百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

3月11日 11年後

2022-03-12 10:43:51 | Weblog






今年も「3月11日」を迎えた。

地震は天災だが、原発は「人災」
コロナ禍は天災だが、戦争は「人災」と言える。
「生きる」ことは「死ぬ」こと、
でも「人災」や「突然の死」は
なんとも悲しい、やるせない、生きていくことになんとも言えない虚しさを覚える

決して「闘い」たくないはずなのに
結果、「闘」ってしまう
「原発」には懲りたはずなのに
結果、まだ頼ってしまう

なんとも「知恵」のない
なんとも「学習効果」のない
なんとも「残念」な人間の性を悔やむ

「11年後」も何も変わらない
なんとも「知恵」がない
なんとも「学び」がない
なんとも「ひとりよがりな」
   困りもの、コマリモノ、こまりもの

現代美術

2022-03-12 10:43:40 | Weblog
「現代美術」というと、なかなか縁がない
、難解だ、訳がわからない、という声を聞くが、あまり難しく考えないで、そこに意味を見つけようとしなくなると見えてくるものがある。
この作品も観念的ではあるが、ひとつのストーリー一日で完結している。この作品の制作はその日の0時からキャンバスの下塗りを始め、起床後に黒色などで地を塗り、白で「年月日』」書き入れ、その日のうちに完成させたという。完成後の保管は、その日の新聞を入れた箱におさめられており、箱の表紙には日付の記載されたシールが貼られている。極め付けは、その日の24時までに描き終わらなければ廃棄していた。
時を刻む、なんの意志を含むことなく。
時は流れる、しかし留めておきたい。
一秒一秒は、一刻一刻は誰にでも共通ではあるが、誰のものでもない、そんなことを記してくれている。なんともありがたい。

3月8日

2022-03-12 10:42:37 | Weblog




「3月8日」はINTERNATIONAL WOMEN'S DAY(国際女性デー)。
自由の女神の右足は鎖をちぎるために一歩引き、左足は鎖を引きちぎり一歩を踏み出した状態だという。これは、全ての弾圧や抑制から解放され、人類は平等であることを象徴している といわれている。ウインドーディスプレーには、引きちぎられた鎖の残骸だけが残り、自由の女神と共に女性たちが自由を求め、理想の未来へと歩き出しているイメージを表現してあるものとこのディスプレイは、写真のように山崎まどか氏による書き下ろしのストーリーが記されている。現代の女性たちへ力強い呼びかけが強調されている。

インドレストラン

2022-03-12 10:42:22 | Weblog
インドレストランの店名が「サフラン」
われわれ日本人は、インド料理には結構「サフラン」が用いられているように思いがちだが決してそうではないようだ
ちなみに友人のインド人は、自宅でもレストランでも、ホテルのレストランでも、 友人や親戚の家などなど、どこに行っても 通常の食事として供される「サフランライス」にお目にかかったことはないといい、通常の日常生活ではお目にかからず、何か「ハレノ日」(日本でいうお赤飯のような感じ)に出てくる代物になっているという
また、インドのどこででも「サフラン」が
栽培され収穫されているようではなく、カシミール地方では主に栽培されているようだが、かなり高級な食材になっているという
ちなみに「黄色いライス」は基本は「ターメリック」のようだ。

春の5K

2022-03-12 10:42:05 | Weblog
「春の5K」と言われても・・・
春一番のような「強風」が吹き
車がやたら「黄砂」で汚れ始める頃
春を感じると同時に鼻がやたらムズムズして
「花粉」症かな〜と思ったりする
日々の天候の変化で「寒暖の差」が大きくなり体調管理が難しい時期だと言われるこの季節だけど、
温かい陽射しを浴びてすくすく育ち始める植物達をみているとやはり心がワクワクする
気温の上昇と共に「乾燥」し始め、紫外線も強くなるので、外仕事は大変だけど・・・。

啓蟄

2022-03-12 10:41:48 | Weblog
「啓蟄」
春のはじまり
「はじまり」があれば「おわり」はあるが、
「はじまり」と同じ状態で「おわり」を迎えるわけではないことが往々にしてある
現象でその違いが明らかであれば良いが、表面的に明確でないと認識を誤ることがある
内面に潜む
そのものの本質をしっかり見定める力を持つ必要がある

和敬清寂

2022-03-12 08:14:28 | Weblog
「和敬清寂」
和敬清寂とは、茶道の心得を示す標語。
意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意。
鎌倉末期に大応国師が宋から帰朝した時持ってきたという、劉元甫の「茶堂清規」に由来する語。 千利休が茶道の根本精神とした。

喫茶去

2022-03-12 08:14:12 | Weblog
「喫茶去」
この言葉は「まあお茶でもお飲みなさい」という意味なのだそうですが、本来は「お茶でも飲んで去れ」と相手を叱咤するものだったようだ。 そもそも中国・唐時代の趙州従諗禅師のエピソードが元になった禅語だったという。

ヤドリギ

2022-03-12 08:13:15 | Weblog
「ヤドリギ」にはいろいろな神話があるという
「木に寄生する木」なのだが、常緑であることから「生命力・不死・再生」の意味があったり、北欧では「神の武器」と言われていたり、昔は大木であったのだが、「キリストの十字架」の材料になったことを恥じ小さく寄生するようになったとか、「愛の木」という側面もあります。クリスマスの季節に、ヤドリギの下にいる若い女性はキスを拒むことができない、という伝説があるのです。

残心

2022-03-12 08:13:02 | Weblog
「残心」とは日本の武道および芸道において用いられる言葉。
「残身」や「残芯」と書くこともあるという。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。
意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態をいう。
また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもあるようだ。
また、「心を残す」ことと「心を残さぬ」ことの両面を表している言葉でもあるようで、「心を残さず打て」ということは「打った後に心に残る」ものであるというなんとも深い教えになるようだ。