、
日本経済の足かせになってきた企業の《雇用・設備・債務》の過剰問題は、
民間会社の多くは自助努力に基づいて、過酷な程、事業の再編、人員削減を行なってきた。

こうした中、リストラに遭遇して退職を余儀なくされ、再就職も冷遇されて、
やがて60代を迎えても、生活が困窮している知人もいる。

こうした方を除けば、団塊世代を中核とした高齢者の多くは、
『高等遊民』かしら、と少し飛躍した言葉であるが、思いを重ねてしまったのである。
         

たまたま私は読書が好きであり、夏目漱石の『それから』の長井代助、『こゝろ』の先生、
或いは川端康成の『雪国』の主人公のように人を『高等遊民』と称されている。

もとより『高等遊民』は、なんら生産的な活動をせず、ただ日々を雅やかに過ごしたり、
学問の延長として己の興味のある分野(趣味の活動を含む)を追い求めて、
明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉である。
                                             

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。

その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は私より少し若い団塊世代の人々に対して、知人、友人が多いので、何かと注視してきた。

私が25歳の時に、民間会社に中途入社できたのは、1970年〈昭和45年〉4月であり、
やがて私が職場の机で隣接したのは、大卒で入社された一年生の団塊世代が多く、
この後もお互いに業界、社内の空気を長らく共に苦楽を重ねてきた・・。

そして私の妹ふたりは1947年(昭和22年)1月、1948〈昭和23年〉10月の生まれであり、
家内に1949〈昭和24年〉12月の生まれであり、
何かと幼年期からの情況は、理解しやすいひとりとなっている。
                       

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物メール老ボーイとなり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
             
                     
私の現役時代は、サラリーマンの身であったが、もとより生計の責務もあり奮闘する中、
30代の半(なか)ばに一軒家を建て、
この後3年ばかり家内はデパートなどに勤めて、強力な支援を受けたが、
家内は後方支援として家庭の多岐に及ぶ専業主婦として長らく努めてきた。

私たち夫婦の年金生活後も、家内は洗濯、掃除、料理などしているのが現状であり、
せめて日常の買物ぐらいは、私がすると自主的に実行している。

このことの背景には、私の現役時代の平日は会社で勤務し、
この間の日中は家内のペースで家事、趣味を過ごしてきた。

こうした家内の生活リズムをできる限り崩したくなかったので、
私は独りで買い物、散策をして樹木、野花などを見ながら、季節のうつろいを享受している。

年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
          
このように富も名声も無縁な私でも、つたない定年退職時までの半生を歩んできた為か、
60代の10年間の年金生活を享受して、何より安楽な時期だったと思い深めている。
そして早や60代を卒業して、年金生活は丸12年半が過ぎて、13年生となっている。
             

私たち夫婦を含めて団塊世代を中核とした高齢者の多くは、誰しも、いつの日にか介護を受ける身となること、
そして介護施設の難題で、有料施設に入居すれば、お金の不安、
或いはどちらかが亡くなり、おひとりさまの不安などを秘めながら、
日々は『高等遊民』のように享受して過ごされている、と思いを深めたりしている。

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