日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
池田大作の見苦しさ
池田大作の見苦しさ
42回
そのビデオが撮影されたのは、俺の知り合いで、Xとも懇意にしていた六本木の会社社長の事務所だ。
俺はその時ビデオを撮られていたことは知らなかったが、後になってそう聞いた。Xとどんな会話をしたかなんて、そんなことは覚えちゃいない。
当時はXとしょっちゅう密会してたもんでな。その後、知り合いの社長がそのビデオをどうしたかについても知らない。ただ最終的には亀井静香・現国民新党代表が持って行ったと聞いているが・・・。
◎だが、その後、藤井富雄の周辺で不審な事件が起こる。再び前出の魚住 昭のレポートから引く。(「密会ビデオ」騒ぎが起きてから二年近くたった97年10月29日午前2時すぎ、東京都新宿区にある藤井宅の南隣りの家の鉄製門扉が爆破された。
近くに電池やリード線、タイマー等の部品が落ちており、時限式爆弾によるものと警視庁は断定した。
その後の調べで爆発物は魔法瓶のようなステンレス製容器に火薬を詰めたものと判明、使用された電池の形態などから、過激派による犯行の可能性は低いというのが警視庁の見方である。◎
俺が今回、初めて創価学会との経緯を話したのには、2つほど理由がある。一つはあいつら学会のやっていることが、俺がつきあっていた30年前と同じ、いやそれ以上に悪くなっているからだ。
学会、いや池田大作のために、それまで散々動いてきた連中や、俺みたいに協力してきた人間を、用済みになったと思ったら簡単に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ。
山崎正友にしたってそうだ。最後には私利私欲に走ってしまったが、それまでは池田大作のために“汚れ役”に徹していたのは紛れもない事実だ。
にもかかわらず、学会は、悪事がバレそうになったら、責任を山崎一人に押しつけた。俺が昔池田大作に対する内容証明を出した竹入義勝さんにしろ、矢野絢也さんにしろ、また然り、だ。
それまで散々「池田大作のために尽くしてきた」のに、ちょっと力をつけた途端に切り捨てられたんだから。そりゃ、竹入さんや矢野さんが居直るのは無理もない話だよ。
◎竹入義勝は1967=昭和47年の衆議院選で初当選した直後に、公明党委員長に就任。以降、8期にわたって衆院議員を務めると共に19年間同党の委員長を務めた。
しかし政界引退(1990年)後の98年『朝日新聞』に掲載された55年体制回顧録で公明党と創価学会が政教一致の関係であったことを明らかにし、公明党からは除名処分を受け学会からは永久追放となった。以降、竹入は学会の機関誌『聖教新聞』などで、学会幹部らから徹底した誹謗中傷を受けている。◎ 続く
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