若い頃に、柳田 邦男の「恐怖の2時間18分」を読んだことを覚えている。スリーマイル島で起きた原発事故を追った作品である。不運ないくつかの偶然とちょっとした人為ミスとがからんで、事故が拡大したことを教えられた。
七沢潔の「原発事故を問う -チェルノブイリからもんじゅへ-」(岩波新書)は、もんじゅのナトリウム漏洩事故でも、チェルノブイリ原発事故でも、同じようなことが事故の拡大につながっていることを明らかにしている。『事故とはそもそも「想定」しないところから起こるものではあるが、「チェルノブイリ」も、もんじゅの事故も「想定外」が連続するなかで、次々に対応が遅れて被害を拡大してしまった』というわけである。「もんじゅ」の事故の意味を考える上で極めて重要な視点であると同時に、福島の事故を「想定外」で終わらせてはならないことを示唆しているのだと思う。そうした意味で、著者七沢寄潔もまた高木仁三郎同様、福島第1原発の事故以前に「想定外」や「人為ミス」「情報隠し」「通報の遅れ」などを取り上げ、原発の稼働に対し、警鐘を鳴らしていた一人であった。
下記は、「原発事故を問う -チェルノブイリからもんじゅへ-」七沢寄潔(岩波新書)の序章からの抜粋である。
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序章 もんじゅとチェルノブイリ
神話崩壊の年
戦後50年という区切りの1995年、皮肉にも日本人は、堅固に築き上げてきたと思っていた自分たちの世界に対する確信が、脆くも崩れていく瞬間に何度も立ち会った。
阪神大震災では、強固だったはずの高速道路の橋脚が無惨にも倒れ、耐震設計が自慢だったビルやマンション、そして通信、運輸、医療などあらゆる都市機能が、一瞬のうちに壊滅した。前年のロサンゼルス地震のときに、専門家たちが口をそろえて、「日本の技術ではこんな破壊はありえない」と語っていたのを思い出す。
テロのない平和な国という、誰しも疑わなかったイメージも崩れた。通勤客を満載した地下鉄で、大量殺戮兵器の毒ガスがばらまかれるという世界でも例のない窮極のテロ事件が起こり、多数の市民が死傷した。事件を起こした宗教団体は武装計画も進めていたという。
そして、戦後日本経済の要とまで言われた大蔵官僚たちのあい次ぐスキャンダル。バブル崩壊後、いまだ出口の見えない長い不況と不良債権問題、失業……。
「安定」「安全」「ハイテク」「不滅の成長」といった戦後日本神話は、この1年で一気に崩壊し始めたといえる。日本人の多数はいま、これまで拠って立ってきたものの行方に不安を感じこそすれ、洋々たる未来を語る気分になれない。
そして、この一連のできごとを締めくくるかのように起こったのが、福井県敦賀市にある高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏洩事故であった。
12月8日夜に起こったこの事故では、配管から二次冷却系のナトリウムが推定700キロ(科学技術庁調査・1次報告書)漏れ出し、原子炉補助建屋の2割に当たる広い面積に拡散した。さいわい、放射能漏れも、直接的な死傷者もなかった。だが、「小さな漏洩事故」としてかたづけたかった動燃(動力炉・核燃料開発事業団)や科学技術庁の思惑に反して、日本の社会に重大な事故として受け止められた。なぜだろうか。
日本の原子力政策は、原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、ふたたび利用する「核燃料サイクル」の実現を将来のエネルギー供給の柱に位置づけている。資源小国日本が、独立して安定したエネルギーを確保するための悲願ともされるこの大国家プロジェクトの中核に位置するのが、プルトニウムを消費しながら発電し、同時に消費した以上のプルトニウムを生み出すように設計された高速増殖炉なのである。6000億円をかけてつくられたもんじゅは、2000年代初頭に建設開始予定の「実証炉」、2030年ごろをめざす「商業炉」の先駆けとなる「原型炉」である。つまり、もんじゅは「国の命運を握る計画」の鍵だったのである。
事故が「重大」である理由はそれだけではない。高速増殖炉の技術は、猛毒プルトニウムを燃料とすること、冷却剤として、水と反応すると爆発的に反応し、空気中で燃えやすい金属ナトリウムを使うことから危険が多く、アメリカ、フランス、ドイツなどで事故が多発開発から撤退する国が続出している。そのなかで日本は、「わが国の技術水準ならば問題ない」と、建設を進めて来た。フランスでナトリウム漏洩が問題になった時も、動燃は「日本の溶接技術は優秀だから大丈夫」と強弁していた。
つまりもんじゅ事故は、日本国家が「未来のために」と、膨大な予算を投入し、さまざまな懸念の声も振払いながら、技術立国・日本の威信をかけて進めてきたプロジェクトの挫折であり、それゆえに被害規模の大小にかかわらず、国の未来にとって重要な意味を持つのである。
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共通点(1)── 「想定外」の事故と対応の遅れ
チェルノブイリ原発事故以前、原子炉が暴走して炉や建物が完全に破壊されるような爆発事故はありえないといわれた。そのため、事故直後、原発の運転員や管理職は、しばらくは炉の破壊を把握できず、無意味な復旧活動などを命じて、職員に大量の被爆をさせている。また原発に配備されていた放射線測定器の測定能力が低かったため、針が振りきれてしまい、いったいどれだけの放射線被曝の危機にさらされているかさえ、定かにわからなかった。
もんじゅの場合、いわば宿命的なアキレス腱として、ナトリウムの漏洩対策は万全のはずだった。放射能をふくんだナトリウムが流れる一次系の配管周辺は、ナトリウムが漏れても酸素などと反応しないように、部屋を窒素で満たしている。また、水とナトリウムが管を隔てて接している蒸気発生器がある部分(ここでは便宜的に「三次系」と呼ぶ)では、漏れをいち早く検出できる装置を他所よりも数多く設置し、爆発的な反応を極力抑える特殊装置もついている。
今回、事故がおこったのはそのどちらでもなく二次系の配管部だった。放射能をふくむ一次系と、水との接触の高い三次系とを隔てるために設けられた、いわば存在そのものが安全装置の位置づけである。ここで漏洩事故が起こることを想定していなかったであろうことは、配管の真下に空調ダクトを設置していたことからも推察できる。おかげで漏洩後、空気中の酸素と反応してさらに高熱を発したナトリウムは、空調ダクトの漏れ落ちて穴をあけ、床や鉄製作業用足場に飛び散った。さらに空調を3時間も動かし続けたため、原子炉補助建屋の2割にもあたる4000平方メートルにナトリウム化合物が拡散してしまった。
また、漏洩が起こるとすれば溶接部分であると動燃は考え、その技術には工夫を凝らしていたが、今回の事故は配管にとりつけられた温度計の「さや管」の破損から始まった。その後の調査で、「さや管」の設計を動燃がメーカーにまかせきりだったことが浮かび上がっている。
想定外だったのは、漏洩が起こった場所だけではない。漏れたナトリウムを受けとめて反応させないまま地下タンクに流し込むために床に敷かれた鋼鉄板「床ライナー」に流れ落ちるナトリウム化合物の温度は、530度までと想定されていたが、実際には千度を超す部分もあった。その後の現場検証で、「床ライナー」の一部に溶融が認められた。
そしてなにより動燃自身がみとめたように、大規模な漏洩こそ想定していたものの、今回のような1トン程度の中規模の漏れは想定しておらず、したがってその対応策は異常時運転員手順書のなかで十分にはマニュアル化されていなかった。中央制御室は発生から1時間半たってからようやく原子炉を緊急停止している。この間に漏洩が拡大したことはいうまでもない。
事故とは、そもそも「想定」しないところから起こるものではあるが、「チェルノブイリ」もんじゅの事故も「想定外」が連続するなかで次々に対応が遅れて被害を拡大してしまった。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。
七沢潔の「原発事故を問う -チェルノブイリからもんじゅへ-」(岩波新書)は、もんじゅのナトリウム漏洩事故でも、チェルノブイリ原発事故でも、同じようなことが事故の拡大につながっていることを明らかにしている。『事故とはそもそも「想定」しないところから起こるものではあるが、「チェルノブイリ」も、もんじゅの事故も「想定外」が連続するなかで、次々に対応が遅れて被害を拡大してしまった』というわけである。「もんじゅ」の事故の意味を考える上で極めて重要な視点であると同時に、福島の事故を「想定外」で終わらせてはならないことを示唆しているのだと思う。そうした意味で、著者七沢寄潔もまた高木仁三郎同様、福島第1原発の事故以前に「想定外」や「人為ミス」「情報隠し」「通報の遅れ」などを取り上げ、原発の稼働に対し、警鐘を鳴らしていた一人であった。
下記は、「原発事故を問う -チェルノブイリからもんじゅへ-」七沢寄潔(岩波新書)の序章からの抜粋である。
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序章 もんじゅとチェルノブイリ
神話崩壊の年
戦後50年という区切りの1995年、皮肉にも日本人は、堅固に築き上げてきたと思っていた自分たちの世界に対する確信が、脆くも崩れていく瞬間に何度も立ち会った。
阪神大震災では、強固だったはずの高速道路の橋脚が無惨にも倒れ、耐震設計が自慢だったビルやマンション、そして通信、運輸、医療などあらゆる都市機能が、一瞬のうちに壊滅した。前年のロサンゼルス地震のときに、専門家たちが口をそろえて、「日本の技術ではこんな破壊はありえない」と語っていたのを思い出す。
テロのない平和な国という、誰しも疑わなかったイメージも崩れた。通勤客を満載した地下鉄で、大量殺戮兵器の毒ガスがばらまかれるという世界でも例のない窮極のテロ事件が起こり、多数の市民が死傷した。事件を起こした宗教団体は武装計画も進めていたという。
そして、戦後日本経済の要とまで言われた大蔵官僚たちのあい次ぐスキャンダル。バブル崩壊後、いまだ出口の見えない長い不況と不良債権問題、失業……。
「安定」「安全」「ハイテク」「不滅の成長」といった戦後日本神話は、この1年で一気に崩壊し始めたといえる。日本人の多数はいま、これまで拠って立ってきたものの行方に不安を感じこそすれ、洋々たる未来を語る気分になれない。
そして、この一連のできごとを締めくくるかのように起こったのが、福井県敦賀市にある高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏洩事故であった。
12月8日夜に起こったこの事故では、配管から二次冷却系のナトリウムが推定700キロ(科学技術庁調査・1次報告書)漏れ出し、原子炉補助建屋の2割に当たる広い面積に拡散した。さいわい、放射能漏れも、直接的な死傷者もなかった。だが、「小さな漏洩事故」としてかたづけたかった動燃(動力炉・核燃料開発事業団)や科学技術庁の思惑に反して、日本の社会に重大な事故として受け止められた。なぜだろうか。
日本の原子力政策は、原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、ふたたび利用する「核燃料サイクル」の実現を将来のエネルギー供給の柱に位置づけている。資源小国日本が、独立して安定したエネルギーを確保するための悲願ともされるこの大国家プロジェクトの中核に位置するのが、プルトニウムを消費しながら発電し、同時に消費した以上のプルトニウムを生み出すように設計された高速増殖炉なのである。6000億円をかけてつくられたもんじゅは、2000年代初頭に建設開始予定の「実証炉」、2030年ごろをめざす「商業炉」の先駆けとなる「原型炉」である。つまり、もんじゅは「国の命運を握る計画」の鍵だったのである。
事故が「重大」である理由はそれだけではない。高速増殖炉の技術は、猛毒プルトニウムを燃料とすること、冷却剤として、水と反応すると爆発的に反応し、空気中で燃えやすい金属ナトリウムを使うことから危険が多く、アメリカ、フランス、ドイツなどで事故が多発開発から撤退する国が続出している。そのなかで日本は、「わが国の技術水準ならば問題ない」と、建設を進めて来た。フランスでナトリウム漏洩が問題になった時も、動燃は「日本の溶接技術は優秀だから大丈夫」と強弁していた。
つまりもんじゅ事故は、日本国家が「未来のために」と、膨大な予算を投入し、さまざまな懸念の声も振払いながら、技術立国・日本の威信をかけて進めてきたプロジェクトの挫折であり、それゆえに被害規模の大小にかかわらず、国の未来にとって重要な意味を持つのである。
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共通点(1)── 「想定外」の事故と対応の遅れ
チェルノブイリ原発事故以前、原子炉が暴走して炉や建物が完全に破壊されるような爆発事故はありえないといわれた。そのため、事故直後、原発の運転員や管理職は、しばらくは炉の破壊を把握できず、無意味な復旧活動などを命じて、職員に大量の被爆をさせている。また原発に配備されていた放射線測定器の測定能力が低かったため、針が振りきれてしまい、いったいどれだけの放射線被曝の危機にさらされているかさえ、定かにわからなかった。
もんじゅの場合、いわば宿命的なアキレス腱として、ナトリウムの漏洩対策は万全のはずだった。放射能をふくんだナトリウムが流れる一次系の配管周辺は、ナトリウムが漏れても酸素などと反応しないように、部屋を窒素で満たしている。また、水とナトリウムが管を隔てて接している蒸気発生器がある部分(ここでは便宜的に「三次系」と呼ぶ)では、漏れをいち早く検出できる装置を他所よりも数多く設置し、爆発的な反応を極力抑える特殊装置もついている。
今回、事故がおこったのはそのどちらでもなく二次系の配管部だった。放射能をふくむ一次系と、水との接触の高い三次系とを隔てるために設けられた、いわば存在そのものが安全装置の位置づけである。ここで漏洩事故が起こることを想定していなかったであろうことは、配管の真下に空調ダクトを設置していたことからも推察できる。おかげで漏洩後、空気中の酸素と反応してさらに高熱を発したナトリウムは、空調ダクトの漏れ落ちて穴をあけ、床や鉄製作業用足場に飛び散った。さらに空調を3時間も動かし続けたため、原子炉補助建屋の2割にもあたる4000平方メートルにナトリウム化合物が拡散してしまった。
また、漏洩が起こるとすれば溶接部分であると動燃は考え、その技術には工夫を凝らしていたが、今回の事故は配管にとりつけられた温度計の「さや管」の破損から始まった。その後の調査で、「さや管」の設計を動燃がメーカーにまかせきりだったことが浮かび上がっている。
想定外だったのは、漏洩が起こった場所だけではない。漏れたナトリウムを受けとめて反応させないまま地下タンクに流し込むために床に敷かれた鋼鉄板「床ライナー」に流れ落ちるナトリウム化合物の温度は、530度までと想定されていたが、実際には千度を超す部分もあった。その後の現場検証で、「床ライナー」の一部に溶融が認められた。
そしてなにより動燃自身がみとめたように、大規模な漏洩こそ想定していたものの、今回のような1トン程度の中規模の漏れは想定しておらず、したがってその対応策は異常時運転員手順書のなかで十分にはマニュアル化されていなかった。中央制御室は発生から1時間半たってからようやく原子炉を緊急停止している。この間に漏洩が拡大したことはいうまでもない。
事故とは、そもそも「想定」しないところから起こるものではあるが、「チェルノブイリ」もんじゅの事故も「想定外」が連続するなかで次々に対応が遅れて被害を拡大してしまった。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。
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