日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
元公明党都議との密会ビデオ
元公明党都議との密会ビデオ
40回
ところが最初の内容証明を出した1983=昭和58年3月から3ヶ月後ぐらいに、富士宮署に突然
「後藤組壊滅対策本部」が出来たんだ。
当時はまだ、山一戦争も始まっていなかったし、地元では、それまで散々大暴れしてたのに、そんなもんが出来たことは一度もなかったんだ。
この対策本部が出来てからというものウチの若い衆が片っ端からパクられて行った。それこそションベンしても、屁をひってもしょっ引かれて1年足らずの間に60人以上がぶち込まれたんだ。
ガサ(家宅捜索)の時は決まって静岡県警本部からわざわざ本部長がヘリに乗って飛んできて、後藤組の事務所の上をグルグル回って、本部長自ら、家宅捜索を指揮してたんだよ。
その時思ったね。ああそうか、「お前ら学会はいざとなるとこんな汚い手使ってきやがるんだな」、と。
そりゃ国会だったら公明党使って警察庁に圧力をかけりゃいい話だし、池田のおひざ元の東京都議会でも、公明党は昔から与党だったしな。予算握ってるもんで、警視庁に圧力かけるのも造作はないか。
けど、これには本当に頭にきた。「じゃあ池田先生に直接、ものを言いに行くしかないわな」と思ったよ。
そうこうしてるうちに、若い衆が、池田大作が東京女子医大に入院したという話を聞きつけて,俺より先に「池田大作先生」に会いに行ったらしいわ。
ところがそれを知った池田が急に退院しちゃったもんで、若い衆は東京都新宿区の信濃町にある学会本部(創価学会文化会館)まで出かけて行ったんだ。
◎1985=昭和60年11月12日、新宿区信濃町の創価学会文化会館で、後藤組系幹部ら3人が発砲.銃刀法違反で現行犯逮捕された。◎
これには池田もビビっただろうな。そりゃそうだわ,行く先々で「バン!」って音がするんだから。それであわてて、池田の使いのもんが飛んできて,詫びを入れてきたんだ。
この人間は山崎正友と違ってまだ生きてるし、俺は別にこの使いのもんが心底憎いとか、嫌いと云う訳じゃないから、本人の名誉のためにも、「X」とでもしておこうか。
このXが、山崎の後の、俺と学会との“窓口”になったわけだ。「陸軍中野学校の出身」とか言って山崎がいなくなった後は、このXが“裏”の仕事を担当してたんだ。
このXを通じて「池田大作が詫びを入れてきた」ことで、その後は又、学会に協力してやることになったんだ。
◎1991=平成3年11月、日蓮正宗は池田大作・創価学会会長を破門し、これ以降、宗門と学会は激しく対立。翌1992年4月には学会と対立する大石寺「妙遠坊」で発砲事件が発生。同年5月には大石寺「奉天寮」に火炎瓶が投げつけられるという事件が発生した。◎
俺は山崎より、このXの方と波長が合った。山崎正友というのは、組織(学会)に対して誠実じゃなかった。
自分の懐にカネを入れることばかり考えてさ。
海産物業とか変な商売を従兄弟にやらせて20億とか30億の損を出して倒産しちゃったんだよ。
それを張消しにするために今度は学会を脅かしてカネを出させようとして、初めは5億円を出させ次に
10億円を要求して、恐喝でパクられて・・・。
それに比べたら後から窓口役になったXは組織に忠実だったよ。私利私欲じゃなしに、俺とのトラブルを含め、学会の抱えている様々な問題を何とか収めようという姿勢だった。
だからこそ、俺も又学会に協力してやろうという気に成ったんだ。あんたたちがこの「X」のことを誰と想像しようが勝手だが、俺自身はXを悪い人間とは思っていない。
一番の悪(わる)はやっぱり裏で、山崎正友だのXだのに“汚れ仕事”をさせといて、表では善意に満ち溢れた教祖様ヅラしている、池田大作だろうな。 続く
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