日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
安倍の六十股・仮病か?天罰か?
またもや仮病か?天罰なのか?
安倍の六十股
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安倍は『股関節周囲炎』という慶応病院のかかりつけから診断書を貰い、嫌で嫌で仕方なかった広島の被災地視察を行かないで済むように工作した。先に視察した岡山県では石井国土交通相が住民からこっぴどく文句を言われたことを聞いていた安倍は、広島ではもっとひどく被災住民から怒りをぶつけられそうなので、念ゴロの医師に都合のいい診断書を書いてもらったのだろう。
別に治療の必要もないが、できるだけ動かないようにした方が良いのだという。
五十肩というのがあるが、これは『肩関節周囲炎』と言うのだそうだ。
安倍晋三は六十股ということになるらしい。医師には右側の股関節と発表されたが、病院から出てきた安倍晋三は
頻りに左足を左手でさすっていた。右と左がどっちかも分からなくなったのか、あるいはまったく痛みがないので、どちらをさすっても構わないと思ったのか、はたまた右と左の漢字を間違えてしまったのか、理由は定かではないが、とにかく被災地で住民から怒りをぶつけられずに済んでほっとしていることは間違いない。
只、このような緊急時でも動けないことそれ自体が首相の資格がない。
潔(いさぎよ)く辞職すべきだ。
これ以上の悪あがきには、本当の天罰が降るだろう。
先憂後楽
先憂後楽
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先憂後楽(せんゆうこうらく)という古いことわざがある。
『政治家は人々より先に憂えて楽しむのは人々の後だ』という心構えのことである。
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人々が泥に埋まっている最中、まさに大災害のど真ん中でドンチャン騒ぎの大宴会。
災害時に不謹慎ということのみならず、政治家はこういうシーンを一般人に見せてはならないのである。
宴会の写真をSNSに挙げる。『自民党いいね』とコメントする。このことから今の自民党員にはこの心構え、先憂後楽が全く無いことがわかる。
若し共産党が宴会をしてこのような写真をアップし、
『共産党いいね』とコメントしたら共産党は潰れる。
「お前ら何をしに政治家になっているんだ!」と言われるに決まっている。もちろんだが、そもそもそんなことをする共産党員はいない。共産党員は、国民生活をいかに改善するかを真剣に考えて政治家になっているからだ。
立憲民主党、自由党、社民党も同じだ。
***
安倍ヨイショの自民党員だけが徹底的に腐敗している。
なぜそうなったか?
安倍晋三という男が狂っているからである。
そもそも行政の長は自分の行政が正しく行われているかどうか、国会議員からの査問を受けるために国会に出ているのである。
だから答弁席から質問者にヤジを飛ばすなどあり得ない。
とっくに狂っているわけだ!!
ちあきなおみ考②
ちあきなおみ考
②
とにかく歌が上手かった。作曲家の船村 徹は、その歌唱力に見合う彼女の為に1975年ちあきなおみ28歳(結婚3年前)の時、石本美由紀の作詞した『さだめ川』に曲を付けた。ちあきの細やかで丁寧に歌う歌唱力により、当然ながらヒットしたが、これは「ちあきなおみシングル盤」の21枚目だった。
さだめ川
作詞・石本美由起
作曲・船村 徹
明日のゆくえ さがしても
この目に見えぬ さだめ川
あなたの愛の 流れるままに
ゆるした夜は 雨でした
二人の恋を 憎むよな
うわさが辛い さだめ川
故郷の町を 逃れる夜は
いずこの山か また海か
すべてを水に 流しては
生きては行けない さだめ川
あなたの愛に 次の世までも
ついて行きたい 私です
この3番の歌詞がちあきなおみの結婚と愛する夫との1992年9月の死別に遭ってもなお、夫についていきたい心境から棺に取りすがって、一緒に燃やしてほしい旨の行動につながって行ったのだろうと思われる。
宍戸鍈治と瀬川三恵子という大吉名同士の出会いであるはずが、鍈治は瀬川に入籍し、凶名に変化、瀬川三恵子は
「ちあきなおみ」となって、これも凶名に変化した。
ちあきなおみ45歳、瀬川鍈治55歳という二人の死別だった。鍈治臨終の直前、ちあきに『これからは無理して歌わなくてもいいから』といったそうだが、ちあきはそれを今も守っているのだろう。
夫の死を境にちあきなおみはマンションを夫の墓の近くに移し、毎月の月命日には和装の喪服を着て墓前に1時間ぐらい居るのだという。
多くのファンは一日も早く「ちあきなおみの歌」を聴きたくて心待ちにしているのであるが、彼女には毎年約1500万円の印税その他の収入が有り、生活に困るわけでもなく、夫に言われた『無理して歌わなくてもいい』という言葉を遺言として頑なに護っているのだろうか。
ちあきなおみとして表に出てこない今、瀬川三恵子に戻っての生活になってしまったのだろうか。
彼女の才能に付けても、このままではいかにも惜しい。
ヒット曲メーカー船村 徹氏も逝ってしまった今、なおさら寂しい限りだ。終り
ちあきなおみ考
ちあきなおみ考
引退声明のないまま、25年間、ちあきなおみは表立った芸能活動から身を引き、早くも25年が過ぎた。多くのファンが、芸能活動の復帰を願って止まないのだが、本人は相変わらず沈黙を守ったままである。
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1947年9月17日、東京・板橋で生を受けた彼女の本名は瀬川三恵子(せがわ・みえこ)という。いわゆる運の強さ100点の、完全大吉名であった。
父親はかなりの芸能好き で彼女が5歳の時に『白鳥みえ』の名で舞台に立たせている。
その後『五城ミエ』―『南條美恵子』―『千秋直美』と4度も改名し、5度目の『ちあきなおみ』としてやっと世に名を広めたという。ちなみに、これ等の芸名はいずれも凶名である。
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俳優・宍戸 錠の紹介で弟の日活で悪役をこなしていた
宍戸鍈治(ししど・えいじ=運気100点完全大吉名)と知り合い、交際の後、1978年、ちあきなおみ31歳の時に結婚。このとき、宍戸鍈治は、ちあきなおみの生家瀬川家に婿養子として入り瀬川鍈治となった。
この瀬川鍈治は、人格20画・総格49画の大凶名運となり37歳以降の人生後半で命脈の尽きる大凶悪の暗示が有る姓名へと変化した。
***
宍戸鍈治 瀬川鍈治
74179 203179
天格・宍戸 11 瀬川 23
人格・戸鍈 21大吉 川鍈 20大凶
地格・鍈治 26大吉 鍈治 26大吉
外格・宍治 16大吉 瀬治 29 吉
総格・宍戸鍈治37大吉 瀬川鍈治49大凶
運気・100点 運気・20点
(さんずい「氵」は水を意味して4画)
ちあきなおみ
334543
天格・ちあき 10
人格・きな 9大凶・崩壊運
地格・なおみ 12大凶・妄想運
外格・ちあおみ 13大吉・才気煥発運
総格・ちあきなおみ22大凶・非力運
●ちあきなおみは、家庭運・家族縁の薄い孤独の運気を物語る。
二人の結婚生活は14年で幕を閉じ、1992年9月
瀬川鍈治は、肺がんのため、ちあきなおみを置いて帰らぬ人となった。
火葬場でちあきが棺に取りつき、一緒に燃やしてくれと大声で泣き叫けび続けた光景に参列者の多くが同情の涙を流したという。 続く
蛮勇の苦言・最終回
蛮勇の苦言
④
河野外相「トランプ軍事力行使」に言及
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タイミングを見計らったかのように、小野寺防衛相は陸上配備型ミサイル迎撃システム『イージス・アショア』の必要性を強調。配備予定地の山口県宇部市で『北朝鮮は日本に届く弾道ミサイルをまだ一つも壊していないし、核弾頭も一つも引き渡していない。
何も前に進んでいない』『防衛装備をそろえるには時間がかかるが、“北朝鮮がやっぱり対話をやめた”と言うのは一瞬だ』と講演。河野外相も米朝協議が行き詰まり、米国が軍事力行使に踏み切る可能性に言及。外交努力で解決を図る現状の『プランA』 から
『相当な破壊力を伴うプランZ 』まであると仮定した場合、『トランプ氏なら最後にプランZを選択する可能性はゼロではない』と言ってのけた。まるで米朝破談を心待ちにしているかのようである。
『悲願である憲法9条改正で、名実ともに米国と一緒に戦争が出来る国を目指す安倍首相が、北朝鮮をトコトン利用してきましたが、親密メディアの無分別も目を覆うばかりです。
安倍首相に傷を負わせるような情報には目をつむり、政権浮揚につながる都合のいい情報は盛んに発信する。あからさまな世論の誘導です』(金子・勝立正大教授)
なるほど、これでは6年連続増加している防衛予算の削減なんて夢のまた夢だ。安倍3選に向け、北朝鮮との緊張を維持したい、大本営マスコミの正体に、 まともな識者は戦慄している。終り
蛮勇の苦言③
蛮勇の苦言
③
北朝鮮がポスト安倍を示唆か
*
サッカーW杯のお祭り騒ぎの最中に実施されたマスコミ各社の世論調査では、何の得点も挙げていないのに、内閣支持率が軒並み上昇。日経新聞とテレビ東京の調査では前月比10ポイント増の52%まで上がり、日経は〈安倍首相の外交手腕に期待が高まったとみられる〉と解説。
目鼻もついていない日朝首脳会談実現への期待で支持率上昇などというトンチンカンな報道にも驚かされたが、拉致問題のエキスパートの元外交官・田中均氏の正論を見事に無視した安倍様メディアの異様な忖度には言葉を失う。
拉致問題に詳しい国際ジャーナリストの太刀川正樹氏はこう言う。「安倍首相が田中氏に対して異常なほど敵意をむき出しにするのは、北朝鮮事情に田中氏がはるかに通じているからです。田中氏は日朝交渉の全容を把握し、拉致被害者に関する機微な情報にも接しているでしょう。
北朝鮮から直接的、間接的にアプローチされている可能性も有る。安倍首相が居座る限り、北朝鮮は交渉には応じない。このところの北朝鮮の一連の発言にはこうした示唆を受けた印象を抱きます」
だとしたら安倍がなりふり構わず突き進む自民党総裁3選は赤信号だ。安倍と親密メディアが田中氏の発言をガン無視するわけである。
そうして今、溢れ返っているのが北朝鮮の非核化を巡る不信報道だ。
核ミサイル実験は停止したものの核兵器用の濃縮ウランを増産、専門家による衛星写真の分析で、ミサイル製造工場の拡張を確認、米国防情報局(D I A)が金正恩朝鮮労働党委員長には現時点で『完全な非核化』に取り組む意思はない、と分析…・米メディアの記事などを引用し、北朝鮮の非核化の意思を疑問視するニュースが相次いでいる。続く
蛮勇の苦言②
蛮勇の苦言
②
米中に馬鹿にされる安倍外交
元外交官・田中 均
*
田中氏は安倍が最重要課題に掲げる拉致問題の解決に向けて『平城に連絡事務所の設置』
『日朝合同調査による拉致被害者の実情把握』などを提、案。
『日朝首脳会談をして突然信頼関係が出来るなんてことはない。コミュニケーションのチャンスを作り、もう少し地道に外交をやってもらいたい』と求め、米国はCIA、韓国は国家情報院が交渉窓口となり、北朝鮮情報当局の統一戦線部と折衝している可能性を指摘。
『日本も権力中枢にルートを作る必要性がある。それは核や拉致問題で発言権を持たない外務省ではないし、外務省が管轄する北京の大使館でもないし、朝鮮総連でもない』
『戦略を持って見識を示さないと米中に馬鹿にされる』とクギを刺した。
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これまで安倍がやってきたことは何か平昌五輪のレセプションで北朝鮮の金永南最高人民会議常任委員長に近寄り
唐突に拉致問題解決を要求。
文在寅韓国大統領に南北首脳会談での働きかけを頼み込み、
「北京ルート」と呼ばれる在中国大使館を通じた接触を迫り、トランプ大統領には米朝首脳会談での口利きを懇願、今頃になって外務省で朝鮮半島全体を担当していたアジア大洋州局北東アジア課を分離し、北朝鮮専門の北東アジア2課を新設した。
「8月、9月にも米朝首脳会談が実現」という観測を流し、北朝鮮の反応をひたすら待っているだけである。続く
蛮勇の苦言
蛮勇の苦言
元外交官・田中 均
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北朝鮮を最も知る男が3日に日本記者クラブで講演した。
『記者会見をするのはこれが最後かなと思うので思いの丈を述べさせていただきたい』発言の主は元外交審議官の田中均氏。北朝鮮の「ミスターX」と秘密交渉を重ね、2002年の小泉訪朝や拉致被害者帰国の道筋を作った人物である。
“拉致の安倍”“外交の安倍”という金看板を掲げながら、北朝鮮の蚊帳の外に置かれた安倍首相のやり方を痛烈に批判した。
「安倍首相という人は北朝鮮に対する強い姿勢を前面に掲げて首相への階段を上がって行った。北朝鮮が脅威であるということを前面にかざして選挙に勝った。国内政治としてはわかる。でも国内で威勢のいいことを言うのが外交ではない。外交とは国益に適(かな)う結果を創る事だ。今の日本は外交をやっていない」。
安倍は小泉訪朝に官房副長官として同行したことを追い風に首相の座を射止め、北朝鮮を『国難』と呼んで森友・加計疑獄隠しの解散総選挙を断行。局面に立つと必ずと言っていいほど、北朝鮮を利用してきた。
講演の現場にはテレビや新聞各社が軒並み顔を揃えていた。にもかかわらず、田中氏の発言を報道したのは朝日新聞と時事通信だけでそれもベタ記事扱い。北朝鮮を最も知る男が口にした蛮勇の苦言を大マスコミは黙殺したのである。
日刊ゲンダイ7・6
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政治ジャーナリストの泉宏氏はこう言う。
「05年に退官するまで対北窓口の役割を担った田中氏は日朝交渉のすべてを知っている人物です。外交戦略は非常に筋が通っていた。史上初の米朝首脳会談を受けて日朝首脳会談の実現が浮上する中、拉致問題に関する世論の関心は高い。
それなのに、メディアはなぜキーマンの進言を報じないのか。田中氏に外交を批判された首相がブチ切れ、『彼に外交を語る資格がない』とフェイスブックで噛みついた経緯もあることなどから、官邸を刺激して反感を買うことを避けたのでしょう」
経験に裏打ちされた田中氏の数々の指摘は、圧力一辺倒で北朝鮮情勢の転換に気づかず、国際社会で置き去りにされた安倍晋三にとっては、耳が痛いものばかりであろう。 続く
今すぐ石油を値下げしろ!トランプがツイッターでOPECに命令
石油の値段を「今すぐ下げろ!!」
トランプがオペックにツイッターで命令
トランプ米大統領は4日、ツイッターで、石油価格が値上がりする中、石油輸出国機構(OPEC)が市場を独占しているのに、何も対策を講じていないと改めて批判した。
トランプは『米国がOPEC加盟国の多くを極めて安い対価で守っているのに、彼らは石油価格を釣り上げている』と主張。
米国による安全保障面での貢献と安価な石油供給が
『相互に協力する関係でなければならない』と主張した上で
『価格を今すぐ下げろ!』と大文字で記し、対応を迫った。
しかし、現在の原油価格の高騰は、トランプがイラン産元油の輸入停止を各国に要求したことによる供給不足への懸念のせいである。OPECにあたるのは筋違いというものだろう。
東電を糾弾・馬場 有浪江町長死去②
東電を糾弾
権力への怒り、妥協を許さず
馬場 有浪江町長の死
②
浪江町の避難指示解除から1年3カ月。本格的な復興へと歩み出した故郷の姿を見送るように、馬場 有町長は逝った。
東日本大震災と福島第一原発事故からの再生を率いた原動力は、国や東京電力という巨大な権力への強い怒りだった。
あの日、町民は放射能の拡散予測を知らされず、高線量地区に避難を余儀なくされた。
なぜ情報は隠され、無用な被曝を強いられたのか。
2013年5月、東京都内で記者会見に臨んだ馬場さんは、『町民が受けた精神的苦痛は計り知れない』と鬼気迫る表情で話し、東電に慰謝料の増額を求めてADRを申し立てた。
町は面積の8割が帰還困難区域に指定されながら、原発は立地していない。
双葉郡8町村の中で、単独申し立てに踏み切る事には庁内でも異論があった。二本松市に置いた仮役場の町長室では連日、担当職員とぶつかる声が漏れた。
「単独で闘っても東電に一蹴される」
「一度走り出したら引くに引けなくなる」と制止する職員に対し、馬場さんは
『町民の総意として必ず闘う。欲しいのは補償金ではなく東電の誠意だ』と譲らなかった。
浪江町が国や東電に厳しく迫るのを尻目に双葉郡内の周辺自治体には廃炉研究施設などの誘致話が次々に持ちあがった。
「浪江が明らかに冷遇されている」との認識が町民に広まったが、
馬場町長は『誰かが闘わなければならない』と屈しなかった。
3選を目指した15年11月の町長選は町外のコミュニティー形成を掲げた他候補に対し、故郷の再生を貫いた。既に体調を壊していたが、『町を残すのが私の使命だ。あと1期全うし、町を後進に託したい』と自らを奮い立たせた。
17年1月から県内外、10カ所で開いた住民懇談会はすべて出席し、長期の避難生活を送る町民の不満や町政への不満を受け止めた。
日に日に色濃くなる疲労をにじ混ぜながら『町民は戻れないもどかしさを感じている。私自身、何でこんなことをやっているんだろう』と取材に苦悩をのぞかせる場面もあった。
震災後、復興推進課長として馬場さんを支えた宮口勝美副町長は辞職願が同意された今月13日、福島市内の病院で最後の面会をした。
痩せこけ、病床から『重責を終えてほっとする反面やっぱり寂しいね』と漏らしたという馬場さん。宮口副町長は「町民の利益を一番に考え、妥協しない人だった」と声を詰まらせた。終り
(永人所感)
馬場町長は東電福島原発の所長・吉田氏を思い出させる原発放射能汚染の壮絶なる犠牲者だ!
事故直後に発した吉田所長の言葉が忘れられない。『福島はチェリノブイリの10倍の放射線発散事故だ!』 ロシアは国策で住民を強制避難させたが、日本はもう住民を帰還させ補償金を打ち切ろうとしている。まさに気違い国家だ。
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