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ちあきなおみ考②

ちあきなおみ考

 とにかく歌が上手かった。作曲家の船村 徹は、その歌唱力に見合う彼女の為に1975年ちあきなおみ28歳(結婚3年前)の時、石本美由紀の作詞した『さだめ川』に曲を付けた。ちあきの細やかで丁寧に歌う歌唱力により、当然ながらヒットしたが、これは「ちあきなおみシングル盤」の21枚目だった。

さだめ川

作詞・石本美由起

作曲・船村 徹

明日のゆくえ   さがしても

この目に見えぬ  さだめ川

あなたの愛の   流れるままに

ゆるした夜は   雨でした

 

二人の恋を    憎むよな

うわさが辛い   さだめ川

故郷の町を    逃れる夜は

いずこの山か   また海か

 

すべてを水に    流しては

生きては行けない  さだめ川

あなたの愛に    次の世までも

ついて行きたい   私です

 

この3番の歌詞がちあきなおみの結婚と愛する夫との1992年9月の死別に遭ってもなお、夫についていきたい心境から棺に取りすがって、一緒に燃やしてほしい旨の行動につながって行ったのだろうと思われる。

 

宍戸鍈治と瀬川三恵子という大吉名同士の出会いであるはずが、鍈治は瀬川に入籍し、凶名に変化、瀬川三恵子は

「ちあきなおみ」となって、これも凶名に変化した。

ちあきなおみ45歳、瀬川鍈治55歳という二人の死別だった。鍈治臨終の直前、ちあきに『これからは無理して歌わなくてもいいから』といったそうだが、ちあきはそれを今も守っているのだろう。

夫の死を境にちあきなおみはマンションを夫の墓の近くに移し、毎月の月命日には和装の喪服を着て墓前に1時間ぐらい居るのだという。

多くのファンは一日も早く「ちあきなおみの歌」を聴きたくて心待ちにしているのであるが、彼女には毎年約1500万円の印税その他の収入が有り、生活に困るわけでもなく、夫に言われた『無理して歌わなくてもいい』という言葉を遺言として頑なに護っているのだろうか。

ちあきなおみとして表に出てこない今、瀬川三恵子に戻っての生活になってしまったのだろうか。

彼女の才能に付けても、このままではいかにも惜しい。

ヒット曲メーカー船村 徹氏も逝ってしまった今、なおさら寂しい限りだ。終り

 

 

 

 

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