夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときおり、私が別サイトに悩む時・・♪  《初出2007.10.12.》

2008-05-31 14:50:35 | 定年後の思い
私は別サイトの【OCN Cafe】に加入して、
投稿を開始以来ほぼ2ヵ月が過ぎている。

毎日、二通前後投稿しているが、
ときおり、むなしさを感じることがある。

日記形式であるので、最新の三回分は表示できるが、
あとはカレンダー形態のところを指定しなければ、内容が確認できないのである。

他のブログ形式の多くは、カテゴリと投稿一覧表の機能があるので、
一ヶ月前に投稿したのを読んで下さった方の反応(コメント、掲示板、トラック・バック)があり、
私は驚いたりしたことがあった。

私はその時のあふれた思いを綴っていることが多いが、
一週間前はどのような内容を投稿したのか、
忘れてしまうことがあるので、ときたま自身の投稿の内容を遡(さかのぼ)ったりしている。

そして、幼年期、少年期、青年期、サラリーマンの時代、
退職後の最近の思いなどが、あたかもごった煮のような感じとなり、
自身に呆れてしまうことを感じたりしている。

私はコメント欄を閉鎖している理由は、
その方の心情を配慮しないとコメントを綴れないタイプであり、
書き込んで下さった方には、
そのお方の最近の投稿内容を拝読した上で返信する姿勢であるので、
体力と気力が要求されるので返信が覚束ないので閉鎖している。

矛盾があるのは承知の上であるが、
私は投稿内容が四回以上あたかも流れさってしまうことに、
年を重ねた身のせいか、愛惜があるのである。

別サイトの【OCN Cafe】は、
単なる日記と仲良しクラブ風と割り切ってしまえ、
カテゴリ別の投稿一覧表は別のブログで投稿すれば、
ともうひとりの自分がいる。




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『中央公論』の特集のひとつは・・♪   《初出2007.10.11.》

2008-05-31 14:46:47 | 読書、小説・随筆
私は月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は定期に愛読しているが、
『中央公論』に関しては、特集記事が興味がある時は、
購読しているひとりである。

昨日の朝刊の雑誌広告に於いて、
『中央公論』の今月号の特集のひとつとしては、

【おひとり様の正しい老後】

として、三つの記事が掲載している。

私は気になり、本日の日中、歯科医院の治療前に、
本屋に寄り購入した後、歯科医院の待合室で読みはじめた。

この中のひとつとしては、

《 団塊男よ、ひとりで老いる未来に備えよう》
というサブ・タイトルで、

メイン・タイトルは、

【女はあなたは看取らない】

上野千鶴子・大学院教授が真摯に綴っている。

私は微苦笑しながら、読んだりした。

内容は明示できないけれど、

団塊世代の退職後の生活観を的確に明示した山口文憲の『団塊ひとりぼっち』(文春新書)の続編としての、
老後生活の秘訣書かしら、と思ったりしている。


私は団塊世代の方にささやかに警告できることは、
退職後の日常生活で妻に頼り、まといつくと、老後以前に妻に捨てられる。

少なくとも日常の大半は、ご自身が独立した時間を持つ必要がある。

なぜならば、妻のこれまでの日常生活のペースを認識していなく、
かき乱す主人は、余りにもご自分の妻の心を知らない過ぎる、
と私は余計な心配をしているのである。

日常のひととき妻と語り合い、そして共通の趣味がひとつある程度が、
老後の生活に適度だし、
片割れとなった時は、その方自身の趣味があれば心身乗り切れる、
と我が家の方針のひとつである。



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秋の色が次第に深まりを増して・・♪   《初出2007.10.11.》

2008-05-31 14:44:49 | 定年後の思い
東京の郊外は、秋日和の日々がこれからの1週間は続く・・。

こうした折、買物の行く帰り、散策などが楽しい。

樹木、草花が夏の季節に終りを告げて、
秋の色合いに日増しに移ろい、
暑さに苦手た私にとっては、毎年小躍りして迎えている。

川沿いの遊歩道を歩いて、駅前に出て、
本屋、コーヒー・ショップの『ドトール』に寄った後、
買物をしたりしている。

帰路、ときおり公園などに寄ることもある。
花水木(ハナミズキ)の樹木の葉が染められ、
微風の中で、群生したコスモスの花先が揺れると、
乙女の気持ちが解かるかのように、秋なのね、と実感できる今日この頃である。

川べりの薄(ススキ)の穂も染められ、
秋の陽射しを受けて、昼前の道程を歩けるのも、
年金生活の許されたひとつの贅沢と思いながら、歩いたりしている。

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チョコレートの想いで・・♪   《初出2007.10.10.》

2008-05-31 14:42:31 | 幼年・少年時代の想いで
私は原則として甘い菓子を食べないが、
ときおり、大福とチョコレートを月に一度ぐらい口にしたりしている。
そして、家内と旅行に行った時、
地方の銘菓と称されている和菓子を抹茶、煎茶などを頂いて、
家内のお供として、賞味したりしている。

昨日の小雨の降る中、買物を済ませて帰宅し、
家内と遅い昼食を頂だいた後、何時ものように午後の読書をはじめた・・。

この時に来訪のチャイムが鳴り、
家内が玄関に立つと、
『自治会の・・共同募金の集金・・なの・・
それが、小学一年生の男の子なの・・』
と家内は私に云った。

そして、台所の小棚に行き、居間に戻ると、
家内は一枚の板チョコを私にかざした・・。

私はいいょ、というしぐさをした。

男の子を見送った家内は、
『チョコレートを上げたら・・最初はびっくりしていたけれど・・
嬉しそうな笑顔・・可愛いわね・・』
と家内は私に云った。

『そりゃ・・良かった・・』
と私は家内に微笑みながら云った。

私は日常の買物を担当しているが、
スーパーの菓子売り場で明治、森永のごく普通の100円程度の板チョコを見かけると、
一ヶ月に一度ぐらい手を伸ばし、購入してしまうのである。


私が昭和29年の小学三年生になったばかりの時、
私を可愛がってくれた祖父が死去した。
前年に父が亡くなり、跡継ぎを失くしたので、祖父は病気の上、
落胆した表情が幼年期の私さえ感じていた。

祖父、父が中心として、程ほどの広さの田畑を耕し、
忙しい時期は小作人の助けも借りて農業をしていたが、
大黒柱の2人を失った我が家では、
長年の農業の技量の伝承が絶たれてしまったので、没落期となった。

こうした折、祖父の妹に当たる叔母が、
何かと心配し、日常口にできない菓子とかを持参してくれた。
その上、妹の2人には、お揃いの洒落た下駄などを頂戴した。

私は駅までの15分ぐらいの道程を叔母と共に歩いて、
駅で見送った。
この直前、叔母は私に、
『チョコレートでも買ったら・・』
と私にお金を手渡した。

私は小汚い身なりであったが、駅の商店街の菓子屋で、
輝かしい一枚の板チョコレートを買った。

私は駅前から急いで帰宅し、妹のふたりと割って食べた。
正確にいうと私は少し大き目の3分の一であった。
あの家も貧乏になった、と幼児の私さえ、近所の噂を聴こえたりしていたが、
この時ばかりは妹2人と食べあった板チョコは、急に裕福に感じたりした。


こうして私なりに、たった一枚の板チョコレートであるが、
昨今のベルギー産の高級品、宇治抹茶生チョコなどのチョコレートより、
遥かに美味しく感じられるのである。


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樹木葬への思い・・♪   《初出2007.10.9.》

2008-05-31 14:25:29 | 定年後の思い
私達夫婦は、子供に恵まれなかったので、一代限りとなる身である。

私の実家は仏教の曹洞宗であり、私の家から程遠くない寺の墓地があり、
少なくとも年に4回ばかり、墓参している。
先祖、祖父、父、母に感謝しながら、お線香を上げたりしているが、
特に私は宗教には無知な方であり、興味がないのである。

この温暖な緑に恵まれた美しい日本の大地に生を受けた私は、
宗教に頼る精神まで柔(やわ)でない、と日頃から思っているのである。

20年前頃、家内と旅先で偶然にその地の墓地で一角で野点が行われ、
抹茶を頂いた後、付近の散策した折、
その外れに松林の中で朽(く)ちた墓石が数多くあった。

多分、人の訪れなく、淡々と歳月が過ぎて、
多く墓石は地に横たわったり、傾いたりして、苔(こけ)むしていた。

私は死者は土に還るのが相応しいと思っているひとりであるので、
この情景が私共夫婦は深く心に残った・・。

10年前の頃だったか、北東北地方の寺で付近の里山で樹木葬を執(と)り行ってくれることを知り、
家内と色々と話し合った。

墓碑もなく、好きな樹木の下で私の骨が埋もれ、歳月と共に里山の土に還る、
隣の付近に家内が眠れれば、これに越したことはない、
こうした信条を家内に託している。

私が先にあの世に行った時、初七日以降は一切無用で、
残された家内は温泉滞在の時などで、気が向いた時に散歩がてら参拝すれば、
と言ったりしている。

家内に先立たれた場合は、
数年に一度程度、この地の付近の温泉地に連泊し、
少なくとも50歳以上の仲居さんにお酌して貰い、私は地酒を呑み、
家内の想い出を語(かた)れれば、これ以上の望みはない、
と思ったりしている。

古人から天命という言葉が伝えられているが、
はたして私共のこれからの命は、天上の神々に寄るものであるから、
こればかりに委(ゆだ)ねるほかはないのである。


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霧雨の朝を迎えて・・♪   《初出2007.10.9.》

2008-05-31 14:23:54 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、静寂の中、霧雨が降っている。

金木犀の香りがこの居間にも匂いがかすかに漂(ただよ)ってきている・・。

玉すだれ(タマスダレ)の白い花、秋海棠(シュカイドウ)の薄紅色、
そしてサフランの黄色い花が、群生し霧雨の中で、彩(いろど)っている。

紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実もここ数日で、
薄紫から紫色に染められている。

雑木の多い我が家の庭は、初秋に終りを告げて、秋へと移ろっている。

花梨(カリン)のたわわな実は色合いを深めているが、
昨夜の微風で黒土の上に三つばかり落下していた・・。

この世と同様に何等の形で選別されているのかしら、
そして少し振るい落とされた三つの実が可哀想に思え、
微苦笑したりしている。

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イタリア文化を学ぶひとつは・・♪   《初出2007.10.8.》

2008-05-31 14:21:58 | 読書、小説・随筆
昨日、古本屋に寄った時、ひとつの本に目が留まり、
購入した。

新潮45編集部の編集された『塩野七生『ローマ人の物語』の旅』であり、
副題として『コンプリート・ガイド・ブック』と明示されていた。

そして、1999年9月5日と表示されて、
私はこの本に関しては、全く無知であったので、小躍りした。

私は作家・塩野七生・女史の『ローマ人の物語』の著作を知ったのは、
数年前であり、遅ればせながら今年になって、新潮文庫で読みはじめて、
第28巻の『すべては道はローマに通ず』を読了したが、巨編であるので道半ばである。

この本の付属本として、5月下旬に本屋で、
新潮社出版企画部の編集に寄る『塩野七生『ローマ人の物語』』と題され、
副題として『スペシャル・ガイドブック』を購入し、
私なりの塩野七生・女史の『ローマ人の物語』を深く読み込んだりしている。

今回、偶然に入手した本の中で、
『もっとローマの旅を楽しむ方法』と特集のひとつが掲載され、
ホテル、美術館、音楽、映画などが著名な知識人で紹介されている。

私の午後の読書の時間は、こうした内容を見ながら、
イタリアの食事、衣服、風習などの生活様式と音楽、映画を加味しながら、
歴史の伝統美を学び、イタリア特有の風土に思いを馳(は)せたりたりしている。

私はサラリーマンを卒業した年金生活の身であるが、
こうした読書をしていると、時間がもっとあったらと、
この世で一番贅沢なことを思ったりしている。




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金木犀の香りにつつまれて・・♪ 《初出2008.10.8.》

2008-05-31 14:20:07 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、雨の一日が予測されていたが、
天上の気候の神々は、『体育の日』の祝日に遠慮してか、
薄日の朝を迎えている・・。
そして、昼の前後の二時間ばかりが雨マーク程度で穏やかな日となる。

朝、目覚め雨戸を開けると、
秋の気配の中、金木犀の香りが居間まで、かすかに匂いが漂(ただよ)っている。

我が家の金木犀は、5月の初旬に大幅に剪定していたので、
今年は莟(つぼみ)はなく、香りが楽しめないかしら、
と思っていたら、健気(けなげ)にもここ数日わずかであるが、3分咲きとなっている。

こうして、ぼんやりと主庭の樹木、草花を眺めながら、
煎茶を頂きながら、朝のひとときを迎えている。

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秋日和の時、我が家では・・♪   《初出2007.10.7.》

2008-05-31 14:17:16 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨日と同様に、秋日和の爽やかな日中に恵まれた。

家内は衣服、カーテンなどを秋に相応(ふさわ)しいように変えたりしている。
洗濯をし、干して、それぞれの箪笥(たんす)、押入れの衣服収納箱などに収納している。

お天気の状況を眺めて、ここ数日は夏から秋に変えているので、
鈍感な私さえ、主婦の方は大変である、と改めて感じてたりしている。

私は昼前後の数時間、いつものように買物にスーパを数軒廻り、
本屋、古本屋で本を探したり、散策をしたりしている。

川沿いの遊歩道は夏の花も終りを告げて、すっかりと秋模様となり、
落葉樹の葉も少しばかり染めはじめて、秋の気配となっている。

このした秋の陽射しを受けて歩くのは、
夏から秋に季節の移ろいの情景を享受でき、心身ともに心地よい・・。

世間の多くの人々は、三連休の最中であり、
こうした秋日和の時は、行楽日和に最適で思ったりしている。

私達夫婦は、年金生活の身であるので、
こうした程々の休日の連日の時は、
平素お忙しく日本経済を支えて下さる現役世代の人々に、
この時ぐらいはごゆっくり行楽などで楽しまれたら、
という信念から行楽地などはもとより、出来うる限り繁華街の外出なども避けている。

東京の郊外は、昨日、本日は秋日和のあったが、
明日は雨の一日が予測されている。

ご家族で行楽地で楽しまれ、不幸にも渋滞に巻き込まれた方達は、
ごゆっくりと静養されたら、
と余計なことを思ったりしている。



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この世で最も贅沢のひとつは・・♪   《初出2007.10.7.》

2008-05-31 14:15:01 | 定年後の思い
私はサラリーマンを卒業して、年金生活の3年生であるが、
私なりのつたない人生の中で、この世で最(もっと)も贅沢なことは、
ときおり思考したりしている。

『朝の二度寝』もひとつかしら、と微苦笑しているのである。

昨今、格差問題とか貧富差とか喧騒されて折、
その上に民族、国力、宗教の違いなどと問われているが、
この地上で生かされている少年、少女の以上のお方であれば、
等しく甘受できるのである。

朝、目覚めて・・、
まだこんな時間であるから、もう少し寝ようと、
まどろみながら眠ることができるのは、
贅沢なひとときを享受できる。

この世で数多くの人々は、睡眠時間を削りながら、
あくせつとご自分の人生を歩まれているのが多い中、
いつも睡眠時間が充分とれる人は、二度寝、と言葉は死語に当たるので、
こうしたお方は二度寝の甘受は体得できない、
と先程に目覚めた私は、ぼんやりと感じている。

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ときには、『あ~・・秋かしら・・』と唄えば・・♪  《初出2007.10.6.》

2008-05-31 14:12:53 | 音 楽
私共夫婦は、夕食前にお風呂に入ることが多い。

私がお風呂に入った後、家内と交代し、
私は玄関庭に下り立ち、パジャマ姿で、煙草を喫ったりしていた。

樹木、草花も秋の気配につつまれて、風の匂いも秋である。

私は居間に戻りながら、


♪しゃれた日焼けに 涙が流れる
 あ~ 秋かしら

【 『秋冬』 作詞・中山丈二 】


と小声で鼻歌を唄いだした。

家内はお風呂から上がり、顔にクリームなどを塗っていているが、
私は続けて唄ったりしている。

この後、家内は料理をし、
私は出来た料理を居間のテーブルに並べたりし、


♪季節の変わり目を
 あなたの心で知るなんて


と唄ったりしている。

家内は微笑みながら、料理の仕上げをしたりしている。

私はどういう風の吹きまわしか知らないが、
ときおり鼻歌を唄ったりする。


この歌が街によく流れていた頃は、
私達夫婦は住宅ローンが重く家計に響いていた頃であった。

私は赤字の家計は嫌いであるので、苦し紛(まぎ)れにこの歌を家の中で、
よく唄ったりしていた。

私達夫婦にとっては苦闘の日々であったが、
退職後の今は、鼻歌などを唄っているが、
あの当時の頃が想いだされる歌のひとつである。



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秋の運動会の想いで・・♪   《初出2007.10.6.》

2008-05-31 14:10:54 | 幼年・少年時代の想いで
私は秋日和を迎える朝、ときおり小学生の時の運動会を想いだすと、
微苦笑したりしている・・。

昭和26年の春に小学校を入学したが、
この頃は祖父、父が健在で、
ある程度手広く田畑を耕して、農業をしていた。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた男の子で三男坊の身であり、
跡継ぎ候補が2人であったので、今度は女の子と期待されていたらしく、
また男の子、と云う視線を乳児の頃から何となく感じたりしていた。

幼児の頃から屈折したいじけたような思い過ごし、
兄2人が通っていた小学校に入学した。

長兄は原則として跡継ぎの身であったので、祖父と父たちは家庭教師を付けて、
長兄はそれなりに答えて、XX小学校60年開校で初めて国立の中学校に入学できた、
と村中の評判となっていた。

次兄は活発で運動神経にも優れ、クラスの人気者であったので、
何かと私はあいつの弟、
という視線を先生、同クラスの人々から見られた。

そして兄達は通信簿を頂く際、『5』と『4』の優れた成績で、
私は同じ小学校でも『3』と『2』で占められいた。

ともかくいじけ屈折した可愛げのない子で、
日陰のような子であった。

こうした状況で、小学校一年の秋、
初めて運動会で50メートル競争に出場した・・。

6人で同時に走ったが、そのうちに頑張れば、
と思っているうちにゴールに着いた。

結果は、後ろから2人目の5位だった・・。
この頃は、走り終えると、1位の旗から6位まで並列されていたので、
私は『5』の旗の後に並ばされた。

何故かしら、私は小学校を卒業するまで、
6人で走るといつも5位が続き、勉強の成績と同様に劣等生であった。

私が長兄、次兄の全(まった)く影響のない私立の都心の高校に入学してから、
心が解放されてか勉強に目覚めて、
体育の授業で長距離の5キロ競争はいつか追いつけると走りながら思い、
上位グループに属した。


私の古いアルバムの中で、一番古い写真の一葉は、
初めての小学校の運動会で、昼食をしている時の情景が写しだされている。

父親の横に秋の陽射しを眩(まぶ)しそうにしている私、
母に抱かれている乳児の妹との4人である。

父親と私が撮れた写真はこの一葉だけで、
私が2年生の3学期を終える頃、父は42歳の厄年に死去された。


私は今でも短距離は弱いのである。
そのうち追いついて抜いてあげるから、
と走りながら思っているうちに、ゴールになってしまうから、苦手である。

その点、長距離は頑張れる時間と機会があるから、
得意であるが、今では走れない。


秋日和のひととき、庭先で煙草を喫ったりして、ときおり幼児の頃を想いだされると、
何故かしら目頭が熱くなったりする時もある。



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ときには、運勢も・・♪   《2007.10.5.》

2008-05-31 14:08:02 | 定年後の思い
家内が夕食の料理の前のひととき、
読売新聞の夕刊を読んでいた・・。

家内が突然声を上(あ)げて、
『家族の世話大切・・家事の協力・・』
と私に向かって読み上げたのである。

『これ・・今週のあなたの運勢よ・・』
と家内は微笑みながら言った。

私達夫婦は、子供に恵まれなかったので、夫婦2人だけの生活を30数年過ごしている。

私の退職後の生活は、国内旅行の共通趣味なので、
ときおり私共は日本の四季折々を訪れているが、
日常の生活は互いの趣味を尊重している。

その上で、私は買物と庭の手入れを担当し、そして茶坊主をしている程度で、
家内に家事全般の料理、洗濯、掃除などをまかせているのである。

家内は私が元気なうちはよいが、
万一の場合は洗濯と掃除程度は覚えていたほうが・・
と年に数回程度言われたりしている。

『そうだよね・・』
と私は言いながら、私は家内にまかせて、ここ3年となっている。

いずれはどちらかが、片割れとなるので、私は微苦笑しながら返事をしたりしているが、
果たしてこの先は・・と年に数回程度、真面目にため息したりしている。




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私なりの本屋、古本屋、そして図書館・・♪  《初出2007.10.5.》

2008-05-31 14:05:43 | 読書、小説・随筆
私はサラリーマンを卒業して、年金生活の3年生の身であるが、
高校生の時代から、こよなく読書をしている。

私の日常は、買物と散策をし、ときには庭の手入れをする程度であり、
趣味として、読書と映画鑑賞、そして音楽を聴くことで過ごしている。

若い時に映画青年の真似事をした時代もあったので、
昨今はVCT、DVDの保存した映画専用棚から居間で鑑賞したりする。

或いは、たまたまレコード会社に長年努めていた為か、
音楽専用棚からカセット、CD、DVDを取り出して視聴をしたりしている。

ここ数年の映画、音楽には興味が薄れて、2005年以前の作品が多いが、
本屋には相変わらず通い続けている・・。

本屋の陳列棚、平台で小説、随筆、歴史書、現代史などの新刊本、旧刊本を見たり、
そして文庫本、雑誌などを眺めて、
買い求めるのが圧倒的に多い。

こうした時も興味がなかった場合、ときおり街中の古本屋に寄ったりしている。
こうした折、通常の本屋の店頭在庫の流通の急流と違い、
思いがけない本にめぐりあったりする。

そして、私なりに巡り逢えた本の一冊が、
こんな廉(やす)くていいの、と思いながらも、
著作者への悲しみを覚(おぼ)えたりしている。

私が殆ど図書館を利用したことがないが、
『武蔵野の民家』、『やきもの全集』等の一冊が数万円以上の高価な本、
或いは私の住む郷土史などは借り受けて、拝読したりしている。
こうした時は、公共品なので、手垢が付かないように、事前に手を洗ったりしている。

私は本に関しては、雑誌は別として、
引越しを4回してきて、止む得ない限り、殆ど保存している。
例外としては、映画青年の真似事を断念した直後、
映画研究をしている友に、邦画シナリオ大全集を挙(あ)げた程度である。

こうして私は高校生以来、読書を第一趣味としているので、
3部屋に置いている数々の本棚からはあふれて、押入れなどに保存している。

ときおり私は本棚を眺め、この一冊の本はあの時に読んで心を揺すぶられた、
と思いながら当時の頃を馳(はせ)せたりしている。

何より私なりの読書の魅力は、著作者の導きで、私のつたない思考で、
その世界に思いを馳せたりすることができるので、
それなりに人生の心の師と確信しているのである。



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私が好感するサイトとは・・♪   《初出2007.10.4.》

2008-05-31 14:00:43 | 定年後の思い
私は定年退職後の3年生であり、
退職後まもない時にブログの世界を知り、
その日の思い、最近思考していることを殆ど毎日綴っている。

こうした平素の年金生活の中から、あふれる思いを綴って、投稿しているに過ぎないが、
根底には季節感を大切にしているつもりである。

私なりに真摯な思いで綴り、投稿しているので、
数多くのお方に読んで頂きたくて、
飽きられるの避けるために内容の分野を変えたり、
読みやすくする為にあえて改行も多くしたり、
背景の画面、そして表示の色も工夫したりしている。

そして、ときおり数多くの方のサイトを訪れて、
この方はこうした思いで開設、運用されているのか、
と感銘させられたり、日常の思いはこのような思いで過ごされているのか、
と私なりに教示を受けたりしている。

独断と偏見の多い私は、好感するサイトは、
その地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
絵葉書の解説でなく、その方ご自身の言葉で綴られるのに感銘させられたりしている。

或いは日記欄であるので、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに感動を覚(おぼ)える。

私が険悪するのは、芸能人に関する話題を表示する方達である。
例えば、音楽のアーティストの歌に関することは芸の批評は良好であるが、
私生活の話題を投稿するのは程度の低い週刊誌と同様である。

私は若き頃に映画青年の真似事、そして長年レコード会社に勤めた身であるが、
芸能人の私生活の話題をする時間があったら、
ご自身の日常生活を大切にする時間に当てて欲しい、
と思っているからである。

尚、私が困惑するのは、日常の生活の不満を何時も落書きのように投稿される方、
ご自身が投稿されないのにログ廻りばかりに専念される方、
そして人材募集のサイトである。

別サイトの【OCN Cafe】に加入させて頂いて、
50日前後になるが、私なりに感じた余計なお節介を綴った次第である。


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