夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

園児から高齢者まで、誰でも学べる天気情報に、めぐり逢えて、私は微笑みながら・・。

2011-01-31 12:28:45 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む66歳の身であるが、
【グーグル】から提供されている数々のニュースを見ていたのであるが、
たまたま【天気情報】のサイトを見た。

http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-2985.html
☆【tenki.jp】日直予報士官☆

このサイトの副題には、『天気を もっと 楽しく』と明題されて、
たまたま今回は、《 網走に流氷がやってきた! 》
と題されて、掲載されていたのであるが、
その上、『流氷』と『氷山』の違いを園児でも解かるように優(やさ)しく明示されていた・・。

そして、オホーック海に到来する流氷のことも解かりやすく解説されて、
私は微笑みながら、読んだりしたのである・・。

この後、このサイトの天気情報は、
園児から高齢者まで、誰でも学べる天気情報である、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

ときには、このような良きサイトに、めぐり逢えた、と高齢者2年生の私は微笑んだりしている。

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東京の郊外は、雪のない今年一番の寒気につつまれた朝となり、戸惑いながら・・。

2011-01-31 08:39:41 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
朝の5時半過ぎに目覚めて、バジャマの上に厚手のガウンをはおり、
薄暗い中の玄関庭に下り立ち、煙草を喫いながら、ぼんやりと樹木を見たり、
空を見上げていたのであるが、寒いと感じながら、今年一番の寒さかしら、と思ったりした。

この後、私は居間のガスファン・ヒータを点(つ)けたり、
洗面をし、着替えた後、台所で煎茶、コーヒーを淹れた後、
居間にあるパソコンに向かい、地元の天気情報を見たりした。

朝の6時はマイナス5度前後、昼下りは6度前後、夜の6時には4度前後が予測され、
ここ一週間と同じように氷点下の冬日の朝となり、冬晴れの日中を迎えるが、
確かに今朝は、今年一番の寒い朝だった、と確認しながら微苦笑しりした。

この後、読売新聞が配達されたので、
いつものように新聞を煎茶、コーヒーを飲みながら読んだりした。

6時45分前後、日の出の時刻となったので、私は雨戸を開けたりした。


私の住む地域は調布市の片隅で、世田谷区と狛江市に隣接した地域であるが、
昨年の12月中旬の頃から、冬晴れの暖かい日々に恵まれているが、
乾ききった空気となっている・・。

私の記憶をたどれば、過ぎし24日に、少しばかり小雨が降った程度であり、
平年ならば屋根は、うっすらと白いベェールのように霜(しも)、
そして地面は霜(しも)か霜柱(しもばしら)が観られる情景になるのであるが、
乾気につつまれた空気の中、主庭のほんの一部に霜(しも)が観られる程度となっている。


昨日、昼のNHKテレビのニュースで、日本海沿いの各市で平年の倍ぐらいの豪雪となり、
各地でまぎれなく雪害の被災となっている状景が報じられたり、
夜の6時のニュースでは、隣接している世田谷区の一部では午後3時前後に、
雪が舞う初雪、と映し出されていた・・。

この冬の時節、私の住む地域に於いては、
ここ10数年は数センチぐらいの雪が、きまぐれのように降ることがあるが、
私の小学生の60年前の頃は、雪が幾たびか降り、30センチ前後の積雪があった。


そして私は、空を見つめながら、どうしてなのよ、天上の気候の神々の采配に戸惑っている・・。

日本海沿いの各地域は、平年なみの雪が降り、数多くの方達が日常を過ごされ、
乾ききっている関東地方の南部は、ほどほどに雨か雪が降り、少しばかり潤(うるお)った情景、
このような思いを祈願しながら、7時過ぎの朝を迎えた。


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未読の本を眺めて、つたない高齢者2年生の私は思わず、苦笑しながら・・。

2011-01-30 18:53:06 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
居間にパソコンを置いているが、この右側に未読の本などがある。

先ほど、ネットでニュースを見たりしているが、この右側にある本が気になったりしている・・。

私は定年後も相変わらず読書が好きで、本屋に寄ったり、ときには古本屋に行ったりしている。
読売新聞を購読しているので、この新聞の出版社の広告を見たり、本屋の店頭で見かけ、
随筆、現代史、ノンフェクション、月刊総合雑誌の『文藝春秋』、『中央公論』などを購入したりしている。
その上、何かしら魅了させられない時、古本屋に寄ったりしている。

未読となっている本は、本屋で買い求めた単行本の藤原正彦・著の『ヒコベエ』(講談社)、
文庫本の徳岡孝夫・著の『妻の肖像』(文春文庫)であり、
古本屋で偶然にめぐり逢えた阿川弘之・著の『大人の見識』(新潮新書)、
福田和也・著の『人間の器量』(新潮新書)である。


過日、私は佐藤 優・著の『自壊する帝国』(新潮文庫)を読書中、
読売新聞の朝刊で、【本よみうり堂】があり、
この中のひとつとして、【ポケットに1冊】と題された小さな記事があった。

そして昨年の大晦日に逝去が公表された亡き高峰秀子・著の『わたしの渡世日記』の文庫本であり、
私は高峰秀子さんの数多くの随筆の本を読んできたが、
肝要のこの本を見逃してので、私は本屋に行き探し求めて、
『わたしの渡世日記』上、下巻(文春文庫)を精読してしまったのである。

或いは上記の未読の4冊は、過ぎし1月10日発売の月間総合雑誌が加入したので、
やはり月刊雑誌の旬を配慮して、月刊誌を優先的に読んだりした結果であった。


このように私は、すぐに読めないくせに、
本屋、古本屋で買い求める悪い習性が、高校生から50年ばかり続いている。


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つたない私が、初めて『ブログの世界』にめぐり逢えた当時の頃を思い馳せて・・。

2011-01-30 09:59:05 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
先ほど、ぼんやりと私がブログの世界にめぐり逢えた頃のことを思い馳せたりした。

私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、挫折した後、
企業に中途入社する為に、1年間コンピュータの専門学校で学び、
ある大手の企業に何とか中途入社できたのは、1970年(昭和45)年の春であった。

この時からほぼ20年間情報部門の専門畑となり、
その後は他部門の管理畑に異動し10年ぐらい奮闘した後、リストラ旋風となり、
最後の5年間は取引先の物流情報センターに出向となった。

1990年(平成2)年の初めの頃までは、
ある程度は専門畑のコンピュータの世界が解かっていたが、
その後は利用者の間接部門となったので、
先端技術は解からず、ただパソコンを利用し、業務に従事していたぐらいであった。

こうした体験をしてきたが、2004年(平成16)年の秋、定年退職する数ヶ月前、
自宅で初めてインターネットを開設した・・。
そして、いざ自宅で個人利用のパソコンにインターネットを連動させた時、
Webの世界の環境には、驚きと出遅れたと感じたりした・・。


この後、退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いを随筆風に綴り、
公開しょうと思案していたのである。

ホームページの開設までの技量に乏しく、
無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然、11月の上旬に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知ったのである。

『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

私はブログの多くは匿名制度であるが、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のこと、日々思い思索していること、果てには政治の分野まで自在に発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると決意したのである。

そして私は、11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入し、
『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』とタイトルを掲げ、
『kaze-hikari』というIDで、発信名は『極楽とんぼ』と命名し投稿をはじめたのである。

私は初めてブログの世界に入り、【アメーバ・ブログ】に加入した時、
タイトル名、発信名は私なりのブログ・サイトで要(かなめ)を成すこと思え、
深く思案したのである。

タイトル名の『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』に於いて、
~団塊世代のひとりとして~、と副題をしたのは、
私が中途入社した25歳の時、職場で机を並んだのは、新卒の人が多く、
彼らは団塊世代の人たちが多く、その後30年ぐらいは、
それぞれの時代の苦楽を共にした心情があったからである。

発信名を『極楽とんぼ』と命名したのは、私の幼年期からの深い想いでがあった。
このことについては、このサイトに綴ったことがあるので、省略する。


これ以来、ブログ、ブログに準じたサイトに、4つばかり加入し迷走しながらも、
このサイトに日々投稿して実質4年ぐらいを迎えている。


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新潟県の妙高地域の『唐辛子の雪さらし』情景を拝見し、私は幼年期の雪舞い降る情景を思い馳せ・・。

2011-01-29 18:04:05 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
先ほど、ぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、

《 新潟・妙高市で唐辛子の雪さらし、児童も体験 》

と題された記事を読みながら、掲載されている写真を眺めたりした・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
新潟県妙高市で、特産の香辛料「かんずり」造りのため、
原料の唐辛子を雪の上にさらす作業が本格化し、26日は地元の小学生も助っ人に加わった。

塩漬けにした唐辛子を3、4日雪上にさらすことで軟らかくなり、アクが抜けるという。
細かく砕いてこうじとユズ、塩を加え、3年間熟成させてまろやかな辛みに仕上げる。
地元では鍋ものや焼き鳥などに定番の薬味となっている。

この日は地場産業を学ぶため、同市立新井小学校の3年生約60人が作業を体験。
児童たちは、製造会社の指導を受けながら、唐辛子を丁寧にまいた。
井田理子さん(9)は
「初めてだったが、楽しかった」と話した。
作業は3月初旬まで続く。

(2011年1月26日17時25分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090128-945713/news/20110126-OYT1T00500.htm
☆【YOMIURI ONLINE】《新潟・妙高市で唐辛子の雪さらし、児童も体験》☆


私は東京郊外の調布市で農家の三男坊として1944(昭和19)年に生を受け、
この時節、幼年期には雪が降ることが多かった。

この当時は駅前から少し外れると、田畑が圧倒的に広がり、雑木林、竹林などがあり、
その中の一角に宅地があり、人々の生活が営(いと)まれてきた・・。

祖父、父も健在であったので、程々広さのある田畑を耕して、
多忙期には小作人の手伝いを受けながらも農家をしていた。

この頃の時代は、冬の時節はよく雪が降ったりした。
多分、30センチ、厳しい時は50センチぐらいであった、と想いだしている。


今回、新潟県の妙高地域の『唐辛子の雪さらし』情景を拝見したが、
私の住む地域では、幼児の頃を思い馳せても記憶はないが、
唐辛子を現世で表現すると、
使い捨てのカイロのホカロンのように使用していたことが思い出された・・。

私が1952(昭和27)年は、小学1年の三学期であったが、
私は雪が降ると、いつものように木綿の薄い靴下であり、登校の時にはゴムの長靴を穿き、
靴の中に、冬の時節に限り稲藁(イネワラ)を敷いていたのであるが、
父の妹の叔母が、寒いからねぇ、と赤い唐辛子を三つぐらい入れくた。

そして番傘を差して登校した。

何時もの村道を避けて、真っ白になった畑の中を直進して、
徒歩15分程を歩いたりした。

ある時は風が吹き、雪にまみれながら登校し、学校に何とか着いた時は、
学友達の校門の付近でお互いの健闘をたたえながら、
『よく・・来られたなぁ・・』
とふざけあったりした。

こうした時、番傘は少し破れて、帰宅後、母、叔母たちに怒られたりした。

その後、小学校を卒業した1956(昭和32)年頃になると、
この地域は雪が降りそそいでも15センチぐらいとなり、降る回数も少なくなり、
ゴムの長靴の中は、藁(ワラ)を敷かなくなり、唐辛子も入れなくなった。
その代わりに、厚手の靴下などに変貌したのである。

恥ずかしながら、私は唐辛子は調味料よりも、
雪が降る寒いときのゴム長靴の中で、何故かしら暖かくなる不思議なものとして、
愛用していた記憶が鮮明なのである・・。


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我が故郷(ふるさと)、高齢者2年生の私は改めて学ぶには、歴史刊行物、郷土博物館・・!?

2011-01-29 09:49:03 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
1944(昭和19)年の秋に今住んでいる近くの実家で、
農家の三男坊として生を受けた。

私はこのサイトに於いては、私の幼年期から昨今まで、数多く綴ったりしているが
定年退職後、私の生まれる以前の昭和時代はもとより、
大正、明治時代の我が故郷の実態の情景、生活など知りたくなったりしている・・。


父は1953(昭和28)年に病死され、そして祖父も後を追うように1954(昭和29)年に死去し、
私としては小学生であったので、
この頃の情景はある程度は鮮明に残っている。

母は無念ながら13年前に他界したが、
私は敗戦前の昭和時代の頃の我が家の出来事はもとより、
周辺の移ろう情景なども聞いたり、教えられたりした。

この間も、親戚の叔父、叔母、近所の小父、小母さんなどに訊(たず)ねたり、
教示されたりしてきた。

そして、図書館などに行き、『郷土史』などを読んだりしてきたが、
つたない私は、この時代を鮮明に整理を出来なかったのである。

私は定年退職の2004(昭和16)年の秋が過ぎた頃から、
私の住む家は、調布市の片隅で世田谷区、狛江市に隣接している地域であるが、
数キロの周囲を散策したりし、過ぎ去った幼年期の頃までの情景に思いを馳せたりすることもある。


ときには数キロ近くに『蘆花公園』に行ったりしたりしていた。
正式名所は『蘆花恒春園』であるが、公園概要の解説には、
《・・
「不如帰」「自然と人生」「みみずのたはこと」などの名作で知られる明治・大正期の文豪、徳富蘆花(健次郎)と愛子夫人が、
後半生を過ごした住まいと庭、それに蘆花夫妻の墓地を中心とした旧邸地部分と
その周辺を買収してつくられました。

蘆花は明治40年2月まで、東京の青山高樹町に借家住まいをしていましたが、
土に親しむ生活を営むため、当時まだ草深かった千歳村粕谷の地に土地と家屋を求め、「恒春園」と称し、
昭和2年9月18日に逝去するまでの約20年間、晴耕雨読の生活を送りました。
・・】
と解説される。

そして作家の徳冨蘆花氏は数多くの随筆を遺されているが、
千歳村の粕谷(現在:世田谷区粕谷)の地に約20年間生活されていたので、
遅ればせながら、何かこの地域に関する随筆はと探した結果、
『みみずのたはこと』の作品を知り、読みながら、私の住む地域に近い明治後期から昭和初期の実情を学んだりした・・。

或いは私の住む近くに野川があり、この川沿いの遊歩道ほ下流に2キロぐらい向うと、
『次太夫掘公園』があり、2回ばかり訪れたりした。

解説書の言葉をお借りすれば、
《・・
世田谷の農村風景の典型的なイメージと昔ながらの小川を復元したのが次大夫堀公園。
公園名は小泉次大夫が昔この地域の用水を確保するために、作った堀の名にちなんでつけられました。
面積は約36000平方メートルで650メートルの水路を有し、
その水路に沿って、当時の古民家や水田(1400平方メートル)が配置されています。
水路や池には、コイ・メダカ・アメンボもたくさん生息しており、
コサギがきてドジョウをついばむ姿も見られます。

また水田では、毎年稲作が行われ、近所の保育園や小学生達による田植えや稲刈りが東京中央農協の協力のもと行われています。
(略)
・・》
そして、この中に『民家園』があり、
《・・
江戸時代後期の古民家と土蔵、納屋、消防小屋などを移築復元したのがこの民家園。
昔の世田谷の農家の暮らしをまるごと復元した・・
・・》

このようなところを散策しながら、多々学んできている。


私達夫婦の共通趣味のひとつとして、国内旅行であり、
地方の市内に滞在したりすると、私は郷土博物館、歴史館などを訪ねたりすることもある。

昨夜、ぼんやりと家内と旅のこぼれ話しを談笑していた時、
私は肝要の我が故郷の資料館を訪れたことに、気付かされたのである。
そして私は夜の10時過ぎから深夜にかけて、遅ればせながら調布市のホームページを開き、
調べながら読んだりした。

http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1176118848222/index.html
☆【調布市ホームページ】 調布市史刊行物のご案内 ☆

http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1176118850606/index.html
☆【調布市ホームページ】 郷土博物館 ☆

このふたつサイトを長らく読みながら、
今後は市の図書館の本館で、市史刊行物を読んだり、
或いは郷土博物館を訪ねてみようと深く思ったりしたのである。

私はB型の血液のなせる性格なのか解からないが、
ひとつに興味をいだくと、無我夢中となり、恋の場合は貴女しか視(み)えない、と幼年期からの悪い癖があり、
齢を重ねた今でも変わらない困った習性がある。

このようなつたない私は、今後は幾度も図書館、郷土博物館に出掛けたりすると思われ、
微苦笑をしたりしている。


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活字中毒の私は、読書の魔力にとりつかれて、早くも50年間が過ぎて・・。

2011-01-28 18:21:23 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読し、かれこれ50年となっている。

古来の人々から言葉から文字へと人々の営みの中から文明が生まれ、
その中の一部として、文化が発生している。

そして創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれの人々が読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、高校生の時からとりつかれている。

年金生活の今でも、朝に読売新聞を読んだりした後、
日中は読書をする時間が多く、
夜に布団にもぐった後に、枕元で本を読みながら寝付く悪い習慣が続いている。


家内と共通の趣味は、国内旅行であるので、ときおり旅行に行っている。
こうした時、特に滞在型の場合は、数冊の本を持参している。

旅先では、その地の地方新聞を読む習慣があるが、
日中のひとときに観光めぐりすれば、観光ホテルで風呂に入ったり、
部屋から風景を眺めたりするが、本がないと何かしら寂しいのである。
何かしら、活字中毒のひとりの私は、薬が切れたような心持ちになったりした。


日頃、月刊総合雑誌に関しては、『文藝春秋』は1970(昭和45)年以来愛読し、
そして『中央公論』、『新潮45』は特集記事に魅せられた時、購読している。

そして肝要の単行本、文庫新書、文庫本に関しては、
新聞の出版社の広告を見たり、本屋の店頭で見かけ、小説、随筆、歴史書、現代史などを購入したりしている。
その上、何かしら魅了させられない時、古本屋に寄ったりしている。

昨今の本屋の店頭の流通が早いので、買いそびれた本や思いがけない興味のある本にめぐり逢え、
私の心は小躍(こおど)りしながら、購入するが、
殆どは余りに廉(やす)いしので、驚いたりし、創作者の心情を思いながら、ため息をつく時もある。


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小文字は10代の女子の自己表現のひとつであり、高齢者の私は戸惑いながら・・。

2011-01-28 10:17:27 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日、自宅の近くに流れる野川の川沿いの遊歩道を散策していた。

このような時、
《 学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を・・護(まも)りましょう・・》
と私の住む街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されている。

まもなく学童が数人グループ、或いは10人ぐらい群れて歩いてくるのが見えて、
それぞれ談笑を重ねながら、ときおり歓声もまじえて、歩いている。

私は上流に向かい歩いていると、前方にやはり5人の女の子の児童が、
談笑したり、携帯電話をお互いに見せ合ったりして、歓声を上げたりして歩いていた・・。

そして、この中の女の子のひとりが、学童バックの中から、携帯電話が路上に落ちて、
私は気付いて、拾い上げて、足早に歩いて、
『大切な・・携帯電話・・落としたよ・・』
と私はこの女の子に手渡した。

『小父さん・・ありがとうございました』
と私に健気な挨拶をして、お辞儀をした後、前方のグループに追いついたりした。


昨今、私は学童で携帯電話のメールを見ながら歩いている男の子、女の子を見かけたりすることが多く、
私達の時代には、もとより携帯電話もなかったので、
どのようなメール文を交わすのかしら、と微苦笑したすることもある。

帰宅後、確か以前に私は、10代の女の子の間で、小文字が流行していることを、
あるサイトで投稿していたことを思いだし、私は読み返したりした。


2006(平成18)年10月5日に於いて、
【 されど、小文字は10代の女子に流行・・?! 】
と題して、投稿していた。

【・・
先程、インターネットのニュースを見ていたら、毎日新聞の提供ニュースに於いて、

【小文字:10代女子に流行、難解・新表記 ネット時代の自己表現!?】

と見出し記事があったので、興味深く拝読した。

この記事の内容を無断であるが、転記させて頂く。

《・・
☆書き込みゎ小文字っかぅょ

「ゎたしゎ、きょぅゎ部活がないの」
「ぁたしゎ、中一です」--。
女子児童や女子中高校生がやりとりする携帯メールやインターネットの掲示板で、
一部の文字だけを小さく期す文章が目に付くようになった。

「小文字」と言われ、どの文字を小さくするのか、独自のルールもあるらしい。
子供達がキーボードを操るようになって登場したユニークなスタイルだが、
「間違った書き方じゃないか」
と眉をひそめる大人もいるようだ。
【扇沢秀明】

ポータルサイト「goo(グー)」を運営するNTTレゾナントの渡辺純子・メディア事業部課長によれば、
インターネットの掲示板、特に子供向けのキッズgooの掲示板の書き込みに
「小文字」が増えたのは、昨年の春頃だという。
『子供が立てたブログは、小文字だらけで、大人が読むと目が回りそう』
と苦笑する。

グーで「ゎたしゎ」と入力し、検索すると約3130件ヒット。
「ぁたしゎ」なら約1万5600件。

ヤフー!では、「ゎたしゎ」が約3万6400件、
「ぁたしゎ」は約30万2000件もヒットした。

大半が学校や塾、アイドルの話題で、
殆どが10代女子の書き込みと思われる。

東京都内の女子中学生(13歳)=1年=は、
『小学校の時に、友達から貰った携帯メールが小文字だった。
今はクラスの女子の殆どが使っている。
子犬が可愛いのと同じで、字も小さいと可愛い』
と話す。
最近は、仲間で交換する手紙にも、小文字を使うという。


☆独自のルール

だが、「小文字」は、どんな文字でも小さくすればいいというわけではない。
小さくするのは【あいうえお】【つ】【やゆよ】【わ】だ。それに【ヶ】も加わる。
ルールの秘密は「普通の携帯メールで小さく出来る字だから」。
携帯メールやパソコンをローマ字入力した時、
「l(Lの小文字)」を打ってから「wa」と打つと【ゎ】、
「li」なら【ぃ】に変換される。

実は、小文字の流行る前にも《ギャル文字》という表現スタイルが流行した。
渡辺さんは、
『ギャル文字は、アルファベットや記号を組み合わせ、
カタカナや平仮名に似せた表記で、3年前に流行った』
という。

『字も小さい方が可愛い』と話していた女子中学生は、
『ギャル文字は、(年齢が)上の人が使っている。
私は読めない』と話し、
流行の移り変わりの早さをうかがえる。

全国小学校・国語教育研究会・事務局長の飯田 薫(東京都八王子市立・鑓水小学)校長は、
『手書きしか無かった時代、女子の間では丸文字を書くのは流行った。
ネット時代は、小文字で子供なりに自己表現をしているのだろう。
教室でノートを見ると、きちんとした書き方をしている。
多くの子供が使い分けをしているようだ』
と言う。

しかし、渡辺さんは、
『大人も読むネット掲示板で、子供が小文字を使って記し、
それを見た大人が《真面目に書いているのか》と注意したケースがあった。
子供に対してもネットの掲示板の記し方のマナー教育が必要な時代になったようだ』
と話す。

~毎日新聞 2006年10月5日 東京朝刊~
・・》


私は一昨年の晩秋に、【簡単gooホームページ】で『風のように光のように』を掲げているが、
初めの半年間に於いて、小学生の女子の3人のお方と掲示板で交流したが、
真面目な文章を綴ってきた・・。

私は定年退職後の身であったので、お孫さんと交流しているようであったが、
私の方が相手方の女子の気持ちを考える過ぎたのか、気づかれしてしまい、
おのおの10通前後で途絶えてしまった。

今までに掲示板に於いて、
「あなたのホームページ・・かっこいい・・お友達になりましょう・・」
と言う意味合いの小文字をまじえた書き込みを頂いたりした。

或いは掲示板に私の綴った事に関し、小文字まじり感想のような書き込みを頂き、
私はため息をしながら、読んだりした。

私は最初の半年で、3名の小学女子生の交流で疲れを覚えたので、
申し訳ないが返信を出来ず、一ヵ月後に削除してしまった。

私は前記の飯田・校長の説を重視している。
たまたま私のような歳を重ねた小父さんに書き込まれた時、
小文字をまじえた文章は、正直なところ戸惑ったりした。

多分、ブログの世界の掲示板であったので、気楽に書かれたと思ったりした。
日頃、小中学校の生徒は何らかのプレシャーを持っているので、
息を抜いて、気軽に綴るので心が解放されたならば、よいではないかと
微苦笑したりした。

どの時代でも、成年になる前の一時期の自己表現のひとつと思っているからである。
・・》


このようなことを私は綴ったりしていたが、この投稿文から早や5年は過ぎて、
最近の女の子は絵文字が加味され、色鮮やかに表示画面にしているのかしら、
と齢ばかり重ねた私は微苦笑したりしている。


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青山祐子(あおやま・ゆうこ)さんのさわやかな笑顔、私は励まされて丸5年を迎え、感謝!!

2011-01-27 17:56:57 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
午前中のひととき、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、

《 NHKの青山祐子アナ 夜から昼に異動 》

という見出しがあり、思わずクリックした。

そして、【スポニチアネックス】から配信された記事のひとつであり、

《 結婚間近の青山祐子アナ 夜から昼の顔に異動 》

と題された記事と解かり、私は精読した。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
NHKの青山祐子アナウンサー(38)が今春、
報道番組「ニュースウォッチ9」(月~金曜後9・00)から
トーク番組「スタジオパークからこんにちは」(月~金曜後1・05)の司会に“異動”すること26日、分かった。

近く医療福祉関連会社の役員(37)と結婚することが明らかになっており、
公私にわたって新スタートを切ることになる。

青山アナは2006年4月の同番組立ち上げ時からスポーツキャスターを務め、
08年3月に“横滑り”の形でメーンキャスターに就任。
大学時代に弓道で全国制覇したスポーツウーマンらしい、
さわやかな性格と鋭い分析力で同局の“夜の顔”としてお茶の間に浸透した。

ただ、この春で番組にかかわって丸5年を迎えることから、ひと区切りをつけることになったようだ。
コンビを組むメーンコメンテーターは、昨年3月に同局記者の田口五朗さん(52)から同じく記者の大越健介さん(49)に交代している。

新たな大役はトーク番組「スタジオパーク…」の司会。
3月いっぱいで退局する住吉美紀アナウンサー(37)の後を受けた“昼の顔”となる。

「ニュースウォッチ9」の後任については現在調整中。

◆青山 祐子(あおやま・ゆうこ)
1972年(昭47)12月27日、広島県生まれの38歳。
筑波大体育専門学群卒業後、95年にNHK入局。
これまで「NHKニュース11」や「サタデースポーツ」「サンデースポーツ」などでスポーツキャスターを中心に担当。
06年2月のトリノ五輪ではメーンキャスター。

スポニチアネックス 1月27日(木)7時3分配信
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110127-00000045-spn-ent
☆【YAHOO! JAPAN】 <== 
       【スポニチアネックス】《 結婚間近の青山祐子アナ 夜から昼の顔に異動 》 ☆


私は中小業の民間会社を2004(平成16)年の秋に定年退職し、
年金生活をはじめてた身である。

もとより年金生活は、身過ぎ世過ぎの日々であり、
日常は定年直後から買物担当をしているが、買物、散策の時に季節のうつろいを享受している。

そして随筆、ノンフェクション、現代史、歴史書などの読書をするが多いが、
ときおり古き良き時代の20世紀の映画作品を自宅の居間で鑑賞したり、
音楽をジャンルを問わず聴いたりしている。

こうした中で、小庭の手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、四季折々の美しい日本の情景に、
愛惜を深めたりしている。

私は、テレビ番組に関しては、NHKの総合ニュースを視聴したり、
ドキュメンタリー番組を見る程度であるが、
私達夫婦は共通趣味は国内旅行であるので、ときおり私達はテレビの旅番組を視聴している。

こうした中で、2006(平成18)年4月から、
NHKは夜の9時過ぎから『ニュースウォッチ9』と題して、総合報道番組が始まり、
後半過ぎにスポーツ・コーナーがあり、溌剌とした若き女性が、さわやかな笑顔をまじえながら、
スポーツのニュースを報じて、私は未知のキャスターに瞬時に好感した。

その後、2008(平成20)年3月よりに、メーンキャスターとして、
男性のキャスターと共に、政治・外交・経済などの内外のニュースをアナウンスされ、
私は姪っ子をみるように、不慣れな内容ニュースを伝えることに、少しばかりハラハラとした。

こうした危惧は、3ヶ月ぐらい過ぎると私は解消されたと思い、
視聴者にニュースの本意が伝ってきたので、私は安堵しながら、
その後は、このお方のさわやかな笑顔に何かと私は励まされてきたので、
私は感謝をしてきた・・。


過日、このお方の婚約をネットのニュースで知り、
そして今回の番組の異動を知ったのである。

もとより結婚生活は、お互いに時を共にして過ごし、苦楽を共に分かち合えるのが、
最良と私は確信しているひとりである。

今後はトーク番組「スタジオパークからこんにちは」(月~金曜後1・05)の司会、
と知ったので、この時間帯の番組だったならば、
お互いにすれ違うことがない、と私には感じたのである。

私はテレビの番組の裏状況は無知であるが、
番組のそれぞれの特集の本意、確認、取材、打ち合わせ、放送中などで、
少なくとも8時間ぐらいは携わると思いながら、
NHKの番組の編成される責任者に、良き配慮をされた、と私は思ったりしたのである。

しかし、私としては、昼の時間帯はテレビを視聴することがないので、
何かしら姪っ子が結婚後に遠方に嫁がれて、逢えないように、
少し寂しい心情となっているのも本音である・・。

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冬の山形の旅路、私達夫婦はテレビ番組の『いい旅夢気分』、教示されながら微苦笑し・・。

2011-01-27 00:07:52 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
昨日の26日の夕食前に、家内は読売新聞の夕刊を読んでいた時、
私はネットでニュースを見たりしていた・・。

『8時から・・テレビで銀山温泉のことを採(と)リあげているわ・・』
と家内は私に云った。

平素の私は、テレビ番組に関しては、NHKの総合ニュースを視聴したり、
ドキュメンタリー番組を見る程度であるが、
私達夫婦は共通趣味は国内旅行であるので、ときおり私達はテレビの旅番組を視聴している。

家内から私は教えられたのが銀山温泉を放送する番組は、
テレビ東京で、『いい旅夢気分』の定例番組で、
『「絶景美しき”樹氷”今こそ冬の山形へ」銀山温泉雪見の露天&寿司名店旬のタラ鍋』
とテレビ番組表に明記されていた。

そして私達夫婦は、この番組を視聴した・・。

http://www.tv-tokyo.co.jp/iitabi/backnumber/thisweek/index.html
☆テレビ東京 『いい旅夢気分』
   2011年1月26日放送 『冬の山形 美しき雪景色と名湯の旅』
                    蔵王~銀山温泉~酒田
                      出演者  片岡鶴太郎、具志堅用高 ☆

食事処の大石田町の『蕎麦屋 まんきち』、酒田市の『寿司割烹 こい勢』は、まぎれなく美味を感じたり、
そして宿泊された銀山温泉の『旅籠 いとうや』、湯野浜温泉の『游水亭 いさごや』は、
確かに素敵なところを感じ、
こうした旅路をされる片岡鶴太郎、具志堅用高の両氏のしぐさ、言葉に思わず魅了された。

このようなことを私達夫婦は訪れたことのない未知の世界であるが、
番組から多々教示を受けたりしたので、CMの間などで、私は家内と談笑した。


私達夫婦は、銀山温泉は未知であり、
家内が雪舞い降る時に銀山温泉に行って観たいわ、と昨年の夏過ぎに私に云った。
そして私達は、JTB、JR東日本の『びゅう』の旅行バンフレットで検討したりした。

結果として、雪が舞い降る確率の多い今年の2月の中旬を選定し、
東京駅より大石田まで『つばさ』を乗車し、
銀山温泉の『旅館 永澤平八』に4泊して、街並み、そして付近を散策をする。

その後は、『最上川の船下り』をする為に、
悪天候を配慮して、付近の新庄のビジネス・ホテルの『ルートイン新庄』に1泊宿泊し、
帰路は新庄駅より『つばさ』で、帰京する5泊6日とした。

このような旅程を、いつものように自宅の最寄り駅の付近にある旅行代理店に予約したのは、
昨年の10月下旬であった。

そして12月14日より、青森県の十和田湖の山奥にある『蔦(つた)温泉』に4泊した後、
やはり悪天候を配慮して、青森市内の『青森グランドホテル』に1泊、
その後は日本海の黄金崎の『不老ふ死温泉』に3泊し、初冬の旅路として8泊9日で訪れたりした。


ここ数週間、平年より山形の新庄地域も積雪が多い、とニュースなどで視聴したりしてきたが、
私達夫婦は雪の情景は魅了されるタイプであるが、
もとより現地の方たちが雪害に遭わず、交通に支障がない程度に、
程々に降ってね、と話し合ってきたのである。

今回のテレビ東京の『いい旅夢気分』で、
《 冬の山形 美しき雪景色と名湯の旅 蔵王~銀山温泉~酒田 》
著名なおふたりの優雅な旅路の2泊3日の放送番組を大いに参照として教えられた。

私達は年金生活の身であり、程ほどの貯金を崩して国内旅行をしているが、
その上に、体力も衰えたので、
このテレビ番組の旅路のコースの一部を5泊6日としたので、
番組終了後、私達はお互いに微苦笑したりした。


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『グーグル マップ』、我が家、周辺の情景を眺め、驚きながら、その後はため息を重ね・・。

2011-01-26 15:57:41 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
午前中のひととき、グーグルが無料提供する、確か鮮明で迅速な動画などをインストールしませんか、
と明記された箇所があったので、クリックした。

その後、『グーグル マップ』などが表示されて、
どのくらい以前より改定?されたのかしら、と思いながら、自宅の住所を入れようとしたが、
入力画面は誰でも簡略に入れることができる機能となっていた。

そして、私の自宅の住所を確認した直後、
左サイドに、我が家の門扉を中心とした画面が表われて、驚いた・・。

そして、少し操作していると、白い矢印が明示されて、
動かしてみると我が家の自宅の周辺の歩道、道路を中心とした情景が写しだされた・・。

その後も、白い矢印を動かせば、角度が変わって、
違った角度から、周辺の道路を中心とした情景が写しだされた・・。

結果として、我が家の取りまく道路がすべて明確に明示された。

私の親戚、友人、そして知人の住所は、もとより私は知っているので、
たとえ訪問しなくとも、その家の概観、取りまく生垣の樹木や塀、そして道路の情景が、
明確に解かる、と思ったり、
或いは、逆の立場も考えられるのである。

この後、このことが、『グーグルの「ストリートビュー」』かしら、
と思いを重ねたりした。

そして確か、ドイツの一部の住民で、プライバシー保護で問題提起されたニュースに思いを馳せたりした。


このことに関しては、このサイトに於いて、
【 グーグルの「ストリートビュー」は、どのくらい鮮明で明確なの!?、と私は微苦笑して・・。 】
と題して、昨年の2010年10月22日に投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
先程、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、

《 24万世帯が掲載中止を要求=グーグルの街並み画像-独  》

と題された見出しを見て、どのようなことなの、と思いながらクリックした。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
        24万世帯が掲載中止を要求=グーグルの街並み画像-独

【ニューヨーク時事】
米検索エンジン最大手グーグルは、
インターネット上の地図で道路から撮影した街並みの画像を無料で提供する「ストリートビュー」のサービスを
ドイツでも年内に開始する予定だが、
同国20都市の24万4000世帯が、住居の画像を掲載しないよう要求している。

米主要紙が21日、同社のドイツの広報担当者の話として伝えた。
ドイツは先進国の中でもとりわけプライバシー保護を重視する国として知られるが、
掲載の中止を求めたのは20都市の合計850万世帯のうち、3%弱にすぎず、
年内のサービス開始には影響は及ばない見通しという。

時事通信(2010/10/22-07:34)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は《・・道路から撮影した街並みの画像を無料で提供する「ストリートビュー」》は無知であるが、
鮮明に街並み、そして住居が明確に、まして門扉の近くにある表札まで、映(うつ)しだされら
やはりプライバシーから、ドイツの一部の住民と同様に、困るだろうと思ったりした。

その後、私は以前にグーグルの『Google Earth』の無料ソフトを使用して、
驚きながら、ため息を重ねたことがある・・。

この時の心情は、このサイトに於いて、
【 我が家を空から眺めれば・・♪ 】
と題して、一昨年の2008年4月3日に投稿しているが、今回あえて再掲載をる。

【・・
       我が家を空から眺めれば・・♪

私は午前のひととき、幼児のような戯(たわむ)れのひとときを過ごした・・。

『Google Earth』の無料ソフトで、
我家とその周辺を見たりしていたのである。

私の住所を入力し、主軸とした上で、それぞれの高度で眺めたのである。

最も接近できるのは、39メートルの上空から我家が見えるのである。

私が主庭に下り立ち、樹木を眺めながら煙草を喫ったりしているので、
私は素足で下駄を履き、煙草の銘柄の『チェリー』が解かるかしら、と期待したが、
ここまでは『Google』でも色々と問題があるので、
確認できなかったのである。

上空39メートルであると熱気球から地上を眺めた情景かしら、と思ったが、
樹木の金木犀、モミジなどは少しボケていたが、
全般として家屋、敷地は鮮明である。

上空100メートル前後にすると、
ヘリコプターに乗ったように、我家の周辺が眺められ、
1000メートルに合わせると、調布市全般の景観となる。

一万メートルを少し超えると、航空機からの窓から眺めたかのような情景となり、
東京湾、湘南海岸、三浦半島、房総半島が鮮明に映し出されるのである。

一番遠方にすると日本列島はもとより、周辺国々まで映し出され、
まるで人工衛星に乗り、地球を眺めたかのような錯覚を覚えるのである。

私は幼児の遊びかと感じていたが、まぎれなく大人の遊びと思ったのである。


30数年前、米ソが互いに核、大陸弾道弾などで軍事競争をしていた頃、
互いに軍事衛星から相手国を監視していた。

この頃、私は夢想したのであるが、
アメリカの軍事衛星は、敵対するソ蓮の軍事基地はもとより、
たとえば穀倉地帯のウクライナ地方の小麦畑・・
農民があくびをしながら、おしっこする情景を鮮明まで映し出されていたかしら、
と思ったりしていたのである。


私は年金生活の4年生の身であり、
ときたま戯(たわむ)れとして、ネット検索をしているが、
たまたま本日は『Google Earth』を相手に午前のひととき過ごしたりしたのである。
・・】

このようにグーグルの『Google Earth』の威力、或いは効力を感じたので、
果たして《・・街並みの画像を無料で提供する「ストリートビュー」・・》は、
どのくらいに鮮明で明確に映しだされるの、と高齢者の2年生の私は微苦笑したりしている。

・・】


このように投稿していたが、改定された?『グーグル マップ』を初めては見たが、
都心の大通り、商店街、商業地の通りであるならば、数多くの方が利用されるので、もとより了解はできるが、
住宅街の道路、歩道を中核とした情景、そして門扉、周囲の情景は、
どのような意味合いが必要なのか、高齢者2年生の私は理解が出来ないのである。


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朝の陽射しの中で、ときおり莟(つぼみ)は揺れて・・。 

2011-01-26 09:03:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
朝の7時過ぎに、陽射しが射し込んで、冬晴れの朝を迎えている。

私はいつものように足袋を穿(は)き、下駄で主庭の小庭に下り立った。
朝のひととき、霜柱が見られて折、陽射しが射し込んできているので、
数時間で消えうせてしまうが、はかなさの美を感じたりしている。

私の住む地域では、昨年の12月中旬の頃から、冬晴れの暖かい日々に恵まれているが、
乾ききった空気となっていたが、
一昨日の24日には、少しばかり小雨が降ったりしていた・・。

少しばかり潤(うるお)ったので、常緑樹、冬木立の落葉樹、そして草花は、
元気になったかしら、と微笑んだりしていた。

朝の6時はマイナイ1度であり、昼下りは9度前後、そして夜の6時は5度前後と予測され、
いつもながら冬晴れの日中を迎えている。

玄関のある小庭は日中の殆どは陽射しに恵まれて、白梅の花は20数輪が咲いているが、
主庭は隣接したマンションの影響で、午前中に陽射しを受けるが、
午後になると、大半は陽陰となっている。

こうした主庭の小庭であるが、私はテラスから降りながら、
藪椿(ヤブツバキ)の濃紅色の莟(つぼみ)に近寄ったり、
純白の莟の白玉椿(シラタマツバキ)を眺めたり、白梅、紅梅の莟を眺めている。

この1週間、ときおり北風が吹き、寒気に身にしむ時もあり、
こうした折、莟は微かに揺れ、寒気の中で凛とした情景に、私は秘かに敬意してしまうのである。

立春の時節を迎える頃には、花が咲き、我家では早春となる。

日本水仙が霜柱に囲まれて折、淡黄色の莟がわずかに見られるが、
大半は日中の陽射しを待ち望んでいる。

東京の郊外は、日中も陽射しに恵まれているが、
ときおり北風が吹き日々が続き、
立春はいつの日なのか、と私は呟(つぶや)いたりしている。


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『ツイッター』は、まぎれなく日本人の古来から愛された『短歌』、『俳句』、『川柳』に最適と思い・・。

2011-01-25 15:39:17 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
定年退職の2004(平成16)年の後、まもなく『ブログ』の世界を知り、
殆ど毎日、ブログの投稿文をしている。

そして確か2007(平成19)年の頃から、
急激に普及した『ツイッター』に関しては、私は発信できないでいる。

『ツイッター』は短い綴りで、つぶやくような文章と私は解釈しているので、
短い言葉で私の今の心情を発露するようなことは、無念ながら私には筆力がないので、
利用したことがないのである。

しかしながら、ある程度の長い文章の綴りであるならば、
つたない私なりに『ブログ』の投稿文として、
日常の思い、或いは思索したいることなどを心の発露として綴ったりし、
ここ6年ばかり投稿している。

昨今の日本の社会に於いて、『ツイッター』の利用される方の一部で、
少し心の礼節を失くした方の発信文が問題となっている、と風の噂で聞いたりしている。

昨夕、読売新聞の夕刊(2011年1月24日)に於いても、この問題の記事が掲載されている。
《・・
ツイッターに詳しい武田徹・恵泉女学園大学園教授(メディア論)は、
「ブログに比べて、ツイッターは公私の差があいまい」
と指摘する。

つぶやきは通常、自分の書き込みをチェックしている人(フォロワー)に向けられているため、
友人や家族に話す感覚に近くなる。

実際には自分のフォロワーの先には、さらにフォロワーがいて、
大きな波及力があることが忘れられがちだ。

ツイッターを使いやすくするスマートフォン用ソフトも出ており、
見たことをその場で書き込んでしまうことも、軽率なつぶやきを生みやすい。

武田教授は、
「書き込んだ本人が特定されれば、損害賠償を求められる可能性もある」
と注意する。
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


私はこの記事から、『ツイッター』の世界を多々学び、
『フォロワー』という言葉も初めて教示され、スマートフォンも使えないひとりであり、
この社会の流れに困ったなぁ、とため息を重ねたりした。


日中のひととき、いつものように、近くに流れる野川の川沿いの遊歩道を散策した。
陽だまりの良い処で、白梅の純白の花が七分咲きとなり、
私は立ち止まり、見惚(みと)れたりしている。

こうした時、脳裏から『ツイッター』こそは、
まぎれなく日本人の古来から愛された『短歌』、『俳句』、『川柳』などに最適だ、
と思ったりしたのである・・。

短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。

俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。

そして川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。


このように私は思いながら、『ツイッター』を利用される方たちは、
短歌や俳句の一句を詠まれたり、或いは川柳の一句でも吐くことをされれば、
この上なく日本文化は隆盛し、何よりも当人は更に心が豊かになる、と確信を深めたりした。

尚、私は無念ながら短歌や俳句を詠む素養はなく、
『ブログ』の世界で散文のようなつたない綴りを殆ど毎日投稿をしている。


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『年金受給者 最多5988万人、支える側は4年連続減』、私は支える人は耐え切れず、やがて・・。

2011-01-25 10:08:56 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
いつものように読売新聞を読んで、ひとつのニュースに、長らくため息をした・・。

2面にある【総合】面のひとつの記事として、

《 年金受給者 最多5988万人
           支える側は4年連続減 》

見出しされ、《公的年金の加入者数と受給者数》の表が、
2005年より2009年までの実態数が掲げられていたのである・・。

この記事と同一記事が、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で掲載されて折、
無断であるが、転載させて頂く。

《・・
        公的年金受給者数が最多…加入者は4年連続減少

厚生労働省が24日に発表した「2009年度厚生年金保険・国民年金事業の概況」によると、
公的年金の受給者数は09年度末でのべ5988万人となり、過去最多を記録した。

逆に、年金制度を支える側の加入者数は6874万人と4年連続の減少となった。

受給者数は、09年度は前年度比245万人(4・3%)の増加だったが、
加入者数は同62万人(0・9%)減少した。

公的年金の総額は、09年度末現在で50兆3000億円で、前年度比で1兆4000億円(2・8%)増加した。

厚労省は「少子高齢化の進行で、受給者が増え、加入者が減る傾向は今後も続く」と分析しており、
安定的な年金制度の基盤が揺らいでいることが改めて浮き彫りになった。

(2011年1月24日20時00分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110124-OYT1T00905.htm
☆【YOMIURI ONLINE】 公的年金受給者数が最多…加入者は4年連続減少 ☆


私は長らくため息をした心情は、つたない無力な高齢者2年生の身ながら、
ささやかながら真摯な思いがある。

このことは、昨年の2010(平成22)年9月20日に於いて、
【 『敬老の日』、高齢者には、敬愛と老害の複雑な・・。 】
と題して、このサイトに投稿しているが、今回あえて再掲載をする。


【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の65歳の身であるが、
昨夜、ぼんやりとネットでニュースを見ようと、
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、

《 65歳以上、2944万人で過去最高=男性も2割超が高齢者に  》

と見出しされた記事を見て、私は高齢者の身ながら、益々日本は超高齢化の社会になっている、
とため息しながらクリックした・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
   65歳以上、2944万人で過去最高=男性も2割超が高齢者に-総務省推計

「敬老の日」(20日)を前に総務省が、
19日発表した高齢者推計人口(9月15日現在)によると、
65歳以上の人口は前年より46万人多い2944万人、
総人口に占める割合は0.4ポイント増の23.1%と、いずれも過去最高を更新した。

このうち、男性は1258万人で、男性人口に占める割合は0.4ポイント増の20.3%と初めて2割を超え、
5人に1人が高齢者となった。

女性は1685万人で、女性人口に占める割合は0.4ポイント増の25.8%と、
前年に続き25%を超えている。

年齢層別では、70歳以上が2121万人(総人口の16.7%)、
75歳以上が1422万人(同11.2%)、
80歳以上が826万人(同6.5%)だった。

長寿になるほど女性の割合が上昇し、
80歳以上では男性の282万人に対して女性は545万人とほぼ2倍になっている。

(2010/09/19-17:22)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


もとより専門家の定義によれば、
高齢化率を主軸をすることが多く、65歳以上の人口が総人口に占める割合とされ、
『高齢化社会』は、高齢化率7% ~14%、
『高齢社会』は、高齢化率14%~21%、
『超高齢社会』は、高齢化率21%以上、とされているが、
日本は1970年(昭和45年)に高齢化社会に、
1994年(平成6年)に高齢社会になり、
2007年(平成19年)には超高齢社会となっている現実がある。

そして今回の総務省推計によれば、
男性は1258万人で、男性人口に占める割合は20.3%と初めて2割を超え、
5人に1人が高齢者。

女性は1685万人で、女性人口に占める割合は25.8%で、
4人に1人が高齢者。

このような実態に、私は今年の誕生日を迎えると、66歳の高齢者となり、
家内も61歳となり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家はたった2人だけの家庭である。


今朝、カレンダを見ると、『敬老の日』と朱字されており、
《・・
敬老の日は、長い間社会の為に尽くしてきた高齢者を敬い、長寿を祝う日です。
また、それとともに高齢者の福祉について関心を深め、
高齢者の生活向上に努めるよう若い世代に促すという気持ちが込められています。
・・》
と定義されている。

しかしながら、
《高齢者の生活向上に努めるよう若い世代に促すという気持ちが込められています》
と読めば、
高齢者の方たちは、働いて下さる若い世代の人たちから、敬愛とまなざしか、
或いは老害と感じるか、複雑な思いでいる。

もとより私より10歳以上齢上の人たちは、
敗戦後の荒廃した日本を、少なくとも世界の中でも有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
日本に住む私達がこうして世界の人々の中、稀(まれ)な生活を享受しているので、
私は尊敬の念を抱(いだ)いている。

そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代と称される世代が60歳以上となり、
上記のように、まぎれなく超高齢社会となっている。


昨今、政治の昏迷、経済の低迷、社会の劣化の今日、
社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、現状のままあると、
少なくとも毎年一兆円の国の負担が増している、と伝えられている。

もとより高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取って折、
働いて下さる現役世代がその時の高齢者を支えているのである。

この上、上記のように高齢者の有権者層が急増している今日、
政治家の諸兄諸姉の多くは、高齢者を重視した政策を掲げることが多くなり、
現役世代の若い30、40代の人たちがのささやかな念願よりも、
私のように定年退職し年金受給者の高齢者を優遇せざるを得ない、
危険な政治状況と憂いているひとりである。

このような現状の制度のままで放置すれば、
現役世代の若い30、40代の人たちは、何かと過重負担となり、
耐え切れず反乱されても致しがたいであろう、と思ったりしている。

そして、若い働いて下さる方たちは、高齢者の人たちを負担させるばかり人たちと思い、
邪魔な存在と感じながら、粗末にする風潮のなる世界が想像できる。


このような思いになると、たとえば福祉などは、
高齢者の方たちは、国が何をしてくれるのは甘えであり、
少なくとも、私は自分が払ってきた厚生年金などを支給を受ければ、
これ以上は、国、都道府県、区市町村に過剰に頼るな、と思っている。

ささいなことであるが、『敬老の日』で長寿者の祝いを私の住む調布市でも行われているが、
この経費は、これからの日本を背負う人たちの再雇用の経費などに廻すべき、
と確信している。

日頃このようなことを私は思ったりしていると、世代の格差を解消するひとつとして、
あえて、消費税5%を撤廃し、社会保障税を少なくとも10数%(専門家の諮問委員会で試案させる)を設定し、
社会保障制度の年金、医療、介護の専用の財源とし、国からの負担の助成とする。
そしてそれぞれの世代の人々が、社会保障税として程々に負担するのが望まく、
社会保障制度を万全とした上で、誰でも安心できる社会を期待している。


そして高齢者は身体は弱っているが、心は健(すこ)やかなであり、何より知恵がある。

若い世代の人は、こうした人生の知恵を学べは良い、と思ったりしている。

私は若い人に期待するのは、言葉づかいと動作の粗雑であることにつきる。
そして、死語となったシルバー・シートの復権を期待するぐらいあり、
心に余裕ある方は、ご年配者に学び取り、わずかに尊敬の念を感じてくれれば、
これ以上は期待もしていない。

私は買物などで狭い歩道を歩いたり、街中で私よりご高齢者とすれ違う時、
たとえ両手に重い荷物を持とうが、道を開ける。
公園などでポッンとベンチに座っている方を見かけると、
最低限として挨拶程度の言葉をかけるのである。

私がご高齢者で困惑するのは、
公共の場で恥知らずな言動をするグループを見かけると、確かに老害と思っている。
特にご婦人の方に多く、女性にいつまでも憧憬(どうけい)している私としては、
はなはだ残念と思ったりしているのである。

そして、私はあなた方の持っていた羞恥心という美徳はどうされたのですか、
人前でご迷惑を感じていないのですか、
そして、お孫さんに恥ずかしくないのですか、と私は憂(うれ)い時もある。


とりとめなく綴ってきたが、私たち高齢者は潔き言動こそが敬愛となり、
粗雑な言動はまぎれなく老害となるので、遅ればせながら私は自戒している。
・・】

このように平素の私は思ったりしているので、
今回のニュースに、改めてため息をしていたのである。


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『ツイッター』は私は発信できないが、『ブログ』の投稿文は日々投稿して・・。

2011-01-24 23:29:04 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
夕方のひととき、ぼんやりとニュースを見ようと、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、

《 有名店員「○△が彼女と」ツイート…謝罪頻発 》

と題されたニュースを読んだ後、憂いたのである・・。

無断であるが、転載させて頂く。

《・・
       有名店員「○△が彼女と」ツイート…謝罪頻発

「この前、うちの店に有名人が彼女と一緒に来たんだよ」。

友人や家族との間なら許される会話でも、ネット上でつぶやくと――。

簡易ブログ「ツイッター」で、有名ホテルやレストランの従業員が、
客として訪れた著名人の行動を暴露し、店側が謝罪する騒ぎが相次いでいる。

一方で、つぶやいた従業員の顔写真や名前などもネット上に流出するケースも。
個人が気軽にその場で情報発信できるネット時代、情報管理の在り方が問われそうだ。


今月11日夜。
サッカー元日本代表と人気モデルがホテルのレストランで会食している――と、ツイッターに書き込まれた。
つぶやきはあっという間に広がった。
数時間後にはインターネット掲示板にスレッドが立ち、場所が東京・目黒区のウェスティンホテルであることや、
書き込んだのはホテルのバイトの女子大生だったことなども割り出された。
翌日、ホテルはウェブサイトに総支配人名の謝罪文を掲載した。


一方、中央区のレストランでも昨年12月、
男性従業員がツイッターで経済評論家の勝間和代さんの来店をつぶやき、
「大嫌いな有名人」などと中傷。
レストランはサイトで謝罪し、運営会社は系列店も含め従業員約500人に、客に関する書き込みを禁じたという。

トラブルが起きた2店はいずれも、ミシュランガイドで星を獲得したこともある有名店。
ガイドブックにはスタッフの質の高さをたたえる記述も出ていた。

(2011年1月24日14時51分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110124-OYT1T00608.htm?from=main1
☆【YOMIURI ONLINE】 有名店員「○△が彼女と」ツイート…謝罪頻発 ☆


私は殆ど毎日、ブログの投稿文を数通発信することが多い年金生活をしているが、
確か2007(平成19)年の頃から、急激に普及した『ツイッター』に関しては、私は発信できないでいる。

短い綴りで、つぶやくような文章と私は解釈しているので、
短い言葉で私の今の心情を発露するようなことは、無念ながら私には筆力がないので、
利用したことがないのである。

しかしながら、ある程度の長い文章の綴りであるならば、
つたない私なりに『ブログ』の投稿文として、
日常の思い、或いは思索したいることなどを心の発露として綴ったりし、
ここ6年ばかり投稿している。


私は2004(平成16)の秋にある民間会社を定年退職したのであるが、
まもないブログの世界を知り、
あるサイトに加入して、翌年の2005(平成17)年2月7日に於いて、
『ブログと自己存在感・・。』と題して、投稿していた。

【・・
ブログが昨今に急速で、加速されたかのように広がっている。
何故、これほど話題になり、注目され、利用されているか、
私が利用した理由を書き込めば、ひとつのヒントになると思ったりしている。


昨年の秋の定年退職の前後、私はホーム・ページを立ち上げようとしていた。

理由として、この星の下で生まれ、育ち、何を考えて、やがて死んでいくことに、
生きたいたことのひとつの証(あかし)を残していきたい、と思ったりしたのである。

ホーム・ページの場合は、原則として実名公表なので、
政治・外交・軍事・社会・宗教・文化等の公表に、
著名人でない上、これといった専門知識がない素人の私には、一種のためらいがあった。

私の好きな山川草木のよしなごとは書けても、
身過ぎ世過ぎの年金生活の日常を過しているので、政治・外交・軍事・社会・宗教・文化等の世界は、
文章にほころびが生じる、と思ったのである。

世の中の専門知識を有する学者の随筆は、
論文等、或いは大学教授としての前提で、一面の遊び、としても綴ることが出来るので、
私のような素人としては、こうしたためらい、たじろいがあり、
開設したところで、来訪者が少なく、
そのうちに自身が書き続けられるか、と自問したのである。

こうした時、たまたまブログ、ブログに準じた簡素なホーム・ページのブログを知ったのである。


ブログの場合は、匿名が圧倒的に多く、ある程度の心の節度があれば、
公表できる利便性の要素が十二分ある。

新聞、雑誌の投稿には、それぞれの発行元の編集部などの見解のもとで、
掲載が決められている現状であるが、
このブログの場合は、ある程度の節度があれば、何の制約も無く、
その方の自身の政治・外交・政治・軍事・社会・宗教・文化等の分野の思いでも、
自在に公表できるのである。

そして一旦発信されたならば、当人がただちに削除しない限り、
この星の下で存在し、ある一面、怖いところも付随するが、
読まれるか、無視されるかは別問題として、確実に残るのである。


そして誰にしても、ある程度の知識があれば、日常生活を綴っても、
自己の存在感を提示できる世界がブログ、と思ったのである。
・・】

この当時は、このような心情であり、今も基本的には変らないでいる。

そして私が常に根底にしていることは、匿名を悪用して、
いいかげんな気持ちで、一時的な感情で投稿するのはやめよう、と心に誓った。

しかし、政治家、官公庁などの一部の諸兄諸姉に、余りにも心の節度が酷すぎる、と感じた時、
ときには国民のひとりとして投稿文を重ねたりしてきた。

たとえば、鳩山前首相の総理としての時代、
園児のような発想の鳩山首相であり・・・、と私は明記したが、
私なりの理由を必ず明記した。

私は匿名にかこつけて、単に罵倒するのは、覆面レスラーのように卑劣さを感じたのである。

こうしたことを基本に、ある程度の節度があれば、何の制約も無く投稿できるのが、
ブログの世界、と私は思いながら、投稿してきている。


今回のニュースを読み終わった後、
私にとっては活用できない『ツイッター』の世界であるが、
『ブログ』の世界より、短い表現であればある程、その人なりの心の節度が問われている、
とぼんやりと思ったりしている。


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